好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

中島みゆき

よそ行きの服に隠された裸のみゆき - 中島みゆき 『おかえりなさい』

folder 前作『親愛なる者へ』から8ヶ月のインターバルでリリースされた、みゆきにとって初のセルフ・カバー・アルバム。それまではほぼ1年前後の間隔を空けて制作していたので、なんでこんな中途半端な時期にリリースされたのか、何かしら心境の変化かヤマハ的な事情もあったんじゃないかと思われる。
 俺的に考えられるのが、このアルバムの次にリリースされるのが、あの『生きていてもいいですか』。初期のみゆきの代表作であり、またみゆきの剥き出しの部分、ダークサイドを露悪的に描いた傑作である。いくら稼ぎ頭の筆頭とはいえ、あまりにプライベートでダウナーなコンセプトに、ヤマハ的にはリリースに乗り気ではなかった。みゆき的にもこれまでのルーティンとは違って、ある意味自虐的なファクターを深化させてゆく作業のため、制作状況は遅々として進まなかった。
 気分転換に、すでにある程度の認知を得ている楽曲を歌い直すこと。みゆき・ヤマハの双方にとって、利害関係が一致した瞬間である。

 で、「すべて既発表の他人提供曲の逆カバー」というアルバムを最初に作ったのは誰なのか。wikiで調べてみると、どうやらみゆきがこのジャンルの先駆者になるらしい。
 1978年にさだまさしがリリースしたアルバム『私花集』は、純粋なアルバム書き下ろしと、山口百恵提供曲のセルフカバーというスタイルで構成されていたけど、まるまる全曲ではない。そもそも、自作自演がモットーのフォーク系シンガーソングライターが、アルバムとしてまとめることができるほどの楽曲提供を行なっていたことが異例であり、あらゆる面において特異なものだったことは想像できる。

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 そんな楽曲提供に加えて自分用の楽曲制作、さらに恒例となっていた春・秋の全国ツアーも並行して行なっていたのだから、もう何か憑りついていたとしか思えないくらいのワーカホリックぶりである。いやほんと、自分じゃどうしようもない「業」なんだろうな。
 「業」というのは「気分が乗らないから」「どうしても時間が取れないから」でやる・やらないという類のものではなく、ほんと急き立てられる使命感のようなもので、自分の都合がどうしたとか、そんなのは問題ではない。「やらざるを得ない」のだ。
 ただみゆきの場合、楽曲制作という点に絞って言えば、それが「業」であるがゆえ、すでに生活の一部となっている。なので、一般的なアーティストがぶち当たる「産みの苦しみ」とはいささか趣きが違っている。
 もともとオファーを受けてから、一から十まで一気呵成に仕上げるタイプの人ではない。普通のアーティストにとっては非日常的な作業である「曲を書く」といった行為が、みゆきの場合、それはごく普通の生活の一部である。朝起きて歯を磨いたりパスタを茹でたり、印鑑証明を取りに役所へ出向いたりTSUTAYAの会員カードの更新など、そういった何の変哲もない生活の一部に組み込まれている。そうして書き溜めた詞曲の断片やらコード展開をしこたまこさえており、あとはオーダーに応じて組み合わせたり引き延ばしたり、またはバッサリ枝葉を刈り落として、要望通りの作品に仕上げる、といった流れ。
 提供者のメッセージやニュアンスをダイレクトに反映させるのではなく、みゆきが創り上げた「みゆき的宇宙」に、波長が合うアーティストが合わせるといったスタイルなので、親和性は高い。まぁあまりチャラチャラしたアーティストとは反りが合わなさそうだし。

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 多彩なテーマを取り上げている現在と違って、初期のみゆきが創り上げる世界観の彩りは単色で、もっぱら色恋沙汰、基本は1体1の男女間の虚ろな感情と彩とが主題となっている。これは時代性も関係しているのだけど、基本、女性主導で男性をリードする主人公ではない。昭和のメンタリティーに則したマイノリティである女性を取り上げている。それがみゆき自身だったのか、それとも友人知人の恋愛体験をベースとしたものなのかは別として。
 ただ、自分の半径5メートル程度で繰り広げられる体験だけでは限界がある。誰しもそんなに毎日、ドラマティックな体験ばかり遭遇するわけではないのだ。たとえ仮想体験をベースにしたとしても、そもそも人ひとりがゼロから創り上げるキャパには限界がある。作風に広がりと奥行きを出すため、そこには新たな視点が必要になる。
 初期のみゆきが恋愛以外のテーマを取り上げた作品は、ホント数えるくらいしかない。しかもその仕上がりも、無理やりキャパを広げようとしたあげく、習作的なレベルに留まっている。特に「わかれうた」があれだけ売れてしまったため、どうしても同傾向のテーマのオファーが続いてしまう。
 同じ色恋モノでも、自分以外を主人公に、要は歌い手を自分以外に想定すれば、また別のアングルが生まれる。「幅を広げる」という意味で、他シンガーへの楽曲提供は、ソングライター中島みゆきにとって、結果的に大きな転機となった。

 その実験対象として、最初期に大きな成果を上げたのが、研ナオコということになる。もちろん、誰でもいいと言うわけではない。まったく同じ個性だったら意味がないけど、ある程度世界観を共有できて、しかも作者の意図をきちんと理解して表現できるシンガーという面において、研ナオコは最適の存在だった。
 研ナオコを介したマスの大衆とコネクトすることによってみゆき、自分と他者との世界観との擦り合わせを行ない、やがてそれはヒットを記録、大人の歌手として脱皮した研ナオコ同様、みゆきもまた一般性を得ることになる。
 「だから、半分ぐらいは彼女がいたから書けた。彼女があたしの歌をひっぱり出したってことだと思うね。あたしはあたしのこととして書いたつもりだけど、でもそこに彼女がいて、それが引っぱってるって感じね」。

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 そういった側面から、研ナオコへの一連の楽曲提供は、双方にとって得るものが多かった。
 彼女とのコラボが始まった頃、みゆきはインタビューでこう発言している。
 「頼まれたから書いたけどね。でも、彼女に合わせてってのはできないんだよね。作曲法とかきちんと知らないし、音程とかを歌う人に合わせるなんてね。あくまでも乱暴な作り方をしてるから、合わせて作るなんてまで知恵がまわらないのよね」
 デビューしてまだ1年も経っていない新進ソングライターと、コメディエンヌとしての評価が先行していたシンガーとの仲を取り持ったのが、田辺エージェンシーの田邊社長。スパイダースのドラムの人、と言えば古い人には通じるはず。ていうか、俺も現役当時は知らないけど。
 今も芸能界の重鎮としてその名を轟かせる彼の慧眼だったのか、はたまた思いつきだったのかはともかくとして、相反する二面性を持つ二人だったからこそ、この2人は波長が合い、コンビとして成立したのだろう。
 吉田拓郎がキャンディーズに、また、さだまさしや谷村新司が山口百恵に楽曲提供したりなど、シンガー・ソングライターが歌謡曲フィールドへ進出する例は、あるにはあった。あったのだけど、それらは大抵ワンショット契約の単発で終わる場合が多く、みゆきのようにアルバム片面丸ごとを製作するほど深く関与することは極めてまれだった。

 デビュー当初から独自の世界観を有していたみゆき、その個性は同世代のアーティストと比べても抜きん出ていた。何しろデビュー前から「時代」や「傷ついた翼」など、並みのアーティストなら一生かかっても書けるかどうかのクオリティの作品を創ってしまう人である。しかも、それがビギナーズラックではなく、デビュー40年以上経過した現在も安定して高水準の作品を世に送り出しているのだから、そのポテンシャルは尋常ではない。
 ただ、その言葉の鋭さは時に、抽象的かつ内寄りの言葉に偏り過ぎてしまうきらいがある。内輪のフリークの間だけで通ずる言語は、どこか他者の理解を拒む。
 70年代のみゆきのフォロワーに、哲学者や文学関連の人間が多かったのも頷ける。その言葉の礫は、プロの言葉の使い手よりも巧妙で、しかも作為よりリアリティが上回っていたので。
 まぁ知ったかぶりも多かったんだろうけどね。

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 この時期にもうひとつ、特筆することが「オールナイト・ニッポン」月曜一部のパーソナリティ就任。前任者松山千春よりバトンを受けての形で、多分本人もこれだけ長く続くとは思ってなかったんじゃないかと思われる。どちらにせよ、8年の長きに渡って続けられたのは、単純にすごいことである。
 基本、フォーク/ニュー・ミュージック歌手のラジオといえば、トークがずば抜けており、前説レベルの芸人ならとても太刀打ちできないほどのスキルを有している。谷村新司もさだまさしも、歌とはまったく別のキャラクターを演じて、毎週マイクの前に座っていた。
 みゆきもそういったフォークの伝統に則って、ラジオではほんと別人格のようなキャラクターで話題になった。その落差は大きく、一部ではみゆきは一卵性の双子である、というまことしやかな噂も広まった。ただしこれはアンチみゆき派による冗談半分デマ半分で、実際のところはみゆき本人にしかわからないだろう。
 まぁどっちがどっち、ほんとの人格を見分けられること自体ナンセンスで、どっちもほんとのみゆきであることには変わりない。長年のファンだったら誰でも知ってることである。
 番組に寄せられたハガキはネタから心情吐露から幅広いものがあり、そこから普通の人々の普通のライフスタイルに触れることができた。仕事の忙しさのピークの最中だったみゆきにとって、そのささやかなインプット作業は、さらに独自の価値観・人生観を広げ深めていった。
 ただ、そこで触れたエピソードをそのまま作品に転化するような行為はない。よく「ファイト!」がリスナーのハガキを元に作られたものだと噂されており、確かに着想くらいは得ているはずだけど、単体のエピソードをそのまま引き延ばした形にはなっていない。きちんとアーティスト中島みゆきのフィルターを通し、複合エピソードをこねくり回した形で作品に仕上げている。
 そこはアーティストとしての矜持である。


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中島みゆき
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1. あばよ
 1976年リリース、研ナオコ12枚目のシングル。彼女にとって最大のヒット曲となり、ソングライター中島みゆきの知名度を上げた記念碑的な楽曲。コメディ円ぬとして出演した彼女のCMを見たみゆき、「あれだけ人を笑わせることができるんだから、泣かせることもできるんじゃないか」と思い立ち、書き上げたとのこと。
 アレンジのタッチはオリジナルに準じており、ヴォーカルも重なり合う部分が多い。
 サビがクローズアップされがちだけど、いつも気に留めてしまうのはこの部分。

 あとで あの人が聞きつけて ここまで来て
 あいつ どんな顔していた と たずねたなら
 わりと 平気そうな顔してて あきれたね と 
 忘れないで 冷たく答えてほしい

 男への負け惜しみを、誰に向かって吐き出しているのか?
 多分、そんな想いをさらけ出せる友も知人もいないのだろう。そう考えると、途轍もなく寂しい歌だというのがわかる。



2. 髪
 アルゼンチン出身の歌手、グラシェラ・スサーナのシングル「さよならの鐘」のB面に収録。Youtubeでオリジナルを聴いてみたところ、オリエンタルに拙い日本語が「なんか違う」感を強く漂わせている。
 「わかれうた」から連なる恨み節仕様の楽曲は、当時のみゆきのステレオタイプ。歌謡曲にパワーがあった頃の産物である。

3. サヨナラを伝えて
 研ナオコのアルバム『かもめのように』収録曲。なぜかアレンジは鈴木茂。この人は器用貧乏的なところがあって、この時代はティンパン関連でギターを弾く他に、歌謡曲畑のアレンジも結構請け負っていた。堀ちえみなんかもやってたよな、確か。
 手慣れたサンバ歌謡チックなアレンジは、ベタな歌謡曲テイストの歌詞とイイ感じにマッチしている。なぜかドスの効いたヴォーカルを響かせるみゆき。

4. しあわせ芝居
 桜田淳子への提供曲で、初期の代表作。彼女にとっても大人の歌手への脱皮を果たせた楽曲であり、いいタイミングで転機となる曲に巡り合えた。同じくアレンジは鈴木茂。
 とっくの昔に切れているはずで、周りもみんなわかっているはずなのに、どこか認めたくない自分がいて、しかも煮え切らない態度でいつも通り接してくれる男につい寄り添ってしまう女…。初期のみゆきは執拗にその女をモチーフとしている。
 時代は前後するけど、このシチュエーションは「怜子」に引き継がれ、「BGM」で取り敢えずの帰結点を迎える。

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5. 雨…
 1978年、小柳ルミ子に提供。アレンジは後藤次利。ここでの後藤はシャンソン・シンガーとしてのみゆきを最大限盛り立てる脇役に徹しており、シンプルなピアノ・アレンジを中心としたウェットなサウンドを展開している。
 こうやって聴いていると、「雨」というワードは便利だよなと思ってしまう。どうしたってもの悲し気になってしまうもの。

6. この空を飛べたら
 加藤登紀子に提供された楽曲で、恐らく初期みゆきレパートリーの3本の指に入るほどの傑作。アレンジ、ヴォーカル、表現力ともすべてがハイスペック。
 「加藤登紀子」という全共闘世代のアイコンという背景から、どうしても「時代」と同じ解釈をされることが多いのだけど、まぁ俺もそんな気はする。深読みすればキリはないけど、音に刻みつけられた言葉たちは、あらゆる視点を受け入れる。

