folder 1965年インパルスからリリースされたアルバム。いつも通り、もう何枚目なのかはわからないし、インパルスにおいても発掘で後付けリリースがいっぱいあるしで、もう何が何だか。没後40年以上経っているにもかかわらず、それだけニーズがあるのだから、Coltrane恐るべし。
 彼の中でもモード・ジャズのひと区切りとして特別な位置を占めているのと同時に、そのクオリティの高さから一般的に代表作とされているこのアルバム、アメリカの雑誌『Rolling Stone』で公開されたオール・タイム・ベスト・アルバム500において、ロック/ポピュラー系が多勢を占める中、数少ないジャズ・アーティストとしては47位にランクインしている。
 ちなみに他に100位以内に入ったジャズ・アルバムは、12位にMilesの『Kind of Blue』、95位に『Bitches Brew』くらいという有様で、圧倒的に不利である。で、これはちょっとギリギリだけど、103位にようやく『Giant Steps』が登場してくる。混戦の中で健闘した方だという見方もできるけど、ジャズという音楽の求心力がそれだけ衰えているという証左でもある。
 ついでに調べてみると、「アメリカの至宝として認定され、スミソニアン博物館にも所蔵されている」との記述。スッゴイ箔がついたよなぁと思ってさらに調べてみると、他にもParliamentの『Mothership Connection』まで入ってるのを見てしまうと、なんかビミョウ。いや、確かに悪いアルバムではないんだけど、Parliament とColtraneを等価として扱うのは、ちょっと方向性が違い過ぎる感が強い。第一、あのGeorge Clintonに畏まった場所はどこか不似合い。むしろ、そういった権威的なモノからは最も遠い存在だと思うのだけど。

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 その権威的なものに取り込まれてしまったわけではないけど、このアルバムの放つ重厚感は『Giant Steps』以上、とにかく俺俺感の強いオーラを放っている作品である。ほんとどこを切ってもColtraneなサウンドなのだけど、その彼が本作レコーディングにあたって強く影響を受けたカバラ主義について調べてみると…、さらにわけがわからなくなった。
 「カバラとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教における密教との類似性を指摘されることがある」。
 以上、wikiからのコピペ。世界の始まりから終わりまでをスピリチュアルに著した教義なんじゃないか、とまではなんとなく理解できるのだけど、じゃあその詳細は何かといえば…、なんかめんどくさくなったので、調べる気が失せた。実は本筋と大きな関係はないし。
 一体どういった経緯でColtraneがこの思想にたどり着いたのか、そしてそれを音楽という手段で表現しようと思い当たったのか。
 彼が特定の宗教に深く入り込んだ、というはっきりした記録はない。だけど、一時苦しんだ麻薬中毒からの脱却を図る過程の上で、アイデンティティの確立を求めてあらゆる思想宗教を学んでいたことは充分考えられる。ただ60年代末という時代においては、次第にサイケの流れを汲むドラッグ・カルチャーの影響が蔓延しつつあり、そこからハルマゲドン的な終末思想、その対極にあるラブ&ピースなお花畑思想が並行して広まりつつあった。そんな中で物静かな読書家でもあったColtraneが、そういった思想にかぶれちゃったのは自然の流れでもある。

 で、そういった過程の上で学んだ知識・経験を音楽として落とし込み、壮大な思想のシンフォニーとして大真面目に創り上げたのがこのアルバムである。
 ちなみに参加メンバーは「不動のカルテット」と評された、
 John Coltrane - tenor sax
 Jimmy Garrison - bass
 Elvin Jones - drum
 McCoy Tyner - piano
 の4人。
 後にColtraneのあまりのフリー・フォームへの傾倒のあまり、極端なコンセプトに着いてゆけなくなったMcCoyが抜け、次にクビ同然にElvinもバンドを去ることになるのだけれど、この頃のバンド・コンセプトは、まだ彼らの理解の範疇にあったということである。いくらメッセージ性やコンセプトがガッチガチであろうと、この頃はまだ音楽としての調性が基本としてあり、プロのミュージシャンとしてのプライドを侵食していない。この後、Coltrane は急速にアバンギャルドなスタイルを志向してゆき、次第にサウンドも無調音階が支配するようになるのだけど、それはもうすこし後の話。

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 そういった混沌の世界に突入する前、まだポピュラー音楽としての体裁が整っていた時期のこの『Love Supreme』、その抹香臭いイメージから難解と受け取られることが多く、軽く聴き流すことが許されないムードがある。確かに冒頭のテナー・サックスの嘶きなどはBGMとして向かないけど、だからと言って必要以上に崇め奉るのもいかがなものかと、俺的には思う。
 思わせぶりに暗示的な物言いの直筆ライナーノーツ、保守系ジャズ・ファンや評論家らの許容範囲に収まる哲学的なコンセプト。「ズージャを理解するのにこれは必聴」と囃し立てるメディアの論調など、もうちょっと気軽に聴いてみたいビギナーやライト・ユーザーへの敷居を上げるだけ上げてしまって、ちょっと近寄りがたい存在になっているのが現状である。
 でもね、レジェンドだって下世話な面もあるし、案外話してみると気さくな面もあるんだよ。強面のイカついオッサンがすごくイイ笑顔を見せる場合もあるように、第一印象だけで判断するのは早計、逆に後の好印象が引き立ってくることだってある。
 以前レビューしたPink Floyd 『Final Cut』もシリアスなコンセプトが前面に出過ぎていろいろ誤解されてるけど、通して聴いてみるとDavid Gilmourの音楽センスによって、いくつかの曲はまともなコンテンポラリー・サウンドとして成立している。コンセプト・リーダーであるRoger Watersの影が強すぎるせいもあって、全体的には陰鬱としたアルバムだけど、これはこれで良いところだってあるのだ。何だかんだ言っても俺『Final Cut』結構好きだし。

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 なので、この『Love Supreme』も思ってるほどには難解ではない。コンセプトがどうしたカバラ思想がどうしたというのはColtraneの勝手であって、聴く側がそれを過剰に意識する必要はない。だって、McCoy やElvinらがそこら辺を十全に理解した上でプレイしているのかと言えば怪しいものだし、第一彼ら、多少畏まってはいるけど、基本は平常運転である。
 Floydと違って歌詞がないモダン・ジャズでは、具体的なメッセージが伝わりづらい面があるため、逆にそこが断定的な印象を回避している。「あの人は取っ付きずらい人だよ」という余計な言葉には耳を貸さず、普通に聴いてみればよいのだ。
 そんな感じで先入観を抜きにして聴いてみると、冒頭の嘶きさえクリアしてしまえば、モダン・ジャズのオーソドックスなマナーに則った演奏であることがわかる。そりゃリーダーがそっち方面に行っちゃってる状態だから、メンバーも一応合わせてはいるけど、基本はモダン・ジャズの本流の人たち、ベーシックな部分は何も変わらない。
 そのオーソドックスな部分と、Coltraneが徐々に傾倒しつつあるフリー・フォームとの絶妙なバランスが拮抗し合った瞬間というのが、この『Love Supreme』である。そのバランスを微妙に維持しながら、このカルテットはもう少し生き長らえることになるのだけど、次第にColtraneのベクトルが強くなり、1人また1人とバンドを離れ、引き継ぎメンバーは次第にフリー志向のミュージシャンが多くなってゆく。


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Part 1–Acknowledgement(承認)
 冒頭、そのサックスの嘶きは『My Favorite Things』を思わせる瞬間もあるけど、それも束の間、進むにつれ不穏さが増してゆく。探るようなMcCoyのシンプルなコード・プレイ、それに乗せて序盤はアイドリング気味のColtrane。徐々にエンジンが温まるように、次第にアタックが強くなるElvinのドラム。ここはColtraneの独壇場、全知全能のシャーマンの如く、他メンバーのソロを挟む余地はない。
 有名なラストは呪詛のようなモノローグ「Love Supreme」のリフレイン。細かく刻まれるシンバルの響きの中、それは深い地の底から不気味に響く。不協和音気味のMcCoyのピアノの調べ。彼の思うところのフリーなプレイだけど、あいにくメロディを奏でてしまっている。もっと一音一音がいびつでなければならないのに。

