好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

中島みゆき 『生きていてもいいですか』

folder 1980年リリース、みゆきにとって7枚目のオリジナル・アルバム。なんとオリコン最高1位をマークしており、年間チャートでも堂々17位にランクインしている。
 ついに来た。みゆきの数々のアルバムの中でも異彩を放つ、ポッカリと空いた深淵の暗黒。フォーク歌謡的なサウンドからの脱却を図ったご乱心時代の作品も、ファンの間では何かと物議を醸してはいたけど、『生きていてもいいですか』においては、その物議を醸したレベルが段違い。
 フォーク/ニューミュージック全盛の折、みゆきに限らず、山崎ハコや森田童子など、いわゆる陰鬱系のシンガー・ソングライターは数多く存在していた。いたのだけれど、このアルバムで吐露されている「救いのない漆黒の情念」、その後も長らく「根暗」のみゆきを語る際の代名詞として決定づけられたインパクトの強さなど、他のアーティストらの追随を許さぬ孤高のポジションを確立している。

 楽曲詳細は後述するとして、ここで取り上げたいのは、アルバムの曲順・構成について。
 もともとこのアルバム、『親愛なる者へ』に続くオリジナル・アルバムとして制作が進められていたのだけど、ある時点からレコーディング作業が膠着状態となっていた。「当時のみゆきのメンタル面がやや不安定だった」ということが、後になって伝えられている。その原因として、プライベートでの恋愛関係の拗れやらもつれやら、はたまたもっと広範な対人関係についてなど、いろいろな説がささやかれているけれど、真相はみゆき自身の胸のうちにある。なので真偽は不明。
 ただ、リリース・スケジュールはすでに決まっていたため、その対応策としてセルフカバー・アルバム『おかえりなさい』が急遽準備された、というのは前回のレビューで述べた通り。

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 ここから察するに、遅延の要因として2つが考えられる。
 ① アルバム制作に足りるほどの楽曲が準備できなかった。曲数不足。
 ② 素材は揃っているけど、アルバム・コンセプトとのすり合わせが難航した。
 ①については、ちょっと考えづらい。これまでのレビューでも書いているけど、みゆきは特にこの時期、何度か訪れている創作力のピークに達しており、他アーティストへの楽曲提供も盛んに行なっている。なので、スランプに陥って書けなくなった、というのは考えづらい。前述の傷心によって、メンタル面での不安はあったのかもしれないけど、それをまた糧として新たな方向性の歌を書き上げてしまうのも、みゆきの特質である。
 なので②、「コンセプトが定まらなかった」、「テーマが右往左往してしまった」というのが、最も理にかなっているんじゃないかと思われる。

 レコードで聴いてみればはっきりするのだけど、A面とB面とでは明らかにテイストが違っている。もちろん1枚のアルバムにまとめられているだけあって、全体的に落ち着いたトーンではあるのだけど、陰鬱とした無常観で統一されているB面と違って、A面は一曲単体で完結している、いわば小品集的な構成になっている。
 「うらみ・ます」以外のA面曲は、以前のどのアルバムにも入れても違和感ないテーマ、従来の歌謡フォーク的なテイストでまとめられている。なので、B面と比較して、そこまでドン底の暗さというわけではない。もし全体をB面のテイストでまとめていたら、セールス的には大きく惨敗していたんじゃないかと思われる。大部分のみゆきファンは、第2第3の「わかれうた」を求めていたのだから。

 多分このアルバム、A面・B面はそれぞれ別々のセッションで製作されており、これもまた推測だけど、『おかえりなさい』レコーディングによって『生きていてもいいですか』セッションは中断を挟んでいる。そんな経緯もあって、両面のコンセプトがはっきり分かれている。
 詳細なセッション・データが公表されていないため、オフィシャルで公開されている情報を頼りにすると、大半のキーボードをプレイしているのが西本明。当時は主に浜田省吾のバンドで弾いており、その後は佐野元春や尾崎豊など、ソニー系のソロ・アーティストを中心にバッキングしている。
 で、もう1人クレジットされているのが田代真紀子。この時期のみゆきレコーディング・セッションでは常連だったギタリスト矢島賢とのちに結婚、今も矢嶋マキ名義で現役活動中のキーボーディストである。彼女がクレジットされている楽曲はB面に集中しており、このことからセッションが複数回に分けて行なわれたことが推測できる。

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 どちらのセッションが先だったのか、そこまでは調査が追い付かなかったけど、微妙にコンセプトの違うセッションを、どちらかのトーンに統一させようとしたのか、はたまた別々のアルバムとして製作しようとしたのか。それとももっと潔く、どちらかのセッションをお蔵入りにする予定だったのか。どちらにせよ、その方向性に逡巡していたことは、作業遅延から察せられる。
 「どのミュージシャンより、みゆきとの作業が最も緊張する」とコメントを残している後藤次利の尽力によって、どうにかサウンド的/音響的には統一されてはいる。いるのだけれど、特に神経すり減らしたんだろうな、このレコーディングで。

 ただ、このアルバムの中でも鬼っ子的存在である「うらみ・ます」。この曲だけは、練り上げられたアルバム構成やサウンド・メイキングなんて小細工とは、無縁のところで鳴っている。どちらのセッションからも明らかに浮いており、ていうかオフィシャル公開されるレベルを越えている。あまりに内省的/プライベート過ぎるので、ほんとは世に出しちゃいけない楽曲なのだ。「うらみ・ます」だけは、あらゆる批評やら賞賛やら酷評やらを全否定する、極個人的なところで鳴っている。
 鬱屈した暗黒の底から漏れ出る嗚咽は、みゆきにとっての「たった一人の誰か」に向けて放たれたものなのだろう。でも、それがほんとにその「誰か」に向けて届くのか。また届いたのか。
 外部に放たれた時点で、その歌はもう、自分のものではなくなる。それは聴いた者に共有され、共感を呼び、そして公共のものとなる。自分、または「たった一人の誰か」だけのものではなくなってしまうのだ。
 でもそんなこと、みゆきが最もよくわかっていたはずだ。

