好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Steely Dan

なんとなく忘れられてるけど、実はラスト・アルバム。 - Steely Dan 『Everything Must Go』

folder 2003年リリース、ウォルター・ベッカー最後の参加作として、またスティーリー・ダンとしても事実上のラスト・アルバム。リリース当時はみな「これが最後」と思うはずもなく、それもあってか、前作『Two Against Nature』ほどの注目を集めることはなかった。
 「20年ぶりの復活作」という触れ込みで、大々的にプロモーション攻勢がかけられ、本国USではプラチナ獲得、加えてグラミー授賞というオマケもついた前作と比べて、『Everything Must Go』は影の薄いポジションに甘んじている。ベッカー逝去の際も、遺作であるにもかかわらず、圧倒的な『Aja』と『Gaucho』推しによって隅に追いやられ、いまだ地味な扱いである。
 US9位・UK21位というセールス実績は、決して低いものではないのだけれど、世間的には「記録」よりは「記憶」、加えて累計売上でも圧倒的に末期2作のインパクトが強い。そんな2トップが、いわばダンの代名詞となっていることもあって、逆に言えば『Everything Must Go』だけが、不当な扱いを受けているわけではない。
 すごく乱暴な偏見で言い切ってしまうと、『Aja』『Gaucho』以外で知られているダンの作品といえば、せいぜい「Do it Again」くらいのもので、その他の作品の知名度は圧倒的に劣る。そんな俺も、「『Katy Lied』と『Royal Scam』、先にリリースされたのはどっち?」って聞かれたら、即答できない。答えられなくても誰も困らないので、別に覚える必要もない。

 末期ダンのエピソードとして語り継がれているのは、主にレコーディングにまつわるものが多い。終わりの見えぬリテイクの嵐、次々と首をすげ替えられるセッション・ミュージシャンたち、膨大に積み上げられたまま、手つかずの未編集テープ群。
 ミキサー卓の前を定位置として陣取り、OKテイクのテープを切っては貼り、繋いではやり直しの無限ループ。深い霞の奥に潜む最適解を求めて、フェイゲンとベッカー、そして実質「第3のメンバー」と称されたプロデューサー:ゲイリー・カッツらによって共有される、居心地の悪い沈黙。
 作品クオリティの追求のため、それらは必要不可欠な工程ではあれど、その積み重ねは確実に強いストレスを生む。膠着した人間関係は次第に崩壊の過程をたどり、そしてほんの僅かな綻びから「パンッ」と弾ける。
 発展的解消とはお世辞にも言えぬ、グダグダのフェード・アウトを迎え、ちゃんとした公式声明もなく、スティーリー・ダンはその幕を閉じた。ここまでが、いわば第1期。

59433

 数々の歴史的名盤を生み出す代償として、ベッカーは重度のアルコール中毒を病み、フェイゲンもまたプライベートな問題を抱え、再び腰を上げるまでには、およそ10年の歳月が必要だった。ソロ・アルバム『Kamakiriad』制作のため、フェイゲンがベッカーに声をかけることでタッグが復活し、そのままダン再結成へとプロジェクトは移行する。
 ただ大方の予想と大きくはずれ、再結成ダンはライブ活動からスタートした。一度聞いただけでは、ちょっとなに言ってるかわかんない、ぶっ飛んだ近未来的コンセプト・アルバム『Kamakiriad』でウォーミング・アップを済ませ、「次はいよいよ、ダン名義の本格的なスタジオ作品か?」と誰もが思っていたにもかかわらず、まったく音沙汰なしだった。
 80年代に入ってから顕著となった、往年のグループの再結成といえば、その多くはレコード会社主導でコーディネートされたものだった。グループ解散後、パッとしないアーティスト側と、ある程度、評価の定まった銘柄に投資したいレコード会社側、双方の思惑をすり合わせるため、有象無象の自称コーディネーターやブローカーが暗躍した時代である。
 大々的にグループ復活を謳い、ニュー・アルバムをリリースしてワールド・ツアー、勢いの冷めやらぬうちにライブ・アルバムかビデオのリリース―、ここまでが一連の流れだった。こういったシステムを作ったのは、多分ストーンズが最初だったと思う。
 ダンの場合、どの段階からエージェントが絡んだのか、またレコード会社のA&Rが接触してきたのかは不明だけど、アルバム制作をスタートとしなかったことは、結果的に正解だった。フェイゲン主導の『Kamakiriad』ならまだしも、正式な再結成アナウンスを経てニュー・アルバム制作ともなれば、あの終わりなきスタジオ・ワークが繰り返されることは目に見えていた。

41gzer+xIqL

 結果的に再結成のプロローグという位置づけとなった『Kamakiriad』を経て、フェイゲンとベッカーはスタジオを後にすると、その後しばらく欧米を中心にマイペースなライブ活動を続けた。単発のシングル・リリースもなければ、スタジオ入りした情報もなく、彼らはひたすらアリーナ・クラスの大会場を小まめに回り、そして多くの収益を得た。
 活動再開を喜んだ世界中のファンは、「きっと」「近い将来」リリースされる「であろう」新生スティーリー・ダンのニュー・アルバムを、首を長くして待ち望んだ。そんなファンの心境を知らぬはずはないのに、彼らは我関せずといった風にステージに立ち続け、スタジオ入りするのを先延ばしにした。
 音源リリースを前提としない再結成は、彼らの心理的負担やプレッシャーの軽減に大きく作用した。彼らの立場に立ってみれば、緻密にこだわり抜いた渾身のスタジオ作品で酷評されるよりは、すでに確立したネーム・バリューをぶら下げて、世界各地で喝采を浴びる方を選ぶに決まってる。往々にして再結成アルバムというのは、リスクが高いのだ。
 思えば『Gaucho』も『Aja』も、アナログ・レコーディング技術が頂点に達した時代の産物である。アーティスト単体だけではなく、ゲイリー・カッツを始めとした制作チーム、そして優秀なプレイヤーをふんだんに使うことができる環境。それらすべてのタイミングが奇跡的にシンクロしたことによって、作品クオリティとして結実した。
 いくら新:ダンの期待値が高く、それなりのバジェットが組まれていたとしても、20年前と同じ環境は望むべくもない。アナログ・レコーディング可能なスタジオ自体がほとんど残されていないし、もし仮にあったとしても、以前と同じメソッドで作業できるほどの時間も予算もない。
 かといって、ライブのテンションで一発録り強行するタイプの音楽性でもない。作業効率を重視して、従来の生音セッションからプロトゥールスへ移行するのも、またちょっと違うし。
 ていうか、それって、もうスティーリー・ダンじゃなくなるし。

43DEC67400000578-0-image-a-3_1504449545254

 そんな試行錯誤があったのかどうかは不明だけど、新:ダンはなかなか新作アルバムに取りかかる気配を見せなかった。2人とも壮年に差し掛かり、かつてのような集中力を維持することが困難になってきたこと、報われることの少ないスタジオ・ワークより、1日2時間前後のステージで喝采を浴びる方が、精神衛生上のメリットが大きかった。
 かつて創造に注いでいた労力は、アーカイブの忠実な再現に向けられた。テイク3のギター・ソロの3小節目を、テイク21と継ぎ直しては戻したり、といった悶々とした作業より、イントロだけでオーディエンスが狂喜乱舞する「Hey Nineteen」のライブ演奏の方が、彼らとしてはカタルシスを得ることができた。
 そんな風に自然に培われたバンド・グルーヴとアンサンブルの妙が徐々にバンド内のテンションを上げ、その時点での新:ダンのマイルストーンとして制作されたのが、『Two Against Nature』だった。曲ごとにセッション・ミュージシャンを取っ替え引っ替えし、無数のテイクから数フレーズだけ抜き出して張り合わせる、言ってしまえば非効率的だった既存の手法を取らず、固定メンバーによるコンパクトなセッションを、あまりいじらずにまとめることで、平均的に高いクオリティの演奏となっている。
 『Two Against Nature』と『Everything Must Go』に共通しているのは、プレイヤビリティの尊重であり、返して言えば、旧:ダン3トップ独裁体制の崩壊である。旧:ダン・サウンドのコンセプト面を司っていた、フェイゲン:ベッカー:カッツのエゴは大きく後退し、各プレイヤーによる自由な解釈に委ねられているパートも多い。
 旧:ダンの魅力のひとつだった、アンチ・ポピュラーなコード進行や、無国籍性・時代性を超越したサウンド・アプローチは不変だけど、偏執的なアーティスト・エゴやパーソナリティは薄められている。末期2作がカスタム・オーダーメイドとすれば、新:ダンによる2作は、「忠実に再現された汎用タイプ」と例えれば、何となく理解してくれるんじゃないかと思われる。

6927_Show_Page

 手を抜くわけでなく、時代のニーズに応じつつクオリティも維持しつつとなれば、この手法が新:ダンの最適解だった、と今にして思う。順列組み合わせを目的としたマテリアル収集でしかなかった旧:ダンのバンド・セッションを経て、新:ダンで得たバンドの一体感は、スタジオ仙人と揶揄されていたフェイゲン:ベッカー両名にとって、新鮮な体験だった。
 長い長いキャリアを経て、やっと居心地の良い環境を獲得したことでテンション上がっちゃったのか、『Everything Must Go』は前作からわずか3年のインターバルでリリースされた。この間にワールド・ツアーを敢行し、さらにその合間を縫って、数々の取材やらイベントやらも出席しているので、ベテラン・バンドとしては驚異的なハイ・ペースである。
 内容的には『Two Against Nature』の続編のようなもので、正直、そんなに大差はない。この2枚のトラックをシャッフルして聴いても、多分、気づく人はそんなにいないはず。
 際立つほどキャッチーなキラー・チューンや、迫真のインプロビゼーションが収録されているわけではないけど、プレイヤー側がそんなに気負ってないこともあって、聴く側としても気楽に聴くことができる。ムダをそぎ落としてゆくのではなく、最初からある程度の帰結点を想定して形作られているので、コスパ的にも優秀である。
 いい意味でシステム化された新:ダンのレコーディング・プロセスの確立によって、その後もコンスタントにスタジオ新録アルバムがリリースされるのでは、とファンの期待はふくらんだ。今さら「Peg」「Black Cow」クラスの楽曲は望むべくもないけど、少なくとも大コケする作品を作ることもないだろう。3割程度の打率でコツコツ続けてもらえれば、それでもう充分だ。

 ―と思っていたのだけど、これ以降、フェイゲンとベッカーが揃ってスタジオに入ることはなかった。もしかしてリハーサルくらいはやってたかもしれないけど、世に出せるほどの作品を生み出すには至らなかった。
 そして、それはもう2度と巡ってこなかった。





1. The Last Mall
 アタック音の強いドライな質感のドラミングを得意とするキース・カーロックがグルーヴ・マスターを務め、それに引っ張られてかフェイゲンのヴォーカルも力強い。まぁ声は出ている。
 やたらフィーチャーされるベッカーのギター・プレイは賛否両論あるけど、俺的にはあんまり好きじゃない。手数は多いんだけど、あんまり印象に残らないというか、旧:ダンのプレイをなぞってるだけっていうか。
 逆に言えば、他のパートはきちんと仕事をしている印象。あ、そんな役回りなのか、ベッカー。

