好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

「ゴチャゴチャ言わんと聴かんかい」という音楽 - Miles Davis 『Get Up With It』

folder 1974年リリース、引退前最後のMilesバンド、1970年から74年にかけてレコーディングされた未発表曲のコンピレーション。後年になって評価が高まった電化マイルス期のスタジオ録音というのは、1972年の『On the Corner』までであり、それ以降の作品はすべてライブ録音である。そういえばそうだよな、改めて気づいた。
 多分、この時期のMilesはアルコールとドラッグによる慢性的な体調不良を抱えていたため、支払いが遅く時間の取られるスタジオ作業より、チャチャっと短時間で日銭の入るライブに重点を置いていたんじゃないかと思われる。野放図な当時の生活を維持するため、コロンビアのバンスもバカにならない金額になっていただろうし。
 とはいえ、まったくスタジオに入らなかったわけではない。この時期のセッションを収録したコンピレーションは、以前レビューした『Big Fun』もあるし、裏も表も含めて発掘された音源は、そこそこある。
 この時期のMilesセッションは、「長時間テープを回しっぱなしにして、後でスタジオ編集」というスタイルが確立していたため、マテリアルだけは膨大にあるのだ。それがまとまった形にならなかっただけであって。

 実際、収録されているのは、そのとっ散らかった72年から74年のセッションが中心となっており、70年のものは1曲だけ。その1曲が「Honky Tonk」なのだけど、メンツがまぁ豪華。John McLaughlin、Keith Jarrett、Herbie Hancockと、当時でも十分重量級だった面々が名を連ねており、これだけ聴きたくて買った人も相当いたんじゃないかと思われる。
 リリース当時は、酷評か黙殺かご乱心扱いだった『On the Corner』の布陣では、プロモーション的にちょっと引きが弱いので、無理やり突っ込んだんだろうな。Miles もコロンビアも、そのくらいは考えていそうだもの。

Miles Davis LA 1973 - Urve Kuusik

 前述したように、この時期のMilesのレコーディングは、1曲通しで演奏したテイクが完パケとなることが、ほぼなかった。『On the Corner』も『Jack Johnson』も『Bitches Brew』も、プロデューサーTeo Macero による神編集が施されて、どうにか商品として出荷できる形に仕上げられている。
 「テーマとアドリブ・パートの順繰りをざっくり決めて、チャチャっと何テイクかセッション、デキの良いモノを本テイクとする」、そんなジャズ・レコーディングのセオリーとは明らかに違う手法を確立したのがMilesであり、彼が生み出した功罪のひとつである。プレスティッジ時代に敢行した、超スパルタのマラソン・セッションを経て、既存の手法ではジャズの枠を超えられないことを悟ったMilesがたどり着いたのが、レコーディング設備をも楽器のひとつとして捉えるメソッドだった。当時のポピュラー・シーン全般においてもあまり見られなかった、偏執狂的なテープ編集やカットアップは、電化に移行しつつあったMilesとの相性が格別良かったと言える。

 メロディやテーマもコードも埋もれてしまう『On the Corner』で確立されたリズムの洪水は、セッションを重ねるごとにインフレ化し、次第にポリリズミカルなビートが主旋律となる。メインだったはずのトランペットの音色も、電化によって変調し増幅され、音の洪水に埋没してゆく。制御不能となったリズムに身を委ね、自ら構成パーツのひとつとなることを望むかのように。
 『On the Corner』までは、バンマスとしての役割を辛うじて果たしてはいたけど、これ以降のMilesは、自ら生み出したリズムの怪物に振り回され、侵食されてゆく過程を赤裸々に描いたと言ってもよい。
 「混沌をコントロールする」というのも妙な話だけれど、『On the Corner』期のセッションでは、そのヒントが得られたはずだった。JBやSlyによって発明されたリズムからインスパイアされ、メンバーにもファンクのレコードを繰り返し聴かせた、というエピソードが残っているように、新たな方向性を見出して邁進するMilesの昂揚感が刻まれている。

2E93A4BB00000578-0-image-m-26_1447883938020

 「じゃあ、さらにリズムのインフレを人為的に起こしたら、一体どうなるのか?」というフィールド・ワークが、いわばこの時期のライブであり、スタジオ・セッションである。エンドレスに続くリズム・アンサンブルから誘発されるグルーヴ感に対し、無調のメロディをカウンターとしてぶつける、というのが、当時のMilesのビジョンだったんじゃないかと思われる。
 大勢による複合リズムに対抗するわけだから、単純に音がデカい、またはインパクトの強い音色でなければならない。なので、Milesがエフェクターを多用するようになったのも腑に落ちる。もはや「'Round About Midnight」のような繊細なプレイでは、太刀打ちできないのだ。
 「俺のソロの時だけ、一旦ブレイクしろ」と命令も無意味で、それをやっちゃうと、サウンドのコンセプトがブレる。リーダーの一声で制御できるリズムなんて、Milesは求めていないのだ。
 強いアタック音を追求した結果、ギターのウェイトが大きくなるのも、これまた自然の流れである。ただ、Milesが求めるギター・サウンドは、一般的なプレイ・スタイルではなかった。かつてはあれだけお気に入りだったMcLaughlinの音でさえ、リズムの洪水の中では大人しすぎた。
 カッティングなんて、気の利いたものではない。弦を引っ掻き叩く、まるで古代の祝祭のごとく、暴力的な音の塊、そして礫。流麗さや優雅さとはまるで対極の、感情のうねりと咆哮-。

