好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Laura Nyro

「女」であり、「母」であるということ。 - Laura Nyro 『Mother's Spiritual』

51iRe5jF6VL 1984年リリース、前作『Nested』から6年ぶり、7枚目のオリジナル・アルバム。US最高182位という成績なので、正直、あまり知られてない作品である。彼女が精力的に活動していたのは60年代末から70年代にかけてなので、後期の作品はどうしても印象が薄い。

 以前、初期のLauraの歌が苦手だと書いた。それは今も変わらない。
 一般的にLaura Nyroといえばその初期のイメージが強く、「キリキリ張り詰めた切迫感」「むき出しの激情ソング」という枕詞で紹介されることが多い。実際、認知度が高いのも、初期の3作に集中しているし。
 対して後期の作品は、チャート・アクションが示すように印象が薄く、日本でも本国アメリカでもやんわりとスルーされている感が強い。激動の時代を駆け抜けた後のウイニングラン、いわば全力疾走でゴールした後の余韻で作られたもの、と受け止められている。磨かれる前の原石は魅力的だったのに、いざ磨いちゃうとイヤ実際うまくまとまってはいるんだけど、変に角が取れすぎちゃって新鮮さが失われたというか。

 Lauraに限った話ではなく、キャリアの長いシンガー・ソングライターの多くは、こういったジレンマを抱えている。サウンド・メイキングの多様化を「商業主義に走った」と一蹴され、ソングライティングのスキルが上がると「技巧に走った」と責められる。
 粗野でアラの目立つ初期作品より、完成度は確実に上がっているはずなのに、古くからのファンは、いつまでも全盛期と自身の青春期とをオーバーラップさせてしまう。なので、彼らは音楽的なクオリティより、初期衝動や未完成のサウンド・スタイルを好む。
 まぁ、わからなくはないけど。

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 デビューから一時休業までの彼女にとって、音楽とは人生のすべてであり、思いのたけをぶつける手段だった。ソウルやジャズ、ゴスペルをルーツとした彼女の歌は、未加工の素材が放つ儚げな美しさを醸し出していた。白人版Nina Simone とも称されるソウルフルなヴォーカルやパフォーマンスは、あのMiles Davisさえ一目置くほどだった。
 むき出しのエゴと相反する少女性。ピアノ、そして音楽そのものとガチで格闘するかの如く鬼気迫るプレイは、ライブだけでなく、残されたスタジオ音源からも露わになっている。
 この時代のLauraに音を楽しむ余裕はない。そこにあるのは、叩きつけるピアノと絞り出す肉声、音楽そのものをねじ伏せようと足掻く力技だ。
 音楽だけでなく、自らを取り巻くすべてに対して、シリアスにならざるを得ない時代だった。自分の表現を押し通すため、拳を握り奥歯を噛みしめることが、60年代を生き抜くライフスタイルだった。身を守るために尖らせたヤマアラシの棘は、聴く者の心を搔きむしり、時に容赦なく深い傷痕を残した。

 70年代に入り、潮が引くように喧騒が収まり、真空状態のような空白が訪れた。平和な時代の到来と共に、棘はその突き刺す対象を失った。握りしめた拳はぶつけるべき対象がなくなり、ただ虚を打つばかりだった。
 どこかに怒りをぶつけていないと収まらない者は、時代のステージから降りていった。怒りの対象は曖昧模糊に形を変え、巧妙に表舞台から姿を消していた。60年代の余韻は怠惰と虚無に紛れていった。
 憑き物が落ちたように、Laura もまた、握りこぶしと張り詰めていた糸を緩めた。パートナーを見つけ、そして新たな命を授かった。かつて心の寄る辺にしていた音楽に取って代わり、新しい家族が彼女にとっての生きがいとなった。
 そして彼女は一旦ステージを降り、家庭に入る道を選んだ。それに伴って、引きつっていた笑顔が少し和らいだ。子ども相手には、その方がよい。

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 ハイペースでアルバムをリリースしていた引退前と比べ、復帰後の彼女のリリース・ペースはひどく緩慢になった。
 一時、音楽業界から身を引き、客観的な視点を身につけたLaura の音楽は、明らかに変化した。素朴なピアノ弾き語りと、豊かな表現力を持つ歌声だけで成立していた初期と比べ、ジャズ・フュージョン系のミュージシャンを多く起用して、緻密なアンサンブルを構築するようになったのが後期である。ネガティヴな恋愛観を主軸としたパーソナルな世界観は一掃され、家族愛や自然への賛美など、地に足のついた一人の母親の目線は、後期に培われた。
 それは、音楽のミューズに愛されたアーティストとして、成長の証である。でも大抵、古くからのファンは劇的な変化を嫌う。いつまでも「あの頃」のLauraを求めてしまうのだ。前を向いて進むアーティストにとって、それはめんどくさい相手である。

 あまりにテンションの高いパフォーマンスゆえ自制が効かず、例えばレコーディングにおいても、テイクごとに全力を使い切ってしまう。体力的な問題もあったのか。ほぼリテイクなし・一発録音で仕上げていたのが、初期のLaura である。細かなアラやミスプレイもなんのその、整合性よりエモーショナルな部分を重視していたため、バック・トラックにまで気を配る余裕を持てなかった。
 対して熟考を重ね、レコーディングに時間をかけるようんなったのが、復帰後のlauraである。

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 取り上げるテーマが母性愛やフェミニズムに傾倒するに従い、Lauraのサウンドはバンド/アンサンブル主体に移行してゆく。感情の赴くままパッションをぶつける、ピアノをメインとしたシンプルな初期サウンド・スタイルは、コンセプトとフィットしなくなっていた。大らかな母性を含んだLaura の歌声と言葉は、フュージョン系のアーティストを多数起用して、彩りの深いソフト・サウンディングを希求した。
 これまでとは違うベクトルのメッセージを余すことなく伝えるため、サウンドには緻密さと確かな表現力が求められる。レコーディングにかける時間は膨大なものになった。
 復帰後間もなく、彼女はシングル・マザーとなり、家族と過ごす時間を何よりも優先した。並行して、表現者としての自分もいる。家族優先での活動は断続的となり、まとまった時間を取るのも困難になる。
 家族と過ごす時間を優先し、何年かに一度、まとまった時間を捻出して音楽活動を行なう女性アーティストとして、竹内まりやとダブる部分も多い。ただ、まりやは山下達郎という、公私を共にするパートナーに恵まれたおかげで、焦らずマイペースな活動ぶりである。
 離婚後のLauraもまた、プライベートにおいてはMaria Desiderioというパートナーと出会ったけれど、音楽面での固定したパートナーは、遂に持たずじまいだった。両方を満たすパートナーに出逢えなかったのか、それとも、彼女が要求するレベルに達する者がいなかったのか。
 そうなると、すべてを独りで行なわなければならない。

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 『Mother’s Spiritual』制作にあたり、一時的にパートナーシップを組んだのが、旧知の仲だったTodd Rundgrenである。関係ないけど、そういえば山下達郎に雰囲気似てるよな。
 この時期のToddは、ソロ・デビューから長らく所属していたべアズヴィルと契約解消し、少しの間、表舞台から遠ざかっていた頃である。シングル・ヒットを狙ってパワー・ポップ路線に転じていたUtopiaは、セールス不振によって活動がフェードアウト、ソロ・アーティストとしてよりプロデューサーの仕事が多くなり、何をやってもうまく行かなかった時期にあたる。
 もともと、『A Wizard, A True Star』でのブルーアイド・ソウルへの熱烈なオマージュも、「Gonna Take a Miracle」を始めとしたLauraの歌からインスパイアされたものであるし、Nazz時代にバックバンド結成を持ちかけられたりなど、まぁ狭い業界なので何かと繋がりはあったらしい。
 アーティストとしては互いにリスペクトはしているのだろうけど、何となくToddが便利屋的にこき使われてるんじゃないかと思ってしまうのは、きっと俺だけではないはず。Lauraを有能なアーティストとして見ていたのか、それとも1人の女性として見ていたのか―。
 振り回されてる感のあるToddの本心は半々だったろうけど、少なくともLaura にとって、Todd Rundgrenという男性は重要ではなかった。彼女のため、スタジオ・ワークの細々した仕事や調整を引き受けてくれる彼に、好意以上の思いを持っていたとは思えない。
 結局、Liv Tyler の時もそうだったけど、恋愛対象になるほどじゃないんだよな、この人。

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 女性シンガー・ソングライターにありがちな、「男女間の恋愛」というパーソナルな狭義に収まらず、もっと広いレベルの人間愛や家族愛、そしてオーガニックな自然への感謝が、『Mother’s Spiritual』のメインテーマである。女性運動への傾倒もあって、フェミニズムを礼賛する曲も含まれているのだけれど、これは前述のMarioとの出逢いが大きく影響している。
 『Mother’s Spiritual』は1982年からレコーディングが開始されているが、そのセッションでは納得いく仕上がりが得られず、年末に一旦録音を中断している。復帰以降のジャズ・フュージョン系サウンドは、Laura自身のシビアなプロダクションによって、当時望めるべく最高のサウンドに仕上がっていたけど、彼女のジャッジはさらにレベルが上がっていた。
 -こんなんじゃ足りない。
 頭の中で思い描くサウンドの具現化のため、Lauraは15万だか20万ドル以上をかけて、自宅スタジオを新設する。思い立ったらすぐ、インスピレーションがひらめいたらすぐにレコーディングできる環境を手に入れたことによって、彼女の創作意欲は拍車がかかることになる。
 プレイヤビリティは尊重しながら、あくまで歌をメインに聞かせるためのサウンドを追求した末、『Mother’s Spiritual』で一応の帰着点を得た。一聴する分には、単なる耳障りの良いAORだけど、聴きこんでゆくにつれ、隅々までLauraの主張と美学が濃密に刻まれているのが感じられる。


Mother's Spiritual
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1. To a Child
 世の中は悪意と欺瞞に満ちている。まだ知恵も経験も乏しい子供を守るために、母親は慈愛のまなざしを持って、外部から必死に守らなければならない。愛息Gilはまだ6歳。目を離せない年頃だ。自ら選択したシングル・マザーという生き方に対し、まだ気張っていた心情が窺える。
 後年、『Walk the Dog and Light the Light』にてセルフカバーしており、そこでのLauraはピアノ1本をバックに芯の強い女性として振る舞っていた。ここでの彼女はサウンドに細やかに気を配り、日々の疲れを感じさせる力ない口調である。どちらも彼女の本質だけれど、俺的にはここでの「To a Child」が好みである。



2. The Right to Vote
 初期のR&Bタッチを想起させる、軽快なカントリー・ロック。そう、サウンド自体は結構泥臭いのだけど、Lauraの声はむしろ冷静なのだ。バックトラックのドライブ感と、心ここにあらずといった感のヴォーカル&ピアノとの齟齬は、すでにサウンド的に次の方向性を模索していたことが現れている。

3. A Wilderness
 なので、変にバンド・グルーヴを強調するより、このようにヴォーカル・バックアップに徹した「ちょっと引いた」アンサンブルの方が、スタジオ・トラックとしては秀逸。ライブだと2.の方が映えるのだけれど、マザー・アース的なテーマの曲には静謐なサウンドの方が親和性が高い。この曲もそうだけど、ギターの音が太い。繊細に爪弾いているだけにもかかわらず、存在感が強い。こういった響きにも凝ったんだろうな。

4. Melody in the Sky
 ちょっとだけファンキーなギターのカッティングから始まる、セッションっぽくレコーディングされているナンバー。初期の彼女ならエゴが出過ぎていたところだけど、肩の力を抜いて軽く流す感じなので、聴く方もまったりできる。

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5. Late for Love
 サウンド的には1.のバリエーションといったアレンジ。マザーアース的なテーマでは、ヴォーカルを活かした「引いた」サウンドになるのは、次作『Walk the Dog and Light the Light』でも引き継がれる。

6. A Free Thinker
 「自由な思索家」と訳すのか、ソングライターとして表現者としての自身を相対化したファンキーなバンド・サウンド。でも最後は「地球を救えるでしょうか?」で締めちゃうんだよな。まぁそういうアルバムだから、仕方ないけど。

7. Man in the Moon
 Toddがシンセでクレジットされている。とはいってもこれまでのバンド・アンサンブルに変化はなく、彼の存在感は正直薄い。ていうか、「いたの?」といった感じ。うっすらコーラスに参加しているっぽいけど。
 考えるに、バンド・スタイルのレコーディングはToddがバンマス兼アレンジ補助といった感じの役回りだったと思われる。何かと要求の多いLauraと実働部隊であるバンドとの橋渡し役といった感じで。なので、ほぼ全編セッションにはいたのだろうけど、段取りを組み立てるのが主でミュージシャンとしては目立った演奏はしておらず、クレジットをどこかに入れとこうか、とねじ込んだのがこの曲だったわけで。

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8. Talk to a Green Tree
 ちょっと不穏さをあおるコード進行と演奏による、フェミニズム寄りのマザーアース楽曲。サウンド的には最もグルーヴ感とキレがあるのが、このトラック。人によっては説教くさい歌詞に聴こえるかもしれないけど、洗練されたブルース・ロックは捨てがたい。

9. Trees of the Ages
 再びTodd参加。コスミックなシンセの音色は、壮大な地球を憂うLauraの思想とフィットしたのだろう。彼もいくつになっても夢見がちなキャラクターだし。でも、女性という点において彼女の方が地に足がついており、そこに微妙な齟齬が生じた。繋ぎとめてくれるタイプの女性じゃないしね。

10. The Brighter Song
 曲調としては穏やかだけど、女性の権利と自然保護を高らかに訴える、結構肩に力の入った歌。そういったテーマを抜きにすると軽快なミドル・チューン。でも切り離して考えられなんだよな。

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11. Roadnotes
 ローズっぽい響きのエレピはこれまでとタッチが違うので、Laura自身の弾き語りと思われる。冒頭からいきなりジプシーなんて言葉が飛び出し、時間軸も宇宙レベル。ただ主題はパーソナルな家族との時間。壮大なテーマだな。

12. Sophia
 Doobieっぽいファンキーなオープニングが単純にカッコいい。Lauraのヴォーカルも心なしか熱がこもっている。でも、初期のような混沌はなく、きちんとコントロールされたアンサンブル。どの曲もそうだけど、3~4分程度にまとめられてるので、ダラッとした印象がないのも、このアルバムの秀逸な点。



13. Mother's Spiritual
 ラストはしっとりピアノのみのバラード。「愛と平和」をテーマにしていると抹香くさく思われがちだけど、そんな揶揄も凌駕してしまう「すっぴんの力」。「女」であり「母」であるという時点で、大抵の男はすでに「勝てない」ということを思い知らされる。

14. Refrain
  Gilの笑い声を交えた1.のループ。親バカと思われようが構わない。そういった決意を盤面に刻み、アルバムは終焉を迎える。




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となりのお姉さん、最後の便り - Laura Nyro 『Angel in the Dark』

folder 2001年にリリースされた最後のオリジナル・アルバム。卵巣ガンを患った彼女が亡くなったのが1997年なので、いわゆるやっつけ仕事的な便乗商法ではない。時間を掛けてゆっくりと、仕上がり具合を吟味しながら丁寧に作られたアルバムである。
 大滝詠一の時にも書いたけど、ジミヘンや尾崎豊の時のように、「話題が盛り上がってるうちにある物全部出してしまえ」という方針で乱発リリースしてしまうと、結局はアーティストのブランド・イメージを大きく損なうことになり、長い目で見れば時代の徒花として消費され尽くされてしまう。そこには商売人としての彗眼はあるけれど、作品への愛情はない。残された作品を丁寧に扱うことで商品価値も上がり、永続的なファンの獲得に繋がってゆく。
 結局、亡くなった本人ではどうしようもないので、残されたスタッフや遺族次第ということになる。これまで応援してくれたファンの気持ちを考えれば、墓場荒らし的に闇雲なリリース・スケジュールは逆に首を絞めてしまうだけだ。

 そう考えると、David Bowieのようにきちんと余命から逆算したリリース・スケジュールを立てることが、最も賢く手堅いやり方なんじゃないかと思う。きっと彼の場合だと、今後数年先まで綿密に計画されているだろうし、サプライズ的に発掘音源映像が見つかったとしても、それはあらかじめ計画されていたかのように、滞りなく遂行されるだろう。
 対して突然死、例えばKurt Cobainのようなアクシデント的急逝だと周囲も混乱し、どさくさ紛れのリリース・ラッシュが横行する。Nirvanaの元メンバーもそうだけど、やっぱ一番めんどくさそうなのがCourtney Love。何かあれば口出しして揚げ足取ったり、計画が進まなさそうな印象が強い。あくまで印象だけどね。

 で、Lauraの場合だと前者に当てはまる。本人がはっきり死期を意識したのはいろいろな説があるけど、前作『抱擁』リリース時には何となく意識はしていたらしい。気づいた頃には病状はかなり進行していたため、手術によるガン摘出もままならない状態。タイム・リミットを意識した時点でLaura、最後に3枚のアルバムを制作することを決意する。
 まずは全曲書き下ろしのオリジナル・アルバム、そして、これまで自分が影響されてきたアーティストのお気に入り曲のカバー・ヴァージョンをまとめたアルバム、もうひとつが、これまでの総決算的なライブ・アルバム。
 人生の終焉を意識したことで日増しに強くなった創作意欲も相まって、すべてのプロジェクトが並行して行なわれた。何しろ時間がないのだ。いつ気力と体力が潰えるか分からぬギリギリの状況で、Lauraは次々に曲を書き、そして最後のツアーに出た。しかし、自身の予想以上に病状は悪化の一途を辿り、進行中だったレコーディングは中断、療養生活に入ることになる。
 -わかってはいたはずだ。2度と現場に復帰することはなかった。

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 そのうちの2つのプロジェクト、スタジオ・レコーディングのマテリアルがここでは併せて収録されている。全16曲中、オリジナルとカバーとが半々ずつ、ピアノソロ・スタイルのオリジナルと、バンド編成で録音されたカバーとが交互に収録されている。もともとは別々のコンセプトで制作されていたアルバムがひとつにまとめられているのだけど、こういった形がLauraの意図によるものなのか、それはわからない。
 もしかして、生前に何かしら遺言めいたものを残していたのかもしれない。死者の沈黙はできるだけ好意的に受け取るしかない。その辺はスタッフや遺族の良心に委ねるしかない。多分、この形が最もベターな選択なのだろう。