2. Things I Miss the Most
 ブルース・ベースのギター・プレイがやっぱウザい、それでもヴォーカル的にはアルバム中ベストの仕上がりという、何とも評価しづらいナンバー。わかりやすいダン流メロディなので、旧:ダン信者にも評判は良さそうだけど、「それならオリジナル聴いた方がいいや」という意見はちょっとひねくれ過ぎ。

3. Blues Beach
 ピアノ・パートが大きくフィーチャーされ、対してベッカーの存在感は薄いので、その分、「らしさ」が強く浮き出たシングル・カット・チューン。今さらシングル・ヒットを狙うとは思えないけど、ちょっとはキャッチ―な面を意識したんだろうな。でも、もっとソリッドに仕上げてもよかったんじゃね?付け足したような女性ヴォーカルのパートは、あんまりグッと来ない。

4. Godwhacker
 やや不穏な香りの漂う16ビート。ここまでと風合いの違う、それでいて新機軸の兆しも窺えるダン特有の世界観。ちょっとファンク・テイストが強めのダン楽曲が好きな俺としては、このアルバム中のベスト・トラック。恐らく、同じ想いのファンも多いんじゃないかと思われ。



5. Slang of Ages
 ここに来て、ベッカーによるヴォーカル曲。ここまで強引なベッカー推しは、一体なにがあった。どこかのレビューで「リンゴ・スターっぽい」というコメントを見たけど、そこまで味があるわけではない。でも、なんかクセになる。そんな声質。そして歌い方。
 でもこれ、別にフェイゲンが歌っても別に良かったんじゃね?といつも思う。ホーン・セクションも健闘してはいるんだけど、やっぱブレッカー兄弟と比べちゃうと、見劣りしちゃうのは致し方ないか。

6. Green Book
 ここまでやたらベッカー推し、ソロイスト推しなアレンジが多かったけど、ここに来てやっとバンドらしいグルーヴが堪能できるナンバーの登場。ちょっとフェイゲン・ソロっぽさが強いけど、鍵盤のアレンジ・センスなんかはまだまだ衰え知らず。
 足したり引いたりするのではなく、あるべき音を最小限に置くことができるのは、彼ならでは。



7. Pixeleen
 「FM」のベーシック・トラックのピッチをちょっぴり上げて、キャロリン・レオンハートとデュエットすると、こんな感じに仕上がる。R&Bでもスムース・ジャズでもない、スティーリー・ダンとしか形容しがたいオリジナリティ。ヒットの方程式からははずれているけど、やっぱ俺、この世界観は大好きなことに今さらながら気づいた。

8. Lunch with Gina
 彼らにしてはスタジオ・セッション感を強く打ち出したトラック。軽快な16ビート、ホーン・プレイに肉薄したフェイゲンのシンセ・ソロ、各パートが隙あらばぶっ込んでくるアドリブ・パートなど、やたらバッキングの聴きどころが多い。この辺は新:ダンの可能性が見られる。

9. Everything Must Go
 「閉店売り尽くし」という意味を持つ、タイトル・チューンにしてラスト・トラック。Walt Weiskopf(t.sax)によるジャジー・ソロに続き、漂白脱臭されたスロウ・ブルースからは、感傷的な香りが漂う。
 リズム・アプローチにひねりがないためか、凡庸なAORに聴こえてしまうけど、この後の沈黙を思えば、それもまだ許せるか。ていうか、ダン・ナンバーを素直にストレートに解釈して演奏すると、こんな感じになっちゃうんだな。
 多くのフォロワーが求めて得難いモノ、それが彼らの持つオリジナリティ、「毒」であるのか。






追悼 ウォルター・ベッカー – Steely Dan 『Can’t Buy a Thrill』

folder -60年代終わり、大学でDonald Fagenと出会い、Steely Danを結成したWalter Beckerが、日曜日(9月3日)亡くなった。67歳だった。
 Beckerは体調不良のため、7月にアメリカで開かれた2つのフェスティバル<Classic West><Classic East>でのSteely Danのパフォーマンスに参加していなかった。
 Fagenは先月初め、『Billboard』誌のインタビューで、病名などには触れなかったが、「Walterは回復しつつあり、すぐに元気になることを願ってる」と話していた。
 その願いは届かず、長年の友人、相棒を失ったFagenは、Beckerとの思い出を振り返り、「僕らは永遠に彼を恋しく思う」との追悼文をFacebookに寄せている。
 Walter Becker が亡くなった。事実上、Steely Danは永遠の活動休止状態となった。
 そんなFagenが独り、日本にやって来る。これまでのソロ活動をまとめたアンソロジー『Cheap Christmas』 がリリースされるため、そのプロモーションが目的なのだろうけど、Becker の体調が思わしくないことは、以前から織り込み済みだったのだろう。近年はほぼ毎年、Danのツアーを行なっていたのに、ここに来てBeckerは帯同しなかったのだから。

nbcnews-ux-2880-1000

 途中、長い休止期間はあったけれど、デビューからずっと2トップでDanを引っ張ってきた2人である。腐れ縁だろうと何だろうと、互いに必要不可欠な存在だったことはわかる。でも、Danに対する彼の貢献度がどれだけのものだったのか、具体的に語れる人は少ない。実際、俺もそうだし。
 作詞・作曲・メインヴォーカルまで務めるFagenに対し、彼の仕事はなかなかつかみづらい。Steely Danのサウンド・メイキングのプロセスにおいて、メロディとはあくまで素材の一部に過ぎず、作業の多くを占めるのは、途方もない時間をかけたスタジオ・ワークである。あまり目だったプレイを見せないギター担当のBecker が担っていたのは、多くの楽曲でひねり出したアレンジのアイディアであり、今では考えられない豪華メンツらによる録音テイクの取捨選択である。
 それらは主に裏方の仕事であり、目に見えてわかりやすい作業ではない。Steely Danにとって彼が、「Fagenじゃない方」、または「宮崎駿似のオッさん」というイメージは、なかなか拭えない。

 もともとSteely Danというユニットは、Fagen & Beckerによるソングライター・チームとして発足したもので、表舞台で脚光を浴びることを目的としたプロジェクトではない。レコード会社へ送るデモ・テープ作成のため、一応バンドという形態を取ってはいたけれど、Fagen とBecker以外のメンバーは、いずれもかりそめの頭数合わせ程度の存在でしかなかった。
 よく言う運命共同体的なバンド・ストーリーとは、無縁の存在である。

_SL1000_

 「自ら歌い演じることは想定せず、どうにも収まりの悪い曖昧な、良く言えばルーティンを外した浮遊感漂うメロディと、思わせぶりな暗喩だらけのように思えるけど、実際は大して意味のない言葉の羅列を、あんまり頭のよろしくないシンガーに歌わせてシングル・ヒットを狙う」といった、あまりに無謀な皮算用。
 もちろん、そんな歌がヒットするはずもなく、進んで歌いたがる者もそんなにいなかった。そりゃ嫌がるよね、こんな歌いづらい曲ばっか。
 誰も歌ってくれないので、仕方なく自分たちでプレイする他なく、取り敢えずやっつけで作ったデモ・テープが、彼ら以上に斜め上だったGary Katzに認められ、「いいからまずLAに来い」と引っ張られ、取り急ぎ目ぼしいメンツをかき集めて結成されたのが、Steely Danである。

 で、話はずっと飛んで活動休止後、ソロになったFagenの作品を聴いて思うのは、案外まともな感性を持つ彼のパーソナリティである。
 カマキリのまっ正面どアップというポートレートの『Katy Lied』や、悪意と皮肉の塊だった『Can’t Buy a Thrill』のジャケット・デザインから察せられるように、Danの作風は基本、非日常性を基点とした奇抜な題材やシチュエーションを取り上げることが多い。2人とも、生粋のアメリカ人であるにもかかわらず、作風やユーモアのセンスは英国人的に屈折度が強い。EU圏内での根強い人気が、それを証明している。
 対してソロでのFagenは、多分、Danとはキャラかぶりしないよう配慮しているのだろうか、基本、少年時代の実体験や中年期の鬱屈や葛藤など、極私的なテーマの作品が目立つ。9.11同時多発テロがモチーフの一部となった『Morph the Cat』も、Fagen自身がNY在住であるからこそリアリティが増しているわけで、彼にとっては絵空事ではない。それは「特別な日常」だ。

100_WM874357000552

 基本、等身大のテーマを取り上げることによって、Dan時代との差別化を図っていたFagenだったけど、「エコロジカルなカマキリ型のハイテク・カー」なんて突飛なコンセプトを、クソ真面目な態度で語りながらも実は壮大な冗談だった『Kamakiriado』なんてアルバムは、Fagen単独では作れない。Beckerによるプロデュースだったからこそ成せる業だったわけで。
 もちろん、Fagenの中にもBecker 的なエキセントリック性はあるのだけど、ソロになると、作家性や内面性を優先してしまって、曖昧さと不条理さというのは副次的なものになってしまう。やっぱかしこまっちゃうんだろうな。
 そんな彼のSteely Dan性を引き出してしまうのがBecker であり、かつてはそこにKatzとの化学反応が加わっていた。そして、そんなFagenを尻目に、単独でその不条理性を表現できていたのがBecker だったわけで。
 彼のソロ・アルバムなんて、そんな不可解さ・不条理性だけで構成されてるもんだから、まぁアクの強いこと。やっぱ、スパイスだけの料理はちょっとキツいよね。まず、味わい方からわかんないんだもの。

 そんなことは2人とも、とっくの昔にわかっていたのだろう。
 Fagen独りで『Nightfly』はできるけど、「リキの電話番号』はできない。万人向け(とは言っても、単純に一般受けするような代物じゃないけど)する精巧なAORはできるけど、Becker がいとも簡単に放ついびつな感触は再現できないのだ。Fagen、Becker、Katz三者三様による絶妙なバランスのもと、全盛期のSteely Danは成立していた。70年代という空気もまた、彼らに味方していた。
 ただ、そういった緊張関係は長く続くものではない。年がら年中、顔を突き合わせていると、互いの顔さえ見るのもイヤになるのは、普通の会社勤めでもよくある話であって。特にエゴの強い人間が集まると、その感情はさらに助長される。
 何年かに1度、顔を合わせてツアーを回る程度の気楽さがあれば、バンドの寿命はもう少し延びていたことだろう。過剰なスタジオ・ワークは、払う犠牲があまりに多すぎる。

maxresdefault

 で、そんなBecker の貢献度が最もわかりやすいDanのアルバムといえば何なのか。
 これを機に、ちょっと真剣に考えてみた。
 基本、どの曲もFagen のキャラクターが強いのだけれど、まぁほとんどの曲でメインで歌っているのだから、これはどうにも致し方ない。そんな彼のパーソナリティが目立たない時期はどの辺りなのか―。というわけで、行き着いたのがデビュー・アルバムだった、という結論。
 楽曲こそ、ほぼすべてFagen / Becker の共作で占められているけれど、ここでは後年と違って、Fagenがすべてヴォーカルを取っているわけではなく、David Palmer という人と半分ずつ分け合っている。まだフロントマンとして立つことに吹っ切れてなかったのか、はたまたソングライターとしてはともかく、ヴォーカリストとしての適性に疑問を抱いていたKatzの横やりだったのか。
 まぁそんなのは不明だけど、まだデビューしてポッと出の急造バンドであるからして、どこかチグハグ感は否めない。Fagenメインの楽曲でも、カリスマ性の薄い彼のパフォーマンスより、突飛なアレンジ技を繰り出すBecker の奇矯さの方が目立ってしまうことが多い。そのミスマッチ感こそが初期Danの魅力であり、ヴァーチャル感あふれるバンド・サウンドは、「どうにか商品として成立させるんだ」というKatzの意地が見え隠れしている。

 『Can’t Buy a Thrill』以降は、ほぼFagenがメイン・ヴォーカルを取るようになり、Beckerのプレイヤビリティは、時々見せる変なギター・ワークのみとなってしまう。ただそれは、徐々にメンバーが脱退してユニット形態へ移行してゆく過渡期であり、目に見えぬトータル・サウンドへの貢献度は、むしろ高まってゆく。
 最後には、オリメンはFagen とBecker の2人だけになり、運命共同体的バンド・マジックを捨てた『Aja』『Gaucho』では、クレバーなサウンド・メイキングの魔力が顕在化してゆく。


Can't Buy a Thrill
Can't Buy a Thrill
posted with amazlet at 17.09.07
STEELY DAN
MCA (1999-04-13)
売り上げランキング: 2,140



1. Do It Again
 1972年のリリースでラテン・リズムの導入ということで、Santanaを意識してたのかと思ったけど、多分違うと思う。「Do It Again」という楽曲がラテン・テイストを希求しただけで、最初からラテンありきではなかったと思われる。だってこんな曲調、彼らはこれしか作ってないし。
 エレクトリック・シタールのインパクトが強くて影に隠れがちだけど、Jeff Baxterのドブロなギター・ソロも印象深く、初期のDanが案外バンド・アンサンブルのひらめきに頼っていたことが窺える。そりゃそうだよな、デビュー作だもの。後半から地味にテンポアップするJim Hodderのプレイも堅実かつスクエアで、もしこのまま民主的なバンドになったとしたら、それはそれで面白かったと思うのだけど。



2. Dirty Work
 ここでヴォーカルがPalmerに後退。序盤は気の抜けたカントリー・ロックな風情。生真面目なNeil Youngといった感じかな。サビのコーラス・ワークは後年のDanを思わせるけど、間奏のあんまり芸のないサックス・ソロは、ちょっといらなかったと思う。
 復活後のライブでも、Fagenはヴォーカルを取らず、主に女性シンガーに投げっぱなしなので、あんまり歌いたくないんだろうな。だったらセットリストに入れなきゃいいのに。

3. Kings
 なんだかユルい2.の後、再びFagen登場。やっぱヴォーカルが締まって聴こえるんだな。ヴォーカルだけ取り出して聴けば、疾走感あふれるロック・チューンなのだけど、間奏の神経症なギター・ソロといい、従来のロック的尺度で測れば奇妙な味わい。オーソドックスなロッカバラードのはずなのに、帰着点の曖昧なメロディを創り上げたことで、彼らの目論見は達成されている。

4. Midnite Cruiser
 なぜかヴォーカルがドラムJim Hodder。コーラスのかぶせ方やロック的なリズム・パターンからして、見事なカントリー・ロック。こういうのを聴くと、バンド・アンサンブルの偶然性に頼ったグルーヴ感というのは、ソングライター・チームの本意ではなかったことがうかがい知れる。プレイヤー側ではなく、ブレーン側の主導によってアンサンブルを構築することが、本来の彼らの構想だったのだろう。Katzから吹き込まれた部分もあるんだろうけど。

WalterBecker

5. Only a Fool Would Say That
 ここではボサノヴァっぽいギター・プレイを見せるBaxter。カントリー・ロック性から遠く離れて無国籍性こそが、初期Danの持ち味であったことを証明している。3分程度の小品で、スタジオ内の会話でフェードアウトという、肩の力の抜けた楽曲。ただこのアルバム以降は、5.のような曲調がメインとなってゆく。

6. Reelin' In the Years
 ベストやブートのタイトルになったりで、何かと人気の高い初期の代表作。ロック・マナーに沿ったギター・プレイと、洗練されたカントリー・ロック風のコーラスが、一般的なロック・ユーザーからも好評を得た。シングルとしてUS最高11位。

7. Fire in the Hole
 ジャズ・ヴォーカル色の濃いFagenヴォーカル・ナンバー。すでに後期の味わいを感じさせる楽曲となっており、無国籍感漂う彼らの作風がすでに固まっていることを証明している。Fagen自身が弾くピアノ・ソロは正直拙く、その後はあまりレコーディングでは弾かなくなってしまう。ヴォーカルとアレンジに専念することによって、楽曲としての完成度は高まってゆくのだけど。

Walter-Becker

8. Brooklyn (Owes the Charmer Under Me) 
 Palmer登場。歌い方自体はFagenに似せようとしているのだけど、その素直な性質ゆえ、凡庸なミディアム・バラードに落ち着いてしまっているのが惜しい。
 考えてみればDanのカバーで真っ向から勝負したものって、あまり見当たらない。De La Soulがトラックを使ったことで再評価が高まったこともあったけど、あれはまぁカバーっていうかサンプリング・ネタとしての評価だし。
 逆説的に、Donald Fagenという声はSteely Danの楽曲にとって不可分である、ということなのだろう。

9. Change of the Guard
 ブギウギっぽいピアノとリズム・パターン、ラララというベタなコーラスといい、非常に西海岸ロック的。まぁたまにこういったのも一曲入れといた方がウケもいいし、ライブ映えもするだろうし。カッチリしたプレイが多くなるバンドのフラストレーション発散のためには、こういったセッション的な楽曲も必要なのだろう。ソングライター・チーム思うところの「ロック的」なメソッドに沿って書かれた曲。

10. Turn That Heartbeat Over Again
 最後はFagen 、Palmer、そしてBeckerも登場してのトリプル・ヴォーカル。大団円といったムードで締めくくるはずが、ちっとも盛り上がるような曲ではない。ていうか、別にFagenだけでよかったんじゃない?
 楽曲自体は変則コード進行による、居心地の悪さが目立つ作り。ナチュラル・トーンのギターの音色もどこか場違いだし。でも、その違和感こそがSteely Danである、と言ってもよい。まだデビュー作なだけあって未消化の部分もあるけど、目指すベクトルだけは伝わってくる。




 -私は我々が一緒に作り出した音楽を、私ができる限り、Steely Danと一緒に生き続けるようにしておくつもりです。
 
 Donald Fagen
 2017/09/03



チープ・クリスマス:ドナルド・フェイゲン・コンプリート
ドナルド・フェイゲン
ワーナーミュージック・ジャパン (2017-09-13)
売り上げランキング: 5,488
11 Tracks of Whack
11 Tracks of Whack
posted with amazlet at 17.09.07
Walter Becker
Giant Records / Wea (1994-09-27)
売り上げランキング: 34,200

20年たっても変わらない、熟成された皮肉屋たち - Steely Dan 『Two Against Nature』

folder 2000年にリリースされた、前作『Gaucho』からは20年振りのSteely Dan 8枚目のオリジナル・アルバム。純粋な創作活動としての空白期間は結構長かったけど、Donald FagenとWalter Becker 2人のコラボはもっと前に復活しており、1993年リリースのFagenのソロ・アルバム『kamakiriad』で再会、そのまま意気投合して揃ってツアー突入、Dan名義でのライブ・アルバム『Alive in America』を1995年にリリースしている。
 その後も断続的に世界ツアーを行なったりBeckerがソロ・アルバムを製作したり、マイペースな活動は行なっていたのだけど、ファンなら誰もが待ち望んでいたオリジナル・アルバムの噂はまったく立たず、レコーディングする気配すら見えなかった。このまま新作を作ることもなく、懐が寂しくなってきた時だけ集まって集金活動に励む、Beach BoysやVenturesのようなドサ回りバンドとしての余生を過ごしてゆくんじゃないか、と誰もが思ってた矢先、突然のニュー・アイテムの登場だった。

 当然、伝説的バンドの本格的な復活にはファンもレコード会社も揃って色めき立ち、US6位UK11位という好成績をマークした。レコード会社的にも久々の大型リリースで気張ったのか、全世界レベルでのプロモーション攻勢は類を見ないもので、それに便乗した各メディアでの取り上げ方も広範囲に渡った。
 『Aja』以降の彼ら関連のリリースはひとつの大きなイベントになっていたけど、それらはあくまで音楽ファンへ向けてのものだった。そこから年月を経て、今回はかつて彼らの音楽を好んで聴いていた30〜40代へ向けてのプロモーション訴求に力を入れていたため、一般誌などお堅いメディアへの出稿が多かった。
 もはやロックは若者の音楽ではない。金と時間に余裕を持ったヤッピーたちに向けられるものなのだ。

Becker_&_Fagen_of_Steely_Dan_at_Pori_Jazz_2007

 2000年のビルボード・アルバム・チャートを見てみると、圧倒的にSantana 『Supernatural』が強い。Dan同様、彼も久々の前線復帰作で怪気炎を吐いていた頃である。他にはJay-ZやD'Angeloなどのヒップホップ/ネオ・ソウル系、中盤もEminemが強く、年末商戦はBeatlesのベスト『1』で締めるという流れ。そうか、Radiohead 『Kid A』もこの年だったか。
 チャート上位の大方がギャングスタ・ラップやビッグ・ビート/ダンス系で占められているのは、いま現在も延々と続いている世界的な傾向であって、多分今後もこのその流れは続くんじゃないかと思う。同時に、オーソドックスなベテラン・ロック勢の肩身が狭くなっているのも、90年代から続く流れである。
 そんな中、かつてヘヴィーなロック・ユーザーだったミドル・アダルト層へ向けてピンポイントにアピールした彼らの健闘振りは特筆に値する。StonesやPaul McCartneyさえ切り崩せなかった世紀末のアメリカ・マーケットにここまで食い込んだのだから、それはもうすごいこと。同時代を生き抜いてきたベテラン勢で彼らに匹敵するのは、Rod Stewartくらいなんじゃないかと思う。まぁRodの場合はちょっとアメリカに媚び過ぎだけど。
 グラミー賞でもアルバム・オブ・ザ・イヤーを始め4部門を受賞、各国でも上位にチャート・インした。ちなみに日本ではオリコン最高24位をマーク。宇多田ヒカルと浜崎あゆみがバカ売れしていた中ではかなり頑張ったんじゃないかと思う。