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 別にリリースしなくても良かったのかもしれない。あまりに個人的な言葉たちは、あまりにアクが強すぎる。
 でもみゆきは『生きていてもいいですか』にこの曲を入れた。しかも冒頭に。
 穏やかな叙情性さえ感じさせるA面とも、そして傷つき打ちひしがれたB面とも相容れない、独自の強い毒素は安易な同化を拒否している。だからこそ、リード・トラックにしかハマる場所はなかった。そこまでしてでも、みゆきはこれを世に出さなければならなかったのだ。
 その切迫感は、「アーティストとしての業」なんて浮ついた発露ではない。そこに刻まれているのは、極めて個人的な嗚咽だ。アルバムのトータリティを無視してまで、「うらみ・ます」は世に吐き出さざるを得ない楽曲だった。

 『生きていてもいいですか』リリース後、みゆきは体調を崩し、恒例となった春のツアーをすべてキャンセルすることになる。
 「あの時、無理を推してやってたら、惰性でやる感じになってしまうのが許せなかったからやめた」とは本人の弁。それほど、このアルバムが難産だったことを窺わせるコメントである。当時の記事もいくつか調べてみたのだけど、要は人前に出られる精神状態ではなかったのだろう。
 しばしの休養を経てシーンに復帰したみゆき、ここで憑き物が落ちたかのように、新たな方向性を模索するようになる。ご乱心時代というさらなる混迷と出会うことも知らずに。


生きていてもいいですか
中島みゆき
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1. うらみ・ます
 イコールみゆきの代名詞となった、オールド・ファンには今をもって、リリース当時の衝撃が語り継がれている問題作。前述したように、これまでみゆきの楽曲に興味がなかった者さえ、強引に振り向かせてしまうインパクトを有している。のっけから鳴き声交じりの嗚咽だもの。
 それまで「恨み節」やら「女の情念」やらを意識的に取り上げてきたみゆきだったけど、婉曲的な表現や比喩を巧みに駆使して、マスに届くようなテクニック・技巧を経験則に基づいて成長させていた。主に歌謡曲畑の楽曲提供者が歌いやすいよう、節回しに気を配り、状況設定も細やかで映像的だった。そういったOJT的な修練が営業努力として実り、徐々にセールスを積み上げてきたのだ。
 そんなこれまでの積み立てをチャラにして、リアルを超えて生々しい感情を剥き出しにしちゃったのが「うらみ・ます」とB面曲。負の要素のみを選んで組み上げられた言葉の羅列は、いまも燦然と漆黒の光を放つ。
 ほぼ一発録りのスタジオ・ライブでレコーディングされているため、ピッチがずれていたりブレスの乱れも見受けられる。テクニカル面だけで見れば、ヴォーカルの完成度は低い。ラストの絶叫は嗚咽交じりで、聴き手側にも相応の体力が要求される。
 でも、それがどうしたというのだ。音程がどうしたブレスがどうの、そんな低次元で語られる楽曲ではないのだ。ここで吐き出される言葉は直截的で、あらゆる解釈を無にしてしまう。

 うらみます あんたのことを 死ぬまで

 歌の中の女は、軽い気持ちで弄んだ男を心底恨む。震え声で奏でられる旋律は行き場を失い、最後に漆黒の闇に飲み込まれる。
 ただ「恨む」という感情は、即ち愛情の裏返しでもある。恨みはするけれど、嫌いになったのではない。遊ばれていたことを最後まで気づかず、どこか浮かれていた自分を呪うのだ。いや途中から、または最初から分かっていたのかもしれない。でも浮かれ気分に酔いしれる自分を抑えきれなかったのだ。
 心底嫌いになったのなら、思い出すことすら嫌悪するはずなのに。
 なのにみゆき、自身の命をすり減らしてまで、男のことを思い焦がれる。
 そんなことはわかっている。わかってはいるのだけれど、でも気づきたくないのだ。

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2. 泣きたい夜に
 本文でも書いたように、ここからはもう少し穏やかなナンバーが続く。最初か最後にしか居場所のない「うらみ・ます」を抜きにして考えると、実質上これがA面トップと捉えてよいのかもしれない。でも曲調としては地味だよな。やっぱ2曲目で正解か。
 繊細なメロディを奏でるピアノと軽やかなマンドリンとのアンサンブルは、荒涼とした冒頭のムードを一掃する。研ナオコにハマりそうな歌謡曲セオリーのベタなメロディは、初期のどのアルバムに入れても遜色ないくらい、互換性が高い。後半に入ってから徐々に盛り上がるバンド・セットも、ブルース・タッチのヴォーカルとの相性は抜群。いやほんと研ナオコだよな、これって。
 でも肝心の、主役みゆきの声が暗い影を落とす。いつものアルバムならもっとアッケラカンと歌うところを、ここでは負のオーラが澱のように底で淀んでいる。「うらみ・ます」でのあからさまな世界的憎悪は、ここでも深く影を落としている。

 泣きたい夜にひとりはいけない

 そういたわってくれる「誰か」を欲するみゆき。でも、そんな「誰か」とはもう縁を切ってしまった。「子供の頃に好きだった歌を歌ってくれる」誰かもいない。
 そんな「誰か」なんていない。そんなことはわかっていながら、でもみゆきは丁寧に歌う。その声は、すでに泣き疲れてひどくしゃがれている。

3. キツネ狩りの歌
 能天気なピッコロ・トランペットによって奏でられるファンファーレ。2.まで余韻として残っていた「うらみ・ます」の重い空気を吹き飛ばす、みゆき風大人のお伽話。でも、歌われている内容は皮肉めいた暗喩に満ちており、どこか奇妙な明暗を落とす。
 軽快なアルペジオによる爽やかな叙情派フォーク・サウンドは、このアルバムの流れでは躁病的に映る。なので、A面はノン・コンセプトの小品集なのだ。
 昔聴いた時は、単なる寓話として受け止めていたけど、後になって、様々な暗喩を含んだ解釈を知るようになった。最終的な部分は結局、人それぞれになってしまうけど、大方の意見のように、70年代過激派の醜い内ゲバを描いたというのが、俺的には納得の落としどころ。

