好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

1曲ごとの独立した世界観が強いよね - 中島みゆき『夜を往け』

folder 1990年リリース、18枚目のオリジナル・アルバム。オリコン最高3位、17万枚という売り上げは、この時期のみゆきのアベレージに沿っており、本人的にもヤマハ的にも、またファンとしてもほぼ予想通りの成績。固定層をしっかりつかんでいたので、これだけあれば充分なのだ。
 本来なら年末リリースが恒例だったところを、初の試みとなる「夜会」の準備が不慣れなせいもあって順調に捗らず、すべてのスケジュールに大きな影響が出てしまう。ヤマハ的にもポニーキャニオン的にもリリース・スケジュールはすでに組み込まれており、単なるリリース延期では済まされない。この頃から既にみゆきはヤマハの屋台骨を支える役目を担っていたため、「何も出すものがない」というわけにはいかなかったのだ。
 そんなこんなで「とにかく何かリリースしなくちゃ」といった事情によって、苦肉の策として制作されたセルフカバー・アルバム『回帰熱』をリリース、どうにか窮地を凌ぐ。そのプロモーションを行なう余裕もなく、まるで年末進行の勢いで初の夜会公演全20回を完走、普通なら達成感の余韻に浸りたいところだけど、またまたそんな余裕もなくレコーディングを再開、そしてついにリリースされたのが、この『夜を往け』だった、という次第。あぁせわしない。

 一度世に出てしまった作品は、その時点で作者の手を離れ、受け取る人それぞれのものになる―。
 かつて、みゆきはそんな意味合いの言葉を残した。
 どれだけ自分がメッセージや主張を込めようとも、受け止め方というのは人それぞれである。もっと突っ込んで言えば、最初から先入観でガチガチに縛るのは、むしろ作品のためにならず、それは作者の傲慢に過ぎない。それを「作品やファンに対する責任放棄」という見方もあるけれど、そんな意見さえみゆきは真っ向から否定せず、ラジオから流れる奇声で笑い飛ばす。それが彼女の美学なのだろう。ケセラセラ。
 ―とは言ってもどの作品も、一旦は身を削り、奥底から搾り出すように、産みの苦しみを経て創り上げた、いわゆる子供達である。それらを体内から出してしまった途端、「はいサヨナラ」というのも、ちょっと酷だしドライすぎる。
 「過去を振り返らず前だけを見る」というのはカッコいい生き方ではあるけれど、人間、誰でもそこまで割り切れないんじゃないだろうか。そういったモノも全部含めて自分なんだろうし。

ph01

 すっかり時の人になってしまったにもかかわらず、相も変わらずこぢんまりしたバンドを従え、世界中の中規模程度のホールを廻り続けるBob Dylan。もはや永遠に続くんじゃないかと思われるNever Ending Tour、今さら金だ名誉だで浮き足立つようなキャリアや年齢でもない。
 歌いたい歌を唄い、そしてその歌を求める者がいるのなら、どんな小さな場所にでも出向く。
 もはや「伝えたい」事柄があるわけでもない。歌うことがすでに業となり、それは身体の一部となっている。
 緻密な構成で完全パッケージ化された大方のベテラン・アーティストのライブと違って、Dylanの場合、その日によって何の予告もなく大幅にセットリストを変えたりすることで有名である。「Like a Rolling Stone」も「Knockin’ on Heaven’s Door」も、ステージではほぼ原形を止めぬほどアレンジされたりで、気分次第やりたい放題である。
 そういった行為は普通、マンネリ化を防ぐために行なわれるものだけど、Dylanの場合だと、ちょっと事情が違ってくる。彼の場合、レコードに定着した音源を完成形とするのではなく、常に本来の収まるべき形を探しあぐねているのだ。
 「記録として定着したものが完成形である」という考え方自体が偏ったものであって、そもそも何らかの媒体に記録されたものはかりそめのものである。その時は「これで完璧だ」と思ったとしても、時代が変われば解釈も変わる。その時の自分とは、通過点でしかないのだ。
 終わることのない探求と好奇心。
 完成形とはある意味相対的なものであって、決して絶対にはなり得ない。そんなことはDylanもわかっている。
 そしてまた、観客もわかっていることである。変化し続けるDylan、理想のサウンドを追い求めるDylan。
 いや、もうそんな次元も超越してしまっているのかもしれない。ミュージシャンであるということは、常にステージに立って歌い続けること―。
 ただ、それだけなのだろう。

_SY445_

 Dylanに倣った訳ではないだろうけど、みゆきもコンサートにおいて別アレンジを披露していた時期もあった。まだ知名度も少なくバックバンドを雇い入れることもできず、ギター1本弾き語りでドサ廻りを続けた期間は別として、80年代に入ってからロック志向の強まった、いわゆるご乱心期は結構実験的なサウンドを試したりもしている。いわゆる従来モードの中島みゆきの自己否定、新規巻き直し的モードに突入していたのだけど、それでいながら固定ファン層への配慮も考えなければならなかったため、迷走具合が露わになっていた部分もある。

 大半のリスナーにとってコンサートへ行くのは年に一度か二度くらいであって、よほどの追っかけか政令指定都市在住でもない限り、そう頻繁に行けるものではない。ライブハウス規模のアーティストならまだしも、みゆきクラスになるとチケット争奪が高倍率となって、入手することだけでもひと苦労である。ファンクラブに入ってても、なかなか難しいのだ。
 それでもどうにか、やっとの思いで入手したチケットを握り締めてコンサートに参加したはいいけど、自身にとって思い入れのある楽曲が、まったく別のアレンジで演奏されるのを聴いて、ファンはどう思うだろうか。
 「新たな一面を見れた」と喜ぶ者もいれば、保守的な考えの持ち主なら「なんか違う」感を引きずる者もいるだろう。多分、後者の方が多いんじゃないかと思われる。インプロビゼーションやアドリブを見せ場として演出するバンドならまだしも、特にみゆきのような、思い入れの強いファンが多いソロ・シンガーの場合だと、あまり歓迎されない方が多い。

yokan 3

 クリエイティヴィティを優先するのなら、ユーザーへの配慮よりクオリティを重視するのだけれど、アーティストとはいえ人気商売、そこまでは割り切れないものである。ご乱心時代でも、シングルは比較的まともな歌謡曲調のサウンドが多かったし、ヤマハを背負って立つ立場にいるからには、そこまで好き勝手もできないのだ。何だかんだ言っても日本的なメンタルのみゆき、何年かに一度、コンサートに参加してきてくれるファンは裏切れない。「中島みゆき」というエンタテインメント人格は、自分独りで勝手にいじれないのだ。
 とは言っても、アーティスティックな自分を押し殺して人気商売に徹すること。それだって、簡単に割り切れるものではない。湧き出てくる楽曲たちを操作することはできないのだ。売れ線であろうとなかろうと、それらは自らが産み落とした子ども達なのだから。
 じゃあどうすれば?

