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#Soul : Japan

「マーチン」になる前の鈴木雅之、それと、最近のマーチンについても少々。 - 鈴木雅之 『Radio Days』


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 前回のマーチンのレビューから、いつの間に3年経っていたことに気がついた。アレもう書いてなかったっけ?と調べてみると、見事に抜けていた。ありゃま。
 なので、マーチン絡みに限定してこの3年を振り返ってみると、これがまたいろいろあった。個人的なところで大きかったのは、それまで山下達郎とサザン無双だった俺の息子のプレイリストに、マーチンとラッツと大滝詠一が加わった。いまだYOASOBIにも髭ダンにもKing Nuにも見向きもしないくせに、なんでそっち方面へ行っちゃうのか。
 俺のPCに入っている膨大な音楽ファイルをあちこち漁り、気に入ったモノをiPhoneに取り込んでいるらしいのだけど、でもなんで藤井風には食いつかず、マーチンに行ってしまうのか。我が息子ながら偏った嗜好であり、ある意味、将来が楽しみだ。
 それならいっそ、こっそり電化マイルスや裸のラリーズでもぶっ込んでやろうか。ダメだ、歪むな確実に。
 個人的な出来事はさておき、今年、デビュー40周年を迎えたマーチン、さすがにこのご時世ゆえ、華やかなセレモニーやイベントは執り行われなかったけど、その分、オンライン・イベントやメディア出演には積極的である。
 この3年で多くの人の度肝を抜いたのが、まさかまさかのアニソン進出だった。従来のマーチンのファン層はアラフォー以上に集中しているはずで、現役アニメファンとの接点は、どうこじつけても見当たりそうにない。
 世間が思うところの鈴木雅之のイメージといえば、「大人のR&Bシンガー」とか「ラブソングの王様」といったところ。あとはなんだ、そのくらいしか思いつかない。大方間違っちゃいないし、今後もそのイメージが激変するのは、ちょっと考えづらい。
 イチゴと大福のように、ミスマッチな素材同士を掛け合わせると、思わぬ相乗効果を生み出すことがあるけど、でもマーチンとアニソンだもの。何か変な食い合わせでもして思いついたんだろうか。
 「アニソン界期待の新人」という触れ込みのもと、これまで続編含めて2曲の主題歌を担当したマーチン、インパクトの強さもあって広くメディアで取り上げられたのは、制作側としては思惑通りだった。ヒゲ面のおっさん単体ではアクが強すぎる懸念もあったのか、大阪府立登美丘高校ダンス部で脚光を浴びた伊原六花とのデュエットにすることで、結果的に絶妙のミスマッチ感を呼び込んでいる。
 「何となく知ってはいるけど、そこまでマーチンに詳しくない」人にとっては、「アニメの主題歌だからアニソン」という先入観が強いはずで、まぁ俺もそう思ってはいたのだけど、実際ちゃんと聴いてみると、「ラブ・ドラマティック」も「DADDY! DADDY! DO! 」も、ダンサブルかつセクシーな、要はいつものマーチンであり、無理にアニソンに寄せた感は見られない。オファーした側も、マーチンに過剰なアニソン感を期待したわけではなく、微妙な食い合わせの違和感を狙ってキャスティングしたことは想像できる。