hqdefault

 そんな流れの中では、どうしても分が悪くなるのが、ピアノを筆頭とした鍵盤系。アンプやエフェクトをかませてブーストできるドラムやギターの前では、エレピやオルガンは立場が薄くなりがちである。
 もう少しパワーのあるシンセだって、当時はモノフォニック中心で、スペック的には今とは段違い、ガラケーの着メロ程度のものだったため、あまりに分が悪すぎる。メロディ・パートの表現力において、ピアノは圧倒的な優位性を有してはいるけど、でも当時のMilesが求めていたのは、そういうものじゃなかったわけで。
 リズム志向とは別枠で、電化マイルスが並行して模索していたのが、Stockhausenにインスパイアされた現代音楽の方向性。メロディ楽器というより、一種の音源モジュールとしてオルガンを使用、自ら演奏しているのが、収録曲「Rated X」。ゾロアスターの教会音楽や二流ホラー映画のサントラとも形容できる、既存ジャズの範疇ではくくれない実験的な作品である。
 ただこういった使い方だと、いわゆるちゃんとしたピアニスト、KeithやHerbie、またChick Coreaだって使いづらい。言っちゃえば、単なるロング・トーンのコード弾きだし、いくらMilesの指示とはいえ、やりたがらないわな。

 「ジャズに名曲なし、名演あるのみ」という言葉があるように、ジャズの歴史は主に、プレイヤビリティ主導で形作られていった。すごく乱暴に言っちゃえば、オリジナル曲もスタンダード・ナンバーも、あくまでセッション進行の目安に過ぎず、プレイヤーのオリジナルな解釈やテクニック、またはアンサンブルが重視される、そんなジャンルである。
 スウィングの時代なら、口ずさみやすいメロディや、ダンスに適したノリ重視のサウンドで充分だったけど、モード・ジャズ辺りから芸術性が求められるようになる。「ミュージシャン」が「アーティスト」と呼ばれるようになり、単純なビートや旋律は、アップ・トゥ・デイトな音楽と見なされなくなっていった。
 時代を追うに従って、ジャズの芸術性は次第に高まっていった。そんな中でも先陣を切っていたのがMilesである。若手の積極的な起用によって、バッサバッサと道なき道を開拓していった。

images

 ただ、ジャズという枠組みの中だけでは、新規開拓も限界がある。60年代に入ったあたりから、モダン・ジャズの伸びしろは頭打ちを迎えることとなる。
 プレイヤーの表現力や独創的な解釈に多くを頼っていたモダン・ジャズは、次第にテクニック重視と様式美に支配されるようになる。ロックやポップスが台頭する中、冗長なインタープレイと腕自慢がメインとなってしまったジャズは、すでに伝統芸能の領域に片足を突っ込んでいた。
 ヒップな存在であったはずのMilesが、そんなジャズの窮状に明確な危機感を感じたのが、ファンクの誕生だった。「-今までやってきた音楽では太刀打ちできない」、そう悟ったのだろう。
 いわば電化マイルスとは、既存ジャズへの自己否定とも言える。好き嫌いは別として、モード以降のジャズを作ったのがMilesであることは明確だし。

 これまでのジャズの人脈とはちょっと外れたミュージシャンを集め、冗長なアドリブ・パートを廃し、ひたすら反復リズムを刻むプレイに専念させる。そこにスター・プレイヤーや名演は必要ない。集団演奏によって誘発される、邪悪でデモーニッシュなグルーヴ。それが電化マイルスの基本ビジョンだったと言える。
 これまでジャズのフィールドにはなかった現代音楽やファンク、エスニックの要素を取り入れた、複合的なごった煮のリズムとビートの無限ループ。その音の洪水と同化しつつ、クールな頭脳を保ちながら最適なソロを挿し込む作業。その成果のひとつ、電化マイルスの第一の到達点が『On the Corner』だった。

miles-davis-1971-anthony-barboza

 じゃあ、その次は?
 Milesが隙間なく組み上げたサウンドとリズムの壁は、盤石なものだった。なので、あとはもう壊してゆくしかない。
 ただ、完璧に壊すためには、完璧に創り上げなければならない。もっとリズムを・もっと激しく。リズムのインフレの始まりである。
 こうなっちゃうと、もう何が何だか。どこが到達点なのかわからなくなる。
 -完璧なサウンドなんて、一体誰が決める?
 そりゃもちろんMilesだけど、そのジャッジはとても曖昧だ。ただでさえ、酒やドラッグで精神も脳もやられているため、朝令暮改が日常茶飯事になる。昨日言ったこと?ありゃナシだ。もう一回。
 未編集のまま放り出された録音テープが溜まりに溜まり、いつものTeoに丸投げするけど、もはや彼の手にも追えない。だって、あまりに脈絡が無さすぎるんだもの。どう繋いだり引き伸ばしたりしても、ひとつにまとめるのは無理ゲー過ぎ。

 なので、『On the Corner』以降の作品が、このようなコンピレーションかライブ編集モノばかりなのは、致し方ない面もある。逆に言えば『Get Up With It』、無理にコンセプチュアルにまとめることを放棄し、多彩な実験を無造作に詰め合わせたことによって、当時のMilesの苦悩ぶりが生々しく表現されている、といった見方もできる。
 誰もMilesに「ハイ、それまでよ」とは言えなかった。自ら崩壊の過程を線引きし、その線をなぞるように坂道を転げ落ち、最期のアガ・パンにおいて、志半ばで前のめりにぶっ倒れた。
 後ろ向きには倒れなかった。これが重要なところだ。試験に出るよ。





1. He Loved Him Madly
 1974年、ニューヨークで行われたセッション。レコーディング中、Duke Ellingtonの訃報の知らせを聞き、追悼の意を込めてプレイされた。そんな事情なので、ミステリアスな沼の底のような、地を這うようなサウンド。呪術的なMtumeのパーカッションと交差するように、ジャズと呼ぶにはオルタナティヴ過ぎなPete Coseyら3本のギター。ジャズとして受け止めるのではなく、かなりイっちゃったプログレとして捉えことも可能。あんまり抑揚のないプレイだけど、Pink Floydがジャズをやったらこんな感じ、と思えば、案外スッと入ってこれるんじゃないかと思われる。
 ちなみにMiles、前半はほぼオルガンに専念、後半になって浮遊感に満ちたワウワウ・ソロを披露している。

2. Maiysha
 一昨年話題となった、Robert Glasper & Erykah Baduコラボ曲の元ネタ。1.とほぼ同時期に行われた、カリプソ風味のセッション。またオルガンを弾いてるMiles。この頃、マイブームだったんだろうな。
 カバーだオリジナルだと区別する気はないけど、この曲においては、Glasperのアイディア勝ち。Erykah Baduもこういったコラボにお呼びがかかることが多いけど、シンガーに徹したことによって、変なエゴが抑えられて程よい感触。
 Milesが土台を作ってGlasperがコーディネート、彼女によって完成された、と言ってもいいくらい、渾身のクオリティ。漆黒の重さを求めるならオリジナルだけど、ポップな歌モノを求めるなら断然こっち。多分Miles、Betty Davisにこんな風に歌って欲しかったんじゃないか、と勝手に妄想。



3. Honky Tonk
 ジャズ・ミュージシャンがロックをやってみたら、こうなっちゃました的な、McLaughlinのためのトラック。一瞬だけスタメンだったAirto Moreiraのパーカッションが泥臭い風味で、単調になりがちなサウンドにアクセントをつけている。まだ電化の発展途上だった70年のレコーディングなので、Milesもオーソドックスなプレイ。彼が思うところの「ロック」はブルースに大きく寄っており、ジミヘンの出すサウンドに傾倒していたことが窺える。
 そんな感じなので、KeithとHerbieの影はとてつもなく薄い。どこにいる?

4. Rated X
 「人力ドラムン・ベース」と俺が勝手に評している、キャリアきっての問題作。要はそういうことなんだよな。ジャズというジャンルからとことん離れようとすると、ここまで行き着いちゃうってことで。テクノと教会音楽が正面衝突して癒着してしまったような、唯一無二の音楽。無限リズムの中を徘徊し、気の赴くままオルガンをプレイするMiles。本職なら選びそうもないコードやフレーズを放り込みまくっている。



5. Calypso Frelimo
 カリプソとネーミングされてるため、享楽的なトラックと思ってしまうけど、実際に出てくる音は重量級のファンク。『On the Corner』リリース後間もなくのセッションのため、余韻がハンパない。なので、ワウワウを効かせまくったMilesのプレイも至極真っ当。このタッチを深く掘り下げる途もあったはずなのだけど、サウンドの追及の末、ペットの音色さえ余計に思うようになってしまう。

6. Red China Blues
 1972年録音、珍しい名前でCornell Dupree (G)が参加、ドロドロのブルース・ナンバー。ハーモニカはうなってるし、ホーン・セクションもR&B風。「へぇ、よくできまんなぁ」と絶賛したいところだけど、誰もMilesにオーソドックスなブルースは求めていないのだった。ギターで弾くフレーズをトランペットで鳴らしているあたり、こういった方向性も模索していたんだろうけど、まぁそんなに面白くはない。自分でもそう思って、ボツにしちゃったんだろうな。

7. Mtume
 レコードで言うD面は人名シリーズ。タイトル通り、パーカッションをフィーチャーしたアフロチックなナンバー。もはやまともなソロ・パートはなく、引っかかるリフを刻むギター、そしてパーカッションの連打連打連打。
で、Milesは?存在感は薄いけど、最後の3分間、ビートを切り裂くようなオルガンの悲鳴。さすがフレーズの入れどころがわかってらっしゃる。

tumblr_odpsphgemM1snb6qwo1_1280

8. Billy Preston
 あのBilly Preston。Beatles 『Let it Be』で一躍脚光を浴びた、あのBilly Prestonである。ソウル好きの人なら、「Syreetaとコラボした人」と思ってるかもしれない。でもこのセッションBlly Prestonは参加してないという不思議。どこいった?Bille Preston。
 曲自体はミドル・テンポの軽めのファンク。このアルバムの中では比較的リズムも安定しており、Milesも真っ当なプレイ。あ、こんな言い方じゃダメだな、電化が真っ当じゃないみたいだし。





 

ステゴロ勝負のような音楽 - Joni Mitchell 『Hejira』

folder 1976年リリース、8枚目のオリジナル・アルバム。US13位UK9位を記録、アメリカではゴールド・ディスクを獲得している。決してポップともキャッチーとも言えない、こんな愛想のない音楽がトップ10近くまで売れてしまう、そんな時代だったのだパンク襲来以前のアメリカって。
 60年代の狂騒の残り香がひと息ついて、まだサタデー・ナイト・フィーバーもない空白の時期、小難しい理屈をこねた音楽に取って代わって、あんまり深く考えないメロディアスなロックが主流になっていた。EaglesとFleetwood Macがトップ争いを繰り広げていた、そんな時代である。
 ただ、時代の趨勢とは一面的なものではない。もう少し繊細に作られた、Steely Danのようなジャズ・フュージョン/クロスオーバー系のサウンドに人気が集まっていたのも事実。
 そんな流れもあって、Joni の音楽もまた、そこそこ受け入れられる土壌があった。シングル・ヒットを狙ったアーティスト以外にも、ちゃんと居場所があった時代の話である。

 フォーク路線でデビューしたはずのJoni の音楽性が、次第にジャズに傾倒していったのは、伝説的なベーシストJaco Pastoriusとのロマンスが契機になった、とされている。
 出るべくして世に出た、若く才能あふれるミュージシャンとの熱愛。出逢うべくして出逢った2人は、仕事でもプライベートでもかけがえのないパートナーとなる。
 主にリズム楽器だったベースというポジションを、フロントでも通用するリード楽器の地位に押し上げたのは、才気煥発なJacoの功績が大きい。ジャズ・ベーシストの第一人者としてはCharles Mingusが有名だけど、彼の場合、プレイヤーとしてよりはむしろコンポーザー的な評価の方が高い。純粋なベース・プレイのテクニカル面だけで見れば、Jaco に軍配があがる。
 Joniもまた天才肌のミュージシャンであり、同時にアーティストである。なので、仲睦まじく和気あいあいといったムードは、望むべくもない。
 共鳴する部分と反発し合う部分、その絶妙なバランスが、セッションでは化学反応をもたらす。例えて言えば、真剣を用いた居合い切りの試合の如く、ギリギリの緊張感の中で行なわれるつば迫り合い。
 そんな真剣勝負、時にイチャイチャもしながら、2人のコラボレーションは数々の傑作を生み出した。

c6627efb88674060b06f57ed54227429

 いまも世界中のアーティストからリスペクトされ、才女の名を欲しいままにするJoni。音楽だけにとどまらない才能への賞賛、それは確かに間違ってはいないのだけど、反面、誤解されている面も多い。
 若いうちから創作面で頭角をあらわし、David Crosby に見出されてデビューの運びとなったのは知られるところだけれど、クリエイティヴな活動を長く続けるには、また別のスキルが必要となる。単なるひらめきや工夫だけでは、早晩ネタ切れに陥り、先細りになってしまう。
 「天才」の定義として、よく言われるように、「努力する才能」を持つこともまた、条件のひとつである。外部の刺激を貪欲に吸収し、咀嚼して定着させる。インプットした情報を整理する、または整理するためにアウトプットする。その無限ループ。
 それが修練なのか快楽なのか。多分、両方だろう。決して生まれ持った才覚だけで続けてきたのではない。アーティストであり続けることは、何かしらのプラクティスが常について回る。
 そんなJoniの飽くなき探究心が強くあらわれているのが、唯一無二のギター・プレイである。ギターおたくのハシリとも言える彼女は、試行錯誤を繰り返しながら、これまで50を超える変則チューニングを創り出している。特にこの『Hejira』では、曲ごとに調律を変えており、通常のチューニングでは困難なメロディ、ストロークひとつでも奇妙な響きを奏でている。
 現時点で最後の来日公演となっている、1994年奈良東大寺で行なわれたイベント「あおによし」でも、彼女のコードワークは注目を集め、共演した布袋寅泰が手元をガン見していた、というエピソードも残っている。プロ目線で見ると、とんでもないセオリー外しの組み合わせなんだろうな。

016d07f78ceb0bc31c8901f456394200

 そんなJoni の書いた楽曲だけど、基本構造はシンプルで、特別技巧を凝らしたものではない。余計な音はそぎ落とされ、一片のムダもない。なので、音符だけ追ってゆくと、ひどく簡素なものになってしまう。
 Joni 自身、楽曲の完成度には重きを置いていないらしい。歌い演奏する者によって、解釈は様々だ。どれが完成したものだなんて、本人にだってわかりはしない。
 ただ、他者とのセッションによって解釈が混じり合い、思いもよらぬ展開に気づかされることがある。頭の中だけで考えたって、想像の範疇というのは限界がある。脊髄反射でなければ気づかないことは、いくらだってあるのだ。
 Joniが求めるリアクションゆえ、当然、パートナーにも相応のレベルが求められる。天才のイマジネーションを喚起させるためには、同レベルの天才を引っ張ってくるしかないのだ。
 ただ、これまでのロック/フォークの人脈では、ある程度、展開が読めてしまう。いくらフリーに演奏してくれと言っても、結局はポピュラーの範疇でまとまってしまう。循環コードや黄金進行ではない、不定形な旋律やアンサンブルを、彼女は求めていた。
 なので、異ジャンルのジャズ/フュージョンへ活路を求めたのは、なかば必然だった。しかも、息も絶え絶えだった旧世代のモダン・ジャズではなく、ロックやファンクをも吸収した、若い世代の音を。

df590b25b559d79a2cdb4f165eff5a69

 それまでのJoniの音楽的文脈にはなかった、Jacoという異物。彼の繰り出す音は、彼女が求めるビジョンと重なり合う部分が多かった。意思疎通に齟齬をきたすこともなく、ただ感覚にまかせて音を出し合うだけ。音楽を媒介とした、理想的な対話の瞬間だ。
 なので、『Hejira』のサウンドの中心はJoniとJaco、ていうかほとんど2人の音しか入っていない。他の音はほんの味つけ程度、まるで精進料理みたいなサウンドである。アサイラムもよく許可したよな、こんな無愛想な音。
 まるで薄氷を踏むような、一歩間違えれば破綻してしまいそうなセッション。コンポーザーでもあるJoniのバランス感覚もあって、どうにかギリギリの位置で、ポピュラー商品として成立している。

 その後、『Don Juan's Reckless Daughter 』、『Mingus』『Shadows and Light 』と2人のコラボは続くのだけど、長くは続かない。天才同士の確執というかエゴというか、それとも愛情のもつれというか。同じ天才とはいえ、スタンスがまったく違っていたことも、2人の行き先を分かつ要因となった。
 Joni とJacoとの決定的な違い。
 彼女はアーティストであり、彼はミュージシャンだった。
 創り上げる過程に携わったり、また壊すことはできるけど、ゼロから立ち上げるのは不得手だったのが、Jacoの天性 だった。数々のリーダー・アルバムやプロジェクトを残してはいるけど、そのどれもがテクニック優先、トリッキーなプレイが大きくフィーチャーされるばかりで、バンドやユニットとしての必然性が見えてこない。
 これは好みもあるだろうけど、俺的にはJoniとの共演を始め、自らイニシアチブを取ることのないWeather Report など、サイドマンとしての彼を聴くことの方が多い。
 持ち前の直感や嗅覚が鋭すぎるがゆえ、努力や研鑽する必要があまりなかったことも、その後の行く末を思えば、不幸だったと言える。テクニカル面での修練はあっただろうけど、その方向性がクリエイティビティ、また協調性へ向くことは、ついぞなかった。
 Weather Reportを脱退し、そしてJoni と別れてからのJacoは迷走し、錯乱の末、遂には浮浪者同然の生活にまで落ちぶれる。その末路は、とても悲惨なものだった。
 顔見知りのアーティストのライブ観覧中、飛び入り出演しようとしたところ、警備員に取り押さえられ、退場させられる。失意の中、泥酔状態でナイトクラブに入ったところ、ここでもガードマンに取り押さえられ、乱闘騒ぎを起こす。その際、コンクリートに頭部を強打、脳挫傷による意識不明の重体に陥った。昏睡状態のまま意識が戻ることはなく、家族同意のもと生命維持装置がはずされ、亡くなった。
 享年35歳。あまりにも早すぎる、天才の死。それはとてもあっけないものだった。
 -なんでこんなことになっちゃったんだろう?
 本人が一番、そう聞きたかっただろうな。

jacojoni3

 壊すためには、構築しなくてはならない。Joniにとっては、どっちも同等であり、そして突き詰めて考えれば、どっちも同じ行為なのだ。
 彼女は感性の赴くまま、曲を書き言葉を書き、そしてギターをつま弾いた。自身と作品に深みを持たせるため、そして欲望に忠実であらんがため、数々の男性と恋に落ちた。インプットとアウトプット。どちらも同じものだ。
 アーティストJoniは、Jacoの天性を取り込むことによって、クリエイティブ面の幅を広げ、そして深化させた。
 対してJacoは、彼女から何を受け取ったのか。その後の不遇を想うと、結局は搾取されるだけの男だったのか。
 解釈は人それぞれだ。
 受け取った荷物は、手に負えぬほどの怪物だったのか、それとも気づかずに通り過ぎてしまったのか。
 いなくなってしまった今、それは誰にもわからない。





1. Coyote
 カナダでは79位にチャートインしたシングル・カット・チューン。トーキング・スタイルで矢継ぎ早に繰り出される言葉と対照的に、メロディアスな一面も見せるキャッチーさを備えている。彩りを添える程度のパーカッション以外は、2人の真剣勝負。The Bandの『Last Waltz』でこの曲がプレイされており、うら若きSteven Tylerを彷彿させる彼女の姿を認めることができる。聴くとわかってもらえるはずだけど、音数は少ない方が、この曲は映える。



(Last Waltz)



2. Amelia
 Jacoに匹敵するもうひとりの天才が、Larry Carlton。このセットも少人数で構成されており、Victor Feldmanのビブラフォン以外は、ほぼ2人のセッション。ステゴロのような1.の緊張感とは対照的に、ここではゆったり親和的なムードが漂う演奏になっている。ツーといえばカー、そんな感じで息の合った対話。
 ちなみにタイトルのAmeliaとは、赤道上世界一周旅行中、消息を絶った女性飛行士Amelia Earhartを指し、彼女に捧げられている。女性の地位向上に尽力したことと、ミステリアスな死によって、アメリカでは偉人的な扱いになっているらしい。マーケティング分析分野において、「ナンバー1でなくても切り口を変えればナンバー1になりうる」ことを「アメリア・イアハート効果」と形容する。それくらいメジャーな存在。

3. Furry Sings the Blues
 3曲目ではじめて、ギター・ベース・ドラムという普通のスタイルでのプレイ。凡庸ではないけれど、着実に安定したリズムの中で歌いつま弾くJoni。ここでの異物は、あのNeil Young。ハーモニカでの参加だけど、アクの強いプレイ。1.同様、言葉数の多いトーキング・スタイルのヴォーカルだけど、アクの強さに引っ張られてブルース・シンガーが憑依する。まぁそれがテーマの曲だけど。
 天才を凌駕するためには、破天荒なキャラクターじゃないと太刀打ちできないことを証明した演奏。

jacojoni-header


4. A Strange Boy
 「Amelia」と同じセッションでレコーディングされた、こちらはもう少し2人の拮抗ぶりが窺えるナンバー。Carltonのオカズプレイが堪能できる。

5. Hejira
 再び、Jacoとのセッション。今度はクラリネットが少し入るくらいで、ほぼ2人の世界。フレットレス・ベース特有のハーモニクスの音色は、太くどこまでも深い。基本のメロディはシンプルなので、やはり演奏が際立って聴こえる。この時点での到達点となる、コンビネーションの理想形。

6. Song for Sharon
 フォーク時代の痕跡を残す、メロディ中心に構成されたナンバー。3.のメンバーでレコーディングされ、加えてJoniにしては珍しく女性コーラスまで入っている。他のセッションと比べると大幅にリラックスしているので、上質なAORとしても堪能できる。

joni-mitchell-image-from-hejira

7. Black Crow
 Joni、Jaco、Carltonが揃った、アルバム一番の山場。三人三様、持てる技のすべてを出しての真剣勝負。みんなテンションが高い。激しさのあまり、ロックっぽいフレーズを連発するCarlton、「Whole Lotta Love」みたいになっちゃってるJoniのストローク・プレイ、ハーモニクス・プレイ連発のJaco。みんな好き放題にやりながら、奇跡的にまとまっている。よく4分台に収めたよな。



8. Blue Motel Room
 ステゴロのような掴み合いの後は、ちょっとまったりジャジーなバラード。Carltonもここではあんまり本気出していない。曲調からして、フル・スロットルでのプレイは似合わない。普通のオーソドックスなチューンゆえ、あんまりJoniっぽさはないけど、レアグルーヴ好きなら反応するんじゃないかと思う。

9. Refuge of the Roads
 少人数による緊迫したセッションは一旦終了、メロディ主体のアンサンブルにJacoを放り込んだことによって、オーソドックスな楽曲に適度なアクセントがついた成功事例。これ以上のしつこさだと、歌を食ってしまう。ここでのJoniは歌を聴かせたいのだ。
 最後は存在感をアピールするかのように、Jacoのソロで幕。





世界のジャズ・ファンク・バンド巡り - ワールドワイド編

aaa 気がつくと、ここしばらくジャズ・ファンク系のレビューを書いていないのだった。調べてみると、約1年半。まったく聴いていなかったわけではない。最近はロックに回帰、しかもブートレグ・サイトで昔のライブ音源を漁ることが多くなっているけど、不定期に各バンドのフェイスブックやツイッターをチェックしていた。新譜が出れば購入したり試聴したり、おおよその動向はつかんではいたのだ。
 言ってしまえば、ネタ切れ感が強い。いや単なる新譜紹介ならできるのだけど、このブログの通常サイズでレビューするには、あまりに情報が少なすぎる。
 だいたいジャズ・ファンク系のバンドというのは、「ミュージシャン」が多くて「アーティスト」というのは極めて少ない。強いカリスマ性を持つリーダーや、アクの強いキャラクターというのはほとんどいない。そのほとんどは、真摯でまじめでちょっぴりダラけた、演奏するのが好きで好きで仕方ない連中なのだ。強いエゴを押し通すより、ライブでプレイするだけで満足、という向上心のかけらもない、愛すべき連中でもある。
 そんな人たちなので、華やかなニュースというのはあんまりない。新譜リリースや大物コラボでもない限り、特筆すべきことなんてない。ないない尽くしなので、つい書かずじまいだったのだ。
 とはいえ、紹介したいアルバムはいくらでもある。特にここ1年半で、以前レビューしたバンドのニュー・リリースが続いたし、このサイズなら書けそうなので、まとめてここで書いてみる。

Electro Deluxe 『Circle Live』

electro deluxe 今年3月にリリースされた、2枚目のライブ・アルバム。アメリカ、日本を含め、全世界200公演に及ぶ『Circle』ツアーから厳選されたトラックが収録されている。EUを中心に大きなセールスを上げた『Circle』、またはその前の『Home』を中心とした選曲となっており、エレクトロ色が残っていた1、2枚目の曲は少ない。初期のライブ定番曲だった「Stayin' Alive」のカバーも、ボーナス・トラック的な扱いでラストに収録されているくらい。
 バンドが大きく飛躍する起爆剤となった、ヴォーカルJames Copleyがメインとなってからの曲で構成されているため、正直、初期とはまったく別のバンドである。生のホーン・セクションが使えないがゆえのエレクトロニカであって、それ自体が目的だったわけではない。「これがいまの俺たちなんだ」と自信を持って言える、そんな姿勢が選曲にもサウンドにもあらわれている。



 中心メンバーは5人だけど、ホーン・セクションやコーラスも含めると、20人前後の大所帯、ここにスタッフやローディが加わるので、とんでもない数の民族大移動となる。つい数年前までは、副業も抱えた各メンバーのスケジュール調整や、人数×移動経費の問題もあって、フル仕様「Electro Deluxe Big Band」でのステージは、ほぼフランス国内のみ、月に1、2回程度のペースだった。おととしの来日公演も、中心メンバーのみの構成で、あの迫力あるホーン隊までは叶わなかった。まぁ日本ではほぼ無名だったので、その辺は仕方ない。日本のことを想っててくれただけで充分だ、と割り切るしかない。
 それに引き替え、フランスだけにとどまらず、EU圏内ではライブのオファーが引きも切らず、現時点で11月いっぱいまで予定が埋まっている。ライブ動員の好調もあって、会場もホール・クラスからアリーナにグレードアップ、そのスケールに合わせてサウンドもゴージャス化、ホーン・セクションも常駐できるようになった。
 映像を見ると、国を問わずどの会場でも大盛況で迎えられている。派手な舞台装置もなければ、ビジュアル映えするメンバーもいない。あるのはただ、熱狂を呼び起こす音楽だけ。奇をてらった演出もエロさもないのに、アリーナいっぱいの観衆は彼らの音楽に狂喜し、そして涙を流す。なんだこのパワーは。
 ポップスでもなければジャズでもない、ロック的な要素はまるでなし。ダンス・チューンといえば言えるけど、いま現在のトレンドとはまるでかけ離れている。じゃあ何で?
 「それが俺たち、エレクトリック・デラックスさ」。
 James Copleyなら、きっとそう言うことだろう。




Speedometer 『Downtown Funk '74』

speedometer 昨年、何のインフォメーションもなく、サプライズ的にリリースされたインスト作。しかもダウンロードのみ。オリジナルとして制作されたのではなく、ライブラリー・ミュージック制作会社の大手、KPM Musicからの依頼によるもの。要するに、企業向けの音源請負。ある一定の料金を払えば、CMソングや店内BGMに使える素材を作ったらしい。こんなこともやってるんだな。
 妙にコンセプチュアルなタイトルやアートワークの雰囲気からして、映画のサウンドトラック、例えばブラックスプロイテーションの現代版、といったイメージでオファーしたんじゃないかと思われる。でも、かなりニッチなにーずだよな。
 数年前、彼らが手掛けたことによって、小さなジャズ・ファンク界の中ではちょっとだけ話題になった、三井住友VISAカードのCMソング。すごくざっくりと例えて言うなら、全編あんな感じ。ていうか1曲目の「Tomahawk」、あんまりちゃんと覚えてないけど、ほとんどそのまんま。竹ノ内豊の渋いスーツ姿を連想してしまう。
 上品でありながら、はみ出さない程度にワイルドネス、メンバーそれぞれまんべんなくソロ・パートが割り振られ、見せ場も公平にある。決して誰かが割り込んだり食っちゃったりすることはない。そこはさすが英国紳士の集まり、様式美を壊すようなことは恥、という教育が為されているのだ。



 破綻はないけど、その分、失望もない。トータル・バランスが取れているので、安心して聴くことができる。こうやって書いちゃうと、「進歩とか前身する気ねぇのかよ」と思ってしまいがちだけど、ジャズ・ファンクにそれを求めるのはお門違いである。深化することはあっても、進化はない。すでに大方完成されたフォーマットなので、前向きな姿勢を求めるのなら、他のジャンルを聴いた方がいい。中途半端に他のジャンルに色目を使ったりすると、「何か違う」感が強くなり、軌道修正が難しくなってしまうのも、このジャンルの特徴である。誰とは言わないけど。
 で、Speedometer。オフィシャル・サイトを見てみると、前回コラボしたJames Juniorとのコラボが復活、新曲のPVが流れてくる。ライブも行なってるようなので、やっぱり『Downtown Funk '74』自体がサイド・プロジェクト的な扱いで、いまの本流はこっち側らしい。





Bamboos 『Night Time People』

The_Bamboos_Night_Time_People_digital_album_cover これを書いている時点ではまだ未発売だけど、シングルがめちゃめちゃカッコいいので、フライングで紹介。実はBamboos、俺的には終わったバンドだと思っていたのだけど、いやいや全然だいじょうぶ、ゴメンちょっと舐めてたわ。
 ベスト・アルバムのリリース後、オーストラリアでは人気のロック・バンドのヴォーカルTim Rogersとコラボしたり、Robbie Williamsのオーストラリア・ツアーでジョイントしたりなど、コンテンポラリー色が強くなっていたBamboos。もともとメンバーそれぞれがサイド・プロジェクトでアク抜きをして、本体ではポップ・テイストが強くなりつつあった彼らだけど、いやいやそれもジャズ・ファンクっていうベースがあっての話でしょ。ここ最近の活動なんて、ほとんどバック・バンド扱いだし。
 前述のSpeedometerもそうだけど、メジャーで生き残ってゆくためには、あんまりカラーに合わない請負仕事もやんなくちゃならないんだろうな、と思っていたのだけど、ここに来てジャズ・ファンク・バンドとしての彼らが復活、ポップさもありながら、ソウル・テイストの濃いシングル「Lit Up」がリリースされた。



 ヴォーカルはもちろん、歌姫Kylie Auldist。近年は課外活動が多くなっていたけど、お互い収まりのいい場所は、やっぱりここだった。いいんだよ、これで。
 レーベル移籍のゴタゴタや多人数バンドの運営方針もあって、あんまり「らしくない」仕事も敢えて受け、ここ数年は基盤の確立に邁進していた彼らだったけど、ここにきて準備が整ったのだろう。やればできる人たちなのだ。様々な事情やしがらみが絡み合って、敢えてやらなかっただけであって。
 数えてみれば5年振りとなる、満を持してのオリジナル・アルバム『Night Time People』。まだ聴いてないけど、俺的に期待値は相当高い。来月だぞ、心して待て。
 と思っていたら、新たな音源がリリース、いわゆるシングル・カット第2弾がオフィシャル・サイトでもアップされていた。新曲「Broken」は、なんとBamboos初のラッパーとのコラボ。地元オーストラリアのUrthboyがフィーチャリングで参加している。Kylieが歌うパートは文句なしだけど、まぁ久しぶりだしこういったのもアリか。




Kylie Auldist 『Family Tree』

Kylie Auldist 前回のCookin' On 3 Burnersでもレビューした通り、DJ Kungsリミックスによる「This Girl」の世界的大ヒットにより、ソウル・ディーヴァのポジションを確立したKylieの2016年作。言っちゃ悪いけど、ほとんど棚ボタみたいなシンデレラ・ストーリーだったよな。
 とはいえ、まったくの偶然で転がり込んできたヒットではなく、オリジナルのトラックが良くできていたからこその結果である。リミックスする方だって、センスを問われるわけだから、下手な曲は選べないし。
 そんな流れがあったからなのかどうかは不明だけど、長年在籍していたTru ToughtsからFreestyleへ移籍、環境の変化と共にサウンドも一変した。これまでバッキングを務めていたBamboosとは一線を画し、80年代ユーロビートを思わせる、世界的なトレンドのエレクトロ・ファンク~ブギ路線に大きく方向転換している。これまではむしろオーガニックな生音主体のサウンドだったけど、ここにきて打ち込みサウンドの大幅導入と来た。



 多くのダンス・チューンの実例にあるように、「ソウルフルな女性シンガー」と「高速BPMビート」との相性は良いため、あながちミスマッチな組み合わせではない。むしろKylie自身もKungsのトラックを聴いて、今まで気づかなかった方向性に活路を見出したんじゃないかと思われる。チープ過ぎると目も当てられないけど、もともとファンク方面には強いFreestyle、ちゃんとしたプロの仕事で組み立てられたトラックに隙はない。不特定多数のユーザーを想定して作られた、手間ヒマと金のかかったサウンドに仕上がっている。
 ジャズ・ファンク原理主義の人には多分敬遠されるだろうけど、先入観を一旦よけて、素直にダンス・チューンとして聴けば、安易なユーロビートじゃないことは瞭然だ。「こ難しいこと言ってるけど、ほんとはこういうのが好きなんだろ?」と突きつけられているようなサウンドである。どれを聴いても貧祖に感じられないのだ。
 シングル・ヒットで有頂天になることもなく、いまも地道に国内ツアーを回り、またBamboosの活動も怠りなく続けるKylie。身の丈に合った活動はさすが苦労人だけれど、せっかくだから本体でもう一度、ひと花咲かせて欲しいよな。




Hubert Lenoir 『Darlene』

folder 最後はちょっと番外編。ジャズ・ファンクではないけど、最近見つけたのでここで紹介。
 家でSpotifyでElectro Deluxeを聴いてて、フランス語圏のおすすめアーティストを辿ってるうち、彼がヒットした。取り敢えず、一番人気の「Fille de personne II」を聴いてみた。あらいいじゃん、じゃあ次も…、って具合で、結局全曲聴いてしまった。
 ググってみても、日本語の記事がない。フランス語ばっかり。英語圏でもどうやら無名に近いらしい。どうにか翻訳してみると、カナダ出身の23歳。これがデビュー・アルバムらしい。アートワークや声から女性だと思ってたけど、実は男だった。こんな基本情報も知らないで聴いていたのだ。



 記事を読むと、DonovanとElton JohnとPink Floydに大きな影響を受けた、とのこと。うん、何となくわかる。それに加えて、QueenとELOとT. Rexだな、この感じ。どちらにしろ70年代までの音に強くインスパイアされているっぽい。ジジくさい趣味だけど、若い世代が聴いたら、こんな風に素直に表現できちゃうんだよな。
 小さなバジェットで作ったらしく、レコーディングも少人数で行なっているのだけど、音はすごく良い。この辺はやっぱり金のかけ方が違うというかセンスが違うというか、はたまた空気が乾燥している風土なのか電圧が違うからなのか、比べればキリがない。
 どの曲にも深いこだわりが反映され、メロディ主体の楽曲もまた、きちんと練り上げた末の成果が窺える。文科系のパワー・ポップといったイメージなので、日本人のメンタリティにも共感しやすいサウンドである。まだデビューしたてなので、行く末は未知数だけど、案外アニメ系なんかと親和性が高そうなので、そっち方面で誰かオファーしてくれないものか。





カテゴリ
北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
QRコード
QRコード
最新コメント

音楽 ブログランキングへ


にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村




アクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: