好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

John Coltrane

誇大表現じゃないよ、マジのお宝音源(ちょっと下品だったな)。 - John Coltrane『Both Directions at Once: The Lost Album』

analysis-032-cover 映画『スウィング・ガールズ』にて、高校の数学教師役で出演している竹中直人のエピソード。田舎のパラサイト中高年男性にありがちな、オーオタかつジャズオタの竹中。学校ではサエない風采だけど、それは仮の姿。自室に金にモノを言わせた高級オーディオをズラリと並べ、終日往年のジャズLPを大音量で鳴らして悦に入っている。
 職場ではそんな態度をつゆほど見せず、あくまで密かな愉しみとして、昼行灯のような無気力教師を演じていた竹中、そんな中、ブラバンの顧問を探している生徒たちに自宅を急襲され、裏の顔がモロばれしてしまう。同好の士として快諾すると思いきや、なぜか固辞する竹中。生徒らがどれだけ頭を下げても、その決心は変わらなかった。
 シーンは変わって、同じ町の音楽教室。田舎ゆえ、生徒数は3人程度のこじんまりしたもの。小学生も混じってる顔ぶれから見て、初級クラスと察せられる。
 谷啓演じる講師に指名され、サックスを構える竹中。おもむろに立ち上がり、激しいブロウ中心のフリープレイを披露するのだけれど、すぐさま止められる。「基本的な運指やタンギングもできてないのに、形から入っちゃダメ」と諭され、しょげる竹中。子供にバカにされる竹中。

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 長々と書いちゃったけど、俺が思うところのコルトレーンのイメージとは、だいたいこんな感じである。実際の劇中設定では、アルバート・アイラーをモデルとしたらしいけど、末期のコルトレーンをマネしようとしたら、だいたいこんな感じになるんじゃないかと思われる。
 実際にコルトレーンをちゃんと聴いたことがない層、いわゆるライト・ユーザーが思い浮かべる彼のビジュアル・イメージは、名盤『My Favorite Things』のジャケットが最も多い。ちゃんと集計を取ったわけじゃないので、ソースも何もないけど、最大公約数として一番有名なのはこのアルバムだし。
 神妙な面持ちでソプラノ・サックスを構えるコルトレーン。正直、くすんだブルー・バックと赤のデザイン・ロゴの組み合わせはミスマッチで、もうちょっと何とかならなかったのかね、と突っ込みたくなってしまう。
 総じてコルトレーンのデザイン・アートワークは、往年のジャズ・アルバムと比して、あまりセンスの良いものではない。末期になると、時代の流れで変なサイケ風味が入ってきて、さらに行先不明なものになってゆく。
 あ、でもそれはそれで、内容に偽りなしか。

 何となく聴きかじったところからもう少し先、ジャズ沼に片足を深く突っ込んだところで見えてくるのが、これまた名盤『至上の愛』のジャケットである。神妙な顔つき具合は『My Favorite Things』ともタメを張るけど、モノクロ写真のため、世界観とうまくフィットしている。やっぱジャズのアートワークは、モノクロがハマるよな。
 さらにさらに先に進み、インパルス後期にまで足を踏み入れると、混沌のアバンギャルド・ジャズ一色になってくる。ここまで来ちゃうと、もはや存在という概念を超越した世界。
 解脱した修行僧のような佇まいから漂ってくるのは、問答無用のコルトレーン・ワールド。「聖者になる」と発言したのがちょうどこの頃で、もう天衣無縫のやりたい放題。凛とした佇まいから吐き出される音の洪水は、人智を超えた不可知論の世界でとぐろを巻いている。
 そんな混沌を瞬時に的確に表現したのが、冒頭の竹中直人だった、という結論にたどり着くまで、長々と書いてしまった。ごめん、これもただ書きたかっただけなんだ。

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 ジミヘン同様、生前より没後の方がリリース数の多いコルトレーン、こうしている今もアーカイブの発掘・整理作業は連綿と続けられている。今年リリースされた『The Lost Album』は、ライブ物中心だったこれまでのリリースとは傾向が違って、スタジオ未発表音源ということもあってインパクトが強く、ジャズ村界隈以外でも大騒ぎになったのは、記憶に新しい。
 時々思い出したように、このようなお宝アイテムがリリースされるということは、もちろん市場のニーズあってこそだけど、まだまだ発掘調査の余地が残されている、ということなのだろう。インパルスやアトランティックの倉庫には、まだ封されたままのマルチトラック・テープがゴロゴロしてるんだろうし。
 いや、もう裏ではきちんとカタログ化されてるのかな。小出しにしてった方が、ビジネス的には賢い選択だし。
 ただジミヘン同様、もし彼が今も生き長らえていたとしたら。心身ともに健康なまま、活動を継続していたとしたら、現在のような評価がされていただろうか、と。
 それはちょっと疑問である。

