好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Joe Jackson

アラフィフにとっての安全株、それがジョー・ジャクソン。 - Joe Jackson 『Fool』

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 2018年リリース、ジョー・ジャクソン20枚目の最新オリジナル・アルバム。US13位・UK25位、ランキングこそ上位だけど、そこまで話題になることもなかった。
 今どきフィジカルの売り上げなんてたかが知れているし、固定ファンだけが購入しているだけなので、特別広がりを見せるはずもない。豪華ゲストもいなければ、キャッチーなシングル候補曲もない、いわばジョーの通常営業のアルバムである。
 同世代のコステロみたいにもっとうまく、他アーティストとのコラボやタイアップを手広くやっていれば、それこそコステロやスティングくらいのポジションにも行けてたんじゃないかと思うのだけど、まぁ無理か。ヴァージン時代にメジャー路線に乗せられたこともあったけど、思惑ほどうまく行かなくてメンタル病んじゃった経緯があるので、今さら本人も分不相応な扱いは望んでいないだろうし。
 現在はドイツ在住のジョー、本来ならここを拠点にEU諸国を小まめにツアーで回る人生設計だったんだろうけど、深刻なコロナ禍にぶち当たったことで、予定していたライブは中止・順延となってしまっている。ジョーに限った話ではないけど、おかげで行動範囲が限定されてしまい、まともな演奏活動ができない状況が続いている。
 今のところはFacebookでつぶやいたりオフィシャル・サイトに長文エッセイを寄稿したり、それなりに元気そうではある。あるのだけれど、もともと独りで何でもできちゃう人なので、それならそれで、オンライン・ライブでもやれば日銭を稼げるんじゃないかと思うのだけど、本人にその気はなさそうである。

 今回のアルバム収録曲は、主に春・夏恒例のツアーで初披露されたものが中心となっている。オーディエンスの反応を見つつ、ツアー中にまとめ上げることを目安として、微調整を続けていった。ある程度形になったところを見計らってスタジオに入り、一気に仕上げたらしい。
 神経質そうなルックスと頭頂部から、ロジカルな印象が強い人だけど、制作プロセスにおいてライブ感を重視する姿勢は、一貫して変わらない。そんなこだわりが、無観客ライブへの抵抗があるんじゃないかと思われる。
 今回のアルバムのテーマはトラジコメディ(悲喜劇)で、シェイクスピアを引用してのコメントをジョー自身が残している。古典からインスパイアされての表現活動は、英国出身のベテラン・アーティストに結構ありがちな例で、例えばウォーターボーイズのマイク・スコットも、詩人イェイツの作品にメロディをつけたアルバムを発表したりしている。
 調べてみると、ブレイクやミルトンを題材にしているアーティストもいたりして、我々日本人が思っている以上に、英国において古典詩は身近なものなのだろう。特にプログレ系は多いな。いくらでもインテリっぽく演出しやすいしな。
 とはいえ、純粋な文系ならともかく、多くのロック・アーティストがそこまで博学とは言い切れず、むしろメイン・カルチャーに対するコンプレックスの裏返しという意味合いの方が強い。かつてクラシック/現代音楽への転身を図り、いろいろと及ばず撤退を余儀なくされたジョーの場合だと、そんな穿った見方もできるわけで。
 まぁほんとにそういったのが好きなんだろうし、「年相応の表現手段」というのもわからないではないけど、「でも、あなたの長所はそういうとこじゃないんじゃないの?」と言うのは、余計なお世話だろうか。「ちょっと知的で、それでいてクセのあるAOR」をやりたい気持ちはわかるんだけど、でもファンの本当のニーズは、「そこじゃない」って。小理屈や大上段なコンセプトをすっ飛ばした、テンション高めのロックンロールやバラードを歌っているジョーが一番映えている。年季の入ったファンなら、周知の事実である。

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 とはいえ、同世代のミュージシャンの多くがセミ・リタイア、または新譜リリース契約にありつけないでいる中、創作意欲を切らさず走り続けている彼の存在は、突出している方である。メインストリームの世界から離脱して、もうかなりになるジョー、小規模ではあれ、ツアーは定期的に続けているし、彼なりに趣向を凝らした音源制作は続けられている。
 オリジナル・アルバムも20枚目ともなると、新たに歌うべきテーマも主題も使い果たしてしまい、過去の繰り返しになってしまうのは致し方ないことだけど、それでも何かしら新たなコンセプトを設定し、クオリティの向上に研鑽している。好んで使うコード進行があるのか、聴いたことがあるメロディや展開に気づかされることもままあるけど、変にセオリーをはずしてグダグダになるより、よっぽどいい。
 メジャー時代ほど大きな反響はないけど、新作を作れば発表できる環境があること、また、大会場を埋めるほどの動員は望めないけど、そこそこのホール・クラスを回るツアーを組める現状は、案外恵まれているんじゃないか、と思えてしまう。
 デカいキャパを相手にすると、それなりのエンタメ性を求められ、妥協しなければならない部分だって生じてくる。余計なことを吹き込んでくる自称関係者も増えてきて、それでいて彼らの助言なんかは、大抵ひとつも役に立たなかったりする。
 いくつかのレーベルを渡り歩き、メリットもデメリットも享受した結果、ジョーはクリエイティヴ面の自由を選択した。ワールドワイドな販売網とプロモーション、バジェットの大きさという利点は魅力であったけれど、そもそも21世紀に入ってからというもの、そんな環境は望むべくもない。
 特にコロナ禍によってズタズタにされた今年以降のエンタメ界は先行き不透明、どのメジャー・アーティストも安泰とは言い切れない。最近だと、モリッシーが契約を切られたというニュースが入ってきたくらいだし、安穏とはしていられない。

