好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

David Bowie

ゲスト:ミッキー・ローク。それがウリ? - David Bowie 『Never Let Me Down』

R-931721-1174236803.jpeg 1987年リリース、ボウイ16枚目のスタジオ・アルバム。それまでの総売上を足しても及ばないほどバカ売れした大ヒット作『Let’s Dance』の2匹目のドジョウを狙って、1年足らずのブランクでリリースした前作『Tonight』から3年、ちょっと落ち着いた頃合いで、『Never Let Me Down』はリリースされた。
 『Let’s Dance』の時点で「ボウイは終わった」とこき下ろされ、『Tonight』では「二番煎じのアルバム出しやがって」とメディアに叩かれたけど、『Never Let Me Down』に至っては、酷評どころか、まともに論じられることもなくなってしまう。「カルトの帝王」と崇められたかつての姿はどこにもなく、家庭を愛し礼節を重んじるロック・セレブと化してしまったボウイは、もはや一介のポップ・スターとして消費される存在だった。
 ただ、「凡庸で無個性」と切り捨てられた当時の世評とは相反し、セールス実績はUK6位・US34位とそこそこ、世界各国でもゴールド・ディスクを獲得している。ここ日本でも、映画『ラビリンス』での好演が話題となったこともあって、オリコン最高6位、そこそこ健闘している。誰が買ってたんだろうね。謎だ。
 ヒット・シングル狙いで安直に作られたのかといえば、そんなことはなく、きちんと明確なコンセプト、アンチ・ポップのサウンドを志向して製作に挑んでいる。『Let’s Dance』の勢いでチャチャっと仕上げてしまった『Tonight』の反省もあってか、盟友イギー・ポップを呼びつけて共同で作曲したり、旧友ピーター・フランプトンをバンド・メンバーに迎え入れたり、どうにかロック・アーティストの現役感を取り戻そうと、MIDI主体のポップ・シーンとは一線を画した環境に身を投じている。
 でも傍目から見て、「生涯オルタナ」の姿勢を崩さないイギーはまだわかるとして、70年代でピークを迎え、それ以降は下り坂のフランプトンというキャスティングは、ちょっと微妙と思ってしまう。切れ味良く、鋭いソリッドなサウンドを求めるのなら、イキのいいUKバンド、例えばロバート・スミスあたりにオファーした方が、まだ良かったんじゃないね?と勝手に思ってしまうけど、まぁ多分断られただろうな。この時期のボウイは、すっかりロートル扱いだったし。
 第一、ゲストにミッキー・ロークっていうのがひとつのウリだったみたいだけど、「だから何?」って印象しか残らない。

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 いわゆるポップ・スター期とされている、この時代のボウイの作品は、セールス的には大きく飛躍したのだけど、世間的な評価は良いものとは言えず、本人も基本、ネガティブなコメントしか残していない。「売れることが悪」という70年代的・極端な風潮の煽りを受け、その辺はちょっとボウイにも同情してしまう。
 自分の安直な劣化コピーみたいな作品がそこそこ売れて、しかもそこそこの評価を得てしまう現状を理不尽と思っても、誰も責められやしない。フロンティア・スピリットといえば潔いけど、漁夫の利を掠め取られるだけの人生は、嘆こうにも涙すら出やしない。
 常に「変容すること」を自らに課してきたボウイが、次なるステップとして、オーバーグラウンドへ向かったのは、ある意味自然の流れだったと言える。カルト・ヒーローとして崇拝されたヨーロッパ3部作以降、その路線を突き詰めるのではなく、敢えて逆張りのコンテンポラリー・サウンドへ転身することは、理にかなっていた。
 アンチ・コマーシャルな存在であることのアンチテーゼとして、時代のポップ・イコンとしてステイタスを築き、ビッグ・マネーを稼ぐことは、旧来ボウイ信者のマゾヒスティックなニーズを満たしていた。YMOもそうだったけど、難解なアバンギャルドから刹那な大衆ポップへ大きく舵を切ることは、予見された裏切り行為として、ファンを驚かせ、ヤキモキさせた。
 ただボウイの過ちとして、『Let’s Dance』路線は一回こっきりにして、またガラッと違うキャラ変更を行なっていれば、ここまで叩かれることもなかったんじゃないか、と今にして思う。もう少し譲ったとして、「ちょっと安直」と揶揄された『Tonight』の反省で、これをすっ飛ばしてティン・マシーン結成、というルートだったら、ここまで鬼っ子扱いされることもなかったんじゃないか、と勝手に思っている。

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 「実態がない」とか「カメレオン」だと言われてきたボウイだけど、ベースのコードやメロディはアンチ・ポップな傾向であることは、終始一貫していた。わかりやすい例えで言えば『Let’s Dance』だけど、あの曲もしつこくリフレインされるタイトル・コールと、パワー・ステーション特有のブーストされたリズムを取り払うと、残るのは至極素っ気ないメロディである。
 誰にでも受け入れられる永遠のスタンダードみたいなメロディを、書かなかったのか書けなかったのか。どちらにしろ、時代に即したアレンジを剥ぎ取ると、それは明らかだ。弾き語りの簡素なデモ・テイクを聴いてみると、ほとんどの楽曲は、愛想のないアシッド・フォークみたいな曲ばかりである。
 親しみやすいサビやフックを用いず、逆にコンセプトやサウンド・アプローチを駆使することによって、アーティスト:デヴィッド・ボウイはステイタスを築いていった。架空のキャラクターを創造しては憑依させ、信頼できるコラボレーターの力を借りて、オンリーワンの世界観を作り上げてきた。
 軍人や自殺者、はたまたUMAなど、既存のロックにはないエキセントリックな人格を創り上げ、そのキャラクターになりきって曲を書き、歌う。それは万人受けするものではないけれど、ごく一部の層には深く刺さる。
 深く影響を受けた者は、彼の一挙手一投足を凝視し、崇拝の対象として祀りあげた。そこまで深くない者にとっても、ボウイの次の動きは注目に値するものだった。「次は何やるんだろう?」と。

 ちょっと考えてみれば、「変化し続ける」というのもなんか変な言い方で、それ自体がルーティンとなってしまっては、本末転倒になってしまう。シンプルに考えて、良い作品を作るために必要な変化はアリだけど、「変化そのもの」が目的になってしまっては、「それはちょっとどうなのよ」といった具合に。
 ただ、回り回って、ある意味、無我の境地に達したボウイがすべてを丸投げし、素材の一部に徹して作られたのが『Let’s Dance』であり、素材が極上な分だけ、うまく時代にハマったことも、また事実。これまで「時代の二歩先・三歩先をリードしていた」と自負するボウイとしては、敢えてトレンドのど真ん中に飛び込むのは、それなりに覚悟があったんじゃないかと思われる。下手すりゃ、これまで築き上げてきたキャリアを棒に振ってしまうわけだし。ある意味、それは彼にとってのチャレンジであり、大きな変容だった。
 で、結果は知っての通り。確かに、グラム時代からの原理主義者の支持は多少失ったけど、それ以上の売り上げと一般層からの幅広い支持を手に入れた。うるさ型の評論家からは「メジャーへ魂を売った」など、こき下ろされたりしたけど、結局はあふれ返るほどの地位と名声にかき消された。
 ただ、そんな浮き足立った時期は、長くは続かない。つい勢いでやらかした『Tonight』の酷評が身にしみたボウイ、再び自身の置かれた立場を見直し、軌道修正を図ることになる。
 ここでメディアの評判なんて、笑い飛ばしたり開き直ったりしていれば、今ごろエルトン・ジョンやロッド・スチュアートのポジションだったのだろうけど、まぁそういった人ではない。真正面からファンのニーズに沿うのではなく、ちょっと斜に構えた態度で、あさっての方角へボールを投げるのが、彼のメソッドなのだ。しかも、球筋が読めないと来ている。
 ストレートど真ん中に2度続けて投げてしまい、この時点でボウイが投げられる球は、もはやストレートなロックンロールしか残されていなかった。それが『Never Let Me Down』。

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 変化球を投げたつもりだけど、きちんと曲がり切れてない―、そんな微妙な球筋だったことで、見事にスルーされたこのアルバムだけど、この時点のボウイ、そしてこの時代では、「ここまでが限界だったんじゃないか」と、今にして思う。ここから数年経つと、ラウドなオルタナ・ロックやディープ・ハウスが注目を浴びるようになり、実際、ボウイも『Black Tie White Noise』で面目躍如となるわけだけど、この時点では、そんな刺激的なネタもなかった。
 汚名挽回を狙い、原初的なロックを志向して作られた『Never Let Me Down』だけど、やっぱちょっと気弱になってたんだろうな。じゃないと、ここまで大味に仕上がらないだろうし。
 ボウイにしては珍しく、「もう一度やり直したい」とコメントしていたのが、唯一このアルバムである。実際、ラフなセッションも行なっていたようだけど、志半ばで夭折してしまい、プロジェクトは一旦流れた。
 その後、彼の遺志を汲んでリミックス再録音が行なわれ、大筋は変わらないけど、意向が反映されたヴァージョンが2018年にリリースされた。
 本人が直接関わったわけではないので、そこに秘められた真意がきちんと具現化されているのか―、それこそ神の知るところだけど、少なくとも前向きの姿勢は感じられる。
 ど真ん中だけど、予想よりちょっとはずれて打ちにくい。そんな音である。




1. Day-In Day-Out
 アメリカの貧困問題を嘆いて書かれた、テーマはとてもシリアスだけど、サウンド自体は至ってポップ・チャート狙いのパワー・ポップ。それでもメッセージ性に合わせてか、サウンドの浮き足立ち振りには振り回されず、ヴォーカルはしっかりしている。
 「弱きを助け、強きをくじく、ロック・シンガーの姿を借りた全能者」といった描かれ方のPVは、本人がほんとに満足してたのかどうかは不明だけど、初回ヴァージョンが発禁となったこともあって、自分の方が出鼻をくじかれちゃっている。まぁ話題作りでわざと過激に作る場合もあるので、その辺は何とも。
 新旧ヴァージョンの違いは、正直、サラッと聴く分には大きな変化はないのだけど、ちゃんと聴くと歴然としているのが、ドラム。時代性を感じるデジタル・リヴァーヴ甚だしいオリジナルから、新ヴァージョンは生の響きを重視している。

2. Time Will Crawl
 一聴して、日本人の誰もが島倉千代子を連想してしまうシンセ・イントロが印象的なポップ・バラード。一応調べてみると、この曲と「人生いろいろ」のリリース日はほぼ同時期で、どちらかがパクったのではなく、シンクロニシティが発生したということになる。
 もしかして、もっと以前の元ネタがあって、たまたまシンクロしたのか。そういえば自分で元ネタ作ってたよな、「Ashes to Ashes」。いま気づいたわ。
 軽く疾走感のある旧ヴァージョンに対し、新ヴァージョンではシンセ・イントロは取っ払われ、ガレージっぽい響きのギターに差し替えられている。ドラムも生音に差し替えられ、ストリングスも追加してしまう、なんとも豪華仕様。お手軽なシンセ・ポップからだいぶビルド・アップしている。
 もともとこのリ=レコ・プロジェクト、この曲をやり直したいというボウイの要望から始まったもので、死後に行なわれたこのセッションも、かなり意向は反映されている。ただ時代的に、「ロック・サウンドとストリングスとの融合」というテーマは、1987年当時でも使い古されたテーゼであり、ニーズを考えれば、シンセを前面に出すことは、これはこれで最適解だったんではないか、と。

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3. Beat of Your Drum
 タイトル通り、ビートとドラムを前面に出し、キャッチ―とは言えないメロディを組み合わせた、いわゆる「Let’s Dance」タイプのナンバー。ロック本来のダイナミズムと初期衝動を表現しながら、それでいて単調な大味ではない、凝った構成は嫌いじゃないのだけど、あまり話題にはならなかった。
 新ヴァージョンは一転して、当時ボウイが敬愛していたフィリップ・グラスのエッセンス、現代音楽っぽいSEやストリングスが追加されているのだけど、旧来ロックのスピード感は損なわれている。いるのだけれど、ストリングスを味付けとして使うのではなく、ビートとリズムとシンクロさせ、拮抗させるといったアプローチは、冒険的でもある。
 俺的には最初に聴いた旧ヴァージョンも捨てがたいのだけど、「ポップ・スターじゃないボウイ」を求めるのなら、当然後者となる。その辺はその日の気分次第だな。

4. Never Let Me Down
 一部では「最も過小評価されているボウイの曲」として位置づけられている、ポップ・ファンクのタイトル・チューン。ボウイ曰く、「ほぼ一日で大方のアレンジもできちゃった」くらい短期間で仕上げられたらしく、そういったパターンで作られた曲って、のちのち名曲として語り継がれることが多いのだけど、そうはならなかったところに、80年代のボウイの不運がある。
 新ヴァージョンはリズムはシンプルな8ビートに差し替えられ、さらに常連カルロス・アロマーのメロウなギターが追加されている。比べてみると、柔和なヴォーカルとミスマッチだった旧ヴァージョンに対し、不安定なコード感を活かした新ヴァージョン・アレンジの方が、楽曲の本当の価値を際立たせている。



5. Zeroes
 タイトルといい、ライブの歓声で始まるイントロといい、「Heroes」のアンサー・ソングと思っていたのだけど、どうやらまったく関係ないらしい。ピーター・フランプトンによるエレクトリック・シタールが印象的な、旧き良き日々を振り返る、それでいて感傷的じゃなく、若干のセルフ・パロディも含んでいる。
 ごくたまにある、ちゃんとフックの利いたメロディ・タイプの楽曲であり、ほどほどの憂いも含まれていることもあって、正直、このアルバムじゃなければもう少し目立ったんじゃないかと思われる。ついでに、なんか70年代を思わせぶりなタイトルがちょっと紛らわしいし、あらゆる意味で損しちゃってる楽曲である。
 新ヴァージョンはさらに先祖返りしたような、ヴォーカルのピッチも若干高め、グラム以前のボウイを連想させるノスタルジーな演出。こっちもいいな。

6. Glass Spider
 ワールド・ツアーのタイトルにもなった、冒頭からシアトリカルなムードのモノローグが延々と続くナンバー。2分近くなってからやっとAメロがスタート、その後もストリングスとフランプトンのギター、ボウイとのコール&レスポンスが続く。ライブでもクライマックスとなるシーンで効果的にプレイされているので、言ってしまえばシチュエーションが限定された楽曲でもある。
 新ヴァージョンは、イントロの勿体ぶりに拍車がかかり、さらに1分程度追加。ロック・テイストは大幅に削られ、リミックス・ヴァージョンみたいな作りになっている。大仰な演劇性を強調するのなら、これくらいクドくしつこい方がいいんだろうけど、聴く側としてはちょっとお腹いっぱい。

7. Shining Star (Makin' My Love) 
 ラップというにはおこがましい、素人だからまぁ仕方ないけど、だったら何でミッキー・ロークをスタジオに入れちゃったのか、単なるノリなのかEMIからの押し付けだったのか。どちらにせよ、お手軽なシーケンスでチャチャっと仕上げちゃった感が否めないポップ・チューン。ボウイ的には、この曲をシングル・カットするつもりだったけど、EMIに拒否された、との逸話が残っている。そりゃミッキー・ロークの名前があれば、プロモーションもしやすいだろうけど、「だったらもっとちゃんと作れよ」と、誰が言ったのか言わなかったのか。
 新ヴァージョンの実作業を行なったプロデューサー:Mario J. McNultyも、オリジナルのひどさに嘆いており、ローリー・アンダーソンを引っ張り出して、まったく別のトラックに仕上げている。ヴォーカル以外はほとんど差し替えられ、クールな仕上がりとなっている。イヤこれはカッコいい。
 本文でも書いたけど、ハード・テクノ/ハウスをを通過したリズム・アプローチを施すには、オリジナルのリリースがちょっと早すぎたのだ。

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8. New York's in Love
 やはりちょっと浮き足立っていたのか、はたまた過剰に同時代性を意識過ぎちゃったのか、こんな大味な曲を作ってしまう。ニューヨークを恋愛ドラマの舞台として描くこと自体、ボウイがやるにはそもそも無理があるのだ。
 なので、新ヴァージョンでは面目躍如しようとしたのか、重いバンド・サウンドにリメイクされているけど、そもそものテーマが激軽なので、あんまり響かない。グラム時代を彷彿させる、グリッターなアプローチが垣間見える瞬間もあるのだけれど、もうちょっと皮肉を効かせてもよかったんじゃないか、と。

9. '87 and Cry
 当時、UKエンタメ界隈では、サッチャー首相をボロクソにけなす風潮が強くはびこっており、当然、ボウイもまたその空気に乗じることになる。まぁ確かに、サッチャーを支持していたミュージシャンって、聴いたことないな。
 ソリッドなロック・チューンであることは新・旧ともに大きな変化はなく、まぁ構想の通り仕上がった、ということなのだろう。スタジアム・ロックの対極にある、少しザラついたテイストは、あまりいじりようがないし。

10. Bang Bang
 ラストはイギー・ポップ1981年リリースのアルバム『Party』収録曲のカバー。オリジナルはクールなジャーマン・ディスコとソリッドなニュー・ウェイヴ・テイストが混在した、淫靡な雰囲気を醸し出した佳曲で、ボウイもほぼそのヴァージョン・アップといったアプローチで、基本構造はそんなにいじっていない。ただ、その淫靡さがちょっと足りないので、オリジナルを聴いちゃうと物足りなさが残る。
 対して新ヴァージョン、いきなりフィリップ・グラス調のリズミカルなストリングスが大きくフィーチャーされている。旧ヴァージョンとはヴォーカル・テイクも違い、ミュージカル調にリアレンジされている。
 イギーの真似をしたってイギーにかなわないことはわかっていたはずなのに、引き出しもなかったし、そういったブレーンもいなかったんだろうな。EMI的にはわかりやすい「なんちゃってハード・ロック」の方が売りやすかっただろうし。



80年代のボウイはそんなに悪くない - David Bowie 『Tonight』

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 1984年リリース、15枚目のオリジナル・アルバム。大ヒット作『Let’s Dance』から、なんと1年ちょっとのブランクで、もう次。いくら売り時だったとはいえ、いくらなんでもちょっと早すぎる。この機会をもうちょっと大事にして、シングル切りまくったりワールド・ツアー回ったりして、話題を切らさずセールス伸ばせば良かったのに、と余計な心配をしてしまったけど、考えてみればシングル5枚も切ってたし、シリアス・ムーンライト・ツアーも終わってた。
 シングルは仕方ないとして、正味半年のワールド・ツアーは、いくらなんでもちょっと短かすぎる。今ならもっと細かく回って、最低2年くらいは世界中あちこち飛び回るものだけど、当時はそのクラスじゃなかったのかねボウイ。
 日本を含め、少数のアジア諸国やオーストラリア以外は、ほぼ欧米中心のツアーとなっており、世界中くまなくカバーしているとは言いがたい。『Let’s Dance』のブレイクが突発的だったため、そんな急に世界中の会場を押さえることができなかった事情もあったのだけど。

 ボウイに限らず、80年代まではどのアーティストもアルバムのリリース・ペースは短く、年に1枚は当たり前、3年も空けると現役アーティストとは呼ばれなかった。ストーンズもクイーンも、この時期はメンバー間の対立が深刻で、2〜3年程度のブランクで「復活!」とかドラマティックに煽っていたけど、今じゃ普通だもんな、そのくらいだったら。
 EMIの要請もあって新作に着手したボウイだったけど、それはちょうどシリアス・ムーンライト・ツアー真っ只中、さらに加えてこの時期は俳優活動も旺盛だったため、創作活動に充分な時間が取れずにいた。
 さらにさらに、突然訪れたスターダム。そりゃ舞い上がるよね。毎日がパーティ、酒もドラッグも女もやり放題。ますます、時間がいくらあっても足りやしない。
 『Let’s Dance』の余波もあって、UK1位ゴールド・US11位プラチナ獲得、日本でもオリコン3位と、セールス的にはキャリアでトップ・クラスの成績を収めたのだけど、まともな新曲は2曲のみという体たらく。充分練り上げる時間がなかった、という理由はあったにせよ、「手抜きしたでしょ」と問い詰められたら、多分否定できない。
 世界的なディスコ・リバイバルの流れもあって、『Let’s Dance』は近年見直されてる感もあるけど、今のところ『Tonight』の再評価の兆しは見られない。一般的に、音楽家デビッド・ボウイの復活作とされているのが『Black Tie White Noise』で、そこに至るまでの80年代作品は、スランプ期とされている。ボウイ自身も、この時代は黒歴史としていたのか、生前もあまり触れたことがない。ティン・マシーン?「あぁ、そんなのあったっけ?」てな具合で。

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 この記事を読むと、どうやらプロデューサーの手際が悪くてスタジオ・ワークが捗らず、それが作品の出来に大きく影響した、ということらしい。逆の立場だったら、また違う見解になるだろうし、どっちにしろ、責任の押しつけ合いになることは容易に想像できる。
 アーティスト側が、素材もアイディアも大して用意してなくて、しかもコンセプトも曖昧。そんな状態でスタジオに来られたら、そりゃプロデューサーだって困ってしまう。準備もなく手ぶら、しかも面識も少ないプロデューサー任せとは、一体どれだけやる気なかったのか。
 レコーディング初期のプロデューサー、デレク・ブランブルは、70年代に活動していたディスコ/ファンク・バンド、ヒートウェイブのリーダーだった人。当時はセールスも下降して、グループは活動休止中だったため、デレク・ブランブルって言われたって誰も知らなかったし、今もそんなに再評価されているわけでもない。俺はレア・グルーブを漁っていた頃に辛うじてグループ名は知ったけど、さすがにリーダーの名前までは、いちいち知らんがな。
 ボウイの扱いに不慣れな上、手際も悪かったデレク・ブランブルは途中でクビになり、当初から共同プロデューサーとして参加していたヒュー・パジャムに一任され、どうにかこうにか『Tonight』は完パケに至る。どうせならナイル・ロジャースと再び組んで、『Let’s Dance 2』って開き直っちゃても良かったんじゃないの?と思ってしまうけど、多分そこはボウイの美学、またはプライドだったんだろうな。
 同じような作品は二度と作らないことは、最期まで徹底していたし。

 俺がリアルタイムでボウイを聴き始めたのは『Let’s Dance』からで、それ以前の作品というのは、すべて後追いである。その後、つかず離れずではあるけれど、彼のアルバムはほぼリアルタイムで聴いてきている。どのアルバムも、手放しで大絶賛というわけではないけど、一番しっくり来るのは、やはり80年代の作品群であることに変わりはない。
 「80年代」やら「David Bowie」やらの括りを超えて、俺の好きなロック・アルバムのひとつが、『Ziggy Stardust』。原初的なロックンロールのフォーマットをベースとしながら、単なる「サウンドとしてのロック」を超え、ひとりのアーティストの生き様とポリシーを刻み込んだセミ・ドキュメンタリーとして、俺的にはずすことのできない作品である。そんな頻繁に聴くことはなくなったけど、ロックといえばジギー。これは変わらない。
 多分、契約関係のこじれが大きかったと思われるのだけど、80年代はボウイのアーカイブ再発が遅れていた。ロック名盤特集で紹介されることが多かった『Low』や『Heroes』も、北海道の中途半端な田舎では入手が難しかった。
 たまに輸入盤で売られているのを目にしたことがあったけど、ヨーロッパ盤は当然バカ高かったため、手に取るのはためらわれた。その後、国内盤も流通して入手しやすくなったけど、タイミングを逸したこともあって、実物を手にしたのはずっと後になってからだった。

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 正直、前評判と期待値が大きかったせいもあってか、ベルリン3部作はどれもピンと来なかった。「Suffragette City」や「Rock'N'Roll Suicide」は、初めて聴いた時からスッと身体に入ってきたのに、「Station to Station」も「Beauty and the Beast」も、俺が思ってるところのボウイとは、ちょっと別物だった。
 シングルとしての「Young Americans」や「Heroes」は好きだったけど、これがアルバムになっちゃうと、コンセプト優先の頭デッカチさばかりが目についてしまう。今まですごく言いづらかったけど、『Ziggy』以外の70年代アルバムは、どれも最後までちゃんと聴いたことがない。
 多分こういう傾向って、誰でも多かれ少なかれあるんじゃないんだろうか。ボウイに限らず、昔の名盤より、アラは目立つけどリアルタイムで聴いてきたアルバムの方が、しっくり馴染んじゃうというか。
 例えばストーンズだけど、これまでこのブログで取り上げてきたのは80年代以降の作品ばかり、名盤の宝庫とされている60〜70年代は、取り上げたことがない。だって、『Let it Bleed』も『メインストリートのならず者』も、ちゃんと最後まで聴いたことないんだもの。
 俺の中でのストーンズとは、一般的には駄作とされている『Dirty Work』であり、『Undercover』なのだ。多感な十代に得た価値観は、歳をとってもあまり変わりないものなのだ。
 一度言っておきたかった。あぁスッキリ。

 70年代ロックのカリスマではなく、80年代ポップ・スターの1人としてなら、『Tonight』 はキチンと作られたアルバムである。ボウイ自身もポップ・スターとして作ったのだから、評論家や古参ファンにあぁだこうだ言われる筋合いはない。無いはずなのだ。
 変容し続けるロックのカリスマとして70年代を駆け抜けたボウイだったけど、80年代に入る頃から、そんな自分に疲れちゃったのか、その歩みは緩慢になってゆく。孤高のカリスマとして、身内ウケする作品を作り続けていたけど、そんな行為自体が予定調和になっていたことも、また事実である。それに加えて、インパクトの強さの限界と。
 バトル漫画に「パワー・インフレ」といういう言葉がある。「ドラゴンボール」で例えると、史上最強と思われていたベジータがフリーザに簡単にあしらわれ、さらにフリーザはセル、そしてセルは魔神ブウに…、と言った具合で、これが延々と続く。
 グラム・ロックから始まったボウイ無双時代、その後はプラスチック・ソウルを経てベルリン3部作、常にシーンに強いインパクトを残してきた。
 ―じゃあ、その次は?
 そんなキリのない音楽的変遷にピリオドを打ったのが『Let’s Dance』だったと言える。

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 で、その『Let’s Dance』の余韻で作った『Tonight』は、それまでのドラスティックな変化とは無縁、肩の力の抜け具合がハンパない。ニュアンスは違えど、コンテンポラリーなヒット狙いという点において、『Let’s Dance』とベクトルは一緒である。
 特別気負わなくても、そこそこ売れることが約束された状況というのは、ボウイにとって初めてのことだった。実際、世界中ほぼどの国でもトップ10入りを果たし、セールス的には大成功だった。
 「ボウイも地に堕ちた」「商業音楽に魂を売った」という批評は、当時からあった。イノベイティブな70年代と比較して、「なんだこのチャラいサウンドは」と嘆く声もあった。
 ボウイ本人も後年になって、この時期を黒歴史扱いしていたけど、でも、リリース当時はそれがボウイの狙いだった。
 マニアだけの狭いフィールドで身内ウケを狙うのではなく、もっと広い世界で大衆に広く知れ渡り、もっともっと金を儲けることこそが、逆説的なイノベイティブじゃないんだろうか―。変容という意味合いでは、マニアと決別して大衆に飛び込むこともまた、ひとつのチャレンジではある。
 そういえばほぼ同時期、YMOも同じようなアプローチだったよな。
シンクロニシティ。


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1. Loving the Alien
 で、その80年代作品を総括したボックス・セットが昨年発売されたのだけど、そのタイトルとなったのがこの曲。ボウイ特有の浮遊感あふれるコードワークに、メランコリックなアルペジオとマリンバを掛け合わせることで、楽曲の存在感が増している。起承転結に捉われないアンサンブルは冗長になってしまうことが多いけど、不思議と7分という長尺を感じさせることがない。突出した楽曲だけに、その後もたびたびライブで披露されている。
 終盤のカルロス・アロマーのブルース・ロックっぽいギター・ソロは、やっぱりスティーヴィー・レイ・ヴォーンに対抗してなのか、迫真のプレイ。

2. Don't Look Down
 オリジナルはイギー・ポップ1979年のアルバム『New Values』収録。彼にしては珍しくストレートなルーツ・レゲエ。イギーのヴァージョンもそうなのかな、と思ってYouTubeで調べて聴いてみたら、思ってた以上にこっちの方がボウイっぽかった。
 さすがに違うアプローチじゃないと単なるパクリになっちゃうから、こうなっちゃたのもわからないではないけど、だったら最初っからこれを選ぶなよ、と言いたい。どうひいき目に見ても、イギーの方がカッコいい。
 
3. God Only Knows
 俺の中での「ちゃんと聴いたことがない名盤」のひとつの筆頭が、『Pet Sounds』。山下達郎が絶賛してライナー書いたから、最初のCD再発の時、めっちゃ期待値上げて聴いてみた。達郎が言うのだから間違いない。そう何度も自分に言い聞かせて聴いてみた。レココレ界隈で評価が高いので、また改めて聴いてみた。でも良さがわからない。いつまで経っても、俺的にはピンと来ない。そんなアルバムが『Pet Sounds』。
 当時は名曲のカバーと知らずに聴いていて、ピンと来なかった。その後、名曲ということを知って改めて聴いているけど、やっぱりピンと来ない。いや、ヴォーカルに力も入ってるし、渾身の力作というのはわかるんだけど…。多分、今後も受け入れることはないだろう。

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4. Tonight
 これもオリジナルはイギー・ポップだけど、作ったのはボウイ。1977年の『Lust for Life』では、この他にも6曲の楽曲提供、プロデュース、キーボードでも参加しており、自分のアルバム並みに入れ込んでいる。何が彼にそうさせたのかは不明だけど、オリジナルはこれまたボウイっぽい。しかも全然レゲエじゃないし。
 ティナ・ターナーがデュエット参加していることが話題になったけど、まぁ正直ただ歌ってるだけ、そこまで爪痕を残しているわけではない。当時、2人ともEMI所属だったから、その流れだろうな。

5. Neighborhood Threat
 こちらも4.同様、『Lush for Life』からのセルフ・カバー。ちなみにイギー、このアルバムではレコーディングに参加しているわけではないのだけど、ボウイの相談相手というか飲み仲間というか、とにかくずっとスタジオに常駐していた。今回、イギーの楽曲を3曲も取り上げたのも、素材が不足してせいもあるけど、当時困窮していたイギーに印税を回すためだった、という説もある。仲良きことは美しきかな。
 ここまでかなり捻じれたアプローチが多かったけど、ここに来て初めてソリッドなロック・スタイルでまとめられており、ボウイのカッコよさが映える仕上がりとなっている。そう、この程度はいつだってやれるのだ、ボウイという人は。

David Bowie and Iggy Pop in the 1970s (3)

6. Blue Jean
 US8位・UK6位を記録、日本でもノエビア化粧品のCMソングとして広く知られており、俺世代の洋楽ライト・ユーザーにとっては、「Let’s Dance」に並ぶ知名度を誇る。大衆的なヒットを記録しただけに、音だけ聴いてると、ほんとチャラくて軽い。時代のあだ花が生んだ泡沫ヒットと言えばそれまでだけど、それでもボウイ、やっつけ仕事とはいえきっちりヴォーカルで細かな技を披露している。
 当時はMTV全盛、この曲もPVが作られており、ジュリアン・テンプル監督による21分の長尺ヴァージョンはさておき、ヘビロテされていた短縮ヴァージョンを見てみると、何かと発見も多い。グラム・ロック期をもう少し薄めたメイクのダンサー・ボウイと、客席の冴えないサラリーマン・ボウイとの二役を演じ分ける、当時としても陳腐な設定なのだけど、彼のダンス・パフォーマンスについ目が行ってしまう。体のキレももちろんだけど、カメラ・ショットを意識した見栄の切り方などは、やはりエンターテイナーとしての旬を感じさせる。どの角度から見てもカッコイイんだもの。




7. Tumble and Twirl
 で、ほぼずっとスタジオで飲んだくれるかダベっていたイギーとの共作、数少ない新曲が、これ。イギーの関与がどこまでだったのかは不明だけど、ちょっとハード目のパワー・ポップとしては出来が良い。シンセによるブラス・セクションも時代性を感じさせるけど、あまりリズム性を感じさせないほかの曲と比べれば、ノリも良くボウイの意図と合ってたんじゃないかと思われる。12インチ・シングルで切れば、それなりの需要はあったと思われ。

8. I Keep Forgettin’
 オリジナルは1962年リリース、R&BシンガーChuck Jacksonによってビルボード最高55位まで上昇したソウル・チューン。ロックにおけるオリジナル信仰に囚われれば、「またカバーばっかり」という結果になっちゃうのだけど、純粋にシンガーとして、『Let’s Dance』大ヒットのご祝儀として、好きな曲を好きなスタイルで歌った結果、と考えれば、気楽で楽しいパーティ・ポップで、そんなに悪いものではない。
 目くじら立ててアラ探しするより、いい楽曲をいいパフォーマンスで聴けたら、それはそれでいいじゃない。

9. Dancing with the Big Boys
 最後はなんか付け足しのような、イギーとのデュエット。愛するイギーに印税で報いたかったのが見え見えな、あんまり中身のないナンバー。開き直って言っちゃえば、「Let’s Dance」の二匹目のドジョウを狙いました的な、そんなリフとコーラスだけでチャチャっとまとめちゃったナンバー。いっそこんなラストじゃなくって、1曲目に入れちゃえばよかったのに。さすがにそこに入れちゃうと、誰も聴いちゃくれないか。



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物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、目をつぶれ- David Bowie 『Let's Dance』

folder 2016年はいわゆる俺世代、45歳以上の音楽好きにとって、思い入れの深いミュージシャンの訃報が相次いだ一年だった。これまでは、ロックの爛熟期である60~70年代に活動していたミュージシャンが主だったけど、近年になってからは、80年代に活動したアーティストらの名も目に付くようになった。
 波乱万丈な生き方や破天荒な言動を良しとされた昔と違って、アルコールやドラッグに溺れて早逝する者は少なくなったのは、まぁいい傾向ではあると思う。もっとライトな薬物が広く浅く蔓延してはいるけれど、出来上がった音楽に大きな影響があるかといえば、そんなのはごく僅かだ。ほんとに好きなアーティストには、できるだけ長く生きててもらいたいしね。
 とは言っても、ほんとかどうかは定かじゃないけど、合法ドラッグの過剰摂取が未だ取り沙汰されているPrinceみたいな人もいるわけだし、公私の区別が曖昧な立場で活動してゆくためには、何かしら依存する対象が必要になるのだろう。それがセックスだったり宗教だったりの場合もあるけど、ファンはただ応援し、見守るしかないというのが正直なところ。
 そんなプレッシャーに晒されているのは、何も彼らだけじゃない。生きていれば、誰だってそんな壁にぶち当たるのだ。

 年頭のBowieに始まり、俺個人的には最も衝撃的だったPrince、この歳になって改めてE,W & Fの魅力を再発見した矢先のMaurice Whiteの訃報。そこまで強い思い入れはなかったけど、Glenn Frey やLeon Russell 、ELPのKeith Emarson とGreg Lakeの相次ぐ死。鉄腕アトムの印象が強い冨田勲に Bernie Worrell、ちょっと色モノ枠のPete Burnes もこの世を去った。
 そして、まるで年末進行に滑り込んだかのような、George Michael とLeonard Cohen、Pierre Barouhの死。
 思い入れの強弱はあるけれど、今後も逝去するアーティストは増えるだろう。世代交代は確実に進んでいる。

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 だからと言って、その彼らが築き上げてきたかつての音楽業界の隆盛を、新たな世代がそのまま引き継げるかといったら、それもちょっと微妙。かつての爛熟期とは状況がまったく違っている。潤沢な予算と時間をかけてアルバムを作り、それを引っさげてツアーに出て認知を広め、多額の販促費をばら撒いてセールスを伸ばす、といったビジネス・モデルは20世紀で終わってしまったのだ。
 音楽業界が活況の時代は、シングル向けのいわゆるキラー・チューンに加えて、あまり出来の良くない曲で埋め合わせ、販売単価の高いアルバムもバンバン売れてたけど、ダウンロード販売がメインに取って代わってからは、そういった抱き合わせ商法も通用しづらくなった。今の抱き合わせは駄曲ではなく、握手券になってしまっている。ましてやメインの曲さえ聴かれることもなく、握手券さえ手に入れてしまったら、大量にブックオフに売られてるし。

 で、Bowie 。
 彼が亡くなってから、一年が経った。正直、訃報を聞くまでは俺、Bowieの作品とはご無沙汰だった。当時の俺のマイブームは、60~70年代のジャズ・ファンクだったのだ。
 年季の入った音楽好きならよくある話だけど、若い頃から聴いてきたロックに飽きが生じるようになって、これまでとは全然別のジャンルにのめり込んでしまう時期が時々訪れる。これまで聴いてきたジャンルから、なるべく遠ざかったモノを求めて聴くようになる。で、また何んかのきっかけによって引き戻され、昔聴いたモノを引っ張り出して聴き直す。違ったジャンルを通過した耳で聴くと、昔よく聴いてた音も、また違った視点で捉えられるようになる。ここ10年は、それの繰り返しだな。
 そんな無限サイクルのギアの入れ替わりのきっかけとなったのが、彼の死だった。

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 10代を80年代ど真ん中で過ごしてきた俺にとって、 Bowieとのファースト・コンタクトは『Let’s Dance』、もっと正確に言えば『戦メリ』である。45歳以上の洋楽好きなら、誰でも通ってきた道である。なので、俺世代共通のBowie像といえば、「美形のマルチ・アーティスト」が最大公約数となる。
 異論はあると思うよ。でも、大ヒットしたタイトル曲と、坂本龍一とのキスシーンのインパクトの前では、すべてが霞んでしまう。

 その異論を唱える側の意見。一般的にアーティスト・パワーのピークとされる70年代を後追いで知った俺達世代、その中でも特にロキノン読者だった者にとってはこのアルバム、ある種の踏み絵的存在でもあった。
 今では面影のかけらもなくなってしまったけど、ベルリン3部作やグラム時代を含む、70年代ロック原理主義を貫いていた80年代のロキノンにおいて、『Let's Dance』は商業主義、無知な大衆に魂を売ったかのような扱いを受けていた。
 俳優活動にも積極的に首を突っ込んでいた時代だったから、そこらのニューロマ系アーティストよりも圧倒的に見映えは良かったし、ネーム・バリューも絶大だったので、表紙やグラビアに起用されることも多かった。ロキノンにとってDavid Bowieは超VIP待遇であり、投稿記事やレビューでも大絶賛されることが多かった。
 しかしこのアルバムを境として、ロキノン内でのBowieの扱いは一変する。ヒット・チャートの音楽を、斜め上の視線から貶すことが良しとされていた、いわゆるオタク文化のハシリ的な時代だったのだ。
 -ロキノンがそう言ってるんだから、やっぱ80年代のBowieはダメなんだナ、と疑いもせず信じ込んでいた10代の俺。
 あぁ、ムダな回り道だったよな、今にして思えば。

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 当時はビジュアル的に同系列、ていうかBowieの表層面だけをリーズナブルに移植した、ニューロマ系の安易なヒット曲と十把一からげにされていたけれど、リリースから四半世紀を過ぎたあたりから、評価は逆転しつつある。時間を置いて先入観抜きで聴いてみると、「Let’s Dance」のイビツさ、時代に消費されることを拒む深層が見えてくる。
 新進気鋭のプロデューサーとしてブイブイ言わしていた鬼才Nile Rogers は、メロディアスな作風とは言い難かった彼の楽曲を、ダンス/ディスコに対応した現在進行形のビートで彩ることによって、ヒット・チャート仕様のモダン・サウンドに翻訳した。Bowieのブラック・ミュージックへの接近は、『Young Americans』でも行なわれたアプローチだったけど、意味合いが微妙に違っている。

 ドラッグで頭のイカれたグラム・ロッカーDavid Bowieが、あくまでロックの文脈で解釈した「まがい物のソウル」、歪んだ主観に基づくキッチュな仕上がりとなった『Young Americans』に対し、『Let’s Dance』ではBowie、あまりサウンド・プロデュース的なことには口を出さず、ほぼNileに投げっぱなし、まな板の鯉である。
 素材としてのDavid Bowieをどこまでコンサバティヴな商品、コンテンポラリーな加工品に仕上げられるのか。当時はすでにヒット請負人的なポジションにあったNileにとって、Bowieとは極上の素材ではあったけれど、これまでの実績を鑑みれば、これまでのオファーとは比較にならないほどの案件であったはず。そこらのポッと出のポップスターとはスケールが違うのだ。

 70年代のBowieは、時代の趨勢を完全に無視するのではなく、横目でメインストリームの動向を伺いながら、常に半歩先・一歩先を読んでリードし、結果的にオピニオン・リーダーとして次世代への道筋をあちこちつけていった。出来不出来はあれど、彼が切り開いていった道筋のあとからは、多くのフォロワーやエピゴーネンが出現した。そこからまた枝分けれや分裂を続け、今もまだBowieの遺伝子は増殖を繰り返している。そのサイクルは無限に続くのだろう。
 70年代に彼が創り出してきたアルバム群は、どれひとつを取っても強力なインパクトを放ち、アルバム単体それぞれがひとつのジャンルと言えるほどのものである。そしてまた、自己複製を潔しとせず、アルバム制作ごとに前回のコンセプトをチャラにして、また新たなコンセプト/キャラクターを創り出し続けた。後ろを振り返らずに走り続けることを自らに課し、周りの空気が澱むその前に、身を翻すことを繰り返したのだ。

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 ただ、そんなトリックスター的な振る舞いにも限界がある。
 彼が主戦場としていた「ロック」というジャンル自体が、80年代に入る頃から自家中毒を起こし、「スタイルとしてのロック」、「取り敢えずロックのサウンドを使ってみました」的な音楽が多くなってきた。コンセプトやらイデオロギーなんかは取り敢えず置いといて、既存のロック・サウンドのフォーマットだけ借用、聴きやすくノリの良い楽曲が売れるようになってきた。
 特にMTVでのヘビロテがヒットのファクターとなった80年代、そんなお手軽なヒット曲のエッセンスとして、Bowieのビジュアル・イメージは格好の素材だった。決して彼のサウンドではない。あくまで、表層的な上澄みの部分だけだ。
 70年代のBowieから漂うアングラなイメージを希釈し、エキセントリックなビジュアルを薄めてスタイリッシュに整えることによって、ニューロマ系のアーティスト達は、Bowieより大きな商業的成功を収めた。

 Bowie自身、前作『Scary Monsters』を区切りとして、「実験」やら「変容」やらに行き詰まりを感じていたのも事実である。本国UKで台頭しつつあったニューウェイブのBowie流解釈として、『Scary Monsters』はそこそこの評価は得たけれど、新旧どっちの世代にも八方美人的にアピールしながらも焦点が定まらない、どこか微妙な仕上がりとなってしまった。それはセールスの行き詰まりとも比例している。
 時代を先読みする独特の視点。そこに衰えはなかったはずである。時代のトレンドの潮流を読みつつ、そのど真ん中に身を置くのではなく、本流よりやや外れたところを先導することが、70年代の彼の美学だったと言える。
 でも、「実験」の「反復」という行為は、イコール「本意」の「実験」ではない。「実験」のネタを探し回るという行為、それは「非」実験的である。

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 ここでシンクロニシティとして挙げられるのが、日本のYMOという存在である。
 活動期間こそBowie より短かったけど、彼らもまた『BGM』『テクノデリック』という、80年代UKニューウェイブのマイルストーン的作品を生み出した後、長い休養に入った。ていうかメンバー3人とも、この時点で散開の意思を固めていた。
 YMOというブランドの中では、もはやカタルシスを得られるほどの音楽的実験/冒険はやり尽くしてしまっていた。後に残るのは過去作の拡大再生産、商業的要請に応じたビジネスライクなバンド運営だけである。
 もはや、何をやってもYMO。
 いくらYMO的なベクトルから外れたことをやろうとしても、それなりに受け入れられてしまい、そして大衆に消費される。歓迎され消費されること、それはもう「実験」ではない。
 じゃあ、要望に応える実験ではなく、もっと斜め上に裏の裏をかいた行為。
 -思いっきり世論に迎合してしまうこと。
 それこそが最大最後の実験であり、批評的な行為である。

 ベストテンに出るYMO。カジュアルなカラー・セーターに身を包み、PVでアイドルを模した振り付けを披露するYMO。ひょうきん族に出演して、不器用な漫才を自虐的に演じるYMO。
 その振る舞いのどれもがちぐはぐで、どこかこっ恥ずかしくぎこちないものではあったけれど、それまで築き上げてきたYMO像を破壊するためには、これくらいの方向転換が必要だった。自ら望んだはずではないのに、勝手に象牙の塔のてっぺんに祭り上げられたYMOを破壊するため、いつの間に自らで築き上げていたカリスマ・イメージをチャラにするためには、荒療治が必要だったのだ。
 彼らもまた、「実験のための実験」という袋小路から抜け出すため、敢えて大衆への迎合というプロセスを通過し、斜め上の音楽ユーザーへ向けて、アッカンベーして強引に幕を引いたのだった。

 YMOとBowie、彼らの大衆迎合路線は、ほぼ時期を共にしている。両者とも、レコード会社からの要請も多少はあっただろうけど、「実験」的な音楽や所作が大好きな音楽ファン、ていうかマニア向けの音楽を演じることに飽きが来ていたことも事実である。
 そんな彼らがこれまで手をつけていなかったのが、敢えて「売れてやる」といった行為であった。
 ほぼ時を同じくして、偶然なのか必然なのか、そんな路線を選んだ両名。
 その自虐的かつコンセプチャルな行動は、自らへ、そして全音楽ファンへ向けた強烈な批評でである。


Let's Dance
Let's Dance
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David Bowie
Virgin Records Us (1999-08-26)
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1. Modern Love
 3枚目のシングル・カットで、US14位UK2位。Bowie曰く、Little Richardを意識して書かれた曲ということだけど、サビのリフからして軽快なタッチで、ストレートなロックンロールにパワー・ステーション謹製ドラム・サウンドがうまく融合している。いまリリースしても、そこそこ売れるんじゃないかというパワーを秘めたオープニング・ナンバー。『Born in the U.S.A.』がリリースされたのはこの2年後だけど、Bruce Springsteenからのインスパイアも感じ取れる一曲。



2. China Girl
 2枚目のシングル・カット。UK2位US10位。一躍ギター・ヒーローとして躍り出たStevie Ray Vaughanがここで登場。ポップな曲調を引き締めるように、簡潔ではあるけれど印象的なソロを披露している。
 昔はこのコントラストが絶妙だよなと思ってたけど、今にして思えばお膳立てしていたのはNileだったわけで。全編で心地よくアクセントをつけているカッティングは、ファンキー過ぎずポップ過ぎず、ちょうどいい頃合い。この辺がバランス感覚だよな。
 もともとはIggy Popのために書き下ろした曲で、そのヴァージョンも『The Idiot』で聴くことができるけど、アレンジの違いで曲調はまったく違って印象。メロディも同じだし、Iggyのヴォーカルも当時のBowieを意識した仕上がりだけど、ダークでパンキッシュなテイスト満載。でもメロディがポップだから、それほどおどろおどろしくは聴こえない。こっちはこっちで良い。



3. Let's Dance
 80年代のダンス・ヒットとしても、そしてBowieの代表曲としても真っ先に挙げられるのがコレ。誰も文句が言えない実績と仕上がりになっている。リリース当時はUS・UKとも1位、そして去年、日本でもラジオでオンエアされまくったため、30年以上経ってからラジオ・チャートで53位にランクインしている。
 印象的なリフとStevieのソロがクローズアップされがちだけど、ここはやはりNileのプロデュース能力の高さの賜物。サックスが入るアウトロ後半の構成はかなりぶっ飛んでるし、アレンジの上物を取り外すと、そこに残るのは何とも地味なメロディ・ライン。そもそもデモ段階ではアシッド・フォークのようだったらしいし。それをここまでブラッシュ・アップしてしまったNileのプロデューシング、そしてサウンドに負けないBowieの力の入ったヴォーカライズ。
 そりゃ売れるよな、パワーが違うもの。



4. Without You
 知らなかったけど、これもシングル・カットされてたんだ。一応、US73位。データを見るとこの『Let’s Dance』、この4.までで4枚のシングルを切っているのだけれど、その間、なんと1年足らず。ほぼアイドル並みのリリース・ペースである。
 80年代のセールス・プロモーションとして、アルバム・セールスの起爆剤として、間髪を入れずシングルを切りまくることが常態化しており、特に80年代前半はその傾向が強い。『Thriller』だって『Synchronicity』だって『Purple Rain』だって、みんな複数枚のシングルを切ることが常識となっていた。それだけシングル・チャートが活気づいていた、すなわちラジオ局がキャスティング・ボードを握っていたことの証でもある。
 
5. Ricochet
 レコードで言えばB面トップ。ちょっと変わった手触りの、逆に言えばBowieらしい変てこなコード進行の変な曲。ある意味、Bowie的には通常運転。後に、同名タイトルの中国公演を収録したビデオもあったけど、未見。そのうち出るのかな

6. Criminal World
 70年代のUKバンドMetro、1977年のデビュー・シングルのカバー。グラム・ロックにカテゴライズされているけれど、サウンドといいアルバム・ジャケットといい、どちらかといえばSparksっぽいイメージの方が伝わりやすい。実際、「盛り上がりに欠けるポップ」といった感じだし。
 BowieヴァージョンはMetroから甘さを抜いてビター感を足し、メランコリックなポップよりソリッドなダンス・チューンに仕上げている。俺はBowieヴァージョンの方が好きかな。

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7. Cat People (Putting Out Fire) 
 『Let’s Dance』とほぼ同時期に公開された映画『Cat People』の主題歌が初出。前年にレコーディングされた映画ヴァージョンは御大Giorgio Moroderがプロデュースを手掛けており、メリハリのある構成は映像映えする。
 対してアルバム・ヴァージョンはStevieのギターも大々的にフィーチャーしてビートを効かし、ロック的な仕上がり。こちらもシアトリカルなテイストに聴こえるのは、生来のBowieが放つアクター性によるものか。

8. Shake It
 ラストはBowieにしては珍しくシンプルな、悪く言えば印象に残らないポップ・ソング。まるで穴埋め的な曲だよな、安直だし。
 考えてみればこのアルバム、バラードらしいバラードがひとっつもない。これまでのBowieの一連のアルバムには、ほぼ必ず名バラードが収録されていたものだけど、ここではウェットなスロー・チューンは排除され、すべてダンス・チューンのみ。潔いほどまでに徹底してるよな。ていうかNile、そんなにバラードって苦手だったっけ?




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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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