好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

英国ムード歌謡の完成型 - Bryan Ferry 『Boys and Girls』

folder 1985年リリース、Roxy Music 解散後初、ソロとしては6枚目のアルバム。ていうかバンドでデビューして10年ちょっとなのに、並行して6枚も出してたのかよっ、というのが俺的印象。ZappaやPrince並みに多作だったんだな、とちょっとビックリ。
 UKでは当然のようにチャート1位、USでは63位が最高だったけど、それまでのソロがどれもビルボード・トップ100圏外で玉砕していたのに対し、今回はゴールドまで獲得している。多分、粗野でアバウトなヤンキーの感性では、彼のように耽美なメロウAORを受け入れる土壌ができていなかったのだろう。彼らの理解を得るためには、ヨーロッパ的な曖昧さを排除して、Phil Collinsくらいまでベタなエンタメに徹しなければならないのだ。まぁメガ・ヒットを想定した音作りではないのだけれど。

 US・UKともバカ売れしただけじゃなく、ロック・バンドの最終作としては珍しく、高い完成度と極上のクオリティによって、80年代を通しての名盤として語り継がれる『Avalon』 にて有終の美を飾ったRoxy Music。ロックの円熟期と称される70年代を疾走したZEPやWhoが、なんとも微妙なスワン・ソングで終焉を迎えたのに対し、変態グラム・バンドとしてスタートした彼らが「More Than This」と言い切っちゃう作品を残すまでに至ったのは、音楽のミューズの気まぐれだったのか。

 その変態グラム・バンド期のRoxyは、Ferry を始めとするメンバーのソロ活動が多くなったことによって、5枚目のアルバム『Siren』を最後に一度解散している。で、そこから2年弱のブランクを経て再結成、『manifesto』~『Avalon』に至るまで行動を共にすることになる。
 今どきのアーティストの活動ペースで考えれば、2年程度のブランクなんて特に長いものではないし、わざわざ解散表明しなくても普通にバカンス中って言っとけばよかったんじゃね?と思ってしまうけど、そこは怒涛の70年代、どの大御所バンドも年1のリリース・ペースを守っていた時期である。しかもレコーディングと同時進行の世界ツアーも添えて。なので、この時期の1年はざっと5倍単位で換算すると辻褄が合うことが多い。
 彼らに限らず、延々続くツアーとレコーディングのループは、心身ともに消耗が激しく、当然人間関係にも大きな影響を及ぼす。いくら苦楽を共にした仲間とはいえ、始終顔を突き合わせていれば、次第に同じ空気を吸うことさえ耐え難いものになってしまう。一旦、キレのいいところでリセットしたくなってしまうのは、仕方のないことではある。

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 で、一旦リセットしてからの再開に至った後期Roxy だけど、バンド名は同じだけど、正直まったく別のバンドである。
 西欧民族のフィルターを通してキッチュに歪められたロックンロールに、変な音担当であるBryan Enoのエキセントリックさを付加して、オーソドックスなバンド・アンサンブルで支える、というのが初期Roxyの大まかなコンセプトだった。メイン・ヴォーカルであり、ほとんどの曲を書くFerry がフロントマンではあったけれど、バンド・マジックとEnoの茶々によって、彼が書くアシッド・フォーク的な原曲は解体され、グラマラスなサウンドにデコレーションされた。
 再結成後のRoxyは、Ferryがイニシアチブを取ることが増え、ワンマンバンド的な色彩が濃くなった。ヨーロッパ的なデカダン性を緻密なものにするため、粗野なロック的要素は一掃され、リズム&ブルースやソウルのエッセンスを取り入れたソフト・サウンドが主流になった。
 その後のRoxyの歩みは『Avalon』で完成に至るまでの成長過程と捉えてもよい。じっくり時間をかけてFerryはサウンドの完成度を高め、結果的に高級なAORとして機能するサウンドのクオリティを磨いていった。多少のアドバイスや演奏での貢献はあったけれど、他メンバーであるAndy McKay とPhil Manzaneraの出番は少なく、ほぼセッション・ミュージシャンと同列扱いである。

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 サウンドの純度が上がるにつれ、バンドという枠組みにこだわらず、外部ミュージシャンの積極的な登用に至るプロセスは、同時代のSteely Danのキャリアとシンクロしている。Donald FagenとWalter Beckerが理想のサウンドの具現化のため、Gary Katzという制作ブレーンとの二人三脚で作業を進めていたことと同様、Ferryもまた、プロデューサーのRhett DavisとエンジニアのBob Clearmountainに絶大な信頼を置いていた。双方ともノン・ミュージシャンでありながら、Ferryの希求するコンセプトの最大の理解者だった。エンジニアというポジションに留まらず、自らも進んでアイディアを提供したりなど、相互に影響し合いながら理想のサウンドを形成していった。

 完璧で隙のないサウンドとは対極的に、Ferryのヴォーカルはお世辞にも上手いとは言えない。テクニカルとも言えないし。よく言えば「崩して歌ってる」という見方もできるけど、悪く言えば調子はずれでピッチはズレズレ、リズム感も良い方ではない。腹に力の入ってないヘロヘロなしわがれ声も、美声とは言えず万人ウケするものではない。
 80年代に流行した緩やかなシルエットのソフトスーツに身を包み、アダルトな佇まいでダンス・ビートに身を任せる様は、ちょうど同時代にブレイクしたRobert Palmer との共通点も多く見られるけど、PVなどで比較すると、その違いは歴然としている。
 終始クールで優雅なステージングを披露するPalmerに対し、リズムに合わせようとするけれどどこか不器用で、とてもダンサブルとは言い難いFerry。スーツはヨレヨレ、シャツの袖はデロンとはみ出てシワシワ、息も切れ切れ汗まみれになりながら、「Love is the Drug」と語りかけるFerry。
 その姿は滑稽さを通り越して、もはや伝統芸能の域である。

 で、『Boys and Girls』。クオリティ/セールスとも高い水準を記録した『Avalon』によって、Ferryのアーティスト・ポジションは大きくランクアップした。その恩恵として、レコーディングにかけられる時間や予算も並行してグレードアップ、細かな予算の切り詰めなどを気にすることもなく、純粋に制作に没頭できるお膳立てが整った。
 Roxyの解散ツアーと並行して準備を進め、足掛け3年に及ぶ長期間のレコーディングは、当時隆盛を極めていたニューヨークのパワー・ステーションやバハマのコンパス・ポイントなど、世界有数のスタジオ7ヶ所を使用、スケジュールの合間を縫って断続的に行なわれた。『Avalon』より引き続き参加のDavisやClearmountainを始めとして、これまた当時一流どころのレコーディング・エンジニアの起用は総勢18名に及んでいる。さらに加えて、こちらも有名/無名含めて参加したミュージシャンとなると、そりゃもう羅列するのもめんどくさくなってしまうほど、錚々たるメンツで占められている。
 結果的に、恐ろしくレベルの高い人海戦術となったのは結果オーライってことで。

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 「112回もミックスダウンを行なった」と語り継がれる「Slave to Love」に象徴されるように、ドラムの音ひとつエコーの響きひとつにまでこだわり抜いたサウンドは、細部まで精巧に組み立てられている。まだシーケンス・サウンドがメインではなかった時代の人力プレイが最上の音で録音され、Clearmountainと肩を並べる技量を誇っていたパワー・ステーションのハウス・エンジニアNeil Dorfsmanによって、薄いヴェールを纏うようなディレイで全体が埋め尽くされている。各プレイヤーの見せ所もしっかり押さえられ、パワー・ステーション特有のメリハリのあるサウンドは、カラオケだけでも充分成立してしまうんじゃないかと思ってしまうほど完成度が高い。
 ただ、完璧すぎる音の功罪なのか、整然とまとまって破綻が少ないということは、逆に言えば引っかかりがなく、良質のBGMとして、右から左へ聴き流されてしまうことも多い。工業製品と違って、しっかりしたプランニングとバジェットが揃えば、必ず良いものができるわけではないのだ。
 そこにヘロヘロなFerryのヴォーカルを載せるとあら不思議、よくできた二流のフュージョンが、英国ムード歌謡とも形容される、アーバンでトレンディな空間に様変わりしてしまう。
 精巧に作られたプラモデルの仕上げに汚しを入れると、単調だった質感がリアルに映えるように、彼のヴォーカルを活かすためには、ここまで作り込まれたゴージャスなサウンドが必要だったのだ。逆にサウンドが貧相だと、英国ムード歌謡の「英国」が取れてしまい、単なる自己満カラオケ親父に成り下がってしまうことを、Ferryをはじめ主要ブレーンは察知していたのだろう。

 Roxy名義で制作した「Avalon」はバンド形態ゆえのしがらみとして、必然性のないパートでMacKay やManzanera をフィーチャーしなければならない局面もあり、サウンドの完成度の詰めが甘くなっている部分が少なからずあった。このソロ第一弾ではその反省を踏まえたのか、Ferryのコンセプト・意向が思う存分反映されている。
 サウンド・コンセプト的にはRoxy時代の延長線上ではあるけれど、明らかに違っているのはリズム面でのアプローチ。一歩間違えれば高級AORというメロウ路線だった「Avalon」に対し、ここでは世界有数のリズム・セクションを贅沢に配してダンス・ビートの強化を図り、スノッブさを排除している。ちょっと下世話ではあるけれど、英国ムード歌謡路線の完成だ。ただあくまでUK/EU仕様のサウンドなので、Phil Collinsよりは上品だけどね。
 グラム期を並走し、互いに変容を繰り返してきたDavid Bowieもまた、タイトルそのまんま「Let’s Dance」でリズム・パートへのこだわりを表明していた。パワー・ステーション製のサウンドが世界中の音楽トレンドを牽引していた時代の幸福な産物である。


Boys & Girls
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1. Sensation
 すでにトップ・プロデューサーの地位を確立していたNile Rogersのギター・カッティングから始まるファンク・チューン。当時の大物アーティストのアルバムには大抵この人が一枚噛んでおり、ていうか彼のオファーを取れなかったアーティストは二流と見なされた。ボトムの太い音を中心に配置した構成力だけじゃなく、サウンドを引き締めるようなプレイまで見せちゃうのだから、誰も文句が言えない。
 歌詞自体は未練がましいジゴロの嘆きを綴ったものであり、そんな後ろ向きなテーマとは裏腹に強靭なインタープレイとのコントラストが絶妙。俺的には結構好きなトラックなのだけど、シングル・カットされなかったことが不満といえば不満。

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2. Slave to Love
 前述したように112回もミックスを繰り返したことばかりが喧伝されるけど、実際の音はそんな試行錯誤の痕跡は窺えず、むしろすっきりシンプルな仕上がり。最終的に積み重ねたモノをばっさり切り捨ててしまうところが、一流のアーティスト/エンジニアの証ともいえる一曲。録ったもの全部入れてちゃだめだよね、やっぱり。
 先行シングルとしてリリースされ、UK10位を筆頭としてEU諸国でもチャートインしている。当時のニューヨーク・セッションでは引っ張りだこだったOmar Hakim (dr)と、King Crimsonが何度目かの解散をして多分ヒマだったTony Levin (b)がリズム・セクションを担当、元RoxyのツテなのかNeil Hubbard(g)が参加。



3. Don't Stop the Dance
 最近もCMで使われていた、多分日本で最も知られていると思われる彼の代表曲。「Avalon」でも「Tokyo Joe」でもない、やはりこれなのだ。
 全編ほぼ出ずっぱりで参加しているDavid Gilmour (g)による、程よいブルース・タッチのソロが絶妙。そうなんだよ、もともと彼の本質は小難しいプログレなんかじゃなく、ウェットでムーディーなポップ歌謡でこそ、その真価を発揮するのだ。同時期のPaul McCartney 「No More Lonely Nights」でも情緒あふれるエモーショナルなプレイを披露していたし。
 2枚目のシングル・カットとしてリリースされ、UK21位。このような記録より、特に日本の45歳以上の洋楽少年少女に強く記憶に刻まれたのは、やはりリアルタイムでのフジカセットCMだろう。



4. A Waste Land
 いわゆるインターミッション。雰囲気一発の小品だけれど、細かく聴いていると当時のレコーディング技術が結集されている。

5. Windswept
 で、4.をプロローグとした3枚目のシングル・カット。モヤッとした雰囲気ディレイが通底音として流れ、時々思い出したようにFerryのヴォーカル、そしてまた寄り添うようなGilmourのソロ。曲調に合わせ、スパニッシュ風の小技まで披露している。Pink Floydではまず見せない一面だよな。
 どこまでも曖昧なムード歌謡は捉えどころがなく、UK最高46位はよく売れた方だと思う。よく切ったよな、こんな地味な曲。

6. The Chosen One
 アナログではB面トップを飾るミドル・ファンク。Ferryのヴォーカルだけ抜き出せば単なるムード歌謡だけど、まったり感を引き締めるようなMarcus Miller (b)のスラップが程よいエッセンスとして作用している。誰がプレイしてるのかは不明だけど、間奏でのアコギのストロークとのコラボレーションが、俺的にはすごいと思う。普通ならこんな組み合わせしないもの。

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7. Valentine
 ほぼGilmourのソロとオブリガードが主役となっている、Ferryはおまけ的なロック・チューン。もともと浪花節的な感性を持つGilmourだからして、Ferryのようなヘタウマ的ウェットなヴォーカル・スタイルとは相性が良い。同じヘタウマだけど、Roger Watersはイデオロギーが先だって「聴かせる」風ではないのだ。

8. Stone Woman
 3.をテンポアップしたような、リズム・セクションを強調したミックスが施されたアーバン・ファンク。ここまでいわゆる捨て曲なし。好みは人それぞれだけど、どれも気を抜いた曲がない。ヘロヘロでありながら、その辺はしっかりディレクションしているんだな。メロディのフックがちょっと弱いのでシングル候補からは外れたのだろうけど、いやいや充分聴けるっしょ。

9. Boys and Girls
 ラストを飾るのは長いイントロに続く、陰鬱としたモノローグ調バラード。Doorsっぽく感じるのは誰もが思うところ。俺も最初、Doorsのカバーかと思ったもの。もともとカバー好きな人だしね。
 普段ならもっとライトタッチなプレイのDavid Sanborn (sax)も、曲のムードに触発されたのか、攻撃的なプレイを見せる。Gilmourのプレイも情緒てんこ盛り、ブルージーな音色を奏でている。



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80年代ソニー・アーティスト列伝 その10 - 鈴木雅之 『Mother of Pearl』

Folder 80年代初期にチャートの常連だったラッツ&スターが活動休止に至った経緯は、複合的な要因が絡み合ってのものだけど、単純に考えるとシャネルズから改名以降のセールス不振が大きく響いている。
 新生ラッツ&スターとしてのシングル第一弾「め組の人」は、当時有数のヒットメーカー井上大輔のペンによるもので、オリコン1位80万枚を売り上げる大ヒットを記録した。改名に至るゴタゴタを払底するため、ここで一発ヒット曲を出さなければならなかったのが、ラッツが当時置かれていた状況だった。

 化粧品CMとのタイアップの絡みであらかじめタイトルは決まっており、新生第1弾をアピールするため、当初は井上同様、ヒットメーカーだった大滝詠一がプロデュースする予定だった。かつての師匠との再会は話題性充分だったはずなのだけど、当時『Each Time』レコーディングにかかりきりだった大滝のスケジュールが取れず、企画がお流れになったのは、わりと有名な話。
 そういった経緯もあって、2曲目はぜひ師匠の作品で、というのは必須の流れだった。

 大滝プロデュースを最大のセールスポイントとしたアルバム『Soul Vacation』は、ジャケット・デザインを世界的アーティストAndy Warhol に依頼、アレンジャーには村松邦男と井上鑑を起用、当時のナイアガラ・ファミリーを贅沢に使った意欲作となった。
 シングル・カットされた「Tシャツに口紅」も、前作と雰囲気を変えたマイナー・タッチのしっとりしたバラードとなっており、2曲並べることで陰陽のコントラストがくっきり浮かび上がってくる。この曲はラッツ時代の名曲として、今もファンの間では人気が高い。ついでに、俺のカラオケの定番となっているナンバーでもある。
 ただ当時のチャート・アクションは、アルバム3位シングル18位と、中途半端な売り上げに止まってしまう。今ではテレビ出演においても、「夢で逢えたら」と共に選曲される率が高い楽曲なので、「別れの街」や「違う、そうじゃない」クラスの売り上げだったと誤解されているけどとんでもない。当時からすでに。隠れた名曲扱いだったのだ。確かに「め組の人」と比べてアダルティーなサウンドは、当時のヒット曲と比べて明らかに地味だった。
 シングル・リリースのペースが早かった80年代において、2曲目で大きく失速してしまったことによって、その後のラッツのチャート・アクションは下降線を辿ることになる。

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 そういった現状に、ただ手をこまねいていたわけではない。新機軸として、シングルで田代をメインに据えたり、企画色が強いけど、マーチン姉の鈴木聖美をフィーチャーした「ロンリー・チャップリン」は、リリースから四半世紀経った今も、夜の街界隈を賑わす定番デュエットである。あるのだけれど、あくまでどれも単発的な効果に終わり、ラッツ本体へのフィードバックには至らなかった。
 良い意味で姐御肌的存在だったお姉ちゃんとのコラボは、結果的に鈴木姉弟の発言力が増す方向へ作用したため、グループの連帯感は緩やかに崩れていった。

 グループとしてのオファーが少なくなってゆくことによって、自然と個々の仕事が多くなり、これまでの一枚岩体制からシフトチェンジ、ラッツ本体の活動は次第にフェードアウトしてゆく。
 もともとパーティ・バンド的なニュアンスも濃かったシャネルズ時代から、ライブMCでのおちゃらけたトーク・コーナーはあったのだけど、末期のライブでは田代と桑野主導による幕間のコント・パートが設けられており、純音楽主義的な他メンバーとの不協和音がシャレにならなくなっていた。
 他メンバーほど音楽面に執着がなく、志村けんに目をかけられた2人はTVバラエティの世界へと進出、それを機に他メンバーも業界内外へそれぞれ散っていった。バス担当の佐藤善雄が、のちにプロデューサーとしてゴスペラーズを世に送り出したのは、わりと有名な話。
 まとめ売りなら需要は少ないけど、個性に応じたバラ売りによってニーズを創り出せるのなら、結果的に全体の寿命は延びる。大元のブランド・イメージも維持できるし、グループと所属事務所の選択は間違ってはいなかった。

 で、ここでマーチン。解散という最悪の事態を回避、ホームグラウンドであるラッツのアイデンティティを保ってゆくため、マーチンはエピックとソロ契約、ただ独りアーティスト活動を続けて行くことになる。
 とは言っても、単なるラッツの延長線上というわけにはいかない。「ドゥーワップ+オールディーズに歌謡曲のメロディ」という方法論はこの時点で行き詰まっており、ひとりラッツでは立ち行かなくなるのは目に見えていた。
 グループ時代はそれほど前面に出してなかったけれど、マーチンは同じヴォーカリストとして、Marvin Gayeをリスペクトしていた。優秀なソングライターでありながら、時にダイナミックに、時にセクシャリティを強調した彼のステージ・パフォーマンスは、R&B要素を持つ男性ソロ・ヴォーカリストにとって、目指すべき理想形だった。

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 ただ当時のソニーにとって、それは苦手分野のひとつだった。大沢誉志幸の時にも書いたけど、70〜80年代のソニーは、彼のような男性ソロ・ヴォーカリストへの販売戦略が不得手だった。アメリカ進出を模索していた矢沢永吉が、グローバル展開を見据えてワーナーへ移籍したように、良くも悪くもドメスティックな営業戦略で収まってしまうところが、世界的なアーティスト育成の不調に直結している。プレステは世界中のどこにでもあるのにね。
 Marvin をプロトタイプとした和製R&B路線は間違っていなかったのだけど、未開拓の分野ゆえ、マーチン含め周辺スタッフもまた、試行錯誤していたんじゃないかと思われる。

 その和製R&B〜ファンク路線は、松崎しげるをプロトタイプとするディナー・ショー路線とは別のベクトルへ向かうことになる。演歌/歌謡曲とも相似点が多いメロディアスなフィリー・ソウルをルーツとするのではなく、リズムを主体に構成された同時代のファンク〜ヒップホップから着想を得ることによって、80年代洋楽チャートともリンクしていった。
 のちに登場する久保田利伸のブレイクによってコンセプトが固まり、彼を中心としてバブルガム・ブラザーズや安藤秀樹らによるソウルメイト一大勢力を築くことになるのだけど、それはもう少し後の話。マーチンがデビューの時点では、まだ黎明期だった。同じ男性ソロ・アーティストだったとしても、フォーク/ロック系の佐野元春や尾崎豊と同じ手法ではダメなのだ。事実、ヒップホップ色の強い『Visitors』が正当に評価されるまでには、ずいぶん待たなければならなかったし。

 そのような黎明期のソニーR&B部にいたのが、大沢誉志幸。
 希代の名曲「そして僕は途方に暮れる」のヒットによって、デビューから積み上げてきたデジタル・ファンク・サウンドも脚光を浴びるようになっていた。その路線の完成形となったアルバム『in・Fin・ity』も、高い評価とセールスを記録して、ようやくひとつの方向性が定まった頃だった。
 デビュー前から、職業作家としての活動も並行して行なっていた大沢、この頃はアーティストとしてだけでなくライターとしても脂が乗っており、山下久美子「こっちをお向きよソフィア」や吉川晃司「ラ・ヴィアンローズ」など、いまも彼らの代表曲になっている楽曲を立て続けに書き下ろしている。売れたわけじゃなかったけど、ビートたけしにも書いてるんだな、この人。
 ファンクとR&Bと、微妙にジャンルは違えど、同世代で聴いてきた音楽もかなりカブってる2人の相性は良く、コラボするのは成り行きとしても自然の流れだった。

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 で、その大沢は当時、主なブレーンとしてホッピー神山を引き入れており、多分その流れで彼も主要スタッフとしてクレジットに名を連ねている。普通に考えると、メジャーとアンダーグラウンドとのボーダーで活動していたホッピーとのコラボは貴重だし、その流れで参加している布袋寅泰はもっと異色である。当時はBOØWYでブイブイ言わせてたのにね。
 座付き専属作家とレコード会社主導によって築き上げられた歌謡曲の世界は、80年代に入ってからは、はっぴいえんど/ティン・パン・アレー一派がレコーディングを仕切り出し、なし崩し的にはロック系アーティストの参加が多くなる。ロックは金にならないけれど、アイドル関連は確実に収入になるので、中途半端なポリシーを捨てさえすれば、需要はいくらでもある時代だった。
 良く言えば、「他流試合を重ねたことによるスキルの向上」といった見方もできるけど、当時の布袋がマーチンや中島みゆきだけでなく、今ではスッカリ有名になったナウシカの蟲の鳴き声までやっていた、というのを聞くと、なんか日本版Adrian Brew 、ギターの便利屋的印象を受けてしまう。ホッピーもホッピーで、この時期の仕事で有名なのは吉川晃司や布袋の一連のプロデュースだけど、うしろ指さされ組なんて仕事もやってるんだもの。何でもアリだな。

 ディレクターやマーチン本人の方向性がまだ充分固まっておらず、サウンド・プロデュースに徹した大沢もホッピーも、通常の歌謡曲仕事よりは丁寧な仕事をしてはいるものの、R&Bと歌謡曲とのブレンド配分を決めかねている部分が垣間見える。まぁ実質的なデビュー作なので、かっちりした方針も何もないのは当たり前の話だけど。これまでのようなラッツのコーラス・ワークがない分、サウンド的に薄くなるのを回避するため、ひとクセとギミックの多い大沢&ホッピーのアレンジは正解だった。
 『Mother of Pearl』は、マーチンのソロ・ワークの基本指針を決定づけ、その後は山下達郎や小田和正ら気鋭のクリエイターによって、サウンドは磨かれてゆく。和製Marvin Gayeと称される彼が本領を発揮するのはもう少しあと、「ロンリー・チャップリン」で見せたベタなお水っぽさを放つ「別れの街」からである。


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1. ふたりの焦燥
 脱・ラッツという流れを作るためには必要だった、もろ大沢誉志幸チーム、いやPINKのサウンド・プロダクションをそのまんま移植したようなエレクトリック・ファンク。跳ねまくるスラッピング、ボトムを思いっきり膨らませたバスドラ、縦横無尽にスキを見て変なギミックを奏でるキーボード。やっぱりホッピーの仕事だ。
 でももっとすごいのは、こんな一面をまるで見せてこなかったはずなのに、いとも簡単に自分のフィールドに引き寄せてしまうマーチンのテクニック。普通ならサウンドに埋もれてしまうところを、たやすくねじ伏せてしまえるのはさすがだし、こんなトリッキーなサウンドをぶつけて来たホッピーのプロデュース能力も絶妙。
 
2. 別の夜へ〜Let's Go〜
 ホッピーのアレンジメントは続き、今度は新進気鋭の若手作曲家だった岡村ちゃんのペンによるファンク・チューン。詞先か曲先かはわかりかねるけど、言葉の乗せ方には後年の岡村ちゃんのセンスが感じられるし、サビ以外ははっきりしないメロディ・ラインは岡村ちゃん特有のもの。これもまたマーチンがうまく料理しているけれども、若気の至り的な岡村ちゃんヴァージョンも聴いてみたいところ。

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3. ガラス越しに消えた夏
 ギミック色の強いファンクで幕を開けた後、ここでクール・ダウン。シングル15位と成績以上に記憶に残り、「Tシャツに口紅」同様、やはりこれも早すぎた名曲と称された。
 深いエコーの奥深くで奏でられるギターは布袋寅泰によるもの。バラードでは飛び道具を多用できず、U2のEdgeをモチーフとしたサウンドは、正直彼のカラーとは微妙にずれている。やっぱ便利屋的な使われ方だな。
 コード的にはセオリーからはだいぶ外れた構成なのだけど、日清カップヌードルCMとのタイアップを考慮したのか、プロデューサー大沢は技巧を凝らして奇跡的に甘くビターなメロディに仕上げている。シンガーを想定して書き分けることもできる人なのだ。



4. 輝きと呼べなくて
 アレンジといい構成といい「わがままジュリエット」そのまんまで、リリース日を調べてみると、どちらも1986年2月となっており、パクリというよりはむしろ、PINKや布袋周辺のトレンドがこういったサウンドだった、と捉える方が自然。氷室もマーチンもどっぷりロックやソウルに引き寄せるのではなく、ほんの少しだけ歌謡曲側に歩み寄った下世話なテイストを付け加えることで、マスに希求するテーマを展開している。

5. メランコリーな欲望
 と思ったら、インダストリアルなイントロはまるっきりニューウェイヴ、とてもドゥーワップ・ヴォーカルの楽曲とは思えない。タイトルといいサウンドといい、どちらかといえば吉川に提供した方がしっくり来たんじゃないかと思われる。マーチンのヴォーカルは通常運転だけど、バッキングとのミスマッチ感はハンパない。従来と違う方向性で、というオファー通りの仕事だとは思うけど、ベクトルがこじれ過ぎている。

6. 今夜だけひとりになれない
 ここからはB面。岡村ちゃん同様、当時はまだ新進気鋭の作曲家という立場だった久保田利伸によるナンバー。これまた当時の最新鋭機材フェアライトをてんこ盛りに使ったサウンドは、UKダンス・ポップとのリンクを感じさせる。
 もともとガチガチのソウル・シンガーではなく、ポップな楽曲も料理できる柔軟性のある人なので、泥臭いブルースより、むしろこういったポップ・センスの強い楽曲の中でこそ、この人は個性を発揮できる。

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7. ときめくままに
 なので、このようなフィリー・ソウル80年代ヴァージョン的なポップ・ソングだと、マーチンのフットワークの軽さが見えてくる。かなり歌謡曲サイドに近づいたベタなメロディと、硬質なギター・カッティングが案外マッチしている。爽やかささえ感じてしまうサビは、こういった方向性もアリだったかもしれない、とさえ思わせる。でもこれって、久保田っぽくないよね。

8. One more love tonight
 アレンジで登場するのが、当時売れっ子マニピュレーターとして、幅広いジャンルから引っ張りだこだった藤井丈司。ホッピーもそうだけど、「歌を聴かせる」という目的より、自分たちがいかにして遊ぶか、いかにトリッキーな方向へ進むかが目的化してしまって、歌が埋もれてしまっているのが、ちょっと残念。
 結果的に、エンジニア主導のサウンドは数年経つといとも簡単に風化して、再聴するにはちょっと二の足を踏んでしまう。

9. Just Feelin' Groove
 アブストラクトな楽曲を挟んでから聴くと、すごくホッとしてしまうスタンダードなゴスペル・ポップ。単なる多重コーラスではなく、録音にかなり気を使っていることが窺える分離の良さは、やはりバジェットの大きさがモノを言う。8.に続き藤井も参加しているけど、ここは大沢のサジェスチョンが強く作用している。

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10. 追想
 ラストは唯一、マーチン作曲によるバラード・ナンバー。ラッツ時代を彷彿とさせるメリハリのあるメロディーは、キャリアの中でも1,2を争う出来となっている。サウンドも小技を使わず、ここでは歌を聴かせるシンプルなアレンジで収めている。
 このアルバムの中では保守的なナンバーであり、ホッピーのギミックが炸裂した楽曲と比べると地味で影は薄い。けれど、やっぱヴォーカリストにとっては歌を伝えることがもっとも重要なのだ。それがわかっただけでも、十分な収穫だったと言える。




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副社長、お戯れが過ぎますよ。 - Prince『Love Symbol』

folder 1992年リリース14枚目のオリジナル・アルバム。US5位UK1位というチャート・アクションは一応アベレージ越えではあったけれど、『Purple Rain』以来の「一見さんでもわかりやすい」サウンドで大ヒットした『Diamonds & Pearls』と比べ、総体的な売り上げ枚数はUSで半減、UKは3分の1と大きく目減りしている。前作同様、今回もライト・ユーザーへも配慮の行き届いたサウンドではあるけれど、それ以上に詰め込まれたアーティスト・エゴ、『Lovesexy』を彷彿とさせる濃縮世界観は、大きな広がりを見せなかった。
 さらに前々作の『Graffiti Bridge』から続く、長時間収録の大作主義はピークを迎え、今回は当時のリミットぎりぎり、75分に渡って延々濃い〜エキスが、「これでもかっ」としつこく詰め込まれている。重量級のサーロイン・ステーキをすっぽんエキスのストレートで流し込むようなもので、それを想像して書いてるだけで、なんか胸焼けしそうになるほどである。そのくらいの心構えを持って挑まないと、このアルバムとは付き合えないのだ。
 でも、このくらいならまだ序の口。この後には5枚組の『Crystal Ball』や3枚組の『Emancipation』が控えている。ブートともなると、全セット34枚組の『The Work』なんてアイテムもあるくらいだし。

 2枚組に相当するボリュームが当たり前となっていた90年代と比べ、特にここ10年はYouTube やダウンロードでのリスニング・スタイルが中心となったため、先祖返り的に50分程度のサイズのアルバムが増えてきている。平均的な人間の集中力を考えると、その辺が限界なのだろう。学校の授業だって、大抵50分前後だし。
 CDライティング技術の進歩とシンクロして、90年代に入ってからCDの収録時間は増大の一途を辿っていた。Princeのような多作型のアーティストからすれば、時間的な制約に縛られぬクリエイティヴィティの自由は喜ばしいことではある。あるのだけれどでも、すべてのアーティストが彼のように、湯水の如くあふれ出る才能を有しているわけではない。特にシングルを中心にしたリリース展開のアーティストなど、いざアルバムを作ろうにもオリジナル曲が足らず、やむを得ず格落ちの楽曲で埋めざるを得ないケースの方がずっと多いのだ。
 ひと昔前のプログレのように、大げさなストリングスで構成されたオーバーチュアから始まり、尺を稼ぐために同じ曲の別ヴァージョンやリプライズを入れたり、ちょっと無理やり感の多い大作がはびこっていたのが、90年代アルバムの特徴である。正直、もうちょっとコンパクトにまとめた方が聴きやすいよね、と思ってしまうアルバムも多かったのが事実。まぁほとんどはレコード会社からの要請、もしくは印税稼ぎなんだろうけど。

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 21世紀に入ったあたりから、スタジオにこもる時間も減ったのと、ブートや違法ダウンロード対策に本気で乗り出したため、Princeの新規の流出音源は減少傾向にある。なので生前、様々なブートレグ・メーカーやサイトを介して乱発された流出音源をひとつにまとめ、偏執狂的な詳細データによって体系化した『The Work』は、「未発表テイク集のほぼ決定版」として、世界中のPrinceマニアから絶賛された。だってメチャメチャ多いんだもの、彼のブートは。昔は様々なブートレグ・サイトを巡回して、Princeに限らずいろいろ集めた時代もあったけど、あれって1回聴くともう聴き返さないよね。なので、今はサイトをのぞくことさえやめてしまった俺。
 そうは言っても、去年報道された「ペイズリー・パークの金庫から発掘された未発表曲音源」には、ちょっとワクワクしている俺がいる。アルバムに換算しておおよそ100枚、発表できるほどのクオリティの割合はまだ不明だし、多少はフカシも入っているかもしれないけれど、それを差し引いても相当の物量であることは想像に難くない。ていうか、金庫以外を調べてみると、もっとあるでしょきっと。デアゴスティーニとタイアップして、週刊ペースでリリースしても追いつかないボリュームは、PrinceかFrank Zappaくらいのものである。

 ただレコード会社もアーティストの意向通り、「はいそうですか」と何でもリリースするわけにはいかない。もちろん文化事業的な側面もあるにはあるけど、基本は営利目的第一であって、彼らの作品をすべてリリースしていたら、いくらワーナーでも経営が傾きかねない。製作工程は突貫工事だし、プロモーション体制だって追いつくはずがない。購入する方だって追いつかないので、必然的に一作品ごとの売り上げは少なくなる。正直、レコード会社にとって多作アーティストという存在は、迷惑以外の何物でもないのだ。
 それならいっそ、スタジオを出てメイクラブしてもらうか、プロモーション目的じゃなくてもいいからツアーに出て欲しい、と願っていたはず。

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 で、そのワーナーが取った対策というのが、経営陣への取り込みである。『Love Symbol』 リリースと前後して、Princeは契約更改、当時としては史上最高の1億ドルで締結している。オプションとして獲得したのが、ワーナー副社長の就任。遂に経営側に立っちゃったわけである。
 副社長とは言っても、ある意味名誉職的なものであって、経営面・実務面で彼が手腕をふるうのを期待されていたわけではない。表向きは「長年に渡る売り上げ貢献へ報いる」ための重役拝命であって、実際の活動状況はこれまでと何ら変わりはなかった。いつものレコーディング、いつものメイクラブ。
 ただワーナーとしては、いくら形式上のポストとはいえ、経営側に取り込んだことによって、今後の活動に制限をかけたり横やりを入れる口実ができた。

 経営戦略のパワポを作ったり財務諸表に隅から隅まで目を通したりすることはなかったけど、活動状況や制作楽曲への細かなオーダーなどは強くなり、次第にPrinceはワーナーに対しての不信感を高めて行く。
 彼としては就任当時、「せっかく副社長になったんだから、これまでよりもっと自由なペースで、作ったモノをいっぱいリリースできるんだ!」と楽観的に考えていたのだろう。前述の週刊Prince的なリリース形態も、物理的には可能だったはずだし。
 ただ残念なことに、副社長というポストはあくまでお飾りであって、実際の経営や決済において、彼の主張を聞き入れる者は誰もいなかった。経営のキャスティング・ボードを握っていたのは、プライベートでは決して彼の音楽を聴くことはない、ネクタイをきっちり上で締めたビジネスマン達だった。彼らにとってアーティストは収益を生む機械に過ぎず、音楽とは単なる商品だった。PrinceよりStingやDire Straitsを好んで聴く、典型的なホワイト・カラーたちである。
 まともにレコーディング・スタジオに入ったこともない、主に著作権や訴訟ビジネスを専門とした彼ら経営陣とPrinceとが相容れるはずもなく、日に日に亀裂は深まるばかりだった。

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 前作『Diamonds & Pearls』は、全米で思いっきり大コケした映画 & サントラ『Graffiti Bridge』の意趣返しとして、ライト・ユーザーに優しいコンテンポラリー作品に仕上がった。「大衆向けに寝返った」という厳しい評価もあるけど、冷静に考えて、売れ線狙いの作品を作ってきちんとヒットさせてしまうのだから、それには相応のポテンシャルがないとなし得ない芸当である。ただ、並みのアーティストならともかく、Princeの場合、中途半端な顧客目線はあまり歓迎されないのだ。
 売れることは単純に喜ばしいことだけど、そのマスへの擦り寄り具合が過ぎたため、トップ40仕様のファンク風味AORサウンドになってしまったことが、長年のファンからすればちょっと不満だったのだ。
 -これじゃPrinceじゃなくてもいいんじゃネ?
 やっぱ音楽上のステイタスだけじゃなく、社会的な地位まで手に入れちゃうと、最大公約数的な作品に仕上げちゃうのかね、とも思ったり。

 それを経ての「My Name is Prince」と来たので、世界中のファンは半ば苦笑気味にぶっ飛んだ。何しろ「俺はプリンス」だもの。「伊代はまだ16だから」以上のインパクトである。彼に先立つこと7年前、おニャン子クラブの立見里歌がニャンギラス名義で「私は里歌ちゃん」を歌っているけど、その里歌ちゃんが自虐的なシャレだったのに対し、Princeはマジ顔の叫び声で「俺はプリンス」。ニュー・アルバムのリリースごとに手放しで絶賛していたロキノンのディスク・レビューでも、さすがにこれについては冷笑気味な持ち上げ方だった記憶がある。
 ワーナー幹部に就任したことで、販促費その他もろもろのバジェットがデカくなった反面、音楽制作上においての制約も大きくなったことで、Princeは何かとジレンマを抱えていた。金も名誉も地位も手に入れてしまったけど、彼がほんとに欲していたのは自由な製作環境であって、またその作品をスムーズに録って出しできるデアゴスティーニ的システムだった。さすが、浮世離れした紫の王子である。皮肉じゃないよ。
 そんな彼が後年、インターネットの世界に足を踏み入れるのは、ある意味必然だった。

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 デビュー作こそ習作っぽいR&Bだったけど、その後は一貫して「Prince」 というオンリーワンのジャンルを確立してきた人である。イントロのスネアの音ひとつで特定できてしまうほど、彼の創り出すサウンドは独特で記名性の強いものだった。すでに知名度は知れ渡っていたにもかかわらず、ここに来て「俺はプリンス、俺はファンキーだぜ」と力説してしまうのは、単純な承認要求から来るものではない。

 かつてJohn Lennon がBeatles周辺の過熱騒動に不安を覚えて「Help!」と叫んだように、Princeもまた、身の回りの変わりように対して、悲痛な叫びを上げざるを得なかったのだ。
 その声は、自信に満ちあふれてはいない。むしろ伝わってくるのは絶望の入り混じった虚無感、アーティスティックとは相反するビジネスライクへの強烈な拒否だ。これまで築き上げてきたPrinceというブランドが、芸術性など考慮しないビジネスマンらの思惑によって、互換可能な消費財として扱われてしまうことへの拒否、例えはちょっと悪いけど、当時は思いっきりコンテンポラリーAOR路線だったPhil Collinsなんかと同列で扱われてしまうことに対する強烈なnon。
 -他人によって消費され使い捨てられるのなら、いっそ自らの手で封印してしまった方が、ずっとマシだ。
 そう思い立った彼はNew Power Generationの活動を加速させ、遂には自らの手でPrinceの名を葬り去る暴挙に出る。もはや誰も解読不能の、単なる象徴としての存在になることを、彼は選択することになる。


The Love Symbol : Prince & The New Power Generation
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1. My Name Is Prince
 US36位UK7位を記録した、シングルカット第2弾。アラビアンなイントロ~多重コーラスから始まり、おもちゃ箱をひっくり返したようなゴチャ混ぜファンクは、ヒップホップ、ラップという次世代ジャンルをも飲み込む。Tony M.のラップがうまいのかどうか、そっち方面は明るくない俺は判断できないけど、汎用型のラップとしては良くできてると思う。「Funky」を「フォンキー」と叫ぶところにストリート系の影響が窺えるけど、まぁエッセンス程度の使い方である。
 これほどのグルーヴィー・チューンで音が多いのは、Princeとしては珍しいこと。以前ならこれだけ音を入れても、完パケ時にはもっと削ぎ落としていたはずなのに、ここではオーヴァーダブを重ねている。



2. Sexy MF
 で、その好対照として、必要最小限の音だけで構成されたのがこれ。これだけディープなファンクなのに、ベースの音がほとんど聴こえないのは、いつものPrince。往年のJBスタイルのバッキングでありながら、重心をグッと落としたBPMとラップ・パートのバランスが絶妙。
 大きな声でお勧めしづらいタイトルなので、USでは最高66位だったけど、同じ英語圏であるはずのUKでは最高4位、他EU圏でも軒並みトップ10圏内にチャートインしている。いかにアメリカという国が、清教徒的世界観に支配されていることを証明する事実である。

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3. Love 2 the 9's
 あまりに濃すぎる冒頭2曲からシフトチェンジ、初期ライトR&B期を彷彿とさせるさわやかファンク。ラップ・パート以外はほぼファルセットで通しており、ほんと小技ではあるけれど、スクラッチ音をエフェクト的に使用している。当時Prince夫人のMayteとTonyの他愛ない寸劇を挟んで、サウンドは徐々に混迷してドラマティックな展開を迎える。ミュージカルっぽいよね。

4. The Morning Papers
  コンテンポラリー色の強い、大味なロック・バラード。単にギター・ソロを弾きたかったのかね。オープニングが濃すぎた分だけ、構成のバランス的に入れてみただけなのか、それともワーナーからのオファーにちょっとだけ耳を傾けたのか。
 5枚目のシングル・カットとしては案外健闘しており、US44位UK52位。

5. The Max
 シーケンス・ドラムの音は当時としても古かった記憶があるのだけど、ヒップホップ風味を足してダンスフロア仕様にすることによって、古くはあるけれど古臭さをうまく回避している。鍵盤の音が好き。

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6. Segue
 
7. Blue Light
 ここにきてレゲエ。考えてみれば彼のレゲエ・チューンって初めてかもしれない。コンガも使ったりしてレゲエっぽさを演出してはいるけれど、全然それっぽく聴こえないのは、やはりリズムの濃さからか。曲調はほのぼのしてるけど、合わねぇよなぁ、やっぱ。まぁご愛嬌ってことで。

8. I Wanna Melt with U
 シーケンスで遊んでるうちにベーシック・トラックができ上がり、せっかくだからラップっぽくヴォーカルを乗せたらそれなりに形になっちゃった、という感じの曲。いつも思うのだけど、Princeの場合、このような打ち込みビートよりはシンプルなリズム・ボックスの方が本領を発揮していることが多い。単純なメトロノームで充分ファンキーなのに、あれこれエフェクトを付け足しちゃうとサウンドが薄くなってしまうのだ。

9. Sweet Baby
 70年代フィリー・ソウルの影響も窺えるソフト&メロウ。60年代に活躍していた無名ソウル・グループの発掘曲のカバーと言われれば信じてしまうくらい、直球勝負のバラード。レアグルーヴとしては最高だけど、でもPrinceだし。この辺のニーズはあまり求められていない。

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10. The Continental
 『Sign “o” the Times』に入っててもおかしくない、ファンキーでありながらポップ・センスも光るグルーヴィー・チューン。ヒップホップ・ナンバーと比べて先鋭性は少なく、プログレッシヴではないけれど、このタイプのニーズは高い。プロトタイプとしてのPrinceの良い面が出ている。

11. Damn U
 9.よりさらにベタなフィリー・ソウル。ていうかディナー歌手だろ、これじゃ。大仰なストリングスまでしっかり入れちゃってるし。Dramaticsあたりへの提供曲のセルフカバーと言われたら信じてしまいそう。ここまでメロウに振り切れてしまうと、逆に好感が持ててしまうのは不思議なところ。ナルシストPrinceとしては外せなかった。

12. Arrogance
 1分程度のコール&レスポンス。幕間的な楽曲。以上。

13. The Flow
 バックトラックはカッコいい。でもラップが一本調子なのが気になる。サウンド自体がかっちり作り過ぎたのか、余裕が少ない印象。だから、もっと音削りなって。

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14. 7
 ここで一気に空気が変わる。中盤のダレ気味の演出はこの曲のためにあったのでは、と勘繰ってしまう。オリエンタル・ムード満載のメロディとエフェクトは、別せかいへと誘う。フォーク・ロック的なスケール感はUS7位と好評だった。対してUKでは27位止まり。2.を受け入れるお国柄では、こういった屈託のなさは受け入れられなかった。

15. And God Created Woman
 R&B的メロウ・バラード。Prince臭さは少ないのだけど、俺的には結構好きな世界ではある。多分意図したものではないだろうけど、ワーナー幹部的には中庸で間口の広い楽曲で正しい。でもPrinceだもの、あまり受け入れられなかったんだろうな。先入観なしで聴いてほしい。

16. 3 Chains o' Gold
 ワーナー幹部へのプレゼンを意識したのか、もろ「Bohemian Rhapsody」。6分に凝縮した一大ポップ・シンフォニーはしっかり作りこまれた構成で、ドラマティックかつ隙のない作り。でも聴き進めてゆくうちに思うのは「これじゃない」感。こういった方面へのニーズはあまりないのだけど。

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17. Segue
 
18. The Sacrifice of Victor
 単調なリズム・ボックスを基調として、当時のトレンドだったニュージャック・スウィングを添加した、ソリッドなファンク・チューン。この手の曲がもう少し多ければ、アルバムの印象も変わったのだけれど、まぁいろいろやってみたかったんだろうな。何しろ副社長だし。


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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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