 Lauraのアルバムで有名なのが初期のCBS3部作で、ディスク・ガイドやアマゾン・レビューでも、この時代の作品が紹介されることが多く、思い入れが深い人も多い。村上春樹の小説『ノルウェイの森』の中にLauraの”Wedding Bell Blues”について触れる一節があるように、60年代末の彼女は何かしら特別なオーラを放っていた。
 「女」という性を剥き出しのまま叩きつけるヴォーカル・スタイルは、時代とは逆行する様にソウルフルで、レアな感情を未加工のまま投げ出している。
 確かに良い。良いとは思う。でも、何度も続けて聴きたくなるかといえば、いつも最後まで聴き通すことができない俺。
 誤解を恐れずに言ってしまうと、「一本調子で退屈してしまう」というのが、アメリカの女性シンガー・ソングライターに対する俺の偏見である。なので、Rickie Lee JonesもCarley Simon もまともに聴いたことがない。ヒット曲単体でなら楽しめるのだけど、アルバム通してだとすぐに退屈してしまうのが、お決まりのパターンである。
 彼女たちが悪いのではない。これは単に好みの問題だ。その中でもJoni Mitchellは比較的聴くことができるのだけど、シンガー・ソングライター成分が強い初期、『Blue』以前はフォークの香りが強すぎて、今でもちゃんと聴けずにいる。ジャズ/フュージョン期に移行した後なら、どれも普通に聴いているのだけど。
 思うところがあって最近Carole Kingを聴こうと思い、『Tapestry』にトライしてみたのだけど、やっぱりイマイチだった。70年代女性の方シンガー・ソングライターのアルバムとしては最もポピュラーで間口も広いはずなのだけど、やっぱりダメだった。自分でも何でだろうと思っている。

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 俺が日常的に聴いている数少ない女性シンガー・ソングライターの1人であるLauraだけど、ハマったのがここ半年くらいのことで、しかもまだ『抱擁』とこれくらいしかちゃんと聴いていない。すべてのアルバムを片っぱしから聴いていくタイプのアーティストではないのだ。むしろそういった聴き方が許されないムードがある。1枚のアルバムを大切にじっくりと、それでいて真剣に対峙するのではなく、もっとカジュアルに聴くことができるシンガー、それが俺にとってのLauraである。BGMより早くもうちょっと引っかかりのある、それでいて観葉植物や洗練された家具のような、ごく普通の生活にスッと馴染んでくる音楽。
 最初はサウンドのせいだと思っていた。俺の聴く2枚は90年代の録音なので、音質は当然過去のアルバムより良い。特に『抱擁』はGary Katzプロデュースなので、これ以上はないというくらいLauraとの親和性は高いサウンドを創り出している。
 試しに、音質的にはほぼ同じ条件に近いリマスター音源の初期アルバム、最新のベスト・アルバムも聴いてみた。いいことはわかってる。でも、やっぱりどうも馴染めない。Carole Kingと同じ現象の再来だ。
 これは音楽の優劣の問題ではない。クオリティは当然として、音楽へ向けるパッションだって、強いものを感じ取ることはできる。でも、最終的にその音楽を気にいるということは、それを創り出したアーティストの世界観に入り込めるかどうか、というのが一番大きいファクターになる。その入り口の手前なのに、俺はどうにもその一歩を踏み出せずにいるのだ。そこでは最上のクオリティもパッションも用意されていることはわかっているのに。
 なぜだ?

 俺が初期ではなく、後期Lauraに惹かれる理由がなんなのか、自分なりに気づいたのが、楽曲に対するヴォーカライズの解釈の違い。
 初期のアルバムも曲はいいのだ。うまいよなぁ、と感心してしまう。特に5th DimensionやThree Dog Nightらがカバーした一連のヒット曲など、きちんとアーティスト・エゴも満たしつつ、不特定多数にアピールできる楽曲ばかりである。Laura自身は特別大きなヒットを出したわけではないけど、彼女の曲をカバーした人はいくらでもいる。どちらかといえば玄人受け、プロが歌ってみたくなる曲が多いのだ。
 で、Lauraが自演したテイクを聴くと、自作曲であるにもかかわらず、ヴォーカルの粗さが目立ってしまう。もともと美声やテクニカルな歌唱力がセールス・ポイントではないLaura 、特に初期のヴォーカルは時代性もあって、パッションを未加工のまま投げ出した印象が強い。
 テクニックを副次的な要素としたヴォーカライズは、時に聴く者の琴線にダイレクトに響くけど、その届く先は限られてしまう。曲調によっては細やかな感情の機微を伝えるため、緩急をつけた方がよい場合もあるのに。この頃のLauraのスタイルは、ほとんどがパワフルな自然体だ。

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 自然体とはよく言うけれど、自己の成長と共に感受性も変化してゆき、年齢に応じて創作の傾向も変化してゆくのもまた、自然の摂理である。かつて若気の至りで作った歌を、その当時のテンションのままで歌えるだろうか。同じように歌うこと自体は難しいことではない。懐メロに徹するのならそれもいいだろう。しかし歳を経るにつれて、解釈の仕方は変わってくる。
 作った当時は見えてなかったこと、無意識のうちに書き連ねていた一節にどんな意味が込められていたのか、後になってわかってくる場合だってある。あの時はただがむしゃらに、感情の赴くままに歌っていただけだったけど、今ならもっと違った見せ方ができる。力まかせにねじ伏せるのではなく、その歌に込められた意味をきちんと伝えるには、もっと違った表現の仕方はあるのでは?
 当然、作風は変化してゆく。真摯なアーティストなら当然の帰結だ。キャリアを重ねることで自然と技術的スキルは上がっていったけど、彼女の場合、それに加えて結婚と出産を経験した。そんな事情もあって活動ペースは緩やかになり、音楽への対峙の仕方、受け止め方に変化が現れた。

 そして晩年。もはや声高に何かを伝えたいわけじゃない。強い口調で言うべきことは、若かりし頃に言ってしまった。
 これまでに作った歌は、かつてのように吐き出すのではなく、もっと楽曲に寄り添って、素材の良さを引き出す姿勢で。
 これから作る歌は無理に絞り出すのではなく、自然にこぼれ出たもの。それらを丁寧に拾い上げ、最上のミュージシャンによる最上のサウンドで。湧き出てきたメロディを歌詞を、素直に歌っていこう。

 『抱擁』もそうだったけど、ここでのLauraも強い口調ではない。作品のイメージを虚飾なく伝えるよう、すごくフラットに歌っている。バンド・スタイルの時なんて、ほんと楽しそうに歌っている。
 音程的に、感情的に優れているというのではなく、サウンドとの親和性がものすごいのだ。


