Folder 「問答無用の音楽」というものがある。
 「好き」か「嫌い」か、良い・悪いの問題ではない。
 出来・不出来も関係なく、そのアーティストのビジョンが100%具現化された作品というのは、もはや批評の対象でさえない。他者の言葉など無意味なのだ。
 その結果は計算された作為なのか、それとも偶然の産物なのか、それも別として、濃密なエゴは鈍く光を放つ。
 それは万人向けのものではないかもしれない。過剰に強烈な個性は、時に大衆を拒絶する。ただ、そのエゴを徹底的に無視することは不可能だ。
 暗闇に鈍く光るウラン鉱石の如く、それは嫌でも目についてしまう。聴き手の意思を問わず、それは認めざるを得ないのだ。

 1988年10月にリリースされた布袋のデビュー・アルバム『Guitarythm』、BOØWYの解散がその年の4月だったのだけど、1987年末に解散宣言をして4か月後の『Last Gigs』で正式解散だったため、実質的な創作活動は87年前半で終了している。9月に発売されたラスト・オリジナル・アルバム『Psychopath』のレコーディング終了と前後する形で、プロジェクトは進行していたのだろう。氷室京介も布袋よりいち早くソロ・デビューしてるしね。
 今も何かと話題に上る解散の原因は、結局のところ本人たちにしかわかり得ないのだけど、よく言われる氷室と布袋との衝突というのはあくまでファクターの一部であって、それが主たる要因ではないことは、ファンの間では広く知られていることである。もともと気心の知れあった仲間たちのサークル活動の延長線上で活動していたわけではないし、かといって冷徹なビジネスライクな関係でもない、微妙なバランスの上で成り立っていたのが、BOØWYというバンドである。氷室の70年代ロックスター的カリスマ性と、グラム~ゴシックを源流としたアングラ性を内に秘めた布袋との相反する個性を繋ぐ、歌謡曲的な下世話なポップ成分を融合したことで、彼らは強烈な求心力を手に入れた。
 日本独特の発展を遂げたビジュアル系ロックの様式美を決定づけたバンドとして、その評価は今も揺るがない。下手に再結成して無様な姿を晒していない分、その普遍性は鮮やかな記憶として残されている。
 
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 80年代のパンク系バンドの系譜に連なる、ニューウェイヴ・ムーヴメントの流れでメジャー・デビューを果たしたBOØWY、レーベルから定義づけられたアーティスト・イメージをなぞるように、初期のサウンドは直情的なハードコア・パンクで統一されている。よく言えばストレートでノリのいいビート主体、悪く言ってしまえば大多数のパンク・バンドとの差別化が図り切れていない、ステレオタイプのサウンドになってしまっている。
 後期はセクシャルな面を強調していた氷室のヴォーカルも、当時のチープなサウンドに合わせるように、テクニカルなニュアンスを封印している。まだスタジオ・ワークも不得手で、時流に乗ることばかり優先した所属事務所の戦略に縛りつけられている以上、オリジナリティを出す手立ては限られていたのだ。
 で、事務所とレコード会社を一新したことを契機として、前述のバックボーンを持つ布袋がサウンド・プロデューサーとして頭角を現すようになる。フロント2人の共通項であるポップなメロディ・ラインと、変幻自在なリズム・セクションとが織りなす唯一無二のBOØWYサウンドは、俺世代を中心とした当時のティーンエイジャーから爆発的な支持を得た。
 ロキノンやミュージック・マガジン界隈では「歌謡ロック」だ「西城秀樹がロックを歌ってる」だと揶揄されていたけど、まだそれほど欧米のロックの知識がない高校生にとっては、彼らの存在=ロックだった。
 ロック・スターに「カリスマ性」という概念を持ち込んだのはDavid Bowieだけど、俺世代のBowieは『Let’s Dance』で「大衆に魂を売った」とされていた頃で、70年代のような絶対的存在ではなくなっていた。80年代後半のロックスター的アイコンは、確実にBOØWYがその座を占めていた。いやいま聴くと『Let’s Dance』、これはこれでいいんだけど。

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 BOØWY時代、ほぼすべてのサウンド・デザインを手掛けていた布袋。もし「暴威」時代のサウンドのまま突き進んで行ったなら、せいぜい「ちょっと見栄えの良いソフト・ハードコア」としてのポジションしか得られなかっただろうし、そうなると後に控える未曽有のバンド・ブームも盛り上がらなかったはずである。キャリアの転換点でうまく立ち回ったことで、彼らは独自のポジションを築くに至った。
 そのBOØWYの功績とは、従来パンクの堅牢かつシンプルなリズム・セクションをベースとしながらも、最新のUKニューウェイヴのエッセンスをアレンジの柱としたことにある。洋楽上級者も一目置いてしまうサウンドをバックに、西城秀樹メソッドを前面に押し出した氷室のヴォーカライズとキャッチーな歌詞。これらがうまく相乗効果を生み出すことによって、広範な大衆性を獲得した。
 解散から四半世紀以上経った現在、BOØWYのポジションは「ビジュアル系の元祖」と位置付けられることが多い。いや確かに間違ってはいないのだけど、彼らと同じステイタスを有するにまで至ったバンドというのは、案外これがいないのだ。
 単純に売り上げだけだと、後のビジュアル系ブームでデビューした連中には遠く及ばない。ラルクだってGLAYだってルナシーだって、累計売上だけ見ればBOØWYの何倍も売れている。でも、言いたいことはそういうことじゃないのだ。
 多分、ビジュアル系バンドの誰もが、「俺たちの方がミリオンセラーを連発してるから、BOØWYに勝った!」とは思っていないだろう。彼らはあくまでBOØWYの背を見てから楽器を手に取ったに過ぎない。考えるより先に、とにかくバンドを組んでギターを弾きたい、フロントで歌ってみたい、と思わせてしまうような、そんな初期衝動を掻き立てるような存在であるだろうか。
 カリスマ性というのは、そういうことだ。
 理屈より先に、体が動いてしまう。そんな気持ちにさせてしまうバンドなんて、そうはいやしない。

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 BOØWY解散が本決まりとなり、ソロになることを決意した布袋が描いていたビジョンは、とにかく自分がフロントに立つことだった。細かなニュアンスは後回しで、まずそこだけ決めてプロジェクトを進行させた。これまでのように、氷室京介というフィルターを通して表現するのではなく、ダイレクトにオーディエンスと向き合うことが、アーティスト布袋寅泰としてのスタートラインだった。
 ブレイク前までは、氷室がフロントであることを前提としてのサウンド・メイキングだった。メロディと声とが引き立つように。実際、そのコンセプト・デザインはバンドにも時代にも、うまい具合にシンクロした。バンドの知名度は上がり、セールスもそれに見合う売り上げとなった。もともとのフィールドだったパンク界隈の連中からは、大衆に魂を売っただの決まり文句が飛び交ったけど、バンドからすれば、ただやりたい事を突き詰めていったら、たまたま大衆のニーズと合致しただけであり、特別媚びを売った結果ではなかった。
 普通なら、ここで確立した必勝パターンをさらに強固なものに仕上げるため、敢えて二番煎じと揶揄されようが、反復してゆくことがビジネス的にも得策だった。だったのだけど。
 次第に布袋のアーティスト・エゴの覚醒が暴走し、メロディとサウンドとの乖離が目につくようになる。スタジオ・ワークの多様性を提示した『Psychopath』は緻密に構成された秀作だったけど、フロント2人のベクトルは見事に別な方向を向いている。パーツひとつひとつの完成度は高いのだけど、それらをひとつにまとめようとすると、どこか歪さが垣間見える。特に布袋のバッキングは、氷室のキャラクターと相反するものになっている瞬間がある。
 思えば、大ブレイクとなった『Beat Emotion』までが彼らの蜜月だったのだと、今にして思う。大衆性とアーティスティックな感性との奇跡的な邂逅、臨界点がこのアルバムだったのだ。
 もはや互いが互いを取り込んでしまい、さりとて相容れる要素はほぼない。
 そのことに気づいた彼らは、解散を決意する。すべては起こるべくして起こってしまったことなのだ。

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 そんな経緯を得て解散を決意した布袋。独りでやっていくことは決めた。次に考えるのは、具体的なサウンド・コンセプトだ。少なくとも、これまでとは別のアプローチが必要になる。
 まず布袋が選んだのは、これまでの手練れのリズム・セクションではなく、ハウス・サウンドから由来する無機質なデジタル・ビートだった。人力による偶然性によるリズムの揺れではなく、丹念にシミュレートされた複合的なリズムから生まれるグルーヴ感こそが、BOØWYとの差別化だった。そのリズムから希求されるサウンドは布袋のビジョンを完全に具現化しており、よって旧来のノウハウは途端に古びたものとなった。そんな新たなサウンドに溶け込ませるため、彼はこれまで多くのギター・キッズをも魅了したBOØWYメソッドのギター・プレイをもガラリと変えてしまった。
 そこまで徹底した「BOØWY以後」に至る布袋の変節が、並々ならぬ覚悟のもとに行なわれたことは、想像に難くない。単なる人力→プログラミングの置き換えではなく、以前とはまるで別のベクトルを持つそのサウンドは、マスに受け入れられることを拒否していた。氷室のソロ・プロジェクトが後期BOØWYの延長線上にあった分、同路線を歩むわけには行かなかった事情もあるのだろうけど、明快なシングル・ヒットや大衆性をことごとく排除した布袋の路線はリスキーなものだった。

 もともとUKサウンドを基調としていた布袋、最先端のデジタル・ビートとロック・ギターの融合はあまりに新機軸であったため、当時、きちんとした評価が為されていたかといえば、それはちょっと疑問。正直、BOØWYの余波でミリオンまで到達した感が強い。逆に言えば、ヒット要素を内包したサウンドではない。その感触はザラッとして親しみやすいものではない。
 まだ本格的なヴォーカル・トレーニングを行なっていなかったヴォーカルは、決してテクニカルなものではない。いち早くソロ・デビューを果たした氷室と比べると、その差は歴然としている。日本語で歌うことが気恥ずかしかったこともあって、布袋はこのアルバムでは全編英語で通している。当然、意味合いは伝わりずらくなり、売れ線からはさらに遠ざかる。
 ナチュラルでシャウト気味になるその声質から、細かなニュアンスを表現できるタイプではない。そのスタイルは朴訥で、しかもぶっきらぼうだ。これもまた、ビギナーを遠ざける要因となっている。なんだ、優しいところがほとんどないや。
 ただ、このサウンドに流麗なヴォーカルは合わない。「氷室以外」イコール「布袋自身」が歌うことを前提に組み立てられたサウンドは、ある意味、きちんとリンクしている。バンド末期の乖離具合とは違い、すべてのピースがうまく組み合わさっている。
 共同制作者として、ホッピー神山と藤井丈司の名がクレジットされているけど、彼らはプログラミングなどのテクニカル面のサポートを行なっただけで、キャラクターが強く出ていることはない。なので、ほぼ100パーセント布袋寅泰によって構築された音で埋められている。その濃密さに触れると、誰もが「スゲェ」とうなってしまう。
 だから、「問答無用」なのだ。

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 デビュー・アルバムとは、その後の方向性を占うショーケース的なものと言われている。今後示す方向性は、すべてこのアルバムの中に入っている。
 ソロ・デビューから30年近く経過し、時々思い出したように『Guitarhythm』シリーズは続いているけど、正直、これ以上のクオリティのアルバムを、布袋はいまだ作れずにいる。もちろん、経験に基づく熟練度・完成度は年を経ることに高まっている。
 ここで得たノウハウを基にして、90年代に入ってからの布袋はシングル・ヒットを狙ったキャッチー路線にシフトしてゆく。どの曲もいまだ多くのファンに愛されており、当然レベルは高い。セールスだってBOØWY時代を凌駕している。
 でもしかし。
 ここで提示された新たなサウンドの萌芽の落とし前、凛とした切実さは出ていない。
 いつかは生まれるのだろうか。


GUITARHYTHM
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布袋寅泰
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1. LEGEND OF FUTURE
 重厚なストリングスを基調としたアルバムのファンファーレ。当時、こんな構成のアルバムを作る邦楽アーティストは皆無だった。アルバムというものがヒット曲の寄せ集めではなく、入念に練り上げられたコンセプトに基づく組曲であることを改めて気づかせてくれた。当時の布袋の美学が顕在化している。

2. C'MON EVERYBODY
  いにしえのロックンローラーEddie Cochran、1958年のヒット・ナンバー。デモ・テープはこの曲からすたーとした、ということなので、もう随分昔から温め続けていたアイディアだったのだろう。
 過去の遺産と未来の可能性とのハイブリットは、このアルバム最大のハイライト。チープなデジタル・ビートとロックンロール・マナーに基づくギター・プレイ。ほぼ思い付きの産物を初期衝動の勢いのまま、うまく真空パックして普遍性を持たせてしまった奇跡のトラック。オリジナルを凌駕してしまうというのは稀有なことだけど、それを実現してしまったレア・ケース。



3. GLORIOUS DAYS
 前曲から続く、ややキャッチーめの疾走感あふれるナンバー。ロックンロール・クラシックをそのまんま未来へスライドすると、こんな風な仕上がりになってしまう見本。スタイルとしてはデジタルなBOØWYといった趣きだけど、やはりこれは氷室より布袋のヴォーカルの方がフィットしている。

4. MATERIALS
 本人曰く、ややへヴィ・メタル・タッチに仕上げたギターの音色は、タイトル通り無機質な響き。これはCMでもよく流れていたので、馴染みが深い人も多いはず。結構アバンギャルドな質感だけど、根本はすごくシンプルなロックンロール。やっぱり未来志向のロックンロールだよな、これって。
 いびつなエフェクトをこれでもかとぶち込んでくる、ホッピー神山の技が光るトラック。

5. DANCING WITH THE MOONLIGHT
 イギリスのみでほんの一瞬リリースされた、このアルバム唯一のシングル・カット。とは言っても速攻廃盤になってしまったので、チャートインすることもなく、幻のシングルとして名高い。
 ヴォーカル以外は完全にUK仕様、ほんと世界進出を視野に入れていたことが想像できるナンバー。キャッチーさと先進性を融合させたのはいいけど、こういうのって結局、現地でのプロモーション体制が大きいんだろうな。もし本気でUKでブレイクするのなら、移住してどっしり腰を据えて長いスパンで活動しないと、本腰入れてくれないんだろうし。
 男臭いPet Shop Boys的な打ち込みサウンドは、キッチュさが強くいま聴いても新鮮。



6. WIND BLOWS INSIDE OF EYES
 ベルリン3部作期のBowieを彷彿とさせる、ほぼドイツ語のポエトリー・リーディングで埋め尽くされた実験的なナンバー。リーディング担当はドイツ出身の友人によるもの。ギターもほとんど聴こえないし、曲の配置から言って、幕間的な要素が強い。

7. WAITING FOR YOU
 このアルバムの中ではギミックも少なめの、ストレートなロックンロール。前述のEddie Cochranに代表される、いわゆるレジェンド枠のロックンローラーが世紀末に最新機材でレコーディングしたら…、というシミュレートのもと、布袋は普遍的なロックンロールを創り上げた。考えてみれば、当時だってエレキ・ギターは最先端のアイテムだったのだから、こういった方法論は正しい。

8. STRANGE VOICE
 ニューウェイヴを通過した肉体による、ロックンロール・リバイバル。UKエレポップさえも取り込んだ「何でもアリ」感は、ロックの歴史が凝縮されている。上澄みの余分な脂を丁寧に掬い取った、ピュアな形のモダン・スタイルが残った。

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9. CLIMB
 疾走感あふれるロックンロールは耳ざわりが良いのだけど、これってBOØWYの進化形だよな、要するに。氷室が歌っても良かったんじゃね?と思ってしまう。ていうか氷室のキーの方が合ってる。間奏のインダストリアルな展開、そこから続くフリーキーなギター・ソロは好きだけど。

10. GUITARHYTHM
 後に『Kill Bill』によって世界的に有名になった『新・仁義なき戦い』テーマ曲「Battle Without Honor or Humanity」がリリースされるまでは、これが布袋の代名詞的な楽曲だった。印象的なイントロのリフ、アクティヴなダンス・ビートを導入したリズム・トラック、縦横無尽に飛び交うギター・プレイ。2.と並び、布袋がやりたかったことのすべてが詰まっている。
 ロックンロールとはカッコよくあらねばならない、ということを体現した傑作。

11. A DAY IN AUTUMN
 エピローグ的なストリングスは感傷的に、ドラマティックな大団円を演出する。
 これ以前も、そしてこれ以降もない、歌詞から作り始められた楽曲のため、布袋の度の楽曲とも似ていない。荘厳なオーケストラをバックにすることを前提に書き上げられたスコアは、これまで影響を受けてきたアーティスト・音楽たちのエッセンスが詰まっている。



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