Part 2–Resolution (決意)
 1.ではあまり出番の少なかったJimmyのソロからスタート。ここでのColtraneはメロディアスなフレーズを多用しており、アトランティック期に戻ったかのようなオーソドックスなプレイを展開している。カクテル・ピアノっぽいMcCoyのパートもここでは活きており、かなり興が乗ったのか、1人オーケストラとも言える超絶プレイを披露している。
 この曲だけ抜き出して聴くと、普通に軽快で聴きやすいモダン・ジャズなのだけど、そういった聴き方を想定して作られたアルバムではない。Coltraneとしては最初から最後まで通して聴かせることを想定して、このシンフォニーを構成している。
 でも、軽快なColtraneを堪能するのならオススメのナンバー。



Part 3–Pursuance (追及)
 1分半にも及ぶElvinの絨毯爆撃的ソロ。ここでもMcCoyは頑張っているのだけど、やはり全体のコンセプトと照らし合わせると、彼の音は軽く響いてしまう。その辺がColtrane的には物足りなく感じているのか、McCoyパートがが終わった途端、まるで「どけやコラ」とでも言わんばかりにソロを吹き始める。その響きは焦燥感とイラつき、ネガティヴな感情をむき出しにしている。悠長なBGMで満足してんじゃねぇぞ、とでも言いたげに。
 そりゃ臨界点を超えて未踏の境地に至りたいのもわかるけど、逆にメンバーに一人くらい、McCoyのようにクレバーなスタイルでプレイする者がいないと、ほんとバンド・アンサンブルは破綻へ突き進んでしまう。Coltraneとしてはそこを狙っていたのだろうけど、そうなっちゃうとこのアルバムがここまでの支持を得ることもなかったわけで。
 ナパーム弾と迫撃砲と対空ミサイルをまとめて投下するような爆音を連打するElvinソロに続き、締めるのは静寂としたJimmyの長尺ソロ・プレイ。爆撃後の焦土はとても静かで、そしてそこに救いはない。すべてを打ち壊し、焼き尽くした後に残るのは、途方もない深さの絶望。
 晩年までColtraneと行動を共にすることになるJimmy、一蓮托生の心構えで追随してきた彼はColtraneにとって最大の理解者であり、そして共に荒野をひた走る戦友でもある。弦を指で擦る響きにまで、Coltraneの意図が反映されている。



Part 4–Psalm (賛美)
 ただこの時点では、Jimmyに限らずElvinもまた良き理解者であった。呪詛とも嗚咽とも取れるColtraneの太い音色に寄り添うように、時折はるか遠くの雷鳴のような打撃音を放つ。もうひとつのリード楽器であるピアノの音色は、やはりどうしても軽い。ただ、ピアノまでオドロオドロしくなると、「愛」もへったくれもなくなってしまう。
 ここでのColtraneのプレイはゆったり、大河の流れのように緩やかである。どの辺が「賛美」なのかはわかりかねるけど、未来へ繋がる希望も見えぬまま、焼き尽くされた焦土の上で、組曲は終わりを告げる。


 本当に難解になるのはこの後、実質的なフリー・ジャズ宣言となる『Ascension』 からである。Farrell SandersやArchie Sheppらによる制御不能な集団即興演奏が延々と展開され、次第には妻Aliceまでバンドに引っ張り込んで、混沌をそのまま投げ出したようなサウンドが支配するようになる。確かにカテゴリー上はジャズではあるけれど、旧来のジャズとはまったく違った音楽への探求が始まることになり、それと並行してColtraneの健康状態も蝕まれてゆく。


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