好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

XTC

イギリス代表ポップ馬鹿のコミュニケーション・ブレイクダウン - XTC 『Mummer』


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 1983年リリース、6枚目のスタジオ・アルバム。セールス的に不利な2枚組でありながら、UK最高5位/シルバー・ディスクも獲得した前作『English Settlement』の勢いに続くはずだったのに、今回UKでは51位と大ハズシ、USでも大健闘48位だったのが、145位と大幅ダウンしている。
 本人たちも述懐してるように、確かに地味なアルバムではあるんだけど、でも。さすがにここまで落ち込むとは、思っていなかったことだろう。普通の会社だったら、担当者のクビが飛んでも不思議はない。
 マネジメントとの度重なるトラブルや手応えの薄いセールス状況も相まって、この頃のアンディ・パートリッジは神経性ストレスがMAXに達していた。「とにかく人前に出たくない」「ライブなんてやりたくない、スタジオに篭っていたい」など、もろもろのイヤイヤ期を発症しており、そんなどん底のメンタルが反映されていたのが、この『Murmer』。
 ライブ演奏を前提とせず、スタジオ・ワークを駆使して作り上げられた密室パワー・ポップは、緻密に丁寧に組み上げられているんだけど、第2次ブリティッシュ・インベイジョン華やかなりし83年としては、地味だな確かに。そこからさらに雑味を抜いて、簡素なバロック・ポップにたどり着いた『Apple Venus』と比べれば、十分アクティヴではあるんだけど、同じヴァージンのカルチャー・クラブには太刀打ちできないよな。
 中古レコードの通販をスタートとして、メジャー流通には載せづらいマニアックなプログレを主に取り扱っていたヴァージンも、80年代に入るとすっかりチャート至上主義に鞍替えしてしまう。ピストルズ〜P.I.L.やマガジンなど、ポスト・パンク期のレーベル・メイトは続々抜け、XTCの居心地は悪化する一方だった。
 バジェットの大半がカルチャー・クラブやヒューマン・リーグに費やされる中、ビジュアル的なインパクトも薄い彼らへの期待値はわずかなものだった。バカ売れするとは誰も思っていなかったけど、それでもアルバムは制作しなければならなかった。契約は契約だ。
 で、どうにかこうにか完パケしたらしたで、プロモーションの一環として、彼らも国内ツアーくらいはノルマとしてこなさなければならない。でもアンディが部屋から出てきてくれないので、それも叶わず。
 レコードは売れない、バンドは被害妄想と疑心暗鬼に取り憑かれてるしで、コミュニケーション・ブレイクダウン。担当ディレクターもやる気なくしちゃうだろうし、そりゃ険悪になるわな。

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 アンディの発案でXTCは結成されたので、彼がフロントマンに収まるのは、当然の流れだった。アーティストとして、自身のビジョンを作品にできるだけ反映させたいと願うのは普通であり、むしろそれをゴリ押しするくらいじゃないと、独自色が出てこない。
 曲が書けてギターも弾けて、歌うこともできる。メロディアスなバラードを歌うわけではないので、そこそこピッチが合ってれば、上手いヘタはそこまで重視されない。
 要は人前で臆せず、歌いガナれるかどうか。多少のヤジではへこたれない、強靭なエゴとステージ映えするカリスマ性があれば、フロントマンとしての資格は充分だ。
 思いつくまま挙げるとこんな感じだけど、そうなるとアンディ、ステージ映えには必須のカリスマ性においては、ちょっと弱い。後年、大量の未発表曲とデモ・テイクを小出しにして話題をつなぎ、世界有数のポップ馬鹿のポジションを築いてゆくプロセスからは、また別のカリスマ性を感じさせるのだけど、ビジュアル面はどんどん世間からズレる一方だし。
 ビジュアル映えするというのは、ニューロマのようなファッション・センス云々ではなく、表現者としてのパフォーマンスの問題である。単純な見映えではなく、エキセントリックな言動やパフォーマンス、またはコンセプトなど。
 シアトリカルな演出効果を施したりメーキャップに凝ったり、フォーメーション・ダンスや一糸乱れぬハーモニー・ワークだったり。はたまたステージで臓物ぶちまけたり重機持ち込んで暴れたりなど、まぁそこまで行っちゃうと極論だけど、要は「目立ちたい/誰かに認められたい」といった承認欲求の産物が、もろもろの表現衝動であって。
 で、XTC。数少ない初期の映像を見てみると、あんまり面白くない。そりゃデビュー間もないから機材や衣装にかける予算もないし、またそんな風潮でもなかったから、一気呵成・勢い優先のバンド演奏になるのは仕方ない。前述したエンタメ的演出へのアンチテーゼとして、パンクが誕生したわけだから。
 まともな3コードとも言えない楽曲をただガナり立てたり、エキセントリックな言動ばかりが目立って、肝心の楽曲がショボかったりする、多くのポストパンク・バンドと比べ、XTCは当初からまともだった。多分、そんな連中を反面教師として、「良い曲を最良の形でパフォーマンスする」ことを重視したことが、結果的にバンドの継続につながった。

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 そんな彼らの「純音楽主義/ビジュアル映えはそれほどちょっと」という基本コンセプトは、デビューから現在に至るまで、わりと一貫している。スクール・カースト的に中の下クラスで結成された軽音部を彷彿させる初期ピンナップから始まり、登録数少なそうな中年YouTuberみたいな風体のアンディ近影も、そういう意味ではまったくブレがない。
 デビューから最終作まで、アルバム・ジャケットの変遷を追ってみると、まともなアーティスト・ショットを使用しているのは、デビュー作『White Music』くらいしかない。一応、『Black Sea』でも顔出しはしているのだけど、何の暗喩だかオマージュだか意味不明な19世紀の潜水服のコスプレでトーンも暗めだし、ハイセンスを狙ったとは言いがたい。
 そう考えると、「60年代サイケデリック・リスペクトな屈折ポップ」というサウンド・コンセプトを投影させた、中期ビートルズ風にデフォルメしたイラストの『Oranges and Lemons』が、彼らのパーソナリティを最もうまく表現できているのかもしれない。変にこじれた中年トリオのパネマジとしては、よくできているとは思う。
 奇をてらったパフォーマンスに頼るのではなく、純音楽主義に基づき、楽曲のクオリティを上げることでバンド活性化につなげていこうよ、っていうのが、中期以降XTCの成長戦略だったんだろうな。まぁそれも、あくまでアンディ個人の願望と妄想の産物なんだけど。
 ライブ・バンドとしての彼らのキャリアは、おおよそ76〜82年までと短いもので、その後はスタジオ・ワーク主体の活動へシフトしてゆくこととなる。ネット環境が整った現在なら、Adoみたいに一切顔出しせずの活動も可能だったはずだし、また彼らクラスの知名度であれば、無観客ライブ配信も充分収益化できるのだけど、生まれた時期を半世紀くらい間違えちゃったのが、彼らの不運である。
 メンタル不調がある程度落ち着いてからのアンディは、プロモーションの一環としてラジオ番組に出演、そこで無観客パフォーマンスを数回行なっている。なので、レコーディング以外の演奏がまったくダメなわけではない。
 内輪でのラフなライブ演奏ならともかく、キッチリした段取りに則ってステージに上がるのが、とてつもないプレッシャーというだけで。今となっては、人前で演奏するより、懐古エピソードや御託ならべる方が多いため、それもやりたがらないだろうけど。

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 じゃあXTC、バリバリの現役活動時のライブ・パフォーマンスは、一体どんな感じだったのか。一応、79年に来日公演を行なってはいるのだけど、実際に見た人は相当レアだし音源も映像も残っていないので、確かめようがない。自国UKでさえ、キャリアの浅かった彼らの単独ライブはホールクラス程度だったため、やはり観た人は限られる。
 のちに開陳された膨大な音源アーカイヴが物語るように、早い段階からデモ制作やレコーディングに注力していた彼ら、ライブへかける比重は相対的に少なくなっていった。なので、今世紀に入るくらいまで、彼らの動く姿を見る手段は、ごくごく限られていた。
 80年代以降の彼らとリアルタイムで接してきた俺が思いつく限りでは、MTVでランダムにオンエアされる『Skylarking』以降のPVくらいかな。一応、それ以前の初期PVを集めたVHS『Look Look』が国内発売されていたのだけど、流通量が少なかったのか、現物を見たことがない。
 なので、XTCのファンの多くは、全盛期のライブはおろか、まともに動く彼らを見ることさえ叶わなかった。「映像」=と「テレビ」と同義だった、北海道の中途半端な田舎の高校生は、ほぼ不意打ちのようにオンエアされる「Dear God」や「Mayor of Simpleton」を待ち望んで、深夜テレビを見続けるしかなかったのだった。
 そんな時代もあったよね、と懐かしむのもいまは昔、バンド活動もフェードアウトし、半隠居状態となった近年に入ると、演奏する彼らの姿が手軽に見ることができるようになった。YouTube様さまだよ。
 まだデビューして間もない79年のメンバーは、アンディとコリンに加え、バリー・アンドリュースとテリー・チェンバースのオリジナル・ラインナップ。ライブでの再現性を重視したレパートリーが多く、時に勢いづいて走り過ぎてしまうリズムも、まぁご愛嬌。ブランクを置かず、集中したスケジュールのおかげもあって、おおむねアンサンブルはまとまっている。




 もうひとつは、82年のロックパラスト。この前年、アンディがステージ・フライトを訴え始め、ちょっとムリしていた時期に当たる。




 『English Settlement』がスマッシュ・ヒットしたことで、ここでもうひと押しふた押し、と展開したいところだったのだけど、すっかりメンタルやられちゃったアンディ的にはそれどころじゃなく、居心地のいいスタジオに引きこもり続ける始末。それでもどうにか引っ張り出してみても、以前のテンションはどこへやら、心ここにあらず。
 そんなアンディの心境を象徴するかのように、フェスの雰囲気もあるけど、ステージ・セットやライティングも全体的にダークな味わいが漂っている。この時期のサウンドになると、トリオでのライブ再現は厳しいので、テープ使用は仕方ないとしても、やる気のないゴシック・パンクのようなアンディのヴォーカルは、時に呪詛のように響いてたりする。

 そんなテンション低めの状況で制作された『Mummer』だけど、先入観抜きで聴いてみると、当時からの持ち味であったポップなメロディと、ほどよくアコースティックなサウンドとがバランスよく配置された良作である。かつての沸点低めなパワー・ポップの面影、ギターをかき鳴らしてがなり立ててた「Statue of Liberty」のような高揚感は、どこにもない。
 熱病のような昂りを否定するわけではないけど、それを再び演じられる場所に、彼らはもういなかった。がむしゃらで前向きだった、そんな蒼き熱血は、過去になったのだ。
 ライブでの再現性、そこで得られるカタルシスを自ら放棄し、スタジオを根城としたアンディは、多重ダビングやエフェクトを駆使して、レコーディングの沼にはまり込んでゆく。エンジニアを務めたスティーブ・ナイもまた、アンディに負けず劣らずのスタジオおたくだったことから、暴走を止める者がいなかったことも、その後の彼らの方向性を決定づけてしまった。
 もしアンディがそこまで思い詰めず、ライブ活動のペースを落としてバランス良く活動し続けていたら、『Mummer』ももう少しはじけたサウンドになっていたのかもしれない。それかもっと徹底的に、がっつりスタジオ・マジックの追求に走った末、シンクラヴィアまみれのテクノ・ポップに走る資質もあったはず。
 なぜかそっちには行かなかったんだよな。『Mummer』もそれ以降もだけど、テクノロジーのトレンドを追うことはなかったし、ここで使われてるのもメロトロンだもの。
 何が何でも人力にこだわってる風はないんだけど、まだ「変な音が出る箱」程度のスペックしかなかったポリ・シンセを使いこなすより、エフェクターやコンソールを駆使して変調させたサウンドを得ることにこだわっていたのが、当時の彼らだった。あ、どっちにしろ結果は「変な音」か。
 演奏テクニックやメッセージ性をどんどん脇に追いやってライブ感を薄め、突飛なサウンドやジョンブル由来の皮肉とペーソスが取って代わったことで、XTCのバンド・コンセプトはマニアックなコアに向かって収斂してゆく。出口のない袋小路を延々とうろつくことは、病んだアンディにとっての対処療法であったのだ。
 そんなポップ馬鹿の暴走を、結果的に食い止める役割を担っていたのが、もう1人のソングライター:コリン・ムールディングだった。アンディほどひねりのない、ポップの王道セオリーを踏襲した彼の楽曲は、ひとつの理想像であり、また手近な仮想敵だったとも言える。





1. Beating of Hearts
 オリエンタル調のアラビックな旋律のイントロで幕を開ける。呪術的なアフロ・ビートをバックに、アイリッシュっぽいメロディやギターはあらゆるパターンで変調させたりして、ストレートな表現がどこにもない。
 そんなエフェクトや細かい装飾を作り込んでゆくことが、この時期の彼らであり、『Mummer』の主題だったのだな、と気づかされる曲。そりゃ全体的にサウンドは古いんだけど、アイディアの方向性は今も十分通用する。

2. Wonderland
 テクノ・ポップ風味のシーケンス・ビートと、中期ビートルズのポール・マッカートニーが書きそうな、キャッチ―なフックを散りばめたメロディは、コリン・ムールディングによるもの。みんな驚かせる「変な音」に執着していたアンディに対し、彼の場合は比較的まともで、実はシングル・カットされているナンバーも地味に多かったりする。
 コリン的80年代解釈による「Strawberry Fields Forever」といった趣きのサウンド・プロダクションは、ヒット・チャート上位に食い込むほどの貪欲さには欠けているのだけど、比較的まともなのを選ぶとしたら、これくらいしかなかったのだろう。苦労したよな、ヴァージンの担当者。




3. Love on a Farmboy's Wages
 タイトルが示す通り、サウンド的にもほぼ何のひねりもない、牧歌的なフォーキー・チューン。このレコーディングを最後に脱退することになるテリー・チェンバーズを引き留めるため、アンディはこの変則シャッフル・リズムを思いついたらしいのだけど、あんまりお気に召さなかったらしい。
 普通に叩かせればいいものを、何でこんなひねくれたリズム・アプローチにしちゃうんだろうか、と思ったけど、インパクト薄い曲だから、こういったアクセントがないと、印象薄いか。でもそれならそれで、ほかにもっといい曲あったんじゃね?とも思ったりもする。
 それでもポップ・ユニット:XTCとして、アルバムの中ではわかりやすいメロディということだったのか、一応、シングル・カットもされているのだけど、結果はUK最高50位。ま、こんなもんか。

4. Great Fire
 かつてはそこそこライブ・サーキットを回っていた彼らの面影を、多少思い起こさせてくれるナンバー。全盛時とまでは行かないけど、そこそこバンド・アンサンブル感が出ており、シングル・カットされたのもうなずける。
 ただ後半に入るにつれてストリングスが入ってELOっぽくなったり、フェイザーやエコーかましたりして、曲調が目まぐるしく変化してゆくのが、とっ散らかった印象として残る。あれもこれも詰め込んだ結果、それでも4分弱でまとめるのはさすが。
 スタジオ・ワークに専念すると、ここまでのものができる。でも、いいモノを作れば、必ず売れるわけではない。世に広く知らしめる手段が必要なのだ。そのためのプロモーション活動だったりライブ・ツアーだったりするわけで。

5. Deliver Us from the Elements
 コリン作による、ミステリアスなポップ・チューン。「まだまともな方」としての認知が高いコリンだけど、やはりアンディの毒気に多少煽られたのか、グレゴリオ聖歌みたいな多重コーラスや、火山爆発みたいなエフェクト、テープ逆回転させていたり、実は何かと実験的。のちのサイケ・ユニット:Dukes Of Stratosphearにも嬉々として参加していたくらいだから、そういった資質はあるのだろう。

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6. Human Alchemy
 同時代ではピーター・ガブリエルがアフロ・ビートに傾倒していたように、西欧音楽の限界を見たアーティストらが、未知の第三世界リズム/サウンドを取り込んでいた時期にあたり、アンディもまたキャリアの初期からレゲエやダヴなど、果敢に取り組んでいた。
 ガブリエルにもアンディにも、またデヴィッド・バーンにも共通することなのだけど、真摯にのめり込めばのめり込むほど、その不定形なビートと旋律は、彼らのサウンドのコアから遊離してゆく。どれを聴いてもそうなんだけど、借り物的なミスマッチ感は否めない。
 これって悪い意味じゃなく、そんな食い合わせの悪さが起こすケミストリー、いわば相容れなさから誘発されるギャップこそが、彼らのオリジナリティである、と言いたいのだ。特にアンディ、グルーヴ感からは程遠いんだよな。
 ただ、そういった偶発性の最たるものであるライブ感の否定、細かくシミュレートされた工芸品的サウンドというのが、当時のアンディ/XTCの理想形だったわけで。本人が聞いたらあんまりいい気はしないだろうけど、ニュー・ウェイヴの系譜的には正しいサウンドなんだよな、この曲って。




7. Ladybird
 『Mummer』のラインナップの中では、最も彼らのルーツに忠実な、中期ビートルズ・テイストの濃いポップ・チューン。時期で言えば『Rubber Soul』あたり、『Revolver』に行かず、そのままキャリアを重ねていけば、こんな感じになったんじゃないかと思われる。
 スタジオ室内楽っぽさは、のちの「Chalkhills and Children」~『Apple Venus』につながる系譜であり、とっ散らかったポップ馬鹿テイストを好む層からすれば、オーソドックス過ぎるんだけど、アルバムの流れ的には、こういった箸休めも必要なんだよな、と勝手に納得してしまったりする。

8. In Loving Memory of a Name
 アンディとしては比較的まともなポップ・バラードの後に続く、コリンのナンバーだけど、ここでは立場が逆転して、こっちの方が変化球が多い。耳ざわりの良いポップな曲調なんだけど、ドラム・パターンがやたら走ってたり変な転調があったり、後半のコーダ突入あたりからまたテープ逆回転が入ったりして、実はカオスだったりする。

9. Me and the Wind
 アンディの声質が『Skylarking』以降になってるな、という印象。もうライブに合わせてキーを低めにしたりすることもないので、こういった曲調もレコーディング的にアリなのだろう。
 音数はそんなに入っていないのだけど、オペラチックなアンディのヴォーカルが全体を引っ張っており、そういう意味で言えばもっともソロっぽさが出ているのが、この曲。様々なエフェクトによる小ネタも適度に効いており、地味だけど案外良曲。

10. Funk Pop a Roll
 とは言っても、ラストに収録されたコレ、パワー・ポップ・テイスト全開のアッパー・チューンに全部持っていかれてしまう。なんだ、まだライブっぽくできるじゃん、と錯覚してしまいそうだけど、このテンションを続けることができなくなってしまったのだ、彼らは。
 最後、アンディが「バイバイ」とシャウトするエンディングといい、最高なんだけど、多分、負のパワーだったんだな。地球上で彼らは3分しかテンションが持たないのだ。









ポップ馬鹿トーナメント:イギリス代表(シード枠) - XTC 『Big Express』

folder 一般的にXTCといえば、アンディ・パートリッジのワンマン・バンドという印象が強い。アルバム2、3枚くらい持ってるファンだったらともかく、せいぜい『Skylarking』くらいしかまともに聴いたことのないライトなファンだったら、まず他のメンバーの名前は出てこない。
 80年代ロック史において、名勝負数え歌のひとつとされている「『Skylarking』製作時のアンディ VS. プロデューサー:トッド・ラングレンとの確執」によって、双方の知名度は爆上がりした。ただ、あくまでクローズアップされたのはこの2人であり、他のメンバー:コリン・ムールディングとデイヴ・グレゴリーが注目されたわけではない。
 どの社会においても言えることだけど、際立って注目されるのは、口が立つ奴か声がデカい奴である。必要不可欠な存在ではあっても、縁の下で支える役割にスポットライトが当たることは、そんなに多くはないのだ。
 メインのソングライターでありリード・ヴォーカルであり、口が立って声もそこそこデカい、そんなアンディの存在感が圧倒的ではあるけれど、「XTC=アンディ」というのは早計である。XTCという集団は、全員平等な民主制ではないけれど、かといってアンディが独裁をふるっているわけでもない。
 『Big Express』でも『White Music』でもなんでもいいけど、レコーディング・クレジットを見てみると、確かにアンディ作の楽曲は多い。ただ、すべての作詞・作曲を手掛けているわけではなく、どのアルバムでもアンディ作品は7割程度で、残り3割はコリンのペンによるものである。
 アルバムの印税配分を考慮して、1曲か2曲程度、他メンバーによる楽曲を入れるのはよくある話だけど、XTCの場合、ちょっと事情が違ってくる。単なる埋め草楽曲と違って、コリン作品は「がんばれナイジェル」や「King for a Day」などシングル・カットされた曲も多く、ファンに知られている代表曲もそこそこあったりする。
 バンド内に複数のソングライターがいる場合、当初は似た音楽性でスタートしても、キャリアを重ねるにつれて趣味嗜好が変わってくることが多い。よく言う「音楽性の相違」で、うまく続けば「多彩なジャンル/バリエーション豊富な音楽集団」に成長するのだけど、最悪ケンカ別れというケースもあったりする。
 アンディとコリンの場合だと、これまたちょっと特殊で、互いの作品から触発されリスペクトされ続け、しまいにはどっちがどっちか見分けがつかない、「どっちもXTC」という境地にたどり着いている。よほどのコアなマニアでもない限り、曲を聴いただけでどっちの作品か、判別するのはとても難しい。そういう俺も、「自信ない」ことに自信がある。
 アンディがコリンを侵食したのか、はたまたその逆か。それとも、2人のパーソナリティが有機的な融合を果たし、「XTC」という、第3のヴァーチャル・ソングライターが、2人の自動書記として作用したか。
 恐ろしくシンクロ率の高い似た者同士。それがアンディとコリンの関係性である。

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 「キャッチーで、ちょっぴりエキセントリックなパワー・ポップ」でシーンに登場したXTCは、その後、スタジオワークに力を入れる反面、アンディの神経症悪化によってライブ活動から撤退、それに伴って音楽性も変化してゆく。ライブでの再現を前提としないサウンド・メイキングによって、緻密に構築されたアンサンブルは、強いアーティスト・エゴと未知のレコーディング・テクニックで満たされていた。
 多くのエピゴーネンとフォロワーを生み出した、XTCサウンドを生み出すキー・パーソンとなったのが、エンジニア:ヒュー・パジャムと、プロデューサー:スティーヴ・リリーホワイトだった。無尽蔵に湧き出るアイディアの賜物である、ゲート・エコーやデッドに寄ったイコライジングは、後進のポスト・ニューウェイヴ・アーティストらに大きな影響を与えた。
 外部との接触を極力シャットアウトすることで純度を高めていったサウンド・アプローチとは対照的に、シーンとコミットする機会は減ってゆく。ライブ・シーンやTVメディアへの露出が少なくなったことで、時代の潮流からは遠ざかり、彼らは独自の変化を遂げてゆく。
 当時、アンディの神経症は一時的なものと思われており、多少のブランクを置いてメンタルが回復すれば、再度ステージ復帰もあり得る―、というのが、バンドを含め周辺スタッフの予想だった。アンディ自身も、以前ほどの集中的なライブ・ツアーまでじゃないにしても、単発的なお披露目ライブくらいなら、そのうちできるはず、と思ってたんじゃないだろうか。
 ―そんなこんなで30年あまり。いまだアンディ、人前でのパフォーマンスには及び腰である。インタビューなら饒舌なのにね。

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 ライブ活動再開の展望が見えぬ中、アーティストというよりパフォーマー気質であったテリー・チェンバーズの脱退を止めることは、誰にもできなかった。キャリアとしては中堅クラスであったけれど、同世代アーティストやバンドと比べてセールス実績は芳しくなかったのが彼らの置かれた現状であり、テリーが見切りをつけるのも仕方がなかった。
 すでにワールドワイドな成功を収めていたポリスやマッドネスほどではないにしても、そこそこ名前の知られたポジションであった彼らクラスのバンドにとって、ライブ・ツアーとはレコード・プロモーションの一環であり、避けては通れないミッションだった。とにかく場数を踏んで露出を増やし、ラジオでオンエアしてもらうことが、ヒットへの最短ルートだった。
 80年代前半といえば、デュラン・デュランやカルチャー・クラブ、スパンダー・バレエらUKポップ勢が続々、ビルボードにチャートインしていた時代である。「イギリス発」というだけでアベレージが上がるご時勢ではあったのだけど、あいにくビジュアル面で特に秀でたメンバーがいなかったXTC、彼らには何の影響もなかった。
 のちに「第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン」と称されるこの時代、ポップでキャッチーで見映えが良ければ、そこそこのバンドでも注目を集められたはずなのだけど、彼らの場合、見映えも冴えなければキャッチーでもない、ポップではあるけれど、それがちょっと屈折してわかりづらい、ときてる。「じゃあ中身で勝負だ」と言わんばかりに、大量に曲を書いてはスタジオに籠り、ひたすらクオリティ上げに没頭する。
 ただ、作ったはいいけど作りっぱなし。自ら積極的に外部発信するわけでもない。既存ファンやニューウェイヴ界隈では話題にはなるけど、大きな広がりを見せるはずもない。
 ―良いモノを作っていれば、評価される。至極まっとうな論理ではある。
 逆に考えれば、「多くの人に評価されたモノが、良いモノ」である。ゆえに、「評価=セールス」が十分でなければ、それは正しくない。とはいえ、ある程度広範に行き渡らなかったら、評価そのものが成立し得ない。
 商業音楽のパラドックスである。

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 1983年にリリースされた『Mummer』レコーディング途中にテリーが脱退を表明、3人で残りの作業を引き継ぎ、どうにかアルバムは完成させた。前述したように、プレイヤー気質のテリーが抜けても、クリエイティブ面で大きな影響はなかった。
 そんなこんなでメンバー減員となり、純粋に3名体制で製作された最初のアルバムが、この『Big Express』である。レコーディングに時間をかけただけじゃなく、プリプロもしつこく行ない、万全の態勢でスタジオ入りしたにもかかわらず、さらに試行錯誤と右往左往を繰り返して仕上げたアルバムとなっている。
 時代的に、デジタル機材を駆使したレコーディングが主流となり、ここでも一部、リン・ドラムが使用されていたりする反面、メロトロンなんて前時代的なモノも担ぎ出されており、アナログな職人技も随所に盛り込まれている。ややビート感を抑え、ポップス・テイストを強調した『Mummer』のチャート・アクションが地味だった反省を踏まえてか、『Big Express』は原点のギター・ポップをベースに、ヴァーチャルなライブ感を演出したミックスとなっている。
 それだけ細部まで作り込み、人的/時間的にもたっぷりコストをかけたにもかかわらず、結果はUKチャート最高38位と、まことに中途半端なセールスで終わっている。『Mummer』よりはちょっと上がったけど、ターニング・ポイントとなった前々作『English Settlement』には及ばなかった。

 当時、同じレーベルのカルチャー・クラブやヒューマン・リーグにはまったく歯が立たず、次第に立場も悪くなってゆくXTC、当初はアンディに同情的だったヴァージンもサジを投げたのか、初回プレス枚数も減り、広告の出稿量も目に見えて減らされてゆく。ただこれ、彼らが営業部門と折り合いが悪く、プロモーションに消極的だったことも一因なので、ヴァージンばかりのせいとは言いがたい。前にも書いたけど、この時期のアンディ、口を開けばヴァージンの悪口ばっか言ってたもんな。
 ―良いモノを作っていれば、いつかは認められる。実際、手を抜いた部分もなく、細部までこだわり抜いて作られては、いる。
 丁寧な録音テクニックとイコライジングによってサウンドのボトムは太く、音圧の強いギター・ポップとして端正に仕上げられている。そう考えると、U2やエコバニなんかと比べて、ヒット性は高いはずなんだよな。
 じゃあ、なんでU2ほどブレイクできなかったのか、といえば、これがちょっとはっきりしない。ちょっとややこしいコード進行、鼻唄にしづらいメロディ・ライン、にじみ出てくる性格の屈折具合…、などなど、挙げればキリがない。
 でも、いま挙げたこれらって、実は英国人ならごく普通の感性であり、アンディだけが突出しているわけではない。それら全部兼ね備えたモリッシーもいることだし、その辺、英国人はとても寛容だ。
 彼らのような密室ポップを形容する場合、よく使われるのが「おもちゃ箱をひっくり返したようなサウンド」というもので、「バラエティに富んだ内容」という、ポジティブなイメージで使用されることが多い。ただそれって、ネガティヴに言えば「まとまりがない」「散漫」と同義であり、マスに訴求するには、ちょっと弱い。
 『Big Express』で結果が残せなかったことにより、ヴァージンは彼らの活動スタイルに強く干渉してくるようになる。いわば最後通牒だった、とも言い換えられる。
 スタジオワークに入る前に楽曲はすべて用意し、ヘッド・アレンジもあらかた済ませておく。1枚のアルバムにまとめるにあたり、カッチリしたトータル・コンセプトやストーリー性は必要ないけど、とっ散らかった印象を避けるため、アレンジや曲調には、ある程度の統一性を持たせる。
 英国はスタジオ代も高いし、彼らのために長期間予約を入れるのは、コスパ的に良くない。むしろ短期集中でアメリカのスタジオを押さえた方が、彼らも作業に集中できるし、採算も取れる。
 ちょうどコネのあるスタジオがあって、そこには、なかなか腕の立つハウス・プロデューサーがいる。スタジオ経費から宿泊代まで、コミコミで格安で引き受けてくれるらしく、ヴァージン的には願ったりだ。
 そんな彼の名は、トッド・ラングレン。ニューヨーク近郊に立つべアズヴィル・スタジオにて、XTCは『Skylarking』を制作することになる。





1. Wake Up
 軽快なギター・フレーズが左右にパンするのが印象的な、のっけからスピード感にあふれた真正ギター・ポップ・チューン。そんなイントロの印象が強いこの曲だけど、アタック音中心でボトムをバッサリカットしたスネアの響き、3分あたりで奏でられるシンセ・プレイが、すごく気持ち良かったりする。
 実はコリン作であるこの曲、デモ・ヴァージョンが2002年リリースのコンピレーション『Coat of Many Cupboards』で聴くことができるのだけど、そちらではもうちょっとテンポを落とし、中期ビートルズっぽいアプローチになっている。

2. All You Pretty Girls
 お次はアンディ作、当時はこれがリード・シングルとして先行リリースされた。
 旧き良き大英帝国の船乗りを主題としており、「新しいおもちゃ」リン・ドラムをあれこれいじくり回して、旧き良きケルト風味のエフェクトやらコーラスやらをぶち込んでいる。どれもひとつひとつは食い合わせが悪そうだけど、そこを強引にポップに仕上げてしまうのが、やはりアンディ流。かなり練り込んだよな、これって。
 デモ・ヴァージョンは奇妙なレゲエ・テイストをベースに、ややゴシックっぽいコーラスやエフェクトが飛び交って、こりゃ食い合わせが悪い。でも、これがどうやったら、あんなポップに仕上がるんだ?謎だ。



3. Shake You Donkey Up
 ハイパー・アクティヴなオルタナ・カントリ―とでも言えばいいのか、英国人のくせして上っ面でロカビリーの真似事をしてみました的な、何とも形容しがたいサウンド。テレビの西部劇ドラマに面白半分で劇伴つけたら、多分こんな感じになる。
 しっかしアンディ、フィドルは入れるわロデオ・ボーイみたいな掛け声は入れるわ、まぁふざけてる。真面目にやってるとはとても思えないけど、でもアプローチとしては面白いし、悔しいけど完成度も高いときてる。

4. Seagulls Screaming Kiss Her Kiss Her
 そういえば90年代に、日本にこんな名前のバンドがいたよな、と思い出して調べてみると、もうとっくの昔に解散してた。音は聴いたことない。
 この時期の彼らにしてはとてもまともな、とっても真っ当なポップ・ソング。『Oranges and Lemons』に入ってても、全然違和感ない。この路線のXTC、俺はすごく好きなのだけど、まぁ売れるスタイルではない。もう5年くらい遅かったら、シングル・カットの可能性もあったかも。

5. This World Over
 核戦争で荒廃した世界を描いた、チマチマした世界観をうろついている彼らにしては、珍しくシリアスで壮大なテーマを取り上げている。なんだどうした、そういうのはプログレの仕事だろ。
 コード進行もまともだし、構成も均整がとれてるし、ちゃんとドラマティックに歌いかけるシーンまで用意されている。U2っぽさがうまく表現されているけど、でもそんなの誰も求めちゃいない。もっと世捨て人っぽく、小さくまとまらなきゃ、あんたら。世界の行く末なんて、大して興味ないんだろ?

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6. The Everyday Story of Smalltown
 なので、世界の終末を嘆く彼らより、小さなど田舎のどうでもいい日常を描く彼らの方が、ファンとしては愛着があるし、またニーズも多い。牧歌的な風景を切り裂くがごとく、猛烈な黒煙を吐いて突進する蒸気機関車。変に社会派気取って嘆くふりするより、こういった彼らの方が、よっぽどサマになる。

7. I Bought Myself a Liarbird
 ぎくしゃくしたリズムとせわしない転調がめまぐるしい、とっ散らかった印象をとっ散らかったまま完パケにした、まことに「らしい」ポップ・チューン。デモ・ヴァージョンはジャジーなテイストとオルタナっぽさが相まって、これはこれでいいのだけど、もっとメリハリをつけていびつな感じを完成形としたのは、なかなかやるじゃん、アンディ。

8. Reign of Blows
 インチキなブルース・ハープがフィーチャーされているけど、全然ブルースっぽくない、しかもちゃんとしたロックでもない。ギターの音色もフレーズも確実にロックっぽいのだけど、どこかフェイクっぽい。
 こんな感じの曲をいくつかまとめてライブで聴いてみたかったけど、かなわぬ夢だったな。あ、いいよ、今さらやらなくたって。

9. You're the Wish You Are I Had
 『Help!』までのビートルズがそのまま成長したら、こんな感じになったんだろうな。彼らにしてはまともなビートルズ・リスペクトなギター・ポップ。単なるビート・ポップのアップデートではなく、ポスト・ニューウェイヴのフィルターを通しているため、メロディも古臭くなっていない。
 これもスタジオじゃなく、ライブで練り上げていたら臨場感がプラスされたのだろうけど。いや、それじゃ面白くないか。単なる二流のパワー・ポップで終わってしまう。

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10. I Remember the Sun
 中期ビートルズにがっつり寄せたサビのフレーズは、やっぱりコリンが手掛けたものだった。さすがに俺も、これくらいは判別がつく。
 アンディに比べればずっとまともで、端正な楽曲だけど、その辺はグループ内のバランスだよな。どっちも破天荒だったら、空中分解しちゃうし。

11. Train Running Low on Soul Coal
 最後はアンディ、リン・ドラムのスペックを最大限駆使して、騒々しい操車場のイメージ化に成功している。丁寧に重ねられたギターのフレーズ、やたら堂々としたヴォーカライズなど、この曲だけ聴けばコンテンポラリーなアプローチとして、うまくコーディネートすればヒットも夢じゃなかったはず。
 でもね、こういった曲に似合うビジュアルは、やっぱりボノやロバート・スミスなんだよな。おでこの広い丸眼鏡ヅラで歌われても、感情移入しづらいし、映えない。それもあって、あんまり露出したくなかったのかね。







ポップ馬鹿、アップル商法に手を染める。 その2 - XTC 『Apple Venus Vol. 2』

folder 前回の続き。
 2000年5月、予告通り『Apple Venus Vol. 2』、サブタイトル『Wasp Star』がリリースされる。もともと大量のデモ・テイクをレコーディングしていたAndy PartridgeとColin Molding、当初は40曲以上の候補があり、そこから厳選して半分に絞り、さらに営業サイドからの助言により、一気に2枚組で出すより、時期を置いて2枚に分けるという条件を飲んだ、という経緯がある。どうせなら、Guns N' Roses方式で2枚同時発売にしてもよかったんじゃないか、と思われるけど、その辺は意味不明。どうせマニアが買い支えるんだから、強気の姿勢でもよかったんじゃない?

 肝心のチャート・アクションはといえば、UK40位US108位と、前作とあんまり変わらない数字。世界中のコアなXTCファンが集結しているここのサイトでも、日本での売り上げは載ってなかった。さすがにVol. 1ほどの売上には届かなかったんだろうけど、一応、次回作が出せる程度には売れてたんじゃないかと思われる。
 考えてみればポニー・キャニオンって、洋楽部門ってあったっけ?代表的なアーティストと言えば中島みゆきやaiko、またはフジサンケイグループつながりの歌手が多いという印象で、海外部門に力を入れていたという印象がまったくない。
(追記:Paul Wellerも一時期ここだった。ご指摘ありがとうございます。)
 業界内ファンのディレクターあたりが、どさくさに紛れて新規で洋楽部門立ち上げたのか?大して売れてるわけじゃないけど、社内に洋楽営業のノウハウを持つ人間がいなかったため、お咎めもなく好き放題に営業展開していたのだろうか。
 謎は尽きないけど、コアなマニアにとっては周知の事実なのかな、これって。広く浅く雑食系の俺には知りえない世界。誰か知ってたら教えて。

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 グランジ系のラフなパワー・コードによるギターから始まる、ダルなムードの「Playground」からスタートする『Wasp Star』もまた、好意的に受け入れられた。ちょっとくたびれた感は否めなかったけど、バンド・シーンへの前線復帰という決意が感じられ、ラジオでもよくオンエアされていた。
 中期Beatlesと『Pet Sounds』~『Smily Smile』期のBeach Boysに強くインスパイアされたVol. 1も良かったけど、でも往年のファンが待ち望んでいたのは、Vol. 2のサウンドだった。大人になって一皮むけて、かしこまっちゃうのは仕方ないけど、過去の自分を完全否定することはできない。どんなに粗削りであろうと、それもまた自分、経験値の積み重ねの連続が人生なのだ。
 敢えて突っ込みどころを言えば、インディーゆえの低予算もあって、トラック数は少ない。ラウドなパワーポップ・サウンドという性質上、パーツはそれほど必要ではないけど、もう少しエンジニアリングに手間をかけて、ボトムとエッジを利かせれば、若手バンドにも十分対抗できたんじゃないかと思われる。ジャンルは全然違うけど、ほぼ同時期にリリースされたレッチリ『Californication』なんて、どのパートもぶっとい音像に仕上がってるし。

 露悪的な見方をすれば、キリがない。7年越しの活動再開だし、そんな細かいことは、どうだってイイじゃん。何はともあれ、XTCとして活動しているんだから、我々はそんな幸福な現状を素直に受け入れるべきだ。
 -俺たち(私たち)が思うところのXTCと現在のXTCとは、ちょっと方向性違ってるかもしれないけど、Andy もいるしColinもいる(この頃、Daveの存在は誰も気にもかけなかった)。オリメン2人そろってるんだし、これは誰が何を言おうとXTCに違いないんだっ。
 ぶっちゃけて言うと、2枚ともパンチの利かない音でまとめられていたため、どこか消化不良気味だったのは、誰もが思っていた事実である。低バジェットのプロジェクトだったため、メジャー在籍時よりサウンドが小粒になったのは致し方ないとして、彼ら特有の英国的な毒やペーソスまで小粒になってしまったのは、予想の範囲外だった。
 インタビューや発言において、過激な毒を発し続けていたAndyだけど、そのエネルギーを創作面に振り向けてもらえれば、サウンドや歌詞にも適度なスパイスが効いたはず。ご意見番として憂さを晴らしちゃったため、『Apple Venus』の楽曲は破綻も少なく、均整が取れている。大人のポップとしては、優秀な部類に入る。
 入るのだけれど、でも。
 手の込んだ精進料理もいいけど、それを求めてるわけじゃない。どちらかといえば俺たち、ケチャップとマスタードの利いたビッグマックが好きなんだ。大きな声じゃ言えないけどね。

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 「Vol. 1同様、シンプルなアレンジだからこそ、メロディの良さが引き立つ」「敢えて隙間の多いサウンドに仕上げたことによって、バンド・サウンド本来のラウド感が演出されている」。
 『Apple Venus』の肩すかし感は声密かに囁かれていたけど、表だって言うことは、何となく憚られた。業界内ファンを自称する音楽ライターたちもまた、奥歯に物が挟まったかのような論調で、一応は賛美していた。
 誰に何を強制されたわけでもない、そんな強迫観念に取り憑かれたかのように、世界中のコアなXTCファンはAndyのコメントに一喜一憂した。特に従順だったのが、ここ日本。矢継ぎ早に発信される最新情報を鵜呑みにして、次々発売される『Apple Venus』アイテムを買い支えた。
 1年後の2001年5月、大方の予想通り、『Wasp Star』のデモ・テイク集『Homegrown』がリリースされる。この頃になると、もう誰も驚かない。「あぁ、やっぱりね」といった声が大多数。
 『Vol. 1』リリース時に激増したにわかXTCファンはすでに離れ、残ったのは古くからの従順なファンだけだった。もはや「嬉しい」とか「またかよ」という問題ではない。リリースされたら、入手しなければならないのだ。「買うか買わないか」で悩むのではない。頭を痛めるのは、度重なる出費に対する言い訳、そしてお小遣いの捻出手段だ。
 意思決定の入る余地もなく、惰性と義務感に急かされた、盲目的な信者の群れ。
 XTCカルトの完成である。

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 企画盤2種を含んでいるとはいえ、2年間で4枚もアルバムをリリースしているのだから、その創作意欲だけは称賛に値するものだ。ごくミニマムではあるけれど、それ相応のニーズもあるわけだし、コアな世界の中ではwin-winの関係が成り立っている。あんまりそこには入りたくはないけど。
 そんな多忙を極めるAndy、『Apple Venus』と並行してさらに2つ、アーカイブ・プロジェクトを進行させている。
 ずっとサボっていたヴァージンとの契約消化にケリをつけるため、2002年3月、アンソロジー・ボックス・セット『Coat of Many Cupboards』がリリースされる。4枚組60曲に及ぶその内容は、41曲がデモ・テイクや未発表ライブ、入手困難なレア・テイクで構成されており、「ヴァージン時代の裏ベスト」と言っても間違いない充実さだった。XTCサイドにとって不利な契約内容だったため、印税取り分は微々たるものだったらしいけど、そこはポップ馬鹿の悲しい性、不必要に張り切り過ぎてしまう。AndyもColinも積極的にお蔵出しテイクを提供するだけであく、ありったけの写真を引っ張り出してきて、60ページに及ぶ豪華ブックレットの作成協力までしちゃう始末。ヴァージンのいいカモじゃん、それって。
 で、もうひとつがAndy単独のプロジェクト『Fuzzy Warbles』。2006年まで続く、足掛け5年の壮大なプロジェクトは、これまでブートで流出していたAndy作の未発表テイクをオフィシャルな形でまとめたもの。年に1回、2枚同時発売のペースで進行し、最終的には全8枚に及んだ。後に、それらをボックス・セットにまとめた『Fuzzy Warbles Collector's Album』がリリース、特典としてつけられたボーナス・ディスクもさらに分売する、といった商魂の逞しさ。その後も『Fuzzy Warbles』プロジェクトは忘れられた頃になると突如復活し、3枚組3セットの仕様で再販されたり、「ベストFuzzy Warblesを出す」という本人コメントがあったりで、ネタ切れの際は何かと重宝されている。
 Andyからすれば、「過去の遺産で食ってる奴なんて、俺以外にもいくらでもいるじゃないか」ってことなんだろうけど、それにしてもあんた、節操なさ過ぎ。

XTC_-_Coat_Of_Many_Cupboards

 話は戻って『Apple Venus』、使えるモノは何だって無駄なく使う、アップル商法は手を変え品を変えてまだ続く。
 2002年10月、リリースされたのは、Vol. 1のインストゥルメンタル・ヴァージョン『Instruvenus』。同趣向のVol.2『Waspstrumental』も同時発売された。
 もともと彼ら、変態コード進行に基づいたメロディ・ラインと、過去のポップ・レジェンドへのオマージュと形容されるサウンド・メイキングに定評があったため、ヴォーカル抜きのトラックにニーズがあったとしてもおかしくはない。ていうか、ニーズのない所にニーズを創り出す、それこそが一流のビジネスマンだ。
 はっきり言っちゃえば、いわゆるカラオケ集であり、それこそボーナス・トラックで出す類のものだけど、それを単独販売しちゃうんだから、彼らの商魂といったらもう、それはそれは。でも、ここまで突き抜けちゃうと、逆に中途半端なファン・サービスだと納得しないんだろうな、マニア側からすれば。
 特に日本のファンには発売前から潜在的な需要があったらしく、本国イギリスでは2003年1月発売なのに、3か月も早く先行発売している。どれだけ従順なんだ日本のXTCマニア。
 ふと振り返ってみると、大滝詠一もまた、ロンバケリリース後まもなく、カラオケ集『Sing ALONG VACATION』をリリースしていた。しかもロンバケと同時発売で、第1期ナイアガラ・レーベルの6枚プラス編集盤オムニバス3枚を加えたボックス・セット『Niagara Vox』まで作ってしまうという、Andyも顔負けのラインナップ。
 そんなわけで、コレクター気質の強い日本人にとって、彼らの所業は責めるものではない。むしろ称賛されるべきものなのだ。潜在ニーズを掘り起こせば掘り起こすほど、コア・ユーザーの購買意欲はさらに高まってゆく。

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 とはいえ、さすがに一部ユーザーやメディアからの批判が高まったのか、はたまたネタ切れしちゃったのか、アップル商法は沈静化を余儀なくされる。せっかくなら大滝詠一に倣って、ストリングス・ヴァージョンでリ・レコーディングするのもアリだったんじゃなかと思われるけど、さすがにやり過ぎちゃったのかな。短いスパンで乱発し過ぎたし。
 ポニー・キャニオンとの契約も更新されず、日本では窓口がなくなってしまったXTCの活動は、この辺からフェードアウトしてゆく。当時、Andyは『Fuzzy Warbles』プロジェクトに没頭していたため、レコーディング・スケジュールは白紙となっていた。
 2005年10月、本編とデモ各2編をまとめた4枚組『Apple Box』発表。英国のみリリースのコレクターズ・アイテムであり、日本では入手困難だった。
 続く2006年12月、7インチ・アナログ・シングル13枚組の『Apple Vinyls』をもって、長きに渡ったアップル商法は終焉を迎えることになる。もちろんこれも、発売はUKのみ。コアなファンなら、個人輸入で手に入れたんだろうけど。



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1. Playground
 Marc Bolanのようなグリッターなリフからスタートする、ボトムの効いたロックンロールからスタート。テンポを落としたブギのリズムは、ラフでありながら神経質に整頓されている。間奏のアホっぽいオールディーズなコーラスには、Andyの実娘Hollyが参加している。さすがハウス・レコーディング。



2. Stupidly Happy
 Stones的にシンプルさを極めた反復リフをベースに、サウンドの主軸はとてもポップ。『English Settlement』期を彷彿させる抑えめのギターポップは、そのワイルドなリズムギターによってビターな味わいを醸し出している。コアな古参ファンにも人気の高い一曲。

3. In Another Life
 Colin作によるフォーキーなロック・チューン。Vol. 1では達観したかのようなポップ仙人ぶりを発揮していたけど、ここではもう少し生気が戻っている。まぁテンポは確かに良いけど、一般的なロック・サウンドからは程遠い仕上がり。やっぱ仙人だわ、これじゃ。

4. My Brown Guitar
 Prairie Prince (dr)によるリズム・アレンジが秀逸。今回のAndyの作風である、グッと腰を落としたダルなロックンロールととなっており、コメント通り、後期Beatlesのエッセンスが強い。ていうか、それに憧れたJeff Lynne = ELO的ロックンロールのテイストに近い。Beatlesマニアって、大体こんな風になっちゃうんだな。

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5. Boarded Up
 再びColin作。深い闇の奥から鳴り響くギターと声。英国ゴシック風味が強く打ち出され、全宝は浮いているため、ブリッジ的な小品と思えば腹も立たない。だから、アルバム・コンセプトと全然違うってば。

6. I'm the Man Who Murdered Love
 「Statue of Liberty」をヴァージン後期の環境でリメイクしたら、こんな風になっちゃいました的な、このアルバムの中でも飛び抜けて出来の良いトラック。かつての神経質に凝りに凝ったリズムから一転、シンプルでボトムがぶっとくなったため、いい感じで肩の力が抜けて大味になって聴きやすくなっている。全編、この感じでやってくれてたら、アルバムの評価も良かったはずなのに。

7. We're All Light
 ほとんど語呂合わせのような言葉の羅列の向こうに見えるのは、純粋なメロディの良さと、歌詞から希求された跳ねるリズムの洪水。そこかしこに思いつきという名のアイディアが散りばめられ、過去の延長線上にありながらも、確実にアップデートしたパワーポップ。

8. Standing in for Joe
 前2曲が珠玉の仕上がりだったため、Colin作になると途端にテンションが下がってしまう。いや悪いわけじゃないんだよ。コンセプトに合わないだけで。ていうかColin、絶対XTCを意識して作曲してないだろ、単なるソロ曲だもの、これじゃ。
 当初、楽曲選定の段階ではこれを収録する予定はなかったのだけど、レコーディングに入ってからColinが強硬に主張して、Vol. 2収録に至った、というエピソードが残っている。いるのだけれど、そこまで力説してまで入れなければならない曲かと言えば、ちょっと疑問。正直、俺的にはそんなに思い入れはない。

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9. Wounded Horse
 Stonesオマージュなサウンド・プロダクトになると、人はどうしてもラフで脱力した歌い方になってしまう。時々、Liam Gallagherみたいに聴こえてしまう瞬間が多々あるけど、まぁ気のせいか。

10. You and the Clouds Will Still be Beautiful
 変則リズムと転調の嵐が飛び交う、往年のニューウェイヴ風味満載のロック・チューン。変にメロディ・ラインに頼らず、力技でたたみかける饒舌さこそが、Andyの真骨頂であることがあらわれている。



11. Church of Women
 XTC久しぶりのレゲエ・チューン。ねじれたStonesの模倣より、実験性を優先していった方が、Andyは面白いものができる。全体的にいいんだけど、スロー・テンポの情緒的なギター・ソロだけはちょっと浮いている。もっとメチャメチャに、簡潔にまとめた方が良かったのに。

12. The Wheel and the Maypole
 ラストはファンのツボを余すところなく押しまくった傑作。初期のラジカルさと中期のサウンド・ディティールへのこだわり、後期の音圧の強さとがうまく絡み合い、XTCオリジナルの空間を形成している。饒舌に歌い飛ばすAndy、ひと手間かけた様々なエフェクト。試しに『Homegrown』収録のデモ・ヴァージョンも聴いてみたのだけど、これはこれでまた良い。やっぱり骨格がしっかりしてると、どんなアレンジでも観賞に耐えうるといった好例。






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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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