好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

扱いの軽さはフットワークの軽さ - Aztec Camera 『Frestonia』

folder 2014年、8年振りにリリースされたRoddy Frameのソロ・アルバム『Seven Dials』。ほぼテレキャスのセミアコ1本でレコーディングされた佳曲たちは、そのシンプルなサウンドゆえ、地味ではあったけれど長く聴き続けられるクオリティを維持していた。決して多くの人に届くことはないけれど、少なくとも長年のファンを充分満足させることができた。
 アルバム・ポートレートで披露されたそこでの風貌は、「Walk Out to Winter」と口ずさんでいた頃の溌剌した面影は薄れ、ポップ・シーンから脱落して久しい、旬を過ぎたアーティストの残酷な加齢ぶりをさらけ出していた。シーンの最前線とは言えなくとも、それでもまだ毅然とした表情を見せていた前作『Western Skies』との落差は歴然としており、「Roddyに何があった?」と世界中のファンの間では一時あれやこれやと論議に沸いたけれど、そんな騒ぎもすぐに終息した。
 そう、Roddyと同じように、我々も歳を取ったのだろう。人間、50を越えればいろいろ出てくる。良い知らせよりもむしろ、悪い知らせの方が多くなってくる。何もない方が不思議なのだ。
 歳を重ねることによって無駄なアレンジは後退し、骨格となるメロディと言葉は熟成された。かつてのような『Knife』の切れ味はなくなったけど、数年に一度、ふと思い出して聴き続けられる、使い捨てじゃない歌を奏でる50代のRoddy。多分、今後もゆっくりかつじっくりと、コップに水滴を溜めるペースで歩み続けるのだろう。
 『Seven Dials』リリース後に行なわれた一連のプロモーション・ツアーを2015年8月に終え、その後、彼の足取りはパッタリ途絶えてしまう。オフィシャル・サイトもtwitterも更新が止まったまま、YouTubeチャンネルも持ってなさそうなので、再び新たなコップを用意しているらしい。いやコップすら用意してるかどうだか。
 『Seven Dials』リリース前も、音楽活動から離れて別の仕事についていた、とのこと。彼クラスのアーティストでさえ、音楽一本で食ってゆくには厳しい世の中なのだろう。

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 そんなRoddyが所属していた、ていうか後期はほぼ彼のソロ・プロジェクトと化していたAztec Camera、その最終作となったのがこの『Frestonia』。特別、「これでプロジェクト終了」と銘打ってリリースされたわけではなく、何となく自然消滅的にバンド契約が終了、それから何となくソロへ移行して行ったため、いわゆるフェアウェル的なムードはまったくない。本人の意向だったのかリプリーズ的にやる気がなかったのか、何とも寂しい幕引きである。プロデュースをClive Langer & Alan Winstanley という、MadnessやElvis Costelloを手掛けたヒットメイカーに委ねているのだけれど、正直、彼らのピークは80年代だったので、なんで今さらといった感は抜けない。この辺にもレーベルとの齟齬があったんじゃないかと思われる。
 Aztec Cameraのセールスのピークはとうに過ぎてしまっていたのと、そもそもRoddy自身がバンドのブランド・イメージを背負っていくことに興味を失ってしまっていたこともあって、ネガティヴな話題しか出てこない作品ではある。1995年といえば、OasisやBlur、Pulpらブリットポップ勢がチャートインしてきた頃だったし、何でわざわざロートルの作品を聴かなきゃならないのか。
 でも、同じ釜の飯を食ってたEdwin Collinsはがんばってたんだよな。スタートはさして変わらなかったはずなのに、どこでどう枝分かれしてしまったのか。やっぱ積極的に外部でコラボしたり顔出ししたりする営業力だよな、アーティストも。90年代初頭はあれこれやっていたはずなのに、どこで心が折れちゃったんだろうか。

 契約消化・敗戦処理的なモチベーションで作られたアルバムゆえ、レーベル側もそれほど積極的にプロモーションしなかったのか、前作『Dreamland』が最高21位だったにもかかわらず、『Frestonia』は100位ギリギリという結果に終わっている。来日公演も多かったおかげもあって、日本でのメディアの反応は比較的好意的だったけれど、やはりブリットポップの勢いにかき消されてしまい、売り上げには結びつかなかった。
 以前のようなシングル・ヒット狙い、キャッチーなキラー・チューンと言える楽曲は見当たらない。バンド・ヴァージョンの『Seven Dials』的な、当時のUKポップのトレンドとは逆行した、スタジオ・ポップな楽曲で占められている。
 これでもう少しチャートへの色気があって若手バンドと組んでいれば、Edwinと同等のポジションは狙えていたはずなのに。ていうかプロデューサー、その辺のサウンドは得意なはずだろ、もっと仕事しろよ。

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 ポストカード時代を含めれば、すでに40年近いキャリアがあるはずなのに、UKポップ史におけるRoddy の扱いの軽さは変わらない。そりゃチャート・アクションだけで見れば「Somewhere in My Heart」の一発屋だけど、ネオアコ/インディー・ポップの成り立ちを辿ってゆけば、フロンティアとして誇れるほどの爪痕は残しているはずなのに。
 不当な扱いを受けている、と言いたいのではない。ネオアコ時代の原理主義者はともかくとして、この人の場合、アルバムごとに音楽性がコロコロ変わってしまうので、レーベル的にも購買ターゲットを絞り切れず、よってファンの定着が難しいのだ。ネオアコ~アーバンR&B~ギター・ポップ~AOR~アコースティックと、短期間で変遷が著しい。ここに加えて、Cindi Lauper「True Colors」からVan Halen「Jump」に至る節操極まりないカバーや、「Spanish Horses」のようなイレギュラー的な楽曲が加わるのだから、全方位外交的な守備範囲の広さである。ファンからすれば、多岐に渡るジャンルのRoddy的解釈に嬉々するのだけど、ライト・ユーザーから見れば「何をしたいのかよくわからない」という声がほとんどだろう。

 Roddyの政策スタイルとして、メジャー・デビューから一貫しているのだけど、良い楽曲を手間をかけて誠実に作るスタンス、これは変わらない。前述した、コップに水滴を満たすが如く、数年に一度のリリース・ペースではあるけれど、『Love』でのブレイク以降の固定ファンは急かすこともなく、律儀に彼の帰還を待っている。
 その輪はもう、決して大きく広がることはないけれど、でも、消え去ることもない。その円環は緩やかに閉じられているのだ。多くの大衆を巻き込む吸引力には欠けている。でも、今後も彼の音楽を求めるユーザーは確実に存在し続ける。

 扱いの軽さと関連するけど、Aztec Camera / Roddy Frameからの影響をあらわにしたフォロワーがあまり見当たらないところにも、彼の音楽の閉鎖性が窺える。90年代日本の渋谷系、初期のフリッパーズ・ギターが彼のメソッドを移植していたこともあったけど、それも一時の流行に終わってしまった。ネオアコというムーヴメント自体が刹那的なものであって、長く深く掘り起こしてゆく類のジャンルではないのだろう。
 『Love』以降のRoddyの音楽性は、ジャンルの違いはあれど基本、コンテンポラリー路線に移行してしまったため、純粋な楽曲クオリティ以外の特異点が薄れてしまい、差別化が図りにくくなってしまったことも、リスペクトの弱さに起因する。そんな事情もあって、ベテラン・アーティストにありがちなトリビュート・アルバムや企画・イベントも行なわれた形跡がない。どこか軽く見られがちである。
 大御所なのに軽く見られる存在として、以前取り上げたのがDavid Byrne。彼もTalking Heads解散以降、メジャー/インディーを問わず、あらゆるジャンルのアーティストとコラボしているけど、Roddyのように「音楽性が定まらない」という風には受け取られない。ベテランであるにもかかわらず、常にビギナーと同じ目線で新たなジャンルの開拓に余念がなく、フットワークだって軽い。アーティストに限らず、自分のフィールド以外にもアンテナを張ってる人は、いつだって若いのだろう。去年、ニューヨークで大々的にトリビュート・ライブやってるしね。

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 もしかしてRoddyもまた、Byrne同様、近所のパブやライブハウスなんかで時々、少数の客相手に弾き語りでもやっているのかもしれないけど、遥か極東の島国では、そんな情報も届かない。やって欲しいよな、まだ50代だし。老成するにはまだ早すぎる。

 で、『Frestonia』。老成というよりは熟成といえる、静謐なトーンで統一されたAztec Camera謹製ポップの完成形となる楽曲が並んでいる。いや、もうバンド名義にこだわって書いてないな。そういった過去の栄光やネーム・バリューを取り払った、Roddy Frame個人のパーソナルな部分を反映した歌たちで占められている。
 以前は元ClashのMick Jonesや前述のEdwin、『Dreamland』では世界のサカモトとコラボなど、錚々たるメンツが参加していたというのに、ここではそういった目玉ゲストもなし。基本はほぼライブと同じ、小編成でのバンドでのレコーディングとなっている。
 自らそういったシュリンクしてゆく方向性を望んだのか、丹念に磨きをかけた楽曲のレベルは高い。レイドバックしたかのような、シーンにおいての現役感の薄れた響きは、マスへと届くことはない。その音は小さなコミュニティの中で、時代を超えて古びることもなく鳴り続けている。


Frestonia
Frestonia
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1. Rainy Season
 Roddyにしては珍しく、泥臭いアメリカン・テイストの大味なバラード。ヴォーカルもリキが入っており、ディストーションのかかったギターも大サビでの男性コーラスとのユニゾンも、これまでになかったパターン。終盤ブレイク後のドラムも力強い。
 シングルとして切るなら、こっちの方が良かったんじゃないかと思われるし、Roddy的にもその心づもりだったはずだけど、完パケしてしまうと、そこまで積極的に意見する気力も失せてしまったのだろう。リプリーズ的には2枚目のシングルとしてストックしていたのだろうけど、あいにくファースト・シングルがチャートインしなかったため、その構想はボツとなった。



2. Sun
 で、そのファースト・シングルがこれ。1曲のみ収録のCDシングルは市場ではほぼ相手にされなかった。当時はメイン・トラック以外の収録曲違いでのリリース・パターンが流行しており、どのバンドも最低2~3種類の同名シングルをリリースしていた。そんな中での簡素な形態でのリリースは、悪い意味で目立ってしまっていた。
 オルタナ系のポップ・バラードを整理してまとめたような感触のナンバーは、Roddyとの相性は決して良くない。曲が悪いというのではなく、「合わない」。この人の場合、もっとリズムをベースに組み立てた曲の方が、メロディが引き立つ特性を持っているので、バンド・スタイルにこだわらないアレンジの方が良かったんじゃないかと思われる。あ、だからバンド最終作なのか。

3. Crazy
 なので、同じレイドバックでも、メジャー感を抑えたシンプルなバラードの方が、メロディの妙が引き立っている。このアルバムではほぼRoddyが全編に渡ってギターを弾いているのだけど、バンド・サウンドに負けぬようエフェクトを効かせた音色はなかなかレア。ロックのフォーマットを使っているけれど、う~ん何だ、例えはちょっと古いけど、安全地帯をロック・バンドと言い切っちゃう雰囲気に近い。