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 さすがに還暦を迎えたこともあって、近年のオリジナル・アルバム制作はほぼ4〜5年おきと、スロー・ペースになっているマーチン。90年代まではCDバブルの影響もあって、他のアーティスト同様、1、2年おきにリリースしていたけど、もうそんな時代じゃなくなった。
 アニソンのコア・ユーザーである若年層は、もうアルバム単位で聴く行為自体が薄れてきているけど、マーチン本来のメイン・ユーザーであるアラフォー以上にはまだニーズが強く、オリジナル以外のアイテムはコンスタントにリリースされている。アニバーサリー・ベストやゴスペラーズとコラボしたミニ・アルバム、あとJ-POPのカバー・アルバムなどなど。その『Discover Japan』なんて好評だったのかシリーズ化されて、もう3枚出てるんだよな。聴いたことないけど。
 マーチンのバックボーンは50〜60年代のドゥー・ワップや70年代くらいまでのソウル・ミュージックが主だったものであり、シャネルズから現在まで、基本、ほぼそのスタイルを踏襲している。70年代ニュー・ソウルやフィリー・ソウル、もうちょっと下って80年代R&Bへのリスペクトは強いんだけど、でも何故だかディスコやファンクはすっぽり抜けてるんだよな。
 ブラック・ミュージック全般への造詣は深いと思われるので、新しめのサウンドもそれなりに聴いたりチェックしたりはしているんだろうけど、実際に自分で歌うとなるとマーチン、その辺は案外保守的である。メインストリームのソウル・ミュージックとはまた別の、ヒップホップやラップからの影響はほぼ見られない。今後もそっち方面へ寄せることは、多分ありえない。
 逆に考えるとマーチン、R&Bシンガーとしてのスキルは申し分ないけど、自分のフィールド以外のジャンルを歌うと、ちょっと「アレ?」って思ってしまう時がある。例えば、まだ全部ちゃんと聴いたことがないけど、『Discover Japan』シリーズ。
 大滝詠一つながりで「熱き心に」が入っているのはまだご愛嬌として、「ラブ・イズ・オーヴァー」は曲自体のウェットな情緒が強すぎて、マーチンのヴォーカルとの相性は、正直良くない。マーチン自身が選んだのか、はたまたスタッフが推してきたのかは不明だけど、ピッチもノートも合ってはいるんだけど、そこはかとないカラオケ感が漂ってくる。
 曲目リストを見ると、「エイリアンズ」や「スローバラード」まで歌ってるのか。ほんとに嫌いならそもそも選曲しないだろうし、マーチン本人も聴いて気に入ったんだろうけど、でもね。
 「歌が上手いから、何でも歌いこなせる」という考えもあるんだろうけど、これじゃなんでもアリ、マーチン独自のこだわり・スタイルが見えてこない。「これまでと違うジャンルへの挑戦」という意味合いもあるんだろうけど、「でも、3枚も作ることはなかったんじゃね?」と、俺なんかは思ってしまう。
 そう考えると、俺はマーチンに対し、かなり保守的に捉えているのかもしれない。
 あぁ。古株のファンって、ほんとめんどくさい。

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 そんな感じで、新旧ファン問わず、今でこそ「鈴木雅之=マーチン・ブランド」は確立されており、ある程度、お茶の間ユーザーにも彼のパブリック・イメージは認知されている。一般的には、「恋人」と「別れの街」と「夢で逢えたら」だけの人と思われがちだけど、そんな予定調和の無限ループに陥らないよう、時代に即した旬のクリエイターとのコラボすることで、新陳代謝を保っている。
 ただ最初から、マーチン・ブランドが確立されていたわけでは、もちろんない。それは試行錯誤・紆余曲折を経て培った、長い長いキャリアの積み重ねによる賜物である。当たり前の話だけど、マーチンは生まれた時から「あんな」んじゃなかったのだ。
 シャネルズ→ラッツ&スター時代のサウンド・コンセプトは、50〜60年代のオールディーズや初期ロックンロールをベースとしたものであり、代名詞とされていたドゥーワップ・テイストは、大幅に薄められていた。ディスコ以外のブラック・ミュージックは隅に追いやられていた80年代初頭、メジャー・デビューを目指す彼らの選択肢は、「ビジュアル・イメージ先行のブラック・ミュージック」くらいしかなかったのだ。
 あの独特なコスチュームやステージ・アクション抜きで、純正ドゥーワップだけにこだわり続けていたら、多分、デビューは叶わなかったと思われる。日本初のドゥーワップ・ヒット「グッドナイト・ベイビー」を持つキングトーンズでさえ、当時は決して恵まれた活動状況ではなかったし。
 グループ活動の停滞と前後してソロ活動を始めるにあたり、鈴木雅之にどんなビジョンがあったのか。単なる「ラッツの続き」ではなかったことは、デビュー作『Mother of Pearl』を聴くと、ある程度つかむことはできる。
 まだ日本にR&Bが十分根付いていなかった80年代中盤、彼が所属していたソニー界隈では、ブラック・ミュージック系のアーティストの営業ノウハウが確立していなかった。当時のソニーは圧倒的にロック・ポップス系が主流で、久保田利伸も岡村靖幸もバブルガムも、当初は中途半端な大衆ポップ化によって、中途半端なセールスとポジションに甘んじていた。
 グループ時代の実績があったことで、鈴木雅之はそこまで営業側の要請は少なかったと思われるけど、でもまだ迷走状態にあったことは想像できる。そもそも、ラッツの活動に不満があったわけではなく、ソロになったのもいわばなし崩し的だったわけで、急に言われても明確なビジョンがあるわけでもないし。
 前回のレビューでもちょっと書いたけど、「R&Bと歌謡曲とのブレンド配分」がまだ試行錯誤の段階だった『Mother of Pearl』を経て、じゃあソウル色を強めにした「おやすみロージー」を軸に、山下達郎にプロデュースを委ねるつもりだったのが、この『Radio Days』。ある意味、方向性を探るためのショーケース的な構成だったデビュー作を観測気球として、ヤング・ミドル層向けのアーバン・テイストを指向している。