 凍るような声で 別れを言われても
 凝りもせずに信じてる 信じてる

 この最後の「信じてる」の響き、希望と諦念とが入り混じった、何とも言えぬ感情のほつれ。初期のみゆきの儚さがここに凝縮されている。



7. 世迷い言
 1978年、日吉ミミへ提供、みゆきとしては珍しく曲のみの提供。歌詞だけというのはその後もいくつかあるのだけど、曲だけというのは、俺が知ってる範囲では多分これだけなんじゃないかと思う。
 作詞は当時、脂が乗りまくっていた阿久悠。この組み合わせとなった経緯は不明だけど、正直、語呂合わせのような内容なので、別に誰でもよかったんじゃね?とは俺の独断。でもこれ以降、このタッグでの仕事はないので、双方、記憶にあるかどうかも定かではない。

8. ルージュ
 ちあきなおみに提供された、こちらも代表曲となっている。90年代にフェイ・ウォンがカバーしてアジア圏でヒットしたのは記憶に新しい。聴いたことあったっけ?と思ってyoutubeで聴いてみると、やっぱり記憶にあった。こうして聴いてみると、中国語との親和性が高いよな、みゆきのメロディーって。ちなみにオリジナルは比較的淡々と歌っているのだけど、程よい情感がこもって良さげだったのが、藤あや子。

 生まれた時から 渡り鳥もわかる気で
 翼をつくろうことも 知るまいに

 20代半ばでサラッとこんな言葉を書けてしまうところに、みゆきの底深さを痛感してしまう。
 
9. 追いかけてヨコハマ
 後藤次利の洒落っ気とみゆきのお茶目さとがうまくシンクロした、珍しく時代性を思わせてしまう快作。だってインベーダー・ゲームだもの。40代以下にはまったくリアリティのないSEだよな。時流としてYMOが流行っていたから、という注釈をつけておかないと、ちょっとわかりづらい。



10. 強がりはよせヨ
 ラストはやっぱり研ナオコ提供曲。イントロのアレンジがPink Floyd『The Wall』のオープニングっぽく、壮大なメロディック・ハードが始まるかと思いきや、歌に入るとアコギの3フィンガー。その落差を楽しむのもまた一興。
 
 生意気を言うな と 笑ってよ
 「ひとりが好きなの」と 答えたら
 それなら この俺の行く当てあれを
 どうして尋ねると 問い詰めて

 感情の齟齬が露わになった男と女。もはやどこまで行っても入り混じることはない。
 なのに、どこかで重なり合う部分がある、と信じたい2人。
 いや、ほんとは相手が自分以外の他人と交わるのが癪なだけだ。「相手の幸せを願って」なんて、そんなのは嫌われたくないための方便でしかない。




 思えば研ナオコ、シリアスなみゆきの世界を歌いながら、同時期にテレビでは、志村けんとのコントや『カックラキン大放送』でぶっ飛んだキャラクターを演じていた。そのギャップはみゆき以上のものであり、そしてどちらも研ナオコの素顔である。


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みゆきさん、3枚目の歌い直し - 中島みゆき 『回帰熱』

6a013485c1c820970c013485c1d5ca970c-640wi 1989年リリース17枚目のアルバム。『おかえりなさい』『御色なおし』に続くセルフ・カバーという体裁を取っており、全曲既発表でありながら、オリコン最高2位21万枚のセールスを記録しているのは、やはり固定ファンの多さによるもの。こういった企画ものでもある程度の収益が見込めるアーティストはなかなかいない。ていうか、他人への楽曲提供って難しいし。そういったある意味めんどくさい作業を、現在に至るまでコンスタントに行なっているアーティストというのは、考えてみればみゆきくらいしか思い当たらない。

 このアルバムがリリースされたのは11月だったのだけど、特記することとして、この年末にみゆき、初めての「夜会」を開催している。改めて説明すると、「コンサートでもない、演劇でもない、ミュージカルでもない言葉の実験劇場」が当初のコンセプト。アルバム→ツアー→アルバム、といったルーティンの音楽活動だけでなく、通常のコンサートにシアトリカルな要素を加味した総合芸術を志向していたのが、当時のみゆき。志は高かったのだけど、基本は散文的なストーリー展開に既存曲をはめ込んでゆく、という思考錯誤の跡が窺える構成になっている。理想と現実とのギャップに愕然とすることによって、次第に「夜会」仕様のオリジナル楽曲・ストーリーが増えてゆくことになるのだけど、それはまだ先の話。まずは一歩、違う方向へ踏み出すことが重要だった。
 そんな経緯もあって、この時期のみゆきはもうめちゃくちゃな忙しさ。身体的にはもちろんそうだけど、精神的な部分、何となく形に現れているはずなのに、それを現実化できないことのもどかしさ。歌なら自信がある。通常スタイルのコンサートで観衆を惹き込むことだって、みゆきのキャリアなら充分可能だ。
 でも、それは何度もやってきたことだ。
 あとはただの反復作業。自身としては、新鮮味が薄れかけている。
 もちろん、歌だけを聴きたい人だっている。それはそれで続けなければならない。
 でも、いまやっておきたいのは「これ」なんだ。

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 アルバム・リリースのスケジュールはすでに確定しており、納期は迫っている。でも、物理的に体がいくつあっても足りない。それよりも焦るのは気持ちだ。やらなきゃいけないのはわかってる、でも今から新しい楽曲を書き足すのは、とても無理だ。
 当初、リリース予定の作品は、この次作にあたる『夜を往け』だった。ある程度のコンセプトや楽曲はできていたけど、充分に練り込む時間がなかったこと、またフルアルバムにまとめるには曲数が足りなかった。曲のストックはいくつかあるけど、コンセプトにマッチするモノはほんのわずかだ。到底間に合わない。
 なので、ピンチヒッター的な扱いとなったのが、この『回帰熱』。取り敢えず、今まで書き下ろしてきた提供曲から、テイストがかけ離れていないものをまとめて一枚のアルバムに仕上げた。言ってしまえば、苦肉の策である。それだけ余裕がなかったのだ。
 そんな事情もあって、この年の春にリリースされたシングル「あした」、これをパイロット・シングルとしてリリースし、アルバム発売の予告編にするはずだったのだけど、その本編が大幅延期となってしまい、なんか宙に浮いてしまったようなスタンスのシングルとなってしまった。KDDIのCMは名作だったんだけどね。

