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 ちょうど今回でレビュー100本目となったので、ちょっと特別なことを、と思っていろいろ考えてみたのだけれど、結局地味でありふれた企画になってしまった。
 アルバム本体は聴いたことないけど、またはアルバム自体入手困難だけど、この曲はどうしても好きで好きでたまらないので紹介したい、というのを基準に選んでみた。こういうのって選者の10代の頃の曲が多くなりがちだけど、その例に漏れず、俺のセレクションは見事に80年代ばっかり。90年代もいろいろ聴いてはいるはずなのだけど、心に残るのはどうしても若い頃に聴いた曲中心になってしまう。
 ランダムに取り上げてるので、順位はなし。できるだけヒット曲ははずしてみた。
 じゃあ行くぜっ。



タンゴ・ヨーロッパ 『桃郷シンデレラ』
 1980年代初期にかけて活動、1984年までに2枚のアルバムと4枚のシングルをリリース。主に深夜テレビやラジオで活躍、あまり生演奏の機会は与えられなかった模様。
 女5人のガールズ・ロック・バンドで先駆者と言えば、プリプリやSHOW-YAが一般的に連想されるけど、当時のガールズ・ロック・シーンは山下久美子の独占状態、バンド・スタイルが受け入れられるには、時代がちょっと早すぎた。また当時の音楽シーンでは、ロック・ビジネス自体がまだ確立されておらず、レコード会社・事務所的にもまだ売り出しのノウハウがない状態だった。既存の芸能界ルートを通しての売り方、「ちょっとセクシーなロリータ・バンド」という、実像とは不本意なイメージでプロモーション展開されたため、双方の不信感がマックスに達し、解散の憂き目に合ってしまった。
 この曲はラスト・シングル、すでにレコーディング時点で解散が決まっており、最後くらいはやりたいようにやらせてやろうという事務所の温情もあって、バンド主導でプロデュースが行なわれた。やけくそ半分好き放題にやったことが功を奏したのか、これまで無理やりアイドル歌謡ロックを歌わされていたことが逆にバックボーンとなって、ロックと歌謡曲との無理のないハイブリット・サウンドがここに誕生した。
 あれほどイヤイヤ歌っていたアイドル歌謡のフォーマットをベースとして、バンド・アレンジを基調としたサウンド・プロダクション、オリエンタルなコード進行のオープニングから必殺の3連符によるサビ。スワン・ソングにしては完璧な歌謡ロックであり、皮肉ながらも彼女らの代表作になった。
 田舎から上京してきた少女が夢破れて田舎に帰るその切なさを憂う歌詞は、タンゴ・ヨーロッパ自身とダブってしまい、当時の数少ないファンの郷愁を誘った。
 ちなみにヴォーカル兼リーダーのさいとうみわこ、解散後にインディーズからリリースしたデビュー・アルバムにおいて、めちゃめちゃ先駆けのヘア・ヌードを披露、ちょっと話題になった。



ピチカート・ファイヴ 『東京の合唱』
 もはや正確な数値はわからないくらい膨大な量のシャレオツな音楽と、そこから派生するさらに大量のリミックス・ヴァージョンによって、「消費財としての音楽」を無尽蔵に送り出したピチカート・ファイブ。
 そこに立ってるだけで「華」のある野宮真貴、元祖渋谷系の総帥として、今でも多大な影響力を持つ小西康陽とのコンビは、世紀末までほぼノン・ストップでフル稼働していた。そして20世紀を終えると共に、その役割を全うしたかのように、突如その幕を閉じた。
 消費されるための音楽を目指していたピチカート、彼らの去った後は、タワレコ・HMV系を中心とした、いわゆるシャレオツ系音楽も急速に衰退、そして彼らもまた、90年代の風俗・カルチャーとして、ごくたまに語られる存在となった。
 伝説としては完璧だった。だったのだけど、ついアーティストとしてのエゴが出てしまったのが、この曲。
 シゲル・マツザキの熱いゲスト・ヴォーカルばかりが取り沙汰されてるけど、この曲で大事なのは歌詞。

 誰だっていつかは死ぬけど なんにも怖くはないけど
 天国に行けるかな
 ときどき嘘はついたけど 悪いことはしてないし
 君に言った嘘なら いつだってすぐにバレてたよね

 もはや爛熟期に突入していたゴージャスなピチカート・サウンドの中でも、このアレンジは比較的シンプル。シゲルに煽られてるせいもあって、真貴のヴォーカルもいつもより力強い。その刹那的な叫びは、どこか虚飾にまみれたサウンドの奥深くで、しっかり息づいている。
 彼らの美学として、こんな風に捉えられるのは本意じゃないかもしれないけど、この一節は俺の中で今でも息づいている。
 当時のリア従たちの日常の空気感を見事に封じ込めたYOU THE ROCK★のラップ・パートも、風俗史観としては貴重。



鈴木慶一 『Left Bank』
 ビートニクスのレビューでも書いたのだけど、盟友高橋幸宏と組んだ時の慶一の歌詞は、80~90年代の日本のロックにおいての至宝。
 人生の応援歌でもなく、四畳半の日常雑記でもない。現状がクソだと毒づくのではなく、そこをひとつ越えたところ。大人になるということはしがらみが多くなり、自分独りの力ではどうにもならない。身動きが取れないことも多くなる。だからといって、完全にドライに割り切れるわけでもない。人間誰しも、そこまで強くはなれないのだ。
 そういった無常感を描いたら、当時彼に勝る者はいなかった。

 最教の敵は 自分の中にいる
 最高の神も 自分の中にいるはず

 この、「はず」とつけ足してしまうところに、当時の彼の才気渙発さが窺えるのだ。



小林克也 『六本木のベンちゃん』
 多分、最初に聴いたのはAMラジオからだった。何じゃこのコミック・ソング、というのが最初のイメージ。
 何だか酔っぱらったようにデュエットしてる男の声は、ほぼ確実に桑田佳祐、そしてメインで歌うのは小林克也。「ベストヒットUSA」で見たことのある、そして「スネークマン・ショー」で、めっちゃうまいけどクセのある英語ナレーションを務めるあの人だった。
 当時の桑田と言えば、コミック・バンド的なイメージの強かったサザンが徐々にアーティストとしてのブランド・イメージを確立しようとしていた頃であり、そこに反比例してシャレの効いた曲が少なくなっていた時期と一致する。本格的なアーティストとしてのブランド確立も至上命題だったけど、同時に昭和歌謡曲の申し子でもあった桑田にとっては、スケープゴート的な遊び場も必要不可欠なものだった。よって、この小林克也とのコラボは、桑田の精神バランス的にも良い方向へ働いていた。
 中年オカマの色恋沙汰をベタな歌謡曲テイストで演じるという、何ていうかもう、わざわざ書き出すのもバカらしくなって来る、そんな内容のない歌詞である。バカらしさをさらに突き抜けて、未だ孤高の存在の曲であることに変わりはない。
 ただ、果敢に英語風日本語&日本語風英語との融合を行なっていた桑田の言語感覚は凄まじささえ感じてしまう。特にこの曲、当時の固有名詞や時事風俗などのポップ・カルチャー情報をこれでもかというほど詰め込んでいるにもかかわらず、後に残るものは何もないという、究極のポップ・ソングの見本のような曲。
 最近では桑田のオール・タイム・ベストに収録されたため、レア度は低くなったけど、未だ彼のキャリアの中では異彩を放っている。



坂本龍一 『Steppin’ Into Asia』
 1985年にリリースされたシングル。当時教授がレギュラーを務めていたNHK-FM『サウンド・ストリート』のデモ・テープ特集に応募してきた素人女子大生をヴォーカルに抜擢、教授が作ったトラックに彼女がタイ語のラップを乗せ、タイトル・サビを当時の奥さんだった矢野顕子が担当。限定版だった7インチ・シングルはピクチャー・ディスク仕様、寝起きのような面をした教授のポートレートがプリントされていたのが印象的だった。
 当時の最先端だったサンプリング・エフェクトが使われまくりなのだけど、当時は他人の曲から音源を引っ張ってくるという発想自体が日本では浸透していなかったため、基本は教授自前のサウンドを使用している。
 ギャングスタとは対極の位置にあるラップの方向性は、いろいろ紆余曲折してはいるけれど、スチャダラパーに受け継がれている。






