好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

ポップ馬鹿としての達郎は、ここから。 - 山下達郎『Melodies』

folder 1983年リリース、7枚目のオリジナル・アルバム。前作『For You』に続きチャート1位を獲得、年間チャートでも7位にランクインしている。
 この年の年間トップは、映画『フラッシュダンス』のサウンドトラック、3位は松本隆主導によるプロジェクト戦略がピークに達していた、松田聖子『ユートピア』、次に明菜・サザンと、順当なラインナップになっている。
 ちょっと不意を突かれたのが、2位のフリオ・イグレシアス。外タレというよりディナー・ショー歌手の印象が強いので、カタカナで書いちゃったけど、アラフォー世代以下はもう知らないんだろうな。「バイラモス」をヒットさせたエンリケの親父ってことだったらわかるかな?とも思ったけど、あれだって、もう20年前なんだよな。本題と関係ないから、まぁいいか。
 続いて6位がMichael Jackson 『Thriller』。マイコーより売れてたのか、フリオ。で、この次に達郎が続く。
 単独トップこそ『フラッシュダンス』に譲ったけど、本当の意味でのこの年のトップは、断然明菜。しかも、年間トップ10圏内に3枚も送り込んでいるブッチギリ状態。さらに、ベスト・アルバムじゃなくて、全部オリジナル。出来不出来はあったとしても、尋常じゃないペースである。
 当時のアイドル歌謡曲のリリース・スパンが、シングル3ヶ月・アルバム半年が平均だったため、実現できた記録である。アニメ関連以外じゃ、こういうのってなくなっちゃったよな。

 ちょっと言いづらいけど、こんなキラ星が並んだラインナップの中では、何ていうかこう、地味で場違いな感が否めないのが、達郎の存在である。テレビでの露出が必須だった歌謡界や、いい意味でPV的な構成の『フラッシュダンス』や『Thriller』と違って、映像によるアプローチは、まったくと言っていいほどない。竹内まりやとの結婚式での取材ラッシュに辟易して、それ以降は頑なに映像での露出を拒んでおり、いまだ頑固にそのポリシーを貫いている。
 とはいえ、当時のニュー・ミュージック勢の戦略として、メディア露出を絞ってユーザーの情報飢餓感を煽ることがセオリー化していたので、達郎だけが特別だったわけじゃない。ないのだけれど、当時のTV出演拒否を謳っていたアーティストの多くが、今では普通に出演している中、彼だけは頑なに初心を貫いている。そこまでの頑固一徹さは、もはや賞賛に値する。ここまで行っちゃったら、もう引退するまで貫いてほしい。
 ビジュアル面でのインパクトの薄さは、アルバム・アートワークでも顕著にあらわれている。「FMステーション」でお馴染み、鈴木英人デザインによる、ポップでアメリカンナイズされたアートワークでパッケージされた『For You』から一転、『Melodies』のジャケットは、インパクトもなく地味である。オールディーズ・ナンバーのオムニバスのような、素っ気ないデザインとなっている。歴代のアルバム・ジャケットの中では、『Spacy』と肩を並べるくらい、掴みどころがない。
 逆に考えれば、小洒落たデザインや話題性などを抜きにして、音楽のクオリティだけで勝負する-、そんな強い決意の表れ、そして自信だったと言える。

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 JALのCMソングとなった「高気圧ガール」以外、マスコミにとって形容しやすいセールス・ポイントがないアルバムがここまで売れちゃったのも、そんな強い自信のあらわれ、真摯な決意の賜物だったんじゃないか、というのはちょっと持ち上げすぎかな。でも、当時置かれた立場的には、普通に『For You』の二番煎じでも、誰も批判はしなかったと思われるし、周辺スタッフだって、内心は気が気でなかったんじゃないかと思われる。大滝詠一だって、『Each Time』は自嘲的に「ロンバケⅡ」って語っていたくらいだし。
 達郎がデビューした頃、日本のロック/ニュー・ミュージックの市場はまだ未成熟で、単体で採算が取れるほどのレベルではなかった。吉田拓郎や井上陽水など、ごく一部のアーティストらは安定したセールスを積み上げていたけど、その他大多数は商業的にいわばお荷物、絶大なセールスを誇っていた歌謡曲の売上で活動させていただいているようなものだった。一部の看板歌手によって得た利益を再分配して次世代へ投資する、この図式は今もそんなに変わらない。まぁ市場規模が小さくなっちゃったので、原資自体が減っちゃって配分も何もなくなっちゃったけど。
 で、80年代に入ったあたりから、歌謡曲以外のシェアが増大する。さらなる売り上げ拡大を目指すアーティストもいるにはいたけれど、純粋な動機で音楽を始めた者が多かったこの時代、セールスの裏付けによる発言力を得たことによって、強いアーティスト・エゴを反映させた作品もまた多い。
 9位のユーミン『リ・インカーネーション』は、後の恋愛至上主義からは想像もつかないSFチックなスピリチュアル路線だし、11位の中島みゆき『予感』だって、ご乱心路線にギアが入り始めた頃の作品である。事実上の独立第1弾となる『Melodies』も、シングル曲以外は内省的で派手さのない、アーティスト・エゴを優先させたサウンド・コンセプトで統一されている。
 「Ride on Time」や「Loveland, Island」の拡大再生産的な「高気圧ガール」一色で埋め尽くしたって、誰もケチはつけないだろうし、市場のニーズとはマッチしている。でも、そうはしたくない、時代に寄り添い過ぎたくはない、という嗅覚が働いたのだろう。それが得策だったことは、時代が証明しているわけだし。

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 「Ride on Time」のスマッシュ・ヒットで注目され、そこから『For You』~『Melodies』と続く第一次達郎全盛期は、同時にニュー・ミュージック時代の終焉に位置づけられる。80年代後半のバンド・ブーム以前、非歌謡曲系のアーティストの主軸がソニー系ロック/ポップ系へ移行する、そのちょっと前の時代。
 70年代にデビューした、叙情派フォーク勢が中心となったニュー・ミュージック系の歌手らは、時代の趨勢に従うように、ソフィスティケイトされた洋楽テイストのサウンドを志向するようになる。赤裸々なメッセージとイデオロギーをコアとした60年代組と違って、白樺派的雰囲気フォークの後発勢らは、ポップで耳ざわりの良い英米のシンガー・ソングライターのメソッドをパクって吸収していった。男だったらPaul Simon、女ならCarole King、「第2の~」「日本の~」というキャッチフレーズが多かったのも、この頃である。
 そんな小ブームも一過性に終わり、次の元ネタを探しに次に向かったのが、アーバンで落ち着いた「大人の音楽」、Christopher CrossやBobby CaldwellらによるAORサウンドだった。一歩間違えれば演歌にも通ずる情緒的なメロディ・ラインは、日本人のメンタリティにも心地よくフィットしたため、流用するにはうってつけだった。
 達郎の場合、そんな並行輸入のAORもどきとは一線を画し、ウェットな感性を排したサウンドとメロディを持ち味としていた。ただ、「洗練された大人のシャレオツなサウンド」といったくくりで行くと、あながち間違ってはいないし、プロモーション展開としてはやりやすい。

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 「夏だ海だ達郎だ」といったリゾート・ミュージック的な捉えられ方は、自分の音楽的ポリシーや意向が完全に反映されたものではない」と後年、達郎は語っている。当時の音楽シーンを鑑みると、刹那的な流行だったと思っても仕方がない。
 ただ、100パーセント自身の嗜好が反映されたモノを作っているアーティストがどれだけいるのかといえば、実際のところ、そんなに多くはない。ていうか、むしろごく少数。
 かつてはMarvin Gayeがジャズ・スタンダードのアルバムをリリースしたり、近年でもPaul McCartneyが単発的にクラシックのプロジェクトを興したりしているけど、ほとんどは採算度外視の道楽みたいなもので、どれもヒットを前提として作られたものではない。商業ベースに乗せるためには、大なり小なり妥協がついて回るのだ。
 インタビューなどの発言やラジオの選曲傾向から、オールディーズやドゥーワップをベースとした音楽が好みであることは、よく知られている。嗜好としては間違ってはいないのだけど、本来の志向とは微妙にズレがあることは、ライト・ユーザーにはあまり知られていない。
 実際の達郎は、古くはAC/DC、近年ではEastern YouthやThe Birthdayらをこよなく愛する、意外に意外なハードロック壮年である。ただ、「自分の声質にはフィットしないことを自覚し、消去法的選択で今のような作風に向かった」と、これも自身でコメントを残している。
 達郎がインタビューで頻発して用いるのが、「商業音楽」という言葉。
 彼曰く、「不特定多数のユーザーに届かせるためには、嗜好よりも適性が優先される。商業音楽の世界では、売れないのは無と同然であり、売れる事によって初めて優劣の評価が成される」と。詳細までは覚えてないけど、このニュアンスの発言は何度か目にしたことがある。こういう事語らせたら止まらないのが、この人の持ち味でもある。
 「商業音楽」の世界で生きて行こうと決めた時点で、達郎の音楽性は狭まったのか、それとも逆にフォーカスが絞られたのか。多分、後者だろう。言っちゃえば結果論くさいのだけど、それをまた後付けで理論武装してしまうのも、この人のしたたかさである。

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 前年に立ち上げたアルファ・ムーン・レーベルへの移籍を機に、達郎は自ら作詞を手がけるケースが多くなる。それまでは、多くの作詞を吉田美奈子に委ねていたのだけど、自ら選んだ言葉とテーマを歌う行為は、今後のアーティスト活動の継続において必然と判断したのだろう。
 もともとサウンド・メイキングの方の評価が高くて、歌詞なんて添え物程度にしか考えてなかったんだから、どうせなら長所を伸ばす方向、サウンドやヴォーカルのディティールに力入れた方がいいんじゃないの?と余計な勘ぐりをしてしまいたくなる。当時の内情を知らない俺だってそう思うんだから、身近な関係者や事情通の中には、そんな風に思ってた人もいたんじゃないかと思われる。
 いざ「自分で書く」と決めたはいいけど、プロフェッショナルな職業作家ではないので、高度なレトリックやダブル・ミーニングを多用できるわけではない。気取った言い回しができるタイプじゃないし、特に30過ぎだったら、内面をさらけ出すことに対する気恥ずかしさが先立ってしまう。
 ある意味、見切り発車的な(ほぼ)全曲作詞だったため、類型的な情景描写が多く、赤裸々な心理描写を表現した作品はない。メロディ・ラインとヴォーカルの発語感のマッチングが齟齬を来たし、拙いものもあるにはある。
 「商業音楽」としてのクオリティを追求するなら、外部委託もまたひとつの手段である。製品レベルの維持安定を図るのなら、むしろ信頼できる第三者に委ねた方が合理的だ。
 でも彼は、人に書いてもらうことより、自分で言葉を選び、歌うことを選んだ。「商業音楽」の世界に生きていながら、やはりそこはアーティストだ。なぜ自分が、多くの人に作品を聴いてもらいたいのか。単なる利潤の追求なら、もっと効率的なやり方はある。
 効率的なロジックとは対極の、抑えきれぬアーティスト・エゴの発露。湧き上がる表現欲求に駆り立てられるように、その後の達郎は言葉の表現にも注力するようになる。

 後にリリースしたアルバム・タイトル『Artisan(アルチザン)』。職人をあらわす英語である。その後の彼の足取りを想えば、アーティストというより、この言葉の方がふさわしい。





