Folder そこまでディープな信者じゃなかった俺から見ても、1995年以降の米米クラブは混沌としていた。苦楽を共にした初期メンは脱退するわ正体不明のサポート・メンバーが入れ替わり立ち替わりして、収拾がつかない状態になっていた。
 結成10周年ベストとしてリリースされた『Decade』をピークに、その後は人気も緩やかな右肩下がりが止まらず、そんな状況から目をそらすように、各メンバーのソロ活動が活発化していった。右手と左手とで何をやっているのか、わかりもしないし関心もない、別な意味で混沌としていた初期の彼らの姿はもはや見られず、終わったグループ感が漂っていた。
 とはいえ、全盛期ほどではないにせよ、コンスタントにライブやレコーディングは行なっていたし、CMタイアップやらFMのパワー・プレイやらで、彼らの曲を聴く機会はまだ多かった。もうぶっちぎりのトップを走る勢いはないけど、それでも先頭グループから脱落するほどでもない―、そんな中間管理職みたいなポジションが、彼らの置かれた現状だった。
 「堅実さ」とか「安定感」とは無縁の存在だったはずの米米は、次第に守りの姿勢に入りつつあった。メンバー大量増員やゴージャス化するライブ演出など、あちこちで攻めの姿勢は見られたのだけど、それらの策が肝心の音楽クオリティに反映されなかったことが、バンド終焉の一因だったと言える。

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 お茶の間向けに強力脱臭され、最大公約数のマス・イメージを想定して構築された末期の米米は、ひとつの見方として、コンサバティヴ路線の完成形だったとも言える。カールスモーキー、っていうかフロントマン石井竜也をクローズアップして、彼のヴォーカル・パフォーマンスとメロディ・センスが最も映えるスタイルを追求してゆくと、まぁ誰がプロデュースしてもこんな感じになるんじゃないか、と今にして思う。
 「君がいるだけで」で発揮された、流麗なメロディを中心とする、スマートなエンタテイメント路線は、不特定多数のニーズを掴むためには、最も効率良くシンプルなコンセプトだった。そのコンセプトの純化のため、ジェームズ小野田のファンク・テイストや、キュートな淫靡さを漂わせるシュークリームシュの歌謡ポップ、そして彼らが自虐するところのソーリー曲は、ことごとく排除されていった。
 どんなことにも当てはまることだけど、ひとつ上のステージへ進む際、捨てなければならないものが、何かといろいろ出てくる。過去のしがらみなり男女関係の精算なり、まぁ人それぞれだけど、前に進むために振り捨てなければならない過去は、誰にだってひとつやふたつはある。
 末期の米米の選択が正しかったのかどうかはさておき、果たしてその選択が彼らの望むものだったかといえば、単純なYes/Noで測り切れるものではない。バンドの終焉が先延ばしになるか/早まるかの違いであって、行き着くところは結局のところ、多分同じだった。
 ベストとは言えないけど、ベターな選択だったんじゃね?としか、外野からでは推しはかりようがない。肝心なところは、当事者たちにしかわからない。

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 彼らのキャリアをセールス面のみで区切るとすれば、単純に「君がいるだけで」以前/以降になるけど、バンド内テンションのピークがどの辺だったのか、どこから下り坂になったのかとなると、ファンの間でも議論が紛糾する。それこそ「君がいるだけで」以降という意見もあれば、もっと遡って博多めぐみが抜けてから、という意見もある。
 ある意味、カルト映画として名高い『REX』に魂を売り渡してから、という意見もなかなか捨てがたい。「カールスモーキーが取り巻きに持ち上げられて、映画やアートにうつつを抜かしてから」というのも、見方として間違っていない。
 『Octave』以降、セールス・知名度と反比例するように、ジェームス小野田の存在感は薄くなっていった。シュークリームシュを押しのけて、新参パフォーマンス・チームの露出が増え、ステージ演出もスマートに洗練されていった。
 最大公約数のニーズに応じるためには、最も大衆に支持された「君がいるだけで」タイプの楽曲じゃないと、広く伝わりづらい。アバンギャルドもエロネタも寸劇もゴッチャに詰め込むのではなく、今後のリリースは「君がいるだけで」タイプを中心に―。
 おおよそ、こんな感じで周囲スタッフに吹き込まれたんだろうけど、まぁ言ってることは間違ってない。いつの間にソニーの屋台骨を支えるポジションに祭り上げられ、関連するスタッフも増えて巨大プロジェクトと化した米米を維持するためには、そうすることが最善だった。
 営業戦略的に、ヒット商品の二番煎じ・三番煎じ、または拡大再生産を目論むのは常道であるけれど、そんなに長く続くものではない。「君がいるだけで」と「浪漫飛行」と「sûre danse」の順列組み合わせで続けてきたコンサバ路線も、次第に新鮮味は薄れ、またグループ内のゴタゴタも相まって、わかりやすいくらいに下降線をたどって行く。

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 デビュー以来、長らく色モノ扱いされていた彼らが、音楽面で注目を集めるようになったのが、『Go Funk』である。テンションぶっちぎりのライブの評価は高かったけど、アルバムになると変にかしこまって魅力が伝わりづらかった彼らにとって、起死回生となった作品として知られている。
 実際、このアルバムはすごく良くできており、ファンクやスカ、バラードから小ネタまで、バランス良くひとつのショウとして構成されている。「Kome Kome War」から「Time Stop」から「宴」まで、てんでバラバラなタイプの楽曲が無理なく詰め込まれ、各メンバーの見せ場もしっかりあるし、コンテンポラリーとアングラとの狭間でうまく均衡している。
 総立ちノリノリファンクの後に失笑混じりの小芝居、続けてベタな官能バラード、と言った具合に、擬似ライブ的な構成、「何でも揃えてまっせ奥さん」といった淫靡なバラエティ感こそが、本来の彼らの魅力である。コンサバ路線というのは、あくまでライブ・パフォーマンスの構成要素のひとつであって、二の線ばっかり前面に出しても、彼らの魅力は半分も伝わってこない。
 今でこそキラー・チューンである「浪漫飛行」が収録されていたにもかかわらず、この前作『Komeguny』が思ってたより売れなかったのは、全編スカしたシンセ・ポップ路線でまとめてしまったところが大きい。ポップな要素だけでは、バンドの全体像を見据えることはできないし、同じテイストばかりでは「浪漫飛行」も埋没してしまう。
 『Octave』以降も同様で、スカしたコンサバ路線一本では、全体像を探る以前に食傷気味になってしまう。大トロばっかり食べてても、寿司を堪能したとは言えないのだ。

 そんなコンサバ路線一辺倒へ進む米米の体制に、Nonを突きつけたのが演奏チームだった―、というのを、ちょっと意外と思う人もいるかもしれない。少なくとも後期の路線、音楽的にはちゃんとしている。まっとうなミュージシャンなら、「ポイのポイのポイ」よりも「愛はふしぎさ」を誇りに思うはずである。
 初期ライブの大きな柱であったディープ・ファンクの割合は減ったけど、コンサバ系の源流である、ベタな歌謡テイストのポップ性はまだ残っていた。判で押したようなポップ・テイストに辟易した部分もあっただろうけど、体裁の整った楽曲のレコーディングは、まっとうなミュージシャンのスキルを最大限発揮できるはずだった。
 整然としたアンサンブルを追求してゆくことがミュージシャンとしての条件であるならば、米米の場合、そういった方向性を望んでいなかった、ということになる。ていうか、10年以上一緒にやってるんだもの、オーソドックスなスタイル求めるんだったら、とっくの昔に脱退してるって。
 思うに、音楽的にはあんまり知識のないカールスモーキーがイニシアチブを握っていたこと、サウンド・メイキングにあんまり口出しできなかったことが、逆に米米サウンドの確立につながったという見方もできる。ソウル・ファンクからロックにスカ、カールスモーキーのテイストに合わせたシャンソンや歌謡曲など、あらゆるジャンルの音楽をぶち込んで、ちょっと不細工ではあるけれど、ライブのテンションで乗り切っちまえ、という勢いがあったのが、中期までの米米だった。

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 ムーディーなAOR系ライト・サウンドでスカす反面、くっだらねぇエロ小芝居の伴奏もやってしまう幅の広さが、米米演奏チームのポテンシャルの高さをあらわしている。どっちに優劣をつけるのではなく、彼らの中では「君がいるだけで」も「愛の歯ブラシセット」も等価なのだ。
 「俺色に染まれ」のコード進行やらリズム・アンサンブルがどうした、というより、「ポイのポイのポイ」がいいのか、それとも「ポポイのポイポイ」の方がいいのか―、そんな事に大きな時間を割き、時につかみ合いになるほどのめり込む姿勢こそが、本来の米米であったはずなのだ。
 そんな彼らの一面、くっだらねぇソーリー曲だけを寄せ集めて作られたのが、この『米米CLUB』というアルバムである。コンサバ系だけを集めたベスト『K2C』の3ヶ月後に発売され、そのあまりの落差で新規ファンを困惑させ、反面、古参ファンを狂喜乱舞させた伝説のアルバムである。
 「君がいるだけで」と「ホテルくちびる」が等価であるというのはちょっと強引だろうけど、長年ライブで練り上げて完成度を高め、ファンに愛されたのはどっちかといえば、問答無用で後者になってしまう。いい意味でも悪い意味でも、ファンの度肝を抜くこと、自分たちが面白がることを続けてきたのが、すなわち彼らの歩んできた道であって。
 そんなウンコ曲路線の割合が減ってゆき、なんか普通のポップス・バンドになっちゃったことで、米米のアイデンティティは変容した。遊べる余地も少なくなったため、ジョブリンとリョージはバンドを去った。
 メンバーの誰も彼らを引き止めることはできなかった。アイデンティティであったウンコ曲をないがしろにしたバチが当たり、米米は一気に終息へ向かうこととなる。





1. 愛の歯ブラシセット
2. We are 米米CLUB
3. あたいのレディーキラー
4. 東京 Bay Side Club



5. 東京ドンピカ
6. 二人のアンブレラ
7. オイオイオイ マドロスさん
8. I LOVE YOU
9. パリジェンヌ ホレジェンヌ
10. スーダラ節~赤いシュプール
11. インサートデザート
12. ホテルくちびる



13. AWA
14. 私こしひかり
15. ポイのポイのポイ



―一応、いつも通り曲紹介書いてみたけど、なんか細かく解説するのもバカらしくなってきたので、やっぱやめた。
 めんどくさいことは考えず、まずは全部聴いてみて。