好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、目をつぶれ- David Bowie 『Let's Dance』

folder 2016年はいわゆる俺世代、45歳以上の音楽好きにとって、思い入れの深いミュージシャンの訃報が相次いだ一年だった。これまでは、ロックの爛熟期である60~70年代に活動していたミュージシャンが主だったけど、近年になってからは、80年代に活動したアーティストらの名も目に付くようになった。
 波乱万丈な生き方や破天荒な言動を良しとされた昔と違って、アルコールやドラッグに溺れて早逝する者は少なくなったのは、まぁいい傾向ではあると思う。もっとライトな薬物が広く浅く蔓延してはいるけれど、出来上がった音楽に大きな影響があるかといえば、そんなのはごく僅かだ。ほんとに好きなアーティストには、できるだけ長く生きててもらいたいしね。
 とは言っても、ほんとかどうかは定かじゃないけど、合法ドラッグの過剰摂取が未だ取り沙汰されているPrinceみたいな人もいるわけだし、公私の区別が曖昧な立場で活動してゆくためには、何かしら依存する対象が必要になるのだろう。それがセックスだったり宗教だったりの場合もあるけど、ファンはただ応援し、見守るしかないというのが正直なところ。
 そんなプレッシャーに晒されているのは、何も彼らだけじゃない。生きていれば、誰だってそんな壁にぶち当たるのだ。

 年頭のBowieに始まり、俺個人的には最も衝撃的だったPrince、この歳になって改めてE,W & Fの魅力を再発見した矢先のMaurice Whiteの訃報。そこまで強い思い入れはなかったけど、Glenn Frey やLeon Russell 、ELPのKeith Emarson とGreg Lakeの相次ぐ死。鉄腕アトムの印象が強い冨田勲に Bernie Worrell、ちょっと色モノ枠のPete Burnes もこの世を去った。
 そして、まるで年末進行に滑り込んだかのような、George Michael とLeonard Cohen、Pierre Barouhの死。
 思い入れの強弱はあるけれど、今後も逝去するアーティストは増えるだろう。世代交代は確実に進んでいる。

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 だからと言って、その彼らが築き上げてきたかつての音楽業界の隆盛を、新たな世代がそのまま引き継げるかといったら、それもちょっと微妙。かつての爛熟期とは状況がまったく違っている。潤沢な予算と時間をかけてアルバムを作り、それを引っさげてツアーに出て認知を広め、多額の販促費をばら撒いてセールスを伸ばす、といったビジネス・モデルは20世紀で終わってしまったのだ。
 音楽業界が活況の時代は、シングル向けのいわゆるキラー・チューンに加えて、あまり出来の良くない曲で埋め合わせ、販売単価の高いアルバムもバンバン売れてたけど、ダウンロード販売がメインに取って代わってからは、そういった抱き合わせ商法も通用しづらくなった。今の抱き合わせは駄曲ではなく、握手券になってしまっている。ましてやメインの曲さえ聴かれることもなく、握手券さえ手に入れてしまったら、大量にブックオフに売られてるし。

 で、Bowie 。
 彼が亡くなってから、一年が経った。正直、訃報を聞くまでは俺、Bowieの作品とはご無沙汰だった。当時の俺のマイブームは、60~70年代のジャズ・ファンクだったのだ。
 年季の入った音楽好きならよくある話だけど、若い頃から聴いてきたロックに飽きが生じるようになって、これまでとは全然別のジャンルにのめり込んでしまう時期が時々訪れる。これまで聴いてきたジャンルから、なるべく遠ざかったモノを求めて聴くようになる。で、また何んかのきっかけによって引き戻され、昔聴いたモノを引っ張り出して聴き直す。違ったジャンルを通過した耳で聴くと、昔よく聴いてた音も、また違った視点で捉えられるようになる。ここ10年は、それの繰り返しだな。
 そんな無限サイクルのギアの入れ替わりのきっかけとなったのが、彼の死だった。

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 10代を80年代ど真ん中で過ごしてきた俺にとって、 Bowieとのファースト・コンタクトは『Let’s Dance』、もっと正確に言えば『戦メリ』である。45歳以上の洋楽好きなら、誰でも通ってきた道である。なので、俺世代共通のBowie像といえば、「美形のマルチ・アーティスト」が最大公約数となる。
 異論はあると思うよ。でも、大ヒットしたタイトル曲と、坂本龍一とのキスシーンのインパクトの前では、すべてが霞んでしまう。

 その異論を唱える側の意見。一般的にアーティスト・パワーのピークとされる70年代を後追いで知った俺達世代、その中でも特にロキノン読者だった者にとってはこのアルバム、ある種の踏み絵的存在でもあった。
 今では面影のかけらもなくなってしまったけど、ベルリン3部作やグラム時代を含む、70年代ロック原理主義を貫いていた80年代のロキノンにおいて、『Let's Dance』は商業主義、無知な大衆に魂を売ったかのような扱いを受けていた。
 俳優活動にも積極的に首を突っ込んでいた時代だったから、そこらのニューロマ系アーティストよりも圧倒的に見映えは良かったし、ネーム・バリューも絶大だったので、表紙やグラビアに起用されることも多かった。ロキノンにとってDavid Bowieは超VIP待遇であり、投稿記事やレビューでも大絶賛されることが多かった。
 しかしこのアルバムを境として、ロキノン内でのBowieの扱いは一変する。ヒット・チャートの音楽を、斜め上の視線から貶すことが良しとされていた、いわゆるオタク文化のハシリ的な時代だったのだ。
 -ロキノンがそう言ってるんだから、やっぱ80年代のBowieはダメなんだナ、と疑いもせず信じ込んでいた10代の俺。
 あぁ、ムダな回り道だったよな、今にして思えば。

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 当時はビジュアル的に同系列、ていうかBowieの表層面だけをリーズナブルに移植した、ニューロマ系の安易なヒット曲と十把一からげにされていたけれど、リリースから四半世紀を過ぎたあたりから、評価は逆転しつつある。時間を置いて先入観抜きで聴いてみると、「Let’s Dance」のイビツさ、時代に消費されることを拒む深層が見えてくる。
 新進気鋭のプロデューサーとしてブイブイ言わしていた鬼才Nile Rogers は、メロディアスな作風とは言い難かった彼の楽曲を、ダンス/ディスコに対応した現在進行形のビートで彩ることによって、ヒット・チャート仕様のモダン・サウンドに翻訳した。Bowieのブラック・ミュージックへの接近は、『Young Americans』でも行なわれたアプローチだったけど、意味合いが微妙に違っている。