1. 悲しみのJODY (She Was Cring)
 大滝詠一だったか誰だったか、「日本で最初にファルセットでメジャーになった曲」と称された、なのに8ビートのストレートなロック・チューン。ファンクやディスコと言えば16ビートだけど、敢えてそこをはずしたところに、新境地への意気込みが窺える。
 多重コーラスはもちろん、やたら重たいベースや終盤のドラム・ソロも、ぜんぶ達郎独りでこなしている。井上大輔にサックスを頼んだ以外は、ほぼ全部自分。こういうスタイルって、もっとこじんまりとまとまっちゃうものだけど、ちゃんと広がりのあるヴァーチャル・バンド・サウンドに仕上げている。この時期はあんまりライブに積極的ではなかったけど、後のバンド・アンサンブルも想定していたんだろうか。

2. 高気圧ガール
 オリコン最高17位まで上昇した、先行シングル・カット。当時のJALのキャンペーン・ソングということで、やたら大量に出稿されていたのは、中途半端な田舎の中学生だった俺の記憶にも強く残っている。ていうか、一般的な認知が定着したのは、多分この頃だったんじゃないかと思われる。
 享楽的な夏の宴を思わせるサンバのビートは、裏表もあまり感じさせず、その辺はやはりオファーに則った職人芸。「夏の男」というベタなニーズにそのまんま応えた、コマーシャルな達郎像が具現化されている。アカペラとパーカッションで構成されたイントロは、一歩間違えればエスニックな泥臭いものになりがちだけど、そういった危惧をすべて回避して、コンテンポラリーなポップ・スタンダードとして仕上げている。
 ちなみに甘い吐息の主は、しばらく明かされていなかったのだけど、正体は竹内まりや。やっぱりな。

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3. 夜翔 (Night-Fly)
 ゆったりした正統フィリー・ソウルなバラード。ベタでムーディでスウィートなホーン・セクションと優雅なストリングス。なので、決して技巧的ではないベタな歌詞がフィットする。小難しい言葉を連ねるタイプのサウンドじゃないしね。
 リリース当時は1.2.のようなアッパーなサウンドのインパクトに心惹かれていたけど、年を取るにつれ、こういったシンプルなソウル・バラードの方がしっくり馴染むようになる。
 大人になればわかるよ、そういうのって。

4. GUESS I'M DUMB
 Bryan Wilson作のカバーというのを、だいぶ後になってから知ったのだった。ちなみにYouTubeでオリジナルのGlen Campbellヴァージョンを聴いてみたのだけど、歌い方は完コピだな。達郎ヴァージョンを先に聴いてるので、俺的にはこっちがオリジナルみたいなものだけど、結構やるよな、Glen。ヴォーカルの力だけで引き込まれてしまう。
 アカペラ多重コーラスで彩ることによって、サウンドの深みがグッと引き立ったのはアイディア勝ち。ていうか、このコーラスが入ってこそ、この曲は完成したんじゃないか、とさえ思ってしまう。
 ちなみにこの曲も1.同様、達郎独りによる多重録音。この時、30歳。それでこの完成度だから、どれだけ老成してるんだよ。やっぱ若年寄だな。

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5. ひととき
 レコードではA面ラスト、本人いわく、60年代フォークっぽくやりたかった、とのことで、サウンドはポップなフォーク、ヴォーカルはちょっと抑えめのソウル・タッチ。要所を多重コーラスで締め、コンパクトにまとめている。夏っぽさどころか季節感も薄い、もう少しウェットに寄れば抒情フォークになってしまうところ。でもこの雰囲気は悪くない。3.同様、年を重ねてから聴くと、じんわり来る。

6. メリー・ゴー・ラウンド
 このアルバムのメイン・トラックのはずだったのだけど、一般的な認知度で言えば10.に取られてしまい、不遇を囲っているどファンク・チューン。ただファン歴が長くなればなるほど、この曲の人気は高くなる。
 最強のリズム・セクションだった伊藤広規(B)と青山純(Dr)によって構築された盤石のビートは、誰も太刀打ちできない。この2人の勇姿を見ることは叶わなかったけど、昨年、初めて参加したライブで、俺が最も楽しみにしていたのが、この曲。いやもう、心も体も持ってかれてしまう。



7. BLUE MIDNIGHT
 『For You』のアウトテイクということで、この曲のみ作詞が吉田美奈子。フィリーなソウル・バラードは3.と似たタッチで、いつも印象がかぶってしまう。まぁノリノリの6.の後だから、その後のクール・ダウンといったポジショニング。
 逆に言えば、このアルバムのサウンドには非常にフィットしており、よって『For You』だと入れどころに困ってしまう。すでにこういったライト & メロウ路線が芽生えていたのだろう。

8. あしおと
 こちらも『For You』時に制作された楽曲。軽いタッチのシカゴ・ソウルは、やっぱシックなこのアルバムとの方が相性が良い。肩の力を抜いたポップ・ソングだけど、コマーシャルな路線とも違う、それでいて優しく寄り添ってくる。不思議な魅力のあるナンバー。これまでも、そしてこれ以降もないタイプなので、なかなか貴重。多分、もう書けないんだろうな、こういう方向性って。



9. 黙想
 ラス前のインタールード的な小品バラード。歌詞は至ってシンプルだし、アレンジもピアノ1本。しかし、ポップのアルバムで、こんなタイトルの曲を入れるだなんて、なかなかの冒険。一過性のヒットを狙うのなら悪手だけど、長期的な展望で見れば…、ややっぱないな、普通。

10. クリスマス・イブ
 あまりに語られ過ぎてるし、誰もが知ってる曲なので、大して書くことはないけど、本格的なアカペラ・コーラスを大々的にフィーチャーされた、初めてのヒット曲。若書きとも取れる歌詞も、過度なセンチメンタリズムを避け、それでいて情熱的。考えてみれば、ソウルにどっぷり浸かっている人なので、ストレートな表現を多用するのは当たり前なのだ。
 初回の12インチ・ピクチャー・レコードを速攻で買ったのは俺の自慢のひとつだけど、金に困って売っぱらっちゃったのもまた、俺の数少ない後悔のひとつ。こういうのは手元に残しておくものだよね。みんなも大事なアイテムは、簡単に手放さないようにね。

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「ゴチャゴチャ言わんと聴かんかい」という音楽 - Miles Davis 『Get Up With It』

folder 1974年リリース、引退前最後のMilesバンド、1970年から74年にかけてレコーディングされた未発表曲のコンピレーション。後年になって評価が高まった電化マイルス期のスタジオ録音というのは、1972年の『On the Corner』までであり、それ以降の作品はすべてライブ録音である。そういえばそうだよな、改めて気づいた。
 多分、この時期のMilesはアルコールとドラッグによる慢性的な体調不良を抱えていたため、支払いが遅く時間の取られるスタジオ作業より、チャチャっと短時間で日銭の入るライブに重点を置いていたんじゃないかと思われる。野放図な当時の生活を維持するため、コロンビアのバンスもバカにならない金額になっていただろうし。
 とはいえ、まったくスタジオに入らなかったわけではない。この時期のセッションを収録したコンピレーションは、以前レビューした『Big Fun』もあるし、裏も表も含めて発掘された音源は、そこそこある。
 この時期のMilesセッションは、「長時間テープを回しっぱなしにして、後でスタジオ編集」というスタイルが確立していたため、マテリアルだけは膨大にあるのだ。それがまとまった形にならなかっただけであって。

 実際、収録されているのは、そのとっ散らかった72年から74年のセッションが中心となっており、70年のものは1曲だけ。その1曲が「Honky Tonk」なのだけど、メンツがまぁ豪華。John McLaughlin、Keith Jarrett、Herbie Hancockと、当時でも十分重量級だった面々が名を連ねており、これだけ聴きたくて買った人も相当いたんじゃないかと思われる。
 リリース当時は、酷評か黙殺かご乱心扱いだった『On the Corner』の布陣では、プロモーション的にちょっと引きが弱いので、無理やり突っ込んだんだろうな。Miles もコロンビアも、そのくらいは考えていそうだもの。

Miles Davis LA 1973 - Urve Kuusik

 前述したように、この時期のMilesのレコーディングは、1曲通しで演奏したテイクが完パケとなることが、ほぼなかった。『On the Corner』も『Jack Johnson』も『Bitches Brew』も、プロデューサーTeo Macero による神編集が施されて、どうにか商品として出荷できる形に仕上げられている。
 「テーマとアドリブ・パートの順繰りをざっくり決めて、チャチャっと何テイクかセッション、デキの良いモノを本テイクとする」、そんなジャズ・レコーディングのセオリーとは明らかに違う手法を確立したのがMilesであり、彼が生み出した功罪のひとつである。プレスティッジ時代に敢行した、超スパルタのマラソン・セッションを経て、既存の手法ではジャズの枠を超えられないことを悟ったMilesがたどり着いたのが、レコーディング設備をも楽器のひとつとして捉えるメソッドだった。当時のポピュラー・シーン全般においてもあまり見られなかった、偏執狂的なテープ編集やカットアップは、電化に移行しつつあったMilesとの相性が格別良かったと言える。

 メロディやテーマもコードも埋もれてしまう『On the Corner』で確立されたリズムの洪水は、セッションを重ねるごとにインフレ化し、次第にポリリズミカルなビートが主旋律となる。メインだったはずのトランペットの音色も、電化によって変調し増幅され、音の洪水に埋没してゆく。制御不能となったリズムに身を委ね、自ら構成パーツのひとつとなることを望むかのように。
 『On the Corner』までは、バンマスとしての役割を辛うじて果たしてはいたけど、これ以降のMilesは、自ら生み出したリズムの怪物に振り回され、侵食されてゆく過程を赤裸々に描いたと言ってもよい。
 「混沌をコントロールする」というのも妙な話だけれど、『On the Corner』期のセッションでは、そのヒントが得られたはずだった。JBやSlyによって発明されたリズムからインスパイアされ、メンバーにもファンクのレコードを繰り返し聴かせた、というエピソードが残っているように、新たな方向性を見出して邁進するMilesの昂揚感が刻まれている。

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 「じゃあ、さらにリズムのインフレを人為的に起こしたら、一体どうなるのか?」というフィールド・ワークが、いわばこの時期のライブであり、スタジオ・セッションである。エンドレスに続くリズム・アンサンブルから誘発されるグルーヴ感に対し、無調のメロディをカウンターとしてぶつける、というのが、当時のMilesのビジョンだったんじゃないかと思われる。
 大勢による複合リズムに対抗するわけだから、単純に音がデカい、またはインパクトの強い音色でなければならない。なので、Milesがエフェクターを多用するようになったのも腑に落ちる。もはや「'Round About Midnight」のような繊細なプレイでは、太刀打ちできないのだ。
 「俺のソロの時だけ、一旦ブレイクしろ」と命令も無意味で、それをやっちゃうと、サウンドのコンセプトがブレる。リーダーの一声で制御できるリズムなんて、Milesは求めていないのだ。
 強いアタック音を追求した結果、ギターのウェイトが大きくなるのも、これまた自然の流れである。ただ、Milesが求めるギター・サウンドは、一般的なプレイ・スタイルではなかった。かつてはあれだけお気に入りだったMcLaughlinの音でさえ、リズムの洪水の中では大人しすぎた。
 カッティングなんて、気の利いたものではない。弦を引っ掻き叩く、まるで古代の祝祭のごとく、暴力的な音の塊、そして礫。流麗さや優雅さとはまるで対極の、感情のうねりと咆哮-。

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 そんな流れの中では、どうしても分が悪くなるのが、ピアノを筆頭とした鍵盤系。アンプやエフェクトをかませてブーストできるドラムやギターの前では、エレピやオルガンは立場が薄くなりがちである。
 もう少しパワーのあるシンセだって、当時はモノフォニック中心で、スペック的には今とは段違い、ガラケーの着メロ程度のものだったため、あまりに分が悪すぎる。メロディ・パートの表現力において、ピアノは圧倒的な優位性を有してはいるけど、でも当時のMilesが求めていたのは、そういうものじゃなかったわけで。
 リズム志向とは別枠で、電化マイルスが並行して模索していたのが、Stockhausenにインスパイアされた現代音楽の方向性。メロディ楽器というより、一種の音源モジュールとしてオルガンを使用、自ら演奏しているのが、収録曲「Rated X」。ゾロアスターの教会音楽や二流ホラー映画のサントラとも形容できる、既存ジャズの範疇ではくくれない実験的な作品である。
 ただこういった使い方だと、いわゆるちゃんとしたピアニスト、KeithやHerbie、またChick Coreaだって使いづらい。言っちゃえば、単なるロング・トーンのコード弾きだし、いくらMilesの指示とはいえ、やりたがらないわな。

 「ジャズに名曲なし、名演あるのみ」という言葉があるように、ジャズの歴史は主に、プレイヤビリティ主導で形作られていった。すごく乱暴に言っちゃえば、オリジナル曲もスタンダード・ナンバーも、あくまでセッション進行の目安に過ぎず、プレイヤーのオリジナルな解釈やテクニック、またはアンサンブルが重視される、そんなジャンルである。
 スウィングの時代なら、口ずさみやすいメロディや、ダンスに適したノリ重視のサウンドで充分だったけど、モード・ジャズ辺りから芸術性が求められるようになる。「ミュージシャン」が「アーティスト」と呼ばれるようになり、単純なビートや旋律は、アップ・トゥ・デイトな音楽と見なされなくなっていった。
 時代を追うに従って、ジャズの芸術性は次第に高まっていった。そんな中でも先陣を切っていたのがMilesである。若手の積極的な起用によって、バッサバッサと道なき道を開拓していった。

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 ただ、ジャズという枠組みの中だけでは、新規開拓も限界がある。60年代に入ったあたりから、モダン・ジャズの伸びしろは頭打ちを迎えることとなる。
 プレイヤーの表現力や独創的な解釈に多くを頼っていたモダン・ジャズは、次第にテクニック重視と様式美に支配されるようになる。ロックやポップスが台頭する中、冗長なインタープレイと腕自慢がメインとなってしまったジャズは、すでに伝統芸能の領域に片足を突っ込んでいた。
 ヒップな存在であったはずのMilesが、そんなジャズの窮状に明確な危機感を感じたのが、ファンクの誕生だった。「-今までやってきた音楽では太刀打ちできない」、そう悟ったのだろう。
 いわば電化マイルスとは、既存ジャズへの自己否定とも言える。好き嫌いは別として、モード以降のジャズを作ったのがMilesであることは明確だし。

 これまでのジャズの人脈とはちょっと外れたミュージシャンを集め、冗長なアドリブ・パートを廃し、ひたすら反復リズムを刻むプレイに専念させる。そこにスター・プレイヤーや名演は必要ない。集団演奏によって誘発される、邪悪でデモーニッシュなグルーヴ。それが電化マイルスの基本ビジョンだったと言える。
 これまでジャズのフィールドにはなかった現代音楽やファンク、エスニックの要素を取り入れた、複合的なごった煮のリズムとビートの無限ループ。その音の洪水と同化しつつ、クールな頭脳を保ちながら最適なソロを挿し込む作業。その成果のひとつ、電化マイルスの第一の到達点が『On the Corner』だった。

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 じゃあ、その次は?
 Milesが隙間なく組み上げたサウンドとリズムの壁は、盤石なものだった。なので、あとはもう壊してゆくしかない。
 ただ、完璧に壊すためには、完璧に創り上げなければならない。もっとリズムを・もっと激しく。リズムのインフレの始まりである。
 こうなっちゃうと、もう何が何だか。どこが到達点なのかわからなくなる。
 -完璧なサウンドなんて、一体誰が決める?
 そりゃもちろんMilesだけど、そのジャッジはとても曖昧だ。ただでさえ、酒やドラッグで精神も脳もやられているため、朝令暮改が日常茶飯事になる。昨日言ったこと?ありゃナシだ。もう一回。
 未編集のまま放り出された録音テープが溜まりに溜まり、いつものTeoに丸投げするけど、もはや彼の手にも追えない。だって、あまりに脈絡が無さすぎるんだもの。どう繋いだり引き伸ばしたりしても、ひとつにまとめるのは無理ゲー過ぎ。

 なので、『On the Corner』以降の作品が、このようなコンピレーションかライブ編集モノばかりなのは、致し方ない面もある。逆に言えば『Get Up With It』、無理にコンセプチュアルにまとめることを放棄し、多彩な実験を無造作に詰め合わせたことによって、当時のMilesの苦悩ぶりが生々しく表現されている、といった見方もできる。
 誰もMilesに「ハイ、それまでよ」とは言えなかった。自ら崩壊の過程を線引きし、その線をなぞるように坂道を転げ落ち、最期のアガ・パンにおいて、志半ばで前のめりにぶっ倒れた。
 後ろ向きには倒れなかった。これが重要なところだ。試験に出るよ。





1. He Loved Him Madly
 1974年、ニューヨークで行われたセッション。レコーディング中、Duke Ellingtonの訃報の知らせを聞き、追悼の意を込めてプレイされた。そんな事情なので、ミステリアスな沼の底のような、地を這うようなサウンド。呪術的なMtumeのパーカッションと交差するように、ジャズと呼ぶにはオルタナティヴ過ぎなPete Coseyら3本のギター。ジャズとして受け止めるのではなく、かなりイっちゃったプログレとして捉えことも可能。あんまり抑揚のないプレイだけど、Pink Floydがジャズをやったらこんな感じ、と思えば、案外スッと入ってこれるんじゃないかと思われる。
 ちなみにMiles、前半はほぼオルガンに専念、後半になって浮遊感に満ちたワウワウ・ソロを披露している。

2. Maiysha
 一昨年話題となった、Robert Glasper & Erykah Baduコラボ曲の元ネタ。1.とほぼ同時期に行われた、カリプソ風味のセッション。またオルガンを弾いてるMiles。この頃、マイブームだったんだろうな。
 カバーだオリジナルだと区別する気はないけど、この曲においては、Glasperのアイディア勝ち。Erykah Baduもこういったコラボにお呼びがかかることが多いけど、シンガーに徹したことによって、変なエゴが抑えられて程よい感触。
 Milesが土台を作ってGlasperがコーディネート、彼女によって完成された、と言ってもいいくらい、渾身のクオリティ。漆黒の重さを求めるならオリジナルだけど、ポップな歌モノを求めるなら断然こっち。多分Miles、Betty Davisにこんな風に歌って欲しかったんじゃないか、と勝手に妄想。



3. Honky Tonk
 ジャズ・ミュージシャンがロックをやってみたら、こうなっちゃました的な、McLaughlinのためのトラック。一瞬だけスタメンだったAirto Moreiraのパーカッションが泥臭い風味で、単調になりがちなサウンドにアクセントをつけている。まだ電化の発展途上だった70年のレコーディングなので、Milesもオーソドックスなプレイ。彼が思うところの「ロック」はブルースに大きく寄っており、ジミヘンの出すサウンドに傾倒していたことが窺える。
 そんな感じなので、KeithとHerbieの影はとてつもなく薄い。どこにいる?

4. Rated X
 「人力ドラムン・ベース」と俺が勝手に評している、キャリアきっての問題作。要はそういうことなんだよな。ジャズというジャンルからとことん離れようとすると、ここまで行き着いちゃうってことで。テクノと教会音楽が正面衝突して癒着してしまったような、唯一無二の音楽。無限リズムの中を徘徊し、気の赴くままオルガンをプレイするMiles。本職なら選びそうもないコードやフレーズを放り込みまくっている。



5. Calypso Frelimo
 カリプソとネーミングされてるため、享楽的なトラックと思ってしまうけど、実際に出てくる音は重量級のファンク。『On the Corner』リリース後間もなくのセッションのため、余韻がハンパない。なので、ワウワウを効かせまくったMilesのプレイも至極真っ当。このタッチを深く掘り下げる途もあったはずなのだけど、サウンドの追及の末、ペットの音色さえ余計に思うようになってしまう。

6. Red China Blues
 1972年録音、珍しい名前でCornell Dupree (G)が参加、ドロドロのブルース・ナンバー。ハーモニカはうなってるし、ホーン・セクションもR&B風。「へぇ、よくできまんなぁ」と絶賛したいところだけど、誰もMilesにオーソドックスなブルースは求めていないのだった。ギターで弾くフレーズをトランペットで鳴らしているあたり、こういった方向性も模索していたんだろうけど、まぁそんなに面白くはない。自分でもそう思って、ボツにしちゃったんだろうな。

7. Mtume
 レコードで言うD面は人名シリーズ。タイトル通り、パーカッションをフィーチャーしたアフロチックなナンバー。もはやまともなソロ・パートはなく、引っかかるリフを刻むギター、そしてパーカッションの連打連打連打。
で、Milesは?存在感は薄いけど、最後の3分間、ビートを切り裂くようなオルガンの悲鳴。さすがフレーズの入れどころがわかってらっしゃる。

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8. Billy Preston
 あのBilly Preston。Beatles 『Let it Be』で一躍脚光を浴びた、あのBilly Prestonである。ソウル好きの人なら、「Syreetaとコラボした人」と思ってるかもしれない。でもこのセッションBlly Prestonは参加してないという不思議。どこいった?Bille Preston。
 曲自体はミドル・テンポの軽めのファンク。このアルバムの中では比較的リズムも安定しており、Milesも真っ当なプレイ。あ、こんな言い方じゃダメだな、電化が真っ当じゃないみたいだし。





 

ステゴロ勝負のような音楽 - Joni Mitchell 『Hejira』

folder 1976年リリース、8枚目のオリジナル・アルバム。US13位UK9位を記録、アメリカではゴールド・ディスクを獲得している。決してポップともキャッチーとも言えない、こんな愛想のない音楽がトップ10近くまで売れてしまう、そんな時代だったのだパンク襲来以前のアメリカって。
 60年代の狂騒の残り香がひと息ついて、まだサタデー・ナイト・フィーバーもない空白の時期、小難しい理屈をこねた音楽に取って代わって、あんまり深く考えないメロディアスなロックが主流になっていた。EaglesとFleetwood Macがトップ争いを繰り広げていた、そんな時代である。
 ただ、時代の趨勢とは一面的なものではない。もう少し繊細に作られた、Steely Danのようなジャズ・フュージョン/クロスオーバー系のサウンドに人気が集まっていたのも事実。
 そんな流れもあって、Joni の音楽もまた、そこそこ受け入れられる土壌があった。シングル・ヒットを狙ったアーティスト以外にも、ちゃんと居場所があった時代の話である。

 フォーク路線でデビューしたはずのJoni の音楽性が、次第にジャズに傾倒していったのは、伝説的なベーシストJaco Pastoriusとのロマンスが契機になった、とされている。
 出るべくして世に出た、若く才能あふれるミュージシャンとの熱愛。出逢うべくして出逢った2人は、仕事でもプライベートでもかけがえのないパートナーとなる。
 主にリズム楽器だったベースというポジションを、フロントでも通用するリード楽器の地位に押し上げたのは、才気煥発なJacoの功績が大きい。ジャズ・ベーシストの第一人者としてはCharles Mingusが有名だけど、彼の場合、プレイヤーとしてよりはむしろコンポーザー的な評価の方が高い。純粋なベース・プレイのテクニカル面だけで見れば、Jaco に軍配があがる。
 Joniもまた天才肌のミュージシャンであり、同時にアーティストである。なので、仲睦まじく和気あいあいといったムードは、望むべくもない。
 共鳴する部分と反発し合う部分、その絶妙なバランスが、セッションでは化学反応をもたらす。例えて言えば、真剣を用いた居合い切りの試合の如く、ギリギリの緊張感の中で行なわれるつば迫り合い。
 そんな真剣勝負、時にイチャイチャもしながら、2人のコラボレーションは数々の傑作を生み出した。

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 いまも世界中のアーティストからリスペクトされ、才女の名を欲しいままにするJoni。音楽だけにとどまらない才能への賞賛、それは確かに間違ってはいないのだけど、反面、誤解されている面も多い。
 若いうちから創作面で頭角をあらわし、David Crosby に見出されてデビューの運びとなったのは知られるところだけれど、クリエイティヴな活動を長く続けるには、また別のスキルが必要となる。単なるひらめきや工夫だけでは、早晩ネタ切れに陥り、先細りになってしまう。
 「天才」の定義として、よく言われるように、「努力する才能」を持つこともまた、条件のひとつである。外部の刺激を貪欲に吸収し、咀嚼して定着させる。インプットした情報を整理する、または整理するためにアウトプットする。その無限ループ。
 それが修練なのか快楽なのか。多分、両方だろう。決して生まれ持った才覚だけで続けてきたのではない。アーティストであり続けることは、何かしらのプラクティスが常について回る。
 そんなJoniの飽くなき探究心が強くあらわれているのが、唯一無二のギター・プレイである。ギターおたくのハシリとも言える彼女は、試行錯誤を繰り返しながら、これまで50を超える変則チューニングを創り出している。特にこの『Hejira』では、曲ごとに調律を変えており、通常のチューニングでは困難なメロディ、ストロークひとつでも奇妙な響きを奏でている。
 現時点で最後の来日公演となっている、1994年奈良東大寺で行なわれたイベント「あおによし」でも、彼女のコードワークは注目を集め、共演した布袋寅泰が手元をガン見していた、というエピソードも残っている。プロ目線で見ると、とんでもないセオリー外しの組み合わせなんだろうな。

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 そんなJoni の書いた楽曲だけど、基本構造はシンプルで、特別技巧を凝らしたものではない。余計な音はそぎ落とされ、一片のムダもない。なので、音符だけ追ってゆくと、ひどく簡素なものになってしまう。
 Joni 自身、楽曲の完成度には重きを置いていないらしい。歌い演奏する者によって、解釈は様々だ。どれが完成したものだなんて、本人にだってわかりはしない。
 ただ、他者とのセッションによって解釈が混じり合い、思いもよらぬ展開に気づかされることがある。頭の中だけで考えたって、想像の範疇というのは限界がある。脊髄反射でなければ気づかないことは、いくらだってあるのだ。
 Joniが求めるリアクションゆえ、当然、パートナーにも相応のレベルが求められる。天才のイマジネーションを喚起させるためには、同レベルの天才を引っ張ってくるしかないのだ。
 ただ、これまでのロック/フォークの人脈では、ある程度、展開が読めてしまう。いくらフリーに演奏してくれと言っても、結局はポピュラーの範疇でまとまってしまう。循環コードや黄金進行ではない、不定形な旋律やアンサンブルを、彼女は求めていた。
 なので、異ジャンルのジャズ/フュージョンへ活路を求めたのは、なかば必然だった。しかも、息も絶え絶えだった旧世代のモダン・ジャズではなく、ロックやファンクをも吸収した、若い世代の音を。

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 それまでのJoniの音楽的文脈にはなかった、Jacoという異物。彼の繰り出す音は、彼女が求めるビジョンと重なり合う部分が多かった。意思疎通に齟齬をきたすこともなく、ただ感覚にまかせて音を出し合うだけ。音楽を媒介とした、理想的な対話の瞬間だ。
 なので、『Hejira』のサウンドの中心はJoniとJaco、ていうかほとんど2人の音しか入っていない。他の音はほんの味つけ程度、まるで精進料理みたいなサウンドである。アサイラムもよく許可したよな、こんな無愛想な音。
 まるで薄氷を踏むような、一歩間違えれば破綻してしまいそうなセッション。コンポーザーでもあるJoniのバランス感覚もあって、どうにかギリギリの位置で、ポピュラー商品として成立している。

 その後、『Don Juan's Reckless Daughter 』、『Mingus』『Shadows and Light 』と2人のコラボは続くのだけど、長くは続かない。天才同士の確執というかエゴというか、それとも愛情のもつれというか。同じ天才とはいえ、スタンスがまったく違っていたことも、2人の行き先を分かつ要因となった。
 Joni とJacoとの決定的な違い。
 彼女はアーティストであり、彼はミュージシャンだった。
 創り上げる過程に携わったり、また壊すことはできるけど、ゼロから立ち上げるのは不得手だったのが、Jacoの天性 だった。数々のリーダー・アルバムやプロジェクトを残してはいるけど、そのどれもがテクニック優先、トリッキーなプレイが大きくフィーチャーされるばかりで、バンドやユニットとしての必然性が見えてこない。
 これは好みもあるだろうけど、俺的にはJoniとの共演を始め、自らイニシアチブを取ることのないWeather Report など、サイドマンとしての彼を聴くことの方が多い。
 持ち前の直感や嗅覚が鋭すぎるがゆえ、努力や研鑽する必要があまりなかったことも、その後の行く末を思えば、不幸だったと言える。テクニカル面での修練はあっただろうけど、その方向性がクリエイティビティ、また協調性へ向くことは、ついぞなかった。
 Weather Reportを脱退し、そしてJoni と別れてからのJacoは迷走し、錯乱の末、遂には浮浪者同然の生活にまで落ちぶれる。その末路は、とても悲惨なものだった。
 顔見知りのアーティストのライブ観覧中、飛び入り出演しようとしたところ、警備員に取り押さえられ、退場させられる。失意の中、泥酔状態でナイトクラブに入ったところ、ここでもガードマンに取り押さえられ、乱闘騒ぎを起こす。その際、コンクリートに頭部を強打、脳挫傷による意識不明の重体に陥った。昏睡状態のまま意識が戻ることはなく、家族同意のもと生命維持装置がはずされ、亡くなった。
 享年35歳。あまりにも早すぎる、天才の死。それはとてもあっけないものだった。
 -なんでこんなことになっちゃったんだろう?
 本人が一番、そう聞きたかっただろうな。

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 壊すためには、構築しなくてはならない。Joniにとっては、どっちも同等であり、そして突き詰めて考えれば、どっちも同じ行為なのだ。
 彼女は感性の赴くまま、曲を書き言葉を書き、そしてギターをつま弾いた。自身と作品に深みを持たせるため、そして欲望に忠実であらんがため、数々の男性と恋に落ちた。インプットとアウトプット。どちらも同じものだ。
 アーティストJoniは、Jacoの天性を取り込むことによって、クリエイティブ面の幅を広げ、そして深化させた。
 対してJacoは、彼女から何を受け取ったのか。その後の不遇を想うと、結局は搾取されるだけの男だったのか。
 解釈は人それぞれだ。
 受け取った荷物は、手に負えぬほどの怪物だったのか、それとも気づかずに通り過ぎてしまったのか。
 いなくなってしまった今、それは誰にもわからない。





1. Coyote
 カナダでは79位にチャートインしたシングル・カット・チューン。トーキング・スタイルで矢継ぎ早に繰り出される言葉と対照的に、メロディアスな一面も見せるキャッチーさを備えている。彩りを添える程度のパーカッション以外は、2人の真剣勝負。The Bandの『Last Waltz』でこの曲がプレイされており、うら若きSteven Tylerを彷彿させる彼女の姿を認めることができる。聴くとわかってもらえるはずだけど、音数は少ない方が、この曲は映える。



(Last Waltz)



2. Amelia
 Jacoに匹敵するもうひとりの天才が、Larry Carlton。このセットも少人数で構成されており、Victor Feldmanのビブラフォン以外は、ほぼ2人のセッション。ステゴロのような1.の緊張感とは対照的に、ここではゆったり親和的なムードが漂う演奏になっている。ツーといえばカー、そんな感じで息の合った対話。
 ちなみにタイトルのAmeliaとは、赤道上世界一周旅行中、消息を絶った女性飛行士Amelia Earhartを指し、彼女に捧げられている。女性の地位向上に尽力したことと、ミステリアスな死によって、アメリカでは偉人的な扱いになっているらしい。マーケティング分析分野において、「ナンバー1でなくても切り口を変えればナンバー1になりうる」ことを「アメリア・イアハート効果」と形容する。それくらいメジャーな存在。

3. Furry Sings the Blues
 3曲目ではじめて、ギター・ベース・ドラムという普通のスタイルでのプレイ。凡庸ではないけれど、着実に安定したリズムの中で歌いつま弾くJoni。ここでの異物は、あのNeil Young。ハーモニカでの参加だけど、アクの強いプレイ。1.同様、言葉数の多いトーキング・スタイルのヴォーカルだけど、アクの強さに引っ張られてブルース・シンガーが憑依する。まぁそれがテーマの曲だけど。
 天才を凌駕するためには、破天荒なキャラクターじゃないと太刀打ちできないことを証明した演奏。

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4. A Strange Boy
 「Amelia」と同じセッションでレコーディングされた、こちらはもう少し2人の拮抗ぶりが窺えるナンバー。Carltonのオカズプレイが堪能できる。

5. Hejira
 再び、Jacoとのセッション。今度はクラリネットが少し入るくらいで、ほぼ2人の世界。フレットレス・ベース特有のハーモニクスの音色は、太くどこまでも深い。基本のメロディはシンプルなので、やはり演奏が際立って聴こえる。この時点での到達点となる、コンビネーションの理想形。

6. Song for Sharon
 フォーク時代の痕跡を残す、メロディ中心に構成されたナンバー。3.のメンバーでレコーディングされ、加えてJoniにしては珍しく女性コーラスまで入っている。他のセッションと比べると大幅にリラックスしているので、上質なAORとしても堪能できる。

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7. Black Crow
 Joni、Jaco、Carltonが揃った、アルバム一番の山場。三人三様、持てる技のすべてを出しての真剣勝負。みんなテンションが高い。激しさのあまり、ロックっぽいフレーズを連発するCarlton、「Whole Lotta Love」みたいになっちゃってるJoniのストローク・プレイ、ハーモニクス・プレイ連発のJaco。みんな好き放題にやりながら、奇跡的にまとまっている。よく4分台に収めたよな。



8. Blue Motel Room
 ステゴロのような掴み合いの後は、ちょっとまったりジャジーなバラード。Carltonもここではあんまり本気出していない。曲調からして、フル・スロットルでのプレイは似合わない。普通のオーソドックスなチューンゆえ、あんまりJoniっぽさはないけど、レアグルーヴ好きなら反応するんじゃないかと思う。

9. Refuge of the Roads
 少人数による緊迫したセッションは一旦終了、メロディ主体のアンサンブルにJacoを放り込んだことによって、オーソドックスな楽曲に適度なアクセントがついた成功事例。これ以上のしつこさだと、歌を食ってしまう。ここでのJoniは歌を聴かせたいのだ。
 最後は存在感をアピールするかのように、Jacoのソロで幕。






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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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