 一般的なリサイタルという形式ではなく、大枠のストーリーの構成要素のひとつとして、各シーンにふさわしい楽曲をはめ込む方式。そうすれば、ステージ進行としては自然だし、楽曲の新たな解釈も可能だ。これまでのマテリアルで足りなければ、そこの部分だけ新曲を入れることもできる。
 「コンサートでもない、演劇でもない、ミュージカルでもない、言葉の実験劇場」。
 そんなコンセプトを掲げて初開催となったのが、1989年の「夜会」である。文章から見てわかるように、ほぼ手探りの状態で立ち上げたプロジェクトのため、よく言えば実験的、意地悪く言えばどっちつかず的なスタイルで、見切り発車で始まったのだった。現在のようなカッチリ構成されたストーリー仕立てではなく、従来コンサートの延長線上、ほぼ既発曲のみせ構成され、曲間をオリジナル寸劇やエピソードで繋ぐという、多分みゆき的には黒歴史と化した仕上がりとなった。なので、この最初の夜会は資料映像以外にはまともな記録が残っておらず、アーカイヴでもあまりお目にかからない。
 コンサート・スタイルが強く出た公演だったため、後年のような演劇的要素は薄い。バンド・メンバーもステージ上に立って、時には寸劇に参加したりもして、ゆる~い演出である。ミュージカルと言えるほどのダンス・シーンもなければ、起承転結が明確な演劇でもない。コンサート臭は強いけど、これまでとは明らかにちょっと違う。
 そう言った既存スタイルからの脱却という点において、初の「夜会」のコンセプトは正解である。まぁみゆき的には恥ずかしいんだろうけど。

250022555

 で、『夜を往け』。
 「夜会」準備と並行してのレコーディング作業だったため、断続的なスケジュールゆえ、曲調の統一感はあまりない。ただ、タッグを組んで今回で3作目となる瀬尾一三とのコラボが馴染んできたせいもあって、サウンドのトーンバランスに違和感は少ない。主題はほぼ全部、見事にバラバラだけどね。古典浄瑠璃から着想を得たモノもあれば、後の「夜会」的メソッドにつながるモノもある。
 ご乱心期のみゆきのアルバム制作は、アルバムのトーンを統一するため、コンセプトほど凝り固まったものではないけれど、絶対的なみゆき視点を通してのネガティヴな描写でまとめられていた。しかし瀬尾と組んでからのみゆき、いやどっちかと言えば「夜会」後のみゆきは、そのような統一感を「夜会」の主題に昇華させ、対してアルバムにおいては各章が独立した世界観を持つ短編集的な趣きで制作に挑んでいる。

 その「夜会」メソッドの方向性がまだ定まっておらず、「コンサートでもなければ演劇でもない、じゃあ何なの?」といった自問に確かな答えが見つかっていなかった時期である。「夜会」のフォーマットが次第に固まってきて、レコーディング作品としてうまくフィードバックされた最初の成果が『East Asia』なのだけど、そこに至るまでの過渡期にあたるのが、ちょうどこの時期である。
 あるのだけれど、アーカイヴの蓄積をチャラにして、新たな表現手段を模索していながらも、どの曲の主題も単体でアルバム1枚作れるほどの情報量と重厚さを有しているため、ちゃんと聴こうとする場合は、きちんとコンディションを整えておかないと返り討ちに逢ってしまうアルバムでもある。なので、正直一見さんにはちょっと敷居が高いアルバムであるのかもしれない。
 まぁあまり肩ひじ張ってると疲れちゃうので、好きな曲だけ選んで聴いてもいいんだけどね。別に頭から律儀に聴かずとも、好きな曲だけシャッフルして聴く方がすんなり入りやすいのが、このアルバムの特徴である。
 あ、でもそれってみゆきのアルバム全般に言えることか。


夜を往け
夜を往け
posted with amazlet at 17.02.15
中島みゆき
ヤマハミュージックコミュニケーションズ (2001-05-23)
売り上げランキング: 31,740



1. 夜を往け
 アメリカン・ブルースなイントロに続く、大陸系の大味なギターロック。サビで連呼されるタイトル自体が直訳っぽいので、うまくスライドすればSheryl Crowの先取り的な展開もできたかもしれない。まぁ全曲これだったら、さすがに違和感ありまくりだけど。
 ラストのサビ前のシャウトはハードロック的なイディオムから来るものだけど、当たり前だけどこういった発声法は喉を痛めるため、長く続けられるものではない。勢いにまかせた唱法というのはこの時代まで。サウンドに重きを置いてるおかげなのか、言葉の使い方もどこか大味。「夢のかけら」だの「あの日の夢のようだ」だの、練り方がちょっと足りなさげ。でも、「ファイト!!」あたりのイメージが強いライト・リスナーには食いつきいいんだろうな。

2. ふたつの炎
 なので、次に来るこの曲の重厚な世界観が引き立つ、という見方もある。みゆきの場合、アルバム制作ごとに楽曲制作するというスタイルではなく、ほぼ日常的に楽曲の断片やらを紡ぐことが生活の一部となっている。この曲のメロディ・ラインや言葉の使い方など、新たなマテリアルではなく、70~80年代のストックなんじゃないかと思われる。
 都合の良い女と口先だけで体裁の良い男との関係性は、「恨み節」と称された頃の世界観と合致している。ある意味、中島みゆきのパブリック・イメージを象徴しているような楽曲ではある。ヴォーカル・スタイルも未練を引きずった感が強いしね。


3. 3分後に捨ててもいい
 その「恨み節」と並行してのみゆきのパブリックな印象として、「歌謡界との密接なリンク・相性の良さ」が挙げられるのだけれど、これなんかはその典型。古き良き歌謡曲的ヨナ抜きメロディ、テンポの良いサビなど、時代が違えば研ナオコに歌ってもらいたい楽曲でもある。
 
 3分後に捨ててもいいから 今だけ傍にいて

 「恨み節」時代なら、粘着的なタッチで搾り出すように歌い上げていたのだけど、ここでのみゆきはもっとアッケラカンに、それでいて強い女としての凄味さえ感じられる。

 恋と寂しさの違いなんて 誰がわかるのかしら

 これが負け惜しみ的に聴こえないのが、ご乱心期を通過した後のみゆきのしたたかさである。

83730d634e1e60c8fb252f792ac6cd1f

4. あした
 シングル・リリースから1年半経ってからのアルバム収録なので、リリース当時は今さら感がちょっとあったけど、90年代みゆきの代表曲のひとつとして、そして俺の中のみゆきのベスト10に常に入る鉄板ナンバー。当時KDDIのCMで流れた際、楽曲と映像とのリンクが絶妙で、しばらくヘビロテ化していたことを思い出す。
 そう思ってるのは俺だけではないらしく、リリースから4半世紀経った今でもカラオケ界隈では根強い人気を誇っており、そう考えると当時のオリコン最高18位はちょっと低すぎるぞと言いたい。
 
