好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

Eurythmics

そして、私たちも、ひとり。 - Eurythmics 『We too are One』

folder 1989年リリース、7枚目のオリジナル・アルバム。ダークで暴力的なサウンド・デザインに支配された前作『Savage』から一転、憑き物が落ちてしまったかのように、メジャー仕様のコンテンポラリーなサウンドで彩られている。
 いい意味での下世話さが復活したことによって、レビューもおおむね好意的、セールス的にちょっと苦戦した『Savage』から復調した。US34位・日本51位、そして本国UKでは見事1位をマーク、最終的にダブル・プラチナを獲得して、健在ぶりをアピールした。
 とはいえ、彼らの活動はここで一旦終了、実質的な再結成作となる『Peace』まで、まるまる10年ブランクを置くことになる。2人が同じ方向を向くまでには、それだけの冷却期間が必要だったのだ。
 有終の美と言えば美だけれど、どちらかと言えば彼ら、音楽性同様、ドライなイメージがあったため、フェアウェル的な雰囲気はない。解散イベントもなければ公式インフォメーションもなく、プロモーションのためのワールド・ツアー終了後は、それぞれソロ・プロジェクトへシフト・チェンジしていった。

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 -『ブレードランナー』のレプリカントを連想させるビジュアルのアニー・レノックスが歌う、ジャーマン風味無機質テクノ・ポップ。シーケンスによるミニマル・ビートは強い中毒性を放ち、ユニセックスなアニーのヴォーカライズとの相乗効果で、強い求心力を生み出した。キャリアを重ねるにつれ、レコーディング・オタクのデイブ・スチュアートによる緻密なバック・トラックから脱線してゆくアニー。アニーの中で有機体が目覚め、プログラムは暴走、人間らしさが前面に出るようになる。もともとロック少年だったデイブも、そんなアニーの変化に引っ張られるように、ロック・コンボ・スタイルにサウンドも変化する。数々のヒット曲を量産してワールドワイドの成功を収めたが、長期に渡るツアーの代償で、肉体的・精神的に疲弊、活動継続に疑問を抱くようになる。成功と賞賛の反動から、極端に厭世的になってサウンドもネガティブ化、そこで毒から憎悪から膿から垂れ流してデトックス、そして最後に大団円-。
 ざっくりキャリアを総括すると、こんな感じ。かなり端折っちゃったけど。
 緻密なサウンドを構成するマニアック気質のデイブと、繊細かつ時に狂気を孕んだ一面を覗かせるアニー。役割が違うだけで、根っこは一緒である。
 どちらも「俺が」「私が」と前に出たがるキャラではない。ないのだけれど、ストレスの溜まる地味なレコーディング作業とは打って変わって、ライブではどちらも前のめりに挑んでいた。
 溜め込んだ感情のガス抜きとして、ライブ・アクトは有効に機能していた。ただ、感情爆発の連続は、別の意味でストレスを誘発する。そのストレスの捌け口は他人へ向かい、人を傷つける。その相手がいなくなると、最終的には自分の躰を傷つけることになる。

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 「作るのはボク、歌うのはキミ」といった風に、ゆるい分業体制がうまく回っていたのがユーリズミックスだった。活動中、多少の諍いはあっただろうけど、それがユニット解消の決定打だったとは言い切れない。
 当時隆盛のエレクトロ・ポップに、ゴシック調のダークな味わいを加えたサウンド・コンセプトを提唱したのがデイブだった。アニーの声質やキャラクターを研究した上で、市場に最もインパクトを与えるサウンドに、彼女も同意した。
 その試行錯誤の成果は、「Sweet Dreams」のヒットで開花する。押しの強いPVとの相乗効果で、一躍スターダムにのし上がった彼らだったけれど、そこで満足せず、サウンドは変容してゆく。もし「Sweet Dreams」の二番煎じを続けていたら、ヤズーのように早々に店じまいしていただろう。
 サウンド面はほぼデイブに丸投げだったアニーだけど、ライブ動員の増加によってスタジアムやアリーナ・クラスでの公演が多くなり、会場規模に合わせてヴォーカル・スタイルもエモーショナルに変化してゆく。シンセ主体だったサウンド・プロダクトも、大会場仕様のスタジアム・ロック・スタイルに変化、演出やパフォーマンスも大きくなってゆく。
 そういった変化は、デイブかアニー、どちらかが強制したものではない。多少はマネジメントからの要請もあったかもしれないけど、どんな事であれ、最終的には2人で話し合い、そして互いの合意のもとで進められた。
 いわゆるご乱心作となった『Savage』、そしてこの『We too are One』でも、2人の齟齬は見られない。創作上の衝突はあっても、感情的な衝突とは無縁だったのが、ユーリズミックスというユニットの特性だった。

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 元夫婦がそのまま同じ職場で働き続けることは、実社会ではそれほど珍しいことではない。案外、公私使い分けることは難しくないし、周りだってそれなりに気は遣う。みんながみんな、そんな簡単に転職もできないだろうし。
 ただその場合、同じ会社でも別部署、またはどちらかが別会社へ出向、というパターンが多い。そう考えると、始終顔を合わせていたユーリズミックスは、まれな存在である。
 夫婦で同じユニットで思いついたのが、テデスキ・トラックス・バンド。デビュー当時、姉弟デュオという触れ込みだったホワイト・ストライプスは、「隠してたけど実は夫婦だった」という謎設定。どちらにしろ、もう解散してるし離縁してるし。
 パンク界のおしどり夫婦と称されていたソニック・ユースも、サーストン・ムーアの浮気が原因でキム・ゴードンが激怒、もつれにもつれた末、解散している。テデスキ・トラックス・バンドは今のところ順調みたいだけど、ジャム・バンド特有の交友関係の広さゆえ、こちらもどうなることやら。
 で、ユーリズミックス。前進バンド・ツーリストの時は周囲公認のカップルだったけれど、ユーリズミックス結成直前に男女関係を解消している。普通なら、別れちゃったらしばらく顔も見たくなくなるようなものだけど、結成当初から彼ら、商業的成功を見据えたビジネスライクな関係と割り切っており、その後も永くパートナーシップを継続した。
 お互い、音楽的な才能に惹かれ合ってのことではあるけれど、でも。
 元カノと一緒に「仕事しよう」だなんて思わないって。

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 で、『We too are One』。自虐的な暴力性を申し訳程度のポップ・センスでコーティングした『Savage』とは一転、剥き出しの攻撃性は失せ、シングル・チャートでブイブイ言わせていたスタジアム・ロック的サウンドが復活している。
 でも、ここで奏でられる音は、とてもクレバーで冷静だ。決して芯は熱くなっていない。
 みんなが理想とする「ユーリズミックス」を、アニー・レノックスとデイブ・スチュアート、それぞれ個人が手を取り合って演じている。適度にポジティブで、時に陰影を放つ。突き放すほどではないけれど、適度な距離感を思わせる、適度にコンテンポラリーな音。
 「このサウンドでなければ」という必然性は、あまり感じられない。いい意味での消化試合、最後のファン・サービス的な音だ。
 なんとなく終焉が察せられていた英国ではともかく、世界的なセールスも当時の身の丈程度に落ち着いた。もしこれが大ヒットしたとしても、これ以上の活動継続を彼らが望まなかったことは、容易に想像がつく。

 これ以上2人でいても、無為な時間を費やすしかない―。そう彼らは気づいたのだろう。
 せっかく長い時間をかけて、ようやく友達と呼べるようになったのに。これ以上時を重ねても、互いに傷つけるようになるだけだ、と。
 言葉にしなくても、そのくらいは分かり合える。それが「感覚を共有する」ということだから。
 また2人でやりたくなった時、そして、いろいろなタイミングが合えば。誰かに言われなくたって、その時は、互いに引き寄せられることになるだろう。
 言葉にしてしまうと、途端に陳腐になる。だから、わざわざ口にしない。
 そんな関係は、いくらだってある。


We Too Are One (Remastered)
We Too Are One (Remastered)
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Sony Music CG (2018-11-16)



1. We Two Are One
 これまであまり見られなかったブルース・スケール。とはいえ彼らのことなのでそこまで泥くさくなく、当時流行っていたロバート・クレイのサウンドを想像してもらえば、だいたい説明がつく。
 ブルースなんてこれまで興味のなかった女と、いくら音符で追ったとしても、凡庸さの隠せないギター・プレイ。リアルさを求めるのはお門違いで、こういったフェイクっぽさをきちんと構築するところが、彼らの強みなのだ。

2. The King and Queen of America 
 シングル・カット3枚目で、UK29位・日本でも62位にチャート・イン。ハリウッドやアポロ計画、TVのクイズ・ショウなど、明るい未来にあふれたかつてのアメリカ、そして、軍隊の行進や軍人墓地など、その裏面に潜む悲惨なアメリカとの二面性を揶揄したテーマを、ポジティヴなパワー・ポップに乗せて歌っている。
 それよりもとにかく面白いのが、このPV。デイブとアニーふたりが様々なコスチュームに扮しているのが一興。ハリウッド・スターや大統領夫妻などはまだ予想の範疇だけど、月面の宇宙飛行士やヘヴィメタは、ちょっと意外。
 さらにさらに、あのネズミの国のキャラクターまで演じちゃうとは。とにかく一度見てほしい。



3. (My My) Baby's Gonna Cry
 めずらしく2人のデュエット。初期のシーケンス・サウンドにギターとデイブのヴォーカルをダビングしたような、ドライな作り。リズムを強調すると、スタジアム・ロックとしても充分通用する。それだけシンプルなコード進行ということなのだけど。
 デイブのギター・ソロは相変わらず凡庸だけど、サウンドのトータル・バランスとしては、これくらいが程よいくらい。

4. Don't Ask Me Why
 2枚目のシングル・カット。US40位・UK25位は妥当だったとして、なんと日本ではオリコン最高15位。ゴシック感と大衆性との奇跡的な邂逅が、東洋の島国のツボにうまくハマったんだろうか。巧みに歌い上げるアニーのヴォーカル、そしてストリングスを絡めながら抑制したバッキングを構築するデイブとの見事なコラボレーション。
 後期の名曲として、これを挙げる人も多い。いや俺も好きだもの。



5. Angel
 ユーリズミックスは80年代のバンドなので、こういったステレオタイプの80年代ソングがあっても不思議はない。ハートやスターシップあたりが歌ってもおかしくない、大味なアメリカン・ロッカバラード。UK23位まで上がっているのだけど、当時の英国人がこういった大味さを許容していたのかと思うと、そっちがむしろ驚き。

6. Revival
 『We too are One』はなんと5枚のシングルが切られているのだけど、これが先行シングルで一発目。UK26位をマークしたアメリカン風ロック。コール&レスポンスもあるくらいだから、まぁパロディだな。アニーのヴォーカルもポップ・ソングをいしきしてか、いつもよりちょっとキーが高め。ストーンズみたいなギター・リフもご愛敬。
 こうしてここまで聴いてみても、「最後なんだから、好きなこと全部やっちまえ」的なお気楽ムードに満ちている。そう考えると、シリアス・タッチの曲もどこか客観的。

