好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

David Bowie

80年代のボウイはそんなに悪くない - David Bowie 『Tonight』

folder
 1984年リリース、15枚目のオリジナル・アルバム。大ヒット作『Let’s Dance』から、なんと1年ちょっとのブランクで、もう次。いくら売り時だったとはいえ、いくらなんでもちょっと早すぎる。この機会をもうちょっと大事にして、シングル切りまくったりワールド・ツアー回ったりして、話題を切らさずセールス伸ばせば良かったのに、と余計な心配をしてしまったけど、考えてみればシングル5枚も切ってたし、シリアス・ムーンライト・ツアーも終わってた。
 シングルは仕方ないとして、正味半年のワールド・ツアーは、いくらなんでもちょっと短かすぎる。今ならもっと細かく回って、最低2年くらいは世界中あちこち飛び回るものだけど、当時はそのクラスじゃなかったのかねボウイ。
 日本を含め、少数のアジア諸国やオーストラリア以外は、ほぼ欧米中心のツアーとなっており、世界中くまなくカバーしているとは言いがたい。『Let’s Dance』のブレイクが突発的だったため、そんな急に世界中の会場を押さえることができなかった事情もあったのだけど。

 ボウイに限らず、80年代まではどのアーティストもアルバムのリリース・ペースは短く、年に1枚は当たり前、3年も空けると現役アーティストとは呼ばれなかった。ストーンズもクイーンも、この時期はメンバー間の対立が深刻で、2〜3年程度のブランクで「復活!」とかドラマティックに煽っていたけど、今じゃ普通だもんな、そのくらいだったら。
 EMIの要請もあって新作に着手したボウイだったけど、それはちょうどシリアス・ムーンライト・ツアー真っ只中、さらに加えてこの時期は俳優活動も旺盛だったため、創作活動に充分な時間が取れずにいた。
 さらにさらに、突然訪れたスターダム。そりゃ舞い上がるよね。毎日がパーティ、酒もドラッグも女もやり放題。ますます、時間がいくらあっても足りやしない。
 『Let’s Dance』の余波もあって、UK1位ゴールド・US11位プラチナ獲得、日本でもオリコン3位と、セールス的にはキャリアでトップ・クラスの成績を収めたのだけど、まともな新曲は2曲のみという体たらく。充分練り上げる時間がなかった、という理由はあったにせよ、「手抜きしたでしょ」と問い詰められたら、多分否定できない。
 世界的なディスコ・リバイバルの流れもあって、『Let’s Dance』は近年見直されてる感もあるけど、今のところ『Tonight』の再評価の兆しは見られない。一般的に、音楽家デビッド・ボウイの復活作とされているのが『Black Tie White Noise』で、そこに至るまでの80年代作品は、スランプ期とされている。ボウイ自身も、この時代は黒歴史としていたのか、生前もあまり触れたことがない。ティン・マシーン?「あぁ、そんなのあったっけ?」てな具合で。

47324708_1117988581707961_3556850853934270017_n

 この記事を読むと、どうやらプロデューサーの手際が悪くてスタジオ・ワークが捗らず、それが作品の出来に大きく影響した、ということらしい。逆の立場だったら、また違う見解になるだろうし、どっちにしろ、責任の押しつけ合いになることは容易に想像できる。
 アーティスト側が、素材もアイディアも大して用意してなくて、しかもコンセプトも曖昧。そんな状態でスタジオに来られたら、そりゃプロデューサーだって困ってしまう。準備もなく手ぶら、しかも面識も少ないプロデューサー任せとは、一体どれだけやる気なかったのか。
 レコーディング初期のプロデューサー、デレク・ブランブルは、70年代に活動していたディスコ/ファンク・バンド、ヒートウェイブのリーダーだった人。当時はセールスも下降して、グループは活動休止中だったため、デレク・ブランブルって言われたって誰も知らなかったし、今もそんなに再評価されているわけでもない。俺はレア・グルーブを漁っていた頃に辛うじてグループ名は知ったけど、さすがにリーダーの名前までは、いちいち知らんがな。
 ボウイの扱いに不慣れな上、手際も悪かったデレク・ブランブルは途中でクビになり、当初から共同プロデューサーとして参加していたヒュー・パジャムに一任され、どうにかこうにか『Tonight』は完パケに至る。どうせならナイル・ロジャースと再び組んで、『Let’s Dance 2』って開き直っちゃても良かったんじゃないの?と思ってしまうけど、多分そこはボウイの美学、またはプライドだったんだろうな。
 同じような作品は二度と作らないことは、最期まで徹底していたし。

 俺がリアルタイムでボウイを聴き始めたのは『Let’s Dance』からで、それ以前の作品というのは、すべて後追いである。その後、つかず離れずではあるけれど、彼のアルバムはほぼリアルタイムで聴いてきている。どのアルバムも、手放しで大絶賛というわけではないけど、一番しっくり来るのは、やはり80年代の作品群であることに変わりはない。
 「80年代」やら「David Bowie」やらの括りを超えて、俺の好きなロック・アルバムのひとつが、『Ziggy Stardust』。原初的なロックンロールのフォーマットをベースとしながら、単なる「サウンドとしてのロック」を超え、ひとりのアーティストの生き様とポリシーを刻み込んだセミ・ドキュメンタリーとして、俺的にはずすことのできない作品である。そんな頻繁に聴くことはなくなったけど、ロックといえばジギー。これは変わらない。
 多分、契約関係のこじれが大きかったと思われるのだけど、80年代はボウイのアーカイブ再発が遅れていた。ロック名盤特集で紹介されることが多かった『Low』や『Heroes』も、北海道の中途半端な田舎では入手が難しかった。
 たまに輸入盤で売られているのを目にしたことがあったけど、ヨーロッパ盤は当然バカ高かったため、手に取るのはためらわれた。その後、国内盤も流通して入手しやすくなったけど、タイミングを逸したこともあって、実物を手にしたのはずっと後になってからだった。

20170109

 正直、前評判と期待値が大きかったせいもあってか、ベルリン3部作はどれもピンと来なかった。「Suffragette City」や「Rock'N'Roll Suicide」は、初めて聴いた時からスッと身体に入ってきたのに、「Station to Station」も「Beauty and the Beast」も、俺が思ってるところのボウイとは、ちょっと別物だった。
 シングルとしての「Young Americans」や「Heroes」は好きだったけど、これがアルバムになっちゃうと、コンセプト優先の頭デッカチさばかりが目についてしまう。今まですごく言いづらかったけど、『Ziggy』以外の70年代アルバムは、どれも最後までちゃんと聴いたことがない。
 多分こういう傾向って、誰でも多かれ少なかれあるんじゃないんだろうか。ボウイに限らず、昔の名盤より、アラは目立つけどリアルタイムで聴いてきたアルバムの方が、しっくり馴染んじゃうというか。
 例えばストーンズだけど、これまでこのブログで取り上げてきたのは80年代以降の作品ばかり、名盤の宝庫とされている60〜70年代は、取り上げたことがない。だって、『Let it Bleed』も『メインストリートのならず者』も、ちゃんと最後まで聴いたことないんだもの。
 俺の中でのストーンズとは、一般的には駄作とされている『Dirty Work』であり、『Undercover』なのだ。多感な十代に得た価値観は、歳をとってもあまり変わりないものなのだ。
 一度言っておきたかった。あぁスッキリ。

 70年代ロックのカリスマではなく、80年代ポップ・スターの1人としてなら、『Tonight』 はキチンと作られたアルバムである。ボウイ自身もポップ・スターとして作ったのだから、評論家や古参ファンにあぁだこうだ言われる筋合いはない。無いはずなのだ。
 変容し続けるロックのカリスマとして70年代を駆け抜けたボウイだったけど、80年代に入る頃から、そんな自分に疲れちゃったのか、その歩みは緩慢になってゆく。孤高のカリスマとして、身内ウケする作品を作り続けていたけど、そんな行為自体が予定調和になっていたことも、また事実である。それに加えて、インパクトの強さの限界と。
 バトル漫画に「パワー・インフレ」といういう言葉がある。「ドラゴンボール」で例えると、史上最強と思われていたベジータがフリーザに簡単にあしらわれ、さらにフリーザはセル、そしてセルは魔神ブウに…、と言った具合で、これが延々と続く。
 グラム・ロックから始まったボウイ無双時代、その後はプラスチック・ソウルを経てベルリン3部作、常にシーンに強いインパクトを残してきた。
 ―じゃあ、その次は?
 そんなキリのない音楽的変遷にピリオドを打ったのが『Let’s Dance』だったと言える。

Bowie_Serious Moonlight Tourposter

 で、その『Let’s Dance』の余韻で作った『Tonight』は、それまでのドラスティックな変化とは無縁、肩の力の抜け具合がハンパない。ニュアンスは違えど、コンテンポラリーなヒット狙いという点において、『Let’s Dance』とベクトルは一緒である。
 特別気負わなくても、そこそこ売れることが約束された状況というのは、ボウイにとって初めてのことだった。実際、世界中ほぼどの国でもトップ10入りを果たし、セールス的には大成功だった。
 「ボウイも地に堕ちた」「商業音楽に魂を売った」という批評は、当時からあった。イノベイティブな70年代と比較して、「なんだこのチャラいサウンドは」と嘆く声もあった。
 ボウイ本人も後年になって、この時期を黒歴史扱いしていたけど、でも、リリース当時はそれがボウイの狙いだった。
 マニアだけの狭いフィールドで身内ウケを狙うのではなく、もっと広い世界で大衆に広く知れ渡り、もっともっと金を儲けることこそが、逆説的なイノベイティブじゃないんだろうか―。変容という意味合いでは、マニアと決別して大衆に飛び込むこともまた、ひとつのチャレンジではある。
 そういえばほぼ同時期、YMOも同じようなアプローチだったよな。
シンクロニシティ。


Tonight [ENHANCED CD]
Tonight [ENHANCED CD]
posted with amazlet at 19.05.07
David Bowie
EMI Europe Generic (1999-08-26)
売り上げランキング: 181,946



1. Loving the Alien
 で、その80年代作品を総括したボックス・セットが昨年発売されたのだけど、そのタイトルとなったのがこの曲。ボウイ特有の浮遊感あふれるコードワークに、メランコリックなアルペジオとマリンバを掛け合わせることで、楽曲の存在感が増している。起承転結に捉われないアンサンブルは冗長になってしまうことが多いけど、不思議と7分という長尺を感じさせることがない。突出した楽曲だけに、その後もたびたびライブで披露されている。
 終盤のカルロス・アロマーのブルース・ロックっぽいギター・ソロは、やっぱりスティーヴィー・レイ・ヴォーンに対抗してなのか、迫真のプレイ。

2. Don't Look Down
 オリジナルはイギー・ポップ1979年のアルバム『New Values』収録。彼にしては珍しくストレートなルーツ・レゲエ。イギーのヴァージョンもそうなのかな、と思ってYouTubeで調べて聴いてみたら、思ってた以上にこっちの方がボウイっぽかった。
 さすがに違うアプローチじゃないと単なるパクリになっちゃうから、こうなっちゃたのもわからないではないけど、だったら最初っからこれを選ぶなよ、と言いたい。どうひいき目に見ても、イギーの方がカッコいい。
 
3. God Only Knows
 俺の中での「ちゃんと聴いたことがない名盤」のひとつの筆頭が、『Pet Sounds』。山下達郎が絶賛してライナー書いたから、最初のCD再発の時、めっちゃ期待値上げて聴いてみた。達郎が言うのだから間違いない。そう何度も自分に言い聞かせて聴いてみた。レココレ界隈で評価が高いので、また改めて聴いてみた。でも良さがわからない。いつまで経っても、俺的にはピンと来ない。そんなアルバムが『Pet Sounds』。
 当時は名曲のカバーと知らずに聴いていて、ピンと来なかった。その後、名曲ということを知って改めて聴いているけど、やっぱりピンと来ない。いや、ヴォーカルに力も入ってるし、渾身の力作というのはわかるんだけど…。多分、今後も受け入れることはないだろう。

c5c981b8d6c18a52cfd8edb87b13d52b

4. Tonight
 これもオリジナルはイギー・ポップだけど、作ったのはボウイ。1977年の『Lust for Life』では、この他にも6曲の楽曲提供、プロデュース、キーボードでも参加しており、自分のアルバム並みに入れ込んでいる。何が彼にそうさせたのかは不明だけど、オリジナルはこれまたボウイっぽい。しかも全然レゲエじゃないし。
 ティナ・ターナーがデュエット参加していることが話題になったけど、まぁ正直ただ歌ってるだけ、そこまで爪痕を残しているわけではない。当時、2人ともEMI所属だったから、その流れだろうな。

5. Neighborhood Threat
 こちらも4.同様、『Lush for Life』からのセルフ・カバー。ちなみにイギー、このアルバムではレコーディングに参加しているわけではないのだけど、ボウイの相談相手というか飲み仲間というか、とにかくずっとスタジオに常駐していた。今回、イギーの楽曲を3曲も取り上げたのも、素材が不足してせいもあるけど、当時困窮していたイギーに印税を回すためだった、という説もある。仲良きことは美しきかな。
 ここまでかなり捻じれたアプローチが多かったけど、ここに来て初めてソリッドなロック・スタイルでまとめられており、ボウイのカッコよさが映える仕上がりとなっている。そう、この程度はいつだってやれるのだ、ボウイという人は。

David Bowie and Iggy Pop in the 1970s (3)

6. Blue Jean
 US8位・UK6位を記録、日本でもノエビア化粧品のCMソングとして広く知られており、俺世代の洋楽ライト・ユーザーにとっては、「Let’s Dance」に並ぶ知名度を誇る。大衆的なヒットを記録しただけに、音だけ聴いてると、ほんとチャラくて軽い。時代のあだ花が生んだ泡沫ヒットと言えばそれまでだけど、それでもボウイ、やっつけ仕事とはいえきっちりヴォーカルで細かな技を披露している。
 当時はMTV全盛、この曲もPVが作られており、ジュリアン・テンプル監督による21分の長尺ヴァージョンはさておき、ヘビロテされていた短縮ヴァージョンを見てみると、何かと発見も多い。グラム・ロック期をもう少し薄めたメイクのダンサー・ボウイと、客席の冴えないサラリーマン・ボウイとの二役を演じ分ける、当時としても陳腐な設定なのだけど、彼のダンス・パフォーマンスについ目が行ってしまう。体のキレももちろんだけど、カメラ・ショットを意識した見栄の切り方などは、やはりエンターテイナーとしての旬を感じさせる。どの角度から見てもカッコイイんだもの。




7. Tumble and Twirl
 で、ほぼずっとスタジオで飲んだくれるかダベっていたイギーとの共作、数少ない新曲が、これ。イギーの関与がどこまでだったのかは不明だけど、ちょっとハード目のパワー・ポップとしては出来が良い。シンセによるブラス・セクションも時代性を感じさせるけど、あまりリズム性を感じさせないほかの曲と比べれば、ノリも良くボウイの意図と合ってたんじゃないかと思われる。12インチ・シングルで切れば、それなりの需要はあったと思われ。

8. I Keep Forgettin’
 オリジナルは1962年リリース、R&BシンガーChuck Jacksonによってビルボード最高55位まで上昇したソウル・チューン。ロックにおけるオリジナル信仰に囚われれば、「またカバーばっかり」という結果になっちゃうのだけど、純粋にシンガーとして、『Let’s Dance』大ヒットのご祝儀として、好きな曲を好きなスタイルで歌った結果、と考えれば、気楽で楽しいパーティ・ポップで、そんなに悪いものではない。
 目くじら立ててアラ探しするより、いい楽曲をいいパフォーマンスで聴けたら、それはそれでいいじゃない。

9. Dancing with the Big Boys
 最後はなんか付け足しのような、イギーとのデュエット。愛するイギーに印税で報いたかったのが見え見えな、あんまり中身のないナンバー。開き直って言っちゃえば、「Let’s Dance」の二匹目のドジョウを狙いました的な、そんなリフとコーラスだけでチャチャっとまとめちゃったナンバー。いっそこんなラストじゃなくって、1曲目に入れちゃえばよかったのに。さすがにそこに入れちゃうと、誰も聴いちゃくれないか。



LOVING THE ALIEN, 1983-1988 [11CD BOX] (128-PAGE HARDBACK BOOK)
RHINO RECORDS/PARLOPHONE (2018-10-12)
売り上げランキング: 61,167

Nothing Has Changed (The Best Of David Bowie) [Deluxe Edition] [Explicit]
Parlophone UK (2014-11-19)
売り上げランキング: 4,417



物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、目をつぶれ- David Bowie 『Let's Dance』

folder 2016年はいわゆる俺世代、45歳以上の音楽好きにとって、思い入れの深いミュージシャンの訃報が相次いだ一年だった。これまでは、ロックの爛熟期である60~70年代に活動していたミュージシャンが主だったけど、近年になってからは、80年代に活動したアーティストらの名も目に付くようになった。
 波乱万丈な生き方や破天荒な言動を良しとされた昔と違って、アルコールやドラッグに溺れて早逝する者は少なくなったのは、まぁいい傾向ではあると思う。もっとライトな薬物が広く浅く蔓延してはいるけれど、出来上がった音楽に大きな影響があるかといえば、そんなのはごく僅かだ。ほんとに好きなアーティストには、できるだけ長く生きててもらいたいしね。
 とは言っても、ほんとかどうかは定かじゃないけど、合法ドラッグの過剰摂取が未だ取り沙汰されているPrinceみたいな人もいるわけだし、公私の区別が曖昧な立場で活動してゆくためには、何かしら依存する対象が必要になるのだろう。それがセックスだったり宗教だったりの場合もあるけど、ファンはただ応援し、見守るしかないというのが正直なところ。
 そんなプレッシャーに晒されているのは、何も彼らだけじゃない。生きていれば、誰だってそんな壁にぶち当たるのだ。

 年頭のBowieに始まり、俺個人的には最も衝撃的だったPrince、この歳になって改めてE,W & Fの魅力を再発見した矢先のMaurice Whiteの訃報。そこまで強い思い入れはなかったけど、Glenn Frey やLeon Russell 、ELPのKeith Emarson とGreg Lakeの相次ぐ死。鉄腕アトムの印象が強い冨田勲に Bernie Worrell、ちょっと色モノ枠のPete Burnes もこの世を去った。
 そして、まるで年末進行に滑り込んだかのような、George Michael とLeonard Cohen、Pierre Barouhの死。
 思い入れの強弱はあるけれど、今後も逝去するアーティストは増えるだろう。世代交代は確実に進んでいる。

rs-236449-bowie-lets-dance

 だからと言って、その彼らが築き上げてきたかつての音楽業界の隆盛を、新たな世代がそのまま引き継げるかといったら、それもちょっと微妙。かつての爛熟期とは状況がまったく違っている。潤沢な予算と時間をかけてアルバムを作り、それを引っさげてツアーに出て認知を広め、多額の販促費をばら撒いてセールスを伸ばす、といったビジネス・モデルは20世紀で終わってしまったのだ。
 音楽業界が活況の時代は、シングル向けのいわゆるキラー・チューンに加えて、あまり出来の良くない曲で埋め合わせ、販売単価の高いアルバムもバンバン売れてたけど、ダウンロード販売がメインに取って代わってからは、そういった抱き合わせ商法も通用しづらくなった。今の抱き合わせは駄曲ではなく、握手券になってしまっている。ましてやメインの曲さえ聴かれることもなく、握手券さえ手に入れてしまったら、大量にブックオフに売られてるし。

 で、Bowie 。
 彼が亡くなってから、一年が経った。正直、訃報を聞くまでは俺、Bowieの作品とはご無沙汰だった。当時の俺のマイブームは、60~70年代のジャズ・ファンクだったのだ。
 年季の入った音楽好きならよくある話だけど、若い頃から聴いてきたロックに飽きが生じるようになって、これまでとは全然別のジャンルにのめり込んでしまう時期が時々訪れる。これまで聴いてきたジャンルから、なるべく遠ざかったモノを求めて聴くようになる。で、また何んかのきっかけによって引き戻され、昔聴いたモノを引っ張り出して聴き直す。違ったジャンルを通過した耳で聴くと、昔よく聴いてた音も、また違った視点で捉えられるようになる。ここ10年は、それの繰り返しだな。
 そんな無限サイクルのギアの入れ替わりのきっかけとなったのが、彼の死だった。

7_000000002311

 10代を80年代ど真ん中で過ごしてきた俺にとって、 Bowieとのファースト・コンタクトは『Let’s Dance』、もっと正確に言えば『戦メリ』である。45歳以上の洋楽好きなら、誰でも通ってきた道である。なので、俺世代共通のBowie像といえば、「美形のマルチ・アーティスト」が最大公約数となる。
 異論はあると思うよ。でも、大ヒットしたタイトル曲と、坂本龍一とのキスシーンのインパクトの前では、すべてが霞んでしまう。

 その異論を唱える側の意見。一般的にアーティスト・パワーのピークとされる70年代を後追いで知った俺達世代、その中でも特にロキノン読者だった者にとってはこのアルバム、ある種の踏み絵的存在でもあった。
 今では面影のかけらもなくなってしまったけど、ベルリン3部作やグラム時代を含む、70年代ロック原理主義を貫いていた80年代のロキノンにおいて、『Let's Dance』は商業主義、無知な大衆に魂を売ったかのような扱いを受けていた。
 俳優活動にも積極的に首を突っ込んでいた時代だったから、そこらのニューロマ系アーティストよりも圧倒的に見映えは良かったし、ネーム・バリューも絶大だったので、表紙やグラビアに起用されることも多かった。ロキノンにとってDavid Bowieは超VIP待遇であり、投稿記事やレビューでも大絶賛されることが多かった。
 しかしこのアルバムを境として、ロキノン内でのBowieの扱いは一変する。ヒット・チャートの音楽を、斜め上の視線から貶すことが良しとされていた、いわゆるオタク文化のハシリ的な時代だったのだ。
 -ロキノンがそう言ってるんだから、やっぱ80年代のBowieはダメなんだナ、と疑いもせず信じ込んでいた10代の俺。
 あぁ、ムダな回り道だったよな、今にして思えば。

abc5592783192a7b91c88551b627c647

 当時はビジュアル的に同系列、ていうかBowieの表層面だけをリーズナブルに移植した、ニューロマ系の安易なヒット曲と十把一からげにされていたけれど、リリースから四半世紀を過ぎたあたりから、評価は逆転しつつある。時間を置いて先入観抜きで聴いてみると、「Let’s Dance」のイビツさ、時代に消費されることを拒む深層が見えてくる。
 新進気鋭のプロデューサーとしてブイブイ言わしていた鬼才Nile Rogers は、メロディアスな作風とは言い難かった彼の楽曲を、ダンス/ディスコに対応した現在進行形のビートで彩ることによって、ヒット・チャート仕様のモダン・サウンドに翻訳した。Bowieのブラック・ミュージックへの接近は、『Young Americans』でも行なわれたアプローチだったけど、意味合いが微妙に違っている。

 ドラッグで頭のイカれたグラム・ロッカーDavid Bowieが、あくまでロックの文脈で解釈した「まがい物のソウル」、歪んだ主観に基づくキッチュな仕上がりとなった『Young Americans』に対し、『Let’s Dance』ではBowie、あまりサウンド・プロデュース的なことには口を出さず、ほぼNileに投げっぱなし、まな板の鯉である。
 素材としてのDavid Bowieをどこまでコンサバティヴな商品、コンテンポラリーな加工品に仕上げられるのか。当時はすでにヒット請負人的なポジションにあったNileにとって、Bowieとは極上の素材ではあったけれど、これまでの実績を鑑みれば、これまでのオファーとは比較にならないほどの案件であったはず。そこらのポッと出のポップスターとはスケールが違うのだ。

 70年代のBowieは、時代の趨勢を完全に無視するのではなく、横目でメインストリームの動向を伺いながら、常に半歩先・一歩先を読んでリードし、結果的にオピニオン・リーダーとして次世代への道筋をあちこちつけていった。出来不出来はあれど、彼が切り開いていった道筋のあとからは、多くのフォロワーやエピゴーネンが出現した。そこからまた枝分けれや分裂を続け、今もまだBowieの遺伝子は増殖を繰り返している。そのサイクルは無限に続くのだろう。
 70年代に彼が創り出してきたアルバム群は、どれひとつを取っても強力なインパクトを放ち、アルバム単体それぞれがひとつのジャンルと言えるほどのものである。そしてまた、自己複製を潔しとせず、アルバム制作ごとに前回のコンセプトをチャラにして、また新たなコンセプト/キャラクターを創り出し続けた。後ろを振り返らずに走り続けることを自らに課し、周りの空気が澱むその前に、身を翻すことを繰り返したのだ。

david_bowie2

 ただ、そんなトリックスター的な振る舞いにも限界がある。
 彼が主戦場としていた「ロック」というジャンル自体が、80年代に入る頃から自家中毒を起こし、「スタイルとしてのロック」、「取り敢えずロックのサウンドを使ってみました」的な音楽が多くなってきた。コンセプトやらイデオロギーなんかは取り敢えず置いといて、既存のロック・サウンドのフォーマットだけ借用、聴きやすくノリの良い楽曲が売れるようになってきた。
 特にMTVでのヘビロテがヒットのファクターとなった80年代、そんなお手軽なヒット曲のエッセンスとして、Bowieのビジュアル・イメージは格好の素材だった。決して彼のサウンドではない。あくまで、表層的な上澄みの部分だけだ。
 70年代のBowieから漂うアングラなイメージを希釈し、エキセントリックなビジュアルを薄めてスタイリッシュに整えることによって、ニューロマ系のアーティスト達は、Bowieより大きな商業的成功を収めた。

 Bowie自身、前作『Scary Monsters』を区切りとして、「実験」やら「変容」やらに行き詰まりを感じていたのも事実である。本国UKで台頭しつつあったニューウェイブのBowie流解釈として、『Scary Monsters』はそこそこの評価は得たけれど、新旧どっちの世代にも八方美人的にアピールしながらも焦点が定まらない、どこか微妙な仕上がりとなってしまった。それはセールスの行き詰まりとも比例している。
 時代を先読みする独特の視点。そこに衰えはなかったはずである。時代のトレンドの潮流を読みつつ、そのど真ん中に身を置くのではなく、本流よりやや外れたところを先導することが、70年代の彼の美学だったと言える。
 でも、「実験」の「反復」という行為は、イコール「本意」の「実験」ではない。「実験」のネタを探し回るという行為、それは「非」実験的である。

DavidBowie-630-80

 ここでシンクロニシティとして挙げられるのが、日本のYMOという存在である。
 活動期間こそBowie より短かったけど、彼らもまた『BGM』『テクノデリック』という、80年代UKニューウェイブのマイルストーン的作品を生み出した後、長い休養に入った。ていうかメンバー3人とも、この時点で散開の意思を固めていた。
 YMOというブランドの中では、もはやカタルシスを得られるほどの音楽的実験/冒険はやり尽くしてしまっていた。後に残るのは過去作の拡大再生産、商業的要請に応じたビジネスライクなバンド運営だけである。
 もはや、何をやってもYMO。
 いくらYMO的なベクトルから外れたことをやろうとしても、それなりに受け入れられてしまい、そして大衆に消費される。歓迎され消費されること、それはもう「実験」ではない。
 じゃあ、要望に応える実験ではなく、もっと斜め上に裏の裏をかいた行為。
 -思いっきり世論に迎合してしまうこと。
 それこそが最大最後の実験であり、批評的な行為である。

 ベストテンに出るYMO。カジュアルなカラー・セーターに身を包み、PVでアイドルを模した振り付けを披露するYMO。ひょうきん族に出演して、不器用な漫才を自虐的に演じるYMO。
 その振る舞いのどれもがちぐはぐで、どこかこっ恥ずかしくぎこちないものではあったけれど、それまで築き上げてきたYMO像を破壊するためには、これくらいの方向転換が必要だった。自ら望んだはずではないのに、勝手に象牙の塔のてっぺんに祭り上げられたYMOを破壊するため、いつの間に自らで築き上げていたカリスマ・イメージをチャラにするためには、荒療治が必要だったのだ。
 彼らもまた、「実験のための実験」という袋小路から抜け出すため、敢えて大衆への迎合というプロセスを通過し、斜め上の音楽ユーザーへ向けて、アッカンベーして強引に幕を引いたのだった。

 YMOとBowie、彼らの大衆迎合路線は、ほぼ時期を共にしている。両者とも、レコード会社からの要請も多少はあっただろうけど、「実験」的な音楽や所作が大好きな音楽ファン、ていうかマニア向けの音楽を演じることに飽きが来ていたことも事実である。
 そんな彼らがこれまで手をつけていなかったのが、敢えて「売れてやる」といった行為であった。
 ほぼ時を同じくして、偶然なのか必然なのか、そんな路線を選んだ両名。
 その自虐的かつコンセプチャルな行動は、自らへ、そして全音楽ファンへ向けた強烈な批評でである。


Let's Dance
Let's Dance
posted with amazlet at 17.01.11
David Bowie
Virgin Records Us (1999-08-26)
売り上げランキング: 11,645



1. Modern Love
 3枚目のシングル・カットで、US14位UK2位。Bowie曰く、Little Richardを意識して書かれた曲ということだけど、サビのリフからして軽快なタッチで、ストレートなロックンロールにパワー・ステーション謹製ドラム・サウンドがうまく融合している。いまリリースしても、そこそこ売れるんじゃないかというパワーを秘めたオープニング・ナンバー。『Born in the U.S.A.』がリリースされたのはこの2年後だけど、Bruce Springsteenからのインスパイアも感じ取れる一曲。



2. China Girl
 2枚目のシングル・カット。UK2位US10位。一躍ギター・ヒーローとして躍り出たStevie Ray Vaughanがここで登場。ポップな曲調を引き締めるように、簡潔ではあるけれど印象的なソロを披露している。
 昔はこのコントラストが絶妙だよなと思ってたけど、今にして思えばお膳立てしていたのはNileだったわけで。全編で心地よくアクセントをつけているカッティングは、ファンキー過ぎずポップ過ぎず、ちょうどいい頃合い。この辺がバランス感覚だよな。
 もともとはIggy Popのために書き下ろした曲で、そのヴァージョンも『The Idiot』で聴くことができるけど、アレンジの違いで曲調はまったく違って印象。メロディも同じだし、Iggyのヴォーカルも当時のBowieを意識した仕上がりだけど、ダークでパンキッシュなテイスト満載。でもメロディがポップだから、それほどおどろおどろしくは聴こえない。こっちはこっちで良い。



3. Let's Dance
 80年代のダンス・ヒットとしても、そしてBowieの代表曲としても真っ先に挙げられるのがコレ。誰も文句が言えない実績と仕上がりになっている。リリース当時はUS・UKとも1位、そして去年、日本でもラジオでオンエアされまくったため、30年以上経ってからラジオ・チャートで53位にランクインしている。
 印象的なリフとStevieのソロがクローズアップされがちだけど、ここはやはりNileのプロデュース能力の高さの賜物。サックスが入るアウトロ後半の構成はかなりぶっ飛んでるし、アレンジの上物を取り外すと、そこに残るのは何とも地味なメロディ・ライン。そもそもデモ段階ではアシッド・フォークのようだったらしいし。それをここまでブラッシュ・アップしてしまったNileのプロデューシング、そしてサウンドに負けないBowieの力の入ったヴォーカライズ。
 そりゃ売れるよな、パワーが違うもの。



4. Without You
 知らなかったけど、これもシングル・カットされてたんだ。一応、US73位。データを見るとこの『Let’s Dance』、この4.までで4枚のシングルを切っているのだけれど、その間、なんと1年足らず。ほぼアイドル並みのリリース・ペースである。
 80年代のセールス・プロモーションとして、アルバム・セールスの起爆剤として、間髪を入れずシングルを切りまくることが常態化しており、特に80年代前半はその傾向が強い。『Thriller』だって『Synchronicity』だって『Purple Rain』だって、みんな複数枚のシングルを切ることが常識となっていた。それだけシングル・チャートが活気づいていた、すなわちラジオ局がキャスティング・ボードを握っていたことの証でもある。
 
5. Ricochet
 レコードで言えばB面トップ。ちょっと変わった手触りの、逆に言えばBowieらしい変てこなコード進行の変な曲。ある意味、Bowie的には通常運転。後に、同名タイトルの中国公演を収録したビデオもあったけど、未見。そのうち出るのかな

6. Criminal World
 70年代のUKバンドMetro、1977年のデビュー・シングルのカバー。グラム・ロックにカテゴライズされているけれど、サウンドといいアルバム・ジャケットといい、どちらかといえばSparksっぽいイメージの方が伝わりやすい。実際、「盛り上がりに欠けるポップ」といった感じだし。
 BowieヴァージョンはMetroから甘さを抜いてビター感を足し、メランコリックなポップよりソリッドなダンス・チューンに仕上げている。俺はBowieヴァージョンの方が好きかな。

593x600-2015122301989

7. Cat People (Putting Out Fire) 
 『Let’s Dance』とほぼ同時期に公開された映画『Cat People』の主題歌が初出。前年にレコーディングされた映画ヴァージョンは御大Giorgio Moroderがプロデュースを手掛けており、メリハリのある構成は映像映えする。
 対してアルバム・ヴァージョンはStevieのギターも大々的にフィーチャーしてビートを効かし、ロック的な仕上がり。こちらもシアトリカルなテイストに聴こえるのは、生来のBowieが放つアクター性によるものか。

8. Shake It
 ラストはBowieにしては珍しくシンプルな、悪く言えば印象に残らないポップ・ソング。まるで穴埋め的な曲だよな、安直だし。
 考えてみればこのアルバム、バラードらしいバラードがひとっつもない。これまでのBowieの一連のアルバムには、ほぼ必ず名バラードが収録されていたものだけど、ここではウェットなスロー・チューンは排除され、すべてダンス・チューンのみ。潔いほどまでに徹底してるよな。ていうかNile、そんなにバラードって苦手だったっけ?




ベスト・オブ・デヴィッド・ボウイ [DVD]
ワーナーミュージック・ジャパン (2014-10-08)
売り上げランキング: 1,593
レガシー ~ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・デヴィッド・ボウイ【2CD】
デヴィッド・ボウイ
ワーナーミュージック・ジャパン (2016-11-11)
売り上げランキング: 1,310

まばゆい星くずは黒い巨星となって消えた。 - David Bowie 『Blackstar』

front 俺的には大滝詠一急逝以来のショックだった。今もネットではどこも大騒ぎである。有名無名問わず、これだけ多くの人が追悼メッセージを寄せているのはMichael以来だと思う。
 彼の影響を大きく受けたこと、生きてゆく上での指針となったこと、命を絶つのを思いとどまらせてくれたこと―、人によって思いは様々だけど、やり切れぬ想いをどこかで吐き出したくなってしまう―。そんなアーティストはなかなかいない。

 趣味でも仕事でも構わないけど、真摯に音楽と向き合ってきた人だったら、多かれ少なかれ彼の影響は受けてきたはず。直接的ではなかったとしても、ジャンルを問わず彼の影響を受けてきたアーティストは、それこそ星の数ほどいる。
 アーティストがアーティストたる故に美しくなければならない、それは表層的なビジュアルだけではなく、時流に応じた変幻自在の生きざまをドキュメントとしてさらけ出してゆくこと。
 アーティストとしてだけではなく、1人の自立した人間が生きてゆく術を体現していた数少ない人物だった。

 俺自身、それほど熱心な聴き手ではなかったし、すべてのアルバムをくまなく聴いてきたわけじゃないけど、名作群と称される70年代のアルバムはひと通り聴いていた。
 70年代UKロックの金字塔とされる『Ziggy Stardust』、「プラスチック・ソウル」と揶揄されたけど白人ファンクとしては優秀だった『Young American』、ヨーロッパ・デカダンの爛れた美的センスが光るEnoとの3部作。
 とは言ってもこれらはどれも後追いで聴いたもの、現46歳の俺のBowieとのファースト・コンタクトは映画の『戦メリ』、そしてダンス路線に大きく舵を切った『Let’s Dance』だった。
  ちょうどブリティッシュ・インヴェイジョンの躍進によってニューロマ系のアーティストが台頭してきた頃で、その中でも年長の部類だったBowieはパイオニア的存在として別格扱いだった。Duran DuranやDepeche Mode、Simple Mindsらの若手がチャートを賑わしていたけど、実際彼らがリスペクトしていたのはBowieその人であり、極論すれば彼らはすべてBowieのエピゴーネン的存在に過ぎなかった。
 誰かの名言で「結局のところ、みんなDavid Bowieになりたかっただけなんだ」というのがあったけど、端的に言うとそういうことなんじゃないかと思う。

d86f335d

 自らの躰さえも傷つけてしまうほどの鋭いカリスマ性によって、他者を遠ざけていた70年代を経て、ヒット・チャートの常連になり、ロック・セレブとしての佇まいさえ感じさせるようになったのが、80年代のBowieである。明解なメロディ・ラインとシンプルなダンス・ビートが彼の強固なコンセプトの産物であるとは言いがたいけど、それまでアンダーグラウンドな存在だった彼をメジャー・シーンに引き上げたNile Rogersの功績は大きい。
 そのコンセプトに迷いが見られ、そんな内情をそのまま反映したような作品を連発した後、「オーソドックスなロックの初期衝動」という仮面を被ったTin Machineを経て、一旦ポップ・ソングの世界との決別を図る。
 ヒット・シングルへのプレッシャーというしがらみを捨て、再びアルバムごとに強靭なコンセプトの柱を打ち立てて、才気煥発な作品を連発したのが90年代。この辺になると、ロックそのものに興味が薄れつつあった俺はそれほど追いかけることもなくなってゆく。「Nine Inch Nailsと共演した」だの「ドラムン・ベースを導入した」だの「Bowie債を発行した」だの断片的な情報を目に耳にしたり、たまにタワレコの視聴機で耳にするくらい。
 俺の中でBowieに熱中していた時期は、もう遥か遠い昔だった。

5e420861

 それでも何年かに一度、無性にBowieが聴きたくなる。
 ほんとここ最近も、パソコンに突っ込んでおいたアルバムをiphoneに移し、カーステに繋いで聴くというのをやっていたのだけど、一番ヘビロテとなったのが『Ziggy Stardust』だった。これまで聴いてきたBowieのアルバムの中でも、累計再生回数はこれがダントツである。
 近い将来、Bowieのレビューを書く予定でいて、それがこの『Ziggy Stardust』になるはずだった。
 これが最初のBowieレビューになる予定じゃなかったのだ、ほんとは。

 そんなBowieが残した最後の言葉が、このアルバム。
 『Next Day』での復活から2年弱、近年にしては短いインターバル、見事に迷いのない、最後まで現在進行形のDavid Bowieである。
 アルバム・リリースごとに自身をアップデートを繰り返し、その最終形態がこの『Blackstar』である。
 そのスワン・ソングの響きは強靭で新しく、どこまでも美しい。
 志半ばの未完成ではなく、ほんとの完全体。これ以上先はない―。
 残り少ない寿命を逆算して、最後まで手を抜かず、覚悟の上で作られている。
 「有終の美」なんて、陳腐な言葉では片付けられない。
 まだ先の展開があるんじゃないか、と期待をしてしまうほどのクオリティ。
 でも、もうその先はないのだ。

b563eb7e

 すべての音楽リスナーは、このアルバムを聴かなければならない。
 この『Blackstar』は稀代のトリック・スターDavid Bowie が、アーティストとしての自分の完全無欠な幕引きを図った作品である。
 それは俺たち残された者の心を揺さぶり、引っかかりを残す。
 それがBowie最後の伝説であり、そこに多くのリスナーが参加することによって、ストーリーは完結するのだ。


Blackstar
Blackstar
posted with amazlet at 16.02.17
David Bowie
Sony (2016-01-08)
売り上げランキング: 93




1. Blackstar
 ソフトなブレイクビーツに寄り添うBowieの肉声。その歌声は神々しくさえあり、讃美歌的な響きさえ感じられる。リズム・トラックを担当したMark Guilianaは、前年リリースのベスト・アルバム『Nothing Has Changed』収録の新曲”Sue”に引き続きの参加。彼とのコラボレーションから、このアルバム制作がスタートした。
 10分にも及ぶ長尺のため、曲調が大きく変化している。終盤になってからはやっといつものBowieっぽくなるけど、もともとドラムンベースにもついていけなかった俺としては、ここに至るまでが長い我慢の道のりだった。
 ジャズ的エッセンスとしてサックスやホーン・セクションが入ってるけど、ちっともジャズっぽさが感じられない。ジャズをやりたくて入れた音ではないのだろう。



2. 'Tis a Pity She Was a Whore
 このアルバムの中ではオーソドックスなロック寄り、5分弱のソリッドなナンバー。リズム・パターンも真っ当な8ビート。それでもジャズ的なサックス・ソロが冒頭からぶち込まれ、往年のフリー・ジャズ的にアバンギャルドなフレーズが見え隠れする。かつてならディストーションの効いたギターで弾いたフレーズをサックスに置き換えた印象。
 しかし改めてだけど、歌がうまいよね、Bowieって。それに加えて記名性の強い声質なので、アクの強さが凡百のアーティストとの違いを浮き出させる。

3. Lazarus
 ちょっとメロウなサックスから始まる、オルタナ系のスローなロック・ナンバー。
 
“Look up here, I’m in heaven
 I’ve got scars that can’t be seen”

 英語の苦手な俺でもわかってしまう、シンプルで簡潔な歌詞。
「見上げると、俺は天国にいる。見ることのできない傷を負った」。

 “Oh, I’ll be free
 Just like that bluebird
 Oh, I’ll be free
 Ain’t that just like me?”

 「俺は自由だ、あの青い鳥のように。俺は自由なんだ、あれはまるで俺のようじゃないか?」

 暗示的な歌詞が散見しており、自らの幕引きをシミュレートしていたのだろうけど、これは同時制作されたPVと共に完結する。ここまで徹底して作られた作品を、俺は見たことがない。



4. Sue (Or In a Season of Crime)
 1.でちょっと触れてるけど、ここで再録されている。このブレイクビーツと現代モダン・ジャズとのハイブリットというジャンルは、クラブ・シーンではそれなりに盛り上がっており、俺もいくつかは聴いてはいたのだけど、ここではそれらとはまったく違った世界観で構成されている。
 全然ジャズの香りがしない。いわゆるグルーヴ感とかインターミッションとか、プレイヤビリティなるものがあまり重視されず、ほぼサンプリング素材の一部となっている。ここにBowieの声が乗っているから俺は聴けるけど、やっぱちょっと辛い。
 と思ってたら後半に行くにしたがってリズムがカオスになってゆき、面白くなってゆく。Bowieの歌と暴力的なリズムの相性は最高だというのがわかるナンバー。

5. Girl Loves Me
 なんとなくだけど、ベーシック・トラックにTony Viscontiの関与が強いんじゃないかと思われるナンバー。サウンドはともかくとして、基本構造はオーソドックスなロックなので、旧来ファンは馴染みやすいんじゃないかと思う。
 ここまで聴いてきてアレだけど、ドラムもベースももともとジャズの人であるはずなのに、そのジャズらしさがほとんど感じられないというのは、そこら辺がBowieの狙いだったのか。そこに新しい可能性を見出していたのだろうか。
 
fa10efb2

6. Dollar Days
 まるでKenny.Gのようなサックス・ソロからスタート。ちょっと拍子抜けだけど、柔らかなギター・ストロークをバックに、まるでZiggy時代のようなヴォーカルを聴かせるBowieがそこにいる。もちろん年齢も経てきただけあってキーは抑えめだし、今にして思えば発声もどこか力なさげだけど。
でも、純粋なシンガー・ソングライターとしてのBowieはメロディを紡ぐ。もともとわかりやすいメロディ・ラインを作るタイプではなく、本質的にはモノローグから発展したようなフォーク系の人である。そんな人が、流麗ではないけれど、美しいメロディを刻んでいる。それだけで充分だ。

7. I Can't Give Everything Away
 引き続き、シームレスにつながるラスト・ナンバー。こんな状況で、こんな切ないハーモニカの音色は、ほんと反則。涙が出てきちゃっても仕方ないくらい、それはとても切ない響き。
 中途半端なギミックのない、正真正銘アップ・トゥ・デイトなDavid Bowieのバラード。
 変に大げさにドラマティックなアレンジでもなく、かといって過度にアバンギャルドに走るのではなく、きちんと地に足をつけたスタイルのポップ・ナンバー。
 スワン・ソングとしては完璧な仕上がり。






ナッシング・ハズ・チェンジド~オールタイム・グレイテスト・ヒッツ<デラックス・エディション>
デヴィッド・ボウイ
ワーナーミュージック・ジャパン (2014-11-19)
売り上げランキング: 408
Zeit! 77-79
Zeit! 77-79
posted with amazlet at 16.02.17
DAVID BOWIE
EMI UK (001)(XY4) (2013-05-06)
売り上げランキング: 7,081
サイト内検索はこちら。

カテゴリ
アクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。ただでさえ時間ないのに、また新しい音楽ブログ『80年代の歌謡曲のアルバムをちゃんと聴いてみる』を始めてしまい、どうしようかと思案中。
最新コメント