 もしも明日 私たちが 何もかも失くして
 ただの心しか持たない やせた猫になっても

 抱きしめれば2人は なお遠くなるみたい
 許し合えば2人は なおわからなくなるみたいだ

 何もかも 愛を追い越してく
 どしゃ降りの 一車線の人生

 説明的な言葉は何もない。「やせた猫」?「一車線の人生」?様々な解釈はあれど、みゆきは決して説明しない。解釈なんて人それぞれだ。ただ、それぞれの言霊の力は強く、そしてズシンと響く。
 こういった曲を時々サラッと歌ってくれるから、我々はみゆきから目を離せないのだ。



5. 新曾根崎心中
 みゆきとしては珍しく、年下の男を諭す成熟した女性の立場から描いた、何かとエロティシィズムを想起させる楽曲。近松門左衛門の曾根崎心中からインスパイアされたのだろうけど、男女の心中を題材としてイマジネーションを膨らませていると思われる。男と女の情念を具現化しているためかサウンドもハードで、こういったネチッこいギター・ソロはやっぱり今剛だよな。

6. 君の昔を
 こちらもアルバム制作時より少し前、ご乱心期の『miss M.』っぽいテイストが漂う楽曲。フックの利いたサビが歌謡曲と相性が良さげなので、この辺も誰かカバーしてくれないかな。近年、みゆきのカバーと言えば工藤静香と相場が決まってるっぽいのだけど、彼女には合わなそう。案外、一青窈あたりが歌ってくれたら合いそうなんだけどね。
 対象を愛しすぎるがあまり、自分と逢う前の昔の彼の姿、そして過去にすら嫉妬を覚える女。口調こそ軽やかで淡々としてるけど、その裏で唇を噛みしめていることを象徴するかのように、ギターの響きはカン高くヒステリックだ。

7. 遠雷
 イントロがまるで永ちゃんの「Somebody’s Night」。と思ったら歌い方も女永ちゃんだった。
 この時期になると「恨み節」「色恋沙汰」的な楽曲は少なくなっており、恋焦がれて狂い悶える女の情念を見せることは稀となっている。以前はこういった曲のオンパレードだったのだけど、旧来のパブリック・イメージはやはりこんなものなのか。
 「このままでいいじゃないか」という男のセリフから始まるように、歌詞世界はどこか第三者的、短編小説のような冷静さを感じ取ってしまう。感情移入が過ぎると情念ばかりが前に出て、肝心の言葉は霞んでしまう。言葉を引き立たせるため、ヴォーカルは少し息を抜いている。
 「ガレージの車には違う口紅がある」。これじゃネガティヴなユーミンみたいじゃないの。もっと違うフレーズがほしかった。

nakajimamiyuki 5

8. ふたりは
 このアルバムだけではなく、これまでのみゆきの楽曲パターンにはなかった実験作。俺的にはリリース当時、演劇的な空間設定がちょっと苦手で、この曲は飛ばして聴いていた。今も正直、それほど聴きたくなる曲ではない。考えてみればそうだよな、日常的に聴きたくなる、BGMにしたくなるような楽曲ではない。
 リリース当時は20歳前後だったせいもあって、こういった世界観がピンと来ず、なんでこんなテーマなんだろう?と避けていたのだけど、アラフィフになってから久しぶりに聴いてみて、ついでに世良正則とデュエットした『10 Wings』ヴァージョンも合わせて聴いてみて、俺なりに思ったひとつの結論。
「あ、これって「恨み節」の反対の世界観の「その後」じゃね?」

 70~80年代のみゆきが描く恋愛観は、総じてアンハッピーエンド的展開のものが多かったのだけど、ひとつの仮定として、もしその恋愛が実を結んだとしたら?
 例えば、誰にも祝福されず報われない愛を、周囲の反対を押し切って駆け落ち同然に「異国」へ2人旅立ち、そして共に暮らす。力を合わせて苦難を乗り越えた絆を強く、最初のうちはうまく行く。でも、過去の何もかもを捨てて一緒になった2人、その閉じられた世界は、長く続けば続くほど、居心地の良いものではなくなってゆく。
 当初の甘い蜜月はどこへやら、登場人物2名の空間は次第に荒んでゆく―。

 強烈にデフォルメされた悲劇的なフィクションは、突き抜けると寓話的な様相を呈する。重い主題は、軽やかなシャンソン・タッチによって陰鬱さを薄めている。ここでのヴァージョンは習作的な響きとなっており、世良正則のワイルドネスが添加されることによって完成形を見る。

9. 北の国の習い
 で、こちらの寓話はもっと軽やかに、ついつい口ずさんじゃったりしそうな民謡タッチのメロディなのだけど、歌詞は結構毒が散りばめられているので注意。北の国の女はすぐ離婚するだの男を見捨てるだの吹雪の夜に閉じ込められて排気ガスで窒息死するだの、ネガティヴな事象をカラッとした口調で寓話的に紡ぎだしている。こういったのもみゆきの真骨頂である。「キツネ狩りの歌」の続編的な扱いとなっている。

36.5 4

10. With
 高らかに反戦と掲げているわけではないけれど、大きな母性からの視点をもって、せめて目の前の「君」と一緒にいたいことを表明した、男女の色恋沙汰を超越した地点で描かれた楽曲。8.同様、時代や空間設定が曖昧で寓話的なので、散文的な歌詞ではあるけれど、普遍性を持った言葉の塊が投げ出されている。サウンドもメロディもヴォーカルもすごく優しく丁寧なのだけど、言葉は相変わらず何の説明もなく、ゴロンと投げ出されたままだ。
 程よい距離感の慈愛に満ちあふれた言葉たちはどれも魅力的で、全部は書ききれないけど、

 誰だって 旅くらい ひとりでもできるさ
 でも、 ひとりきり泣けても
 ひとりきり 笑うことはできない

 この言葉に一番心打たれた、当時20歳の俺。その頃の感受性は、たぶん今もそんなに変わらないのだろう。




夜会の軌跡 1989~2002 [DVD]
ヤマハミュージックコミュニケーションズ (2003-12-03)
売り上げランキング: 7,642
中島みゆき・21世紀ベストセレクション『前途』
中島みゆき
ヤマハミュージックコミュニケーションズ (2016-11-16)
売り上げランキング: 261

