folder 1986年リリース、80年代UKの正義の象徴のひとつだった良心的レーベル、ラフ・トレードからの2枚目。
 この時期のインディペンデントのギター・バンド全般に言えることだけど、彼らのリリース・スケジュールはシングル中心で展開していたため、日本での音源の入手は困難を極めた。これは北海道の片田舎だけに限った話じゃないけど、地方でもちょっと大きめのレコード店ならアルバムくらいはどうにか探せたものの、ただでさえ入荷の少ないシングルに至っては、想像で埋め合わせるしかなかった。
 俺の場合、ちょっと足を延ばせば札幌までは行けたけど、大して裕福でもない高校生にとって、ほんの2~3曲程度しか収録されていない12インチ・シングルに予算を割けるはずもなかった。第一、当時のタワレコなんて小ぢんまりした雑居ビルの2Fワンフロア、ジャズやクラシックも一緒くただったので、イギリスのマイナー・ギター・バンドを揃えるスペースもなかったし。
 いま思えば、New Orderのようなカルト・バンドがアイドル並みのペースでシングルを切り、そしてそのミックス違い・ヴァージョン違いが増殖して大量の12インチが限定プレスされ、そんな入手困難な状況をフォローするかのように、B面のみ収録曲やライブ・テイクなどを丹念に拾い上げたコンピレーション・アルバムが編集され、しかもそれがオリジナル・アルバム並みに売れていた時代。
 今と比べると恐ろしく情報源が限られ、気軽に試聴もままならなかった時代。不便なことも多かったけど、誰もがみな、当時はそれが当然と思っていたので、さして不満も感じなかった。聴けない音は雑誌のレビューを行間まで舐めるように読みつくしながら想像したものだし、その書き手側にも、その音から得た感動をどうにかして伝えたい熱気が封じ込められていた。

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 そんなロキノン信者にとっては「神」のSmiths、Morrisseyの箱庭的自我と、扇動的な歌詞とは対照的に、純音楽主義的なスタンスを崩さなかった演奏陣との方向性とが合致したのがこの時期。2枚目の『Meat is Murder』と並んで代表作と捉えられており、セールス的にもUK2位US70位まで上昇した。
 彼らのような反コマーシャリズムを体現したオルタナ系サウンドが、英米両方で商業的に成功するというのは、今を持ってまれである。特に本国イギリスにおいては彼ら、すでにシングル・チャートの常連として堂々と振る舞っており、引きこもった若者だけの音楽ではないという証明にもなっている。
 「女王を殺せ」なんて不謹慎な表題の楽曲が、幅広い年齢層をターゲットとした音楽がチャートで上位に入ってしまうのは、日本では当然ありえないことだし、そもそも音楽だけじゃなく、社会情勢的に陰鬱としたムードが蔓延していたんだな、という時事風俗的な視点で見ることもできる。サッチャー政権と人頭税の悪政については、俺も何となくは理解していたし。
 ちなみに2013年、NMEが発表した歴代ランキング「The 500 Greatest Albums of All Time」 では、堂々の1位に輝いている。リリースから四半世紀を過ぎた未だもって、そのインパクトは失われていないのだ。
 こういったところにElton JohnやQueenがランキング上位に入ってこないところが、さすがNME、英国版ロキノン面目躍如といったところ。むしろ、今のロキノンの方が屈折度合が少ない分、英国人のねじ曲がり具合が引き立っている。何しろBowieで最も上位なのが、『Ziggy Stardust』でも『Low』でも『Heroes』でもなく、『Hunky Dory』というぐらいだから、ほんと「らしい」ランクづけになっている。5位にVelvet Underground?これって、完全に選者の趣味だろ。

square+salford+logo

 これまで他のレビューでも、「英国人は偏屈だ屈折してる性格が悪い陰湿だ」とさんざん書いてきたけど、実際のところ、近しい知り合いに英国人がいるわけではない。かつて英国人に悪徳の限りを尽くされたとか凌辱されたとか、そういったこともない。ただ単に、俺の好きな英国人アーティストにそういった特性が強いだけなのかもしれない。何ごとも先入観だけで判断してはいけないのだ。
 じゃあ、平均的な英国人とは一体どのような特性を持つのか-。
 それを改めてネットや本で調べてみたところ、何となくわかったこと、だいたい共通してることが2点。
 ひとつは、往々にしてプライドが高いという点。自意識過剰とまではいかないけど、英国人であることに愛憎混じった自尊心が高く、特に同じ英語圏であるアメリカへの対抗心が強い。歴史的に見れば、アメリカ=属国という意識が強いのか、何かにつけ格下に見てる感が強い。特に言語においてはそれが顕著で、例えば「Soccer」じゃなくって「Football」だっ、といった具合。あぁめんどくさい。どっちでもいいじゃん。
 もうひとつは、会話並びに感情表現の湾曲具合。イギリスに限らず歴史の長い国にありがちだけど、ストレートな表現を好まず、わかりづらい形でワンクッション置いたり、美辞麗句を超えて過剰な修飾語が多かったり、はたまた反語が多かったりなど、いちいち裏を読まないと真意がわからない表現が良しとされている。めんどクセェ。
 ここまで書いて気づいたのだけど、この習性はそのまんま日本の京都人に当てはまることに気づいた。あそこもよそ者から見れば何かとめんどくさいよね。

 なので、平均的な英国人の資質として捉えれば、Morrisseyの言動というのは決して突飛なものではない。古典文学を愛し伝統的な習慣を愛し、古き良き大英帝国の伝統に則った生活を送る、ごく普通の英国人である。
 王室や政治に対しての痛烈な批判や皮肉も、彼以外の英国人なら普通に共感できる範囲の主張である。ただそれがちょっと極端すぎるだけだ。
 Smithsというバンド名の由来として、イギリスでごく在りきたりの苗字から取られた、という説がある。日本で言えば、「山田さん」や「鈴木さん」といったところ。
 「ごく普通の男がごく普通の英国的日常を歌う」というのが、MorrisseyとJohnny Marrが当初描いていたコンセプトだった。だったのだけど、そのコンセプトの視点が超個人的な範囲に絞られ、ほぼMorrisseyの主観で埋め尽くされたことによって、Smithsの世界観=あらゆる対象への憎悪、という図式で固定された。それとMarr、自分で誘ったはいいけど、まさかこんなヘロヘロなヴォーカルだとは思ってなかったんだろうな。全然ロックの図式に当てはまる歌唱じゃないし。
 ここで確立された図式は当初から揺らぐことなく、解散に至るまで、その矛先は鈍ることはなかった。解散から四半世紀、Morrisseyの斜め上な視点はまったく揺るがない。その頑固さは、ある意味賞賛に値する。

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 いまはすっかりフェス屋になっちゃったロキノンだけど、80年代は意識高い系洋楽ロック・リスナー御用達の雑誌だった。あれ、それじゃ今と変わんないか。
 当時のポジションで言えば、「ミュージック・ライフ」ほどミーハーではなく、「ミュージック・マガジン」ほどアカデミックっぽくもない、スクール・カーストで例えると中の下くらい、公立高校の帰宅部連中にアピールする雑誌だった。なんだ、俺のことか。
 「ヤング・ギター」読者のように楽器に目覚めるのでもなく、さりとて「フールズ・メイト」読者のように外界から孤立するわけでもない、中庸でありながらどこか優位性を求めてしまう者が手に取るのが、ロキノンという雑誌だった。うん、まるっきり俺のことだ。

 かつてロックを演奏する、バンドを組むというのは能動的な行為だった。
 「女の子にもてたいから」「社会に対して警笛を鳴らすために歌いたい」、はたまた「単に騒ぎたいから」、人それぞれ理由はあるけど、SmithsやCureを筆頭とした80年代ロキノン系アーティスト、彼らの登場によって、社会性や恋愛だけでなく、もっと個人的、内省的なコンプレックスを発露としたロックが台頭しつつあったのが、この時代。Rick AstleyやPaula Abdulだけじゃない、傷口に塩を塗りこめる音楽が大衆性を得るようになったのだ。
 さらにSmiths、大方のゴシック系インディー・バンドとは一線を画すように、極めて普通の出で立ちでパフォーマンスを行なっていた。奇をてらったコスチュームに身を包むこともなければ、一際派手なステージ・アクションをぶち上げるわけでもない。履き古したジーンズと花柄のシャツに身を包んだ神経質な大男は、後ろポケットにグラジオラスの花束を挿しながら、狭いステージをクルクル回り、稚拙ながらも様々な種類の呪詛を説いた。
 バックを支えるメンバーらも、ごく普通の労働者階級定番のワーク・シャツかTシャツ姿、地味ながらも堅実な演奏に集中し、それでいてトップ40常連にも比肩するポップなメロディを奏でた。
 一介の泡沫ギターバンドでは終わらない、邪悪なエッセンスを放つMorrisseyという異物。これまでのロックの文脈からは大きく外れる存在でありながら、確実に英国ロック史に深い爪痕を残した。その爪痕はいまだ残っている。