 インプロ中心の独演会と化していた末期の演奏は、もはや本人にも収拾不能の大風呂敷プレイとなっていた。その音はもはや、聴衆に向けて放たれたものではなく、コルトレーンの内的宇宙へ収斂し、そして完結する。
 彼が影響を受けたカバラやインド思想を勉強して聴いたとしても、さらに混迷を極めるばかり。わかったつもりでいても、またすぐわからなくなる。
 ハマればハマるほど、そのサウンドは共感を拒む。いずれにせよ、一見さんに優しい音楽ではない。
 コルトレーンの死後、ジャズ界は一気に電化フュージョンの流れとなる。青息吐息のモダン・ジャズは、BGM用途のイージー・リスニングか、極東のマニアの慰みものとして、辛うじて命脈をつなぐことになる。なので、さらに風当たりの強いアバンギャルド・ジャズは、居場所がなくなる。
 「聴衆の共感を得ることから降り、頑なに求道者のごとく我が道を突き進むコルトレーン、その前衛さゆえ、アメリカ本国での人気は、次第に下降線を辿ってゆく。ファンへの迎合を潔しとせず、まだフリー・ジャズに寛容なヨーロッパへ活路を見いだし、シーツ・オブ・サウンドの探求を続けることになる」。
 なので、メインストリームでの活動は難しかったんじゃないか、というのが俺の私見。

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 コルトレーン自ら制御することをやめてしまったインパルス末期のサウンドは、いわゆる上級者向けである。この辺の発掘音源は、史料的価値は高いのだけど、日常的に聴くものではない。ていうか、それはかなり無理ゲーである。
 これまでもコンスタントに発掘音源がリリースされていたコルトレーンだけど、今年の『The Lost Album』が特別盛り上がったのは、それなりの理由がある。もちろんスタジオ未発表音源というのが大きなセールス・アピールではあったけれど、レコーディング時期が1963年だったというのが大きい。多くのジャズ・ファンのテンションと血糖値が爆上げしたのは、これが大きい。
 63年のコルトレーン・サウンドは、まだフリー・ジャズに足を踏み入れる直前だったため、わりかしモダン・ジャズ寄りである。なので、「ちょっとアドリブ・ソロが長いモダン・ジャズ」といった印象なので、ビギナーにもやや聴きやすい。
 これが65年くらいになると、アドリブが冗長になって暴走しかけてくる。ウブな素人に聴かせるには、ちょっと刺激が強い。完全コンプを狙うマニア以外には、ちょっとおススメしづらくなる。
 なので、63年のスタジオ・アウトテイクというのは、全ジャズ・ファンに広くアピールできるお宝音源と言える。世事の煩悩から解脱した末期と違って、この頃はまだレコード・セールスやファンの反応を気にしていたコルトレーン、ウケの良いバラード集やジャズ・ヴォーカルとのコラボも積極的に行なっている。

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 BGMとしての機能はまるでない末期のアルバムを聴くには、相応の覚悟が求められる。疲れてる時や、風邪をひいてる時なんかに聴くものではない。ちゃんと体調とメンタルを整えてからでないと、心も体も悪化する。
 とはいえ、体調は万全、ポジティブな気分の時は聴く気になれない。なので、結局先延ばしになってしまう。
 その日の気分で棚からひと摑み、という音楽ではない。学ぶ姿勢、時にはねじ伏せる姿勢じゃないと、末期コルトレーンとは向き合えないのだ。
 で、そんな肩ひじ張った態度ではなく、もっとジャズを楽しむことができる時代の音源が、こういったまとまった形で発掘されたのは、素直に喜んでいい。
 飽くことなきクオリティの追求は、ある瞬間から大衆性を超えてしまう。どれだけ純度の高い作品だったとしても、聴き手の感情移入の余地がなければ、それは単なる空気の振動に過ぎないのだ。
 マッコイ・タイナー(P)、ジミー・ギャリソン(B)、エルヴィン・ジョーンズ(Dr)という黄金期カルテットのセッションは、すでに円熟期に達している。もはや既存ジャズのフィールドで、この4人でできることは、それほど残されてなかった。
 完成形をさらに極めることもひとつの手立てだけど、つねに前進するべく、ストイックな姿勢を崩さなかったコルトレーン。商業的なニーズを考えるのなら、この路線を維持した方がもちろんいいわけだけど、それと相反するプレイヤビリティが、次第に音楽性の混沌を導くことになる。
 マッコイ抜きで行なわれた、トリオ編成でのセッションは、そんなコルトレーンの心境の変化のあらわれとも言える。主旋律を導き出すのは自分であり、そしてまた壊すのも自分。
 ていうか、もう整ったメロディはいらない。
 このテイクが63年当時に発表されていたら、フリーへの転身ももう少しスムーズだったんじゃないかと思われる。


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1. Untitled Original 11383
 タイトルさえつけられなかった完全未発表曲のひとつ。この時点で、すでにジャズ界随一のソプラノ・サックス使いとして名を挙げていたコルトレーン。ていうか、ほぼこの人くらいしか使っていなかったけど。
 ある意味、このメンバーの中では常識人だったマッコイの堅実なプレイが、自由奔放なメンバーのプレイをうまく集約させている。みんながみんな野放図だったら、まとまるものもまとまらないもんな。3分過ぎからジミー・ギャリソン、アルコ(弓での演奏)も聴かせてるし。
 プレイ以外の面、楽曲自体は実のところ、そこまで特筆するほどのものではない。そりゃ並みのミュージシャンと比べたらハイレベルだけど、当時の彼らとしてはウォーミング・アップ程度のものだったんじゃないかと思われる。すっきり5分程度でまとめてるし。

2. Nature Boy 
 ナット・キング・コールによってヒットした、いわゆるジャズ・スタンダード。バンドの理性を司っていたマッコイ抜きのレコーディングとなっており、そんなわけでリズム隊がクローズアップされている。ビート感の強いアフロ・リズムは、メロディアスな楽曲にはちょっとミスマッチだったんじゃないか、と俺の私見。コルトレーンのプレイも無理やりねじ伏せてる感が強く、消化不良のまま3分程度で締めくくっている。

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3. Untitled Original 11386 
 志半ばで終わった2.とは打って変わって、アトランティック期のメロディアス感を彷彿させるソプラノ・チューンは、新旧問わず、多くのファンを納得させる。どこかで聴いたようなフレーズが散見されるけど、でもいいじゃんベタでも。緩やかに統率された中でのコルトレーンの暴走、そして時折ペースダウンを促すかのように割り込んでくるマッコイのソロ。でもお互い、譲ろうとしないんだよな。何とか形になっちゃってるんだけど。



4. Vilia
 ジャズ・スタンダードのカバーらしく、あまりコルトレーンっぽさの感じられないナンバー。最初のソロなんてソニー・ロリンズみたい。もちろん次第にこじれて屈折した詰み込みプレイに変化してゆくのだけど、まぁ彼にこういったのは求めないよな。

5. Impressions
 このアルバムの中ではテンポも速く、グルーヴ感も極まってるチューンだけど、数々のライブ・テイクと比べたら全然大人しい。コルトレーン沼にはまると、あっさりして物足りないくらい。マッコイ不在によってリミッターは外れてるけど、スタジオ・テイクな分だけ、クレバーな演奏。

6. Slow Blues 
 考えてみればこのアルバム、まとまった形のマテリアルがまるまる未発表だったわけではなく、単に同じ時期のテイクを並べたものである。なので、一貫したコンセプトで括られてるわけではなく、いわゆる寄せ集めてきな色彩が強い。
 そんなわけで、こういったストレートなブルースはちょっとミスマッチ。正直、11分は冗長。テオ・マセロなら、この半分でまとめちゃったかもしれない。

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7. One Up, One Down
 2005年に発掘された、ハーフ・ノートでの同名ライブ・アルバムのスタジオ・ヴァージョン。多くの人同様、俺的には、ライブ・ヴァージョンの方を先に聴いてるので、スタジオ録音は何だかかしこまってるよなぁ、といった印象。
 ジャズの場合、スタジオ録音=オリジナル・ヴァージョンとは単純に言えないので、先に世に出た方がインパクトが強くなるのはやむを得ない。それでもこのテイクが無視できないのは、やはり完成されたアンサンブルと圧倒的な録音レベルの高さ。ジミーもエルヴィンもマッコイも、みんなにきちんと見せ場がある。そして、彼らの挑発的なプレイを悠々と受け止めるコルトレーン。
 この時代はいい意味で、いわゆる「ジャズ」の範疇にある。この後も面白くなってゆくのだけど、まぁ聴く人を選ぶわな。



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「ジャズ」として聴ける限界値のコルトレーン - John Coltrane 『Transition』

folder 前回のMilesの続き。
 組織論としてのバンドの実例として、ColtraneとMiles両名で検証してみたのだけど、結局、どちらのやり方でも後進への影響やセールス実績を残しているため、優劣をつけることはできない。方向性の違いだけである。なんだそりゃ。

 もともと正統派モダン・ジャズの係累を歩んできた両名、スタイルの違いはあれど、本質的なところではそんなに変化はない。強烈なミュージシャン・エゴに基づくリーダーシップを振りかざし、いち早くツバをつけた若手の尻を叩いてセッションを進行させてゆく、というプロセスは変わりない。
 バンド運営的にも、実績の弱い成長過程の若手はスケジュール的にもギャラ的にも何かとムリが効く。何しろ相手はジャズ界の大ベテランで、むしろ手弁当でもいいくらいの気概で参加している者も多い。
 「ギャラの取り分?まぁ勉強させてもらってるんで、イイっすよ言い値で」。
 なので、コスパ的にも何かと都合が良い。ある程度在籍して発言権を得てきたあたりで独り立ちさせてやりゃいいんだし。

 Coltraneの後期の作品のほとんどが、メイン・ソロイスト(要はColtrane)プラスαというアンバランスな構成になっている。末期はPharoah Sandersとの双頭体制も多かったけど、基本、Coltraneのコンセプトに従ってのプレイなので、突出したオリジナリティを表現する余地はほとんどない。彼が本性をあらわしてくるのは、Coltraneが亡くなってからである。
 対しMiles、リーダー・アルバムであるにもかかわらず、もともと彼の場合、メインのソロの割合はColtraneほど多くない。以前どこかで書いたと思うけど、Milesというアーティストはプレイヤーというよりはむしろサウンド・コーディネーターであり、コンセプト・メーカーである。具体的な意図を提示するわけではないけど、「こんな風にやれ」と彼が指示するだけで、いつの間にかMilesのサウンドになってしまっている。引退直前の一連のアルバムを聴いてみればわかるけど、どのプレイヤーも好き勝手に演奏しているように思われるけど、最終的にはきちんと「Miles Davis」印のサウンドとして成立してしまっている。誰もがみな、Milesの掌の上で踊らされているに過ぎないのだ。
 そんな塩梅なので、何もMiles自らが無理に出張ってソロを吹きまくる必要もない。要所を押さえておけばよいのであって、それをより効果的に演出するため、むしろソロ比率は他のアーティストと比較しても圧倒的に少ない。でも、ちゃんとMilesのサウンドになっちゃってるのだ。

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 で、Coltraneの場合。彼の場合、音楽をプレイするという行為に意味を見出そうとするがため、どうしても曲の構成が理屈っぽくならざるを得ない。ちょっと息苦しささえ感じてしまうのは、何もフリー性が強くなったからだけではない。主に頭の中だけで構築されたサウンドは、敷居を高くする。
 イデオロギーに基づいて頭の中でこねくり回された音楽的なアイディアは、収拾がつかなくなっちゃってるのだけど、とにかく思いついた音はすべて出し切らないと気が済まない。膨大すぎて整理がつかなくなっちゃった末、演奏するたびにテンションが上がりまくって、全部自分でやってしまうパターンが多い。演奏に入る前はそれなりにアンサンブルも構成も考えていたはずなのに、全部チャラ。シーツ・オブ・サウンドの暴走である。
 Pharoahもそうだけど、他にもRashied Aliなど有能なミュージシャンをバックに従えているのだから、彼らを単なる伴奏者として使おうだなんて思っていなかったはず。一応はバンマスとしてのColtraneが取りまとめているのだけど、彼らはバンド・メンバーであると同時にイデオロギーを共にした同志であり、基本、上下関係というのはない。
 なので、Coltraneとしてはみな平等に見せ場を作ろうと開演前には思うのだけど、いざステージに立って演奏が始まってしまうと、すべての目論見はぶっ飛んでしまう。いつもの独演会の始まりである。

 プレイヤーとしてまっとうな感覚を持つミュージシャンなら、そんなバンマスの独善ぶりに嫌気が差しても不思議はない。実際、日に日に肥大化する彼のインプロビゼーションについていけなくなったのか、黄金のカルテットと称されたMcCoy TynerとElvin Jonesもバンドを去っている。
 最後まで残ったのは、前述の2人に加え、Coltrane夫人のAlice。こちらも恋愛関係が昂じて一緒になった夫婦というよりは、イデオロギーに共鳴した同志としての関係であり、世間一般のカップルとはニュアンスが違っている。一般的に考えて、同じ職場に奥さんが在籍しているというのは、あまり気持ちの良いものではなく、むしろ不自然。家内制手工業や3ちゃん農業でもあるまいし、気疲れしなかったのかな。
 そういえば、Paul McCartneyもWingsで妻Lindaを引き入れていたし、Fleetwood Macなんて元夫婦や元カップルやらW不倫やらその他もろもろで、バンドが成立していたのが不思議なくらいである。ミュージシャンって、そういうのあんまり気にしないのかな。

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 これはジャズ全般に言えることだけど、ポップスのようにイントロ→Aメロ→サビ→間奏→Bメロ→大サビ→アウトロという定型化した構造がなく、基本となるフレーズとコード進行、何となくソロの割り振りさえ決めてしまえば、どうにでもなっちゃうジャンルである。同じ曲名なのに、全然違った曲になってしまうことも珍しくはない。その日の気分次第コンディション次第で、アドリブ・パートのフレーズがまったく変わってしまうこともしょっちゅうである。
 なのでColtraneの場合、特にシーツ・オブ・サウンドが一応の完成を見てからのアトランティック後期からは、毎ステージごとが新曲のようなものである。ジャケットや風貌にスピリチュアルな要素が入ってくるのと前後して、彼らの演奏は常に新規巻き直しの真剣勝負の様相を呈している。彼らにとってジャズを演奏するということは、カタルシスを得るためではなく、もっと先にあるなにかに辿り着くための修練、Disciplineなのだ。
 全キャリアを網羅するが如く、Coltraneの未発表セッションの発掘作業は続いている。正規・ブートに限らず、毎月のように世界各国のメディア音源、蔵出し音源がリリースされている。俺自身はそこまでのColtraneマニアではないので、たまに正規音源をつまんでみる程度だけど、すべての録音物をかき集めたとしたら、とんでもない物量になってしまうだろう。そうすると一生を棒に振りかねないので、ライトなユーザーに甘んじている次第。インパルス期はあんまり聴いてない。
 多分、末期にも俺が気に入る音源はあるのだろうけど、いつもyoutubeの視聴程度で断念してしまう。特に俺が大好きな「My Favorite Things」、日本公演のそれはまるまるCD1枚分の物量に肥大化している。あの軽やかに口ずさめるフレーズはほんのちょっぴり、あとは難解かつ混迷とした解釈によって、原形を留めていない。フリー・ジャズをわかってる人間にとっては良いのだろうけど、ライトなユーザーの俺からみれば、迷宮にはまり込んでこじらせちゃった感が強い。
 もうちょっとコンパクトにまとめるとか、誰か進言しなかったのか?

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 そう考えると、Teo Maceroの偉大さが実感できる。後年になってからだけど、めったに人を褒めることのないMilesでさえ、彼の編集技術を高く評価していたし、どれだけとっ散らかったとしても、最後はTeoが何とかしてくれる、という信頼関係によって、セッションが進行していたことも解明されている。
 Stonesのジャム・セッションにも比肩する冗長なセッションによって生み出された膨大なテープの山を前に、躊躇せずバシバシハサミを入れ、そしてシステマティックに繋いでゆくTeo。当時は決して表に出ることのなかった、地道で神経を磨り減らす作業を、彼は黙々と、それでいて誠実にクリアしていった。
 Milesのコンダクトによって続々生産される未編集テープの山を、Teoが商品として適切な形にブラッシュアップ、体裁を整えてリリースされる。その完成ヴァージョンをもとにライブでプレイ、そこからまた新たな着想を得てレコーディングに入る。その好循環は、MilesがCBSと袂を分かつまで続いた。

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 そんなTeo的ポジションの不在が、特に後期Coltraneへの生理的拒否感を助長させたんじゃないかと思われる。双方とも、フリー・ジャズ&インプロビゼーション主体の音楽性であることに変わりはないのだけど、アラスカの奥地へも配給ルートを持つ大メジャーCBSと、アーティストの意向を最大限尊重するジャズ専門レーベルのインパルスとでは、そもそもの販売戦略が違っている。
 どれだけMilesが奔放なプレイをしようと、マス・ユーザーを想定して編集ブースにこもるTeoによって、そのテープは時に原形を留めぬほど切り刻まれた。どれだけ良いアドリブやアンサンブルがあったとしても、冗長で意味がないと判断すれば、彼は容赦なくその部分をカットした。ほんとはもっと短く編集してもよいくらいだけど、2枚組になってしまうのは、Milesに対する敬意を表したものだろう。もし彼がその気になれば、テープをいくらでも短く、または長く編集できたはずである。

 対してインパルス、前述したように極力テープ編集を抑え、アーティストへのリスペクト最大限に表したアルバムが多勢を占めている。要は「録って出し」である。余計なスタジオ経費もかからないし。
 純血主義のジャズ・ユーザーにとっては、もちろんインパルスのメソッドが王道であるはず。それはわかっているんだけど、そういった戦略はあまり大きな広がりを見せない。アトランティック期はともかくとして、このインパルス期はライト・ユーザーへの敷居を高くしてしまい、新参者にとっては足を踏み入れることすら躊躇してしまう。もうちょっと、親しみやすい芸風はなかったのか?と問い詰めたくなってしまう。

John Coltrane & Rashied Ali

 ほとんど完成の域に達していたシーツ・オブ・サウンドに見切りをつけ、集団即興をメインとしたフリー・スタイルへ大きく舵を切ったのが、いまでも問題作の『Ascension』。リリースから50年近く経った今になって聴いてみれば、リード楽器の乱立によってあちこちで不協和音が発生しているのがわかる。セッションいよるマジックは生まれているのだろうけど、あまりに散発過ぎてとっ散らかってちゃってる、というのが俺の印象。Teoに頼めば、もうちょっと聴きやすくしてくれるのだろうけど、まぁそういったコンセプトじゃないし。
 じゃあフリーに入る前、オーソドックスなモダン・ジャズ、シーツ・オブ・サウンドの完成系がどれなのかと言えば、いわゆる過渡期にレコーディングされたこの『Transition』になる。録音されたのは1965年なのだけど、リリースされたのは1970年、いわゆる追悼盤に分類される。生前リリースされなかったのは彼の意志によるもので、妻Aliceにも「俺が生きているうちはリリースするな」と言い残したのはわりと有名。なにかと曰くつきのアルバムとして、裏名盤と呼ばれている所以でもある。
 Coltraneとしては一応レコーディングはしたものの、あくまで旧来ジャズの範疇に収まっている今作に満足できず、心はすでにフリーの方向性に移っていた頃である。シーツ・オブ・サウンドにある程度の完成形を見据えてしまった今となっては、古臭く映ってしまったのだろう。
 徹底的な創造の後に来るのは、もはや自己解体しか残ってない。そう考えるとColtraneの方向性は間違っていない。純粋に自身の音楽を極めるとするならば、当然の帰結でもある。

 ただ、「進化すること=善」というのは短絡的。人はそんな簡単に割り切れない。
 Coltraneが見せる最後の「ジャズ」のアルバムとして、ネット界隈でも人気は高い。そんなこと知らずに聴いていたので、正直意外だった俺。俺を含め、ライトなColtraneファンの分水嶺がここにある。
 ここから先のColtraneの作品は、Coltrane’sジャズを完成させた後、緻密かつ暴力的にジャズを解体してゆく経過報告である。その作業は粛々と、それでいてロジカルに行なわれた。
 それは「徒労」とも言える作業だ。


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1. Transition
 アトランティック期にも通ずる、比較的オーソドックスなテナー・ソロから始まる。流麗に感じるのはホント序盤だけ、次第にColtraneがトランス状態に入り、『Ascension』以降に通ずる超絶冗長ソロに変貌してゆく。それを力づくで押さえつけるようなElvinのシンバル連打。この掛け合いを聴いてるだけでも面白い。この程度の脱線ぶりなら、まだ着いて行ける。

2. Welcome
 オリジナルはここに「Dear Lord」が入るはずなのだけど、俺が持ってるのは違う曲に差し替えられている。調べてみるとリマスター以前と以後とでは収録曲自体が違っており、その辺も混乱を招いて紹介されずらい要因となっている。
 5分程度の小品バラードなので、さすがにここで超絶ブロウを入れる余地はない。時に一本調子に聴こえるテナーにも磨きがかかり、普通にマッタリ聴いていられる。こういった曲調でのMcCoy Tynerは、ほんといい仕事だよなぁ、と思ってしまう。

JohnColtraneWiki

3. Suite (Prayer and Meditation: Day, Peace and After, Prayer and Meditation: Evening, Affirmation, Prayer and Meditation: 4 A.M.) 
 LP時代はB面全部を埋め尽くした21分の大作。堂々5部作になっているのは大風呂敷を広げる傾向にあった彼の趣味。
 これだけ長尺で各パートのソロも割り振ると、あまり脱線することもなく至極全うなシーツ・オブ・サウンドに徹している。時々聴こえてくるカン高いハイノートがうざく感じられてしまうけど、バンド・アンサンブルを楽しむのなら良曲。

4. Vigil
 出だしから一触即発状態だったElvinとのタイマン勝負が収録されている、強い熱量を感じさせるナンバー。ルーティンからはずれようと小技を繰り返すColtrane、そしてチャラチャラした現代ジャズには屈しないという意思表明なのか、普段より手数も存在感も多いElvinのプレイ。すさまじい緊張感の中で録音されたことが窺える良作。
 でも、食い合わせ次第では音の壁にやられてしまいそうになるので、体調を整えたあとに聴くことが望ましい。



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強面のオッサンだって、話せばイイ人の場合もある - John Coltrane 『A Love Supreme』

folder 1965年インパルスからリリースされたアルバム。いつも通り、もう何枚目なのかはわからないし、インパルスにおいても発掘で後付けリリースがいっぱいあるしで、もう何が何だか。没後40年以上経っているにもかかわらず、それだけニーズがあるのだから、Coltrane恐るべし。
 彼の中でもモード・ジャズのひと区切りとして特別な位置を占めているのと同時に、そのクオリティの高さから一般的に代表作とされているこのアルバム、アメリカの雑誌『Rolling Stone』で公開されたオール・タイム・ベスト・アルバム500において、ロック/ポピュラー系が多勢を占める中、数少ないジャズ・アーティストとしては47位にランクインしている。
 ちなみに他に100位以内に入ったジャズ・アルバムは、12位にMilesの『Kind of Blue』、95位に『Bitches Brew』くらいという有様で、圧倒的に不利である。で、これはちょっとギリギリだけど、103位にようやく『Giant Steps』が登場してくる。混戦の中で健闘した方だという見方もできるけど、ジャズという音楽の求心力がそれだけ衰えているという証左でもある。
 ついでに調べてみると、「アメリカの至宝として認定され、スミソニアン博物館にも所蔵されている」との記述。スッゴイ箔がついたよなぁと思ってさらに調べてみると、他にもParliamentの『Mothership Connection』まで入ってるのを見てしまうと、なんかビミョウ。いや、確かに悪いアルバムではないんだけど、Parliament とColtraneを等価として扱うのは、ちょっと方向性が違い過ぎる感が強い。第一、あのGeorge Clintonに畏まった場所はどこか不似合い。むしろ、そういった権威的なモノからは最も遠い存在だと思うのだけど。

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 その権威的なものに取り込まれてしまったわけではないけど、このアルバムの放つ重厚感は『Giant Steps』以上、とにかく俺俺感の強いオーラを放っている作品である。ほんとどこを切ってもColtraneなサウンドなのだけど、その彼が本作レコーディングにあたって強く影響を受けたカバラ主義について調べてみると…、さらにわけがわからなくなった。
 「カバラとは、ユダヤ教の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想である。独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教における密教との類似性を指摘されることがある」。
 以上、wikiからのコピペ。世界の始まりから終わりまでをスピリチュアルに著した教義なんじゃないか、とまではなんとなく理解できるのだけど、じゃあその詳細は何かといえば…、なんかめんどくさくなったので、調べる気が失せた。実は本筋と大きな関係はないし。
 一体どういった経緯でColtraneがこの思想にたどり着いたのか、そしてそれを音楽という手段で表現しようと思い当たったのか。
 彼が特定の宗教に深く入り込んだ、というはっきりした記録はない。だけど、一時苦しんだ麻薬中毒からの脱却を図る過程の上で、アイデンティティの確立を求めてあらゆる思想宗教を学んでいたことは充分考えられる。ただ60年代末という時代においては、次第にサイケの流れを汲むドラッグ・カルチャーの影響が蔓延しつつあり、そこからハルマゲドン的な終末思想、その対極にあるラブ&ピースなお花畑思想が並行して広まりつつあった。そんな中で物静かな読書家でもあったColtraneが、そういった思想にかぶれちゃったのは自然の流れでもある。

 で、そういった過程の上で学んだ知識・経験を音楽として落とし込み、壮大な思想のシンフォニーとして大真面目に創り上げたのがこのアルバムである。
 ちなみに参加メンバーは「不動のカルテット」と評された、
 John Coltrane - tenor sax
 Jimmy Garrison - bass
 Elvin Jones - drum
 McCoy Tyner - piano
 の4人。
 後にColtraneのあまりのフリー・フォームへの傾倒のあまり、極端なコンセプトに着いてゆけなくなったMcCoyが抜け、次にクビ同然にElvinもバンドを去ることになるのだけれど、この頃のバンド・コンセプトは、まだ彼らの理解の範疇にあったということである。いくらメッセージ性やコンセプトがガッチガチであろうと、この頃はまだ音楽としての調性が基本としてあり、プロのミュージシャンとしてのプライドを侵食していない。この後、Coltrane は急速にアバンギャルドなスタイルを志向してゆき、次第にサウンドも無調音階が支配するようになるのだけど、それはもうすこし後の話。

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 そういった混沌の世界に突入する前、まだポピュラー音楽としての体裁が整っていた時期のこの『Love Supreme』、その抹香臭いイメージから難解と受け取られることが多く、軽く聴き流すことが許されないムードがある。確かに冒頭のテナー・サックスの嘶きなどはBGMとして向かないけど、だからと言って必要以上に崇め奉るのもいかがなものかと、俺的には思う。
 思わせぶりに暗示的な物言いの直筆ライナーノーツ、保守系ジャズ・ファンや評論家らの許容範囲に収まる哲学的なコンセプト。「ズージャを理解するのにこれは必聴」と囃し立てるメディアの論調など、もうちょっと気軽に聴いてみたいビギナーやライト・ユーザーへの敷居を上げるだけ上げてしまって、ちょっと近寄りがたい存在になっているのが現状である。
 でもね、レジェンドだって下世話な面もあるし、案外話してみると気さくな面もあるんだよ。強面のイカついオッサンがすごくイイ笑顔を見せる場合もあるように、第一印象だけで判断するのは早計、逆に後の好印象が引き立ってくることだってある。
 以前レビューしたPink Floyd 『Final Cut』もシリアスなコンセプトが前面に出過ぎていろいろ誤解されてるけど、通して聴いてみるとDavid Gilmourの音楽センスによって、いくつかの曲はまともなコンテンポラリー・サウンドとして成立している。コンセプト・リーダーであるRoger Watersの影が強すぎるせいもあって、全体的には陰鬱としたアルバムだけど、これはこれで良いところだってあるのだ。何だかんだ言っても俺『Final Cut』結構好きだし。

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 なので、この『Love Supreme』も思ってるほどには難解ではない。コンセプトがどうしたカバラ思想がどうしたというのはColtraneの勝手であって、聴く側がそれを過剰に意識する必要はない。だって、McCoy やElvinらがそこら辺を十全に理解した上でプレイしているのかと言えば怪しいものだし、第一彼ら、多少畏まってはいるけど、基本は平常運転である。
 Floydと違って歌詞がないモダン・ジャズでは、具体的なメッセージが伝わりづらい面があるため、逆にそこが断定的な印象を回避している。「あの人は取っ付きずらい人だよ」という余計な言葉には耳を貸さず、普通に聴いてみればよいのだ。
 そんな感じで先入観を抜きにして聴いてみると、冒頭の嘶きさえクリアしてしまえば、モダン・ジャズのオーソドックスなマナーに則った演奏であることがわかる。そりゃリーダーがそっち方面に行っちゃってる状態だから、メンバーも一応合わせてはいるけど、基本はモダン・ジャズの本流の人たち、ベーシックな部分は何も変わらない。
 そのオーソドックスな部分と、Coltraneが徐々に傾倒しつつあるフリー・フォームとの絶妙なバランスが拮抗し合った瞬間というのが、この『Love Supreme』である。そのバランスを微妙に維持しながら、このカルテットはもう少し生き長らえることになるのだけど、次第にColtraneのベクトルが強くなり、1人また1人とバンドを離れ、引き継ぎメンバーは次第にフリー志向のミュージシャンが多くなってゆく。


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Part 1–Acknowledgement(承認)
 冒頭、そのサックスの嘶きは『My Favorite Things』を思わせる瞬間もあるけど、それも束の間、進むにつれ不穏さが増してゆく。探るようなMcCoyのシンプルなコード・プレイ、それに乗せて序盤はアイドリング気味のColtrane。徐々にエンジンが温まるように、次第にアタックが強くなるElvinのドラム。ここはColtraneの独壇場、全知全能のシャーマンの如く、他メンバーのソロを挟む余地はない。
 有名なラストは呪詛のようなモノローグ「Love Supreme」のリフレイン。細かく刻まれるシンバルの響きの中、それは深い地の底から不気味に響く。不協和音気味のMcCoyのピアノの調べ。彼の思うところのフリーなプレイだけど、あいにくメロディを奏でてしまっている。もっと一音一音がいびつでなければならないのに。

Part 2–Resolution (決意)
 1.ではあまり出番の少なかったJimmyのソロからスタート。ここでのColtraneはメロディアスなフレーズを多用しており、アトランティック期に戻ったかのようなオーソドックスなプレイを展開している。カクテル・ピアノっぽいMcCoyのパートもここでは活きており、かなり興が乗ったのか、1人オーケストラとも言える超絶プレイを披露している。
 この曲だけ抜き出して聴くと、普通に軽快で聴きやすいモダン・ジャズなのだけど、そういった聴き方を想定して作られたアルバムではない。Coltraneとしては最初から最後まで通して聴かせることを想定して、このシンフォニーを構成している。
 でも、軽快なColtraneを堪能するのならオススメのナンバー。



Part 3–Pursuance (追及)
 1分半にも及ぶElvinの絨毯爆撃的ソロ。ここでもMcCoyは頑張っているのだけど、やはり全体のコンセプトと照らし合わせると、彼の音は軽く響いてしまう。その辺がColtrane的には物足りなく感じているのか、McCoyパートがが終わった途端、まるで「どけやコラ」とでも言わんばかりにソロを吹き始める。その響きは焦燥感とイラつき、ネガティヴな感情をむき出しにしている。悠長なBGMで満足してんじゃねぇぞ、とでも言いたげに。
 そりゃ臨界点を超えて未踏の境地に至りたいのもわかるけど、逆にメンバーに一人くらい、McCoyのようにクレバーなスタイルでプレイする者がいないと、ほんとバンド・アンサンブルは破綻へ突き進んでしまう。Coltraneとしてはそこを狙っていたのだろうけど、そうなっちゃうとこのアルバムがここまでの支持を得ることもなかったわけで。
 ナパーム弾と迫撃砲と対空ミサイルをまとめて投下するような爆音を連打するElvinソロに続き、締めるのは静寂としたJimmyの長尺ソロ・プレイ。爆撃後の焦土はとても静かで、そしてそこに救いはない。すべてを打ち壊し、焼き尽くした後に残るのは、途方もない深さの絶望。
 晩年までColtraneと行動を共にすることになるJimmy、一蓮托生の心構えで追随してきた彼はColtraneにとって最大の理解者であり、そして共に荒野をひた走る戦友でもある。弦を指で擦る響きにまで、Coltraneの意図が反映されている。



Part 4–Psalm (賛美)
 ただこの時点では、Jimmyに限らずElvinもまた良き理解者であった。呪詛とも嗚咽とも取れるColtraneの太い音色に寄り添うように、時折はるか遠くの雷鳴のような打撃音を放つ。もうひとつのリード楽器であるピアノの音色は、やはりどうしても軽い。ただ、ピアノまでオドロオドロしくなると、「愛」もへったくれもなくなってしまう。
 ここでのColtraneのプレイはゆったり、大河の流れのように緩やかである。どの辺が「賛美」なのかはわかりかねるけど、未来へ繋がる希望も見えぬまま、焼き尽くされた焦土の上で、組曲は終わりを告げる。


 本当に難解になるのはこの後、実質的なフリー・ジャズ宣言となる『Ascension』 からである。Farrell SandersやArchie Sheppらによる制御不能な集団即興演奏が延々と展開され、次第には妻Aliceまでバンドに引っ張り込んで、混沌をそのまま投げ出したようなサウンドが支配するようになる。確かにカテゴリー上はジャズではあるけれど、旧来のジャズとはまったく違った音楽への探求が始まることになり、それと並行してColtraneの健康状態も蝕まれてゆく。


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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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