 その「あした」のリリース後、アルバム・プロモーションを兼ねた全国ツアーを敢行、それと並行して「夜会」準備も進めてゆく、というのが当初の段取りだった。これまでの通常ペースなら、リハーサル段階では大体の目途がつくはずだったし、「夜会」を控えていることもあって、余裕を持った体制で挑んでいたはずなのだけど、なかなかそうはうまくいかないもの。
 何を思ったのかみゆき、このくそ忙しい時期であるにもかかわらず、NHK-FMのラジオ番組「ジョイフル・ポップ」のオファーを引き受けてしまう。創作活動に専念するために、長年続けていた「オールナイト・ニッポン」から身を引いたはずなのに、ほぼ2年程度のブランクで再度ラジオ・レギュラーに復帰してしまう。
 新規コンテンツの立ち上げに加え、『夜を往け』のレコーディング準備も行なっているのだから、普通に考えると引き受けない方が何かと捗るはずなのに、なに考えてんだみゆきってば。一応、「オールナイト」と違って1時間番組、生放送じゃなくて収録主体ということから、以前よりは負担はずっと少ないだろうけど、いまやることじゃないんじゃない?
 逆に考えると、こういったファンの生の声を聴ける機会が少なくなったこと、そしてみゆき自身、シンガーとしてのシリアスな側面とは別のベクトル、あっけらかんとした「みゆき姉さん」であることが必要だったのだろう。

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 前作からサウンド・プロデューサーとしてクレジットされるようになった瀬尾一三がいなかったら、みゆきはもっと別の方向性に行っていたかもしれない、というのは衆目の一致するところである。ちなみに「いちぞう」と読む。当初「かずみ」と読んでしまい、結構長い間女性だと思っていたのは、俺だけじゃないはず。
 改めて言うとこの人、四畳半フォーク・ブームの頃からシンガー・ソングライターとして活躍していた、れっきとした男性である。なので、キャリア的にもみゆきよりちょっと長い。しかも業界歴が長いので、独自のコネクションも幅広く持っている。wikiを読んでみると、「金八先生」の劇伴から徳永英明の「壊れかけのRadio」のアレンジまで、仕事の幅もめちゃめちゃ広い。すごいんだよな、この人。
 で、そんなバイタリティーに惹かれたせいもあって、これ以降のみゆき、ほとんどすべてのサウンド・プロデュースを瀬尾に委ねている。ここに至るまでのご乱心期には、無理やりこじつけたようなアレンジがあったりもしたけど、この時期からみゆきサウンドは安定期に入る。
 「冒険しない」という意味ではない。あらゆるジャンルに造詣の深い瀬尾の高い音楽性が、レコーディング技術的には素人であるみゆきの意図を具現化できるようになったため、楽曲とアレンジとのミスマッチ感は少なくなった。時に「~風」のサウンドを優先し過ぎたため、隙間のないアレンジメントが息苦しいケースもあったけど、それもなくなった。本来のみゆき節に合わせたアレンジ、そしてそこから希求されるメロディと歌詞とが、自然に馴染み共存できる仕上がりになっている。
 強固な信頼関係によって、みゆきの負担は大幅に軽くなった。サウンド面をほぼ任せられるようになったため、「夜会」立ち上げに集中できるようになった。また、メインの作業である楽曲制作にもブレが少なくなった。新奇なサウンドや実験的なアプローチではなく、ミドル・オブ・ザ・ロードを意識したオーソドックスなスタイル、そこを深化させてゆく取り組みは今も続いている。
 四半世紀の長きに渡って続いているコラボなので、いろいろ衝突はあるのだろうけど、揶揄半分敬意半分で「おっしょさん」と呼ぶほどの信頼を寄せているみゆき、「きちんと完成した楽曲でないとアレンジはしない」という姿勢を貫く瀬尾。どちらも頑固者だろうけど、それでも相性が良いのだろう。妥協のないところは似たり寄ったりだし。

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 なぜ、シンガー達はみゆきに楽曲制作を依頼するのか。
 依頼先はプロデューサーや事務所、または本人直々であったり、様々な経緯はあるだろうけど、みゆき作品を歌うことによって、キャリアの節目を迎えた者は多い。
 セールスだけの問題ではない。売れる売れないにかかわらず、みゆきからもらった曲を歌うことによって、そのシンガーの方向性が大きく変わってしまう-、そんな力を、みゆきの曲は秘めている。
 彼女たちが音楽で訴えたいもの、または訴えようとしてもうまく形にできずにいるもの、そんなものを、みゆきはうまくすくい取る。
 それは特別変わったものではない。女性なら誰でも持ってる感情の揺れ、嫉妬や憧憬、そして恋。その中で、彼女にとって一番触れづらいもの、ほんとはそこに一番シンパシーを感じるけど、敢えて自分では掘り返したくないもの。
 そういった形にしづらいものを、みゆきは彼女の言葉に翻訳し、そこにメロディをつけて投げ返す。
 投げ返された者は、最初戸惑うかもしれない。それは長い間、触れずにいたものだったから。いつの間に、どこかの過程で失くしてしまったものだと思っていたから。
 -ちゃんとあるよ、ほら。
 そう教えてくれるのが、みゆきの楽曲である。

 ここでのみゆきはあくまで傍観者だ。ただ、彼女たちの心に寄り添い、少しだけ話をする。何も特別な話ではない。ほんのちょっとした雑談、漫然として結論のない、よくある女子会トークの延長線だ。
 長々と話し込むわけではない。もともと人見知りの強いみゆき、対象に会ってあれこれ情報収集するタイプではない。その辺は、ユーミンなんかと真逆のタイプだ。
 サウンドの強さに負けぬよう、インパクトの強い言葉とヴォーカルを選択したご乱心時代。そこを一山超えたところに、この時期の作品がある。
 メロディラインはシンプルに、よってコード進行もオーソドックスになった。後年、幅広い支持を獲得した楽曲が量産されるようになったのは、この時代からである。言葉の強さよりもむしろ、ストーリー性が復活したのも特徴である。


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1. 黄砂に吹かれて
 1989年リリース、工藤静香のシングル。オリコン1位を獲得と共に、年間チャートでも9位にランクインした、初期静香の代表曲。静香のシングルが9月リリースで、このアルバムが11月リリースだったため、かなり短いスパンで制作されたことになる。
 冒頭のスティール・パンの響きがエスニック感を醸し出し、歌詞の世界観にマッチしている。静香ヴァージョンは当時売れっ子だった後藤次利アレンジのため、もっとヒットチャート仕様になってるけど、これはこれでいいと思う。アイドルにしては渋すぎるしね。
 