 ただ達郎、当初はアルバム片面分をプロデュースする予定だったのだけど、こだわり抜いたスタジオワークが予算と時間を圧迫し、3曲仕上げた時点で強制終了を言い渡されてしまう。まぁ長い付き合いのマーチンの頼みなので、適当なものは作れないし、それなりに気は遣ったんだろうけど、サウンド面以外には気が回らなかったのだと思われる。作業中はスタッフとの関係も良好じゃなかったみたいだし。
 そんな事情もあって、思いっきりインパクト重視・タイアップ上等の「Dry・Dry」みたいな曲も差し込まれてして、前作同様、アルバム全体の統一感は薄い。プロローグとエピローグに「おやすみロージー」をフィーチャーすることで、ゆるやかなコンセプトを打ち出しているのはわかるんだけど、ここでの鈴木雅之はまだちょっと試行錯誤、「マーチン」と言い切るほどの自信には欠けている。
 そんな「マーチンができるまでの過程」、その後のマーチン・ソングのプロトタイプとなった達郎作品「Guilty」「Misty Mauve」が収録されているという意味で、実は大きなターニング・ポイントとなっているアルバムである。ここを起点として、さらにR&Bバラードの含水量を高めることによって、その後の「恋人」「別れの街」の大ヒットにつながるのだけど、それはまた後の話。
 あ、そういえばSNS界隈では有名な「違う、そうじゃない」もあったか。それもまた、ここからの派生と言えば派生だし。





1.  “おやすみロージー” introduction
 AMラジオのザッピング・ノイズからスタートするオープニング。ちょっとしたレトロ感の演出、古き良きR&Bへのリスペクトを強く打ち出している。
 マーチンも達郎も東京生まれの東京育ち、FEN(今はAFN)を手軽に聴ける環境ゆえ、こういったラジオショー・スタイルには馴染みも深く、いちいち説明しなくても通じ合えたんじゃないかと。ちなみに大滝詠一は岩手出身だけど、青森三沢基地の放送が聴けたこともあって、彼ら同様、洋楽への間口は広かった。あぁ羨ましい。

2.  Guilty
 2枚目のシングル・カットとしても有名な、達郎作の熱く濡れる切ないバラード。当時の達郎セッションの常連メンバーだった、青山純と伊藤広規によるリズム・セクション、それに達郎自身によるリズム・カッティング。
 生で聴いた人は知ってるはずだけど、達郎のリズム・ギターは、ほんとうまい。このセッション以降から、達郎はセルフ・レコーディングにシフトしてしまうこともあって、このグルーヴはなかなか貴重。

 LADY 鳴るはずのない電話に
 Guilty, なぜ僕は怯えるの

 いまのマーチンなら「思ってても言わない」けど、この時の鈴木雅之は「怯える」とこぼしてしまう。歌詞を書いたのは竹内まりやは、鈴木雅之が歌うことを想定して書いているんだろうけど、実は達郎のことなのかもしれない。
 達郎なら言いそうだもんな。言ったあと、すごく長い理屈と言い訳くっついてきそうだけど。



3.  Misty Mauve
 続いて達郎=まりやによる、ファンク色の強いR&Bナンバー。ドラムとギター以外は打ち込みで、多分、この曲の仕上がりで時間がかかったんじゃないかと思われる。
 ただ手間ひまかけただけの仕上がりとなっており、その後の90年代マーチン無双時代の礎となったサウンド・プロダクションは、いまも充分通用するほど古びていない。3分半過ぎたあたり、リズム・ブレイク周辺のパートは、マーチンのヴォーカルのツボをうまく捉えたている。
 このアルバムの達郎楽曲は、のちにほぼ全曲セルフ・カバーされており、この曲もコンピレーション『Rarerities』に収録されている。聴き比べてみると、イヤそりゃ別の味わいもあってうまいんだけど、マーチンのマニッシュな色気には及ばない。色気で売ってるわけじゃないから、まぁいいんだけど。

4.  Wild Beat
 ここからテンポを上げたファンキーなポップ・チューン。打ち込みサウンドはまだ黎明期だったこともあって、基本は生演奏なんだけど、シンセ・ブラスがちょっと気が抜けてしまう。他はカッコいいんだけどね。
 こういったヴォーカル・パフォーマンスでアンサンブルを引っ張ってゆくパターンのアッパー・チューンは、マーチンの真骨頂ではあるんだけど、メロディがちょっと弱いかな。もう少しフックがあってもいい。

5.  微笑みを待ちながら
 80年代シティ・ポップの旗手だった安部恭弘による、やたらリズムに気合いの入ったポップ・チューン。アレンジャー佐藤博によるLAレコーディングのパートだったことを後で知って、納得。
 当時のジャパン・マネーを惜しげもなく投下した成果もあって、アレンジは精密かつ大胆、そして高クオリティ。ほんとコレだけでひとつの作品として成立しており、フューチャー・ファンクの元ネタとしてオイシイ材料。ていうか、もう誰かが使っているのかもしれない。
 なんとなくスターダスト・レビューを連想してしまう楽曲構成・メロディのため、マーチンとの相性はどうかと言われれば、ちょっと微妙。こういった路線も模索していたのかもしれない。

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6.  雨に願いを
 同じく80年代シティ・ポップのラインから、 カーネーション:直枝政太郎と松尾清憲のタッグによる、淡く切なく爽やかなポップ・バラード。タイトルがオールディーズっぽいので、アルバム・コンセプトに寄り添った世界観でありつつ、ちょっとひと息ついた感が心地よい。
 ここでのマーチンは肩の力を抜き、気負わず、彼にしては軽いタッチのヴォーカルを披露している。でもマーチンなので、時々ソウルフルなフェイクを入れたりコブシが入ったりもするけど、比較的マイルドに抑えている。
 
7. DRY・DRY
 「ビールのCMのあの曲」ということで、初期マーチンの代名詞となった、ちょっと強めな前のめり系のファンク・チューン。とにかくイントロ、ちょっとやさぐれた系のギターが絶品。
 チープでツボを突いたシーケンス・パターンに、女性コーラスやシンセ・エフェクトが差し込まれたり、シンプルな作りは80年代ファンク・マナーに忠実。プロダクションが違うこともあって、この曲だけアルバムから浮いているのだけど、いい意味で「世界観が違う」ということ。
 CMで話題の曲をA面トップに入れるのが、普通のアルバム選曲のパターンのはずだけど、敢えてB面に回したのは、アルバム・コンセプトを優先したマーチンの強いこだわりのあらわれだと思われる。

8.  For Your Love
 オールディーズ・テイストあふれるEPOとのデュエット・ナンバー。LAテイストを前面に出したAORっぽさは、その後のマーチン・サウンドにもつながるのだけど、佐藤博の多重コーラスは、マーチンとの相性がちょっと。あと、セクシャルを感じさせないEPOの声質は、コーラスとしてはいいんだけど、デュエットとなると、ちょっとピンと来ない。菊池桃子もセクシーさはないんだけど、あのミスマッチ感が逆に意外性を生んだんだよな。
 ゴメンEPOはソロで聴くのが一番だな、と感じてしまった一曲。

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9.  Tandem Run
 かなり凝ったアンサンブルとアレンジが、80年代シティ・ポップの中でもダンス寄り、角松敏生や杉山清隆あたりのAORサウンドのバタ臭さを感じさせるナンバー。佐藤博のアレンジは時代性を強く打ち出しながら、充分今も通用する普遍性はあるんだけど、ここまでアレンジの自己主張が強いと、マーチンがフューチャリング扱い、佐藤博のアルバムにゲスト・ヴォーカルで参加した感が残る。
 そういったのを抜きにすると、優秀なポップ・ソングなんだけど。でも、マーチン・テイストは薄いな。イヤほんと好きなんだけど。