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1. Angel In The Dark
 1995年8月のバンド・セットからスタート。
 ちなみにメンバーは、
 John Tropea (g)
 Freddie Washington (b)
 Bernard Purdie (d)
 Michael Brecker (tenor sax)
 Randy Brecker (trumpet)
 Bashiri Johnson (per)
 といった面々。俺が連想したのがSteely Dan。まぁ似てなくもない。録音スタジオがあのパワー・ステーションだったとは、いま初めて知った。
 豪華メンツをこれ見よがしにフィーチャーするのではなく、堅実でスクエアなバッキングで抑制させるのはDanと同じ手法。特にBrecker兄弟のフレーズなんて『Aja』のデジャ・ヴ。
 サウンドと共にLauraの歌声も抑制されながら、これが最も曲の良さを引き出したスタイルだと思う。



2. Triple Godess Twilight
 こちらは4月に行なわれたソロ・セット。1.同様、コーラスも自身で多重録音している。重く陰鬱としたテーマを緊張感あふれるピアノで表現しているのだけど、不思議と重い感じは少ない。多分、初期のLauraならもっとパワフルに表現したのだろうけど、ここではもっと優しく諭すように、かみ砕くような口調で歌っている。歌詞の中身を理解してもらいたいがゆえ、晩年はこういったスタイルを選ぶようになったのだろう。

3. Will You Still Love Me Tomorrow
 オリジナルはCarole Kingが提供した女性コーラス・グループShirellesの1960年のヒット。その後も様々なアーティストによってカバーされており、実は俺が最初に知ったのはAmy Winehouseのヴァージョン。Carole本人も『Tapestry』でセルフ・カバーしており、つい最近俺もそれを聴いてたはずなのだけど、ゴメン、聴き流してた。
 俺的にはアバズレなAmyヴァージョンが基準となってしまうのだけど、1.よりさらにシンプルなバッキングはメロディ本体の良さを引き立たせている。自身が影響を受けた歌として、その魅力を引き出すため、敢えてアコースティックに、それでいてややパーカッシブなプレイを求めたのだろう。
 今度は少しメンツを変えて、
  Jeff Pevar (g)
  Will Lee (b)
  Chris Parker (d)
  Carole Steele (Per)
 といった面々。ホーンレスのこじんまりしたセット、ここでのWill Leeのオーソドックスなプレイは名演。
 
4. He Was Too Good To Me
  Richard RodgersとLorenz Hartというコンビは、あの”My Funny Valentine”を作った著名コンポーザーであり、これは1930年初演のミュージカル『Simple Simon』というミュージカルのために制作されたものの、開演直前にボツになってしまったといういわくつきの曲。だからといって駄作なわけではなく、古今東西カバーしてるアーティストは多い。Carly SimonやNina Simoneも歌ってたらしいけど、俺は知らなかった。
 ここでのLauraは混じりっ気なしのピアノ・ソロ。ヴォーカルも初期の発生の強さを彷彿とさせている。ルーツ的な楽曲なので良し悪しをいうものではないけど、俺的にはCarlyのヴァージョンが案外気に入った。

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5. Sweet Dream Fade
 1.と同じメンバーによるセッション。4.のような超有名なスタンダード・ナンバーの後に来ても遜色なく古びないクオリティ。中盤からテンポ・アップしてポップ性が強くなるのだけど、媚びた感じもなく普通に楽し気に歌うLaura。やっぱすごいわBrecker兄弟。Bernard Purdieのフィル・インも適格。

6. Serious Playground
 ピアノのアタック音が強くなる、初期を思わせるバラード・ナンバー。この時期の楽曲は、ある意味これまでのキャリアの総括的な意味合いも含んでいるので、こういった曲が並ぶのも流れとしては間違っていない。それでも解釈の違いか見せ方の違いか、ガツガツした印象が少ないおかげもあって聴きやすい。終盤のフェード・アウトするファルセットはちょっと苦手だけど。

7. Be Aware
 2.のバンド・セットによる、Burt Bacharachのカバー。ジャジー・テイストも交えた彼の作風はLauraとのシンクロ率は高く、テクニックを要する楽曲を自分のものとしている。言い方は悪いけど、ある意味お抱えシンガーであるDionne Warwickだと、うまいけど引っ掛かりがないんだよな。

8. Let It Be Me
 オリジナルは古いシャンソンだけど、実際にヒットしたのは1960年のEverly Brothers。楽曲提供で付き合いのあった5th Dimensionもカバーしており、その流れもあってここで取り上げられたかと思われる。エモーショナルなピアノ・バラード。

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9. Gardenia Talk
 ボサノヴァのリズムを基調とした、穏やかな午後のお茶の時間にピッタリくるミディアム・スロー。普通ならマッタリしそうな曲調のはずなのだけど、なにしろリズムがPurdie、関係なくグルーヴしたアタックを聴かせている。

10. Ooh Baby, Baby
 言わずと知れたSmokey Robinson & Miracles、1964年のヒット。前曲に引き続き、バンド・セットでのレコーディング。ソウル・レジェンドの一人であるSmokeyであるからして、昔からカバーされることが多く、後で彼がオリジナルだった、と気づくケースが多い俺。この曲も最初に聴いたのはZappのヴァージョンなので、そっちの印象が強い。Smokeyの楽曲全般に言えることだけど、俺的にはオリジナルよりカバーされたヴァージョンの方が、楽曲の良さが鮮明に浮かび上がる印象。いやもちろんオリジネイターが一番なんだろうけど、特にSmokeyの場合、60年代モータウン・サウンドでレコーディングされちゃうと、どの曲も一緒くたに聴こえてしまう。
 ここでは力強くソウルフルなLauraの一面が披露されている。体力的にもきつかっただろうに。



11. Embraceable You
 George Gershwin作によるBilly Holidayのスタンダード・ナンバー。ある年齢以上の女性シンガー・ソングライターにとって、Billyというのはひとつの「越えなければならない」、そしてまた「決して超えることのないだろう」壁であって、真っ向から対峙しづらい相手である。それは単に音楽だけの問題ではなく、生き様なんかも含めているわけで。
 その「Lady Day」と真剣に向き合えるようになったのが、やっと晩年を意識してから。ここでのLauraはひどくストレートで、そして渾身の力を込めてピアノに歌に集中している。おそろしくパワーを使ったのだろう。

12. La La Means I Love You
 言わずと知れたDelfonics1968年のヒット。フィリー・ソウルといえばもうこの曲、というくらい定着してしまった。俺が最初に知ったのはTodd Rundgrenで、次にPrince。カテゴリー的にはかなり遠い2人だけど、少年期に影響を受けたものはあまり変わらない、という事実。Toddとも親交の深いLauraだからこそ、この選曲は納得。彼も10.をカバーしてるしね。

13. Walk On By
 またまたDionne Warwick、ていうかBurt Bacharachのカバー。オリジナルがファニーで上品なポップスだったのに対し、ここでは少しソウルフルなピアノ・バラード。これはオリジナルもいいなぁ。



14. Animal Grace
 自然・環境問題を題材としたピアノ・バラード。最後までエコロジーな視点を忘れなかったという点では一貫してるけど、思想的には受け取り方は人それぞれ。音楽は音楽として、俺的にはあまり興味ない。きれいなバラードだけどね。

15. Don't Hurt Child
 本編ラストは未来ある子供たちへ向けた、大きな母性愛を感じさせる、スケール感の大きいナンバー。声高に拳を振り上げるのではなく、まずは良い楽曲を歌うこと、メッセージは副次的なものであり、楽曲としての整合性をまずは大事にしている。たった3分なのがちょっと惜しい。

16. Coda
 シークレット・トラックとして収録。15.が終わって4分強の無音トラックの後、唐突に始まる1.の別テイク。実質1分半程度なので、もうちょっと聴いていたい。




 ある意味、ほとんどすべての男が抱く女性の理想像、「となり家の年上のお姉さん」像の条件を完璧に満たしているのが、このLaura Nyroという女性ではないのか、と勝手に思う。
 微妙に程よい距離感、取っつきづらそうでいて、話してみたら案外気さく、時々勉強も教えてくれたりして、あんなコトやこんなコトの手ほどきなど、あらゆる妄想を掻き立てられるような。
 そんなくっだらねぇことを想う、46歳の春。


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Laura Nyro
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犬の散歩はお願いね、そして明かりはつけておいて - Laura Nyro 『抱擁』

_SL1039_ これまでアメリカのシンガー・ソングライター系の音楽といえば、Joni MitchelとDylanくらいしかまともに聴いてなかったのだけど、今年に入ってから何となく聴いてみたところ、俺的にすごくツボにはまったサウンドだったので、ご紹介。

 バイオグラフィー的なところからダラダラ綴っていくと、もともと音楽一家に育ったらしく、父親はジャズのトランペット奏者、親類に大御所ジャズシンガーHelen Merrillがいる。そういった環境で生まれ育ったため、音楽の世界に入るのはごく自然なことで、19歳ですでにソロ・アルバムをリリースしているのだけど、まぁクオリティは高くても、商業性に結びつくのはまた別の話、というパターンで、最初はそんなに売れなかったらしい。

 60年代後半の女性シンガー・ソングライターで、多少なりとも名が知られていたのがJoni、職業作曲家として活躍していたCarole Kingが表舞台に出てくるのは、もう少し後になる。一見接点のなさそうな3人の女性の共通点として挙げられるのが、「ソングライターとしての有能性」。
 Joniが最初に注目されたのはCSN&Yに書いた”Woodstock”だったし、Caroleもまた、70年代に入ってから『Tapestry』でブレイクするまでは、オールディーズ時代から活躍する専業ソングライターとしての側面が強かった。当時の音楽業界は圧倒的な男性社会、アイドル的要素の欠落した、要はクリエイティブ志向の女性アーティストには、居場所がなかったのだ。

 なので、Lauraがやっと注目され始めたのはフラワー・ムーヴメント以降、セカンド・アルバム『Eli and the Thirteenth Confession』からである。その後は創作上のスランプや出産による休止期間を経ながら、コンスタントに活動していたのだけれど、そのインターバルが仇となっているのか、前者2人と比べて日本での知名度はちょっと低めである。
 ただこれは日本に限ったことでもなく、本国アメリカにおいてもLaura、アーティストというよりはむしろ、ソングライターとしての認知の方が高い。5th Dimensionが取り上げた”Stoned Soul Picnic”から始まり、Blood, Sweat & TearsやThree Dog Nightなどの同時代アーティストから、アメリカ・エンタテインメントの大御所Barbra Streisandなど、結構錚々たる顔ぶれが彼女の作品をカバーしてるので、70年代洋楽をかじってる人なら、Laura本人の歌は聴いたことがなくても、あぁあの曲といった感じで、一度は耳にしたことがあるはず。

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 志向する音楽性は違うけど、Joni との共通項として、Lauraもまた他アーティストからのリスペクトが多い。いわゆる通好みのアーティスト、代表的なところとしてはVan MorrisonやThelonious Monk、日本だと矢野顕子やシオンあたりなんかじゃないかと。
 クセが強いというのか、いわゆる独りのアーティストでひとつのジャンル、その人自体がジャンルそのものとなってしまっているオンリーワン状態なので、一度好きになってしまえば中毒性が高く、熱狂的なファンも多い。なので、業界内外にも支援者は多く、メディアに取り上げられる機会も多いので、誰でも名前くらいは聞いたことはあると思う。ただし万人受けする音楽ではないので、セールス的には微妙な人が多いのも、特徴のひとつである。
 他のアーティストとのコラボが多かったり、作品がカバーされたりなど、案外話題が尽きることもないので、レコード会社との契約が切れたことがなく、大きなセールスは見込めなくても、紙ジャケやらデラックス・エディションやらでカタログには残っているし、息の長いロング・セラー・アルバムが多いので、長い目で見れば採算は取れている。
 一度大きくブレイクしてしまうと、あとは落ちるのみ。大きな上り下りもなく、マイペースに続けていられるのなら、アーティストとしては理想的な状態なんじゃないかと思う。この、「消えそで消えなさ加減」というのは、案外ワザがいるのだろう。

 で、実はここからが本題。
 俺自身、Lauraに関しては、これまでまったく聴いてこなかったわけではない。一応デビュー作を含め、代表作が集中している70年代前半の作品を中心に聴いてはみたのだけど、どうもイマイチしっくりこなかった。全般的にアレンジ、とはいってもピアノの弾き語りがベースのサウンドなので、あまりイジりようのないものだけど、実はそれって、色々着飾ってみてもどれもピッタリしないんで、だから仕方なくアコースティックでやってるんじゃないの?という気がしてならなかったのだ。
 若い頃はもっぱらナチュラル志向、ノー・メイクだった。60年代末期はヒッピー全盛期、「飾らないことこそが本当の自分」という時代の流れもあって。でも、いろいろなファッションを試してみた上でたどり着いたナチュラルと、最初から選択肢を放棄した、一択のみのナチュラルとでは、 明らかに意味合いが違う。それは彼女もわかっていたのだろう。
 なので、金銭的にも心情的にも余裕ができてからは、他のバリエーションも試してみた。基本のベースはもともと端正なので、どれを選んでも、それなりにサマになる。他人からのウケも良い。
 けど、やっぱり違う。なんか思ってたのと違う。
 これならまだ、変に着飾らない方がマシだ。

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 アコースティック・ピアノ一本の弾き語りは、余計な装飾がなく、アーティスト本来の実力が見えてくる、とはさんざん言われているけど、Laura本人としては、そう思ってなかったんじゃないだろうか。なにも好きこのんでシンプルにしてるわけじゃないのだ。
 直接は関係ないのだけど、Lauraのサウンドへのこだわりを象徴するエピソードがある。
 ある曲のレコーディングで、大人数のミュージシャンが集まって一発録りしたのだけど、サウンド・チェックしたところ、あるパートだけが納得行かず、そこだけ録り直しすることになった。それはそれでスムーズに終わったのだけど、そこを直したことによって、今度は他のパートの出来も気になってきた。で、そこもまた録り直し。あそこを直せば、今度はあそこもまた気になってきて…。
 で、最終的に完成したテイク、もはやそれは当初の原型を留めず、最初に録音したパートは、何ひとつ残ってなかったそうである。

 結局のところ、いろいろ試行錯誤して、流行りのサウンドも取り入れてみたりしたのだけど、下手に余計な音を入れるくらいなら、ピアノ一本で弾き語りした方がまだマシ、というのが晩年のLauraのスタンスだったんじゃないかと思う。
 もともとポテンシャルの高い人なので、例えば洗いざらしのジーンズでもサマになるのだろうけど、うまくコーディネートできないからそうしてるだけで、本人の思うところは、そういったことじゃないのだ。
 ナチュラルな魅力?仕方ないから、そうしてるだけなのに。

 で、オリジナルとしては最終作となってしまったこの『抱擁』。一応海外の作品なので、『Walk the Dog and Light the Light』という原題があるのだけど、このアルバムには邦題の方がしっくり来る。丁寧に時間をかけてデコレーションされたそのサウンドの中で、居心地良さそうに、くつろいだ歌声のLauraがそこにいる。
 プロデューサーはGary Katz。言わずと知れたSteely Dan第3の男、後期のDanサウンドを支えた功労者であり、『Gaucho』のレビューでも書いたように、ある意味彼も理想のサウンドに取り憑かれた男である。
 ほぼ完全燃焼と言ってもいい『Gaucho』リリース後、Steely Danはその後10年にも及ぶ無期限活動休止状態に入る。Katzとしてはまだ野心があったのか、その後も期待の若手をいくつかプロデュースしているのだけど、そのどれもが不発、Danの足元にも及ばない評価とセールスしか得られなかった。
 で、イチから若手を育てるのはやめにして、ある程度評価の定まっているベテラン中堅アーティストを自分のフィールドに引き込むことを目論む。幸いDan時代の実績は業界内でも絶大だったので、プロデュース依頼はそれなりにあったのだ。あったのだけど、Katzが選んだアーティストというのが…、Diana Ross? Joe Cocker? どれもしっくりこないアーティストばかり。よりにもよって、なんでこんなオファーを受けてしまったのか、疑問に思ってしまうくらいである。緻密に組み立てるGaryのプロデューシングとはマッチしそうにない、あまりに傾向の違うアーティストばかりなので、金に困ってたんじゃないかと勘ぐってしまっても、不思議ではない。

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 Katzによるプロデュース作品の特徴として、録音の良さが真っ先に挙げられるのだけど、このアルバムもこれまで同様、どの楽器も音の芯が太い。静寂からスッと立ち上がる楽器の音色、音の立ち上がりも良い。どの音もダンゴにならず、ひとつひとつの音がしっかり自己主張して、しかもそれらがバラバラにならず、すべてが有機的に絡み合ったサウンドとして成立している。
 復活後のSteely Danも同じ制作手法/ノウハウを持っているはずなのに、どこか漫然と締まりなく聴こえてしまうのは、サウンドに対するこだわりの強さの違いだと思うのだ。
 現在のDanはアルバム・アーティストというよりは、むしろライブ・バンドとしての側面が強い。一応断続的に活動はしているのだけど、そのほとんどはアメリカ国内ツアーに費やされ、ここしばらくアルバム・リリースの噂は聞かない。時に懐メロバンドっぽくなってしまう現在のDan、メインの2人は変わらず、楽曲だって過去のレパートリーばかりにもかかわらず、今ではまったく別のバンドである。もはやかつてのように、永遠とも思えるスタジオでのルーティン・ワークに戻るには、気力が切れてしまっているのだろう。


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1. Oh Yeah Maybe Baby (The Heebie Jeebies) 
 初めて聴いた時は、福山雅治"桜坂”とサウンドが似てるなぁ、と思ったのだけど、もちろんこちらが本ネタ。さらに遡ると、原曲は1961年にリリースされたガール・グループCrystalsのカバー。そしてプロデュースは「あの」Phil Spector。オリジナルは例の跳ねるリズムに乗った、もっと軽快な曲なのだけど、ここではLaura、もっとしっとりとしたタッチで、楽曲自体の良さを活かした音作りに仕上げている。
 冒頭の多重コーラスといい、すべてが心地よい音像の世界。これだけまったりしそうなサウンドでありながら、きちんとリズムが立っているのは、Garyの為せる技のおかげもあるのだけど、全編でドラムを叩くBernard Purdieの力量によるものが大きい。



2. A Woman of the World
 ほぼ1.と同じ印象のサウンドだけど、また表情が違っている。若かりし頃のLauraと違って、エモーションに頼った歌い方をしていない。もっと肩の力の抜けた、良い意味で技巧的な歌い方なのだ。俺が旧作のLauraに抵抗を感じていたのが、そこ。ゴスペルを基調としたブルー・アイド・ソウルのルーツ的なヴォーカリゼーションは、時に感情的過ぎて鼻につく場合もある。
 実際どうなのかは知らないけど、パートごとの個別録音ではなく、一堂に会したセッションで作られたような音作りであることも、Lauraの声も構成楽器の一部として機能して、自己主張し過ぎていない。
 この、1.から2.に続く流れがとても心地よくて、今年のヘビロテになっている。



3. The Descent of Luna Rose
 少しテンポ・アップして、ギターもちょっとファンキーになっているのに、この落ち着きようはどうだ。Lauraの声自体、ファンキーさは薄いのだけど、時折ロング・トーンで見せるゴスペルっぽさが、普通のAORに終わらせないリズム感を創り出している。
 ギターのMichael Landauは、もともとジャズ/フュージョン畑で長らく活躍してた人、またJoni Mitchelの公私に渡るパートナーでもある。

4. Art of Love
 で、これは何となく80年代のJoni、ジャズ/フュージョン路線からコンテンポラリー路線へ移行する際に伴い、デジタル楽器を使いこなそうと悪戦苦闘していた頃のサウンドに酷似している。その辺はJoniの先駆性なのだろうけど、さすがにそこから10年も経つと機材も進化、Katzのプロダクションによって不自然な音は何ひとつない。
 もともとギター、ベース、ドラム、そしてLaura自身のヴォーカルとキーボードという、シンプルかつ盤石の布陣で基本のサウンドが作られているので、ちょっとやそっとの乱れた音ならビクともしないのが、このアルバムの特徴。

5. Lite a Flame (The Animal Rights Song)
 タイトル通り、動物への愛を描いたナンバー。ここまで肩の力を抜いてリラックスして歌っていたLaura、ここではほぼピアノ一本での弾き語り、心なしか声にも熱がこもっている。かつてフェミニズム的なメッセージの強さ(これも曲解されて受け止められているのだけど)が仇となって迷走してしまったLauraだけど、ここではハイ・レベルな音像処理のおかげか、極端な暑苦しさはない。でも、俺はちょっと苦手だな、このアルバムの中では。

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6. Louise's Church
 1.同様Lauraの多重コーラスから始まる、ややエスニックなリズムが全編に流れるナンバー。後半のモノローグの後は曲調が変化、往年のBrecker Brothersによるホーン・セクションがちょっぴりファンキーにキメる。それに乗ってピアノを叩くLauraも楽しそう。

7. Broken Rainbow
 1985年のアカデミー賞ドキュメンタリー最優秀賞受賞の映画『Broken Rainbow』に提供した曲の再演。主にアリゾナを拠点とするネイティヴ・アメリカン、ナヴァホ族への密着取材が主題となっているのだけど、日本では取り上げられることもなく、俺ももちろん未見。まぁ映画を見ていなくても全然問題ないのだけど、スケールの大きさは伝わってくる。

8. Walk the Dog and Light the Light (Song of the Road) 
 やはりこれもJoniとの親和性の高い、フォーク・テイストだけど、ジャズっぽいテンションも感じられるナンバー。これだけキャリアが長いと、目指す方向も近くなってしまうのだろう。どっちがいい/悪いではない。だって俺、どっちも好きだもん。
 並みのアーティストが同じことをやろうとしても、ここまでのグルーヴ感は出せないはず。特にLauraの歌に触発されたMichael Landauのネチッこいオブリガードは絶品。Joniの時よりもサービス満点である。
 邦題はほぼ直訳なのだけど、これほどこのアルバムを的確にあらわした一節は見当たらないと思う。もし実際、Lauraにこの言葉をそっと囁かれたとしたら?若い頃のギラついた脂がすっかり抜けた、年上の女性からの文学的な言い回し。
 そういった仕草に魅力を感じるのは、それだけ俺が大人になったということなのだろう。



9. To a Child
 1984年リリース『Mother's Spiritual』の1曲目に収録されており、今回はほぼ10年ぶりの再演。いくら10年前とはいえ、『抱擁』のひとつ前のアルバムにあたるため、セルフ・カバーするには異例のペースなのだけど、ここ10年で思うところがあったのだろう。
 ここではシンプルなピアノ弾き語りなのだけど、俺的にはこのソロ・スタイルより、前作のヴァージョンの方が好き。こちらもやはりフュージョンを通過したAOR的なサウンドとなっているので、弾き語りにそれほど強く惹かれない俺としては、サウンド的にきちんと作られたオリジナルの方に軍配。

10. I'm So Proud / Dedicated to the One I Love
 最後はそれぞれImpressions、Shirellesのカバー。前者はもちろん有名なCurtis Mayfieldの名曲、俺的にはTodd Rundgrenのヴァージョンで初めて知った、なじみの深い曲である。対して後者はまたしてもSpector、多分、アメリカでは有名なオールディーズなのだろうけど、俺的には今回初めて知ったナンバー。
 かなりソウルフルに歌い上げるLaura、そして気楽なセッションながらも緊張感を忘れないリズム・セクション、いちいちメロディアスなギター、そして何と言っても感傷的なMichael Breckerのアルト・サックス・ソロ。ほんと、極上の空間とはこういったことを指すのだろう。

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 ある程度自分でも感づいていたのだろうけど、キャリアのほぼ末期になってやっと、自分にしっくりするサウンドが得られたLaura。この頃はすでに癌に侵されており、だからなのか、長いインターバルを置いたマイペースな活動から一転、これまでにない精力的な活動を行なっている。奇跡の再来日公演を含む積極的なライブ活動、また創作意欲にも火が点いたのか、次回作の構想もアルバム3枚くらいはあったらしいし、実際この時期のデモ・テイクは大量に残されている。

 死後もうすぐ20年は経とうとしているにもかかわらず、いまだLauraの音楽を求める人は多い。今でも未発表音源やライブ・テイクの発掘は行なわれているのだけど、この遺作で彼女のファンになった俺的に、デモ・テイクの飾り気の無さは、「そうじゃない感」が強い。

 それとも俺はまだ、Lauraの音楽を受け入れる器じゃないということなのか?
 「シンプル」なLauraをも受け入れられるようになるのは、いつになるのだろうか。



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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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