folder 1979年リリース、みゆき5枚目のアルバム。オリコン最高2位の大出世作となった前作『愛していると云ってくれ』の勢いもあって、ここでは初の1位に輝いている。
 当時のアルバム・チャートはほぼ3分の2が、みゆきを含むニューミュージック勢で占められている。残り3分の1が洋楽といった構成になっており、純粋に歌謡曲と言えるのはピンク・レディーと山口百恵のそれぞれ1枚ずつだけ。ただヒット曲を詰め込んだだけで統一感の薄い歌謡曲のアルバムには、まだ強いニーズがなかったこと、シングル盤中心の販促方針だった歌謡曲とはきっちり棲み分けができていたことが窺える。当時の百恵のアルバムなんて、あの"いい日旅立ち"を軸として、当時のアイドルとしてはしっかりしたコンセプトで製作されているのだけど、当時はシングル以外の曲はほとんど顧みられることもなく、再評価されるにはずっと先を待たなければならなかった。
 で、みゆきのこのアルバムは年間チャートでは21位、もうちょっと細かく調べると、当時の売り上げ枚数は32万7000枚となっている。当時の年間1位だったゴダイゴのアルバムが50万枚ちょっとなので、相対的に考えると健闘した方なのだけど、最高2位だった『愛していると云ってくれ』が40万枚オーバーという結果になっている。単純に考えると勢いが落ちたようにも思えるのだけど、前作は勢いづいたあまり、初のドラマ出演まで果たしてしまったシングル"わかれうた"の押し上げが強かったせいも考えられるため、この辺が当時のポテンシャルとしては適正値だったんじゃないかと考えられる。

 どのアーティストにも言えることだけど、特にみゆきの場合は一時のセールスだけで判断するのは間違いで、このアルバムにも後々まで語り継がれることになる名作”狼になりたい”や”片想”など、重要作が数多く収録されている。あとはプロモーションの問題であり、クオリティと実売とは必ずしも比例するものではない。
 キラー・チューンとも言えるキャッチーなシングル曲が収録されなかった、またはその気がなかったということだけど、それは前述の歌謡曲的なアルバムの構成からの脱却とも言える。結局『愛していると云ってくれ』だって、ヤマハの思惑としては"わかれうた"を軸としたフォーク歌謡的な怨み節満載、重苦しい情念てんこ盛りのコンセプトで製作されたはずなのだけど、当時のヤマハ特有のコッキーポップ周辺人脈によるアルバム製作に不満を感じ始めたことによって、"わかれうた"が傍に押しやられたような構成になったわけで。キャリアを重ねるにつれ、ただスタジオに行って歌とギターをちょっと吹き込んで、あとはスタッフにおまかせ、というスタイルに不満を感じ始めるのは、みゆきのように真摯なアーティストにとっては避けられない成り行きである。
 とはいえ、営業戦略的に考えれば、せっかく"わかれうた"で火が点き始めたというのに、セールス・ポイントとなるキャッチーなシングルが収録されないというのは、ヤマハ的にはちょっと痛手である。この80年前後という時代は、クリスタルキングや雅夢、チャゲ&飛鳥らのポプコン出身者によってシングル・チャートを結構かき回していたのだけど、あいにくコンスタントにアルバムを製作できるポテンシャルを有していたのはみゆきと八神純子くらいなもので、ラジオのディスク・ジョッキーで好評を博していた谷山浩子も中堅どころ、セールス的に大きな広がりを見せられずにいた。
 なので、今でもそうだけど、彼女の動向はヤマハの社運を大きく左右しており、みゆき自身もその辺は理解していたはずなのだけど、まぁそんなのは正直どうでもよかったんじゃないかと思われる。アベレージは軽くクリアしているし、それより大事なことは山積みだったのだ。

HJ-908-1

 その"わかれうた"大ヒットによる功罪として、圧倒的に知名度はアップしたのだけど、そのぶん頼まれ仕事、純粋な創作活動以外の雑務が増えたことも確か。以前からコラボしていた研ナオコ・桜田淳子以外にも、主に歌謡曲畑からの楽曲提供オファーが増えている。
 その研ナオコをモチーフとして描いた「恋愛ごとに恵まれない20〜30代の女性の独白」的イメージが強かったせいもあって、グラシェラ・スサーナや日吉ミミ、小柳ルミ子など、もっぱら大人の女性を歌えるシンガーからの依頼が多い。このように表に出た作品以外にも、仕上がりがイメージと違ってたり、諸事情によりボツになったものも含めると、相当数の楽曲を書き下ろしてたんじゃないかと思われる。
 ただ、みゆきはあくまで基本は自作自演のシンガー・ソングライター、職業作家ではない。研ナオコや加藤登紀子のケースではみゆきの作風とうまく合致して、相乗効果によって楽曲の世界観も広がったけど、それが必ずしもいつもマッチするわけではない。そういった視点で見ると、みゆきはプロの作家としては足りない部分も多い。どんな条件・オファーでも80点以上をクリアできる職人ではないのだ。とは言っても、ハマった時はそのシンガーのキャリアに確実に爪痕を残すほどだし、その命中率も他のシンガー・ソングライターと比べてもダントツなのだけど。
 みんながみんな、研ナオコ的なイメージでオファーするけど、それがマッチしてるかどうかは別問題なので、イマイチちぐはぐな印象の楽曲が多いのも事実。「"わかれうた"っぽく、それか研ナオコっぽくね」と言われてその通りに作ったとしても、歌う側が研ナオコじゃないので、「何か違う」感が漂っていても当たり前である。大ヒットの功罪はこんなところにも出てくる。

 この時期にリリースされたシングルが"おもいで河"。"わかれうた"大ヒットから約1年、満を持してのリリースだったため、ヤマハ的にもポニー・キャニオン的にも力が入っており、多分みゆきもそんな空気は感じてたんじゃないかと思われる。なので、まんま”わかれうた”である。イントロからコード進行、サビのメロディまでほんと”わかれうた”の二番煎じ的な内容である。本人がここまでやっちゃったのなら、もう何も言うことはない。完全に会社の期待に応えるため、なのでいまいち伝わってくるものが薄い。オリコン最高19位というのも納得してしまう出来である。要するに、可もなく不可もない、きちんと作った”続・わかれうた”といった感じのサウンドである。
 この時期のみゆきは前述したように、お仕着せのフォーク歌謡アレンジに違和感を抱きつつあった頃だけど、その辺はまだあやふや、何か違うことはわかってはいるのだけど、明快なスタイルが定まっていない、もしあったとしてもそこに至るプロセスやノウハウがない時代でもある。あの時よもう一度といった感じのコンセプトで制作されているので、ここは従来通りのオーソドックスなフォーク歌謡スタイルに落ち着いている。
 そういった地味なポジションのシングルのため、俺もあまりちゃんと聞いたことがない。収録されているのが3枚組ベストの『Singles Ⅰ』だけ、しかも初期楽曲中心に構成された3枚目という曲位置のため、正直一番流し聴きしてしまうポジションである。今回も最初から3枚順番に聴いていくとまた聴き流してしまいそうなので、"おもいで河"だけを聴いてみた。聴いてみたところ…、うん、”わかれうた”だよな、やっぱ。
 アルバム未収録曲については、また近い将来に。

495x496-2015021300178

 前作から参加ミュージシャンの顔ぶれにロック畑の人選が多くなってはいたのだけど、既存のニューミュージック・テイストのアレンジが多くを占めていたため、彼らの技量が最大限に活かされていたかといえば、そのへんはちょっと疑問が残る。『愛していると云ってくれ』から引き続き参加している鈴木茂や石川鷹彦、つのだ☆ひろらもニューミュージック系アーティストのレコーディングにおいては場数を踏んでおり、「まぁこんな感じでしょ」的な無難なプレイも多かったと思われる。彼らにとって中島みゆきとは、数多くこなしてきたフォーク系アーティストの1人でしかなかったのだ、この時点では。
 とは言っても彼らもプロ、「フォーク歌謡から脱却したい」というみゆきサイドの意向を受けて、これまでよりもリズム感が増し、一聴してロック調のアレンジも多くなる。フォーク歌謡からフォーク・ロックを志向するようになった転機とも言えるサウンドが展開されている。
 ただ、まだ完全に消化しきれていない、中島みゆきとしてのオリジナリティが充分に発揮されていないのも事実。フォーク・ロック調、ブルース調とバラエティに富んではいるけれど、まだアレンジャー主導、スタジオ・ミュージシャン主導の音作りであり、肝心のみゆきはまだ「誰々風で、〜みたいなサウンドで」といったオーダーしか出せていないのが現状である。コンセプトのニュアンスが伝えきれていないのだ。
 自分の楽曲にしっくり来るサウンドを求めて悪戦苦闘するその姿は、以前書いたLaura Nyroのそれと通ずるものがある。―中途半端なサウンドなら、むしろギター弾き語りの方がマシだ―。そこまで強く言い切れないみゆきがいるのも事実である。漠然としてはいるけれど、どこかに理想の音があるはずなのに。

 この時代のニューミュージック系アーティストはみゆきに限らず「アルバム・リリース→即ツアー」という流れが一般的だった。なので、きちんとまとまった創作期間を取れず、しかも楽曲提供だ取材だラジオのレギュラーだもあったため、スタジオに入るのも断続的だったことは想像できる。時間が足りなくて詰めの作業を充分に行なえず、納得行かない形で世に出してしまった作品もあっただろうし、事実、素人目に見ても「もうちょっと練ってもよかったんじゃね?」的な楽曲もある。
 でも当時はそれが精いっぱいだったろうし、それはそれで当時のみゆきの葛藤が克明に記録された痕跡でもある。


親愛なる者へ
親愛なる者へ
posted with amazlet at 16.02.24
中島みゆき
ヤマハミュージックコミュニケーションズ (2001-03-28)
売り上げランキング: 5,904




1. 裸足で走れ
 いきなり尺八のむせびからスタート。ヴォーカルも力強く、どこかプロテスト・ソング的なムードを感じさせるナンバー。このナンバーで目立ったプレイを見せているのがベースなのだけど、ほんとリード・ベースとも形容すべきグルーヴしまくったラインを奏でている。なぜかThumb Picking Powerという変名になっているけど、多分後藤次利じゃないかと思われる。彼じゃないと、こんな変態ベースは弾けやしない。契約の関係か何かでクレジットできなかった、とは俺の推測。
 この時代あたりから文化人界隈でのみゆき評価が上昇し、特に現代詩とも拮抗するクオリティが称賛されることになるのだけど、特にこの歌詞は様々な問題提起を孕んでいたため、俎上に上ることも多かった。

 裸足はいかがと すすめる奴らに限って
 グラスを 投げ捨てる
 ささくれひとつも つくらぬ指なら
 握手もどんなに 楽だろう

 この時点ですでに、したり顔の文化人風情に向かって強烈な皮肉を投げかけているのに、なのに彼らは自分らのことだとは思わず、「痛烈な社会批判」と勝手に受け止めて手放しでみゆきを賛美する。
 自分では手も汚さず、理屈と言葉だけの連中とは、自分たちのことだというのに。

2. タクシードライバー
 いわゆる「恨み節」とはちょっと距離を置いて、これまでのネガティヴな自分を第三者的な視線で描写した、視点の転換という技巧を凝らした小品。
 タクシードライバーという他者へ語りかけるスタイルを取りながら、その言葉は実際は発せられていない。泣きそぼるばかりのみゆきのそれはただの独白、声にならぬ声でしかない。

 タクシードライバー 苦労人と見えて
 あたしの泣き顔 見て見ぬふり
 天気予報が 今夜もはずれた話と
 野球の話ばかり 何度も何度も繰り返す

 ミディアムのフォーク・ロック・スタイルは聴きやすく、それでいて言葉はきちんと心に残る。一時、マツコ・デラックスが絶賛してちょっとだけ話題になった。



3. 泥海の中から
 ダウナーなタイトルとは裏腹に、軽快なフォーク・ロックは爽快感さえ感じられる。この曲もそうだけど、このアルバムでのみゆきのヴォーカルはリズミカルな曲調に合わせて明るめのトーンが多い。一聴すると耳ざわりの良いポップ・サウンドにネガティヴな歌詞を合わせる手法が具体的な形に表れてきた頃でもある。

 お前が壊した 人の心のガラス戸は
 お前の明日を 照らすかけらに変わるだろう

 ふり返れ 歩き出せ 忘れられない罪ならば
 くり返す その前に 明日は少しマシになれ

 イギリスの短編作家サキにも通ずる痛烈な皮肉を交えながら「前向きになれよ」という、ひねくれ具合が一回転したあげくにポジティヴなメッセージを内包したややこしい曲。

4. 信じ難いもの
 前曲からメドレーで繋がる、ちょっと歌謡曲っぽいメロディが親しみやすい、カントリー・タッチのナンバー。こういった情緒的なギターって、やっぱり鈴木茂の持ち味。洋楽的なバタ臭さも持ちながら、日本人の琴線にダイレクトに響くギター・ソロはさすが。
 サビの部分が特に桜田淳子を彷彿させるし、ちょっと鼻声気味なのが意識しているポイント。

5. 根雪
 シャンソン・タッチのスロー・バラード。これも初期みゆきの楽曲では人気の高いナンバー。シングル向きではないけど、確実にピンポイントで心に響くファンは多い。
 この当時からマイスター的な存在だった石川鷹彦の朴訥なアルペジオは、みゆきの抑えた歌唱に程よい距離を置いて寄り添っている。ラストに向けて嗚咽が混じるヴォーカルに合わせて壮大なストリングスとメロトロンのソロが交差するけど、俺的には前半のシンプルなアレンジが好み。ここまでドラマティックな演出は必要なかったんじゃないかと、いつも思ってしまう。そのメロトロンが時代を感じさせてしまうしね。
 ちなみにこの曲、今のところライブで演奏された記録がない。この曲はこの時限りのもの、と決めているかのよう。歌にまつわる想い出がイヤなのか、それとも、もうこの曲を歌えるみゆきではなくなってしまっているのか。

 いやね 古い歌は
 やさしすぎて なぐさめすぎて
 余計なこと 思い出す
 誰かあの歌を 誰かやめさせて

904914126srn6g314126

6. 片想
 ここからレコードではB面。フォーク・ロックの「ロック」の部分を強調したかのようなヴォーカル・スタイルは、1.同様、プロテスト・ソングのような表情を見せる。独りよがりの恋に浮かれてる「お前=自分」を一歩引いた眼で描写した小品なのだけど、ストレートな解釈の歌を強い口調で語るのはややミスマッチで、声の強さばかりが強調されてしまう。
 その辺に解釈の違いがあったのか、後に発表されたライブ・アルバム『歌暦』収録ヴァージョンでは、声を張り上げず、諭すようなスタイルで歌い直している。俺的にも後者の方への愛着が強い。

7. ダイヤル117
 後半に柔らかなストリングスが入るだけで、ほぼ弾き語りで押し通した、いわゆる「恨み節」的ナンバー。
 “わかれうた”では恋の終わりに「追いかけて 焦がれて 泣き狂う」と歌ったみゆき。ここではもはやそんな状況の先、もはや修復も叶わず会うこともままならない中、それでもこの想いを伝えたくてたまらない、でも電話もできない…。

 張りつめすぎた ギターの糸が
 夜更けに 独りで そっと切れる
 ねぇ 切らないで
 なにか 答えて

 ビジュアル・イメージをまざまざと想起できるこの一節、そして歌詞には一切出てこないけど、誰も答えてくれない時報ダイヤルをタイトルにしてしまうその凄み。
 言葉の切れ味においては最も磨きがかかっていたことをうかがい知れる作品。

8. 小石のように
 その張りつめた糸を一旦緩めるかのような、カントリー・タッチの軽やかなナンバー。初期みゆきのアルバムの中には必ずこういった、ちょっと箸休め的なナンバーが収録されていた。サウンドだけ聴いてると、”キツネ狩りの歌”といつも勘違いしてしまう。
 都会へ旅立つ若者への助言と警句といった趣きなのだけど、ほぼ皮肉めいた色合いも見えない。テーマとしては、”ファイト!”と同じ匂いを感じさせる。

2009124113411

9. 狼になりたい
 全国に吉野家の名を知らしめた、記念すべきナンバー。北海道、特に俺の近辺に吉野家はまだなかったため、歌の中だけではあったけど、存在だけは知っていたのはこの曲があったから。
 恋愛とは距離を置いて、ほんとごく普通の人たちの「人生」を描写してみた作品。ここで登場する「化粧のはげかけたシティ・ガール」も「向かいの席のおやじ」も、普通なら歌になるような素材ではない。どの登場人物もしょぼくれて、何かを諦めている者ばかりだ。

 俺のナナハンで行けるのは
 町でも海でもどこでも
 ねぇ あんた 乗せてやろうか
 どこまでもどこまでもどこまでも…

 だけど、「どこか」に行けるわけでもない。そんなことは男もわかってるし、女だってわかっている。でも、言わずにはいられないし、誰かにそう言ってもらいたいのだ。
 そんな場面を切り取るかのように、みゆきは叫ぶ、「ビールはまだか」と。闇夜を切り裂く重い響きのギターは、悲痛なチョーキングを響かせる。
 「狼」とは何の比喩なのか、という議論は昔から百出しており、肝心のみゆきが真意を話さないので解釈はいろいろ分かれるのだけど、俺的には「普通の人たちの行き詰った日常からの脱出」だと思っている。
 もちろん、狼になれないことはわかっている。みゆきの悲痛なヴォーカルがそれを象徴している。

10. 断崖-親愛なる者へ-
 ソフトなEaglesといった趣きのサウンドをバックに力強く歌うみゆき。Linda Ronstadtになりたかったんじゃないかと思われるけど、キャラから考えるとCarly Simonだよな、似合うのは。
 この曲も当時のノウハウからしてバンド・サウンドとしては質が高かったのだけど、みゆきとしてはもっと言葉に負けない、ハードなサウンドを志向していたのだろう。後年のリメイクではもっとハードなリズムを効かせたサウンドになっており、90年代みゆきの太い声質で歌われている。比べて聴いてみると、確かにリメイク・ヴァージョンの方が歌詞のパッションがダイレクトに伝わってくる。




 サウンドとしてのフォーク・ロック路線がみゆきの意に沿ったものだったかどうかだけど、フォーク歌謡路線からの脱却への第一歩としては大きな一歩だったんじゃないかと思う。壮大なストリングスを導入した曲もあるけど、基本はギター1本でも十分成立するシンプルな構造なので、どの曲もあらゆるアレンジの可能性を秘めており、だからこそリメイクやライブでのリアレンジなど、新しい息吹を吹き込まれながら生き永らえているアルバムでもある。
 ここに収録された言葉の礫の硬さは、多分全キャリアを通しても強い。それは時に、サウンドや歌をも凌駕する。
 強靭なサウンドを追い求めるみゆきの奮闘が始まる頃でもある。



Singles
Singles
posted with amazlet at 16.02.24
中島みゆき
ヤマハミュージックコミュニケーションズ (2004-06-23)
売り上げランキング: 1,585
中島みゆき全歌集1975-1986 (朝日文庫)
中島みゆき
朝日新聞出版
売り上げランキング: 5,837