34034

 リリース時にそれほど大絶賛され、セールスだって活動休止前を凌ぐほどだというのに、この『Two Against Nature』、その次の『Everything Must Go』の2枚はあまり評判がよろしくない。特にリアルタイムで聴いてた世代など、一応絶賛してはいるものの、もろ手を挙げての感じではない。どうしても全盛期の名作『Aja』『Gaucho』を引き合いに出しての判断となってしまい、なのでどうしても分が悪い。
 Danの新作であることを抜きにすれば、非常に良くできた硬派なAORなのだけど、権威主義的な古参ロック・ファンほどその辺は頑固になり、「やっぱ昔の方が良かった」的に後ろ向きな評価になってしまう。もう少し暖かい目で見てあげればいいのに、といつも思ってしまう。

 最新機材を揃えたスタジオと有能なエンジニアを年単位で押さえ、数々の著名プレイヤー達を長時間拘束、同じフレーズを何十回もプレイさせてはリテイクを繰り返すレコーディング・スタイルを作り上げたのは、かつて第3のDanと称されたこともあるプロデューサーGary Katzである。
 以前も別のレビューで述べたのだけどこのKatz、Danのレコーディングという大義名分のもと、実はまるっきり自分本位、自らが思い描く理想のサウンドを追求していた節が強かった。そんな野望遂行のためにあらゆるスタッフを道具のようにこき使い、スタジオ・ワークの頂点を極めた作業を繰り返した。それほど大差ないフレーズのニュアンスにこだわって精巧なガラス細工のようなサウンドを構築していったのだけど、Katzについて最も評価しなければいけないのはむしろ、その理想のサウンドをより引き立たせるためにこだわり抜いた録音テクニック、音質である。
 すべてに当てはまるわけではないけれど、往々にしてスタジオ・ワークに凝るタイプのアーティストはトラック数が多く、分厚い音の壁を作りたがる。特に複数の楽器を操れるマルチ・ミュージシャンなら、思いついたアイディア、録った音は全部入れてしまわないと気が済まないため、あればあるだけのトラックを音で埋めてしまう。今のようにDTMでの作業ならそれほど問題ではないのだけど、ハード・ディスク・レコーディング以前の環境だと、音を詰め込みすぎるとテープにコンプがかかって潰れてしまい、SN比の狭いダンゴ状態になってしまう。
 そう考えると、余計な音は容赦なくとことん削ぎ落とし、必要な音のみを収受選択して残すKatzのプロデュース能力は、もっと評価されてもいい。

becker-fagen3

 で、今回はそのKatzがいない。基本的なサウンドは後期Danのサウンドを継承しているし、無論録音だってめちゃめちゃ良い。ただ、以前のような偏執狂的なサウンドへのこだわりはない。
 再始動後のDanがもっぱらライブ・バンドとして活動しているのは、もうあれほどのスタジオ・ワークに注ぐほどのパッションを失っているからだと思われる。あの理想のサウンドは、あの時期・あのタイミングであの3人が揃ったから可能だったのであって、もしまた集結したとしても、同じマジックが生まれるはずがない。そんなことは3人とも承知の上なのだろう。

 なので、この再始動後のDan、以前とは別物と捉えられることがとても多い。そりゃそうだ、そもそものコンセプトが違ってるんだし。
 これまで往年のSteely Danナンバーを演奏していたライブ・バンドが、コンディション的に脂が乗ってきたのを機に、Danのサウンド・フォーマットをベースにレコーディングしたのが、この『Two Against Nature』である。一聴した印象は限りなくDanに近いけど、限りなく微妙に違っているのは、これまでプロデュース・サイドで編集していたインタープレイやアドリブを、ほぼ各プレイヤー主導にシフトさせたことによるのが大きい。
 また、これまではそれぞれがバンマス的存在の著名プレイヤーばかりを起用していたのが、ここで主にプレイしているのは、ほぼ無名のミュージシャンが多い。その辺が以前より型落ち感が漂うのは否めないのだけど、あれだけめんどくさいDanの楽曲をライブでプレイしていたくらいだから、どのプレイヤーも演奏スキルは折り紙つきである。
 リズム&ブルースをルーツとしたミュージシャンの起用が多いせいもあって、以前はジャズ/フュージョン色の強いインタープレイが印象的だったのに対し、ここではオーソドックスなリズム・アレンジに乗せた簡潔なオブリガードやオカズが前面に出ている。こういったマイナー・チェンジはFagenの音楽的ルーツとリンクしており、彼の本来の資質に沿ったサウンドではあるのだけれど、後期Danのファンからすれば、フレーズやリフの物足りなさとかFagenのヴォーカル圧の弱さ(まぁこれは加齢によるものだから仕方ないとして)など、何かと薄味で物足りなかったのは事実。

 とは言ってもDanのブランドで出すわけだから、すべてのアベレージは難なくクリアしている。決して駄作ではないのだ。
 拡大再生産のループにはまり込んだ軟弱AORバンドとは違って新たな試みにチャレンジしているし、トータルとしての完成度はむしろ後期Danより高い。高いのだけれど、以前のような独裁的に築き上げられた作品と比べると、小さくまとまり過ぎてインパクトは弱い。
 どこか聴き流せてしまうそのサウンドは物足りないのかもしれないけど、長く聴き続けられる証でもある。刺激が強い作品は、飽きられるのも速い。
 そう考えると、シャレオツで意識高い系の環境音楽としては最適なんじゃないかと思う。悪い意味じゃないよ。


トゥ・アゲインスト・ネイチャー
スティーリー・ダン
ワーナーミュージック・ジャパン (2006-04-26)
売り上げランキング: 73,027




1. Gaslighting Abbie 
 単純にガス灯のことを歌ってるのかと思って調べてみると、”Gaslight”というのは心理学用語として使われている言葉。相手に間違った情報を伝えて正気を疑い、混乱に陥れる行為を指す。往年のハリウッド女優Ingrid Bergman主演映画『ガス灯』のストーリーから名付けられており、その映画からインスパイアを受けてのナンバー。冒頭からマニアックな題材で、相変わらずひねくれ具合は健在。
 ジャストなリズムを基調としたスロー・ファンクだけど、ドラム・アタックが跳ねててグルーブ感を強調している。



2. What A Shame About Me 
 Larry Carltonを彷彿とさせるギター・ソロから始まるオープニングだけど、当然別人。でもうまいよね。サビの転調具合なんて、往年のファンも思わず腰を浮かせてしまう運び。
 ちょっと気になるのがFagenのヴォーカル。もともと綺麗な声の人ではないけど、枯れ具合が円熟というよりは後退を感じさせる。声質に合わせるとなると、サウンドのインパクトをマイルドに抑えるのは必然だったか。とは言っても、レベルはめちゃめちゃ高いんだけどね。
 女性コーラスが入ってる分、ヴォーカル・トラックの厚みをうまく補っている。そういう意味で、バランス感覚はやっぱり絶妙。

3. Two Against Nature 
 喧騒の中の静けさを演出するラテン・ビートを導入してるけど、Fagenが歌い始めた途端に特有の無国籍感が漂うタイトル・トラック。思えばデビュー曲”Do it Again”も妖しさてんこ盛りだった。それでも中盤に差し掛かると、テンポ・アップした大人のロック・ナンバーに変化する。
 そこかしこに登場するサックスは、完全にジャズの音色。こういったテイストを自然と導入してしまえるのが、彼等の懐の深さ。

4. Janie Runaway
 アルバムから3枚目のシングル・カット。ちなみにチャート・インせず。もともとシングル・ヒット狙いの人たちではないので、まぁそこはあまり突っ込まず。
 どのトラックもそうだけど、こちらも小ぢんまりしたメンバーでのセッションをベースに音作りがされている。俺的に注目は、サックスのLou Marini。もちろんBlues Brothers Bandの一員だった人である。どっかで聞いたことある名前だよなぁと思ってたら、やっぱりそうだった。あそこではもっとファンキー・スタイルのプレイだったし、大人数のホーン・セクションの一人だったため、こうしたオーソドックスなソロを聴くのは初めて。やっぱり根っこはジャズの人だよね。

MI0002125029

5. Almost Gothic
 『Aja』っぽいコード進行でプレイされるスロー・ナンバー。ホーン・セクションなんてモロそのまんま。新しいサウンドではないけど、ついまったり落ち着いて聴いてしまうのは、やはり手練れの技。
 最後のギターのストロークには、ちょっとブルッと来てしまう。

6. Jack Of Speed
 2枚目のシングルだけど、これもチャート・インせず。すでにシングルは売れない時代に差しかかっていたのに、よく3枚も切ったもんだと思う。基本、後期Danのサウンドを踏襲してるけど、ブルース色が濃いのが新機軸と言えば新機軸。でも単体でヒットするような曲だとはどうしても思えない。アルバムの流れで聴くのならすごくはまっているのだけど。
 もしかして、来たるべきダウンロード販売に備えた実験だったのか?まさかねぇ。

7. Cousin Dupree
 で、これがアルバムより先にリリースされた先行シングル。ビルボードAORチャートでは30位にランク・イン。日本でもFMでそこそこオンエアされていたので、ちょっと馴染み深いナンバー。
 これまでのDanよりソウル色が強いのが特徴で、この辺に新たな方向性を見出せばよかったのだけど、反応が薄かったのか、あまり深く掘り下げられることはなかった。
 どちらかと言えばFagenソロのテイストに近い。オブリガードバリバリの手クセの強いギター・ソロが好きな人にはオススメ。俺的にはちょっとポップ過ぎるけど。



8. Negative Girl
 静かなシャッフル・ビートがジャジー・テイストを印象づけている。細かく刻まれるナチュラル・トーンのギターがリードしている。この起伏のないメロディは、やはり後期Dan のテイストが強い。

9. West Of Hollywood
 ラストは8分という長尺。ソリッドなファンク・テイストのロック・ナンバー。アーバンでトレンディなサウンドには、ニューヨークの夜景がよく似合う。要するにそんなシャレこいた曲である。
 ラストを意識してるのか、Fagenも声を張って強い音圧のヴォーカルを聴かせている。とは言っても前半4分はギターのオブリガードがヴォーカルを引き立てているのだけど、後半になると曲本体は終わってしまい、残りは延々と続くサックス・ソロ。まるでライブのセット・チェンジのような演奏が続く。
 どこで終わるのか知れない、永遠に続くDanの世界の幕開けと終焉。
 いつまで続くのか、それともかつてのセッションも、こんな感じでずっとプレイし続け、Katzがうまいこと編集していたのか。
 それは誰にもわからない。






Very Best of Steely Dan
Very Best of Steely Dan
posted with amazlet at 16.02.06
Steely Dan
Mca (2009-07-21)
売り上げランキング: 17,684
Citizen Steely Dan: 1972-1980
Citizen Steely Dan: 1972-1980
posted with amazlet at 16.02.17
Steely Dan
Mca (1993-12-14)
売り上げランキング: 12,207
サイト内検索はこちら。

カテゴリ
アクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
最新コメント