前作『親愛なる者へ』から8ヶ月のインターバルでリリースされた、みゆきにとって初のセルフ・カバー・アルバム。それまではほぼ1年前後の間隔を空けて制作していたので、なんでこんな中途半端な時期にリリースされたのか、何かしら心境の変化かヤマハ的な事情もあったんじゃないかと思われる。
俺的に考えられるのが、このアルバムの次にリリースされるのが、あの『生きていてもいいですか』。初期のみゆきの代表作であり、またみゆきの剥き出しの部分、ダークサイドを露悪的に描いた傑作である。いくら稼ぎ頭の筆頭とはいえ、あまりにプライベートでダウナーなコンセプトに、ヤマハ的にはリリースに乗り気ではなかった。みゆき的にもこれまでのルーティンとは違って、ある意味自虐的なファクターを深化させてゆく作業のため、制作状況は遅々として進まなかった。
気分転換に、すでにある程度の認知を得ている楽曲を歌い直すこと。みゆき・ヤマハの双方にとって、利害関係が一致した瞬間である。
で、「すべて既発表の他人提供曲の逆カバー」というアルバムを最初に作ったのは誰なのか。wikiで調べてみると、どうやらみゆきがこのジャンルの先駆者になるらしい。
1978年にさだまさしがリリースしたアルバム『私花集』は、純粋なアルバム書き下ろしと、山口百恵提供曲のセルフカバーというスタイルで構成されていたけど、まるまる全曲ではない。そもそも、自作自演がモットーのフォーク系シンガーソングライターが、アルバムとしてまとめることができるほどの楽曲提供を行なっていたことが異例であり、あらゆる面において特異なものだったことは想像できる。
そんな楽曲提供に加えて自分用の楽曲制作、さらに恒例となっていた春・秋の全国ツアーも並行して行なっていたのだから、もう何か憑りついていたとしか思えないくらいのワーカホリックぶりである。いやほんと、自分じゃどうしようもない「業」なんだろうな。
「業」というのは「気分が乗らないから」「どうしても時間が取れないから」でやる・やらないという類のものではなく、ほんと急き立てられる使命感のようなもので、自分の都合がどうしたとか、そんなのは問題ではない。「やらざるを得ない」のだ。
ただみゆきの場合、楽曲制作という点に絞って言えば、それが「業」であるがゆえ、すでに生活の一部となっている。なので、一般的なアーティストがぶち当たる「産みの苦しみ」とはいささか趣きが違っている。
もともとオファーを受けてから、一から十まで一気呵成に仕上げるタイプの人ではない。普通のアーティストにとっては非日常的な作業である「曲を書く」といった行為が、みゆきの場合、それはごく普通の生活の一部である。朝起きて歯を磨いたりパスタを茹でたり、印鑑証明を取りに役所へ出向いたりTSUTAYAの会員カードの更新など、そういった何の変哲もない生活の一部に組み込まれている。そうして書き溜めた詞曲の断片やらコード展開をしこたまこさえており、あとはオーダーに応じて組み合わせたり引き延ばしたり、またはバッサリ枝葉を刈り落として、要望通りの作品に仕上げる、といった流れ。
提供者のメッセージやニュアンスをダイレクトに反映させるのではなく、みゆきが創り上げた「みゆき的宇宙」に、波長が合うアーティストが合わせるといったスタイルなので、親和性は高い。まぁあまりチャラチャラしたアーティストとは反りが合わなさそうだし。
多彩なテーマを取り上げている現在と違って、初期のみゆきが創り上げる世界観の彩りは単色で、もっぱら色恋沙汰、基本は1体1の男女間の虚ろな感情と彩とが主題となっている。これは時代性も関係しているのだけど、基本、女性主導で男性をリードする主人公ではない。昭和のメンタリティーに則したマイノリティである女性を取り上げている。それがみゆき自身だったのか、それとも友人知人の恋愛体験をベースとしたものなのかは別として。
ただ、自分の半径5メートル程度で繰り広げられる体験だけでは限界がある。誰しもそんなに毎日、ドラマティックな体験ばかり遭遇するわけではないのだ。たとえ仮想体験をベースにしたとしても、そもそも人ひとりがゼロから創り上げるキャパには限界がある。作風に広がりと奥行きを出すため、そこには新たな視点が必要になる。