 ドラッグで頭のイカれたグラム・ロッカーDavid Bowieが、あくまでロックの文脈で解釈した「まがい物のソウル」、歪んだ主観に基づくキッチュな仕上がりとなった『Young Americans』に対し、『Let’s Dance』ではBowie、あまりサウンド・プロデュース的なことには口を出さず、ほぼNileに投げっぱなし、まな板の鯉である。
 素材としてのDavid Bowieをどこまでコンサバティヴな商品、コンテンポラリーな加工品に仕上げられるのか。当時はすでにヒット請負人的なポジションにあったNileにとって、Bowieとは極上の素材ではあったけれど、これまでの実績を鑑みれば、これまでのオファーとは比較にならないほどの案件であったはず。そこらのポッと出のポップスターとはスケールが違うのだ。

 70年代のBowieは、時代の趨勢を完全に無視するのではなく、横目でメインストリームの動向を伺いながら、常に半歩先・一歩先を読んでリードし、結果的にオピニオン・リーダーとして次世代への道筋をあちこちつけていった。出来不出来はあれど、彼が切り開いていった道筋のあとからは、多くのフォロワーやエピゴーネンが出現した。そこからまた枝分けれや分裂を続け、今もまだBowieの遺伝子は増殖を繰り返している。そのサイクルは無限に続くのだろう。
 70年代に彼が創り出してきたアルバム群は、どれひとつを取っても強力なインパクトを放ち、アルバム単体それぞれがひとつのジャンルと言えるほどのものである。そしてまた、自己複製を潔しとせず、アルバム制作ごとに前回のコンセプトをチャラにして、また新たなコンセプト/キャラクターを創り出し続けた。後ろを振り返らずに走り続けることを自らに課し、周りの空気が澱むその前に、身を翻すことを繰り返したのだ。

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 ただ、そんなトリックスター的な振る舞いにも限界がある。
 彼が主戦場としていた「ロック」というジャンル自体が、80年代に入る頃から自家中毒を起こし、「スタイルとしてのロック」、「取り敢えずロックのサウンドを使ってみました」的な音楽が多くなってきた。コンセプトやらイデオロギーなんかは取り敢えず置いといて、既存のロック・サウンドのフォーマットだけ借用、聴きやすくノリの良い楽曲が売れるようになってきた。
 特にMTVでのヘビロテがヒットのファクターとなった80年代、そんなお手軽なヒット曲のエッセンスとして、Bowieのビジュアル・イメージは格好の素材だった。決して彼のサウンドではない。あくまで、表層的な上澄みの部分だけだ。
 70年代のBowieから漂うアングラなイメージを希釈し、エキセントリックなビジュアルを薄めてスタイリッシュに整えることによって、ニューロマ系のアーティスト達は、Bowieより大きな商業的成功を収めた。

 Bowie自身、前作『Scary Monsters』を区切りとして、「実験」やら「変容」やらに行き詰まりを感じていたのも事実である。本国UKで台頭しつつあったニューウェイブのBowie流解釈として、『Scary Monsters』はそこそこの評価は得たけれど、新旧どっちの世代にも八方美人的にアピールしながらも焦点が定まらない、どこか微妙な仕上がりとなってしまった。それはセールスの行き詰まりとも比例している。
 時代を先読みする独特の視点。そこに衰えはなかったはずである。時代のトレンドの潮流を読みつつ、そのど真ん中に身を置くのではなく、本流よりやや外れたところを先導することが、70年代の彼の美学だったと言える。
 でも、「実験」の「反復」という行為は、イコール「本意」の「実験」ではない。「実験」のネタを探し回るという行為、それは「非」実験的である。

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 ここでシンクロニシティとして挙げられるのが、日本のYMOという存在である。
 活動期間こそBowie より短かったけど、彼らもまた『BGM』『テクノデリック』という、80年代UKニューウェイブのマイルストーン的作品を生み出した後、長い休養に入った。ていうかメンバー3人とも、この時点で散開の意思を固めていた。
 YMOというブランドの中では、もはやカタルシスを得られるほどの音楽的実験/冒険はやり尽くしてしまっていた。後に残るのは過去作の拡大再生産、商業的要請に応じたビジネスライクなバンド運営だけである。
 もはや、何をやってもYMO。
 いくらYMO的なベクトルから外れたことをやろうとしても、それなりに受け入れられてしまい、そして大衆に消費される。歓迎され消費されること、それはもう「実験」ではない。
 じゃあ、要望に応える実験ではなく、もっと斜め上に裏の裏をかいた行為。
 -思いっきり世論に迎合してしまうこと。
 それこそが最大最後の実験であり、批評的な行為である。

 ベストテンに出るYMO。カジュアルなカラー・セーターに身を包み、PVでアイドルを模した振り付けを披露するYMO。ひょうきん族に出演して、不器用な漫才を自虐的に演じるYMO。
 その振る舞いのどれもがちぐはぐで、どこかこっ恥ずかしくぎこちないものではあったけれど、それまで築き上げてきたYMO像を破壊するためには、これくらいの方向転換が必要だった。自ら望んだはずではないのに、勝手に象牙の塔のてっぺんに祭り上げられたYMOを破壊するため、いつの間に自らで築き上げていたカリスマ・イメージをチャラにするためには、荒療治が必要だったのだ。
 彼らもまた、「実験のための実験」という袋小路から抜け出すため、敢えて大衆への迎合というプロセスを通過し、斜め上の音楽ユーザーへ向けて、アッカンベーして強引に幕を引いたのだった。

 YMOとBowie、彼らの大衆迎合路線は、ほぼ時期を共にしている。両者とも、レコード会社からの要請も多少はあっただろうけど、「実験」的な音楽や所作が大好きな音楽ファン、ていうかマニア向けの音楽を演じることに飽きが来ていたことも事実である。
 そんな彼らがこれまで手をつけていなかったのが、敢えて「売れてやる」といった行為であった。
 ほぼ時を同じくして、偶然なのか必然なのか、そんな路線を選んだ両名。
 その自虐的かつコンセプチャルな行動は、自らへ、そして全音楽ファンへ向けた強烈な批評でである。


Let's Dance
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1. Modern Love
 3枚目のシングル・カットで、US14位UK2位。Bowie曰く、Little Richardを意識して書かれた曲ということだけど、サビのリフからして軽快なタッチで、ストレートなロックンロールにパワー・ステーション謹製ドラム・サウンドがうまく融合している。いまリリースしても、そこそこ売れるんじゃないかというパワーを秘めたオープニング・ナンバー。『Born in the U.S.A.』がリリースされたのはこの2年後だけど、Bruce Springsteenからのインスパイアも感じ取れる一曲。



2. China Girl
 2枚目のシングル・カット。UK2位US10位。一躍ギター・ヒーローとして躍り出たStevie Ray Vaughanがここで登場。ポップな曲調を引き締めるように、簡潔ではあるけれど印象的なソロを披露している。
 昔はこのコントラストが絶妙だよなと思ってたけど、今にして思えばお膳立てしていたのはNileだったわけで。全編で心地よくアクセントをつけているカッティングは、ファンキー過ぎずポップ過ぎず、ちょうどいい頃合い。この辺がバランス感覚だよな。
 もともとはIggy Popのために書き下ろした曲で、そのヴァージョンも『The Idiot』で聴くことができるけど、アレンジの違いで曲調はまったく違って印象。メロディも同じだし、Iggyのヴォーカルも当時のBowieを意識した仕上がりだけど、ダークでパンキッシュなテイスト満載。でもメロディがポップだから、それほどおどろおどろしくは聴こえない。こっちはこっちで良い。



3. Let's Dance
 80年代のダンス・ヒットとしても、そしてBowieの代表曲としても真っ先に挙げられるのがコレ。誰も文句が言えない実績と仕上がりになっている。リリース当時はUS・UKとも1位、そして去年、日本でもラジオでオンエアされまくったため、30年以上経ってからラジオ・チャートで53位にランクインしている。
 印象的なリフとStevieのソロがクローズアップされがちだけど、ここはやはりNileのプロデュース能力の高さの賜物。サックスが入るアウトロ後半の構成はかなりぶっ飛んでるし、アレンジの上物を取り外すと、そこに残るのは何とも地味なメロディ・ライン。そもそもデモ段階ではアシッド・フォークのようだったらしいし。それをここまでブラッシュ・アップしてしまったNileのプロデューシング、そしてサウンドに負けないBowieの力の入ったヴォーカライズ。
 そりゃ売れるよな、パワーが違うもの。



4. Without You
 知らなかったけど、これもシングル・カットされてたんだ。一応、US73位。データを見るとこの『Let’s Dance』、この4.までで4枚のシングルを切っているのだけれど、その間、なんと1年足らず。ほぼアイドル並みのリリース・ペースである。
 80年代のセールス・プロモーションとして、アルバム・セールスの起爆剤として、間髪を入れずシングルを切りまくることが常態化しており、特に80年代前半はその傾向が強い。『Thriller』だって『Synchronicity』だって『Purple Rain』だって、みんな複数枚のシングルを切ることが常識となっていた。それだけシングル・チャートが活気づいていた、すなわちラジオ局がキャスティング・ボードを握っていたことの証でもある。
 
5. Ricochet
 レコードで言えばB面トップ。ちょっと変わった手触りの、逆に言えばBowieらしい変てこなコード進行の変な曲。ある意味、Bowie的には通常運転。後に、同名タイトルの中国公演を収録したビデオもあったけど、未見。そのうち出るのかな

6. Criminal World
 70年代のUKバンドMetro、1977年のデビュー・シングルのカバー。グラム・ロックにカテゴライズされているけれど、サウンドといいアルバム・ジャケットといい、どちらかといえばSparksっぽいイメージの方が伝わりやすい。実際、「盛り上がりに欠けるポップ」といった感じだし。
 BowieヴァージョンはMetroから甘さを抜いてビター感を足し、メランコリックなポップよりソリッドなダンス・チューンに仕上げている。俺はBowieヴァージョンの方が好きかな。

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7. Cat People (Putting Out Fire) 
 『Let’s Dance』とほぼ同時期に公開された映画『Cat People』の主題歌が初出。前年にレコーディングされた映画ヴァージョンは御大Giorgio Moroderがプロデュースを手掛けており、メリハリのある構成は映像映えする。
 対してアルバム・ヴァージョンはStevieのギターも大々的にフィーチャーしてビートを効かし、ロック的な仕上がり。こちらもシアトリカルなテイストに聴こえるのは、生来のBowieが放つアクター性によるものか。

8. Shake It
 ラストはBowieにしては珍しくシンプルな、悪く言えば印象に残らないポップ・ソング。まるで穴埋め的な曲だよな、安直だし。
 考えてみればこのアルバム、バラードらしいバラードがひとっつもない。これまでのBowieの一連のアルバムには、ほぼ必ず名バラードが収録されていたものだけど、ここではウェットなスロー・チューンは排除され、すべてダンス・チューンのみ。潔いほどまでに徹底してるよな。ていうかNile、そんなにバラードって苦手だったっけ?




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17年ぶり、ノスタルジーじゃないロック - Sting 『57th & 9th』

folder 一般的に粗野なイメージが強いとされるパンク・ミュージシャンの中では、知性派と思われているのがStingである。世代的に見てロートルの部類に入るキャリアながら、敢えてその技を封印して直情的なパンク・ビートを戦略的に演じきったデビュー当初を経て、確固たるポジションを確立してからは、IRA紛争だユングの同時性だ熱帯雨林の保護だ、と考えてみれば享楽的とされている80年代ポピュラーの中では異彩を放つメッセージ性を露わにしていた。そう考えれば、やはりこの人は70年代の感性を持つアーティスト、既存の体制に向けてしっかりnonを表明できるキャラクターである。

 難解な専門用語をさも当然のように語り連ねることでインタビュアーを煙に巻いたり、何かと弁が立つ人なので、それゆえ誤解されることも多い。本人としては、アマゾンの自然破壊もアムネスティ活動も真摯に受け止め、本気で何とかしようとして熱弁を奮ったり作品に反映させたりしているのだけど、常に冷静さを感じさせるクレバーな印象は、地位も名声も手に入れてしまったロック・セレブの余技として映ってしまう。
 もっとBonoみたいに、下世話に押しを強く打ち出せば、必死さが伝わって共鳴する者も多いのだろうけど、その辺は本人のプライドの問題なのか、口角泡を飛ばす雰囲気は出さない。彼はあくまで代弁者、「世界ではこんな悲劇が連日起こっていて、僕はそんな現状があることをみんなに訴えたい」というスタンスを崩さない。これがBonoだと、本気で世界を変えようとしているのか、世界中のVIPと会談したり声高に訴えたり、何かと忙しそう。まぁ本気でそう思ってるのかは別として。

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 21世紀に入ってからはSting、クラシック方面での活動も多くなる。Paul McCartneyやKeith Emarsonのようにポップ/ロックのバリエーションのうちのひとつといった選択肢ではなく、名門ドイツ・グラモフォンと契約したりなど、わりとガチな活動ぶりである。
 一応、「これまでの既発曲をクラシック・アレンジで再解釈を試みる」といったコンセプトであり、まぁ彼のことだからそつなくこなしてるんだろうな、とは思っていた。でもタイトルが『Symphonicities』。こりゃないんじゃない?どう深読みしたって過去のセルフ・パロディとしか思えないネーミングである。そういえばSting、以前も書いたけどジャケット・センスも良くなかったもんな、Police の時代から。

 これがまっさら状態で挑むのなら、そういったタイトルもアリなんだろうけど、考えてみればコアなファン向けのアイテムであるがゆえ、これまでStingの作品をまったく聴いたことがありません的なユーザーが、このアルバムを進んで聴くとは思えない。どうしても従来のStingファンが聴く方が圧倒的に多いわけであって、前述のセルフ・パロディを連想して失笑してしまう情景が思い浮かぶ。ほんとのコア・ユーザー向けのアイテムだよね、これって。なので俺、これはまったく聴いたことがない。

 という事情もあって、今後も多分聴くことはないと思う。こうなったら意地でも聴くもんか。クラシック・アレンジ?興味ねぇよそんなの。
 なので、『Symphonicities』のリリース・インフォメーションを読んだ俺の印象は、非常にネガティヴなものだった。
 「あぁ、もうキャリアとしては上がりなんだな」「あとはゆっくりとリタイアしてゆくのだな」とも。
 今さら新境地なんて必要ない。ロックのフィールドでやれることはやってしまったし、ていうかロックに革新性を求める風潮はなくなってしまったし。ロック・セレブとしてのスタンスはよほどのことがない限り盤石だし、あくせく働く必要もない。5年に1度、今でもメイン・ユーザーである40代以上のミドル・エイジに合わせた「大人のロック」を演じればよい。
 グラミー賞のセレモニーやNBAのハーフタイム・ショーで、クライアントの要望に合わせたサイズのステージ・パフォーマンスを演じるStingを見ていると、そう思う。誰も損しない世界。多くを望まなければ、そこではほどほどの充足感が得られる。このペースを崩さず、ゆっくりとフェードアウトしてゆけば、晩節を汚さずに済む。
 と思っていた矢先、ここに来てのロック・フィールドへの前線復帰である。どうしちゃったの?覚醒?

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 Stingと言う人は、コメントやインタビューでの弁が立つおかげで、緻密なロジックを行動規範としていると思われがちだけど、案外その時その時の感情をストレートに作品へと昇華してしまう、根は素直な人である。
 これまで培ったロックのスキルを一旦脇に置いて、若き無名のジャズ・ミュージシャンとコラボして独自の世界観を確立した『The Dream of the Blue Turtles』『Nothing Like the Sun』の時期は、Stingの創作意欲がピークに達していた頃である。ジャズともロックともカテゴライズできない、正しくSting’s Musicと形容されるサウンドは、その後のアシッド・ジャズともコミットしない独自のものである。
 このままこの路線で行ってたら、エスニック・ビートの導入からPeter Gabriel的なサウンドのシンクロニシティもあり得たのだろうけど、前後して実父の死を始めとしたプライベートでのトラブルが重なり、ソングライターとしてのStingに内的変化が生じてくる。センチメンタリズムを排除したこれまでのドライな音楽性に、内的なヒューマニズムの影が差しこむようになる。

 プライベートな感情吐露を自伝的に綴ったシンガー・ソングライター的作品『Soul Cage』は、前作の勢いもあってセールス的にはアベレージ・クリア、これまでにないStingの人間的な側面が垣間見られた作品だったけど、当時の俺的には内省的な干渉がウェットに思え、1、2回聞いた程度ですぐ売っぱらってしまった。
 普通、鉄面皮だったアーティストがこれまで見せなかった心情面をさらけ出す作風の変化は、ファンにとって喜ばしい行為であるはずなのに、彼の場合、そういった風には取られなかった。こう思っていたのは俺だけじゃないはずで、実際、『Soul Cage』以降の作品はセールス的には成功を収めているけど、クリエイティヴな面で評価されることはほとんどない。以前より多くのユーザーに、「普通の大物ロッカーの新譜」として消費されていったのだ。なので、後に残るものは少ない。
 真の意味でプログレッシブな存在だったStingは、一旦ここで終わってしまったのだ。

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 なので、『Soul Cage』以降のStingとは、俺の私観で言えば長い長い余生、引き伸ばされたエピローグのようなものである。そういうわけで俺、『Mercury Falling』も『Last Ship』も聴いてない。俺の中でのStingは、『Nothing Like the Sun』までの人だったのだ。
 この間にPoliceの再結成があったけど、現在進行形を捉えたサウンドの提示はなかった。それはあくまでデビュー30周年というお題目で集まったセレモニー的なイベントであり、継続する活動ではなかった。契約的に新曲制作ができなかったこともあるしね。

 その後のStingのキャリアは、総決算的な活動に収束して行く。新境地開拓として、クラシックへのアプローチは果敢なチャレンジなのだろうけど、あくまでロックのフィールドに踏みとどまっている彼を支持していた多くのファンからすれば、「そうじゃないんだけど」感が強かったはず。ていうか、ファンが求めるSting像とは円熟や深化であって、今さら別に新しいものを求めてるわけじゃないのだ。
 その時々の感情の揺らぎがコンセプトに反映するStingだけど、それなりに優秀なブレーンも揃っているだろうし、また自身も常に第三者的な視線を持ち合わせているので、ファンのニーズは常に気にしているはず。
 そういう人だからこそ、何かとリスクの多いPolice再結成にも同意したわけで。

 思えば、前回レビューでも取り上げたPeter Gabrielとのジョイント・ツアーが、今回のポップ・フィールドへの回帰のきっかけになったんじゃないかと思われる。
 近年のこの手のジョイント・ツアーは、主に北米を中心に行なわれるため、映像で見ただけだけど、2人とも良い意味で伝統芸能の域に達していた。StingもGabrielも、自分のパートを全盛期にも勝るテンションでプレイしながらも、パート・チェンジに差し掛かるとスッと身を引き、メインのサポートに徹する。その間、アーティスト・エゴのコントロールが絶妙なのだ。
 これが80年代だったら、お互いエゴのぶつかり合いで俺が俺がになっていただろうし、そもそもタッグを組むことなどあり得なかった。一応は現役だけど、第一線からはセミリタイア気味の両名、年月を経てキャリアも確立したゆえの、いわゆる大人の余裕である。
 入念なリハーサルとシミュレーションによって、緻密にコントロールされたステージ構成には破綻がない。多少のサプライズがあっても即時対応できる、熟練のバンド・メンバー、ベテラン・スタッフが後ろに控えている。メイン・キャスト2名は思うがまま、真摯なエンタテインメントとしてプレイするだけ。でも、安心して聴くことができる。危機管理が徹底しているのだ。

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 Genesis時代のGabrielは、自己陶酔と自虐の入り混じったシアトリカルなステージング、ソロ以降のStingは、カッチリ構成されたジャジーな大人向けのサウンドを展開していた。その2人のアーティスト・エゴは高く評価されたけれど、その完成度の高さゆえもあって、息苦しささえ感じられたことは事実。ある意味、ユーザーへの課題提示、「この世界観を理解できなきゃダメだ」的な圧迫感を漂わせていた。一見さんはお断りなんだよな、昔の2人って。
 で、今ではすっかり角の取れた2人である。もはや先へ進む冒険は必要ない。彼らに求められているのは、共感できるノスタルジーだ。事前リサーチによってセレクトされた、観客のニーズを的確に捉えたヒット曲を、可能な限り往年のテンションで、きちんとアリーナ・サイズに収めてプレイする。
 そこには、音楽的挑戦やアクシデントはないけれど、確実にwin-winの関係が築かれている。

 そのツアーに入る前に作られた、「ポップ・フィールドへの前線復帰」とされているのが、今回の『57th & 9th』。
 先日、スマスマでもプレイしていた、冒頭のシングル曲だけ聴いてると何だか微妙だけど、アルバム後半に進むに従って、ロック的なダイナミズムが復帰しているのがわかる。まぁ戦略上のつかみとして、「オーソドックスな大人のAOR」というのは、一般人が思うところのSting像であり、マーケティング・リサーチに基づいた構成なのだろう。『Nothing Like the Sun』でも、CM曲の「We’ll Be Together」だけ妙に浮いてたけど、アルバムのウリとしては必要不可欠だったし。
 今回、彼がやりたかったのは、もっと初期衝動に基づいた粗野なビート、それでいて65歳の自分の身の丈にあった、回顧モードじゃないロックを演ってみたかった、というのが正直な気持ちだろう。ここ20年くらい、事実上の固定メンバーとなっているDominic Miller (g)、Vinnie Colaiuta (dr)との3名で断続的に行なわれた荒々しいセッションをもとに、ほんの少しのコンテンポラリーな味付けを施されて、このアルバムはリリースされた。

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 年末の慌ただしいプロモーション来日を経て、2月のバンクーバーから始まる世界ツアーが始まるわけだけど、インフォメーションを見ても日本公演の予定は入っていない。スケジュール的なものなのかギャラ的なものなのか、その辺はちょっとわかりかねるけど、夏フェスあたりに照準を合わせているのか。
 今年いっぱいはロック・モードのStingだけど、その後もロック・サウンドの深化を図るのか、それとも再度クラシック方面へ回帰してしまうのか。まぁ好きでやることだろうから、こちらからは何も言えないけど、飽きたらまた戻ってきてよ、としか言いようがない。
 それよりさ、もう一回、Policeやってみれば?今度はソロ作品持ち寄って、「せーの」で3人でセッションするみたいな。Stingがすっごく身を引けばできるんじゃないかと思うんだけど。
 まぁ無理か。Stewartが暴君になるのを耐えられないよな。


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1. I Can't Stop Thinking About You
 アルバムからのファースト・カット・シングル。リリース前のインフォメーションで紹介されるのはほぼこの曲だったし、前述のスマスマでも選曲されていたので、それほど感心がなくても耳にしたことがある人は多いはず。Stingも現役でガンバッてるんだなぁと感慨に耽りながらカーステレオで聴き流してしまう、そんな曲。FMで流れてると、「おっStingだっ」と反応してしまうけど、でもそれだけ。別に購買意欲を掻き立てられるほどではない。アベレージはクリアしましたよ的な佳曲。



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 アルバムリリース前に配信された、Prince死去を受けて書かれたトーキング・ブルース風バラード。BowieやGlenn Frey、MotörheadのLemmyについても言及しており、ロック全盛期を担ったアーティストらの鎮魂歌となっている。Sting自身も65歳、そろそろ終活的な楽曲がリアルに響いてきた。そんな歳なんだな、アーティストも俺も。

3. Down, Down, Down
 曲調としては1.と似てるけど、キーが低めのヴォーカルとピッチを落とした演奏が90年代アメリカ・オルタナっぽい印象。ギターの音なんてまさにソレ。Police時代ならもっと速いテンポでプレイするのだろうけど、ここではじっくり腰を落とした大人のロック。タイトル通りだな。

4. One Fine Day
 畳み掛けるようなサビがSting節といったところ。メロディからは『Soul Cage』時代のシンガー・ソングライター的なテイストが感じられる。なので、ロックっぽくはない。ただ、メロディ的には収録曲の中では群を抜いている。

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5. Pretty Young Soldier
 出だしのギターの音色がXTCっぽく感じられたけど、考えてみれば同世代だった。ポップ要素を混ぜた変則リズムのロックは、俺世代にとってはツボ。ステレオタイプのロックではないけど、Stingらしさが発揮されたナンバー。屈折してないAndy Partridgeといった風情、俺は好き。

6. Petrol Head
 わかりやすいギター・リフ、そしてここにきて初めてシャウトするSting。コード進行も至ってシンプル、ステレオタイプではあるけれど、ファンからすればテンションが上がる一曲。しかも、たったの3分間。勢いだけじゃなく、きちんと練り上げられたうえでのストレート・アヘッド。Policeでやったらもっと面白いのに、と無いものねだりしてしまう。

7. Heading South on the Great North Road
 ここでいったん休憩、アクセント的にブリティッシュ・トラッド風味のアコースティック・チューン。わかりやすくいえば「Fragile」。
 しかし、どの曲も3分程度で心地よい。CD時代になってから、やたらイントロ・アウトロの長い5~6分サイズの曲ばっかりになったけど、配信時代になってからはその辺も自由になった。

8. If You Can't Love Me
 で、この曲が4分半。ギターのアルペジオはきれいに響いてるけど、それだけの印象。7.との組曲的扱いとなっているらしいけど正直、7.だけでいいかな。

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9. Inshallah
 ある意味、このアルバムのハイライト。これまでリズムやメロディ面でのアプローチとして、第三世界のマテリアルを咀嚼し、活用することはあったけど、アラビア圏のイディオムの使用は初めて。これ見よがしにアラビアン・テイストを使っているわけではない。あくまでコンセプトとしてのInshallah、構成しているのはすべてロックの言語である。
 ボーナス・トラックのベルリン・セッション・ヴァージョンでは、もっと中近東テイスト満載なのだけど、そこをうまく咀嚼して明快なパッケージにしてしまうのが、やはりStingの成せる業。あからさまにアラビックに染めてしまうのは、どこか抵抗があったのだろう。



10. The Empty Chair
 ラストはしんみり、アコギ一本で奏でられるバラード。正直、これってStingじゃなくってもいいんじゃね?的な無難なバラードだけど、2分半といったコンパクト・サイズは好感が持てる。ここでドラマティックなエピローグにしないところが、彼の趣味の良さなのだ。
 でも、相変わらずジャケット・デザインはダサいままだよね。




Best of 25 Years: Double Disc Edition
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「日本のロック」という文脈ではくくり切れない人たち - ローザ・ルクセンブルグ 『ぷりぷり』

61B1qwXLzAL 日本のオルタナティブ/インディーズで活動するミュージシャンがメイン・カルチャーのメディアで紹介されるようになったのは、70年代前後からである。GS〜フォークの時代にも音源化されていないアーティストは山ほどいただろうし、一部はマニア有志による発掘作業が今でも進められているのだけど、どれも歴史的資料、時事風俗の記録的意味合いを超えるものではない。B級GSや新宿西口フォークに純粋な音楽性を求めて聴く者はあまりいない。そこには好事家的なノスタルジーの香り、音楽を取り巻く時代状況を考察する視点の方が強い。
 ファンクラブ限定で配布されたジャックスの私家盤や、現役時代からすでに幻の存在とされていた裸のラリーズ、頭脳警察や村八分あたりからやっと、アルバムというまとまった形で提示できるアーティストが出現する。ステージ上の露出行為や発売禁止処分にあったりなど、まだまだスキャンダラスな側面が強い人たちばっかだけど。

 フラワー・トラベリン・バンドや外道など、欧米のハード・ロックにも引けを取らない、「ある程度」きちんとしたロック・バンドの登場によって、メジャー・リリースの活路がちょっとだけ開けるようになる。それでもまだ、エキゾチックなステージ衣装や挑発的な発言ばかりがクローズアップされて、いまだ純粋な音楽的評価を得るには至っていない。
 次なるムーヴメントがUKパンクの勃興、長髪と冗長なインプロビゼーションを捨てたバンドマンたちは我先にと髪を立て、3コードで放送禁止用語をがなり立てるようになる。東京ロッカーズの台頭をきっかけとして、自主製作のレコードやテープが地下流通するようになった。
 その流れを汲んだまま80年代に突入し、何でもアリのニューウェーブ時代、そこでメジャーとインディーズとの垣根が一気に低くなった―、といったところまでが、俺の私観。すごくザックリ書き連ねてみたけど、概ねこんな感じじゃないかと思う。細かいところは各自補足して。

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 いま挙げたアーティスト以外、自主製作はおろか音源さえ残さなかったバンドの方が当然多かったわけで、そんな泡沫連中の動向まで逐一カバーできるはずもない。70年代アングラ・シーンの最大の情報源とされていた「ぴあ」でさえ完全なデータとは言えないし、第一チェックできたとしても、すべてのライブを観れるわけではないのだ。
 80年代をリアルタイムで生きてきた俺の時代になると、インディーズの市場がメジャー予備群的に拡大しつつあった頃とリンクしていたため、雑誌メディアでの情報も多少は増えていた。北海道の中途半端な田舎ではあったけど、品揃えにこだわりの強いレコード店には、数少ないけどインディーズ・コーナーも設けてあって、そこで初めてブルーハーツの「人にやさしく」のドーナツ盤を発見した。近所に伝説のライブハウスもあったしね。

 で、ローザ。
 彼らもまたブルーハーツとほぼ同時代に活動していたバンドである。調べてみると、ローザのメジャー・デビューが85年で、ブルーハーツが87年だった。彼らの方が早かったんだな。
 当時はメジャー・デビューに至るまでのハードルが高かった、また前述のスキャンダラスな面が強いバンドに対する規制が強かったため、受け皿としてのインディーズ・シーンの隆盛がよく語られている。いるのだけれど。
 リアルタイムで80年代を生きてきた俺の、これまた私観だけど、刹那的な時代風俗の側面も強かった80年代中盤からのオルタナ・シーンでは、メジャーへのステップはそこまで高くなかったんじゃないか、という印象。セールス動向が読みづらかったせいで継続的な複数契約は難しかったけど、ワンショット契約での単発リリースは各メーカー、試験的に行なっていた。

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 考えてみれば、以前と比べて壊滅的にCDが売れない現代の方が、メジャー・リリースへの障壁は高いんじゃないかと思うのだ。損益分岐や販売計画など、レコード会社の社員ディレクターのデスク・ワークは、以前にも増して膨大となり、新たなアーティストをチェックする時間も余裕もない。収益見込みの確実な根拠がない限り、リスクを被ることもできなくなっているのだ。
 世界的な物理メディアの販売不振やらダウンロード販売の隆盛やら、ストリーミング・サービスの台頭やらインディーズ・シーンのシステム化やら、理由はいくらでも挙げられるけど、結局のところ、80年代当時は景気が良かったのだ、ということに尽きる。プラザ合意間もない頃の日本経済は、1億総中流社会と形容されており、誰も飛び抜けて贅沢はできないけど、まじめに勤めていれば誰でも平均的な生活レベルを手に入れることができる程度の社会基盤が整っていた。みんなが同じ生活レベルだったため、自然と趣味嗜好も似たようなものになり、みんなが同じ流行のものに飛びついた。

 音楽業界も同様で、ヒット曲とは老若男女、誰でも気軽に口ずさめるものだった。最大公約数的に万人向けのものではあったけれど、時間と金をかけてプロの手でしっかり作り込まれた楽曲は、時代を経ても古びないものだったことは歴史が証明している。
 中には流行狙いの安易な作りの楽曲もあったけど、手間ヒマかけて送り出された多くの楽曲は会社にアーティストに収益をもたらし、その一部をまた新たな楽曲・新たなアーティストに投資した。そういった循環がうまく回っていたのが80年代である。90年代に入ると、シェアはさらに拡大したけど、マーケティング理論が介入し始めて、音楽が商品になっちゃって、ニュアンスがちょっと違ってくる。

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 実は80年代中盤というのはCDバブルのちょっと前、レコードの出荷枚数が微減していた時期である。ミリオン・ヒットも出てないしね。
 それにもかかわらず、当時の社員ディレクターは骨のある人物が多く、自ら現場に赴いて情報収集、まだ他社との契約に至っていない新進バンドの面倒を見、見込みがあれば二人三脚でデビューにこぎ着けられるよう尽力していた。今ならデスク上でYouTube やtwitter をチェックする程度で済ませてしまうけど、ビジネスを超えて音楽産業に携わる者としての気概に満ちていた、そんな時代である。

 なので、セールス的に苦戦することは目に見えてるけど、利益追求と並行して文化事業でもあるレコード会社の役割として、先行投資的に新興ジャンルの育成を強化するメーカーも多かった。昔から1つの大ヒットで100のアーティストを養う業界構造は今も変わらないけど、70年代的理想主義の最後の砦として、ニューウェーブ系のアーティストを抱えているメーカーは多かった。

 メジャー・レーベルRVCから派生、YMO散開後の坂本龍一を中心として設立されたミディからデビューしたのが、ローザである。当時のラインナップとしては、坂本の他に矢野顕子と大貫妙子、EPOや鈴木さえ子といった面々。こうやって並べてみると、ローザだけ明らかに異色である。多分、ファントムギフトと同じカテゴリーだったのかな。
 教授周辺のアーティストが一種のインテリジェンス、選民的なイメージ戦略だったのに対し、ローザはアングラ上り特有の粗野なイメージをそのまま持ち込んでデビューした。もともとミディというレーベルの社風から、アーティスト・マネジメントには不干渉だったため、彼らの存在は特に浮きだって見えた。そのバックボーンには京都のアングラ・シーンの不穏な妖気が立ち込めており、笑顔の裏側に貼りついた狂気は隠しきれなかった。
 バンド全体のイメージとしては異彩さをはなってはいたけど、ヴォーカルどんとの天衣無縫なキャラクターは、隣りの兄ちゃん的な親近感さえ漂わせていた。
 そういえば矢野顕子とかぶるよな、キャラクター的に。

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 無邪気な笑顔で虫やカエルを踏み潰す、天真爛漫と残虐性とを併せ持った子供のようなキャラクターは、案外お茶の間への好感度アップへと寄与した。本格デビュー前にもかかわらず、なぜか無名の彼らがセブン・イレブンのCMキャラクターに抜擢されたのは、いまを持って謎。
 考えてみれば、セブンも一貫して変わった企業だよな。長いことCMでタイマーズ使ってるし。俺的には全然オッケーだけど。

 ローザ解散後もどんと、「平成教育委員会」のレギュラーとして、特異な回答やリアクションを連発している。ライブの時とは違ってちょっと照れ臭そうに、どこか憎めなくって頼りないけど何だかみんなに愛されてしまうキャラクターは、終生変わることはなかった。こういった振る舞いは演じてできるものではないので、やはり生来の人柄に依るものなのだろう。

 余計な美辞麗句や賛辞、形容を取り払って彼らの音を聴くと、基本はオーソドックスなロックンロールであることに気づかされる。その奇抜なメイクやコスチューム、デビュー前に帯同した欧州ツアーから由来するアングラ演劇からの影響、また当時からジャンルに捉われないどんとのキャラクターも相まって、プラスアルファのオリジナリティは満載なのだけど、基本はシンプルな8ビートである。それらはすべて、初期ローザ・サウンドのイニシアチブを握っていた玉城宏志の志向を中心として構成されている。
 基本のバンド・アンサンブルがしっかり構築されていたおかげもあって、どんとの自由奔放さが活きた、という見方もできる。メンバー全員がどんとみたいだったら、ただの下手くそなアバンギャルドになってしまう。収拾つかないだろうな、多分。

 どんともその辺は自覚していたのか、終生、バンドのメンツは気心が知れていて、しかもテクニック的に申し分ない者ばかりだった。フラフラ飛び回る自分をしっかり繋ぎとめる基盤=プロミスト・ランドが必要であることを自覚していたのだ。
 でも、メンバー全員がどんとのバンドも、怖いもの見たさで面白そうなのだけど。


ぷりぷり
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ローザ・ルクセンブルグ
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1. おもちゃの血
 かなりファンクに接近したロックンロール。なので、それぞれの音のパートをもっと太くミックスすると、Rage Against the Machineのようにも聴こえる。あそこまでの仰々しいメッセージ性はないく、歌詞はほぼノリ、セッション中に「おもちゃのチャチャチャ」をなんとなく口ずさんだら、語感とリズムがうまくマッチングしていつの間にかできあがっちゃった、てな感じ。

2. 在中国的少年
 オリエンタルなギター・リフが耳に残る、ローザ代表曲のひとつ。ギターばかりがどうしてもピックアップされがちだけど、通底音として切れ目なく地を這いまわるベース・ラインが無国籍性をさらに引き立たせている。

 うんばぱっぱ、うんばぱっぱ、よいよいよ~い。うんばぱっぱ、うんばぱっぱ、あらえっさっさあ

 歌詞はさらに意味性を超越している。ていうか音頭のかけ声だよな、これって。民族的舞踊の原初に立ち返ってリズムを強調した、本能に基づいた剥き出しの野生が云々-。
 まぁそんな小難しいとこは抜きにして、この時代にこんなサウンドを創り出していたことを素直に受け止めよう。



3. 原宿エブリデイ~ブルーライトヨコハマ~
 再びスカ・テイストの入ったファンク。この辺はリズム・セクションの力が絶大。こういった曲を聴いてると、ローザというのはほんと、バンドとしてのポテンシャルが高かった、というのが露わになる。当時のアングラ・シーンで「ブルーライト・ヨコハマ」のような40年代歌謡曲を題材に曲を作ろうとしたバンドはいなかった。しかも懐メロとしてではなく、素材をきちんと活かし、それでいてオリジナリティでねじ伏せてしまうこの力技といったら。
 
4. イヨマンテ
 アナログ時代は未収録、シングル・カットされた2.のB面としてリリースされたのが初出。初リリース時はまだアナログとCDの出荷量がほぼ同等程度だったため、知ってる人知らない人半々だった。
 三味線風のギター、SEを交えた間奏の寸劇。語源であるアイヌの儀式とどこに関連があるのかはあまり考えないとして、ストレートなロックをここまでシアトリカルな構成に仕立ててしまう、玉城宏志の才覚があふれまくった快作。

5. 北京犬
 リズムだけはレゲエだけど、全然快楽的に聴こえず、かといって陰鬱でもない。まさしくどんと、ローザ・ワールド。最後にただ「ペキン・ドッグ」って言いたかっただけじゃねぇか、とまで思ってしまう。

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6. 大きなたまご
 アナログA面最後はベース永井利充による、UKニューウェーヴの香りを漂わせるアンビエントなスロー・ナンバー。玉城主導による重厚感あふれるロックと、無国籍かつ抒情的などんとのメランコリックな感性がローザの柱とされているけど、多彩な音楽性を持つメンバーそれぞれの個性が有機的に絡み合って成立していたのがローザ・ルクセンブルグというバンドだったわけで、ここではそのパーソナルな部分がクローズアップされて、独特の世界観を築いている。ていうか、こんな浮遊感あふれるサウンドもできますよ的なロック・バンドが、当時、日本にいたか?
 どんとのハーモニカと玉城のギターも、ツボを心得たように引きの美学を見せている。

7. アイスクリン
 ZEPをこよなく愛する玉城のテイストがかなり濃い、これまでよりBPMも早めの疾走感あふれるロック・チューン。でも歌ってるのはどんと、相変わらず意味解釈を否定するような歌詞で突っ走ってるので、いつものローザ。ライブ映えしたんだろうな、やっぱり。
 間奏はもろZEPへのリスペクト。凝りに凝りまくったエフェクトが次作『Ⅱ』への布石とも読める。

8. バカボンの国のポンパラスの種
 これもバカボンってただ言いたかったんだろうな、と読めてしまう、同じくライブ映えするハイパー・ロック・チューン。7.と同じく間奏はZEP的。
 Jimmy Pageはこれを聴いてどう思うだろうか。当時は確かPaul Rodgersと組んでFirmを結成、いま聴けば微妙な産業ブルース・ロックでお茶を濁していた。誰かこれを聴かせてケツを叩いてやればよかったのに。

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9. だけどジュリー
 沢田研二のことではなく、京都時代のホームレスのおっさんを題材とした、これまでよりお遊び心満載のロック・チューン。ギターがいきなり「Get it on」だし、間奏のホーンはまんまJB。ギター・ソロもメロディアスで歌謡曲チックだし、肩の力は抜けまくり。ほぼトラックはいじられてないため、セッションのゆる~い熱気がそのまんま収録されており、当時のバンドの雰囲気が感じられる。

10. ぶらぶら
 4.同様、こちらも当時はCDのみ収録、最初に入手したのがレンタル・レコードだった俺がこの曲に出会ったのは10数年後の再発CDだった。ちょっとロックっぽくしてみた感じのサウンドは、一般的に思われてる破天荒なイメージとはちょっと外れている。まぁこんなのもできるんだよ的な受け止め方かな、俺は。

11. ニカラグアの星
 正統ファンク・ロック。普通なら派手にホーンを入れたりエレピを絡ませたりするところを、あくまで3ピースの音で表現しようとしたところがローザの潔さであり、そしてまた限界でもあったんじゃないかと思う。まぁ玉城の目指すところは70年代ハード・ロックだったわけだから、その辺は仕方ないとして。実際、これも後半はスペーシーなギター・ソロとカッティングのコントラストで埋め尽くされてるし。
 ニカラグア?意味を求めちゃいけない。単に言ってみたかっただけだよ。

12. 毬絵
 6.同様、80年代中~後半、ロキノンやフールズ・メイト界隈でのみで人気を博した4ADレーベルのサウンドが憑依したアンビエント風バラード。リズム・セクションという地味なポジションゆえ、こういった永井の感性は目立ちづらいけど、濃すぎる2人のフロントマンのアクセントとして、または緩衝材としての役割は十分果たしている。

13. 少女の夢
 最後はこちらも代表曲、ストレートなロック・サウンド、メンバー全員でシャウト。ライブでも定番のアッパー・チューン。歌詞は…、まぁ聴いてもらえればいいかな?書き出すのはちょっと憚れる。でも、ロック・チューンとしてはローザの中でも1、2を争うクオリティ。





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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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