7. You Hurt Me (And I Hate You)
 抑制されたAメロがすごくツボにはまったのだけど、サビになると大味なアメリカン・ロックになってしまうのが、ちょっと惜しい。当初はシンプルだったロック・チューンが、デイブがあれこれ手を入れてくうち、完パケ時には下世話な意味でキャッチ―になっちゃったんだろうか。まぁライブ映えはしそう。

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8. Sylvia
 なので、こういった静謐なバラードが後に続くと、妙に落ち着いてしまう。ストリングスのリフを基調とした、言っちゃえばマイナーの「Eleanor Rigby」なのだけど、そこにチェンバロを模したエフェクトをかましたギター・ソロを挿入することによって、曲全体が締まっている。このセンスがやはりデイブがデイブたる所以なのだな。

9. How Long? 
 そう、やはりユーリズミックスは80年代のバンドなのだ。なので、当時でもすでに使い倒されまくってたはずのゲート・エコーも、そしてドライブ感あふれるギターのストロークも、彼らにとっては使って当たり前のツールなのだ。大味でコンテンポラリーに寄り過ぎるけど、まぁいいじゃん、曲順的にもうラス前だし。

10. When the Day Goes Down
 ラストはライブ感が強く打ち出された、壮大なスケールを想起させるバラード。正攻法。何の小技もいらない。プレイヤーそれぞれに見せ場があり、そしてそれを緩やかに束ねる、アニーのエモーショナルなヴォーカル。
 華麗なるフィナーレとは、このことか。見事なエンディングだった。



Ultimate Collection
Ultimate Collection
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J Records (2005-11-08)

Live 1983-1989
Live 1983-1989
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RCA Records Label (2016-04-23)


美しい多重エゴの結晶 - Eurythmics 『Savage』

folder 1987年にリリースされた6枚目のオリジナル・アルバム。一般的な人気に火がついた『Be Yourself Tonight』、さらにアリーナ/スタジアム・バンドへの飛躍としてコンテンポラリー・サウンドで固めた『Revenge』と続き、世界的ユニットとしてのポジションを盤石にするのかと思ったら、一転してダークで暴力的な側面を強く打ち出した問題作になっている。
 ライブのダイナミズムを巧みに移植したバンド・アンサンブルや、多彩な豪華ゲストをバッサリ切り捨て、強力なネガティヴの磁場を放つサウンドが主旋律となっている。慈愛的かつポップな躍動感を内包した「There Must be an Angel」を期待した一般ユーザーは、その変貌振りに当惑するしかなかった。なので、UKでのセールスは半減、前作までトップ10には入っていたUSチャートにおいても、最高41位と低迷した。

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 長期に渡る2回の世界ツアーを経て、ちょっと疲れた2人は一旦距離を置き、休養や個人活動へと軸足を移す。いくらビジネスライクな関係とはいえ、元夫婦が始終顔を突き合わせていたわけだから、何かと割り切れないストレスも溜まったのだろう。
 もともとサウンド・プロダクションには不干渉だったAnnie Lenoxは、早速バカンスへ繰り出す。同じくDave Stewartも暫しの休息に入るのだけど、この時期の彼はワーカホリックというか野心が勝っていたというか、バカンスもそこそこに切り上げて、次回作の構想を練り始める。最新型のシンクラヴィアを携え、プログラマー Olle Romoとたった2人、フランスはノルマンディーの古城に設置されたスタジオに篭るのだった。
 ほとんどのベーシック・トラックは、この2人だけで作られた。DaveによるギターとドラマーでもあるOlleの生音以外は、ほぼシンクラヴィアで構成されている。バンド・スタイルでレコーディングされた『Revenge』とは、まったく逆のベクトルを向いている。躍動感やダイナミズムもすべて緻密にシミュレートされたものであり、収録された音のひとつひとつにDaveの思慮が込められている。バンド演奏による偶然性を排除して、自分の頭の中にある音だけを、ひとつひとつ丁寧に配置してゆく作業。やっぱ機材オタクだよな、この人って。



 サウンドの方向性が固まった時点で、レコーディング作業はパリへ移り、ここでAnnieが招集される。多少の打ち合わせはあったのだろうけど、長い年月を共に過ごしたパートナーDaveとの間に、そんなに言葉はいらない。ていうか、もうこの時期になると、ユニットとしての寿命は見えていたと思われる。「話し合わなくても」と「話すことがない」とでは、明らかに違うのだ。
 デモテープやDaveとの言葉少ない対話から、これまでとは明らかに異質、『Revenge』以前とは正反対のサウンドになることは、ある程度予想していたのだろう。ヒットチャート仕様だった『Revenge』とは対極の世界観を、Annieも幻視することになる。
 華やかなエンタテインメントの「光」で隠されていたDaveの内面の「澱」は、ヴァーチャルな疑似バンド・サウンドとして、吐瀉物の如く排出される。同様に抑圧されていたAnnieの「闇」もまた、ここに来て急上昇カーブで覚醒、一気呵成に吐き出される。強迫観念と被害妄想にまみれた言葉、それらは硬い礫のごとく、無造作に強く吐き捨てられる。
 「澱」と「闇」が混在して産み出された「憎悪」。肥大化した悪意は2人の力だけでは表現しきれず、さらなる具現化を希求する。そのために旧知の映像ディレクターSophie Mullerがプロジェクトに呼び出され、『Savage』収録曲すべてのMVを製作するに至る。
 そこまで徹底的に深淵を掘り下げることによって、『Savage』的世界感は円環を描き、完成に至った。



 前述したように、「There Must be an Angel」で確立された、「ポップで力強く、慈愛を放つ」ユニットEurythmics のイメージは、『Savage』によって粉々に打ち砕かれた。ここで彼らが放つサウンドの闇の深さは、一聴すると初期のゴシック調テクノ・ポップを彷彿とさせる。
 中途半端なダンス・ポップ・バンドTourist の解散の経緯を踏まえ、初期Eurythmicsのサウンドは、従来とはまったく正反対、打ち込み主体の無機的なシンセ・ビートは、クレバーなロジックの積み重ねで構成されていた。そのサウンド・コンセプトに呼応して、Man-Machineと化したAnnieは感情を押し殺し、ノン・セクシャルなフェイスを貫いた。ヒットを渇望して、マスへの接近を強調したTourist時代のアンチとして、Eurythmicsは大衆へ媚びない純音楽的ユニットとして誕生したはずだった。だったのだけれど。
 皮肉なことに、単調なシンセのブロックコードを基調とした「Sweet Dreams」がダンス・シーンで好評を期す。ポスト・パンク以降とMTVの隆盛とが複合要因となって、ある種キワモノ的扱いだったAnnieの風貌がまず注目され、次にサウンドが注目された。何がどう転ぶかなんて、誰にもわかったものではない。

 シーケンス主体のゴシック・サウンドという点では、『Savage』も共通している。別の観点からすれば原点回帰と言えるかもしれない。ただ、同じ閉塞性と言っても、知名度の低さゆえフォロワーの少なかったデビュー当時と比べて、一旦はミリオン単位の共感を獲得してからの突然の方針転換は、意味合いが違ってくる。
 地道に築き上げてきたポジションや共感を切り捨てるのは、並大抵の勇気ではおぼつかない。いや、それは勇気ですらない。そこにあるのは、長い間、いびつな形で封じ込められた衝動だ。それは理性で抑えられるものではない。こみ上げてくるものを吐き出さざるを得ないだけなのだ。それを商品の形を成すように取り繕う作業。歪んでいる。
 取り立ててアバンギャルドな構造ではない。きちんとしている。一般流通を前提として作られているので、意味不明なモノではない。
 一応、ポップの意匠に揃えられたサウンドの裏では、通り魔的な問答無用の暴力、それに対峙する弱者の過剰な妄想が、通底音として流れている。
 救いもなければ、先行きも見えない。底の抜けた虚無が、音の塊としてそこにある。
 エゴの洪水、強い徒労感が残る音。音楽に癒しを求めるのなら、このサウンドは明らかにnonだ。



 リリース25周年を期して行なわれたDaveのインタビューを読んでみたのだけど、何だか拍子抜けしてしまう。何でこんなサウンドになっちゃったのか、Dave自身の中できちんと整理できていないのだ。
 レコーディング・プロセス、また技術的なエピソードについては饒舌で、できるだけ真摯に答えようとしているのはすごく伝わってくるのだけど、発言はどうも落としどころが見つかっていない。肝心の動機、whyが伝わってこないのだ。
 ストレスの溜まる長期間ロードに加え、レコーディングオタク気質をこじらせている彼にとって、大衆向けのパワー・ポップの量産とは、クリエイティヴとは相反するものだった。言っちゃえば器用貧乏的な性質のDaveにとって、ニーズに応じたサウンド・プロデュースはお手の物だったけれど、そればっかり求められると、ちょっと違った方向性も試してみたくなるものだ。
 マスとのリンクを辛うじてつなぐ程度のポップ性を残しつつ、強いエゴを反映した『Savage』は、極めて暴力的なコンセプトで彩られた。「共感を得る」とか「ユーザーとの一体感」とは無縁の、極めてパーソナルな音。
 ただ、その怒りの対象が外へ向けてなのか、それとも自身に対してなのか。
 そのぶつける先が曖昧なのだ。



 華麗なヒットメイカーとしてのEurythmics は『Revenge』で終わり、その後の彼らは初期とも中期とも違う、まったく新たな人格を獲得したはずだった。
 この後、さらにダーク・サイドを掘り下げて行くのか、それともここで膿を出し切ったことによって、再度躁的なポップ・ソングへ回帰するのか、はたまたまったく別のベクトルを目指すのか。
 -次回作は何が飛び出してくるかわからない。そんな行き先不明の期待感があったはずなのに。
 彼らが選んだのは、そのどれでもなかった。ポップ・スターとしての膿を出し切った後に残ったのは、パーソナルな個、Ann Lenox とDavid Allan Stewart という2つの一個人だった。個人としての確立を得た2人が混じり合うことはなくなり、音楽のマジックは消えてしまった。

 気の抜けたような『We too are One』。きちんとできている。確かに一人前の大人の仕事だ。
 でも、そこにいるのはEurythmics ではない。DaveとAnnie、2人のソロ・アーティストによって作られた音楽。かつての強い記名性はなく、何となくEurythmics っぽい音楽。
 こうすることでしか、Eurythmics を終わらせることができなかった。『Savage』の製作はそれだけ、互いの身を削る作業だったのだ。
 ユニットとして掘り下げるものは、もうない。なので、ここで終わって正解だったのだろう。



Savage
Savage
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RCA Records Label (2011-04-11)





1. Beethoven (I Love to Listen To) 
 先行シングルとしてリリースされ、UK最高25位。なぜかノルウェーやニュージーランドなどスカンジナビア方面ではトップ10に入り、高い評価を受けた。初期のサウンド・プロダクションのフォーマットを使用しながら、構成力は段違い。ポリリズミックなシンセ・ベースがそこはかとない狂気をあおっている。
 PVでは、貞淑で平凡な主婦に扮したAnnieが、狂気に囚われてアイデンティティの崩壊、最後には別人格のディーヴァAnnieに変貌してしまう。どちらが本性なのかは不明だけど、案外グラマラスなAnnieのドレス姿を堪能するのも一興。



2. I've Got a Lover (Back in Japan) 
 以前のアルバムに収録されていたら、もっとバンド・グルーヴを前面に押し出したギター・ロックになっていたのだろうけど、ここではクールな打ち込み主体のサウンドでまとめられている。その分、Annieのヴォーカライズの多様性が引き立っている。
 PVでは基本、ユニセックスなAnnieが主人公なのだけど、合間合間に過去のライブ映像が挿入されている。中には日本公演も。

3. Do You Want to Break Up? 
 サウンドもヴォーカルも、基本は全盛期のEurythmicsそのものだけど、過去の自分たちをなぞっているかのような、作りモノ感が拭えない。もともとまっ正直なポップを演じるのではなく、定石からちょっとポイントをズラしたサウンドを志向していた彼らだけど、ここでは過去の自分たちをもパロディ化した、どこか醒めた目線でのプロダクションである。
 PVを観れば、それは歴然。そのズレ方がハンパないから。1.で登場した主婦Annieが再登場しているけど、もはや貞淑さはない。顔はすっかりディーヴァに侵食されている。
-アルプスの山中を模したセットをバックに、チロリアン音楽隊に囲まれながら、躁的引きつり笑意を浮かべながら歌い踊る主婦Annie。こうして書いてみると、気色悪い映像だな。

4. You Have Placed a Chill in My Heart
 壮大なスケール感で演出された王道ポップ・バラード。このアルバムの中では最もEurythmics「らしい」楽曲でもある。その分、このラインナップの中では浮いており、目立たないのが惜しまれる。4枚目のシングルカットという、付け足しのようなポジションではあるけれど、UK16位まで上昇したのは、やはりこの辺のサウンドにニーズがあったことがわかる。
 サウンド同様、壮大で荒涼とした大地にたたずむユニセックスAnnieから、PVは始まる。場面は変わって、スーパーでやたら洗剤ばかり買い込む主婦Annie、時々ディーヴァAnnieがフラッシュバックのようにインサートされる。3つの顔を持つAnnieそれぞれの顔の中、最もピュアでエモーショナルな感性を持つのは、ユニセックスAnnieである。
 でも、それも本当の顔なのかどうか。



5. Shame
 こういった従来タイプの楽曲を、こんな地味な場所に配置してしまうところが、セールス不振の要因だったんじゃないかと思われる。以前なら確実にシングル候補だったはずだけど、まぁタイトルがタイトルだし。彼らのベクトルは、そういったまっ正直なポップ・ソングではなかった、ということなのだろう。
 PVでは初めてDaveが登場。上半身裸(全裸?)の2人が、ひたすら恋人のように愛しあい抱擁を重ねるだけの内容。映像的には美しい。でも、かつて恋人同士だったことを思えば、それは何だか気持ち良いものではない。そういった皮肉も含めて、自虐的な香りさえ漂う。

6. Savage
 神々しささえ漂う王道バラード。安っぽいストリングスなんか入れず、シンクラヴィアとギターだけでまとめているのはDaveの美学。何でもかんでも弦を入れちゃう安直さとは、一線を画している。
 PVはディーヴァAnnieの美しさが際立っている。堕天使の如く清廉とした表情。これもまた真実のAnnieなのだ。



7. I Need a Man
 3枚目のシングルとしてリリースされ、UK最高26位。でもUSダンス・チャートでは6位まで上昇している。
 ひとことで言っちゃえば、「地下室に幽閉されたサイコパスのマリリン・モンロー」。これに尽きる。アメリカでは最初にシングル・カットされたため、『Savage』といえばこの曲の印象が最も強い。シンプルなロックンロールとダンスのハイブリット、この種の曲はどの時代でも強い。
 限定の輸入盤シングルは金属缶に封入されており、そのプレミア感につられて買ってしまったのが、俺。金がない時に売っちゃったけど、惜しいことをした。持っとけばよかったな。

8. Put the Blame on Me
 ちょっと気だるさの漂うゴシック・ダンス・ポップ。サビも覚えやすいし、ファンキーなバックトラックもカッコいいしで、非の打ちどころのないナンバー。だからさ、なんでこんな地味な配置なの?もったいない。

9. Heaven
 抑制されたシンセ・ビートを主軸とした、構造としては実験的な楽曲。だって、ずっとHeavenとしか歌ってないんだもん。ディーヴァAnnieも肩の力を抜いて、まどろむ様な表情を見せている。主婦Annieが浸食し始めている。もはや人格の境界線は曖昧だ。

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10. Wide Eyed Girl
 初期サウンドに近いものを感じさせながら、サウンドの構成力もヴォーカルの多彩さも、レベルが上がっていることを感じさせる。以前ならバンド・アンサンブルの勢いで押し通していたところを、きちんとシミュレートした上でクライマックスや破綻を演出している。

11. I Need You
 Daveによるアコギのみをバックに、ギミックを使うこともなくストレートに歌うAnnie。ここまで変幻自在な側面をこれでもかと見せていた分、装飾を取り払ったアンプラグド・サウンドは効果的。
 普通にやればこのくらいのことはお手のものなのに、なかなかまっすぐにやろうとしない。あまり人がやろうとしないことを実現させるのが、Eurythmicsというユニットのはずだった。それが変に人間的に覚醒しちゃってつまんなくなっちゃったのが、『We too are One』である。



12. Brand New Day
 ラストはAnnieによる多重アカペラ・コーラスでスタート。こういった実験性は、やはり彼らの真骨頂である。後半はシンセが入って曲調が変わり、慈愛あふれるポップ・チューンとして昇華。
 PVは少女たちによるバレエからスタートし、曲調が変わると共にAnnieが登場する。いつものユニセックスAnnieの表情は、とても柔和だ。最後のカーテン・コールによるエンディングも、とても和やか。ここだけは悪意のかけらもない。








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実験を繰り返した末の自然体な小品集 - Eurythmics 『Peace』

folder 80年代中盤に「Sweet Dreams」で注目されたEurythmics は、当時隆盛を極めていた男女シンセポップ・デュオの流れで登場したものの、他のどのグループより異彩を放っていた。大抵のシンセポップのバックトラックが、ヤマハDX7やシンクラヴィアなどの最新機材を使い倒し、時に息づまるほど隙間のないサウンドで埋め尽くされていたのに対し、プログレ的素養もある彼らのサウンド・デザインは、アコースティック楽器と同列の配置を施すことによって、ちょっと独自のスタンスを築いていた。
 特に「Sweet Dreams」は、不穏さを煽る無機的かつシンプルなブロックコードを効果的にあしらい、初期の彼らが活動拠点としていたドイツ的なバロックのテイストも醸し出していた。他の有象無象が奏でる安易でキャッチーなサビ中心で構成された楽曲よりも、一聴して素っ気ないメロディでありながら、きちんと対峙して聴くと、プロによって十分練られた重層的なサウンドがマニアからライトユーザーにまで、幅広く支持された。

 イギリス出身だったのにもかかわらず、前進バンドTouristsが主にドイツで活動していたこともあって、当初からグローバル展開に積極的だった彼らのサウンドは、当時のヒットチャートのラインナップにおいて、ここでもまた異様さに満ちている。
 テクノポップというにはあまりにオルタネイティヴな質感が強い彼らのサウンドは、正直売れ線だとかキャッチーだとかいうものではない。ないのだけれど、それでも彼らの80年代のほとんどは、ヒットチャートの常連というポジションを堅持していた。特にアメリカではディスコ・チャートでかなり健闘したので、プログレ的なコンセプトを抜きにして、単純に踊りやすい音楽として受け止められている。
 アメリカというのはマーケットが大きいせいもあって、どうしても最大公約数的にアッパー系の音楽ばかりが注目されがちなのだけど、Pink Floydの『狂気』が長いことチャートインしていたように、ネガティヴでダークサイドな部分も多い音楽にも一定数の需要がある。Eurythmicsの後にもCureやMorrisseyがアリーナ・クラスの会場をソールドアウトしていたように、厨二病的アーティストに心酔し自己投影してしまう層がどの時代にも存在する。
 Marilyn Mansonが売れちゃう国だもの。そう思えば不思議でもなんでもないか。

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 この時点でのEurythmics人気は、あざといほど中性的でエキセントリックな女性ヴォーカルAnnie Lennoxのキャラクターに負うところが多かった。
 時代的にMTV全盛ということもあって、ビジュアル的にインパクトの強い彼女のキャラクターは、純粋な音楽以外にも、ファッション風俗的な側面においてもある種のパイオニア的存在として、人々に強く印象付けた。返して言えば、それはまたトリックスター的な騒がれ方、キワモノ的な一面でもあるのだけれど。ユニセックスな風貌は時に暴力的でシステマティックを強調しており、サイボーグに擬した無表情には愛想のかけらもなかった。
 ダンサブルに特化したデジタル・ビートをベースとしたバックトラックは、下積みの長かったDave Stewartによって計算高く作り込まれていた。大抵のテクノポップのサウンドメイカーらは、日進月歩で更新されてゆく機材のスペックのスピードに追い付けず、代わり映えしないプリセットでお茶を濁すばかりだった。逆にスタジオワークが大好きなシンセマニアがコツコツ組み立てたサウンドは、オタク知識をフル活用してスペックを最大限活用し、他アーティストとの差別化を明確にした音作りを行なっていたのだけど、肝心のメロディがダメダメだったりヴォーカル・ミックスが二の次にされていたりなど、珍奇な音の響きばかりが取り沙汰されて、ポピュラリティの獲得にまでは至らなかった。
 優秀なオペレーターはマシン操作に長けてはいるけれど、それはソングライティング能力とはまったく別の問題である。オペレーターはあくまで机上のシミュレートに基づくプログラミングまでが職務であって、クリエイティヴな作業を行なうには別のスキルが必要となるのだ。
 自らもプレイヤーであり、ソングライターでもあったDaveがEurythmicsを商業的成功に導けたのは、先天的なのかそれとも後天的なのか、そういった能力にも長けていたことが、時代のあだ花として埋もれずに済んだ要因である。

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 デビューしてからしばらくは、サウンド担当であるDaveがバンド運営の主導権を握っている。前進バンドTouristsもDaveが多くの楽曲を制作しており、根っこの部分はEurythmicsと変わらないのだけど、ヒットしたのはBay City Rollersのカバー「I Only Want to Be with You」がUK4位US83位という、何とも微妙なスマッシュ・ヒット程度の一発屋で終わってしまう。時流に合わせたニューウェイヴ風味のポップ・ロック的アレンジは、正直Annieのキャラクターとはマッチしていない。PVを見ると、半ばヤケクソ気味なハイテンションだし。
 稀代のヴォーカリストAnnie Lennoxを引き立たせるためには、もっとダークでゴスで救いのないシンセ・ベース主体のミニマル・ビート、性別不詳のビジュアル・イメージこそが必要だったのだ。ユニセックスという概念がまだ一般的でなかった80年代、「男装の麗人」と言えば宝塚くらいしか連想できない日本人にも、彼女のキャラクター・デザインは大きなインパクトを与えた。

 US・UKにとどまらず、ワールドワイドな成功を収めた彼らだったけど、キャリアを重ねるに連れ、次第にAnnieのパワー・バランスが強くなってゆく。
 テクノ的ロジックで考えると、メインであるはずのAnnieもまた構成楽器の一部に過ぎず、サウンド全体のバランスを考えると感情を抑えたヴォーカライズで処理されるのだけど、状況は刻一刻と変わってくる。ビッグセールスに伴う世界ツアーを重ねることによって、アリーナ・クラスの会場に見合ったロック的イディオムをAnnieが欲し、Daveもまたライブ映えするような楽曲を制作するようになる。

Eurythmics

 ロジックよりもフィジカル。ライブでの起爆剤的なアッパー系の楽曲が多くなる中、次第にシステマティックだったユニットにもライブ・メンバーが増え、バンド的なグルーヴを見せるようにもなる。ノンセックスのアンドロイド的なアーティスト・イメージを固持していたAnnieも、時々普通の人間としての喜怒哀楽を見せるようになる。
 そんな彼女の一面、慈愛にあふれた笑顔を見せて話題になったのが、彼らのもうひとつの代表曲である「There Must be an Angel」。当時、すでに「愛と平和の人」としてキャラクターが定着していたStevie Wonder がハーモニカで参加、彼らの代名詞でもあったシンセ・ベースもここではほとんど響かず、代わりに神々しくゴスペルへと昇華するコーラスが彩りを添えている。80年代特有のエコーの深いドラムもここでは控えめで、すべてはAnnieという存在をドレスアップするかのように、緻密に注意深く配置されている。
 テクノポップというカテゴリーを超えた、80年代のスタンダード・ナンバーができあがった瞬間だった。能面のように冷徹な表情を崩さなかったAnnieの笑顔によって、Eurythmicsというブランド・イメージは表現の幅を広げていった。

 普通なら、この路線でしばらく畳み掛けて、AOR的な展開に行くはずなのだけど、何を思ったのか、ここで再び彼らは覚醒する。
 80年代的「自立した女」としての理想形を確立したAnnieは、円熟の路線を拒否、邪悪で陰険、「天使」とは両極端のデーモニッシュなキャラクターを自らに憑依させる。普段は午後のティータイムを楽しむ貞淑な人妻だが、一旦豹変すると糖質っぽさ全開、淫らで妖艶なディーヴァが脳内で生み出した憎悪と狂気の産物-、それが『Savage』である。
 暴力的な歌詞と被害妄想的な密室サウンド、憎悪と狂気を露わにしたコンセプトは、これまでのポップ路線と完全に逆行した、破壊と混沌の象徴だった。このコンセプトに基づいて全曲MVが製作されたのだけど、まぁ通して見ると疲れること。圧倒的なオーディオ/ビジュアルのクオリティは有無を言わせぬ仕上がりだけど、とにかく息詰まり感がハンパない。
 そこに救いはなく、あらゆるものが投げ出されたまま、放置されている。

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 ここで一旦、Eurythmicsは終幕となる。ゼロからMAXまで、メーターはすでに振り切れてしまったのだ。『Savage』で臨界を突破してしまったからには、もう新たに手を付ける余地は残されていなかった。
 勢いの余力で制作した『We too are One』はきっちり作り込まれていたけど、どこか「お仕事感」的な残務処理、坂道の惰性運転的な佳作として受け入れられた。ここで最後にClashのようにとんでもない駄作でも作ってしまえば、もしかして後世の評価も違ってたのかもしれないけど、やはり彼らは音楽に対してとても真摯な態度で向き合っていたのだ。
 リリース後、彼らは別々の道を歩むことになる。2人でやり切れることはやり尽くしてしまい、残された新境地はそれぞれ独りで叶えるべきものだった。
 過去の再生産を嫌い、2人はまったく別々の道を歩んだ。「独自の音楽性の追求」という共通項を残して。

 そんな彼らが10年ぶりに再結成してリリースしたのが、この『Peace』。
 よくある再結成話にあるように、食い詰めたメンバーが過去の栄光にすがって、という流れではない。Annieはソロ・アーティストとして国民的シンガーの位置にいたし、Daveも自分メインの活動は地味だったけど、裏方として、またStonesが休養中でヒマなMick Jaggerとつるんで何かしら活動していた。それぞれが10年の節目を経て、必要性を感じて2人で曲を作り、そしてアルバムをリリースした。
 そのアルバムを携えて、彼らは大々的な世界ツアーを行なったが、それはそこまでの関係に終わった。当然のように、彼らはそれぞれの道に戻り、新たなソロキャリアを築くことになった。
 恒久的なプロジェクトではなく、アニバーサリーとして、ハッピー・エンドを彼らは選んだ。
 2人で音を出すのは楽しい。でも、いま求めているのはそれだけじゃないのだ。

Eurythmics-Beatles-Grammy-Tribute

 実は俺、再結成してライブを行なっていたところまでは知ってたけど、フル・アルバムまで作っていたのを、ほんとつい最近まで知らなかった。なので、この『Peace』を聴いたのもつい最近。
 大抵の再結成バンドがニュー・アルバムを出すとボロクソに罵倒される流れから、21世紀に入ってからはライブ・パフォーマンスのみ、またはせいぜいシングル程度、フル・アルバムまでは制作されない傾向にある。再結成Policeだって結局、ニューアイテムはなかったしね。
 そういった流れから、まさかアルバムを作ってるだなんて思ってもみなかったのだ。再結成ツアーでは日本に来なかったせいもあるのか、リリース・プロモーションも地味だったらしいし。でもEU諸国ではゴールドやプラチナムも獲得しているくらい需要があったので、多分俺が知らなかっただけか。

 オリジナル・メンバーであるDave StewartもAnnie Lennoxも揃っているけど、ここで鳴っている音はかつてのEutythmicsとは趣きが違っている。以前2人でやり尽くした実験は、大きな成果を得た。でも、また実験を繰り返すということは、純粋な意味での「実験」ではなくなってしまう。それはただの「屈折」だ。
 それぞれ2人とも、Eurythmicsというベースを基に、ソロで10年、違うベクトルでキャリアを築いてきた。じゃあ今度は、実験ではなく、ただ単に2人そろってあまり考えず、まず音を出してみよう。それが最後の「実験」だ。
 ノスタルジーでもなければ、時代におもねるわけでもない。ここで鳴っているのは、2人のソロ・アーティストが「せーの」で出した音だ。最初のセッションではお互い探り探りな面もあっただろうけど、長い年月を共に過ごした2人だと、10年というブランクは大した問題ではない。結局できあがったのは、あぁやっぱりEurythmicsだね、という音だった。
 奇をてらった問題作でもなければ、ロートルバンドが惰性で鳴らす音でもない。ただただシンプルに、きちんと音楽に向き合ってきた者のみに出せる音が、このアルバムには詰まっている。


Peace
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1. 17 Again
 Daveのアコギから始まるオープニング。弦をこする音がアンプラグドっぽさを演出しているけど、Annieのヴォーカルが入るといつも通りのゴージャスなEurythmics。ドラムの音もオーソドックスで、これ見よがしなシークエンスも使ってない、堂々としたスケール感あふれるバラード。
 これまでのキャリアを振り返るナンバーをトップに入れてしまう辺り、バンドという存在に対して第三者的に向き合える余裕が窺える。



2. I Saved the World Today
 Annieのソロ傾向が強く出ている、メロディアスなバラード。もともと神経質的な傾向のある人なので、こういったニュアンスを重視した楽曲を歌い上げるのは、Annieの特性に合っている。中盤のホーンとストリングスの絡みがBurt Bacharachっぽく聴こえてしまうのは、その辺を狙っているのか。『Be Yourself Tonight』以降の方向性を思わせる。



3. Power to the Meek
 「デジタル機材をうまく盛り込んだStones」的なサウンドは、こちらはやはりDave的なもの。決して美声とは言い難いAnnieのヴォーカルが、ここではいい感じにダルでマッチしている。時にガナリ声でコール&レスポンスを繰り返す彼女もまた、構成の要素のひとつである。

4. Beautiful Child
 Daveのプロデュースの卓越した面のひとつに、アナログ・シンセの使い方が挙げられる。旋律のエッセンスとしてストリングスを効果的に使う人は多いけど、リズミカルに使える人はあまり多くない。ここでもメインはアコギのアルペジオで、あえて人工的な響きを対比させることによって、絶妙のコントラストを演出している。

5. Anything but Strong
 こういった「技巧的なヴォーカル」と「プリセットよりちょっとだけいじりました」的なDTMとのミクスチャー・サウンドを聴いていると、『We too are One』以降の彼らの方向性が見えてくる。あくまで「もしかして」の仮定の話だけど、この路線の深化と円熟というベクトルならば、ユニットとしての寿命はもう少し長かったのだろうか。
 まぁ難しいか。ツアーさえなければ行けたんだろうけど。

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6. Peace Is Just a Word
 で、このようなAOR的路線のレコーディング・ユニットとしての存続もアリだったと思うのだけど。こちらはDaveとAnnieとのバランスがうまく拮抗したパワー系バラードなのだけど、難しかったんだろうな。当時はアルバム・リリース=長期ツアーだったし。

7. I've Tried Everything
 初期のテクノポップ的なシークエンスをベースとしながら、やはりメインとなるのはAnnieのヴォーカルとDaveのギター。もともと正面切ってギター・ソロを延々弾きまくるというタイプの人ではなく、バッキングに徹して時々印象的なオブリガードを効かせる、というのがスタイル。そこら辺がやはり、テクノ的イディオムの人なんだろうな。

8. I Want It All
 アルバム構成的にちょっとダレてくる頃なので、ここでロック色の強いアッパー・チューン。ていうかガレージ・ロック。ミックスが絶妙なので、ガレージ独特のチープ感はまるでない。巧妙にシミュレートされたデモテープといった塩梅。彼らに貧乏臭さは似合わない。

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9. My True Love
 とにかくギターを弾きまくるDave。やっぱりうれしかったんだろうな、2人でやるのが。バラードでもなんでも、とにかくアルペジオでぶっこんで痕跡を残している。ていうか、ギターで参加でもしない限り、実質Annieのソロになっちゃうしね。

10. Forever
 そういえばピアノが出てなかったな、ここまで。俺的には最もお気に入りのスロー・チューン。ソロ初期のPaul McCartney的なバックトラックに対し、Annieはかなり熱のこもったヴォーカルを見せる。ベテランのポップ・ユニットの「あるある」として、彼らもまた後期Beatlesの路線を踏襲している。

11. Lifted
 ここまで比較的アダルト・コンテンポラリーなタッチのサウンドでまとめられていたこの『Peace』、今さら小手先の冒険・実験作に手を出す気もないのだろうけど、ラストはゴスペルの西欧圏的解釈とも取れるバラード。変に余韻を残すこともなく、過剰にドラマティックでもない、現役感を十分に残して終幕。




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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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