アシッド・ジャズの親玉といえば - Working Week 『Working Nights』

folder 以前、「アシッド・ジャズ四天王」というテーマで、ジャンルを代表するアーティスト2組、IncognitoBrand New Heaviesのレビューを書いた。なんとなく思いつきで「四天王」と銘打ってはみたけど、じゃあ残り2組に該当するのは誰なのか、ということを先日真剣に考えてみた。
 名実ともにジャンルを代表し、セールス実績や知名度、「これがアシッド・ジャズだ!!」とビギナーにも紹介できるほどのキャラクター・知名度を伴ったアーティストとして、真っ先に思いついたのがJamroquiだった。まぁこれはどこからも文句は出ないんじゃないかと思われる。ここまでは問題ない。要は最後の1ピースが誰なのか、ということ。

 もともとは90年代に隆盛を極めたジャンルであり、ダンス・ミュージックにカテゴライズされる音楽なので、長く続けてゆくことは難しいとされている。いわゆる「流行りモノ」なので、シングル1、2枚で解散してしまったり契約を切られたり、またはプロデューサー主導によってメンバーの流動が激しく、覆面プロジェクト的なユニットも少なくない。売れなければ即撤収、地道にコツコツ極める音楽ではないのだ。
 なので、アルバムを複数リリースできれば、それだけで充分大御所だし、ましてや前述3組のように活動を維持できてさえいれば、もはや奇跡的な確率とも言える。まぁこれはアシッド・ジャズに限った話ではないけど。

werner-pawlok-photographer-Working-Week

 そういった厳しい条件をクリアしてきたアーティストとして、該当するのがCoduroyかJames Taylor Quartetという風になるのだけど、正直両名とも、前述3組と比べて大きく格落ちする感は否めない。Coduroyは断続的、JMQはコンスタントなライブ活動を行なっているけど、どちらもレコーディング音源という点においてはしばらく遠ざかっているし、現役感が希薄である。彼ら以外に敢えて挙げるとすれば、精力的な活動を続けているGilles Petersonだけど、彼はアーティストというよりはプロデューサー/オーガナイザー的なポジションであるし、現在の活動はアシッド・ジャズとの関連性は薄い。
 これをもう少し視野を広げ、日本国内に目を向けると、今年に入ってから俄然注目を浴びるようになったサチモス、または開店休業中のモンド・グロッソといったところか。サチモスはアシッド・ジャズのフォーマットにこだわって風はないし、大沢伸一のソロ・プロジェクトとなっているモンドもいつ再開するかわからないし。
 なので、今の時点だと4番目の席は空位となっている。誰かいねぇか、座りたいのは。今なら空いてるよ。

 四天王という括りとはちょっと外れて、その源流、アシッド・ジャズのパイオニアといった位置づけになるのがWorking Weekである。四天王の座争いについては意見が百出するだろうけど、プロローグを創ったのは誰なのか、という点において、この辺はあまり異論は出ないと思われる。
 もうちょっと遡ると、ポスト・パンク~UK発ガレージ・ロックのルーツ的サウンドを展開していたYoung Marble Giants → ジャズ/ラテン/ボサノヴァのエッセンスを加えたネオアコ・バンド Weekendを経たSimon Boothが、そのWeekendの発展形として結成したのが、Working Weekである。WeekendもWorking Weekも他ジャンルのリズムやメロディ進行の導入といったコンセプトは変わらないのだけど、いわゆるロック・バンド編成の域を出なかったWeekendではサウンド・メイキングにおいても限界があり、大きくセールスを伸ばすこともなく、単発プロジェクトに終わってしまう。
 方向性としてはどっちも一緒なのだけど、ネオアコの両巨頭であるOrange JuiceやAztec Cameraと比べてメロディのポップさは少なかったし、正直、Simonのビジョンを具象化するためには、ガレージ・バンドの延長線上では無理があったのだ。
 Weekendを終了させたSimonは、当時のロンドンで最もヒップなクラブ「Electric Ballroom」でヘビロテされていたフュージョン・サウンドに活路を見出し、Larry Stabbins (sax)とJulie Roberts(vo)を固定メンバーに据え、フレキシブルなユニット・スタイルのWorking Week結成へと動く。

download

 SimonやGilles Petersonらが注目した70年代末のフュージョン・サウンドは、ハードウェアの進化とシンクロするように勢力を拡大し、80年代初頭には成熟期を迎えていた。由緒正しいオーソドックスなモダン・ジャズは過去の遺物となり、有能で目端の利いたミュージシャンらは、こぞってエレクトリック楽器への転身を図っていた。
 ポピュラー音楽の中での純正ジャズのシェアは大きく目減りして、絶滅危機にさらされた野生動物よろしく、一部のマニアによってどうにか支えられている状態だった。頑なにアコースティックにこだわる者も少なくなかったけど、そんな彼らも古色蒼然とした4ビートでは懐メロの対象にならざるを得ず、生き残ってゆくためにソウル/ファンキーのリズムを取り入れたり、また一周回って新鮮に感じるラテン・テイストを導入したりもした。どちらにせよ、旧来のジャズは場末のライブハウスかレコードの中でしか存在しなかった。ジャズにおいては保守派の多い日本だと、評論家界隈・ジャズ喫茶周辺で息をつける場所はあったけれど。

 で、70年代を通過してきたジャズ・ミュージシャンなら、誰でも1回くらいは通過しているフュージョンだけど、特に日本においては爆発的かつ根強い人気を誇っている。一般的に単調な響きであるアコースティック・ジャズより、電気増幅されたロック寄りのサウンドは耳触りもよく敷居は低い。プレイヤビリティを重んじるジャズをプレイしてきたミュージシャンらが、ロックと同じ機材を使うわけだから、当然アンサンブルの乱れは少なく、インプロやアドリブのパターンだって幅が広い。総じてテクニック的にはおおむねジャズ≧ロックだし。
 理路整然とした超絶プレイや機材スペックなどに強いこだわりと執着心を持つ日本のリスナーにとって、フュージョンというジャンルは親和性が高かった。時代的にソフト&メロウ、ライトなサウンドが嗜好されるようになった80年代に入ってからは、特にその傾向が強まった。

hqdefault

 70年代後半のロック・シーン自体、現場感覚バリバリのパンク/ニューウェイヴの勃興によって、商業主義に飲み込まれた旧来のロックが、途端に時代遅れのものとされた。プレイヤビリティ重視という点においてはジャズとの共通点も多かった、ロック最後の牙城プログレも、Crimsonの解散 & ディシプリン、Yesの解散 & ロンリーハート、Asia大ヒットなど、時流に乗ってポップ化著しい有様となって、次第に形骸化していった。
 アーカイブ・ブームが到来するまで、旧来ロックにとってはある意味、冬の時代だった。先鋭的なミュージシャンはロック以外の何か、ライトで見栄えの良いフュージョンに手を染めていた。

 ただ、そんな栄華の日々もいつまでも続くはずがない。成功事例のデータベース化が進むと共に、そこには必勝パターンとしてのフォーマットが生まれるようになる。MIDI機材によるサウンドの画一化は、特定のシチュエーション・ユーザーへ向けての工業製品としては優秀だけれど、各アーティストの個性を殺し、記名性を奪う結果となった。
 レコード会社側もReturn to ForeverやWeather Reportの劣化コピー的な製品をアーティスト側に要求し、特に実績のない者へのマウンティングは容赦がなかった。基本、ジャズ方面のミュージシャンだからして、テクニック的には誰でも申し分がない。なので、売れてるグループと同じ楽器を使えば、それなりのクオリティの商品が出来上がってしまう。それぞれのオリジナリティによって、多少の差別化は図れるだろうけど、そんなのも誤差の範囲でしかわからず、営業サイドとしては大きな違いはない。安定した商品供給があれば、それで充分なのだ。商品そのものにエゴは必要ない。むしろジャマなだけだ。

MT_mar_1991_working_beat_large

 ブームの終焉と共に、劣化コピーのさらなる焼き直しでお茶を濁していた連中は、次第に淘汰されるようになる。その後、フュージョンという音楽はテレビ番組のBGMくらいでしか耳にする機会がなくなり、食い詰めた連中はニューエイジやヒーリング・ミュージックなど、スピリチュアルな方面は活路を見出すことになる。彼らにだって生活がある。それはそれで、またひとつの生き方だ。
 生き残った連中は、以前のプログレが通った道をなぞり返すかのように、レコード音源と寸分違わず正確無比なプレイ、それを支えるバカテクのプレイヤー、歌詞カードやジャケット裏にやたらと詳細な機材スペックを乗せるようになる。地味ながらもフュージョンの需要が続く日本では、一部のマニアックなユーザーには歓迎され、細く長く生き続けてゆくことになるのだけれど、それはまた別の話。

 で、そういった表舞台へは出なかったジャズ系プレイヤーの一部は、ポピュラー系のセッション・ミュージシャンとして頭角を現すようになる。末期のSteely Dan、70年代のJoni MitchellやCarole Kingらのアルバムは、ほとんど彼らによって作られたようなものである。ロックの初期衝動ではなく、円熟したテクニックを希求した結果が、彼らをジャズ志向に走らせることになる。
 それらのコラボレーションは多くの奇跡を呼ぶ結果となり、特にSteely Dan『Aja』『Gaucho』はクオリティだけでなく、セールス結果としても充分な成果を残した。Joniもそのまんま、『Mingus』なんてアルバムを制作しているし。まぁ彼女の場合、当時付き合っていたJacoやLee Ritenour、その辺の絡みもあるのだけれど。

 こういった本来の意味での「フュージョン/クロスオーバー」から派生するように、ジャズ・サイドからのアプローチとして、今度はポピュラー側のシンガーをフィーチャーしたトラックを、フュージョン系バンドが制作する、というパターンが生まれてくる。これまでのモード・ジャズ+ジャズ・シンガーという組み合わせではなく、ソウルのフィールドで活躍していたシンガーとスタジオに入り、フュージョンのメソッドでトラックを制作する、という流れである。
 もともとはQuincy Jonesが70年代にMinnie Riperton やLeon Wareをフィーチャーしたアルバムを制作したことに端を発するのだけど、それよりもっとプレイヤー・サイドに重点を置くことで、インストゥルメンタル≧ヴォーカルといったポジショニングが可能となった。仕上がり具合はメロウR&Bと大差はないのだけれど、何よりバックトラックに重点が置かれているので、サウンド的にも厚みがまるで違ってくる。

splash_ww

 ヴォーカル・トラックの利点として、アルバム構成的にメリハリがつくこともあるけれど、何よりもラジオでのオンエア率が格段に上がる。ジャズ専門局以外にも販路は広がるので、営業サイドとしても売り込みがしやすくなる。
 そんなハイブリットが最も上手くハマったのが、Crusaders & Randy Crawfordの「Street Life」である。
 以前もちょっとだけレビューしてるけど、ジャズとR&Bのクロスオーバーという試みにおいて、最も完成系に近いのがこの曲だと、俺個人的には思っている。フュージョンのヴォーカル・トラックで最良のモノを、という問いかけがあるのなら、これをピックアップする人は多いだろう。もっといい曲があるのなら、それは俺の勉強不足なので、誰か教えて。

 で、クロスオーバーという方法論は、何もジャズ+ソウル/ファンクだけに限ったものではない。アシッド・ジャズの発祥と同調するように、ロックの中でもミクスチャーというムーヴメントが興ったように、それらは同時発生的な現象でもある。
 いわゆるパンク後の旧来ロックの価値観崩壊以降、ロックというフォーマットが不定形,何でもアリの状態となってから、ラウドなサウンドのアンチテーゼとしてのネオアコが生まれ、その潮流の中にいたWeekendの発展的解消の先に、Working Weekは存在する。すっごく乱暴に言ってしまうと、「ロック以外なら何でもいいんだっ」という、旧来の価値観への強烈なアンチという点においては、パンクのイディオムに沿ったものである。

 この方法論を同時期に志向していた一人がJoe Jacksonであり、彼もまたストレートなパンク~ロックンロールでデビューしながら、次第にラテンやジャズのテイストを強めていった。この人ももう少しシャレオツ度が高ければ、Working Weekと同じ路線を辿ったかもしれないけど、彼らとちょっと違ったのは、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックで本格的に楽理を学んできたインテリであり、ロジカルな部分が強かった。体より頭、当然、ダンスに長けているわけではない。そこら辺がちょっと残念でもある。
 で、フィジカルな部分をクローズアップして、リズム面もクラブ・シーン仕様にアップデート、そこにアーバンなシャレオツ感を足して生まれたのが『Working Nights』であり、アシッド・ジャズの始まりとなった、という結論。


Working Nights (DELUXE EDITION)
Working Week
Cherry Red (2012-10-29)
売り上げランキング: 59,344