矢野顕子 『ひとつだけ』
 で、続けて矢野顕子本人の歌で。
 アッコちゃんという人は、昔は規格外の天才で、どこにもカテゴライズしづらいオンリーワン、「矢野顕子」というジャンルそのものだった。もちろん今でもその規格外な才能は変わらないのだけど、その才能があまりにも普通の人の理解を超えすぎていたため、いろいろ誤解も受けてた時期が長かった。清水ミチコの芸からは大きなリスペクトを感じるけれど、エハラマサヒロからはあまり感じられない。なんていうか、そういうことだ。
 多分、「アッコちゃんの人気曲ベスト10」企画なら確実にトップ3に入るくらい、それほど人気の高い曲なのだけど、俺的に最高なのは忌野清志郎とのデュエット・ヴァージョン。

 けれども今気がついたこと とっても大切なこと
 一番楽しいことは あなたの口から
 あなたの夢 聞くこと

 離れている時でも わたしのこと
 忘れないでいてほしいの ねぇお願い
 悲しい気分の時も わたしのこと
 すぐに呼び出してほしいの ねぇお願い

 わかりやすい言葉をストレートに歌うこと。
 たったそれだけなのに、清志郎の憂いのあるヴォーカル、そしてアッコちゃんの力強いピアノとハーモニーが加わると、それだけでもう涙ぐんでしまう46歳。



仲井戸麗市 『打破』
 清志郎繋がりというわけじゃないけど、1985年チャボのソロ・デビュー・アルバム『THE 仲井戸麗市 BOOK』に収録。RCの爆発的な人気が安定期を迎えたと共に、バンドの状態も爛熟期を迎え、徐々に亀裂が生じてきた頃である。先だって清志郎がソロ・デビュー、それに刺激されたのか事務所の要請だったのか、チャボも遂に重い腰を上げた。
 今でこそ枯れたブルース・マンっぽくなっちゃったチャボ、この頃はまだトンガっていたのか、本家RCよりも重く深い、ハードなロック・ナンバーに仕上がっている。

 変わり映えのしねぇ 判で押した毎日
 いい加減 打破 打破 打破

 俺にできることといやぁ 紙の上で歌を書き上げ
 ロックバンドで騒ぐことぐらいさ

 全共闘世代特有の言語感覚が当時は浮いていたけど、リリースから25年も経つと、古びぬパワーを放つ言葉たちが、ストイックなサウンドにさらに強烈なスパイスを加えている。
 この曲も実はオリジナルではなく、やっぱり清志郎とのデュエット・ヴァージョンが最強。RC爛熟期のライブ・アルバム『the TEARS OF a CLOWN』収録。DVDによる映像版も出ているので、何とか探してみてほしい。

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Cocco 『強く儚い者たち』
 冒頭に書いたように、なるべくヒット曲は外していたのだけれど、これだけは外せなかった。
 最初に聴いたのは札幌のタワレコの試聴機、ちょっと熱のこもった手書きPOPに魅かれ、何気なくヘッドフォンをつけたのが始まりだった。ジャケットの女の子の憮然とした表情は「ここはあたしの居場所じゃない」感が強く発せられており、例えて言えばザラッとした感触があったのを覚えている。
 静寂すら感じられるオリエンタル・ムードのイントロ、そして…。
 多分、音楽を聴いた衝撃で立ち尽くしてしまったのは、あれが最初で最後だと思う。
 南海の孤島の寓話めいた暗示的な歌詞、静かなレゲエ・ビートに乗せたストイックなサウンド、そしてシャーマンの如く無機的でたどたどしい、それでいて強い意志を感じさせるcoccoのヴォーカル。
 大切にひとつひとつ、慎重に言葉を選びながら歌っているはずなのに、どの言葉も発せられたその瞬間に色あせてしまう。それがもどかしくって不器用に腕を振りながら歌うその姿は、当時のJポップ・シーンにおいては明らかに異色だった。



シオン 『30年』
 シオンという人はあぁ見えて結構下世話な人なんじゃないかというのが、ファン歴の浅い俺の印象。悪い意味じゃないのだけど。デビューして30年、今後も大きなセールスは見込めそうにないけど、固定ファンの期待にも確実に答え、結構波はあるのだけど、コンスタントに作品をリリースしている。
 売れなくてもいい、というのでもない。このままのペースで売れるならそれはそれでいいし、多少は頑張っちゃってもいいと思ってるけど、どうも狙っちゃうとハズしてしまうことが多い。
 何が何でも自分のやり方を貫かないと気が済まないわけでもないらしい。そこまで頑固な人でもないのだろう。じゃなけりゃ、福山雅治とあそこまでガッツリとコラボしないと思う。下世話というのは、そういった意味。
 活動歴が長い分だけコアなファンも多く、それぞれ思い入れの深い曲もあるのだろうけど、俺的にはこの曲、しかもベスト・アルバム『TWIN VERY BEST COLLECTION』収録のライブ・ヴァージョン。
 ―NY行きの飛行機の隣りに乗り合わせた、アメリカへ帰るレストラン経営者の半生を、いつものように酒焼けでガラガラ声のシオンが淡々と語る。
 若いうちに日本を飛び出して、アメリカで必死に働いて金を貯め、日本食レストランを経営するくらいまで成功した。今でも年に一回、母親の顔を見るために帰国している。でも田舎に帰っても、何だか実家に泊りづらくてね、泊まるのはいつもビジネス・ホテル。
 内容に特別変わった点はない。大きな事件も感動のフレーズも何もなく、淡々と事実を語るだけ。奇をてらうこともなく飾らず、ただ「事実」だけを淡々と語るシオン。それがフィクションなのか事実なのか、それを語ることもない。
 そんなことはどうでもいいくらい、物語そのものとなったシオンが、そこにいる。



コンセントピックス 『だらしないやつ』
 1984年ポプコン・グランプリ受賞、同年にその受賞曲"顔"でデビュー。オリコン最高53位という、まぁそこそこの実績。この"顔"という曲も、男子に免疫のなさそうな当時の腐女子が背伸びして妄想して逆ギレしたフェミニズム全開の曲なので、何となく記憶に残ってる人も多いはず。
 歴代のポプコン受賞曲の中でもかなりの異色バンドで、アラジンやTOM-CAT系のイロモノ系ともまた微妙にスタンスが違っている。そのアクの強さは孤高の輝きを放っており、いまだフォロワーを生み出していない。
 "顔”以降はパッとせず、2枚のアルバムを残して解散。ヴォーカル兼リーダーのよしだみつぐはその後ソロ活動も行なったらしいけど、こちらもいつの間にかフェード・アウトしてしまった。
 タンゴ・ヨーロッパ同様、2枚目製作時にすでに解散が決まっていたらしく、この曲はラスト・アルバム『HA・TSU・MI・MI』、そのラストに収録されている。レコーディング時点でほとんどやけくそだったのか投げやりだったのか、はっきり言って他の曲はどれも中途半端な完成度、やっつけ仕事っぽくアマチュア・バンドの域を出ないのだけど、この曲の放つエネルギーだけは全キャリアにおいても突出している。

 だらしない子供たちが 増えている 自殺に走る
 要領とお愛想だけの 大人を見て来たから

 16歳の時に初めてラジオで聴いて衝撃を受けて以来、いまだ俺の中では日本のパンクでは不動のベストテン第1位。ほんとは歌詞を全部書き出したいくらいである。そこまでする気はないけど。
 やけくそなヴォーカルと投げやりな演奏。ありとあらゆる不満をこれでもかと詰め込んだ歌詞。
 きちんと成型された商品ではない。
 時代のあだ花にすらなれなかったけど、この歌は今でも普遍的な問題意識の塊である。

HA・TSU・MI・MI
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次回は洋楽編。