好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

やっつけで作ったわりには、うまくまとまっちゃた。 - 大滝詠一 『デビュー・スペシャル』

_SL500_ 初出は1978年リリース、「第一期ナイアガラ」と称される、コロンビア時代にリリースされた大滝詠一のベスト・アルバム。「ベスト」と称してはいるけれど、この時期はナイアガラにとってセールス的には暗黒時代とされており、まともに採算が取れた作品がなかったため、本人曰く、「セレクション・アルバム」という体裁となっている。
 ヒット曲もないのにベスト・アルバムなんて…、という自虐的なところもあるのか、本人的にリリースにはあまり前向きではなく、当時の音楽雑誌「ヤング・ギター」で収録曲を公募、人気投票で選ばれた曲を入れる、という、ある意味丸投げ的な構成となっている。

 で、今回取り上げるのは、このオリジナル『デビュー』ではなく、ソニー移籍後に再編集された『デビュー・スペシャル』の方。こちらは1987年リリースとなっており、俺世代としては多分、こちらのヴァージョンの方が馴染みがあるはず。オリジナルも一応、『Niagara Black Vox』での入手は可能だったけど、当時の10代に5枚組ボックス・セットは高根の花だったし、北海道の中途半端な田舎では、現物すら目にすることもできなかった。今も数年ごとに改訂が行われている書籍『All About Niagara』において、カバー・ジャケットや解説を読むことによって、何となく内容を掴んだ気にはなっていたけど、肝心の音については想像上の産物であることが長く続いていた。
 『Each Time』プロジェクトもひと段落つき、オリジナル・アルバムをまとめた『Niagara CD Book I』に続き、企画色の強いアルバムをまとめた5枚組『Niagara Black Book』に収録されたのが、この『デビュー・スペシャル』。『Vox』と違ってこちらは単品での発売も行なわれたので、予算の乏しい若きナイアガラーは、やっと幻の音源にありつくことができたのだった。

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 オリジナルからの収録は4曲のみで、あと5曲が未発表のライブ・テイクという構成は、オリジナル至上主義のユーザーだったら許しがたいスタイルだけど、そもそも当時のオリジナルの売り上げが数千枚程度だったため、比較のしようがない、というのが現実だった。それよりも何よりも、どんな形であれ一部だけでも復刻されたことは歓迎されるべきことだった。少なくとも、これでオリジナル復刻を待望することはできる。

 そんな事情もあったため、俺の『デビュー』とのファースト・インプレッションはこの87年版だったため、今でも俺の中の『デビュー』といえばこちらになる。
 その後、『デビュー』は2011年に『Niagara CD Book I』リイッシューにて、オリジナル・フォーマットでの復刻が実現、しかも2014年にはiTunesでの配信も開始され、より身近に入手しやすくなった。ほぼ封印状態だったにもかかわらず、大滝自身、何かしら思うところがあったのか、近年になってから公私にわたって清算モードに入っている。『Each Time』の30周年エディション完成を見て鬼籍に入ったのは、見事な締めくくりだったんじゃないかと思われる。

 というわけで、永遠に続くんじゃないかと思われたナイアガラ・アーカイブの更新作業は、大滝の死をもって終わりを見る。残された音源がいわゆる最終稿として、今後は語り継がれてゆくのだろう。だろうけど。
 いい意味でも悪い意味でも、長く活動してきたアーティストほど、黒歴史、なかったことにしておきたい作品というのは生まれてくるものだ。当時のポテンシャルでは実現できなかったけど、今のスキルならもっとうまく表現できる-、そう思い立ってリミックス・リマスターに手を付けるアーティストも少なくない。
 一度、日の目を見た音源は、記録に残り、また記憶に残る。アヒルの雛が初めて白鳥を見て「お母さん」と認識するように、初めて聴いたヴァージョンがオリジナルなのだ。
 なので、俺的に『デビュー』といえば、今も『デビュー・スペシャル』がオリジナルである。中古レコード店の目立つ場所にディスプレイされていた初版『デビュー』のアナログ盤は、とても手が届かない価格に設定されており、気軽に購入できるものではなかった。今ならダウンロードなりオークションなりで入手は可能だけど、正直今さら感の方が強い。多分、手に入れただけで満足してそれほど聴きこまないと思うし、実際、ダウンロードすらしていない。やはりファースト・インプレッションの衝撃は大きいのだ。

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 ただ今後、このヴァージョンが復刻されるかといえば、それはちょっと怪しいところ。これまでの20周年リマスターなどで蔵出し公開された未発表音源も、すっかり置いてきぼりにされてるし、正史じゃないものは上書きアップデート、淘汰されていくものかと思われる。
 各アルバムの既発・未発表アーカイブを時系列にまとめたボックスが、全ナイアガラーの望みなのだろうけど、まぁいつになることやら。

 この第1期ナイアガラをリアルタイムで聴いていたユーザーというのは、かなりごく少数だったため、今をもって初期ナイアガラーとしてデカい顔をしている者も少なくない。まぁ当時の出荷イニシャルはせいぜい4ケタ行けばいい方だったため、先物買いとしてはかなりの目利きがそろっていたことは間違いない。俺だってリアルタイムで接していれば、多分今でも筋金入りのナイアガラーとして巷説垂れていたかもしれないし。
 妄信的なナイアガラーによって、この時期の作品は崇め奉られており、ソニー時代よりも評価が高い場合が多い。特にレココレなんて読んでいると、コロンビア時代の作品はどれも傑作揃いのような紹介がなされている。
 マニアの間では聖典とされてはいても、外部の人間からすると大した価値もなく見えてしまうのはよくあることで、実際、第1期ナイアガラの作品がどれも傑作揃いというわけではなく、むしろ玉石混合、ていうか当たり外れが多い。多羅尾伴内楽団?あんなのただのエレキ・インストじゃねぇか。本人だって参加してるわけじゃないし。確かにコロンビア時代の作品もきちんと作られているモノもあるし、実際、俺も好きな作品は多いけど、少なくとも多羅尾伴内楽団を礼賛する人間は、どうにも信用できない。何でも手放しで礼賛するのはいかがなものかと。

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 なにゆえにコロンビア時代の作品クオリティに波があるのかといえば、そもそものレーベル契約の時点で問題がある。大滝の考えとして、ナイアガラを単なる個人レーベルではなく、自らのプロデュース作品をメインとしたリリース形態、その中にはもちろん大滝ソロも含まれるけど、あくまでワン・オブ・ゼムというのが当初の構想だった。レーベル第1弾が自身のソロではなく、シュガー・ベイブというところに、それが顕著に表れている。
 自宅スタジオに設置するための16チャンネル・テープレコーダーを譲り受けることを条件にコロンビアと契約、その際の包括事項として、3年で12枚のアルバム制作を請け負うことになる。普通の個人レーベルだと、正直レーベルとは名ばかり、単にジャケットの隅っこに印刷されているトレードマーク以上の意味合いはないのだけれど、本格的な独立レーベルとして始動したナイアガラにとって、この包括契約はビジネスであり、何が何でも遵守しなければならないものだった。

 設立当初はシュガー・ベイブもいるしココナツ・バンクだっているし、ナイアガラ・トライアングルの3者でローテーションしていけばうまく行くんじゃね?と軽く考えていた大滝だったけど、肝心の2バンドが相次いで解散してしまったことによって、ほぼ独りで企画を回さなければならなくなり、早い段階で初期構想は瓦解する。その後のやっつけ仕事、自転車操業の始まりである。
 どうにかリリースされた12枚のアルバムのうち、大滝名義のオリジナル・アルバムはわずか3枚。オリジナルじゃない大滝名義のアルバムが、『デビュー』と『CM Special』という企画盤である。1年に1枚のペースで新作オリジナルを制作するのは、この時代においては珍しいことではないのだけれど、そういったアーティスト活動よりはむしろ、プロデューサー業、アルバム量産のためのネタを絞り出すことが、当時の彼の中では最も大きなウェイトを占めていた。
 前述の多羅尾伴内楽団や『Let’s Ondo Again』などはPeter Barakanが絶賛したことによって伝説の作品扱いされているけど、正直、それほど楽しんで聴けるものではない。外人からの視点だと、エキゾチックな趣味に先見性を見出した、というところなのだろうけど、ライト・ユーザーを惹きつけるようなものはそんなにない。ていうかネタじゃねぇかこんなの。

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 すっごくひいき目に見て、Beatles誕生以前のポップスやロックンロールをバックボーンとしたモダンな視線でのオマージュという、自らの音楽的ルーツと対峙した楽曲、特にメロディ・タイプのものは今も古びることもなく、愛聴できるものも多い。無から有を創り出すのではなく、過去のレジェンドの遺産に敬意を払い、そこに歌謡曲や音頭など、日本独自のエッセンスを付加してオリジナリティを産み出したことは、もっと評価されてもいい。
 ただ問題だったのは時間的な余裕。アーティスト大滝詠一の創作環境・プロセスは、優先順位からすればかなり後回しにされ、プロデューサー多羅尾伴内として、完パケ品納入を第一義として考えなければならなかった。作品のクオリティは後回しにされ、常にケツカッチンのスケジュールの帳尻合わせとして、とにかく録って出しの突貫作業が日常化していた。

 で、この『デビュー』製作の経緯だけど、かなり気合を入れて作られたコロンビア時代最後のソロ『Niagara Calender』のセールス不振によって契約延長が事実上なくなり、契約消化のために作られたものである。ナイアガラ・レーベルも閉鎖が決まり、今さらアーティスト・エゴをごり押しするほどの気力もないので、だったらみんなに決めてもらった方がいいんじゃね?的な投げやりな選曲となっている。
 当時の「ヤング・ギター」の発行部数がどのくらいだったのかは不明だけど、読者の中の大滝ファンの総数がどれだけいたのか、またその中でどれだけ応募があったのかも不明だけど、どちらにしろ多くの人数ではなかったと思われる。なので、ファンの要望がどれだけ反映されているのかといえば、それはもう真相は闇の中。

 『デビュー』『デビュー・スペシャル』両方の収録曲を見ると、前者がほぼ3分の2、後者の半分がアップテンポのリズム・タイプで占められている。もともとコロンビア時代の大滝、メロディ・タイプの楽曲はそれほど多くない。当時の志向がリズムであったこと、また単純にスタジオ経費を抑えるため、メリハリのあるリズム主体のセッションの方が、時間も短縮できるところにあったのだろう。ソニー時代のようなメロディメーカーで売ってたわけじゃないし。
 「もし」というのは無粋だけど、『デビュー』のメロディ・タイプがもう少し多かったら、「もし」ミックスやセッションの過程で時間的余裕があったとしたら、もっと違う可能性もあったのかもしれない。ただ、ここでメロディ・タイプを使い切ってしまうと、後のロンバケには至らなかったかもしれないわけで。
 将来的に、両アルバムをまとめた完全版が作られればよいのだけれど、それにはまだ時間が必要なのかな。


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1. 空飛ぶくじら
 ここから4曲目までが、最初で最後の「ファースト・ナイアガラ・ツアー」1977年6月20日渋谷公会堂の音源。10日間で大阪・東京・仙台・名古屋・福岡を回るというハード・スケジュール。レコーディングもあったから、時間がそれしか取れなかったんだろうな、きっと。たまにyoutubeで上がってるけど、このツアーは映像が残されており、一般発売が熱望されているのだけれど、さていつになることやら。
 ソロ・シングル2枚目としてリリースされたのが初。作詞の江戸門弾鉄は松本隆のペンネーム。第1期ナイアガラとは、イコール松本隆の不在とも称されるのだけど、この曲はもともとはっぴいえんどのソロ・プロジェクトの流れで制作されたので、長いブランク前の貴重なコラボという位置づけにある。
 これまで泥臭いロック/時々フォークをサウンドのコアとしていたはっぴいえんど時代から一転、ここではクラリネットという非ロック的楽器を大きくフィーチャーしており、もともとのバックボーンであるポップスへの傾倒、リスペクトと覚悟とが窺える。

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2. 空色のくれよん
 『風街ろまん』収録、こちらも松本との共作。オリジナル同様、カントリー・テイストのゆったりしたサウンドなのだけど、大きく違うのはやはり大きくフィーチャーされた細野のベース。基本はルート音をなぞったシンプルなプレイなのだけど、音が太い。大滝自身のヴォーカルにさほど変化はないのだけれど、ボトムの効いたベース・サウンドは十分オルタナティヴ。
 ここで聴けるヴァージョンはもっとまったりした風合いが強いため、むしろこちらが大滝の意図だったんじゃないかと思われる。ヨーデルの部分も気持ち良さそうだし。

3. 田舎道
 こちらも初出ははっぴいえんど、3枚目の『Happy End』より。こちらもオリジナルと比較すると、はっぴいえんどヴァージョンが「ロックンロールをなぞろうとしたけど噛み合わなくて、なんか不思議なオルタナ」に仕上がっちゃってるのに対し、ここでは大滝の意図にうまくはまった正調ロックンロール。Little Richard 「Tutti Frutti」のワンフレーズを挟む余裕すら見せている。
 Keith Richardsも言ってたけど、ロールしてないとダメなんだな、やっぱりロックは。

4. ウララカ〜はいから〜ロン・ロン〜サイダー
 『大瀧詠一』『風街ろまん』、元ネタのPhil Spector「Da Doo Ron Ron」を挟み、ある意味、当時もっともよく知られたいた「サイダー」で締めるメドレー。基本リズムはすべて同じなので、アレンジしやすかったんだろうしライブにおいてもキラー・チューン的なポジションだった。

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5. Sheila〜シャックリママさん〜Love's Made A Fool Of You
 この曲のみ、1981年6月1日新宿厚生年金会館、ロンバケ発売記念コンサートでの音源。こちらも昔から完全版がネットで回っていたし、今も多分丁寧に探せば入手はたやすいと思われる。正規発売が待たれている音源のひとつ。多分、ロンバケ40周年かな、オフィシャルは。
 3.4.同様、こちらもオールディーズ/ロックンロールから『Niagara Moon』、Buddy Hollyのメドレー構成なのだけど、長期ブランクを挟んで晩年まで大滝組としてリズムを担った上原裕がドラムをプレイしており、バンドのグルーヴ感が違っている。盟友鈴木茂、松任谷正隆も参戦して、一時引退状態だった大滝のバックアップに力を貸している。

6. 指切り
 この音源も1曲のみ、1981年12月3日渋谷公会堂、前代未聞かつ後年も例がない、伝説のヘッドフォン・コンサートからの1曲。
 『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』発売に先駆けて行なわれた、佐野元春・杉真理を従えたジョイント・コンサートなのだけど、普通のライブと大きく違う点があった。PA、スピーカーなど音響増幅の機材がステージ上に配置されてなかったこと、ヘッドフォン持参で集まった観客は会場入り口でFMウォークマンを渡され、ラジオ音声でライブ音源を聴くという、かなり画期的なスタイルのライブだった。親会社ソニーのバックアップがあったからこそ生まれた企画であり、販促の一環だったと思うのだけど、そこに物好きな大滝がうまく乗っかった形である。
 オリジナル・ラブやシュガー・ベイブがカバーしているように、一般リスナーだけじゃなく同業者からも人気の高い曲。大滝曰く、Al Green的なヴォーカルを模倣しようとしてファルセットも多様したりしたのだけど、できあがったのはソウルともポップスとも言えぬ奇妙な質感のサウンドに仕上がった。国籍不明・ジャンル分け不能なその楽曲は、プロから素人まで、あらゆる者を惹きつける吸引力を持つ。

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7. 水彩画の町
 ラスト3曲はオリジナル『デビュー』より。1978年5月、大滝のハウス・スタジオ「Fussa 45」で行なわれたセッションを中心に構成されている。セッション・メンバーを見ると注目なのは、ソロ初期から交流のあったムーンライダーズ勢の多さ。彼らもまた、メインのバンド活動ではなかなか芽が出ず、セッションや歌謡曲のバック・バンド、CMソング製作で息を繋いでいた点は、大滝と共通している。
 参加メンバーの中でも特筆すべきなのは、同じように本業ではなかなか注目されていなかった山下達郎のストリングス・アレンジの絶妙さ。カントリー・テイストのアレンジに彩りを添えるが如く、大滝のソフト・サウンディングを引き立てるような柔らかな調べは、楽曲のグレードを確実に上げている。オリジナルの『大瀧詠一』では流麗なフォークでしかなかったのに、ここでは華麗なカントリー・ポップに仕上げている。

8. 乱れ髪
 こちらも『大瀧詠一』が初出。アレンジもほぼ一緒、ヴォーカルスタイルもオリジナルをほぼなぞっている。ていうか下手にリアレンジできないほど、この曲は完成されている。前述の山下ソリーナ、軽いエコーが彩りを添えている以外は、ほぼそのまんまである。
 大滝が書いた楽曲の中でも1、2を争うクオリティであり、ヴォーカルもこれ以上はないという解釈でまとめられている。

 割れた 鏡の中
 畳の青が 震える
 何を そんなに
 見てるんだい

 外は 乱れ髪のような 雨
 ごらん 君の 髪が降る
 ごらん 君の 髪が降る

 西野カナやいきものがかりに慣れた感性では処理しきれない、あまりに斬新な歌詞世界が、大滝のクルーナー・ヴォイスを求め、そして見事に応えている。

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9. 外はいい天気だよ
 ラストは『Happy End』より。オリジナルには「だよ」がついていない。「だよ」をつけたことによって、特に駒沢裕城が奏でるスチール・ギターの響きが、ほのかなカントリー・テイストを漂わせている。この曲を聴くたび、俺は春ののどかな陽気の午後を連想してしまう。
 はっぴいえんどヴァージョンもまた、大滝の意図通りにカントリー・アレンジをなぞっているのだけれど、やはり強く印象に残るのはクセの強いリズム。大滝自身のヴォーカルはそれほど後年と変わらないのだけど、ドラムとベースの自己主張が強く、いびつな響きとなっている。
 ポップス/カントリーとしては歪んだ仕上がりではあるけれど、オルタナ・バンドとしてのはっぴいえんどであるのなら、これはこれで正しい。変に丸く収まらず、ただのフォークでさえストレートに聴こえない、バンド・マジックというのを体現した集団。
 同じ演奏・アレンジながら、はっぴいえんどヴァージョンと違って角が取れてマイルドになったサウンドが、ここでは展開されている。
 こうして比較してみると、はっぴいえんどという存在が、日本のポピュラー・ミュージックにおいて「静かなる異端」だったことが証明されている。やっぱり変わってるよな、この人たちって。



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べ、べつに売れたかったわけじゃないンだからねっ!! -Joni Mitchell 『Chalk Mark in a Rain Storm』

folder 1988年リリース、前作『Dog Eat Dog』より約3年ぶり、彼女にとっては13枚目のオリジナル・アルバム。US45位UK26位という成績は、80年代のJoniとしてはまぁアベレージはクリア、と言った程度のそこそこの成績だったけど、本国カナダでは最高23位、初のゴールド・ディスクという栄冠を手にしている。もともと瞬間風速的なセールスを上げるタイプのアーティストではなく、地道なロングテール型の売れ方をする人なので、回収までの期間は相当要するけど、採算が取れる程度には売り上げが見込める、レーベル的には収益の目算が手堅い人でもある。
 一般的な知名度はそこまで高くはないけど、同業者からの評価は総じて高いので、「Joni Mitchell好きなんだよね」と言っておけば、何となく通ぶれるというメリットもある。矢野顕子やVan Morrisonも同じような空気感があるよな。

 CSN&Y「Woodstock」を代表とする、「ちょっと屈折したコード・ワークを自在に操るシンガー・ソングライター」として登場したJoniの活動のピークが70年代にあったことは、ほとんどのJoniファンが頷くところである。
 一般的な抒情派フォークの一言ではくくれない、彼女が本当の意味でオリジナリティを発揮するようになったのは、Weather Report勢をはじめとしたジャズ/フュージョン系セッション・ミュージシャンとの積極的な交流によって生み出された『Court & Spark』以降の作品群からである。

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 それまでポピュラー・ミュージックのメインとされていたロックが、70年代に入ってからは急速に疲弊していったのと前後して、ジャズやソウルのエッセンスを付加したソフィスティケートされたサウンドが喧伝されるようになる。大部分のAOR作品と比べて、Joniが創り出す作品からは大衆を惹きつける吸引力は弱かったけど、当時のフュージョン・ブームの流れに乗って堅実なセールスを上げていた。
 ここまでは問題ない。

 ここまでのJoniは、70年代に設立された新興レーベルのアサイラムに所属している。Neil YoungやEaglesといったメンツから推察できるように、大陸的なシンガー・ソングライターやカントリーをベースとしたロックを持ち味としたバンドが多く所属する、言ってみればアットホーム的な香りの漂うレーベルである。
 アーティストの自主性を重んじる社風は自由闊達なムードが蔓延し、採算さえどうにか取れれば自由な音楽性を追求できるということで、Joniにとっては心地よい居場所であった。
 その風向きが変わったのが、ゲフィンへの移籍ということになるのだけれど、事実上はアサイラムもゲフィンもオーナーは同じなので、ダイエー・ホークスがソフトバンクに屋号を替えたようなもの、アーティスト側からすれば親会社の名前が変わったんだなぁ程度の認識であったはずである。
 前述したように、旧来ロックは自家中毒を起こして疲弊しきっており、クリエイティヴな面においてはすでにその進歩を止めていた。いたのだけれど、そう考えていたのは一部の真摯なミュージシャンやマニアだけであって、ラジオから情報を得る大多数のライトユーザー向けに、イデオロギーより収益性を優先した産業音楽が量産されていた。
 玉石混合の70年代ミュージック・シーンを過ぎて、効率的に資本回収できるシステム作り、知的好奇心を軽く刺激する程度のアーティスト・エゴを商品化していったのが、ゲフィンというレーベルである。

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 5年ほどの長きに渡ったハウス・ハズバンド期を経て前線復帰したJohn Lennonを獲得したことによって、一気に業界内での評価がうなぎ上りとなったゲフィンだけど、この例に漏れず、初期はあまり新人の育成に積極的ではなく、むしろマンネリズムに陥ったアーティストの再生工場という経営戦略を推し進めている。その代表格と言えるのが、ELP、King Crimson、Yesなどのプログレ代表バンドの歴代メンバーを一堂に揃え、思いっきり売れ線狙いの産業ロックを大ヒットさせてしまったAsiaである。
 もともと小難しい理屈やらコンセプトやら鬱屈やらをテーマとして掲げて仰々しいサウンドでもって、有無を言わせぬハッタリで畳み掛ける、というのが俺的に、そして一般的なプログレに抱く印象なのだけど、実のところ、その辺を大真面目に考えているのはバンド内のブレーン担当くらいのもので、大方のプログレ・バンドのメンバーらは、ごく普通の分別と感性を持ったミュージシャンであり、それがちょっと他のジャンルよりはバカテクなだけである。売れるためにちょっぴり媚を売ったり魂を差し出したりすることに、それほどこだわらないのが大部分である。
 しちめんどくさいコンセプトに縛られず、ひたすらキャッチーなリフとポップなメロディにこだわった結果、彼らは産業ロックのフロンティアとして、爆発的な人気を得た。もともと各メンバーともリーダーを張れるほどの実力の持ち主であり、他バンドと比べてポテンシャルはハンパなかったので、いくらチャラチャラした楽曲やアレンジでも、どこかしら気品のようなものが漂ってしまうのは、やはりプログレ者としての業なのだろう。さり気なく変拍子や超絶アンサンブルなんかをぶち込んでるし。

 賞味期限の過ぎたベテラン・ミュージシャンでも、コーディネート次第では全然商品価値は上がる、ということを証明したのがAsiaであるとすると、当然、そこに目をつけるプロデューサーやマネージャーが跋扈したりもする。70年代を優雅に締めくくれず離合集散を繰り返したバンドの順列組合せが顕著になったのが、ちょうど80年代初頭からである。
 ソロ・アーティストもまた例外ではなく、これまで主にカントリー・ロック周辺で活動していたKenny Logginsは次第にロック色を強め、サントラ請負人として確固たるポジションを築いたし、他にも多くのシンガー・ソングライターらがKORGやRolandのシンセをこぞって導入し、ライトなAOR化へシフト・チェンジしていった。その路線がマッチした者もいれば無理やりこじつけっぽさが残る場合もあったけど、まぁそれはケースバイケース。

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 でJoni。
 『Wild Things Run Fast』から続く彼女のコンテンポラリー・サウンドへの急接近が、果たして本人の望むものだったのか、それともアゲアゲムードだったゲフィンの社内ムードに乗せられてのものだったのか。多分、どっちもだとは思う。
 大成功を収めたAsiaの成功体験が、ゲフィンのビジネスモデル、必勝パターンとして定着しつつあったため、アーティスト本人だけじゃなく、周囲のブレーンも浮き足立っていた、というのもあるのだろう。
 特にJoniの場合、ゲフィン移籍と前後して、公私認めるパートナーだったJaco Pastoriusとの関係の解消、同時進行で新パートナーLarry Kleinとの親交がスタートしている。以前のレビューでも書いたように、Joni Mitchellという人はアーティストであると同時に、女性でもある。こうやって書いてしまえば当たり前のことなのだけど、彼女のアイデンティティを構成する要素として、アーティスティックな側面と恋愛とは不可分である。言ってしまえば、その時その時で、付き合う男によってサウンドの傾向がまるで違ってしまうのが大きな特徴である。
 Larryは主にロック・フィールドでの活動が多かったため、自然と彼女の音もロック的、コンテンポラリー路線に傾倒してゆくのは自然の摂理とでも言うべきか。

 1980年設立という若い会社だったゲフィンに籍を置いていたことによって、また前身レーベルであるアサイラム時代からの古参ということもあって、下衆な勘繰りで言えば相応の印税率やディールは受け取っていたと思われる。キャリアを通して決して稼ぎ頭筆頭ではなかったけれど、社内的ポジションにおいてもかなり優遇されていたはず。
 レーベルも一新したことによって、これまでのような通好みの音楽ばかりを追求するのではなく、多少なりともシングル・ヒット的な功績のひとつでも残しておいた方が業界内ポジションの維持にも繋がるというのは、自明の理である。
 とは言っても、いきなり脈絡もなくダンス・チューンを多めに入れるとか単純にDX7のプリセット音で埋め尽くすというのも、彼女のプライドが許さない。これまでの文脈も念頭に入れてアーティスト・イメージを壊さず、それでいてポピュラリティを獲得できる方向性で進めなければならない。
 なので、大人のコンテンポラリー・ポップ、AOR路線というのがここで登場する。もともとAOR自体が、ジャズ/フュージョン、ファンクやソウルのハイブリット、いいとこ取りのジャンルのため、彼女がそちらの方向性へ向かうのは、至って自然の流れである。

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 ちょっとデジタル臭が強く出過ぎた『Dog Eat Dog』の反省もあって、この時期のJoniは視野を広げる目的もあったのか、以前から半分趣味的に続けていた絵画に本腰を入れるようになる。個展開催も積極的に行なうことによって、音楽の比重が少なくなり、実際、『Chalk Mark in a Rainstorm』リリースに至るまで3年のブランクが空いている。それだけ前作でのシーケンスとの格闘での疲弊が大きかったのだろう。
 ただそのインターバルが結果的に良い方向へ向かうきっかけとなったのか、クールダウンすることによって、デジタル・サウンドの使い方がこなれてきている。何が何でも徹頭徹尾打ち込みで埋め尽くすのではなく、従来のアコースティック楽器との絶妙なブレンドがナチュラルに溶け込んでいる。80年代特有のデジタル・サウンドは時代の風化に耐えられぬものが多く、Joniのサウンドもまた例外ではないのだけれど、スロー系では今も光るものが窺える。テンポが速くなると、ちょっと古臭くなっちゃうよな、やっぱ。無理にビートに乗ろうとするからまた。

 やたら多いゲスト陣というのが、このアルバムの大きな特徴。当時、Kate Bushとのデュエット「Don’t Give Up」がメチャメチャはまっていたPeter Gabrielや、アサイラム時代からの戦友Don Henleyを引っ張り出してくるのはまぁわかるけど、さすがにBilly Idolはないでしょ普通。単に意外性だけでキャスティングしたとしか思えない。その後も接点ないし。
 バラエティに富んだ豪華ゲスト陣と言うより、むしろ八方美人的に散漫な印象ばかりが先行してしまったこのアルバムの反省なのか、こういったコラボものはここで終了。Tom Pettyはまだわかるけど、Willie Nelsonはちょっと方向性違くない?とJoni自身思ったのだろう。

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 『Dog Eat Dog』がデジタル・サウンドをマスターするための習作だったとすると、この『Chalk Mark in a Rain Storm』はデジタルとアコースティックの混合比を見極めるための実験作、過渡期の作品という見方ができる。トップ40も十分狙える、ライト・ユーザーにもアピールするコンテンポラリー・サウンドを目指したけど、どうしても下世話に徹しきれなかった作品ではある。でも、その後のアーティスト・キャリアを思えば、ここで大きく道を逸れなくてよかったことは、歴史が証明している。
 次作『Night Ride Home』ではその実験成果がうまく具現化し、それ以降は絶妙の混合比バランスと世界観とを併せ持った円熟期が始まることになる。


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1. My Secret Place
 Peter Gabrielとのデュエットが話題となった、1枚目のシングル・カット。『Dog Eat Dog』で孤独なスタジオ・ワークに翻弄されていた感があったJoniだったけど、ここではシーケンスもまた楽器のひとつに過ぎないことを悟ったのか、デジタル臭はあまり前面に出ていない。エスニックなスタイルのヴォーカルを聴かせるGabriel、クレバーなトーキング・スタイルのJoniとのコントラストは絶妙。Kate Bushほどの幻想性はないけど、熟練のアーティスト同士の微妙な間合いが何とも。探り合ってるよな、2人とも。



2. Number One
 Manu Katchéが叩いているせいか、ポリリズミックなドラム・パターンが印象的。特徴的なリズムに乗せて歌うJoni、やはりいつも通り、メロディアスとはとても言えない、多分彼女以外が歌ったら支離滅裂になりそうな楽曲。こんな奇妙なコードを器用にまとめ上げてしまうのは、やはりこの人ならでは。
 ところでデュエットしているのは、当時活動休止中だったCarsのBenjamin Orr。正直Ric Ocasek以外のメンバーについてはほとんど知らないし、なんでこの人がここでフィーチャーされているのか、なんともさっぱり。

3. Lakota
 冒頭でむせび泣くような雄たけびを上げているのは、ネイティヴ・アメリカンの俳優Iron Eyes Codyによるもの。ちなみにLakotaとは、その部族のひとつ「スー族」を指す。
 サウンド自体はそこまで土着的なものではなく、普通にコンテンポラリーなロック・サウンド。Don Henleyがコーラスで参加しているけど、あまり目立った活躍はない。

4. The Tea Leaf Prophecy (Lay Down Your Arms) 
 揺らぎのあるメロディーが70年代からのファンにも人気の高い、それでいて力強く歌い上げるJoniの珍しいヴォーカルが聴ける、こちらも人気の高いナンバー。ドラムのエコーが深いのが時代を感じさせるけど、Joniのサウンド・コンセプトにはマッチしている。シングル・カットしても良かったんじゃないかと思われるのだけど、やっぱり地味なのかな。
 ここでのゲスト・コーラスは、当時、Princeのバック・バンドRevolutionやWendy & Lisaのバッキングを担当していたLisa ColemanとWendy Melvoin。Princeが自らのバックボーンのひとつとしてJoniを挙げていたのは有名なので、一応まったく関連がないわけではないのだけれど、やっぱり意外。ただ、特別ファンキーさを感じさせるものはない。彼らじゃないと、という必然性はあまり見えない。

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5. Dancin' Clown
 このアルバム中、またはJoniのキャリアの中でも最も異色さが際立つハードロック・チューン。だってデュエットしているのがBilly Idolだし。どういった経緯でJoniが彼にオファーしたのか、それともJoniのスタッフがプッシュしたのか、ていうか何でBillyがこの仕事を受けたのか、第一Joniのことを知っていたのか。
 疑問はいろいろ尽きないけど、めったに見ることのできないダンサブルなJoniを堪能したいという、マニアックな性癖のファンだったら喜ぶと思う。
 当時、BillyとよくつるんでいたSteve Stevensも参加しており、こちらもまた通常のBillyのスタイルでプレイしている。異分子を入れることによって予定調和を回避したかったのかもしれないので、まぁ「予定調和じゃない」というその一点だけ、目的は達成している。
 ていうかTom Petty、こんなとこで歌ってんじゃねぇよ。すっかり霞んじゃってるし。きちんと1曲腰を据えてデュエットすりゃ良かったのに。

6. Cool Water
 と、これまでは同世代のアーティストとのコラボが多かったのだけど、ここに来て格上が登場。当時でもすでにカントリー界においては大御所だったWillie Nelsonが参加している。もうちょっとスロー・テンポで色気があったら、『Top Gun』を代表とした80年代アメリカ・エンタメ映画のサウンドトラックにでも抜擢されたかもしれない。それくらいムードのある曲。一応、シングル・カットもされてはいるらしいけど、残念ながらチャートインは果たせず。



7. The Beat of Black Wings
 これまであまり起伏の乏しいメロディを歌ってきたJoniだったけど、このアルバムではメロディ・メーカーとしての側面を強調した楽曲が多い。やればできるじゃないの、と言いたくなってしまうミディアム・スロー。
 デュエット曲が多いため、相手にも見せ場を作る気配りという点もあったのだろう。ここで再びCarsのBenjaminが登場。特別、秀でたものとも思えないんだけどね。

8. Snakes and Ladders
 再びDon Henry登場。ここではもうちょっと見せ場を作られている。Eagles解散後、ソロ活動で最も成功を収めていたのが彼であったため、便乗目的ではないけど、ここでDonをフィーチャーする必要があったのだろう。
 こちらもシングル・カットされており、US Mainstream Rockチャートにて最高32位。サンプリング・ヴォイスのJoniが聴ける貴重な一曲。

9. The Reoccurring Dream
 ほぼゲストを入れることもなく、ほぼJoniとLarryの2人で制作された、密室間の強いメッセージ・ソング。『Dog Eat Dog』の延長線上的なサウンドは、ここで完結している「閉じた音像」ではあるけれど、デジタル特有の質感は柔らかく処理されている。

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10. A Bird That Whistles (Corrina, Corrina)
 古いトラディショナルのカントリー・ブルースをベースとした、変則チューニングで奔放に引きまくるJoniのアコギ、それと旧知の盟友Wayne Shorterとのセッション。お互い手の内は知り尽くしており、当初は和み感さえ漂っているけど、終盤に近づくにつれ、互いの技の応酬が激しくなる。興が乗ったセッションは次第に緊張感が蔓延しはじめ、そして唐突に幕を閉じる。その切り上げの加減こそが、一流アーティストらを手玉に取って操ってきたJoniの成せる業なのだ。



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実験を繰り返した末の自然体な小品集 - Eurythmics 『Peace』

folder 80年代中盤に「Sweet Dreams」で注目されたEurythmics は、当時隆盛を極めていた男女シンセポップ・デュオの流れで登場したものの、他のどのグループより異彩を放っていた。大抵のシンセポップのバックトラックが、ヤマハDX7やシンクラヴィアなどの最新機材を使い倒し、時に息づまるほど隙間のないサウンドで埋め尽くされていたのに対し、プログレ的素養もある彼らのサウンド・デザインは、アコースティック楽器と同列の配置を施すことによって、ちょっと独自のスタンスを築いていた。
 特に「Sweet Dreams」は、不穏さを煽る無機的かつシンプルなブロックコードを効果的にあしらい、初期の彼らが活動拠点としていたドイツ的なバロックのテイストも醸し出していた。他の有象無象が奏でる安易でキャッチーなサビ中心で構成された楽曲よりも、一聴して素っ気ないメロディでありながら、きちんと対峙して聴くと、プロによって十分練られた重層的なサウンドがマニアからライトユーザーにまで、幅広く支持された。

 イギリス出身だったのにもかかわらず、前進バンドTouristsが主にドイツで活動していたこともあって、当初からグローバル展開に積極的だった彼らのサウンドは、当時のヒットチャートのラインナップにおいて、ここでもまた異様さに満ちている。
 テクノポップというにはあまりにオルタネイティヴな質感が強い彼らのサウンドは、正直売れ線だとかキャッチーだとかいうものではない。ないのだけれど、それでも彼らの80年代のほとんどは、ヒットチャートの常連というポジションを堅持していた。特にアメリカではディスコ・チャートでかなり健闘したので、プログレ的なコンセプトを抜きにして、単純に踊りやすい音楽として受け止められている。
 アメリカというのはマーケットが大きいせいもあって、どうしても最大公約数的にアッパー系の音楽ばかりが注目されがちなのだけど、Pink Floydの『狂気』が長いことチャートインしていたように、ネガティヴでダークサイドな部分も多い音楽にも一定数の需要がある。Eurythmicsの後にもCureやMorrisseyがアリーナ・クラスの会場をソールドアウトしていたように、厨二病的アーティストに心酔し自己投影してしまう層がどの時代にも存在する。
 Marilyn Mansonが売れちゃう国だもの。そう思えば不思議でもなんでもないか。

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 この時点でのEurythmics人気は、あざといほど中性的でエキセントリックな女性ヴォーカルAnnie Lennoxのキャラクターに負うところが多かった。
 時代的にMTV全盛ということもあって、ビジュアル的にインパクトの強い彼女のキャラクターは、純粋な音楽以外にも、ファッション風俗的な側面においてもある種のパイオニア的存在として、人々に強く印象付けた。返して言えば、それはまたトリックスター的な騒がれ方、キワモノ的な一面でもあるのだけれど。ユニセックスな風貌は時に暴力的でシステマティックを強調しており、サイボーグに擬した無表情には愛想のかけらもなかった。
 ダンサブルに特化したデジタル・ビートをベースとしたバックトラックは、下積みの長かったDave Stewartによって計算高く作り込まれていた。大抵のテクノポップのサウンドメイカーらは、日進月歩で更新されてゆく機材のスペックのスピードに追い付けず、代わり映えしないプリセットでお茶を濁すばかりだった。逆にスタジオワークが大好きなシンセマニアがコツコツ組み立てたサウンドは、オタク知識をフル活用してスペックを最大限活用し、他アーティストとの差別化を明確にした音作りを行なっていたのだけど、肝心のメロディがダメダメだったりヴォーカル・ミックスが二の次にされていたりなど、珍奇な音の響きばかりが取り沙汰されて、ポピュラリティの獲得にまでは至らなかった。
 優秀なオペレーターはマシン操作に長けてはいるけれど、それはソングライティング能力とはまったく別の問題である。オペレーターはあくまで机上のシミュレートに基づくプログラミングまでが職務であって、クリエイティヴな作業を行なうには別のスキルが必要となるのだ。
 自らもプレイヤーであり、ソングライターでもあったDaveがEurythmicsを商業的成功に導けたのは、先天的なのかそれとも後天的なのか、そういった能力にも長けていたことが、時代のあだ花として埋もれずに済んだ要因である。

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 デビューしてからしばらくは、サウンド担当であるDaveがバンド運営の主導権を握っている。前進バンドTouristsもDaveが多くの楽曲を制作しており、根っこの部分はEurythmicsと変わらないのだけど、ヒットしたのはBay City Rollersのカバー「I Only Want to Be with You」がUK4位US83位という、何とも微妙なスマッシュ・ヒット程度の一発屋で終わってしまう。時流に合わせたニューウェイヴ風味のポップ・ロック的アレンジは、正直Annieのキャラクターとはマッチしていない。PVを見ると、半ばヤケクソ気味なハイテンションだし。
 稀代のヴォーカリストAnnie Lennoxを引き立たせるためには、もっとダークでゴスで救いのないシンセ・ベース主体のミニマル・ビート、性別不詳のビジュアル・イメージこそが必要だったのだ。ユニセックスという概念がまだ一般的でなかった80年代、「男装の麗人」と言えば宝塚くらいしか連想できない日本人にも、彼女のキャラクター・デザインは大きなインパクトを与えた。

 US・UKにとどまらず、ワールドワイドな成功を収めた彼らだったけど、キャリアを重ねるに連れ、次第にAnnieのパワー・バランスが強くなってゆく。
 テクノ的ロジックで考えると、メインであるはずのAnnieもまた構成楽器の一部に過ぎず、サウンド全体のバランスを考えると感情を抑えたヴォーカライズで処理されるのだけど、状況は刻一刻と変わってくる。ビッグセールスに伴う世界ツアーを重ねることによって、アリーナ・クラスの会場に見合ったロック的イディオムをAnnieが欲し、Daveもまたライブ映えするような楽曲を制作するようになる。

Eurythmics

 ロジックよりもフィジカル。ライブでの起爆剤的なアッパー系の楽曲が多くなる中、次第にシステマティックだったユニットにもライブ・メンバーが増え、バンド的なグルーヴを見せるようにもなる。ノンセックスのアンドロイド的なアーティスト・イメージを固持していたAnnieも、時々普通の人間としての喜怒哀楽を見せるようになる。
 そんな彼女の一面、慈愛にあふれた笑顔を見せて話題になったのが、彼らのもうひとつの代表曲である「There Must be an Angel」。当時、すでに「愛と平和の人」としてキャラクターが定着していたStevie Wonder がハーモニカで参加、彼らの代名詞でもあったシンセ・ベースもここではほとんど響かず、代わりに神々しくゴスペルへと昇華するコーラスが彩りを添えている。80年代特有のエコーの深いドラムもここでは控えめで、すべてはAnnieという存在をドレスアップするかのように、緻密に注意深く配置されている。
 テクノポップというカテゴリーを超えた、80年代のスタンダード・ナンバーができあがった瞬間だった。能面のように冷徹な表情を崩さなかったAnnieの笑顔によって、Eurythmicsというブランド・イメージは表現の幅を広げていった。

 普通なら、この路線でしばらく畳み掛けて、AOR的な展開に行くはずなのだけど、何を思ったのか、ここで再び彼らは覚醒する。
 80年代的「自立した女」としての理想形を確立したAnnieは、円熟の路線を拒否、邪悪で陰険、「天使」とは両極端のデーモニッシュなキャラクターを自らに憑依させる。普段は午後のティータイムを楽しむ貞淑な人妻だが、一旦豹変すると糖質っぽさ全開、淫らで妖艶なディーヴァが脳内で生み出した憎悪と狂気の産物-、それが『Savage』である。
 暴力的な歌詞と被害妄想的な密室サウンド、憎悪と狂気を露わにしたコンセプトは、これまでのポップ路線と完全に逆行した、破壊と混沌の象徴だった。このコンセプトに基づいて全曲MVが製作されたのだけど、まぁ通して見ると疲れること。圧倒的なオーディオ/ビジュアルのクオリティは有無を言わせぬ仕上がりだけど、とにかく息詰まり感がハンパない。
 そこに救いはなく、あらゆるものが投げ出されたまま、放置されている。

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 ここで一旦、Eurythmicsは終幕となる。ゼロからMAXまで、メーターはすでに振り切れてしまったのだ。『Savage』で臨界を突破してしまったからには、もう新たに手を付ける余地は残されていなかった。
 勢いの余力で制作した『We too are One』はきっちり作り込まれていたけど、どこか「お仕事感」的な残務処理、坂道の惰性運転的な佳作として受け入れられた。ここで最後にClashのようにとんでもない駄作でも作ってしまえば、もしかして後世の評価も違ってたのかもしれないけど、やはり彼らは音楽に対してとても真摯な態度で向き合っていたのだ。
 リリース後、彼らは別々の道を歩むことになる。2人でやり切れることはやり尽くしてしまい、残された新境地はそれぞれ独りで叶えるべきものだった。
 過去の再生産を嫌い、2人はまったく別々の道を歩んだ。「独自の音楽性の追求」という共通項を残して。

 そんな彼らが10年ぶりに再結成してリリースしたのが、この『Peace』。
 よくある再結成話にあるように、食い詰めたメンバーが過去の栄光にすがって、という流れではない。Annieはソロ・アーティストとして国民的シンガーの位置にいたし、Daveも自分メインの活動は地味だったけど、裏方として、またStonesが休養中でヒマなMick Jaggerとつるんで何かしら活動していた。それぞれが10年の節目を経て、必要性を感じて2人で曲を作り、そしてアルバムをリリースした。
 そのアルバムを携えて、彼らは大々的な世界ツアーを行なったが、それはそこまでの関係に終わった。当然のように、彼らはそれぞれの道に戻り、新たなソロキャリアを築くことになった。
 恒久的なプロジェクトではなく、アニバーサリーとして、ハッピー・エンドを彼らは選んだ。
 2人で音を出すのは楽しい。でも、いま求めているのはそれだけじゃないのだ。

Eurythmics-Beatles-Grammy-Tribute

 実は俺、再結成してライブを行なっていたところまでは知ってたけど、フル・アルバムまで作っていたのを、ほんとつい最近まで知らなかった。なので、この『Peace』を聴いたのもつい最近。
 大抵の再結成バンドがニュー・アルバムを出すとボロクソに罵倒される流れから、21世紀に入ってからはライブ・パフォーマンスのみ、またはせいぜいシングル程度、フル・アルバムまでは制作されない傾向にある。再結成Policeだって結局、ニューアイテムはなかったしね。
 そういった流れから、まさかアルバムを作ってるだなんて思ってもみなかったのだ。再結成ツアーでは日本に来なかったせいもあるのか、リリース・プロモーションも地味だったらしいし。でもEU諸国ではゴールドやプラチナムも獲得しているくらい需要があったので、多分俺が知らなかっただけか。

 オリジナル・メンバーであるDave StewartもAnnie Lennoxも揃っているけど、ここで鳴っている音はかつてのEutythmicsとは趣きが違っている。以前2人でやり尽くした実験は、大きな成果を得た。でも、また実験を繰り返すということは、純粋な意味での「実験」ではなくなってしまう。それはただの「屈折」だ。
 それぞれ2人とも、Eurythmicsというベースを基に、ソロで10年、違うベクトルでキャリアを築いてきた。じゃあ今度は、実験ではなく、ただ単に2人そろってあまり考えず、まず音を出してみよう。それが最後の「実験」だ。
 ノスタルジーでもなければ、時代におもねるわけでもない。ここで鳴っているのは、2人のソロ・アーティストが「せーの」で出した音だ。最初のセッションではお互い探り探りな面もあっただろうけど、長い年月を共に過ごした2人だと、10年というブランクは大した問題ではない。結局できあがったのは、あぁやっぱりEurythmicsだね、という音だった。
 奇をてらった問題作でもなければ、ロートルバンドが惰性で鳴らす音でもない。ただただシンプルに、きちんと音楽に向き合ってきた者のみに出せる音が、このアルバムには詰まっている。


Peace
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1. 17 Again
 Daveのアコギから始まるオープニング。弦をこする音がアンプラグドっぽさを演出しているけど、Annieのヴォーカルが入るといつも通りのゴージャスなEurythmics。ドラムの音もオーソドックスで、これ見よがしなシークエンスも使ってない、堂々としたスケール感あふれるバラード。
 これまでのキャリアを振り返るナンバーをトップに入れてしまう辺り、バンドという存在に対して第三者的に向き合える余裕が窺える。



2. I Saved the World Today
 Annieのソロ傾向が強く出ている、メロディアスなバラード。もともと神経質的な傾向のある人なので、こういったニュアンスを重視した楽曲を歌い上げるのは、Annieの特性に合っている。中盤のホーンとストリングスの絡みがBurt Bacharachっぽく聴こえてしまうのは、その辺を狙っているのか。『Be Yourself Tonight』以降の方向性を思わせる。



3. Power to the Meek
 「デジタル機材をうまく盛り込んだStones」的なサウンドは、こちらはやはりDave的なもの。決して美声とは言い難いAnnieのヴォーカルが、ここではいい感じにダルでマッチしている。時にガナリ声でコール&レスポンスを繰り返す彼女もまた、構成の要素のひとつである。

4. Beautiful Child
 Daveのプロデュースの卓越した面のひとつに、アナログ・シンセの使い方が挙げられる。旋律のエッセンスとしてストリングスを効果的に使う人は多いけど、リズミカルに使える人はあまり多くない。ここでもメインはアコギのアルペジオで、あえて人工的な響きを対比させることによって、絶妙のコントラストを演出している。

5. Anything but Strong
 こういった「技巧的なヴォーカル」と「プリセットよりちょっとだけいじりました」的なDTMとのミクスチャー・サウンドを聴いていると、『We too are One』以降の彼らの方向性が見えてくる。あくまで「もしかして」の仮定の話だけど、この路線の深化と円熟というベクトルならば、ユニットとしての寿命はもう少し長かったのだろうか。
 まぁ難しいか。ツアーさえなければ行けたんだろうけど。

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6. Peace Is Just a Word
 で、このようなAOR的路線のレコーディング・ユニットとしての存続もアリだったと思うのだけど。こちらはDaveとAnnieとのバランスがうまく拮抗したパワー系バラードなのだけど、難しかったんだろうな。当時はアルバム・リリース=長期ツアーだったし。

7. I've Tried Everything
 初期のテクノポップ的なシークエンスをベースとしながら、やはりメインとなるのはAnnieのヴォーカルとDaveのギター。もともと正面切ってギター・ソロを延々弾きまくるというタイプの人ではなく、バッキングに徹して時々印象的なオブリガードを効かせる、というのがスタイル。そこら辺がやはり、テクノ的イディオムの人なんだろうな。

8. I Want It All
 アルバム構成的にちょっとダレてくる頃なので、ここでロック色の強いアッパー・チューン。ていうかガレージ・ロック。ミックスが絶妙なので、ガレージ独特のチープ感はまるでない。巧妙にシミュレートされたデモテープといった塩梅。彼らに貧乏臭さは似合わない。

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9. My True Love
 とにかくギターを弾きまくるDave。やっぱりうれしかったんだろうな、2人でやるのが。バラードでもなんでも、とにかくアルペジオでぶっこんで痕跡を残している。ていうか、ギターで参加でもしない限り、実質Annieのソロになっちゃうしね。

10. Forever
 そういえばピアノが出てなかったな、ここまで。俺的には最もお気に入りのスロー・チューン。ソロ初期のPaul McCartney的なバックトラックに対し、Annieはかなり熱のこもったヴォーカルを見せる。ベテランのポップ・ユニットの「あるある」として、彼らもまた後期Beatlesの路線を踏襲している。

11. Lifted
 ここまで比較的アダルト・コンテンポラリーなタッチのサウンドでまとめられていたこの『Peace』、今さら小手先の冒険・実験作に手を出す気もないのだろうけど、ラストはゴスペルの西欧圏的解釈とも取れるバラード。変に余韻を残すこともなく、過剰にドラマティックでもない、現役感を十分に残して終幕。




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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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