100回ごとにランダムにピックアップし、今回で3回目。順位づけはなし、単なる年代順で並べている。



山本達彦 「MY MARINE MARILYN」

01251447_52e34fe18bb3f 1983年リリース、JAL沖縄キャンペーンとタイアップしたため、テレビやラジオで大量オンエアされて、知名度を大きく上げた。でも、チャート的にはオリコン最高44位。あれ?もっと売れたと思ってたんだけどな。
 モデルや俳優といっても通用する端正なルックスから、80年代シティ・ポップの追い風に乗って、颯爽とデビューしたものだと思っていたけど、実は、ムッシュかまやつのバックでドサ回りなど、何かと下積みの長かった苦労人。育ちの良さは伝わってくるんだけど、ドロップアウトしちゃったんだろうな。
 本来はジャジー・スタイルのシックな作風が多いのだけど、キャンペーン・ソングというオファーに従って、ここでは軽快なリズムとキャッチーなアレンジを前面に出し、さらにゴージャスな女性コーラスをフィーチャーした、ブラコン風ポップに仕上げている。サビ以外のコード進行がちょっとひねり過ぎな感はあるけど、そういった些細な点をも凌駕する勢いはあったはず。はずなのだけど、案外チャートで苦戦するとは、誰もが思わなかったはず。
 生真面目すぎるがゆえの純音楽主義もあって、次第に活動は地味になってゆくのだけど、落ちぶれた感があまりないのは、あくせく働く必要がないからなのかな。どうせなら、そのルックスを生かして俳優業とかに進出していたら、福山雅治くらいはねじ伏せていたのかもしれないのに。



飯島真理 「セシールの雨傘」

41MyOHpMyBL 1985年リリース、彼女にとって大きなターニング・ポイントとなった5枚目のシングル。デビュー作がなんと坂本龍一プロデュースという超期待株、ビクターの箱入り娘として、蝶よ花よと育てられた飯島真理:通称まりン。初期3部作までは、スウィートなアイドル風テクノポップな楽曲が主体だったけど、このシングル・リリースを機にアーティスティックな作風へ路線変更、ミスDJや「マクロス」のリン・ミンメイで獲得したアイドル/アニメおたくファンをバッサリ切り捨てた。
 アイドルとアーティストの中間というスタンスは、ちょうど太田裕美が休業に入った時期と重なったため、まりンがその空席を埋める形となる。加えて、マクロス関連のオファーもあったため、そのまま行けば、今ごろアニソン界でもそれなりのポジションを築けてたんじゃないかと思われる。
 ただまりン本人としては、アニメ界隈やアイドル仕事はあんまり好きじゃなかったらしい。「アイドル顔とアニメ声の現役音大生」という付加価値が、本人の意向とは逆に作用し、自作曲のまともな評価がされなかった事に不満を持っていたことが、その後の発言やインタビューで明らかになっている。
 60年代フランス映画からインスパイアされた、思わせぶりなアンニュイ感を主軸として、ナイーブな少年少女の逢瀬を描いた歌詞を書いたのは松本隆。短編小説の1シーンを切り取ったかのような、映像を想起させる繊細な言葉の綾は、アーティスト飯島真理が希求していた世界観と合致していた。
 セールス的にはパッとしなかったけど、アーティスト・イメージの切り替えには大きく寄与した。実際、ネット界隈でもこの曲の評価は飛び抜けて高い。







パール兄弟 「バカ野郎は愛の言葉」

20111124050924 1986年リリース、デビュー・アルバム『未来はパール』に収録。今もって彼らの代表作として輝く、最強のニューウェイブ・ロック。「彼らこそ日本のTalking Headsだ!」ってキャッチコピーはどうかな、と一瞬思ったけど、パンチ弱いよな。立場を変えて、「アメリカのパール兄弟…」。もっと微妙になった。
 ハルメンズやビブラストーンなど、実力派インディー・バンド出身のメンバーによって結成されたパール兄弟は、ソニー系が幅を利かせていた80年代音楽シーンとは対極のポジション、「ミュージック・マガジン」を筆頭とするサブカル系からの期待と支持が熱かった。「ロキノン」でも「宝島」でも「PATi PATi」でもない、スノッブ臭が強烈なミューマガ界隈は、ロック界随一の論客であるサエキけんぞうとの相性は良かったけど、それがセールスに直結したかといえば、それはちょっと疑問。
 旧世代のロックを鼻で笑い、斜に構えた視点で「こういったロックもアリでしょ?」的な問題提起を行なってきたサエキけんぞうの登場は、産業化・画一化が進みつつあった日本のロック/ポップス・シーンへのアンチテーゼとして、重要なファクターとなるはずだった。だったのだけど、むしろ職人気質が多かった演奏陣との乖離は次第に大きくなり、ギター窪田晴男の脱退を機に次第に失速してゆく。コンセプト先行のイメージが強かったこともあって、もともと長く続けるべきユニットではなかったのだ。
 単発的なユニット/思いつきの瞬発力といった見地では、江戸時代とレゲエを合体させた「江戸時代の恋人達」に代表されるように、『未来はパール』にはいろんな可能性やらアイディアが詰まっている。どのトラックも、21世紀の今でも充分通用するポテンシャルを持っている。ただ可能性って、無闇に広げても、尻切れとんぼになっちゃうんだよな。ここで解散していたら、伝説のバンドになっていたかもしれないのに。
 反語表現を効果的に用いた愛情表現は古くからあったけど、日本語の歌詞でここまでポップで、しかも簡潔に表現したという意味で、サエキは先駆者である。同時期に作詞を手掛けたムーンライダーズ「九月の海はクラゲの海」もまた、同じ手法を用いた秀作。



モダンチョキチョキズ 「エケセテネ」

_SL500_ 1994年リリース、近年はナレーションや女優など幅広く活躍し、芸能界でのポジションを盤石にした濱田マリが在籍していた伝説のバンド、モダンチョキチョキズ6枚目のシングル。ちなみに同期のレーベルメイトとして、同じくマルチな活動ぶりのユースケ・サンタマリアが在籍していたビンゴボンゴがいる。この時期のキューン・ソニーは、電気グルーヴなど、アウトサイダーなメンツのオンパレード。どんな営業方針だったんだキューン・ソニー。
 それはひとまず置いといてモダンチョキチョキズ、「オバQ」や「恋の山手線」のカバー、またはCM出演でちょっとだけ話題になった「あたまはクラクラおめめはグルグル」くらいでしか知られていないため、いまだコミック・バンド的な扱いをされることが多い。まぁ実際にその通りなんだけど、サムいギャグばかり連発していた初期と比べ、後期になると多様な音楽性をベースとしたマイナー・メロディの佳曲がシングルで切られるようになり、単純なおちゃらけ集団ではない側面が見られるようになる。
 Jackson 5とThree Dog Nightを足して2で割ってBootsy Collinsが乱入したようなサウンド、語感の気持ち良さを羅列した、幼稚な言葉遊びの無意味性。彼らのコンセプトの最終形、到達点がここにはある。
 米米クラブでもなし得なかった、「くっだらねぇのその先」を具現化したこの曲、もっと世に知られるべきだったのだけど、バンド自体の知名度が追いつかず、チャート的には大惨敗、バンド活動継続が難しくなったのか、この後は各自ソロ活動の比重が大きくなってゆく。







中山美穂 「Sea Paradise -OLの反乱-」

north_garden_kk-img600x311-1275448440gkca1r7016 ミリオンセラーを記録した「ただ泣きたくなるの」の次のシングルとしてリリースされ、一気に10分の1にまでセールスが落ち込んだ、ミポリン1994年リリースの異色作。カラオケ・バブルとうまくリンクして、今井美樹と並んでキャリアOL御用達となったシックな大人路線から大きくコース・アウトした、ポップなジャパニーズ・ラップは歓迎されなかった。
 ちょっとエッチに興味がある、背伸びしたティーンエイジャー路線からスタートしたミポリンは、角松敏生「You're My Only Shinin' Star」に出会ったことで、ミドル・バラード中心の大人AORへ路線変更する。ヤンチャしまくったヤンキーが年齢を重ねて落ち着くプロセスをそのまんまなぞることによって、同世代ファンの内的成長と同調し、強い共感を得た。
 同時代のMariah Careyにならい、コンテンポラリー路線を志向していたミポリンだったけど、日本ではストリート・カルチャー発信による「DA.YO.NE 」などのジャパニーズ・ラップが台頭してきた頃。シックな大人路線は、カラオケ・ニーズに沿った手堅い市場ではあるけれど、そればっかりではマンネリ化してくるだろうし、ミポリンもプライベートでは24歳の女の子。よそ行きのかしこまったファッションだけじゃなく、ちょっとくだけたカジュアルな表情だって見せたくなる。
 同世代のOLに詳しいリサーチを行なったかどうかは不明だけど、「多分みんな、こんな風に考えてるんじゃない?」ってな感じで、自ら歌詞を書き下ろしている。いるのだけれど、さすが一般大衆の生活経験がないミポリン、どこか浮世離れしてる感は拭えない。「えーウソやだー」とか「ジョーダンじゃないわよハニー」なんて言葉遣いは、この頃すでに死語と化していた。セレブが無理して一般OLの口調を真似た、そんなぎこちなさが漂ってくる怪作。



ジャングルスマイル 「おなじ星」

414vHkCNl-L 1998年リリース、男女ユニット「ジャングルスマイル」5枚目のシングル。90年Jポップ大ヒットの発信源だったFMのパワー・プレイにピックアップされたため、耳にした人は結構多いはず。スピッツやミスチルなど、ここで大量オンエアされてヒットにつながった例は数多い。
 期待株として、彼らもそのルートに乗っかってヒットするはずだったのだけど、オリコン・チャートは最高27位、思ってたよりもブレイクしなかった。この時期はCDバブルのピークであり、ミリオンセラーもなんと14枚と大量。ジャングルスマイルに限らず、今なら充分トップ10圏内に入る売り上げだったのに、埋もれてしまったアーティストや楽曲が多々あるのも、CDバブルの功罪である。
 その当時、大量発生していた男女混成ユニットは、大抵、音圧強目のダンス・チューンが多いのだけど、彼らのサウンドは他と違って、ピーク・レベルは比較的抑えめだった。タイアップ狙いが先行して、サビ以外のメロディは単調なものが多かった90年代アーティストの中では、どのパートも手を抜かず、丁寧に作られていたのも、彼らのサウンドの特徴である。
 オレンジ・ペコーやピチカートほどの洒脱さ・スノッブさはなく、タイアップ一発勝負のパメラやフェイバリット・ブルーなんかと同じカテゴリに入れられることが多い彼らだけど、ヴォーカル高木郁乃が手掛ける歌詞は、あまりタイアップ向きではない、ちょっと後ろ向きでプチメンヘラっぽい傾向が強い。この曲も、20代女性の揺れ動く心の綾を丁寧にすくい取ったストーリーなのだけど、「この腕が千切れそうになっても離さない」「ずっと2人で生きていこうね」「たとえあなたが女に生まれたとしても守るわ」など、男目線でみれば、重い言葉のオンパレード。どんな恋愛遍歴を重ねてきたのか、膝詰めで問い質したくなってしまう。
 楽曲自体はフォーキー・タッチの丁寧なメロディ・ラインなのだけど、そんな言葉の重さがちょっと敬遠されたのかもしれない。時代のタイミングで埋もれてしまったのが、ちょっと惜しい。







Chappie 「Welcoming Morning」

220123999 1999年リリース、ネット上のキャラクターとして普及したアバターの先駆けとなった、ヴァーチャル・キャラクターChappieのデビュー・シングル。ジャングルスマイル同様、こちらもFMパワー・プレイで大量オンエアされ、清涼感あふれる夏の木陰を想起させるサウンドは、俺的にはすごくお気に入りだったのだけど、チャートではオリコン最高86位。ジャングルスマイル以下だったんだ。
 ネット社会がまだ未成熟だった20世紀末、雑誌やテレビ・ラジオが情報発信の周流だった最後の時代、Chappieは静かに、そっと誕生した。積極的なキャラクター・ビジネスでもコンテンツ販売でもない、あえて例えるならコンセプトの拡散とでも言うのかな、明確な形を持たず増殖を繰り返すChappieは、メディアに静かに浸透していった。
 周到かつ控えめなメディア・ミックスは、安易な商業主義に走らず、20代までをターゲットしたサブカル/ストリート・カルチャー方面に向けて、下世話にならぬよう配慮されていた。敢えて詳細なキャラクター設定を行なわず、シーンに応じて増殖を繰り返すChappieは、陳腐な商品化やブームに乗らなかったため、マスに消費し尽くされるのを回避した。
 Chappieにとって音楽活動というのはサイド・ワークに過ぎず、売上追求というよりはむしろ、「Chappieイズムの啓蒙」といった意味合いの方が強かった。決して大ヒットを狙っていたわけではないし、また下手に売れちゃったら二番煎じ三番煎じを要求されて、クールなスタンスは維持できなかっただろう。
 ソフトなハウス・ビートに乗せて、矢継ぎ早に畳み掛けるノン・リヴァーブの女性ヴォーカルは、爛熟化しつつあったガールズ・ポップに終止符を打つ。セックスの香りを極力消したティーンエイジャーの夏、プールサイドでまどろむひとときを切り取った、そんな情景が思い浮かぶ。
 ちなみに、バックでループされている「ダイスキ」ヴォイスは、川本真琴によるもの。



レピッシュ 「ワダツミの木」

_SX355_ 2002年リリース、元ちとせのデビュー・シングル。タイアップなしにもかかわらず、年間チャートで3位、あゆと宇多田に続いての売り上げを誇る。宇多田もある意味異色だけど、当時のラインナップの中で、「ワダツミの木」は明らかに浮いていた。
 闇の中から響くような呪術的なリズム、絶海の孤島に鎮座した女神による、訥々と綴られる物語。歌われている時代や場所は特定されず、島国で語り継がれる旧い言い伝えをそのまま移植したような世界観。時代やトレンドを超越した、そんな地味な歌なのに、なぜ多くの人が共鳴したのか。
 作詞作曲アレンジ・総合プロデュースを行なったのは、元レピッシュの上田現。当時、現ちゃんはバンドを脱退したばかりで、ソロ活動を始めたばかりだった。主要メンバーであるMAGUMIも杉本恭一もまた、レピッシュを再始動させることなく、各自ソロでやっていた。20年近くもずっと一緒にやってたんだ、そりゃ他の空気だって吸いたくなる。
 バンド結成20周年を迎えるにあたり、レピッシュは再始動する。現ちゃんも正式に復帰し、フェス出演と並行した全国ツアーを行なうはずだった。
 はずだったのだけれど。
 ステージに現ちゃんの姿はなかった。「長く患っていた腰痛治療に専念するから」というのが、当時のインフォメーションだった。
 事実は違っていた。腰痛というのは実は嘘で、肺ガンに冒された現ちゃんの躯は、すでにシャレにならない状態に悪化していた。
 翌2008年、現ちゃんはこの世を去る。
 要のひとつを失ったレピッシュは、膝を抱えて泣き続けるより、自ら動くことを選ぶ。旧友や仲間に声をかけ、現ちゃんのトリビュート・アルバム「Sirius」は、こうして完成した。
 ここでレピッシュとしてプレイしているのが、「ワダツミの木」。音といい映像といい、彼ら一世一代の飛び抜けた傑作に仕上がっている。
 現ちゃん自身もこの曲をセルフカバーしているのだけれど、正直、MAGUMIがヴォーカルを取るこのヴァージョンの方が、全然いい。
 「お前の曲を歌いこなせるのはオレだけなんだよっ」という想いが静かに、そして強く込められている。