David Bowie

好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、目をつぶれ- David Bowie 『Let's Dance』

folder 2016年はいわゆる俺世代、45歳以上の音楽好きにとって、思い入れの深いミュージシャンの訃報が相次いだ一年だった。これまでは、ロックの爛熟期である60~70年代に活動していたミュージシャンが主だったけど、近年になってからは、80年代に活動したアーティストらの名も目に付くようになった。
 波乱万丈な生き方や破天荒な言動を良しとされた昔と違って、アルコールやドラッグに溺れて早逝する者は少なくなったのは、まぁいい傾向ではあると思う。もっとライトな薬物が広く浅く蔓延してはいるけれど、出来上がった音楽に大きな影響があるかといえば、そんなのはごく僅かだ。ほんとに好きなアーティストには、できるだけ長く生きててもらいたいしね。
 とは言っても、ほんとかどうかは定かじゃないけど、合法ドラッグの過剰摂取が未だ取り沙汰されているPrinceみたいな人もいるわけだし、公私の区別が曖昧な立場で活動してゆくためには、何かしら依存する対象が必要になるのだろう。それがセックスだったり宗教だったりの場合もあるけど、ファンはただ応援し、見守るしかないというのが正直なところ。
 そんなプレッシャーに晒されているのは、何も彼らだけじゃない。生きていれば、誰だってそんな壁にぶち当たるのだ。

 年頭のBowieに始まり、俺個人的には最も衝撃的だったPrince、この歳になって改めてE,W & Fの魅力を再発見した矢先のMaurice Whiteの訃報。そこまで強い思い入れはなかったけど、Glenn Frey やLeon Russell 、ELPのKeith Emarson とGreg Lakeの相次ぐ死。鉄腕アトムの印象が強い冨田勲に Bernie Worrell、ちょっと色モノ枠のPete Burnes もこの世を去った。
 そして、まるで年末進行に滑り込んだかのような、George Michael とLeonard Cohen、Pierre Barouhの死。
 思い入れの強弱はあるけれど、今後も逝去するアーティストは増えるだろう。世代交代は確実に進んでいる。

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 だからと言って、その彼らが築き上げてきたかつての音楽業界の隆盛を、新たな世代がそのまま引き継げるかといったら、それもちょっと微妙。かつての爛熟期とは状況がまったく違っている。潤沢な予算と時間をかけてアルバムを作り、それを引っさげてツアーに出て認知を広め、多額の販促費をばら撒いてセールスを伸ばす、といったビジネス・モデルは20世紀で終わってしまったのだ。
 音楽業界が活況の時代は、シングル向けのいわゆるキラー・チューンに加えて、あまり出来の良くない曲で埋め合わせ、販売単価の高いアルバムもバンバン売れてたけど、ダウンロード販売がメインに取って代わってからは、そういった抱き合わせ商法も通用しづらくなった。今の抱き合わせは駄曲ではなく、握手券になってしまっている。ましてやメインの曲さえ聴かれることもなく、握手券さえ手に入れてしまったら、大量にブックオフに売られてるし。

 で、Bowie 。
 彼が亡くなってから、一年が経った。正直、訃報を聞くまでは俺、Bowieの作品とはご無沙汰だった。当時の俺のマイブームは、60~70年代のジャズ・ファンクだったのだ。
 年季の入った音楽好きならよくある話だけど、若い頃から聴いてきたロックに飽きが生じるようになって、これまでとは全然別のジャンルにのめり込んでしまう時期が時々訪れる。これまで聴いてきたジャンルから、なるべく遠ざかったモノを求めて聴くようになる。で、また何んかのきっかけによって引き戻され、昔聴いたモノを引っ張り出して聴き直す。違ったジャンルを通過した耳で聴くと、昔よく聴いてた音も、また違った視点で捉えられるようになる。ここ10年は、それの繰り返しだな。
 そんな無限サイクルのギアの入れ替わりのきっかけとなったのが、彼の死だった。

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 10代を80年代ど真ん中で過ごしてきた俺にとって、 Bowieとのファースト・コンタクトは『Let’s Dance』、もっと正確に言えば『戦メリ』である。45歳以上の洋楽好きなら、誰でも通ってきた道である。なので、俺世代共通のBowie像といえば、「美形のマルチ・アーティスト」が最大公約数となる。
 異論はあると思うよ。でも、大ヒットしたタイトル曲と、坂本龍一とのキスシーンのインパクトの前では、すべてが霞んでしまう。

 その異論を唱える側の意見。一般的にアーティスト・パワーのピークとされる70年代を後追いで知った俺達世代、その中でも特にロキノン読者だった者にとってはこのアルバム、ある種の踏み絵的存在でもあった。
 今では面影のかけらもなくなってしまったけど、ベルリン3部作やグラム時代を含む、70年代ロック原理主義を貫いていた80年代のロキノンにおいて、『Let's Dance』は商業主義、無知な大衆に魂を売ったかのような扱いを受けていた。
 俳優活動にも積極的に首を突っ込んでいた時代だったから、そこらのニューロマ系アーティストよりも圧倒的に見映えは良かったし、ネーム・バリューも絶大だったので、表紙やグラビアに起用されることも多かった。ロキノンにとってDavid Bowieは超VIP待遇であり、投稿記事やレビューでも大絶賛されることが多かった。
 しかしこのアルバムを境として、ロキノン内でのBowieの扱いは一変する。ヒット・チャートの音楽を、斜め上の視線から貶すことが良しとされていた、いわゆるオタク文化のハシリ的な時代だったのだ。
 -ロキノンがそう言ってるんだから、やっぱ80年代のBowieはダメなんだナ、と疑いもせず信じ込んでいた10代の俺。
 あぁ、ムダな回り道だったよな、今にして思えば。

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 当時はビジュアル的に同系列、ていうかBowieの表層面だけをリーズナブルに移植した、ニューロマ系の安易なヒット曲と十把一からげにされていたけれど、リリースから四半世紀を過ぎたあたりから、評価は逆転しつつある。時間を置いて先入観抜きで聴いてみると、「Let’s Dance」のイビツさ、時代に消費されることを拒む深層が見えてくる。
 新進気鋭のプロデューサーとしてブイブイ言わしていた鬼才Nile Rogers は、メロディアスな作風とは言い難かった彼の楽曲を、ダンス/ディスコに対応した現在進行形のビートで彩ることによって、ヒット・チャート仕様のモダン・サウンドに翻訳した。Bowieのブラック・ミュージックへの接近は、『Young Americans』でも行なわれたアプローチだったけど、意味合いが微妙に違っている。

 ドラッグで頭のイカれたグラム・ロッカーDavid Bowieが、あくまでロックの文脈で解釈した「まがい物のソウル」、歪んだ主観に基づくキッチュな仕上がりとなった『Young Americans』に対し、『Let’s Dance』ではBowie、あまりサウンド・プロデュース的なことには口を出さず、ほぼNileに投げっぱなし、まな板の鯉である。
 素材としてのDavid Bowieをどこまでコンサバティヴな商品、コンテンポラリーな加工品に仕上げられるのか。当時はすでにヒット請負人的なポジションにあったNileにとって、Bowieとは極上の素材ではあったけれど、これまでの実績を鑑みれば、これまでのオファーとは比較にならないほどの案件であったはず。そこらのポッと出のポップスターとはスケールが違うのだ。

 70年代のBowieは、時代の趨勢を完全に無視するのではなく、横目でメインストリームの動向を伺いながら、常に半歩先・一歩先を読んでリードし、結果的にオピニオン・リーダーとして次世代への道筋をあちこちつけていった。出来不出来はあれど、彼が切り開いていった道筋のあとからは、多くのフォロワーやエピゴーネンが出現した。そこからまた枝分けれや分裂を続け、今もまだBowieの遺伝子は増殖を繰り返している。そのサイクルは無限に続くのだろう。
 70年代に彼が創り出してきたアルバム群は、どれひとつを取っても強力なインパクトを放ち、アルバム単体それぞれがひとつのジャンルと言えるほどのものである。そしてまた、自己複製を潔しとせず、アルバム制作ごとに前回のコンセプトをチャラにして、また新たなコンセプト/キャラクターを創り出し続けた。後ろを振り返らずに走り続けることを自らに課し、周りの空気が澱むその前に、身を翻すことを繰り返したのだ。

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 ただ、そんなトリックスター的な振る舞いにも限界がある。
 彼が主戦場としていた「ロック」というジャンル自体が、80年代に入る頃から自家中毒を起こし、「スタイルとしてのロック」、「取り敢えずロックのサウンドを使ってみました」的な音楽が多くなってきた。コンセプトやらイデオロギーなんかは取り敢えず置いといて、既存のロック・サウンドのフォーマットだけ借用、聴きやすくノリの良い楽曲が売れるようになってきた。
 特にMTVでのヘビロテがヒットのファクターとなった80年代、そんなお手軽なヒット曲のエッセンスとして、Bowieのビジュアル・イメージは格好の素材だった。決して彼のサウンドではない。あくまで、表層的な上澄みの部分だけだ。
 70年代のBowieから漂うアングラなイメージを希釈し、エキセントリックなビジュアルを薄めてスタイリッシュに整えることによって、ニューロマ系のアーティスト達は、Bowieより大きな商業的成功を収めた。

 Bowie自身、前作『Scary Monsters』を区切りとして、「実験」やら「変容」やらに行き詰まりを感じていたのも事実である。本国UKで台頭しつつあったニューウェイブのBowie流解釈として、『Scary Monsters』はそこそこの評価は得たけれど、新旧どっちの世代にも八方美人的にアピールしながらも焦点が定まらない、どこか微妙な仕上がりとなってしまった。それはセールスの行き詰まりとも比例している。
 時代を先読みする独特の視点。そこに衰えはなかったはずである。時代のトレンドの潮流を読みつつ、そのど真ん中に身を置くのではなく、本流よりやや外れたところを先導することが、70年代の彼の美学だったと言える。
 でも、「実験」の「反復」という行為は、イコール「本意」の「実験」ではない。「実験」のネタを探し回るという行為、それは「非」実験的である。

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 ここでシンクロニシティとして挙げられるのが、日本のYMOという存在である。
 活動期間こそBowie より短かったけど、彼らもまた『BGM』『テクノデリック』という、80年代UKニューウェイブのマイルストーン的作品を生み出した後、長い休養に入った。ていうかメンバー3人とも、この時点で散開の意思を固めていた。
 YMOというブランドの中では、もはやカタルシスを得られるほどの音楽的実験/冒険はやり尽くしてしまっていた。後に残るのは過去作の拡大再生産、商業的要請に応じたビジネスライクなバンド運営だけである。
 もはや、何をやってもYMO。
 いくらYMO的なベクトルから外れたことをやろうとしても、それなりに受け入れられてしまい、そして大衆に消費される。歓迎され消費されること、それはもう「実験」ではない。
 じゃあ、要望に応える実験ではなく、もっと斜め上に裏の裏をかいた行為。
 -思いっきり世論に迎合してしまうこと。
 それこそが最大最後の実験であり、批評的な行為である。

 ベストテンに出るYMO。カジュアルなカラー・セーターに身を包み、PVでアイドルを模した振り付けを披露するYMO。ひょうきん族に出演して、不器用な漫才を自虐的に演じるYMO。
 その振る舞いのどれもがちぐはぐで、どこかこっ恥ずかしくぎこちないものではあったけれど、それまで築き上げてきたYMO像を破壊するためには、これくらいの方向転換が必要だった。自ら望んだはずではないのに、勝手に象牙の塔のてっぺんに祭り上げられたYMOを破壊するため、いつの間に自らで築き上げていたカリスマ・イメージをチャラにするためには、荒療治が必要だったのだ。
 彼らもまた、「実験のための実験」という袋小路から抜け出すため、敢えて大衆への迎合というプロセスを通過し、斜め上の音楽ユーザーへ向けて、アッカンベーして強引に幕を引いたのだった。

 YMOとBowie、彼らの大衆迎合路線は、ほぼ時期を共にしている。両者とも、レコード会社からの要請も多少はあっただろうけど、「実験」的な音楽や所作が大好きな音楽ファン、ていうかマニア向けの音楽を演じることに飽きが来ていたことも事実である。
 そんな彼らがこれまで手をつけていなかったのが、敢えて「売れてやる」といった行為であった。
 ほぼ時を同じくして、偶然なのか必然なのか、そんな路線を選んだ両名。
 その自虐的かつコンセプチャルな行動は、自らへ、そして全音楽ファンへ向けた強烈な批評でである。


Let's Dance
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David Bowie
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1. Modern Love
 3枚目のシングル・カットで、US14位UK2位。Bowie曰く、Little Richardを意識して書かれた曲ということだけど、サビのリフからして軽快なタッチで、ストレートなロックンロールにパワー・ステーション謹製ドラム・サウンドがうまく融合している。いまリリースしても、そこそこ売れるんじゃないかというパワーを秘めたオープニング・ナンバー。『Born in the U.S.A.』がリリースされたのはこの2年後だけど、Bruce Springsteenからのインスパイアも感じ取れる一曲。



2. China Girl
 2枚目のシングル・カット。UK2位US10位。一躍ギター・ヒーローとして躍り出たStevie Ray Vaughanがここで登場。ポップな曲調を引き締めるように、簡潔ではあるけれど印象的なソロを披露している。
 昔はこのコントラストが絶妙だよなと思ってたけど、今にして思えばお膳立てしていたのはNileだったわけで。全編で心地よくアクセントをつけているカッティングは、ファンキー過ぎずポップ過ぎず、ちょうどいい頃合い。この辺がバランス感覚だよな。
 もともとはIggy Popのために書き下ろした曲で、そのヴァージョンも『The Idiot』で聴くことができるけど、アレンジの違いで曲調はまったく違って印象。メロディも同じだし、Iggyのヴォーカルも当時のBowieを意識した仕上がりだけど、ダークでパンキッシュなテイスト満載。でもメロディがポップだから、それほどおどろおどろしくは聴こえない。こっちはこっちで良い。



3. Let's Dance
 80年代のダンス・ヒットとしても、そしてBowieの代表曲としても真っ先に挙げられるのがコレ。誰も文句が言えない実績と仕上がりになっている。リリース当時はUS・UKとも1位、そして去年、日本でもラジオでオンエアされまくったため、30年以上経ってからラジオ・チャートで53位にランクインしている。
 印象的なリフとStevieのソロがクローズアップされがちだけど、ここはやはりNileのプロデュース能力の高さの賜物。サックスが入るアウトロ後半の構成はかなりぶっ飛んでるし、アレンジの上物を取り外すと、そこに残るのは何とも地味なメロディ・ライン。そもそもデモ段階ではアシッド・フォークのようだったらしいし。それをここまでブラッシュ・アップしてしまったNileのプロデューシング、そしてサウンドに負けないBowieの力の入ったヴォーカライズ。
 そりゃ売れるよな、パワーが違うもの。



4. Without You
 知らなかったけど、これもシングル・カットされてたんだ。一応、US73位。データを見るとこの『Let’s Dance』、この4.までで4枚のシングルを切っているのだけれど、その間、なんと1年足らず。ほぼアイドル並みのリリース・ペースである。
 80年代のセールス・プロモーションとして、アルバム・セールスの起爆剤として、間髪を入れずシングルを切りまくることが常態化しており、特に80年代前半はその傾向が強い。『Thriller』だって『Synchronicity』だって『Purple Rain』だって、みんな複数枚のシングルを切ることが常識となっていた。それだけシングル・チャートが活気づいていた、すなわちラジオ局がキャスティング・ボードを握っていたことの証でもある。
 
5. Ricochet
 レコードで言えばB面トップ。ちょっと変わった手触りの、逆に言えばBowieらしい変てこなコード進行の変な曲。ある意味、Bowie的には通常運転。後に、同名タイトルの中国公演を収録したビデオもあったけど、未見。そのうち出るのかな

6. Criminal World
 70年代のUKバンドMetro、1977年のデビュー・シングルのカバー。グラム・ロックにカテゴライズされているけれど、サウンドといいアルバム・ジャケットといい、どちらかといえばSparksっぽいイメージの方が伝わりやすい。実際、「盛り上がりに欠けるポップ」といった感じだし。
 BowieヴァージョンはMetroから甘さを抜いてビター感を足し、メランコリックなポップよりソリッドなダンス・チューンに仕上げている。俺はBowieヴァージョンの方が好きかな。

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7. Cat People (Putting Out Fire) 
 『Let’s Dance』とほぼ同時期に公開された映画『Cat People』の主題歌が初出。前年にレコーディングされた映画ヴァージョンは御大Giorgio Moroderがプロデュースを手掛けており、メリハリのある構成は映像映えする。
 対してアルバム・ヴァージョンはStevieのギターも大々的にフィーチャーしてビートを効かし、ロック的な仕上がり。こちらもシアトリカルなテイストに聴こえるのは、生来のBowieが放つアクター性によるものか。

8. Shake It
 ラストはBowieにしては珍しくシンプルな、悪く言えば印象に残らないポップ・ソング。まるで穴埋め的な曲だよな、安直だし。
 考えてみればこのアルバム、バラードらしいバラードがひとっつもない。これまでのBowieの一連のアルバムには、ほぼ必ず名バラードが収録されていたものだけど、ここではウェットなスロー・チューンは排除され、すべてダンス・チューンのみ。潔いほどまでに徹底してるよな。ていうかNile、そんなにバラードって苦手だったっけ?




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まばゆい星くずは黒い巨星となって消えた。 - David Bowie 『Blackstar』

front 俺的には大滝詠一急逝以来のショックだった。今もネットではどこも大騒ぎである。有名無名問わず、これだけ多くの人が追悼メッセージを寄せているのはMichael以来だと思う。
 彼の影響を大きく受けたこと、生きてゆく上での指針となったこと、命を絶つのを思いとどまらせてくれたこと―、人によって思いは様々だけど、やり切れぬ想いをどこかで吐き出したくなってしまう―。そんなアーティストはなかなかいない。

 趣味でも仕事でも構わないけど、真摯に音楽と向き合ってきた人だったら、多かれ少なかれ彼の影響は受けてきたはず。直接的ではなかったとしても、ジャンルを問わず彼の影響を受けてきたアーティストは、それこそ星の数ほどいる。
 アーティストがアーティストたる故に美しくなければならない、それは表層的なビジュアルだけではなく、時流に応じた変幻自在の生きざまをドキュメントとしてさらけ出してゆくこと。
 アーティストとしてだけではなく、1人の自立した人間が生きてゆく術を体現していた数少ない人物だった。

 俺自身、それほど熱心な聴き手ではなかったし、すべてのアルバムをくまなく聴いてきたわけじゃないけど、名作群と称される70年代のアルバムはひと通り聴いていた。
 70年代UKロックの金字塔とされる『Ziggy Stardust』、「プラスチック・ソウル」と揶揄されたけど白人ファンクとしては優秀だった『Young American』、ヨーロッパ・デカダンの爛れた美的センスが光るEnoとの3部作。
 とは言ってもこれらはどれも後追いで聴いたもの、現46歳の俺のBowieとのファースト・コンタクトは映画の『戦メリ』、そしてダンス路線に大きく舵を切った『Let’s Dance』だった。
  ちょうどブリティッシュ・インヴェイジョンの躍進によってニューロマ系のアーティストが台頭してきた頃で、その中でも年長の部類だったBowieはパイオニア的存在として別格扱いだった。Duran DuranやDepeche Mode、Simple Mindsらの若手がチャートを賑わしていたけど、実際彼らがリスペクトしていたのはBowieその人であり、極論すれば彼らはすべてBowieのエピゴーネン的存在に過ぎなかった。
 誰かの名言で「結局のところ、みんなDavid Bowieになりたかっただけなんだ」というのがあったけど、端的に言うとそういうことなんじゃないかと思う。

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 自らの躰さえも傷つけてしまうほどの鋭いカリスマ性によって、他者を遠ざけていた70年代を経て、ヒット・チャートの常連になり、ロック・セレブとしての佇まいさえ感じさせるようになったのが、80年代のBowieである。明解なメロディ・ラインとシンプルなダンス・ビートが彼の強固なコンセプトの産物であるとは言いがたいけど、それまでアンダーグラウンドな存在だった彼をメジャー・シーンに引き上げたNile Rogersの功績は大きい。
 そのコンセプトに迷いが見られ、そんな内情をそのまま反映したような作品を連発した後、「オーソドックスなロックの初期衝動」という仮面を被ったTin Machineを経て、一旦ポップ・ソングの世界との決別を図る。
 ヒット・シングルへのプレッシャーというしがらみを捨て、再びアルバムごとに強靭なコンセプトの柱を打ち立てて、才気煥発な作品を連発したのが90年代。この辺になると、ロックそのものに興味が薄れつつあった俺はそれほど追いかけることもなくなってゆく。「Nine Inch Nailsと共演した」だの「ドラムン・ベースを導入した」だの「Bowie債を発行した」だの断片的な情報を目に耳にしたり、たまにタワレコの視聴機で耳にするくらい。
 俺の中でBowieに熱中していた時期は、もう遥か遠い昔だった。

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 それでも何年かに一度、無性にBowieが聴きたくなる。
 ほんとここ最近も、パソコンに突っ込んでおいたアルバムをiphoneに移し、カーステに繋いで聴くというのをやっていたのだけど、一番ヘビロテとなったのが『Ziggy Stardust』だった。これまで聴いてきたBowieのアルバムの中でも、累計再生回数はこれがダントツである。
 近い将来、Bowieのレビューを書く予定でいて、それがこの『Ziggy Stardust』になるはずだった。
 これが最初のBowieレビューになる予定じゃなかったのだ、ほんとは。

 そんなBowieが残した最後の言葉が、このアルバム。
 『Next Day』での復活から2年弱、近年にしては短いインターバル、見事に迷いのない、最後まで現在進行形のDavid Bowieである。
 アルバム・リリースごとに自身をアップデートを繰り返し、その最終形態がこの『Blackstar』である。
 そのスワン・ソングの響きは強靭で新しく、どこまでも美しい。
 志半ばの未完成ではなく、ほんとの完全体。これ以上先はない―。
 残り少ない寿命を逆算して、最後まで手を抜かず、覚悟の上で作られている。
 「有終の美」なんて、陳腐な言葉では片付けられない。
 まだ先の展開があるんじゃないか、と期待をしてしまうほどのクオリティ。
 でも、もうその先はないのだ。

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 すべての音楽リスナーは、このアルバムを聴かなければならない。
 この『Blackstar』は稀代のトリック・スターDavid Bowie が、アーティストとしての自分の完全無欠な幕引きを図った作品である。
 それは俺たち残された者の心を揺さぶり、引っかかりを残す。
 それがBowie最後の伝説であり、そこに多くのリスナーが参加することによって、ストーリーは完結するのだ。


Blackstar
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1. Blackstar
 ソフトなブレイクビーツに寄り添うBowieの肉声。その歌声は神々しくさえあり、讃美歌的な響きさえ感じられる。リズム・トラックを担当したMark Guilianaは、前年リリースのベスト・アルバム『Nothing Has Changed』収録の新曲”Sue”に引き続きの参加。彼とのコラボレーションから、このアルバム制作がスタートした。
 10分にも及ぶ長尺のため、曲調が大きく変化している。終盤になってからはやっといつものBowieっぽくなるけど、もともとドラムンベースにもついていけなかった俺としては、ここに至るまでが長い我慢の道のりだった。
 ジャズ的エッセンスとしてサックスやホーン・セクションが入ってるけど、ちっともジャズっぽさが感じられない。ジャズをやりたくて入れた音ではないのだろう。



2. 'Tis a Pity She Was a Whore
 このアルバムの中ではオーソドックスなロック寄り、5分弱のソリッドなナンバー。リズム・パターンも真っ当な8ビート。それでもジャズ的なサックス・ソロが冒頭からぶち込まれ、往年のフリー・ジャズ的にアバンギャルドなフレーズが見え隠れする。かつてならディストーションの効いたギターで弾いたフレーズをサックスに置き換えた印象。
 しかし改めてだけど、歌がうまいよね、Bowieって。それに加えて記名性の強い声質なので、アクの強さが凡百のアーティストとの違いを浮き出させる。

3. Lazarus
 ちょっとメロウなサックスから始まる、オルタナ系のスローなロック・ナンバー。
 
“Look up here, I’m in heaven
 I’ve got scars that can’t be seen”

 英語の苦手な俺でもわかってしまう、シンプルで簡潔な歌詞。
「見上げると、俺は天国にいる。見ることのできない傷を負った」。

 “Oh, I’ll be free
 Just like that bluebird
 Oh, I’ll be free
 Ain’t that just like me?”

 「俺は自由だ、あの青い鳥のように。俺は自由なんだ、あれはまるで俺のようじゃないか?」

 暗示的な歌詞が散見しており、自らの幕引きをシミュレートしていたのだろうけど、これは同時制作されたPVと共に完結する。ここまで徹底して作られた作品を、俺は見たことがない。



4. Sue (Or In a Season of Crime)
 1.でちょっと触れてるけど、ここで再録されている。このブレイクビーツと現代モダン・ジャズとのハイブリットというジャンルは、クラブ・シーンではそれなりに盛り上がっており、俺もいくつかは聴いてはいたのだけど、ここではそれらとはまったく違った世界観で構成されている。
 全然ジャズの香りがしない。いわゆるグルーヴ感とかインターミッションとか、プレイヤビリティなるものがあまり重視されず、ほぼサンプリング素材の一部となっている。ここにBowieの声が乗っているから俺は聴けるけど、やっぱちょっと辛い。
 と思ってたら後半に行くにしたがってリズムがカオスになってゆき、面白くなってゆく。Bowieの歌と暴力的なリズムの相性は最高だというのがわかるナンバー。

5. Girl Loves Me
 なんとなくだけど、ベーシック・トラックにTony Viscontiの関与が強いんじゃないかと思われるナンバー。サウンドはともかくとして、基本構造はオーソドックスなロックなので、旧来ファンは馴染みやすいんじゃないかと思う。
 ここまで聴いてきてアレだけど、ドラムもベースももともとジャズの人であるはずなのに、そのジャズらしさがほとんど感じられないというのは、そこら辺がBowieの狙いだったのか。そこに新しい可能性を見出していたのだろうか。
 
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6. Dollar Days
 まるでKenny.Gのようなサックス・ソロからスタート。ちょっと拍子抜けだけど、柔らかなギター・ストロークをバックに、まるでZiggy時代のようなヴォーカルを聴かせるBowieがそこにいる。もちろん年齢も経てきただけあってキーは抑えめだし、今にして思えば発声もどこか力なさげだけど。
でも、純粋なシンガー・ソングライターとしてのBowieはメロディを紡ぐ。もともとわかりやすいメロディ・ラインを作るタイプではなく、本質的にはモノローグから発展したようなフォーク系の人である。そんな人が、流麗ではないけれど、美しいメロディを刻んでいる。それだけで充分だ。

7. I Can't Give Everything Away
 引き続き、シームレスにつながるラスト・ナンバー。こんな状況で、こんな切ないハーモニカの音色は、ほんと反則。涙が出てきちゃっても仕方ないくらい、それはとても切ない響き。
 中途半端なギミックのない、正真正銘アップ・トゥ・デイトなDavid Bowieのバラード。
 変に大げさにドラマティックなアレンジでもなく、かといって過度にアバンギャルドに走るのではなく、きちんと地に足をつけたスタイルのポップ・ナンバー。
 スワン・ソングとしては完璧な仕上がり。






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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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