 キツネ狩りにゆくなら 気をつけておゆきよ
 ねえ グラスあげているのがキツネだったりするから ねえ

 志を共にした仲間であるはずなのに、実はスパイが紛れ込んでいることを知ってからは、互いに疑心暗鬼になり、みんながみんな、素知らぬ顔で互いの腹の内を探っている。そんなトラジコメディを冷笑多めに描いている。
 同じ情景を感傷的に歌ったのが「時代」であり、さらに直接的に切り込んだのが「世情」。何年もして回顧的に振り返ったのが「ローリング」と、みゆきにとっては時々思い出したかのように取り上げられる永遠のテーマでもある。
 ある意味、深刻なメッセージを込めた楽曲であるはずなのに、そんな周囲の小難しい解釈を笑い飛ばすかのように、夜会ではコーラス2名にピンクのウサギのぬいぐるみを着せ、キュートな振り付けを添えて歌詞そのまんま楽しげに歌わせてしまう。まるで深読みし過ぎて斜め上を見た評論家連中をあざ笑うかのように。

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4. 蕎麦屋
 もはや一心同体と言っても大げさじゃないくらい長い付き合いとなった、フォトグラファー田村仁とのとある日をモチーフに書き上げた、シンプルなアコギ弾き語りで紡がれる純正フォーク・ナンバー。みゆきのことだから多少の脚色はあれど、特別核となる出来事もなく、飾り立てもない日常。何てことのない蕎麦屋での会話が、素朴に訥々と語られる。

 あのね、わかんない奴もいるさって
 あんまり突然云うから 泣きたくなるんだ

 男と女の間に真の友情が成立するのかどうか、それを考えるとちょっと長いのでちょっと置いとくとして、この一節で、この距離感を活写できたのは、表現者としてピークにあったみゆきの観察眼の鋭さによるものが大きい。
 古い言葉で言えば「友達以上恋人未満」なのだけど、それともまたニュアンスが違う。少なくとも、両者の間に恋愛感情は介在していない。もしそれがあったのなら、そっと肩を抱いたり手を添えたりするのが自然だろうから。そういった距離感とは別のところで、この蕎麦屋的世界観は成立している。
 ―別に、どうしても蕎麦が食いたかったわけじゃない。ただ何となく、顔を合わせる理由が蕎麦屋だった、というだけだ。ほら、とんがらしかけ過ぎだってば。
 同じ友情でも、これが女同士だったらまた違ってくる。男との距離感が2次元的、対等な平面での位置関係だったとしたら、女性の場合は3次元、上下での位置関係が生まれてくる。
 「共感」の姿勢で向き合いながら、あれこれ根掘り葉掘り聞き出して、そして別れてから独り、ひそかにほくそ笑む。舌の根も乾かぬうち、他の女との話のネタにしたり、今だったらラインで拡散したりして。下に見ることによって、「共感」は「憐憫」や「嘲笑」に姿を変える。なので、女性同士の友情も同様、定義しづらいのだ。
 腹を割って話そうにも、言葉が見つからない。無理やり聞き出すつもりもない。どうせ口から出るのは、取りとめのないグチばかり。
 そんなことはわかってる。わかっているからなおさら、言葉は必要なくなる。ただ黙々と蕎麦をすすり、時々思い出したようなあいつのバカ話。それだけでいいのだ。
 ここまでがレコードではA面。B面で展開される世界観は、様相がガラッと変わる。

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5. 船を出すのなら9月
 様々な解釈を孕む、暗示めいた韻文が執拗に繰り返される。船がどこへ向かうのか、そして夏の終わりに何があったのか。明言されているものは何もない。初期のみゆきの楽曲の中では、「世情」と匹敵するほど難解で形而上学的な歌詞は、様々な解釈を産む。
 適わなかった恋は宙ぶらりんとなり、届くはずもない想いが綴られる。
 ―もうすべては終わってしまった。
 その声が誰にも届かなかったとして、でも、そんなことはもうどうでもよいのだろう。やるせない無常観は、みゆきの声を神経質に震わせる。
 この言葉たちはじっくり練り上げられたものなのか、それとも衝動的に趣くまま吐き出されたものなのか。いずれにせよ、ここで紡がれる言葉の重みは、気軽に聴き流されることを頑なに拒否している。「聴くなら真剣に向き合え」と。
 その言葉の求心力は、サウンドにも及んでいる。A面までは比較的、シンプルなフォーク寄りのアレンジだったのが、ここでは歌詞のバイアスに負けないハード・サウンドで飾り立てられている。時代性から鑑みて、Journeyをモチーフとしたアメリカン・ハード・プログレ的なアンサンブルが、打ちひしがれたみゆきのヴォーカルを盛り立てている。それくらい徹底しないことには、この言霊をねじ伏せることはできない。
 投げやりな喪失感から逃れるように、船は港を出る準備を始めている。それは9月。
 でも、ほんとに船は港を出るのか。そして、みゆき自身がそこまで待てるのか。
 もしかすると、そこまで躰が持たないかもしれない。

6. エレーン
 後藤次利作によるインタールードを経て紡がれる、ゆったりした4ビート。はっきりしたモデルを明らかにしないみゆきとしては珍しく、実在した人物にまつわる実際に起きた事件をモチーフに描かれている。後にみゆき執筆による短編集『女歌』でも、彼女のことは再度取り上げており、モチーフ以上の強いインスパイアを受けたことが窺える。
 当時、みゆきは生活の拠点をまだ札幌に置いており、仕事のたびに上京するというサイクルを繰り返していた。東京はあくまで仕事を行なう場所であって、そこで日常を営むことは考えになかったのだろう。そんな行ったり来たりがルーティンとなっていたみゆき、東京での定宿としていたホテルで起こった殺人事件を、傍観者を超えた立場から活写している。
 
 エレーン 生きていてもいいですかと 誰も問いたい
 エレーン その答を誰もが知ってるから 誰も問えない

 アルバムの主題であり、表現者としての業が吐き出した言葉。
 「うらみ・ます」は印象としてはネガティヴではあるけれど、「うらみます あんたのことを 死ぬまで」と、棄てられた男への負の情念が、皮肉にも生き続ける原動力となっていた。どんな理由であれ、「捨てきれない情」はマイナスのオーラへと昇華して、強いパワーをもたらす。ただここでは、そんな負の力は下向きへ作用する。だって、もう終わってしまっているのだから。
 蔑まれる生業につき、陰ながら人に嘲笑される生活。それは亡くなった後も変わらない。たかが1人、出稼ぎの娼婦が亡くなっただけじゃないか。誰も悲しまない、ほとんどの人は知ることもない、そんな都会の片隅で起こった小さなざわめき。
 ほぼ顔見知り程度だったはずのエレーン。みゆきの人生にとって、彼女は特別重要な存在ではなかったはずだ。多分、それは今でも変わらない。変わらないのだけど。
 ひとつ道を踏み外せば、誰もがみな、彼女の生き方をなぞったかもしれない。たまたま自分は日本人で、そして運が良いことに表現者となったけれど、人生なんてどうなるかわかったものじゃない。
 人に伝える術を持たない、名前さえほんとかどうか定かではない異国の女性に、どこに生きる希望があるというのか。

 けれど どんな噂より
 けれど お前のどんなつくり笑いより、私は
 笑わずにはいられない 淋しさだけは 真実だったと思う

 淋しげな横顔だけが真実だなんて、あまりにも無情すぎる。
 そして、ふと気づく。わたし自身にとっても、ここは異国だ、と。

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7. 異国
 そう、エレーンは明らかに異国の民であったけれど、みゆき自身もまた、どこにも居場所がないことに気づいたのだった。自分を受け入れる者がいなければ、そこは誰にとっても異国だ。
 誰でもよいわけではない。みゆきが渇望しているのは、「たったひとりの誰か」なのだ。その「誰か」から拒まれ、時を同じくして、顔見知りの外国人娼婦が不本意な形でこの世を去る。マイナスのシンクロニシティが一気にみゆきに降りかかり、そして―。
 アイデンティティの崩壊は、みゆきの暴走という形を取って、作品として結実した。
 人生をゼロサム的思考で例えると、この時期のみゆきは大幅なマイナスである。ただしこの時期を含めた80年代初頭の作品は、どれも鋭い刃のごとき切れ味を持っている。表現者としてアーティストとしては、大幅な飛躍をなし得たのも、この時期である。
 いいこともあれば、悪いことだってある。そう思い込んで、人はみな飲み込みながら生きている。そんなことはわかっている。頭ではわかっているのだけれど、納得はできない。理屈ではねじ伏せられない、情念はここでも燻り続ける。
 ―あいつに拒絶されたら、どこに行けばいい?
 「人生」に拒絶されたエレーンは、異議申し立てする機会すら与えられず、不遇の死を遂げた。わざわざ日本に来たりせず、自国でゆったり過ごしていられればよかったのに。でも、エレーンもまた「くにはどこかと」自問し続けた。いわば、私だってエレーンと同族だ。人生に拒否されるのも、あいつに拒否されるのも、いまの私にとっては等価だ。
 「まだありません」と俯きながら、みゆきは探し続ける。異国ではない、ほんとの死に場所を。でも、そんな所はどこにだってないのだ。
 数多いみゆきのレパートリーの中では数少ない、いまだステージで披露されたことのない楽曲である。当時のみゆきにとってはあまりに重すぎる命題だったし、今のみゆきにとっても、歌う情景が思い浮かばない。
 いつか歌う日が来るのだろうか。その日が来るのを待つのは、あまりに酷だろうか。


中島みゆき・21世紀ベストセレクション『前途』
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「何でもアリ」だった頃のアシッド・ジャズ - Brand New Heavies『Heavy Rhyme Experience Vol. 1』

folder ― アシッド・ジャズ(acid jazz)は、1980年代にイギリスのクラブ・シーンから派生したジャズの文化。ジャズ・ファンクやソウル・ジャズ等の影響を受けた音楽のジャンル。

 Wikiではこのように定義されているアシッド・ジャズ。以前レビューしたWorking Weekを基点として、20年代のスイング・ジャズから70年代のジャズ・ファンクまでを網羅、その他にもラテンにボサノヴァ、カリプソやソウル、ファンクやラップ、ヒップホップまで、要は「踊れるか・踊れないか」というシンプルな基準でもって貪欲に吸収。さらにクラブ・ユース仕様と記録メディアの販売促進を見据えて、ソウルフルなヴォーカルを載っける、という定義が確立したのが90年代。
 なので、非常にアーバンでトレンディでソフィスティケイトされたジャンルに思われるけど、根っこはひどく雑食性、「何でもアリ」の音楽である。

 そもそものルーツであるWorking Week自体が、80年代初頭のUKニューウェイヴ出身だったため、当初はクラブ・シーンを主体とした現場感覚バリバリの音楽であり、DJ文化との相互作用もあって、純粋なライブ音楽としての需要がメインだった。CDなどの記録メディアで堪能するモノではなかったのだ。
 それが80年代末に入ってから、UKグラウンド・ビートを「発明」したSoul Ⅱ Soulの登場によって、一気に流れが変わる。いまだアシッド・ジャズ界の親玉として君臨するカリスマDJ Gilles Petersonが設立したレーベルTalkin' Loudから、Incognito やGallianoらがデビュー、本格的なアシッド・ジャズ・ムーヴメントを巻き起こすに至る。

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 その後は日本発のKyoto Jazz Massiveやモンド・グロッソ、60年代モッズ的なイメージ戦略を打ち出したCoduroyなど、多種多様なアーティストがわんさか登場してきたけど、一般的にイメージされている「アシッド・ジャズ」とはIncognito的、「ちょっぴりダンス寄りビートのアーバンR&B」といった認識である。その後の二番煎じ・三番煎じ的に登場したユニットは、ほぼ彼らが創り出したフォーマットを踏襲している。
 そんな中、声質的にはソウルっぽさの薄いJay Kayをメイン・ヴォーカルに据えたJamiroquiは、フォーマットを基準とすれば異端に思われるけど、彼がデビューしたての90年代初頭は、一緒くたにアシッド・ジャズと言っても百花繚乱、70年代ニュー・ソウルっぽさを特質とした彼らもまた、冒頭の定義に沿えば充分アシッド・ジャズのアーティストである。
 今ではすっかりジャンルに収まらないポジションを確立してしまった彼らだけど、そういったバイタリティをも広くカバーしていたのが、初期のアシッド・ジャズであり、「何でもアリ」という本来の意義に沿うと、本質をしっかり捉えていたのは彼らだったということになる。

 Marvin GayeやIsaac Hayesらからインスパイアされた、繊細かつダンサブルなグラウンド・ビートを載せることで、一気にシーンを席巻したのがJamiroqui だとすると、さらにメロウR&Bの要素を付加したのが、『Brother Sister』以降のBrand New HeaviesでありIncognito。勃興期は他のアーティストとの差別化として、様々なアイディアや新たな発想がボコボコ生まれていたのだけど、シーンの安定化と共にクリエイティヴ性が失われてゆく。
 ブーム末期のプログレやハードコア・パンクが次第に様式美化してゆくのと同じ途を辿るかのように、アシッド・ジャズもまた、どれを聴いても大差ない、ごく平均的なサウンドへと収束してゆく。
 Maysa LeakやN'Dea Davenportらをメインに据えたヴォーカル & インストゥルメンタル路線も多様性のひとつに過ぎなかったはず。第一Brand New Heavies自体、UK版デビュー・アルバムはヴォーカル無しのオール・インストだったし。その他にもシーン全体が、DJカルチャーの影響によって、様々な音楽性を内包していたはずなのに。
 どこでどう、袋小路にはまり込んでしまったのか。

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 クラブ・ミュージックという大枠で捉えられるアシッド・ジャズは、もともとじっくり腰を据えて鑑賞する類の音楽ではない。「聴く」というよりは「感じる」、言ってしまえば、ダラダラ酒でも飲みながら、ユラユラ体を任せて聴く音楽である。海外なら、これにドラッグ・カルチャーが絡んでくるのかな。
 他のダンス・ミュージック同様、いわゆるムード音楽/環境音楽としてのリスニング・スタイルが主だったため、トレンドの消費サイクルの早さに追いつけなかったこと、また、時代の徒花的な有象無象のユニットの乱立によって、永続的なクオリティ維持が図られなかったことが、アシッド・ジャズの悲劇だったわけで。

 多くのユニットでイニシアチブを握っていたのが、プレイヤーではなくコンポーザーが多かったことも、ブーム終焉を速めた要因のひとつである。
 一般的なロック/ポピュラー・グループと違って、フィジカルな演奏者より、DTMを主体としたトラックメイカー、もしくはレア物掘りに執心したビニール・ジャンキー上がりのDJがシーンを牽引していたのだけど、市場シェアが大きくなるのと比例して、徐々に現場との乖離が大きくなる。市場原理に基づいた、最大公約数的なフォーマット「無難なアーバンR&B」の乱立が、急激なマンネリ化を招いた。要は飽きられてしまったのだ。
 マンネリ化を招いたのは一部クリエイターの責任もあるけれど、そもそもクラブ・シーン自体が急速なペースでアップデートを繰り返す空間であり、消費し尽くすことは、むしろ善である。クリエイトし尽くした後は、新たなアプローチを探すなり、または見つければよいのであって、しがみつくことは逆に「ダッセェ」と受け取られる。
 なので、優秀なクリエイターはブームの終焉を待つことなく、とっととテクノやレイブ、ゴアトランスなど、とっくの昔に最新トレンドの二歩先・三歩先へと鞍替えしてしまった。じゃないと生き残れないものね、あの人たちって。

 常に最先端のサウンドを追い求める層は、どの時代においても一定数は確実に存在する。けれど、皆が皆、トレンドばっかりを追いかけているわけではない。マスの大多数は音楽に対してそこまで深入りしてはいない。むしろ良いコンテンツは比較的後世にも残る場合が多い。
 アクティブなダンス・ミュージックとしてではなく、例えばフュージョン~AORのような機能的なドライブ・ミュージックとして、アシッド・ジャズのエッセンスは連綿と生き残っている。もしかして日本だけなのかもしれないけど、週末の夕方や平日深夜のFMなど、彼らのオンエア率は一時、かなりの高率をマークしていた。
 ま、たまたまFMを聴くことが多いのがその時間帯だった、という俺の主観ではあるけどね。

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 前述の「メロウなR&B」といったアシッド・ジャズ特性を持つBrand New Heaviesだけど、Incognitoと比べるとダンス・シーンとの親和性が高く、いわゆるバラード系よりも横揺れ16ビートの使用率が高い。本人たちはそこまで意識していないかもしれないけど、結果的に市場ニーズに基づいた彼らのサウンドは、静・動併せ持つあらゆるシーンにおいて活用できる。汎用性高いんだよな。
 オール・インストとなったデビュー作は、そこそこの評価を得た。通好み仕様としてあまり多くは広まらず、かといって惨敗するまでもなく。最初にしては堅実な成績だった。
 普通なら、インスト・サウンドの完成を目指すべく、深化という名の自己増殖を繰り返すものだけど、プレイヤビリティの強い彼らは、そこから別の深化を志すようになる。
 現在のR&B的アシッド・ジャズのセオリーから一旦外れて、ガチのヒップホップやラガマフィンを貪欲に取り込む実験作となったのが、この『Heavy Rhyme Experience Vol. 1』。vol.2も製作する予定だったらしいけど、いつまで経ってもリリースはおろか制作状況すら伝わって来ず、結局、だいぶ経ってからリリースされたVol.1のデラックス・エディションで、この件は終いになったっぽい。

 いわゆるアシッド.・ジャズ「っぽい」音楽ではなく、彼らのディスコグラフィの中では実験作的なポジションなので、あんまり売れなかったのかなと思いきや、チャート上ではそこそこの成績を残している。当時はこういったサウンドも「アリ」とジャッジされていたのだ。ちょっとうるさ型の評論家やマニア筋からは、絶大な評判だった。
 だったのだけど、せっかくのブームの真っ只中に便乗しない手はなく、さらなる拡販策を講ずるため、彼らは方向修正を余儀なくされる。
 世間のニーズが一般的に認知された「アシッド・ジャズ」セオリーに則ったサウンドにあったため、またヴォーカルを含めたバンド・アンサンブルへの興味もあったため、ソウルフルな歌姫N'Dea Davenportを召還、次作『Brother Sister』で本格的な世界的ブレイクを果たす。
 ただこれが売れに売れてしまったがため、彼らのアーティスト・イメージが固定されてしまったことが、逆に彼らの迷走に拍車をかけてしまったわけで。

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 脱・アシッド・ジャズなのか脱・N'Deaだったのかは不明だけど、その後の彼らはアルバム毎に女性ヴォーカルを入れ替えて『Brother Sister』越えを模索する。するのだけれど、ワンショット参加だったはずのN'Deaが残したインパクトは予想以上に大きく、また新メンバーとの相性もなかなか折り合いが合わなかったため、試行錯誤を繰り返すことになる。しばらくの間、オリジナル・リリースは散発的、空白の期間はレーベル主導による大量のベストやリミックス・アルバムでお茶を濁すことになる。オリジナル:非オリジナルの対比は、まるでジミヘンを思い起させるほどのアンバランスさである。
 良く言えばレーベルの不断の努力の甲斐もあって、シーンからの完全撤退は免れてはいたけど、近年になるまでユニットとしての活動は不安定だった。
 2013年『Forword』にて、久し振りにN'Deaとのコラボが復活した。双方ともこれまで何かといろいろあったけど、年月を経て色んなわだかまりが解けたのだろうと思われる。

 日本では何となく地味なポジションになってしまったBrand New Heavies。でも未だ前向きな姿勢を忘れていないBrand New Heavies。そんな彼らが2015年にリリースしたレイテスト・アルバムは、なんとここに来て、デビュー以来のオール・インスト。開き直ってアーバンR&Bに復帰したと思ったら、またここで原点回帰である。
 守りに入ることを拒み、前のめりで進むことを選択した彼ら、そのルーツとなったのがヒップさを強調した粋なデビュー作であり、そしてプログレッシヴ・ヒップホップ・アシッド・ジャズとも称される『Heavy Rhyme Experience Vol. 1』である。長いな、こりゃ。たった今、思いつきで書いちゃったけど。

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1. Bonafied Funk (featuring Main Source)
 90年代初頭に活動していた、アメリカ/カナダの混成ヒップホップ・グループとのコラボ。リーダーのLarge Professorはその後、ソロと並行してプロデューサーとしても活躍している。とは言っても俺、そっち方面の知識はほとんどないので、いま必死こいて調べている。これまで手掛けたリストは長大にのぼり、さすがに俺も名前くらいは知っているNASにも深く関わっていたらしい。

Large_Professor

2. It's Gettin' Hectic (featuring Gang Starr)
 21世紀に入るまで長きに渡って活動していた、NY出身のヒップホップ・ユニット。メンバーのDJ Premier、これも名前だけは知ってる。この人もプロデューサー/コンポーザーとして多くのアーティストとコラボしており、あくまで俺が知ってるところでは、前述のNASを始めとして、D'Angelo、Dr. Dre、Mos Def など、有名どころからはほぼお声がかかっている。近年もChristina AguileraやKanye Westなどジャンルを飛び越えた活動も展開しており、なかなか衰えを知らぬところ。
 生演奏とヒップホップとのミックスはBeckも先駆けて行なっていたけど、バンド・アンサンブルを巧みに織り交ぜてる面において、グルーヴ感としてはこちらの方が上。

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3. Who Makes the Loot? (featuring Grand Puba)
 オールドスクール時代から活動しているラッパーで、近年も肩の力の抜けたグルーヴィー・ソウルなソロ・アルバムをリリースするなど、精力的に活動中。ちらっと視聴してみたけど、ヒップホップ・アレルギーのある俺でも聴きやすいテイストでまとめられている。
 その力の抜け方は昔も今も変わらず、ここでも脱力系ラップを披露。

4. Wake Me When I'm Dead (featuring Masta Ace)
 NY出身の伝説的グループJuice Crew出身で、その後、ソロに転身したMasta Ace。軽快なラガマフィン調のフロウに疾走感があって、これもロック/ファンク好きのユーザーとは相性が良い。この人もそうだけど、みんな今に至るまでコンスタントに活動続けてるんだな。

5. Jump 'n' Move (featuring Jamalski)
 このアルバムの中では最もキャッチーで親しみやすいトラック。ラップ本来のライムの連射が聴いてて気持ちいい。ラップはほんと全然知らないけど、こういう人が俗に言う「上手いラッパー」なんだろうな。ほんとは全然違うのかもしれないけど、俺はそんな気がする。



6. Death Threat (featuring Kool G. Rap)
 そうか、バック・トラックのエッジが立ってるから、どのライムも数段上手く聴こえるのか。どんなに上手くトラックをつないでも、やはりフィジカルな演奏には敵わない。多分にジャジー・ラップに理解のあるキャラクターを中心に人選しているのだろうけど、ヒップホップの方へと歩み寄った整然としたアンサンブルは、簡単に構築できるものではない。
 ソロのPVを見ると、典型的なギャングスタ・ラップなので、やはり俺には興味の薄い世界。でもここではその悪童振りもバンド・サウンドに圧倒されている。

7. State of Yo (featuring Black Sheep)
 活動休止と再始動を繰り返しながら、時々思い出したように活動しているNY出身のヒップホップ・デュオ。ちなみにラッパーDresの息子がHonor Titusで、彼もまたミュージシャン。でも何故だかやってるのはハードコア・パンク。なんだそりゃ。
 単調なギター・リフはともかくとして、ラップ自体は取り立てて面白くはない。ロックの耳ではちょっと難しいのかな。

8. Do Whatta I Gotta Do (featuring Ed O.G.)
 キャリアとしてはレジェンド級のラッパーなのだけど、考えてみればこのアルバムのリリースが92年、Run-D.M.C.のブレイクが86年なので、この時点ではみんなまだ大御所感もなく、ちょっと若手の中堅どころといったポジションなのだった。そう考えると、こういったサウンドをも取り込もうとしていたBrand New Heaviesの先見性が窺える。ただちょっと早すぎたし、アシッド・ジャズの客層にはフィットしなかったんだけどね。

9. Whatgabouthat (featuring Tiger)
 さすがにほとんど予備知識のない状態で書いてるので、「Tiger」だけじゃどんなアーティストなのか、さっぱり調べがつかなかった。Youtubeに転がっていた静止画によって風貌がわかったけど、う~ん胡散臭い。

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10. Soul Flower (featuring The Pharcyde)
 ラストは大団円、パーティ・トラックっぽいハッピー・チューン。なんとなくリップスライムっぽいところも日本人ウケしそう。マシンガン・トークを思わせる高速ラップはクドさがなく、しかも程よいチャラさがあるので俺的には好み。すっごい遅ればせながらだけど、これはちゃんと聴いてみようかな。「Passin' Me By」も良かったしね。





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電気を使って何が悪い? - Miles Davis『Miles in the Sky』

folder 前回取り上げたGainsbourgが、「晩年のレコーディングはほぼ若手に投げっぱなしだった」と書いたけど、ジャズの場合はそれどころじゃないくらい、もっとアバウトだった。簡単なコード進行とアドリブの順番、テーマのフレーズを決めてチョコッと音合わせすると、もうとっとと本番である。何テイクか録ってしまえばハイ終了、その場でギャラを受け取って解散である。
 場合によっては、レギュラー・バンドに匿名のゲストが参加する場合がある。お呼ばれしたはいいけど、契約の関係で大っぴらに名前が出せず、適当なニックネームにしたりなんかして。実質、リーダーシップを奮ったレコーディングにもかかわらず、これまた契約のしがらみでメイン・クレジットにすると何かと面倒なため、苦肉の策で他メンバー名義のリーダー・アルバムとしてリリースしたりなんかして。そんな経緯を経て世に出してみたところ、思いのほか好評だった挙句、遂には稀代の名盤として後世に伝わってしまったのが『Somethin' Else』。

 60年代半ばくらいまでのジャズ/ポピュラーのレコーディングといえば、大部分が一発録り、個別パートごとのレコーディングは技術的に難しかった。ほんの少しのミス・トーン/ミス・タッチですべてがオジャン、最初からやり直しになってしまうため、現場の緊張感はハンパないものだった。
 今のように安易にリテイクできる環境ではなかったため、当時のミュージシャンは「失敗しない」高い演奏レベルが求められた。当然、そんな迫真のプレイを記録するエンジニアも、下手こいたら袋叩きに合っても文句が言えず、自然と技術スキルが向上していった。マイクの立て方や位置、針飛び寸前まで上げるピーク・レベルの調整具合など、ちょっとした加減ひとつで仕上がりが変わってしまうため、こちらもシビアにならざるを得なかった。
 60年代後半から、マルチ・トラックによるレコーディングが大きな革命をもたらし、パートごとのリテイクやダビング、ベスト・テイクの切り貼りといった新技術が出てくるようになる。楽器や機材の進歩によって、ミュージシャンの表現力の幅も広がってゆくのと同様、エンジニア側も録音機材の技術革新によって、単なるオペレーターにとどまらず、アーティスティックな視点によるレコーディングを志すようになる。

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 作詞作曲を行なうコンポーザーがイニシアチブを執るロックやポップスと違って、ジャズの場合、プレイヤーが楽曲の出来を大きく左右する。楽譜で細かく指定された他のポピュラー音楽と比べて、アドリブやインタープレイなどの不確定要素がかなりの割合を占めているため、テイクごとに演奏内容が全然違ってしまう場合も多々ある。ただ違っているだけではなく、没テイクと判断されたモノでさえ、のちに発掘されて名プレイ扱いされてしまうケースが多いのも、ジャズというジャンル固有の特徴である。
 そんな未使用テイクの需要が多いのもジャズ・ファンの大きな特徴で、やたら詳細な演奏データや未発表テイクの発掘リリースなど、何かとマニアックに掘り下げるユーザーが多い。John ColtraneやCharlie Parker なんて、未だにオフィシャルでもブートでも新音源が発掘されているし。
 マニア以外からすれば、ほとんど見分けもつかないフレーズの違いを「歴史的大発見」と称して悦に入るなど、ちょっと着いていけない感覚はカルト宗教的でさえある。
 書いてて気づいたけど、これって近年の鉄道マニアとロジックが似ているのかな。

 で、同じく発掘音源やブートのリリースが未だ尽きないのがMiles。キャリアの長さも手伝って、彼もまた大量のテープ素材を残している。前述2名の音源が、主にライブやメディア出演をソースとしているのに対し、マルチ・レコーディング時代にも精力的に活動していたMilesの場合、未発表スタジオ・セッションの音源も多数残されている。
 どうせ編集で何とかなるんだから、とにかくテープを回して片っ端から録音し、後はプロデューサーTheo Macero に丸投げ、というパターンがめちゃめちゃ多い。逆に言えば彼の場合、頭からケツまで通して演奏された楽曲が、そのまま商品化されることは極めて少ない。エフェクトやらカットアップやら、何かしらスタジオ・ブースでの加工が施されているのが、60年代以降のMiles Musicの特徴である。

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 ただこういった特徴も、「Miles Davis」という多面体を構成するひとつの側面に過ぎない。違う見地で言えば、レコードに記録されたテイクとはあくまでかりそめのものであり、いわば発展途上における中間報告に過ぎない。商品化テイクをベースにライブを重ねることによって完成に近づいてゆく、というのもまた、Milesに限らずジャズという音楽の真理のひとつ。
 ライブにおける偶然性やハプニングが、ジャズの先鋭性を後押ししていたことは歴史が証明しているけど、50年代ハード・バップによって一応のフォーマットが完成してからは、そのラジカリズムに翳りが生じ始める。
 安定した4ビートと順次持ち回りのアドリブ・プレイは、次第にステレオタイプとしてルーティン化してゆく。何となく先読みできる展開を内包した様式美は、マス・イメージとしてのジャズを伝えるには有効ではあったけれど、未知なる刺激を求めるすれっからしのユーザーにとっては、満足できるものではなかった。目ざとくヒップな若者がロックへ流れてしまうのは、自然の摂理である。

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 そんな自家中毒にはまり込んだジャズに見切りをつけ、「俺は次に行っちまうぞ」と言い放ったのが、この『Miles in the Sky』。特に声高く宣言したわけじゃないけど、旧態依然としたジャズにしがみついているプレイヤーやファンを置き去りにした、ターニング・ポイントとなった作品である。
 モードやシーツ・オブ・サウンド以降、方向性で足踏みしていたモダン・ジャズ、60年代に入ってからは、ロックやポップスにポピュラー・ミュージックの王座を追われて久しかった。黒人音楽というカテゴリーに限定しても、モータウンに代表されるライトなポップ・ソウル、クリエイティヴ面においてもJBやSlyらによるファンク勢への対抗策を打ち出せずにいた。
 それでも、クリエイティビティに前向きな若手アーティストによる、ソウル・ジャズやフリー・ジャズなどの新たな潮流が芽生えてもいたのだけど、その流れは極めて限定的なものだった。その嵐の勢いは、「ジャズ」というちっぽけな器の中で収まってしまうものでしかなかった。シーン全体を巻き込む、大きな流れには育たなかった。
 そんな小手先の変化がまた、Milesの不遜さに拍車をかけた。申し訳程度にソウルのリズムを取り入れたって急ごしらえでは底が浅く、いかにも借り物的なまがい物感が拭えなかった。
 過去のジャズを壊すプレイ?とっくの昔にくたびれたジャンルを壊すって、一体どうやって?ちょっと押せば崩れ落ちるようなものだよ、ちっとも前向きじゃないじゃん。
 もっと強力に、シーン全体を揺らがすほどのインパクトがないとダメなんだって。

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 60年代Milesサウンドのパーマネント・メンバーだったのが、Wayne Shorter (ts) 、Herbie Hancock (p) 、Ron Carter (b) 、Tonny Williams (d) らによる、通称「黄金のクインテット」。当時はほとんど無名だった彼らが中心となって、ていうか帝王のスパルタ・トレーニングについて来れた、選ばれし精鋭である。
 当初は従来のモダン・ジャズの枠内で、アンサンブルの完成度を高めていったMilesバンド。時代を経るにつれて、前述のポピュラー・ミュージック環境の変化に刺激され、遂にはアコースティックからエレクトリック楽器へのコンバートを指向するようになる。まメンバーは全員いい顔をしなかったため、最終的にはMilesの力技が勝つのだけれど。
 ただ最初からMiles自身、エレクトリック化への移行に関して明確なビジョンがあったわけではない。変化は段階を経て緩やかに、そして機を見て唐突に実行された。
 「電気を使って何が悪い?俺が演奏すりゃ、ぜんぶMiles Musicだ」。

 電化Miles第一のピークとされている『Bitches Brew』において使用機材のコンバートが完了し、それ以降のサウンドは、リズムの解体とスピリチュアリズムとが同時進行していくことになる。最終到達点である『アガ=パン』においては、不可知論が支配するカオスな状況が自己崩壊を引き起こすのだけど、それに比べてここでのプレイは、「楽器変えてみました」程度の素朴な実験にとどまっている。
 アコースティックに片足を突っ込んだまま、試行錯誤の跡が克明に記録されているのでまだ帝王としてのスタンスを確立していなかったMilesの葛藤が窺える。まぁ本人に聴いても、悩んでるだなんて、絶対口にしないだろうけどさ。
 「俺の最高傑作?それは次回作さ」。
 この言葉に込められているように、完成された作品なんて、ひとつもない。
 彼にとって、過去のアルバムはすべて、そんな過渡期の記録である。

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1. Stuff
 ほんの少しのフィル・イン以外は踏み外すこともない、単調な8ビートを刻むTony。ただ当然だけど、これまでより手数が多くなった分、曲全体のスピード感は旧来ジャズにはなかったもの。6分近くなってから繰り出されるMilesのソロは、ジャズ・マナーに沿った力強いブロウ。Ronのベースは…、アップライトから持ち替えて間もない分、まだ慣れてないんだろうな。音も小さいし、あまり目立ってない。
 力強いMilesのプレイは時空を超えてエモーショナルなプレイ。これ以降はここまでオーソドックスな力強さは見せなくなってしまう。続くWayneのソロは一聴するとColtraneの影響下から抜け出てなさそうだけど、後半に行くにつれてリズムが変調、そこにうまく合わせるテクニックの妙が楽しめる。
 Herbieのソロは正直面白くないのだけど、サイドに回ってる時のアクセント・フレーズにスケール感の大きさがにじみ出ている。やっぱりジャズだけに収まる人じゃないんだよな。
 エレクトリックといってもまだ手探りの状態だったため、従来ジャズと比べてそこまでの差別化ができているとは言い難い。後半のTonyのハイハット・プレイなんて、電化とはまったく関係ないし。むしろ、その後のリズム解体に向けてのプロローグとして受け止めた方がわかりやすい。



2. Paraphernalia
 『Miles in the Sky』のレコーディングは、主に1968年5月15~17日に行なわれたセッションを素材としているのだけれど、この曲のみ同年1月の録音となっている。
 OKテイクではGeorge Benson (g)が参加しているのだけれど、ほんとはJoe Beckを起用したかったらしい。実際、スタジオにも姿を見せたとか見せなかったとか、証言はいろいろあるけれど、なぜかしらこの時はBensonをフィーチャーしたかった理由でもあったのか。
 作曲したのがWayneのため、必然的に彼のパートが多い。俺的にはソロイストとしてのWayneはあまりピンと来ないので、引き付けられるのはどうしても他のプレイヤーになってしまう。とは言ってもBensonの影が薄すぎて、正直存在意義がちょっとわかりかねる。特別大きくフィーチャーされてるわけでもなし、目立ったフレーズを弾いてるわけでもない。一体、彼に何を求めていたのか、それともこういった起用法が意図だったのか。
 どちらにせよこれ以降、彼はMilesセッションにはお呼びがかからなかったのだから、深入りする前じゃなくて良かったと思われる。

3. Black Comedy
 なので、変に新機軸を求めるのではなく、従来のフィールドできっちりまとめたこの曲を聴いてしまうと、なんか安心してしまう。1.と違って決して進歩的ではないけれど、4ビート・ジャズの規定フォーマットの中で存分に発揮されるクリエイティヴィティは、安定したクオリティである。
 ここまで探り探りなフレージングだったWayneも、生き生きとしたプレイを見せている。不慣れなエレピからアコースティックにチェンジしたHerbieも、オーソドックスにピアノの限界を引き出すようなプレイを見せている。
 実験的な試みを敢行する反面、従来ジャズの深化という点において、つい熱くなってしまう佳曲。

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4. Country Son
 デキシー・ジャズみたいな音色はトランペットではなく、コルネットによるもの。激しい4ビート~静寂なワルツ~ロッケンな8ビートとリズムが目ぐるましく変化する、ある意味Tonyが主導権を握ったナンバー。
 こういった曲を聴いてると、やはりジャズとはリズムがすべてを支配するのだな、と改めて思い知らされる。どれだけ流麗かつキャッチーなフレーズをつま弾こうとも、繊細かつ大胆なハイハット・ワーク、強烈なバスドラの響きの前では無力だ。自在のリズム感覚を操るTonyが、長らくMilesの参謀として鎮座していたのも頷ける。
 ここではまだ手探りではあったけれど、自身の音楽を先に進めるためには、未知のリズム・パターンが必要であることを、本能的に見抜いていたのだろう。


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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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