好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Van Morrison

笑顔はこれが精いっぱいだけど、文句あるか? - Van Morrison 『Sense of Wonder』

folder 1985年リリース、15枚目のオリジナル・アルバム。チャート的にはUS61位・UK25位と、まぁそこそこのポジション。80年代前半のヴァンのチャート・アクションは、ほぼこの辺が指定席であるけれど、多くの同世代アーティストの中では健闘している方である。
 ニュー・ウェイヴ以降、MIDIを始めとする楽器テクノロジーの劇的変化に翻弄され、多くのベテラン・アーティストがこの時期、「やっちまった」感のある作品を連発し、だいたいが玉砕している。ポール・マッカートニー『Press to Pray』然り、ミック・ジャガー『Primitive Cool』然り、80年代中盤のディラン一連の作品然り。
 今でこそみな、何ごとにも動じず悟り切った雰囲気だけど、いま挙げた人たちはこの時代、多かれ少なかれ迷走期を経験している。「時代に即したサウンド・アプローチに載っからないと」と、レコード会社に尻を叩かれて、不似合いなシーケンスまみれのデジタル・サウンドやダンス・ミックスをリリース、それまでのファンから失笑されて赤っ恥かいたアーティストの多いこと。
 トップ40やニュー・ウェイヴから一歩進んで、「大御所ディランにも手を伸ばしてみようか」と思い立ち、無難に『Blonde on Blonde』や『Highway 61 Revisited』あたりを選んどきゃよかったものを、何を血迷ってか手にしたのが、当時の最新作『Knocked Out Loaded』。…バカだ俺。肩透かし感もハンパない。
 本人的にもこの時期は黒歴史と思っているのか、Bootleg Seriesでも取り上げる気はなさそうである。まぁそんなに需要もなさそうだし。

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 ヴァンの場合、時代によって多少の変遷、サウンドのニュアンスの違いはあるにはあるけど、本流からそこまで逸脱したものはない。ソウルフルなヴォーカルを軸に組み上げられたアンサンブルなので、それを脅かす形にはならない。なので、どの時代からピックアップしても、そんなに大きなハズレはない。
 ただ、安定している分だけ変化に乏しいという難点もある。ブレの少ない品質を安定供給し続ける彼の存在は、多くのアーティストにリスペクトされているのだけれど、不特定多数のユーザーに行き渡るほどの明快さがないため、ちょっと伝わりづらくて敷居も高い。
 海外ではディランと並ぶビッグ・ネームだというのに、日本での人気は相変わらず「ない」に等しい状態が続いている。「来日していない最後の大物」という言葉も今は昔、今さらアジアをターゲットにしようだなんて思っていないだろうし、わざわざ招聘しようとするイベンターだって、多分いない。
 それなりのポジションゆえ、ライブ会場も大収容の武道館クラス、もしくはプレミア感優先のビルボードあたりを用意しなくちゃならない。とはいえ、日本におけるヴァンのポジションを考えると、どちらのケースも採算・集客的にちょっと難しい。
 そんな按配なので、日本のレコード会社も今さらプッシュする気もなさそうである。営業側から見たポジションとしてのヴァンは、現役の懐メロ歌手的ポジションのため、リスクを背負って新譜キャンペーンを張っても、大したリターンは見込めない。
 なので、『Moondance』と『Astral Weeks』だけが、定期的にリイッシューされ、他の年代のアルバムはガン無視、といった状況が数十年続いている、といった具合。

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 以前のレビューでも書いたけど、世間一般的にヴァンのクリエイティヴィティのピークは、70年代前半あたりとされている。多くのディスク・ガイドやレビューでも、ピックアップされるのはこの時期に集中している。
 なので、80年代のヴァンを取り上げたレビューは、あんまり見たことがない。前述した他のベテランと比べて、流行りに惑わされず堅実な仕事ぶりが顕著なのだけど、破綻がない分だけ面白くないのかね。キャラは濃いんだけど、頑固一徹と偏屈さばかりがイメージ先行して、どうにもいじりづらいのが災いしてるのか。
 リリースされた当時、北国の中途半歩な田舎の高校生だった俺は当然、このアルバムの存在を知らずにいた。俺的にほぼ同カテゴリだったディランなら、まだそこそこの基礎知識はあったけど、当時のヴァンの情報なんて皆無に等しく、80年代の活動を知ったのは、ずっと後になってからだった。
 前述の2枚がほぼどのディスク・ガイドにも載っていたため、当時も名前くらいは知ってたけど、それ以上先へ興味が行くことはなかった。ラジオでも耳にする機会がないので、出逢いようがない。
 ましてや80年代の田舎、店頭には視聴機もなければ貸しレコにも置いてるのを見たことがない。コンスタントにリリースを続けてはいても、日本ではまともに紹介されないので、いつまで経っても「まだ見ぬ大御所」的イメージばかりが先行していた。
 そんな地味な状況にちょっとだけ風穴を開けたのが、アイルランドのトラッド・バンド:チーフタンズとのコラボ作『Irish Heartbeat』だった。これまで培ってきたジャズだニュー・エイジだブルー・アイド・ソウルだを一旦チャラにして挑んだ、ほぼ直球ストレートのアイリッシュ・トラッド作品である。要するにドメスティックな民謡なのだけど、そこで見せた無骨さがキャリアに箔をつける結果となり、英国では久々のヒットとなった。
 ここ日本でも、当時エスニック/トラディショナル関係には諸手を挙げてウェルカムだったミュージック・マガジン界隈が盛り上がった。インテリ崩れのスノッブが飛びついたことによって、コップの中の嵐はちょっとだけ波立った。まぁ広く外へ向くことはなかったけど。