初期のみゆきが恋愛以外のテーマを取り上げた作品は、ホント数えるくらいしかない。しかもその仕上がりも、無理やりキャパを広げようとしたあげく、習作的なレベルに留まっている。特に「わかれうた」があれだけ売れてしまったため、どうしても同傾向のテーマのオファーが続いてしまう。
同じ色恋モノでも、自分以外を主人公に、要は歌い手を自分以外に想定すれば、また別のアングルが生まれる。「幅を広げる」という意味で、他シンガーへの楽曲提供は、ソングライター中島みゆきにとって、結果的に大きな転機となった。
その実験対象として、最初期に大きな成果を上げたのが、研ナオコということになる。もちろん、誰でもいいと言うわけではない。まったく同じ個性だったら意味がないけど、ある程度世界観を共有できて、しかも作者の意図をきちんと理解して表現できるシンガーという面において、研ナオコは最適の存在だった。
研ナオコを介したマスの大衆とコネクトすることによってみゆき、自分と他者との世界観との擦り合わせを行ない、やがてそれはヒットを記録、大人の歌手として脱皮した研ナオコ同様、みゆきもまた一般性を得ることになる。
「だから、半分ぐらいは彼女がいたから書けた。彼女があたしの歌をひっぱり出したってことだと思うね。あたしはあたしのこととして書いたつもりだけど、でもそこに彼女がいて、それが引っぱってるって感じね」。
そういった側面から、研ナオコへの一連の楽曲提供は、双方にとって得るものが多かった。
彼女とのコラボが始まった頃、みゆきはインタビューでこう発言している。
「頼まれたから書いたけどね。でも、彼女に合わせてってのはできないんだよね。作曲法とかきちんと知らないし、音程とかを歌う人に合わせるなんてね。あくまでも乱暴な作り方をしてるから、合わせて作るなんてまで知恵がまわらないのよね」
デビューしてまだ1年も経っていない新進ソングライターと、コメディエンヌとしての評価が先行していたシンガーとの仲を取り持ったのが、田辺エージェンシーの田邊社長。スパイダースのドラムの人、と言えば古い人には通じるはず。ていうか、俺も現役当時は知らないけど。
今も芸能界の重鎮としてその名を轟かせる彼の慧眼だったのか、はたまた思いつきだったのかはともかくとして、相反する二面性を持つ二人だったからこそ、この2人は波長が合い、コンビとして成立したのだろう。
吉田拓郎がキャンディーズに、また、さだまさしや谷村新司が山口百恵に楽曲提供したりなど、シンガー・ソングライターが歌謡曲フィールドへ進出する例は、あるにはあった。あったのだけど、それらは大抵ワンショット契約の単発で終わる場合が多く、みゆきのようにアルバム片面丸ごとを製作するほど深く関与することは極めてまれだった。
デビュー当初から独自の世界観を有していたみゆき、その個性は同世代のアーティストと比べても抜きん出ていた。何しろデビュー前から「時代」や「傷ついた翼」など、並みのアーティストなら一生かかっても書けるかどうかのクオリティの作品を創ってしまう人である。しかも、それがビギナーズラックではなく、デビュー40年以上経過した現在も安定して高水準の作品を世に送り出しているのだから、そのポテンシャルは尋常ではない。
ただ、その言葉の鋭さは時に、抽象的かつ内寄りの言葉に偏り過ぎてしまうきらいがある。内輪のフリークの間だけで通ずる言語は、どこか他者の理解を拒む。
70年代のみゆきのフォロワーに、哲学者や文学関連の人間が多かったのも頷ける。その言葉の礫は、プロの言葉の使い手よりも巧妙で、しかも作為よりリアリティが上回っていたので。
まぁ知ったかぶりも多かったんだろうけどね。
この時期にもうひとつ、特筆することが「オールナイト・ニッポン」月曜一部のパーソナリティ就任。前任者松山千春よりバトンを受けての形で、多分本人もこれだけ長く続くとは思ってなかったんじゃないかと思われる。どちらにせよ、8年の長きに渡って続けられたのは、単純にすごいことである。
基本、フォーク/ニュー・ミュージック歌手のラジオといえば、トークがずば抜けており、前説レベルの芸人ならとても太刀打ちできないほどのスキルを有している。谷村新司もさだまさしも、歌とはまったく別のキャラクターを演じて、毎週マイクの前に座っていた。
みゆきもそういったフォークの伝統に則って、ラジオではほんと別人格のようなキャラクターで話題になった。その落差は大きく、一部ではみゆきは一卵性の双子である、というまことしやかな噂も広まった。ただしこれはアンチみゆき派による冗談半分デマ半分で、実際のところはみゆき本人にしかわからないだろう。
まぁどっちがどっち、ほんとの人格を見分けられること自体ナンセンスで、どっちもほんとのみゆきであることには変わりない。長年のファンだったら誰でも知ってることである。
番組に寄せられたハガキはネタから心情吐露から幅広いものがあり、そこから普通の人々の普通のライフスタイルに触れることができた。仕事の忙しさのピークの最中だったみゆきにとって、そのささやかなインプット作業は、さらに独自の価値観・人生観を広げ深めていった。
ただ、そこで触れたエピソードをそのまま作品に転化するような行為はない。よく「ファイト!」がリスナーのハガキを元に作られたものだと噂されており、確かに着想くらいは得ているはずだけど、単体のエピソードをそのまま引き延ばした形にはなっていない。きちんとアーティスト中島みゆきのフィルターを通し、複合エピソードをこねくり回した形で作品に仕上げている。
そこはアーティストとしての矜持である。
中島みゆき
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売り上げランキング: 2,170
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1. あばよ
1976年リリース、研ナオコ12枚目のシングル。彼女にとって最大のヒット曲となり、ソングライター中島みゆきの知名度を上げた記念碑的な楽曲。コメディ円ぬとして出演した彼女のCMを見たみゆき、「あれだけ人を笑わせることができるんだから、泣かせることもできるんじゃないか」と思い立ち、書き上げたとのこと。
アレンジのタッチはオリジナルに準じており、ヴォーカルも重なり合う部分が多い。
サビがクローズアップされがちだけど、いつも気に留めてしまうのはこの部分。
あとで あの人が聞きつけて ここまで来て
あいつ どんな顔していた と たずねたなら
わりと 平気そうな顔してて あきれたね と
忘れないで 冷たく答えてほしい
男への負け惜しみを、誰に向かって吐き出しているのか?
多分、そんな想いをさらけ出せる友も知人もいないのだろう。そう考えると、途轍もなく寂しい歌だというのがわかる。
2. 髪
アルゼンチン出身の歌手、グラシェラ・スサーナのシングル「さよならの鐘」のB面に収録。Youtubeでオリジナルを聴いてみたところ、オリエンタルに拙い日本語が「なんか違う」感を強く漂わせている。
「わかれうた」から連なる恨み節仕様の楽曲は、当時のみゆきのステレオタイプ。歌謡曲にパワーがあった頃の産物である。
3. サヨナラを伝えて
研ナオコのアルバム『かもめのように』収録曲。なぜかアレンジは鈴木茂。この人は器用貧乏的なところがあって、この時代はティンパン関連でギターを弾く他に、歌謡曲畑のアレンジも結構請け負っていた。堀ちえみなんかもやってたよな、確か。
手慣れたサンバ歌謡チックなアレンジは、ベタな歌謡曲テイストの歌詞とイイ感じにマッチしている。なぜかドスの効いたヴォーカルを響かせるみゆき。
4. しあわせ芝居
桜田淳子への提供曲で、初期の代表作。彼女にとっても大人の歌手への脱皮を果たせた楽曲であり、いいタイミングで転機となる曲に巡り合えた。同じくアレンジは鈴木茂。
