folder 1974年にリリースされた、通称3部作のラストを飾ったアルバム。これまで短いペースで立て続けに「濃い目」のアルバムをリリースしているにもかかわらず、さらにこの後、大作『Songs in the Key of Life』が控えているのだから、ほんと「音楽の神」が降りてきてどっしり居座った状態である。これだけ短期間にハイ・ペースかつハイ・クオリティの作品を連発しているのだから、何か怪しげなドラッグでもやってたんじゃないかと勘繰ってしまうものけど、Stevieに限ってはそんな話聞いたことがない。そんなモノに頼らなくても脳内ドーパミンが出っぱなし、いつもニコニコしている印象である。
 リリース前年にあたる1973年、前作『Innervisions』をリリースして間もなく、従兄弟の車に同乗していたStevieは事故に遭い、結構シャレにならない状態で生死を彷徨うことになる。もともと欠損していた視力に加え、一時的ではあるけれど味覚と嗅覚を失い、そのせいもあったのか、心境的に転機が訪れることになる。
 革新的なサウンド作りに躍起になっていた前作までと比べ、ここでは悟りを開いた修行僧のごとく、達観した静かなサウンドで満たされている。のちのStevieサウンドの特徴である、大河の流れのごとく壮大で緩やかなバラード・ナンバーが顕著になったのも、ちょうどこの辺りから。アップテンポ・ナンバーが少ない分、耳を惹く派手さも少ないけど、虚ろな時代の流れに揺らぐことのないスタンダード・ナンバーを創り上げることを、Stevieの中の精神的な部分が希求したのだろう。

 そのようなアクシデントによる前評判も手伝って、これだけ地味なアルバムにもかかわらず、US1位UK5位という好成績を収めている。この時期はStevieにとっては確変状態が続いており、グラミー賞においてもベスト男性ポップ・ヴォーカル、最優秀アルバム、ベスト男性R&Bパフォーマンス、3つの部門で授賞している。1個貰えるだけでも大騒ぎだし、ノミネートされるだけでも簡単には行かないはずなのに、この時期のStevieはいとも簡単に複数授賞を果たしており、まさしくグラミー賞とはStevieのためにあった、と言っても過言ではない。あのPaul Simonでさえ、「Stevieのリリースがなかったから、僕が授賞できた」とコメントしたくらいだし。

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 で、前回の続き。メジャーとも引けを取らない巨大企業に成長したモータウンではあったけれど、内実は閉鎖的な同族経営が続いていた。どこの企業でもそうだけど、一代で成り上がった創業者が存命中の場合、他企業では想像もつかない謎理論によって独裁制が敷かれることが多い。
 『What’s Going On』で革新的なソウル・ミュージックの新たな地平を切り開いていたMarvin Gayeでさえも、社内の論理に逆らうことはできなかった。モータウン黎明期から粉骨砕身の思いで会社に貢献、オーナーBerry Gordyの姉Annaとの政略結婚によって、どうにか幹部クラスにまで上り詰めることができた。そういった立場もあって、経営状態や販売計画にも関与せざるを得なかった。音楽的には何のメリットもないDiana Rossとデュエット・アルバムを制作したのも、今後のDianaの販売戦略に基づいた営業政策上、致し方なかったことであって、Marvin個人としては、ビジネスライクに徹しなければならなかった。やるからにはきちんとMarvin Gayeとしての職責を果たしてはいるけど、どうせ手柄はDianaに行くことはわかっているのだから、どこかお仕事的な面は否定できない。それでも十分傑作だけどね。

 こういった比較は正確じゃないかもしれないけど、「すっごく」わかりやすい例えとして、いま現在のジャニーズ事務所内の力関係に例えると、ちょっとスッキリする。レーベルとしてのイチオシであるJackson 5やDianaが嵐で、マッチやヒガシに例えられるのがSmokey Robinson、そしてそのSMAPに値するのがMarvin、その弟分としてのキスマイがStevie、と勝手に想像してみた。
 オーナーGordyと共にレーベルを立ち上げ、初期の稼ぎ頭として大きく貢献したSmokeyはある意味モータウンの象徴、レジェンド枠で扱われる人物である。一応現役でもやってはいるけど往年の勢いは薄れ、でも人格者ゆえの人望は厚い。なので、権力争いからは一歩身を引いた印象。
 で、レーベルの基本路線であるポップ・ソウルとは一線を引き、外部のサウンドやノウハウを貪欲に吸収することによって、独自路線を築き上げたMarvin、それにStevie。モータウン・サウンドの幅を広げ、実際に利益をもたらした功労者ではあるけれど、会社のスタンダードにはなり得ない。新たな収益策を見出したことは本来評価されるべきなのだけど、創業者オーナーの発言力が強い同族企業においては、会社への服従こそが美徳とされ、独断専行は評価の対象にはなり得ない。
 レーベル・カラーを無視したサウンドを展開するMarvinやStevie、時代に応じたバリエーションのひとつとしてはアリかもしれないけど、傍流はあくまで傍流、それよりも、もっと従順で品行方正なJackson 5やDianaを売っていきたいのだ、モータウンとしては。
 とは言ってもStevieの場合はちょっと違っていて、いわゆるモータウンの血族には入ってなかったおかげもあったのと、世代的にもMarvinやDianaとは離れていたため、会社の意向を強要されることは少なかった。
 ていうかStevie、相当なタマの持ち主で、会社の論理に取り込まれるかなり前から手を打っていた。

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 若干12歳でモータウンからデビュー、自分のレコードをリリースさせてもらうだけで満足していた少年時代のStevieだったけど、次第に会社への不満や疑念を抱くようになる。
 「もしかしたら俺、会社からギャラ抜かれすぎじゃね?」
 結構な数のシングルをチャートに送り込んでいたし、時には他アーティストへの楽曲提供も行なっていたので、それ相応の報酬が支払われてもいいはずなのだけど、いつも渡されるのは小遣い程度。
 「未成年に大金を持たせるわけにはいかないから、信託預金にしておいてあげる」という甘言を真に受けていたStevieだったけど、どう計算しても実績に見合った利益を得ていない、と感じるようになる。
 デビュー当時に結んだ契約に穴があった。
 「Stevieの制作した楽曲の著作権は、すべて会社に帰属するものとする」。
 この不当契約に値する一文によって、Stevieの収入はちょっとした子役並みに抑えられていた。
 Stevieに限らず、当時のミュージシャン契約は文字通り子供だましレベルの内容で、隅から隅まで契約書に目を通す者は少なかった。ブルースの世界では、ストリート・ミュージシャンにウイスキー1本買い与えてスタジオに幽閉し、適当に弾き語りさせたレコードが後の歴史的名盤になった、というのはよくある話。60年代に入ってからも、その状況はあまり変わらなかった。
 普通ならボヤキや愚痴程度で終わってしまい、実力行使に訴えることは少ないのだけど、そこは子役時代から傍目で大人の美醜を観察してきたStevie、泣き寝入りで終わらせようとはしなかった。もちろん周囲のブレーンからの入れ知恵もあっただろうけど、ゆっくり時間をかけて外堀固めを行なってゆく。
 アメリカでは21歳が法的に「成人」と認められる。その時点で後見人の保護から解かれることになり、きちんとした義務と権利を主張できるようになる。
 「成人になった時点で、未成年時に締結した契約はすべて無効となる」
 なのでStevie、19歳から21歳までは創作活動のペースがガタンと落ちる。ていうか意識的に落としている。これ以上不当な搾取をされないため、契約履行の最低基準ギリギリまでセーブしたのだ。当然セールスは減少するし、人気にも陰りが出る。周囲は才能の枯渇かと揶揄する者もいたけど、雑音は無視してこっそり曲のストックを溜めていった。人気商売ゆえ、それは一歩間違えれば二度と這い上がることができない恐れもあったけど、不正に搾取する連中がどうしても許せなかった。

 21歳になると同時に、Stevieはモータウンに通告する。
 「これまでのレコーティング契約、著作権契約、マネジメント契約を全て破棄する」
 もちろん弁護士を通しており、その辺は抜かりがない。しかも自前で音楽出版社「タウラス・プロダクション」を設立、今後はそこから配給してゆく手はずを整えた。
 ここまで用意周到に段取りされてしまうと、もはやモータウンとしても手の出しようがない。電光石火の手際の良さが功を奏し、その後はStevieの思い通りに事が進むことになる。自己プロデュース権の獲得、未払い印税の清算、著作権の委譲など、これまでにない好条件でモータウンとの再契約を結ぶことになる。モータウンとしても、下手に独立されたり他のレーベルへ移籍されるよりは、と大幅な譲歩の上、対等のビジネス・パートナーとして手を組んだ次第である。
 周囲の環境がすべて整い、不安材料もすべてクリアとなって、あとは純粋な創作活動へ向かうだけ。
 ここからStevieの快進撃が始まる。


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1. Smile Please
 邦題「やさしく笑って」。"You Are the Sunshine of My Life"に似たゆったりした曲調の、それでいてしっかりグルーヴ感を出したナンバー。『Innnervisions』のオープニング”Too High”がファンキーなアッパー・チューンだったのに対し、ここではしっとりした幕開けになっている。
 David T.Walkerを思わせるトロけるギターは、初参加となるMichael Sembelloによるもの。また、バック・コーラスにはDeniece Williamsが参加。地味なナンバーなのに、豪華メンツを揃えている。



2. Heaven Is 10 Zillion Light Years Away
 邦題『1000億光年の彼方』は言いえて妙。こちらも流れるようなゆったりした曲調にもかかわらず、リズム・パターンが人力ハウスっぽくてレアグルーヴ的にも評価が高い。
 常連だったSyreeta Wright参加は順当として、なぜかPaul Ankaが参加している。1973年当時ですでに懐メロ歌手扱いとなっていたはずなのにどうして?と思って調べてみると、1968年にFrank Sinatraにあの”My Way”の詞を提供したのがきっかけとなって前線復帰、再び現役シンガーとしてバリバリ活動中の頃だった。ていうか”My Way”、そんな新しい曲だったの?もっと古い歌だと思ってた。

3. Too Shy to Say 
 ほぼピアノ・メインで弾き語られる美しいバラード。そっと寄り添う感じで優しく響くスティール・ギターの音色、そしてこれも目立たないけど、James Jamersonによるウッド・ベースの調べ。あくまで歌を引き立たせるための、出しゃばり過ぎないプレイ。

4. Boogie on Reggae Woman
 ほぼStevie単独で創り上げたレゲエ・ナンバー。ムーグ特有のリズム・サウンドでちゃんとグルーブ感を出せるのは、やはりStevieならでは。でもこれってリズム・パターンはレゲエだけど、全然レゲエっぽくないよね。Stevieもダルっぽいニュアンスのヴォーカル・スタイルだけど。なので、タイトルにレゲエと入ってはいるけど、完全にStevieオリジナルのサウンドに仕上がっている。
 US3位UK12位まで上昇。レゲエにこだわらなければ、全然良質のポップ・ファンク・チューン。

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5. Creepin
 おなじみMalcolm CeciltoとRobert Margouleff 3人で創り上げたバック・トラックだけど、あまり技巧を凝らしておらず、この上なくシンプルなサウンド・デザイン。
 Minnie Ripertonとのデュエットというのも目玉なのだろうけど、特筆するのはやはりこのミステリアスなメロディ・ライン。落ち着きどころが定まらず、浮遊しまくるコードに乗せて、普通なら破綻しているはずのメロディが、きちんとまとまっている。なんでこんな曲書けるの?ていうかどうしてこれでまとまっちゃうの?と思ってしまう。



6. You Haven't Done Nothin'
 レコードではここからがB面。クラヴィネットの音色がもろ”Superstation”なので、多分ベーシックは同時期に録られたものと思われる。
 ここでの目玉はやはりJackson 5のコーラス参加。世代的に長兄JackieとStevieはほぼ同世代だけど、モータウンのキャリア的にはStevieが全然先輩、そこはやはり胸を貸していただく立場である。正直、サウンド的にはそれほど大きな貢献はしていないのだけど、まぁ話題性としてはアリだったんじゃないかと思う。ちなみにJackson 5、この頃はすでにキャリアのピークを過ぎており、モータウン的にもそろそろ肩たたきの準備を始めていた。
 邦題”悪夢”。US1位UK30位。いい感じでファンキー・チューンなのに、UKでは反応が薄かったのはちょっと不思議。

7. It Ain't No Use 
 邦題“愛あるうちにさよならを”。このサウンドをうまく表現したタイトルである。先ほど登場した2代歌姫DenieceとMinnieがコーラスで参加。「Bye Bye」というリフレインはキャッチーであって、そして切なさも感じさせる。Stevieのヴォーカルのノリも良い。なのに、当時シングル・カットしなかったのは失策。いい曲・いいプレイなのになぁ。
 ほんと、何やってんだモータウン。

8. They Won't Go When I Go
 邦題"聖なる男”。ほぼ打ち込みで作られた幽玄さの漂うバラード。前作『Innnervisions』では積極的に社会問題とコミットしたナンバーを歌っていたけど、ここではStevie、もっとシリアスに踏み込んで、人間の内面に鋭く切り込んだ歌詞を書いている。

 人間の欲望から 僕は遠ざかろう
 そして 僕の魂は自由になる
 そして彼らは 僕に従うことはない
 僕が信じることを 魂が理解したその時から
 僕は王国を見るだろう

 死の淵を垣間見てきた者の叫び。それはどこへ届くのだろう。

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9. Bird of Beauty
 レゲエの次はラテン風味のボサノヴァ・チューン。デュエットのDenieceの硬質なヴォーカルがサウンドに心地よい緊張感を与えている。サンバのリズムはもっと享楽的であるはずなのだけど、ここでのStevieは汗をかいていない。どこかクールな印象が終始付きまとっている。
 なんでだろう、と思っていたら、エコー成分がほとんどないことに気づかされる。解放感よりはむしろ閉塞感、密室で行われたセッションは現実味が薄い。でも、そのヴァーチャル感こそがStevieの狙いだったのか。

10. Please Don't Go 
 ラストは大団円、ゴスペル・タッチのコーラスがセッションを盛り上げている。今アルバムのMVPであるDenieceもそうだけど、ア・カペラ・グループPersuasionsもまたキャリア最高のコーラスを披露している。どこかシリアスで閉塞感が漂っていたアルバムだけど、ここではグルーヴィーなStevieが堪能できる。あまり披露してなかったハープも吹きまくってるし。





 これは余談だけど、このアルバム・リリースの翌年、Jackson 5はいろいろと制約の多いモータウンとの契約を解消、CBSに移籍することになる。しかし、3男Jermaineは当時、Gordyの娘と結婚していたため身動きが取れず、彼だけはモータウンに残留することになった。当然、Jackson 5の商標はモータウンが持っていたため継続使用することができず、彼らはJacksonsに改名して再スタートを切ることになる。Michaelと人気を二分していたJermaine脱退のマイナス・イメージを薄めるため、彼らは末弟Randyを加入させることでイメージ回復に努めた。
 Jermaineが取り残されたのか、それとも自らここに残ると断言したのか、今もまだ諸説飛び交う状態だけど、Marvin同様、ファミリーに取り込まれたのなら抜け出すのは難しい。いくら同じ釜の飯を食ってきた兄弟とはいえ、大人になってしまうと自分たちの意向だけではどうにもならない部分もあるのだ。
 どっかで聞いたような話だな、ここ最近。



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