folder 『Aja』リリース後の Steely Dan、Donald FagenとWalter Beckerはしばしの休養期間に入るはずだったのだけど、アメリカ人にしては珍しく享楽的ではない彼ら、結局のところはせっかくのバカンスも持て余し、これまでと変わらない日常が流れるだけなのだった。
 ライブ活動から長く遠ざかっていたせいもあって、今さらツアーに出ろと強制する者はいなかった。プロモーション活動と言っても、むさ苦しいヒゲ面の二人組では、TVショーでも絵面が持たないだろうし、またそれほど気の利いたことが言えるキャラクターでもない。せいぜい『Rolling Stone』など、有名雑誌のインタビューをいくつか受けて、それで終わり。あとはダラダラとバカンスが終わるのを待ち、手持無沙汰にレコーディング準備に入るくらいしか、やることがなかった。

 前作同様、世界的にも好セールスを記録したアルバムではあったけど、ほぼレコーディング・スタジオに入りびたりの毎日だった当の本人たちにしてみれば、大して実感は湧かなかったはずである。
 ビルボード最高9位と、地味なサウンドの割にはなかなか健闘していたし、タイムラグはあれど、次第にまとまった額の印税も入ってくる。ラジオをつければ、自分たちの曲が流れてくることも度々ある。でも、直接生の反応を聞いていないので、何だか別世界の出来事に思えてしまうのだ。
 確かに雑誌などでは好意的に書かれているし、実際、レコード・ショップの店頭を覗いてみれば、目立つ所にディスプレイされており、それで何となくではあるけれど、自分たちの周りで大きな力が働いているのが実感できる。
 でも、レコーディングを中心とした自分たちの生活は、以前となんら変わりがない。

 デビューして間もない頃は、とにかく自分たち名義のアルバムが出るだけで狂喜乱舞した。サウンドや曲のディテールなんて二の次だ。まずはリリースできることだけで大成功。
 キャリアを積み上げリリース・アイテムも増えてくると、それに比例して売り上げも増えてゆく。レコーディングにも慣れてくると、試してみたくなるアイディアやサウンドの理想形が、漠然とではあるけど描けるようになる。すると、ルーティンな作業では飽き足らず、アーティスティックな方向転換を図るようになる。これまで触れようとしなかったミキサー卓にも興味を抱き、理想の音を出してくれるミュージシャンを招聘する。
 それでも最初は妥協の連続だ。限られた時間と予算の中で、最良のものを作り上げようと、スタッフも含めて頭を寄せ合い、知恵をしぼり出し、完成形へ向かって努力する。さらに倍々ゲームでセールスが伸びてゆくに従って、主従関係の立場だったレコード会社とアーティストとの均衡が崩れ始める。微妙なバランスが一度崩れると、もう止まらない。膨大な売り上げ貢献によって発言権が増し、次第にアーティスト側が優位になってゆく。そしてアーティストは理想のサウンド実現のため、恐怖政治の王と化す。完璧なサウンドを具現化するため、ありとあらゆる暴挙を繰り返し、膨大な時間と予算を浪費する。

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 そうやって仕上がったアルバムに対して抱くのは、達成感や愛情ではなく、むしろ解放感だ。何やかや試行錯誤の末、やっとの思いで仕上げたアルバムだ。愛憎半ば、愛着はもちろんあるが、もはや顔も見たくなるくらい、彼らは疲弊してしまうのだ。
 ただ、休む時間はない。既に次のレコーディング予定が控えているのだ。

 思えばこのグループ、メイン・ソングライターを押しのけて、実質的に支配していたのはプロデューサーGary Katzであったことは、周知の事実である。
『Aja』から『Gaucho』 までのブランクが約3年、その間FagenとBekkerの確執、イージー・ミスによる完成マスター・テープの紛失、レーベル移籍のトラブルなど、様々な要素が複雑に絡み合って完成が遅れた、というのが定説だけど、そもそも引っかき回してるのはこの男に他ならない。
 
 70年代アメリカで活動するバンドの宿命として、初期のSteely Danも例外でなく、延々と続く長期ツアーを廻っていた。直接観客に晒されることによって鍛えられ、バンドのHPと結束力は日増しに強くなっていった。
 ただし、彼ら同様、理想のサウンドの確立と実現を目論んでいるKatzにとって、そんなウェットな感性には何の興味もなかった。彼にとって重要なのは、理想とするサウンドを具現化することであり、そのためには大してサウンドに貢献できないメンバーはむしろ排除すべきだ、と考えていた。。実際、彼はゆっくり時間と手間をかけてFagenとBekkerを巧みに誘導、次第にSteely Danというバンドを解体、理想のサウンドを実現するためのプロジェクト・チームへと造り替えていった。

 一流のセッション・ミュージシャンに同じフレーズを何度も弾かせ、ダメ出しとリテイクの連発(それでかなりヘコんでしまったのがMark Knopfler)、最終的に何十ものテイクの中から、ほんのちょっぴりのリフやフレーズを抜き出し、パズルのように当てはめてゆく作業。ひどい場合には、まったく使用されない場合もある。
 英米のミュージシャン組合はミュージシャンの権利システムがしっかりしているので、没テイクであったとしてもギャラはきちんと発生し、金銭的な面では問題ないのだけど、それでも傷つけられたプライドの問題は大きい。
 基本、彼らが指名するのは名うてのミュージシャンばかりなので、ボツやリテイクには不慣れな連中ばかりである。そういった感情的なケアを行なうのもプロデューサーの仕事の一つなのだけど、まぁKatzは多分うまくやっていたんじゃないかと思いたい。やってはいたのだけれど、そうはうまく割り切れないのも人間である。演奏クオリティに対する要求のインフレがひどすぎて、次第に参加ミュージシャンの確保が難しくなったことも、Steely Dan活動休止の要因の一つである。

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 そういっためんどくさい経緯を踏まえた上で、『Aja』『Gaucho』の2枚は制作された。死屍累々となった数多のミュージシャンたちの、もはや徒労とも言える犠牲のもと、完璧に磨き上げられたサウンドがパッケージングされた。あまりにも無駄を削ぎ落としたそのサウンドは、一部の隙もない分だけ、中途半端な感情移入すら寄せ付けない神々しさがある。
 同じ経緯を辿ったはずの2枚のアルバムだけど、アナログ・レコーディングの技術の粋を結集したのが『Aja』、そしてその最終進化型としての『Gaucho』がある、という位置付けである。
『Aja』と比較して地味に映る『Gaucho』のサウンドは、一聴してすぐ虜になる類のものではないのだけれど、繰り返し聴き込んでゆけば、ジワジワと魅力が伝わってくる作品である。俺自身も常時聴くわけではないけど、年に一、二度は聴きたくなってしまうため、どうしても手放せずにいるアルバムである。あるのだけれど、もっぱら聴くのはやはり『Aja』であり、『Gaucho』はそのついで、単体で聴くことはほとんどない。

 せっかく完璧を目指して作ったはずだったのに、支持されるのは、やや不出来な長男の方。
 音楽に限らず、ここが創作物全般の面白いところである。


Gaucho
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1. Babylon Sisters
 Chuck Rainey(B)とBernard Purdie(Dr)の最強タッグによるリズム・セクション。Tom Scott(T.Sax)とRandy Brecker(Tr)を中心としたブラス・アンサンブル。もうこれだけで名曲と保証されたようなものである。マニア/ビギナーを問わず、一般的に抱くSteely Dan的サウンドをそのまま具現化したナンバー。ジャズ・テイストとNYシンガー・ソングライター的抒情の融合としては、この時点においての到達点だったと思う。
 


2. Hey Nineteen
  Hugh McCracken (G)の印象的なチョーキングから始まる、彼らにしてはややロック寄りのナンバー。Rick Marotta(Dr)のスティックの跳ね具合が、全体的にサウンドの躍動感を与えている。
 エレピは全編Fagenによるもの。このメンツの中では拙いプレイだけど、曲のテーマに合った演奏が味わい深い。
 


3. Glamour Profession
 ここでのドラムはSteve Gadd。シンプルだけど、はっきりGaddとわかるようなプレイ。
 ここでもFagenはシンセをプレイ。まぁほとんどエフェクト的な扱いだけれど。
 前半は、やや硬質のAORといった感じのサウンドで、Fagenもヴォーカルに力を入れている。当時、ライブでやったら盛り上がったんじゃないかと思う。
 中盤のTom Scottによるホーン・セクションもなかなか。7分超の長い曲なので、飽きさせないよう聴きどころは多い。

4. Gaucho
 リゾート系のAORといった趣きの、ミディアム・テンポのタイトル・ナンバー。ここまでのサウンドに比べると、ヴォーカルを中心に据えている。
 ここでもTomが大活躍、全編に渡って流暢なソロを聴かせている。それほどテンポは速くないはずなのだけど、Jeff Porcaro(Dr)が叩くとやはり躍動感が出て、曲自体が跳ねる印象。
 ちなみにタイトルのGauchoとは、南米在住の先住民とスペイン人とのハーフを指す、とのこと。地元では、「他人のために自己犠牲を惜しまない人、人のために尽くす人」と捉えられており、かなりの人格者の総称であるらしい。それがこのSteely Danの音楽とどう関係があるのか、といえば、よくわからない。歌詞だってそんな感じでもないし。
 
5. Time Out of Mind
 ステレオタイプのSteely Danサウンドと言える、ファンやリスナーのニーズをリサーチして、そのまま作っちゃいました、という感じのサウンド。悪い意味ではない。スリルはないけど、安心できるサウンドである。
 Rickのドラムは良く跳ね、Michael BreckerのT.Saxもいい感じでブロウしているのだけど、やはりこの曲で一番注目されるのは、散々リテイクを繰り返された挙句、ほんのちょっぴり間奏で地味に採用されただけの、Mark Knopflerのギターだろう。
 
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6. My Rival
 古色蒼然としたハモンドっぽい響きと、Steely Danにしては珍しく、ロック的な響きのディストーションを効かせたギター。メロディ自体は相変わらず不安定なSteely Danそのものだけど、サウンド自体にやや練りが足りない印象。もうちょっと別なアプローチでも行けたんじゃないかと思う。
 で、何の気なしにクレジットを見ると、Rick Derringer(G)が参加していた。なるほど、フュージョン系の響きとは違うはずだ。

7. Third World Man
 不思議な響きの続く、何となく始まって、何となく終わる感じの曲。これも悪い意味ではない。これこそが彼らの追い求めていたサウンド、この時点での最終到達点だったと思う。
 ラジオを点けてみて、何となく流れている曲、何て曲だっけ?そう思うころには、曲はもうアウトロに入っている。
 夜の帳が降りる頃、枕元のラジオを点けてみる、またあの曲だ、何て曲だっけ?…いつの間にか寝入ってしまい、朝になっている。
 そして、あの曲はまだ続いている…。
 Joe Sample(P) 、Steve Khan(G)、 Chuck Rainey、Steve Gaddによる鉄壁のリズム・セクションに、Larry Carlton(G)がしつっこく情緒たっぷりなソロを聴かせる。一流ミュージシャンらの技術を極限まで結集した、地味ながらもこの時点での最高作。
 





 この後、彼らは明確な解散宣言を行なわず、長い長い休養、そしてソロ活動に入る。残されたKatzはといえば、その後もSteely Danの夢よもう一度、といった体で、フォロワー的ミュージシャンのプロデュースなど、いろいろ頑張ってはみたようだけれど、思うようにはいかなかったようだ。やはりあの時代、あの場所で、あの二人と出会ったことがむしろ奇跡であり、いくら敏腕とはいえ、同じフォーマット・同じシステムを使用したとしても、再現は難しいのだろう。
 その後、Fagenは名作『Nightfly』リリース後、超絶スランプに陥って、10年に渡る音信不通状態。
 Beckerはというと、音楽性はともかくとして、風貌の宮崎駿化がますます進行し、プロデュース業の傍ら、ハワイでドラッグ漬けの日々。
 二人とも、現場復帰を果たすまでには、長い長い休養が必要だったのだ。

 そして二人は再会し、今でも時々、アメリカ国内限定で短期のツアーを行なっている。ほぼ懐メロ・ツアーといった風情のため、全体的にユルい感じのステージ内容を、これまたダラダラと行なっている。
 復活後もオリジナル・アルバムを2枚リリースしており、それなりのアベレージはクリアしているのだけど、当然、『Aja』『Gaucho』ほどの求心力を持つ作品は、今のところない。



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