10.  河の彼方
 再び松尾清憲:作曲による、正統バラード。当時の松尾清憲は、ELOとクイーンとビートルズのテイストを絶妙にブレンドした大名曲「愛しのロージー」で注目されたのち、杉真理と意気投合してBOXを結成するなど、知る人ぞ知る通好みのクリエイターとして、頭角をあらわしていた。その後はあんまり欲がなかったのかチャンスに恵まれなかったのか、知る人ぞ知る以上になることはなかったけど、このアルバムのクライマックスを飾る曲を書いたことだけでも、もっと評価されてもいい。

11.  おやすみロージー(Angel Baby へのオマージュ)
 ラストは、ご存じ達郎作曲・アレンジのドゥーワップ・ナンバー。単なるコーラス・ワークだけじゃなく、ギター・カッティングのセンスにシカゴ・ソウルあたりのテイストを織り交ぜたりして、単なるノスタルジーで終わらせない気概が感じられる。
 もちろんマーチンも気合いが入っており、ここまでのキャリアの中では、最もエモーショナルなヴォーカル・パフォーマンスとなっている。軽いオールディーズ・ポップや黒光りしたファンク・チューンもいいんだけど、一番フィットしているのは、やはりバックボーンとしてあるソウル・タイプなのだ。
 なのだけれど、でも。それだけじゃ、まだ足りない。
 さらなる音楽的な冒険と探求のためにマーチン、次回作ではまったく別のジャンルの人とコラボレートすることになる。
 その名は、小田和正。
 意表突いたよな、ファンも、そして小田本人も。「え、俺?」って。








いまこの瞬間にも、MISIAは進化している。 - MISIA 『MISIA SOUL JAZZ SESSION』

folder ちょっと古くなったけど、去年の紅白の話。あまり格式ばったことをせず、ゆるい繋がりのうちの一族だけど、唯一、年末限定のルールというのが存在する。そんな大それたものではなく、「みんな揃って紅白を見る」というのが、ここ30年近く続けられている。
 大みそかの夜、俺一家と妹一家とがオードブルや酒を持ち寄り、テレビの前でだらだら、みんなで飲み食いする。一族の顔合わせが目的なので、テレビはそんなに主役ではない。目当ての歌手以外は流し見して、ゆる~く四方山話に戯れるのが恒例である。
 今回の紅白で注目していたのが、初出場の米津玄師、それと大トリのサザンだった。メディア露出がほとんどない米津の生歌に興味があったし、俺のDNAにガッツリ刷り込まれているサザンは、どうしたってはずせない。あと、林檎とエレカシ宮本が見られれば充分かな。そう思っていた。
 全然期待してなかったユーミン、オープニングの様子でスタジオ別録りかと思ってたら、颯爽とステージへ移動、鈴木茂らレジェンド級ミュージシャンを従えて歌う「やさしさに包まれたなら」には、度肝を抜かれた。ていうか、途中から俺、鈴木茂と小原礼しか見てなかった。星野源がらみで細野さんも出ればよかったのに、と勝手に思っちゃったりして。