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 『Sense of Wonder』の前にリリースされた『Inarticulate Speech of the Heart』は、UKでは24位とそこそこの成績だったのだけど、なぜかニュージーランドでは最高4位と、思いもよらぬところでバズっている。イギリスとは地理的に思いっきり正反対だし、共感する部分は恐ろしく少ないはずなのだけど、一体ヴァンの音楽のどこが彼らのツボにはまったのか。
 思惑と違った部分でウケたことでヘソを曲げたのか、これを機にヴァン、突如音楽業界からの引退を宣言してしまう。極端な浮き沈みを経験することもなく、クオリティを大きく損なった様子でもない。この時期、一体何があったというのか-。
 70年代末から、スピリチュアル/宗教色の濃いコンセプトのアルバムを連発していたヴァン、そのストイックな趣きは、余人を近寄せない求道者そのものだった。多くの同世代アーティストが時代に乗り遅れまいと無様な若作りに励むのを横目に、ひたすら動ぜず我が道を貫く道を選んだ。
 ただ、どれだけ行き着いても終着点はない。それくらい、自己研鑽の道のりは果てしなく、そして尽きない。
 先の見えぬ探求の袋小路に見えるのは自己批判であり、耐えられなくなった者は、他者に救いを求める。それを人は「宗教」と呼ぶ。
 そういえばディランもこの時期、ユダヤ教に改宗した、とか何とか騒がれてたよな。

 そんな袋小路を回避したのかそれとも飛び越えちゃったのか、前言撤回してリリースされたのが、この『Sense of Wonder』。表面的には、90年代以降の豪放磊落な俺様伝説の萌芽が見て取れる。
 いわゆる人生やら哲学やら宗教やら、突き詰めればキリがないプログレッシブなテーマから解放されたのかと思われる。でも、声の張りにはまだデリケートな揺らぎが窺える。
 「常に前進していなければならぬ」といった強迫観念と、「まだ極め足りない」という渇望との板挟みがそうさせたのか、ソフトAORと竹を割ったようなソウルとの微妙な混ざり具合。虚ろな確信を頼りに、次の音/次の言葉を探るその姿からは、わずかなブレが垣間見える。
 「これでいいんだ」「間違いないんだ」と信じる背中。そう絶えず言い聞かせながら、前のめりにヴァンは前へ進む。
 大英帝国的にはドン底とも言えた1985年、シーケンスやサンプリング、フェアライトに惑わされることなく、私小説的な精神世界を描き切った点は、もっと評価されても良い。変にエンタメにおもねったりせず、苦悩を苦悩のままさらけ出すその勇気は、他のアーティストより一歩も二歩も先んじている。
 この鬱屈した時期を乗り切ったことが、90年代以降の俺様伝説への自身へとつながっている。単にこじらせていたわけじゃないのだ。


Sense of Wonder
Sense of Wonder
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Van Morrison
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1. Tore Down a la Rimbaud
 「伝説の詩人」というより、「ポール・ヴェルレーヌを愛欲に狂わせた早熟の美少年」という評判の方が高い、アルチュール・ランボーを歌った楽曲。もともと着想を得たのが1975年で、完成させるまで10年かかったといういわくつきの曲でもある。
  ほどよく抑制されたファンキー・サウンドをバックに、力強いヴォーカルを響かせるヴァン。テーマとは裏腹に、BL要素はまったく見られない。

2. Ancient of Days
 ギターのオブリガードが小気味よい、1.と同じテイストのほどよくソフト、ほどよく泥臭さの漂うチューン。ヴォーカルもちょっと肩の力が抜けており、90年代以降のふっ切れたサウンドに近い。このまま行っちゃえばよかったのにね。

3. Evening Meditation
 タイトルにMeditation(瞑想)なんてワードが入ってるくらいだから、ちょっとメランコリックに寄っている。ハミングともスキャットとも取れるケルト風のメロディは、ムーディでアルバム・ブレイクとしてちょうどいいんだろうけど、多分、顔はしかめっ面なんだろうな。そんな情景が伝わってくる。

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4. The Master's Eyes
 ディランの「Basement Tapes」のアウトテイクって言ったら、100人中5人くらいは信じちゃいそうな、ザ・バンドみたいなカントリー・ロック。大陸的なゆったりしたリズム、ほど良くゴージャスなホーンと女性コーラスは、ライブ映えするだろうし、これはこれでいいのだけど、85年だよ?さすがに時間軸がずれまくっている。

5. What Would I Do
 レイ・チャールズのカバー。偉大な先人にリスペクトしているのか、いつもよりちょっと丁寧に、情感を込めて歌いあげている。LPレコードではA面ラストを飾っているので、その辺も意識しているのか。この時代、ハモンドの響きは古臭く聴こえていただろうけど、一周回って30年も経つと、この音以外はハマらないよな、と思えてくる。

6. A Sense of Wonder
 B面トップを飾るタイトル・チューン。シンセがちょっと前に出たAORとホワイト・ソウルとのハイブリッド。トラック数が多く、ちょっとスピリチュアル風味も添加しているため、エコー成分もちょっと多め。当時まだ四十路に入るか入らないかだったはずだけど、もう神格化しようとしていたのか、それとも周りからはやし立てられていたのか。まぁ、こっちの路線にドップリ行かなくて正解だったんだろうけど。

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7. Boffyflow and Spike
 始めからコッテリお腹いっぱいだったため、箸休め的なインスト・チューン。軽快なギター・リフによる出だしから、とうとうヴァンもニュー・ウェイヴの煽りを受けたのか、と思ったけど、ケルティックなフィドルが入ってきて、あぁやっぱり、と思った次第。クレジットを見ると、演奏は若手ケルト・ロック・バンドMoving Heartsによるもの。6.でもバッキングを担当しており、どうりでテイストが違うと思った。こういうのって、聴くだけじゃわからない。やはり最低限の情報とインフォメーションは必要なのだ。

8. If You Only Knew
 ブルース・テイストの濃いジャズ・ピアニスト:モーズ・アリソンのカバー。ジャジーなロッカバラードというかファンキーなジャズ・ヴォーカルというか、カテゴライズなんてしゃらくさいモノを蹴散らしてしまう、カッコ良さしか伝わってこないチューン。ホット&クールの使い分け、そしてクレヴァ―なバッキング、セクシーな女性ヴォーカル。
 時代なんて関係ない。スピリチュアルもニュー・エイジも吹っ飛んでしまうキラー・チューン。



9. Let the Slave (Incorporating the Price of Experience) 
 と、舌の根も乾かぬうちに畳みかけてほしいところだけど、煌びやかなステージが暗転したようなアコースティックなバラード。カバーならはっちゃけることができるけど、いざ自作曲になると内面をさらけ出そうとしちゃうのが、この時期のこの人の難点。後半はたっぷりモノローグで埋めちゃうし。そういうのはいいんだって。

10. A New Kind of Man
 テイストが似ていることから、おそらく1.と同じセッションで録られたと思われるラスト・チューン。いろいろあったけど、終わり良ければすべて良し、といいたいところ。少なくとも、次回作への明るい展望が見られる力強いソウル・サウンド。
 と言いたかったけど、次回作はシリアスな『No Guru、No Method、No Teacher』。眉間のしわはまだしばらく取れそうにない。



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もう1回言う。「俺は俺」。 - Van Morrison 『No Guru, No Method, No Teacher』

folder 1986年リリース、16枚目のオリジナル・アルバム。とにかくマイペースで律儀、年1で必ず何かしら1枚はリリースしている。ここまでリリース・スケジュールがきっちりしているのは、世界中でも彼か中島みゆきくらい。次作をリリースできるだけの売り上げがコンスタントにあるのは、それだけ固定ファンが多いという証である。
 オリジナルだけに絞ってもこんななので、ここにライブ・アルバムやThem時代を含めると、さらにアイテム数は膨らむ。なので、生半可な気持ちで彼に近づいてはならない。キャリアが長いアーティストによく見られるように、選択肢が多すぎるため、どこから手をつけていいのやら。DylanやPaul McCartney同様、迷宮に入り込んでしまう確率の高いアーティストの一人である。
 それから30年経った現在、最新アルバム『You're Driving Me Crazy』は、何と39枚目。近年は他アーティストとのコラボも多くなっており、もうやりたい放題。さらに初期アルバムのデラックス・エディションでは未発表曲が追加されていたり、もうどこが入り口なのかわからない。『Moondance』40周年なんて、4枚組だよ?もう一見さんなんて相手にしないのか、わざと敷居を高くしているとしか思えない。
 そんな俺様状態に拍車がかかりっ放しになってるのが、ここ数年のVanである。

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 俺が買った初めてのVanのCDは『Moondance』、ワーナーのフォーエバー・ヤング・シリーズの廉価盤だった。それまで3000円くらいしていた旧譜が、ワーナーの英断によって、1800円くらいにまで値下げされたのだ。
 輸入盤で手に入れることもできなくはなかったけど、ネット普及以前、対訳やライナーノーツは貴重な洋楽情報源だった。特にVanのように、極端にインフォメーションが少ないアーティストでは、わずかな活字情報でも、そうやってかき集めるしかなかった。
 80~90年代にかけては、古いロックやポップスのディスク・ガイドが、一定数出版されていた。学習する姿勢で、60年代や70年代の音楽を聴いていた俺がVanの存在を知ったのも、そんな流れだった。
 何の知識もなくレコード店へ行って、片っぱしから当てずっぽうで買い漁るほどの財力も時間もないため、最初はこういったガイド本を頼りにしていた。新譜以外のリイッシューものって、大抵試聴機には入っていないので、手書きPOPから湧き上がってくる熱量、それと直感に頼らざるを得ない。できるだけハズレを引かないよう、結構吟味して選んでいたはずだけど、まぁ見込み違いの多かったこと。
 安全パイ狙いで、各方面で絶賛された歴史的名盤とか、安定したベテランの作品なら間違いないだろうと思って聴いてみても、必ずしも自分の好みと一致するわけではない。前回のU2でも書いたけど、『Pet Sounds』もVan Dyke Parksも、恐れずに言っちゃえばジミヘンだってピンと来なかった俺である。80年代サウンドを通過した耳でそれ以前の音を聴いても、ショボいサウンドに聴こえても仕方がない。
 Vanの場合、当時のディスク・ガイドやレビューでは、ほとんどが『Moondance』一強状態だった。もう少し掘り下げても、「取り敢えず『Tupelo Honey』聴いとけ」といった程度。ていうか、タワーにも玉光堂にも、それくらいしか置いていないのが実情だった。
 一応、レビューの評判を受けて聴いてはみたけど、どうしても聴きたくて購入したアルバムではないし、前述通り、なんかピンと来ない。なので、一回聴いたら二度目はない。すぐに売っぱらってしまう。その繰り返しだ。
 その後、ネット時代の到来によって、雑誌メディアでは紹介されない情報が、世界レベルで入手できるようになった。YouTube で気軽に試聴できるようにもなり、好みの音楽が探しやすくなった。
 そんな回り道を経てたどり着いたのが、80年代のVanの音だった。初期のぶっきらぼうなホワイト・ソウルではなく、近年の野放図なノン・ジャンルThe Van Morrison でもない、ソフトAORをベースとした荘厳なサウンド。本流とは違うんだろうけど、俺にとってのVanの音楽とは、その時代を指す。

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 『No Guru、No Method、No Teacher』がリリースされた1986年前後とは、ベテランのブルーアイド・ソウルのアーティストが注目を集めた時代である。その先鞭をつけたのが、MTVの潮流にうまく乗ったHall & Oates。美形キャラと男臭いヒゲのデコボココンビは、ビジュアル的にもインパクトが強く、シングル・チャートの常連として、日本でも人気を集めていた。
 サザンを休止した桑田佳祐がソロ・プロジェクトで渡米し、彼らとデュエットしたのが話題になったけど、当時の格付け的には、Hall & Oates > 桑田といった按配だったため、相当ジャパン・マネーを積んだんじゃないか、と揶揄された。まだ海外進出が頭にあった頃だったよね、桑っちょ。
 大器晩成型で注目されたのがRobert Palmer。Duran Duran のサイド・プロジェクトPower Stationで脚光を浴び、そのサウンドを取り入れたソロ・アルバム『Riptide』も、続けて大ヒットした。
 力強いソウルフルなヴォーカルが魅力的だったことがヒットの要因のひとつだけれど、加えて決定打となったのが、「Addicted To Love」(邦題「恋におぼれて」)のPV。スタイリッシュでエロい女性たちが、エアギター抱えてやる気なさそうにサイド・ステップする中、ビシッとダンディなスーツでキメて歌うPalmer。文章にしてみると支離滅裂な世界観だけど、だって実際そうなんだもん。その異様なコントラストが強いインパクトを与え、MTVではヘビロテだった。
 さらにベテラン枠、60年代から通好みな路線で活動していたけど、ここに来て一気に花開いたのがSteve Winwood 。Spencer Davis Groupからスタートして、Blind Faith、Trafficと、ロック史に名を残すグループを渡り歩きながら、なかなかシングル・ヒットに恵まれなかったのだけど、パワー・ステーション・サウンドでビルドアップされた『Back in the High Life』が大ヒットした。ちょっとハスキーで細い声質が弱点と言えば弱点だけれど、あの「Gimme Some Lovin'」の作者というだけで、それもすべて覆されてしまう。楽曲レベルの高さは折り紙つき、バラードも含めて硬軟取り混ぜた曲調が好評を博した。
 ここまで挙げてきた人、みんなパワステ・サウンドだな、そういえば。

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 そんなわけで、ファンク・テイストの強いパワステ・サウンドとブルーアイド・ソウルとは相性が良く、地道にキャリアを積んできたアーティストにとっては、願ったり叶ったりの必殺アイテムだった。同じベテラン・ブルーアイド・ソウル枠であるはずのVanだって、一枚噛んでてもおかしくなかったはずなのに…。
 とはいえ、そこはさすがアイルランド版ガンコ親父、1ミリたりとも微動だにせず、自身のサウンド・ポリシーを貫いた。さすが御大。意地でも動かない。
 一応、粗削りだった初期サウンドより少しマイルドになり、この頃は悠然たるAOR路線がサウンドの要となっている。いるのだけれど、それだって時流に合わせたわけではなく、当時傾倒していたスピリチュアル路線にフィットするからであって、トレンドがどうしたといった問題ではない。ゲート・エコー?オーケストラ・ヒット?何それ?って世界である。
 前述の3組がヒット・シングルを連発していた頃、Vanが何をしていたかといえば、アイルランドのトラディショナル・バンドChieftainsとの共演。世間の流れと思いっきり逆行している。むさ苦しくて古くさい、ビジュアル映えも何もない世界。少なくとも、当時のMTVで流せるような音楽ではない。
 バシッとアルマーニのフォーマル・スーツでキメて、陳腐でも何でもいいから、ラブ・ストーリー仕立てのPVでも作っておけば、また違った展開もあったんだろうけど、まぁやらねぇよな絶対。前者3組と比べ、ルックスはだいぶ落ちるし、第一そういったウリじゃないし。

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 とはいえ、そんな隆盛を極めたパワステ・サウンドも、永遠に無双状態が続くはずもない。ダイナミズムには申し分ないけど、細かなニュアンスが表現しづらく、誰がやっても似たような音になってしまうパワステ・サウンドは、使いようによっては、諸刃の剣となってしまう。音のインパクトが強い分だけ、飽きられるのもまた早かった。画一化を危惧したのか、ヒット・メイカーのポジションを確立した前者3組は、ゆるやかな原点回帰を選択する。
 テンプスのメンバーと夢の共演を果たした、アポロ・シアターでのライブ盤をピークとして、Hall & Oatesのセールスは緩やかに下降線をたどってゆく。その後は活動休止を経て、ソロ活動と並行しながら、マイペースに稼働している。ただ、かつてのヒットメイカーの面影を探すのは難しい。
 夭折したPalmerも、徐々に落ち着いたアンサンブルに回帰する。敬愛するMarvin Gayeのカバーなど、往年のソウル・クラシックへのリスペクトを強く表明していた。ディスコグラフィーを見ると、彼もアポロ・シアターでのライブ・アルバム出してたんだな。
 Winwoodもまた、ヒットの実績を引っさげて、飛ぶ鳥を落とす勢いだったヴァージンに移籍したはいいけど、相性がイマイチだったためか、あんまりパッとしなかった。近年は、出発点のR&B路線に回帰して、ジャム・バンド・スタイルでのツアーを中心に活動している。

 Vanだって厳密に見れば、音楽性が一貫していたわけではない。アイリッシュ民謡に行ったりジャズに行ったり、最近ではカントリーにも足を突っ込んだりして、考えてみれば傍若無人やりたい放題のありさまである。
 今となっては、「何をやっても俺は俺」、ジャンルやサウンドが変わっても、「俺が歌えばVan Morrison だろ、文句あるか?」と言いたげなふてぶてしさが漂ってくる。あ、それって昔からか。
 愚直に真面目に、ただ自分のやれる範囲で手を抜かず、身の丈にあった仕事をする。
 言葉にすると簡単だけど、貫くことはやっぱ大変だったろうと思われる。周囲からの誘惑もあったろうし、レコード会社からのプレッシャーもあっただろうし。
 まぁ、鼻で笑って相手にしないんだろうけど。






1. Got to Go Back
 Ray Charlesが歌いそうな、大陸的なスケール感のあるバラード。柔らかなサックスの響きは、同時期のStingのソロ作よりもメロディアス。メロウな感触は、日本人にも受け入れやすいかもしれない。

2. Oh the Warm Feeling
 同じく、ソプラノ・サックスのイントロがStingっぽいけど、フィリー・ソウル風の女性コーラスをフィーチャーしているため、コンテンポラリー色はこちらの方が強い。この頃はこの楽器の音色に凝っていたのか、ほぼデュエット状態でサックスがカウンターで入ってくる。気に入り過ぎて、次作『Poetic Champions Compose』では自分でプレイしちゃうくらいだし。

3. Foreign Window
 ここらで本気を出したのか、力の入ったソウルフル・ヴォーカル。今回、コーラスを務める女性シンガー2名(Bianca Thornton、Jeanie Tracy)に気合負けしないよう、野太い声での応酬。

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4. A Town Called Paradise
 アイリッシュ・フォークとソフト・ゴスペルが共存している、考えてみれば味わい深く変な曲。普通にやっちゃうと違和感ありまくり、ブロウしまくるアルト・サックスもミスマッチだけど、この世界観ではなぜか絶妙に混じりあってしまう不思議。俺様状態がバラバラのパーツをも強引にまとめ上げてしまう。

5. In the Garden
 ライブのクライマックスで演奏されることが多かった、エモーショナルあふれるバラード。本人いわく、80年代の重要曲のひとつとされ、いつもより情感がかなり込められている。淡々としたヴォーカリゼーションが多い80年代のVanの楽曲の中では、確かに異質。70年代からのファンには喜ばれたんじゃないかと思われる。いや確かにすごいわ、特に終盤。



6. Tir Na Nog
 「ティル・ナ・ノーグ」と読む、ケルト神話からインスパイアされたナンバー。悠然たるストリングスをバックに朗々と歌い上げている。全身全霊じゃなく、ちょっと余力を残したくらいの方が、この人はニュアンスが伝わりやすいんじゃないか、とこの曲を聴いて思う。だから初期作品にいまいち入り込めないのかね。

7. Here Comes the Knight
 Them時代に「Here Comes the Night」というスタンダードをヒットさせており、そこからインスパイアされたのかと思ったけど、まったく別の曲だった。よく見たら「K」ってついてるし。むしろ同郷の詩人W. B. Yeatsからの影響が強いらしい。WaterboysのMike Scottもアルバム1枚丸ごと使ってリスペクトしているくらいなので、アイルランドのアーティストにとっては神的存在なのだろう。

8. Thanks for the Information
 Vanにしては珍しく、リズムのエコーが深いことで特筆される楽曲。ドラムのリヴァーヴが効いているため、ここだけちょっぴり時代性を感じさせる。でもやっぱミスマッチだな。全編このサウンドにしなくて正解。

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9. One Irish Rover
 ブラコンみたいなイントロがちょっとどうかと思うのと、控えめなゲートエコーがやっぱり違和感ありまくり。御大、やっぱ一回くらいは試してみたかったんだろうか。でも大っぴらには言いづらいから、こんな地味な場所に入れちゃったりして。

10. Ivory Tower
 ラストは軽快なR&B。やっぱり、こういったのがこの人の本流なんだな。ブレイクの瞬間なんて、ちょっとカッコよくさえ思えてしまう。女性コーラスとも張り合うことなく、息はピッタリで楽しそう。一応、シングルとしてもリリースされたらしい。まぁシングル・チャートなんて興味なかったんだろうけど。






誰が何を言おうと、「俺は俺」。 - Van Morrison 『Poetic Champions Compose』

folder 1987年リリース、17枚目のソロ・アルバム。Themを脱退して間もなくレコーディングされた『Blowin’ Your Mind』が1967年なので、20年間ほぼ一定のリリース・ペースを守っていることになる。それに加えて何枚かライブ・アルバムや2枚組オリジナルもリリースしているので、アイテム数は相当な量にのぼる。なので、軽い気持ちで「ちょっと集めてみようかな」と思うのは早計。とんでもない量だから。
 ちなみに、そんな大量のオフィシャルもほんの氷山の一角に過ぎず、ブートの世界に足を踏み入れたら、そりゃもう奥深い迷宮から抜け出せなく恐れがある。Grateful Deadのファン・コミュニティーによって確立されたテープ・ツリー・システムが御大のコミュニティー内でも運用されており、比較的初期の未発表音源も聴くことが容易となっている。今じゃ普通にトレント・ファイルでも出回っているので、コンプしようと思ったが最後、一生を棒に振ってしまう。
 ダメだよな、これからレビューするのにこんなこと書いてちゃ。

 以前、布袋寅泰『Guitarhythm』をレビューした際、「問答無用の音楽」と形容したことがあったけど、デビューから一貫してその「問答無用の音楽」ばっかり作り続けてきたのが、Van Morrisonである。
 日本のアーティストで例えれば、浜田省吾あたりが最も近いポジションなんじゃないかと思われる。「団塊ジュニアの演歌」とも例えられる彼の楽曲は、その長い熟成を経て余分な雑味や脂が削ぎ落とされ、バラード系は一聴して判別がつきづらい楽曲も多いけど、それを「拡大再生産」と指摘するものは少ない。彼が奏でるのは、真摯に音楽と向き合った姿勢の末、紡ぎ出されたものだ。安易に一朝一夕で仕上がる、そんなお手軽なものではない。
 80年代中葉の『J. Boy』で心を鷲づかみにされた俺世代以上からは、熱烈な支持を受ける浜省だけど、全盛期を知らない若造にとっては、堀内孝雄との区別がつかないかもしれないし、人によって「合う/合わない」や「好き/嫌い」もあるだろうけど、でもそんな瑣末な個人の嗜好を鼻で笑い飛ばしてしまうのが、浜省の音楽であり御大の音楽である。
 多分、浜省なら言わないだろうけど、「ゴチャゴチャ言わんでいいから黙って聴けやっ、嫌なら聴くな」と言い放ってしまえる豪快さこそが、御大のキャラクターである。

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 年季の入ったヴォーカリストのアルバムというのは、「圧倒的な存在感を有する歌声」と、「あくまで引き立て役としてしゃしゃり出ず、それでいてそこそこのオリジナリティを付与した堅実なバッキング」という構図が一般的となっている。なので、それほど興味のない人にとっては楽曲の優劣がつけづらい。要するに、どれを聴いても同じに聴こえてしまうのだ。
 浜省のバラード系同様、御大もまたビギナーにとってはハードルの高いアーティストである。「一貫した音楽性」ということはイコール「初期の段階である程度、基本フォーマットが完成されている」のと同義である。時を経るにつれて熟成加減は深まるけど、その作品群は時系列とは無関係の座標にある。繰り返すけど、どれを聴いても同じに聴こえてしまうのだ。
 微妙な声の若さやアレンジの素っ気なさなんかで、「これは60年代後期のアルバムかな?」というのは判別できるけど、これがリマスターされたものになってしまうと、どっちが1976年モノでどっちが2015年モノなのか、ちょっとわからなくなってしまう。
 たまにちょっと寄り道して、アイリッシュ・トラッドやジャズ、カントリーに手をつけたりはしてるけど、基本、ブレの少ない人である。ていうか、「俺が歌えば全部Van Morrison なんだから文句ないだろ?」という無言のプレッシャーが、音から滲み出ている。その辺の圧は浜省よりかなり強い。

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 そういった人なので、どの時代から入ったとしてもクオリティは高く、一度馴染んでしまえば居心地の良い環境は保証されている。ただ、いくら同じような作風といっても前述の深化とリンクして、時代を追うごとに微妙に変化しており、当然好みも分かれてくる。
 一般的に間口の広さとして、ロック名盤ガイドなんかで紹介されることの多い『Moon dance』〜『Astral Weeks』を入り口とする場合が多い。実際、俺もワーナーの廉価版CDで入ったクチだし。
 その2枚を入手したのは確か20歳頃で、当時はロックの歴史をなぞるように、名盤ガイドに載ってるアルバムを片っぱしから聴き漁っていた。最初は、上位にランクインしているBeatlesやStones、Dylanなどの手堅いところを攻めてゆくのだけど、聴き進めるにつれて、あまり興味のないモノが残るようになる。そのうちリストを埋めることが目的化してゆき、一応下位打線のアイテムも聴くことは聴くのだけれど、そう何回もプレイヤーに入れることもなく、早々に売っ払ってしまう。

 当時の俺にとっての御大が、その中古レコ屋行き物件に当たっていた。その渋く地味な作風を受け入れる準備が、俺にはまだ整っていなかったのだ。結局のところ、自ら望んだモノでないと身につかない、という教訓は得た。汎用性の高い教訓だよな。
 「『Moonsance』周辺の70年代の作品群を抜きにして、Van Morrison を語ることはできない」という空気が、昔から日本の権威的メディア周辺では蔓延している。Stonesだったら『Let it Bleed』、Pink Floydなら『Dark Side of the Moon』が最高傑作だ、という論調。前評判や絶賛のレビューによって期待値が上がり、で実際に聴いてみると…、で、速攻中古レコ屋行き。そういった「何か思ってたのと違う」名盤をかき分けて、ずっと底の方で打ち捨てられた「真の名盤」たちよ。

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 Van Morrisonの場合だと、初期の泥くさいブルー・アイド・ソウル路線と併せて、本線から大きく逸脱したフォークロア作品『Irish Heartbeat』なんかも、評論家筋に結構持ち上げられている。民俗学的には貴重な記録かもしれないけど、正直、聴いてて面白いものではない。どうせやるのなら、大滝詠一『Let’s Ondo Again』ぐらいまでパロディーに噛み砕いてくれればまだ聴けるけど、あまりにアカデミック過ぎるそのスタンスは、ちょっと肩が凝ってしまう。

 そんな彼の音楽をきちんと聴けるようになったのは、ほんとここ数年、60〜70年代のソウル/ファンクを通過した耳を持ってからである。評論家の見当違いな絶賛に惑わされず、能動的にジャンルの開拓を行なうことによって、やっと自分のフィーリングとシンクロしたVan Morrisonサウンドを見つけられた、といった経緯である。単純に、年を取ったおかげもあるんだけどね。
 最大公約数的に、70年代派がファンの多勢を占めるのは事実だけど、それでも80年代以降の洗練されたAOR的サウンドを好むユーザーも多いのも、また事実である。俺がよく聴いて入るのも、ちょうどそこら辺だし。
 特別なギミックや小技もなく、単純に良い曲を素直に、感情の赴くまま歌い上げるだけ。
 たったそれだけなのに、お腹いっぱいになるくらいのクオリティが保証されている。あまりに安心できる仕上がりなので、良い意味で高機能なムード・ミュージックとしても活用できるのが、80年代Van Morrisonの大きな特徴である。

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 そういったわけで、この『Poetic Champions Compose』も品質保証付きのクオリティである。いつも通りなので特別な新機軸はないのだけれど、ちょっと御大、この時はジャズをやってみたかったのか、自らサックスを吹きまくったインストを3曲も収録している。アルバム構成上、ほんとは大して必要ないパートであり、無理やりねじ込んだ感もあるのだけど、でも案外サマになってるのはキャリアの為せる技。
 何かに似てるかと思ったらアレだ、部下の結婚披露宴の余興で自ら立候補して楽器演奏してしまう上司。やらせてみたら案外うまくて注目を集めてしまい、ドヤ顔で席に戻って酒を煽る中年男。いつも上から目線だけど、でも何だか憎めないんだよな。


Poetic Champions Compose
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1. Spanish Steps
 
2. The Mystery
 御大自身によるサックスを大々的にフィーチャーしたインストの後に広がるのは、雄大なアイルランドの地を思わせる、スケール感のある力強いバラード。広々とした農作地帯を思わせる奥行きは、ストリングスの音色さえフィドルのような響きに変えてしまう。

3. Queen of the Slipstream
 その肥沃たる大地をクローズアップしたかのような、古き良き19世紀の情景を振り返るような、懐かしささえ感じさせるバラード。考えてみりゃバラードばっかりだよな、この時期って。さらにカントリー志向が深まって、御大自ら弾くギターの音色も時々バンジョーっぽく響く。一応、シングル・カットはされているらしいけど、チャートインせず。



4. I Forgot That Love Existed
 ノスタルジックなムードから趣を変えて、もう少しリズムの効いたミドル・バラード。ヴィンテージ・ソウルからインスパイアされたメロディもフックが効いており、俺的には好きな世界。
 ほんと色づけ程度にシンセが使われているのだけど、この程良さ加減が絶妙である。同時代のアーティスト、例えば名前を出しちゃ悪いけどDylanのこの時期の作品なんて、変に時代に色目を使ってしまったのが仇で自爆しちゃってるし。
 ボトムがしっかりしてれば、無理にトレンドを追うことはないのに、つい目先に食いついて黒歴史化してしまったのが、多くのシンガー・ソングライター系のアーティストである。

5. Sometimes I Feel Like a Motherless Child
 こちらもメロディにメリハリがついたバラードで、ヴォーカル・スタイルはもう少しソウル寄り。基本のドラム・ビートに加えてアンビエント・テクノっぽいシーケンスが裏でなっているのだけど、こういった使い方ってあまり注目されてないけど、生音とのミックス具合はもっと注目されても良いと思う。スローなのに程よい疾走感がうまく表現されている。

6. Celtic Excavation

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7. Someone Like You
 B面冒頭のインスト、ていうか御大の独演会をプロローグとして、多分、一般リスナーも含めて最も良く聴かれている正統派バラード。最近になって、どこかで聴いたことがあると思ってたら、映画『ブリジット・ジョーンズの日記』でフィーチャーされていたのだった。そりゃ知名度あるよな。
 もう少し調べてみるとこの曲、映画挿入歌としてかなり優秀らしく、他にも6本の映画で何かしらのシーンで採用されている。クセがなくて、それでいてセンチメンタルで熱いバラードなので、ビギナーにも入りやすいんじゃないかと思われる。



8. Alan Watts Blues
 女性ヴォーカルが入ると、やっぱりゴスペルになるのは定番。タイトルにブルースって入るくらいだから、サウンドはほんと黒い。手クセの多いギターも粗い響きのドラムも、すべてがアメリカン。知らされずに聴いてると、ほんと黒人のヴォーカルと勘違いしてしまう。

9. Give Me My Rapture
 ニューオーリンズ風味は再び続く。アーシーなオルガンと強いリズムが曲をリードする。しかしこういった曲を聴いてると、ほんと演歌と同じ土着性の強さを感じさせる。

10. Did Ye Get Healed? 
 これまでの曲より洗練された、サックス・ソロからリードするジャズ・タッチのミドル・チューン。心もちヴォーカルの圧も抑え、オールディーズ・スタイルの女性ヴォーカルとのコンビネーションがレトロ・フューチャー。間奏のソロも軽やかだし、聴いてるとついついスウィングしてしまう。
 いい年だけど、ちょっぴりファニーで一皮むけた大人の茶目っ気を見せる御大。こういった大人に憧れてしまう。ていうかリリース当時の御大は42歳。今の俺よりだいぶ下じゃないの。まずいな。

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11. Allow Me
 ベッタベタなカクテル・ジャズだけど、まぁムード・ミュージックとして捉えれば充分な仕上がり。最後くらい、好きにやったっていいじゃん。あ、でも全部好き放題か。


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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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