好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Joni Mitchell

ステゴロ勝負のような音楽 - Joni Mitchell 『Hejira』

folder 1976年リリース、8枚目のオリジナル・アルバム。US13位UK9位を記録、アメリカではゴールド・ディスクを獲得している。決してポップともキャッチーとも言えない、こんな愛想のない音楽がトップ10近くまで売れてしまう、そんな時代だったのだパンク襲来以前のアメリカって。
 60年代の狂騒の残り香がひと息ついて、まだサタデー・ナイト・フィーバーもない空白の時期、小難しい理屈をこねた音楽に取って代わって、あんまり深く考えないメロディアスなロックが主流になっていた。EaglesとFleetwood Macがトップ争いを繰り広げていた、そんな時代である。
 ただ、時代の趨勢とは一面的なものではない。もう少し繊細に作られた、Steely Danのようなジャズ・フュージョン/クロスオーバー系のサウンドに人気が集まっていたのも事実。
 そんな流れもあって、Joni の音楽もまた、そこそこ受け入れられる土壌があった。シングル・ヒットを狙ったアーティスト以外にも、ちゃんと居場所があった時代の話である。

 フォーク路線でデビューしたはずのJoni の音楽性が、次第にジャズに傾倒していったのは、伝説的なベーシストJaco Pastoriusとのロマンスが契機になった、とされている。
 出るべくして世に出た、若く才能あふれるミュージシャンとの熱愛。出逢うべくして出逢った2人は、仕事でもプライベートでもかけがえのないパートナーとなる。
 主にリズム楽器だったベースというポジションを、フロントでも通用するリード楽器の地位に押し上げたのは、才気煥発なJacoの功績が大きい。ジャズ・ベーシストの第一人者としてはCharles Mingusが有名だけど、彼の場合、プレイヤーとしてよりはむしろコンポーザー的な評価の方が高い。純粋なベース・プレイのテクニカル面だけで見れば、Jaco に軍配があがる。
 Joniもまた天才肌のミュージシャンであり、同時にアーティストである。なので、仲睦まじく和気あいあいといったムードは、望むべくもない。
 共鳴する部分と反発し合う部分、その絶妙なバランスが、セッションでは化学反応をもたらす。例えて言えば、真剣を用いた居合い切りの試合の如く、ギリギリの緊張感の中で行なわれるつば迫り合い。
 そんな真剣勝負、時にイチャイチャもしながら、2人のコラボレーションは数々の傑作を生み出した。

c6627efb88674060b06f57ed54227429

 いまも世界中のアーティストからリスペクトされ、才女の名を欲しいままにするJoni。音楽だけにとどまらない才能への賞賛、それは確かに間違ってはいないのだけど、反面、誤解されている面も多い。
 若いうちから創作面で頭角をあらわし、David Crosby に見出されてデビューの運びとなったのは知られるところだけれど、クリエイティヴな活動を長く続けるには、また別のスキルが必要となる。単なるひらめきや工夫だけでは、早晩ネタ切れに陥り、先細りになってしまう。
 「天才」の定義として、よく言われるように、「努力する才能」を持つこともまた、条件のひとつである。外部の刺激を貪欲に吸収し、咀嚼して定着させる。インプットした情報を整理する、または整理するためにアウトプットする。その無限ループ。
 それが修練なのか快楽なのか。多分、両方だろう。決して生まれ持った才覚だけで続けてきたのではない。アーティストであり続けることは、何かしらのプラクティスが常について回る。
 そんなJoniの飽くなき探究心が強くあらわれているのが、唯一無二のギター・プレイである。ギターおたくのハシリとも言える彼女は、試行錯誤を繰り返しながら、これまで50を超える変則チューニングを創り出している。特にこの『Hejira』では、曲ごとに調律を変えており、通常のチューニングでは困難なメロディ、ストロークひとつでも奇妙な響きを奏でている。
 現時点で最後の来日公演となっている、1994年奈良東大寺で行なわれたイベント「あおによし」でも、彼女のコードワークは注目を集め、共演した布袋寅泰が手元をガン見していた、というエピソードも残っている。プロ目線で見ると、とんでもないセオリー外しの組み合わせなんだろうな。

016d07f78ceb0bc31c8901f456394200

 そんなJoni の書いた楽曲だけど、基本構造はシンプルで、特別技巧を凝らしたものではない。余計な音はそぎ落とされ、一片のムダもない。なので、音符だけ追ってゆくと、ひどく簡素なものになってしまう。
 Joni 自身、楽曲の完成度には重きを置いていないらしい。歌い演奏する者によって、解釈は様々だ。どれが完成したものだなんて、本人にだってわかりはしない。
 ただ、他者とのセッションによって解釈が混じり合い、思いもよらぬ展開に気づかされることがある。頭の中だけで考えたって、想像の範疇というのは限界がある。脊髄反射でなければ気づかないことは、いくらだってあるのだ。
 Joniが求めるリアクションゆえ、当然、パートナーにも相応のレベルが求められる。天才のイマジネーションを喚起させるためには、同レベルの天才を引っ張ってくるしかないのだ。
 ただ、これまでのロック/フォークの人脈では、ある程度、展開が読めてしまう。いくらフリーに演奏してくれと言っても、結局はポピュラーの範疇でまとまってしまう。循環コードや黄金進行ではない、不定形な旋律やアンサンブルを、彼女は求めていた。
 なので、異ジャンルのジャズ/フュージョンへ活路を求めたのは、なかば必然だった。しかも、息も絶え絶えだった旧世代のモダン・ジャズではなく、ロックやファンクをも吸収した、若い世代の音を。

df590b25b559d79a2cdb4f165eff5a69

 それまでのJoniの音楽的文脈にはなかった、Jacoという異物。彼の繰り出す音は、彼女が求めるビジョンと重なり合う部分が多かった。意思疎通に齟齬をきたすこともなく、ただ感覚にまかせて音を出し合うだけ。音楽を媒介とした、理想的な対話の瞬間だ。
 なので、『Hejira』のサウンドの中心はJoniとJaco、ていうかほとんど2人の音しか入っていない。他の音はほんの味つけ程度、まるで精進料理みたいなサウンドである。アサイラムもよく許可したよな、こんな無愛想な音。
 まるで薄氷を踏むような、一歩間違えれば破綻してしまいそうなセッション。コンポーザーでもあるJoniのバランス感覚もあって、どうにかギリギリの位置で、ポピュラー商品として成立している。

 その後、『Don Juan's Reckless Daughter 』、『Mingus』『Shadows and Light 』と2人のコラボは続くのだけど、長くは続かない。天才同士の確執というかエゴというか、それとも愛情のもつれというか。同じ天才とはいえ、スタンスがまったく違っていたことも、2人の行き先を分かつ要因となった。
 Joni とJacoとの決定的な違い。
 彼女はアーティストであり、彼はミュージシャンだった。
 創り上げる過程に携わったり、また壊すことはできるけど、ゼロから立ち上げるのは不得手だったのが、Jacoの天性 だった。数々のリーダー・アルバムやプロジェクトを残してはいるけど、そのどれもがテクニック優先、トリッキーなプレイが大きくフィーチャーされるばかりで、バンドやユニットとしての必然性が見えてこない。
 これは好みもあるだろうけど、俺的にはJoniとの共演を始め、自らイニシアチブを取ることのないWeather Report など、サイドマンとしての彼を聴くことの方が多い。
 持ち前の直感や嗅覚が鋭すぎるがゆえ、努力や研鑽する必要があまりなかったことも、その後の行く末を思えば、不幸だったと言える。テクニカル面での修練はあっただろうけど、その方向性がクリエイティビティ、また協調性へ向くことは、ついぞなかった。
 Weather Reportを脱退し、そしてJoni と別れてからのJacoは迷走し、錯乱の末、遂には浮浪者同然の生活にまで落ちぶれる。その末路は、とても悲惨なものだった。
 顔見知りのアーティストのライブ観覧中、飛び入り出演しようとしたところ、警備員に取り押さえられ、退場させられる。失意の中、泥酔状態でナイトクラブに入ったところ、ここでもガードマンに取り押さえられ、乱闘騒ぎを起こす。その際、コンクリートに頭部を強打、脳挫傷による意識不明の重体に陥った。昏睡状態のまま意識が戻ることはなく、家族同意のもと生命維持装置がはずされ、亡くなった。
 享年35歳。あまりにも早すぎる、天才の死。それはとてもあっけないものだった。
 -なんでこんなことになっちゃったんだろう?
 本人が一番、そう聞きたかっただろうな。

jacojoni3

 壊すためには、構築しなくてはならない。Joniにとっては、どっちも同等であり、そして突き詰めて考えれば、どっちも同じ行為なのだ。
 彼女は感性の赴くまま、曲を書き言葉を書き、そしてギターをつま弾いた。自身と作品に深みを持たせるため、そして欲望に忠実であらんがため、数々の男性と恋に落ちた。インプットとアウトプット。どちらも同じものだ。
 アーティストJoniは、Jacoの天性を取り込むことによって、クリエイティブ面の幅を広げ、そして深化させた。
 対してJacoは、彼女から何を受け取ったのか。その後の不遇を想うと、結局は搾取されるだけの男だったのか。
 解釈は人それぞれだ。
 受け取った荷物は、手に負えぬほどの怪物だったのか、それとも気づかずに通り過ぎてしまったのか。
 いなくなってしまった今、それは誰にもわからない。





1. Coyote
 カナダでは79位にチャートインしたシングル・カット・チューン。トーキング・スタイルで矢継ぎ早に繰り出される言葉と対照的に、メロディアスな一面も見せるキャッチーさを備えている。彩りを添える程度のパーカッション以外は、2人の真剣勝負。The Bandの『Last Waltz』でこの曲がプレイされており、うら若きSteven Tylerを彷彿させる彼女の姿を認めることができる。聴くとわかってもらえるはずだけど、音数は少ない方が、この曲は映える。



(Last Waltz)



2. Amelia
 Jacoに匹敵するもうひとりの天才が、Larry Carlton。このセットも少人数で構成されており、Victor Feldmanのビブラフォン以外は、ほぼ2人のセッション。ステゴロのような1.の緊張感とは対照的に、ここではゆったり親和的なムードが漂う演奏になっている。ツーといえばカー、そんな感じで息の合った対話。
 ちなみにタイトルのAmeliaとは、赤道上世界一周旅行中、消息を絶った女性飛行士Amelia Earhartを指し、彼女に捧げられている。女性の地位向上に尽力したことと、ミステリアスな死によって、アメリカでは偉人的な扱いになっているらしい。マーケティング分析分野において、「ナンバー1でなくても切り口を変えればナンバー1になりうる」ことを「アメリア・イアハート効果」と形容する。それくらいメジャーな存在。

3. Furry Sings the Blues
 3曲目ではじめて、ギター・ベース・ドラムという普通のスタイルでのプレイ。凡庸ではないけれど、着実に安定したリズムの中で歌いつま弾くJoni。ここでの異物は、あのNeil Young。ハーモニカでの参加だけど、アクの強いプレイ。1.同様、言葉数の多いトーキング・スタイルのヴォーカルだけど、アクの強さに引っ張られてブルース・シンガーが憑依する。まぁそれがテーマの曲だけど。
 天才を凌駕するためには、破天荒なキャラクターじゃないと太刀打ちできないことを証明した演奏。

jacojoni-header


4. A Strange Boy
 「Amelia」と同じセッションでレコーディングされた、こちらはもう少し2人の拮抗ぶりが窺えるナンバー。Carltonのオカズプレイが堪能できる。

5. Hejira
 再び、Jacoとのセッション。今度はクラリネットが少し入るくらいで、ほぼ2人の世界。フレットレス・ベース特有のハーモニクスの音色は、太くどこまでも深い。基本のメロディはシンプルなので、やはり演奏が際立って聴こえる。この時点での到達点となる、コンビネーションの理想形。

6. Song for Sharon
 フォーク時代の痕跡を残す、メロディ中心に構成されたナンバー。3.のメンバーでレコーディングされ、加えてJoniにしては珍しく女性コーラスまで入っている。他のセッションと比べると大幅にリラックスしているので、上質なAORとしても堪能できる。

joni-mitchell-image-from-hejira

7. Black Crow
 Joni、Jaco、Carltonが揃った、アルバム一番の山場。三人三様、持てる技のすべてを出しての真剣勝負。みんなテンションが高い。激しさのあまり、ロックっぽいフレーズを連発するCarlton、「Whole Lotta Love」みたいになっちゃってるJoniのストローク・プレイ、ハーモニクス・プレイ連発のJaco。みんな好き放題にやりながら、奇跡的にまとまっている。よく4分台に収めたよな。



8. Blue Motel Room
 ステゴロのような掴み合いの後は、ちょっとまったりジャジーなバラード。Carltonもここではあんまり本気出していない。曲調からして、フル・スロットルでのプレイは似合わない。普通のオーソドックスなチューンゆえ、あんまりJoniっぽさはないけど、レアグルーヴ好きなら反応するんじゃないかと思う。

9. Refuge of the Roads
 少人数による緊迫したセッションは一旦終了、メロディ主体のアンサンブルにJacoを放り込んだことによって、オーソドックスな楽曲に適度なアクセントがついた成功事例。これ以上のしつこさだと、歌を食ってしまう。ここでのJoniは歌を聴かせたいのだ。
 最後は存在感をアピールするかのように、Jacoのソロで幕。





邦題『恋を駈ける女』…。まちがってはいないけど。 - Joni Mitchell 『Wild Things Run Fast』

folder 1982年リリース、11枚目のオリジナル・アルバム。名だたる豪華メンツを取り揃えた演奏陣、そこから生み出される作品クオリティは、安定のアベレージをクリアしている。ただ実のところ、ジャズ路線へ大きくシフト・チェンジして好評を期した『Caught and Spark』をピークとして、セールス的には下降線を描きつつあった。
 このアルバムも、鳴り物入りで創設されたゲフィン・レコードへの移籍第1弾として、またコンテンポラリー・ロック・サウンドへの路線変更というのが話題になったけど、結果はUS33位UK32位という、まぁまぁの結果。言ってしまえば、まぁそこそこ。
 ただこの人、もともと営業成績に躍起になるタイプのアーティストではないことも、ひとつの見方。いくら時流のサウンドに乗ったからといって、突然ブレイクするようなジャンルの人ではない。
 例えばVan Morrisonのように、レコード会社としての企業メセナ・文化事業としての側面を維持するため、「レコード会社の良心」「象徴的存在」的なポジションの人は、必ずいる。固定ファンはガッチリ掴んでいるので、そうそう大ハズレがないのも、彼らのようなアーティストが重宝される理由のひとつである。この辺の大御所が名を連ねていると、ラインナップにハクが付くしね。

joni-mitchell-1995-new-orleans-performing-billboard-650

 で、前回のSuzanne Vegaが、プロデューサーMitchel Froomとの出会いによって音楽性が変わり、共有する時間が多くなったことから、プライベートを過ごす時間も多くなり、公私ともどもパートナーシップを結ぶに至った、と。ここまで書いた。
 ちょっと露悪的にザックリまとめちゃったけど、考えてみればコレ、一般社会でもよくある話だよな。俗っぽい話だと、要は職場恋愛みたいなもので。有能な先輩・上司に憧れて、指導を受けたり仕事帰りに飲み屋でグチったりしてるうち、なんかいつの間にかくっついちゃったりして。
 Suzanne の場合、一般社会の上司・部下という関係性ではないけど、サウンド・プロデュースの技術スキルに長けたFroomと作業しているうち/相談しているうち、何となく打ち解けあっちゃって、気が合っちゃった次第。
 全部が全部じゃないけど、多くのアーティストの場合、ヒラメキや発想力には長けているけど、商品としてまとめる力・構成する能力が欠けている人も多い。楽曲には絶対の自信があるけど、コーディネート力がおぼつかない、また駆け出しでそのノウハウが足りない者は、外部の助力が必要となる。いわゆるプロデューサー、またはエンジニアというポジション。
 「思いつく人」と「まとめる人」、本来は対等の立場でなければならないけど、普通はプロデューサーの方が作業能力に長けているので、よほどの大物じゃない限り、どうしても作業を仕切る人間の方が立場が上になってしまう。てきぱきセッティングしたり工程表を整然とまとめたり、そんな側面に、「思いつく人」は惹かれてしまう。

rs-182513-98751168

 パートナーによってコンセプトが変わったという点では、JoniもSuzanneと似たようなものだけど、キャリアの長さや業界内ポジションを比べると、Joniの方が断然上であるため、単純にひと括りにはできない。Joniの場合、ミュージシャンに憧れるというよりは、むしろ憧れられる立場、同業ミュージシャンにもリスペクトされる側の人である。
 もともとフォーク/シンガー・ソングライターの枠でデビューしたJoniだけど、まずデビュー・アルバムのプロデュースが、当時フォーク界隈でブイブイ言わせてたCSN&YのDavid Crosby だった、という時点で、すでに大御所感を漂わせている。
 男女の関係になったのが、プロデュース前だったのか後だったのか、その辺は諸説あるけど、まぁ多分ラブ&ピースの時代だったから、本人たちも覚えていないのだろう。ほぼ同時進行で、同じグループのGraham Nash とも付き合っていたらしいけど、まぁその辺もラブ&ピースといったところで。

 ただ単に惚れた腫れただけなら、そこらのグルーピーと変わらないし、リスペクトされようもないけど、彼女の場合、その肉食的なセックス・アピールをも上回るほどの音楽的センス・才能も有していた。
 ポピュラーのカテゴリには収まりきれない、変幻自在のコードワークを支えるのが、誰もマネできないギターのチューニング。一般的なEADGBEという定番チューニングでプレイすることの方が稀で、ほとんどの楽曲は、自ら考案した50種類以上のチューニングでプレイするのだから、こりゃとんでもないギター・オタク。並みの才能で追いつけるものではない。
 そんなテクニカル面でのリスペクトだけじゃなく、情熱的かつオープンな恋愛体質をさらけ出すものだから、そりゃ周囲が放っておくはずがない。いわゆる「モテキ」が延々続く状態。また本人も、チヤホヤされてまんざらじゃなかったのか、その後もJames Tylorと付き合ったり、Leonard Cohen に熱を上げたりしている。
 いわゆる「恋多き女」という異名を持ちながら、そんな世俗的な評判すら吹き飛ばしてしまう完成度と求心力を持った作品を連発していたJoni 。Steven Tyler やMick Jaggerに通ずる肉食系の出で立ちは、強烈なフェロモンを放っていた。いわゆる整った美人ではないけど、異性を惹きつける匂いがあるんだな。

normal_Jaco-Pastorius

 夭折の天才ベーシストJaco Pastoriusと付き合い始めてから、彼女の音楽性は変化する。今度はジャズ。一度虜になったら、のめり込んじゃう人なのだろう。
 フォーク人脈で固められていた、これまでのスタッフも総代わり、8枚目のアルバム『Hejira』では、ジャズ/フュージョン系のミュージシャンがバックを務めることになる。
 こうやって書いてると、「男の趣味でコロコロ態度を変える女」みたいだけど、これもちょっと違う。まず「アーティストであること」が大前提としてある彼女にとって、大切なのはアーティスティックな活動から生み出される作品であり、そこから派生するパフォーマンスである。湧き上がってくるインスピレーション/着想を具現化するため、その才能やビジョンに吸い寄せられてきた男たちを利用してきた、という見方が正しい。
 普通に考えて、この時点で業界内でも盤石のキャリアを築いていたJoniなので、単に惚れた男の気を引くため、大して才能のない男を無理やりキャスティングするとは思えない。音楽的才能のないジゴロや、単に口の上手い男に入れ上げることも、ちょっと考えずらい。
 そりゃラブ&ピースの時代をくぐり抜けてきた人だから、ちょっとしたつまみ食いや、ワン・ナイト・ラブ的なものもあっただろうけど、でもそれはそれ、利用価値がなければハイそれまでよ。継続的な関係になったり、私情を交えたキャスティングにはなり得ないのだ。

 別な意味で言えばJoni 、公私混同は甚だしい。ただ、それは女として、1人の芸術家としての所業である。逆に言えば、完全なビジネスライクに基づいた関係性を築くのが難しい人なのだ。
 彼女と関わるからには、深く深く、持てる力のすべてを差し出さなければ、対等に付き合えない。いや対等じゃないよな、「差し出す」っていう時点で、上下関係ついちゃってるもの。Joni自身はそこまで思ってないんだろうけど、そんな邪気のないところが、彼女の天才性を支える所以、音楽の神に選ばれる点なのだろう。
 で、Jacoの話に戻すと、まぁいろいろ原因はあるけど、ソロ活動を開始したあたりから、様子がおかしくなる。Weather Reportでの確執も相まって、アルコールやドラッグに溺れて自暴自棄な言動が目立つようになり、2人の蜜月は終わりを告げる。
 その別離は同時に、Joni のジャズ/フュージョン時代の終焉も意味していた。同じ路線で3作も続けば、大抵のことはやり切ってしまう。あとは「ジャズ」というジャンルの掘り下げであって、新たな可能性を探る作業ではない。
 良くも悪くもひと区切り、何かとそろそろ潮時だった。

452C294A00000578-4963414-image-a-36_1507571561169

 で、その総決算的ライブ・アルバム『Shadows and Light』の後、リリースされたのが、この『Wild Things Run Fast』。ワールド・ツアー後、カリブ海でバカンス中だったJoni 、解放的な気分も手伝って、地元のディスコへ行ったところ、当時、隆盛だったSteely DanやTalking Heads、Policeのサウンドに触れて、新たな着想を得ることになる。
 恐らく、この前後でゲフィンへの移籍のオファーはあっただろうし、それなら移籍第1弾はちょっと豪華に派手めに、といった考えもあったんじゃないかと思われる。いくらヒット・チャートを狙うアーティストじゃなくても、世間のトレンドもちょっとは頭に入れて置かなければならない。どれだけ高尚な芸術品とはいえ、流通に乗せた時点で、それは商品/ポップ・ミュージックであることを意識しなければならない。

 Jacoとのパートナーシップ解消後、どのタイミングでLarry Kleinが関わってきたのかは不明だけど、彼女がコンテンポラリー・サウンド、いわゆるヒット・チャートに入る音楽と並べても遜色ないサウンドを作るにあたり、彼が重要なファクターであったことに異論はないはず。
 Jaco同様、Larry もまたベーシストであることは、単なる偶然ではない。もっぱらギターやピアノなど、メロディ楽器を操ってきたJoniにとって、骨格となるリズムを司るベースの存在は、必要不可欠なものだった。
 フォーク時代、彼女から見たポピュラー・ミュージックの主流は、単調な8ビートかディスコの4つ打ちが多かった。そんなリズム・バリエーションの狭さでは、自身の楽曲を過不足なく表現するにはキャパ不足であり、柔軟性の高いジャズへ向かったのは自然の摂理。
 それがパンク以降をを経て、お手軽なポップ・ソングだけじゃなく、様々なジャンルを取り込んだ音楽性を持つ前記のアーティストらが、ヒット・チャートを賑わすようになった。ジャズやラテン、レゲエをごく自然に吸収して、質が高く、しかもヒットまでしているのだから。
 Joniにとっても、参戦しやすい環境になった。

afedf73308286aeb026c345efa2c9d9a--self-portraits-album-cover

 ここから始まるロック/ポップ路線はしばらく続き、例のごとく、公私にわたるパートナーシップも並行して継続することになる。
 ちなみにJoniとLarry、その年の差13歳。世代も違えばキャリアも違う、当時駆け出しセッション・プレイヤーだったLarry、そして大御所Joni。よく交際OKになったよな、どっちの立場からしても。ゲスい見方だと、若いツバメを囲い込んだとしか思えないもの。これもミューズの、また動物的フェロモンの為せる技なのか。
 別離後のLarry は、その後もJoniと友好的な関係を継続している。ていうかこの人、別れてから誰かに足を引っ張られたり、ゴシップを暴露されたりって、ないんだよな。別れ方もスマートなんだな。きっと。
 で、Larry、もともと表舞台に出しゃばる人ではなかったけど、その後も裏方として、たびたびグラミーにノミネートされるアーティストをプロデュースしていたりして、着実にキャリアを築いている。別れた後、仕事もなく落ちぶれて消息不明になっちゃったら、面目ないけど、結果的に若い才能を発掘し、独り立ちできるまで育て上げたことは、Joni の功績のひとつと言える。



Wild Things Run Fast
Wild Things Run Fast
posted with amazlet at 18.01.22
Joni Mitchell
Geffen (1991-02-04)
売り上げランキング: 751,183





1. Chinese Café / Unchained Melody
 フュージョンほど複雑ではなく、手数も少ないけど、歌に寄り添うプレイを聴かせるVinnie Colaiutaのドラムは、AORサウンドとの相性も良い。でもこの当時のVinnie、まだFrank Zappaのバンドにいたんだよな。よくこんな人、引っ張ってこれたもんだ。Steve Lukather (g)が参加したことでポップ性が増しているけど、正直、ここでのプレイは大人しい。これまでと勝手が違うセッションだから、まだ緊張しているんだろうか。
 ちなみにどの辺が「Unchained Melody」なのか、ちょっとわからなかった。映画「ゴースト」を観てない俺に、誰かわかりやすく教えて。

2. Wild Things Run Fast
 セッションの順番はちょっと不明だけど、ここでLukatherが本気を見せる。わかりやすいディストーションは、Joniが求めていたはずであろう「いまイケてる音」の理想像。メンバーにロック野郎が1人入っただけで、サウンドがここまで違っちゃうのは、やはり彼のポテンシャルの成せる業。そして、コーディネートしたLarryの功績でもある。



3. Ladies' Man
 ここでギターがチェンジ、常連Larry Carltonが登場。リズム・セクションは変化ないけど、こういったシャッフル系のビートになると、Lukatherの大味なダイナミズムより、繊細さが求められる。慣れ親しんだジャズ・テイストの楽曲だと、Joniのヴォーカルも心なしか軽やか。ロック的なヴォーカル技術は持ってなかった人だし、その辺は無理もない。
 ちなみに目立たないけど、コーラスにLionel Richieが参加。Diana Rossとの「Endress Love」が大ヒットして、キャリア的に最ものぼり調子だった頃の彼の声を聴くことができる。多分、セールス・ポイントだったんだろうな、彼の参加って。

4. Moon at the Window
 再び、空間を感じさせるフュージョン・サウンド。こちらも常連Wayne Shorter (s.sax)が参加しており、Joniとデュエットしてるかのようなメロディアスなプレイを披露している。ただ、4分弱とコンパクトにまとめ過ぎちゃったのが、もったないところ。それとLarry、大御所に囲まれても動ぜず、手数の多いベース・プレイ。ベーシックが4ビートでスローな分だけ、若気の至りでこれくらい走っても正解。

5. Solid Love
 ギターを担当するのは、Larryと並んでその後の常連となるMike Landau。Lukather同様、Boz Scaggsのバックバンドで脚光を浴び、互いをリスペクトし合い褒め合ったり、何かと気持ち悪いギター・コンビである。同じロックにカテゴライズされる2人であり、
 正直、どちらもバカテクなのだけど、何となくJoniの中では、コンテンポラリーなAORをLandau、力強いハードネスをLukatherと使い分けているようである。その結果、「やっぱ激しいのはムリね」と悟ったのか、その後のセッションではLandauにお呼びがかかることが多くなる。


Issue39-joni-mitchell
6. Be Cool 
 再びジャズ・スタイル。この頃のShorterは、Weather Report内がゴタゴタしてて、活動にブレが生じ始めていた頃。フュージョン・ブームの低落の上、トラブルメーカーだったJacoの脱退もあったりなど、テコ入れが必要となっていた。
 Jaco繋がりで共通の話題も多かった2人、このアルバムでは「ポップじゃない」フュージョン・スタイルのプレイに徹してる。フレーズ自体はポップだけれど、Joniの歌が安易なポップに流れるのを阻む。そんな2人のせめぎ合いを前に、周囲は黙ってバッキングに徹するしかない。

7. (You're So Square) Baby I Don't Care
 彼女の長い歴史の中でも、すっごくわかりやすい8ビートのロック・チューン。若手が多いメンバーもこの曲はプレイして楽しかったんだろうな。アウトロのリズム・プレイはやたらテンション高いし。でもね、やっぱこういったロック・スタイルなら、ギターはLukatherの方が合ってたかな。音圧が違うもの。

8. You Dream Flat Tires
 ちょっとブルース・タッチのロック・ナンバー。3.ではその他コーラス扱いだったライオネル・リッチーが、ここではがっつりデュエットで熱いヴォーカルを披露。とても「Endless Love」や「Say You, Say Me」と同じ人とは思えない。元Commodoorsだし、芸の幅が広いのは、むしろ当たり前。
 こうなると、やっぱJoniのヴォーカルの色気、いわゆるスケベ心が足りないのがちょっと惜しい。もうちょっとポップ・フィールドに合わせてくれれば、「Easy Lover」クラスのヒットになったかもしれない。



9. Man to Man
 最初のストロークを聴いて、Larry Carltonが弾いてるのかと思ったら、クレジットを見るとなんとLukather。こんなしっとり落ち着いた音も弾けるんだ。まぁ彼クラスなら普通にできるか、もともとセッション・ミュージシャンだし。ただの直球ハード・ドライビングだけじゃないのだ。
 このくらいのロックとジャズの中間、程よいAOR路線はやっぱりしっくり来る。言っちゃ悪いけど、やっぱりこの辺が彼女の適性でもあるのだ。でもJames Taylor、久しぶりにコーラスで参加しているけど、ちょっと浮いている。せっかくなら、きちんとデュエットさせてあげればよかったのに。

10. Underneath the Streetlight
 サウンドはフュージョンとハード・ロックのハイブリッド、ていうかTOTO。サウンド・デザインのモチーフとして、彼らの存在が念頭にあったことは明白だけど、やっぱ合わねぇよな、シャウトするJoniって。
 リズム・アプローチも目新しいものがあるけど、人には適正というものがあって、そうなるとこの曲なんかは習作の域を出ない。まぁやってみたかったんだろうな。

11. Love
 ラストはしっとり、ここでShorterとLukatherが初顔合わせ。基本、Shorter & Joniによるジャズ的アプローチの中、テンション・コードを効果的に使ったシンプルなプレイのLukather。ジャズ・セッションによくある「せめぎ合い」ではなく、それぞれが醸し出す音によって空間を満たす、有機的なインタープレイが綺麗に幕を閉じる。






Joni Mitchell the Studio Albums 1968-1979
Joni Mitchell
Rhino (2012-11-13)
売り上げランキング: 35,678

ジョニ・ミッチェルという生き方 ありのままの私を愛して (P‐Vine BOOKs)
ミッシェル・マーサー
スペースシャワーネットワーク
売り上げランキング: 302,532


べ、べつに売れたかったわけじゃないンだからねっ!! -Joni Mitchell 『Chalk Mark in a Rain Storm』

folder 1988年リリース、前作『Dog Eat Dog』より約3年ぶり、彼女にとっては13枚目のオリジナル・アルバム。US45位UK26位という成績は、80年代のJoniとしてはまぁアベレージはクリア、と言った程度のそこそこの成績だったけど、本国カナダでは最高23位、初のゴールド・ディスクという栄冠を手にしている。もともと瞬間風速的なセールスを上げるタイプのアーティストではなく、地道なロングテール型の売れ方をする人なので、回収までの期間は相当要するけど、採算が取れる程度には売り上げが見込める、レーベル的には収益の目算が手堅い人でもある。
 一般的な知名度はそこまで高くはないけど、同業者からの評価は総じて高いので、「Joni Mitchell好きなんだよね」と言っておけば、何となく通ぶれるというメリットもある。矢野顕子やVan Morrisonも同じような空気感があるよな。

 CSN&Y「Woodstock」を代表とする、「ちょっと屈折したコード・ワークを自在に操るシンガー・ソングライター」として登場したJoniの活動のピークが70年代にあったことは、ほとんどのJoniファンが頷くところである。
 一般的な抒情派フォークの一言ではくくれない、彼女が本当の意味でオリジナリティを発揮するようになったのは、Weather Report勢をはじめとしたジャズ/フュージョン系セッション・ミュージシャンとの積極的な交流によって生み出された『Court & Spark』以降の作品群からである。

joni-mitchell-1995-new-orleans-performing-billboard-650

 それまでポピュラー・ミュージックのメインとされていたロックが、70年代に入ってからは急速に疲弊していったのと前後して、ジャズやソウルのエッセンスを付加したソフィスティケートされたサウンドが喧伝されるようになる。大部分のAOR作品と比べて、Joniが創り出す作品からは大衆を惹きつける吸引力は弱かったけど、当時のフュージョン・ブームの流れに乗って堅実なセールスを上げていた。
 ここまでは問題ない。

 ここまでのJoniは、70年代に設立された新興レーベルのアサイラムに所属している。Neil YoungやEaglesといったメンツから推察できるように、大陸的なシンガー・ソングライターやカントリーをベースとしたロックを持ち味としたバンドが多く所属する、言ってみればアットホーム的な香りの漂うレーベルである。
 アーティストの自主性を重んじる社風は自由闊達なムードが蔓延し、採算さえどうにか取れれば自由な音楽性を追求できるということで、Joniにとっては心地よい居場所であった。
 その風向きが変わったのが、ゲフィンへの移籍ということになるのだけれど、事実上はアサイラムもゲフィンもオーナーは同じなので、ダイエー・ホークスがソフトバンクに屋号を替えたようなもの、アーティスト側からすれば親会社の名前が変わったんだなぁ程度の認識であったはずである。
 前述したように、旧来ロックは自家中毒を起こして疲弊しきっており、クリエイティヴな面においてはすでにその進歩を止めていた。いたのだけれど、そう考えていたのは一部の真摯なミュージシャンやマニアだけであって、ラジオから情報を得る大多数のライトユーザー向けに、イデオロギーより収益性を優先した産業音楽が量産されていた。
 玉石混合の70年代ミュージック・シーンを過ぎて、効率的に資本回収できるシステム作り、知的好奇心を軽く刺激する程度のアーティスト・エゴを商品化していったのが、ゲフィンというレーベルである。

Joni-Mitchell-1

 5年ほどの長きに渡ったハウス・ハズバンド期を経て前線復帰したJohn Lennonを獲得したことによって、一気に業界内での評価がうなぎ上りとなったゲフィンだけど、この例に漏れず、初期はあまり新人の育成に積極的ではなく、むしろマンネリズムに陥ったアーティストの再生工場という経営戦略を推し進めている。その代表格と言えるのが、ELP、King Crimson、Yesなどのプログレ代表バンドの歴代メンバーを一堂に揃え、思いっきり売れ線狙いの産業ロックを大ヒットさせてしまったAsiaである。
 もともと小難しい理屈やらコンセプトやら鬱屈やらをテーマとして掲げて仰々しいサウンドでもって、有無を言わせぬハッタリで畳み掛ける、というのが俺的に、そして一般的なプログレに抱く印象なのだけど、実のところ、その辺を大真面目に考えているのはバンド内のブレーン担当くらいのもので、大方のプログレ・バンドのメンバーらは、ごく普通の分別と感性を持ったミュージシャンであり、それがちょっと他のジャンルよりはバカテクなだけである。売れるためにちょっぴり媚を売ったり魂を差し出したりすることに、それほどこだわらないのが大部分である。
 しちめんどくさいコンセプトに縛られず、ひたすらキャッチーなリフとポップなメロディにこだわった結果、彼らは産業ロックのフロンティアとして、爆発的な人気を得た。もともと各メンバーともリーダーを張れるほどの実力の持ち主であり、他バンドと比べてポテンシャルはハンパなかったので、いくらチャラチャラした楽曲やアレンジでも、どこかしら気品のようなものが漂ってしまうのは、やはりプログレ者としての業なのだろう。さり気なく変拍子や超絶アンサンブルなんかをぶち込んでるし。

 賞味期限の過ぎたベテラン・ミュージシャンでも、コーディネート次第では全然商品価値は上がる、ということを証明したのがAsiaであるとすると、当然、そこに目をつけるプロデューサーやマネージャーが跋扈したりもする。70年代を優雅に締めくくれず離合集散を繰り返したバンドの順列組合せが顕著になったのが、ちょうど80年代初頭からである。
 ソロ・アーティストもまた例外ではなく、これまで主にカントリー・ロック周辺で活動していたKenny Logginsは次第にロック色を強め、サントラ請負人として確固たるポジションを築いたし、他にも多くのシンガー・ソングライターらがKORGやRolandのシンセをこぞって導入し、ライトなAOR化へシフト・チェンジしていった。その路線がマッチした者もいれば無理やりこじつけっぽさが残る場合もあったけど、まぁそれはケースバイケース。

MI0002152340

 でJoni。
 『Wild Things Run Fast』から続く彼女のコンテンポラリー・サウンドへの急接近が、果たして本人の望むものだったのか、それともアゲアゲムードだったゲフィンの社内ムードに乗せられてのものだったのか。多分、どっちもだとは思う。
 大成功を収めたAsiaの成功体験が、ゲフィンのビジネスモデル、必勝パターンとして定着しつつあったため、アーティスト本人だけじゃなく、周囲のブレーンも浮き足立っていた、というのもあるのだろう。
 特にJoniの場合、ゲフィン移籍と前後して、公私認めるパートナーだったJaco Pastoriusとの関係の解消、同時進行で新パートナーLarry Kleinとの親交がスタートしている。以前のレビューでも書いたように、Joni Mitchellという人はアーティストであると同時に、女性でもある。こうやって書いてしまえば当たり前のことなのだけど、彼女のアイデンティティを構成する要素として、アーティスティックな側面と恋愛とは不可分である。言ってしまえば、その時その時で、付き合う男によってサウンドの傾向がまるで違ってしまうのが大きな特徴である。
 Larryは主にロック・フィールドでの活動が多かったため、自然と彼女の音もロック的、コンテンポラリー路線に傾倒してゆくのは自然の摂理とでも言うべきか。

 1980年設立という若い会社だったゲフィンに籍を置いていたことによって、また前身レーベルであるアサイラム時代からの古参ということもあって、下衆な勘繰りで言えば相応の印税率やディールは受け取っていたと思われる。キャリアを通して決して稼ぎ頭筆頭ではなかったけれど、社内的ポジションにおいてもかなり優遇されていたはず。
 レーベルも一新したことによって、これまでのような通好みの音楽ばかりを追求するのではなく、多少なりともシングル・ヒット的な功績のひとつでも残しておいた方が業界内ポジションの維持にも繋がるというのは、自明の理である。
 とは言っても、いきなり脈絡もなくダンス・チューンを多めに入れるとか単純にDX7のプリセット音で埋め尽くすというのも、彼女のプライドが許さない。これまでの文脈も念頭に入れてアーティスト・イメージを壊さず、それでいてポピュラリティを獲得できる方向性で進めなければならない。
 なので、大人のコンテンポラリー・ポップ、AOR路線というのがここで登場する。もともとAOR自体が、ジャズ/フュージョン、ファンクやソウルのハイブリット、いいとこ取りのジャンルのため、彼女がそちらの方向性へ向かうのは、至って自然の流れである。

main-qimg-46b876ad6bbd5c82405618ae0c98e162-c

 ちょっとデジタル臭が強く出過ぎた『Dog Eat Dog』の反省もあって、この時期のJoniは視野を広げる目的もあったのか、以前から半分趣味的に続けていた絵画に本腰を入れるようになる。個展開催も積極的に行なうことによって、音楽の比重が少なくなり、実際、『Chalk Mark in a Rainstorm』リリースに至るまで3年のブランクが空いている。それだけ前作でのシーケンスとの格闘での疲弊が大きかったのだろう。
 ただそのインターバルが結果的に良い方向へ向かうきっかけとなったのか、クールダウンすることによって、デジタル・サウンドの使い方がこなれてきている。何が何でも徹頭徹尾打ち込みで埋め尽くすのではなく、従来のアコースティック楽器との絶妙なブレンドがナチュラルに溶け込んでいる。80年代特有のデジタル・サウンドは時代の風化に耐えられぬものが多く、Joniのサウンドもまた例外ではないのだけれど、スロー系では今も光るものが窺える。テンポが速くなると、ちょっと古臭くなっちゃうよな、やっぱ。無理にビートに乗ろうとするからまた。

 やたら多いゲスト陣というのが、このアルバムの大きな特徴。当時、Kate Bushとのデュエット「Don’t Give Up」がメチャメチャはまっていたPeter Gabrielや、アサイラム時代からの戦友Don Henleyを引っ張り出してくるのはまぁわかるけど、さすがにBilly Idolはないでしょ普通。単に意外性だけでキャスティングしたとしか思えない。その後も接点ないし。
 バラエティに富んだ豪華ゲスト陣と言うより、むしろ八方美人的に散漫な印象ばかりが先行してしまったこのアルバムの反省なのか、こういったコラボものはここで終了。Tom Pettyはまだわかるけど、Willie Nelsonはちょっと方向性違くない?とJoni自身思ったのだろう。

tumblr_ne96qvR2111tdp2jao6_500

 『Dog Eat Dog』がデジタル・サウンドをマスターするための習作だったとすると、この『Chalk Mark in a Rain Storm』はデジタルとアコースティックの混合比を見極めるための実験作、過渡期の作品という見方ができる。トップ40も十分狙える、ライト・ユーザーにもアピールするコンテンポラリー・サウンドを目指したけど、どうしても下世話に徹しきれなかった作品ではある。でも、その後のアーティスト・キャリアを思えば、ここで大きく道を逸れなくてよかったことは、歴史が証明している。
 次作『Night Ride Home』ではその実験成果がうまく具現化し、それ以降は絶妙の混合比バランスと世界観とを併せ持った円熟期が始まることになる。


Chalk Mark in a Rain Storm
Chalk Mark in a Rain Storm
posted with amazlet at 16.12.14
Joni Mitchell
Geffen Records (1990-10-25)
売り上げランキング: 466,003



1. My Secret Place
 Peter Gabrielとのデュエットが話題となった、1枚目のシングル・カット。『Dog Eat Dog』で孤独なスタジオ・ワークに翻弄されていた感があったJoniだったけど、ここではシーケンスもまた楽器のひとつに過ぎないことを悟ったのか、デジタル臭はあまり前面に出ていない。エスニックなスタイルのヴォーカルを聴かせるGabriel、クレバーなトーキング・スタイルのJoniとのコントラストは絶妙。Kate Bushほどの幻想性はないけど、熟練のアーティスト同士の微妙な間合いが何とも。探り合ってるよな、2人とも。



2. Number One
 Manu Katchéが叩いているせいか、ポリリズミックなドラム・パターンが印象的。特徴的なリズムに乗せて歌うJoni、やはりいつも通り、メロディアスとはとても言えない、多分彼女以外が歌ったら支離滅裂になりそうな楽曲。こんな奇妙なコードを器用にまとめ上げてしまうのは、やはりこの人ならでは。
 ところでデュエットしているのは、当時活動休止中だったCarsのBenjamin Orr。正直Ric Ocasek以外のメンバーについてはほとんど知らないし、なんでこの人がここでフィーチャーされているのか、なんともさっぱり。

3. Lakota
 冒頭でむせび泣くような雄たけびを上げているのは、ネイティヴ・アメリカンの俳優Iron Eyes Codyによるもの。ちなみにLakotaとは、その部族のひとつ「スー族」を指す。
 サウンド自体はそこまで土着的なものではなく、普通にコンテンポラリーなロック・サウンド。Don Henleyがコーラスで参加しているけど、あまり目立った活躍はない。

4. The Tea Leaf Prophecy (Lay Down Your Arms) 
 揺らぎのあるメロディーが70年代からのファンにも人気の高い、それでいて力強く歌い上げるJoniの珍しいヴォーカルが聴ける、こちらも人気の高いナンバー。ドラムのエコーが深いのが時代を感じさせるけど、Joniのサウンド・コンセプトにはマッチしている。シングル・カットしても良かったんじゃないかと思われるのだけど、やっぱり地味なのかな。
 ここでのゲスト・コーラスは、当時、Princeのバック・バンドRevolutionやWendy & Lisaのバッキングを担当していたLisa ColemanとWendy Melvoin。Princeが自らのバックボーンのひとつとしてJoniを挙げていたのは有名なので、一応まったく関連がないわけではないのだけれど、やっぱり意外。ただ、特別ファンキーさを感じさせるものはない。彼らじゃないと、という必然性はあまり見えない。

joni-mitchell-my-secret-place-163753

5. Dancin' Clown
 このアルバム中、またはJoniのキャリアの中でも最も異色さが際立つハードロック・チューン。だってデュエットしているのがBilly Idolだし。どういった経緯でJoniが彼にオファーしたのか、それともJoniのスタッフがプッシュしたのか、ていうか何でBillyがこの仕事を受けたのか、第一Joniのことを知っていたのか。
 疑問はいろいろ尽きないけど、めったに見ることのできないダンサブルなJoniを堪能したいという、マニアックな性癖のファンだったら喜ぶと思う。
 当時、BillyとよくつるんでいたSteve Stevensも参加しており、こちらもまた通常のBillyのスタイルでプレイしている。異分子を入れることによって予定調和を回避したかったのかもしれないので、まぁ「予定調和じゃない」というその一点だけ、目的は達成している。
 ていうかTom Petty、こんなとこで歌ってんじゃねぇよ。すっかり霞んじゃってるし。きちんと1曲腰を据えてデュエットすりゃ良かったのに。

6. Cool Water
 と、これまでは同世代のアーティストとのコラボが多かったのだけど、ここに来て格上が登場。当時でもすでにカントリー界においては大御所だったWillie Nelsonが参加している。もうちょっとスロー・テンポで色気があったら、『Top Gun』を代表とした80年代アメリカ・エンタメ映画のサウンドトラックにでも抜擢されたかもしれない。それくらいムードのある曲。一応、シングル・カットもされてはいるらしいけど、残念ながらチャートインは果たせず。



7. The Beat of Black Wings
 これまであまり起伏の乏しいメロディを歌ってきたJoniだったけど、このアルバムではメロディ・メーカーとしての側面を強調した楽曲が多い。やればできるじゃないの、と言いたくなってしまうミディアム・スロー。
 デュエット曲が多いため、相手にも見せ場を作る気配りという点もあったのだろう。ここで再びCarsのBenjaminが登場。特別、秀でたものとも思えないんだけどね。

8. Snakes and Ladders
 再びDon Henry登場。ここではもうちょっと見せ場を作られている。Eagles解散後、ソロ活動で最も成功を収めていたのが彼であったため、便乗目的ではないけど、ここでDonをフィーチャーする必要があったのだろう。
 こちらもシングル・カットされており、US Mainstream Rockチャートにて最高32位。サンプリング・ヴォイスのJoniが聴ける貴重な一曲。

9. The Reoccurring Dream
 ほぼゲストを入れることもなく、ほぼJoniとLarryの2人で制作された、密室間の強いメッセージ・ソング。『Dog Eat Dog』の延長線上的なサウンドは、ここで完結している「閉じた音像」ではあるけれど、デジタル特有の質感は柔らかく処理されている。

joni-mental-health-513241

10. A Bird That Whistles (Corrina, Corrina)
 古いトラディショナルのカントリー・ブルースをベースとした、変則チューニングで奔放に引きまくるJoniのアコギ、それと旧知の盟友Wayne Shorterとのセッション。お互い手の内は知り尽くしており、当初は和み感さえ漂っているけど、終盤に近づくにつれ、互いの技の応酬が激しくなる。興が乗ったセッションは次第に緊張感が蔓延しはじめ、そして唐突に幕を閉じる。その切り上げの加減こそが、一流アーティストらを手玉に取って操ってきたJoniの成せる業なのだ。



コンプリート・ゲフィン・レコーディングス
ジョニ・ミッチェル
ユニバーサル インターナショナル (2007-09-19)
売り上げランキング: 659,828
Songs of a Prairie Girl (Dig)
Songs of a Prairie Girl (Dig)
posted with amazlet at 16.12.14
Joni Mitchell
Elektra / Wea (2005-04-29)
売り上げランキング: 214,815


カテゴリ
北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
QRコード
QRコード
最新コメント

音楽 ブログランキングへ


にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村




アクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: