好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

80年代ソニー・アーティスト列伝 その9 - 大沢誉志幸 『in・Fin・ity』

Folder 1985年リリース、4枚目のソロ・アルバム。ある程度下積みキャリアを経てからのデビューだったため、ストックがめちゃめちゃ溜まってたのか、はたまた表舞台に出られた事でハッチャけちゃったのか、この『in・Fin・ity』以前にリリースされた3枚は、わずか1年強の間に制作されたものである。そんな超短いスパンでのリリースだったけど、同時代のシンガー・ソングライターの作品と比較しても、コンセプトはしっかりしているしクオリティも高い。今じゃすっかりスタンダード・ナンバーになった「そして僕は途方に暮れる」も、この時代の作品である。
 普通ならこのヒットの勢いに乗って、同路線の作品をチャチャッと短期間に作りそうなものだけど、そこはシングル・ヒットが出たことによってバジェットが大きくなったのか、これまでよりも制作期間を長く取ってじっくりレコーディング、たっぷり一年かけることによって、これまでとはまた別コンセプトのアルバムを世に出した大沢である。男だな、そういったところは。
 前作『Confusion』とは違って、ヒット性を持つキラー・チューンが入っていないワリには、オリコン年間チャート34位とセールス的には健闘している。「卒業」が収録された尾崎豊『回帰線』と肩を並べているくらいだから、コア・ユーザーの裾野が広がったことによる結果なのだろう。

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 音楽業界に明日を踏み入れるきっかけとなったのが、大学時代の軽音仲間と結成したロック・バンド、クラウディ・スカイのヴォーカルとしてだけど、俺は未聴。発売当時は散々たる売上だったらしく、だいぶ後になってからやっと再発されたらしいけど、今は再び廃盤扱いになっている。どちらにせよ、気軽に聴けるような環境ではないようだ。
 ちょっとだけ調べてみると、多分Earth, Wind & Fireかスペクトラムのフォロワー的な線を狙ったのか、宇宙服みたいなコスチュームでテレビ出演させられたらしく、それがイヤでイヤで当時は周囲にキレまくっていたらしい。まぁ売れるわきゃないか、そりゃ。
 肝心の楽曲は、「そこらの大衆に媚びたバンドとは違うんだぜ」的なアピールなのか、「悲しきコケコッコー」やら「明日はきっとハレルヤ」など、違う線を狙いすぎて逆にやらかしちゃった的なタイトルの楽曲ばかりで、しかもそれが世間的にはまったく無視されていたのもイタ過ぎた。
 奇をてらうのではなく、この時代はまだ少数だった後期Roxy Musicのスタイリッシュさをモデルとしたら、せめて東京JAP程度には売れたかもしれない。お茶の間に受け入れられやすいビジュアルでありながら、楽曲にこだわるという選択肢はなかったんだろうか。まぁ聞く耳持たなかったんだろうな。

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 語呂合わせみたいなタイトルの楽曲が多かった点から、当時はまだ半分コミック・バンド的な扱いを受けていたサザン、または子供ばんどの路線でレコード会社は売っていきたかったのかと思われるけど、その後の音楽性から類推するに、バンドまたは大沢との見解の相違、方向性のズレが短命の要因だったんじゃないかと思われる。
 当時の所属事務所だったナベプロは、ジュリーやアン・ルイスに代表されるように、昭和歌謡界のドメスティックなフォーマットに、比して「ニュー・ウェイヴ」であるロックのメソッドを取り入れたアーティスト戦略に長けており、そのベクトルにおいては一致していたと思われる。ただ、そのプロモーション展開というのが、当時の流行発信力の多勢を占めていたテレビを主体としていたため、どうしてもビジュアル映えするパフォーマンスに偏っていた。メディアに注目してもらうためには、多少ポリシーを曲げて、インパクトの強いキャラクターを前面に押し出さざるを得なかったわけで。
 で、本人たちがどこまで乗り気だったのかはわかりかねるけど、思うようにセールスも伸びずに不本意な活動を強いられたのだから、そりゃ長くは続かんわな。

 バンド解散後、大沢は一旦表舞台から退き、職業作家としてのキャリアを積み上げることになる。中森明菜の「1/2の神話」や吉川晃司の「ラ・ヴィアンローズ」、ジュリーの「おまえにチェックイン」など、これまで畑違いだった歌謡曲畑でも通用するポップ・センス、それでいて粗製濫造がまかり通っていた従来歌謡曲のセオリーに縛られないクオリティは、ソングライターとしてのポテンシャルの高さを証明した。ナベプロに代表される、ザッツ芸能界的な活動環境に馴染めなずに身を引いたにもかかわらず、他人への提供曲となれば、きちんとヒットのツボを押さえた楽曲を作れちゃうのは、皮肉っちゃ皮肉である。
 それほど戦略的なリリースではなかったにもかかわらず、息の長いヒットを記録した「そして僕は途方に暮れる」によって、自身でもヒットメイカーのポジションを確立したわけだけど、その頃すでに大沢のビジョンは別の方向を向いていた。
 二番煎じで畳み掛けるミディアム・バラード路線を放棄して、Herbie Hancokによって一気に開花したニューヨーク・アンダーグラウンド発のエレクトロ・ファンクへ傾倒、日本的なウェット感を払底したのが、この『in・Fin・ity』になる。
 日本のメジャー音楽業界において、アクの強いファンクネスと歌謡曲にも通底したポップ・センスとを絶妙にブレンドさせたという点において、大沢の功績はもっと評価されても良い。

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 CBS/エピックも含めたソニー全体において、ブラック・ミュージック系の影響が強いアーティストといえば、ラッツ & スターくらいという現状が長らく続いていた。一応、当時のソニーにはR&B風歌謡と称される「悲しい色やね」をヒットさせた上田正樹がいたのだけれど、本来の彼のルーツはR&B以前の泥くさいブルースだったし、サウス・トゥ・サウスというキャリアを経た移籍組だったため、ソニー生え抜きの特色とは言えなかった。
 そのラッツ & スターも、ベースとしていたのは50〜60年代のオールディーズとドゥーワップをブレンドしたポップ・ソウルであって、現在進行形のR&Bやファンク的メソッドを導入した音楽をやっている者はほとんどいなかった。
 もともとソニーのロック/ポップス系の主流は吉田拓郎〜浜田省吾のシンガー・ソングライター系であって、純粋なロック系のサウンドへの取り組みは不得手だった。だから矢沢もワールドワイド展開というビジョンを持ってワーナーに移籍しちゃったわけだし。で、総合メーカーであるCBSだけでは対応しきれない、パンク/ニューウェイヴ以降のアーティストの受け皿として、エピック創設という流れができる。
 CBS的要素も含んでいた佐野元春のほか、最もニューウェイヴ的存在だった一風堂まで、幅広いジャンルをカバーしていたエピックだったけど、ブラコン/ファンク系においてはノウハウの確立が遅れていた。
 のちにソニーのブラコン系の一角を担う鈴木雅之がソロになるのは、もうちょっと先の話である。