とっくの昔に切れているはずで、周りもみんなわかっているはずなのに、どこか認めたくない自分がいて、しかも煮え切らない態度でいつも通り接してくれる男につい寄り添ってしまう女…。初期のみゆきは執拗にその女をモチーフとしている。
時代は前後するけど、このシチュエーションは「怜子」に引き継がれ、「BGM」で取り敢えずの帰結点を迎える。
5. 雨…
1978年、小柳ルミ子に提供。アレンジは後藤次利。ここでの後藤はシャンソン・シンガーとしてのみゆきを最大限盛り立てる脇役に徹しており、シンプルなピアノ・アレンジを中心としたウェットなサウンドを展開している。
こうやって聴いていると、「雨」というワードは便利だよなと思ってしまう。どうしたってもの悲し気になってしまうもの。
6. この空を飛べたら
加藤登紀子に提供された楽曲で、恐らく初期みゆきレパートリーの3本の指に入るほどの傑作。アレンジ、ヴォーカル、表現力ともすべてがハイスペック。
「加藤登紀子」という全共闘世代のアイコンという背景から、どうしても「時代」と同じ解釈をされることが多いのだけど、まぁ俺もそんな気はする。深読みすればキリはないけど、音に刻みつけられた言葉たちは、あらゆる視点を受け入れる。
凍るような声で 別れを言われても
凝りもせずに信じてる 信じてる
この最後の「信じてる」の響き、希望と諦念とが入り混じった、何とも言えぬ感情のほつれ。初期のみゆきの儚さがここに凝縮されている。
7. 世迷い言
1978年、日吉ミミへ提供、みゆきとしては珍しく曲のみの提供。歌詞だけというのはその後もいくつかあるのだけど、曲だけというのは、俺が知ってる範囲では多分これだけなんじゃないかと思う。
作詞は当時、脂が乗りまくっていた阿久悠。この組み合わせとなった経緯は不明だけど、正直、語呂合わせのような内容なので、別に誰でもよかったんじゃね?とは俺の独断。でもこれ以降、このタッグでの仕事はないので、双方、記憶にあるかどうかも定かではない。
8. ルージュ
ちあきなおみに提供された、こちらも代表曲となっている。90年代にフェイ・ウォンがカバーしてアジア圏でヒットしたのは記憶に新しい。聴いたことあったっけ?と思ってyoutubeで聴いてみると、やっぱり記憶にあった。こうして聴いてみると、中国語との親和性が高いよな、みゆきのメロディーって。ちなみにオリジナルは比較的淡々と歌っているのだけど、程よい情感がこもって良さげだったのが、藤あや子。
生まれた時から 渡り鳥もわかる気で
翼をつくろうことも 知るまいに
20代半ばでサラッとこんな言葉を書けてしまうところに、みゆきの底深さを痛感してしまう。
9. 追いかけてヨコハマ
後藤次利の洒落っ気とみゆきのお茶目さとがうまくシンクロした、珍しく時代性を思わせてしまう快作。だってインベーダー・ゲームだもの。40代以下にはまったくリアリティのないSEだよな。時流としてYMOが流行っていたから、という注釈をつけておかないと、ちょっとわかりづらい。
10. 強がりはよせヨ
ラストはやっぱり研ナオコ提供曲。イントロのアレンジがPink Floyd『The Wall』のオープニングっぽく、壮大なメロディック・ハードが始まるかと思いきや、歌に入るとアコギの3フィンガー。その落差を楽しむのもまた一興。
生意気を言うな と 笑ってよ
「ひとりが好きなの」と 答えたら
それなら この俺の行く当てあれを
どうして尋ねると 問い詰めて
感情の齟齬が露わになった男と女。もはやどこまで行っても入り混じることはない。
なのに、どこかで重なり合う部分がある、と信じたい2人。
いや、ほんとは相手が自分以外の他人と交わるのが癪なだけだ。「相手の幸せを願って」なんて、そんなのは嫌われたくないための方便でしかない。
思えば研ナオコ、シリアスなみゆきの世界を歌いながら、同時期にテレビでは、志村けんとのコントや『カックラキン大放送』でぶっ飛んだキャラクターを演じていた。そのギャップはみゆき以上のものであり、そしてどちらも研ナオコの素顔である。
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