1971年にリリースされたMilesのライブ・アルバム。もう何枚目になるのかはわからない。ていうかこの時期のMilesはリアルタイムで発表されたアルバムに加え、膨大な発掘録音が次々リリースされているので、発表順というのは意味がなくなっている。
ライブ・パートとスタジオ・パートの2部構成という珍しい構成になっているのだけど、正直聴くだけではその違いがほとんどわからない。クレジットを見て始めて気づくくらい、それほど全編スタジオ・テイクに近い感触になっている。どっちのヴァージョンでもTeo Maceroによる鬼編集が入るので、1組のアルバムとしては統一感があり、ちぐはぐな印象は感じられない。この辺がMilesから全幅の信頼を置かれていたスタジオ・マイスターたる所以だろう。
Teoにとってはライブ・テイクもスタジオ・テイクもMilesのマテリアルとしては同等のモノであって、彼はただ商品として通用するように、それらの素材を並べ替えたりツギハギしたりするだけである。
ライブだからといって、オーディエンスによる熱狂の歓声が入ってるわけではない。もともとモダン・ジャズという音楽自体がそういった種類の盛り上がりに欠けるものだし、ましてやMilesを見に来た観衆、その誰もが度肝を抜かれて呆然とするだけで、声を上げるのも忘れて聴き入ってしまっている。
なので、観客をも巻き込むグルーヴ感というのが存在するわけもなく、ほとんどスタジオ・ライブのように明瞭でノイズもほぼない、静寂の中でその熱い狂宴は行われている。
この時期のMilesにとって、そしてTeoにとっても観客の存在は重要ではない。彼らはただその瞬間に立ち会い、その濃密な音場の渦の中でアワワアワワと佇むだけだ。「お前らはただ金を払って、黙って俺の演奏を聴いてればいいんだ」とでも言いたげに、縦横無尽に自由奔放、かつ緻密にお膳立てされたパフォーマンスを展開している。
データ的な事を補足しておくと、ライブが行われたのは1970年12月16日から19日までの4日間、場所はワシントンの名門ジャズ・クラブ「The Cellar Door」にて行なわれた。約1時間の演奏を朝夕2セット、4日間で8セット行なわれ、このアルバムでは最終日19日の演奏を中心に構成されている。いわゆるオイシイどこ取りをするために、いつものようにTeo が呼び出され、怒涛のテープ編集にて商品として成立する形にブラッシュ・アップされている。
曲によっては突然カットアップされたりモノローグが挿入されたりして、ライブ・パートも素材の一部として自由奔放な編集が展開されているので、一般的なライブ・アルバムというにはちょっと無理がある。捉え方としてはFrank Zappaのメソッドに近いものがある。
で、このライブ・セッションのほぼ未編集版が後年6枚組でリリースされた『The Cellar Door Sessions』なのだけど、なんか聴く気がしない。歴史的な意義としてはわかるのだけど、そのディープかつ膨大な物量の前では、よっぽど体調を整えない限り対峙するのはちょっと無謀である。ていうか、聴きたいのは他にもいっぱいあるし。
一応ビルボード・ジャズ・チャートでは4位、総合的チャートでは125位という成績なのだけど、まぁこれも彼にとってはそれほど重要なではなかったと思われる。次々と流動的に入れ替わるバンド・メンバー、久々に好調なチャート・アクションを記録した『Bitches Brew』の次を催促するCBSからのプレッシャーに挟まれながら、その『Bitches Brew』の向こうを追求するMilesにとって、そんな下々の戯言にいちいち耳を傾ける余裕などなかったのだから。まぁ他にも女だドラッグだで忙しかったせいもあるけど。
スタジオ・アルバムとしては1969年の『Bitches Brew』が最後で、次の『On the Corner』がリリースされるのは1972年だったため、3年のブランクがある。いくら帝王Milesとはいえ、斜陽のジャズ・シーンにとっては厳しい状況が続いており、既存のモード・ジャズからの脱却を果たしつつあって、さてこれからという時期。この間にフィルモアへの出演などロック・シーンへの接近を図っており、日ごとにオーソドックス・スタイルとのジャズとの訣別を進めつつあった。
60年代末から70年代初頭というのは、社会・文化状況的にも未曾有の変化が起こっていた時代であって、ジャズを含むポピュラー・ミュージックもまたその例に漏れず、怒涛の奔流に巻き込まれるが如く、あらゆる変化を遂げていた。ちなみに俺が生まれたのは『Bitches Brew』リリースの年。乳幼児が時代の変化なんてわかるはずもないので、ぜんぶあとで知ったことだけどね。
今のご時勢なら2、3年のインターバルを置くことなんて普通だけど、当時はどのアーティストのリリースもハイ・ペース、しかも音楽性の進化・変化が目ざましかった。当時のスタジオ・レコーディングの極限まで達したバロック的な『Sgt. Pepper’s』がアメリカン・ロック・テイストな『Let it Be』になってしまうまでがほんの2、3年、ついこの前まで元気発剌にモータウン・ポップを歌っていたStevie Wonderが”Living for the City”になっちゃうのもこの時期である。「こまっちゃうな」の山本リンダが「狂わせたいの」でウララーになっちゃうのも…、これはちょっと違うか。
とにかく、当事者じゃなくてもごく普通の大学生でさえ、変わりゆく時代の流れを意識していたし、特に機を見るに敏なアーティストならなおさら、新たな表現手段を模索していた時代だったというのが、俺の個人的見解。
一見気難しくぶっきら棒に思われるMilesだけど、あぁ見えて結構面倒見の良い人で、ほとんど無名の新人をヘッドハントして複雑なバンド・アンサンブルの中で鍛え、いつの間にかひとかどのミュージシャンとして育ててしまうことで有名である。もちろんギャラを安く抑えるためという現実的な側面は否定できないけど、それでもクレジットに残るミュージシャンはどれもその後、それなりに独り立ちしている者が多い。
なので、歴代のMilesバンドはよく学校に例えられるけど、まぁそこまで生優しいものでもない。無能は声すらかからないし、そこそこの無能だって一回呼ばれたきりで次のセッションには呼ばれなくなる。有能過ぎるのも考えもので、当然Milesのビジョンと折り合いをつけられず、不適正の烙印を押されてしまう。この辺のレベルになると組織論がからんでくるので、またややこしくなる。
Milesに見込まれるくらいだから、どのミュージシャンにも基本性能・相応のテクニックはある。大事なのはバンドの進化について行く執念と伸びしろ、またMilesの意表を突くようなアイディアを持っているかどうか。
テクニックに秀でた者ならいくらだっている。あのColtraneが最初にMilesバンドに入った時だって、当初はテクニックやキャラクター面でボロクソに言われていた。ただそれでもMilesは彼を起用し続け、その時はイマイチ冴えなかったけど、数年経って戻ってきた時には、対等に師匠と渡り合い、共にモダン・ジャズ会を背負って立つポジションにまで成長していた。しつこく言うようだけど、ギャラを安く抑えられた面もあったのだろうけど、やはり彼の中に何かしらの可能性を見出していたのだろう。
そういった時のMilesの眼力は、見た目以上に優れている。
当時はChick CoreaもKeith Jarrettもまだペーペーだった。Milesバンド加入以前、2人とも保守新流的なモダン・ジャズ・ピアノを志向しており、もっぱらアコースティック・ピアノ専門で、エレクトリック機材はある意味蔑んでいたらしい。なのにMilesバンドでは有無を言わさずエレピを弾かされていたため、在籍中は結構ストレスが溜まっていた。ただそのストレスが功を奏したのか、オーソドックスな素養を極めた末でのヤケクソ的なフリー・フォームのプレイが全体のサウンドに刺激を与え、結果的に全体のアンサンブルを左右するまでの存在になった。
Milesとしては、そこまで完成像を予測してコンバートしたつもりではなかっただろうけど、何となく「こいつら普通にやらせても面白くないから、ちょっと変わったポジションやらせた方がやらかしてくれるんじゃね?」的な思いつきがうまくマッチした好例である。
そういった名采配、Milesには結構多い。もちろん誰でもいいというわけではない。一応、それなりのポテンシャルを有したプレイヤーじゃないと対応できないので、高い演奏スキルとセンスとが必要になる。
もちろん、すべてがすべて上手くいったとは限らない。公式記録には残ってない、ほんとワン・ショットだけのセッションで戦力外通告され、二度とお声がかからなかった者も少なくはない。
肝心の主役であるMilesのプレイやテクニックがそれほど取り沙汰されないのは、むしろこのような空間設定、トータル・コーディネートやコンセプト・メーカーとしての能力の方が秀でているせいもある。
はっきり言っちゃえば、繊細なタンギングとは無縁のプレイ、特にエレクトリック機材導入以降は印象に残るハイ・ノートがあるわけでもない。いわゆるサビの部分に値するキメのフレーズやソロ・プレイなど、Milesならではの記名性の強いものではあるけれど、決して引き出しの多い人ではない。その辺はむしろ不器用な部類に入る。
多分ハイ・ノートに限定すればLee Morganの方が上だろうし、総合的なテクニカル面で言うのならWynton Marsalisの方が明らかに勝っている。トランペッターのソロイストとしてのMilesは50年代で進化が止まっているのだ。
ていうか電化以降に限らず、CBS移籍後のMilesにおいて評価されるべき点というのは別なところにある。前述したように、トータルとしてのサウンド・コーディネーター、次々と新境地を開拓してゆくフロンティア・スピリットこそ、60年代以降のMilesが志向したポジションであって、スペシャリストとしてのMilesはその時点で終わっているとも言える。
このアルバムに限った話ではないけど、この時代にリリースされたアルバムは『In a Silent Way』から『Bitches Brew』まで、いわゆる初期エレクトリック期での模索から生まれたスキル、そして今後完成型へ向けての過渡期的なサウンドがあらゆるスタイルで試されている。なので、ある意味どの作品も発展途上、未完成品のオンパレードである。
「すべての路は『On the Corner』に続く」と言い切っちゃうのは極論かもしれないけど、結果的に当時の彼が目指していたのはそこである。後追いで聴いてきた俺的にはそう映るのだけど、もちろん当時のMilesに完成形が見えてるはずもなかった。なんとなく抽象的なビジョンは持っていたのだろうけど、それをいざ形にすること、本来なら矛盾する行為であるはずの「混沌をパッケージする」というジレンマが、そこかしこで散見される。
旧来のジャズの話法とはまったく違う、新しい言語の獲得が電化Milesの大きなテーマである。そこに至るにあたって、数え切れない程のセッションやレコーディングを重ね、メンバーを取っ替え引っ替えしている。すべては『On the Corner』のために。
とは言っても、その『On the Corner』さえ通過点でしかない。無理難題とも思われた混沌のパッケージングへの苦闘はアガパンの境地まで続き、そして突然、自ら強引に幕引きを図ることになる。この時点では知る由もないけど。
Miles Davis
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1. Sivad
Michael Henderson (b)とJohn McLaughlin (g)とのつばぜり合いからスタート。終始呪術的なパーカッションで不穏さを演出しているのが、この頃ブラジルから出てきたばかりのAirto Moreira。そんな暴力的なセッションにからむMilesのワウワウ・トランペット。そんな「動」の磁場を引き裂くように「静」なるピアノを奏でるKeith Jarrett。
ここでは各メンバーが思い思いのプレイを行なっているけど、ジャズの範囲を超えてはいない。そのギリギリのラインでの丁々発止を堪能するのが一興。
2. Little Church
3分程度の幕間的ナンバー。これはスタジオ録音。『In a Silent Way』のアウトテイク的な幽玄として静謐なるナンバー。まぁ眠くなる効用はある曲。この辺に次のステップへの可能性を感じていたのかどうか。
3. Medley: Gemini/Double Image
再びニューヨークのスタジオ・セッションより。以前『Jack Johnson』のレビューで書いたけど、ディストーションを効かせたMcLaughlinのプレイは確かにMiles思うところの「ロック的」な響きではあるのだけれど、どこか手習い的な感触が強く、「ロック的」ではあるけれど「ロック」じゃないよな、といつも思ってしまう。
この頃はまだジャズ・フォーマットのサウンドのため、完全な電化サウンドにアクセントをつけたDave Hollandのアコースティック・ベースがフィットしている。
セッションとしては冗長だったのか、まるでテープが途切れたかのようにバッサリと終了。それともこれが意図だったのか。
4. What I Say
このアルバムの中では人気の高いナンバー。かつてここまでファンキーなKeithは聴いたことがない。その後もここまでぶっ飛んだプレイを見せることはなかった。若き天才ドラマーJack DeJohnetteは安定したプレイ。ベーシックなリズムがしっかりしているからこそ、Keithの奔放さが活きている。
そんなメンバーに触発されたのか、Milesも久しぶりに見せるハイ・ノートを交えた高速プレイ。やればできるじゃん。
5. Nem Um Talvez
再びニューヨーク・セッション。2.とほぼ変わらぬSteve Grossman (s.sax)とのユニゾン的小曲。ブリッジとしてはいいんだけど、確かにこのサウンドだけでフル・アルバムを作るにはちょっと厳しい。眠くなるには最適なんだけど。
6. Selim
で、ここでも同じテイストのニューヨーク・セッション。もういいよ、ほんと寝てしまう。
7. Funky Tonk
ラスト2曲は再び「Cellar Door」セッション。両曲とも20分を優に超えるファンキー・チューンで、一気に眠りから叩き起こされる。
まるでギターのような音色とフレーズを繰り出すMiles。ここでは珍しく延々と長いソロを吹いている。特筆すべきは、メンバーの変遷が著しい電化Milesの中ではほぼ皆勤賞的な参加率を誇るHendersonのプレイ。手数の多さと独特のフレージングは長いこと屋台骨を支えてきており、ここでも安定の自己主張の強さをアピールしている。
Gary Bartz(sax)のプレイはどことなく西海岸的でフュージョンの匂いも強いけど、こういった異分子の存在こそが一枚岩となったバンド・サウンドにアクセントを与えている。
8. Inamorata And Narration
ほとんど7.と区別がつかないくらい、基本構造はほぼ同じナンバー。なのでこれもファンキー成分が濃い。
なぜか挿入される俳優Conrad Robertsによるナレーション。これがいい感じのインターバル的な役割を果たし、終盤に向けての熱狂をさらに印象付ける。相互作用によってとどまる所を知らぬまま昂るテンション。そして、突然の終幕。
Teoの技が光るナンバー。
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