folder  俺にとって中島みゆきは、もうかれこれ30年以上もの長い付き合いである。時々他のジャンルに浮気して、疎遠になった時期もあるけど、何年か周期で無性に聴きたくなって舞い戻るという、腐れ縁の夫婦のような関係が続いている。
 何しろキャリアの長い人なので、その年代ごとに思い入れの深いアルバムはあるのだけど、まずは一番最初の出会い、自ら意識的にミュージック・カセットを買った最初の一枚から。
 
 1982年リリースの9枚目のアルバム、ちなみにタイトルは『熱帯魚』に対するみゆきの造語である。
 wikiで調べてみて驚いたことに、なんとこのアルバム、オリコン年間チャート1位を獲得していた。ちなみに2位は山下達郎、3位はサザン4位千春と続く。内容は後述するけど、とても70万超の一般リスナーを巻き込むほどのキャッチーさは皆無のアルバムである。
  前年のシングル"ひとり上手"がスマッシュ・ヒットしたことによって、先行シングル "悪女"で本格的に火が付いた相乗効果も要因なのだろうけど、そもそもノン・タイアップのこのシングルに、どれだけアルバム・セールスを引っ張る力があったのか、今となって不明である。その"悪女"もまた、年間6位累計80万枚を超えた、当時としてもかなりの大ヒット・シングルとなっている。
 
 80年代末くらいまでは、有線放送でのリクエスト数がヒット・チャートを大きく左右していた。飲み屋や飲食店では、歌謡曲や演歌に混じって普通にニュー・ミュージックが流れており、十円玉片手に公衆電話からリクエストすることは、特別なことではなく、普段の日常だった。
 そんな時代、夜の街で流れている機会が多いのが、中島みゆきを含む『大人の歌手』の存在だった。まだ喧噪の70年代の尻尾を引きずっていた頃であり、比較的シリアスな音楽たちにも市民権があった時代である。
 小柳ルミ子の後に中島みゆきがかかっても違和感はなかった。それらも普通のヒット曲として、同じ土俵の上で勝負していた、またそれができた時代だったのだ。

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 デビューしてしばらくは、朗々としたヴォーカルに乗せて、従来のフォーク・スタイルに倣った抒情的な歌詞と、女の情念をストレートに表現した歌詞とが混在しており、それがフォーク・シンガー中島みゆきのセールス・ポイントだった。なので、当時はそれほどサウンドに力を入れている感じは見られず、ほとんどスタッフに丸投げしたような、歌謡曲的なアレンジも多々見受けられる。
 みゆき自身、サウンドについてはそれほど引き出しがなかったせいもあって、初期のアルバム3枚では、レコード会社主導による安易なアレンジを甘受している。スタジオはヴォーカルを吹き込む所、たまに3フィンガーを弾きに行く所、という認識である。
 ただ、次第にキャリアを積んでゆくにつれ、方向性が定まってきたことと、より良く言葉を伝える手段としてのサウンド作りに興味を抱き始める。
 それまでは、産み出したストレートな言葉を飾り付けることもなく、ただ無造作に投げ出していただけだったのだけど、日増しに成熟していった歌詞と言葉は、それを明確に他者に伝達する手段として、より効果的なサウンドを欲した。そんな言霊自らの叫びを、感受性の高いみゆきは感じ取ったのだろう。

 サウンドにもウェイトを置く時代へ移行する前に、言霊の内在する力をのみを極限まで追求したのが、あの"うらみ・ます"収録の『生きていてもいいですか』。暗く出口の見えぬ漆黒の先に微かに見える、ほんのわずかな明かり。もしかするとそんなもの、あるはずはないのかもしれないのに、あると信じていたい-。これが第1期(初期)の名盤である。

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 この作品によって、垂れ流す情念をストレートに表現する手法に一旦区切りをつけ、もっと時代性を意識したアレンジャーやミュージシャンと組んだのが、『臨月』である。ただこの時点では、まだノウハウを得るための習作的な意味合いが強く、本格的にサウンド志向になってゆくのは『寒水魚』から。
 ここからが第2期の始まりであり、次第に重層的なサウンドを志向するようになり、一部の保守的なファン層からは不評を買うことになる。
 後に語られることになる、『みゆきさんご乱心』時代の始まりでもある。
 
 このご乱心時代も、この次のアルバム『予感』までは、歌詞とサウンドとのマッチングに苦心している様子が垣間見え、それがひとつの味となっているのだけど、枚数を経るに連れて、これまでの直截的なメッセージは影を潜めてゆく。


寒水魚
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1. 悪女
 よくシングル・ヴァージョンはニュー・ミュージック調で、このアルバム・ヴァージョンはロック調と紹介されているけど、リズムはスロー・ファンクなので、ロックとひと括りにしてしまうのは、視野を狭めてしまう。ヴォーカルは気だるいアバズレ女っぽい雰囲気を演出しており、これはステレオタイプなロックを意識しているのだろうが、俺としては歌謡曲に寄り添ったシングル・ヴァージョンの方が好みである。
 リズムを強調した後藤次利のアレンジは、ニュー・ミュージックを引きずったままのみゆきのヴォーカルを喰ってしまっており、正直ミスマッチである。当時のヤマハはもろニュー・ミュージック路線だったため、ロック・サウンドのノウハウが少なく、客観的なジャッジができなかったのだろう。



2. 傾斜
 同じく後藤次利アレンジだけど、リード楽器を減らし、音数を絞ることによって、少しオフ気味のみゆきのヴォーカルを引き立たせるサウンド作りをしている。やはりこの人はベースが上手い。特にサビ前の、みゆきとデュエットするかのようなソロは聴きどころ。 
 この頃、みゆき30歳。老婆を主人公とした、老いることへの寂寥感、そして開き直りを、傾斜の強い坂道に例え、救いもなく、淡々と歌っている。

 悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら
 忘れるよりほかないじゃありませんか

3. 鳥になって
 壮大なストリングス・アレンジは、まるで加藤登紀子のように聴こえてしまう瞬間がある。これまでにないアプローチに挑戦したことは、もっと評価されてもいいはずなのだけど、敢えて言っちゃえば、ドラマティックなサウンドが仇となって、心地よいイージー・リスニングのように聴こえてしまうのが、ちょっと惜しい。アレンジが仰々し過ぎるのだ。
 別のアルバム紹介になってしまうけど、できればこのテイクではなく、この数年後に出たライブ・アルバム『歌暦』のテイクを聴いてみてほしい。シンプルなアコギの弾き語りが、余計な装飾もなく、純粋に曲の良さ、詞の良さをダイレクトに伝えてくれる。

 眠り薬をください 私にも
 子供の国へ 帰れるくらい
 私は早く ここを去りたい
 できるなら 鳥になって

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4. 捨てるほどの愛でいいから
 レコードで言えばA面ラスト。当時持っていたミュージック・カセットでも、ここがテープの終わりだった。
 当時のみゆきの代名詞だった、俗に言う「恨み節」。捨てられた男に対する未練がましさを素直に認めたくない女ごころを、感傷的に歌い上げている。かなりストレートな歌詞なので、初期のみゆきが好きな人には素直に馴染むだろうけど、俺のようにご乱心期真っ只中がファーストみゆきだった者なら、捻りが少なくてちょっと物足りないかもしれない。
 感傷的なアレンジに感傷的な歌詞、そして感傷的(ラストに近づくにつれて泣き声っぽくなってゆく)なヴォーカル。ある意味、初期みゆきのプロトタイプの完成形ではある。完成形なので、正直、これ以上は拡大再生産の方向に行くしかない。ていうか、もうこの時点で自己模倣になっちゃってる。
 多分、こういったお約束的な展開に、みゆき本人お飽きてきたんじゃないか、行き詰まりを感じてたんじゃないか、と思う。
 
5. B.G.M. 
 ラウンジ調ジャズ・アレンジが、大人の世界を醸し出す。当時、夜の世界の女性たちに絶大な人気と共感を誇っていたことが納得できる曲。この曲にはストリングスが良く似合う。ちなみにアレンジは松任谷正隆、言わずと知れたユーミンの亭主である。ある意味奇跡の共演。
 2人だけの秘密のお気に入りの曲が、実は浮気相手の彼女も好きな曲だった、という、文章で書いてしまえばベタなストーリーだけど、短編小説的な味わいもあって、案外スラスラと楽しく書いてたんじゃないかと思われる。
 
6. 家出
 やや歌謡曲、というか演歌チックにも聴こえるサウンドは、みゆき自身が望んだものなのか。
 このアルバムのアレンジャーとして、前述の後藤次利と松任谷正隆が3曲クレジットされており、他の6曲は青木望という、主に歌謡曲畑の人が担当している。
 思うにこの『寒水魚』、日増しに募るみゆきのサウンド志向を満足させるため、取りあえず3分の1は新規路線で、残る3分の2は安定した従来路線で、というコンセプトで制作されたんじゃないだろうか。
 セールス確保のため、従来のニュー・ミュージック路線は無難にまとめ、残りは姫の機嫌を損なわないよう、お戯れに目をつむってあげた、とでも言いたげな構成である。
 当時のヤマハにとって、みゆきは大きな稼ぎ頭だったので、セールスを落とすわけにはいかなかった。そこら辺は、みゆき自身もわかっていたはずである。だからこそ、この折衷案を飲んだのだろう。

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7. 時刻表
 イントロだけ聴いてると、ほぼ"歌姫"と同じバック・トラック。田舎から出てきた女性が、都会の喧騒を情景的に描きながら、懐かしいはずもない田舎をふと思う。疲れているのか、ため息をつく。そう簡単に帰れるはずもないのに。でも、つい時刻表を見上げてしまう。
 恋愛だけでなく、もっと普通の人々の心象風景にも触れた、地味だけど根強く支持されている秀作。
 
8. 砂の船
 色恋ざたをすべからく排除し、観念のみを純粋培養させると、ここまでクオリティの高い詩が抽出される。もはや他者の共感すら拒否するかのような、内に閉じた作品である。
 この時期あたりから、怪しい哲学者や文学者たちがみゆきを担ぎ上げ、「現代詩にも匹敵する」と持ち上げたり、下手くそに模倣する者も現われたのだけど、彼らの誰もが時代の仇花として埋もれてゆき、結局残ったのはみゆき一人である。スタイルやフォーマットだけでは、人の心を動かすことはできないのだ。
 
9. 歌姫
 ここ数年、日本の音楽界にも様々な形の「歌姫」を名乗る者が現われては消えていったけど、古くからのみゆきファンにとって、「歌姫」といえば、中島みゆきただ一人である。
 当時としてはかなりセクシャルだったアルバム・ジャケットも、この曲から着想を得たものである(と勝手に思っている)。これまで歌ってきた、個人的な色恋ざた、理不尽な世間への怒りなど、とにかくそのすべてを内包した「母性」、あるいは「女神の視点」を獲得したのが、この"歌姫"である。
 当然、語るべきことは長くなり、曲調もドラマチックに展開するが、決して歌を邪魔することはない。みゆきのヴォーカルは決して強くないのだけど、言霊のオーラ自体が強いのだ。

 握りこぶしの中に あるように見せた夢を
 遠ざかる誰のために 振りかざせばいい

 男はいつも 嘘がうまいね
 女よりも 子供よりも 嘘がうまいね
 女はいつも 嘘が好きだね
 昨日よりも 明日よりも 嘘が好きだね






 アルバムは好セールスを記録し、ツアーも評判は上々だった。ただ不満が残るのは、やはりサウンド・メイキング。
 ここでの中途半端なアルバム・コンセプトに完全に満足はできなかったけど、後藤・松任谷両アレンジャーとの作業によってノウハウを得たみゆき、次作『予感』では、全曲プロデュース、A面セルフ・アレンジに挑戦する。
 
 この後の本格的なご乱心時代は良いアルバムも多いのだけれど、それはまた次回のみゆきで。



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