 遠くへ向かう 旅に出たいの
 あなたから 遠い国まで
 誰にも 会わない国まで
 黄砂よなぜ 嘘 見破るの
 旅人

 最後のヴァースの部分、みゆきヴァージョンと静香ヴァージョンとでは、歌詞が大きく変更されている。
 ちなみに静香ヴァージョンが、

 答えてもらえばよかったのに
 聞くのが 怖かった名前
 私じゃない 名前だもの
 笑顔で終わった あの日から
 旅人

 アイドルとしては後者なんだろうけど、今の静香ならみゆきヴァージョンの方がしっくり来る。考えてみりゃ静香、みゆきがこの曲を作った年齢をとっくに超えてるんだし。



2. 肩幅の未来
 1989年、長山洋子に提供したシングル。これ、作曲はみゆきではなく、郷ひろみ「美貌の都」以来の筒美恭平とのタッグ。でもメロディはみゆきっぽい。
 Youtubeにアイドル時代の動画が残っていたので見てみると、あぁやらされてる感があるなぁ、といった印象。せっかくいい楽曲をもらったというのに、アイドル時代のフォーマットにはめ込まれ、曲にマッチしない振り付けが違和感。普通に落ち着いたムードで歌えば映える歌なのに、シンセ・ポップ調のアレンジもちょっとやり過ぎ。時代的にwinkを狙ったんだろうけどね。
 この後、長山はDiana Rossの「If We Hold On Together」をカバーした後、アイドル路線に見切りをつけ、演歌の世界へ方向転換することになる。諸行無常。
「らちもない」というボキャブラリーをJポップの流れに組み入れることに成功した、ある意味貴重な楽曲。

3. あり、か
 甲斐バンド解散に伴いソロ活動を開始したギターの田中一郎に提供、1988年のデビュー・シングル。ご乱心期からの付き合いだった甲斐よしひろのコネクションによるもので、みゆきヴァージョン同様、ベーシックなロック・テイスト。
 まぁ当たり前の話だけど、男性目線で描いた女性の歌詞のため、ここはやはりみゆきの方に分がある。ヴォーカリストとして比べても、そこはしょうがないところ。
 甲斐バンドの解散ライブ『Secret Gig』でスペシャル・ゲストとして甲斐とデュエットした「港からやって来た女」と質感が似てるため、その辺がモチーフとなってるんじゃないかと思われる。
 
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4. 群衆
 1988年リリース、工藤静香「MUGO・ん…色っぽい」のカップリングとしてリリース。多分デモ・ヴァージョンはあるのだろうけど、A面曲カバーはリリースしないのかな。
 歌詞の内容は「時代」と似た世界観なのだけど、言葉の抉り具合はもっと浅い。そりゃそうだよな、静香に向けて書いてるんだし。ただ、当時アイドルの王道を歩んでいた静香の世界観ともちょっと違っている。明らかに題材は地味だし。
 その傷の深さは深くはないけど、確実に残る。そして、ふと思い出す。そんな歌。

5. ロンリー カナリア
 1985年リリース、柏原芳恵22枚目のシングル。オリジナルもしっとりしたミドル・バラードだったのだけど、ここではさらにジャジー・テイストを投入、アイドル・ソングを超越した大人の楽曲として再生している。

 若さには アクセルだけで ブレーキがついていないと
 少しつらそうに つぶやくあなたの
 眼を見ると 心が痛くなる
 若さには 罪という文字が似合うと
 ため息ついても
 あなたはすぐ 私を許すわ

 どう考えても大人の恋愛、ていうか不倫だよなこりゃ。当時は気づかなかったけど、アイドルに歌わせるには、結構な冒険振り。こういった意図に遅ればせながら気づくのが、大人になるということなのだろう。



6. くらやみ乙女
 『回帰熱』リリースとほぼ同時に発表された、フォーク・グループ白鳥座の佐田玲子に提供されたソロ・デビュー・シングル。ちなみに彼女、名字から察せられるようにさだまさしの妹。
 対象がアイドルではなく、いわゆる同業者だけあって、歌詞の気合の入り方がまるで違っている。ていうか、ほとんど自作と同じ熱量が込められている。

 通りがかる町の人が 私を叱ってゆく
 「目を覚ませ 目を覚ませ 思い知っただろう」
 世の中なんて やきもちばかり
 あきらめさせて喜ぶ そうでしょう

 血のように紅い服で あなたに会いにゆくよ
 せめてひとつ教えて 少しだけは本気もあったよね

 当時、ネガティヴなキャラクターだった佐田とみゆき自身とが遭い混じった歌詞に思われるけど、ちゃんと聴いてみると、どこか微妙に違っている。
 ここで書かれているみゆき的世界観は過去の自分をなぞったもの。もうこの場所にはいない。ここに書かれているのは、ご乱心期以前の「怨み節」を綴っていた自身を客観的にシミュレートした、ヴァーチャルなみゆき像だ。

7. 儀式
 1986年リリース、アイドル松本典子に提供された6枚目のシングル。オリジナルをYoutubeで観たのだけど、お世辞にも歌唱力が良いとは言えない仕上がり。なんとなく聴いたことがあるのは、多分「ドリフ大爆笑」あたりでアイドルの歌コーナーで見た記憶が残っているのだろう。実際、動画もフジテレビっぽかったし。

 もしも私 あなたと同い年だったら
 もしもあなた いつまでも学生でいられたなら

 この松本ヴァージョンの2番の歌詞が、『回帰熱』ヴァージョンではこう改変されている。

 幻を 崖まで追い詰めた あの日々
 耳を打つ潮風は 戯言だけを運んだ

 この書き換えっぷりといったら、まったく別内容。ここまでの振り幅を持つ楽曲である。

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8. 未完成
 1987年リリース、薬師丸ひろ子4作目のオリジナル・アルバム『星紀行』に収録。最近ではすっかり大滝詠一寄りの彼女だけど、当時は「時代」や同アルバムに収録の「空港日誌」など、みゆき楽曲を良く取り上げており、女優とアーティスティックな活動とを並行させていた。
 ニューミュージック色強いメロディとソフト・タッチのヴォーカルは歌謡曲テイストが強く、時にマイルドな演歌に流れがちだけど、ある意味こういった方向性を模索していたのが、当時のみゆき。奇をてらったアレンジや凝ったコード進行に頼るのではなく、オーソドックスに純化したフォーマットの中で、どれだけ新局面を見せることができるのか。そこへのこだわりようが見えてくる。

9. 春なのに
 ラストはすっかり卒業ソングの定番となった、柏原芳恵1983年のシングル。オリコン最高6位、年間チャート31位は彼女にとっては最大のヒットとなり、また永遠のスタンダードとして語り継がれることになった。
 もともと歌唱力に定評のあった柏原、そして自身も卒業に近い年齢だったこともあって歌声にリアリティが加味され、楽曲はここで一応の完成を見ていた。実感が伴わないと響かない曲というのは確かにある。みゆきもまた、それを覚悟はしていたはず。
 みゆきが行なったアプローチ、それは単純に曲に対して素直に向き合うこと。変に柏原と違う角度から見るのではなく、自身から湧き出てきた楽曲に対して、正面切ってストレートに歌ってみること。ただそれだけだった。ていうか、それしか方法はなかった。
 そんなみゆきに応える形で、瀬尾自身もメロディを引き立たせるため、可能な限りシンプルなアレンジ、そしてそのために呼ばれたのが、当時はまだ無名だったアコーディオン・プレイヤーcobaの存在だった。普通に奏でるだけで憂いを放つ彼の音色は、曲のテーマとぴったりだった。さすがおっしょさん、やるじゃん、といったところ。



 春なのに お別れですか
 春なのに 涙がこぼれます
 春なのに 春なのに
 ため息またひとつ

 出会いと旅立ちの春のはずなのに、立ち上がる時は結局ひとり。

 卒業しても 白い喫茶店
 今まで通りに 逢えますねと
 君の話は なんだったのと
 聞かれるまでは 言う気でした

 昭和時代の、恋愛とも言えない高校生同士の憂いとためらい。あいまいな感情の機敏が交差する心象風景を活写した、80年代アイドルソングの傑作。なのに、「レココレ」80年代アイドル・ソング・ランキングでは39位と微妙な成績。いやいや、もっと上でいいでしょ。「現象」としてのキョンキョンやおニャン子の快進撃は認めるけど、楽曲としてのクオリティはこっちの方が断然上。
 



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言霊の強さは多分キャリア最高値 - 中島みゆき 『親愛なる者へ』

folder 1979年リリース、みゆき5枚目のアルバム。オリコン最高2位の大出世作となった前作『愛していると云ってくれ』の勢いもあって、ここでは初の1位に輝いている。
 当時のアルバム・チャートはほぼ3分の2が、みゆきを含むニューミュージック勢で占められている。残り3分の1が洋楽といった構成になっており、純粋に歌謡曲と言えるのはピンク・レディーと山口百恵のそれぞれ1枚ずつだけ。ただヒット曲を詰め込んだだけで統一感の薄い歌謡曲のアルバムには、まだ強いニーズがなかったこと、シングル盤中心の販促方針だった歌謡曲とはきっちり棲み分けができていたことが窺える。当時の百恵のアルバムなんて、あの"いい日旅立ち"を軸として、当時のアイドルとしてはしっかりしたコンセプトで製作されているのだけど、当時はシングル以外の曲はほとんど顧みられることもなく、再評価されるにはずっと先を待たなければならなかった。
 で、みゆきのこのアルバムは年間チャートでは21位、もうちょっと細かく調べると、当時の売り上げ枚数は32万7000枚となっている。当時の年間1位だったゴダイゴのアルバムが50万枚ちょっとなので、相対的に考えると健闘した方なのだけど、最高2位だった『愛していると云ってくれ』が40万枚オーバーという結果になっている。単純に考えると勢いが落ちたようにも思えるのだけど、前作は勢いづいたあまり、初のドラマ出演まで果たしてしまったシングル"わかれうた"の押し上げが強かったせいも考えられるため、この辺が当時のポテンシャルとしては適正値だったんじゃないかと考えられる。

 どのアーティストにも言えることだけど、特にみゆきの場合は一時のセールスだけで判断するのは間違いで、このアルバムにも後々まで語り継がれることになる名作”狼になりたい”や”片想”など、重要作が数多く収録されている。あとはプロモーションの問題であり、クオリティと実売とは必ずしも比例するものではない。
 キラー・チューンとも言えるキャッチーなシングル曲が収録されなかった、またはその気がなかったということだけど、それは前述の歌謡曲的なアルバムの構成からの脱却とも言える。結局『愛していると云ってくれ』だって、ヤマハの思惑としては"わかれうた"を軸としたフォーク歌謡的な怨み節満載、重苦しい情念てんこ盛りのコンセプトで製作されたはずなのだけど、当時のヤマハ特有のコッキーポップ周辺人脈によるアルバム製作に不満を感じ始めたことによって、"わかれうた"が傍に押しやられたような構成になったわけで。キャリアを重ねるにつれ、ただスタジオに行って歌とギターをちょっと吹き込んで、あとはスタッフにおまかせ、というスタイルに不満を感じ始めるのは、みゆきのように真摯なアーティストにとっては避けられない成り行きである。
 とはいえ、営業戦略的に考えれば、せっかく"わかれうた"で火が点き始めたというのに、セールス・ポイントとなるキャッチーなシングルが収録されないというのは、ヤマハ的にはちょっと痛手である。この80年前後という時代は、クリスタルキングや雅夢、チャゲ&飛鳥らのポプコン出身者によってシングル・チャートを結構かき回していたのだけど、あいにくコンスタントにアルバムを製作できるポテンシャルを有していたのはみゆきと八神純子くらいなもので、ラジオのディスク・ジョッキーで好評を博していた谷山浩子も中堅どころ、セールス的に大きな広がりを見せられずにいた。
 なので、今でもそうだけど、彼女の動向はヤマハの社運を大きく左右しており、みゆき自身もその辺は理解していたはずなのだけど、まぁそんなのは正直どうでもよかったんじゃないかと思われる。アベレージは軽くクリアしているし、それより大事なことは山積みだったのだ。

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 その"わかれうた"大ヒットによる功罪として、圧倒的に知名度はアップしたのだけど、そのぶん頼まれ仕事、純粋な創作活動以外の雑務が増えたことも確か。以前からコラボしていた研ナオコ・桜田淳子以外にも、主に歌謡曲畑からの楽曲提供オファーが増えている。
 その研ナオコをモチーフとして描いた「恋愛ごとに恵まれない20〜30代の女性の独白」的イメージが強かったせいもあって、グラシェラ・スサーナや日吉ミミ、小柳ルミ子など、もっぱら大人の女性を歌えるシンガーからの依頼が多い。このように表に出た作品以外にも、仕上がりがイメージと違ってたり、諸事情によりボツになったものも含めると、相当数の楽曲を書き下ろしてたんじゃないかと思われる。
 ただ、みゆきはあくまで基本は自作自演のシンガー・ソングライター、職業作家ではない。研ナオコや加藤登紀子のケースではみゆきの作風とうまく合致して、相乗効果によって楽曲の世界観も広がったけど、それが必ずしもいつもマッチするわけではない。そういった視点で見ると、みゆきはプロの作家としては足りない部分も多い。どんな条件・オファーでも80点以上をクリアできる職人ではないのだ。とは言っても、ハマった時はそのシンガーのキャリアに確実に爪痕を残すほどだし、その命中率も他のシンガー・ソングライターと比べてもダントツなのだけど。
 みんながみんな、研ナオコ的なイメージでオファーするけど、それがマッチしてるかどうかは別問題なので、イマイチちぐはぐな印象の楽曲が多いのも事実。「"わかれうた"っぽく、それか研ナオコっぽくね」と言われてその通りに作ったとしても、歌う側が研ナオコじゃないので、「何か違う」感が漂っていても当たり前である。大ヒットの功罪はこんなところにも出てくる。

 この時期にリリースされたシングルが"おもいで河"。"わかれうた"大ヒットから約1年、満を持してのリリースだったため、ヤマハ的にもポニー・キャニオン的にも力が入っており、多分みゆきもそんな空気は感じてたんじゃないかと思われる。なので、まんま”わかれうた”である。イントロからコード進行、サビのメロディまでほんと”わかれうた”の二番煎じ的な内容である。本人がここまでやっちゃったのなら、もう何も言うことはない。完全に会社の期待に応えるため、なのでいまいち伝わってくるものが薄い。オリコン最高19位というのも納得してしまう出来である。要するに、可もなく不可もない、きちんと作った”続・わかれうた”といった感じのサウンドである。
 この時期のみゆきは前述したように、お仕着せのフォーク歌謡アレンジに違和感を抱きつつあった頃だけど、その辺はまだあやふや、何か違うことはわかってはいるのだけど、明快なスタイルが定まっていない、もしあったとしてもそこに至るプロセスやノウハウがない時代でもある。あの時よもう一度といった感じのコンセプトで制作されているので、ここは従来通りのオーソドックスなフォーク歌謡スタイルに落ち着いている。
 そういった地味なポジションのシングルのため、俺もあまりちゃんと聞いたことがない。収録されているのが3枚組ベストの『Singles Ⅰ』だけ、しかも初期楽曲中心に構成された3枚目という曲位置のため、正直一番流し聴きしてしまうポジションである。今回も最初から3枚順番に聴いていくとまた聴き流してしまいそうなので、"おもいで河"だけを聴いてみた。聴いてみたところ…、うん、”わかれうた”だよな、やっぱ。
 アルバム未収録曲については、また近い将来に。

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 前作から参加ミュージシャンの顔ぶれにロック畑の人選が多くなってはいたのだけど、既存のニューミュージック・テイストのアレンジが多くを占めていたため、彼らの技量が最大限に活かされていたかといえば、そのへんはちょっと疑問が残る。『愛していると云ってくれ』から引き続き参加している鈴木茂や石川鷹彦、つのだ☆ひろらもニューミュージック系アーティストのレコーディングにおいては場数を踏んでおり、「まぁこんな感じでしょ」的な無難なプレイも多かったと思われる。彼らにとって中島みゆきとは、数多くこなしてきたフォーク系アーティストの1人でしかなかったのだ、この時点では。
 とは言っても彼らもプロ、「フォーク歌謡から脱却したい」というみゆきサイドの意向を受けて、これまでよりもリズム感が増し、一聴してロック調のアレンジも多くなる。フォーク歌謡からフォーク・ロックを志向するようになった転機とも言えるサウンドが展開されている。
 ただ、まだ完全に消化しきれていない、中島みゆきとしてのオリジナリティが充分に発揮されていないのも事実。フォーク・ロック調、ブルース調とバラエティに富んではいるけれど、まだアレンジャー主導、スタジオ・ミュージシャン主導の音作りであり、肝心のみゆきはまだ「誰々風で、〜みたいなサウンドで」といったオーダーしか出せていないのが現状である。コンセプトのニュアンスが伝えきれていないのだ。
 自分の楽曲にしっくり来るサウンドを求めて悪戦苦闘するその姿は、以前書いたLaura Nyroのそれと通ずるものがある。―中途半端なサウンドなら、むしろギター弾き語りの方がマシだ―。そこまで強く言い切れないみゆきがいるのも事実である。漠然としてはいるけれど、どこかに理想の音があるはずなのに。

 この時代のニューミュージック系アーティストはみゆきに限らず「アルバム・リリース→即ツアー」という流れが一般的だった。なので、きちんとまとまった創作期間を取れず、しかも楽曲提供だ取材だラジオのレギュラーだもあったため、スタジオに入るのも断続的だったことは想像できる。時間が足りなくて詰めの作業を充分に行なえず、納得行かない形で世に出してしまった作品もあっただろうし、事実、素人目に見ても「もうちょっと練ってもよかったんじゃね?」的な楽曲もある。
 でも当時はそれが精いっぱいだったろうし、それはそれで当時のみゆきの葛藤が克明に記録された痕跡でもある。


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1. 裸足で走れ
 いきなり尺八のむせびからスタート。ヴォーカルも力強く、どこかプロテスト・ソング的なムードを感じさせるナンバー。このナンバーで目立ったプレイを見せているのがベースなのだけど、ほんとリード・ベースとも形容すべきグルーヴしまくったラインを奏でている。なぜかThumb Picking Powerという変名になっているけど、多分後藤次利じゃないかと思われる。彼じゃないと、こんな変態ベースは弾けやしない。契約の関係か何かでクレジットできなかった、とは俺の推測。
 この時代あたりから文化人界隈でのみゆき評価が上昇し、特に現代詩とも拮抗するクオリティが称賛されることになるのだけど、特にこの歌詞は様々な問題提起を孕んでいたため、俎上に上ることも多かった。

 裸足はいかがと すすめる奴らに限って
 グラスを 投げ捨てる
 ささくれひとつも つくらぬ指なら
 握手もどんなに 楽だろう

 この時点ですでに、したり顔の文化人風情に向かって強烈な皮肉を投げかけているのに、なのに彼らは自分らのことだとは思わず、「痛烈な社会批判」と勝手に受け止めて手放しでみゆきを賛美する。
 自分では手も汚さず、理屈と言葉だけの連中とは、自分たちのことだというのに。

2. タクシードライバー
 いわゆる「恨み節」とはちょっと距離を置いて、これまでのネガティヴな自分を第三者的な視線で描写した、視点の転換という技巧を凝らした小品。
 タクシードライバーという他者へ語りかけるスタイルを取りながら、その言葉は実際は発せられていない。泣きそぼるばかりのみゆきのそれはただの独白、声にならぬ声でしかない。

 タクシードライバー 苦労人と見えて
 あたしの泣き顔 見て見ぬふり
 天気予報が 今夜もはずれた話と
 野球の話ばかり 何度も何度も繰り返す

 ミディアムのフォーク・ロック・スタイルは聴きやすく、それでいて言葉はきちんと心に残る。一時、マツコ・デラックスが絶賛してちょっとだけ話題になった。



3. 泥海の中から
 ダウナーなタイトルとは裏腹に、軽快なフォーク・ロックは爽快感さえ感じられる。この曲もそうだけど、このアルバムでのみゆきのヴォーカルはリズミカルな曲調に合わせて明るめのトーンが多い。一聴すると耳ざわりの良いポップ・サウンドにネガティヴな歌詞を合わせる手法が具体的な形に表れてきた頃でもある。

