6a013485c1c820970c013485c1d5ca970c-640wi 1989年リリース17枚目のアルバム。『おかえりなさい』『御色なおし』に続くセルフ・カバーという体裁を取っており、全曲既発表でありながら、オリコン最高2位21万枚のセールスを記録しているのは、やはり固定ファンの多さによるもの。こういった企画ものでもある程度の収益が見込めるアーティストはなかなかいない。ていうか、他人への楽曲提供って難しいし。そういったある意味めんどくさい作業を、現在に至るまでコンスタントに行なっているアーティストというのは、考えてみればみゆきくらいしか思い当たらない。

 このアルバムがリリースされたのは11月だったのだけど、特記することとして、この年末にみゆき、初めての「夜会」を開催している。改めて説明すると、「コンサートでもない、演劇でもない、ミュージカルでもない言葉の実験劇場」が当初のコンセプト。アルバム→ツアー→アルバム、といったルーティンの音楽活動だけでなく、通常のコンサートにシアトリカルな要素を加味した総合芸術を志向していたのが、当時のみゆき。志は高かったのだけど、基本は散文的なストーリー展開に既存曲をはめ込んでゆく、という思考錯誤の跡が窺える構成になっている。理想と現実とのギャップに愕然とすることによって、次第に「夜会」仕様のオリジナル楽曲・ストーリーが増えてゆくことになるのだけど、それはまだ先の話。まずは一歩、違う方向へ踏み出すことが重要だった。
 そんな経緯もあって、この時期のみゆきはもうめちゃくちゃな忙しさ。身体的にはもちろんそうだけど、精神的な部分、何となく形に現れているはずなのに、それを現実化できないことのもどかしさ。歌なら自信がある。通常スタイルのコンサートで観衆を惹き込むことだって、みゆきのキャリアなら充分可能だ。
 でも、それは何度もやってきたことだ。
 あとはただの反復作業。自身としては、新鮮味が薄れかけている。
 もちろん、歌だけを聴きたい人だっている。それはそれで続けなければならない。
 でも、いまやっておきたいのは「これ」なんだ。

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 アルバム・リリースのスケジュールはすでに確定しており、納期は迫っている。でも、物理的に体がいくつあっても足りない。それよりも焦るのは気持ちだ。やらなきゃいけないのはわかってる、でも今から新しい楽曲を書き足すのは、とても無理だ。
 当初、リリース予定の作品は、この次作にあたる『夜を往け』だった。ある程度のコンセプトや楽曲はできていたけど、充分に練り込む時間がなかったこと、またフルアルバムにまとめるには曲数が足りなかった。曲のストックはいくつかあるけど、コンセプトにマッチするモノはほんのわずかだ。到底間に合わない。
 なので、ピンチヒッター的な扱いとなったのが、この『回帰熱』。取り敢えず、今まで書き下ろしてきた提供曲から、テイストがかけ離れていないものをまとめて一枚のアルバムに仕上げた。言ってしまえば、苦肉の策である。それだけ余裕がなかったのだ。
 そんな事情もあって、この年の春にリリースされたシングル「あした」、これをパイロット・シングルとしてリリースし、アルバム発売の予告編にするはずだったのだけど、その本編が大幅延期となってしまい、なんか宙に浮いてしまったようなスタンスのシングルとなってしまった。KDDIのCMは名作だったんだけどね。

 その「あした」のリリース後、アルバム・プロモーションを兼ねた全国ツアーを敢行、それと並行して「夜会」準備も進めてゆく、というのが当初の段取りだった。これまでの通常ペースなら、リハーサル段階では大体の目途がつくはずだったし、「夜会」を控えていることもあって、余裕を持った体制で挑んでいたはずなのだけど、なかなかそうはうまくいかないもの。
 何を思ったのかみゆき、このくそ忙しい時期であるにもかかわらず、NHK-FMのラジオ番組「ジョイフル・ポップ」のオファーを引き受けてしまう。創作活動に専念するために、長年続けていた「オールナイト・ニッポン」から身を引いたはずなのに、ほぼ2年程度のブランクで再度ラジオ・レギュラーに復帰してしまう。
 新規コンテンツの立ち上げに加え、『夜を往け』のレコーディング準備も行なっているのだから、普通に考えると引き受けない方が何かと捗るはずなのに、なに考えてんだみゆきってば。一応、「オールナイト」と違って1時間番組、生放送じゃなくて収録主体ということから、以前よりは負担はずっと少ないだろうけど、いまやることじゃないんじゃない?
 逆に考えると、こういったファンの生の声を聴ける機会が少なくなったこと、そしてみゆき自身、シンガーとしてのシリアスな側面とは別のベクトル、あっけらかんとした「みゆき姉さん」であることが必要だったのだろう。

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 前作からサウンド・プロデューサーとしてクレジットされるようになった瀬尾一三がいなかったら、みゆきはもっと別の方向性に行っていたかもしれない、というのは衆目の一致するところである。ちなみに「いちぞう」と読む。当初「かずみ」と読んでしまい、結構長い間女性だと思っていたのは、俺だけじゃないはず。
 改めて言うとこの人、四畳半フォーク・ブームの頃からシンガー・ソングライターとして活躍していた、れっきとした男性である。なので、キャリア的にもみゆきよりちょっと長い。しかも業界歴が長いので、独自のコネクションも幅広く持っている。wikiを読んでみると、「金八先生」の劇伴から徳永英明の「壊れかけのRadio」のアレンジまで、仕事の幅もめちゃめちゃ広い。すごいんだよな、この人。
 で、そんなバイタリティーに惹かれたせいもあって、これ以降のみゆき、ほとんどすべてのサウンド・プロデュースを瀬尾に委ねている。ここに至るまでのご乱心期には、無理やりこじつけたようなアレンジがあったりもしたけど、この時期からみゆきサウンドは安定期に入る。
 「冒険しない」という意味ではない。あらゆるジャンルに造詣の深い瀬尾の高い音楽性が、レコーディング技術的には素人であるみゆきの意図を具現化できるようになったため、楽曲とアレンジとのミスマッチ感は少なくなった。時に「~風」のサウンドを優先し過ぎたため、隙間のないアレンジメントが息苦しいケースもあったけど、それもなくなった。本来のみゆき節に合わせたアレンジ、そしてそこから希求されるメロディと歌詞とが、自然に馴染み共存できる仕上がりになっている。
 強固な信頼関係によって、みゆきの負担は大幅に軽くなった。サウンド面をほぼ任せられるようになったため、「夜会」立ち上げに集中できるようになった。また、メインの作業である楽曲制作にもブレが少なくなった。新奇なサウンドや実験的なアプローチではなく、ミドル・オブ・ザ・ロードを意識したオーソドックスなスタイル、そこを深化させてゆく取り組みは今も続いている。
 四半世紀の長きに渡って続いているコラボなので、いろいろ衝突はあるのだろうけど、揶揄半分敬意半分で「おっしょさん」と呼ぶほどの信頼を寄せているみゆき、「きちんと完成した楽曲でないとアレンジはしない」という姿勢を貫く瀬尾。どちらも頑固者だろうけど、それでも相性が良いのだろう。妥協のないところは似たり寄ったりだし。

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 なぜ、シンガー達はみゆきに楽曲制作を依頼するのか。
 依頼先はプロデューサーや事務所、または本人直々であったり、様々な経緯はあるだろうけど、みゆき作品を歌うことによって、キャリアの節目を迎えた者は多い。
 セールスだけの問題ではない。売れる売れないにかかわらず、みゆきからもらった曲を歌うことによって、そのシンガーの方向性が大きく変わってしまう-、そんな力を、みゆきの曲は秘めている。
 彼女たちが音楽で訴えたいもの、または訴えようとしてもうまく形にできずにいるもの、そんなものを、みゆきはうまくすくい取る。
 それは特別変わったものではない。女性なら誰でも持ってる感情の揺れ、嫉妬や憧憬、そして恋。その中で、彼女にとって一番触れづらいもの、ほんとはそこに一番シンパシーを感じるけど、敢えて自分では掘り返したくないもの。
 そういった形にしづらいものを、みゆきは彼女の言葉に翻訳し、そこにメロディをつけて投げ返す。
 投げ返された者は、最初戸惑うかもしれない。それは長い間、触れずにいたものだったから。いつの間に、どこかの過程で失くしてしまったものだと思っていたから。
 -ちゃんとあるよ、ほら。
 そう教えてくれるのが、みゆきの楽曲である。

 ここでのみゆきはあくまで傍観者だ。ただ、彼女たちの心に寄り添い、少しだけ話をする。何も特別な話ではない。ほんのちょっとした雑談、漫然として結論のない、よくある女子会トークの延長線だ。
 長々と話し込むわけではない。もともと人見知りの強いみゆき、対象に会ってあれこれ情報収集するタイプではない。その辺は、ユーミンなんかと真逆のタイプだ。
 サウンドの強さに負けぬよう、インパクトの強い言葉とヴォーカルを選択したご乱心時代。そこを一山超えたところに、この時期の作品がある。
 メロディラインはシンプルに、よってコード進行もオーソドックスになった。後年、幅広い支持を獲得した楽曲が量産されるようになったのは、この時代からである。言葉の強さよりもむしろ、ストーリー性が復活したのも特徴である。


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1. 黄砂に吹かれて
 1989年リリース、工藤静香のシングル。オリコン1位を獲得と共に、年間チャートでも9位にランクインした、初期静香の代表曲。静香のシングルが9月リリースで、このアルバムが11月リリースだったため、かなり短いスパンで制作されたことになる。
 冒頭のスティール・パンの響きがエスニック感を醸し出し、歌詞の世界観にマッチしている。静香ヴァージョンは当時売れっ子だった後藤次利アレンジのため、もっとヒットチャート仕様になってるけど、これはこれでいいと思う。アイドルにしては渋すぎるしね。
 
 遠くへ向かう 旅に出たいの
 あなたから 遠い国まで
 誰にも 会わない国まで
 黄砂よなぜ 嘘 見破るの
 旅人

 最後のヴァースの部分、みゆきヴァージョンと静香ヴァージョンとでは、歌詞が大きく変更されている。
 ちなみに静香ヴァージョンが、

 答えてもらえばよかったのに
 聞くのが 怖かった名前
 私じゃない 名前だもの
 笑顔で終わった あの日から
 旅人

 アイドルとしては後者なんだろうけど、今の静香ならみゆきヴァージョンの方がしっくり来る。考えてみりゃ静香、みゆきがこの曲を作った年齢をとっくに超えてるんだし。



2. 肩幅の未来
 1989年、長山洋子に提供したシングル。これ、作曲はみゆきではなく、郷ひろみ「美貌の都」以来の筒美恭平とのタッグ。でもメロディはみゆきっぽい。
 Youtubeにアイドル時代の動画が残っていたので見てみると、あぁやらされてる感があるなぁ、といった印象。せっかくいい楽曲をもらったというのに、アイドル時代のフォーマットにはめ込まれ、曲にマッチしない振り付けが違和感。普通に落ち着いたムードで歌えば映える歌なのに、シンセ・ポップ調のアレンジもちょっとやり過ぎ。時代的にwinkを狙ったんだろうけどね。
 この後、長山はDiana Rossの「If We Hold On Together」をカバーした後、アイドル路線に見切りをつけ、演歌の世界へ方向転換することになる。諸行無常。
「らちもない」というボキャブラリーをJポップの流れに組み入れることに成功した、ある意味貴重な楽曲。

3. あり、か
 甲斐バンド解散に伴いソロ活動を開始したギターの田中一郎に提供、1988年のデビュー・シングル。ご乱心期からの付き合いだった甲斐よしひろのコネクションによるもので、みゆきヴァージョン同様、ベーシックなロック・テイスト。
 まぁ当たり前の話だけど、男性目線で描いた女性の歌詞のため、ここはやはりみゆきの方に分がある。ヴォーカリストとして比べても、そこはしょうがないところ。
 甲斐バンドの解散ライブ『Secret Gig』でスペシャル・ゲストとして甲斐とデュエットした「港からやって来た女」と質感が似てるため、その辺がモチーフとなってるんじゃないかと思われる。
 
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4. 群衆
 1988年リリース、工藤静香「MUGO・ん…色っぽい」のカップリングとしてリリース。多分デモ・ヴァージョンはあるのだろうけど、A面曲カバーはリリースしないのかな。
 歌詞の内容は「時代」と似た世界観なのだけど、言葉の抉り具合はもっと浅い。そりゃそうだよな、静香に向けて書いてるんだし。ただ、当時アイドルの王道を歩んでいた静香の世界観ともちょっと違っている。明らかに題材は地味だし。
 その傷の深さは深くはないけど、確実に残る。そして、ふと思い出す。そんな歌。

5. ロンリー カナリア
 1985年リリース、柏原芳恵22枚目のシングル。オリジナルもしっとりしたミドル・バラードだったのだけど、ここではさらにジャジー・テイストを投入、アイドル・ソングを超越した大人の楽曲として再生している。

 若さには アクセルだけで ブレーキがついていないと
 少しつらそうに つぶやくあなたの
 眼を見ると 心が痛くなる
 若さには 罪という文字が似合うと
 ため息ついても
 あなたはすぐ 私を許すわ

 どう考えても大人の恋愛、ていうか不倫だよなこりゃ。当時は気づかなかったけど、アイドルに歌わせるには、結構な冒険振り。こういった意図に遅ればせながら気づくのが、大人になるということなのだろう。



6. くらやみ乙女
 『回帰熱』リリースとほぼ同時に発表された、フォーク・グループ白鳥座の佐田玲子に提供されたソロ・デビュー・シングル。ちなみに彼女、名字から察せられるようにさだまさしの妹。
 対象がアイドルではなく、いわゆる同業者だけあって、歌詞の気合の入り方がまるで違っている。ていうか、ほとんど自作と同じ熱量が込められている。

 通りがかる町の人が 私を叱ってゆく
 「目を覚ませ 目を覚ませ 思い知っただろう」
 世の中なんて やきもちばかり
 あきらめさせて喜ぶ そうでしょう

 血のように紅い服で あなたに会いにゆくよ
 せめてひとつ教えて 少しだけは本気もあったよね

 当時、ネガティヴなキャラクターだった佐田とみゆき自身とが遭い混じった歌詞に思われるけど、ちゃんと聴いてみると、どこか微妙に違っている。
 ここで書かれているみゆき的世界観は過去の自分をなぞったもの。もうこの場所にはいない。ここに書かれているのは、ご乱心期以前の「怨み節」を綴っていた自身を客観的にシミュレートした、ヴァーチャルなみゆき像だ。

7. 儀式
 1986年リリース、アイドル松本典子に提供された6枚目のシングル。オリジナルをYoutubeで観たのだけど、お世辞にも歌唱力が良いとは言えない仕上がり。なんとなく聴いたことがあるのは、多分「ドリフ大爆笑」あたりでアイドルの歌コーナーで見た記憶が残っているのだろう。実際、動画もフジテレビっぽかったし。

 もしも私 あなたと同い年だったら
 もしもあなた いつまでも学生でいられたなら

 この松本ヴァージョンの2番の歌詞が、『回帰熱』ヴァージョンではこう改変されている。

 幻を 崖まで追い詰めた あの日々
 耳を打つ潮風は 戯言だけを運んだ

 この書き換えっぷりといったら、まったく別内容。ここまでの振り幅を持つ楽曲である。

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8. 未完成
 1987年リリース、薬師丸ひろ子4作目のオリジナル・アルバム『星紀行』に収録。最近ではすっかり大滝詠一寄りの彼女だけど、当時は「時代」や同アルバムに収録の「空港日誌」など、みゆき楽曲を良く取り上げており、女優とアーティスティックな活動とを並行させていた。
 ニューミュージック色強いメロディとソフト・タッチのヴォーカルは歌謡曲テイストが強く、時にマイルドな演歌に流れがちだけど、ある意味こういった方向性を模索していたのが、当時のみゆき。奇をてらったアレンジや凝ったコード進行に頼るのではなく、オーソドックスに純化したフォーマットの中で、どれだけ新局面を見せることができるのか。そこへのこだわりようが見えてくる。

9. 春なのに
 ラストはすっかり卒業ソングの定番となった、柏原芳恵1983年のシングル。オリコン最高6位、年間チャート31位は彼女にとっては最大のヒットとなり、また永遠のスタンダードとして語り継がれることになった。
 もともと歌唱力に定評のあった柏原、そして自身も卒業に近い年齢だったこともあって歌声にリアリティが加味され、楽曲はここで一応の完成を見ていた。実感が伴わないと響かない曲というのは確かにある。みゆきもまた、それを覚悟はしていたはず。
 みゆきが行なったアプローチ、それは単純に曲に対して素直に向き合うこと。変に柏原と違う角度から見るのではなく、自身から湧き出てきた楽曲に対して、正面切ってストレートに歌ってみること。ただそれだけだった。ていうか、それしか方法はなかった。
 そんなみゆきに応える形で、瀬尾自身もメロディを引き立たせるため、可能な限りシンプルなアレンジ、そしてそのために呼ばれたのが、当時はまだ無名だったアコーディオン・プレイヤーcobaの存在だった。普通に奏でるだけで憂いを放つ彼の音色は、曲のテーマとぴったりだった。さすがおっしょさん、やるじゃん、といったところ。



 春なのに お別れですか
 春なのに 涙がこぼれます
 春なのに 春なのに
 ため息またひとつ

 出会いと旅立ちの春のはずなのに、立ち上がる時は結局ひとり。

 卒業しても 白い喫茶店
 今まで通りに 逢えますねと
 君の話は なんだったのと
 聞かれるまでは 言う気でした

 昭和時代の、恋愛とも言えない高校生同士の憂いとためらい。あいまいな感情の機敏が交差する心象風景を活写した、80年代アイドルソングの傑作。なのに、「レココレ」80年代アイドル・ソング・ランキングでは39位と微妙な成績。いやいや、もっと上でいいでしょ。「現象」としてのキョンキョンやおニャン子の快進撃は認めるけど、楽曲としてのクオリティはこっちの方が断然上。
 



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