folder 1986年リリースの5枚目のオリジナル・アルバム。ここまでのアルバム・タイトルがローマ数字の連番という素っ気ないものだったのだけど、ここで初めてまともなタイトルが冠せられることになる。とは言っても、次のアルバムが『Us』とシンプル極まりないもの。興味ないんだろうな、そういうのって。
 UK1位US2位、トータルで500万枚と今を持って最高のセールスを記録している。ちなみに日本ではオリコン最高31位。話題性から言って、もっと上だと思ってたけど、こんなもんなのかね。

 実は最初、Stingの『Nothing Like the Sun』について書くつもりだったのだけど、そういえばStingっていま何やってんだろ?と思って調べてみた。
 最盛期がはるか昔だったにもかかわらず、ここ日本でも東京ドームでライブを行なってしまうほど盛り上がったPolice再結成から約10年、今年の夏はPeter Gabrielとのダブル・ヘッドライナーで全米を回る、とのこと。日本で言えば、浜田省吾と長渕剛がタッグを組んだと思ってもらえれば分かりやすい。共通するのは、ぶっちゃけセールスのピークは過ぎてしまったけど、固定ファンの支えによって安定したポジションを確立しているところ。ファン層も微妙にカブらないので、単純な足し算以上の集客が見込めるオーダーである。
 そんな80年代ロックの知性派2人が揃ってステージに立つのだから、そりゃもう大騒ぎなんだろうな、と思って紹介記事を見ると…。


 
 …見なきゃよかった。なんだこのStingのあごヒゲ。まるでKenny Logginsじゃねぇか、あんたそういうキャラクターじゃなかっただろ。ユングの共時性がなんたら、と知性にあふれた弁舌を披露していたのもいまは昔、すっかりフヌケたカントリー歌手みたいになっちゃってる。もう緩やかなリタイアを望んでるんだろうな。
 でも、それより驚いたのがGabriel。80年代UKロック・シーンではBryan Ferryと双璧を成すダンディ振りだった聡明なルックスも遠い昔、今じゃすっかり見る影もない。なんだこの海坊主。
 一目見て思い出したのが、映画『オースティン・パワーズ』の憎めない悪役Dr.イーブル。彼をもうちょっと肥えさせて毒気を抜いたらそのまんまである。零細工場の社長だよな、まるで。
 そういうわけで、今回はPeter Gabriel。

 今回紹介する『So』と次作の『Us』、ここまでが90年代で、その後の活動が思いっきりペース・ダウンしているため、日本における彼のイメージはここで止まったままである。ルックスもそうだけど、実際、音楽的にも多様なリズムを取り入れた知性派として受け止められており、Sting同様、ロック・セレブ、アッパーミドル御用達のアーティストとしてお馴染みである。それは本国イギリスでも同じような立ち位置で、40代以下にとってはレジェンド枠のアーティストとして認知されている。何しろデビューがプログレだったので、それだけでもう他のロック・アーティストとは毛色が違っている。
 そのGenesis自体の成り立ちも、貴族階級・富裕層の子息を集めたパブリック・スクールの同窓で結成されたものであり、Gabriel を含めてみな育ちはいい。日本で言えば慶應や青学の音楽サークルみたいなものと思えば間違いない。
 で、Steve HackettとPhil Collinsは労働階級出身だったため、その辺でバンド内格差が生じている。Gabrielらは多分そんなことは気にしてなかっただろうけど、こういうのってCollins側の方が必要以上に気にかけてしまうものである。彼らと違って、Collinsらには生活がかかっている。趣味の延長線上のバンド活動とは真剣味が違うのだ。

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 そういった生まれながらの立場の違いもあるのか、Collins特有のひょうきんな道化者的キャラクターというのは、ハングリーさの裏返しでもあるのだろう。来た仕事は全部引き受けてしまうほどの貪欲さ・サービス精神が昂じて、骨身を削るほどのワーカホリックによって、一時引退を余儀なくされたくらいである。
 対してGabriel、結婚を機に家族中心の生活を送りたいがため、せっかく築き上げたキャリアを捨てて田舎に隠棲してしまうくらいだから、その辺は至極マイペース。まぁGenesis時代はエキセントリックなキャラクター全開、終始ハイテンションでステージに立っていたのだから、その反動で平穏な生活を望んだとしても不思議はない。
 どちらにせよ、生活に追われてないからできることではある。そもそも下々の民のように、あくせく働く必要がないのだ。
 そんな生まれついてのセレブのため、キリスト教精神に基づくボランティア活動や社会運動にも、キャリアの早い段階から熱心に取り組んでいる。時にそれは、メインの音楽活動を休止してまでのめり込み、リリースのブランクが平気で10年くらい空いてしまうことも多々あった。でもそれは海外セレブの嗜みとして、必要不可欠なのだ。
 そういった奉仕活動の流れから、今も続くワールド・ミュージックの祭典WOMAD、その立ち上げ段階から積極的に関与し、今ではギネスにも認定されるほどの規模に成長させた点は、海外の社交界においても評価が高い。「なんだかよくわかんないけど大物ミュージシャン」というステイタスは、このWOMADでの功績が大きい。

 そう考えると、初期Genesisの幻想的でシアトリカルなステージや、今なら中二病テイスト満載な一連のシュールなコンセプト・アルバム群、結局のところ、これらは当時のヤング・セレブの乱痴気騒ぎだったんじゃないかと思う。閉鎖的な環境であるパブリック・スクールにおいて、ひねた妄想をこじらせた、金もヒマもそこそこあるモラトリアムらが寄り集まって結成されたのがGenesisというバンドだった、と考えればスッキリする。
 アーカイブでよく見かける初期Genesisの奇抜なステージ衣装やメイクも、無理やりこじつけるとビジュアル系のハシリという見方もできるけど、「なんかこじれてたんだなぁ」と温かい目線にもなってしまう。零細工場の社長の昔のアルバムを見せてもらって、「若いときヤンチャしてたんですねぇ」と微妙な気持ちになってしまうのと、近いものを感じてしまう。
 そういったエキセントリックな行動はエスカレートし、もう行き着くところまで行ってしまったため、メンバーとの関係にも亀裂が生じる。フロントマンのあまりにパーソナルで奇矯な世界観についていけなくなるのはPink Floyd同様、プログレの世界ではよくある話である。
 そんなこんなもあって、結婚を機にGenesisを脱退、ソールズベリーの田舎で静かな日々を過ごす、というのも、60年代の学生運動から身を引いて無農薬栽培の農家に転じたヒッピーなんかとカブる面が多い。狂気と喧騒に満ちたエンタテインメントの世界から一旦退き、リセットする必要があったのだろう。

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 ソロになってからのGabrielの作品群は、Genesis時代よりもコンセプチュアルな意味合いが強まっている。プログレ特有のファンタジー性はなくなったけど、ローマ数字でナンバリングされただけのアルバム・タイトル、Robert FrippからPaul Wellerまで、両極端で幅広いアーティストの起用など、プログレ時代よりも先鋭的なサウンドを追求している。当時はまだ新進気鋭のエンジニアだったSteve Lilywhiteによるゲート・リヴァーブの導入、WOMADで交流を深めた第3世界アーティストらから吸収した、西洋音楽の概念では推し量ることのできない多彩な音階やリズムなど、その妥協なき姿勢はオールド・ウェイブに分類されるにもかかわらず、ニュー・ウェイブ勢からの評価も高かった。Collins主導となったGenesisが次第にコンテンポラリーなサウンドへ傾倒してゆくのと反比例するように、Gabrielの創り出す音楽はどんどん先鋭性を増していった。
 この時期のGabrielだけど、どこかでGenesis、ていうかCollinsへの対抗意識が強かったんじゃないかと思われる。心のどこかで下に見ていた面もあった分、本人的には認めないだろうけど、産業ロック的な側面を強めてゆくGenesisを意識して、逆にそことカブらないサウンドを志向しているようにも見える。もちろんヨーロッパ圏内ではそれなりにヒットはしていたけれど、世界的なレベルで浸透していたGenesis及びCollinsのソロと比べると、セールス的にはちょっと劣っていた。まぁビッグ・セールスを狙うようなサウンドじゃなかったしね。
 もし本気でヒット狙いに向かうのなら、あんなグロテスクなジャケットにはしなかったと思うし、第一なんだ、3枚目と4枚目のドイツ語ヴァージョンって。狙うところがニッチ過ぎる。

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 で、比較的マニアックな音楽性を追求していたGabrielがここで方向転換、これまで画像処理で歪めたポートレイトばかり使っていたアルバム・ジャケットをオーソドックスなデザインに、ナンバリングだけの無愛想なアルバム・タイトルも、今回はアルファベット2文字になり、店頭でも手に取りやすくなった。肝心の中身も、これまで培ってきたポリリズムを基調とした多彩なリズムも、万人向けのコンテンポラリー・サウンドにきちんと馴染ませている。
 Gabrielのソロ・キャリアはもっぱらリズム面へのアプローチの歴史でもあり、もともと美メロやキャッチーなフレーズとは縁が薄かったのだけど、ここでは”Don't Give Up”など一世一代のアダルト・コンテンポラリーな楽曲を披露している。やればできる人なのだ。
 エキセントリックなリヴァーブやエフェクト、社会問題への警鐘とも取れる歌詞の世界観を封印するのではなく、あくまでヒット・チャート常連のサウンドと見劣りしないクオリティを保って制作されたのだから、レベルは高い。売れるはずだよな、そりゃ。


 前述したように、もともと純粋な音楽的評価は高かったけど、いわゆる一般ウケする類いのサウンドではなかったGabriel。契機となったのが、半分は不本意で行なわれたGenesisの再結成ライブだった。まだ運営基盤が脆弱だったWOMADが盛大にコケて負債を抱えることになってしまい、その穴埋めとして企画されたのが、かつての盟友らとの再演だった。取り敢えず最悪の事態は乗り越えられたけど、変な思惑もなく協力してくれたCollinsらとの再会によって、思うところがあったのだろう。
 いくら高邁な思想があろうとも、それを実現させるためには、先立つものがないと机上の空論で終わってしまう。最前線への補給が勝負の分かれ目になるように、どこかから潤沢な資金を引っ張ってこないと、歯車は動きを止めてしまうのだ。
 今後もWOMADの運営が軌道に乗るまでは、資金の持ち出しは免れない。なのでGabriel、この時点でどうしてもヒットを出さなければならない事情もあった。そう思い立ってきちんと大ヒットさせてしまうのだから、そこはもともとのポテンシャルの為せる業である。
 Collinsへの対抗心も多少はあったのかもしれないけど。


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1. Red Rain
 オープニングはDavid Rhodesによる幻想的なサスティンの効いたギター・ソロからスタート。そこに念入りにプログラミングされたリズム・パターンが絡んでくる。全体的にエコー成分が多く、よってサウンドも厚みを持たせている。この種のサウンドは歴史の変化にも持ちこたえ、劣化が少ない。
 直訳の「赤い雨」とはもちろん比喩的なもので、人間本来の抑制された情念のこと、とGabriel自身が語っている。歌詞を読むとほんと中二病まっしぐらの内容なのだけど、意味を知るとちょっと薄っぺらいので、そこはあまり触れない方がいいと思われる。サウンドは絶品だから。
 5枚目のシングル・カットとして、UK46位は仕方ないとして、USアダルト・チャートでは3位をマーク。「わかりやすい円熟」だからね。



2. Sledgehammer
 とんねるずの「食わず嫌い」SEでおなじみ、尺八の咽びからスタート。日本では曲自体もそうだけど、MTV全盛期を象徴したクレイ・アートを効果的に使用したPVが話題を呼んだ。
 基本構造としては古いポップ・ソウルを基調としており、この辺はPhil Collinsのソロ楽曲からインスパイアされたんじゃないかと思われる。Collinsのそれがモータウンへの愛情あふれたオマージュだったのに対し、ここでのGabrielはもっと人工的な質感、コードは可能な限りシンプルに、「鉄槌」というテーマを最大限に活かしたサウンドに仕上げられている。ヒットの要素をあれこれぶち込んでから刈り込んだ挙句、残ったのは不変のリズム、そして狂気さえ感じさせる躁的なヴォーカル。
 UKでは4位止まりだったけど、USでは初の1位を獲得。しかもこの1位、Genesisの”Invisible Touch”を引きずり降ろしての獲得だった、というエピソードは有名。



3. Don't Give Up
 UKが誇る歌姫Kate Bushとのデュエット・ナンバーで、このアルバムのハイライト。俺的にもこのアルバムでは最も好きな曲で、実際、彼の楽曲の中でも1,2を争うほどの人気。実際のセールスは2.がダントツなのだけど、記憶に残る楽曲として、80年代の洋楽バラードにおいても、かなりの上位に食い込んでいる。
 Gabriel同様、プログレ界隈のアーティストとしては先鋭的な独自路線のサウンドを志向していたKate、ちょうどこの時期は彼女も偏執的な多重録音コーラスにひと区切り打って、コンテンポラリーなサウンドを導入しようとしていた頃。なので、互いに時期的にも都合が良かった。
 揺蕩うような幻想的なサウンド、シンプルな歌詞。そんな繊細な世界観を見事に映像化したGodley & Crèmeの最高の仕事。ほぼワンカットで抱き合いながら、切々と歌い上げる2人。たったそれだけの映像なのに、恐ろしく説得力がある。
 すべてのクリエイター達の歯車が見事ピッタリ噛み合わさった、80年代UKを代表する1曲。UK9位US72位という結果は付け足しでしかない。



4. That Voice Again
 なので、これだけ強いインパクトの作品が3曲も続いてしまったため、レコードではA面ラストのこの曲、どうにも影が薄い。実際、俺もあんまりちゃんと聴いてなかった。なのでちゃんと聴いてみると、メロディ感の薄い構造は逆に従来のGabrielの良さが浮き出てくる。
 80年代ロック最高のリズム・セクションとも称されるManu Katché (d)とTony Levin (b)のコンビ名人芸がここで披露されている。ただシンプルに刻んでいるだけなのに躍動感のあるドラムに煽られて、Levinのプレイもノリノリ。確かにこの人、変に凝った変則リズムを強要されるCrimsonより、こういった自然にあふれ出てくるグルーヴ感たっぷりのサウンドの方が性に合ってると思う。自分でもわかってると思うんだけどね。でも断れないんだな、Frippの要請には。

5. Mercy Street
 呪術的なシンプルなサウンド・プロダクションは、Gabriel自身の多重コーラス、シンセによるものが主で、あとはLarry Klein (b)など、あまり見慣れないメンツによるセッション。アメリカの女性詩人Anne Sextonの同名作品からインスパイアを受けて作られたもので、後のサントラ仕事につながるような幻想的なサウンドが展開されている。正直眠い。なぜかアメリカのTVドラマ「Miami Vice」の挿入歌として起用された。

6. Big Time
 冒頭の「Higher!」がクールな、ほとんどリズムだけで構成されたGabriel流ファンク。心なしかヴォーカルも無理やりソウルフルな瞬間がある。成金をコミカルに揶揄する歌詞も内容的には薄く、それがファンキーさを強めている。
 2.と同じコンセプトでクレイ・アートのPVも制作されており、こちらも好評だった。考えてみれば、Genesisもクレイ・アート使ってたよな。Gabrielのようなストップモーション・アニメではなかったけど。流行ってたのかな?
 UK13位US8位と、2.に続くヒットとなったのも納得。



7. We Do What We're Told
 アンビエントな打ち込みサウンドに乗せて、遠くから朗々と歌い上げるGabriel。シンプルな歌詞とサウンドは幕間的なインターミッション。こういった「壮大な雰囲気サウンド」が多くなることによって、その後の「なんだかよくわかんないけど大物ミュージシャン」的スタンスが不動のものになる。余計な音もリズムも、そしてメッセージもそぎ落とされた後、残るのは純粋に心地よい音のみ。アンビエントだよな、確かに。

8. This Is the Picture
 まずLaurie Andersonとのデュエットという時点で、コンテンポラリーなサウンドとは一線を画していることがわかる。しかもギターがNile RodgersでベースがBill Laswell。明らかにこれまでのアルバムの路線とは違うサウンドが展開されている。ほとんどリズムのみで構成された曲なので、雰囲気としては『Ⅳ』に入っててもおかしくないくらい。Gabriel自身もシンクラヴィアで変な音を入れまくってるし、ギターで参加しているDaniel Lanoisがまともに見えてしまうくらい。
 基本、頭でっかちな曲なので、このアルバムからは浮きまくっている。でもこういった方向性も捨てがたかったんだろうな。だから無理やりここに入れたのか。シングルのB面に入れたら最高のナンバー。

9. In Your Eyes
 ラストを飾るのは、リリースから4半世紀たった今でもライブを締めくくるラスト・ナンバーとなっている、こちらも名曲の誉れ高い楽曲。リリース当時から、ワールド・ミュージック・ブームのけん引役となったセネガルのシンガーYoussou N'Dourが参加している、ということで評判が高かった。
 いい曲悪い曲という次元ではなく、Gabrielにとって、そしてファンにとっても大事な曲であるというのが、これ。荘厳としていながらポップ、いくつもの音・いくつもの意味が複合的に混ざり合い干渉し合い、最後に残ったのはシンプルなエッセンス、そして誰もが参加できる開かれた空間だった。
 こういった性質のサウンドでUS26位という成績は検討した方。アメリカの良心がまだ残っていた時代のチャート・アクションである。






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