folder 1985年リリース、Stevie Wonder 20枚目のオリジナル・アルバム。
 成年になるまで抑圧されていた才能が一気に炸裂した70年代の名作群と比べ、80年代のStevieのアルバムは、長い間まともに評価されずにいた。既存のソウル・ミュージックを一新させたニュー・ソウル・ムーヴメントを牽引しつつ、一時グラミーを独占するほどの大衆性も獲得した70年代に対し、80年代の彼の音楽はミドル・オブ・ザ・ロードに方向転換したかのように映る。ただ彼にしてみれば、その時代を反映する鏡の役割として、自身から湧き出てくる衝動を素直に具象化しているだけで、単に「日和った」という一部の評価は正しくない。
 青年期の抑圧された衝動が、結果的に実験的な作風として昇華されたのが70年代だとすれば、そういった重たい澱を出し切って、攻撃的な姿勢を弱めた円熟期に入ったのが、80年代以降と言える。

 チャート・アクションとしては、US・UKとも最高5位ということで、モータウン創成期からの大物として、アベレージはクリアしている。第1弾シングルだった「Part-time Lover」大ヒットの印象が強いおかげもあって、70年代と比べると「売れ線狙い」という先入観が強く、ソウル史の中でも長いこと軽視されていた。ただ近年では、CMに起用された名バラード「Overjoyed」の流麗なメロディラインが、多くの人々の琴線に響き、再評価が高まりつつある。80年代特有であるダイナミック・レンジの狭いMIDIサウンドを抜きにすると、特にバラード系のクオリテイは70年代をも凌駕すると言ってよい。
 この前作のサントラ『Woman in Red』収録曲「心の愛(I Just Called to Say I Love You)」がバカ売れしてしまったおかげで、すっかり「愛と平和の人」的なイメージが定着してしまったStevie。いつもだったら原題を先に書いてるのだけど、ここ日本ではすっかり、この意味不明の邦題が定着してしまっているので、敢えて先に記述してみた。このイメージが強いよな、やっぱ。冷静になってみると、何だかフワッとしてよくわかんないタイトルである。

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 そういった事情もあって、特にここ日本においては聖人君子的なイメージが付いてしまっている。それが根っからのものなのか気まぐれなのかは不明だけど、この人は時々博愛主義的なメッセージを前面に出し、それに伴うように曲調もポピュラー・スタンダード的な様相を呈することがある。
 俺も未だちゃんと聴いたことがない、ある意味Stevieの問題作『Journey through the Secret Life of Plants』収録の「愛の園」がその極端な例で、怖いもの聴きたさで西城秀樹の日本語カバーに手を出すと、そのこそばゆさが垣間見えてくる。
 とは言っても、これらはあくまでほんと極端な例で、Stevie特有の予測不能なコード進行やメロディ・ライン、他の曲では従来通り自由奔放に炸裂している。むしろ彼のディスコグラフィの中で、「心の愛」と「愛の園」だけが極端にラブ&ピースなだけであり、そこだけで判断すると、Stevieの実像は見えにくくなる。
 なので、このアルバムではそこまで人類皆兄弟的な思想は見られない。相変わらず従来仕様のStevie Wonderがここにある。ていうか、以前よりサウンドがオーソドックスになった分、よく聴くと本人以外ではとても歌いこなせないレベルの楽曲に仕上げられている。80年代のトレンドだった、フェアライトCMIのキラめいたアレンジの奥では、相変わらず奔放な狂気が顔を覗かせている。

 -瞳の見えない強いミラーのサングラスをかけ、後ろで引っつめたドレッド・ヘアを振り乱しながら、思いのまま自由にキーボードを叩く。循環コードに収まらないメロディを奏でながら、テンションが高まるにつれて、ハミング、いや唸り声も最高潮に達し、コール&レスポンスを観客に求める。
 80年代のStevieのビジュアル面の主な特徴としては、こんな感じ。多少頭髪も後退して、体格もどっしりして動きは緩慢になったけど、今も大体このイメージで変化はない。多分、今後も不変のスタイルなんだろうな。
 このスタイルが定着するきっかけとなったのが、あのUSA for Africaでのパフォーマンス。80年代を過ごした者なら誰でも記憶にあるはずだけど、あの贅沢な豪華メンツの中でも群を抜いた存在感だった。あくの強いキャラクター揃いの中、Stevieのヴォーカルは特に力強く、それでいて熱い説得力を持った名演だった。で、その余韻冷めやらぬうちに発表された「Part-time Lover」のPVによって、それは決定的になった。
 そのインパクトの強さは、普段洋楽に興味がない層にも強くアピールした。Stevieのモノマネといったら、今でもこの時期のイメージをモチーフにしているケースが多い。

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 80年代に入ってからのStevieは、自ら望むものだったのかどうかはともかくとして、結果的に「愛と平和の人」的なイメージが強くなったこと、またUSA for Africaでのドヤ顔的パフォーマンスを機として、社会活動・慈善運動への参画も積極的になる。ユニセフやら国連界隈でのパフォーマンスが多くなるのもこの頃である。
 何かと音楽以外で忙しくなったせいもあるのか、オリジナルとしてはこのアルバム、前作『Hotter Than July』からなんと5年ぶりという、結構長めのインターバルになっている。とは言ってもStevie、この間に遊んでいたわけではなく、ていうかかなりのワーカホリックぶりを発揮している。
 Paul McCartneyとのデュエット・シングル「Ebony and Ivory」や、70年代の作品を中心にまとめたベスト・アルバム『Original Musiquarium』をリリース、前述の『Woman in Red』など、沈黙どころか働き過ぎ。方々からオファーを受けて気軽に引き受けた挙句、本業にまで手が回らなかった、というのがこの時期の印象である。
 これはStevieに限った話ではないけど、多忙を極めてるおかげもあって、オリジナル・アルバムのリリース・スパンは次第に長くなり、今のところ、2005年の『Time to Love』がレイテスト・アルバムになっている。それでも空いてる印象が薄いのは、マイペースではあるけれどライブを続けていること、また若い世代とのコラボにも積極的だし、CM出演など露出が途切れないおかげもある。年末のAppleのCMなんて感動モノだったしね。

 で、これもStevieに限った話ではないのだけれど、今の時代、「アルバムを作る」という行為は、いろんな意味で難しい面もある。特に彼クラスになると、それなりに期待も大きいので下手なレベルのものは作れないし、それはStevie自身が誰よりもよくわかっているはず。
 いるのだけど、70~80年代のように、潤沢な予算と膨大なレコーディング時間を使って、有名セッション・ミュージシャンをとっかえひっかえ起用するという作業は、遠い昔のものになりつつある。レーベルは予算を渋るし、スタジオ代だって高騰の一途である。第一、DTM主流の21世紀において、生演奏で生計を立てるミュージシャンが少なくなった。傍目から見ると、コスパの悪い作業の積み重ねが、旧来のレコーディングという行為に映ってしまう。
 「アルバム1枚を通して聴く」という行為自体が時代遅れになりつつある現在、そのアルバムの存在価値が問われている。今の状況では、時間をかけた書き下ろし主体の作品集より、シングルの寄せ集め的なオムニバスの方が、効率は良い。「アルバム全体でひとつの作品」という押しつけより、「気分に合わせて好きな曲順・好きな曲だけ選んで聴く」というフレキシブルな形態が、音楽業界全体のセオリーとなっている。

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 そんな状況をStevie、彼はどう思っているのか―。
 今の時代、彼がオリジナル・アルバムを制作することは、あまりにリスクが高い。セールス的な問題ではない。あくまでクオリティの問題だ。
 「売れない」ということはないと思う。アメリカのエンタメ界ではVIP的扱いのStevieゆえ、それなりに売れることは予想できる。何しろ10年ぶりの大物の新譜だからゆえ、業界を挙げての大盛り上がりになるだろう。世界中を巻き込んだ大々的なプロモーション展開は、かなりの注目を集める。セールス的には保証されたようなものだし、時期が良ければグラミーのひとつにでも引っかかるかもしれない。
 でも、ただそれだけだ。
 70年代の作品群のようなクオリティになるのかといえば、それはちょっと難しい。そんなことはStevie自身、よくわかっているはずだから、わざわざ火中の栗を拾うような所作はしない。なので、内容的には中道路線、この『In Square Circle』のように、一見万人向けの作品になる。
 それを潔くない、と断定するのは簡単だ。しかし、今のStevieに過去の作品のクオリティを求めるのは、あまりに酷だ。ていうか彼自身、そんな方向性を求めちゃいないだろうし。

 遡れば60年代末期からニュー・テクノロジーへの抵抗もなく、随時最新機材のサウンドを導入して世間を驚かせていたStevie。このアルバムでも、当時のトレンド機材をふんだんに盛り込んだサウンド作りを展開している。
 従来までのStevieは基本、プレイヤー視点からの音作りを中心としていた。『Hotter Than July』以前にもシンセ機材は使っていたけど、基本は人力プレイが多くを占め、そこから編み出される独特のリズム感覚、自由すぎるメロディ・センスは記名性の強いものだった。細かなピッチのずれから生じるグルーヴ感こそが、アーティストのオリジナリティと謳われる時代だった。
 このアルバムから顕著になる最大の変化が、1曲目から炸裂するシーケンス・リズムの多用。ミリセコンド・レベルで調整されたジャストなリズムによって、肉体的なグルーヴ感は確かに減衰した。シンプルな響きのリズム・ボックスと比べて音の隙間がなくなった分、そこにアーティスト自身が付け加えるグルーヴ要素の余地はなくなった。これが80年代MIDIサウンドの功罪のひとつである。
 なので、使い方によってはどれも同じ曲に聴こえてしまいがちだけど、そこはさすがキャラの強いStevie、打ち込みサウンドであろうがなんだろうが、そんなのは意に介さずいつも通り、独自のStevie的世界観を披露している。逆に、基本のリズム面を潔くマシンに委ね、その浮いたリソースをメロディやヴォーカライズに集中させることによって、これまでとは次元の違う、新たな解釈のグルーヴ感を形成している。
 どれも変わり映えのしない、工業製品のように画一化された80年代のポップ・サウンドの中、彼の創り出すサウンドは異彩を放っている。


In Square Circle
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1. Part-Time Lover
 先行シングルとしてリリースされた、80年代Stevieの代名詞とも称されるポップ・ナンバー。モータウン・サウンドの基本リズムを土台から創り上げたのだけど、スタジオ・ミュージシャンという役回り上、あまり注目されぬまま1983年に亡くなった名ベーシストJames Jamersonへ敬意を表す、特有のランニング・ベースは今も古びずに聴くことができる。
 ほぼドラムとシンクラヴィアで構成されたシンプルなバッキングは、Stevie単独によるもの。これだけだと寂しいと思ったのか、バック・ヴォーカル陣にLuther VandrossやPhilip Baileyらが参加している。とは言っても、サビでタイトルをコーラスする程度で、特別彼らならではのコンビネーションといった体ではない。まぁ映画で言えばカメオ出演といったところ。なぜかそのコーラス陣に、元妻Syreeta Wrightも参加しているのは意味不明。別れた女房と仕事したいか?普通。
 ちなみにUSを始めとする5か国でチャート1位を獲得、UKでも3位、日本でも16位という好結果となっている。TDKカセットのCMに本人出演したのが、大きく作用している。



2. I Love You Too Much
 こちらもほぼStevie独りによるマルチ・レコーディング作品。モータウンのフォーマットから、さらにソウルの演奏パターンにも捉われない、極上のシンセ・ポップ。かっちり構築したシーケンス・サウンドの中で、次はどの音なのか、予想がつかないメロディ・ラインを奏でるStevie。ちゃんと聴くとありえないくらいマニアックなのだけど、きちんと商品としてポップにまとめてしまえるのは、やはり才能の為せる技なんだろうな。

3. Whereabouts
 『Fulfillingness' First Finale』くらいから顕著になってきた、なんというか抽象的で壮大なムードを醸し出したバラード・ナンバー。要するに「Creapin’」のことなんだけど。悪い意味ではない。時おり垣間見せるジャジーなコード進行で不安定なメロディになりそうなところを、ギリギリのところで調和の取れた楽曲に仕上げてしまうのは、やはり持って生まれた特性ならでは。
 この曲もほぼStevieの独演会なのだけど、バック・ヴォーカルにお気に入りDeniece Williamsを引き込んだりして、ちゃんと話題性も用意している。しているのだけど、邦題『未来へのノスタルジア』はもうちょっとひねっても良かったんじゃないかと思う。



4. Stranger on the Shore of Love
 5枚目のシングル・カット。さすがにアルバム・リリースから1年以上経っているだけあって、チャートインしたのはUK55位のみ。ていうか、何で今さら感が強い。
 ソウル・テイストが薄くポップ感が強いバラードは、Paul McCartneyとのコラボの影響があったんじゃないかと思われる。口ずさみやすくて普通にいい曲だし。
 でも、邦題は『愛の浜辺で』。まぁロマンティックを喚起させる曲調だけどね。

5. Never in Your Sun
 70年代のアウトテイク的な様相の、このアルバムの中ではファンク要素が少し多めのナンバー。シーケンスも控えめでStevieのキャラクターが強く出ている。惜しいのは、全体的にサウンドがオフ気味。バックもヴォーカルも少し控えめで、後ろに引っ込んでる印象。もうちょっとミックスなんとかならなかったの?と突っ込みたくなってしまう。
 まぁしゃあないか、レコードで言えばA面ラストだし。

6. Spiritual Walkers
 前曲に続き、再びファンキーなイントロによるポップ・チューン。個々のパートの音が引き立っており、少なくとも5.よりはキャッチーで掴みが良い。
 当時としてもそろそろ時代遅れになっていたヤマハCS-80というシンセをいじり倒し使い込んでできたのがこの曲だけど、逆に言えばこのサウンドを活かしたいがため作られた曲という印象も強い。俺はレトロ・シンセについてはほとんど知らないけど、この音を使いたくて作ってみました、というのが本音のところだろう。

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7. Land of La La
 4枚目のシングルとしてリリース。US最高86位は妥当なところ。個人的に、このアルバムの中ではほぼ惹かれるところのない曲である。シンセの音色といいリズムといい、80年代に流行したオムニバス形式のサウンドトラックを連想してしまうのは、俺だけではないはず。
 Kenny Logginsあたりが歌えば、もうちょっとサマになったかもしれないけど、そういったのをStevieに求める人はあまり少ないと思われる。なんだろう、こういうのも流行りだから、一回くらいやってみたかったのかな?

8. Go Home 
 2枚目のシングルとして、US10位UK67位にチャートイン。これもStevieにしてはごく普通のポップ・ソング的な展開なので、それほど面白くはない。確かにリズムは立ち上がりの強いエレクトロ・ファンクだけど、正直リズムだけの曲。ていうかStevie、前半で息切れしすぎ。

9. Overjoyed 
 発表当時はファンの間での名曲だったのが、近年ではCMやMary J. Bligeらのカバーによって広く知れ渡り、不滅のスタンダードとして再評価された。もともとは本文でもサラッと紹介した問題作『Journey Through the Secret Life of Plants』レコーディング時のアウトテイクで、ほぼ10年寝かせてやっと日の目を見た次第。Stevieの場合、こういった曲はいくらでもある。
 もともと環境映画のサントラというコンセプトで制作されていたため、鳥のさえずりや波の音、森の中を歩いてるような雰囲気が残されており、それが壮大な自然のリズムを演出している。
 2枚目のシングルとしてリリースされた当時、US24位UK17位という及第点的なセールスだったけど、数字にあらわれた記録以上に、世界中の多くの人々の記憶に残ってるナンバーだと思われる。少なくとも、俺はこの曲が大好きだ。



10. It's Wrong (Apartheid)
 Stevieのアルバムの最後は大体パターンが決まっており、大団円的なアッパー系ソウル・ナンバーが多い。特にゴスペル要素とシーケンスとの融合はかなり先駆的だったんじゃないかと思うのだけど、それについて触れた記事は見たことがない。
 タイトルから想起される通り、当時の南アフリカ共和国のアパルトヘイトを痛烈に批判した、いわゆるプロテスト・ソングであるため、理念ばかりが先行して紹介されることが多く、肝心のサウンドについてはあまり評価されていない。南アフリカの公用語であるコサ語でのコーラス、それを包み込むミニマルなアフロ・ビートは、今の耳で聴いてもクール。
 全然ジャンルは違うけど、この数年前にリリースされた甲斐バンド「破れたハートを売り物に」の進化形がこのサウンドだと思うのだけど、まぁStevieは甲斐バンド知らないよね。




Song Review: A Greatest Hits Collection
Stevie Wonder
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