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 『in・Fin・ity』を構成するベーシック・サウンドであるエレクトロ・ファンクという音楽は、オリジネイターの1人とされているBill Laswellの縦横無尽で節操ない活動範囲からわかるように、もともとロックとの相性は良い。80年代サウンドの象徴とされているTR - 808やDX7が創り出すテイストは、ロック/ファンク双方との親和性が高かった。特に、どんな奇矯なジャンルも寛容に呑み込んでしまう昭和歌謡界でも、比較的早く受け入れられた。
 この『in・Fin・ity』が、いわゆる大沢にとっての「メインカルチャーとサブカルチャー」の分水嶺的ポジションであったことは間違いない。その後の『Life』では、明快な肉体性はフェードアウト、エスニック・リズムの導入によって、サウンドはさらに複雑化、内省的なスタジオ・ワークへシフトチェンジしている。その偏執的なこだわりの頂点を極めたのが、のちの大作『Serious Barbarian』シリーズであり、アーティスト・エゴのサウンドへの完全なる移管という点において、当時の日本のアーティストの中では最高峰に位置していたんじゃないかと思うのは、俺の独断。
 享楽的なパーティ・ファンクで一世を風靡したSly Stoneが、「ファンク」という音楽を突き詰めるがあまり、音を「抜く」という作業によってサウンドを「解体」、その過程で『暴動』や『Fresh』を創り出したように、「ファンク」とは内部に収斂してゆく類の音楽なのだろう。全盛期のPrinceだって、一時は取り憑かれたようにスタジオ・ワークに凝りまくり、膨大な未発表曲を量産していたし。

 大沢がもっと肉体性と精神性とをコミットさせ、ダンス・ビートへの傾倒を強めていたら、必然的にラップ/ヒップホップのエッセンスを吸収し、それこそメジャー・シーンにおけるジャパニーズ・ファンクのパイオニアになっていたかもしれない。
 ただ、大沢の基本スペックはロックが主だったものであって、ブラック・ミュージック的な要素は一部でしかなかった。
 前述の『Serious Barbarian』は、そんなロックやファンクやエスニック・ビートやポップスやらをシャッフルしたものを、大沢の執念によって再構築した力作である。そのクオリティはバカ高いものだけど、あまりに凝りまくったスタジオワークは作り込みが過ぎて、何度も聴き返すには濃密過ぎて肩が凝ってしまう。大沢自身のパーソナリティが色濃く出すぎた分、半自伝的な色彩が強く、ポピュラリティは薄いのだ。
 そういった意味で、聴きやすさと芸術性とがうまく拮抗しているのが『in・Fin・ity』、といった次第。


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大沢誉志幸
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1. 彼女はfuture-rhythm
 先行シングルとしてリリース。アルバム全編がホッピー神山によるアレンジとなっている。なので、当時ホッピーが所属していたバンドPINKの人脈がフル活用されており、ポップとファンクとのハイブリッドがうまく表現されている。
 サウンドの性格上、英語が多くなってしまうのは致し方ないことで、口語体の日本語を使用したファンクは岡村ちゃんまで待たなければならない。この時点での日本産ファンクとして、またメジャーで流通できるクオリティとしては最高峰に位置している。



2. Lady Vanish
 シンセの使い方がちょっとTMっぽいけど、地を這う重厚なベースと複合リズム・エフェクトを組み合わせることによって、安易なシンセポップになってしまうところをうまく回避している。ファンクとロックのいいとこ取り的なハイブリッド・サウンドは、大沢のハスキー・ヴォイスにもうまくフィットしている。
 ヴォーカル・スタイルはパンキッシュなロックとなっており、それに呼応するように間奏のギターはノイジーに悶える。

3. Infinity
 シンプルなバラードゆえ、ここは大沢のヴォーカルの切なさを強調するためか、ホッピーにしてはシンプルなアレンジ。OMDあたりをモチーフとしたシンセポップは案外心地よい。間奏の硬い響きの拙いピアノがアクセントとなっている。
 松本隆ほど思わせぶりでなく、平易な言葉で地に足の着いたストーリーを紡ぐ銀色夏生の世界観は、どこまでも涼しげな香りがある。狂騒的なリズムの洪水の中で、流されることなくイメージを焼き付ける彼の言葉は、大沢との相性が絶妙だった。

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4. 盗まれた週末
 PINKが主導権を握ったかのような、ファンクとロックのミクスチャー加減が絶妙なナンバー。ただこの曲、Aメロは抑え気味ですごくクールなのだけど、サビに入ると一気に歌謡曲臭くなってしまうのが惜しいところ。無理にキャッチーにしない方がカッコよかったのに。

5. Love Study
 このアルバムの中では比較的オーソドックスに聴こえてしまう、それほどギミックのないハードブギ・ファンク。シンプルな構成なので、ライブでは盛り上がりそうだけど、音源単体ではあまり面白くない。なので、ホッピーがぶち込んだエフェクトやサウンドの妙を楽しむ楽曲。でも大沢のヴォーカルは

6. レプリカ・モデル
 Herbie Hancock 「Rockit」へのリスペクト、いや日本側からの回答と言っても良い、当時の現在進行形ハイパー・ファンク。ねじれた音色と独特のフレーズ間隔を持つ矢口博康のサックス・ソロも、短めではあるけれど、楽曲のコンセプトにフィットしたインパクトを残している。
 DX7やフェアライトの使い方という観点で見ると、初期のTMはプログレ~パワー・ポップをベースとしているので、メロディ主体、70年代的なモッサリ感を引きずっている印象が強い。大沢のようにファンク~ロックをベースにすると、シンセ・ベースなどリズムを骨格として構成されているので、ドライな感触が強くなる。多分、俺がこういった音を好むのは、そういった使用法に由来するのだろう。



7. 最初の涙、最後の口吻
 なので、こうしたオーソドックスなバラードでも、リズミックなフレーズを多用することによって、無駄なウェット感は払底されている。大沢にしては比較的甘めのメロディで、タイトルや曲調からして歌謡曲っぽさが強い。これって、吉川あたりに書いた提供曲のボツ曲なのかも?そんな妄想さえしてしまうくらい、フックの効いたメロディが引き立っている。

8. 熱にうかされて
 アブストラクトなリズムがUKっぽいけど、誰だったかな?忘れた。ほぼリズムで構成されたような曲で、メロディは添え物。しっかしこの頃のPINK、芸達者だよね。こんな癖の強いバンドとアクの強いアーティストとの奇跡的な出逢いによって、このアルバムは生まれた。ヴォーカル抜きでも聴いていたいナンバー。

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9. 恋にjust can’t wait
 「ラ・ヴィアンローズ」を我流に引き寄せた感が強い、シングル・カットされたポップ・ナンバー。ファンク臭は薄く、PINKのアーティスト・エゴもかなりマイルド。バラードで売れちゃったから、次はアップ・テンポでのシングル・ヒットにトライしてみたのか。まぁそれほど評判は呼ばなかったけどね。

 
 たよりなく流れる雲より これっきりになるかもしれない
 心変わりは果てしなく それぞれの傷つきやすさで

 平易なフレーズで詩情を紡ぐ銀色夏生の言葉は、80年代に青春時代を過ごした数多くのティーンエイジャーのDNAに深く刻まれた。GLAYの歌詞世界とリンクする部分が多い、と俺は勝手に思っているのだけど、いかがだろうか?
 


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必要な音を、必要な分だけ。 - 甲斐バンド 『Love Minus Zero』

folder 1985年リリース、11枚目のアルバム。この後、最終作と銘打たれてリリースされた『Repeat & Fade』が、各メンバーのソロ・プロジェクトを集めた変則的なスタイルだったため、実質的な最終作はこの『Love Minus Zero』になる。のちに、15年のブランクを経た再結成作『夏の轍』がリリースされることになるのだけど、この時点では甲斐バンドは封印、「永遠の過去」になるはずだった。それまでの甲斐の発言やライフスタイルからして、同じことを二度も繰り返すことはありえない、というのが衆目の一致するところだった。
 オリコン・シングルチャート最高4位をマークした「安奈」を最後に、甲斐バンドのセールスのピークは過ぎていたので、この時点でのアルバム・チャート最高3位という成績は、まぁ妥当なところ。
 すでにアルバムを主体としたバンド運営に移行していたし、特にこの時期の彼らは、セールスよりもむしろサウンドのクオリティを上げることにウェイトを置いていた。バタ臭いハードボイルド・タッチのサウンドは、おニャン子旋風真っ只中のオリコン・ヒットチャートとは相いれなくなっていたのだ。

 ニューヨーク3部作の2作目に当たる『Gold』製作中、甲斐バンドが深刻な解散の危機を迎えていたことは、後年、甲斐自身を含め関係者の口から明らかにされている。
 どんなにテイクを重ねても、従来メンバーの演奏スキルではサウンドに比類するクオリティには達せず、自暴自棄になるほど追い込まれていた甲斐は、いつ「解散」のひとことを切り出そうか思い悩むことになる。それをもう一歩のところで踏みとどまったのは、バンドを含めスタッフにも家族がいること、それらのしがらみをすべて無責任に放り出してしまうことは、情に厚い九州男児である甲斐にはできなかった。
 そんなギリギリの精神状態の中で『Gold』は完成した。

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 「ニューヨーク3部作」と称されているこの時代の作品だけど、素材のトラック自体は日本でレコーディングされたものであり、セッション・ミュージシャンもほぼ日本人で構成されている。ニューヨークでの作業はあくまで最終調整、ミックス・ダウンやマスタリングのみなのだけど、この辺は案外サラッと流されがちである。
 旧譜のリマスターを行なう際、現在のスタジオワークの主流であるDAWでは当時のニュアンスが再現しきれず、いまだヴィンテージ機材が主流である海外でのマスタリングは珍しくなくなったけど、稀代のエンジニアBob Clearmountainのスキルのみを求めてニューヨークへ向かう、というのは、当時としてもレアケースだった。
 好景気と円高傾向の恩恵もあって、80年代はちょっと名前が売れれば、猫も杓子も海外レコーディングを行なっていた。所属事務所に財力があれば、案外そのハードルは低かった。デビュー前の少女隊が、一流のメンツをそろえてロスでレコーディングできちゃったくらいである。「海外発」という箔づけが有効な時代だったのだ。
 単純にスタジオ経費が抑えられるというメリットの他に、女性アイドルならレコーディングのついでにグラビア写真集やイメージ・ビデオの撮影までできてしまう。ていうか、こっちの方がメインだったのかな。ギリギリまで睡眠時間を削った過密スケジュールをこなしてきたアイドルにとっても、ちょっぴりビジネス/ほとんどバカンス気分でリフレッシュでき、事務所的にも適度なガス抜きと節税対策でコスパはいいし。
 なんだ、みんなが喜ぶことじゃん、これって。

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 で、甲斐バンド。当然のことながら彼らがマンハッタンでヌード・グラビアを撮影することはなく、純粋にスタジオ作業で渡米したのだけど、考えてみれば本格的な海外レコーディングを行わなかったというのは、ひとつの疑問である。
 初期メンだったベースの長岡が抜けてからの甲斐バンドは、その後は欠員補充することもなく、ギター大森・ドラム松藤との3名体制で運営していた。PoliceやJamなど、世界的にトリオ編成のバンドは珍しいものではなかったけれど、フォーク・ロック的な色彩が濃かった初期ならいざ知らず、ニューヨーク3部作期のサウンド・メイキングは、とても3人でまかなえるものではなくなっていた。
 シビアで繊細な音づくりを信条とするBobのスタジオ・ワークに耐えうるサウンドを作り出すには、どうしても他者の手助けが必要となる。甲斐の要求するクオリティはアルバムを追うごとに高くなり、相対的に大森・松藤の出番は少なくなる。代わって外部ミュージシャンの起用は多くなっていった。