1. Inner City Blues
 ご存じMarvin Gaye『What’s Going On』収録曲のカバー。後期Marvinのナンバーがカバーされる際の共通点として、アレンジはほぼそのまんま、ちょっとモダンにアップデートした程度で、原曲をぶち壊すほどの改変はあまり見られない。それだけ完成度が高いことの証明ではあるけれど、同時に、Marvinナンバーをカバーするアーティストの多くが彼へのリスペクトを包み隠さずにいること。言ってしまえば、誰もがこの世界観に憧れているのだ。
 コンガを多用したソフトで複合的なリズム、ゴージャスなストリングスの多用といい、「もし1984年にMarvinがリ・レコーディングしたとしたら」という仮説のもとに制作された、時空を超えて古びることのないアシッド・ジャズの基本フォーマット。シングルとしては、UK最高93位。



2. Sweet Nothing
 バンド・サウンドにこだわっていたなら絶対作れない、女性ヴォーカルJulie Robertsが情感たっぷり歌い上げるR&Bナンバー。広がりのある楽曲は映像的でもあり、『007』シリーズの劇中歌としても通用するクオリティ。こんな老成したナンバーを、つい数年前までガレージ・ロックを演っていた20代の若造が作ってしまうのだから、英国の底深さよ。

3. Who's Fooling Who
 そう、彼らを源流とするアーティストのひとつにSwing Out Sisterがいたのだった。フラッパーなジャズ・ナンバーは80年代の陰鬱としたゴシック・パンクの対極として位置し、またフェアライトやDX7で安易に作られたポップ・ソングへのアンチとしても機能する。
 Working Weekのジャズ的要素をポップに展開したのがSwing Out Sisterであり、R&B的な解釈を強調したその先に、Sadeがいる。

4. Thought I'd Never See You Again
 ラテンのビッグ・バンド、往年のボールルームを想起させる、こちらもタイムスリップしたかのような錯覚に陥るナンバー。狭義のアシッド・ジャズとは外れてラテン色が強く、長いアウトロでのホーン・セクションのインパクトが強い。ファンキーなだけじゃない、スウィングすることも大事だよ、と教えてくれるグルーヴィー・チューン。UK最高80位をマーク。

jpeg

5. Autumn Boy
 再びラテンが続く。テンポを落とし、グッと聴かせるスロウ・ナンバー。アーバンでトレンディな空間演出にはピッタリ。いや皮肉じゃなくて。
もう一人のメンバーであるLarry Stabbinsのソプラノ・サックスがまた哀愁を誘うトーンで、それでいてどこかドライな視点を忘れずにいるのが、時代に消費されずにいる証拠だろう。これがもっとウェットだと、Kenny Gみたいに下世話になってしまう。

6. Solo
 カリプソのテイストを加えたリズムは、踊りよりむしろ幕間の休息を強いる。そこに躍動感は必要ない。汗を冷やし、そして身体は火照る。Julieの歌声はダンスフロアの嬌声を鎮める効果を放つ。

7. Venceremos
 すべては、ここから始まった。
 ここでヴォーカルを取るのはRobert Wyatt、Claudia Figueroa、Tracey Thornの3人。Claudiaのことはよく知らないけど、プログレ・バンドSoft Machineのメンバーとして、俺的にはElvis Costello 「Shipbuilding」のオリジネイターとして有名なWyatt、そして伝説のインディーズ・レーベル、ブランコ・イ・ネグロの歌姫として、Everything But the Girlで活動していたTraceyが、下世話な話だけどノーギャラで参加している。
 スペイン語で「我々は勝利する」というこの言葉は、1973年、軍事政権下のチリで弾圧された末に射殺された反政府派のシンガー・ソングライターVictor Jaraのプロテスト・ソングと同名異曲で彼に捧げられている。まだWorking Week結成前のSimonによるレコーディング・プロジェクトに賛同したミュージシャンの中に、その3名のヴォーカリストがいた。ただのシャレオツなポップ・ソングじゃないところが、80年代UKの隠れた闇の一面でもある。伊達にパンクを通過してきた連中ではないのだ。
 何の後ろ盾もなかったプロジェクトにもかかわらず、クラブ・シーンでのヘビロテが草の根的に広まり、最終的にはUK最高64位をマーク。手ごたえを掴んだSimonは本格的なプロジェクト結成へ動くこととなる。



8. No Cure No Pay
 ラストはエピローグ的なインスト・ナンバー。華麗なるショウの一夜も終わり、新たな週末の夜が来るまで、ダンスと音楽はおあずけ。週明けからは、また仕事の始まりだ。



May 1985
May 1985
posted with amazlet at 17.02.04
Working Week
Promising Music (2015-11-13)
売り上げランキング: 576,657
Acid Jazz Classics
Acid Jazz Classics
posted with amazlet at 17.02.04
Various Artists The Brand New Heavies Working Week Young Disciples Groove Collective Isaac Hayes The Blackbyrds Galliano Sade Side Effect
Irma Records (1998-01-13)
売り上げランキング: 248,405

二番煎じと片づけるには、もったいない。 - Herbie Hancock 『Sound System』

folder 前回のMilesに続き、1980年代前半のジャズ・シーンについて。大きな流れとしては、70年代フュージョンの流れを汲んだ、いわゆるコンテンポラリー・ジャズ。もう一つは温故知新的な新伝承派を中心としたアコースティック回帰の流れ。他にも傍流は数々あるけれど、すごくザックリ分類すると「電化と非電化」。乱暴だよな、自分で言っといて。
 で、当時のHerbieが何をしていたのかというと、電化といえば電化だけれど、ジャズのメインストリームから大きく外れた『Future Shock』バブルを謳歌していた。以前のレビューでも紹介した、「お茶の間ヒップホップ」の先駆けとして、ジャズの人脈、しがらみとはまったく関係のないところに軸足を置いていた。

 30年前の北海道の中途半端な田舎の中学生にとって、ラジオでもほぼかかることのない「ヒップホップ」という音楽は、未知なる存在だった。実際の音楽よりむしろ、テレビの海外ニュースからのピックアップ、時事風俗的なカルチャー面の情報の方が先立っていた。
 ニューヨークから発生した黒人カルチャーとして、「複数のターンテーブルを使って、レコードの音をつなげたり直接擦ったりしているらしい」「デカいラジカセを肩に抱えてアディダスのジャージで踊ったりしてるらしい」「メロディはほとんどなく、語りや叫びなど、歌とはいえない」など、興味本位の情報ばかり発信されていたけど、肝心の音はほとんど紹介されなかった。実際の「音」よりも「行為」「ファッション」の方ばかりが喧伝されたため、日本のヒップホップ・カルチャーは諸外国に比べて大きく遅れを取ることになる。

herbie-hancock-badass-keytarist

 現代と違って、外国人と触れ合う機会がほとんどなかった30年前の日本において、ガタイが良く強面の黒人たちが、語気を荒げて早口の英語でシャウトする音楽を受け入れる土壌は、まだ整っていなかった。オールドスクール期のヒップホップは、まだニューヨークのストリート・カルチャーの域を出ておらず、ブレイクダンスに端を発する目新しモノ好きが飛びつくことはあったけれど、マスへ広く波及するほどのまとまった力はなかった。ムーヴメントとして結集するほど横のつながりも少ない、ニッチなジャンルだったのだ。

 で、そんな中。保守的なジャズ界の中での革新派、すでに70年代後期からファンク~ディスコ~R&B寄りの作品を続けてリリースしていたHerbieが、そのヒップホップを大々的に導入したアルバムを制作したことで、一気にお茶の間レベルにまで浸透することになる。ネームバリュー的に、彼クラスの大御所が取り上げることによって、レコード会社・メディア、特にMTVも大々的にピックアップするようになる。
 これが普通の大御所だったら、「ご乱心」だの「若手に媚びた、すり寄った」だの、ボロクソにこき下ろされるのだろうけど、多くのファンは彼の新展開を歓迎した。まぁ保守的なジャズ村界隈では、多少そういった意見もあったようだけど、それまでの彼の足跡をたどっていくと、「まぁHerbieならそれもアリか」と納得してしまう。そういった大御所なのだ、Herbieとは。

 もともとこの人、音楽フォーマットとしてのジャズへの執着は相当薄い。いや違うな、既成スタイルとしてのジャズに固執していない、というべきか。あらゆる他ジャンルの音楽を貪欲に取り込んで、ジャズの可能性を広げてゆくことに生きがいを感じている人である。キャリアのスタートこそDonald Byrdの後押しによるブルーノート本流を歩んでいたけど、Milesスクールに加入したあたりから他ジャンルとのハイブリットを志向するようになる。ていうか、通常のハード・バップ・スタイルだけじゃ帝王が満足しないんだもの。必死になるわな、そりゃ。
 で、ファンクのエッセンスを導入、ほぼファンクだらけの『Head Hunters』を経てディスコへ走り、メインストリーム・ジャズでは目立った実績のないQuincy Jonesに敵意を剥き出しにしたようなR&Bアルバムを制作したり。前回レビューした『Lite Me Up』なんて、ほぼQuincyのプロダクションそのまんまだしね。

4667

 ただMilesと彼との大きな違いは、どの活動時期においてもファンク一色/ジャズ一色じゃなく、必ずサブ/メインのファクターを用意していること。ヘッドハンターズ期にも必ずアコースティック・セットはプレイしていたし、ディスコ~R&B期にも並行してV.S.O.P.の活動も行なっていた。ジャズとしての軸足は確保した上で、他ジャンルへ首を突っ込むのが、彼の行動指針である。その辺は師匠Milesの70年代ジャズ・ファンク期を傍目で見ての反面教師なのか、それとも単なる営業政策上のことなのか。多分、どっちもだろうな。

 「既成のジャズに捉われたくない」「ジャズをぶち壊す」と称し、他ジャンルの要素を取り入れるアーティストは、何もHerbieに限った話ではない。またジャズだけのものでもない。どの時代・どのジャンルにおいても、既存フォーマットの中だけでは十分な表現ができず、多方面からのリズム/コンセプトを借用して咀嚼するアーティストは多い。
 とはいえ、あらゆる試行錯誤を経て仕上げてはみたものの、「今までより変わったコード進行かな?」、または「リズムがボサノヴァっぽいね~」など、ちょっとわかりづらいマイナーチェンジ程度で「新境地」と謳ってしまうアーティストの多いこと。演じる人間は変わらないのだから、もっと根本的なところ、スタッフを総取っかえしてしまう、または自らが身ひとつで別の環境へ飛び込むくらいの覚悟が必要なのだ。

09ROCKITJP-master768

 なので、『Light Me Up』においてQuincyの作曲ブレーンだったRod Tempertonを抱き込んで、ほぼそのまんまのアルバムを作ってしまったのは、ジャズのコンテンポラリー化としては正しい。そのジャンルを極めるには、旬のスペシャリストと仕事をするのが手っ取り早いのだ。まぁあまりにもQuincyのコンセプトにクリソツなのは、それってちょっとどうなのよ、と思ってしまうけど。
 この一連のヒップホップ3部作でがっちりタッグを組んでいるのが、ニューヨークのアングラ・ライブ・シーンにおいて、ミクスチャー・バンドのハシリであるMaterialを率いてきたBill Laswell。今も相変わらず世界中のオルタナ・シーンで名前を聞くことが多く、それでいながらMilesやSantanaなどのアーカイヴ・リミックスを手掛けたりなど、何かと幅広い活動を続けている人である。
 彼にとってもこのHerbieとのコラボが出世作となっており、キャリア的にもメジャーへの分岐点となった作品となっている。何かと多才な人なので、多分Herbieと組まなくてもそのうちメジャーには出てきていただろうけど、ここまでオーバーグラウンドな展開ではなかったはず。例えればJohn Zorn的なポジションで終わってたんじゃないかと思われる。

 Milesとの相違点として挙げられるのが、カリスマ性の有無。まったくエゴがないわけじゃないけど、Milesほどの「俺が俺が」感がこの人からはあまり感じられない。いや、イイ意味でだよ。
 アドリブやインプロのフレーズにしろ、Herbieならではの展開や節回しはあるし、記名性も強いのだけれど、自分がフロントで出張るようなゴリ押し感は少ない。アンサンブルやサウンド・コンセプトを重視するする人であって、クオリティの追及のためには、一歩も二歩も身を引いてしまう。V.S.O.P.プロジェクトを聴けばわかるように、白熱のソロ・プレイやインプロビゼーションなどはお手の物だけど、それを全編に渡って演ることには、あまり興味がない。その辺はMilesと似てるよな。
 セッションにおいて、絶対君主的な立場で現場を仕切っていた復活前のMilesに対し、Herbieの場合、下手するとサウンド・メイキングはほぼ丸投げにしちゃってる作品も多い。前述のR&B期も、ただキーボードを弾いてるだけのトラックもあり、誰のアルバムだかわからないモノもあるし。あ、それってQuincy的なメソッドなのか。

Herbie_Hancock-Sound_System_(1999)-Trasera

 わかりやすいほど、もう開き直ったんじゃないかと思ってしまうくらい、堂々とした二番煎じのアルバムである。そりゃ前作と参加メンバーはほぼ一緒、ヒップホップ・ベースのジャズ・ファンクという路線もまったく同じ。なので、『Future Shock 2』、またはアウトテイク集と位置付けても違和感はない。3枚目?さすがに出がらしだよね、あそこまで行っちゃ。
 チャート・アクション的には、前回のビルボード43位からちょっと落ちて71位、プラチナ獲得まで行ったセールスも、今回は無冠となっている。そうは言っても彼にとって2作目のグラミー受賞作となっており、なぜか日本では、前作と変わらずオリコン最高51位をキープしている。まぁ、『Future Shock』の勢いで売れてしまった、という面はあるのだけど。
 あまりにあからさまな2匹目のドジョウなので、正直、不当と言っていいくらい影が薄い。薄いので存在すら忘れられており、今をもって真っ当な評価を受けられずにいる、そんな可哀そうなアルバムである。
 2作目のプレッシャーよりはむしろ、ヒットによる恩恵の方が多いアルバムである。レコーディングにかけられる予算も増え、タイトなスケジュールではあったけど、Laswellのスタジオ・ワークは丁寧に作り込まれている。バンド自体もコミュニケーションが取れてきて、アフリカン・リズムのアプローチなど、楽曲的には前作より面白くなっている。時代を感じさせるオーケストラ・ヒットやスクラッチなどで見えなくなりがちだけど、根幹の楽曲レベルは、前作よりこなれてきている。

 Milesを創造者=イノベーターとするのなら、Herbieの場合、時代のトレンドをいち早く取り込んで紹介するキュレーター的なスタンスと捉えればスッキリする。もし『Future Shock』がBill Laswell/Material名義でリリースされたとしても、一部の先進的な音楽メディアはフィーチャーするだろうけど、所詮は時代のあだ花として、NYアンダーグラウンドの時代風俗のワンシーンとして消費され、ここまでの盛り上がりは見せなかっただろう。
 敢えて自分のミュージシャン・エゴを抑え、ジャズ・レジェンドとしてのネームバリューを最大限に活用したこと、それによってヒップホップ・カルチャーを広く知らしめた功績は、もっと評価されてもいい。
 若手の才能にうまく乗っかった、という見方もできなくはないけど、それも大ヒットしたゆえの功罪であって、Herbie本人も正直ここまで売れるとは思ってなかっただろうし。
 特にこの『Sound System』、せっかくの二番煎じなのに、ジャケットもキモかったしね。


Sound System
Sound System
posted with amazlet at 17.01.30
Herbie Hancock
Sony (2000-02-08)
売り上げランキング: 461,842



1. Hardrock
 シンセのフレーズはまんま「Rockit」。アウトテイクというか別ヴァージョンと思えば、まぁ納得。これだけ短いスパンで自己模倣したというよりは、別ミックスと捉えた方がスッキリする。その「Rockit」よりはビートが強く効いており、タイトル通りギターのディストーションも深い。なので、Herbieの存在感は薄い。エレドラが前面に出たミックスは、Herbieをダシに使ったLaswellの好き放題からくるものか。妙にジャストなリズムのスクラッチは、いま聴くと逆に違和感が強い。きっちりジャストなリズムっていうのもね。



2. Metal Beat
 ほぼリズムで構成されている、インダストリアル・サウンドが中心のナンバー。なので前半、Herbieの存在感はほんと薄い。カリンバっぽい響きのアフリカン楽器的な音色のDX7を奏でるところで、やっと「あぁいたんだね」と気づかされる。

3. Karabali
  続いてこちらもアフロ・ビートとコーラスを前面に押し出した、当時のLaswellの趣味全開のスロー・ファンク。この時期にしては珍しくメインストリーム的なスタイルでHerbieがプレイしている。そこにアフロ・テイストとWayne Shorterのソプラノ・サックスがミスマッチながら絶妙なコントラストを醸し出している。こういった発想、ジャズ内部からは出てこないものね。やっぱりリズムが立ってるからこそ、ベテラン2名のメロディが引き立っている。
 言っちゃ悪いけど、このアルバムに入ってるのが惜しいくらい、特にShorterにとってのベスト・プレイのひとつに入るくらいの出来ばえ。



4. Junku
 1984年開催ロサンゼルス・オリンピックの公式アルバムにも収録された、ヒップホップ色を薄めたライトなファンク・チューン。当時のヒップホップはアングラ・シーンの色が強かったため、このくらい希釈しないと受け入れられなかったのだ。まぁわかりやすい万人向けの「Rockit」といったところ。アコギの音を模したようなシンセ・ベースが爽やかさを演出しているのだろうけど、作り物を無理やりナチュラルに見せようとしてるのが、逆に気持ち悪い。後半の取ってつけたようなスクラッチも微妙。

5. People are Changing
 1973年リリース、ビルボードR&B最高23位まで上昇した、Timmy Thomasのカバー。ここでメイン・ヴォーカルを取るのは、前作「Future Shock」ではバッキング扱いだったBernard Fowler。一般的なロック好きにとっては、Bill Wyman脱退後のStonesのベーシストといった方がわかりやすい。もともとはヴォーカルがメインだったのだ。
 曲調としては、ファンクというよりはAOR的なロック寄り。楽曲自体の良さもあるけれど、アングラ・シーンでの活動が多かったLaswellも、こういったオーセンティックなサウンドも操れることが証明された1曲でもある。こういった積み重ねが後のMick Jaggerらとの仕事に結びつくことになる。

maxresdefault

6. Sound System
 ラストはタイトル・ナンバー、こちらもバックトラックはほぼ「Rockit」、シーケンス・ビートをベースとして、エフェクト的に薄くかぶさるシンセ、時々アクセント的にデカく響くオーケストラ・ヒットとの波状攻撃は、聴いてて疲れるよな。これでも当時は目新しさの方が先立っており、各界に衝撃を与えたのだ。
 注目すべきは3分半以降、当時、ジャズ本流からは逸脱してジャンルレスな活動をしていた近藤等則がトランペット・ソロを取っている。70年代Miles的にワウワウで変調された音色と痙攣するようなフレーズは、機械的なビートにも充分渡り合っている。ここでデジタル・ビートに飲み込まれないためには、Miles的なメソッドが必要だったのだろうし、また、そのデジタルを凌駕できるトランぺッターは、当時は近藤しかいなかった。




Herbie Hancock: The Complete Columbia Album Collection 1972-1988
Herbie Hancock
Sony Legacy (2013-11-12)
売り上げランキング: 22,634
ワンダウン(紙ジャケット仕様)【SHM-CD】
マテリアル
SPACE SHOWER MUSIC (2013-08-28)
売り上げランキング: 286,089
カテゴリー
月別アーカイブ
記事検索
Twitter
北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
最新コメント

音楽 ブログランキングへ


にほんブログ村 音楽ブログへ
にほんブログ村

アクセス
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: