analysis-032-cover 映画『スウィング・ガールズ』にて、高校の数学教師役で出演している竹中直人のエピソード。田舎のパラサイト中高年男性にありがちな、オーオタかつジャズオタの竹中。学校ではサエない風采だけど、それは仮の姿。自室に金にモノを言わせた高級オーディオをズラリと並べ、終日往年のジャズLPを大音量で鳴らして悦に入っている。
 職場ではそんな態度をつゆほど見せず、あくまで密かな愉しみとして、昼行灯のような無気力教師を演じていた竹中、そんな中、ブラバンの顧問を探している生徒たちに自宅を急襲され、裏の顔がモロばれしてしまう。同好の士として快諾すると思いきや、なぜか固辞する竹中。生徒らがどれだけ頭を下げても、その決心は変わらなかった。
 シーンは変わって、同じ町の音楽教室。田舎ゆえ、生徒数は3人程度のこじんまりしたもの。小学生も混じってる顔ぶれから見て、初級クラスと察せられる。
 谷啓演じる講師に指名され、サックスを構える竹中。おもむろに立ち上がり、激しいブロウ中心のフリープレイを披露するのだけれど、すぐさま止められる。「基本的な運指やタンギングもできてないのに、形から入っちゃダメ」と諭され、しょげる竹中。子供にバカにされる竹中。

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 長々と書いちゃったけど、俺が思うところのコルトレーンのイメージとは、だいたいこんな感じである。実際の劇中設定では、アルバート・アイラーをモデルとしたらしいけど、末期のコルトレーンをマネしようとしたら、だいたいこんな感じになるんじゃないかと思われる。
 実際にコルトレーンをちゃんと聴いたことがない層、いわゆるライト・ユーザーが思い浮かべる彼のビジュアル・イメージは、名盤『My Favorite Things』のジャケットが最も多い。ちゃんと集計を取ったわけじゃないので、ソースも何もないけど、最大公約数として一番有名なのはこのアルバムだし。
 神妙な面持ちでソプラノ・サックスを構えるコルトレーン。正直、くすんだブルー・バックと赤のデザイン・ロゴの組み合わせはミスマッチで、もうちょっと何とかならなかったのかね、と突っ込みたくなってしまう。
 総じてコルトレーンのデザイン・アートワークは、往年のジャズ・アルバムと比して、あまりセンスの良いものではない。末期になると、時代の流れで変なサイケ風味が入ってきて、さらに行先不明なものになってゆく。
 あ、でもそれはそれで、内容に偽りなしか。

 何となく聴きかじったところからもう少し先、ジャズ沼に片足を深く突っ込んだところで見えてくるのが、これまた名盤『至上の愛』のジャケットである。神妙な顔つき具合は『My Favorite Things』ともタメを張るけど、モノクロ写真のため、世界観とうまくフィットしている。やっぱジャズのアートワークは、モノクロがハマるよな。
 さらにさらに先に進み、インパルス後期にまで足を踏み入れると、混沌のアバンギャルド・ジャズ一色になってくる。ここまで来ちゃうと、もはや存在という概念を超越した世界。
 解脱した修行僧のような佇まいから漂ってくるのは、問答無用のコルトレーン・ワールド。「聖者になる」と発言したのがちょうどこの頃で、もう天衣無縫のやりたい放題。凛とした佇まいから吐き出される音の洪水は、人智を超えた不可知論の世界でとぐろを巻いている。
 そんな混沌を瞬時に的確に表現したのが、冒頭の竹中直人だった、という結論にたどり着くまで、長々と書いてしまった。ごめん、これもただ書きたかっただけなんだ。

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 ジミヘン同様、生前より没後の方がリリース数の多いコルトレーン、こうしている今もアーカイブの発掘・整理作業は連綿と続けられている。今年リリースされた『The Lost Album』は、ライブ物中心だったこれまでのリリースとは傾向が違って、スタジオ未発表音源ということもあってインパクトが強く、ジャズ村界隈以外でも大騒ぎになったのは、記憶に新しい。
 時々思い出したように、このようなお宝アイテムがリリースされるということは、もちろん市場のニーズあってこそだけど、まだまだ発掘調査の余地が残されている、ということなのだろう。インパルスやアトランティックの倉庫には、まだ封されたままのマルチトラック・テープがゴロゴロしてるんだろうし。
 いや、もう裏ではきちんとカタログ化されてるのかな。小出しにしてった方が、ビジネス的には賢い選択だし。
 ただジミヘン同様、もし彼が今も生き長らえていたとしたら。心身ともに健康なまま、活動を継続していたとしたら、現在のような評価がされていただろうか、と。
 それはちょっと疑問である。

 インプロ中心の独演会と化していた末期の演奏は、もはや本人にも収拾不能の大風呂敷プレイとなっていた。その音はもはや、聴衆に向けて放たれたものではなく、コルトレーンの内的宇宙へ収斂し、そして完結する。
 彼が影響を受けたカバラやインド思想を勉強して聴いたとしても、さらに混迷を極めるばかり。わかったつもりでいても、またすぐわからなくなる。
 ハマればハマるほど、そのサウンドは共感を拒む。いずれにせよ、一見さんに優しい音楽ではない。
 コルトレーンの死後、ジャズ界は一気に電化フュージョンの流れとなる。青息吐息のモダン・ジャズは、BGM用途のイージー・リスニングか、極東のマニアの慰みものとして、辛うじて命脈をつなぐことになる。なので、さらに風当たりの強いアバンギャルド・ジャズは、居場所がなくなる。
 「聴衆の共感を得ることから降り、頑なに求道者のごとく我が道を突き進むコルトレーン、その前衛さゆえ、アメリカ本国での人気は、次第に下降線を辿ってゆく。ファンへの迎合を潔しとせず、まだフリー・ジャズに寛容なヨーロッパへ活路を見いだし、シーツ・オブ・サウンドの探求を続けることになる」。
 なので、メインストリームでの活動は難しかったんじゃないか、というのが俺の私見。

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 コルトレーン自ら制御することをやめてしまったインパルス末期のサウンドは、いわゆる上級者向けである。この辺の発掘音源は、史料的価値は高いのだけど、日常的に聴くものではない。ていうか、それはかなり無理ゲーである。
 これまでもコンスタントに発掘音源がリリースされていたコルトレーンだけど、今年の『The Lost Album』が特別盛り上がったのは、それなりの理由がある。もちろんスタジオ未発表音源というのが大きなセールス・アピールではあったけれど、レコーディング時期が1963年だったというのが大きい。多くのジャズ・ファンのテンションと血糖値が爆上げしたのは、これが大きい。
 63年のコルトレーン・サウンドは、まだフリー・ジャズに足を踏み入れる直前だったため、わりかしモダン・ジャズ寄りである。なので、「ちょっとアドリブ・ソロが長いモダン・ジャズ」といった印象なので、ビギナーにもやや聴きやすい。
 これが65年くらいになると、アドリブが冗長になって暴走しかけてくる。ウブな素人に聴かせるには、ちょっと刺激が強い。完全コンプを狙うマニア以外には、ちょっとおススメしづらくなる。
 なので、63年のスタジオ・アウトテイクというのは、全ジャズ・ファンに広くアピールできるお宝音源と言える。世事の煩悩から解脱した末期と違って、この頃はまだレコード・セールスやファンの反応を気にしていたコルトレーン、ウケの良いバラード集やジャズ・ヴォーカルとのコラボも積極的に行なっている。

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 BGMとしての機能はまるでない末期のアルバムを聴くには、相応の覚悟が求められる。疲れてる時や、風邪をひいてる時なんかに聴くものではない。ちゃんと体調とメンタルを整えてからでないと、心も体も悪化する。
 とはいえ、体調は万全、ポジティブな気分の時は聴く気になれない。なので、結局先延ばしになってしまう。
 その日の気分で棚からひと摑み、という音楽ではない。学ぶ姿勢、時にはねじ伏せる姿勢じゃないと、末期コルトレーンとは向き合えないのだ。
 で、そんな肩ひじ張った態度ではなく、もっとジャズを楽しむことができる時代の音源が、こういったまとまった形で発掘されたのは、素直に喜んでいい。
 飽くことなきクオリティの追求は、ある瞬間から大衆性を超えてしまう。どれだけ純度の高い作品だったとしても、聴き手の感情移入の余地がなければ、それは単なる空気の振動に過ぎないのだ。
 マッコイ・タイナー(P)、ジミー・ギャリソン(B)、エルヴィン・ジョーンズ(Dr)という黄金期カルテットのセッションは、すでに円熟期に達している。もはや既存ジャズのフィールドで、この4人でできることは、それほど残されてなかった。
 完成形をさらに極めることもひとつの手立てだけど、つねに前進するべく、ストイックな姿勢を崩さなかったコルトレーン。商業的なニーズを考えるのなら、この路線を維持した方がもちろんいいわけだけど、それと相反するプレイヤビリティが、次第に音楽性の混沌を導くことになる。
 マッコイ抜きで行なわれた、トリオ編成でのセッションは、そんなコルトレーンの心境の変化のあらわれとも言える。主旋律を導き出すのは自分であり、そしてまた壊すのも自分。
 ていうか、もう整ったメロディはいらない。
 このテイクが63年当時に発表されていたら、フリーへの転身ももう少しスムーズだったんじゃないかと思われる。


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1. Untitled Original 11383
 タイトルさえつけられなかった完全未発表曲のひとつ。この時点で、すでにジャズ界随一のソプラノ・サックス使いとして名を挙げていたコルトレーン。ていうか、ほぼこの人くらいしか使っていなかったけど。
 ある意味、このメンバーの中では常識人だったマッコイの堅実なプレイが、自由奔放なメンバーのプレイをうまく集約させている。みんながみんな野放図だったら、まとまるものもまとまらないもんな。3分過ぎからジミー・ギャリソン、アルコ(弓での演奏)も聴かせてるし。
 プレイ以外の面、楽曲自体は実のところ、そこまで特筆するほどのものではない。そりゃ並みのミュージシャンと比べたらハイレベルだけど、当時の彼らとしてはウォーミング・アップ程度のものだったんじゃないかと思われる。すっきり5分程度でまとめてるし。

2. Nature Boy 
 ナット・キング・コールによってヒットした、いわゆるジャズ・スタンダード。バンドの理性を司っていたマッコイ抜きのレコーディングとなっており、そんなわけでリズム隊がクローズアップされている。ビート感の強いアフロ・リズムは、メロディアスな楽曲にはちょっとミスマッチだったんじゃないか、と俺の私見。コルトレーンのプレイも無理やりねじ伏せてる感が強く、消化不良のまま3分程度で締めくくっている。

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3. Untitled Original 11386 
 志半ばで終わった2.とは打って変わって、アトランティック期のメロディアス感を彷彿させるソプラノ・チューンは、新旧問わず、多くのファンを納得させる。どこかで聴いたようなフレーズが散見されるけど、でもいいじゃんベタでも。緩やかに統率された中でのコルトレーンの暴走、そして時折ペースダウンを促すかのように割り込んでくるマッコイのソロ。でもお互い、譲ろうとしないんだよな。何とか形になっちゃってるんだけど。



4. Vilia
 ジャズ・スタンダードのカバーらしく、あまりコルトレーンっぽさの感じられないナンバー。最初のソロなんてソニー・ロリンズみたい。もちろん次第にこじれて屈折した詰み込みプレイに変化してゆくのだけど、まぁ彼にこういったのは求めないよな。

5. Impressions
 このアルバムの中ではテンポも速く、グルーヴ感も極まってるチューンだけど、数々のライブ・テイクと比べたら全然大人しい。コルトレーン沼にはまると、あっさりして物足りないくらい。マッコイ不在によってリミッターは外れてるけど、スタジオ・テイクな分だけ、クレバーな演奏。

6. Slow Blues 
 考えてみればこのアルバム、まとまった形のマテリアルがまるまる未発表だったわけではなく、単に同じ時期のテイクを並べたものである。なので、一貫したコンセプトで括られてるわけではなく、いわゆる寄せ集めてきな色彩が強い。
 そんなわけで、こういったストレートなブルースはちょっとミスマッチ。正直、11分は冗長。テオ・マセロなら、この半分でまとめちゃったかもしれない。

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7. One Up, One Down
 2005年に発掘された、ハーフ・ノートでの同名ライブ・アルバムのスタジオ・ヴァージョン。多くの人同様、俺的には、ライブ・ヴァージョンの方を先に聴いてるので、スタジオ録音は何だかかしこまってるよなぁ、といった印象。
 ジャズの場合、スタジオ録音=オリジナル・ヴァージョンとは単純に言えないので、先に世に出た方がインパクトが強くなるのはやむを得ない。それでもこのテイクが無視できないのは、やはり完成されたアンサンブルと圧倒的な録音レベルの高さ。ジミーもエルヴィンもマッコイも、みんなにきちんと見せ場がある。そして、彼らの挑発的なプレイを悠々と受け止めるコルトレーン。
 この時代はいい意味で、いわゆる「ジャズ」の範疇にある。この後も面白くなってゆくのだけど、まぁ聴く人を選ぶわな。



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