好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Miles Davis

「次回をお楽しみに」のはずだったのに。 - Miles Davis 『Amandla』

folder 1989年リリース、帝王マイルス最後のオリジナル・アルバム。どの辺を最後とするか、人それぞれ解釈はあるだろうけど、完パケまで本人が関わったスタジオ音源という意味において、俺的にはこれが最後である。
 この後にリリースされた『Doo -Bop』は、もともと完パケ・テイクは6曲のみ、ワーナーに制作を託されたイージー・モービーが、残されたアウトテイクや断片フレーズをかき集め、ヒップホップ解釈でつなぎ合わせた、いわば編集モノ。なので、マイルスの意図がきちんと反映されていたかといえば、それもちょっと微妙。微妙だけど、結果的にはクールに仕上がってるので、俺的には結果オーライ。
 サウンド・プロデュースは、当時マイルスの右手というか、ほぼ両腕的存在と思われていたマーカス・ミラー。今回の新機軸は、ゴーゴーのリズムをフィーチャーした、とのことだけど、聴いてみれば通常営業のマイルス風ジャズ・ファンク、そこまでぶっ飛んだ仕上がりにはなってない。
 いわゆるキャリア末期とされているワーナー時代だけど、アーティスト:マイルス・デイヴィスはまだ枯れておらず、この『Amandla』もあくまで通過点だったはず。体力的な不安もあって、死期が近いことも察していただろうけど、「最高傑作は次回作だ」という名言を残しているように、いつもの現在進行形である。
 なので、いわゆるフェアウェル的な華やかさや悲壮感とは無縁、生演奏とMIDI機材との絶妙なコラボレーションが混在している。

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 デンマークでのオーケストラ・セッションで生まれた問題作『Aura』のリリースをコロンビアが拒否したことが発端となり、怒髪天マイルスは長年のパートナーシップを解消、ワーナーへ移籍する。彼クラスなら、どのレコード会社からも引く手あまただったはずだし、実際、水面下での交渉もあちこちで進めていたんじゃないかと思われるけど、なんでよりにもよってワーナーだったのか。
 ロック寄りのフュージョン/クロスオーバーのイメージが強く、80年代のワーナーはジャズ系はそんなに力を入れてなかったはず。ただ、ロック系のドル箱アーティストを多数抱えてウハウハだったワーナー、帝王を迎えるにあたり、契約金には糸目をつけなかった。マイルスもまた、当時はロック/ポップス系とのコラボを増やしてゆく動きもあったため、ブルーノートやアトランティックのようなジャズ本流レーベルとの契約は、最初から考えてなかったと思われる。
 コロンビアでは、永く帝王としてふんぞり返っていたマイルスだったけど、現役復帰以降は、その威光も薄れてゆく。もちろんジャズ・シーンをけん引してきたオピニオン・リーダーであり、功労者であることに変わりはなかったけど、時代はライト・フュージョンと新伝承派と二分化し、マイルスはそのどちらにも属さなかった。
 そのどちらも、もともとはマイルスが道筋をつけたものだったけど、80年代のジャズは彼のリードを求めていなかった。前線復帰したとはいえ、マイルスは古い水夫でしかなかった。往年のレジェンドに、誰も新機軸など求めやしない。コロンビアとしては、「So What」と「Round Midnight」の無限ループで充分だったはずなのだ。
 神々しいレジェンド枠に押し込めて、古参ジャズ・ファンから効率よく集金したいコロンビアの思惑と、進取の気性猛々しいマイルスとの食い違いは、次第に広がってゆく。『You're Under Arrest』でナレーションでゲスト参加したスティングのギャラ支払いでもめて、結局マイルスが自腹を切った、というエピソードは、関係の悪化を象徴している。

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 そんな按配で、何かと騒々しかった80年代のマイルス、日銭を得るための頻繁なライブ活動や、ロック/ポップス系アーティストとのコラボやゲスト出演に費やされたと思われがちだけど、膨大な量の未発表レコーディング素材が残されていたことが明らかになっている。近日リリースされる『Rubberband』を始めとして、ワーナー時代の未発表セッションは、きちんとした形ではまとめられていない。
 ブートで明らかになっている音源もあるにはあるけど、それほど世に出ているわけではない。ワーナー時代の再評価がまだ進んでいなかったせいもあって、今後はいろいろ発掘されるのかね。最近、急に話題になったユニバーサル・スタジオの火災でオシャカになってなければよいのだけれど。

 俺にとってのマイルスとは電化以降なので、いわゆるモダン・ジャズ時代のアルバムは、あまりちゃんと聴いたことがない。以前レビューした『Round About Midnight』は、メロウでありながらクールな佇まいが感じられて好きなのだけど、他のアルバムはあんまり身を入れて聴いていない。
 いや一応、ジャズの歴史・教養として、ひと通りの代表作は聴いてのよ。プラグド・ニッケルもマラソン・セッションも『クールの誕生』も。ジャズを聴き始めて間もない頃、右も左もわからないから、取り敢えずディスク・ガイドに載ってる歴史的名盤選んどきゃ間違いないべ、と買った『Kind of Blue』。結局2、3回聴いただけで、どっか行っちゃったし。
 俺的には、ワーナー時代のアルバムも結構好きなのだけど、コロンビアを離れてからタガがはずれ、コンテンポラリーに寄りすぎたせいもあって、世間的には評判はあまりよろしくない。最晩年というバイアスがなければ、まともに評価されることも少ない。
 ただ、90年代のレア・グルーヴ〜クラブ・ムーヴメントの盛り上がりによって、リアルタイムではあまり顧みられなかった電化時代が再評価されたように、そろそろこのワーナー時代にスポットライトが当てられるんじゃないか、と俺は勝手に思っている。コロンビア時代はもうかなり深いところまで掘り尽くされちゃったので、まともな未発表テイクが残っているのは、もうこの時代くらいしか考えられない。

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 で、『Amandla』。ここ数作、ほぼサウンド・メイキングには参加せず、マーカスが作ったカラオケにチャチャっとフレーズを吹き込んだモノが多かったのだけど、ここではライブ・バンドと行なったセッション音源がベースとなっている。ちょっとしたダビングやエフェクト処理でマーカスが手を加えている部分もあるけど、多くはライブで練り上げたアンサンブルを、スタジオでさらに磨きをかける、といったプロセスで仕上げられている。
 これまでは「またマーカスかよ」と、ちょっと辟易していたのだけど、この時期に行なわれた未発表セッションの存在を知ってしまうと、また見方が違ってくる。オフィシャル・リリースの流れだけ見れば、最晩年までマイルスとマーカスとの蜜月は続いていたと思われがちである。
 ただ丹念に歴史を辿ってゆけば、マーカスとの作業もマイルスにとってはオン・オブ・ゼムに過ぎなかったことが、明らかになっている。新たな刺激を求めて、時に自ら触媒となって、様々な異文化交流・異種格闘技が行なわれている。
 プリンスやチャカ・カーンとのセッションは有名だし、また、一度スタジオに呼ばれたけど、それっきり声がかからなかった、というミュージシャンは数知れず。最終的にマイルスが思うところのレベルに至らず、お蔵入りしてしまった音源は山ほどあるのだ。
 ただいくら没テイクとはいえ、そこはマイルス、二流のアーティストと比べれば、レベルは全然高い。彼のビジョンと違った仕上がりだったり、はたまた契約関係で表に出せなかった音源だったりの理由であって、クオリティ云々の問題ではない。
 そうなると、やっぱりユニバーサル・スタジオの火事が気になってしまう。とんでもないレベルの文化遺産逸失だぞ、あれって。

 で、当時のマイルスの思惑と一致したサウンドを作っていたのがマーカスだったのだけど、必ずしもそれに満足しているわけではなかった。なので、数々の未発表セッションや他アーティストへのゲスト参加なども、まだ見ぬネクスト・ワンを追ってのプロセスだった、と思えば納得が行く。
 復活以降のマイルスは、単独でクリエイトするのではなく、他者とのコラボレーションによる化学反応にウェイトを置いていた。自ら率先してサウンド・コーディネートするより、常に新たなアイディを得るためにアンテナを張り巡らせ、異ジャンル交流を積極的に行なっていた。
 ただそんなメソッドがすべてうまく行ったわけではない。旧知のミシェル・ルグランならともかく、多くのセッションは具体的な形に仕上げることができず、やむなくお蔵入りとなったわけで。
 そう考えれば、マイルスを納得させた上、ワーナーからの商業的見地も考慮した作品を何枚も作っているのだから、マーカスのレベルの高さ、いい意味での使い勝手の良さがダイレクトに反映されている。
 そう考えれば、テオ・マセロとのパートナーシップ解消は痛手だったよな。まぁ、お互い潮時だったんだろうけど。


Amandla
Amandla
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Miles Davis
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1. Catémbe
 この時期のマーカス・アレンジの典型、丁寧に構築されたシーケンス・ビートと効果的に配置されたシンセやソプラノ・サックス、その上を縦横無尽に吹きまくる御大。きちんと先読みしてシミュレートされながら、思惑とはちょっとズレたフレーズをぶち込んでくるのは、やはりスタジオ内での真剣勝負ならでは。
 とはいえ、絶対マイルスじゃないと、という必然性は感じられないサウンド・アプローチ。コンボ・スタイルのように、「打てば返ってくる」というセッションではないので、まぁ仕方ないか。

2. Cobra
 『Tutu』に続き、再度ワンショットでの登板となったジョージ・デューク:プロデュースのトラック。ケニー・ギャレット(sax)やマイケル・ランドゥ(g)が参加しているのが目を引くけど、そこまでの存在感をアピールするに至っていない。敢えて言うなら、ここでのマイルスのミュート・プレイはちょっと重厚感が増しており、ライブ感が引き出されている。やっぱ打って響かないと、底力は出ないものだな。

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3. Big Time
 ゴーゴーというにはややゆったり目だけど、マーカス尽くしだとのっぺりしたフュージョンで終わってしまうので、こういった毛色の違ったトラックがあった方が、アルバム構成的にはメリハリがつく。
 当時、やたらロック・サイドに急接近していたJean-Paul Bourelly(g)のプレイに触発されたのか、マーカスのベース・ソロもイイ感じに走ってる。まだ30前だったものね、マーカス。そりゃコンソールいじってるより楽しいわな。

4. Hannibal
 ケニー・ギャレットが吹くパートになると、途端にフュージョンになっちゃうのだけど、それ以外はマイルス渾身のプレイがあちこちに散りばめられて、聴きどころが多い。その後、ライブで定番になったくらいなので、まだ広がる可能性を秘めていたトラック。控えめながら、徐々にバンド・グルーヴの熱量を上げてゆくオマー・ハキムのドラム・プレイも必聴。

5. Jo-J
 やたらポップなアレンジで、当時は「なんか違う」感が強く、いまもそこまで思い入れの薄いトラック。「なんかこう、イケてるヤツ」って感じで御大にリクエストされてマーカスがシコシコプログラミングしてる様が目に浮かぶ。
 ただ、この後の『Doo-Bop』や未発表作『Rubberband』に象徴されるように、「いかにもジャズ/フュージョン」からの脱却を図っていたマイルスにとって、これもまたひとつの足掛かりだったのでは、と今になって思う。ここからもう少し発展してゆくはずだったんだろうな。

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6. Amandla
 タイトル・トラックは、比較的スタンダード・ジャズに近いシンプルなバラード。俺の好きな「Round Midnight」とテイストが似てるせいもあってか、聴いた回数は多い。ここではケニー・ギャレットもちゃんとジャズの顔をしている。
 ジョー・サンプル(p)が参加しているだけで、こんなにも空気感が違うものなのか。「このくらい、いつだってできるんだぜ」とダークにほくそ笑むマイルスの表情が透けて見えてくる。



7. Jill
 今まで気にしていなかったのだけど、この曲をプロデュースしたJohn Bighamって誰?と思ってググってみると、フィッシュボーンのギターの人だった。
 80年代中盤に出てきたミクスチャー・ロックの先駆けで、日本ではそこまでそこまでブレイクしなかったけど、御大はこんな新人クラスにもチェック入れてたんだな。ていうかマーカスが「こんな若手いますぜ」って口利きしたのかね。
 マーカスの場合、どうはっちゃけてもフュージョンになってしまうので、現在進行形のリズム・アプローチを取り入れるため、こうやって新世代・異ジャンルのアーティストを繰り返していたのだろう。このアルバムではこれ1曲だけだけど、まだ発表していないテイクもあるんじゃないの?

8. Mr. Pastorius
 タイトルが示す通り、1987年、不慮の死を遂げたジャコ・パストリアス(b)に捧げられた鎮魂歌。とはいえ、タイトルをつけたのはジャコに心酔していたマーカスで、デモ・テープの段階で打診したところ、マイルスはただうなずいただけだったらしい。もともとレクイエムなんてガラじゃないし、ジャコとプレイしたって聞いたことないので、ちゃんとした経緯は不明。
 それでもそれなりに才能は認めていたのか、リリシズムあふれるプレイが全篇に渡って展開されている。「ちゃんとした」ジャズをやろうと思ったのか、久しぶりにある・フォスター(d)まで駆り出されてるし。
 いややっぱり、「このくらいのことは、いつだってできる」人なのだ。
 ―でも、それだけじゃ足りなかった。そういうことだ。




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「ゴチャゴチャ言わんと聴かんかい」という音楽 - Miles Davis 『Get Up With It』

folder 1974年リリース、引退前最後のMilesバンド、1970年から74年にかけてレコーディングされた未発表曲のコンピレーション。後年になって評価が高まった電化マイルス期のスタジオ録音というのは、1972年の『On the Corner』までであり、それ以降の作品はすべてライブ録音である。そういえばそうだよな、改めて気づいた。
 多分、この時期のMilesはアルコールとドラッグによる慢性的な体調不良を抱えていたため、支払いが遅く時間の取られるスタジオ作業より、チャチャっと短時間で日銭の入るライブに重点を置いていたんじゃないかと思われる。野放図な当時の生活を維持するため、コロンビアのバンスもバカにならない金額になっていただろうし。
 とはいえ、まったくスタジオに入らなかったわけではない。この時期のセッションを収録したコンピレーションは、以前レビューした『Big Fun』もあるし、裏も表も含めて発掘された音源は、そこそこある。
 この時期のMilesセッションは、「長時間テープを回しっぱなしにして、後でスタジオ編集」というスタイルが確立していたため、マテリアルだけは膨大にあるのだ。それがまとまった形にならなかっただけであって。

 実際、収録されているのは、そのとっ散らかった72年から74年のセッションが中心となっており、70年のものは1曲だけ。その1曲が「Honky Tonk」なのだけど、メンツがまぁ豪華。John McLaughlin、Keith Jarrett、Herbie Hancockと、当時でも十分重量級だった面々が名を連ねており、これだけ聴きたくて買った人も相当いたんじゃないかと思われる。
 リリース当時は、酷評か黙殺かご乱心扱いだった『On the Corner』の布陣では、プロモーション的にちょっと引きが弱いので、無理やり突っ込んだんだろうな。Miles もコロンビアも、そのくらいは考えていそうだもの。

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 前述したように、この時期のMilesのレコーディングは、1曲通しで演奏したテイクが完パケとなることが、ほぼなかった。『On the Corner』も『Jack Johnson』も『Bitches Brew』も、プロデューサーTeo Macero による神編集が施されて、どうにか商品として出荷できる形に仕上げられている。
 「テーマとアドリブ・パートの順繰りをざっくり決めて、チャチャっと何テイクかセッション、デキの良いモノを本テイクとする」、そんなジャズ・レコーディングのセオリーとは明らかに違う手法を確立したのがMilesであり、彼が生み出した功罪のひとつである。プレスティッジ時代に敢行した、超スパルタのマラソン・セッションを経て、既存の手法ではジャズの枠を超えられないことを悟ったMilesがたどり着いたのが、レコーディング設備をも楽器のひとつとして捉えるメソッドだった。当時のポピュラー・シーン全般においてもあまり見られなかった、偏執狂的なテープ編集やカットアップは、電化に移行しつつあったMilesとの相性が格別良かったと言える。

 メロディやテーマもコードも埋もれてしまう『On the Corner』で確立されたリズムの洪水は、セッションを重ねるごとにインフレ化し、次第にポリリズミカルなビートが主旋律となる。メインだったはずのトランペットの音色も、電化によって変調し増幅され、音の洪水に埋没してゆく。制御不能となったリズムに身を委ね、自ら構成パーツのひとつとなることを望むかのように。
 『On the Corner』までは、バンマスとしての役割を辛うじて果たしてはいたけど、これ以降のMilesは、自ら生み出したリズムの怪物に振り回され、侵食されてゆく過程を赤裸々に描いたと言ってもよい。
 「混沌をコントロールする」というのも妙な話だけれど、『On the Corner』期のセッションでは、そのヒントが得られたはずだった。JBやSlyによって発明されたリズムからインスパイアされ、メンバーにもファンクのレコードを繰り返し聴かせた、というエピソードが残っているように、新たな方向性を見出して邁進するMilesの昂揚感が刻まれている。

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 「じゃあ、さらにリズムのインフレを人為的に起こしたら、一体どうなるのか?」というフィールド・ワークが、いわばこの時期のライブであり、スタジオ・セッションである。エンドレスに続くリズム・アンサンブルから誘発されるグルーヴ感に対し、無調のメロディをカウンターとしてぶつける、というのが、当時のMilesのビジョンだったんじゃないかと思われる。
 大勢による複合リズムに対抗するわけだから、単純に音がデカい、またはインパクトの強い音色でなければならない。なので、Milesがエフェクターを多用するようになったのも腑に落ちる。もはや「'Round About Midnight」のような繊細なプレイでは、太刀打ちできないのだ。
 「俺のソロの時だけ、一旦ブレイクしろ」と命令も無意味で、それをやっちゃうと、サウンドのコンセプトがブレる。リーダーの一声で制御できるリズムなんて、Milesは求めていないのだ。
 強いアタック音を追求した結果、ギターのウェイトが大きくなるのも、これまた自然の流れである。ただ、Milesが求めるギター・サウンドは、一般的なプレイ・スタイルではなかった。かつてはあれだけお気に入りだったMcLaughlinの音でさえ、リズムの洪水の中では大人しすぎた。
 カッティングなんて、気の利いたものではない。弦を引っ掻き叩く、まるで古代の祝祭のごとく、暴力的な音の塊、そして礫。流麗さや優雅さとはまるで対極の、感情のうねりと咆哮-。

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 そんな流れの中では、どうしても分が悪くなるのが、ピアノを筆頭とした鍵盤系。アンプやエフェクトをかませてブーストできるドラムやギターの前では、エレピやオルガンは立場が薄くなりがちである。
 もう少しパワーのあるシンセだって、当時はモノフォニック中心で、スペック的には今とは段違い、ガラケーの着メロ程度のものだったため、あまりに分が悪すぎる。メロディ・パートの表現力において、ピアノは圧倒的な優位性を有してはいるけど、でも当時のMilesが求めていたのは、そういうものじゃなかったわけで。
 リズム志向とは別枠で、電化マイルスが並行して模索していたのが、Stockhausenにインスパイアされた現代音楽の方向性。メロディ楽器というより、一種の音源モジュールとしてオルガンを使用、自ら演奏しているのが、収録曲「Rated X」。ゾロアスターの教会音楽や二流ホラー映画のサントラとも形容できる、既存ジャズの範疇ではくくれない実験的な作品である。
 ただこういった使い方だと、いわゆるちゃんとしたピアニスト、KeithやHerbie、またChick Coreaだって使いづらい。言っちゃえば、単なるロング・トーンのコード弾きだし、いくらMilesの指示とはいえ、やりたがらないわな。

 「ジャズに名曲なし、名演あるのみ」という言葉があるように、ジャズの歴史は主に、プレイヤビリティ主導で形作られていった。すごく乱暴に言っちゃえば、オリジナル曲もスタンダード・ナンバーも、あくまでセッション進行の目安に過ぎず、プレイヤーのオリジナルな解釈やテクニック、またはアンサンブルが重視される、そんなジャンルである。
 スウィングの時代なら、口ずさみやすいメロディや、ダンスに適したノリ重視のサウンドで充分だったけど、モード・ジャズ辺りから芸術性が求められるようになる。「ミュージシャン」が「アーティスト」と呼ばれるようになり、単純なビートや旋律は、アップ・トゥ・デイトな音楽と見なされなくなっていった。
 時代を追うに従って、ジャズの芸術性は次第に高まっていった。そんな中でも先陣を切っていたのがMilesである。若手の積極的な起用によって、バッサバッサと道なき道を開拓していった。

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 ただ、ジャズという枠組みの中だけでは、新規開拓も限界がある。60年代に入ったあたりから、モダン・ジャズの伸びしろは頭打ちを迎えることとなる。
 プレイヤーの表現力や独創的な解釈に多くを頼っていたモダン・ジャズは、次第にテクニック重視と様式美に支配されるようになる。ロックやポップスが台頭する中、冗長なインタープレイと腕自慢がメインとなってしまったジャズは、すでに伝統芸能の領域に片足を突っ込んでいた。
 ヒップな存在であったはずのMilesが、そんなジャズの窮状に明確な危機感を感じたのが、ファンクの誕生だった。「-今までやってきた音楽では太刀打ちできない」、そう悟ったのだろう。
 いわば電化マイルスとは、既存ジャズへの自己否定とも言える。好き嫌いは別として、モード以降のジャズを作ったのがMilesであることは明確だし。

 これまでのジャズの人脈とはちょっと外れたミュージシャンを集め、冗長なアドリブ・パートを廃し、ひたすら反復リズムを刻むプレイに専念させる。そこにスター・プレイヤーや名演は必要ない。集団演奏によって誘発される、邪悪でデモーニッシュなグルーヴ。それが電化マイルスの基本ビジョンだったと言える。
 これまでジャズのフィールドにはなかった現代音楽やファンク、エスニックの要素を取り入れた、複合的なごった煮のリズムとビートの無限ループ。その音の洪水と同化しつつ、クールな頭脳を保ちながら最適なソロを挿し込む作業。その成果のひとつ、電化マイルスの第一の到達点が『On the Corner』だった。

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 じゃあ、その次は?
 Milesが隙間なく組み上げたサウンドとリズムの壁は、盤石なものだった。なので、あとはもう壊してゆくしかない。
 ただ、完璧に壊すためには、完璧に創り上げなければならない。もっとリズムを・もっと激しく。リズムのインフレの始まりである。
 こうなっちゃうと、もう何が何だか。どこが到達点なのかわからなくなる。
 -完璧なサウンドなんて、一体誰が決める?
 そりゃもちろんMilesだけど、そのジャッジはとても曖昧だ。ただでさえ、酒やドラッグで精神も脳もやられているため、朝令暮改が日常茶飯事になる。昨日言ったこと?ありゃナシだ。もう一回。
 未編集のまま放り出された録音テープが溜まりに溜まり、いつものTeoに丸投げするけど、もはや彼の手にも追えない。だって、あまりに脈絡が無さすぎるんだもの。どう繋いだり引き伸ばしたりしても、ひとつにまとめるのは無理ゲー過ぎ。

 なので、『On the Corner』以降の作品が、このようなコンピレーションかライブ編集モノばかりなのは、致し方ない面もある。逆に言えば『Get Up With It』、無理にコンセプチュアルにまとめることを放棄し、多彩な実験を無造作に詰め合わせたことによって、当時のMilesの苦悩ぶりが生々しく表現されている、といった見方もできる。
 誰もMilesに「ハイ、それまでよ」とは言えなかった。自ら崩壊の過程を線引きし、その線をなぞるように坂道を転げ落ち、最期のアガ・パンにおいて、志半ばで前のめりにぶっ倒れた。
 後ろ向きには倒れなかった。これが重要なところだ。試験に出るよ。





1. He Loved Him Madly
 1974年、ニューヨークで行われたセッション。レコーディング中、Duke Ellingtonの訃報の知らせを聞き、追悼の意を込めてプレイされた。そんな事情なので、ミステリアスな沼の底のような、地を這うようなサウンド。呪術的なMtumeのパーカッションと交差するように、ジャズと呼ぶにはオルタナティヴ過ぎなPete Coseyら3本のギター。ジャズとして受け止めるのではなく、かなりイっちゃったプログレとして捉えことも可能。あんまり抑揚のないプレイだけど、Pink Floydがジャズをやったらこんな感じ、と思えば、案外スッと入ってこれるんじゃないかと思われる。
 ちなみにMiles、前半はほぼオルガンに専念、後半になって浮遊感に満ちたワウワウ・ソロを披露している。

2. Maiysha
 一昨年話題となった、Robert Glasper & Erykah Baduコラボ曲の元ネタ。1.とほぼ同時期に行われた、カリプソ風味のセッション。またオルガンを弾いてるMiles。この頃、マイブームだったんだろうな。
 カバーだオリジナルだと区別する気はないけど、この曲においては、Glasperのアイディア勝ち。Erykah Baduもこういったコラボにお呼びがかかることが多いけど、シンガーに徹したことによって、変なエゴが抑えられて程よい感触。
 Milesが土台を作ってGlasperがコーディネート、彼女によって完成された、と言ってもいいくらい、渾身のクオリティ。漆黒の重さを求めるならオリジナルだけど、ポップな歌モノを求めるなら断然こっち。多分Miles、Betty Davisにこんな風に歌って欲しかったんじゃないか、と勝手に妄想。



3. Honky Tonk
 ジャズ・ミュージシャンがロックをやってみたら、こうなっちゃました的な、McLaughlinのためのトラック。一瞬だけスタメンだったAirto Moreiraのパーカッションが泥臭い風味で、単調になりがちなサウンドにアクセントをつけている。まだ電化の発展途上だった70年のレコーディングなので、Milesもオーソドックスなプレイ。彼が思うところの「ロック」はブルースに大きく寄っており、ジミヘンの出すサウンドに傾倒していたことが窺える。
 そんな感じなので、KeithとHerbieの影はとてつもなく薄い。どこにいる?

4. Rated X
 「人力ドラムン・ベース」と俺が勝手に評している、キャリアきっての問題作。要はそういうことなんだよな。ジャズというジャンルからとことん離れようとすると、ここまで行き着いちゃうってことで。テクノと教会音楽が正面衝突して癒着してしまったような、唯一無二の音楽。無限リズムの中を徘徊し、気の赴くままオルガンをプレイするMiles。本職なら選びそうもないコードやフレーズを放り込みまくっている。



5. Calypso Frelimo
 カリプソとネーミングされてるため、享楽的なトラックと思ってしまうけど、実際に出てくる音は重量級のファンク。『On the Corner』リリース後間もなくのセッションのため、余韻がハンパない。なので、ワウワウを効かせまくったMilesのプレイも至極真っ当。このタッチを深く掘り下げる途もあったはずなのだけど、サウンドの追及の末、ペットの音色さえ余計に思うようになってしまう。

6. Red China Blues
 1972年録音、珍しい名前でCornell Dupree (G)が参加、ドロドロのブルース・ナンバー。ハーモニカはうなってるし、ホーン・セクションもR&B風。「へぇ、よくできまんなぁ」と絶賛したいところだけど、誰もMilesにオーソドックスなブルースは求めていないのだった。ギターで弾くフレーズをトランペットで鳴らしているあたり、こういった方向性も模索していたんだろうけど、まぁそんなに面白くはない。自分でもそう思って、ボツにしちゃったんだろうな。

7. Mtume
 レコードで言うD面は人名シリーズ。タイトル通り、パーカッションをフィーチャーしたアフロチックなナンバー。もはやまともなソロ・パートはなく、引っかかるリフを刻むギター、そしてパーカッションの連打連打連打。
で、Milesは?存在感は薄いけど、最後の3分間、ビートを切り裂くようなオルガンの悲鳴。さすがフレーズの入れどころがわかってらっしゃる。

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8. Billy Preston
 あのBilly Preston。Beatles 『Let it Be』で一躍脚光を浴びた、あのBilly Prestonである。ソウル好きの人なら、「Syreetaとコラボした人」と思ってるかもしれない。でもこのセッションBlly Prestonは参加してないという不思議。どこいった?Bille Preston。
 曲自体はミドル・テンポの軽めのファンク。このアルバムの中では比較的リズムも安定しており、Milesも真っ当なプレイ。あ、こんな言い方じゃダメだな、電化が真っ当じゃないみたいだし。





 

「俺の欲しい音わかるよな?」と脅して作らせた音楽 - Miles Davis 『Tutu』

_SX355_ Milesが辿ってきた音楽的変遷というのは、要は「どれだけジャズというジャンルから逃がれられるか」の軌跡である。既存の枠にカテゴライズされることを忌み嫌い、「俺自身がジャンルだ」と気を吐くのは昔からのことで。やっぱJBとかぶるよな、こういうとこって。
 とはいえ、本人がどう思おうが、Milesはどこまでもジャズの人である。ビバップ以降のジャズの可能性を広げたのは、どうしたってこの人だし。

 30年もの間、所属していたコロンビアは基本、彼をジャズのカテゴリで売り出し続け、5年のブランクを置いての復帰後も、これまで通り、快く迎え入れた。何の問題もない。彼はすでに生きる伝説だった。
 80年代のコロンビア・ジャズは、20代の若手主導による新伝承派と、70年代残党によるフュージョン/クロスオーバーとが主力で、それらのオピニオン・リーダーとなっていたのがWynton Marsalis とHerbie Hancock だった。
 ポピュラー界全体でも、まだ一般的ではなかったスクラッチと無限変速のダンス・ビートによって、大きなインパクトを与えた「Rockit」の成功は、商業的にも大きな成功をもたらした。その基本は、70年代からのジャズ・ファンク〜R&B路線をアップデートさせたものだが、市場のニーズと彼の嗜好とがうまくシンクロした結果である。
 Herbieの優れた点は、そういった大衆路線と並行して、VSOPでスタンダード路線もしっかり押さえていたところ。『Future Shock』だけなら単なるご乱心だけど、「伝統的な4ビートだって忘れてないんだぜ」的な二面性を保つことによって、保守派ジャズ・ファンからも一目置かれるポジションをキープしていた。
 対して、先祖返りのモード・ジャズの再発掘とされる新伝承派もまた、保守派ジャズ・ファンの間では安定した人気を誇っていた。Wyntonに並ぶスター・プレイヤーの不在によって、フュージョン一派ほどポピュラーな存在ではなかったけど、成長株として評価はされていたし、特に日本での人気は高かった。

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 で、そんな状況下でMilesに求められていたこと。コロンビアとしては、どっしり構えたレジェンドとして、悠然たるモード・ジャズをやってもらいたかった、というのが正直なところ。若手の総元締めとして、新伝承派のルーツを演じてもらいたかったのだ。
 完全にドラッグから足を洗ったわけではなく、体だってボロボロだったから、今さら新しい音楽なんてできるわけないし。言ってしまえば、金のために復帰したんだし、それならそれで、過去の遺産でお茶を濁したって、誰も責めやしない。それだけのことをやってきた人だし、二流のミュージシャンの新作よりは、ずっと出来だっていいはず。
 でも、そうじゃなかった。
 帝王は常に「その次」を見続けていた。

 モード・ジャズもフュージョンも、すべてはMilesが最初に始めたものであり、主義として過去を振り返らない彼が、今さら手をつけるものではなかった。帝王にとって最高傑作とは、常に次回作だ。
 -なんで俺が、二番煎じの片棒担がなきゃなんねぇんだ?
 きっとそう思っていたことだろう。
 混沌を未整理の状態で表現した最高峰が『アガ・パン』だとして、果たしてそれが多くの聴き手に理解できたかといえば、正直難しいところ。『On the Corner』は好きな俺も、『アガ・パン』は最後まで通して聴けたことがない。
 その混沌としたジャズ・ファンクの素材を整理・加工し、コンテンポラリーな商品としてマーケットに流通させることが、80年代Milesのコンセプトだったと言える。

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 セッション中、テープを回しっぱなしにして、不協和音スレスレのハーモニーや変速リズムが録音された素材を編集、どうにか商品の形にまとめていたのが、プロデューサーTeo Maceroだった。特に電化以降のMilesがコンスタントにアルバムをリリースできたのは、彼の巧みなテープ編集技に依るものが大きい。
 ただ復帰後のMilesは、よりコンテンポラリーな方向性を求め、職人肌のTeoとは次第に距離を置くようになる。自らの仕切りによる漫然としたセッションに見切りをつけ、バックトラックの外注化を推し進めたのが80年代である。70年代のジャズ・ファンク路線を踏襲しながら、まとめきれなくなった音の洪水を整理し純化する作業を、まだ20代のMarcus Millerに委ねることとなる。

 もともとフュージョンのGRPを入り口としてこの世界に入ったMarcus が、すでに過去の偉人扱いだったMilesのバック・カタログをどれだけ聴き込んでいたかは疑問だけど、MIDI機材を駆使したアップ・トゥ・デイトなサウンドを具現化できる彼のスキルは、得がたいものだった。
 Miles思うところのモダンなサウンドを作らせ、最後に朗々としたミュート・ソロを入れたらできあがり。『Star People』も『You're Under Arrest』も『Decoy』も、Miles自身はサウンド・メイキングに何ら関与していない。多少は口出ししたかもしれないけど、ほぼ「Marcus 思うところのMiles的サウンド」で構成されている。「Time After Time」も「Human Nature」も「Perfect Way」も、Milesが「これやりてぇ」とつぶやいたら、「かしこまりっ」てな具合で、きっちりパッケージングしてくれる。
 何かと使い勝手の良い男である。

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 でもしかし。
 Milesのそんな先進性は、コロンビア的には歓迎すべきものではなかった。
 何も新しいものなんか期待していない。ただ普通に、「Round About Midnight」や「Birth of Cool」だけやってもらえれば、営業戦略的にはよかったのだ。
 伝統芸能としての古典ジャズがあり、その頂点に位置するMiles。大御所たるもの、安易に目先の流行に惑わされものではない。静かなる水面のごとく、数年に一度、悠然かつ堂々とした正攻法の4ビートを奏でてくれればよい。営業サイドも、内心そう思っていたはずで。
 なのに、何だあの野郎、毎年毎年アルバム作りやがって、そんなんじゃレア感出ないじゃないの。時代に合わせたサウンドなんて、もっと若手に任せときゃいいものを、帝王がそんなチャラい音楽やってどうすんの?
 コロンビアとしては、そこまでフットワークの軽い活動は望んでなかったはずだ。だって、バック・カタログのリイッシューやボックス・セットで十分ペイできるんだし。

 当時のMilesへのインタビューを読めばわかるけど、ベルリン・フィルとの共演企画に始まる、とにかく権威づけして神棚に祀っておきたいコロンビアの思惑が、帝王との方向性のズレを示唆している。
 復帰以降では、最も突出してプログレッシブな内容の『Aura』のリリースに難色を示したコロンビアに憤慨したMilesは、ワーナーに移籍してMiles的オリジナルの探求、そして存命中には叶わなかったポップ・スターとしてのポジションを追い求めることになる。
 コロンビアの立場に立って考えると、まぁ別に気張らなくたって安定したセールスは見込めるんだし、何もそんなシャカリキにならなくてもいいんじゃね?と思っていても不思議はない。時々アニバーサリー的な作品を出して、あとはベストかアーカイブで凌いでくれた方が、レコーディング経費もかからないわけだし。
 なまじ覚醒しちゃったベテランの手綱を操るのは、容易ではない。ジャズから離れようとしながら、同時にジャズ界のイノベーターでもあろうとするMilesの、そこがめんどくさいところで。

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 で、再度Marcus を呼びつけて、「俺の言ってることわかるよな?」的に恫喝、バックトラックを全部丸投げして一気に作らせたのが、この『Tutu』。方法論としては、『Star People』 以降と大きな変化はない。
 コンセプトメイカーとしてのMilesの感性は、時代の変遷で風化するものではないけど、サウンドメイカーとして見るのなら、ちょっと評価は違ってくる。その辺はやっぱ年の功もあって、時代に即したサウンドを単独で作るには、ちょっとムリがある。
 Cyndi LauperやScritti Polittiなど、ポピュラー・ヒットへの着眼点は眼を見張るものがあるけど、それに比したサウンドを作るとなると、話はまた別になる。だからこそ、Marcus のような存在が必要なわけで。
 ソロイストとしてのスキルを極めるより、集団演奏によるトータル・サウンドの空間演出に力を注いできたのが、コロンビア以降のMilesである。スペシャリストによるアンサンブルも、フェアライトで緻密に組み立てられたシンセ・サウンドも、要はMilesのミュートを引き立たせるための大掛かりな演出なのだ。
 最後の一筆を入れるがごとく、完成されたバックトラックの隙間を縫うように、ペットの音色を吹き込むMiles。トラックの隙間を埋めるのは、単なるペットの音色ではなく、長い余白と余韻の如く、サウンドを切り取るブレスだ。
 綿密に構築された喧騒の中、そっと射し込まれる沈黙。
 行間に「意味」を吹き込むMiles的ジャズ・ファンクの最終形である。


Tutu
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1. Tutu
 まさかジャズの、しかもMilesのアルバムでオーケストラ・ヒットを聴くとは思いもしなかった。でもそこ以外はスロウな大人のジャジーなファンク。

2. Tomaas
 この曲のみ、MilesとMarcusの共作名義となっているけど、本当の主役はOmar Hakim。世代が近いだけあって、Marcusとのコンビネーションも絶妙。どちらも複雑かつバラバラなリズム・アレンジなのに、さらにその上を行ってMilesが俺様状態で引っ掻き回すものだから、結局のところはうまく着地点を見つけているという、何とも変な曲。

3. Portia
 ちょっぴり切なく感傷的な音色を奏でるMilesだけど、やたらリズムのエッジが立っているため、メロウさはあまり感じられない。逆か、ほとんどリズムだけのサウンドにMilesが泣きのフレーズをぶち込んでいるのか。ドラム・マシンの音がデモ段階っぽく粗めに聴こえるけど、その辺はミスマッチ感を誘っているのか。

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4. Splatch
 ややコミカルさもある、打倒Harbie的、リズムライクなファンク・チューン。3.同様、いま聴くとドラムの音がショボいのだけど、変則リズムを際立たせるには、音色は逆にシンプルな方がいいのだろうな、と今になって思う。

5. Backyard Ritual
 この曲のみ、George Dukeのプロダクションによるもの。かなりジャズ臭さが抜けて、フュージョン寄りのバックトラックは、Milesの今後の方向性を示唆することになる。もちろん、正面切ってのフュージョンじゃないけどね。ここでの聴きどころはGeorgeではなく、Marcusのバス・クラリネット。軽いリズム・アレンジの中で地表スレスレを這うかのように重い響きは、わかっていてもちょっとドキッとする。

6. Perfect Way 
 流行りモノの中でもちょっとはマシだと思ってフィーチャーしたのかと思ってたら、なんとこの後、彼らのアルバムにゲスト参加するくらいだから、よほどGreenのプロダクションが気に入っていたのだろう。一応、何年かに一度の再評価はあるけれど、寡作ゆえ80年代と共にフェードアウトしていったScritti Polittiを、色眼鏡抜きで相応の評価をしていたのは、音楽「だけ」を視るMlesらしいエピソードではある。しかし、これをレパートリーに入れちゃうんだから、新しモノ好きでもあったんだろうな。



7. Don't Lose Your Mind
 シモンズの高速フィル・インを交えた、レゲエをベースとしたナンバー。この曲など特にそうだけど、Marcusのサウンド・メイキングの秀逸な点は緩急のつけ方。御大がソロを入れそうな「音の隙間」をきちんと作っている。スッと滑り込ませるようにフィーチャーされるMilesのソロ。でも、それも計算のうちなのだ。

8. Full Nelson
 アパルトヘイトへの批判を訴えたプロジェクト「Sun City」への参加を経て、インスパイアを受けたNelson Mandelaをテーマとしたナンバー。オープニングはギター・カッティングをメインとしたどファンクで、当時、レコーディング参加が噂されていたPrinceからのインスパイアも感じられる。12インチ・シングルとしてリリースされているくらいなので、ごく一部ではダンス・チューンとしての需要もあったと思われる。
 Milesとしては、ダンス・フロアでのリスニング・スタイルを求めていたんだろうな。





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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。ただでさえ時間ないのに、また新しい音楽ブログ『80年代の歌謡曲のアルバムをちゃんと聴いてみる』を始めてしまい、どうしようかと思案中。
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