 ホーン・セクションを擁したビッグ・バンドや大編成オーケストラを経て、ポップ・シーンに帰還してからのジョーは、もっぱら少人数アンサンブルでの楽曲制作を行なっている。一聴してのバラエティ感やダイナミズムは薄れたけど、それと引き換えに3〜4ピースで生ずる緊迫感やソリッドなサウンド・プロダクションには磨きがかかった。
 ぶっちゃけ、いまのジョーのポジションでは大人数を抱えるほどのバジェットが得られるはずもなく、コンパクトな編成じゃないと継続するのは難しい。それならそれで、初期ジョー・ジャクソン・バンドのリユニオンもアリなんだろうけど、もうみんな60オーバー、往年のテンションを甦らせるには、気力体力的にちょっとキツい。
 もともとひとつのスタイルを深く掘り下げてゆくのではなく、アルバムごとにコンセプトを設けて、様々なアプローチを行なってきた人である。2作続けて同じ内容のアルバムを作ることがほとんどないのは、音楽的探究心の強さのあらわれである。
 前作『Fast Forward』は、世界4か国の地元バンドとのセッションをまとめた趣向となっていた。その前の『Duke』はタイトル通り、デューク・エリントンのトリビュート、多種多様なアーティストとのコラボだけど、ここでは総合プロデューサー的な立場で采配を振るっている。
 で、今回はライブ・メンバーによるコンパクトな編成。近年のピアノ・オリエンテッドなポップ・ソングも年相応でいいんだけど、そういった丸く収まったスタイルより、老骨に鞭打って「ジジイやってんな」的な前のめりロックの方が、ファン的には嬉しかったりする。

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 今のところは悶々と自宅待機中のジョー、創作活動は日常的に行なっているので、状況が収まれば、出せるネタは充分溜まっているんじゃないかと思われる。ただ、時間を持て余している分、また変な方向に行っちゃってるんじゃないか、というのが、心配といえば心配。
 オーソドックスなピアノ・ソロなら全然いいんだけど、懲りずにオーケストラのスコアなんかに手を出すと、また何かとこじれてメンタルやられちゃうのは目に見えてるし。そこそこ自分の目の届く範囲で、極力手をかけず素直なアプローチの作品を出し続けてさえくれれば、もうそれでいいや。
 でも冒頭にも書いたけど、簡単なライブ配信くらいはやってみようよ。多分、またツアーに出ても、日本には来てくれなさそうだし。





1. Big Black Cloud
 オープニングらしく分厚い音の壁が猛々しい、久しぶりに血圧を上げてきたナンバー。ほぼスタジオで一発録りに近いスタイルだったのか、ところどころラフな部分も見られるけど、勢いを殺さないためには最適だったのだろう。
 スタジオ・ヴァージョンはそれなりに緩急をつけた凝った構成になっており、単純なロックに終わらせないぞという気概を感じさせる。でも、ほんとはシンプルで充分なんだけどな。



2. Fabulously Absolute
 実は結構覚えやすくキャッチ―なサビメロを書くのは、ファンなら知られてる事実なのだけど、あんまり世間では知られていない。この曲だって一聴すると、無骨さと緻密さとを併せ持ったロック・チューンなんだけど、地に足の着いたメロディはこの人の持ち味のひとつである。
 シェイクスピア云々というのはいわばカッコつけであって、単純にいい曲を書いて汗水たらしてピアノを叩きがなり立てるシンガーというポジションが最もふさわしいはずなのに。でもどこかで斜に構えちゃうんだな。

3. Dave
 ちょっとビートルズっぽさも加味されたミディアム・バラード。ピアノ主体だけど、アタック音が強く、『Rain』あたりで見せたかしこまったポップ感は薄く、むしろピアノ・ロック。べン・フォールズ・ファイヴはいつの間にか消えちゃったけど、そう考えるとジョーはしぶとく残ってるよな。その辺はやはりポテンシャルの違い、楽理にも長けていることによる地力の差なのだろう。

4. Strange Land
 単純にノリのいいロックやポップスだけじゃなく、エモーショナルなバラードもきちんと書けるんだよな。正直、時流に合ってるわけじゃないんだけど、普遍性の高いメロディ。『Body and Soul』に入ってても何の違和感もない。それだけ早くから完成していたという見方もあれば、「大きな進歩はない」という見方も。
 でも、年季の入ったファンからすれば、ジョー・ジャクソンというアーティストは安全株なんだよな。よほどクラシックに振れない限りは、大きなハズレはないし。

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5. Friend Better
 こういったビートルズ風のポップ・テイストは、ヴァージン移籍後から顕著になってきており、大抵、どのアルバムにも1、2曲は入っている。まぁ年齢的に体力的に、こういったミディアム・チューンが多くなってくるのは自然の流れ。
 コレばっかりだったらあんまり面白くないんだけど、アルバム全体の流れとしては、こういった肩の力を抜いた曲が入ってるのは悪くない。端正に作られたポップスっていう感じで、刺激はちょっと足りないのだ。

6. Fool
 なので、その反動といった感じで、猥雑さを感じるロック・チューンが入ると、こっちもつい体を起こしてしまったりする。オリエンタルなエフェクトはちょっと余計だけど、コール&レスポンスが入ったりすると、やはり聴き入ってしまう。
 ただジョーの場合、どれだけハードなサウンドに寄っても、基本のメロディはポップなので、そこまで下品にはならない。その匙加減がやはり大人なのだろう。
 間奏の大胆かつ繊細なピアノ・ソロは、現役感としぶとさとを感じさせる。

7. 32 Kisses
 多分に本作のテーマであるシェイクスピア色の強いピアノ・バラード。アルバム・コンセプトが立ちすぎると、ここの楽曲のカラーが弱くなってしまう場合が見受けられるのだけど、そのデメリットが如実に出てしまったのが、この曲。
 イヤいいんだけどさ、バラードとしてはちょっと凡庸。これまでの必勝パターンを適当に組み合わせて作ったような、または出来合いの楽曲に無理やりシェイクスピアをはめ込もうとして、あちこちいじってたら、可もなく不可もない仕上がりになっちゃった的な。

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8. Alchemy
 ラストはコンパクトな組曲形式。こういうのは好きだよな、ジョー。強い思い入れを反映してか、有無を言わせず聴かせてしまう吸引力は確かにある。あるんだけど、それは俺が長年のファンだからだろうな。外部へ波及するほどのポピュラリティは望めないけど、でも多くのファンは納得できるクオリティに達しているんじゃないかと思われる。






制約があった方が、案外いい作品ができる。 - Joe Jackson 『Duke』

folder 2012年リリース、スウィング・ジャズの巨匠:デューク・エリントンのトリビュートをテーマに据えた、ジョー・ジャクソン17枚目のオリジナル・アルバム。デュークのイラストが描かれたジャケットには、どデカくジョーの名前がクレジットされているけど、メインでヴォーカルを取っているのは4曲だけで、その他の曲はインストやゲスト・ヴォーカルで構成されている。
 ここでの彼は、アーティストというより、むしろ総合プロデューサー的な立場で関わっているため、純粋なオリジナルというには、ちょっと微妙な作品である。どのトラックにおいても、何らかの形で演奏に参加してはいるので、ジョー監修のオムニバスと言った方が、通りは良い。
 なので、「Steppin’ Out」の人の新譜と早合点して買っちゃうと、ハズレを引いた気になって後悔してしまう。いねぇか、そんなヤツ。

 「デューク・エリントンの楽曲を21世紀の解釈で演奏する」というコンセプトのもと、ジャズを問わず、あらゆるジャンルのミュージシャン/アーティストがキャスティングされているのだけど、これがまぁ予測不能のメンツ。常連のVinnie Zummoや、新世代のソウル・ディーヴァになるはず「だった」シャロン・ジョーンズはまだわかるとして、スティーヴ・ヴァイとイギー・ポップまで来ると、これまでのコネクションからすれば予測不能、まるで飛び道具のような人選である。
 各々のこれまでの経歴から見て、ジョー自らがオファーしたとは考えづらいので、多分に第三者のコーディネーターに依るモノだと思われる。ていうか、このアルバムの企画・主旨そのものが、ジョーの発想によるものではなく、発売元であるユニバーサル系列の新興ロック・レーベル「Razor&Tie」主導のものと受け取った方が、スッキリする。
 これまでほぼ接点のないジョーがオファーして動く連中ではないし、正直、デュークへのリスペクトがどれだけのものなのか、それもちょっと怪しいメンツも混じっている。ジョー単体の企画で、彼らに見合うギャラが払えるかといったら、「それもちょっと…」て感じなので、やっぱ強力な後ろ盾があってのアルバム制作だったんじゃないか、と思われ。

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 多くのベテラン・アーティストの例に漏れず、近年のジョーはライブを主軸に活動している。長期的なリリース契約にありつけなくなった実情もあるけど、出版印税に頼れなくなった昨今、早い段階でシフト・チェンジしていたのは、ある意味、結果オーライでもある。
 ライブ会場も大規模なものではなく、もっぱら2000人程度の小規模ホール中心のため、ほとんどは3ピースのピアノ・トリオという、コンパクトな編成で活動している。
 『Duke』のツアーは、さすがに3人で賄いきれるサウンドではなかったため、近年にしては珍しく、7人編成で回っていた。ただ、これは特殊な例。経費も抑えられ、小回りの効く3〜4名でのステージが、定番となっている。
 このくらいの編成だと、メンバー間の意思疎通も容易で、何かとメリットも多いのだけど、反面、サウンドのバリエーションが限定され、こじんまりしたモノで終わってしまうのが、弱みといえば弱み。アカデミックな楽理と広範な知識に長け、あらゆるジャンルに造詣が深い人なので、本体なら、ゴージャスな大編成のバンド・スタイルが合うはずなのだけど、今のジョーのポジションでそれを維持してゆくのは、ちょっと難しい。

 直球ビート・パンクからフル・オーケストラによる現代音楽まで、守備範囲の広いジョーであるけれど、その作風は大まかに4つに分別される。

1. ロックンロールをベースとしたビート・パンク。ロック・コンボの基本フォーマットである4ピースから放たれる、無骨で無愛想で、でも無粋ではないエモーションの塊。
2. ジョーのピアノを中心とした、ベース+ドラムのトリオ・スタイル。メロディアスなバラードから、打楽器的に鍵盤を叩きまくるロック・スタイルまで、思ったよりバリエーションは豊富。ベン・フォールズ・ファイブのルーツ。
3. サウンドやメッセージではなく、スタイルやアプローチに統一性を持たせたコンセプト・アルバム。ライブ一発録りやらガチのスウィング・ジャズやら、キャリア通しての一貫性はないけど、一作ごとのトータリティへのこだわりは強い。『Duke』はここに分類される。80年代全盛期は、おおよそこのスタイルで製作された。
4. ここまで挙げてきたモノとは、全然違うベクトル。アンチ・ポピュラーとでも形容すればいいのか、不可知論に支配された現代音楽。理解なんかされなくても全然構わない、自己満の極地。不退転の覚悟でポップ廃業宣言したはいいけど、閉鎖的かつ権威主義な現代音楽コミュニティからは相手にされず、次第に気に病んで隠遁状態に陥ってしまったのが、ジョーの世紀末。

 すごくザックリしたまとめだけど、だいたいこんな感じ。もっと細かくすることもできるけど、めんどくさいし本題から外れちゃうので、この辺で。

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 「大所帯のバックバンドを維持できるほどのライブ動員が見込めないため、中ホール・クラスでの公演が主戦場となっている近年のジョー」と言いたかったのだけど、考えてみれば、昔からスタジアム/アリーナ・クラスのアーティストじゃなかったよな、音楽性からいって。前述した、どのタイプのサウンド・アプローチにおいても、マス・ユーザーを対象にしたものではない。
 そんな観客動員やホール規模を考えれば、ライブにしてもレコーディングにしても、消去法的に2.のスタイル主体になってしまうのは、やむを得ない部分がある。そりゃ1.のタイプでも全然いいんだけど、体力的にもテンション的にも、長く継続できるものではない。
 そんな2.の作風で作られたのが、近年の『Fool』と『Rain』なのだけど、印象に残るメロディ・ラインやフレーズを使って、コンパクトかつ端正にまとめている。「良いメロディをシンプルな楽器構成で鳴らす」、いまの身の丈に合った素直なアルバムとなっている。
 いるのだけれど、でも―。
 なんかつまらん。あんまりワクワクしない。予測不能の驚きや、振り回されるほどのインパクトには欠けている。
 なぜなのか―。
 ほんとはこのレビューも、当初は『Fool』をテーマに書き進めていたのだった。いつも通り何回も聴き返し、実際、原稿も8割がた仕上げたのだけど、なんかピンと来ない。
 なので、イチから書き直し。同じ端正な作りでも、『Duke』の方がずっと面白い。

 何かと引き出しの多い人ではあるけれど、結局のところ、世界中のジョー・ジャクソン・ファンが求めているのは、1.か3.のタイプである。ごくまれに、達観したような2.の作風が好きな人もいるんだろうけど、聴いてて面白いモノではない。素材の味を活かしたシンプルな味付けはわかるけど、余計なパーソナリティを滲ませると、途端につまらなくなってしまうのが、ジョー・ジャクソンの音楽の特性である。
 ジャズなりラテンなり、あらゆるジャンルのエッセンスをちょっとずつ拝借して、自分なりに混合比率を変えたり隠し味を入れたりして、国境も人種も超越したオリジナリティ。そんな世界観に彩られた音楽こそ、彼のポテンシャルが最も発揮できるフィールドであるはずなのだ。中途半端なメッセージ性や心情吐露なんかは極力排除して、思想もイデオロギーも関係ない次元でこそ、彼の音は自由奔放に響く。
 ピアノ・トリオによるサウンドは、多少の音楽的妥協と制約はあれど、ジョーのメガネにかなった熟練プレイヤーが揃えられ、安定しつつスリリングなアンサンブルを奏でている。ヒットチャートの前線からはずれて久しく、もう戻ることもないんだろうけど、それでも現役感を忘れず、地道に真面目に歌い続けていてくれるのは、素直に嬉しい。ポスト・パンク世代の中ではまだ元気な方だし、あんまり多くを望むことはできないけど―。
 でも、それだけじゃ、ちょっと寂しくもある。

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 あくまで単発の企画だったため、続編の可能性は薄い『Duke』のプロジェクトだけど、コンポーザーのスキルを活かせたこと、またそれを業界内外に知らしめることができたのは、大きな収穫だったはず。同じスウィング・ジャズをテーマとして、直球勝負すぎて評判も悪かった『Jumpin’ Jive』とは違い、現代風にリアレンジされた『Duke』の楽曲は、コンテンポラリーな商品価値も高く、クオリティも平準化されている。
 ポスト・パンクの看板を引っ提げながら、あえてストレートなスウィング・ジャズで真っ向から突っ込み、潔く玉砕したジョー・ジャクソンは、もういない。クライアントの意向に沿って、与えられた環境とテーマの意図を汲み、それ以上の作品を生み出すのが、職人ジョー・ジャクソンの心意気である。
 アーティスティックな矜持を保ちつつ、きちんと商品流通できるクオリティのアルバムをプロデュースできることが、業界内でも知れ渡ったのは事実である。なので、制作サイドがこういった企画をもっとオファーすればいいんじゃないかと思うのだ。
 毛色の違うアーティストとのコラボもそつなくこなせるので、自分が前面に立たなくても、コンポーザーとしての役割は十分果たせる。変に純正リーダー・アルバムにこだわらず、そういった方面に営業をかければ、いい仕事するんじゃないかと思うのだけど。


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1. Isfahan
 1967年に作られた楽曲なので、ほぼ晩年の作品という位置づけ。ジャズ史的にはフリー/アバンギャルド全盛だったはずで、当時からすでにノスタルジーっぽく受け取られていたんじゃないかと思われる。そんな時代背景を取っ払った21世紀にオリジナルを聴いてみると、ジョニー・ホッジスのメロウなサックス・プレイは、まったり聴き惚れてしまう。
 俺的に「変な音やフレーズをを出したがる超速弾きギタリスト」という印象のスティーヴ・ヴァイ、ここではホッジスのメロディを忠実に再現している。「こういったのもできるんだぜ」的な、大人しいプレイ。まぁその辺は大人だよ、自分のアルバムじゃないし。

2. Caravan
 前曲とクロスフェードで始まる1936年のナンバー。このようなコンセプト・アルバムの場合、ジョーはクロスフェードを多用する。ゆるやかな構成の組曲が好きなんだよな。
 アフロ・キューバンの中ではわりと有名な曲で、1フレーズくらいなら誰でも耳にしたことがあると思われるスタンダードを、ソリッドなギター・ロックと中近東テイストで新味を加えている。女性ヴォーカルのSussan Deyhimはイラン出身のアーティスト/俳優で、ピーター・ガブリエルやオーネット・コールマンらとも共演している、行動範囲の広い人。



3. I'm Beginning to See the Light / Take the "A" Train / Cotton Tail
 ここで初めてジョーのヴォーカルが登場。『Body & Soul』期にしばし見られたジャズ方面へのリスペクトが強いサウンド・プロデュースとなっている。大きくフィーチャーされているヴァイオリン・ソロは、ジャズ・アーティスト:レジーナ・カーターによるもの。ジャズ・ヴァイオリンのソロイストというのは、かなりレアな存在だけど、いわゆるコンテンポラリー・ジャズ寄りの人なので、ジャズ畑以外の人にも聴きやすい。ここでウマが合ったのか、その後の『Fast Forward』でも再共演している。

4. Mood Indigo
 デュークの代表曲であり、古今東西、様々なアーティストにカバーされているため、アプローチも人それぞれだけど、比較的オリジナルの色を残したアレンジとなっている。レジーナとジョー、それにVinnie Zummoがクレジットされているのだけど、ドラムの「Ahmir '?uestlove' Thompson」って誰だ?と思ってググってみると、ザ・ルーツのクエストラブだった。こんな素直な4ビート、叩けるんだ。ちょっとビックリ。

5. Rockin' in Rhythm
 スウィングというより、デキシーランドっぽい軽快さが特徴的なインスト・ナンバー。軽い響きのピッコロとジョーのトイ・ピアノ的なプレイ、重厚感のあるスーザフォンとのコントラストがうまく対照的に配置されている。
 知ったかぶりでサラッと「スーザフォン」って書いちゃったけど、知らない楽器だったので調べてみると、あぁオーケストラのアレか、って印象。こんなデカいんだ。

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6. I Ain't Got Nothin' but the Blues / Do Nothin' 'Til You Hear from Me
 ソリッドなギター・カッティングが気持ちいい、タイトル通りジャズ・スタンダードのブルース。Kirk Douglassはルーツのメンバーのため、クエストラブが引っ張ってきたメンツと思われる。
 ヴォーカルで参加しているシャロン・ジョーンズは、『I Learned the Hard Way』がヒットの兆しを見せ始めた頃で、あちこちのフェスに出演したり、このような客演も多くこなしていた。この後、胆管がんを発症して活動ペースが落ち、そして2016年11月18日、彼女はその歩みを止めた。
 個人的に、もっと生きていて欲しかったシンガーの一人である。



7. I Got It Bad (and That Ain't Good) 
 ストリングス・カルテットをメインに据えた、ジョーにとっては結構得意めのシットリしたバラード。珍しくVinnie Zummoがハーモニカを吹いているけど、ギター以外の楽器をプレイするのは珍しい。比較的あっさり目だけど、ウェットになり過ぎないのが、逆にいいのかな。これがスティーヴィー・ワンダーに吹かせたら、自由奔放、そっちが主役になっちゃうんだろうし。

8. Perdido / Satin Doll
 オランダ在住でブラジル音楽をプレイするバンド:Zuco 103の女性ヴォーカル:Lilian Vieiraをフィーチャーしたラテン・ポップ。で、レコーディングはアメリカだから、無国籍感がハンパない。でも、ジャズ・ファンクの世界だって、ドイツやスペインのレーベルからリリースされていたりするので、今どき国境がどうしたっていうのはナンセンスなのかもしれない。
 インターミッション的に、ジョーのピアノ・ソロが長く収録されている。最近、レコーディングではここまで弾いてなかったよな、確か。そう考えれば、貴重なトラックではある。

9. The Mooche / Black and Tan Fantasy
 スティーヴ・ヴァイとクエストラブと弦楽四重奏とをひとつにまとめちゃった、なかなか見られない組み合わせのトラック。こうなると、メインであるはずのジョーの影も薄い。ヴァイの変態性は大きくセーブされてはいるけど、爪痕はどうにか残している。せっかくならクエストラブも、ドラムだけじゃなくて、トラックメイカーとして関わってれば、もうちょっと面白いものができたのかもしれないのに、と勝手に思ってしまう。

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10. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)
 ラストはオルタナの御大:イギー・ポップとの本格的なデュエット。オーソドックスなスウィングのルーティンに則ったアレンジになっているけど、モノローグやちょっとしたフレーズからにじみ出てくる毒は、やはり隠し切れない。
 ここまでかなり広い意味でデュークのモダン解釈のアレンジが並んでいたけど、ジャズ畑の人にも納得していただけるアプローチといえば、やはりコレになる。この感じで『Jumpin’ Jive』も作り直せばいいのに。






下々の連中にもわかりやすいポップ・ソング - Joe Jackson 『Laughter & Lust』

folder 1982年にリリースされた『Night and Day』は、Joe Jackson にとって代表作であり、セールス的にも最も成功したアルバムである。既存のロックにとって、必須であるはずのギターを使わず、ジャズやラテンなど、非ロック的な手法を駆使することによって、オンリーワンの「Joe Jackson’s Music」を確立した。ストレートなロックンロールからジャイブ・ミュージックまで、ありとあらゆるジャンルを縦横無尽、アルバムごとに実験を繰り返していたJoeにとって、その後のキャリアを決定づけるマイルストーンとなったのが、このアルバムである。

 あまりブランクを置かずにリリースされた『Body & Soul』も、同様のアプローチで制作されており、これまた渋すぎる内容であったにもかかわらず、マーケットでは好意的に受け入れられた。
 主にビジュアル先行型のニューロマ系アーティストが幅を利かせていた第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの最中において、どうひいき目に見ても見劣りするJoeが売れた背景には、もちろん本人の才覚も大きいけど、所属レコード会社A&Mの存在が無視できない。
 時代に寄り添いすぎて、アッという間に消費し尽くされてしまう流行歌ではなく、末永く鑑賞に耐えうるロング・テール型のアーティストを多く擁していたのが、A&Mの特色である。Carpenters のような鉄板スタンダードから、Tubesに代表される変態ニューウェイヴまで、ポップ/ロック以外では、Ornette Colemanを筆頭としたフリー・ジャズからMilton Nascimentoまで、節操なく幅広いジャンルを網羅しているのも、独立系レーベルの強みである。

 もともと創業者のHerb Alpert自身が、現役ミュージシャンだったこともあって、アーティストの自主性を重んじ、過度な干渉を行なったりしないのが、A&Mの企業風土だった。これも非メジャー・独立系の強みで、株主がほぼ身内で固められている小規模企業のため、収益性より芸術性を重んじることが、潔しとされていた。
 ただ、企業が継続するためには営利を追求していかなくちゃならないから、きれい事ばっか言ってるわけにはいかない。自転車操業的な局面も何度かあっただろうけど、その度にCarpentersやPeter Frampton、Policeなんかがうまくヒットしてくれて、屋台骨を支えてくれたのだった。
 普通のレコード会社だと、大ヒットが続いたら二番煎じ・三番煎じを重ねて要求するものだけど、そういった営業的な都合を無理に押しつけず、アーティストの表現の自由を優先していたことが、A&M流マネジメントだった。
 彼らの個性に変に干渉せず、有能なプロデューサーが的確な方向へ導いてゆく。結果、それが互いにwin-winな関係になるのだから、良好なパートナーシップの理想形である。
 なので、JoeにとってのA&M時代は、クリエィティヴ面において、理想的な環境だったと言える。他のメジャーだったら、いつまで経ってもポスト・パンク〜ロックンロールの路線を強いられていただろうし。

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 そんなレーベルだからして、大して制約もなかったはずである。何しろ、絶対売れそうにない『Will Power』や『Jumpin’ Jive』をリリースさせてくれる会社だもの。いくらアーティストに甘いからって、懐が深すぎる。
 そこまで庇護してくれていたにもかかわらず、Joeは集大成的なライブ・アルバムをリリース後、A&Mとは円満な形で契約満了、当時イケイケ状態だったヴァージンに移籍してしまう。
 もともとイギリスの中古レコード通販からスタートしたヴァージンは、マイナーなプログレや、アバンギャルドなジャズ・ロックを小ロットでリリースする、創業者Richard Bransonの趣味性が強いレコード会社だった。最初にヒットしたのが、映画「エクソシスト」で採用されて一気にブレイクした、Mike Oldfieldの『Tubular Bells』だもの。たまたまタイミングよくフィーチャーされたことで注目を浴びるようになったけど、もしこれがなかったら、早晩資金繰りが行き詰って短命に終わったものと思われる。
 Sex Pistolsがヒットした70年代後半くらいから、ヴァージンの良心的なアーティスト・ラインナップに変化が生じ始める。80年代の第2次ブリティシュ・インベイジョンの追い風によって、Culture Clubが大ヒットする頃には、初期とはまったく別の会社に変容していた。採算度外視のニッチなレコードを売り続けていたBransonも、ビジネス規模の拡大に伴ってヤマッ気が出てきて、アメリカや日本に進出、世界的な規模で事業所やレコード・ショップをオープンしていた。
 Rolling Stones の獲得をピークとして、その後、音楽産業としてのヴァージンは、緩やかな下降線を描くことになる。Branson の事業欲は次第に広範化、航空事業に進出した頃には、もう何が本業なのかわからない状態になっていた。もう、音楽なんてどうでもよくなってたんだろうな。

 Joeが移籍した1991年は、Stonesもまだ移籍していなかった頃、ヴァージンは音楽業界でのシェア拡大を純粋に目指している状況だった。当時、世界中に散らばったヴァージン社員は、ヒット実績のあるアーティストに片っぱしからオファーをかけていた。すでに欧米では、そこそこのポジションにいたJoeに声がかかるのは、いわば必然だった。
 Joe自身、ここらが勝負時だと感じたのだろう。A&Mとヴァージン、同じ非メジャーで比べたら、そりゃ勢いのある方へなびくのは、人間、当たり前の話。
 加えてA&M、ちょうどその80年代後半くらいから、これまでの勢いにブレーキがかかり始める。LAメタルやヒップホップ/ラップの台頭によって、得意分野であったメロディアスなAORやコンテンポラリー・ロックが押し出され、ヒットチャートでのシェアが目減りしつつあった。辛うじてJanet Jacksonが、同時代性をリードするサウンドを堅持していたけど、レーベル全体に波及するほどの影響力ではなかった。次第にA&Mのブランド力も落ちて離脱するアーティストも増え、Joeもまたその中に含まれていた。
 世界進出を視野に入れたヴァージンは、自前の新人だけじゃなく、あり余る資金を投入して、他レーベルの中堅アーティストをヘッドハンティングしまくっていた。頭数と前年対比をクリアするため、即戦力となる中途入社を、ヴァージンは諸手を挙げて歓迎した。
 勢いのある企業は、手段を選ばない。

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 そんなグローバル企業から何を求められているか。キャリア的に中堅だったJoeもその辺は察しており、これまで以上にヒット性を意識した『Blaze of Glory』 をリリースした。
 自身の半生をフィクション的に解釈し、コンパクトでありながらもトータルでの組曲形式で描写した移籍第1作は、おおむね好意的な評価を得た。幾分肩に力が入りすぎているきらいはあったけれど、インテリ御用達の洗練されたポップ・ソングは、高い完成度を維持していた。いたのだけれど。
 以前のレビューでも書いたけど、ちょっと頭でっかちなコンセプトにとらわれ過ぎて、トータルとしては良いのだけれど、個々の楽曲のインパクトが弱く、それがパンチの弱い作品になってしまったことは否定できない。いわゆる『Abbey road』のB面現象である。
 ここで変にマーケットに色目を使わず、StingやElvis Costello、Peter Gabrelのように、都会のホワイト・カラーをターゲットにした「大人のロック路線」へシフトしていれば良かったものを、それをどう勘違いしちゃったのか、「ナウいヤング層」にターゲットを合わせ、過剰なポップ路線にしちゃったのが、この『Laughter & Lust』である。
 -ほんとは、こんなガキ向けの音楽なんてやりたくないんだけど、お前らの望むモノ作ってやったぜ。コレが欲しかったんだろ?
 囚人服に足枷、その鎖の先のデカい重りを抱えて苦笑いする、アルバム・ジャケットJoe。「ポップの奴隷」に成り下がっちゃったぜ、的な自虐の笑み。

Joe_Jackson_by_Stuart_Mentiply

 「下々の連中にもわかりやすいポップ・ソング」というのがJoeのコンセプトだったのだろうけど、そんな「上から目線」的な態度が露骨に出てしまったのだろう。大衆はそこまでバカじゃないことを、Joeはわかっていなかった。結果、『Laughter & Lust』は前作を下回るセールスで終わってしまう。
 クオリティは問題ない。そりゃベテランの仕事だから、体裁はきっちり整っている。でも、ほのかに漂ってくるブルジョア臭・中途半端なインテリ姿勢を、多数を大衆が占めるマーケットが歓迎するはずがなかった。
 ここには、「どんな手段を使ってでも売れるんだ」、「とにかく聴いてもらおう」とする意欲、言っちゃえば、ヒット・ソング特有の下世話さがどこにもない。売れ線を狙うことが卑賤な行為であるかのように、変に斜め上からスカした感じが、なんか腹立ってしょうがない。上品さを捨てきれなかったことで、アクも少ない無難なポップに仕上がり、結果、個性も薄~くなってしまった。
 サウンドはちゃんとしている。でも、面白くない。ワクワクもしない。

 「ここまで歩み寄ったんだから」と、多分ヒットを確信していたのだろうけど、あまりの反応の薄さ、セールス不振によって、Joeは深く深く落ち込んでしまう。ヴァージンからも契約を切られ、踏んだり蹴ったりである。
 この後しばらく、Joeは長い長い混迷期に入ることになる。



Laughter & Lust
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1. Obvious Song
 ロックセレブへの痛烈な皮肉やベルリンの壁崩壊など、珍しく時事的なテーマを多く取り上げた、Joe 流のトピカル・ソング。浮世離れしたアーティストではなく、きちんと現実にもコミットしていることを、冒頭でアピールしている。サウンド自体も後期A&Mのアップグレード版となっており、冒頭のつかみはOK。



2. Goin' Downtown
 出だしのシンセ・ブラスの安っぽさが興醒め。音が多すぎなんだよな。いつもの盟友Graham Maby (b)もいるので、リズム自体は問題ないのだけど、変にマーケット意識し過ぎちゃって、シンセ周りのエフェクトがウザい。もっとシンプルな編成で聴いてみたい。

3. Stranger than Fiction
 とはいえ、楽曲そのものの力が強ければ、多少のアレンジの可否はどうでもよくなってしまう。今も時々ライブで取り上げることもある、ヴァージンのニーズとJoeのポップ職人性とがうまくシンクロしたナンバー。



4. Oh Well
 イントロでいつもDeep Purple 「Highway Star」を連想してしまう、ギター・フレーズがちょっぴり印象的なナンバー。自虐を超えて卑屈さが露わな歌詞は、この後の沈滞期の兆候がうかがえる。

5. Jamie G. 
 なので、ここで一転、躁的なラテン・ナンバーが続いたとしても、どこかやけっぱち感が漂ってしまう。これまで何度もフィーチャーしてきたから、充分手慣れているはずなのに、リズムに乗り切れていない。かつてはどんなビートもねじ伏せていたはずなのに、ここでは持ち前のクリエイティヴィティが作用せず、振り回されてしまっている。
 もっと、うまくできるはずなのに。

6. Hit Single
 タイトル通り、まぁ当然Joeだからヒット・シングルを皮肉った内容のポップ・ソング。ヴォーカルのキーも通常より少し高め、過剰にポップに寄せている。
 ヒット・ソングをみんな聴きたがり、じゃあアレもコレも、とやり出すと、「おいおい」とストップさせられる。「ヒット曲だけを聴きたいんだ、アルバムの曲はいいよ、みんなそんなヒマじゃないし」。
 Joeのようなアーティストに、ヴァージンがそこまで露骨に言ったとは思えないけど、ヒット・シングルを出さねば、というプレッシャーがあったのは確か。やっぱキャラに合わないことをやろうとすると、無理がたたってくる。

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7. It's All Too Much
 楽曲の構造としては、従来のJoeクオリティなのだけど、ライブ映えを意識したアレンジがやっぱり受け付けない。シンセを入れると途端に安っぽくなっちゃうのは、やっぱ相性なのか。

8. When You're Not Around
 なので、7.同様、ライブ映えを意識した大味なアレンジが面白くない。ていうかJoe、キー高すぎだって。

9. The Other Me
 この時期のバラードとしては特に秀逸、際立ったメロディ・ラインを持ったトラック。もったいぶったストリングス(もちろんシンセ…)がジャマだけど、それに負けないパワーを秘めている。ちょっと大袈裟なアレンジだけど、このアルバムのクライマックスとして、使命はきちんと果たしている。



10. Trying to Cry
 箸休め的な、浮遊感漂うアンビエントなバラード。ブリッジとしてコンパクトな小品としてならアリだけど、6分超もあるんだな、これ。後年のミュージカル調コラボで頻出してくるパターンだけど、ヒット・アルバムを狙うには、ちょっと尺が長すぎ。

11. My House
 『Beat Crazy』のアウトテイクっぽいナンバー。あの辺の楽曲をアップグレードしたような。10.同様、その後のコンセプチュアルな作風の予行演習的な構造。やっぱライブ映え意識してるよな、この時期って。彼ほどのポテンシャルなら、3、4ピースで充分オーケストラに匹敵するサウンドを創り出せるというのに、この時はまだそれに気づいていない。

12. The Old Songs
 ここまで聴いていると、やっぱ楽曲の出来にムラが多いこと、またヒット優先のバンド・アンサンブル先行型の楽曲がアベレージ越えしていないことが如実にはっきりする。この楽曲だって、ちょっとやそっとのアレンジで損なわれるパワーじゃないもの。
 歌詞の内容的には、「古い歌」を捨てて新たな路線を歩もうよ、という前向きなものだけど、こういった旧タイプの楽曲の方が、彼のパーソナリティがうまく表れているというのも、ちょっとした皮肉。やっぱポップ路線、やりたくなかったんだな。

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13. Drowning
 ラストは過剰にドラマティックなバラードで締めくくるのは、昔からのこの人のパターン。最後は直球勝負、主にピアノによる弾き語り。
 Joeの場合、これだけ名曲があるにもかかわらず、カバーされることは未だ持って少ない。あまりにアーティスト・エゴが強すぎるため、誰が歌っても世界観を再現できない、または新たな切り口が見いだせない、というのも要因である。
 Joe Jacksonの歌は、Joe Jackson しか歌えない。
 ほんとはそれだけやってればよかったのに、違う自分もあるんじゃないか、と光の射す方へ寄り道してしまった。
 その後、方向修正するまでには、何年もかかることになる。






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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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