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 MISIAが登場したのは、米津のあとだった。俺的には期待通りだった米津のパフォーマンス、あとはサザンまでにソバ食っちまうか、と思っていた矢先のことだった。
 その2日前、MISIAは「レコード大賞」のステージに立っていた。そこで披露された2曲は、いずれもドラマのタイアップ、壮大なスケール感を余すところなく表現したバラードだった。
 そこで歌われた「アイノカタチ」を、MISIAは再び紅白のステージで歌った。相変わらずの安定感。何しろおととい聴いたばかりなので、わざわざ注目するほどではなかった。俺のメインディッシュは、最後のサザンなのだ。
 エンディングに差し掛かり、そのままキレイに終わるのかと思っていた。誰もがそう思っていたはずだった。
 でも、なんか違う。余韻のあと、何だかざわつくような違和感。まだ何かやるのかな?
 ちょっとしたブレイクの後、MISIAのハイトーンなロング・ヴォイスが響き渡った。明らかに空気が一変した。テレビ出演での、いつものかしこまったMISIAとは、明らかに違う。
 あっ、
 「つつみ込むように」だっ!
 得体の知れない強烈な力で、俺はテレビ画面に引き込まれた。年越しそばを食っていた手は止まった。MISIAに心を持ってかれてしまった瞬間だった。
 単なるピッチの正確さ・音域の広さだけではない、圧倒的な歌のうまさ。全身全霊で音楽に打ち込むミューズの一挙手一投足は、それまでの出演者のパフォーマンスとは次元が違っていた。あっという間の3分間だった―。
 その後の石川さゆりと布袋寅泰の嚙み合わないコラボ、そしてトリの嵐は、予想していた通り、印象のカケラも残さなかった。ラストに登場、大御所サザンのエンタメ精神全開、サプライズだったユーミンとのコラボは、生番組ならではの臨場感にあふれていた。
 しかし。
 とにかくMISIAが圧巻だった。MISIAの圧倒的なちゃぶ台返しには、サザンも米津も林檎ちゃんも吹っ飛んでしまった。
 夫婦そろってMISIAのスゴさを語りあった、平成最後の大晦日なのだった。

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 それまで俺はMISIAの熱心なファンではなかった。ドラマや映画の主題歌で起用されることが多いため、意識はしなくとも、何となく聴いた気になってはいる。いるのだけれど、ただそれだけだ。わざわざ追い求めるまでのことはしていない。
 ザックリ俺の印象をまとめると、
 デビュー → 「everything」 → オリンピックのテーマ曲 → タイアップ多数。
 だいたいこんな感じ。多分俺だけじゃなく、ライトユーザーも似たような印象だと思う。異論があるなら、男らしく認めるよ。
 こうして並べてみると、和製R&Bのディーヴァというイメージは初期だけで、「everything」の大ヒット以降は、バラード中心の印象が強い。リリースされた瞬間から名曲認定されていた「everything」 のインパクトは、とてつもなく強かった。この曲によって、MISIAのパブリック・イメージは決定づけられたと言える。
 そんな感じで、「すっかりバラード職人になっちゃったよなぁ」と思っていた矢先での、紅白のパフォーマンスである。心臓を鷲づかみにされた俺は、すっかりMISIA熱に取り憑かれていた。
 年が明け、MISIAの音源をかき集めてみた。一度気になったら、とことん掘り下げるのはマニアの性分だ。
 先入観をできるだけ排除して聴き進めていったところ、ストレートな王道バラード系は、破綻なく安心して聴けるトラックが多い。偶発性を極力避け、バランスも取れている。重厚なストーリー性を持つドラマ演出とも親和性が高く、映像との相乗効果でグレードも上がる。
 和製R&B、いわゆるディーヴァ系のダンス・チューンは、その時代ごとのトレンドをコンテンポラリーに吸収し、決してマニアックに寄り過ぎないプロダクションになっている。海外の最新サウンドをそのまま移植するのではなく、国内市場向けにほど良くマイルドに翻訳して、伝わりやすく、かつ洗練されたものに仕上げている。
 90年代R&BやヒップホップをルーツとしたMISIAの感性はもちろんのこと、それを支える優秀なブレーンやクリエイターの助力も大きい。そして、そのような才能を引き寄せる吸引力を持つMISIAのパーソナリティ。真摯なアーティストの周りでは、自然発生的に良質のコンテンツが生まれるという、理想的なサイクルが実現している。

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 まぁそんな分析は後付けで、単純に俺のツボに最もハマったのが、このアルバムだった。バラード・タイプにもR&Bタイプにも当てはまらない、彼女のキャリアの中では新規路線、言ってしまえばイレギュラーな方向性の作品である。
 オリコン最高11位、レギュラーのオリジナル・アルバムと比べれば、若干低めのチャート・アクションとなっている。「Soul」はまだ受け入れられるとして、「Jazz」というワードが、MISIAの固定ファンにはイメージしづらかったんじゃないか、というのがファン歴の浅い俺の私見。
 ただ、タイトルに「ジャズ」が含まれてはいるけれど、このアルバムでのジャズとは、世間一般でイメージされるところのソレとは微妙に違っている。今回のプロジェクトでの共同プロデューサー黒田卓也のコーディネートによって、参加ミュージシャンはジャズ・フュージョン畑のメンバーが多いけど、演奏アプローチは、いわゆるスタンダード・ジャズとは明らかに別ものである。
 インタビューでも答えているように、MISIAにジャズの素養はほぼない。彼女にとってのジャズとは、かしこまった既存のスタンダード・ジャズではなく、90年代のR&B〜ヒップホップ・カルチャーの成長過程で取り入れてきたジャズの要素、DJによるミックスCDの中で効果的にサンプリングされたフレーズだ。「ジャズ」と言い切るにはおこがましく、「ソウル」を並列させたのは、狭義のジャズではないことへのエクスキューズだったと言える。
 ただ、既存ジャズのフォーマットに縛られず、あらゆる他ジャンルとの交流によって、新たな潮流が生まれつつあるのは、全世界的な傾向である。日本でもようやく知られるようになったカマシ・ワシントンやロバート・グラスパーの周囲では、ソウルもフュージョンもAORも何でもアリ、ジャズ・フュージョンの枠ではくくれない音楽がボコボコ生まれている。
 まだまだ日本では一般的ではないけれど、彼女なりのソウル・ジャズ/フューチャー・ソウルの萌芽が見られるのが、このアルバムだ。

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 普通、MISIAほどのキャリアのアーティストがジャジー路線に走ると、芸のないスタンダード・ナンバーか、ディナー・ショー風になるかのどちらかだけど、彼女の場合、どの路線でもない。唯一のカバーが甲斐バンドなのは意表を突かれたし、既発表曲のリ・アレンジが多くを占めているけど、現在進行形ジャズをベースとしているため、前向きな姿勢が強い。
 単に年相応の芸風になったのではなく、先進的な音楽を追い求めていったらコレだった、このメンバーだった、ということなのだろう。黒田卓也やマーカス・ミラーを始め、世界レベルのミュージシャンらが、MISIAの才能に導かれて、このプロジェクトに集結した。金やプライベートな付き合いだけで動くメンツではない。彼らの共通言語はひとつ、「面白い音楽」だ。
 そんなつわもの揃いの中で長く揉まれながらも、歌を離れたMISIAは、可愛らしいくらい飄々としている。気負いのないその無邪気さは、真摯に音楽と向き合う姿勢の裏返しでもある。
 音楽の女神に愛されたMISIAは、これからもそのまんまだろう。彼女は常に、音楽のことを考えている。
 いまこの瞬間にも、MISIAは進化している。


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1. BELIEVE
 オリジナルは1999年リリース、3枚目のシングル。イントロ前の「I Believe…」というセリフはそのまま使用。R&Bタッチの軽く跳ねるリズムが心地よかったオリジナルと比べて、生のリズム・セクションによるビートは太く腰が据わっている。ドラムとベースが野太いおかげで、MISIAのヴォーカルもエモーショナルで力強い。
 「愛してる」というフレーズを重層的に聴かせられたことの一点で、このアンサンブルは成功している。いや、他の部分もいいんだけどね。

2. 来るぞスリリング 
 クレジットを見て、作曲が林田健司という時点ですごく納得してしまった。単調なアッパー系ではなく、抑制しながら華のあるファンクを奏でることにおいて、確かに彼の右に出る者はいない。重くなりがちなファンクをサンバのリズムで彩ることによって、MISIAのヴォーカルが映えるような構造。
 しかもこれ、コーラスも入れず独りで歌ってるんだよな、それだけでも驚愕モノ。ソロのヴォーカルだけで間を持たせてしまうMISIA、映像を見ると、目が釘付けになってしまう。Raul Midonのスキャットがウリみたいだけど、正直MISIAだけでいいや。



3. 真夜中のHIDE-AND-SEEK
 オリジナルは2015年のマキシ・シングルに収録。ストリングスやコーラスも導入したゴージャスなアシッド・ジャズ~ネオ・ソウル的なアレンジに対し、ここではスムース・ジャズに寄ったサウンドなので、ちょっとブレイクといった趣き。
 ベースの疾走感がすごく好きな曲。

