好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

アレサ・フランクリンについて、ちょっと語りたい。 - Aretha Franklin 『Through the Storm』

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 8月31日に催されたAretha Franklin の葬儀に出席し、彼はこうコメントを残した。
 -神の恩寵がなければ、こんな素敵なクイーンと出会うことはなかっただろうし、彼女が与えてくれた喜びを感じることもなかっただろう。
 -生命に与えられた最高の贈り物は、愛だ。間違っていることばかり話すこともできるし、そういうことは本当にたくさんある。しかし、私たちを自由にする唯一のものが、愛だ。
 再び愛を偉大なものにする必要がある。
 大物ミュージシャンの追悼コメントでは、ほぼ高確率で駆り出されるStevie、ウェットになり過ぎず不謹慎にもならず、感動的に場を盛り上げてくれる。
 「そりゃ悲しいことは悲しいけど、喪に服してるだけじゃ、何も始まらない。常に前を向いて、歩き続けなきゃダメなんだ」と、ポジティブな方向へ導いてくれる、そんな人である。
 ゴスペル・コーラス隊をバックに朗々と歌われる「As」は、間違いなく近年のベスト・パフォーマンスとして、多くの人々の記憶に残った。

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 ずいぶん前から容態が思わしくないという報道が流れており、いよいよ重篤か、というインフォメーションから訃報が届くまで、それほど時間はかからなかった。2010年代に入ってからは手術とツアー・キャンセルの繰り返しで、最後のアルバムを出す・出さないで二転三転していたけど、それもこれも体調不安から来るものだったのだろう。
 晩年は独立レーベルを興し、過去曲のリ・アレンジや単発的なコンサートや客演、断続的ながらマイペースな活動ぶりだったけど、度重なる手術や治療によって体力は奪われ、思うような活動はできていなかったんじゃないかと思われる。いよいよ最期となって、Stevie を始め、ごく親しい友人・知人のみを病床に招き、静かに看取られながら、76年の生涯を終えた。
 その後、世界中の有名無名のアーティストからミュージシャン、シンガー、リスナーらが思いのたけをツイートし、何らかのコメントを残した。8月16日は、「R.I.P.」のタグがネット上に入り乱れ、音楽を愛する者すべてが敬意を表し、喪に服した。
 ただ、日本では。

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 -「ソウルの女王」と呼ばれた、米音楽界を代表する黒人女性歌手、アレサ・フランクリンさんが16日、中西部ミシガン州デトロイトの自宅で死去した。76歳だった。米メディアが伝えた。がんを患い、数日前から危篤状態とされていた。今春には音楽フェスティバルの出演やコンサートが、直前になって医師の診断でキャンセルされていた。
 1942年、南部テネシー州メンフィスで生まれ、デトロイトで育った。美声で有名な牧師を父親に持ち、幼少時から教会でゴスペルを歌って過ごした。61年にデビュー。66年にアトランティック・レコードに移籍し「貴方だけを愛して」「リスペクト」「ナチュラル・ウーマン」「小さな願い」などが大ヒットした。
 グラミー賞を計18回受賞したほか、女性アーティストとして初めて「ロックの殿堂」入りを果たした。米政府が文民に与える最も名誉ある「大統領自由勲章」を受章した。(共同通信)

 単に海外プレスの記事を事務的に翻訳しただけ。思い入れもへったくれもない、取ってつけたようなベタ記事である。葬儀の模様が全米で生中継されるくらい、本国ではそれほどVIPな取り上げられ方であるにもかかわらず、日本での扱いといったらもう。
 ただこれ、共同通信だけが一方的に悪いわけではない。正直、日本でArethaの人気がそれほど高かったわけではない。
 誤解を恐れながら言ってしまうと、多くの日本人はAretha Franklin というシンガーをほぼ知らない。なので、なんで彼女の死が世界中でそんなに騒がれているのか、ピンと来ない者が多くを占めている。
 そう、われわれ日本人は、この偉大なシンガーの功績や魅力を、ほとんど知らない。
 かく言う俺もそうだ。

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 欧米での人気との大きな温度差の要因として、一度も来日を果たさなかったことが、よく取り沙汰されている。
 例えば、近年の例だとAdele。もともとライブ・パフォーマンスには消極的で、欧米でもそれほど回数はこなしていないのだけど、今どき珍しいほどCDが売れているアーティストである。対して日本では、これまで来日していないせいか、いつまで経っても扱われ方は地味である。本国イギリスでは、一家に1枚、彼女のCDがあるほどだというのに、日本では「なんか向こうでメチャメチャ売れてる歌手」以上の印象が伝わってこない。まぁAdele自身も、日本のマーケットなんて、大して重視していないんだろうけどさ。
 共同通信のインフォメーションにあるように、Aretha の全盛期は60年代後半とされている。ジャズ/ポピュラー色が強かったコロンビア時代は芸風が合わなくてパッとせず、アトランティックに移籍してからは、持ち前のゴスペル・フィーリングが全開となった、力強くソウルフルな作風が人気を呼んだ。
 この時期に来日を果たしていれば、今ごろ日本でも、Diana Ross程度の人気はあったかもしれない。ただAretha、日本に限らず世界進出自体、あまり積極的ではなかった。当時、人気を二分していたOtis Redding が、飛行機事故による不慮の死を遂げた事によって、極度の飛行機嫌いになってしまう。ライバルであったとはいえ、公私で親交もあったため、ショックも大きかったのだろう。

BluesBrothers

 多くの日本人が抱くAretha のイメージは、残念ながらアトランティック時代ではない。
 少なくとも俺世代に限って言えば、「Aretha Franklin」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは、曲じゃなくて映画のはずである。
 そう、「ブルース・ブラザーズ」。
 3年の刑期を終えて出所したジェイクは、生まれ育った孤児院閉鎖の危機を救うため、弟エルウッドと共に、往年の人気バンド「ブルース・ブラザーズ」の再編に動く。こういうプロットって、多分「七人の侍」に影響されているよな。アメリカの映画人って、クロサワ大好きだし。
 不慮の解散後、メンバーはそれぞれの道を歩んでいた。すでに音楽から足を洗い、安定した生活を営んでいる者もいた。
 キーボード担当だったマーフもまた、今では下町のダイナーのオーナー・シェフとして、平穏な毎日を送っていた。かつては随分泣かされたけど、夫の更生に献身した妻アレサも、ささやかな幸せを噛み締めていたはずだった。
 そんな日常をぶち壊すような、かつてのバンド仲間、しかも不良白人たちの誘い。あやふやな態度のマーフに怒り心頭、アレサは彼に強く詰め寄る。
 「この先どうするのか、バンドを取るのか私を取るのか、はっきりしろ!」
 マーフ同様、更生したはずのトム・マローンも食事客のドナ・サマーも巻き込んだ、白熱のパフォーマンスが繰り広げられる。
 当時、そこまでのベテランと知らなかった俺は、この映画でアレサというシンガーを知った。当時は盛りを過ぎており、すでにとうが立ってもいたけど、その圧倒的な歌唱力と豪快さには、ただただ引き込まれた。なんだこのオバちゃん、何モノだ?メチャメチャカッコいいじゃん。
 -話が逸れた。「ブルース・ブラザーズ」について書くと、キリがない。この映画については、かなり前にあらすじも含めて書いてるので、詳細はそっちで。

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 俺世代を中心に盛り上がった「ブルース・ブラザーズ」だったけど、あいにく映画自体がカルト的な雰囲気だったため、当時はそれほど大きな盛り上がりを見せなかった。当然、Aretha の本業に反映されることもなく、もう少しだけ不遇の時代を過ごすことになる。前にもちょっと書いたけど、同じく出演していたJBもまた、この頃はパッとしなかったしね。
 70年代後半のディスコ・ブームには目をくれなかったのか、はたまた時流に乗れなかったAretha。原点回帰のゴスペル・アルバム『Amazing Grace』も、当時はそれほど注目されず、評価されるのは、ずっと後のことだった。
 潮目が変わったのは、80年代にアリスタに移籍してからだった。ソウル特有の泥臭さやもっさり感を漂白脱臭するため、職人Arif Mardin やLuther Vandross をサウンド・プロデューサーに迎えた。ヴォーカル・スタイルもDiana Rossみたいなソフト・タッチに変え、時流に即したブラコン路線で第一線に復帰することになる。
 でも俺、この時期はそんなに惹かれないんだよな、なんか守りの姿勢だし。同時期に復活したDionne Warwickのサウンド・フォーマットをまんま移植したようなサウンドなので、Aretha ならではの必然性を感じない。
 なんでArethaがRoberta Flackのモノマネしなくちゃなんないの?誰もそこら辺は求めていないはずなのに。

 俺の中のAretha 歴代ベスト・パフォーマンスとして、「ブルース・ブラザーズ」と双璧を成すのが、これ。



 2015年に行なわれたケネディ・センター名誉賞の祝賀公演。受賞者であるCarole Kingを讃えるステージにて、スペシャル・ゲストとして登場したAretha は、ピアノ弾き語りで「(You Make Me Feel Like) A Natural Woman」を披露した。途中からコーラスが入り。終盤に連れて盛り上がる編成だったけど、もうそんなの関係ない。強烈なエゴの放射、そして吸引力で自分の世界に引き込み、「いいから黙って聴けや」と強要するそのプレイは、誰も制御できない。観衆の首根っこをつかみ、強引に耳の穴かっぽじって音を流し込む。
 そんなパフォーマンスを目の当たりにして、狂喜乱舞するKing、そして熱い目頭を抑えるオバマ大統領。いやほんと、すごいんだからコレ。

 いつ何時でも、圧倒的な力の差を見せつけるドヤ顔のAretha。年を追うごとに増長する傲慢ぶりは、すでにアリスタ時代にも現れている。
 で、『Through the Storm』。これまでもKeith RichardsやGeorge Michaelなどビッグ・ネームを投入し続けてきたアリスタ、ここでもElton JohnやFour Topsなど、豪華で多彩なゲストで華を添えている。前作『One Lord, One Faith, One Baptism』がゴスペル・ライブ・アルバムだったため、チャート的にはパッとせず、その反動もあってか、営業の踏ん張り具合が察せられる。大きな目玉として、公私ともに面倒を見続けてきたWhitney Houstonが参加している。当時、アリスタの屋台骨を支えていた彼女の参加は、話題を集めるには充分だった。
 ただ、これだけのキラ星なメンツも、アリスタのコネクションあってこその人選だったという事実。いわゆる「お仕事」的な感覚か、もしくは「ガキの頃からの憧れの人との共演」といった、リスペクトまる出しのパフォーマンスばかりなので、Arethaを喰ってしまうほどの勢いには欠けている。まともに立ち向かって勝てるはずがないし、だったら変にかき回したりせず、盛り上げ役に徹する方が賢いのは確かだし。
 そんな中でただ1人。
 クイーンだリスペクトだ、そんなの関係ねぇ、と我が道を貫く者がいた。
 稀代のソウル・クイーンに対抗するには、同等の強いキャラ、ゴッドファーザーを持ってして、毒を制するほかない。
 その名は、James Brown 、ゴッドファーザー・オブ・ソウル。
 「やっぱJB」。これが言いたかった。


Through the Storm (Expanded)
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1. Gimme Your Love (duet with James Brown) 
 もうお腹いっぱい。これ一曲だけでそんな印象。なんたってArethaとJBだもの、カツカレーとラーメン二郎の食べ合わせみたいなもの。のっけからカマすために1曲目に入れたんだろうけど、なのになんでシングル・カットされたのが4枚目と遅かったのか。あまりに印象が強いため、アリスタ営業も、とっくの昔にシングル切っちゃってる勘違いしちゃったのか。
 デュエットとはいえ、実際のレコーディングでは顔を合わせなかったらしいけど、もうそんなの関係ない。エゴとエゴのぶつかり合い。プロデューサー Narada Michael Waldenがどうにかバランス良さげにまとめてるけど、まぁ2人ともやりたい放題。ゴジラとガメラがガチでぶつかり合ったら、こんな感じなんだろうな。
 で、アルバム・ヴァージョンとは別に、シングルでは別ミックスが収録されているのだけど、リミックスを担当したのが、なんとPrince。この2大怪獣のせめぎ合いを素材として、「Purple Mix」の名のもと、「殿下の理想とするハイパー・ファンク」を構築しようとしながら、結局はJBリスペクトになってしまっている。
 やっぱJB。そして、彼ら2人を掌の上で操るソウル・クイーン。



2. Mercy
 大仰なプリセット音シンセとオーケストラ・ヒット、いま聴けばチープなシンセ・ブラスが時代性を感じさせるけど、そんなの関係ない。この時期くらいからArethaのヴォーカルはドスが効き始め、若い頃のパッション全開のスタイルより幅が増している。いわゆる横綱相撲だな。
 上辺のサウンド・デコレーションに惑わされてはいけない。確実にArethaは進化している。

3. He's the Boy
 「Think」のリメイクを除けば、このアルバム中、唯一のAretha書き下ろしナンバー。この曲のみNarada Michael Waldenは絡んでおらず、彼女自身のプロデュースとなっている。こういったジャジーなピアノ弾き語りブルースなら、多分いくらでも書けるんだろうけど、この時期にここまでストレートなアコースティック・タッチは貴重。なので、2.で触れたヴォーカルの妙は、この曲の方がわかりやすい。

4. It Isn't, It Wasn't, It Ain't Never Gonna Be (duet with Whitney Houston)
 FMでもさんざん流れまくった、このアルバムの目玉トラック。クレジット序列的にはJBが上だけど、当時アリスタの稼ぎ頭筆頭だったWhitneyをフィーチャーした方が、営業戦略的には好都合だった。とはいえUS・R&Bチャートでは最高41位と、思ってたほどではない。日本のラジオではよく聴いたんだけどな。
 Arethaとしては、その格下であるWhitneyの人気に便乗する形に見られてしまうのがイヤで、このデュエット企画もさんざんごねたらしいのだけど、説得された挙句、個別にレコーディングするという妥協案に落ち着く。アリスタ社長Clive Davisに拝み倒されてしまったとはいえ、お局様を怒らせたくないもの。
 なので、迫真の掛け合いやアウトロ近くのコール&レスポンスも、すべては編集の賜物。大人の風格で胸を貸す余裕かと思ってたけど、やっぱArethaも女だったのね。



5. Through the Storm (duet with Elton John) 
 ちなみにこれと4.、作曲でクレジットされているのがAlbert Hammond。どっかで聞いたことある名前だよな、と思ってたら、70年代に活躍していたシンガー・ソングライターだった。代表曲は「カリフォルニアの青い空」。ごめん、名前は知ってたけど、興味ないのであんまり知らない。
 タイトル・トラックにして、シングル・カット第1弾、当然営業的にも力が入り、US16位にチャートイン。まぁでもそれだけかな。あまりに守りに入ってる曲なので、Eltonはともかく、Arethaが歌う必然性が薄い。

6. Think (1989) 
 言わずと知れたリメイク。猫も杓子も冗長なダンス・ミックスに手を出していたご時勢だけど、いま聴くと…、まぁしゃあねぇか。
 どうせなら殿下にまかせてドロドロのファンクに仕上げるか、または4.のリミックスで参加しているTeddy Rileyにヒップホップ・タッチで仕上げてもらえばよかったのに、というのは余計なお世話か。

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7. Come to Me
 80年代の悪しきブラコン臭漂う、毒にも薬にもならないナンバー。あまりに無難すぎるため、一瞬、Arethaのアルバムであることを忘れてしまうくらい。なんだこの「Endless Love」もどきは。ArethaもArethaだよな、もっとぶち壊すくらいの勢いでやれよ。

8. If Ever a Love There Was (with the Four Tops and Kenny G)
 とはいえプロデューサーとしては、アリスタ側から「Endless Love」の拡大再生産的なサウンドをオファーされていたのだろう、と察せられる。そう考えると、ArethaもLevi Stubbsも、ある意味、被害者である。こういったサウンドが持てはやされた時代であり、当時、パワー・ダウン気味で自信が持てなかった彼らは、時代の趨勢に従わざるを得なかったのだ。懸命にブラコンを演じているその姿は、涙なしには語れない。
 でもKenny G、お前には同情できない。



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80年代のスティーヴィーをあなどってはいけない。 - Stevie Wonder 『Characters』

folder 1987年リリース21枚目のオリジナル・アルバム。大ヒット・シングル「Part-Time Lover」収録の前作『In Square Circle』からチャート的には急転、US最高17位、UKでも最高33位と、大幅に落ち込んだ。特にアメリカでは、1972年リリース『Music on My Mind』からの連続トップ10入りがここで途切れ、Stevie不敗神話の終焉を告げることになった。
 1987年のソウル/R&Bシーンといえば、Michael JacksonとPrinceの2大巨頭が幅を利かせていた。彼らが食い尽くした残りを、Jody WatleyやAlexander O'Nealらブラコン勢が分け合っていたのだけど、徐々に勢力を拡大していたのが、LL Cool JやPublic Enemyらのヒップホップ勢だった。チャート上ではまだまだ及ぶところではなかったけれど、10代を中心に強い支持を得ており、その影響力はロートルたちにとっては脅威だった。当時、UKロックが中心だったロキノンでも、彼らのインタビューやフォト・ショットが掲載されていたくらいだから、その勢いは窺い知れる。
 そんな状況だったため、キャリア的にはオールド・ウェイブに属するStevieの存在感は薄れつつあった。これもまた、歴史の必然か。

 『Secret Life of Plants』以来のセールス不振が響いたのかどうかはわかりかねるけど、これ以降、オリジナル・アルバムのリリースに慎重になったStevie、次作『Conversation Peace』は8年のブランクを置いてのリリースとなっている。とはいえ、その間にも傑作サントラ『Jungle Fever』を手がけたり、多数の客演やイベント出演をこなしていたため、表舞台から遠ざかっていたわけではない。八面六臂、あまりにアクティブな活動ぶりだったのだけど、アルバムという形態には、なぜか積極的ではなくなっている。
 齢37歳とはいえ、芸歴の長いStevieゆえ、アルバムを作ることは、さほど難しいことではない。それほど気張らなくても、ササっとスタジオ入りして、チャチャっとエレピで弾き語れば、そこそこの作品はできてしまう。もともとのポテンシャルが段違いだから、どれだけ安直な作りでも、それなりの評価もセールスも着いてはくる。くるのだけれど、芸歴が長い分、評価基準は相当高いはずだから、没になる作品も相当あると思われる。ましてや、満を持して世に出したはずの『Characters』が、思ったほどの評価・セールスを得られなかったものだから、ますますアルバム制作に消極的になっちゃたのかもしれない。

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 80年代のモータウンにおいて、Stevie以外でセールスを支えていた一人が、Lionel Richieである。Earth, Wind & Fireからスピリチュアル風味を抜いたディスコ・バンドCommodoresを経てソロに転身、爽やかなAORポップ・ソウルと、圧の強い馬面とのミスマッチ感は、強いインパクトを与えた。
 その対極として、「元祖Prince」と称される下世話なポップ・ファンクのRick James、80年代女性ブラコン・サウンドの牙城を築くことになるJody Watleyを輩出したShalamarらが、後に続く。
 この時期になると、モータウンも明確なコーポレート・カラーを打ち出すこともなくなり、単なる独立系レーベルのひとつでしかなかった。Rockwell もDeBargeも、モータウンの看板で活動してはいたけれど、彼らが奏でる音は、別にモータウンを名乗る必要もない、そんなものだった。

 そんな中、Stevie はといえば。
 この頃のモータウンは、Diana Ross もいなければMarvin Gaye もいない、TemptationsもFour Topsもとうの昔にレーベルを去っていた。Stevieより年上で残っていたのはSmokey Robinsonくらいで、もう半分リタイアの状態だった。
 かつて隆盛を誇った名門モータウンの栄光もはるか昔、全盛期を知っているアーティストは、数えるほどしか残っていなかった。入社した頃は一番歳下だったのに、月日を経ていつの間に、Stevieが一番の古株になってしまっていた。
 10代の多感な時期から身を置いてきた彼にとって、モータウンとは単なる会社ではなく、もはや人生の一部、拡大家族のような存在だった。なので、他のアーティストらと違い、モータウンを辞めるという選択肢は、彼の中にはないのだ。
 兄弟親類のように過ごしてきた諸先輩がいなくなっても、彼はモータウンに居続けた。1972年、本社機能がデトロイトからLAへ移ったことによって、かつてほど親密なムードは薄れてしまったけど、それでも家族企業的な雰囲気は残っていた。
 月日を経て、ほとんどの現場スタッフは歳下ばかりになった。本社の人間も、自分より社歴が長い者は少なくなった。月曜朝恒例のシングル選定会議は続いていたけれど、生え抜きのスタッフより外部から招聘された者が多くなっていた。銀行や弁護士、会計士上がりの経営幹部が口を出すようになり、ビジネスライクな雰囲気が蔓延していた。
 自転車操業ながら、会社は存続し続けている。
 でも、そこにクリエイティブさはない。
 Stevieの居場所は次第に狭まりつつあった。

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 そんな経緯もあってか、80年代に入ってからのStevie、音楽以外の課外活動に精を出すようになる。
 レコーディングの主導権を握った70年代から俺様ペースの活動ぶりだったStevie だったけど、80年代に「愛と平和の人」というキャラ付けが定着してからは、それに拍車がかかる。ユニセフだ国連だエイズ救済だ、その幅広さといったらハンパない。
 レーベル・オーナーであり、育ての親的存在でもあるBerry Gordyさえ、もはやStevieに強く進言することはできなかった。かつてほどの勢いはないにせよ、Stevieのニュー・アルバムといえば、それなりに大きな売り上げが見込める。経営陣からすれば、金にならないボランティアより、目先の利益を優先してほしいところだったけど、社内ではもはや敵なし、いわば影のCEO的なポジションである。そりゃ誰も物申すことなんてできない。
 とはいえ、そこは愛と平和の人Stevie 、単なる傍若無人だったわけではない。レーベルの屋台骨を支えているといった自覚は誰よりも強かった。Gordyを含め、古参スタッフへの切実な想いもあったわけだし。

 そんな経緯で制作されたのが、この『Characters』。やっと辿り着いた。
 80年代のStevieを象徴する曲はといえば、「心の愛」と「Part-Time Lover」である。デジタル・シンセをメインに据えた、プリセット音丸出しの薄いサウンドは、時代に消費し尽されたせいもあって、やたら古臭く聴こえてしまう。
 同じシンクラヴィア使いでも、まだ発展途上だったヒップホップをいち早く導入したHerbie Hancock と比べて、Stevie のアプローチは極めてオーソドックスである。カットアップやサンプリングなど、リズム主体のHerbieに対し、Stevieのサウンド・メイキングはメロディ主体であることが多い。特に「心の愛」で顕著なように、せっかくのDX7もエレクトーンに毛が生えた程度の使われ方で、お世辞にもクールさは感じられない。
 『Characters』では、マシン・スペックの向上と操作性のこなれもあって、次第に初期MIDIのようなモッサリ感は軽減されている。『BAD』をリリースして間もないMichael を筆頭に、Stevie Ray Vaughan、B.B. Kingとゲストも豪華、話題性は充分なはずだった。
 なのに、本国アメリカではパッとしない売り上げで終わってしまう。そんな『Characters』だったけど、日本ではオリコン最高13位にチャートインしており、そこそこ売れている。Michael とのデュエット「Get It」もリリース前から大きくフィーチャーされ、特にFMでは大量オンエアされていた。
 なのに、いまだ日本でもアメリカでも、印象が薄いアルバムである。
 なぜなのか。

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 強力なポイントゲッターの不在、併せて若手育成の遅れによって、新陳代謝が捗らなかったモータウンは、80年代に入ってから、慢性的な経営不振に悩まされることになる。
 -1988年6月、Gordyはモータウンの所有権をMCAレコードとボストン・ヴェンチャーズに6100万ドルで売却し、これまで維持していた独立系レーベルとしての寿命を終えた。1989年、モータウン・プロダクションズをモータウン重役のスザンヌ・ド・パスに売却し、社名をド・パス・エンタテイメントと改名した。事実上、モータウンの消滅だった。
 その売却契約の際、Gordyは条件のひとつとして、こんな一項を設けた。
 「Stevie Wonder の承諾を得ること」。
 「彼を説得できない限り、この契約は無効」とも。
 単なる所属アーティストではなく、Stevie Wonderこそモータウンの顔であり、象徴であることをGordy自身が認めていた、というエピソードである。遅きに失した感もあるけれど、Stevieにとっては最高の栄誉だったことだろう。

 そんなお家騒動の最中に作られたアルバムである。レコーディング時期は86~87年の間に断続的に行なわれている。ツアーの合間にレコーディングされたのか、いつものワンダーランド・スタジオ以外に、ロンドンやモービル・ユニット(移動式スタジオ)もクレジットされている。
 まんま 『BAD』テイストの「Get It」が大きな売りとなっているけど、それ以外にも70年代ニュー・ソウル期を彷彿させるアコースティック・ナンバーも収録されており、デジタル一辺倒な構成ではない。むしろ『Key of Life』以降では、最もバラエティ色に富んだアルバムとなっている。
 この時代の特徴で、アルバムからのシングル・カットは、なんと6枚。チャート的にはどれも大きなブレイクには繋がらなかったけど、モータウン営業サイドの力の尽力具合は伝わってくる。
 ただ、前述の売却騒動の最中だったこともあってか、Stevie 、あまり表立ったプロモーション活動は行なっていない。すっかり代替わりしてしまったレーベル・スタッフとソリが合わなかったのか、それとも課外活動へ心が行っていたのか。
 まぁ会社の存亡にかかわる微妙な時期、中途半端に関わって抗争に巻き込まれるのを避けたのか、ビジネスマンだらけの経営陣には愛想を尽かしていたのかも。どちらにせよ、モータウンと距離を置いていたのが、この時期のStevie である。
 穿った見方をすると、一連の課外活動なんかも、純然たる奉仕精神だけじゃなく、モータウンの魑魅魍魎を遠ざける自衛策だったんじゃないか、とさえ思えてしまう。「愛と平和の人」とはいえ、身内のゴタゴタは聞きたくないものね。


Characters
Characters
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Stevie Wonder
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1. You Will Know
 2枚目のシングル・カットとして、US77位。たゆたう水面のようなシンクラヴィアの音色をバックに、流れるように、時に力強く導き出されるメロディ。浮遊感あふれるエフェクトやコーラスも、すべてStevie独りで創り上げたもの。これだけ人工的な響きばかり使っているのに、プラスチック感がまるでないのは、やはりポテンシャルの違い。ていうか方向性の違い。Roger Troutmanがカバーすると、もっとファンキーな感じに仕上げるんだろうな。

2. Dark 'n' Lovely
 作詞でクレジットされているGary Byrdは、ニューヨークのラジオDJでありパフォーマーでありシンガーソングライターでもあるマルチプレイヤー。Stevieとは『Key of Life』からの長い付き合い。「Black Man」を書いた人として、ごくごく一部では有名である。何かしら社会的な義憤や怒りを感じた時、Stevieは彼とコラボするらしく、ここではアパルトヘイト政策を痛烈に批判している。
 とはいえ、かつてのように怒りをストレートに表現するのではなく、あくまでエンタテイメントのフィールドの中で、ポップでファンキーなトラックに仕上げている。怒ってる素振りを見せることが目的ではない。遠回りながらも、伝わりやすい形で実情を訴えることが重要なのだ。
 ちなみにこっそりだけど、元妻Syreetaがコーラスで参加している。ずいぶん昔に別れたはずなのに、まだ関わり合いがあったのね。

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3. In Your Corner
 60年代モータウン・ソングを80年代に蘇生させたような、いわゆる「Part-Time Lover」タイプのポップ・ファンク。適当にフェアライトをいじくってハミングしてるうちに出来上がっちゃったような曲なので、まぁ軽いこと。デジタル臭が強いトラックと、後付けの単調なコーラス。特筆するほどの楽曲ではない。まぁこんな肩の凝らない楽曲も、ひとつくらいはあってもいい。

4. With Each Beat of My Heart
 とはいえ、そんな軽い楽曲の後に、こんな絶品バラードをぶっこんで来るStevieなのだった。油断も隙もないよな。自らの心臓の鼓動をベース・リズムに使っているせいもあって、ゆったり安心して聴ける。US・R&Bチャートで最高28位。

5. One of a Kind
 で、4.のような普遍的なバラードは書こうと思えばいくらでも書ける人なので、この時期のStevieは、敢えてアルバムの楽曲ではアップテンポのエレクトロ・ファンクを志向していたんじゃないかと思う。それが顕著にあらわれているのがこれと6.で、同時代性をかなり意識したサウンドで構成されている。モデルケースとなっていたのは、もちろんMichael。ダンスはできないけど、彼のようなダンスフロア仕様のサウンド・デザインを模索している。

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6. Skeletons
 同じモータウンの釜の飯を食ってきた2人ではあるけれど、当然方向性は微妙に違うわけで、フィジカル面ではどうしても劣るStevieの作るアップテンポ・チューンは、どうしても密室性が強い。なので、どれだけMichaelをモチーフにしたとしても、仕上がりはむしろPrinceのテイストに近い。ただ、当時の殿下に顕著な猥雑性は薄い。なので、結局はStevieのエゴが強く反映された楽曲になってしまう。

7. Get It
 それならいっそ、そのMichaelと一緒にやっちゃえばいいんじゃね?と言ったかどうかは知らないけど、がっちりコラボしたのが、これ。Stevieが望んでいた、高性能なエレクトロ・ダンス・ファンクに仕上がっている。
 聴いてみれば何となくわかると思うけど、ヴォーカルは同録ではなく別録り。2人のスケジュールが合わなかったため、まずStevieがロンドンでヴォーカル録りを行ない、そのマスターテープを来日公演中だったMichaelへ送付、東京のスタジオでレコーディングした、という経緯がある。
 Michaelとのデュエットということで別のスイッチが入ったのか、やたらファンキーでシャウトを繰り返すStevieがここにいる。対してMichael、当時のイケイケ状態のまんまの横綱相撲、といった具合。自分から望んで招聘したはいいけど、どうにか主役を食われないよう足掻くStevieの奮闘ぶりが見えてくる。



8. Galaxy Paradise
 宇宙をテーマに何か作ろうと決め、シンクラヴィアをいじってるうちに出来上がっちゃったような曲。テープ逆回転で始まるオープニング、奔放なスキャットなど、自由に作るとStevie、だいたいこんな感じで収まってしまう。コードに縛られることのない自由な展開でありながら、どうにかまとめてしまうのも、通常営業。並みのミュージシャンならとっ散らかってしまうところを、そこは強引な力技で仕上げてしまっている。

9. Cryin' Through the Night
 Stevieは基本、優秀なパフォーマーであり、ソングライターとしてのスキルはピカイチであることは、誰も否定しないだろう。先に書いたように奔放な力技の人なので、かっちり作りこんだメロディには、あまり重きを置いていない。誤解がないように言えば、聴く者を感動させるのではなく、自身が歌って気持ちいいメロディを探して歌っているのが、Stevie Wonderというシンガーである。
 歌唱の快楽を突き詰め、それでいて直感に導かれて生まれたメロディは、とても美しい。なので、もっとシンプルなアレンジで聴きたくなる。

10. Free
 で、その優秀なパフォーマーの側面と熱いメッセージ・シンガーのリミッターを外したのが、レコード版ラストのこの曲。「As」を思い起こさせるラテン・テイストとゴスペルの融合は、向かうところ敵なし。ある意味、最強の合わせ技なので、誰も太刀打ちできない。終盤に近付くに連れ、熱を帯びてくるヴォーカル、終始クレバーなBen Bridgesによるアコースティック・ギターの音色、すべてが名曲感を漂わせている。



11. Come Let Me Make Your Love Come Down
 レコードでは容量的に収録できず、CDではボーナス・トラック的な扱いになっている。御大B.B. KingとさすらいのギタリストStevie Ray Vaughanが参加しており、十分な目玉であるはずなのだけど、なぜかおまけ扱い。なんだそれ。
 ただ、実際に聴いてみると、Stevie的には『Characters』は「Free」で完結しており、営業的な要請で収録したんだろうな、というのがわかる出来栄え。彼ら向けにブルース・チューンを書き下ろしたものの、あまりにシンセで埋め尽くし過ぎて、フォーカスがぼけた仕上がりになってしまっている。当時流行ったんだよな、こういったモダン・ブルースのサウンドって。これでClaptonも一時気の迷いがあったくらいだし。
 シンクラヴィアで構成されたバック・トラックに合わせ、アウトロでギター・バトルが繰り広げられているけど、まぁ騒々しくてあんまり面白くない。まぁ余興ってとこだな。

12. My Eyes Don't Cry
 なので、変に既存のブルースに寄り添うより、シンクラヴィア一色で埋め尽くしたエレクトロ・ファンクのこの曲の方が潔い。コーラスの使い方なんかに、若干のストリート感が反映されているため、『Jungle Fever』への萌芽が垣間見えてくる。



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80年代アイドル・ポップス、ひとつの頂点。 - 松田聖子 『ユートピア』

Folder ちょっと前の話になるけど、それほど人も来ないこのブログのアクセス数が、爆発的に伸びたことがあった。これがよく聞くバズるという現象なのかと調べてみたところ、発信源はTwitterだった。
 このユーザーさんに、以前書いた松田聖子『Candy』のレビューを紹介していただき、それをさらに松本隆さんにリツイートしていただいていた。ありがとうございます。
 そうなるともうこっちは大騒ぎ、アクセスが伸びるわ伸びるわ、逆に怖くなっちゃったくらい。すごいよな、有名人パワーって。
 ちょっと遅くなったけど、その波に乗っかる形で、今回は松田聖子。

 1983年リリース、7枚目のオリジナル・アルバム。チャートはもちろん最高1位、当時で63万枚を売り上げおり、年間チャートでも堂々3位にランクインしている。
 先日の山下達郎『メロディーズ』のレビューでも触れたけど、この年は映画『フラッシュダンス』のサントラと、当時、世界を股にかけたディナー・ショー歌手だったフリオ・イグレシアスら洋楽勢が1、2位を独占しており、邦楽ではこのアルバムがトップとなっている。サザンやマイケル『スリラー』、達郎を抑えての成績なので、固定ファン以外への訴求力も強かったことが、結果としてあらわれている。

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 聖子以降の女性アイドル勢力図としては、目立ったところでは河合奈保子と柏原芳恵が中堅ポジションに落ち着き、その後、大豊作となった82年組の台頭、明菜をトップにキョンキョン、松本伊代が後に続いている。これが明けて83年になると状況は一転、のちに「女性アイドル不作の年」として語り継がれている。
 多少なりとも知名度のあったアイドルをピックアップしてみても、シングル・ヒットを放ったのは伊藤麻衣子と岩井小百合くらい、しかも、お世辞にも大ヒットとは言えなかった。のちにバラエティやドラマで注目を浴びることになる松本明子や森尾由美も、当時はその他大勢、行ってしまえば泡沫アイドル扱いだった。
 あまりいい目を見てなかった83年組だけど、今年に入ってから何か吹っ切れたのか、そんな鳴かず飛ばずぶりを自虐的にアピールした「お神セブン」というユニットで活動している。あまりに地味なくくりのため、単発的な小規模イベントくらいでしか需要がないのが現状だけど、長く生き残ってきた面々だけあってトークはそこそこ面白そうだし、生暖かい目で見るには肩も凝らなくていいんじゃないかと思う。なんか俺、すごく適当に書いてるな。
 ちなみに84年になると、菊池桃子や荻野目洋子、岡田有希子らがデビューしており、一気に華々しくなる。ますます谷間が際立つよな。

 70年代の女性アイドルにおけるビジネス戦略は、総じて長期ビジョンに基づいたものではなかった。演歌やムード歌謡以外の女性歌手は消費サイクルが早く、基本、季節商品として一定期間に売り切り、次のシーズンに新たなモデルを導入してゆくという、ファストファッション的な方法論がセオリーとされていた。
 ひとつの楽曲・ひとりの歌手に手間と時間をかけて育ててゆく手法は、草の根的に全国をくまなく巡る演歌や歌謡曲の歌手向けとされ、女性アイドルに応用されるものではなかった。地道なドサ回りで一枚一枚手売りするより、鮮度の良いうちに大量のテレビ出演で認知度を引き上げ、あとは全国キャンペーンで短期回収を図ることが、賢いやり方だとされていた。
 今でこそ、30過ぎで堂々アイドルを名乗ったりで、相対的に寿命は長くなっているけれど、当時は二十歳を過ぎるとアイドル路線は終了、女優に転身するかはたまた結婚・引退するか、道は二択しか残されていなかった。応援する側も演じる側も、そして供給する側も、「アイドル=十代限定」という共通認識を持っていた。ほんのごく一部のトップ以外は、年が明けると、賞味期限切れのレッテルを貼られた。本人の意向が受け入れられることはまずなく、無言のプレッシャーによってフェードアウトを余儀なくされた。
 ビジネスモデルとしては、それほどイレギュラーなものではない。アイドルを演じる方だって、若いうちの想い出作りとして、ある程度は折り込み済みだったはずだ。女優やムード歌謡へのステップとして割り切らない限り、そんなに長く続けられる稼業ではない。
 -アイドルとは、成長してゆくもの、そして、ファンも同様に成長してゆく。
 そんなビジョンを描ける製作者は、まだ少数派だった。鮮度のいいうちにチャチャッと売り逃げることこそ、美徳とされていた時代だったのだ。

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 そんな非生産的な消費サイクルに一石を投じたのが、聖子と同じCBSソニー、山口百恵のリリース戦略だった。
 十代少女の美しく儚い瞬間を拡大再生産するのではなく、それまで未開拓だった「成長するアイドル」という概念を持ち込んだのが、ソニーのプロデューサー酒井正利だった。うら若き少女が、ひとりの女として脱皮してゆくプロセス、アイドルとしてNGだった恋愛→結婚という過程を経て、華々しく引退してゆくフィナーレまでのビジョンを描き切ることができたのは、百恵という素材ももちろんだけど、酒井をリーダーとしたCBSソニー制作陣の功績が大きい。
 その百恵不在後、バトンを引き継いだのが聖子だった、という次第。

 とはいえ、最初から聖子が百恵の後継者とされていたわけではない。デビュー時は他の有象無象のアイドル同様、同じ場所からのスタートだった。
 当時、同じCBSソニーの同期に、浜田朱里というアイドルがいた。元気いっぱいでコケティッシュなムードの聖子とは対照的に、浜田は少し背伸びした大人の女性路線を志向しており、ポスト百恵としては、彼女の方が近いところにいた。楽曲の傾向も、後期百恵路線を踏襲したシックなテイストのものが多く、カワイ子ちゃんタイプの女性アイドルとは一線を画していた。
 ただ、百恵のフォロワーとして売り出された浜田だったけど、そのシックさが仇となり、聖子と比べるとアイドルっぽさが薄く、華がないことは致命的だった。女性アイドルのメインユーザーである、イカ臭い中高校生男子にとって、浜田で妄想を掻き立てるのは難しかった。当時、ブリッ子ポジションだった聖子に人気が集中するのは、ある意味理にかなっていた。

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 浜田の失速によって、結果的にポスト百恵の座は、聖子が鎮座することになる。俺が思い出す限り、その後、CBSソニーからは三田寛子や河合その子が続いてデビューしているけど、百恵や聖子ほどの勢いはなかった。南野陽子が取って代わるまで、聖子の長期政権が続くことになる。
 そんなシフトチェンジが明確になったのが、6枚目のシングル「白いパラソル」だった。作詞家として松本隆が初めて起用され、ここからしばらく全盛期の世界観を演出することになる。

 「聖子プロジェクト」における松本の役割は、単なる一作詞家の守備範囲を大きく飛び越え、中・長期的なビジョンに基づいた総合プロデュースを担っていた。歌謡曲の職業作家をあえてはずしたキャスティング、アーティスティックなビジュアル・イメージの演出など、その業務は多岐に渡っていた。
 ソニー・サイドとしても、定番のプロ歌謡曲作家より、新鮮味のあるニュー・ミュージック系アーティスト、特にソニー所属の若手の発掘に力を入れていた。例えば大江千里や楠瀬誠志郎も、キャリアの初期に聖子への楽曲提供を行なっている。知名度も少ない彼らにとっては、ネームバリューにも寄与するし小遣い稼ぎにもなるし、ソニー的にも外部へ委託するより安く上げられるので、互いにwin-winだったんじゃないかと思われる。

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 -シングルだけではなく、アルバムでも高いクオリティを維持する。
 かつて太田裕美で行なった、アーティストとアイドルのハイブリッドという壮大な実験が「聖子プロジェクト」であり、その最初の成果が、初期の名盤『風立ちぬ』である。
 松本の盟友大滝詠一と鈴木茂とをサウンド・プロデューサーに迎え、「ほぼ」はっぴいえんどのメンバーが総力を挙げて作り込んだシンフォニーは、同世代アイドルのクオリティを軽々と超えていた。特に「ロンバケ」フィーバーの余韻をそのまんま移植したA面は、60年代ガールズ・ポップをモダンにビルドアップさせたゴージャスなサウンドで構成されており、聖子ファン以外のうるさ型音楽マニアをもうならせた。

 逆説的に言えば、「聖子であって聖子にあらず」、俺的には「これってやっぱ、大滝詠一の作品だよな」感が強い。誤解を恐れずに言えば、ほぼオケはロンバケなので、大滝のカラーが強すぎる。当時のヴォーカル録りはなかなか難航したらしく、聖子も天性のカンの良さでどうにか歌いこなしている。大滝思うところの女性アイドル像はうまく具現化されているのだろうけど、聖子ファンの立場からすると、ちょっとデフォルメされ過ぎなんじゃね?感が相まっている。
 デビューしてまだ2年足らず、まだ百恵ほどキャラクターを確立していなかった聖子に対し、記名性の強いナイアガラ・サウンドは、ちょっとアクが強すぎた。大滝のプロデュース力は見事ではあるけれど、でもこのサウンドだったら聖子である必然性はない。
 そんな反省を踏まえたのか、単独のサウンド・プロデュースというスタイルはこれ一回のみで終わる。その後は松本とCBSソニー若松宗雄ディレクターがコンセプト立案、カラーに合ったコンポーザーをその都度起用してバラエティを持たせる方針に起動修正される。変にナイアガラ一色で染めてしまうより、多種多様なタイプの楽曲を歌いこなしてシンガーの経験値を上げてゆく方が、育成戦略としては得策だった。

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 で、そんなメソッドと聖子のポテンシャルとがうまくシンクロし、一曲ごとのクオリティの高さとトータル・コンセプトが具現化されたのが、この『ユートピア』ということになる。やっと辿り着いた。
 『風立ちぬ』が「大滝詠一プロデュース」という明確なサウンド志向をアピールしているのに対し、『ユートピア』は個々の楽曲レベルが高いこと、また聖子自身の歌唱反射神経がピークに達しているため、特にコンセプトで縛らなくても統一感が醸し出されている。一貫した美意識に基づいた松本の世界観、そして聖子同様、どのジャンルの楽曲にも対応できる現場スタッフらの連携がうまく噛み合ったことによって、芸術性だけでなく、セールス面でも大きく貢献している。

 作曲クレジットを見ると、財津和夫や 細野さんはいわゆるレギュラー、これまでの実績も含め、登板率は高い。杉真理なんかは同じCBSソニーの絡みだろうけど、そんなメンツの中でちょっと異色なのが、甲斐よしひろ。レコード会社も違えば、楽曲提供に力を入れていた時期でもないのに、なぜか2曲も書き下ろしている。
 甲斐自身がソニーへ売り込んだとは考えづらく、恐らく松本か若松かがオファーしたのだろうけど、ニューヨーク3部作の製作中でハードボイルド・モードだった彼にアイドル・ポップの発注をかけるとは、なかなかの英断である。しかも、仕上がってきたのが「ハートをRock」、シングル以外の人気投票では上位に入る隠れ名曲である。60年代ロックだけではなく、古い歌謡曲をも幅広いバックボーンとしていた甲斐のソングライティング力はもちろんだけど、多分、そんな背景を知らずにオファーをかけた松本らの慧眼ぶりも、なかなかのものである。

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 そんな選び抜かれた猛者たちが、「松田聖子」というアイドル=偶像をモチーフとして、メロディを作る。甲斐も細野さんも、自作自演のシンガー・ソングライターである。なので彼ら、普段は自身が歌うために曲を作る。他人に向けてメロディを書くには、違う角度からのアプローチが必要になる。
 極力、聖子の歌唱スキルやキーに応じたメロディを書く者もいれば、頑として我流を崩さない者だっている。松本とレコーディング・スタッフによるトータル・コーディネートを通すことによって、ある程度の平準化は成されるけど、それぞれ固有のクセはどうしたって出てくる。
 ヴォーカル録りや解釈に時間はかけられない。睡眠時間すら大幅に削られた過密スケジュールの中、求められるのは瞬発力だ。
 仕事の合間を縫ってスタジオに飛び込み、仮ヴォーカル入りのオケを聴きながら、歌詞を頭に叩き込む。何回もテイクを重ねる時間もないし、第一、喉がそんなに保たない。
 必要なのは、脊髄反射と洞察力、そして度胸。
 80年代を通して、それらの要素が最も秀でていたのが、松田聖子という存在である。


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1. ピーチ・シャーベット
 甘くてキュートでそれでいてちょっぴり背伸びした大人の女性に憧れてでもどこかあどけなさの残る爽やかなカップルの様子を、敢えてベタなストーリーに仕上げている。「Sexy」なんてコーラス、まるで身もフタもない。1曲目なんだから、紋切り型でもいいんだよ。
 ちょっとオールディーズ風味なメロディを書いたのは杉真理。同時期に、堀ちえみ出演のセシルチョコレートCMソング「バカンスはいつも雨」によって、一気に知名度を上げている。この時期の彼は、ノリに乗っていた。
 ステレオタイプな歌詞とメロディということは、女性アイドルの話法に則って作られているため、表現力が試されるのだけど、ここでの聖子のヴォーカルは、ほんと神がかっている。こんな風に歌われちゃ、当時の中高校生男子は、一気に心が持ってかれてしまう。

2. マイアミ午前5時
 地味ながらも正統派のメロディを書く職人来生たかおによる、リリース当初から人気の高かった隠れ名曲。当時、アイドルのアルバム収録曲は世間的にも重要視されておらず、ヒット曲以外は穴埋め曲で構成された乱造品も珍しくなかった。そんな中、聖子のアルバムはどれも高いクオリティで維持され、ラジオで紹介されることも多かった。そういったアイドルは、多分聖子が最初だったはず。
 語感と直感で「マイアミ午前5時」って決めちゃったんだろうけど、この曲も1.同様、なかなかクセの強い楽曲。軽快なアレンジとは裏腹に、描かれるストーリーは別れをテーマとしており、そのギャップ感がちょっと異様。

 初めて出逢った瞬間に 傷つく日を予感した

 こんなアップテンポで、普通乗せるか?こんなフレーズ。

 マイアミの午前5時
 街に帰る私を やさしく引き止めたら
 鞄を投げ出すのに

 「まちにかえるわしを やさしくひきとたら」。
 わかりやすく強調部分を太字で表現してみた。ちょっとハスキーで甘え調の聖子のヴォーカルをより効果的にするため、発語感まで緻密に計算している松本の歌詞。ヴォーカルを引き立たせるためには、時にソングライティングのエゴも抑え込んでしまう。それだけ松本が強く肩入れしていたことがわかる楽曲でもある。



3. セイシェルの夕陽
 もう35年も前の曲なのに、今も幅広い年齢層から熱い支持を得ている、大村雅朗作曲の名バラード。これの前の『Candy』収録「真冬の恋人たち」も、大人びた切ない少女の憂いを引き出すメロディ・ラインだったけど、それがさらにヴァージョン・アップ、普通ならあり得ない南海のリゾートというシチュエーションを、違和感なく演出している。いや、やっぱ強引だよな、二十歳前後の女の子が傷心旅行で海外へ、しかも当時マイナーだったセイシェルへ行くなんて、普通ありえない。
 そんな非現実的な設定で歌詞を書き、ポンと聖子に丸投げしてしまう、まるで千本ノックのような鬼しごき振り。いや、非現実=偶像、すなわちそれってアイドルの必須条件か。じゃあいいか。
 で、35年前の楽曲だし、それなりに打ち込みも使われているのに、あんまり古臭い感じがしないのは、俺の好きなAORテイストがたっぷり盛り込まれているおかげか。こうして聴いてると、聖子の表現力の豊かさがたっぷり詰まっている曲として、特筆しておきたい。考えてみれば、アイドルも含めた今の女性シンガーで、こんな風に細やかなテクニックと情感とを兼ね備えて歌う人って、もういなくなったよな。

4. 小さなラブソング
 聖子本人の作詞による、タイトル通りステレオタイプのアイドル・ソング。聖子とは相性の良い財津和夫のメロディは、破たんもなく安心して聴き通すことができる。まぁ無難な出来なんだけど。でも聖子のヴォーカルだけは尋常じゃないレベル。甘さの中に変幻自在のテクニックをぶち込んでいる。聴き流すこともできる箸休めの曲だけど、この時期の聖子は油断できない。

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5. 天国のキッス
 4月に先行リリースされた、13枚目のシングル。もちろん最高1位、年間チャートでも16位にランクイン、初期のバラードの代表曲が「赤いスイートピー」なら、アップテンポにおけるひとつの頂点である。細野さん作曲・アレンジのため、ほぼ同時期に制作された「君に、胸キュン。」とオケがまんまなのは仕方がない。
 
 愛していると 言わせたいから
 瞳をじっと 見つめたりして
 誘惑される ポーズの裏で
 誘惑している ちょっと悪い子

 他愛ない恋の駆け引きを簡潔に描写している。あまり説明口調にならないのが松本の歌詞の特徴であり、だからこそ、シンガーによる解釈と表現力とが問われる。彼の意図を最も深く理解していたのが、当時の聖子だった。

6. ハートをRock
 聖子以外にも明石家さんまやTOKIOにも楽曲提供している甲斐、ここではなぜか本名甲斐祥弘名義でクレジットされている。なんか感じだと微妙な気がするのは、俺だけじゃないはず。
 大村雅朗アレンジによるモータウン・ビートは、ある意味、70年代から続くアイドル・カバーの伝統に則っており、そのマナーに従って、聖子も可愛くキュートなアイドルとして、この曲を料理している。
 なので、甲斐もステージでこの曲をセルフ・カバーしているのだけど、それはやっぱちょっと無理やり感が強い。まぁファン・サービスみたいなものだけど、やらかしちゃったよな。



7. Bye-bye playboy
 初期はシングル楽曲を多く書き下ろしていた財津和夫だったけど、この時期になると彼の曲がシングル候補に挙がることもなくなり、ほぼアルバム楽曲専門となっている。とはいえ、ムラの少ない安定した楽曲制作力は得難い存在であり、聖子プロジェクトにおける彼の登板率は、恐ろしく高い。特別、松本隆と近しい存在でもなさそうだけど、大きくはずすことのない安心感は、何かと便利な存在だったのだろう。なんか抑えの投手みたいなポジションだよな。
 ちょっとキーを高めに設定した、旧タイプのアイドル・ソング。ちょっと苦しめの高音部分が、声の魅力を最大限に引き出している。

8. 赤い靴のバレリーナ
 甲斐よしひろ2曲目、今度は瀬尾一三アレンジによる正統派バラード。歌詞もそれに呼応してか、センチメンタルの極致をこれでもかと抉るように掘り下げている。恋をするとネガティヴになってしまう女の子の憂いを巧みに表現している。前髪という小道具を使うところなんて、そりゃもう技巧的。

9. 秘密の花園
 「天国のキッス」からさかのぼること2か月前、12枚目のシングルとしてリリースされた。もちろん最高1位、TV出演時のタイトな白のマイクロミニが、世の男子の妄想をさらに搔き立てた。
 リリースされるまで紆余曲折があったことは、よほどのファンでも知らないはず。俺も調べてみて初めて知ったくらい。
 もともとシングル向けの楽曲を財津和夫にオファーしていたのだけど、締め切りまでにプロデューサーのOKが出ず、財津は辞退する。リリース日が迫る中、急遽、ユーミンが引き継いで、どうにか間に合った、という逸話が残っている。
 スケジュールの都合上、先に仕上がった詞に曲が後付けされる、なかなか珍しいケースだけど、そこをどうにかねじ伏せて形にしてしまうのは、さすがユーミン。でもユーミンのことだから、この甘ったるい寓話的な歌詞だったら、鼻で笑ってたんだろうな、という気がしてならない。

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10. メディテーション
 ラストはこれが初登場、上田知華作曲による変則リズムのミディアム・スロー。松武秀樹参加による影響もあって、ゴリゴリのシンセ・ベースが全篇流れており、それでいてクラシックがバックボーンの上田特有のつかみづらいメロディは、このアルバムの中でも異色の存在。これまでのセオリーと違うリズムとメロディに、さすがの聖子もついてゆくのが精いっぱいといった感じ。
 後年再評価されることを前提としているならともかく、通常のアイドル・ポップスとしてはちょっと異色すぎるかな。松本の歌詞にしては珍しく抽象的でスピリチュアル風味も漂っており、なかなか捉えどころのない曲。だから面白いんだけど。



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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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