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 70年代の残党がパンクの誕生によって一旦沈静化したけど、その新勢力が一過性のもので終わってしまったため、新陳代謝が進まずに自家中毒を起こしつつあったのが、80年代欧米の音楽シーンである。旧来の体育会系/運命共同体的な幻想が疲弊し、インドア的な文化系タイプ、放課後直帰の帰宅部系の連中が楽器を手に取るようになった。
 アメリカで代表的なのが初期のREM。陰鬱さを助長するダウナーなネオサイケ・サウンド、意味性を拒否するようにくぐもったヴォーカルは、カレッジ・チャートにおいて熱狂的に迎え入れられた。
 イギリスにおいても、前述のCureが先陣を切って、アメリカよりも湿度の高いゴシック/オルタナ・サウンドを、さらにダークかつヘヴィに展開していた。
  拳を振り上げるだけがロックじゃない。
ポジティブなハッピー・エンドだけじゃないカタルシスの方向もあることを、身をもって体現していたのが、この時期のロキノン系アーティストである。Jesus and Mary Chain もそうだったけど、救いのないネガティヴ・パワー全開の楽曲が、チャラいポップ・ソングより格上だと思われていた時代だったのだ。まぁ、それは今もあまり変わんないけど。


Queen Is Dead
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Smiths
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1. The Queen Is Dead
 暴力的に美しい6分間。60年代のイギリス映画からサンプリングされた団欒を思わせるオープニング、それを打ち砕くようなMike Joyceのドラム・ロール。Marr曰く、Stoogesへのリスペクトを露わにした激しいギター。「女王は死んだんだ!」と朗々とか細い声でわめくMorrissey。その礫は当時皇太子だったCharlesにも及ぶ。
 バンドの性質上、歌詞ばかりが先行して語られているけど、普遍的なポップ・ソングとしても風化せずに残るサウンドは、もっと評価されてもいい。こうして聴いていると、英国人ってほんと古典的なブギが好きなんだな、と改めて思う。こういった点は伝統的だよな。
 ラスト、「Life is very long, when you're lonely~」に被さるように奏でられる、ハープシコード・タッチのシンセに、凡庸なガレージ・ロックで終わらせない気概が感ぜられる。
 シングルとしてはリリースされていないのだけど、リード・トラックとして、PVは作られた。監督はカルト映画監督として名高かったDerek Jarman。その独特かつ耽美的な映像センスは様々な方面にパクられた。よく見たよね、このタッチのPV。



2. Frankly, Mr. Shankly
 
 「はっきり申し上げます ミスター・シャンクリー
 お陰様で僕が任せてもらってる仕事ですけども
 食べるには困らないんですがね魂が腐りそうで
 辞めようと思ってるんですが引き止めやしませんね
 僕は音楽史にでも名前を残そうかと思ってるんです」

 ラフ・トレードのオーナーGeoff Travisへの揶揄を歌うMorrissey。一応加盟を使っているとはいえ、公衆の面前で社長を小バカにするのは、いくら英国人でも腰が引けてしまうんじゃないか、と思ってしまうけど、1.で国のトップをコケにしてるくらいだから、怖いものなんかないか。
 どちらかといえばコミカルな曲調、パブの幕間で歌われるようなシンプルなサウンドのため、どこかバンド自体も楽しそう。息抜きも必要だわな。

3. I Know It's Over
 「聴いていると、スピーカーからそっと手を差し伸べてくれそうな曲」部門で1位に輝いたという、まぁ言い得て妙的なバラード。

 「ああ母さん、僕の頭の上に土が降ってくるんだ
 それは、空のベッドに潜り込むとき・・・
 これでもう察して欲しい
 終わったんだと分かってる でもまだ僕はしがみついてる
 だって他にどこに行けばいいんだ」

 思いつめた表情で高層ビルの屋上に佇む者の背中をそっと押してあげる曲、とは俺の命名。

 「笑うのはたやすい
 憎むのもたやすい
 でも、優しく穏やかであるには強さが必要だ
 常に、いつ何時も」

 どこかに希望を持っていたいのだけど、そんなものはどこにもない。自分の中にあることはわかっているのに。でも、それは決して手をつけることはできないのだ。

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4. Never Had No One Ever
 学生時代は同じようにイケてない2人だったけど、すっかり一人前の大人になった友人に比べ、まともな職に就いたこともない自分。恋人も友人もいらないけど、君の車の後部座席にいることができれば、僕は幸せさ。
 長い年月を経て、何があって何が足りなかったのか。古いタイプの短編小説的な歌詞を淡々と紡ぐMorrissey。バンドはオーソドックスなギターバンド・スタイル。
 彼らのレパートリーの中では埋もれてしまいがちだけど、楽曲としてはきちんとまとまっている。だからアクが弱いのか。

5. Cemetry Gates
 アコギから始まるオープニングと言い、レコードで言えばB面収録7.と近いアプローチの牧歌的なナンバー。曲調だけ見ればのどかなムードの穏やかなムードだけど、内容は辛辣。以前書いた歌詞が古典文学からの引用だと指摘した評論家への痛烈な皮肉になっている。

 君はいう
 「太陽が夜明けの空に挨拶を三度する前に」
 君自身の言葉だって言い張るけど
 僕は読書家なんだよ
 それなら百回も聞いたことがある
 (もしかしたら実際はそれよりちょっと少なかったかもしれないし、
 多かったかもしれないけど)
 散文や詩を書くのなら
 自分自身の言葉を使わなけりゃ駄目だ
 どこかから拝借したり盗んだりしては駄目だ

 言われてみれば確かにその通り、完全にオリジナルを創り上げるアーティストなど、そうはいない。ほとんどすべては過去の引用とサジ加減によるもので、それをさも得意気に揚げ足を取るのは大人げない。それを真に受けて、わざわざそいつ1人を皮肉るためにこんな曲を書いてしまうMorrisseyもMorrisseyだけど。
 あ、それもまたいいのか。どっちも英国人だし。

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6. Bigmouth Strikes Again
 このアルバムもうひとつのキラー・チューンであり、実質Smithsの最終作だったライブ・アルバム『Rank』の最後を飾ったロック・チューン。この曲で彼らの歴史は終わりを遂げたのだった。シングル最高26位はちょっと不発だったけど、でも確実に80年代UKインディー・ロックファンの道標となった。普通にカッコいいんだもの。
 Mike Joyce曰く、「タイトルが素晴らしい」とのこと。もうこれだけで、この曲の魅力をすべて言い表している。
 
「僕なんか、人間の仲間入りすらさせてもらう資格もないんだ」
 
 キャリアのピークにありながら、ここまで自虐的なフレーズを口にしてしまうMorrissey、そしてそれを許してしまうMarr。
 他者への強烈な口撃の勢いを緩めず、やたらめったら鉄槌を振りかざす大男。しかし最後に振り下ろすのは凡庸な自分の頭だ。



7. The Boy with the Thorn in His Side
 UK最高23位にランクインしたネオアコ・テイストの軽快なポップ・ナンバー。微妙に違訳の邦題「心に茨を持つ少年」は、当時のSmithsの中二病的な少年性をうまく言い表している。
 
 腹にトゲを抱えた少年
 憎しみの裏にあるのは
 殺意すら感じてしまうほどの愛への渇望

 屈折した愛情表現は、表に出せる相手もなく、ただ忘却の彼方に消えゆく。
 Morrisseyが本当に愛するのは、当時の分身だったJohnny Marrだったのかもしれないけど、多分察してはいたんだろうけど、うまくかわしてたんだろうな、きっと。
 ちなみにシングルのジャケットの写真は、作家Truman Capote。なんでこんな写真持ってんだ、と思ったけど、この人もなかなか奇矯な人だった。今で言うパーリーピーポーのハシリだから、こんなショットもあるのだろう。



8. Vicar in a Tutu
 「チュチュを着た牧師」を主題とした、インチキ・カントリーソング。Morrisseyのヴォーカルは相変わらずのヘロヘロなので、悪意あるパロディにさえ聴こえてしまう。歌詞の内容も小噺的な取るに足らないものなので、まぁ余興的なもの。
 なのだけど、この曲は突然、スパッと終わる。そのエンディングの潔さはSmithsの生真面目なスタンスを感じさせる。

9. There Is a Light That Never Goes Out
 シングルにはなってないけど、こちらもリリース当時から何かと物議を醸したキラー・チューンのひとつ。しかしひとつのアルバムにこれだけ必殺ソングがあるのだから、Smiths恐るべし。彼らの曲を聴くと、なぜかしら友人と語りたくなってしまいたくなるのだけれど、Smithsについて語れる友人というのはあまりいない。パーティでみんなで盛り上がるタッチのアーティストじゃないしね。どれだけ人気があろうとも、Smithsを聴く時はみな独りだ。
 
 「たとえ二階建てバスに
 突っ込まれても
 あなたの隣で死ねるなら
 なんて神聖な死に方だろう」

 この辺がよく取り上げられるのだけど、これと対を成すように、肝心なのは次の一節。

 「今夜 僕を連れ出して
 どこへ連れて行かれても構わない
 構わないから 構わないから」

 この上から目線振り、実は恋の対象からは相当軽んじられていることがわかってしまう。その物悲しさは、もはや様式美に昇華する。



10. Some Girls Are Bigger Than Others
 ラストはポップな正統ネオアコ。サウンドとしては、これが一番完成されていると思う。ラストに持ってくるには相応しい。だけど、他の曲がアクが強い分だけ、小さくまとまり過ぎてる部分は否めない。二流のギター・バンドなら、確実にアルバムの柱となる曲なのだけど、あいにくここでは埋もれてしまっている。
 Marr自身も気に入ってるのがわかる、演奏陣主導で作られたグルーヴ・チューン。




 ホントはJohnny Marrについても言いたいことはいっぱいあるのだけれど、取りとめなく長くなっちゃったので、それはまた次回。



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