 お前が壊した 人の心のガラス戸は
 お前の明日を 照らすかけらに変わるだろう

 ふり返れ 歩き出せ 忘れられない罪ならば
 くり返す その前に 明日は少しマシになれ

 イギリスの短編作家サキにも通ずる痛烈な皮肉を交えながら「前向きになれよ」という、ひねくれ具合が一回転したあげくにポジティヴなメッセージを内包したややこしい曲。

4. 信じ難いもの
 前曲からメドレーで繋がる、ちょっと歌謡曲っぽいメロディが親しみやすい、カントリー・タッチのナンバー。こういった情緒的なギターって、やっぱり鈴木茂の持ち味。洋楽的なバタ臭さも持ちながら、日本人の琴線にダイレクトに響くギター・ソロはさすが。
 サビの部分が特に桜田淳子を彷彿させるし、ちょっと鼻声気味なのが意識しているポイント。

5. 根雪
 シャンソン・タッチのスロー・バラード。これも初期みゆきの楽曲では人気の高いナンバー。シングル向きではないけど、確実にピンポイントで心に響くファンは多い。
 この当時からマイスター的な存在だった石川鷹彦の朴訥なアルペジオは、みゆきの抑えた歌唱に程よい距離を置いて寄り添っている。ラストに向けて嗚咽が混じるヴォーカルに合わせて壮大なストリングスとメロトロンのソロが交差するけど、俺的には前半のシンプルなアレンジが好み。ここまでドラマティックな演出は必要なかったんじゃないかと、いつも思ってしまう。そのメロトロンが時代を感じさせてしまうしね。
 ちなみにこの曲、今のところライブで演奏された記録がない。この曲はこの時限りのもの、と決めているかのよう。歌にまつわる想い出がイヤなのか、それとも、もうこの曲を歌えるみゆきではなくなってしまっているのか。

 いやね 古い歌は
 やさしすぎて なぐさめすぎて
 余計なこと 思い出す
 誰かあの歌を 誰かやめさせて

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6. 片想
 ここからレコードではB面。フォーク・ロックの「ロック」の部分を強調したかのようなヴォーカル・スタイルは、1.同様、プロテスト・ソングのような表情を見せる。独りよがりの恋に浮かれてる「お前=自分」を一歩引いた眼で描写した小品なのだけど、ストレートな解釈の歌を強い口調で語るのはややミスマッチで、声の強さばかりが強調されてしまう。
 その辺に解釈の違いがあったのか、後に発表されたライブ・アルバム『歌暦』収録ヴァージョンでは、声を張り上げず、諭すようなスタイルで歌い直している。俺的にも後者の方への愛着が強い。

7. ダイヤル117
 後半に柔らかなストリングスが入るだけで、ほぼ弾き語りで押し通した、いわゆる「恨み節」的ナンバー。
 “わかれうた”では恋の終わりに「追いかけて 焦がれて 泣き狂う」と歌ったみゆき。ここではもはやそんな状況の先、もはや修復も叶わず会うこともままならない中、それでもこの想いを伝えたくてたまらない、でも電話もできない…。

 張りつめすぎた ギターの糸が
 夜更けに 独りで そっと切れる
 ねぇ 切らないで
 なにか 答えて

 ビジュアル・イメージをまざまざと想起できるこの一節、そして歌詞には一切出てこないけど、誰も答えてくれない時報ダイヤルをタイトルにしてしまうその凄み。
 言葉の切れ味においては最も磨きがかかっていたことをうかがい知れる作品。

8. 小石のように
 その張りつめた糸を一旦緩めるかのような、カントリー・タッチの軽やかなナンバー。初期みゆきのアルバムの中には必ずこういった、ちょっと箸休め的なナンバーが収録されていた。サウンドだけ聴いてると、”キツネ狩りの歌”といつも勘違いしてしまう。
 都会へ旅立つ若者への助言と警句といった趣きなのだけど、ほぼ皮肉めいた色合いも見えない。テーマとしては、”ファイト!”と同じ匂いを感じさせる。

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9. 狼になりたい
 全国に吉野家の名を知らしめた、記念すべきナンバー。北海道、特に俺の近辺に吉野家はまだなかったため、歌の中だけではあったけど、存在だけは知っていたのはこの曲があったから。
 恋愛とは距離を置いて、ほんとごく普通の人たちの「人生」を描写してみた作品。ここで登場する「化粧のはげかけたシティ・ガール」も「向かいの席のおやじ」も、普通なら歌になるような素材ではない。どの登場人物もしょぼくれて、何かを諦めている者ばかりだ。

 俺のナナハンで行けるのは
 町でも海でもどこでも
 ねぇ あんた 乗せてやろうか
 どこまでもどこまでもどこまでも…

 だけど、「どこか」に行けるわけでもない。そんなことは男もわかってるし、女だってわかっている。でも、言わずにはいられないし、誰かにそう言ってもらいたいのだ。
 そんな場面を切り取るかのように、みゆきは叫ぶ、「ビールはまだか」と。闇夜を切り裂く重い響きのギターは、悲痛なチョーキングを響かせる。
 「狼」とは何の比喩なのか、という議論は昔から百出しており、肝心のみゆきが真意を話さないので解釈はいろいろ分かれるのだけど、俺的には「普通の人たちの行き詰った日常からの脱出」だと思っている。
 もちろん、狼になれないことはわかっている。みゆきの悲痛なヴォーカルがそれを象徴している。

10. 断崖-親愛なる者へ-
 ソフトなEaglesといった趣きのサウンドをバックに力強く歌うみゆき。Linda Ronstadtになりたかったんじゃないかと思われるけど、キャラから考えるとCarly Simonだよな、似合うのは。
 この曲も当時のノウハウからしてバンド・サウンドとしては質が高かったのだけど、みゆきとしてはもっと言葉に負けない、ハードなサウンドを志向していたのだろう。後年のリメイクではもっとハードなリズムを効かせたサウンドになっており、90年代みゆきの太い声質で歌われている。比べて聴いてみると、確かにリメイク・ヴァージョンの方が歌詞のパッションがダイレクトに伝わってくる。




 サウンドとしてのフォーク・ロック路線がみゆきの意に沿ったものだったかどうかだけど、フォーク歌謡路線からの脱却への第一歩としては大きな一歩だったんじゃないかと思う。壮大なストリングスを導入した曲もあるけど、基本はギター1本でも十分成立するシンプルな構造なので、どの曲もあらゆるアレンジの可能性を秘めており、だからこそリメイクやライブでのリアレンジなど、新しい息吹を吹き込まれながら生き永らえているアルバムでもある。
 ここに収録された言葉の礫の硬さは、多分全キャリアを通しても強い。それは時に、サウンドや歌をも凌駕する。
 強靭なサウンドを追い求めるみゆきの奮闘が始まる頃でもある。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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