好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

殿下、社会人デビュー。 - Prince 『1999』

folder 1982年リリース、オリジナルとしては5枚目、そしてアナログ2枚組の大作。とは言っても、ほとんどの曲が5分以上のロングサイズのため、収録曲は全11曲、曲数だけ見ればシングル・アルバムと大差ない。なので、のちの『Sign of the Times』と比べればカワイイものだし、そのまたあとに『Crystal Ball』や『Emancipation』が控えてることを思えば、怖いものなんて何もない。
 LPと比べて収録時間に余裕があるはずなのに、なぜだか初期の CDでは「D.M.S.R.」だけカットするという、なんだか意味不明の編集が行なわれていたけど、今はオリジナルに準じた形で収録されている。「何でこれだけ削ったんだ」「アーティストの意向を無視したワーナーの横暴だ」など、いまだにファンの間では議論されている。まぁ、思いっきり「SEX!」って連呼してる曲なので、ラジオではかけづらい、っていうのが、ひとつの結論なのかな。

 重くてかさばるし、価格に二の足を踏む2枚組であるにもかかわらず、USでは最高9位まで上昇、なぜかニュージーランドでも6位にチャートインしている。ただ、目立った成績はこれくらいで、他の国だと、それほどの存在感はない。
 『Purple Rain』以降のセールス・アクションと比べると、地味な売り上げである。でも、当時の殿下の知名度はまだ全国区ではなかったため、これでも十分営業予測は超えていたと思われる。たまに総合チャート100位以内に入ることはあったけど、基本はR&B/ソウル・チャートの人という認識だったし。
 殿下ファン御用達のバイブルprincevaultのデータを見てみると、『1999』リリースまでは、アメリカとカナダでしかツアーを行なっていない。81年に入ってから、イギリスやフランスでショウを行なっているけど、いずれも単発の顔見せ興行的なもので、欧州ではまだ無名だったことがわかる。
 なので、当時のPrinceというアーティストの認知度は、ほぼ国内限定、それもソウル/ディスコ方面に明るいユーザー間での人気だった。多少名前が知られていたとしても、それは「すぐ裸になる奴」だとか「エロキモい歌手」といった、音楽的には直接関係ない、スキャンダラス面でのクローズアップだった。

Prince_1999

 で、この『1999』がR&Bチャートの枠を超えて、総合チャートでも好成績をマークしたことによって、ここから音楽的にきちんと認知されるようになる。なるのだけれど、逆説的に言えば、それまではスキャンダラス面ばかりが先行して、音楽面で注目されることは、あんまりなかった、ということでもある。
 すべての楽器演奏とプロデュース、作詞作曲を1人でこなすマルチプレイヤーとしてデビューした殿下だったけど、当時はその才能は発展途上、まだ十分開花しているとは言えず、売り上げとしてはそこそこの成績だった。「みんながおれのれこーどをかう」という、小学生のノートの落書きのようなサクセス・ストーリーは、見事に思惑がはずれてしまう。
 なので殿下、注目を集めるためにビジュアルと歌詞を軌道修正、競争率の少ないエロ路線へ向かう。このジャンルの先駆者であるRick Jamesの手法にならい、殿下もハイレグビキニ姿でシャワーを浴びたり、全裸でペガサスもどきに跨ったり、あれこれいろいろやってみた。いや待てよ、エロい女性との絡みが多かったRickに対し、殿下のアートワークってほぼ自分中心だよな。なんだ、単なる自分の趣味か。
 確かにこの路線によって、Princeというアーティストの存在証明は叶ったけど、そのインパクトはちょっと極端すぎた。殿下が打ち出した「猥雑なナルシシズム」は、ごく一部の熱狂的な信者を生みはしたけれど、多くの一般人にとっては、生理的な拒否感を抱くだけだった。
 タブロイド紙が興味本位で取り上げることはあったけれど、夕食後の一家団欒のテレビで映せるようなキャラではなかったため、幅広い層へのアピールには至らなかった。

_SX522_

 ワーナーとの確執に端を発する破天荒伝説、契約消化を早めるための矢継ぎ早なリリース攻勢など、絶対権力を振りかざす独裁者的なイメージの強い殿下だけど、そういったのはすべて『Purple Rain』以降のエピソードである。彼のオーラが強くなったのは『1999』以降であって、それまでは「イロモノ枠だけど、ジョークが通じないのでいじりづらいファンク・ミュージシャン」に過ぎなかった。
 時代の趨勢として、それまで主流だったファンキー・ディスコから、ソフトなブラコン系バラードに嗜好が移り、殿下のような生々しいファンクは、傍流となっていた。これは殿下に限らず、ファンク・ミュージシャン全般に言えることで、George Clinton もJBも、この時期は不遇を囲っていた。
 正攻法のファンクで勝負しても相手にされないし、かと言って、「アフロでキメてディスコでフィーバー」っていうほど、開き直れるタイプでもない。Marvin Gayeほどのセックス・アピールがあれば、ムーディーなR&B路線もアリだったかもしれないけど、あいにく殿下、「セクシー」の定義が人とちょっと違ってるし。

 殿下が描くサクセス・ストーリーとは裏腹に、ワーナーとしては、第二のRick James的ポジションに導いていこうとしていた節がある。実際、当時は格上だったRickのライブのオープニング・アクトに殿下が起用されたこともあったし、それを彼も好意的に受け入れている。周囲のお膳立てによって、「イロモノ枠」というキャラ付けは定着し、エロ路線によるシングル/アルバムは、R&Bチャートでも好成績を残すようになる。
 ただそれは同時に、総合チャート進出への断念、「みんながおれのれこーどをかう」夢の諦めを意味していた。
 アメリカという国は、我々日本人が思ってる以上に、実は清廉潔白を理想とする国家であり、特にポルノを始めとした猥褻物の取り扱いについては厳格である。エロをメインとした雑誌や映像などが表舞台に出ることはなく、健全な市民の目には入らないよう、巧妙に隔離されている。
 2004年に行なわれたスーパーボウルのハーフタイム・ショウに出演したJanet Jackson は、パフォーマンスに熱が入り過ぎてしまって衣装がズレ、カメラの前で乳首を露出してしまう。世界有数の視聴率を誇るコンテンツで、そのハプニングは大きな波紋を呼び、国をひっくり返すような大騒動に発展した。
 ザックリ言っちゃえば「乳首ポロリ」、昔のアイドル水泳大会だったら「あるある」だけど、時代も違えば視聴者数のスケールも段違い。昔ならPTAがざわつく程度の騒動が、分別ある大人たちを振り回した。それくらい、表向きは取り繕わなければならないのだ。
 その抑圧もあってか、水面下で出回るコンテンツは、ここには書けないドギツイものがあることも、また事実。興味があれば、それは各自勝手に調べてね。
 そんなお国柄もあって、殿下やRick のような、猥褻が服を着て歩いてるような(いやよく脱いでるか)、見た目も歌の中身もエロ全開のアーティストが、お茶の間のテレビに出られるはずもない。MTVだって積極的に流したがらないし。
 なので、一般大衆との乖離は進む一方。そこそこの知名度はあったけど、別枠的な扱いが続いていた。

n_a

 そんなイロモノ枠からの脱却、「みんながおれのれこーどをかう」総合チャートへのステップアップとして、ロック・サウンドへの傾倒は必然だった。
 前述のファンクの衰退によって、ブラック・ミュージックの進化は、足踏みしている状態が続いていた。工業製品のようなディスコやラブ・バラードが切れ目なく量産され、またそれが需要もあったのだけど、どれも70年代からの使い回しであり、目新しいものではなかった。
 80年代に入るとSugarhill GangやGrandmaster Flashらがデビューしており、ヒップホップ・ムーヴメントの萌芽が出てきた頃だけど、この頃はまだサブカル扱い、大きな勢力となるには、Run-DMCの登場を待たなければならなかった。ニューヨークを中心としたローカル・ジャンルの音楽は、殿下の住むミネアポリスまでは届いていなかった。
 いや、多分知ってはいたんだろうけど、まだ主流になるとは思っていなかっただろうし、自分には合わないと思ったんだろうな。真摯なミュージシャンほど、サンプリングやDJプレイには抵抗があった時代だし。後年のラップを聴いても、うまいとは思えないもの。

 ロックやポップのエッセンスを加えたことによって、これまでより間口は広くなり、ここからシングルも総合チャートの上位に入るようになった。エロさはあんまり変わっていないけど、チープなシンセと、ドラム・マシンの軽いビートでコーティングされたファンク・サウンドは、コンテンポラリーな世界への門戸を開いた。
 ここから殿下の快進撃が始まるわけだけど、実はまだ助走に過ぎない。ポップ要素を取り入れたファンクは、それでもまだ胃もたれする程度に重く、グローバルな支持を得るには味が濃すぎた。
 ファンクのマナーでリズムに凝りすぎた分、曲はどうしても長くなる。万人向けにするには、もっとポップやロックのように、単調なリズムにしなければならない。
 『1999』で得た白人音楽のスキルを咀嚼・吸収し、ファンク<ポップというパワー・バランスにシフトしたのが、『Purple Rain』である。



1999
1999
posted with amazlet at 18.03.15
PRINCE
PAISL (1989-10-08)
売り上げランキング: 22,491





1. 1999
 チープなシンセによるリフからスタートの、Jill Jones、Lisa Coleman、Dez Dickersonらとのリレー形式のコール&レスポンスが印象的。バンドとの一体感によるグルーヴ、と言いたいところだけど、当然バックトラックはほぼ殿下によるもの。ヴォーカルが同録なのか別録りなのかは不明だけど、まぁ多分個別にやってるんだろうな、それでいろいろ編集したりして。
 アルバム・リリース後、すぐにシングルカットされ、US総合44位・ダンスチャートでは堂々の1位。世紀末を悲観的に迎えるのではなく、「最後だからパーティやって盛り上がろうぜ」と煽りながら、「でもいつかはみんな死んじゃうのさ」と醒めた視点を入れてくるのは、ちょっとひねてる殿下といったところ。
 ほんとの世紀末になってニューマスター版が作られたけど、あんまり評判は良くなかった。発売当時、アルバム丸ごとニューヴァージョンとアナウンスされて、いわば予告編的な形でシングル・リリースされたけど、その後音沙汰なく、中途半端に終わってしまう。
 「全トラック作ってるはずなのに、勿体ぶってお蔵入りさせた」「大風呂敷広げて1999だけ手をつけたけど、気が変わって計画自体が頓挫した」「いやいや単にワーナーへの当てつけで作っただけだから、これだけで目的は果たしてる」など、様々な風評が流れたけど、真相は不明。どの説も真実と思えてしまうのが、殿下の懐の深さと言える。
 俺的には、6分以降のインチキ・オリエンタルな展開が結構好きだけど。



2. Little Red Corvette
 US総合6位、UKでも最高2位をマークした、殿下の実質的なブレイク曲。ファンク要素はほとんどなく、MTV仕様のポップ・ロックといったサウンドでまとめられており、普通に「1982年のヒット曲」という括りにおいても高いクオリティ。サビをなぞったシンセのリフと、1.でもヴォーカルを披露したDez Dickersonによるギターとのアンサンブルは、耳に残るポップ性。
 殿下が一歩引いて、別のギタリストにソロを弾かせるのはかなり珍しい。よっぽど機嫌が良かったか、うまくハマったんだろうな。Dezによるブルース要素は、その後の殿下のギター・スタイルにも大きく影響を及ぼすことになる。



3. Delirious
 3枚目のシングルカットとして、こちらもUS総合8位にチャートイン。シンセがチープであればあるほど、ファンキーさを増す殿下、ここではその安っぽさがピークを飛び越え、8ビートとワルツのハイブリッド・リズムを発明している。クセになるんだよな、音もリズムも。
 エロい暗喩を巧みに混ぜた、車を舞台装置としたチープなラブソングは、使い捨てヒットには相応しい主題。あまりに出来が良すぎて、代表曲のひとつになっちゃうんだけどね。

4. Let's Pretend We're Married
 シンプルな8ビートが延々続き、シンセ・ベースやシモンズがサウンドを彩る、こちらもポップでキャッチーなサビが耳に残るナンバー。こうして聴いてみると、ファルセットの入れ方がうまいよなぁ、と改めて思う。同時に、ベースが入ってることでドラムが単調になっちゃうんだな、この後、しばらくベースを抜いちゃうのは正解だな、とも。
 こちらもシングルカットされており、US総合52位。ダンスフロア仕様としては、このサイズがいいんだろうけど、シングル/アルバムとしては7分はちょっと長い。ダンス・ミックスでもないし、普通のポップ・ナンバーなんだから、もうちょっと短くしても良かったんじゃないかと思う。まぁ今さらだけど。

5. D.M.S.R. 
 「Dance, Music, Sex, Romance」。本文でもちょっと触れたけど、「CDから外された」というエピソードでかなり損をしている、かなりディープなシンセ・ファンク。シンプルなコール&レスポンスとシンセ、時々カッティング・ギター。余計なものを削ぎ落とした、ワンコードのファンク・ジャムは、殿下の最も得意とするところ。逆にこれこそ、8分では物足りない。レコード片面を埋め尽くすくらいのポテンシャルを秘めた演奏、そして殿下のヴォーカル。

Prince

6. Automatic
 前曲同様、シンセをメインとしたテクノ・ファンク。単純な「Automatic」ではなく、「A・U・T・Omatic」と読ませるところが、殿下独自の言語感覚。こういったのはやっぱり、ファンクの人ならではだよね。4.同様、エクステンデッド・ヴァージョンのように間奏が引き伸ばされてる印象があるので、もうちょっとまとめたエディット・ヴァージョンが欲しいところ。

7. Something in the Water (Does Not Compute) 
 新しいシンセを購入して、いろいろいじってみたらできちゃいました的な、シーケンサーのプリセット・リズムをベースに、あれこれ足してみたナンバー。せっつくようなリズムをバックに、メランコリックなエフェクト、独白するようなヴォーカルの殿下。
 「あいつらが飲んでる水には、何か入ってるに違いない」。
 極端な被害妄想の末、絶叫、感情の爆発。
 4分台にまとめて正解。英語ネイティヴなら、こじれたニートの独白に聴こえるのかね。

8. Free
 ここで直球勝負のファルセット・バラード。元来ロマンチストの殿下、ここではクサさを通り越して崇高ささえ漂わせて自由を謳う。ロックっぽいギターの音色も、ナルシシズムをいい意味で助長する。コーラスのクサさも、ここでは気にならない。
 この感性が、次作タイトル・ナンバーとして結実する。

jpeg

9. Lady Cab Driver
 ほぼリズムとギターだけのスカスカしたバッキングは、『Parade』が好きな人ならがっつりハマってしまう。凝ったドラム・ワークとシンプルなギター・カッティング。スパイスとしてのチープなシンセ・エフェクト。Jill Jonesとの醒めた感じのデュエット。
 「女タクシー・ドライバー」というワードから、ここまでエロい妄想を広げて具現化してしまう、殿下の才能がもっとも全開しているナンバー。間奏の寸劇はまぁいいとして、リズム・ソロ両面のギター・プレイを堪能できる楽曲としても秀逸。

10. All the Critics Love U in New York
 リズム・マシンを回しっぱなしに、終始低いテンションのヴォーカルが続くナンバー。ファンクというよりはテクノ・ポップだよな、これって。『BGM』『テクノデリック』期のYMOっぽい。一緒にやってたらおもしろそうだよな、と一瞬思ったけど、多分ムリだったよな。教授が見下しそうだし、殿下もコミュ症だし。

11. International Lover
 ラストは、ナルシシズム全開ファルセット・バラード。タイトルこそアレだけど、どうしても色眼鏡で見られがちだった殿下のピュアなエモーションが、見事に表現されている。グラミーで最優秀R&Bボーカル・パフォーマンスにノミネートされたのも納得。モノローグはちょっとウザいと思われたんだろうけど、真っ当なブラコン・ナンバーだって、書こうと思えば書けるのだ。






4Ever
4Ever
posted with amazlet at 18.03.15
Warner Bros. (2016-11-25)
売り上げランキング: 8,613

1999 New Master
1999 New Master
posted with amazlet at 18.03.15
Prince
Npg Records (1999-02-02)
売り上げランキング: 251,991

問答無用。とやかく言わせない音楽。 - Stevie Wonder 『Songs in the Key of Life』

folder 1976年リリース、2枚組にもかかわらず、アメリカだけで1000万枚以上を売り上げた、問答無用のモンスター・アルバム。当時の日本でもオリコン40位にチャートインしているくらいだから、その勢いがなかなかのものだったことは想像できる。
 それくらいメジャー過ぎるアルバムなので、ほんとは最初、この次にリリースされた『Journey through the Secret Life of Plants』を取り上げようと思っていたのだけど、やっぱりやめてこっちにした。なぜかといえば…、単純につまんねぇ。
 「最終的に未公開となったドキュメンタリー映画のサウンドトラック」というインフォーメーションから、すごく期待値を下げて聴いてみたのだけど、いやいやこれはちょっと。同じインスト主体なら、変名でリリースした『Alfie』の方が数段マシに思えてしまう。
 Stevieの死生観と人生賛歌が反映された、ニューエイジの先駆け的に、ゆったりマッタリな音世界は、クオリティは高いんだろうけど、楽しめるものではない。一応最後まで聴いてみたけど、正直2度目はないな。
 で、この『Secret Life』、『Key of Life』から3年ぶり、満を持してのニューアルバムということで、モータウン社内は一段と盛り上がった。何しろ前作が未曽有の大ヒットだったものだから、営業サイドも初回プレスを高めに設定、イケイケモード全開でプロモーションを展開しようとした。
 そんな浮かれモードの中でただ1人、完成テイクを聴いた社長Berry Gordyだけは、危険な兆候を感じ取る。即座に営業を呼び出し、プレス枚数を大幅に減らすことを指示した。社長の気まぐれだ何だ、現場サイドはブーブー不満を漏らしたけど、フタを開けてみれば何とやら。アーティスティック寄り過ぎるサウンドはヒット要素に欠けており、メディアのほとんどは微妙な反応、当然、セールスも伸びなかった。
 何しろ2枚組だもの、単純に考えて返品在庫だって倍になるわけだから、販売計画だって慎重にならざるを得ない。リスクを最小限に抑えたという意味で、やっぱりBerry Gordyは辣腕経営者だった、と言える。まぁレコード会社経営なんて、バクチみたいなもんだし。

23aa20ce9ae78294337a25ec44e7eade--music-life-my-music

 Stevie Wonder といえば、「音楽の天才だ」「すごい人だ」というのは、普通の音楽好きの間ではなんとなく通じると思う。じゃあ、「どうゆう風にすごいのか」と聞かれると、帰ってくる答えは千差万別になるはず。
 「幼少の頃から作詞・作曲をこなすマルチプレイヤー」という声もあれば、「70年代ニュー・ソウル・ムーヴメントのオピニオン・リーダーとして、大量のマテリアルを残した」という意見もある。80年代で確立された「愛と平和の人」というイメージもあるし。多分、世間一般ではこの印象が一番強いのかな。
 ただそれって、見た目のアーティスト・イメージであって、アーティスティック面・創作面とは、あんまり関係ない。芸歴も長いから、「何となくすごい人」というのは伝わっているんだけど、「名曲をいっぱい作った人」という認識がほとんどじゃないだろうか。

 テクニカル面でよく語られるのは、ジャズや古いブルースなど、ソウル以外の幅広い音楽的素養、それらを自在に組み合わせた独特のコード進行、そこから派生する天性のリズム感。音楽雑誌でStevieが形容される際の常套句である。間違ってはいない。いないのだけど、曖昧な表現だ。小難しそうに書いちゃうから、本質が伝わってこないのだ。
 もっと砕いて言っちゃえば、要するにこの人の才能とは、「何をどうやっても音楽になってしまう」ということ。
 何の準備も構想もなく、ただピアノの前に座り、適当にコードを押さえてスキャットしても、それがちゃんと形になってしまう。もっとラフなやり方で、手拍子に合わせてフフンとハミング、これでまた一曲。ドレミファソラシドだって、彼の手にかかれば、全然違う色合いになってしまう。チビッ子が書き殴った適当なアルファベットをコード表に見立て、即興でメロディつけちゃうことだって、お手のものだろうし。
 彼が動けばリズムが生まれ、唇が動けばメロディになってしまう。「生きてること即ち音楽」を無意識に体現できてしまうのが、Stevie Wonderのほんとの凄さだ。
 とは言ってもこのメロディ、Stevieが奏でる旋律は彼独自のものであり、簡単に歌いこなせるものではない。行き先不明・自由奔放なメロディラインは、ピッチを合わせることだけで精いっぱい、並のシンガーだったら実力不足が露呈してしまう。そりゃそうだ、作った本人が、整合性なんて考えてないんだから。
 よほど自信のあるシンガーじゃないと手をつけられない、それもまたStevie の生み出す楽曲の凄みである。

91840-eight

 なので、特別本人が意識していなくても、アイディアはどんどん溜まってゆく。スタジオに入っちゃえば、沈思黙考する必要もない。何しろ音さえ出しちゃえば、ほぼそれでいっちょ上がり、ってな具合だし。
 そんな膨大なマテリアルの中から厳選されたいくつが世に出ているわけだけど、当然、1枚のアルバムを仕上げるためには、その何倍にも及ぶ没テイクが存在する。どれを完成品に仕上げてどれをボツにするのか、そのジャッジは当然Stevieが握っているのだけど、その基準は、彼のみぞ知る領域である。
 発表されれば大ヒット間違いなしと思われる名曲だって、アルバム・コンセプトに合わなかったり、はたまたその日の気分次第で、ボツになっている可能性もある。肩慣らし程度のセッションで閃いた魅力的なフレーズだって、「なんか違う」の一言でボツになってるかもしれないし。天才の基準とは、我々庶民とは全然違うモノサシなのだ。
 よほど著作権管理がしっかりしているのか、これまで未発表テイクの流出もほとんどないし、過去のアーカイブのデラックス・エディションも、興味がないみたいである。『Key of Life』のアニバーサリー企画の一環で、欧米で再現ライブが行なわれたけど、お蔵出しを追加した音源リリースはなかったし。
 新曲を作っても、ライブで発表して終わり、アルバムにまとめる気力もなさそうなのが、近年のStevieの状況である。まぁこのご時勢、新曲作ったって売れないしね。

 そんなStevieも、ライティング・ハイのピークにあった70年代は、取り憑かれたようにレコーディングを繰り返していた。閃いたアイディアを、思いついた先から、録って出し録って出し。録音が追いつかないほどの勢いを持ったアイディアの洪水は、『Key of Life』でピークに達する。
 ただここで全部出し切っちゃったのかそろそろ休みたかったのか、プロモーションを終えたStevieは、表舞台から姿を消してしまう。3年のブランクを置いて発表された『Secret Life』は、悟りを開いてしまったかのように禁欲的なサウンドでまとめられていた。確かにクオリティは高いんだろうけど、まぁあとは前述したような具合。その後は「愛と平和」の一直線、強い記名性はキープしながら、幅広い客層に愛されるコンテンポラリーな作風に移行して行く。
 まるでクリエイティヴィティの枯渇を予見していたような、そんな追い立てられる危機感を持ち、先陣を切って音楽シーンを疾走していたのが、70年代のStevie である。

artworks-000033781449-ksq4d9-original

 1973年、『Innervisions』 完成後、Stevie を乗せて運転していた従兄弟の車が交通事故に遭う。重傷を負った彼の容態はかなり深刻で、4日間,生死の境を彷徨うことになる。意識が回復してからも、しばらくは味覚・嗅覚を失い、復帰するまでにはかなりの期間を要した。
 そんな状況の中、次回作『Fulfillingness' First Finale』のリリース・スケジュールは決まっていたため、万全な体調ではなかったにもかかわらず、Stevieは無理を押してスタジオ入りした。幸い、ほんとんどのベーシック・トラックは事故前に完成済みだったので、Stevie の負担は最小限で済んだ。
 3部作の最後を飾った『First Finale』は、前2作『Talking Book』『Innervisions』で顕著だった才気煥発さは薄れ、「Creepin」を代表とした穏やかなバラード中心に構成されている。精神・肉体とも癒しを求めていた、当時の彼の心境が強く反映されている。

 十分な休息を取った後、Stevieは再びレコーディングの現場に復帰する。ライティング・ハイの状態は変わらない。曲はいくらでも湧き出てくる。ただ、生死を彷徨う4日間を境として、彼は明らかに別人となっていた。
 一時的とはいえ、5感のうち3つを失ったことによる喪失感、それに伴う人生観と死生観の変化は、創作スタイルにも大きな変化を及ぼした。
 これまで強力な技術ブレーンとして、3部作の制作に大きく関与したMalcolm CecilとRobert Margouleffとは、契約がらみの問題でパートナーシップを解消していた。どちらにしろ、これまでの濃密なレコーディング作業を経て、Stevie 自身の技術スキルも向上、ほぼエンジニアの助けも借りずに、アナログ・シンセの操作は独りでできるようになっていた。それに加えて、ごく少人数で行なっていた3部作のレコーディングと違って、『Key of Life』に集約された音楽性は、明らかにベクトルが違っていた。

ccs-3-0-38173300-1449779245

 当時の最先端シンセTONTOを中心に構成された3部作でのサウンドは、公民権問題やベトナム戦争など、時代のイノベーターとしての代弁者的役割、社会的弱者への強烈なエールを含んでいた。ほとんど宅録に近いセルフ・レコーディングで生み出された音は、隅々までコントロールされ、入念に研ぎ澄まされていた。
 でもその音は、他人の介在を拒む。自己完結を目指して構築された空間は、それ以上の広がりを見せない。ここで展開されているStevie Wonder ワールドは、突き詰めて考えてゆくと、Stevie個人のエゴに収れんするのだ。
 『Key of Life』レコーディングには、総勢130名以上のミュージシャンが参加している。他者との関わり・多様な解釈を強く求めるため、ほとんどの曲はバンド・スタイルや大人数のコーラスで録音されている。
 モザイク様にからみ合った有機的アンサンブルは、強力なマン・パワーとなってサウンドをブーストする。それをバックに歌うStevie、ヴォーカルからにじみ出てくるのは、神への感謝と未来への希望。そのメッセージはあまりにストレートで力強く、中途半端な揶揄を寄せつけない。

 アーティストがいきなり「生への感謝/神へのリスペクト」なんかを語り始めたら、スピリチュアルにかぶれたか、はたまた日本語ラップにかぶれちゃったんじゃないかと思われがちだけど、ここでのStevie からは、そんな胡散臭さは感じられない。そりゃそうだよな、実際、そんな状況に出くわしちゃったんだから。
 実体験による言葉や行動は、重い説得力を増す。『Key of Life』で奏でられる音から放出されているのは、圧倒的なポジティブ・強い信頼感だ。斜め上から放たれる「すれっからしの皮肉」なんて吹き飛ばしてしまう、強靭な音楽の力、そしてそれを形成するマン・パワー。
 問答無用、とやかく言わせない音楽の誕生である。



Songs in the Key of Life
Songs in the Key of Life
posted with amazlet at 18.03.12
Stevie Wonder
Motown (2000-05-02)
売り上げランキング: 4,382





1. Love's in Need of Love Today 
 邦題「ある愛の伝説」。バックコーラスを含め、演奏はほぼStevieの宅録状態。当時の最先端機材ヤマハGX-1を駆使して創り上げられたサウンドは、無機的な感触はほとんどない。
 2001年に勃発した米国同時多発テロから10日後に行なわれたベネフィット・ショウ『America : A Tribute to Heroes』に出演したStevieは、Take 6をバックコーラスに従えて、この曲をプレイした。普遍性を持つ楽曲は、時代状況を軽く飛び越えて、どの世代にもダイレクトに響く。



2. Have a Talk with God 
 邦題「神とお話」。スピリチュアルというよりはむしろ哲学的対話と言った印象の歌詞。1.に続いて宅録によるスロウ・ファンクは、もはやStevieの十八番といったところで、冷静ながら熱いパッションが込められている。
 リリースされてから30年後、Snoop Doggとのコラボで再注目された。こちらも時代を超えた普遍性を持つ。

3. Village Ghetto Land
 『Innervisions』に入ってても違和感ない、荒廃したゲットーの現状を静かに熱く歌い上げるStevie。シンセ音源によるストリングスの調べが、静かな怒りの序曲として、また鎮める力として作用する。

4. Contusion 
 夕方のFMの天気・交通情報のBGMでよく使われていた、案外耳馴染みの深いインスト・チューン。ギターを弾くのは、前作から参加のMichael Sembello。アルファベットで綴るより、カタカナで「マイケル・センベロ」と書いた方が、通りは良い。
 1983年、映画『Flashdance』挿入曲としてシングルカットされた「マニアック」は、日本でもスマッシュ・ヒットした。なので、アラフィフ世代にとってマイケル・センベロといえば、ギタリストといったイメージがあんまりない。

S00007313

5. Sir Duke
 3枚目のシングルカットながら、US1位・UK2位と大ヒットを記録した、数多いStevieの代表曲の中のひとつ。タイトルにあるように、Duke Ellingtonに捧げられたものだけど、その他にもCount BasieやGlenn Miller、サッチモやElla Fitzgeraldなど、スウィング時代のジャズ・レジェンド達にも敬意を表している。
 4人編成のホーン・セクションをバックに、高らかに謳われるジャズや音楽への憧憬は、Steveの原点であり、バンド・スタイルで演じたのが正解だった。スタジオ内で黙々打ち込みするような楽曲じゃないしね。

6. I Wish
 邦題が「回想」だというのを、実はいまさっき知った。邦題、あったんだ。別に「アイ・ウィッシュ」でいいんじゃね?
 大抵、プログレ界隈でフェンダー・ローズはリード楽器として使用され、幻想的なメロディを奏でたりするムード装置的な役割が強いのだけど、ここではほぼリズム楽器限定で使用されており、その分、冗長さがカットされてソリッドさが強く浮き出ている。
 大人数によって演奏されるStevieのファンクは、汗臭さが感じられないのが特徴。熱さはあるんだけど、どこか覚めている。そこが二流ファンクとの決定的な差でもある。

7. Knocks Me Off My Feet
 再び宅録による、静謐かつエモーショナルなヴォーカルが印象的なバラード。Luther VandrossやJeffrey Osborneなど、いわゆるブラコン系シンガーによってカバーされているけど、仏作って魂入れずっていうのか、雰囲気カバーで終わってしまっている。なので、開き直ってStevieクリソツに仕上げたGeorge Michaelヴァージョンが一番デキが良かったりする。

image-title1

8. Pastime Paradise
 Coolioによる「Gangsta's Paradise」の方が有名になってしまった、こちらもGX-1によるストリングスが強いインパクトを残すゴスペル・バラード。サンプリングし甲斐のあるトラックは、時代を経ても風化なんて関係ない。
 しかしここまでカバーについて書いてきたけど、変な正攻法バラードよりも、ヒップホップ勢による分解・再構築したトラックの方が出来がいいな。変に深読み・咀嚼して完コピするよりも、ノリの良さ優先で勢いで作っちゃった方が、結果的にStevieの本質に近づいている、って感じ。
 ただ、そんな正攻法も変化球も関係なく、我流を突き通して自分のモノにしちゃってるのが、Patti Smith。このオバちゃんでは、Stevieも恐らく歯が立たない。

9. Summer Soft
 序盤は地味なピアノ・バラードだけど、徐々に楽器が増えてバンドのテンションも上がり、カノン進行によるメロディに引っ張られてヴォーカルも力強くなってゆく。Ronnie Fosterによるオルガン・プレイは、多分彼の一世一代の名プレイ。メンバー全員が持てる力を出し切って、Stevieのテンションに必死に追いついている。俺的に、『Key of Life』主要曲以外では、もっとも好きな曲。
『Key of Life』セッションでは終盤でレコーディングされた曲で、ほんとはアルバム収録の予定はなかったのだけど、ギリギリの段階で収録が決まった、というエピソードがある。神様のいたずらによってお蔵入りを免れた、奇跡の楽曲。



10. Ordinary Pain
 LPで言えば1枚目ラスト、前半はStevieヴォーカルによるゆったりしたバラード、後半はなんとMinnie Riperton,、Deniece Williams、Syreeta Wrightら豪華メンツをコーラスに従えて、Shirley Brewerによるゴスペル・タッチのコール&レスポンス。豪華な舞台装置ながら、歌われている内容は痴話喧嘩の罵詈雑言。まぁ何でもアリだよな。

11. Isn't She Lovely
 殺気立った前曲から一転して、愛娘Aishaの声からスタートする、ほんとにラブリーなポップ・チューン。Stevieという人の守備範囲の広さがあらわれている。
 Stevieの強い意向により、なぜかアメリカではシングルカットされておらず、よって目立ったチャート・アクションは残していないのだけど、間奏のハーモニカ、フェンダー・ローズによる柔らかなリズム、そしてAishaを囲んだ家族の笑い声。「愛と平和の人」Stevieといえば、この曲を挙げる人も多い。午後ティーのCMソングとしてもお馴染み。