4. 運命loop
 このアルバムのために用意された新曲。晩年のマイルス・デイヴィスとのコラボが有名なマーカス・ミラーが、ベースで参加している。マーカスのソロはあんまり追っかけて来なかった俺だけど、ゲスト参加の際は、大抵アクの強いスラップ・ベースを弾き倒しているので、すぐにわかってしまう。
 相変わらず主役をバックアップなんて考えてない、リード・ベースみたいなプレイだけど、それに引けを取らないMISIAもツワモノ。

5. オルフェンズの涙
 オリジナルは2015年リリースのシングル。『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』のテーマ曲として書き下ろされた、とのこと。ガンダムは大好きな俺だけど、ファースト・ガンダム以外は認めない原理主義者のため、全然知らなかった。しかも紅白でも歌っていたとは。見てたはずなのに、全然記憶にない。当時の俺にMISIAがヒットしなかった証でもある。
 改めて紅白の動画を見ると、長崎平和公園というロケーションでゴージャスで分厚いサウンド、ドラマティックなバラードである。この辺が俺にはピンと来なかったんだろうな。
 ここでのヴァージョンはもちろんストリングスもなく、ほぼ骨格だけのアンサンブル。なので、MISIAのヴォーカルが前面に出たミックスになっている。アニメ絵的にはオリジナルなんだろうけど、純粋にMISIAを聴くなら、俺的にはこっちだな。

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6. It's just love
 2000年リリース、2枚目のオリジナル・アルバム『LOVE IS THE MESSAGE』に収録。アコギをフィーチャーしたオーガニックR&Bが、ここではホーンが取って代わってジャジーなアレンジ。
 オリジナルの軽めのビートとシンクロするように、流れるような歌い方をしていたのに対し、ここでは情感を込めたエモーショナルなヴォーカルによって、言葉に説得力を持たせている。語感や響きだけではなく、込めた意味合いを伝えるため、時に苦し気になりながら。
 17年の歳月は、確実にMISIAを成長に導いている。

7. The Best of Time
 バンマス黒田卓也のホーン・アレンジが光るソウル・ジャズ風バラード。サビのユニゾン・コーラスの黒光り感と、案外コロコロ変わる曲調に翻弄されてしまう。歌う方も演奏する方にとっても難易度が高い曲だけど、そこをサラッと何気ない顔でプレイしてしまえるところに、このコンボの底力を感じさせる。

8. 陽のあたる場所
 1998年リリース、2枚目のシングル。俺でも誰でも知ってる超有名曲のリアレンジ。変にオリジナルとの差別化でかけ離れたアレンジにせず、リリース時のフレッシュさを残しているのは正解だったと思う。オリジナルよりややテンポが速く、ベース・ラインが強くけん引している印象が強いけど、ヴォーカルの艶感がアンサンブルをうまくまとめている。

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9. 最後の夜汽車
 ラストはちょっと意外、甲斐バンド1977年のアルバム『この夜にさよなら』より。甲斐バンドのファンだった俺的には超有名な曲だけど、多分MISIAファンには未知の曲だったと思われる。
 Netflixドラマ『Jimmy〜アホみたいなホンマの話〜』主題歌としてフィーチャーされたのだけど、このドラマ、諸般の事情で一旦お蔵入りしてしまったため、当初リリースのインパクトが失われてしまったのが悔やまれる。
 ちなみにこの曲、明石家さんまが昔からのお気に入りだったことは、甲斐バンドファンの間でも有名だった。

 スポットライトは どこかのスターのもの
 陽の当たらない場所を ぼくは生きてきた

 甲斐もさんまも、最初から順風満帆じゃなかった。ここに至るまで、挫折もあれば辛酸も舐めてきた。希望はあまりにも茫漠として、そして曖昧だ。でも、前には進んでいきたい―。
 さんまがMISIAを指名したのは意外だったし、また彼女がオファーを受けたことも意外だった。ソウルっぽさのかけらもないロッカバラードを、MISIAがどう歌いこなすのか…。
 全然杞憂だった。未知のエリアでも、MISIAは常に進化を続けている。湿っぽくなり過ぎず、器用過ぎず、自分の歌として消化している。
 でも、甲斐とさんまとMISIA。男2人はわかるとして、この組み合わせは奇妙でおもしろい。





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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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