好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Miles Davis

「なんじゃワレこら」と胸ぐらつかまれて聴かされる音楽 - Miles Davis 『In Concert』

Front コンポーザー兼コーディネーターとしての力量は言わずもがななMilesだけど、一プレイヤーMiles Davisとしての評価はあまり声高なものではない。正直、ミュートを多用した音色自体がどうしても一本調子に聴こえてしまうし、ソロフレーズのバリエーションも多い方ではなく、そこだけ取り出して聴くと引き出しの少なさに気づいてしまう。しまうのだけど、バルブが3つしかないトランペットという楽器の構造上、サックスやクラリネットと比べて多彩な音色が出るわけではないし、第一、CBSに移籍して以降のMilesはソロイストとしてのエゴをほぼ封印してしまっている。
 「そこで勝負してるわけじゃねぇし」と開き直られてしまえば、何もいうことがない。戦っているフィールドがそもそも違うのだ。
 そんなことに最近になってようやく気付いた、もうすぐ47歳の俺。

 なので、彼のアドリブやソロのこのフレーズが云々、という議論はあまり意味を成さない。あくまでアルバム全体のクオリティを司る、総監督としての評価が彼の本分である。まぁ評価されようがされまいと、知ったこっちゃねぇと言われそうだけど。
 野球界において「名プレイヤー、名監督にあらず」という言葉があるように、必ずしもトップの人間がスペシャリストである必要はない。むしろ特化された技能は全体を俯瞰する視点が養われず、凝り固まった思想に偏りやすい。実際の得点チャンスにおいて、目に見えた貢献はできないけど、縁の下の力持ち的なキャラクターがリーダーシップを取ると、チームも自然とまとまりを見せてゆくものである。
 現役時代はスター・プレイヤーの名を欲しいままにした長嶋の方法論は、野球理論の枠を超えた突然変異的なものだったため、チームへの浸透はおろか一子相伝すら適わなかった。対して、長嶋・王にも匹敵する実績を重ねながらも、縁の下的なキャラクターゆえスター性では及ばなかった野村克也は、緻密なデータに裏付けされた野球理論を駆使して幾度もチームを優勝に導いた。長嶋理論はオンリーワンのものだけど、野村理論はチーム全体で共有できる。この違いが監督としての人生を二分したんじゃないかと思われる。
 アクティブでいつも陽気だけど、何言ってるのか意味不明なリーダーと、いつも辛気臭い顔でミーティングを重ねるリーダーと、どっちが仕事しやすいのかといえば、まぁ楽しいのは前者なんだろうけど、長い目で見ると、口うるさいリーダーの元、しっかり修行を重ねた方がいいに決まってる。若いうちは楽な方に流れがちだけど、キャリアの最初は厳しく律してくれた方が長く生き残れる。

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 ジャズ界に限らず、ポピュラー・ミュージック・シーンにおいてのMilesの大きな功績は、何も純粋な音楽面だけではない。キャリアを通して常に「ジャズの一歩先」の音楽を提示してきたMiles、モード奏法なりファンクへの接近なり、様々な音楽的変遷を経てオリジナルの音楽を発信し続けてきたけど、それを創り上げるために発掘してきた若手ミュージシャンの養成の方が有形無形問わずデカい。通称Miles Schoolと呼ばれたバンドの歴代在籍数はかなりの数にのぼり、多分誰もが認める首席格のHerbie Hancockを筆頭として、Keith JarrettやMarcus Millerなど、枚挙に暇がない。列挙するのはめんどくさいので、あとは各自調べて。

 学校と銘打ってはいるけど、あくまで通称であって、別にMiles自身がそう謳っているわけではもちろんない。その道のエキスパートやらテクニシャンやら正体不明の輩が跋扈するMilesバンドのもとで一定期間プレイすると、いい意味でも悪い意味でも相互作用がハンパなかったため、自然とプレイヤビリティの進歩を遂げることが多かった。
 なので、腕の覚えのあるミュージシャンなら、一度はその門戸を叩いてみるべき登竜門的な存在になっていた。実際、彼の元から大きく飛躍したアーティストは、枚挙にいとまがない。Herbie HancockやWayne Shorterなどが代表的だけど、膨大過ぎて列挙するとめんどくさい。あとは調べといて。

 ただしMiles、教え方が上手いわけではない。ていうか、手取り足取り懇切丁寧に教えるキャラクターじゃないことは、雰囲気的にも察せられる。自分のソロ以外のバック・トラックを、ほぼMarcus Millerに投げっぱなしにしていた復活以降は、多少プレイヤーの自主性を尊重してはいたようだけど、この時期のMilesを教育者的な側面で見れば、まぁ失格としか言いようがない。要は70年代体育会系ドラマの鬼コーチそのものだし。
 具体的な指導もせず、俺の言うとおりにプレイしろ、余計なことはするな、でもお前のプレイを使うかどうかは俺次第、フヌけたプレイしかできないんだったらスタジオから出て行け、というスパルタ式である。なのにオリジナリティは求められる。時には全然違う楽器に無理やりチェンジさせられる。こう書いてると、ただの暴君じゃん、この男。

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 ただ、ジャズ・ミュージシャンとしては断トツにネーム・バリューのあるMiles、彼のバンドに参加できることは、知名度的にも技巧的にも大きな飛躍となることは明らかだった。この時点でMiles Davisというブランドはすでに確立されており、「最新作が最高傑作だ」という言葉通り、「ジャズの一歩先」の音楽を次々提示していることは、ミュージシャンの間でも周知の事実だった。
 同業者の間では、帝王Milesたるセッションでの暴言・立ち居ぶるまいは語り伝えられていたので、指名されたことを栄誉と思うと同時に、気構えもあった者も多い。生半可なプレイはできない。
 通常よりギアを数段上げたプレイをしてどうにか認められ、固定メンバーとして加入する。でも、次のセッションでもお呼びがかかるかどうかはわからない。気の抜けたプレイを見せたら即クビだし、第一、帝王のコンセプトが変わってしまったら、バンドごとお払い箱だ。
 そんな死屍累々の積み重ねで出来上がっているのが、Milesのアルバムである。彼に限った話じゃないんだけどね。

 そんなMilesバンドに加入したはいいものの、テクニックの稚拙さ(いま聴けば、そんな悪いものでもなさそうだけど)と、そのプレッシャーからつい手を出したドラッグ禍の末、一旦はクビになったけど、Thelonious Monkのもとで改心してから再復帰、プレイ的にも人間的にもグレードを上げて汚名を覆したのがJohn Coltrane。
 Miles同様、彼も様々なミュージシャンを入れ替えて、代替不能な自身のオリジナリティを追求してきた。きたのだけれど、彼の場合、Milesのスタンスとはちょっと違っている。
 Milesのバンド運営が、スパルタ式のワークショップ的なものだったことに対し、Coltraneの場合はプレイヤビリティより先にエモーショナルな面を重視、運命共同体的なコミューンの形成を思わせる。特に晩年はカバラ思想への傾倒が強く出ており、サウンドやアルバム・ジャケット、発言もろもろもスピリチュアルなムード満載である。

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 彼の代表作となる『My Favorite Things』を配したアトランティック時代は、やたらめったら音で埋め尽くしたシーツ・オブ・サウンズが時代の転換点を象徴していたけど、基本はジャズのセオリーに則ったオーソドックスなスタイルである。テーマがあって各ソロパート、そしてメイン・プレイヤーのアドリブ・プレイ。この頃はまだフォーマットに収まっている。
 数々の名作を生み出した不動の4人、McCoy Tyner (P)、Elvin Jones (Dr)、Jimmy Garrison (B)らは当時、鉄の結束を誇っていた。いたのだけれど、インパルスに移籍する前後くらいから、Ornette Colemanに端を発するフリー・ジャズの流れに煽られて、曲のサイズは長尺になり、冗長とも言えるインプロビゼーションが多くを占めるようになる。それに加えて、前述のカバラ思想にかぶれつつあったColtraneの思想思索がコンセプトに介入するようになり、絶妙なバランスを保っていたバンド・アンサンブルは次第に変調をきたしてゆく。

 調性を無視して無定形なフリー・ジャズのフォーマットは、もともとすべての静寂を自らの音で埋め尽くしたいColtraneの思惑と合致していた。世の中のポピュラー音楽の比重がジャズからロックへと移行してゆく中、旧態依然としたジャズ界に未練がないようなら、変容してゆくのは自然の流れだったとも言える。
 極限まで磨き上げられた熟練の4ビートは大衆にそっぽを向かれつつあり、旧来のジャズ・シーン全体が自家中毒を起こし始めていた頃である。ちょっとでも危機感を感じて生き残りを模索するのなら、違うアプローチを考えても当然である。そのアプローチがいささか極端だったわけで。

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 鉄の結束を誇るバンドが徐々に崩壊の一途をたどって行ったのは、そのアプローチをみなが十全に理解できなかったことに尽きる。彼以外のメンバーは純正のジャズ・ミュージシャンであって、イデオロギーを共にして集まっていたわけではない。もはや「高邁」と形容できる、カバラ思想を根幹とした後期のColtraneのコンセプトを咀嚼するには、旧来のジャズの感覚では追跡不能だった。それは哲学的な要素が大きく絡んでおり、演奏能力は二の次になる。
 Jimmy Garrisonは最後まで頑張った方だと思うけど、多分理解はしていなかったんじゃないかと思われる。出てきた音だけで判断される旧来タイプではなく、「なぜその音を出すのか」というところまで問われてしまう、新タイプのミュージシャンが登場しつつあった頃でもある。あぁめんどくさい。
 正統ジャズ・ミュージシャンと入れ代わりとなったのが、主にフリー・フォーム系を得意とするミュージシャンたち。そりゃPharoah Sandersみたいに一本立ちしていった者もいたけど、多くはイデオロギー主体でリズム・キープすら怪しげな輩であって、大成しなかった者も多い。
 なので、その理想的なコミューンは内部での居心地はいいんだろうけど、それが実際の音楽に反映されていたかといえば、ちょっと疑問。ぶっちゃけた話、Coltrane的には「俺のソロがメインなんだから、あとは正直、ゴールデン・ボンバーみたいに当て振りでいいんじゃね?」と思ってのかもしれない。
 だってColtrane以外は誰でもいいんだもん、どうせ彼の独演会になっちゃうし。バンドの体裁を整えるため、妻Aliceまで引き込んでしまうのは、それはちょっと…と思ってしまう。

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 で、Milesに戻るけど、同じくカオティックなベクトルは変わらないけど、Coltraneと比べてコンセプトがどーしたイデオロギーがどうした、という音楽はない。Milesは基本、プレイヤビリティを重視した人選を行なっており、それは晩年まで変わらなかった。その時代ごとアルバムごとによって嗜好が変わり、時にロック寄りの人選になったり、次の日にはファンク寄りの人選に一新してしまう場合もある。すべては彼の意のままである。
 あくまで判断するのは出てきた音、それに対してイエスかノーか、ただそれだけだ。
 ぶっきらぼうな指示しか出さない帝王のマウンティングに対して、各プレイヤーがあれこれ知恵を絞り技術を弄る。Milesが出す指示はと言えば、当時、黒人の間ではヒップとされていたJBとSlyのレコードを聴かせて、「この音、このリズムなんだ!」とウロウロするだけ。
 そんな経緯を経てできあがったのが、『On the Corner』。集団演奏をメインとした複合リズムが再現不能なレベルにまで昇華した、混沌の塊である。こういう時はやっぱ活躍するな、Teo Macero。

 ジャズ・シーンにはそれなりの衝撃を与えた『On the Corner』リリース後、そのライブ・バージョンと言う触れ込みでリリースされたのが、この2枚組。ジャケット・デザインも同じCorky McCoyを起用しているので、どうしても姉妹作的な扱いになってしまうし、CBS的にもその線での展開を狙っていたんじゃないかと思われる。実際、バンドのメンツも相当かぶってるし、『Bitches Brew』からの模索だった変態ファンク・ビートは、ここで完成を見ている。
 ただ、『On the Corner』がTeo Maceroエンジニアリングによる、超絶テープ編集の芸術的帰結だったのに対し、こちらはそのメソッドを流用して、ある程度までの再現を狙った刹那的な作品。
 当然、アンサンブル的にも違ってくるし、オーバーダブと言っても限界がある。まぁ忠実に再現しようだなんて思ってなかったのは明白で、あくまできっかけ作りとしてのテーマ設定、そこから有機的な展開を図っていくのは、ジャズの本道である。



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1. Rated X
 後の発表されたコンピレーション『Get Up with It』に収録されるまでは、このライブ・ヴァージョンが初出だった。オリジナルでは終始エレクトリック・オルガンを弾いていたMilesだけど、ここではトランペットを使用している。もちろんこの時期なので、その音色はエフェクターで原形を留めぬほど歪曲されている。
 テンポも半分程度の落とされてのスタートだけど、そこはやはりライブ、次第に興が乗って駆け足になってゆく。ダンス・トラックとして考えると、このヴァージョンの方が秀逸。

2. Honky Tonk
 ほぼ切れ目なく突入するのは、やはりTeoの為せる業。強引にぶった切った流れながら、それがコンセプトとしてはマッチしている。こちらも後に『Get Up with It』に収録されたナンバーで、当時としてはライブの定番だった。
 スタジオ・ヴァージョンはギターをメインとした、ホンキートンクというよりはブルース色の方が強かったのだけど、こちらもテンポを落としてギターのファンク・テイストが濃くなって、そのドス黒さに磨きがかかっている。

3. Theme From Jack Johnson
 レコードではここからB面。タイトル通り、『A Tribute to Jack Johnson』をモチーフとしたセッション・ナンバー。ロック色が強かったオリジナルでは、主にJohn McLaughlinがメインとなっていたけど、ここではMilesがほぼ全編吹きまくっている。ていうか例のギター・リフがない分、別の曲に聴こえてしまう。取り敢えず導入部のテーマだけ決めて、あとはアドリブの展開でまったく別の曲になってしまうのは、ジャズではよくあること。

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4. Black Satin/The Theme
 ご存知『On the Corner』収録曲。レアグルーヴ方面でもいまだ不動の人気を誇っているので、何かと耳にすることも多い。こうして聴いてみると、ポリリズミックな編集を施したオリジナルが秀逸なため、ここでのヴァージョンがどこか冗長に聴こえてしまうのは、俺がオリジナルに慣れているせいか?
 ダンス・トラック的な視点で言えば、機能性に優れているのは、もちろんオリジナル。でも、この予測不能の展開はやはりライブならではの持ち味。



5. Ife
 ここからアルバムの2枚目。レコードではここからまるまる1面が1曲という、怒涛かつ苦痛の展開に突入する。体力的に、そんな頻繁に聴けるものではない。
 後にコンピレーション『Big Fun』で収録されており、この時点では未発表作品。ていうか『On the Corner』のボツテイク。スタジオ・テイクが整然とまとめられているのに対し、ここでは逆にその未整理かつ冗長な面が長所に転じ、熱を帯びるリズム・トラックに煽られるようなMilesのソロが聴ける。

6. Right Off/The Theme
 『A Tribute to Jack Johnson』ではロック色が強かったこのナンバー、ここではギターは大きく後退し、リズム隊のAl Foster、そしてMtumeの独壇場となっている。空間を埋め尽くすリズムは観衆を不安へと陥れ、肉声と錯覚するMilesの音色がさらにどん底へ突き落す。そして残るのは虚無。



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やればできるじゃん、メロウなやつも - Miles Davis 『You're Under Arrest』

folder 1985年リリース、もう何枚目になるかはちょっと不明だけど、復活後としては4枚目のスタジオ・アルバム。発売2,3週間で10万枚以上売れたらしく、当時のMilesとしてまたジャズのカテゴリーの中では断トツの売り上げではあったけど、ポピュラー総合で見るとUS111位UK80位という、決して高いとは言えないチャート・アクションで終わっている。逆に言えば、これはMilesだからここまで善戦したのであって、他のジャズ・アーティストなどはもっと散々たる成績である。ちなみに日本ではオリコン最高45位。まだまだ威光が衰えてなかった証拠である。
 フュージョン/クロスオーバーという最後の足掻きを70年代で見せた時点でジャズのポピュラリティは終焉となっており、セールス的な面だけで見れば、80年代というのはオーソドックスなジャズにとって苦難の時代の始まりでもある。ただ、ジャズ本体はいまだ瀕死の状態が続いたままではあるけれど、そのジャズのエッセンスを巧みに活用して作られた音楽というのは連綿と息づいている。世界的にもジャズ・フェスティバルというのは地域に根差した恒例のイベントとなっているし、意識高い系御用達の音楽と言えば、大抵がジャズっぽいムードのものばかりで、ジャズ全体が衰退しているわけではない。そのフォーマットは確実にエンタメ界に、そして日々の生活にもしっかり根を下ろしている。

 この時期のMilesにとっての大きな変化が、長年連れ添ったプロデューサー兼エンジニアだったTeo Maceroとの別れ。60年代末~70年代にかけての一連のアルバムにおいて、単なるエンジニアの領域を超えて創造的なテープ編集を強行し、Milesの思惑以上のクオリティのアルバムをバンバン仕上げていったTeo。そんな彼に対し、決して口にはしなかったけど、全幅の信頼を置いてテープの切り貼りを一任、やみくもに録り溜めたマテリアルを丸投げして、自分は酒に女にドラッグに酔いしれていたMiles。
 30年物長きにわたるコラボレートにいかなる亀裂が生じたのか、最終的には彼ら2人にしかわかり得ない事情、まぁそれも「あうん」の呼吸で言葉少なだったとは思われるけど、特にMilesの方向性が大きく変化していたこと、その流れにTeoが対応しきれなかったことは大いに考えられる。
 じゃあMilesの目指すところが何だったのかと言えば、はっきり言ってしまえば金、そしてヒット曲である。
 復活以降にサウンドの柱となっていたジャズ・ファンクは、70年代のダウナーな狂気に満ちたサウンドとは一変して、もっと明快なリズムを持ったためにダンサブルに、そしてラジオのエアプレイを意識したかのように、コンパクトな尺になっていた。
 ヒット・チャートへの渇望があからさまになったのは楽曲だけではなく、ジャケットもスタイリッシュなMilesのポートレートが使用されている。もともと60年代からジャズ界においてはファッション・リーダー的な存在であって、70年代はサイケ色が強くなってどこか勘違い感も否めなかったけど、ここではデザイナーズ・ブランドに身を包んだMilesがアーティスト然とした表情でポーズを決めている。決めてはいるのだけれど、メジャーのアルバムでマシンガンを持つことはないだろ、とは俺の私見。

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 60年代末のエレクトリック期から始まった、アルバム片面をまるごと使う長尺曲を何曲か収めただけのダブル・アルバムというリリース形態は、MTVが主流となった80年代中盤ではすっかり時代遅れのものと化していた。ある意味、ロックンロール創世記の3分間ポップ・ソングへの回帰というレイドバックが主流となり、その流れに順応できないアーティストは自然にスポイルされていった。
 ジャズもそうだったけど、このトレンドとは正反対のベクトルを持つプログレ勢の被害は大きく、メインストリームに見切りをつけてニューエイジの方向へ行ったり、または中途半端にAOR路線に手を出してファンの顰蹙を買うバンドまで様々だった。ま、後者はELPなのだけど。その中で負のスパイラルをうまく回避したのがYesやAsiaで、超絶インタープレイは残しつつも楽曲はコンパクトに、外部のライターや気鋭の若手まで動員してシングル・ヒットを連発、その強引な蘇生術が功を奏したこともあって、今日の地道な活動継続につながっている。
 で、ジャズ・シーンはこの80年代をどう乗り越えたのかといえば、正直乗り越えようとする気力さえ失っていた、というのが正直なところ。前述したように、多ジャンルからのジャジー・テイストの導入が盛んになったこともあって、ジャズというジャンルが完全に崩壊したわけではなかった。ただし内実は過去の焼き直しにとどまっており、革新的なサウンドが発明されたのかと言えば、それはちょっと口ごもってしまうくらいである。
 もちろん80年代ジャズがまったく不毛だったというわけではなく、Wynton Marsalisのような新世代のスターも生まれてはいる。いるのだけれど、よく知られてるようにWyntonはガッチガチの保守派、過去の伝統を忠実になぞった新・伝承派として頭角を現したのが世に出るきっかけだったほどで、正直伝統を守ってゆく決意はあるのだろうけど、多ジャンルへの冒険心が薄く、どうにも小さくまとまったまま、というのが現状である。

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 そういった小ぶりな若手の不遜な態度に噛みつくように、ひたすら本流とははずれたジャズ・ファンクを追求していたMiles。未整理のグルーヴを追求していた70年代よりスッキリしたアンサンブルにはなったけど、黒人固有の正体不明なリズムのキレは相変わらず優れたものだった。休業前は自らバンマスとしてスタジオ内やステージ上を縦横無尽に動き回り、絶対君主としての振る舞いを見せていたのだけど、80年代の復活後は執拗なまでのサウンドの追及もトーン・ダウンしてゆく。
 あれだけメンバーに睨みをきかせていたレコーディングにもあまり顔を出さなくなり、バック・トラックはもっぱらプロデューサーに任せっぱなしとなる。アンサンブルも含めたヘッド・アレンジもGil Evansに丸投げで、自身は最後にチョロッとソロを吹き込むだけ。まるで大御所演歌歌手のようなポジションになってしまっている。
 Milesの場合、自ら発掘してきたミュージシャンもそうだけど、帝王というネーム・バリューのおかげもあって、常に優秀なブレーンが周りを取り囲んでいたため、極端にミスマッチなサウンドに仕上がっているわけではない。一応、モダン・サウンドに準じた見栄えの良い音に仕上がってはいる。でも、ただそれだけだ。そこにMilesの音楽的な主張はない。付け焼刃的にヒップホップのエッセンスを導入してはいるけど、それもどこかちぐはぐだし、はっきり言っちゃえばMilesじゃなくてもいい音ばかりである。取り敢えず今風のサウンドに引けを取らぬよう、マネしてみました、といった体なので、音に思い入れが薄い。

 本来ジャズという音楽は、「何でもあり」が許されるジャンルだった。その時その時のトレンドを巧みに吸収し、うまく加工して自分たちのレパートリーとして発表するのが当たり前だった。ボサノヴァだってラテンだって、ジャズというフィルターがなければ、ここまで世界中に広まることはなかったはず。
 なので、当時のポピュラーのヒット・ソングを矢継ぎ早にカバーするのも、至極当たり前のことだった。Milesもまた、キャリアの初期に「枯葉」や「My Funny Valentine」をカバーしている。今ではすっかりColtraneで有名になった”My Favorite Things”だって、もとは映画『Sound of Music』の挿入歌だった。「イパネマの娘」やら「Summertime」など、多ジャンルにおいてジャズの影響力でヒットにつながったスタンダードは数多い。キャリアの長いミュージシャンなら、誰でも一度や二度は手を付けている行為である。
 ただ、長らくオリジナル曲ばかり演奏していたMilesがカバーをプレイするのは久しぶりだったことと、ヒットしてまだ日が浅いナンバーを選んだことで「売れ線狙い」として決めつけられてしまったこと、そしてこれが結構大きいと思うのだけど、2曲とも同じCBS所属のアーティストの手によるものだったため、「Milesのくせに」安易にタイアップに飛びついてしまったのか、と受け取られてしまった。復活から数年経って、そろそろアーティスト・パワーも落ちかけていたため、ますます格落ち感が漂っていたのも事実。

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 体調は相変わらず思わしくなく、ソロ・プレイもヘロヘロで力少なく、当然、全盛期の面影はない。ただ、それが逆に周囲の奮起に繋がったのか、すっかり生きた化石となったMilesをフォローし、みんなで盛り上げてゆくんだ、という思いがこのアルバムからは漂ってくる。ちょっと例えは古いけど、メインのジャイアント馬場の試合を盛り上げるため、前座の全日若手レスラーらが力を合わせて会場をヒート・アップさせているような、どこか優しいムードが基調としてある。
 「帝王、ちょっとこれやってみましょうよ」「よっしゃよっしゃ」という若手との掛け合いにも素直に応ずるMiles。若手の登竜門として、大きく門戸を開き続けているMiles。その姿勢は昔となんら変わらない。ただ、以前よりも目くじらを立てず、取り敢えず若いモンの言う通りやってみっか、的な腰の軽ささえ感じられる。
 そんな中で収められているのが、MichaelとCyndi Lauperの2曲。若手に勧められた曲が気に入ったのと、もしかしたら売れちゃうんじゃね?的な山師的な判断がこの2曲に集約されている。
 生臭くはあるけれど、決して不快ではない。やるからには徹底して、一吹入魂とでも例えられるような、印象的なフレーズを奏でるMiles。そこら辺がレジェンドと称される所以である。


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1. One Phone Call / Street Scenes
 現代風ジャズ・オペラとでも形容できる、「ポリスとこそ泥」的な寸劇を軸に、愛想のないリズムが全編を支配する。今ではすっかり大御所のJohn Scofieldのオブリガードもここでは無難にまとめている。
 Stingがフランス人警官の役どころで出演しているのだけど、当初、ベースのDarryl Jonesの口利きでスタジオ見学だけの予定だったのが、急きょレコーディングに参加することになった、という逸話がある。この後、Stingは制作中だった自身のソロ・アルバムのためにDarrylを引き抜き。しかもSting参加によってギャラが発生してしまい、その支払いでCBSとひと悶着、レーベル移籍の引き金になったという、いろいろといわくつきのナンバー。
 ちなみにMilesの出番は少なく、存在感も薄い。オープニングなのに、これでいいの?

2. Human Nature
 とはいっても、ここで思いっきり存在感を出す帝王。オリジナルはご存知Michael Jackson、1983年ビルボード最高7位のヒット・チューン。7位とはずいぶん低いと思われそうだけど、大ヒット・アルバム『Thriller』からは多数のシングル・カットがされており、この曲は5枚目。そりゃインパクトも薄くなるよね。
 ほぼ独自性もないシンプルでストレートなバッキング、時代を感じさせるシンセの音色、Scofieldもひたすらリズムを刻むだけ。
 なので、Milesのソロが光っている。この時期にしては珍しく饒舌に、しかも時にウェットなプレイを見せている。晩年のセット・リストではほぼ定番のナンバーとなっていたため、それだけ楽曲が気に入ったということなのだろう。決して売れ線狙いで、と言ってはいけない。
 実は俺が最初に聴いたのはライブ・ヴァージョン。ミックス・テープのサイトで見つけたのが、1989年モントルー・ジャズ・フェスティヴァルのChaka Khanとの共演テイク。Youtubeでも見ることができるけど、ここでの2人は神々しささえ感じられる。ほんと、音楽の神が降りてきた、というのはこういったことを指すんだな、と思えた瞬間。



3. Intro: MD 1 / Something's On Your Mind / MD 2
 シンセの古臭さが気になってしまうけど、2.に続いてMilesのプレイも調子がいい。しかしそれより気になってしまうのが、Milesの甥っ子Vince Wilburnのドラム・プレイ。オリジナリティもなく、無難で味もないプレイが曲を壊してしまっている。これじゃ安手のフュージョンだ。ジョン・スコも引っ込み過ぎ。もうちょっと頑張れよ。
 
4. Ms. Morrisine
 Darrylの8ビート・ダウン・ストロークによってロック・テイストを感じさせる、ブルース・テイストのナンバー。こういったシンプルな曲でこそ、Milesのソロは光る。終盤のJohn McLaughlinのソロがまた哀愁を掻き立てる。

5. Katia Prelude

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6. Katia
 そのMacLaughlinの当時の夫人、フランス人ピアニストKatia Labèqueの名前からインスパイアされた、かどうかは知らないけど、たまたまスタジオにいたんじゃないかと思われる。旧知の仲だけあって、ついついイジりたくなってしまうのだろう。
 やっぱりこれはMilesとMcLaughlinのアルバムなんだな、と思える瞬間が多々みられる。2人のインタープレイの掛け合いは気心の知れたセッションという生易しいものではなく、まさしく真剣勝負。『Jack Johnson』から14年、機は熟し、再度のつばぜり合いは引き分けとなった。

7. Time After Time
 こちらも超有名、永遠のスタンダードとなったCyndi Lauper一世一代の名曲のカバー。オリジナルは1984年、ビルボード首位の栄冠にも輝いた。
 そこまでベタに有名な曲であるはずなのに、そしてほんと素直にメロディをなぞっているだけなのに、このピュアさはなんだ。 ヴォーカルが入ってない分、メロディの美しさがすごく引き立っている。そしてMilesもまた、この旋律に自ら酔いしれている風もある。あまりに完璧に組み立てられたメロディは、生半かな気持ちで吹くわけにはいかない。
 余計なアドリブも入れずただ素直に、それだけでいい。
 Milesによって新たな視点で注目され、使い捨てのヒット曲に終わらずに済んだ奇跡のナンバー。



8. You're Under Arrest
 16ビート高速ファンクのタイトル・ナンバー。なんかリズムが違う、と思ったらやっぱりAl Fosterだった。熟練の技がすべて良いとは言わないけど、親類のコネで入ってきた男はやっぱり評価されづらい。こうやって比較して聴いてみると、悲しいくらいテクニックの差が歴然としているのがわかる。だってジョン・スコだってプレイが全然違うもの。

9. Medley: Jean Pierre / You're Under Arrest / Then There Were None




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「吐いたツバは飲み込まんどけよ」と言われてしまう音楽 - Miles Davis 『Live Evil』

folder 1971年にリリースされたMilesのライブ・アルバム。もう何枚目になるのかはわからない。ていうかこの時期のMilesはリアルタイムで発表されたアルバムに加え、膨大な発掘録音が次々リリースされているので、発表順というのは意味がなくなっている。
 ライブ・パートとスタジオ・パートの2部構成という珍しい構成になっているのだけど、正直聴くだけではその違いがほとんどわからない。クレジットを見て始めて気づくくらい、それほど全編スタジオ・テイクに近い感触になっている。どっちのヴァージョンでもTeo Maceroによる鬼編集が入るので、1組のアルバムとしては統一感があり、ちぐはぐな印象は感じられない。この辺がMilesから全幅の信頼を置かれていたスタジオ・マイスターたる所以だろう。
 Teoにとってはライブ・テイクもスタジオ・テイクもMilesのマテリアルとしては同等のモノであって、彼はただ商品として通用するように、それらの素材を並べ替えたりツギハギしたりするだけである。

 ライブだからといって、オーディエンスによる熱狂の歓声が入ってるわけではない。もともとモダン・ジャズという音楽自体がそういった種類の盛り上がりに欠けるものだし、ましてやMilesを見に来た観衆、その誰もが度肝を抜かれて呆然とするだけで、声を上げるのも忘れて聴き入ってしまっている。
 なので、観客をも巻き込むグルーヴ感というのが存在するわけもなく、ほとんどスタジオ・ライブのように明瞭でノイズもほぼない、静寂の中でその熱い狂宴は行われている。
 この時期のMilesにとって、そしてTeoにとっても観客の存在は重要ではない。彼らはただその瞬間に立ち会い、その濃密な音場の渦の中でアワワアワワと佇むだけだ。「お前らはただ金を払って、黙って俺の演奏を聴いてればいいんだ」とでも言いたげに、縦横無尽に自由奔放、かつ緻密にお膳立てされたパフォーマンスを展開している。

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 データ的な事を補足しておくと、ライブが行われたのは1970年12月16日から19日までの4日間、場所はワシントンの名門ジャズ・クラブ「The Cellar Door」にて行なわれた。約1時間の演奏を朝夕2セット、4日間で8セット行なわれ、このアルバムでは最終日19日の演奏を中心に構成されている。いわゆるオイシイどこ取りをするために、いつものようにTeo が呼び出され、怒涛のテープ編集にて商品として成立する形にブラッシュ・アップされている。
 曲によっては突然カットアップされたりモノローグが挿入されたりして、ライブ・パートも素材の一部として自由奔放な編集が展開されているので、一般的なライブ・アルバムというにはちょっと無理がある。捉え方としてはFrank Zappaのメソッドに近いものがある。
 で、このライブ・セッションのほぼ未編集版が後年6枚組でリリースされた『The Cellar Door Sessions』なのだけど、なんか聴く気がしない。歴史的な意義としてはわかるのだけど、そのディープかつ膨大な物量の前では、よっぽど体調を整えない限り対峙するのはちょっと無謀である。ていうか、聴きたいのは他にもいっぱいあるし。
 一応ビルボード・ジャズ・チャートでは4位、総合的チャートでは125位という成績なのだけど、まぁこれも彼にとってはそれほど重要なではなかったと思われる。次々と流動的に入れ替わるバンド・メンバー、久々に好調なチャート・アクションを記録した『Bitches Brew』の次を催促するCBSからのプレッシャーに挟まれながら、その『Bitches Brew』の向こうを追求するMilesにとって、そんな下々の戯言にいちいち耳を傾ける余裕などなかったのだから。まぁ他にも女だドラッグだで忙しかったせいもあるけど。

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 スタジオ・アルバムとしては1969年の『Bitches Brew』が最後で、次の『On the Corner』がリリースされるのは1972年だったため、3年のブランクがある。いくら帝王Milesとはいえ、斜陽のジャズ・シーンにとっては厳しい状況が続いており、既存のモード・ジャズからの脱却を果たしつつあって、さてこれからという時期。この間にフィルモアへの出演などロック・シーンへの接近を図っており、日ごとにオーソドックス・スタイルとのジャズとの訣別を進めつつあった。
 60年代末から70年代初頭というのは、社会・文化状況的にも未曾有の変化が起こっていた時代であって、ジャズを含むポピュラー・ミュージックもまたその例に漏れず、怒涛の奔流に巻き込まれるが如く、あらゆる変化を遂げていた。ちなみに俺が生まれたのは『Bitches Brew』リリースの年。乳幼児が時代の変化なんてわかるはずもないので、ぜんぶあとで知ったことだけどね。
 今のご時勢なら2、3年のインターバルを置くことなんて普通だけど、当時はどのアーティストのリリースもハイ・ペース、しかも音楽性の進化・変化が目ざましかった。当時のスタジオ・レコーディングの極限まで達したバロック的な『Sgt. Pepper’s』がアメリカン・ロック・テイストな『Let it Be』になってしまうまでがほんの2、3年、ついこの前まで元気発剌にモータウン・ポップを歌っていたStevie Wonderが”Living for the City”になっちゃうのもこの時期である。「こまっちゃうな」の山本リンダが「狂わせたいの」でウララーになっちゃうのも…、これはちょっと違うか。
 とにかく、当事者じゃなくてもごく普通の大学生でさえ、変わりゆく時代の流れを意識していたし、特に機を見るに敏なアーティストならなおさら、新たな表現手段を模索していた時代だったというのが、俺の個人的見解。

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 一見気難しくぶっきら棒に思われるMilesだけど、あぁ見えて結構面倒見の良い人で、ほとんど無名の新人をヘッドハントして複雑なバンド・アンサンブルの中で鍛え、いつの間にかひとかどのミュージシャンとして育ててしまうことで有名である。もちろんギャラを安く抑えるためという現実的な側面は否定できないけど、それでもクレジットに残るミュージシャンはどれもその後、それなりに独り立ちしている者が多い。
 なので、歴代のMilesバンドはよく学校に例えられるけど、まぁそこまで生優しいものでもない。無能は声すらかからないし、そこそこの無能だって一回呼ばれたきりで次のセッションには呼ばれなくなる。有能過ぎるのも考えもので、当然Milesのビジョンと折り合いをつけられず、不適正の烙印を押されてしまう。この辺のレベルになると組織論がからんでくるので、またややこしくなる。
 Milesに見込まれるくらいだから、どのミュージシャンにも基本性能・相応のテクニックはある。大事なのはバンドの進化について行く執念と伸びしろ、またMilesの意表を突くようなアイディアを持っているかどうか。
 テクニックに秀でた者ならいくらだっている。あのColtraneが最初にMilesバンドに入った時だって、当初はテクニックやキャラクター面でボロクソに言われていた。ただそれでもMilesは彼を起用し続け、その時はイマイチ冴えなかったけど、数年経って戻ってきた時には、対等に師匠と渡り合い、共にモダン・ジャズ会を背負って立つポジションにまで成長していた。しつこく言うようだけど、ギャラを安く抑えられた面もあったのだろうけど、やはり彼の中に何かしらの可能性を見出していたのだろう。
 そういった時のMilesの眼力は、見た目以上に優れている。

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 当時はChick CoreaもKeith Jarrettもまだペーペーだった。Milesバンド加入以前、2人とも保守新流的なモダン・ジャズ・ピアノを志向しており、もっぱらアコースティック・ピアノ専門で、エレクトリック機材はある意味蔑んでいたらしい。なのにMilesバンドでは有無を言わさずエレピを弾かされていたため、在籍中は結構ストレスが溜まっていた。ただそのストレスが功を奏したのか、オーソドックスな素養を極めた末でのヤケクソ的なフリー・フォームのプレイが全体のサウンドに刺激を与え、結果的に全体のアンサンブルを左右するまでの存在になった。
 Milesとしては、そこまで完成像を予測してコンバートしたつもりではなかっただろうけど、何となく「こいつら普通にやらせても面白くないから、ちょっと変わったポジションやらせた方がやらかしてくれるんじゃね?」的な思いつきがうまくマッチした好例である。
 そういった名采配、Milesには結構多い。もちろん誰でもいいというわけではない。一応、それなりのポテンシャルを有したプレイヤーじゃないと対応できないので、高い演奏スキルとセンスとが必要になる。
 もちろん、すべてがすべて上手くいったとは限らない。公式記録には残ってない、ほんとワン・ショットだけのセッションで戦力外通告され、二度とお声がかからなかった者も少なくはない。

 肝心の主役であるMilesのプレイやテクニックがそれほど取り沙汰されないのは、むしろこのような空間設定、トータル・コーディネートやコンセプト・メーカーとしての能力の方が秀でているせいもある。
 はっきり言っちゃえば、繊細なタンギングとは無縁のプレイ、特にエレクトリック機材導入以降は印象に残るハイ・ノートがあるわけでもない。いわゆるサビの部分に値するキメのフレーズやソロ・プレイなど、Milesならではの記名性の強いものではあるけれど、決して引き出しの多い人ではない。その辺はむしろ不器用な部類に入る。
 多分ハイ・ノートに限定すればLee Morganの方が上だろうし、総合的なテクニカル面で言うのならWynton Marsalisの方が明らかに勝っている。トランペッターのソロイストとしてのMilesは50年代で進化が止まっているのだ。
 ていうか電化以降に限らず、CBS移籍後のMilesにおいて評価されるべき点というのは別なところにある。前述したように、トータルとしてのサウンド・コーディネーター、次々と新境地を開拓してゆくフロンティア・スピリットこそ、60年代以降のMilesが志向したポジションであって、スペシャリストとしてのMilesはその時点で終わっているとも言える。

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 このアルバムに限った話ではないけど、この時代にリリースされたアルバムは『In a Silent Way』から『Bitches Brew』まで、いわゆる初期エレクトリック期での模索から生まれたスキル、そして今後完成型へ向けての過渡期的なサウンドがあらゆるスタイルで試されている。なので、ある意味どの作品も発展途上、未完成品のオンパレードである。
 「すべての路は『On the Corner』に続く」と言い切っちゃうのは極論かもしれないけど、結果的に当時の彼が目指していたのはそこである。後追いで聴いてきた俺的にはそう映るのだけど、もちろん当時のMilesに完成形が見えてるはずもなかった。なんとなく抽象的なビジョンは持っていたのだろうけど、それをいざ形にすること、本来なら矛盾する行為であるはずの「混沌をパッケージする」というジレンマが、そこかしこで散見される。

 旧来のジャズの話法とはまったく違う、新しい言語の獲得が電化Milesの大きなテーマである。そこに至るにあたって、数え切れない程のセッションやレコーディングを重ね、メンバーを取っ替え引っ替えしている。すべては『On the Corner』のために。
 とは言っても、その『On the Corner』さえ通過点でしかない。無理難題とも思われた混沌のパッケージングへの苦闘はアガパンの境地まで続き、そして突然、自ら強引に幕引きを図ることになる。この時点では知る由もないけど。


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 Michael Henderson (b)とJohn McLaughlin (g)とのつばぜり合いからスタート。終始呪術的なパーカッションで不穏さを演出しているのが、この頃ブラジルから出てきたばかりのAirto Moreira。そんな暴力的なセッションにからむMilesのワウワウ・トランペット。そんな「動」の磁場を引き裂くように「静」なるピアノを奏でるKeith Jarrett。
 ここでは各メンバーが思い思いのプレイを行なっているけど、ジャズの範囲を超えてはいない。そのギリギリのラインでの丁々発止を堪能するのが一興。

2. Little Church
 3分程度の幕間的ナンバー。これはスタジオ録音。『In a Silent Way』のアウトテイク的な幽玄として静謐なるナンバー。まぁ眠くなる効用はある曲。この辺に次のステップへの可能性を感じていたのかどうか。

3. Medley: Gemini/Double Image
 再びニューヨークのスタジオ・セッションより。以前『Jack Johnson』のレビューで書いたけど、ディストーションを効かせたMcLaughlinのプレイは確かにMiles思うところの「ロック的」な響きではあるのだけれど、どこか手習い的な感触が強く、「ロック的」ではあるけれど「ロック」じゃないよな、といつも思ってしまう。
 この頃はまだジャズ・フォーマットのサウンドのため、完全な電化サウンドにアクセントをつけたDave Hollandのアコースティック・ベースがフィットしている。
 セッションとしては冗長だったのか、まるでテープが途切れたかのようにバッサリと終了。それともこれが意図だったのか。

4. What I Say
 このアルバムの中では人気の高いナンバー。かつてここまでファンキーなKeithは聴いたことがない。その後もここまでぶっ飛んだプレイを見せることはなかった。若き天才ドラマーJack DeJohnetteは安定したプレイ。ベーシックなリズムがしっかりしているからこそ、Keithの奔放さが活きている。
 そんなメンバーに触発されたのか、Milesも久しぶりに見せるハイ・ノートを交えた高速プレイ。やればできるじゃん。



5. Nem Um Talvez
 再びニューヨーク・セッション。2.とほぼ変わらぬSteve Grossman (s.sax)とのユニゾン的小曲。ブリッジとしてはいいんだけど、確かにこのサウンドだけでフル・アルバムを作るにはちょっと厳しい。眠くなるには最適なんだけど。

6. Selim
 で、ここでも同じテイストのニューヨーク・セッション。もういいよ、ほんと寝てしまう。

7. Funky Tonk
 ラスト2曲は再び「Cellar Door」セッション。両曲とも20分を優に超えるファンキー・チューンで、一気に眠りから叩き起こされる。
 まるでギターのような音色とフレーズを繰り出すMiles。ここでは珍しく延々と長いソロを吹いている。特筆すべきは、メンバーの変遷が著しい電化Milesの中ではほぼ皆勤賞的な参加率を誇るHendersonのプレイ。手数の多さと独特のフレージングは長いこと屋台骨を支えてきており、ここでも安定の自己主張の強さをアピールしている。
 Gary Bartz(sax)のプレイはどことなく西海岸的でフュージョンの匂いも強いけど、こういった異分子の存在こそが一枚岩となったバンド・サウンドにアクセントを与えている。



8. Inamorata And Narration
 ほとんど7.と区別がつかないくらい、基本構造はほぼ同じナンバー。なのでこれもファンキー成分が濃い。
 なぜか挿入される俳優Conrad Robertsによるナレーション。これがいい感じのインターバル的な役割を果たし、終盤に向けての熱狂をさらに印象付ける。相互作用によってとどまる所を知らぬまま昂るテンション。そして、突然の終幕。
 Teoの技が光るナンバー。


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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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