Freddie Mercury 『The Great Pretender』

The_Great_Pretender_Single_1987 1987年のQueenは、結果的にオリメンでは最後となった『Magic』ツアーを終え、各自ソロ活動を行なっていた頃。アルバム未収録曲で、何のタイアップもないのにもかかわらず、UK最高4位に入ったのは、純粋なアーティスト・パワーの力、また英国人のFreddie愛の賜物。
 今もそうだけど、通常、シングルはアルバム制作中のリサーチとして、または完パケ後に前評判を煽るために景気づけにリリースされるものであり、単体企画でリリースされるケースはあまりない。Freddieはこの前後、初ソロ・アルバム『Mr. Bad Guy』とMontserrat Caballéとのコラボによるオペラ・アルバム『Barcelona』をリリースしているのだけど、この2つとの関わりはまったくない。ていうか、このシングルだけ、ディスコグラフィーの中ではポッと浮いている。
 もしかすると、この時期にソロ・アルバムを計画していて、実際に制作作業に入っていたのかもしれないけど、結局、この時期のアイテムがリリースされることはなかった。ほぼ定期的にアーカイブの整理作業が行なわれているにもかかわらず、発掘される気配もなさそうなので、ほんとにタマがないのだろう。
 シングル以外、ほんとに出来が悪かったのか、それとも単なる好奇心か。-多分、まとまったセッションを行なえるほどの気力・体力が失われていたのだろう。もはや時間は残されていなかった。

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 そんなことを杞憂だと思わせてしまう、まったく体力的な不安など感じさせないのが、この曲、ていうかPV。
 これを見ると、我々日本人がFreddieの何を知っていたのか、何たるかをきちんと理解していなかったことを思い知らされる。伝説として昇華し、いつの間にか聖人化されている空気があるけど、そんなもんじゃない。彼の本質はただの「過剰な自分好き」だ。
 とにかくあふれ返るほどの自意識、そしてむせ返るほどのナルシシズム、それでいて自分をきちんと対象化、つい笑っちゃえるように第三者化できるクレバーな視点。歌うのはFreddie自身だけど、コーラスも自分、寸劇のモブ出演も自分、とにかく自分で埋め尽くされている。
 「異常」の進化形を「過剰」であるとすると、この曲が最も最適なケーススタディ。ここまで過剰さが極まると、その濃密さは却って清々しくさえあり、関西のオバチャンの如く強烈な自意識とサービス精神は、聴く者・見る者の心を鷲掴みにする。
 -Freddieと同じ時代を生きてよかった、と我々世代は誇りに思い、若い世代は、リアルタイムで彼に出会えなかったことを悔やむだろう。オリジナルはPlattersの1955年のスマッシュ・ヒットだけど、正直、ちゃんと聴いたのは今回調べてみたのが初めて。それくらい、オリジナルを完全に凌駕した稀有なケース。


 
 -そうさ、俺は大嘘つきさ。
 もっと、騙して欲しかった。
 もっと、いろんな胡散臭さを見せて欲しかった。


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Mick Jagger 「Lonely at the Top」

img_0 Mick Taylorが抜けた後のStonesで行なわれた後任探しのオーディションが、かの有名なGreat Guitarist Hunt。次回作『Black and Blue』のレコーディングを兼ねて長期に行なわれ、有名無名を問わずかなりのミュージシャンがセッションに参加してのだけど、大よそはRon Woodに内定しており、当時、彼が加入していたFacesと契約問題がクリアになるまで行なわれた出来レースだった、というのが最近の定説。
 有名どころでは、Rory Gallagher や Peter Frampton、Steve Marriott が参加したらしいけど、こういうのって、当時からマーケティングに長けていたMickお得意のハッタリくさいので、どうもいまいち信用しづらい。いろいろ手段を講じ過ぎてグダグダになってしまうのは、それだけStonesという企業体が個人の手には負えなくなっていた、という証でもある。
 で、公式音源は残されていないけど、そこに参戦していたのがJeff Beck。彼独特のプレイ・スタイルからして、どうしたってKeithとは相性悪そうだし、これこそいかにも眉唾っぽい感じもあるけど、Jeff自身、それがオーディションだったかどうかは定かではないけど、レコーディング・セッションには参加した、と証言している。
 当時のStonesのレコーディングと言えば、とにかく延々とテープを回しっぱなしにして、KeithとCharlieを主軸としたブルース・セッションが有名だけど、これがまたスケール主体のエンドレス、レイドバックより緩慢とした冗長なプレイが中心だった。当時、『Blow by Blow』でギター・インストに新たな可能性を模索していたJeffが我慢できるはずもなく、オーディションは物別れに終わった。どうせRonに決まってたんだろうけどね。

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 ただ、そんな彼のプレイ、ていうかKeithじゃなくて名前がそこそこ知られてるんだったら、誰でもよかったんじゃないか、と思ってしまうキャスティングをしたのが、初ソロ・アルバムを制作中だったMick Jagger。新規にソロ契約を結んで初のアルバムということで気合いも並々ならぬものがあり、今では考えられないほどの豪華メンツが参加している。このトラックでもそのJeffのほか、Pete TownshendやHerbie Hancockがプレイしている。ただ、その2人のプレイは正直、どこでどうやってるのかわからないくらいだけど。
 当時、Keithとは最悪の関係だったMick、Jeff 同様、ダラダラ続いて終わりの見えないレコーディング・セッションに嫌気がさし、もっと80年代らしくシステマティックに、ていうか自分主導で制作進行したかったことを、アルバム全体で強く打ち出している。プロダクションはしっかり整備され、ある意味Stonesの持ち味だったダルでルーズな雰囲気は一掃されている。なので、どのトラックもスッキリした音質・サウンドでまとめられている。
 「聴きやすいStones」というのもどこか相反する気がするけど、これがMickにとっての理想形であったということなのだろう。「Keith主導じゃ作れなかったよな?」とでも言いたげなMickの不適な笑みが思い浮かぶ。
 で、この時期のJeffのプレイはといえば、ピック弾きをやめてフィンガー・ピッキングに移行しており、昔からその傾向はあったけど、楽譜には書き起こせない変態プレイにさらに磨きがかかっていた頃である。普通のブルース・スケールのオブリガードなのに、弦のアタック音がまろやか過ぎて、どこか変な響き。ハーモニクスとも微妙に違う、独特のサウンドはJeffならではのものだけど、人のセッションでやることじゃないだろ。


 
 「もしもKeithがいなかったら」という前提で構築された80年代コンテンポラリーの中で、どこか浮いてるJeffの音。これがMickの思惑通りの仕上がりだったのかどうかは不明だけど、その後、Mickのこういったアプローチは聴かれないし、初来日公演にも同行しなかったので、結果的には「やっちまった」感が強い。
 ただ、楽曲自体はKeithとの共作のため、レベルは高い。ていうか、なんでStonesでリリースしなかったの?と思ってしまうくらい、テンションの高いナンバー。それだけ当時の彼らのソングライティングが冴え渡っていた証でもある。


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Julian Cope 『World Shut Your Mouth』

Julian_Cope_-_World_Shut_Your_Mouth 80年代初頭のポスト・ロック・ムーヴメントでバンド・デビュー、その後、ソロになってからはUKネオ・サイケの流れを汲んだアルバムを発表した。80年代末くらいまではライブも積極的に行なわれ、インフォメーションも定期的に更新されていたのだけど、90年代に入ってからはインディーでのリリースが中心となり、情報も途絶えてしまった。
 Wikiのディスコグラフィーを見ると、21世紀に入ってからもコンスタントに音源リリースは続いており、ちゃんと音楽活動は行なわれているようである。近年の写真を見ると、「何かすごい遠くへ行っちゃったなぁ」感が強いのだけど、創作意欲が旺盛であることに変わりはないようである。ただ、頑固そうなオヤジになっちゃったな。もう少し色気があれば、Iggy Popみたいになれたかもしれないのに、
 日本では久しく名前が挙がることもなかったのだけど、近年になって彼が注目を浴びたのが、本業の音楽活動ではなく、著述家・研究家として。
 なぜか日本のロックの創生期を詳細に調べつくし、主観も含めて克明に書き記した大著『ジャップ・ロック・サンプラー』が、主な舞台であるはずの日本において、あまり大きく話題にならなかったのは寂しいことである。こういった検証作業というのは本来、日本人のお家芸であるはずなのだけど、いまの日本の音楽業界では、そこへリソースを回せるだけの余力はないのだろう。

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 様々な音楽的な変遷はあったJulianだけど、そんな彼が最もオーソドックスな、そしてコンテンポラリーなロックに近づいたのが、この時期。 
 デビュー・アルバムのタイトルと混同しがちだけど、収録されているのは3枚目のアルバム『Saint Julian』。あぁややこしや。しっかりビルドアップされ、ストレートなロックンロールでありながら、丁寧にミックスされたサウンドは分離が良くて、しかもまとまりもきちんとある。時代に即したロックンロールは、大衆の支持を得やすい。実際、UK19位はまぁまぁとして、USでも84位にチャートインしている。カレッジ・チャートでも支持されるライトなオルタナが、Julianの方向性と一致していた幸福な時期である。
 音源だけでも充分心掴まれるけど、ホントにお勧めなのは、当時、話題となったPV、特徴的なマイク・スタンドを駆使したパフォーマンスは、単純にロックのカッコよさを体現したものだった。
 混じりっけのないピュアで、それでいて破壊的な美の追求を体現した、ただの潔いロックンロール-。


 
 これを視ると、そんなことを想う46歳。


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Marty Balin「Hearts」
 
41CRcfyVkSL 1981年リリース、Jefferson Airplane の創設メンバー & ヴォーカリストとして活躍、その後もJefferson Starshipに出たり入ったりを繰り返し、今はStarshipなのかAirplaneなのか、何だかよくわからない活動を続けているMarty。FunkadelicとPerliament同様、まぁどっちも似たようなものなのだけど、どちらにしろ、地道な活動を続けているのはうれしいこと。
 そんな彼が一時、ソロ・アーティストとして、ほぼ唯一放ったヒットというのが、これ。US最高8位、日本でもステレオのCMソングとして起用され、小学生の俺が好きになった洋楽のひとつである。
 この時期にヒットしていたChristopher Cross同様、当時はAORサウンドの全盛期、単純にきれいなメロディのきれいな曲が、普通にヒットしていた時代である。Scatman Johnや‎tATuのような「ネタ」で売れるのではなく、いい曲が素直にラジオから流れていた。当時のヒット曲は洋楽・邦楽問わず、メロディ・ラインがしっかりしたものがきちんと評価されて、セールスに直結していた。大々的なプロモーション展開やマーケティング戦略なんて大げさなものではなく、もっとミニマムな、有線や口コミ、ラジオの評判で徐々に広がってゆく、健全な時代だったのだろう。自分で言うのもなんだけど、なんかイヤな書きかただなぁ、懐古厨みたいで。


 
 当時は「売れ線を意識し過ぎている」として、あまり検証もされて来なかったAORも、21世紀に入ってからは専門ディスク・ガイドや「Free Soul」の影響などで再注目されるようになっている。世界中で80年代懐古ブームというのは連綿と続いているけれど、特に日本での盛り上がりは安定しているらしく、かなりマイナーなクラスのアーティストのリイシューも進んでいる。こういったチマチマしたのって、やっぱり日本ならではの企画。残念ながら、前述したJulian Copeのように、体系的に太い幹のような総論をまとめることには向かないのだけど。
 で、そのAORというのも玉石混合であり、単にブームに乗っかっただけの泡沫アーティストでは、再評価も進んでいない。例えばAir Supplyなんてのは、確かに流麗なサウンドだったけど、ほんとそれだけ、何も残らない。いや、俺の主観だけど。同時期に流行っていたはずだし、多分、ヒット曲も連発していたはずなのだけど、どうしてか耳に残っていない。
 Martyもそうだけど、同時代・同カテゴリーのMichael Sembello だって、もとはStevie Wonderを始めとして、大物アーティストのバッキングを務めていた人だし、Boz Scaggs だって、ソロ・デビューは60年代半ば、結構な下積みを経験している。ひらめきだけではどうにもならない、泥臭い経験値というものが必要なのだ。
 特にAOR=Adult-Oriented Rockという言葉の由来にもあるように、歳月を経て地道に積み重ねた大人の味がにじみ出て来ないと、時代のあだ花としてだけの存在になってしまう。

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 当時、桑田佳祐が半分余興で、「嘉門雄三」名義でライブを行なった。ほぼ洋楽のカバー曲で構成されたセットはレコード化されたけど、いまだCDでも復刻されておらず、ライト・リスナーにとっては幻の音源となっている。俺もこのレコード自体は聴いたことがないけど、ラジオでしょっちゅうオンエアされていたため、エアチェックして何度も聴いていた。
 その中で選曲されていたのが、この曲だった。まだ洋楽コンプレックスから脱却しきれていなかった桑田のヴォーカルは、決してテクニック的に秀でたモノではなかったけど、若さゆえの勢いとエモーションに満ちていた。
 サザンがただのヒット曲バンドではない、ということが中学生なりに理解できた、そんなきっかけの曲でもある。


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Roger 「I Want to Be Your Man」

Roger_-_I_Want_to_Be_Your_Man 1987年にリリースされた、Roger最大のヒット曲にして、いまだラブ・ソングの定番として生き残っている、永遠のマスターピース。
 あの変態ベーシストBootsy Collinsプロデュースでデビューしたファンク・グループZappのリーダーとして、確実にファンクの流れを変えていった。70年代までのファンクが、主にJames Brownのエピゴーネン的なバリエーションだったのに対し、ヴォコーダーを効果的に使い、ディスコ・シーンにも果敢に肉薄した彼ら独自のサウンドは、唯一無二のポジションを創り上げた。あまりにオンリーワン過ぎて、その後のフォロワーがイマイチ育たなかったのは残念だけど。
 Cool & the Gangより重いけど、Ohio Playersより洗練されているZappのサウンドは、日本人にはちょっとわかりづらい面があったのだと思う。俺もZappのアルバムは一応持ってるけど、正直、そんな頻繁に聴くほどでもないし、どれがどの曲なのか、主要曲以外ははっきりわからない。
 Zappが本国アメリカでどんなポジションだったのか。80年代初頭まではトップ40に入るくらいには売れていたみたいだけど、4枚目の『New Zapp IV U』では100位にも入らないくらいにまで凋落している。このRogerの大ヒットによって、一時は持ち直したように思えたけど、Zappとして5枚目のアルバムでは、再びチャート圏外。
 兄弟で結成されたバンドのため、良い時は鉄の結束だったけど、一旦歯車が狂ってしまうと、その血縁の近さが仇となってしまう。公私を含めて様々な問題がこじれ、終いにはリリース契約を失ってしまう。
 リーダーである以前に家族として、バンドの修復に尽力していたRogerだったけど、実兄に射殺されてしまう結末となってしまったことは、アメリカ音楽界にとっては大きな損失だった。 

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 クリスマス間近だったと思う。
 当時、札幌に住んでいた俺は会社の帰り、忘年会シーズンで人通りの多い、すすきの近くの繁華街を歩いていた。
 ネオン街の夜空では星は見えなかったけど、大粒の雪がチラついていた。
 あるビルの前で、この曲がガンガン大音量で鳴っていた。
 その当時で、リリースされてから2、3年は経っていたと思う。
 あ、あの曲だ。
 懐かしさに駆られて足を止め、頭上のスピーカーの方を見上げた。
 ビルの壁に、サンタがいた。
 10階建てくらいのビルの壁に、5メートル程度のサンタのオブジェが、壁を煙突に見立ててよじ登っているところだった。
 こうして文章で書こうとすると伝わりづらいけど、そのシチュエーションは俺にとって完璧なものだった。捻くれてた20代だったけど、感動すらしていたかもしれない。
 足を止めて泣いてしまった、と書けばドラマティックだけど、さすがにそれはなく、その場は普通に通り過ぎた。でも、そのシーンは長いこと、俺の心のどこかにしっかりと残った。
 その冬は、何度もそのビルの前を通ったけど、それっきりRogerの歌が流れる瞬間に出会うことはなかった。他のクリスマス・ソングが流れていても、Rogerの時のようなマジックは訪れなかった。



 この曲を聴くと、そんなことを思い出す。
 俺の中では、この曲はあのシーンとセットなのだ。


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