 最盛期には年300本前後のライブをこなしていた彼らだったけど、ニューヨーク3部作に突入する頃は「創作活動に専念する」という理由で、ライブの本数を極力抑えていた。都有5号地(のちの都庁建設地)や両国国技館など、これまで音楽イベントに使用されていなかった会場を使って世間に大きなインパクトを与えたのもこの時期だけど、そんな理由で実質的な本数は激減している。
 そういった状況だったので、何かと雑音の多い国内にこだわらず、まとまった時間を取って当時のBobの所属スタジオPower Stationでのレコーディングも可能だったはず。まぁ世界中からオファーが集中していたスタジオなので、長期間スタジオをキープすることが、物理的にも予算的にも難しかったんじゃないかとは思う。
 もし長期のレコーディングが可能だったとしても、必然的に在米のミュージシャンを起用することになり、メンバーとのポテンシャルの差が大きすぎる。当時の甲斐のことだから、メンバーがプレイしたトラックを冷酷に差し替えまくることもあり得る話である。
 そこまで行っちゃうと単なる甲斐のソロ・アルバムになってしまい、バンドとは呼べなくなってしまう。

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 『Gold』リリース後に行なわれた大規模ライブ「Big Gig」を終え、彼らは暫しの沈黙期間に入る。その間、甲斐バンドはデビューから所属していた東芝EMIと契約終了、新興レーベル・ファンハウスに移籍する。
 EMI内で日本のロック/ポップス部門のリリースを担っていたエキスプレス・レーベルを母体として始まったファンハウス、初代社長として就任したのが、そのエキスプレスを管轄していた新田和長である。甲斐バンドの担当ディレクターでもあった新田が独立した流れで、彼らも半ば引きずられる形で移籍することになる。
 アーティストがレーベル移籍するというのはよほどのことで、大抵は契約が切られたか、または好条件を求めて、そのどちらかである。特にデビューから何かと世話になった会社から抜けるとなると、それなりの覚悟が必要になる。
 EMI自体に取り立てて不満のなかった甲斐だったが、会社:アーティストの関係を越えて恩義を感じていた新田への義理を果たすため、ファンハウス行きを決断する。あくまで信頼関係に基づいての成り行きであって、ビジネス上での合意とは微妙にニュアンスが違ってくる。

 初期ファンハウスのアーティスト・ラインナップは、オフコースとチューリップが中心だった。他で目につくのは、「あみん」を解散して間もなかった岡村孝子。レーベル・カラーとしては、旧EMIのニューミュージック勢が多くを占めている。
 そんな中に甲斐バンドも名を連ねているのだけれど、正直、このメンツでは明らかに浮いた存在である。「キャリア的に前者2組と肩を並べている」という理由だけでキャスティングされている印象が強い。
 ファンハウスのメインとして新田が位置付けていたのは、オフコースである。その後の彼のインタビューでの発言も、小田和正のエピソードこそ多いけれど、甲斐について語ることはほとんどない。ビジネスマンの視点から見て、今後の収益面の期待値が大きかったのが小田だったのだろう。まぁ当時のポジションから見てもそうなるわな。

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 取り敢えず新レーベル設立にあたって頭数をそろえるため、他のアーティストとカラーは違うけれど、ネームバリューのある甲斐バンドにも声をかけた、というのが真相だったんじゃないかと思われる。事実、『Love Minus Zero』リリース後、甲斐バンドは解散宣言と共にEMIに復帰、しかも甲斐よしひろのソロ契約というおまけまでついている。
 結果的にこの移籍劇は、ファンハウス立ち上げのための名義貸し、ワンショットの契約だったのだろう。甲斐サイドから見れば、何のメリットもない移籍だったし。

 そんなゴタゴタした経緯の中、断続的かつ長期間に渡ってレコーディングは進められた。この時点で解散に関するミーティングは続けられていたし、甲斐のソロ・プロジェクトも水面下で進行していた。
 正直、他メンバーのテンションはダダ滑りだったんじゃないかと思われる。何度プレイしてもリテイクの連続、レコーディングは空転状態である。クオリティを高めるため、メンバーがプレイしたテイクは破棄され、外部ミュージシャンのプレイに差し替えられる。それでまた不協和音が生じ、レコーディングはさらなる遅延のループとなる。テンションも下がるよな、こんなんじゃ。
 そんな悶々としたバンド内不和の緩衝役として、以前からサポートで参加していた田中一郎が正式加入するのだけど、中立的な立場である彼を持ってしても、積年に渡ってこじれた歪みを解消することはできなかった。
 やりづらかっただろうな、どちらにとっても。

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 で、できあがった音というのは最高傑作と呼ぶに値する、恐ろしく高いクオリティで統一されている。「甲斐バンド」というドメスティックな先入観を抜きにすれば、世界レベルで充分戦えるレベルにまで到達している。
 前述したように、おニャン子旋風が吹き荒れていた当時のオリコン・ヒットチャートとはリンクしていないサウンドなので、バカ売れしたアルバムではない。DX7にまみれた同時代の音楽と違って、時代の風化にも耐えうる音ではあるけれど、多くの人を惹きつける魅力には薄いのだ。キャッチーなメロディーという点においては、ひとつ前の『Gold』が頂点だったし。

 『Love Minus Zero』は日本のミュージック・シーンの文脈で語るより、むしろ末期のSteely Dan、『Aja』や『Gaucho』と並べて語る方がわかりやすい。Donald FagenもWalter Becker も甲斐同様、サウンドにこだわり過ぎるあまり、初期のバンド・スタイルを徐々に解体、オリメンである司令塔2人を残して、外部ミュージシャンの組み換えで傑作を産み落とした。
 特に最終作『Gaucho』では、司令塔2人(とプロデューサーGary Katz)が完璧なサウンドを追求するがあまり、セッション・ミュージシャンらに対し、冷酷無比に膨大なリテイクを要求する。妥協なきスタジオ・ワークは、後世にまで語り継がれる作品として昇華したけれど、長きに渡る編集作業は2人の精神をすり減らし、完成と共にSteely Danに終止符を打った。

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 Dan同様、甲斐バンドもまた、完パケと共に解散を決定、リリース後は終焉に向けて動き出すことになる。
 気の進まない移籍騒動やら、思うように捗らないレコーディングやらで、バンドを取り巻く環境は決して良いものではなかった。逆に言えば、人間関係がこじれればこじれるほど、各々自身の作業に集中せざるを得なくなり、音楽的には高いクオリティを持つアルバムに仕上がった。
 バンド内のピリピリした緊張感を象徴するかのように、どの音も念入りに研ぎ澄まされ、ひとつひとつの音の粒立ちは良い。曖昧な響きがことごとく排除されているのだ。
 必要な音を必要な分だけ。足しもせず、引きもしない。
 そんな音が、『Love Minus Zero』には収められている。


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1. 野獣
 1984年リリース、『Love Minus Zero』からは2枚目の先行シングル。前述したように、この時代になるとシングル・ヒットは眼中になかったため、オリコン最高53位という成績には何の関心もなかったと思われる。
 ボクシングを題材とした曲といえば、アリスの「チャンピオン」が真っ先に思い浮かぶけど、谷村新司が引退間近のロートル・ボクサーのペシミズムを主題にしていたのに比べ、ここでの甲斐は脂の乗った現役ボクサー、ギラついた渇望と暴力的な肉体性を取り上げている。
 70年代ブリティッシュ・ハード・ロック的なギター・リフを基調としたシングル・ヴァージョンでは、ライト・ユーザーへの配慮も窺える「ロック」な仕上がりだったけど、ほぼ同時にリリースされた12インチ・シングル並びにアルバム・ヴァージョンでは、歌詞世界とリンクした、バイオレンスな質感となっている。
 シングルでの各パートが横並び・等間隔に配置されているのに比べ、冒頭のスラップ・ベースやギター、そのどれもがコントラスト鮮やかな音像に仕上がっている。イントロだけ聴くと、まったく別の曲のようである。
 「ミックスダウンとは何ぞや?」という問いかけに対する模範解答とも言えるナンバー。



2. 冷血(コールド・ブラッド)
 『Love Minus Zero』発売1か月前にリリースされた、本来の意味合いに最も近い先行シングル。そんな何枚も出すモノじゃないよな、先行発売って。オリコン最高43位は1.よりちょっと上がってるけど、まぁこの結果にもさして関心はなかったと思われる。
 Truman Capoteの同名ノンフィクション・ノベルからインスパイアされたタイトルだけど、クライム・ノベル的な短編小説的世界観の意匠だけ使って、内容はまったく別モノ。Capoteは死刑囚への緻密な取材に基づく人格解剖だったしね。
 抑制されたドライなサウンドをバックに、甲斐のヴォーカルは少し引き気味にミックスされている。サウンドと言葉とが等価で配置され、凄惨な世界観はギリギリのところでポップの側に踏みとどまっている。これまで甲斐の書いた楽曲の中でも、ハードボイルド・テイストが最も高い曲。



3. フェアリー(完全犯罪)
 「Big Gig」終了間もなくリリースされた、『Love Minus Zero』プロジェクトの最初を飾る「先行シングル」。もう何枚目だよ。
 1.2.のハードボイルド・タッチから一転、シングル・チャート意識したポップ・ロック的なサウンドは、案外ファンの間でも人気が高い。この曲のみミックスを、Bobと同じパワーステーションのエンジニア、Neil Dorfsmanが手掛けている。多分、Bobのスケジュールが合わなかったため、代役として彼が指名されたのだろうけど、いやいや彼もなかなかの実績を持っている。Sting 『Nothing Like the Sun』、Dire Straits 『Brothers In Arms』、Paul McCartney 『Flowers In The Dirt』と、80年代の重要アルバムを数々手がけており、Bobと比肩するポテンシャルの持ち主である。
 「最初は遊びで付き合ってたつもりが、いつの間にかこっちが本気になってしまった挙句、捨てられて呆然としている」といったシチュエーションは、甲斐にしては珍しく受け身の設定。ハードボイルドを謳ったアルバムの中では異彩を放っているけど、サウンドのトーンはアルバム全体と調和しているので、違和感は感じられない。こうやって全体像を見据えた処理能力は、やはり世界のパワーステーション。



4. キラー・ストリート
 バンドっぽさを感じさせる、ファンキーなリズムのロック・チューン。レコードではA面ラスト、シングル・カットされた冒頭3曲のインパクトが強かったおかげで損なポジションだけど、年を経てから聴いてみて、最も甲斐バンドらしさが残っているのがこれ。「ハードボイルド」と銘打ってちょっとよそ行きっぽかった甲斐のヴォーカルも、ここでは変な気取りを捨ててきちんとロックしている。
 しかし、無国籍感ぱねぇな。リアル北斗の拳的な歌詞もそうだけど、この曲に限らず、サウンド自体も同時代のアーティストとのリンクがない。やっぱオンリーワンだったんだな。

5. ラヴ・マイナス・ゼロ
 もともとは甲斐がソロ用にストックしてあった曲をバンド・アレンジして制作されたミディアム・ナンバー。解散ライブを収録したアルバム『Party』ではラストに収録され、「君から 愛を取れば…」と歌い残してステージを去った。アルバム・リリースから半年経ってからシングル・カットされたため、オリコン最高88位と振るわなかったけど、ファンの間ではヒット曲よりもむしろこちらの方が人気が高い。歌詞・メロディ・アレンジとも、最も時代におもねることなく、風化せず生き残っている。
 4.同様、サウンドは無国籍感が支配する。俺がイメージするのは、なぜか東南アジアの喧騒に満ちた夜のマーケット。行ったこともないのに、想うのはいつもそこ。多分、聴く者それぞれの「Love Minus Zero」的世界観を想起させるのだろう。



6. デッド・ライン
 アメリカン・ハードロック的な大味のポップ・ロック。時折隠し味的に響くシモンズが時代を感じさせ、軽やかなサックスは心地よく響く。でも面白みにはちょっと欠ける。『Gold』のアウトテイク的な親しみやすさはあるけどね。

7. Try
 で、こちらはサウンド的にCarsを思わせるシンセ・ポップ。歌詞はステレオタイプのロックンロール。まぁこんなのもできちゃったんで的な、アルバム・コンセプトとはちょっとズレてる感がハンパない。要するに、ちゃんと聴いてなかったんだよね。改めて聴いてみても、歌詞がちょっと書割りっぽくて馴染めないな

8. 悪夢
 作曲:田中一郎、作詞甲斐による共作。ここでのヴォーカルは甲斐が取っているけど、シングルでは田中が歌っている。両方を聴き比べてみると、田中のヴォーカルはニュアンスの表現が甘く、やはり手練れの甲斐のヴァージョンに軍配が上がる。色艶が違うんだよな、表現力の差というか。
 初参加ということもあって、ここでの田中は実力をまだ十分に発揮しきれないでいるけれど、次作『Repeat & Fade』ではストレートなロックンロールだけに収まらないバイタリティが開花する。するのだけれど、そこでバンドは終止符を打っちゃったのが惜しい。

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9. 夜のスワニー
 このラスト曲と8.のみが、バンド全員でのセッションによって制作されている。他の楽曲はトラックごと個別にレコーディングされているのだけれど、寄りによってバンド・マジックが生まれづらそうなこの曲を選んでしまうところに、バンド内の軋轢を感じさせる。
 以前も書いたのだけど、アレンジがElvis Costello 「Inch by Inch」そのまんま。Costelloがリリースしたのが1984年なので、シンクロニシティだインスパイアだオマージュだとは恥ずかしくて言えないくらい、それほどそっくり。聴いた当時はカバーだと思っちゃったくらい。
 透徹としたアーバンな世界観が巧みに表現されているだけに、ちょっともったいない。



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「くっだらねぇ」のその先は。 - 米米クラブ 『Go Funk』

Folder 米米クラブというユニットは、実質フロントマンであるカールスモーキー石井のインパクトが強いせいもあって、一般的に彼のワンマン・バンドに見られがちである。実際のところ彼はリーダーではなく、単に表立っためんどくさい事柄を一手に引き受けているだけである。こいつなら、ちょっとおだててやれば汚れ仕事も引き受けてくれるだろう、といった体で。

 出自こそ今でいうパリピ=パーティ・バンド的なモノの発展形が米米結成のベースとなっているのだけど、ライブで頭角を現してきたこともあって演奏チームのスキルが高いことは、昔から語り継がれている。ディレクターやレコード会社からの介入や要請は多かったけれど、デビュー・アルバムはほぼ演奏差し替えもなく、それは解散するまで一貫して自分たちでサウンド・メイキングを行なっていた。ポッと出の新人で、しかも当時のソニーにおいてでは、なかなかなし得ないことである。
 もともと進駐軍相手のジャズ・バンドが母体だったクレイジー・キャッツからの例に漏れず、パロディやリズムネタをレパートリーとするコミック・バンドというスタイルは、もともとの音楽的素養がなければ成立しないものだ。有象無象と魑魅魍魎が織りなす80年代初頭の混迷したライブハウス・シーンという現場で培った、どんな有事でも動じない鉄壁のアンサンブルは、基盤のサウンドをしっかり構築し、おかげでヴォーカル陣を奔放に遊ばせることができる空間を提供した。
 あくまで「笑わせる」というスタンスであり、「笑われる」立場ではない。まともな演奏ができずに笑いを取るだけじゃ、客にボコボコにもされかねない時代だったのだ。

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 時は流れ、「じゃあ逆にぃ、演奏するフリだけやって、笑われるだけでもいいんじゃね?」というコペルニクス的発想の転換を実践したのが、金爆というバンドである。ある意味、彼らのコンセプトは潔い。でも、バンドなのかな?まぁ既存スタイルのアンチという見解だと、彼らの姿勢はパンクだな。

 職人気質的にグルーヴ感あふれるインスト・パートをベースに、伝統的なJBスタイルのステージングを披露するジェームス小野田と、典型的な昭和の二の線、バブルそのものといった軽薄ジゴロ的な狂言回しの石井、ステージに華を添えるどころか自ら幕間コントにも参加して積極的に前に出てゆくシュークリームシュの三つ巴が、ステージ上で展開されていた。文章で読んでも伝わってしまうくらい、異様な空間である。いや実際に見たらもっとエグいんだから。
 ドロドロのファンクとレトロ歌謡とムード・コーラスとニューロマ・ディスコが波状攻撃のようにステージを飲み込み、そんなグルーヴィーな空間を引き裂くかのように延々行なわれる「くっだたねぇ寸劇」との猛烈なギャップは、先物買いを求めて暗躍する各レコード会社ディレクターらの注目を集めた。
 アングラ・シーンでの流動的な活動を経てソニーと契約、特にヴォーカル・パートのキャラの強さはビジュアル的にも映え、それが当時のソニー戦略ともシンクロして大々的にプッシュされることになる。なるのだけれど。

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 解散前の米米は、初期の段階からライブとレコーディングとで、制作プロセスをきっちり分けていた。芸術肌の石井がパフォーマンス・アーティストとしての側面を見せていたのに倣って、ライブ活動に重点を置いていた。「ライブを演るために曲を作り、記録としてレコーディングする」というスタイルは、当時でも今でも日本ではあまり見当たらないスタイルである。強いて挙げれば「夜会」を続けている中島みゆきくらいか。
 ライブでは、舞台美術やコスチュームに潤沢な予算をかけ、同時代では抜きん出たエンタテインメント・ショウを構築した。対してレコードでは、ソニー戦略に則った「お行儀の良い」ライトなシティ・ポップを多めに収録する、というのが長らく彼らのダブル・スタンダードだった。初期のニューロマ・シティ・ポップ路線は耳触りも良くてラジオでもオンエアされやすく、実際、この時期の彼らを懐かしむファンも多い。

 本来なら、レコードでは最大公約数的にファン獲得率の多いポップ路線で収益を支え、その利潤をライブ制作に投資する、というのが理想のスタイルだったのだろうけど、そうはうまくいかないものである。
 石井と小野田のインパクトの強さによって、知名度こそ上がってはいたけれど、セールス的には大きなブレイクもなく、微妙な中堅どころに甘んずる期間が長かった。80年代ソニーの方針に則って、イヤイヤながらも売れ線スタイルに合わせているはずなのに、ファンのニーズはどうもそこにはなさそうである。
 ていうか、バンドとソニー双方のベクトルが合わず、それぞれあさっての方を向いていたことが、彼らの本格的なブレイクを遅らせた要因である。

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 1987年にシングル・リリースされた初期シティ・ポップ期の代表曲のひとつ「paradise」は、大ブレイク時にリリースされたリメイク・ベスト・アルバム『K2C』に収録された際、アレンジも歌詞も大幅に改変が加えられている。初回シングルでは、「元気で明るくてオシャレな」80年代ソニーのポリシーに則った、ライトなラブ・ソング的なシーン設定だったのが、『K2C』ヴァージョンでは、シャレオツ感こそグレードアップしているけど、石井演ずる主人公は女ったらしのジゴロ、世界を股にかけて縦横無尽に女のケツを追いかけ回す軽薄野郎に豹変している。
 シンセ中心に組み立てられた前者と比べ、ホーン・セクションを前面に出したバンド・アンサンブルはゴージャス化しており、口八丁手八丁の石井のチャラさが引き立っている。あ、これって地か。

 本来のコンセプトとして、爽やかでポップなメロディとライトなサウンドに乗せて、サウンドこそ既成のシティ・ポップだけど、そこにくっだらねぇ歌詞を乗せて自己陶酔しながら歌い上げる、というのが初期米米の真骨頂だった。ステージにおいて、そういったスタイルはほぼ一貫して変わらなかったのだけど、ディレクター側のジャッジによって、サウンドと調和した無難な歌詞に改変せざるを得なかった、というのが当時の彼らの置かれた状況である。で、できあがったのは、単なる無難なシティ・ポップ。これならオメガトライブと変わんないし。

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 セールス的にはまだ発展途上だった初期米米、ヒット・シングルを出すために、耳触りの良い万人向けのシティ・ポップ楽曲を優先的にフィーチャーしてゆくという戦略は、ある意味間違いではない。しかし、そういったライト路線というのは、あくまで彼らの様々な側面のほんの一部でしかなく、大勢を占めるのは盤石のバンド・アンサンブルに支えられたおバカな世界だ。
 軽めのニューロマ風味ポップやミディアム・バラードを絡めてこそ、ライブにおいても落差としてのおちゃらけナンバーも活きてくるし、セットリスト的にも構成のメリハリがつく。どっちかひとつには絞れないバンドなのだ。
 そのバランス均衡の配分、方向性の迷いこそが、彼らが長らく中途半端なメジャー、永遠の6番打者に甘んじていた要因でもある。

 「Paradise」「sûre danse」に代表されるメロディ・タイプの楽曲の対極として、「ホテルくちびる」や「東京 Bay Side Club」などのノベルティ・タイプ楽曲が位置するわけだけど、その後者タイプの曲のみを集めたアルバムも存在する。主にライブのみでプレイされていた楽曲を中心としてしており、コアなファンにとっては待望の音源化!!といったところなのだけど、まぁ正直、何度も聴き返すようなモノではない。
 本人たちも半ば冗談で、「君がいるだけで」がバカ売れしてしまったため、その勢いでリリースしたようなものであって、売る気なんてサラサラないのがミエミエだった。ライト・ユーザーにとっては拷問のようなアルバムである。内輪受けのジョークや音遊びがアルバム1枚延々と続くんだから。ただ、そんなコンセプトのアルバムを2枚(『米米CLUB』『SORRY MUSIC ENTERTAINMENT』)もリリースできてしまうのが、当時の彼らのセールスの勢いであり、またユニットとしてのレパートリーの広さでもある。

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 ほぼメロディ・タイプでまとめた小品集的な3枚目のアルバム『Komeguny』が中途半端なセールスで終わったため、米米クラブは大幅な路線変更を敢行する。
 ブレイクを見込んでソニー側の意向に沿って、ライトなシティ・ポップてんこ盛りで売れ線を目指したはずなのに、従来セールスと大して変わらなかったんだから、バンド側としては方向性が見えなくなってしまう。まぁ既定のソニー路線フォーマットには収まる器ではなかった、というところなのだけど。
 -もともとライブで地力をつけ、奇矯なパフォーマンスでネームバリューを上げてきたのだから、ライブの進行通り、テッペイちゃんばっかりフィーチャーするんじゃなくて、ジェームスやシュークリ-ムシュ、演奏陣にも大きくスポットを当てた方がいいんじゃね?
 「石井+バンド」じゃなくって、全部飲み込んでこその「米米クラブ」なんだし。

 そんなライブの方法論をそのまんまレコーディングにスライドして、さらにコラージュしてヴァージョン・アップしてできあがったのが、「KOME KOME WAR」である。どうでもいい単語の羅列で構成された歌詞は、ほんと適当。でも、そんな言葉がチャラさ全開のテッペイちゃんから発せられると、スケコマシの戯言的な説得力を生む。
 バブルの象徴とも称されるダボダボなソフトスーツでキメ、汗だくになりながらスタイリッシュを演じるテッペイちゃん。P-Funkの亜流後継者として、奇矯なメイクとコスチュームで狂言回し的に、でもここぞという時には、ファンク・マナーに則ったグルーヴィーなヴォーカルを披露するジェームス。単なるステージの華に収まらず、積極的にコントに寸劇に、ついでにコーラスも聴かせるシュークリームシュ。そして、そんなバラバラのベクトルを持つ三者三様をひとつにまとめてしまう、リーダー兼バンマスBonによって支えられた、多ジャンルから寄り集まったバンド・アンサンブル。

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 これはライブ、これはレコーディングとキッチリ分けるのではなく、ライブのセットリストを想定して、それぞれのキャラを引き立てた曲を書き、ステージの流れ的に並べてみたらアラ不思議、これまでにないくらい生き生きした「米米クラブ」というオリジナリティが確立されちゃった、という次第。
 最初から、答えは彼らの手のうちにあった。でも、それを具現化できるほどのスキルが足りなかったこと、ソニー主導の方針を覆すほどの根拠を説明しきれなかったことが、彼らのブレイクを遅らせた要因である。


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米米CLUB
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1. Introduction
 
2. 美熱少年
 JBのソウル・レビューのようなオープニング。ライブ演出と同じく、石井によるMCのあとに登場するのは、もちろんGrand Funk Master ジェームス小野田。ここでの主役は、小野田とホーン・セクションのビッグ・ホーンズ・ビー。スカパラが登場するまでは、日本のポップ・シーンにおけるホーン・セクションの代表は彼が担っていた。
 この頃はほぼ日本では紹介されてなかったけど、この猥雑さ・ゴチャマゼ感はまさしくParliament/Funkadelic。
 ちなみにタイトルは、アルバム・リリースの少し前に発刊された、作詞家松本隆の半自叙伝小説『微熱少年』からインスパイアされたもの。でも、松本の歌詞世界に漂う儚さとか繊細さは微塵もなく、単にゴロが良いから採用したようなもの。松本ファンが勘違いしてこれを聴くと、かなり失望すると思われる。

3. KOME KOME WAR
 アルバムより先行リリースされた、彼らにとって7枚目のシングルであり、オリコン最高5位にチャートイン、この時点では過去最高の売り上げと共に爆発的な知名度を広げるきっかけとなった、彼らにとってのターニング・ポイント。
 隠れ名曲として「浪漫飛行」が一部で取り上げられたり、ディスコで「Shake Hip!」がヘビロテされたりなど、10~20代への認知はすでに広まっていた彼らだったけど、お茶の間レベルにまで顔が知られるようになったのは、やはりあのインパクトの強いPVがきっかけである。恐ろしく細切れのカットアップはサウンドとシンクロするよう、緻密に計算されており、思いっきり手間ヒマかけて一生懸命、くっだらねぇことをやっている。

 オー グーテンダーク アトランダムショー
 ロック インデリジェンス アメーバ
 War ビューティフォー

 …ダメだ、あんまりにくだらな過ぎて、書き起こす気にもなれん。しかし、このくだらなさがPVとセットでうまくマッチングして、サブリミナル的な中毒性を引き起こす。ある意味、80年代ソニーの生ぬるい空気を粉砕するほどの破壊力を持つ楽曲でもある。



4. SEXY POWER
 一転して、初期シティポップ路線の楽曲なのだけど、これまでよりサビメロが引き立っているのはリズム面の強化から来るもの。シーケンスに丸投げしない手作りバンド・サウンドは、チャラさ全開で腰の定まらないテッペイちゃんをしっかり繋ぎとめ、ボトムの効いたナンバーに仕上げている。

5. BEE BE BEAT
 ここでのリードはバンド主導で、ヴォーカルはほとんど添え物。スカをベースにちょっぴりテンポの速いカリプソ、一瞬ヨーデルも飛び出したりなど、ライブ仕様の楽曲。これまでならこういったタイプは真っ先にオミットされていたのだけど、変にスタジオ・ヴァージョンにはせず、ほぼライブ・アレンジそのまんまでやり切っちゃうのは、バンドとしての自信だろう。

6. あ! あぶない!
 ギター・カッティングとホーン・セクションがメインのため、純正ファンクと思われがちだけど、ドラムは案外8ビートをもとに叩いており、その辺のフェイク加減こそが、米米が唯一無二のおちゃらけファンク・バンドとして君臨する所以だろう。まんまJBフォロワーの小野田のヴォーカル、太鼓持ちの如くカウンターをぶち込んでくるテッペイちゃんとの掛け合いは、笑いを超えた真剣勝負である。

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7. OH! 米 GOD!
 引き続き、ほぼ笑いもフェイクもない、純正凝縮インスト・ファンク。あまりにも濃縮されすぎてしまったため、ほんのわずか30秒程度の間にエッセンスが凝縮されている。

8. TIME STOP
 『Go Funk』リリース後、わずかひと月でシングル・カットされた、彼らのバラードの中でも確実にベスト3にはランクインするキラー・チューン。3.がリリースされたのがこの2か月前なので、よほどこの曲が突然変異的に強く受け入れられたことがわかる。
 メロディ・タイプの中でも、ここまでスタンダード・ナンバー的にベッタベタな楽曲はなかったため、長らくライブでも重要な位置を占めるに至った。ドロドロ・ファンクをベースとしながら、こういったウェットなメロディも料理してしまうバンド・メンバーも脂が乗り切っている。
 冒頭のBon(b)のグリッサンドから心を持ってかれ、ムード歌謡の如く切ない響きのビッグ・ホーンズ・ビー、幅広い素養を持つジョプリン得能(g)によるジャジーなソロ。メンバーの英知を結集して、ある意味スタンダードのパロディ的なモノを狙ったところ、案外出来が良くなりそうだったので、ついついみんなあらゆる引き出しを開けちゃった、といった仕上がり。まぁ結果オーライといったところで。



9. なんですか これは
 ニューウェイブ・テイストがかなり濃い、ミニマルなビートに社会風刺がちょっぴり。ライブで見るとハマりそうなノリの良さは後半ブリッジで急激にアフロが入り、再びスカ。リズムだけで出来上がったような曲なので、深く考えることはなし。踊れや踊れ。

10. FLANKIE, GET AWAY!
 彼らにしては珍しい、まっとうなロック・タイプの楽曲。「Honky Tonk Woman」をニューウェイヴ風にカバーしようと試行錯誤してたら、いつの間にかこんな風になってしまった、といった感じの仕上がり。シュークのコーラスがカワイイ。それが一番印象に残る。一生懸命ダルな感じを出してるけど、やっぱテッペイちゃんにロックは似合わない。もっとインチキな、ロック「っぽい」方が彼には合ってる。

11. 僕らのスーパーヒーロー
 なので、同じロック・ナンバーでも、ワイルドさを薄めたポップ・ロックの方が彼には合ってる。ドラムの音は完全にロックなので、逆にシンセの割合を増やした方が曲調には合っていそうなものだけど。

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12. いつのまにか
 で、どれだけおちゃらけようとロマンチストであるのがテッペイちゃんの本質であり、それはメンバー全員に共通することである。ていうか80年代を通過してきたアーティストというのは、ほぼ全員メロウな感性を持っているものである。歌謡曲で培ったドメスティックなウェット感は消せないのだ。
 メロディ・タイプの楽曲としては、キャリアの中でも1,2を争うクオリティを有している。このギャップの大きさこそが米米最大の魅力であり、それを最も素直に二面性を演出できていたのが、この時期である。

 あの日見ていた夢は 今もこの胸にあるけれど
 大人たちが言う 「見せちゃいけない」と

 時々、こういったフレーズをサラッと書けてしまうから、俺はテッペイちゃんを信じてしまうのだ。

13. 宴(MOONLIGHT MARCH)
 で、シリアスに振れ過ぎてしまったところでバランスを取るため、こういったふざけたブリッジを入れてしまうのも、彼らの美意識のあらわれ。後にアルバム全編、二の線で通してしまうようになってしまうけれど、それは大人の事情やらテッペイちゃんの勘違いやらによって脱線してしまっただけで、基本、バンドマンはナイーブな人が多い。
 スカしたポーズばっかりじゃ、それはそれでカッコ悪いじゃん。そんなのはたまに見せるだけでいいんだよ。
 それが大人の態度だよ。


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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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