4. On the Avenue
 彼にロック的なイズムを求めていない長年のファンからすれば、こういったアコースティックな楽曲の方に食指が動いてしまうのは、まぁ致し方ないこと。だって良いんだもの、普通に。ピアノとアコギ、それにRoddyの歌。たっだそれだけ。それだけなのに懐かしくも愛おしい、シンプルな良い曲。でも、地味だよな。

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5. Imperfectly
『Love』を思わせるリズムライクなオープニングから始まる、それでいてポップで蒼いエモーショナルを感じさせるナンバー。テンポも良いので、冒頭2曲のようなレイドバック感も少なく、疾走感が心地よい。間奏後のBメロコーラスがベタだけど、バンドらしさが出てカッコいい。この感じの楽曲がもう1、2曲あれば、ポップ・サイド/スロー・サイドのバランスが取れていたのだけど。

6. Debutante
 そうか、ドラムが大味なんだな、このアルバム。今頃になってやっと気づいた。リズム・パターンが単調なので、メロディが活かしきれていないのが。いまいち噛み合わない要因だったのかも。そうするとやっぱプロデュースか。楽曲には何の罪もない。デコレーションの仕方がバンド・イメージ前提なんだもの。普通に歌を聴かせてくれればよかったのに。

7. Beautiful Girl
 オープニングのアレンジはLanger & Winstanley得意のポップ・バラードにありがちな展開なのだけど、Roddyの色が強く出たことが良い方向に作用して、大味加減を抑えた仕上がりになっている。なのでいい意味で聴きやすい。長いファンも納得してくれるよな、これだと。抑制を効かせたアレンジがしっくり来ている。
 アウトロのギター・ソロが案外長く、彼のギター・プレイが好きな人にもオススメ。

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8. Phenomenal World
 「Good Morning Britain」を思わせるロック・アレンジ。サウンド的にはラウドなのだけど、やはり彼の声質とはどこかミスマッチ。やっぱりMick Jonesに比肩する個性的なキャラクターが必要なのだ。お行儀の良さによるミスマッチ感が逆に良い、という人もいるのだけど。

9. Method of Love
 でも考えてみると、Roddy本人はともかくとして、プロデューサー・サイドは当時のトレンドもちょっとは意識していたのか。猫も杓子もブリット・ポップ全盛のご時勢で、できるだけ彼の歌を世に知らしめるためには、バンド・スタイルのアレンジを施さない限りは太刀打ちできない、と判断したのだろう。バラード一本でもよかったはず、と本人は思っていたのだろうけど、その辺がどこかポップ・スターへの色気を捨てきれなかったんじゃないかと思われる。

10. Sunset
 というわけでラストにぶち込んできたのが、2.のアコースティック・ヴァージョン。これまでの愚痴やらツッコミやらが、すべてチャラになってしまう仕上がりとなっている。決してヒット性があるわけではない。みんながつい聞き耳を立ててしまう派手さもない。でも、これはやはりRoddyしか作れない歌だ。その歌がもっとも引き立つスタイルとなると、やはりこれになる。

 


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細けぇ事はいいんだよっ - Todd Rundgren 『Nearly Human』

folder 1989年にリリースされた、「ポップの魔術師」Todd Rundgren 16枚目のオリジナル・アルバム。長いキャリアにおいて初のワールドワイド契約を結んでのリリースは話題を集め、US102位はまぁしょうがないとして、UKでは久々に87位にチャートイン、再発ブームで湧いていたここ日本でも、オリコン最高85位と、小粒ではありながら存在感をアピールした。そのブーム以降、リアルタイムでは初のアルバムだったため、ミュージックマガジン界隈では盛り上がっていた記憶がある君は45歳以上。

 以前紹介した前作『A Cappella』は、「イコライジングした自分の肉声ですべての楽器パートを表現する」という、単なる思いつきを全力でやらかしてしまった実験作だったため、広く大衆にアピールするアルバムではなかった。US最高128位以外はどの国でもカスリもせず、日本でも一応リリースはされたのだけど、ジャケットも含めてキワモノ扱いだったし。
 そんな反省を踏まえたのか単なる気まぐれなのか、今回は古巣べアズヴィル・スタジオを離れ、名門スタジオ「レコード・プラント」を使用、大御所Bobby Womackとのデュエットなどゲストも豪華、ラストの「I Love My Wife」では、総勢22名のゲスト・ミュージシャンを迎え、カタルシス満載のホワイト・ゴスペルを展開している。
 それまでの密室作業中心のソロや、コロコロ音楽性の変わるUtopiaと違って、ボトムが太く直球ど真ん中、それまで培ったブルー・アイド・ソウルとストレートなロック・サウンドとのハイブリッドは、小手先の技を弄することもなく、これまでになかったグルーヴ感を醸し出している。
 やればできるじゃん。

 これまで業界内において、単に気が良くて中途半端な便利屋扱いされていたToddに転機が訪れたのは、80年代洋楽をかじっていた者なら誰もが知っている、XTC 『Skylarking』でのプロデュース・ワークである。
 本来、主役であるはずの気難し屋Andy Partridgeの意向など右から左へ聞き流し、中~後期Beatles へのオマージュを強調したサウンド・デザインと、べアズヴィル・スタジオ特有のデッドな響きのミックスは、ファン以外の耳目をも虜にした。今でも彼らのインタビュー記事といえば、当時の確執が落語のマクラ的に語られるほどである。まぁリリースから四半世紀経ち、今となっては2人ともギラついたエゴは薄くなり、互いに持ちネタ化してしまっているけど。

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 Andy同様、Todd自身にとっても彼らとのコラボはターニング・ポイントとなり、再度アーティスト活動に本腰を入れるようになる。
 LPからCDへのメディア切り替えのタイミングと相まって、ベアズヴィル時代の作品がまとめてリイッシューされたことも、Toddにとっては追い風となった。それまでコアなファンの間でさえ幻の作品となっていたアーカイブも入手が容易になり、ファン層は一気に広がった。日本でも雑誌メディアを中心に再評価の機運が高まり、新譜もないのに来日公演まで行なわれるほどの盛況ぶりだった。
 俺がToddの事を知ったのも丁度この頃で、まだ雑居ビルの2階でせせこましく営業していた札幌のタワレコで、日本未発売の『A Wizard, A True Star』のLPを買った。その後、札幌に住むようになってからCDを買い漁ったのは良き思い出。

 Toddといえば「密室ポップの魔術師」の異名で独りスタジオに篭り、特に70年代を中心に趣味的な作品を乱発していたイメージが強いけど、実際のところはUtopiaの活動も並行して行なっており、幼いLiv Tylerを養うためかそれとも家に居場所がなかったのか、かなりの頻度でツアーも行なっている。なので、一般的な宅録アーティストと違って、他人との共同作業を避けていたわけではない。ソロを作った後はバンドでのアルバム、完パケ後はそれをひっさげてライブを行なう、といったローテーションが自然とできあがっていたようである。
 彼が描いた当初の構想としては、産業ロックの前身であるアメリカン・ハード・プログレをバンドで展開して経済面を確保し、実験作や地味な作風のものをソロでやる、という予定だった。しかし実際には、地味なバラードが多いソロの方が好評を博し、ブームが過ぎると冗長さばかりが鼻につく、シンフォニック・ロック路線のUtopiaは苦戦を強いられる。
 そんな事情もあって、Utopiaの音楽性は次第にポップ色が強くなり、終いには凡庸なパワーポップ・バンドとしてフェードアウトしていった、というのは余談。

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 彼のソロ作品の傾向のひとつとして、同じくスタジオ・ワーカホリックのPrince同様、凝りに凝りまくったサウンドというのは思っていたより数少ない。トータルのアルバム・コンセプトや楽曲単位でのこだわりは相応だけど、楽器の音色へのこだわりはそれほどでもない印象。コンプをかけたりテープ逆回転を使ったり、経験則に基づいたギミックを使うこともあるのだけれど、それらも衝動的・単なる思いつきで使用されたものが多く、熟考を重ねたものではない。
 思いついたアイディアはとにかく片っぱしから詰め込んでしまうため、正規リリースなのに音質はブート・レベルのモノも多い。幾度にも渡るピンポン録音によってナチュラルにコンプがかかっている上、2枚組サイズの収録時間を無理やり1枚に詰め込んでしまってカッティング・レベルは下がり、さらに音は割れまくる。思いついたらすぐ手をつけないと気が済まないのか、ベテラン・アーティストにありがちな、シンセやドラムの音決めに丸一日かけるなんてことはせず、ほぼプリセットのまんまでスタジオ・ブース入りしてしまう。エフェクターだって、そんなに持ってないんだろうな。
 当然、じっくり練り上げて熟成させるなんてことは頭になく、思いついたアイディアを考えもせず、とにかくまずはプレイしてみる。ほぼ勢いのみでセッションしてしまうので、正確なピッチやリズム?何それ?といった塩梅。完璧なバンド・アンサンブルやインタープレイなんてのもあまり重要視せず、一回通してせーのでプレイしてみて、大まかな流れやソロ・パートの配分を決めると、即本チャン突入、あとは自分のパートで気持ちよくギター・ソロが弾ければ、それでオッケー。

 結局のところこの人の場合、「こうするとどうなるんだろう?」といった無邪気な少年の視点が、すべての行動パターンの発露である。
 独得のコード進行による揺らぐメロディは多くのファンの心をつかみ、Roger Powellら手練れのプレイヤーを擁するUtopiaは、自由奔放なバンマスに振り回されることもなく、完璧なバンド・アンサンブルを構築していた。
 それなのにこの人は、既存のお約束・予定調和的なものを自ら崩そうと一生懸命である。普通にバンドでやればバランスよく仕上がるのに、わざわざ全パートをマルチ・レコーディングでもって自分独りで演奏したり、わざわざ手間ヒマかけて肉声を加工して変態アカペラ・アルバムを作ったり、しまいには「インタラクティブ」と称して演奏素材をバラバラに収録、リスナー側が各自でリミックスして曲を仕上げるという、何とも微妙な作品をリリースしたり。
 すべては、単なる好奇心をきっかけとした「やりっぱなしの産物」である。そもそもこの人、この時点まで2枚続けて同じコンセプトでアルバムを作ったことがないので、新譜リリースごとに音楽性が変わり、ライト・ユーザーは皆無、ほぼコアなファンしか残らない。好きな人からすれば「何をやってもToddだよね〜、もうしょうがないんだから」といったところだけど、そりゃファン層も拡大しないわな。

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 で、『Nearly Human』。
 これまでになくコンテンポラリー向きで、外に開かれたサウンドではあるけれど、結局のところ、これもまたToddの壮大な気まぐれの具現化と捉えれば、異質でも何でもない。ていうかこの人の場合、ほとんど全部異色作ばっかだけど。
 -大掛かりな予算と豪華なゲストを使って、スタジオで一同に介してプレイしてみたら、一体どうなるんだろう?
 そんな素朴な疑問と探究心が、このプロジェクトのカギとなっている。これまでは自ら積極的に楽器を操っていたけれど、ここではシンガーとプロデュース、むしろコンダクターに徹しているため、バンド・サウンドの足腰の強さが全体にも大きく影響を及ぼしている。設備としては貧弱極まりないべアズヴィル・スタジオと違って、レコード・プラントでのレコーディングは音の仕上がりが違っており、バック・トラックの音圧は強い。
 眼前に立ちはだかるゴージャスな音の壁の前では、流麗かつ不安定なメロディの微妙な揺らぎはかき消されしまうけれど、ここでのToddはメジャー仕様のサウンドに堂々と対峙して、細かなディテールを排除したストレートなメロディ・ラインでまとめている。「細けぇ事はいいんだよっ」とでも言いたげに。
 結果的に大味に仕上がった作風は、コアなファンからは不評であり、70年代の作品と比べるといまだ正当な評価が与えられていない。直球勝負のパワーポップ風味ブルー・アイド・ソウルと捉えれば、クオリティ的には申し分ないのだけれど。

Nearly Human
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1. The Want of a Nail
 ビルボード・メインストリーム・チャートで最高15位にチャートインした、Toddの大味なロック志向と不安定な揺らぎのメロディ・ラインとの奇跡的な融合。ゲスト・ヴォーカルのBobby Womackの参加がクローズアップされることが多いけど、俺的にはToddのヴォーカルにしか耳が行かない。この時期のBobbyは「ラスト・ソウル・マン」と称して第2のピークを迎え、Rolling Stones 「Harlem Shuffle」などロック系の客演も多かった時期だったのだけど、俺的にはこの人、演歌なんだよな。
 2分20秒当たりの転調の部分がとても美しいのだけれど、Bobbyのガサツなヴォーカルがちょっと興醒めしてしまう。生粋のソウル・ファンなら垂涎なんだろうけど。



2. The Waiting Game
 従来Toddのメロウな部分が80年代サウンドにアップデートされた、ソウル・テイストのポップ・チューン。ただこれまでと違うのは、Utopiaとは違うメンツでセッションを行なったことによる、外に開かれた楽曲であること。内に籠った落としどころのないメロディではなく、そりゃ普通の黄金コード進行とは違うけど、いつものToddよりは起承転結がはっきりした構造。やればできるのに。

3. Parallel Lines
 もともとはオフ・ブロードウェイ・ミュージカル『Up Against It!』のために書かれた楽曲。もうちょっと突っ込んで調べてみると、要は我々日本人が想像する煌びやかなショー・ビジネスの世界とは違って2軍扱い、もともとはJoe Ortonという脚本家がBeatesにインスパイアされた戯曲を読んで、さらにToddがインスパイアを受けてデモテープを作り、その中の1曲という代物。あぁややこしい。その同名タイトルのデモテープ集が1997年にリリースされているのだけれど、ごめん聴いてない。この時期のToddはいささか空回り気味だったので、まともに追いかけている人はごく少数のはず。いつかちゃんと聴かなきゃと思いつつ、ずっと後回しだな。
 ここまで言ってなんだけど、楽曲の出来としては秀逸。後にライブでもたびたび披露されるくらいだし、本人としても会心の出来と自負があるのだろうと思われる。イヤミなく、良質のAORロッカバラードとして聴いてみてほしい。



4. Two Little Hitlers
 アナログでは未収録だった、CDボーナス扱いのElvis Costelloカバー。まだCD/LP同時発売の過渡期において、収録時間の都合上、こういった扱いの楽曲が存在した時代の話。
 オリジナル・リリースが『Armed Forces』なので、Costelloのキャリアとしてはかなり初期の作品で、正直、目立った楽曲ではないので、逆にToddの選曲眼が目ざとく働いた結果に落ち着いた。リズム面を補強した以外はオリジナルとほぼ同じアレンジだったのも、Costelloファンである俺にとっては好感が持てた。
 しかし今じゃ絶対承認降りなさそうなタイトルだよな。まぁこれ以上、深追いするのはやめておこう。

5. Can't Stop Running
 Utopiaメンバー全面参加、リリース当時、ソウル・オリンピックのアメリカ応援ソングとして制作されたことで注目を浴びた、とのことなのだけど、正直記憶にない。
 そういった宣伝コメントを抜きにしても、楽曲のクオリティはめちゃめちゃ高い。やはり旧知のメンバーが入るとスイッチの入り方が違うのか、ここではTodd、思いっきりギターを弾きまくっている。またソロが映えやすい構造になってるもんな。
 キャッチーなサビのコーラスといい各メンバーのソロの見せ所ぶりといい、路線が迷走した挙句、尻切れトンボ気味に収束してしまったUtopiaとしての理想形がここにある。プログレもソウルもビート・ポップも産業ロックもすべて飲み込んだ、耳にした誰もが自然と高揚感を想起させるエモーショナルが内包されている。



6. Unloved Children
 アナログだと本来、4.のポジションに配置されていたブルース・ロック。シャッフル気味のリズム・パターンが単調になるのを防いでいる。やっぱりロック・チューンになると血が騒ぐのか、ここでも短いけれど印象的なギター・ソロを弾いている。
 こうして5.と続けて聴いてみると、あぁUtopiaというバンドはロック向きじゃなかったんだな、と改めて実感する。前述のRogerといいKasim Sultonといい、どちらかといえばシンフォニック/プログレッシヴがバックボーンだし、ブルース要素が皆無だもの。

7. Fidelity
 3.と同じく良質のAORバラード。曲調や構成もほぼ似たようなもので、でも二番煎じとはとても呼べぬクオリティのメロディが炸裂している。ここまでロック路線とフィリー・ソウル・バラードとがほぼ交互にうまく配置されており、やはりこの人はプロデューサーなんだなと思わされる。バランスの取り方ひとつでクドくなってしまいそうになるのを、うまく回避している。あんな人だけど、ちゃんと第三者的な目線は持ってるんだな。

8. Feel It
 ニュー・ソウル期のMarvin Gayeを思わせるドラマティックなストリングスで幕を開ける、以前、プロデュースしたThe Tubes『Love Bomb』収録曲のカバー。正直、Tubesはちゃんと聴いたことがないので判断しかねるのだけど、Youtubeで聴き比べてみたところでは、アレンジのテイストはそんなに変わらない。ニューウェイヴ期のバンドという以上の印象がなく、これからも俺的な興味は引きそうにないので、まぁ無難なポップ・バラードということで。

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9. Hawking
 なんとなく無難な穴埋め曲の後は、そろそろアルバムも終盤、クライマックスに向けて走り出す。タイトルが示すように、テーマがあのホーキング博士。ドラマティックかつソウルフルに彼の足跡と今後の展望を讃えている。何かと最新テクノロジー系に興味深々のTodd、ここではゴスペルライクなコーラスと咽び泣くサックスの調べによって、アーバンかつムーディな…、って宇宙論や理論物理学とは相反するサウンドだな。

10. I Love My Life
 ラストはなんと9分弱に及ぶ一大セッション。総勢30名以上をまとめるのはNarada Michael Walden。何ていうかこう、「いい」とか「悪い」とか「好き」とか「嫌い」という次元を超えて、「人海戦術」ってのはこういうことなんだな、というのを実感させられてしまう。一大絵巻。何だかんだ言っても「We are the World」だって「Do They Know y It's Christmas」だって、どんな批判や中傷も、あの圧力の前では無力だ。個人個人のパワーを結集すると、とんでもないパワーが生まれるのだ、って恥ずかしいことをつい呟かせてしまうパワーを持った問答無用のナンバー。
 ちなみに大コーラス隊のメンツの中で、なんでこの人が?というのが、Mr.BigのEric MartinとPaul Gilbert。世代的にもClarence Clemonsは何となく繋がりがありそうだけど、なんでこの人たち?






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英国ムード歌謡の完成型 - Bryan Ferry 『Boys and Girls』

folder 1985年リリース、Roxy Music 解散後初、ソロとしては6枚目のアルバム。ていうかバンドでデビューして10年ちょっとなのに、並行して6枚も出してたのかよっ、というのが俺的印象。ZappaやPrince並みに多作だったんだな、とちょっとビックリ。
 UKでは当然のようにチャート1位、USでは63位が最高だったけど、それまでのソロがどれもビルボード・トップ100圏外で玉砕していたのに対し、今回はゴールドまで獲得している。多分、粗野でアバウトなヤンキーの感性では、彼のように耽美なメロウAORを受け入れる土壌ができていなかったのだろう。彼らの理解を得るためには、ヨーロッパ的な曖昧さを排除して、Phil Collinsくらいまでベタなエンタメに徹しなければならないのだ。まぁメガ・ヒットを想定した音作りではないのだけれど。

 US・UKともバカ売れしただけじゃなく、ロック・バンドの最終作としては珍しく、高い完成度と極上のクオリティによって、80年代を通しての名盤として語り継がれる『Avalon』 にて有終の美を飾ったRoxy Music。ロックの円熟期と称される70年代を疾走したZEPやWhoが、なんとも微妙なスワン・ソングで終焉を迎えたのに対し、変態グラム・バンドとしてスタートした彼らが「More Than This」と言い切っちゃう作品を残すまでに至ったのは、音楽のミューズの気まぐれだったのか。

 その変態グラム・バンド期のRoxyは、Ferry を始めとするメンバーのソロ活動が多くなったことによって、5枚目のアルバム『Siren』を最後に一度解散している。で、そこから2年弱のブランクを経て再結成、『manifesto』~『Avalon』に至るまで行動を共にすることになる。
 今どきのアーティストの活動ペースで考えれば、2年程度のブランクなんて特に長いものではないし、わざわざ解散表明しなくても普通にバカンス中って言っとけばよかったんじゃね?と思ってしまうけど、そこは怒涛の70年代、どの大御所バンドも年1のリリース・ペースを守っていた時期である。しかもレコーディングと同時進行の世界ツアーも添えて。なので、この時期の1年はざっと5倍単位で換算すると辻褄が合うことが多い。
 彼らに限らず、延々続くツアーとレコーディングのループは、心身ともに消耗が激しく、当然人間関係にも大きな影響を及ぼす。いくら苦楽を共にした仲間とはいえ、始終顔を突き合わせていれば、次第に同じ空気を吸うことさえ耐え難いものになってしまう。一旦、キレのいいところでリセットしたくなってしまうのは、仕方のないことではある。

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 で、一旦リセットしてからの再開に至った後期Roxy だけど、バンド名は同じだけど、正直まったく別のバンドである。
 西欧民族のフィルターを通してキッチュに歪められたロックンロールに、変な音担当であるBryan Enoのエキセントリックさを付加して、オーソドックスなバンド・アンサンブルで支える、というのが初期Roxyの大まかなコンセプトだった。メイン・ヴォーカルであり、ほとんどの曲を書くFerry がフロントマンではあったけれど、バンド・マジックとEnoの茶々によって、彼が書くアシッド・フォーク的な原曲は解体され、グラマラスなサウンドにデコレーションされた。
 再結成後のRoxyは、Ferryがイニシアチブを取ることが増え、ワンマンバンド的な色彩が濃くなった。ヨーロッパ的なデカダン性を緻密なものにするため、粗野なロック的要素は一掃され、リズム&ブルースやソウルのエッセンスを取り入れたソフト・サウンドが主流になった。
 その後のRoxyの歩みは『Avalon』で完成に至るまでの成長過程と捉えてもよい。じっくり時間をかけてFerryはサウンドの完成度を高め、結果的に高級なAORとして機能するサウンドのクオリティを磨いていった。多少のアドバイスや演奏での貢献はあったけれど、他メンバーであるAndy McKay とPhil Manzaneraの出番は少なく、ほぼセッション・ミュージシャンと同列扱いである。

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 サウンドの純度が上がるにつれ、バンドという枠組みにこだわらず、外部ミュージシャンの積極的な登用に至るプロセスは、同時代のSteely Danのキャリアとシンクロしている。Donald FagenとWalter Beckerが理想のサウンドの具現化のため、Gary Katzという制作ブレーンとの二人三脚で作業を進めていたことと同様、Ferryもまた、プロデューサーのRhett DavisとエンジニアのBob Clearmountainに絶大な信頼を置いていた。双方ともノン・ミュージシャンでありながら、Ferryの希求するコンセプトの最大の理解者だった。エンジニアというポジションに留まらず、自らも進んでアイディアを提供したりなど、相互に影響し合いながら理想のサウンドを形成していった。

 完璧で隙のないサウンドとは対極的に、Ferryのヴォーカルはお世辞にも上手いとは言えない。テクニカルとも言えないし。よく言えば「崩して歌ってる」という見方もできるけど、悪く言えば調子はずれでピッチはズレズレ、リズム感も良い方ではない。腹に力の入ってないヘロヘロなしわがれ声も、美声とは言えず万人ウケするものではない。
 80年代に流行した緩やかなシルエットのソフトスーツに身を包み、アダルトな佇まいでダンス・ビートに身を任せる様は、ちょうど同時代にブレイクしたRobert Palmer との共通点も多く見られるけど、PVなどで比較すると、その違いは歴然としている。
 終始クールで優雅なステージングを披露するPalmerに対し、リズムに合わせようとするけれどどこか不器用で、とてもダンサブルとは言い難いFerry。スーツはヨレヨレ、シャツの袖はデロンとはみ出てシワシワ、息も切れ切れ汗まみれになりながら、「Love is the Drug」と語りかけるFerry。
 その姿は滑稽さを通り越して、もはや伝統芸能の域である。

 で、『Boys and Girls』。クオリティ/セールスとも高い水準を記録した『Avalon』によって、Ferryのアーティスト・ポジションは大きくランクアップした。その恩恵として、レコーディングにかけられる時間や予算も並行してグレードアップ、細かな予算の切り詰めなどを気にすることもなく、純粋に制作に没頭できるお膳立てが整った。
 Roxyの解散ツアーと並行して準備を進め、足掛け3年に及ぶ長期間のレコーディングは、当時隆盛を極めていたニューヨークのパワー・ステーションやバハマのコンパス・ポイントなど、世界有数のスタジオ7ヶ所を使用、スケジュールの合間を縫って断続的に行なわれた。『Avalon』より引き続き参加のDavisやClearmountainを始めとして、これまた当時一流どころのレコーディング・エンジニアの起用は総勢18名に及んでいる。さらに加えて、こちらも有名/無名含めて参加したミュージシャンとなると、そりゃもう羅列するのもめんどくさくなってしまうほど、錚々たるメンツで占められている。
 結果的に、恐ろしくレベルの高い人海戦術となったのは結果オーライってことで。

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 「112回もミックスダウンを行なった」と語り継がれる「Slave to Love」に象徴されるように、ドラムの音ひとつエコーの響きひとつにまでこだわり抜いたサウンドは、細部まで精巧に組み立てられている。まだシーケンス・サウンドがメインではなかった時代の人力プレイが最上の音で録音され、Clearmountainと肩を並べる技量を誇っていたパワー・ステーションのハウス・エンジニアNeil Dorfsmanによって、薄いヴェールを纏うようなディレイで全体が埋め尽くされている。各プレイヤーの見せ所もしっかり押さえられ、パワー・ステーション特有のメリハリのあるサウンドは、カラオケだけでも充分成立してしまうんじゃないかと思ってしまうほど完成度が高い。
 ただ、完璧すぎる音の功罪なのか、整然とまとまって破綻が少ないということは、逆に言えば引っかかりがなく、良質のBGMとして、右から左へ聴き流されてしまうことも多い。工業製品と違って、しっかりしたプランニングとバジェットが揃えば、必ず良いものができるわけではないのだ。
 そこにヘロヘロなFerryのヴォーカルを載せるとあら不思議、よくできた二流のフュージョンが、英国ムード歌謡とも形容される、アーバンでトレンディな空間に様変わりしてしまう。
 精巧に作られたプラモデルの仕上げに汚しを入れると、単調だった質感がリアルに映えるように、彼のヴォーカルを活かすためには、ここまで作り込まれたゴージャスなサウンドが必要だったのだ。逆にサウンドが貧相だと、英国ムード歌謡の「英国」が取れてしまい、単なる自己満カラオケ親父に成り下がってしまうことを、Ferryをはじめ主要ブレーンは察知していたのだろう。

 Roxy名義で制作した「Avalon」はバンド形態ゆえのしがらみとして、必然性のないパートでMacKay やManzanera をフィーチャーしなければならない局面もあり、サウンドの完成度の詰めが甘くなっている部分が少なからずあった。このソロ第一弾ではその反省を踏まえたのか、Ferryのコンセプト・意向が思う存分反映されている。
 サウンド・コンセプト的にはRoxy時代の延長線上ではあるけれど、明らかに違っているのはリズム面でのアプローチ。一歩間違えれば高級AORというメロウ路線だった「Avalon」に対し、ここでは世界有数のリズム・セクションを贅沢に配してダンス・ビートの強化を図り、スノッブさを排除している。ちょっと下世話ではあるけれど、英国ムード歌謡路線の完成だ。ただあくまでUK/EU仕様のサウンドなので、Phil Collinsよりは上品だけどね。
 グラム期を並走し、互いに変容を繰り返してきたDavid Bowieもまた、タイトルそのまんま「Let’s Dance」でリズム・パートへのこだわりを表明していた。パワー・ステーション製のサウンドが世界中の音楽トレンドを牽引していた時代の幸福な産物である。


Boys & Girls
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1. Sensation
 すでにトップ・プロデューサーの地位を確立していたNile Rogersのギター・カッティングから始まるファンク・チューン。当時の大物アーティストのアルバムには大抵この人が一枚噛んでおり、ていうか彼のオファーを取れなかったアーティストは二流と見なされた。ボトムの太い音を中心に配置した構成力だけじゃなく、サウンドを引き締めるようなプレイまで見せちゃうのだから、誰も文句が言えない。
 歌詞自体は未練がましいジゴロの嘆きを綴ったものであり、そんな後ろ向きなテーマとは裏腹に強靭なインタープレイとのコントラストが絶妙。俺的には結構好きなトラックなのだけど、シングル・カットされなかったことが不満といえば不満。

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2. Slave to Love
 前述したように112回もミックスを繰り返したことばかりが喧伝されるけど、実際の音はそんな試行錯誤の痕跡は窺えず、むしろすっきりシンプルな仕上がり。最終的に積み重ねたモノをばっさり切り捨ててしまうところが、一流のアーティスト/エンジニアの証ともいえる一曲。録ったもの全部入れてちゃだめだよね、やっぱり。
 先行シングルとしてリリースされ、UK10位を筆頭としてEU諸国でもチャートインしている。当時のニューヨーク・セッションでは引っ張りだこだったOmar Hakim (dr)と、King Crimsonが何度目かの解散をして多分ヒマだったTony Levin (b)がリズム・セクションを担当、元RoxyのツテなのかNeil Hubbard(g)が参加。



3. Don't Stop the Dance
 最近もCMで使われていた、多分日本で最も知られていると思われる彼の代表曲。「Avalon」でも「Tokyo Joe」でもない、やはりこれなのだ。
 全編ほぼ出ずっぱりで参加しているDavid Gilmour (g)による、程よいブルース・タッチのソロが絶妙。そうなんだよ、もともと彼の本質は小難しいプログレなんかじゃなく、ウェットでムーディーなポップ歌謡でこそ、その真価を発揮するのだ。同時期のPaul McCartney 「No More Lonely Nights」でも情緒あふれるエモーショナルなプレイを披露していたし。
 2枚目のシングル・カットとしてリリースされ、UK21位。このような記録より、特に日本の45歳以上の洋楽少年少女に強く記憶に刻まれたのは、やはりリアルタイムでのフジカセットCMだろう。



4. A Waste Land
 いわゆるインターミッション。雰囲気一発の小品だけれど、細かく聴いていると当時のレコーディング技術が結集されている。

5. Windswept
 で、4.をプロローグとした3枚目のシングル・カット。モヤッとした雰囲気ディレイが通底音として流れ、時々思い出したようにFerryのヴォーカル、そしてまた寄り添うようなGilmourのソロ。曲調に合わせ、スパニッシュ風の小技まで披露している。Pink Floydではまず見せない一面だよな。
 どこまでも曖昧なムード歌謡は捉えどころがなく、UK最高46位はよく売れた方だと思う。よく切ったよな、こんな地味な曲。

6. The Chosen One
 アナログではB面トップを飾るミドル・ファンク。Ferryのヴォーカルだけ抜き出せば単なるムード歌謡だけど、まったり感を引き締めるようなMarcus Miller (b)のスラップが程よいエッセンスとして作用している。誰がプレイしてるのかは不明だけど、間奏でのアコギのストロークとのコラボレーションが、俺的にはすごいと思う。普通ならこんな組み合わせしないもの。

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7. Valentine
 ほぼGilmourのソロとオブリガードが主役となっている、Ferryはおまけ的なロック・チューン。もともと浪花節的な感性を持つGilmourだからして、Ferryのようなヘタウマ的ウェットなヴォーカル・スタイルとは相性が良い。同じヘタウマだけど、Roger Watersはイデオロギーが先だって「聴かせる」風ではないのだ。

8. Stone Woman
 3.をテンポアップしたような、リズム・セクションを強調したミックスが施されたアーバン・ファンク。ここまでいわゆる捨て曲なし。好みは人それぞれだけど、どれも気を抜いた曲がない。ヘロヘロでありながら、その辺はしっかりディレクションしているんだな。メロディのフックがちょっと弱いのでシングル候補からは外れたのだろうけど、いやいや充分聴けるっしょ。

9. Boys and Girls
 ラストを飾るのは長いイントロに続く、陰鬱としたモノローグ調バラード。Doorsっぽく感じるのは誰もが思うところ。俺も最初、Doorsのカバーかと思ったもの。もともとカバー好きな人だしね。
 普段ならもっとライトタッチなプレイのDavid Sanborn (sax)も、曲のムードに触発されたのか、攻撃的なプレイを見せる。Gilmourのプレイも情緒てんこ盛り、ブルージーな音色を奏でている。



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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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