前回からの続き、後半5曲。こちらも思ってたより長くなった。
 前置き抜きで、今回もすぐ始める。

ハイ・ファイ・セット 「素直になりたい」

104079468 ハイ・ファイ・セットと言えば、ユーミン制作によるスタンダード・ナンバー「中央フリーウェイ」や「卒業写真」が一般的な代表作とされているけど、いずれも70年代のヒット曲。もともとフォーク・グループ赤い鳥解散後に結成された彼ら、出自からいってPFMに端を発するライト・フォークの流れだけど、もう少しソフィスティケートされたニューミュージック・ラインが彼らの持ち味で、荒井由実固有のオリジナリティあふれるメロディ・ラインに乗せた浮世離れのコーラス・ワークは、長い間、独自のスタンスを維持していた。
 いま思えば、決してあか抜けた時代とは言い切れなかった70年代後半の日本において、ハイ・ファイ・セットのアルバムを日常的に聴くユーザーというのが、一体どれだけいたのだろう、と疑問に思ってしまうのだけど、コンスタントな音源リリースを続けていたということは、それなりのニーズがあったということなのだろう。オフコースなんかと同列だったのかな。
 初期は何かしらの形でユーミン夫妻が制作に噛んでおり、タイアップもそれなりについていたのだけど、キャリアを重ねるにつれてユーミンとのコラボも少なくなり、外部作曲家によって制作された楽曲は、精彩を欠いたものが多くなる。ニュー・ミュージック自体の隆盛は80年代初頭まで続いていたはずなのに、そのバタ臭さゆえ他アーティストとの差別化が強すぎて、どこか浮世離れしてしまった感も強い。時代に取り残されてしまったのだ。

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 長いことアルファ・レーベルに所属していた彼らが心機一転、CBSソニーに移籍してリリースされたのが、このシングル。初期の洗練されたニューミュージック路線から、多分レコード会社からの要請だったのか、次第に大人の歌謡曲テイストが強くなりつつあった彼ら、ドメスティックさが多くのユーザー獲得に寄与したとは言えず、何かと試行錯誤していた時期である。
 そういった負のスパイラルを打破するためのレーベル移籍だったと思われるし、コンセプトの軌道修正を図ることに一役買ったのが、作詞・作曲・プロデュースを行なった杉真理、その彼が方向性として位置付けたのが「大人のジャジー・ポップ」だった。ジャズ・テイストと言ってもアシッド・ジャズ的なソウル・タッチではなく、もっと遡ったスウィング時代、1920年代のレトロ=モダン・テイストを80年代に蘇らせた。Manhattan Transferにも通ずる「大人のためのポップス」は、その後も連綿と現代にまで続くライト・メロウ路線の礎となった。




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ボ・ガンボス 「夢の中」

bogumbosbogumbo1-1 ローザ・ルクセンブルグ~ボ・ガンボスと、日本のロック・ポピュラー史において重要なバンドを2つも組んでしまったどんとの評価は、実はいまだに定まっていない。70年代のアングラの空気を、圧倒的な演奏力とパフォーマンスによって、永遠のマスターピースにまで昇華してしまったローザ、そのローザ末期から傾倒しつつあったジャングル・ビートに魅了されて、ほとんど思いつきで結成されたにもかかわらず、こちらも伝説のバンド化してしまったボ・ガンボス。いまだにどんとの死を悼む声、彼らの解散を惜しむ声は絶えない。
 ボ・ガンボスと言えば一番有名なのがデビュー・アルバム、Bo Diddley 直系のジャングル・ビートと土着性の強いセカンド・ライン・サウンドが話題をさらったけど、そういった派手な打ち上げ花火とはまた別の路線、純朴なシンガー・ソングライターとしてのどんとの一面が窺える名作バラード。

 流されて 流されて どこへ行くやら
 くりかえす くりかえす いいことも やなことも
 淋しいよって 泣いてても
 何ももとへは もう もどらない
 欲しいものはいつでも 遠い雲の上

 書き起こしてしまえば何ていうこともない、ほんと普通の言葉たち。
 ただ、この普通の言葉たちが、どんとという稀代のミュージシャンの声を通すと、まるで響きが違ってくる。
 センチメンタルでありながら強靭で、泣き出したくなるのにどこか笑っちゃう。そんな入り混じった感情が、声と言葉、そしてシンプルなキョンのピアノの調べによって奏でられる。
 何年か前、「僕らの音楽」に出演したYUIが、セッション企画としてどんと抜きのBO GUMBO3を希望、この曲を選んだことで、ちょっとだけ話題になったのを覚えている人も多いと思う。
 正直、彼女の声質とどんととではあまりに共通点が少なく、クオリティとしてはミスマッチ感ばかりが目立ったものだったけど、少なくとも彼女がこれを選んだという事実は深い。拙い未熟なカバーではあったけれど、音楽に対する真摯な姿勢は伝わってきた。
 そんなこともあって、俺はYUIを全面的に信頼してしまうのだ。
 でも、一番好きなのは「CHE.R.RY」だけどね。




ずいきの涙~ベスト・オブ・ボ・ガンボス・ライブ・レコーディング
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爆風スランプ 無理だ!

31305 「ランナー」以前の爆風スランプが、ある意味、批評性の強いコミカル・ロック・バンドだったことを覚えている人は、今ではほとんど少ない。
 当時のライブハウス・シーンで、群を抜いた音楽センスとテクニックを有したファンク・バンド「爆風銃」と、サンプラザ中野・デーモン小暮と、後に80年代ソニーの屋台骨の端っこ辺りを担ぐことになる、錚々たるメンツを輩出したコミック・バンド「スーパースランプ」とのハイブリットによって誕生したのが、爆風スランプである。
 「ランナー」以降に確立した「不器用な青春男子への応援歌」路線によって、次第に笑える要素や批評性が薄まってゆき、90年代初頭のソニーの一角を担うほどにまで成長したけど、次第にメッセージ性やビジュアルのインパクトばかりに注目が集まるようになり、肝心の音楽面がマンネリ化していったことは、この手のバンドにとっては避けられない事態である。くっだらないダジャレを交えたコミカル路線と、ノン・ミュージシャンであるからして体現することができたサンプラザ中野の叙情性とのバランスが絶妙だった初期は、大きくセールス的に飛躍することはなかったけど、確実にお茶の間の認知は掴みつつあったし、実際、今も人気の高い曲が多い。

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 初期の彼らは、ソニー3大イロモノバンドとして、聖飢魔II・米米クラブと同列で語られることが多かったけど、下手な本格ロックバンドより演奏スキルの高かった彼らにとって、逆にそれは褒め言葉でもある。クレイジーキャッツの昔から、音楽で遊ぶバンドの演奏スキルは高いレベルが求められる。拙い演奏でおどけられても、それはイタイだけで笑うこともできないし、観衆の耳を惹きつけることもできない。3組とも、その辺は共通している。
 これと並ぶ初期のソリッドなロック・ナンバー「東京少女A」と迷ったけど、意味という意味を極限までそぎ落とし、しょーもない言葉の羅列としっかり作り込まれたバッキングとのコントラストが、俺の心を強く掴んじゃった。

 うでたて うでたて
 無理だ ワニのうでたて伏せ
 できるもんならやってみな

 …ほんと、しょーもない。書き出して後悔した。くっだらねぇ。
 他愛ないジョークの羅列を、血管が切れるほどの力技でねじ伏せてしまう中野、そして無駄にハイレベルな超絶ハードコア・パンク・サウンドを披露する演奏陣。「人魚のセックス」やら「カメの腹筋」やら、今どき小学生でも鼻で笑ってしまうような歌詞を、大真面目に議論するメンバーらの表情は真剣だ。




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南佳孝 火星のサーカス団

5sZFl 80年代の南佳孝は、AOR~フュージョンから派生したジャパニーズ・シティ・ポップのオリジネイターの一人として、アーバンでトレンディでなんとなくクリスタルで浮世離れした世界観を、盟友松本隆と共に量産していた。ティーンエイジャー向けのロックとはもともと反りの合わなかった南、ロック全盛の70年代は山下達郎同様、彼にとっては雌伏の時代であったけれど、継続は力なり、世の中のライト&メロウの流れが彼にとっては追い風となり、ロックを卒業した大学生以上のユーザーにとっての受け皿となった。
 もともとロック以前のポピュラー音楽に精通していた彼が、既存のニューミュージック・サウンドに、ラテンやジャズの要素を添加してオリジナリティを固めてゆくことは、ごく自然の成り行きだった。
 彼自身としては、特別、シャレオツな音楽を作るんだと意気込んでいたわけではない。ただ、ロックを卒業した後の20~30代の音楽ユーザーの進路が、演歌くらいしかなかった80年代初頭の音楽シーンにおいて、各レコード会社が総力を結集して「ロック以降」を見据えた次世代戦略を立案遂行していたことは確かである。
 音楽がインテリアの一部として捉えられるようになったバブル突入以前、前述のハイ・ファイ・セットにも言えることだけど、30代以降のミュージシャンがいつまでもティーンエイジャー向けの歌ばかり歌っていても、違和感ばかりが残ってしまう。受け手側と同時に、供給側も成長することによって、ビジネス・チャンスの裾野を広げてゆくことは、戦略的に間違ってはいない。むしろ、見事な先見性だったと評価できる。

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 ただ、限られた世代や嗜好に向けての音楽制作は、ある程度固定化したユーザー層によって、安定した収益を得ることはできるけど、それはあくまでビジネス上の話、アーティストのクリエイティヴィティから見ると、次第に硬直化してしまう。この傾向のユーザーにはこういったサウンド、と類型化してしまうことによって、音楽が工業製品化してしまう。また、そのユーザー以外には広がりを見せず、身内ウケの音楽になってしまうのだ。
 そういった危機感を抱いたのかどうかは不明だけど、南がこの時期、いつものユーザーを対象とせず、まったく別の路線、これまで接点のなかった幼児やその親向けに作っちゃったのが、この曲。1985年終盤、NHK「みんなのうた」で不定期に放映された。

 星空に響くファンファーレ
 ヒゲの団長の挨拶

 観客はみんな火星人
 決して笑わない人たち

 星空に舞い上がる
 空中ブランコ
 そうさぼくは哀しいピエロ

 寓話タッチでほのぼのとした、それでいてちょっと物悲しい世界観を演出した松本隆。こんな歌詞も書けたんだな。そんなテーマと歌詞に呼応して、コードもメロディも限りなくシンプルに、子供でも大人でも気軽に口ずさめるように作られている。サウンドもわかりやすく明快に、この時期でもすでに古臭く感じたテクノ・ポップ調のピコピコ・サウンドでまとめられている。
 残念なことにこの曲、シングル・アルバムとも未収録であり、過去に一度、「みんなのうた」のオムニバスCDに収録されたっきり、現在では入手できる手段がない。本人の意向なのか権利関係のゴタゴタなのかは不明だけど、音源化される機会もなさそうなので、どうしても聴きたい人は、「みんなのうた」のHPにリクエストしてみよう。
 俺も久しぶりに映像付きで見てみたいし。


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PEACE BIRD '89 ALL STARS「正義の味方」

m_hiroshi8901 「1987年から10年継続して開催し、広島から世界平和のメッセージを音楽で発信する」という壮大なコンセプトのもと、多くの著名日本人アーティストが集結して開催された音楽イベント『ALIVE HIROSHIMA 1987-1997』。代理店とプロモーターとが結託してぶち上げた、バブル絶頂期を彷彿とさせる大風呂敷イベントは、回を追うごとに尻つぼみとなって行き、当初の10年を迎える前、8年目の1995年を最後に自然消滅してしまう。
 毎年、主要出演アーティストが集結してテーマ曲を作成、その都度チャリティ・シングルとしてリリースされていたのだけど、正直、俺もすべて把握してるわけではない。途中までだけど、詳細データはここが一番揃っていた。
 俺が継続して取り上げている「80年代ソニー」もそうだけど、このような80年代の日本の音楽シーンの記録というのは、案外きちんとまとめられていないため、情報収集には苦労する。東京ロッカーズを始めとする、いわゆるアングラ・シーンの情報というのは、結構早い段階から検証・批評が為されているのだけど、本来、もっときちんと整理されているはずのメジャー・シーンの歴史というのは、ヒット曲中心の視点で終わっている。
 知りたい情報は、やはりネットだけではなく、実際足を使い、掘り起こしていかなければ、実像は掴めないのだ。雑誌媒体も、そのうち掘り起こしていかないとダメだよな、やっぱ。どこかできちんとまとめようか。

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 で、今回紹介するのは1989年リリース、3回目のテーマ・ソングとして制作された「正義の味方」。前年にリリースされた辻仁成作詞・レッド・ウォーリアーズ小暮武彦作曲による「君を守りたい」が、本来のテーマに則ったオーソドックスな応援ソングだったのに対し、ここでは同じ「平和」をテーマにしているにもかかわらず、あちこちに皮肉めいた言葉遣いや揶揄が目立っている。

 誰かがうまく やろうとしてる
 その顔はいつも 隠されている
 ツケはいつでも全部 子供たちに回して
 あげく 罪さえも背負わせようとしているんだ

 正義の味方に気をつけろ 独りよがりのヒロイズム
 マスクとマントで身を隠し 
 薄笑い浮かべた 阿修羅がもう
 君の胸にも忍び込む
 気をつけろ ほら来るぞ

 作詞はブルーハーツのマーシー。加えて、バックトラック作成を主導したのは、バービーいまみち。実際、いまみちが各参加アーティストを想定した音作りを行なっているけど、結局は思いっきりいまみちの独断にあふれまくったギター・ロックに仕上がっている。
 こんな2人が中心となったのだから、そりゃ屈折具合はMAX、すれっからしの曲になるのは目に見えていた。よくOKしたな、主催者も。
 参加メンバーもまた豪華で、「だいすき」がスマッシュ・ヒットして間もない頃の岡村ちゃん、当時、いまみちとのコラボが多かったPSY・S 2名、そして久保田利伸、デーモン閣下という、80年代後期のソニーを牽引したメンツだけでなく、タイマーズのゼリーも参加している。
 そして極めつけは、ナレーションの伊武雅刀。今の渋い個性派俳優振りからは想像つかないけど、この人はかつて「子供たちを責めないで」というアジテーション・ソングで「夜ヒット」のスタジオを凍り付かせ、また同じく「夜ヒット」でストリート・スライダーズが初登場した際、熱狂的ファンという名目で電話出演を果たした、何だかよくわからない人である。
 多分、権利関係がいろいろ複雑そうなので、南佳孝同様、今後も再発される気配はなさそう。なので、聴きたい人はヤフオクかyoutubeを探してね。



 ここまで書いてから調べてみると、なんと発売元はポリドールだった。ソニー系のアーティストばっかりだったから、てっきりソニー発売だと思ってたのに。思い込みって怖いよね。