好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

80年代アイドル・ポップス、ひとつの頂点。 - 松田聖子 『ユートピア』

Folder ちょっと前の話になるけど、それほど人も来ないこのブログのアクセス数が、爆発的に伸びたことがあった。これがよく聞くバズるという現象なのかと調べてみたところ、発信源はTwitterだった。
 このユーザーさんに、以前書いた松田聖子『Candy』のレビューを紹介していただき、それをさらに松本隆さんにリツイートしていただいていた。ありがとうございます。
 そうなるともうこっちは大騒ぎ、アクセスが伸びるわ伸びるわ、逆に怖くなっちゃったくらい。すごいよな、有名人パワーって。
 ちょっと遅くなったけど、その波に乗っかる形で、今回は松田聖子。

 1983年リリース、7枚目のオリジナル・アルバム。チャートはもちろん最高1位、当時で63万枚を売り上げおり、年間チャートでも堂々3位にランクインしている。
 先日の山下達郎『メロディーズ』のレビューでも触れたけど、この年は映画『フラッシュダンス』のサントラと、当時、世界を股にかけたディナー・ショー歌手だったフリオ・イグレシアスら洋楽勢が1、2位を独占しており、邦楽ではこのアルバムがトップとなっている。サザンやマイケル『スリラー』、達郎を抑えての成績なので、固定ファン以外への訴求力も強かったことが、結果としてあらわれている。

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 聖子以降の女性アイドル勢力図としては、目立ったところでは河合奈保子と柏原芳恵が中堅ポジションに落ち着き、その後、大豊作となった82年組の台頭、明菜をトップにキョンキョン、松本伊代が後に続いている。これが明けて83年になると状況は一転、のちに「女性アイドル不作の年」として語り継がれている。
 多少なりとも知名度のあったアイドルをピックアップしてみても、シングル・ヒットを放ったのは伊藤麻衣子と岩井小百合くらい、しかも、お世辞にも大ヒットとは言えなかった。のちにバラエティやドラマで注目を浴びることになる松本明子や森尾由美も、当時はその他大勢、行ってしまえば泡沫アイドル扱いだった。
 あまりいい目を見てなかった83年組だけど、今年に入ってから何か吹っ切れたのか、そんな鳴かず飛ばずぶりを自虐的にアピールした「お神セブン」というユニットで活動している。あまりに地味なくくりのため、単発的な小規模イベントくらいでしか需要がないのが現状だけど、長く生き残ってきた面々だけあってトークはそこそこ面白そうだし、生暖かい目で見るには肩も凝らなくていいんじゃないかと思う。なんか俺、すごく適当に書いてるな。
 ちなみに84年になると、菊池桃子や荻野目洋子、岡田有希子らがデビューしており、一気に華々しくなる。ますます谷間が際立つよな。

 70年代の女性アイドルにおけるビジネス戦略は、総じて長期ビジョンに基づいたものではなかった。演歌やムード歌謡以外の女性歌手は消費サイクルが早く、基本、季節商品として一定期間に売り切り、次のシーズンに新たなモデルを導入してゆくという、ファストファッション的な方法論がセオリーとされていた。
 ひとつの楽曲・ひとりの歌手に手間と時間をかけて育ててゆく手法は、草の根的に全国をくまなく巡る演歌や歌謡曲の歌手向けとされ、女性アイドルに応用されるものではなかった。地道なドサ回りで一枚一枚手売りするより、鮮度の良いうちに大量のテレビ出演で認知度を引き上げ、あとは全国キャンペーンで短期回収を図ることが、賢いやり方だとされていた。
 今でこそ、30過ぎで堂々アイドルを名乗ったりで、相対的に寿命は長くなっているけれど、当時は二十歳を過ぎるとアイドル路線は終了、女優に転身するかはたまた結婚・引退するか、道は二択しか残されていなかった。応援する側も演じる側も、そして供給する側も、「アイドル=十代限定」という共通認識を持っていた。ほんのごく一部のトップ以外は、年が明けると、賞味期限切れのレッテルを貼られた。本人の意向が受け入れられることはまずなく、無言のプレッシャーによってフェードアウトを余儀なくされた。
 ビジネスモデルとしては、それほどイレギュラーなものではない。アイドルを演じる方だって、若いうちの想い出作りとして、ある程度は折り込み済みだったはずだ。女優やムード歌謡へのステップとして割り切らない限り、そんなに長く続けられる稼業ではない。
 -アイドルとは、成長してゆくもの、そして、ファンも同様に成長してゆく。
 そんなビジョンを描ける製作者は、まだ少数派だった。鮮度のいいうちにチャチャッと売り逃げることこそ、美徳とされていた時代だったのだ。

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 そんな非生産的な消費サイクルに一石を投じたのが、聖子と同じCBSソニー、山口百恵のリリース戦略だった。
 十代少女の美しく儚い瞬間を拡大再生産するのではなく、それまで未開拓だった「成長するアイドル」という概念を持ち込んだのが、ソニーのプロデューサー酒井正利だった。うら若き少女が、ひとりの女として脱皮してゆくプロセス、アイドルとしてNGだった恋愛→結婚という過程を経て、華々しく引退してゆくフィナーレまでのビジョンを描き切ることができたのは、百恵という素材ももちろんだけど、酒井をリーダーとしたCBSソニー制作陣の功績が大きい。
 その百恵不在後、バトンを引き継いだのが聖子だった、という次第。

 とはいえ、最初から聖子が百恵の後継者とされていたわけではない。デビュー時は他の有象無象のアイドル同様、同じ場所からのスタートだった。
 当時、同じCBSソニーの同期に、浜田朱里というアイドルがいた。元気いっぱいでコケティッシュなムードの聖子とは対照的に、浜田は少し背伸びした大人の女性路線を志向しており、ポスト百恵としては、彼女の方が近いところにいた。楽曲の傾向も、後期百恵路線を踏襲したシックなテイストのものが多く、カワイ子ちゃんタイプの女性アイドルとは一線を画していた。
 ただ、百恵のフォロワーとして売り出された浜田だったけど、そのシックさが仇となり、聖子と比べるとアイドルっぽさが薄く、華がないことは致命的だった。女性アイドルのメインユーザーである、イカ臭い中高校生男子にとって、浜田で妄想を掻き立てるのは難しかった。当時、ブリッ子ポジションだった聖子に人気が集中するのは、ある意味理にかなっていた。

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 浜田の失速によって、結果的にポスト百恵の座は、聖子が鎮座することになる。俺が思い出す限り、その後、CBSソニーからは三田寛子や河合その子が続いてデビューしているけど、百恵や聖子ほどの勢いはなかった。南野陽子が取って代わるまで、聖子の長期政権が続くことになる。
 そんなシフトチェンジが明確になったのが、6枚目のシングル「白いパラソル」だった。作詞家として松本隆が初めて起用され、ここからしばらく全盛期の世界観を演出することになる。

 「聖子プロジェクト」における松本の役割は、単なる一作詞家の守備範囲を大きく飛び越え、中・長期的なビジョンに基づいた総合プロデュースを担っていた。歌謡曲の職業作家をあえてはずしたキャスティング、アーティスティックなビジュアル・イメージの演出など、その業務は多岐に渡っていた。
 ソニー・サイドとしても、定番のプロ歌謡曲作家より、新鮮味のあるニュー・ミュージック系アーティスト、特にソニー所属の若手の発掘に力を入れていた。例えば大江千里や楠瀬誠志郎も、キャリアの初期に聖子への楽曲提供を行なっている。知名度も少ない彼らにとっては、ネームバリューにも寄与するし小遣い稼ぎにもなるし、ソニー的にも外部へ委託するより安く上げられるので、互いにwin-winだったんじゃないかと思われる。

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 -シングルだけではなく、アルバムでも高いクオリティを維持する。
 かつて太田裕美で行なった、アーティストとアイドルのハイブリッドという壮大な実験が「聖子プロジェクト」であり、その最初の成果が、初期の名盤『風立ちぬ』である。
 松本の盟友大滝詠一と鈴木茂とをサウンド・プロデューサーに迎え、「ほぼ」はっぴいえんどのメンバーが総力を挙げて作り込んだシンフォニーは、同世代アイドルのクオリティを軽々と超えていた。特に「ロンバケ」フィーバーの余韻をそのまんま移植したA面は、60年代ガールズ・ポップをモダンにビルドアップさせたゴージャスなサウンドで構成されており、聖子ファン以外のうるさ型音楽マニアをもうならせた。

 逆説的に言えば、「聖子であって聖子にあらず」、俺的には「これってやっぱ、大滝詠一の作品だよな」感が強い。誤解を恐れずに言えば、ほぼオケはロンバケなので、大滝のカラーが強すぎる。当時のヴォーカル録りはなかなか難航したらしく、聖子も天性のカンの良さでどうにか歌いこなしている。大滝思うところの女性アイドル像はうまく具現化されているのだろうけど、聖子ファンの立場からすると、ちょっとデフォルメされ過ぎなんじゃね?感が相まっている。
 デビューしてまだ2年足らず、まだ百恵ほどキャラクターを確立していなかった聖子に対し、記名性の強いナイアガラ・サウンドは、ちょっとアクが強すぎた。大滝のプロデュース力は見事ではあるけれど、でもこのサウンドだったら聖子である必然性はない。
 そんな反省を踏まえたのか、単独のサウンド・プロデュースというスタイルはこれ一回のみで終わる。その後は松本とCBSソニー若松宗雄ディレクターがコンセプト立案、カラーに合ったコンポーザーをその都度起用してバラエティを持たせる方針に起動修正される。変にナイアガラ一色で染めてしまうより、多種多様なタイプの楽曲を歌いこなしてシンガーの経験値を上げてゆく方が、育成戦略としては得策だった。

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 で、そんなメソッドと聖子のポテンシャルとがうまくシンクロし、一曲ごとのクオリティの高さとトータル・コンセプトが具現化されたのが、この『ユートピア』ということになる。やっと辿り着いた。
 『風立ちぬ』が「大滝詠一プロデュース」という明確なサウンド志向をアピールしているのに対し、『ユートピア』は個々の楽曲レベルが高いこと、また聖子自身の歌唱反射神経がピークに達しているため、特にコンセプトで縛らなくても統一感が醸し出されている。一貫した美意識に基づいた松本の世界観、そして聖子同様、どのジャンルの楽曲にも対応できる現場スタッフらの連携がうまく噛み合ったことによって、芸術性だけでなく、セールス面でも大きく貢献している。

 作曲クレジットを見ると、財津和夫や 細野さんはいわゆるレギュラー、これまでの実績も含め、登板率は高い。杉真理なんかは同じCBSソニーの絡みだろうけど、そんなメンツの中でちょっと異色なのが、甲斐よしひろ。レコード会社も違えば、楽曲提供に力を入れていた時期でもないのに、なぜか2曲も書き下ろしている。
 甲斐自身がソニーへ売り込んだとは考えづらく、恐らく松本か若松かがオファーしたのだろうけど、ニューヨーク3部作の製作中でハードボイルド・モードだった彼にアイドル・ポップの発注をかけるとは、なかなかの英断である。しかも、仕上がってきたのが「ハートをRock」、シングル以外の人気投票では上位に入る隠れ名曲である。60年代ロックだけではなく、古い歌謡曲をも幅広いバックボーンとしていた甲斐のソングライティング力はもちろんだけど、多分、そんな背景を知らずにオファーをかけた松本らの慧眼ぶりも、なかなかのものである。

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 そんな選び抜かれた猛者たちが、「松田聖子」というアイドル=偶像をモチーフとして、メロディを作る。甲斐も細野さんも、自作自演のシンガー・ソングライターである。なので彼ら、普段は自身が歌うために曲を作る。他人に向けてメロディを書くには、違う角度からのアプローチが必要になる。
 極力、聖子の歌唱スキルやキーに応じたメロディを書く者もいれば、頑として我流を崩さない者だっている。松本とレコーディング・スタッフによるトータル・コーディネートを通すことによって、ある程度の平準化は成されるけど、それぞれ固有のクセはどうしたって出てくる。
 ヴォーカル録りや解釈に時間はかけられない。睡眠時間すら大幅に削られた過密スケジュールの中、求められるのは瞬発力だ。
 仕事の合間を縫ってスタジオに飛び込み、仮ヴォーカル入りのオケを聴きながら、歌詞を頭に叩き込む。何回もテイクを重ねる時間もないし、第一、喉がそんなに保たない。
 必要なのは、脊髄反射と洞察力、そして度胸。
 80年代を通して、それらの要素が最も秀でていたのが、松田聖子という存在である。


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1. ピーチ・シャーベット
 甘くてキュートでそれでいてちょっぴり背伸びした大人の女性に憧れてでもどこかあどけなさの残る爽やかなカップルの様子を、敢えてベタなストーリーに仕上げている。「Sexy」なんてコーラス、まるで身もフタもない。1曲目なんだから、紋切り型でもいいんだよ。
 ちょっとオールディーズ風味なメロディを書いたのは杉真理。同時期に、堀ちえみ出演のセシルチョコレートCMソング「バカンスはいつも雨」によって、一気に知名度を上げている。この時期の彼は、ノリに乗っていた。
 ステレオタイプな歌詞とメロディということは、女性アイドルの話法に則って作られているため、表現力が試されるのだけど、ここでの聖子のヴォーカルは、ほんと神がかっている。こんな風に歌われちゃ、当時の中高校生男子は、一気に心が持ってかれてしまう。

2. マイアミ午前5時
 地味ながらも正統派のメロディを書く職人来生たかおによる、リリース当初から人気の高かった隠れ名曲。当時、アイドルのアルバム収録曲は世間的にも重要視されておらず、ヒット曲以外は穴埋め曲で構成された乱造品も珍しくなかった。そんな中、聖子のアルバムはどれも高いクオリティで維持され、ラジオで紹介されることも多かった。そういったアイドルは、多分聖子が最初だったはず。
 語感と直感で「マイアミ午前5時」って決めちゃったんだろうけど、この曲も1.同様、なかなかクセの強い楽曲。軽快なアレンジとは裏腹に、描かれるストーリーは別れをテーマとしており、そのギャップ感がちょっと異様。

 初めて出逢った瞬間に 傷つく日を予感した

 こんなアップテンポで、普通乗せるか?こんなフレーズ。

 マイアミの午前5時
 街に帰る私を やさしく引き止めたら
 鞄を投げ出すのに

 「まちにかえるわしを やさしくひきとたら」。
 わかりやすく強調部分を太字で表現してみた。ちょっとハスキーで甘え調の聖子のヴォーカルをより効果的にするため、発語感まで緻密に計算している松本の歌詞。ヴォーカルを引き立たせるためには、時にソングライティングのエゴも抑え込んでしまう。それだけ松本が強く肩入れしていたことがわかる楽曲でもある。



3. セイシェルの夕陽
 もう35年も前の曲なのに、今も幅広い年齢層から熱い支持を得ている、大村雅朗作曲の名バラード。これの前の『Candy』収録「真冬の恋人たち」も、大人びた切ない少女の憂いを引き出すメロディ・ラインだったけど、それがさらにヴァージョン・アップ、普通ならあり得ない南海のリゾートというシチュエーションを、違和感なく演出している。いや、やっぱ強引だよな、二十歳前後の女の子が傷心旅行で海外へ、しかも当時マイナーだったセイシェルへ行くなんて、普通ありえない。
 そんな非現実的な設定で歌詞を書き、ポンと聖子に丸投げしてしまう、まるで千本ノックのような鬼しごき振り。いや、非現実=偶像、すなわちそれってアイドルの必須条件か。じゃあいいか。
 で、35年前の楽曲だし、それなりに打ち込みも使われているのに、あんまり古臭い感じがしないのは、俺の好きなAORテイストがたっぷり盛り込まれているおかげか。こうして聴いてると、聖子の表現力の豊かさがたっぷり詰まっている曲として、特筆しておきたい。考えてみれば、アイドルも含めた今の女性シンガーで、こんな風に細やかなテクニックと情感とを兼ね備えて歌う人って、もういなくなったよな。

4. 小さなラブソング
 聖子本人の作詞による、タイトル通りステレオタイプのアイドル・ソング。聖子とは相性の良い財津和夫のメロディは、破たんもなく安心して聴き通すことができる。まぁ無難な出来なんだけど。でも聖子のヴォーカルだけは尋常じゃないレベル。甘さの中に変幻自在のテクニックをぶち込んでいる。聴き流すこともできる箸休めの曲だけど、この時期の聖子は油断できない。

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5. 天国のキッス
 4月に先行リリースされた、13枚目のシングル。もちろん最高1位、年間チャートでも16位にランクイン、初期のバラードの代表曲が「赤いスイートピー」なら、アップテンポにおけるひとつの頂点である。細野さん作曲・アレンジのため、ほぼ同時期に制作された「君に、胸キュン。」とオケがまんまなのは仕方がない。
 
 愛していると 言わせたいから
 瞳をじっと 見つめたりして
 誘惑される ポーズの裏で
 誘惑している ちょっと悪い子

 他愛ない恋の駆け引きを簡潔に描写している。あまり説明口調にならないのが松本の歌詞の特徴であり、だからこそ、シンガーによる解釈と表現力とが問われる。彼の意図を最も深く理解していたのが、当時の聖子だった。

6. ハートをRock
 聖子以外にも明石家さんまやTOKIOにも楽曲提供している甲斐、ここではなぜか本名甲斐祥弘名義でクレジットされている。なんか感じだと微妙な気がするのは、俺だけじゃないはず。
 大村雅朗アレンジによるモータウン・ビートは、ある意味、70年代から続くアイドル・カバーの伝統に則っており、そのマナーに従って、聖子も可愛くキュートなアイドルとして、この曲を料理している。
 なので、甲斐もステージでこの曲をセルフ・カバーしているのだけど、それはやっぱちょっと無理やり感が強い。まぁファン・サービスみたいなものだけど、やらかしちゃったよな。



7. Bye-bye playboy
 初期はシングル楽曲を多く書き下ろしていた財津和夫だったけど、この時期になると彼の曲がシングル候補に挙がることもなくなり、ほぼアルバム楽曲専門となっている。とはいえ、ムラの少ない安定した楽曲制作力は得難い存在であり、聖子プロジェクトにおける彼の登板率は、恐ろしく高い。特別、松本隆と近しい存在でもなさそうだけど、大きくはずすことのない安心感は、何かと便利な存在だったのだろう。なんか抑えの投手みたいなポジションだよな。
 ちょっとキーを高めに設定した、旧タイプのアイドル・ソング。ちょっと苦しめの高音部分が、声の魅力を最大限に引き出している。

8. 赤い靴のバレリーナ
 甲斐よしひろ2曲目、今度は瀬尾一三アレンジによる正統派バラード。歌詞もそれに呼応してか、センチメンタルの極致をこれでもかと抉るように掘り下げている。恋をするとネガティヴになってしまう女の子の憂いを巧みに表現している。前髪という小道具を使うところなんて、そりゃもう技巧的。

9. 秘密の花園
 「天国のキッス」からさかのぼること2か月前、12枚目のシングルとしてリリースされた。もちろん最高1位、TV出演時のタイトな白のマイクロミニが、世の男子の妄想をさらに搔き立てた。
 リリースされるまで紆余曲折があったことは、よほどのファンでも知らないはず。俺も調べてみて初めて知ったくらい。
 もともとシングル向けの楽曲を財津和夫にオファーしていたのだけど、締め切りまでにプロデューサーのOKが出ず、財津は辞退する。リリース日が迫る中、急遽、ユーミンが引き継いで、どうにか間に合った、という逸話が残っている。
 スケジュールの都合上、先に仕上がった詞に曲が後付けされる、なかなか珍しいケースだけど、そこをどうにかねじ伏せて形にしてしまうのは、さすがユーミン。でもユーミンのことだから、この甘ったるい寓話的な歌詞だったら、鼻で笑ってたんだろうな、という気がしてならない。

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10. メディテーション
 ラストはこれが初登場、上田知華作曲による変則リズムのミディアム・スロー。松武秀樹参加による影響もあって、ゴリゴリのシンセ・ベースが全篇流れており、それでいてクラシックがバックボーンの上田特有のつかみづらいメロディは、このアルバムの中でも異色の存在。これまでのセオリーと違うリズムとメロディに、さすがの聖子もついてゆくのが精いっぱいといった感じ。
 後年再評価されることを前提としているならともかく、通常のアイドル・ポップスとしてはちょっと異色すぎるかな。松本の歌詞にしては珍しく抽象的でスピリチュアル風味も漂っており、なかなか捉えどころのない曲。だから面白いんだけど。



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みゆき vs. ユーミンは、もう昔。 - 中島みゆき 『歌でしか言えない』

268x0w 1991年リリース、19枚目のオリジナル・アルバム。オリコン・チャートでは辛うじて1位を獲得してはいるけど、実売数は197,000枚と、なんとも微妙な成績。この時代は、80年代末から確変状態に突入したユーミンが圧倒的に強かったため、アルバム・セールスも社会的な影響においても、圧倒的に見劣りしてしまう。
 このアルバムと同時期にリリースされた『DAWN PURPLE』は、初回出荷時ですでにミリオン突破、ユーミンの新譜がどこまで記録を伸ばすかがニュースで取り上げられる、そんな時代である。日経のヒット商品番付でも顔を出していたくらいだから、こうなっちゃうともう、業界全体を巻き込んだ一大プロジェクト、ヘタなことはできない。
 そんな按配だったため、80年代初頭から喧々囂々されていた「みゆきvs. ユーミン」といった対立構造は、成り立たなくなっていた。そりゃそうだよな、戦うフィールド自体が違っちゃってるんだから。

 当時のユーミンは、単なるアーティストの枠を超えて、トレンドリーダーの一翼を担った存在になっていた。ちょうど日本の経済バブルと並走するように、ユーミンのセールスも飛躍的な右肩上がりの曲線を描いていた。
 作家の山田詠美に「電通音楽」と揶揄されていたように、この時期のユーミンのアルバムは、「作品」というより「商品」といったニュアンスで語られることが多い。膨大なフィールドワークやリサーチによって、F1層のニーズを分析・把握、クリスマス商戦を狙った各メディアへの大量出稿、「すべての男と女は恋愛してなきゃダメなのよ」的なキャッチコピーやキーワードが後押しする。
 アーティストとしての純粋な表現というよりは、「ひとり広告代理店」と化したユーミン主宰・恋愛教の布教活動といった感じ。クリスマスイブは、都心の高級ホテル最上階のディナー、カルチェの三連リングをプレゼントしなければ、人間扱いさえされない―。周到なプランニングに沿った巨大プロジェクトは、バブル景気に沸く一般庶民へ向けて、そんな刷り込みを行なったのだ。大げさに言っちゃえば、当時の日本経済を回す一翼を担っていたというか。
 ただこの頃になると、バブルも弾けて、景気もちょっと下降線に差しかかる。そんな景況とシンクロするかのように、ユーミンの作風も微妙に変化している。
 もともとユーミン、恋愛教祖としてミリオン連発する前は、『リ・インカネーション』(輪廻転生)をテーマとしたコンセプト・アルバムを作ったり、あのヒプノシスにアートワークを依頼したりなど、大衆性からかけ離れた作風の人である。大衆路線のアルバムが続いてマンネリになっちゃったのか、『DAWN PURPLE』はスピリチュアル寄り、パーソナルなテーマでまとめられている。
 この辺からユーミン、トレンドリーダーとしての気負いはなくなり、恋愛教を振りかざすことはなくなった。一介のアーティストとして長い目で見れば、それが得策だったことは、時代が証明している。あのまま行っちゃえば、時代に消費されて終わりだものね。

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 対してみゆき。
 従来のアルバム制作〜プロモーション・ツアーのローテーションに加え、夜会プロジェクトが大きな割合を占めるようになる。長年務めたオールナイトニッポンのパーソナリティを降板し、そのエネルギーを夜会制作へ振り向けた、とのことだけど、すぐにNHK-FMのミュージック・スクエアでラジオ復帰を果たし、その後も今に至るまで、マイクの前でおちゃらけ振りを披露している。過去のしがらみを捨て、心機一転の覚悟で夜会に挑んだのだろうけど、「やっぱラジオってライフワークだったんだ」と、現場を離れてから気づいたんだろうな。
 同じポジションだったはずのユーミンとは、セールス的にも大きく引き離され、贅を尽くしたライブ・パフォーマンスを横目に、みゆきはコンサートでも演劇でもない、夜会のコンセプト確立に腐心していた。近年こそ、しっかり構築されたオリジナル・ストーリーをベースに、多彩な共演者や、ユーミン顔負けのド派手な舞台演出が繰り広げられているけど、当時はまだ、コンサートとも演劇とも、どっちつかずのステージ構成だった。
 当初から茫漠としたビジョンはあったはずなのだけど、それがどうにも、思ってるような形にならない、または、何が足りなくて何が余計なのか、それを掴めずにいた、というのが正しいのかもしれない。
 もともとみゆき、そこまで器用なタイプではない。ご乱心期のサウンド面で見られた試行錯誤ぶりにも、それは顕著にあらわれている。
 机上の理論だけでは、物事は進まない。実際に体を動かし、これまでのフィールドとは違う分野の人間とディスカッションし、共に手を動かす。手間はかかるけど、そうしないと得られないものは、この世の中にはたくさんあるのだ。
 なので、迷走する期間もまた、彼女にとっては必要なプロセスだったわけで。

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 ライブ・パフォーマンス的な一過性のショウと位置づけていたのか、はたまたコンセプト自体が未完成ゆえ、みゆき自身が求めるクオリティに達していなかったのか、1989年に開催された初の夜会は、画質の悪い資料映像しか残されていない。
 当初掲げられていた「言葉の実験劇場」というコンセプトが、どこまで具現化できたかはみゆき次第だけど、その後も詳細に触れられることがないのは、きっとそういうことなのだろう。クオリティ云々より、まずは「始めた」ということが重要だった。
 そこで得た教訓、または改善点を検証し、ストーリーの肉付けに厚みを加えたのが、「夜会1990」になる。ここから映像作品として商品化されたため、見ている人も多くなる。俺自身、最初の夜会映像を見たのがこれだし。

 「夜会1990」では、みゆきの独白を主軸とした、現在と回想とが交差する散文的なストーリーが展開されている。物語と連動した楽曲があるかと思えば、場面転換として使われる場合もある。連続したストーリーに沿って進むのではなく、既存の楽曲をテーマとして着想が生まれ、それらをシームレスで繋いでいるといった構成なので、みゆき主演の短編映画をまとめて見ている感、と言えば伝わるだろうか。
 「既存の楽曲を、レコーディング時以外のアレンジで試してみたかった」という構想もあったため、不意を突く演出も盛り込まれている。カワイイ着ぐるみダンスをバックに歌われる「キツネ狩りの歌」や、自己批評とセルフ・パロディとが表裏一体化した「わかれうた」なんかは、「してやったり」と裏でほくそ笑むみゆきの表情が見えてくる。

 手探り状態でスタートした夜会は当初、通常コンサートのフォーマットをベースとして、緩やかな構成のストーリーに沿って楽曲をはめ込んで行くスタイルで製作された。なので、ステージ上には生バンドが配置され、舞台装置も極力シンプルなものに限定されている。
 このスタイルを掘り下げてゆくこともアリだったと思うし、回を重ねるごとに書き下ろしの新曲が多くなることも、自然の流れとしては十分あり得たはず。
 でもみゆき、「なんか違う」という気持ちが拭えなかったのだろう。
 コンサートでもミュージカルでも戯曲でもない、まったく別のスタイルの表現方法。
 夜会に足りないもの、それは、盤石として揺るぎない「ストーリー」、全編を貫く強い意志を持った「ものがたり」の不在だった。
 新しい形ではある。でも、充分ではない。
 それに気づいてしまったみゆき、ここまでで築き上げた夜会のコンセプトを一旦洗い直し、まったく違うメソッドを模索することになる。

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 多くのエネルギーが夜会へ注がれるため、自然、サウンド・メイキングは瀬尾一三に委ねられることになる。彼の存在なくしては、夜会もアルバム制作も、どちらも中途半端なものになったことだろう。
 『歌でしか言えない』は、みゆきにとって、初の本格的な海外レコーディングとなっている。これまでもミックスやマスタリングを海外で行なうことはあったけど、現地へ出向いてのセッションは、これが初となる。
 「みゆき自身によるサウンドへの希求が、海外のミュージシャンやスタッフのスキルを求めた」のかと思っていたのだけど、内実はもっと単純で、瀬尾がロスで他のアーティストのレコーディングにかかりきりのため、帰国のスケジュールが取れず、「じゃあ」ということでみゆきが出向いた、とのこと。案外、実務的な理由だったのね。
瀬尾の気分が乗ってたのか、はたまたみゆきのバイブレーションがあずかり知らぬ方向へ飛んじゃったのか、新機軸として、ゴスペル・コーラスを導入した楽曲が登場している。みゆきの曲で、ここまで強くソウル・テイストが打ち出されたサウンドは、後にも先にも存在しない。このスタイルのアプローチはこれ限りだったため、本人的にも瀬尾的にも、「なんか違う」と思い直したのだろう。リリースしてから気づくんだよな、いつも。
 そこまで極端な例は抜きにして、西海岸特有のボトムの太いサウンドやリズムのクリアさに出逢えたことは、みゆきにとって大きな収穫だった。そこまで音質にこだわりはなかったと思われるみゆきだけど、やはり実際のサウンドを目の当たりにしたことによって、要求レベルが格段に上がってしまう。なので、以降はロス録音が多くなる。

 このアルバム制作と並行して、新たな夜会の準備も進行する。新規巻き直しにあたり、みゆきは従来の短編集スタイルを捨て、太い幹の如く揺るがないコンセプトで貫かれた、強靭なストーリーを夜会の柱とした。
 中国の故事「邯鄲の夢」をモチーフとした「夜会VOL.3 KAN(邯鄲)TAN」。アルバム・リリース後のツアーより先に、みゆきは新たな夜会を選んだ。アルバム→ツアーのルーティンはここで崩れ、以降、90年代は夜会を中心とした活動にシフトしてゆくことになる。





1. C.Q.
 遠く、か細い声でふり絞られる、かすかな救援信号。
 一体、誰に向けられているのか。
 いや、相手は問わない。ただ、聞いてくれる者がいれば。
 そしてまた、ここに僕が、私がいるということを、世界中の誰かが気づいてさえくれれば。
 誰かを救う、または救われること、そんな大それたことはできないけど、気づいてあげること、手を挙げることくらいなら、まだできる。その意欲さえ失くしてしまうと、人はもはや人ではなくなる。
 長くラジオに携わってきたみゆきには、それが見える。リアルタイムで反応が返ってくるネット環境と違い、ラジオの場合、リアクションはすぐには返ってこない。でも、感じることはできる。
 1人のパーソナリティと、不特定多数のリスナーとの関係は、直接的ではないけれど、距離感は近く、そして深い。
 深夜のスタジオから、みゆきは言外に、こう語りかける。
 「誰かいますか?」。

2. おだやかな時代
 本文でも触れたように、大仰なゴスペル・コーラスが導入された異色ナンバー。サビだけ聴くと和田アキ子みたいだけど、正直、あそこまでのグルーブ感やパワフルさを求めるのは、さすがにお門違い。
 たまたま瀬尾がロスにいたし、ちょうどRita Coolidgeもブッキングできたし、せっかくならゴージャスにやってみる?てなノリでアレンジされたのかね。

 おだやかな時代 鳴かない獣が 好まれる時代
 標識に埋もれて 僕は愛にさえ 辿り着けない
 目をこらしても 霧の中 レールの先は見えないけど
 止まり方しか習わなかった 町の溜息を 僕は聞いている

 喧騒の70年代を過ごしてきたみゆきから見た、マニュアル世代の無気力ぶりを、多少の励ましを込めて描かれている。メイキング仕立ての大掛かりなセット使用のPVのイメージから、強い激励の歌と受け取られがちだけど、あくまでみゆきは傍観者、女神の視点で彼らを見守る。
 ちなみに初出は1986年のニュース・ステーション内の1コーナー、その主題歌として一部だけが公開され、ここで初めて完全版として音源化された、という経緯。
 当時の俺は高校2年、リアルタイムではあったけど、聴いた記憶はまったくない。報道番組や新聞をチェックする高校生が嫌いだったし、またそうはなりたくなかったのだ。いま思えば、ちょっと意固地だったよな。
 あぁ若かりし青き春の日々よ。

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3. トーキョー迷子
 シングルとして先行リリースされた、ちょっと懐かしいムード漂う、80年代初頭の歌謡曲テイストのナンバー。「あの娘」など、シングル・チャート常連だった頃のテーマと曲調は、郷愁さえ漂う。
 「男が帰ってくるの待っていたら、いつに間に5年も経っちゃった」という内容を、淡々と歌い上げている。さめざめと憐憫調に嘆くのでもなければ、開き直って笑い飛ばすのでもない。
 「そんな時代もあったよね」と言いたげな冷めた視点は、もう瑣末な愛だの恋だのに振り回されることのない、表現者としての重心の盤石さがにじみ出ている。

4. Maybe
 表現者であるみゆきの視点は、基本傍観者であり、詳細な観察者でもあるのだけれど、ここではそのスタンスとは違ったところ、がんばっている女性の背中を直接押す応援歌として描かれている。
 強くなりたい、また強くあろうとする女性を主人公に、旧態依然とした社会への孤軍奮闘ぶりを、時にミュージカル調の力強いタッチで歌い上げている。
 これまでのレパートリーの中では、大きな意味での応援歌として「ファイト!」が挙げられるけど、比喩表現を多用しないストレートな形は、これが初めて。表現者としての成長=女神の視点を獲得することによって、単なる傍観者ではいられなくなった、ということなのだろう。
 働く女性への具象的な応援歌となったため、ユーミンの守備範囲と大きくかぶってはいる。ただみゆき、その後はここだけには収まらず、あらゆる層へ抜けて包括的な慈愛を注ぐことになる。

5. 渚へ
 海外セッションによるレコーディングのため、ガラリと音色が違っている。ご乱心期にもこういったブルース・テイストのロック・ナンバーはあったけど、プロダクションが変わると、土台から音が変わってくる好例。
 アメリカ録音のメリットとしてよく語られるのが、乾燥した空気による楽器の音の響きの良さ、日本よりパワーのある120ボルトの電圧から生み出される音の太さが挙げられる。みゆきのように、生身のミュージシャン主体のレコーディングならまだ通用する話だけど、DTM主体の今となっては、主流のスタイルではなくなっているのが実情。海外はまだ需要があるけど、日本では次第にロスト・テクノロジー化しつつあるしね。
 「騙された」と頭ではわかりつつ、周囲には自嘲的に強がりを言いつつ、心のどこかではつい信じてしまう、というみゆき得意のフォーマットだけど、このパターンが使われるのも、次第に少なくなっている。
 まるでかつての自分をなぞっているような、妙な完成度の高さ。ある意味、みゆきとしてはステレオタイプの歌詞になっているため、サウンドのボトムの太さに気圧されている印象。

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6. 永久欠番
 リリースされた当時からいち早く、ファンの間でも名曲認定され、中学国語の教科書にも採用されるくらい話題になった、みゆきの死生観がストレートに描かれた曲。

 どんな記念碑 メモリアルも 雨風にけずられて崩れ
 人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
 だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を

 「永久欠番」の10年前、みゆきは老いというテーマで「傾斜」を書いた。

 歳を取るのは素敵なことです そうじゃないですか
 忘れっぽいのは 素敵なことです そうじゃないですか
 悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら 
 忘れるより ほか ないじゃありませんか

 この時、みゆき30歳。傍観者として描いた老後から10年、人生折り返しを経て、死というものがより身近になった。
 第三者としてでなく、当事者としてのリアルな目線、そして死生観。
 その後も折を見て、みゆきは思い出すかのように、このテーマに挑むことになる。

7. 笑ってよエンジェル
 オリエンタルなメロディが郷愁を誘う、懐かしさと親しみを感じさせる小品。前作『夜を往け』からのシングル・カット「with」のB面に収録されたのが初出で、このアルバムの中では最も先に世に出た楽曲でもある。
 ここではアルバム用に新たなアレンジで収録されており、ややハード目なサウンドだった前作のテイストはうまく払底されている。
 他愛ない言葉遊びを1曲分に仕立てた感じなので、深読みすることもない。同じ言葉遊びでも、「世迷い言」よりもっと軽くてポップ。ひと息つける曲としての役割を果たしている。

8. た・わ・わ
 直裁的なサビの歌詞が衝撃的だった、同性への強いジェラシーを活写したレゲエ調ポップ。「熱病」同様、ビート優先の曲なので、名詞の羅列が多く、みゆきとしてはラフなタッチになっている。
 どこまで作為的だったのか不明だけど、ここで描かれている女性、いわゆるイイ女っていうのが、すごいステレオタイプ。絵に描いたようなボディコン女性をイメージしてしまい、なんかリアリティに欠ける。もっと深読みすると、行間に何か浮き出てくるかもしれないけど、そんな感じもなさそう。
 ドラマや映画に出てくる紋切り型の美人より、ほんとに怖いのは清楚の仮面をかぶったメス。そっちの方がもっとゲスいのだけど。

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9. サッポロSNOWY
 『臨月』あたりに入ってても違和感なさそうな、とても切ない直球バラード。辛いこと・悲しいことを覆い隠すメタファーとして、みゆきは雪をテーマとして取り上げることが多いけど、ここでは珍しくロマンチックな、優しげな降り方。
 家や林を容赦なくなぎ倒す吹雪は、人命にもかかわってくるけど、ここで降る雪は感傷的。「暖かな雪」とは反語表現だけど、一周回って温もりを感じさせる。

10. 南三条
 Bruce Springsteen みたいなサウンドだよな、と思ってクレジットを見たら、ロス・セッションの楽曲だった。どうりで大味なアメリカン・ロック・テイストだと思った。ディストーション・ギターとキラキラしたシンセ、ソウルフルなコーラスとテンション高いサックスのブロウ。そんなバッキングに煽られてか、みゆきのヴォーカルも床に根を生やしたような安定感、太さが強調されている。
 当初からこういったアレンジを想定していたのか、比較的明快なストーリー仕立てとなっており、映像を想起させる言葉遣いが多用されている。当然フィクションなんだろうけど、普段多用されるレトリックや比喩が少なく、行間も詰まっているので、これ以上、解釈のしようがない。
 ファンやユーザーの思い入れの余地が少ないぶん、聴き流してしまう内容なのだ。重厚なサウンドとバランスを取って、敢えて言葉は軽く明快にしたのでは、とは深く考えすぎかな。

11. 炎と水
 で、ここまで比較的、ビギナーにも広く門戸を開いた「親しみやすい中島みゆき」を象徴した楽曲が続いたのだけど、ラストは、それらをすべてちゃぶ台返ししてしまう、長年のファンさえ置いてきぼりにしてしまう、そんな難解曲。ここまで観念的な歌詞は、「世情」以来なんじゃないだろうかというくらい、ヘビィな味わいに満ちている。
 単純に受け取ると、「炎の男と水の女、真逆でありながら惹かれ合わずにはいられない」。そんなジレンマや業を描いているのだけど、まるでギリシア神話のごとくドラマティックな筆致が、安易な解釈や理解を拒んでいる。
 みゆき自身、この曲についてはなかなか手こずるのか、ステージでは一度も披露したことがない。「うらみ・ます」同様、なかなか稀有なケースである。この曲だけで、夜会のシノプシス1本くらいの重量なので、今後、再演されることは難しいと想われる。






「まだ終わりじゃない」。そう伝えたかった最終作 - 尾崎豊 『放熱への証』

47AD156F-C910-41CC-8CD0-2C82ACB8A2C3 1992年にリリースされた6枚目、最後のオリジナル・アルバム。4月25日に訃報のニュースが流れ、店頭に並んだのが5月10日だから、製作現場ではかなりの突貫作業だったことが窺える。タイミング的に、追悼に乗じて未発表テイクをかき集めたかのようにも思えるけど、生前にマスタリングも終了しており、後は発売を待つばかりの状態だった。なので、不慮のタイミングによる、作業の大幅な前倒しといった方が正しい。
  彼が亡くなったという知らせを聞いたのは、仕事の昼休み中のことだった。ラジオの速報を聞いた上司が、それを教えてくれた。
「おい、尾崎豊が死んだらしいぞ」
 昼食中だった俺は、ちょっとだけ言葉に詰まった。何と返していいかわからず、へぇ、とうなずき、また食事に戻った。
  そうか、尾崎が死んだのか。
  ただそれだけだった。
 
  すでに『誕生』のあたりから、俺は尾崎を追うことをやめていた。当時の尾崎のポジションは、いわばティーンエイジャーの通過儀礼のようなもので、現在のような普遍的な評価はされていなかった。十代の代弁者の役割を終え、新機軸が見出せずに迷走していた、というのがリアルタイムでの俺の見解。
尾崎シンドロームの終焉とシンクロするように、俺の十代も終わり、二十代に突入していた。ここからしばらく、仕事に遊びに忙しくなり、音楽とは距離を置くようになる。
それほど熱心なユーザーではなくなっていたので、訃報を聞いた際も、特別感慨もなく、ショックもなかった。テレビで中継された、葬儀で泣き崩れるファン達や、後追い自殺のニュースを聞いても、どこか他人ごとだった。
  追悼にかこつけて、カラオケで「I Love You」や「十七歳の地図」を歌ったりもした。でも、ただそれだけだった。モヤッとした感傷も長くは続かず、ルーティンの生活は何ごともなく過ぎていった。
なので俺、このアルバムをリアルタイムでは聴いていない。買ったのは数年経ってから、しかも、ちゃんと聴いた記憶がない。他のアルバムと違い、じっくり対峙して向き合っていないのだ。
その後、折をみてCDで聴いたりiTunes で聴いたりもした。でも、深く入り込めない。今回も改めてじっくり対峙して聴いてみたけど、どうも素通りしてしまう。
なぜなのか。
  取っかかりが薄い?特徴がない?
いや多分、そういったことじゃない。
 
 『誕生』リリース後、尾崎は浜田省吾のマネジメント事務所ロード&スカイを辞め、個人事務所アイソトープを設立、唯一の所属アーティストとして、そこへ移籍する。
晩年の尾崎は、方向性の迷いや人間関係に煮詰まり、何かと疑心暗鬼になっていたらしい。
「誰も彼もが俺を利用している」「金儲けの道具としか見てない」。
そんな猜疑心に取り憑かれていた。
  最大の理解者であり、デビュー前からの恩師である須藤晃とも距離を置いたくらいだから、よほど人間不信に陥るアクシデントがあったんじゃないかと思われる。まぁ色恋沙汰のゴシップもあったし。
ロード&スカイの待遇が悪かったのかといえば、そうとは思えない。ハマショーを始めとして、のちに所属することになるスピッツや斉藤和義ら、彼らのキャリア形成・育成方針を見てわかるように、どちらかといえばかなり良心的、アーティスト・サイドに立ったスタイルの運営方針である。
そりゃ売れるに越したことはないけど、それよりもアーティストのスタイル確立や長期展望を重視する、そんなコンセプトなので、尾崎のキャラクターに適していたはずだったのに。

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  若者の代弁者として祭り上げられ、多くのファンや支援者に持てはやされた尾崎も、10代3部作以降は、活動休止やスキャンダルが尾を引き、人気は凋落する。下降線をたどるにつれ、周囲の対応も手のひら返し、次第に距離を置かれるようになった。
  さんざん持ち上げてそこから落とされるわけだから、本人からすればたまったものではない。清廉潔白な生活ではないから、そりゃ自分が蒔いた種もいくつかはあるだろうけど、身に覚えのないところで名前を使われていたり、利権を漁る赤の他人が擦り寄ってきたりで、そりゃ疑心暗鬼にもなる。
ヤマアラシのジレンマよろしく、傷つけることでしか信頼関係を築けない、また、他人との距離を推し量ることができない。
  かつては「傷つけた人々へ」と歌っていたナイーブな男を、ほんの数年で変貌させてしまう、怖ろしきエンタメの世界。それだけ濃縮された時間を駆け抜けた代償だったのか。
殺伐としたムードが日常となるため、有能なブレーンは我先にと匙を投げる。沈没寸前の船からケツをまくって逃げ出し、残るのは要領の良くない人間ばかり。業務は怠り、プロジェクトも前に進まない。苛立ちと焦燥感が募り、辛く当たってしまう。
ふと気づくと、残ったのは身内ばかり。
 
  音楽とは直接関係のないバイアスがかかりまくっているため、内容について書くのはちょっと難しい。そう思ってるのは俺だけじゃないらしく、純粋に音楽について述べたレビューは、あまり見当たらない。
デビューから長く、尾崎を全面プロデュースしてきた須藤晃とも袂を分かち、ここではほぼ完全セルフ・プロデュース、原点回帰とも言えるエッジの効いたロック・サウンドと、私小説的な柔和なバラードとがバランス良く配置されている。テクニカルなアンサンブルは多分、キーボード西本明の助力が大きかったんじゃないかと思われるけど、過去と未来の共存を目指した基本ビジョンは、尾崎オリジナルのものだ。
  B’zや槇原敬之が頭角を表していた当時の音楽状況と照らし合わせると、決してアップトゥデイトなサウンドではない。ノリの良いビートや癒し系といったトレンドからは距離を置き、泥臭いアメリカン・ロックと、静謐なタッチのピアノ・バラードを主軸としている。

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  初めてのセルフ・プロデュースとしては、丁寧に破綻なく作られているし、変に流行を追わなかった分、今もあまり古びて聴こえない。従来のファンにも新規ファンにも受け入れられる、世間のニーズに合わせた作りになっているのだけれど。
  なのに、何だこの引っかかりのなさは。どうしてここまで響かないのか。
  『誕生』よりもテーマや言葉は整理されているし、アレンジもワンパターンをうまく回避しているというのに。
  これは非常にめんどくさい私見だけど、そのどっちつかなさ、全方位にいい顔しちゃってるそのスタイルが、俺世代としてはなんかもどかしく、「二十歳過ぎたから背伸びして日和っちゃったのかよ」という置き去り感が芽生えてしまうのだ。
  そう考えると、尾崎作品の純粋な音楽的評価に水を指しているのは、俺たち45歳以上のリアルタイム世代なのだ、ということに気づかされる。メッセージシンガー、アジテーターとしての尾崎像が刻み込まれているため、主張やイデオロギー以外の面を重要視しない、または思考停止になってしまう。人気もキャリアもピークの時代のインパクトが強いおかげで、20代以降の活動は、長い長いフェードアウトに思えてしまうのだ。
  後追いで尾崎を知った層にとっては、代表作以外はほぼ並列で見ることができる。なので、30代以前には後期の楽曲もそれなりに人気があったりもする。
  純粋に楽曲の良さで判断できるのは、ある面では羨ましいと思う。俺にはもう、そういった聴き方はできないから。

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  で、『放熱への証』。
  俺的世代観を抜きにして捉えると、過渡期的な作品だと思う。若いうちは社会や体制への不満やら、また淡い恋心を感傷的に歌ったりもしたけれど、20代に入って家族もできれば、実感は損なわれてしまう。よほどのディープなファンならともかく、ライト・ユーザーや後の世代から見れば、市場への迎合具合が先立ってしまう。
  若者の代弁者として祭り上げられたりもしたけど、実際のところ、尾崎の作品の中で、大人や社会へのアンチをメインテーマに据えた楽曲は、それほど多くはない。デビュー前のオーディションで歌ったのがさだまさしだったことから察せられるように、もともとは叙情的でウェットな感性の持ち主である。
反体制のヒーロー的なイメージは、多面性を持つ尾崎の一面だけをクローズアップして、ソニーや須藤晃がコーディネートしたものだ。それもまた本質ではあるけれど、「でも、それだけじゃないんだよ」という彼の主張を具現化しようとしたのが、3部作以降の迷走なり試行錯誤であって。
  ただ、その過去を全否定しても、前へは進めない。それもまた自分を創り上げてきた一部であるということを飲み込んで、尾崎はこのアルバムを世に問うた。基本、その時に思ったことをそのまま出す姿勢、それは昔から変わらない。
  静と動、2つの方向性というのは、迷走しているというより、車の両輪のように同等のもの、どちらかを完全に捨ててしまうのではなく、ヴァージョン・アップさせて共存していこうというあらわれだったんじゃないのか。最近になって、そう思う。ただ初めてのセルフ・プロデュースゆえ、細かな仕上げまでは手が回らなかったため、中途半端になっちゃったわけで。
  そう考えると、まだ伸びしろは十分あったわけで、中途半端さにも納得がゆく。





 1.  汚れた絆
  アルバム発売と同時にシングルカットされた、王道アメリカン・ロック・サウンド。とても急ごしらえとは思えない、グルーヴ感あふれるアンサンブルを形作ったのは、ベテラン西本明。E.Street Bandをモチーフとした、自由奔放なアルト・サックスをリードとしたアレンジは、いい意味で野放図な尾崎のヴォーカルと相性が良い。
  歌詞については、それぞれいろいろな解釈があるけど、まぁどう深読みしても斉藤由貴以外ありえない。芸能ニュース的なエピソードはひとまず置いといて、ここで語りたいのは尾崎の変化。
  かつての彼なら、道ならぬ恋を貫くか、地位も何も捨てて守り抜く、といったニュアンスで唄っていたはずのだけど、ここでの尾崎は家族を取り、運命の同士であったはずの相手とは、別れを決意する。歌で嘘は書けない。常に自分の中のリアルを突き詰めて、彼は歌ってきたのだ。
  と、ここまで書いてみてから冷静に考えてみると、不倫の清算を高らかに歌い上げ、しかもリード・トラックにしてしまうとは、並みの神経ではない。芸能ニュースへの話題性としてはアリだろうけど、本人としてはそこを狙っていたとは思えない。サウンドのノリとしてはベストな配置だけれど、テーマとしてはネガティヴだよな。セルフ・プロデュースゆえ、誰も選曲に意見できなかったのか。

2.  自由への扉
  これまでの作品とはどれも似ていない、メロディ・アレンジともに甘さを強調したポップ・チューン。せっかく自分ですべてを仕切るのだから、こうした新機軸も試してみたかったのかな、とも思ったけど、聴き直してみると、他のシンガーを想定して書いた楽曲なのかね、と思ったりもする。
  ファニーで邪気のない、若い2人の恋の行く末を描いてると思われているけど、「~あるはず」という語尾の不安定さは、楽観的と言い切れない。

  闇夜の国に 浮かぶ月明かりに照らされて
  星が揺らめきながら 明日を信じてる
  永遠に思えるような 悲しみと暮らしは続く

  無条件に幸せを享受できない、そんな彼の心境が少しだけ反映されている。

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3.  Get it down
  1.   と同様、ダルでルーズでちょっぴり大ざっぱなロック・ナンバー。初期のファンからも人気が高く、当然、俺的にも食いつきが良くなじみ易い楽曲。小難しい批評性や理屈を抜きにして、純粋に楽しめるアップテンポは、お手のものといった感じ。成長云々とは関係ない、熟成された疾走感が、ここに刻まれている。まぁこれをベースとして、彼はさらに違う表現を探していたのだろうけど。

4.  優しい陽射し
 「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう」。
  尾崎がこのアルバムのために添えたキャッチフレーズであり、実際、発売時のキャッチコピーとしても使用された。意味深なアートワークとセットで、強く印象にに残っている。
何気ない言葉をつなぎ、日常のふとした瞬間や心の揺らぎを、ここでは丹念に拾い上げ、そして丁寧に歌う尾崎。
  デビュー当時から情景描写は卓越していたけど、こういった心理描写、対人関係の妙を細やかに描くには、もう少し時間が必要だったんじゃないか、とこの曲を聴くと思う。ひとつひとつの言葉のセンスは秀逸だけれど、どこかフォーカスが絞りきれていない印象。その未整理さもまた魅力なのだけど、さらにその先、成熟した表現をする尾崎が見てみたかった、と思わせる楽曲。

5.     贖罪 
  で、ネガティヴな尾崎の告白という位置付けになるのが、これ。アーバン・ムードの落ち着いたサウンドで語られるのは、タイトルから想起させるような、無為の日々の告白。何もそこまで自己犠牲へ思い詰めることはないのに、と余計な心配をしてしまうくらいである。まぁこれまでのいきさつを思えば、それもわからなくはないけど。
  多少の自己陶酔は否めないけど、まだ20代の男が告白せざるを得なかった事情があったのだ。

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6.   ふたつの心
  ピアノを主体とした、適度にドラマティックなバラード・ナンバー。ここでは尾崎、情感を込めつつ、緩急使い分けたヴォーカルを披露。同世代のアーティストの中でも、歌唱力は突出していたけれど、キャリアを重ねること、また人生経験の深みも合わさって、表現力がずば抜けている。
  何となくだけど、「I Love You」で描かれていたカップルのその後を歌っているんじゃないかな、とは俺の私見。

7.  原色の孤独
 『街路樹』以降から、アルバムに1曲くらい収録されるようになった、具体的な言葉で抽象的な暗示めいた警句を発する、まぁ言っちゃえば中二病的楽曲。いくらでも深読みできるし、なんとなくアーティストっぽい感じには見える。
  色々な解釈ができる内容なので、逆にサウンドは明快なロック・バンド仕様。ハマショーっぽさ全開な気もするけど、深く考えないのなら、ノリのよい音楽。

8.  太陽の瞳
  アルバム制作にあたり、最初に書き上げられた楽曲。副題Last Christmas となっているため、舞台はクリスマスシーズン、みんなが幸せでホッコリしてしまう聖夜とはまるで正反対の、徒労感と絶望に苛まれた連綿と続く日常を、これでもかとネガティブに切り取っている。 ダウナーな時期だったことは察せられるけど、この曲がある意味通底音としてアルバム全体のムードを支配しているため、死の臭いがつきまとってしまった。
  ただ暗い曲だと一蹴してしまうのではなく、尾崎のリアルな情感がむき出しで吐露されているため、その後の方向性を思えば、重要なポイントを示す楽曲だったと言える。後期に頻出した、二重三重にもかけた警告的暗喩の羅列よりは、ずっと入り込みやすいし、他者に伝える表現としても、きちんとまとめられている。
  単に悲観的展望を描いた作品として片付けるのではなく、絶望や無力感を自身の中で整理し体系化というプロセスを経て具現化することによって、表現者は救われる。ここから先へ行けるはずだったのだ。

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9.  Monday morning
  肩の力を抜いてラフなタッチの、カントリーロック風ナンバー。スタジオセッション風のラフなアンサンブルをベースに、尾崎のヴォーカルも軽快で、ピッチもそんなに気にしてなさそう。アコギメインのバンドアンサンブルになると、ほんと楽しそうなのが伝わってくる。
  一聴すると歌詞も聴き流してしまいがちだけど、サウンドとは相反して、あまり前向きな内容ではない。コンクリートジャングルに飲み込まれ、決められた人生のレールに乗せられて暗い顔をした旧友たちを横目に、主人公は道をはずれ、ただ独り夢見がちな時を過ごす。
  でもね、夢見るだけで動かないと、明日ってないんだよ。

10. 闇の告白
  不平不満があっても、声に出せず言葉も知らない、また話を聞いてくれる理解者もいない、そんな大多数の弱者の心の痛みを、尾崎は歌にした。背中を押しても前へ踏み出せない、鼓舞しても立ち上がることさえできない、そこまで打ちひしがれてしまった、弱き民たちの、無為な日々を綴る。
  引きがねは、いつでも引くことはできる。でも、すぐに引くことはない。いざとなれば引くことができる、という諦念が、ある種の妥協点を見いだすことができるのだ。社会との折り合いとは、そんな風に形作られてゆく。

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11. Mama, say good-bye
  アルバムのラストであり、また尾崎が最期に作った歌は、亡くなったばかりの母に捧げられている
  「お母さん疲れさせてごめんね。お母さん、世界中の全ての疲れた心が癒されるように、歌い続けていくからね。」
  曲の完成後、ファンクラブの会報にコメントを残している。
  レトリックも比喩もない、ストレートな愛慕を素直に綴った、追悼の唄。これまでの作風から比べると異色だけど、これもまたアーティスト尾崎豊の幅である。
  尾崎自身、これを最期にするつもりはなかったはずだと思いたい。まだ先はあったはずなのに。








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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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