12. Joy Inside My Tears
 ほぼ独りでレコーディングしたバラードだけど、何か1.と曲調が似てるので、あんまり印象に残らない。膨大な没テイクを押しのけてこの曲が残ったのだろうけど、もっと残すべき曲、あったんじゃない?

stevie2

13. Black Man
 タイトル通り、長い間、迫害され続けてきた黒人の地位向上と、人種を超えた融和を訴えた、攻撃的なファンク・チューン。アクティヴな時は、フェンダー・ローズを使うことが多いStevie。メロディ主体はGX-1と使い分けてるんだな。
 この曲でよく論議されてるのが、8分超という長さ。Stevieのヴォーカル・パートは5分程度までで、その後、舞台は学校(?)へ移り、女性教師が「世界で初めて信号機とガス・マスクを発明したのは?」、生徒の子供たちが大きな声で「Garret Morgan!黒人!」とコール&レスポンス・スタイルで応える、というのが延々と続く。取り上げられるのは黒人に限らず、白人やネイティヴ・アメリカン、日本人も含まれており、人種の垣根をぶち壊したいStevieの主張が色濃く反映されている。
 長いっちゃ長いんだけど、前半のファンキー・スタイル/後半のラップ・パート、というスタイルは、同じ手法を繰り返すことを潔しとしない、イノベイターStevieとしての矜持が刻まれている。

14. Ngiculela - Es Una Historia - I Am Singing 
 使用楽器に「Koto synthesizer」と表記されている、オリエンタル調のバラード。日本人からすると、とても琴には聴こえない「なんちゃって琴」的音色なのだけど、当時の日本に抱くイメージってこんなもんだったろうし、充分通じたのかな。他にもアフリカン・タッチのパーカッションも入っており、クレジットを見ると大勢のミュージシャンが参加しているのだけど、あんまり目立っていない。もっとミックスのバランス考えればいいのに、と余計な心配までしてしまう。別な見方だと、贅沢な使い方とも言える。

STEVIE-WONDER-244

15. If It's Magic
 ハープをフィーチャーした、ほぼStevie独りによるバラード。何となくハープの音色から着想を得たような曲で、それ以上の面白さはあんまりない。この程度のバラードなら、いくらでも作れそう。

16. As
 前曲の凡庸さから一転して、ここから怒涛の名曲連チャンモードに突入。スペシャル・ゲストのHerbie Hancockによるフェンダー・ローズは、要所を抑えたファンキーなプレイ。厚みのあるゴスペル・コーラスは、どっしりサウンドを支える。後半になってフィーチャーされるDean Parksによるギター・プレイもスパイス的な効果で曲を締める。
 マザー・アース的な主張が色濃い歌詞は、深読みすれば果てしない。終盤に近づくほどハイテンションになるヴォーカルと対照的に、支えるバッキングはクレバーなリズムを刻む。そのコントラストがメッセージを浮き立たせる。
 またGeorge Michaelだけど、Mary J Bligeと組んで秀逸なカバーを残している。「またGeorgeかよ」って言わないで。だってうまいし、味もあるんだもの。



17. Another Star 
 アルバム本編ラストを飾る、8分に及ぶトラック。サンバのリズムを基調としながら、ヒヤリとした感触があるのはなぜなのか。大規模なホーンセクションとコーラス、アフリカン・リズムによるアクセントは、ダンス・チューンとしてはすごく秀逸であるはずなのに。これも深堀りしてゆくと、底に見えるのは孤高の天才の諦念だ。
 レアグルーヴではお馴染み、Bobbi Humphreyによるフルート・プレイが少しだけ聴ける。

18. Saturn 
 スペーシーなシンセの音色は、ちょっぴりプログレ風味。あんまりソウルっぽさは感じられない、ちょっと実験的なトラックとも言える。だから番外編なのかな。「僕は土星へ帰るのさ」というメランコリックな歌詞がスピリチュアルだけど、そこはあまり深く突っ込まず、「ちょっとプログレしてみました」的に生温かな目で見てあげた方がいいと思う。

93030686

19. Ebony Eyes 
 ラグタイム風の気軽なセッション、と言いたいところだけど、これもドラム後録りなんだな。このアルバム、そんな疑似セッション的な曲がとても多い。これも多分、トークボックスで遊んでみたかったのか、ほぼワンコード・ワンアイディアで作っている。
 まぁ番外編だから、ということで入れたんだろうけど、これよりもっといい曲がボツになったことを思うと、何だか悲しくなる。

20. All Day Sucker 
 ちょっと「Superstition」の続編っぽさも感じられる、凝った構成のファンク・チューン。こういったワンコードの曲だったら、そりゃいくらでも作れるんだろうけど、どうしても似通っちゃうんで、没になる確率も高いんだろうな。Princeだってそうだもの、アウトテイクにコッテコテのファンク・チューンが腐るほどあるんだけど、オフィシャルではなかなか出てこなかったし。

21. Easy Goin' Evening
 エピローグ的なインスト・バラード。ハーモニカの調べは眠気を誘い、そして静かな終幕の時へ。






スティービー・ワンダー メイキングオブキーオブライフ  [DVD]
日本コロムビア (2002-12-11)
売り上げランキング: 153,289

スーパー・ベスト
スーパー・ベスト
posted with amazlet at 18.03.12
Universal Music LLC (2016-07-20)
売り上げランキング: 12,727

「これからはやりたい事をやる」(ずっとやっとるがな) - 大沢誉志幸 『Life』

512d9flL7KL ここ日本ではエキセントリックすぎて、メジャーにはなれなかったクラウディ・スカイ解散後、ソロ・デビュー前の大沢は、もっぱら職業作家として活動していた。当時の彼はナベプロに所属していたため、同じ事務所であるアン・ルイスや沢田研二、吉川晃司や山下久美子からの作曲依頼が多かった。
 この時点では、まだソニーとのアーティスト契約前であり、ソングライターとしてもナベプロ専属というわけではなかった。なので、言っちゃえば試用期間、いつ切られるかわからない中途半端な立場である。
 ここで何らかの実績、手っ取り早く言えばシングル・ヒットを出さなければ、単なるお抱え作曲家で終わってしまう可能性もあった。なので大沢、ナベプロからのオファーだけでなく、所属事務所・レコード会社の垣根を超えて、ジャンルを問わずやたらめったら、あらゆるオファーを受けている。ビートたけしにも書いてたんだな。

 ジュリーのシングルで「おまえにチェックイン」「晴れのちBLUE BOY」が採用されたのを取っ掛かりに、各方面へデモ・テープを送りまくり、楽曲コンペに参戦したりして、徐々に実績を積み上げてゆく。そんな地道な努力が実って大ヒットとなったのが、中森明菜「1/2の神話」。「少女A」の後だったから、相当の激戦だったと思われる。
 松田聖子を頂点とする、いわゆる「可愛い子ちゃんアイドル」のアンチテーゼとして、山口百恵に続く「ちょっと影のある大人びた少女」を踏襲したのが、明菜だった。「少女A」に続く、ファズ・ギターをメインとしたハードな曲調は、混戦状態だった82年組女性アイドルの中で、強烈なインパクトを残した。
 打率も高いし従来の歌謡曲っぽくない、それでいてクライアントのオーダーから大きく逸脱しない大沢の楽曲は、業界内でも評判を呼び、さらにオファーが途切れず続くことになる。で、並行して制作していた自身のデモ・テープがエピックの目に留まり、めでたくソロ・デビューに至った、という次第。

cc1204a473824ac89cba16cdc684718c

 70年代歌謡界では絶対王者だった筒美京平の勢いは、80年代に入ってからも衰えていなかったけど、その王道からちょっとズレたところを狙う新勢力が現れたのが、80年代である。既存の歌謡曲の定石に収まらない、フォーク/ニューミュージック界からの人材流入は、この辺りから本格的に始まっている。
 それ以前にも、アイドルからの脱皮を図っていた山口百恵が、谷村新司やさだまさしなど、すでに実績のあるアーティストを起用していた例もあった。ただ、実績の少ない成長株、言っちゃえばどこの馬の骨とも知れない新人を起用する例は、70年代は少なかった。
 そんな中、楽曲のクオリティ優先でネーム・バリューにこだわらず、独自の審美眼で若手アーティストを登用していたのが、ソロ・デビュー後のジュリーである。まだCMソングでしか実績のなかった大滝詠一を始めとして、その後も伊藤銀次や佐野元春、そして大沢など、「ジュリーに曲を書いた」というバックボーンでもって頭角を現わしてきた者は数多い。
 新人アーティストの登竜門として、歌謡界への楽曲提供が多くなってきたのが、80年代であり、そのメソッドは80年代ソニー隆盛の伏線となる。

 で、大沢、80年代という時節柄、ニューウェイヴ・テイストのパンク/ロックをイメージとしたオファーが多かった。デビュー以降も、ソウル/ファンクの影響が色濃いサウンドを前面に押し出していたため、リズムやビート感を強調したアレンジの楽曲が多い。なので、実は彼の特性のひとつである、メロディ・ラインの卓越さは見過ごされがちである。
 例を挙げると、ファンから名曲との誉れ高いビートたけしに書いた「BIGな気分で唄わせろ」。導入部が情緒的なバラード、そこからBruce Springsteenを想わせる疾走感あふれるロックに転換する構造は、片手間でできるものではない。本職のシンガーではないたけしに合わせて、声域やピッチも狭く設定し、歌いやすいメロデイになっている。それでいてカッコいい仕上がりなんだよな。
 ファンクやR&Bの文脈だけで捉えられがちな80年代の大沢だけど、学生時代からプロになる前までの膨大な音楽体験、Dylan からOtis Redding に至る、ジャンルレスな幅広い雑食性が、彼のバイタリティーあふれるメロディの源泉となっている。

DF171214-014

 豊潤な音楽体験のバックボーンを持つ大沢のメロディは、時に破壊的になるほどテンションが高く、そして時に、ロマンティックな旋律を奏でる。
 いくら天性のひらめきがあろうとも、長年培った蓄積には敵わない。思いつきのメロディは、時に強い求心力を生むこともあるけど、同じレベルを続けて作れるわけではない。コンスタントに高レベルの作品を作り続けるためには、膨大な音楽体験に基づく学習が必要なのだ。
 -「万人向け」のヒット曲という制約の中、時々顔を見せる「暴力性とアバンギャルド」。
 大沢が単なるヒットメイカーで終わらなかったのは、彼のそんな両極性が拮抗しながら共存していたからである。

 当時のナベプロは吉川晃司イチオシで、大沢はほぼ野放し状態だった。なので、予算も大してかけられず、プロモーションもささやかなものだった。
 3枚目のアルバム『Confusion』レコーディングで、ニューヨークのスタジオでの作業中、「吉川に投資しちゃって予算ないから、その辺でレコーディング切り上げて帰ってこい」という事務所からの指示があった。とはいえ作業も大詰めに入っていたし、それに加えて鼻っ柱の強い性分も手伝って、大沢は自分のディールを削って作業続行した、というエピソードがある。ひでぇ扱いだよな、これって。
 当時の吉川といえば、デビューにあたってナベプロが社運を賭けて主演映画制作、しかも3部作という力の入れよう。かたや当時の大沢といえば、まだセールス実績もない自由契約選手的な扱い。立場が違いすぎて、妬むこともできないわな、こりゃ。

_SX522_

 「何やってんだかわかんない奴」キャラとして、ナベプロ内でレッテル張りされていた大沢だったけど、その『Confusion』収録の「そして僕は途方に暮れる」がカップヌードルのCMソングに採用され、ソロでは初のヒットを記録する。当初は鈴木ヒロミツのオファーを受けて書いたけど、長い間陽の目を見ず、その後もあらゆるシンガーにタライ回しにされ、それでも世に出ることがなかったため、「エェイじゃ俺が歌うわ」的ないきさつでレコーディングされた、考えてみると何かと曰く付きの楽曲である。
 強烈な映像イメージと紐づけされる、シンプルに配置された言葉たち。その行間に込められた、感情の微細な揺れとのコントラストを刹那的に定着させた先駆者と言えるのが、歌詞を書いた銀色夏生。ランダムに配置された散文的なキャッチフレーズは、起承転結を軸とした従来のストーリー展開ではないため、構文的には破綻している。
 数は少ないけれど歌詞も手掛ける大沢だと、多様な解釈を孕んだその世界観に理解はあっただろうけど、すでに自分なりのメソッドを確立した専業シンガーにとって、シュールな銀色の歌詞は、自身の解釈を挟み込む余地が少ないため、抵抗があったんじゃないかと想像する。
 「ちょっと変わっててイイね」と思ってもらえるんならまだしも、「なに言ってんだかワカンねぇ」と拒絶するシンガーもいただろうし。
 鈴木ヒロミツなら言いそうだよな。

 で、『Life』。
 シングル・ヒットを出したことによって、音楽的にもナベプロ内的にもポジションを確立した大沢だけど、そうなったらなったで、ナベプロが敷いたレールから外れたくなるのが、この人の特性である。普通なら、そのままポジション・キープのため、同路線を推し進めるところだけど、そっちの道は選ばなかった大沢。二番煎じの無限ループという「守り」ではなく、「ヒットしたんだから、もう好きにやってもいいでしょ」と言い放って、別のアプローチへ進む道を選んだ。でも兄さん、これまでだって好き放題・やりたい放題やっとるがな。
 「急激に増えたファンの篩い落としを行なった」とコメントしているように、『Life』では、歌謡曲テイストのキャッチーなメロディは封印されている。正直、どの曲にも口ずさみやすそうなフレーズはない。

d331fe5b-fd02-479d-b142-48447765d57a

 『Life』のベーシック・トラックは、「汗臭くないロック」として定評のあったニューウェイヴ・バンド「ピンク」のメンバーを中心に、倉庫を改造したスタジオを使用、ライブ形式で録音された。そのマテリアルを素材として、さらにスタジオであれこれ加工する、手の込んだ方式で製作されているため、これまでのアルバムに比べると、バンド・アンサンブルを重視したサウンドになっている。これまでシーケンス中心だったリズム・トラックは生演奏にシフトされ、手練れのプレイヤーによるジャストなリズムに加え、セッションから誘発されたグルーヴ感が詰め込まれている。

 大まかな流れだけ決めといて、バンド・マジックによるサプライズを引き出したセッションと、MIDI機材を駆使してデスクトップ上で行なわれるDTMレコーディングは、相反するものと思われがちだけど、突き詰めて行くと、本質は同じものだ。
 レコーディング中のコンポーザーの脳内では、無数のヴァーチャル・セッションが行なわれ、そこからさらに収受選択と順列組み合わせがフル回転する。まだおぼろげなイメージをオペレーターに伝え、音やリズム・パターンを作ってもらう。時には自ら機材を操り、試行錯誤しながら理想の音を探し出す。理想の音とはちょっと違うけど、偶然できたマテリアルから、新たなインスピレーションが生まれることだってある。予想の範囲外から生まれた着想は、新たなアイディアとして、さらに広がりを見せる。
 理想のサウンドを構築するためのツールとして捉えると、人力によるバンド・アンサンブルも、モニター上でプログラムされる打ち込みサウンドも、プロセスは違うけれど、着地点は同じである。
 その2つのメソッドのハイブリッドが、『Life』という作品として結実している。



LIFE
LIFE
posted with amazlet at 18.02.27
大沢誉志幸
エピックレコードジャパン (1993-10-01)
売り上げランキング: 546,034





1. I'm not living (But) I'm not dying
 イントロのキッチュな音色のキーボードはホッピー神山。この頃から「変な音」担当として、存在感を出しており、同じく「変なサウンド」探究者である大沢とはウマが合ったことを象徴している。
 基本サウンドはこれまで培ったデジタルファンクを生のグルーヴに移植した形だけど、これがまたうまくハマっている。ホーンも入れたライブ録音主体のトラックは、もはや日本のファンを視野に入れておらず、海外でも通用する演奏クオリティとして成立している。
 このアルバムから銀色とのコラボは解消しているのだけど、確かにここまでダイレクトにリズム主体になると、あのシュール性は合わないわな。



2. Planet love
 シンセに川島裕二が参加。この辺は前回レビューした太田裕美とメンツがかぶっている。デジタル系は当時、ピンク周辺のミュージシャンが一手に引き受けていた。マリンバっぽいDX7の音色が郷愁を誘う。45歳以上にはリアルに響く、まったりしたシンセの旋律。
 大沢の一面であるメロディアスな特性がうまく発揮された、ミディアム・スロウを引き立てているのは、サックスの矢口博康。この人の音色はデジタルとも相性が良くて、引っ張りだこだったことを思い出す。


3. Blue-Break-Blue
 オーソドックスなピアノ・バラードにアクセントをつけているのは、エスニック・テイストを醸し出すポリリズミックなシーケンス・ドラム。大沢自身による内省的な歌詞は、銀色のような映像的イマジネーションこそ薄いけど、ライブ感覚に即したパッションを込めやすい言葉選びとなっている。

4. ジェランディア (願望国)
 これまでになかったソフト・タッチ、ていうか穏やかなポップ・テイストでまとめられた、隠れた人気曲。軽やかなスカ・ビートを軸に、ハープシコードやオルガン、さらには子供のコーラスまで入れてしまうという、ある意味、これまでの大沢ファンの予想を最も裏切った、とんでもない斜め上のナンバー。
 ねじれたストリングス・アレンジを展開する中西俊博との手合わせは、いい意味での他流試合。2人とも真剣に、そして楽しみながらのセッション。

DMZOid3W0AAHkrW

5. 雨のecho
 で、これなんかは従来のファンへのサービス的な、最も当時のパブリック・イメージに近いファンク・ナンバー。

 1人じゃ寂しすぎる 2人じゃ傷つきすぎる
 変わらないこの部屋に 雨音が響いている

 前のめりのヴォーカルに引っ張られる鉄壁のリズム・セクション、そこに絡む矢口のサックス・ソロ。元倉庫という広めのスタジオを使用した効果もあって、ドラムの音も奥行きと深みがあり、この時期の録音としては高クオリティ。シモンズのペラペラ・ビートも、あれはあれでいいんだけど、こういった大人数セッションには合わない。

6. ガラスの部屋
 ギター弾き語りをベースとした、直球バラード。ただ一筋縄では行かないのが、ブロウしまくる矢口サックス。切々と語るバラードの世界を打ち破る豪快な音色は、サザンの「メロディ」でも発揮された。そういえば時期的にも近い。

7. クロール
 レコード版は6曲入りのミニ・アルバム編成となっており、ここから2曲はCDのみ収録のボーナス・トラック扱いだった。でも俺はCDプレーヤー持ってたし、三ツ矢サイダーのCMとしてテレビでも流れていたので、よく耳にした覚えはある。
 夏を想起させる涼しげなシンセの響きは、やっぱりシングルを意識してたんだろうな。ただ大沢のハスキーな声は、あんまり夏向きじゃない。心なしか爽やかさとは別のベクトルを指向してるみたいだし。
 このアルバムでは唯一、銀色夏生による作詞。百人百様の解釈と比喩を含んだ「クロール」。肉体性と理性とが交差するイマジネーション、意味と無意味のシャッフルは、シンガーを困惑させる。大沢=銀色コラボレーションの終焉を決定づけた楽曲でもある。

_SY355_

8. Time passes slowly
 ラストはボーナス・トラックらしく、趣味性の強い洋楽カバーで。そんな風に思ってたのか、意表を突いたBob Dylanのカバー。いくらなんでも裏の裏をかき過ぎてる。原曲は『New Morning』という、これまたDylanの中でも地味なアルバムからの選曲。よくこんな選曲、ディレクターも許したよな。
 簡素でのどかなカントリー・ロックといった風情のオリジナルに対し、ここでは極端の向こうを行った大胆な解釈、ソリッドなファンク・ロックでまとめている。どっちのファンもビックリするだろうな、ここまで改変しちゃうと。4.で起用した子供合唱団も入ってるし。
 ジャズやファンクのセッションでよくある、原曲のテーマだけ合わせておいて、あとはそれぞれの解釈でアドリブやインプロビゼーションを詰め込んでいったらこうなっちゃった的な、カオスではあるけれど、恐ろしく高い熱量と疾走感が真空パックされている。
「薄っぺらい」と揶揄されがちな80年代サウンドだけど、MIDIに完全移行する前のフィジカル・プレイによる名演が残っているのも、この時代の特徴である。この後のバンド・ブームによって、それもだいぶ少なくなっちゃうんだけど。








TraXX -Yoshiyuki Ohsawa Single Collection-
大澤誉志幸
ソニー・ミュージックダイレクト (2010-04-21)
売り上げランキング: 53,170

FRENZY/FRENZY2
FRENZY/FRENZY2
posted with amazlet at 18.02.27
大沢誉志幸
ソニー・ミュージックダイレクト (2013-11-27)
売り上げランキング: 156,369


カテゴリ
北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
QRコード
QRコード
最新コメント

音楽 ブログランキングへ


にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村




アクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: