好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

80年代ソニー・アーティスト列伝 その7 - 松田聖子 『Candy』

folder 以前、「ソニーというレーベル・カラーを最も象徴しているのが米米クラブだ」と書いたのだけど、あくまで一面を担うものであって、レーベル総体を代表したものかと言えば、「それもちょっとどうか」と自分でも思う。セールスやキャリアの面だけで見ると堂々とした実績ではあるのだけれど、多分そんなポジションとは最も遠いキャラだし、第一米米自身も「イヤイヤそんな大役を仰せつかるなんて恐縮っすよ」と尻込みしてしまうことだろう。立ち位置的にはプロのひな壇芸人であって、メインMCを張る柄ではないのだ。
 そうなると、80年代ソニーの持てるポテンシャルをすべて結集し、しかもそれがきちんと結果として表れ、誰もが「あぁそう考えるとそうかもしれないね」と納得してしまうアーティストとなると、松田聖子という結果に落ち着く。もちろん聖子という類いまれなる素材があってこそだけど、初期ブレーンとしてトータル・プロデュースの任にあった松本隆の存在は欠かせない。この2人の奇跡的な出会いによって、80年代のソニーは大きく躍進したと言ってもよい。

 このアルバムがリリースされたのは1982年、80年デビューなのに、すでにもうオリジナル・アルバムとしては6枚目である。もちろんオリコン1位を獲得、翌年の年間チャートでも堂々12位、40万枚オーバーという記録を残している。この時期の女性アイドルは聖子と中森明菜の2トップ時代にあたり、トップ20に2人で2枚ずつチャートに送り込んでいる。
 ちなみに聖子のアルバムとして代表的なのは、大滝詠一がプロデューサーとして一枚噛んでいる名作『風立ちぬ』であり、一般的にはそちらの方の評価が高い。俺的にも大滝詠一はこのブログでも何度か取り上げているくらいだから、流れで行けばそっちを取り上げるところなのだけど、なぜこのアルバムを取り上げたのかといえば、俺が最初に買った聖子のアルバムだから、という単純な理由による。だって俺、『風立ちぬ』ってちゃんと聴いたことないんだもん。

 80年代アイドルのリリース・スケジュールとして、3ヶ月ごとのシングル、半年ごとのアルバム・リリースは定番の流れだった。それに加えて、コンサートだテレビ出演だ取材だ写真集だ映画撮影だサイン会だエッセイ集だと、とにかくてんこ盛りのスケジュールが組まれるので、ほんと寝る暇もないくらい、レコーディングだってスタジオに入ってすぐ歌わされてワン・テイクかツー・テイクでオッケーというのが日常茶飯事だった。
 アイドルに限らず歌謡界全般において、当時のアルバムというのはベスト盤的な意味合いが強く、ある程度シングルが集まったら、そこにカバー曲やシングル候補のボツ曲を足し、カサ増ししてリリースするというのが一般的だった。何しろハード・スケジュールだったため、レコーディングにそんなに時間をかけるわけにもいかない。曲をひとつレコーディングするくらいなら、その時間で地方営業に行った方が利益も上がるし知名度も上がる、という考え方である。
 そう考えるとこれって、今のJポップ事情と何ら変わらない状況でもある。わざわざアルバム1枚丸ごと聴くという行為が廃れてしまって、市場自体が尻つぼみになってしまうようになるとは、誰も思いもしなかったけど。

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 聖子よりひとつ前の世代、ピンク・レディーや榊原郁恵、石野真子あたりはシングル中心の営業戦略で展開されていたので、これといった代表的アルバムがない。ごくまれに、吉田拓郎が石野真子やキャンディーズに楽曲提供したりなどのアクションはあったものの、そのほとんどはシングルのみ、話題性を集めることが難しいアルバムへの提供はほとんどなかった。社員ディレクターがルーティンでこなす流れ作業的な仕上がりは、お世辞にも凝った作りではなく、ていうか出来不出来を問うレベルの商品ではなかった。大判のブロマイドにおまけでビニール盤が付いてきたようなものである。なんだ、それこそ今と変わんないじゃん。
 その風向きが変わったのが聖子から、と言いたかったのだけど、もうちょっと前に遡る。

 それまではコンセプトもへったくれもない、寄せ集め的な作りだったアイドルのアルバムに変化をもたらしたのが、聖子と同じCBSソニーの先輩にあたる山口百恵である。彼女もアイドル中のアイドル、王道をひた走っていた人だったけど、70年代末辺りから文化人界隈で「山口百恵は菩薩である」という斜め上の風潮が持ち上がってからは、アーティスティックな側面を見せるようになる。
 自らライターとして指名した宇崎竜童・阿木燿子のゴールデン・コンビによる一連のシングル・ヒットを軸として、さだまさしや谷村新司など、主にフォーク系のシンガー・ソングライターを積極的に起用していった。いわゆる職業作曲家によるお仕着せのアイドル・ソングに満足せず、まだ十代ながら「こういった歌を歌いたい」というはっきりしたビジョンを持っていたこと、そしてまた指名を受けた作家陣も、自演曲にも劣らぬクオリティの作品を惜しみなく提供していったことが、百恵の神格化をさらに裏付けしていった。

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 で、もうひとつの方向性、「アーティスティックなアイドル」として展開していたのが百恵だけど、そこから発想の転換、「アイドル性を持ったアーティスト」を志向していたのが、同じくCBSソニー所属の太田裕美である。
 スクールメイツというキャリアのスタート、同期にキャンディーズのメンバーがいたことから、そのまま行けばど真ん中のアイドル路線を歩むはずだったのが、シンガー・ソングライターとしての適性と「ザ・芸能界」ナベプロの方針によって、ニューミュージックと歌謡曲とのボーダー・ラインで活動するようになる。
 当初はフォーク調のサウンドがメインだったのが、松本隆稀代の傑作”木綿のハンカチーフ”の大ヒットによってお茶の間での知名度が高まり、次第にアイドル的活動の方がメインになってゆく。本人的には自作自演アーティストとしてのアイデンティティを重視したかったのだけど、自作曲が採用される機会も少なく、現役当時はそれがストレスになっていたようである。
 80年代に入る頃からアイドル活動をセーブして、次第にアーティスト活動をメインにシフトさせてゆくのだけど、当時はまだソニーにも彼女のようなタイプのアーティストを育ててゆくノウハウがなく、一貫した方針を立てられなかったことは不幸でもある。
 この年代で同傾向のアーティストとして、代表的なのが竹内まりやと杏里が挙げられる。この2人も太田同様、当初はアイドル的活動が中心だったのだけど、うまくアーティスティックな方向性へシフトできたのは、長期的ビジョンを持ったブレーン・スタッフの存在に尽きる。消費期限の短いアイドルより、マイペースで息の長い活動ができるアーティスト路線を選択できたことが、彼女らの命運を分けた。てことは、悪いのはナベプロか、やっぱ。

 で、聖子の場合だけど、今でこそ彼女も作詞・作曲・プロデュースもこなすようになっているけど、当時は類型的なアイドルのひとりでしかなく、自作といえば簡単なポエムくらい(とは言ってもそれすら怪しいのだけど)、太田のようにピアノで弾き語りするスタイルでもなく、またそういった需要もなかった。なので、方向性としては百恵にかなり近い。
 百恵と聖子に共通するのは、「まだ何物でもないひとりの少女が、たゆまない努力と修練を経ることによって、ひとりの女性として磨きをかけ、そしてひとりの人格として成長してゆく過程」をドラマティックな演出のもと、リアルなドキュメントとして見せていったことである。デビューして間もない垢抜けない少女が、スポットライトと観衆の洗礼を受けてスターとしての人格を形成し、そして次第にに洗練されてゆく様を、悲喜劇を交えたサクセス・ストーリーとして成立させた。明快な起承転結を思わせるそのストーリーは、第三者の感情移入を容易にさせる。刻一刻と変化するアイドル=女性の成長ストーリーは、一度ハマると第三者的な視点では見れなくなり、時にそれは家族よりも、恋人よりも近しい存在になりうる。
 この頃はまだマーケティング理論もおそまつなものだったので、現代の視点からするとそのストーリー展開にもツメの甘い部分が見受けられるのだけど、そのハンドメイド感、手探りでの演出は親近感をより密にさせる。今どきのあざとい感じが少ないのだ。

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 とはいえ百恵の時代はまだ歌謡曲的なテーゼが強く支配しており、結局のところはヒット・チャート至上主義、シングルを軸にしたコンセプトで進行していたため、アルバムまで徹底していたかといえば、ちょっと微妙になってくる。いま振り返ってみると、個々の楽曲のクオリティは高いのだけど、アルバムに即したプロモーションが行なわれることはなかったため、本格的な再評価はいまだ行なわれていない。
 で、その辺の反省から転じてビジネス・チャンスを見いだしたのか、高いクオリティの楽曲をシングルだけじゃなく、アルバムにおいても等価値で練り上げてゆき、既存のアイドルとはひと味違ったイメージ戦略で演出されていたのが松田聖子であり、その総監督的ポジションについたのが松本隆だった、という構図。

 この松本主導による「聖子プロジェクト」概要については、松本本人以外でもさんざん語られているので、ここではサラッと流しておく。単なる一作家に収まらず、前述した大人への成長ストーリーをディテールまできっちり描いた上、スタッフの思惑以上に伸びしろのあった聖子の急成長に伴って、随時コンセプトをブラッシュ・アップさせていたことは特筆に値する。
 このアルバムでは、その松本とのコラボレーションも順調に進行していたこともあって、これまでとは少し方向性を変えて、収録シングル曲は”野ばらのエチュード”のみという地味な構成になっている。数多のアイドルのアルバムとは一世を画し、キャッチーな曲の寄せ集めではなく、20歳を迎えつつある女性の虚ろな心境をうまくパッケージングした、シックな味わいで統一されている。
 この後ももう少し「聖子プロジェクト」は遂行されてゆくのだけど、彼女の結婚が報じられると共に、それは突然の終焉となる。松本にとって聖子とは、白いキャンバスのごとく無色無地の素材であり、自身の思い描く「普通の少女の成長ストーリー」を投影してゆくには格好の対象だった。ただ、成長とは自我の形成であり、自意識は日増しに強くなってゆく。松本のビジョンと聖子のそれとでは次第にズレが生じるようになり、それは少女時代の終わり、一方的な恋から相互的な恋愛を知ることによって、切実さは失われてしまう。
 蜜月は終わってしまったのだ。


Candy
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松田聖子
ソニー・ミュージックダイレクト (2013-07-24)
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1. 星空のドライブ
 タイトルから想起させるスペイシーなエフェクトからスタートする財津和夫作品。シングル曲8.もそうだけど、この頃は財津メロディとの相性が良く、”白いパラソル”などシングルの採用率も高い。母体のチューリップも1000回記念ライブを行なったりなど、キャリア的にも脂の乗っていた時代でもある。
 いま聴いてみると、思ってたよりヴォーカルのハスキー感が強調されている。この少し前に喉を痛めたせいもあって、デビュー当時と比べると声質が微妙に変わっている。アイドル然とした初期のファニー・ヴォイスが一般的な印象だけど、ややかすれ気味に変化することによって細やかな「憂い」を表現することも可能になった。それを受けた松本の歌詞も、以前より年齢設定を上げることによって、「少女」目線の世界観が少し広がっている。
 ここでの聖子は、彼氏に対して少し上から目線。異性が単なる憧れの対象ではなく、対等に近い立場からの視点で描かれている。

2. 四月のラブレター
 いま聴いてみると、"恋のナックルボール”をそのまんまマイナー展開した、大滝詠一作オールディーズ・タッチのスロー・ナンバー。この時期はまだ『Each Time』のレコーディング前だけど、すでにある程度の構想が固まっていたことが窺えるナンバー。
 しっかし歌いこなすのが難しいサビだなこりゃ。これをきちんと解釈して歌いこなす聖子もそうだけど、まるっきり自分のキーで作った大滝も大瀧で。

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3. 未来の花嫁
 当時隆盛だったテクノポップ歌謡的なイントロで始まる、ノリの良いポップ・チューン。財津和夫が書いた聖子ナンバーの中では1、2を争うクオリティのメロディで、調べてみると実際今でも人気の高いナンバー。そう、初期聖子はシングルB面やアルバム収録曲にも名曲が山ほどある。”制服”だって”Sweet Memories”だって、最初はB面扱いだったし。
 友達の結婚式にカップルで出席するというシチュエーションから、実年齢よりもう少し上の設定になっている。

 あなたはネクタイを ゆるめながら
 退屈な顔
 私たちの場合 ゴールは通そうね

 プロポーズはまだなの
 ねぇ その気はあるの
 瞳で私 聞いてるのよ

 強くたくましくなった女性のように見えるけど、すべては心の中の声であって、彼に対してはっきり言葉にしてるわけではない。
 まだそこまで強くなってはいないことを暗示させる、松本隆ならではの陰陽の世界。



4. モッキンバード
 聖子プロジェクトでは初登場の南佳孝によるミディアム・ポップ・ナンバー。思えばデビュー作プロデュース以来、松本とは旧知の仲なので、遅まきながらの登場といった感じ。冒頭いきなりアカペラのサビメロが、いかにも南といったメロディ・ライン。この頃の南はシティ・ポップの先陣を切った活躍ぶりで、自身のアルバムでも名曲を連発していた。
 ちなみにモッキンバード、俺が知ってたのはギターのブランドだけど、歌詞の内容からして、それとは関係ないよなぁと思って調べてみると、マネシツグミというスズメに似た鳥のことだった。多分、語感で選んだとものと思われる。だって、何の変哲もない普通の鳥だもん。

5. ブルージュの鐘
 後に傑作”ガラスの林檎”を生み出すことになるmはっぴいえんど時代からの盟友、細野晴臣が初登場。ここでは大滝詠一に対抗したのか、壮大なスケールを持つスペクター・サウンドを披露。
 ちなみにブルージュとは、運河が張り巡らされたベルギーの古都。古い石造りの建物がロマンティックな郷愁を誘う、ってなんか観光ガイドみたいだな。

6. Rock`n`roll Good-bye
 再び大滝詠一作による、タイトル通りのロックンロール・ナンバー。もともとはElvisをルーツとした人なので、こういったサウンドならいくらでも作れちゃうんだろうな、きっと。でも自身のジャッジが厳しすぎて、なかなかOKテイクを出せないのも、この人ならでは。
 後の"魔法の瞳”を思わせるエフェクト、テープ逆回転など、いろいろスタジオで遊んでいるのだけど、これが『Each Time』へとつながる実験として考えると、なかなか興味深い。



7. 電話でデート
 再び南によるしっとりしたミディアム・ナンバー。4.では少し聖子サイドに気遣いすぎた感もあったけど、この曲の方が聖子との相性が良い。地味だけどね。うっすらとバックで鳴るレゲエ・ビートとライトなブルース・ギターとのマッチングが絶妙。大村雅朗の神アレンジである。
 やや年齢が後退して、ちょっとしたケンカ中の高校生の電話中というシチュエーション。ママが心配してるというくだりなど、今では成立しない歌詞の世界は同世代の共感を誘う。そうなんだよ、長電話するとプレッシャーがすごいんだよ。しかもうち、電話は茶の間だったんで、コードを長く引っ張って自分の部屋で喋ってたもの。

8. 野ばらのエチュード
 財津3曲目。11枚目のシングルで、オリコン1位。やはりシングル向けということで、Aメロ→Bメロ→サビというパターンを踏襲しており、アルバムの中に入ると少し地味な印象になってしまう。ヒット・シングルをこんな地味なポジションに配置してしまうことは普通ありえないのだけど、アルバムとしてのコンセプトをきっちり固めていたことによって、ここに入れるしかなかったのだろう。
 聖子の名前が入れば何でも売れた時代だし、それなりにクオリティは高いのだけど、同年にリリースされた"赤いスイートピー”のインパクトが強すぎて、シングルとしても地味な印象。そろそろ財津との蜜月も終わりに近づいていたのだ。

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9. 黄色いカーディガン
 再び細野。久しぶりに聴いてみると、なかなかソリッドなテクノポップ歌謡だったのでビックリ。いいじゃん、これ。
 再び大滝詠一にとどめを刺そうとしたのか気まぐれなのか、モダン・テイストのスペクター・サウンドに仕上がっている。これもなかなか難しいヴォーカライズだけど、よく歌えたよなこんなの。細野の仮歌って、音域狭そうで参考にならなさそうだし。

10. 真冬の恋人たち
 ほぼ全編でアレンジを務めている大村雅朗作曲による、ラストを飾るに相応しいバラード・ナンバー。実はコーラスに杉真理が参加しているので、てっきり杉作曲だと思っていた。メロディなんてビートルズ・オマージュに満ちあふれたポップ・チューンだし。
 あまり仰々しくならないところが、この曲の魅力だと思う。初期聖子のバラードとして有名なのが”Only My Loveで、確かにあれはあれでメルクマール的な名曲なのだけど、あまりに名曲然とし過ぎて時にクドイ感じになってしまうのも事実。このくらい肩の力が抜けた小品の方が、この時期の聖子には合っている。






 松田聖子=松本隆がアイドルの新たな方向性を切り開いたことによって、「アーティスティックな方向性のアイドル」が存在することも可能になり、それはのちに森高に引き継がれ、現代のももクロまで続くことになる。
 それまで一元的だったアイドルという存在が多様化し、様々な解釈が可能になったことは、ソニーの功績大である。
 ただ、しかし。ソニーとしては、まだ未解決の問題が残っていた。
 発想の転換である「アイドルっぽいアーティスト」の路線について、ソニーはまだ諦めていなかった。前述のまりやや杏里が好評を記したように、その路線にニーズがあることは間違いがなかった。
 太田裕美の成長戦略が消化不良だった反省を踏まえ、今度はもっとコンパクトに、小さなバジェットから始めることにした。松本のコネクションを活用した既存のシンガー・ソングライターではなく、自前のソニー所属若手アーティストを積極的に登用することによって、予算の抑制と共に新世代の育成も兼ねる方針を取った。前例に捉われない自由な感性のもと、彼らの実験的なサウンドは先入観の薄いティーンエイジャーらの心をつかむようになる。
 その研究成果の実践として世に出たのが渡辺美里である。
 長くなり過ぎたので、次回に続く。



「帰って来てくれるだけでうれしい」って、こういうことなんだ - 岡村靖幸 『幸福』

folder 岡村ちゃん11年ぶりのニュー・アルバム。近年は結構短いペースでシングルだDVDだエッセイだと、何かとニュー・アイテムのリリースが多かったし、短期ではあるけど年に1、2度コンスタントにツアーも行なっていたので、正直お久し振り感は薄いのが印象。まぁ音信が途絶えることもなかったので、マイペースでやってんだな、と安心していたのは俺だけではないはず。
 それでも、このペースの活動がしばらく続くのかなぁと思ってた矢先、年の瀬の一面広告に全国の岡村ちゃんファンはびっくりした。
 え、ほんとに出すの?

 信頼できるメディアを中心にした露出や、若手アーティストからのリスペクトに応えたコラボなどによって、ファン層は大きく広がっている。もちろん俺のように、もう四半世紀に長きに渡って追い続けているファンもまた健在である。
 不思議なことに、岡村ちゃんのファンというのは一途な人が多い。昔は好きだったけど今はキライという人はあまりいない。そりゃ人間だから、他のジャンルに興味が行く場合もあるけど、岡村ちゃんだけはずっと聴き続けているという人は、思いのほか多い。一度虜になると離れられないオーラがあるのだろう。
 なので岡村ちゃんのCD、ブックオフではほとんど見かけない。

 ファン同様、岡村ちゃんもなんやかや紆余曲折やら変遷やらがあって、卓球と組んでテクノに走ってしまった頃はこれじゃない感が強く、一応音楽に対して真面目に取り組んでる姿勢はわかるけど、微妙な心持ちでいたファンも多かったんじゃないかと思う。
 やたらとダンス・ビートを強調して、ヴォーカルもバック・トラックと同じレベルにセッティング、そんな2つをひとつのトラックに無理やり押し込めているので、全体のサウンドにコンプがかかって潰れてしまい、窮屈で聴きづらい音像になっている。
 当時はこれが良かれと思ってリリースしたのだろうけど、どこか無理が生じてこじれちゃってたのがこの時代。そのかなりレイヴ寄りのサウンドに新たな可能性を見いだしていたのだろうけど、あいにく岡村ちゃんにそういった方向性を求めてる人は少なかった。
 アーティストが自らの信念で鳴らしている音なのだから、ファンとしては行く末を見守るしかなかった。まぁ手放しで絶賛する気にはなれなかったけど。

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 そんな時期にリリースされたのが、前回のオリジナル・アルバム『me-imi』だけど、正直2、3回くらいしか聴いてない。それまでの持ち味のひとつだったファンクの部分を大きくクローズ・アップしたサウンドが、そこでは暴力的に展開されていた。グルーヴ感の少ない無機的なビートの中で、喘ぐようにシャウトしまくる岡村ちゃん。意図的なミックスなのか、そこでは岡村ちゃんの声もサウンドの中に埋没しており、変にいびつでアンバランスな音の濁流が蠢いていた。そのアルバムでは、岡村ちゃんのもうひとつの持ち味である口ずさみやすいメロディは軽視されていた。歌詞も荒んで斜め上ぽかった上に、歪んだヴォーカルでは何を言ってるのかもわからなかった。

 いろいろ紆余曲折もあって、久し振りに現場復帰した岡村ちゃん。スタッフの中には、早々と見切りをつけて離れていった者も少なくなかった。それは誰も止められないことだ。彼らにだって生活がある。それでも、そんな岡村ちゃんに惚れ込んでいたスタッフ、それにファン達はじっと待っていた。
 誰も岡村ちゃんを急かそうとはしなかった。ちょっとずつでいいから、まずは自分のペース、自分の言葉をしっかり掴むことが先なことはわかっていたから。じゃないと、また同じ過ちを繰り返してしまう。
 次のステップへ進むために、ひたすら前を見ることは重要だけど、自分の足元をきちんと見直すことも必要だ。もう同じ失敗を繰り返すことはできない。じゃないと、信じて着いてきてくれた人たちをまた悲しませてしまう。
 結局のところ、最期は自分でなんとかするしかない。ファンだろうが支援者だろうが、結局は見守ることしかできない。

 そんな岡村ちゃんが最初に始めたのは、もう一度ファンの前に姿を現わし、いまの自分を見てもらうこと。まずはライブからだった。
 これだけみんなを裏切り続けてきたけど、いまの自分を普通に受け入れてくれるのか―。
 最初はすごく勇気がいったと思う。ヤジや罵声が飛び交っても何も言えやしない。
 ―でも、やらなくちゃ。
 どれだけ無様であろうとも、前に足を出さない限り、はじめの一歩は踏み出せないのだ。
 思いのほか、みんな快く受け入れてくれた。
 お詫びや謝罪ではない。
 いま自分はこうやって生きている。それをありのまま見せることが、いまの自分の義務なのだ。
 謝る必要なんてない。それはただの「言葉」でしかないのだから。それよりは、思い立ったらすぐ行動だ。

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 でも、「前のめりな自分」を見せることはできたけど、「新しい自分」を形として出すのはまだ難しかった。
 「これまでの自分」と「これからの自分」。
 どう表現していいのかわからなかったのだ。

 これまでの岡村ちゃんは、音楽に対して真摯に向き合いすぎたあまり、ネガティヴな自分との折り合いが付かなくなっていた。
 煮詰まる創作作業と、終わりの見えないレコーディング。その作業は孤独の極みだ。
 毎日スタジオに通い、終日エンジニアとの共同作業だった昔とは違い、今はDTMが劇的に進化しているおかげもあって、極端な話、外へ一歩も出ず誰とも会わなくても、それなりの作品が出来てしまう。むしろ技術スキルが上がれば上がるほど、他者の介在を拒むようになる。やろうと思えばすべて独りでできちゃうし。
 ただし、スキルが上がるということは、自ずとジャッジメント、自分の要求水準も確実に上がっていくということ。作り込めば作り込むほど、以前のレベルでは満足できなくなる。なので、細かなディテールに手を入れる。そうなるとトータル・バランスが崩れて一旦組み直しになる。そして、その繰り返し。
 遅々として進まないスケジュール、そして差し迫る締め切り。
 そんな生活は確実に人を蝕んでゆく。

 そういった轍を踏まぬようにしたのか、近年の岡村ちゃんの行動範囲はかなり広くなった。とは言っても、そのほとんどはスペシャ界隈かブロス関連、いずれも長い信頼関係に基づくメディアに限定されているのだけれど。
 これまでとは異ジャンルの人たちとも積極的に交流することによって、そのおかげなのか、人間としての幅も広く深くなった。表情から卑屈なねじれは消え、満面の笑顔とまでは行かないけど、少なくとも攻撃的な姿勢は消えた。
 ジャパニーズ・ファンクのフロンティア的存在のひとりだったため、若手からリスペクトされることは昔から多かったけど、かつてはどう接してよいのかわからなかったのか、どこかぎこちなさが見て取れた。
 それに引き換え、近年はどこか吹っ切れたのか、お声がかかれば積極的にコラボに顔を出しているし、むしろ若手に対して「好きにいじってくれ」とでも言いたげに、わざと不遜な態度を取ったりしている。そういったことが衒いもなく、自然に振る舞えるようになったのは、ひとつの人間的成長である。

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 そんなこんなもあって届けられたのが、このアルバム。
 確かに既発シングルの曲は多い。新たに書き下ろされたのは半分弱で、しかも最後の曲はあの”ぶーしゃかLOOP”だ。
 ほんとリリース直前まで収録曲が公開されず、ネット上でもありとあらゆる予想が出ていたけど、まぁ開けてみれば何となく思ってた通りの結果である。肩透かしに合った人もいただろうけど、ここは何事もなくリリースにこぎ着けることができたのを素直に喜びたい。
 なんとなく今後もこのパターン、不定期にリリースされたシングルを、頃合いを見てまとめるというスタイルが続くんじゃないかと思われるけど、岡村ちゃんが元気に歌い踊り、時々苦虫を噛み潰したような表情を見せるだけで充分だ。

 取り敢えずお帰り、岡村ちゃん。
 札幌に来たら顔を見に行くよ。もう決めた。


幸福
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岡村靖幸
SPACE SHOWER MUSIC (2016-01-27)
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1. できるだけ純情でいたい
 ミディアム・テンポのファンク・ナンバーからスタート。耳を惹くのは手数の多いベース・ライン。重心の低いサウンドに有機的なアコギを絡ませるのは、岡村ちゃんの数ある手法のひとつ。間奏のスパニッシュ風ソロ・ギターが無国籍・時代感を喪失させる。ここは21世紀?それともはるか未来のファンク・サウンド?いつの時代に持って行っても通用してしまう、岡村ちゃんサウンド。終盤のゴリゴリ・ベースとギター・カッティングの絡みはオーソドックスなファンクそのもの。でも、誰も今じゃやりたがらない。今どきこんな使い古されたサウンドでオリジナリティを出せるのは、岡村ちゃんだけだ。
 サウンドに合わせたのか、歌詞は終始ネガティヴなムードが漂っている。「会いたくて会いたくて震える」のはひと昔前の西野カナだけど、ここでは会いたくてもどかしく独りよがりな独身男が、身悶えながら想いを吐き出している。
 復帰一発目のオープニングとしてはめちゃめちゃ地味だけど、岡村ちゃんを長く見守り続けてきた長年のファンとしては、赤裸々なスタイルが逆に信頼できる。
 
2. 新時代思想
 2011年ごろからスタートした別プロジェクト、覆面DJユニット「OL Killer」の活動をフィードバックしたような、クラブ・サウンドに接近したナンバー。以前はエッセンス程度でしかなかったけど、それなりに力を入れているのか、各地でのライブ終了後のアフター・ショウでは盛況、とのこと。
 「世間じゃ戦争だ政治だ経済だとかいろいろ騒がれてるけど、僕はそんなのどうでもよくて、ほんとはただキミとイチャイチャしたいだけなんだっ」というのが90年代の岡村ちゃんのスタンスだったのだけど、あれから年月を経て、もうちょっと世間に目を向けるようになったのか…、と思ってたらやっぱ全然変わってなかった。結局は「ただイチャイチャしたいだけなんだっ」と言いたいことをまどろっこしく大掛かりな舞台装置を誂えて訴えたいだけなこと、それを50近くになってやってしまうところに、多くの男たちは希望を抱く。
 でも、勘違いするなよ、岡村ちゃんだからいいんであって、他のアラフォー男がやってもイタイだけだから。 

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3. ラブメッセージ
 映画「みんな!エスパーだよ!」主題歌としてリリースされたシングル。時期的にはもっとも近作。ちなみにオリコン最高23位をマーク。まぁ近年のシングル・チャートになんてほとんど意味はないけど。
 リリースされた頃は正直、岡村ちゃんのシングル・リリースもコンスタントになって来ていたので、若干食傷気味であまりちゃんと聴いてなかったのだけど、このアルバム・この曲順で聴いてみると、まったく違った表情。ちょっとだけ時代に遅れたダンス・ビートに乗って、ポジティヴなメッセージが歌われている。
 ブリッブリのベースもサビのコーラスもカッコイイのだけど、全体的に音が割れ気味なのがちょっと気になるのは俺だけ?もうちょっとミックスに配慮してほしかった。



4. 揺れるお年頃
 ほとんど岡村ちゃんのヴォーカルと叩きつけるようなアコギだけで成立しているナンバー。岡村ちゃんのサウンドを聴くたび、あぁアコギというのは弦楽器じゃなくって打楽器なのだな、といつも思う。
 90年代ならもっとファンキーに仕上げたアレンジになったと思われるけど、ここはメッセージ性を強く押し出し、敢えてシンプルなサウンドで勝負している。

 新しい靴を履いたら
 どんなスマイルでも なっちゃうもんさ Baby

 俺的にはこのクダりが気に入っている。

5. 愛はおしゃれじゃない
 2014年リリース、Base Ball Bearの小出祐介とのコラボレーション名義で発表された。打ち込みメインの四つ打ちビートにギター・リフが絡む、今風のバンド・サウンド仕様。俺的にはこのアルバムではベスト・トラックだし、正直、岡村ちゃんのこれまでの楽曲の中でもベスト5には確実に食い込んでくるほどの出来なんじゃないかと思ってる。
 多分、岡村ちゃん単独じゃなくって、小出君と組んだのがキーだったんじゃないかと思う。「かつての岡村ちゃん」サウンドを「学習」として知ってはいるけど、当然小出君は世代的に全盛期を知るはずもない。そんな小出君が昔の岡村ちゃんをシミュレートして、「岡村さん、ちょっとこんなのやってみてくださいよ」とか何とか言ってみて、「じゃあちょっとやってみっか」的に岡村ちゃんもその気になって昔のテンションでやってみた感が強く出ているのだ、悪い意味じゃなくって。
 「90年代の岡村ちゃんサウンドをそのままビルド・アップして、若手バンドのアップ・トゥ・デイトな息吹を吹き込んだモダン・サウンド」として創り上げられたのが、こういった成果として現れた。

 くちびるをつけてみたい 君のそのくちびる 今夜
 くちびるをつけてみたい

 春色 夏色 秋冬 君色々

 マスカラつけたなら僕も 君のように泣けるのだろうか
 君と同じ口紅つけたなら そのくちびるが 何味かわかるのかな

 50も近い男がこれを歌えてしまうのだから…、勘違いするなよ、岡村ちゃんだから許されるんだ。



6. ヘアー
 シングル”ラブメッセージ”のカップリングとしてリリース。復活後にリリースされたシングル・カップリングはどれもここには未収録だったので、これは多分お気に入りだったんじゃないかと思われる。
 結構なロック・テイストも強いファンク・チューンになってるけど、歌詞の詰め込み具合やサビのスタイルなんかに絶好調だった90年代初期の香りがする。特に「全身ヘアーが立つ クレイジーな気分」の譜割りなんて、ゾクッと来る。

7. ビバナミダ
 前作”はっきりもっと勇敢になって”から6年1か月ぶりに発売されたシングル。ここから復活に向けての歩みが始まった記念すべきシングル。この頃はもう、まず新譜が出たというだけで大騒ぎになっていたことを思い出す。
 打ち込み主体のダンス・ビートにアコギのかき鳴らしというのは復活以前にも基本フォーマットとなっていたけど、近年はさらにスラップ・ベースをかませて来るのがマイブームになっているらしい。ファンク・リズムのボトムがグッと下がることで、グルーヴ感が増すこと、単調なリズムにアクセントをつけるのも、ミュージシャンとしての勘がそうさせるのだろう。
 ちょっとチープなシンセがディスコ・テイストを強調しているのと、以前のシングルよりヴォーカルがオン・ミックスになっているのがポイント。

 いくら便利なれど 星は未知なもの
 だから電車を飛び降り 会いに行こう
 ミニ履く子 いつも気になるよ
 だから電話もかけずに 会いに行こう



8. 彼氏になって優しくなって
 復活後3枚目のシングルで、オリコン最高15位。まぁそれはどうでもいいか。
 これも実はシングルでリリースされた時はあんまり聴きこんでなかったのだけど、やはりアルバムのこの流れで聴いたら、メッチャカッコいいことに気づいてしまった。ていうか、気づくのが遅かった。
 岡村ちゃんのヴォーカルも全盛期並みに復活しているのももちろんだけど、バック・トラックはもしかして一番かもしれない。ベースとドラムの絡み、アコギの入り方、どれも特別な音色は使っていない。なのに、このグルーヴ感って何?なんでこんなファンキーなトラック作っちゃえるの?



9. ぶーしゃかLOOP
 もともとはオフィシャル・サイトのトップで流れていたループ・トラックをきちんとした形に編集したもの。うーん、シングル・カップリングならアリだと思うけど、このアルバムにはちょっとなぁ、という印象。特にこのアルバム、全9曲というコンパクトさだけど、もっと長尺で曲数が多い中でのブリッジ的な扱いなら活きたんじゃないかと思えるけど。それかアナログ盤で最後に『Sgt. Pepper’s』パターンで延々ループするとか。



 取り敢えずリリースしてくれただけで嬉しいのだけど、ファンの勝手な注文としてひとつ。
 やっぱりバラードが欲しいよね、しかもちょっとベタなやつ。
 “カルアミルク”や”イケナイコトカイ”クラスのスローバラードを聴きたいところ。
 ファンキーでダンサブルな岡村ちゃんもいいけど、メロウでドラマティックな岡村ちゃんもまた魅力のひとつなのだ。
 次回はその辺を期待したいところ。

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言霊の強さは多分キャリア最高値 - 中島みゆき 『親愛なる者へ』

folder 1979年リリース、みゆき5枚目のアルバム。オリコン最高2位の大出世作となった前作『愛していると云ってくれ』の勢いもあって、ここでは初の1位に輝いている。
 当時のアルバム・チャートはほぼ3分の2が、みゆきを含むニューミュージック勢で占められている。残り3分の1が洋楽といった構成になっており、純粋に歌謡曲と言えるのはピンク・レディーと山口百恵のそれぞれ1枚ずつだけ。ただヒット曲を詰め込んだだけで統一感の薄い歌謡曲のアルバムには、まだ強いニーズがなかったこと、シングル盤中心の販促方針だった歌謡曲とはきっちり棲み分けができていたことが窺える。当時の百恵のアルバムなんて、あの"いい日旅立ち"を軸として、当時のアイドルとしてはしっかりしたコンセプトで製作されているのだけど、当時はシングル以外の曲はほとんど顧みられることもなく、再評価されるにはずっと先を待たなければならなかった。
 で、みゆきのこのアルバムは年間チャートでは21位、もうちょっと細かく調べると、当時の売り上げ枚数は32万7000枚となっている。当時の年間1位だったゴダイゴのアルバムが50万枚ちょっとなので、相対的に考えると健闘した方なのだけど、最高2位だった『愛していると云ってくれ』が40万枚オーバーという結果になっている。単純に考えると勢いが落ちたようにも思えるのだけど、前作は勢いづいたあまり、初のドラマ出演まで果たしてしまったシングル"わかれうた"の押し上げが強かったせいも考えられるため、この辺が当時のポテンシャルとしては適正値だったんじゃないかと考えられる。

 どのアーティストにも言えることだけど、特にみゆきの場合は一時のセールスだけで判断するのは間違いで、このアルバムにも後々まで語り継がれることになる名作”狼になりたい”や”片想”など、重要作が数多く収録されている。あとはプロモーションの問題であり、クオリティと実売とは必ずしも比例するものではない。
 キラー・チューンとも言えるキャッチーなシングル曲が収録されなかった、またはその気がなかったということだけど、それは前述の歌謡曲的なアルバムの構成からの脱却とも言える。結局『愛していると云ってくれ』だって、ヤマハの思惑としては"わかれうた"を軸としたフォーク歌謡的な怨み節満載、重苦しい情念てんこ盛りのコンセプトで製作されたはずなのだけど、当時のヤマハ特有のコッキーポップ周辺人脈によるアルバム製作に不満を感じ始めたことによって、"わかれうた"が傍に押しやられたような構成になったわけで。キャリアを重ねるにつれ、ただスタジオに行って歌とギターをちょっと吹き込んで、あとはスタッフにおまかせ、というスタイルに不満を感じ始めるのは、みゆきのように真摯なアーティストにとっては避けられない成り行きである。
 とはいえ、営業戦略的に考えれば、せっかく"わかれうた"で火が点き始めたというのに、セールス・ポイントとなるキャッチーなシングルが収録されないというのは、ヤマハ的にはちょっと痛手である。この80年前後という時代は、クリスタルキングや雅夢、チャゲ&飛鳥らのポプコン出身者によってシングル・チャートを結構かき回していたのだけど、あいにくコンスタントにアルバムを製作できるポテンシャルを有していたのはみゆきと八神純子くらいなもので、ラジオのディスク・ジョッキーで好評を博していた谷山浩子も中堅どころ、セールス的に大きな広がりを見せられずにいた。
 なので、今でもそうだけど、彼女の動向はヤマハの社運を大きく左右しており、みゆき自身もその辺は理解していたはずなのだけど、まぁそんなのは正直どうでもよかったんじゃないかと思われる。アベレージは軽くクリアしているし、それより大事なことは山積みだったのだ。

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 その"わかれうた"大ヒットによる功罪として、圧倒的に知名度はアップしたのだけど、そのぶん頼まれ仕事、純粋な創作活動以外の雑務が増えたことも確か。以前からコラボしていた研ナオコ・桜田淳子以外にも、主に歌謡曲畑からの楽曲提供オファーが増えている。
 その研ナオコをモチーフとして描いた「恋愛ごとに恵まれない20〜30代の女性の独白」的イメージが強かったせいもあって、グラシェラ・スサーナや日吉ミミ、小柳ルミ子など、もっぱら大人の女性を歌えるシンガーからの依頼が多い。このように表に出た作品以外にも、仕上がりがイメージと違ってたり、諸事情によりボツになったものも含めると、相当数の楽曲を書き下ろしてたんじゃないかと思われる。
 ただ、みゆきはあくまで基本は自作自演のシンガー・ソングライター、職業作家ではない。研ナオコや加藤登紀子のケースではみゆきの作風とうまく合致して、相乗効果によって楽曲の世界観も広がったけど、それが必ずしもいつもマッチするわけではない。そういった視点で見ると、みゆきはプロの作家としては足りない部分も多い。どんな条件・オファーでも80点以上をクリアできる職人ではないのだ。とは言っても、ハマった時はそのシンガーのキャリアに確実に爪痕を残すほどだし、その命中率も他のシンガー・ソングライターと比べてもダントツなのだけど。
 みんながみんな、研ナオコ的なイメージでオファーするけど、それがマッチしてるかどうかは別問題なので、イマイチちぐはぐな印象の楽曲が多いのも事実。「"わかれうた"っぽく、それか研ナオコっぽくね」と言われてその通りに作ったとしても、歌う側が研ナオコじゃないので、「何か違う」感が漂っていても当たり前である。大ヒットの功罪はこんなところにも出てくる。

 この時期にリリースされたシングルが"おもいで河"。"わかれうた"大ヒットから約1年、満を持してのリリースだったため、ヤマハ的にもポニー・キャニオン的にも力が入っており、多分みゆきもそんな空気は感じてたんじゃないかと思われる。なので、まんま”わかれうた”である。イントロからコード進行、サビのメロディまでほんと”わかれうた”の二番煎じ的な内容である。本人がここまでやっちゃったのなら、もう何も言うことはない。完全に会社の期待に応えるため、なのでいまいち伝わってくるものが薄い。オリコン最高19位というのも納得してしまう出来である。要するに、可もなく不可もない、きちんと作った”続・わかれうた”といった感じのサウンドである。
 この時期のみゆきは前述したように、お仕着せのフォーク歌謡アレンジに違和感を抱きつつあった頃だけど、その辺はまだあやふや、何か違うことはわかってはいるのだけど、明快なスタイルが定まっていない、もしあったとしてもそこに至るプロセスやノウハウがない時代でもある。あの時よもう一度といった感じのコンセプトで制作されているので、ここは従来通りのオーソドックスなフォーク歌謡スタイルに落ち着いている。
 そういった地味なポジションのシングルのため、俺もあまりちゃんと聞いたことがない。収録されているのが3枚組ベストの『Singles Ⅰ』だけ、しかも初期楽曲中心に構成された3枚目という曲位置のため、正直一番流し聴きしてしまうポジションである。今回も最初から3枚順番に聴いていくとまた聴き流してしまいそうなので、"おもいで河"だけを聴いてみた。聴いてみたところ…、うん、”わかれうた”だよな、やっぱ。
 アルバム未収録曲については、また近い将来に。

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 前作から参加ミュージシャンの顔ぶれにロック畑の人選が多くなってはいたのだけど、既存のニューミュージック・テイストのアレンジが多くを占めていたため、彼らの技量が最大限に活かされていたかといえば、そのへんはちょっと疑問が残る。『愛していると云ってくれ』から引き続き参加している鈴木茂や石川鷹彦、つのだ☆ひろらもニューミュージック系アーティストのレコーディングにおいては場数を踏んでおり、「まぁこんな感じでしょ」的な無難なプレイも多かったと思われる。彼らにとって中島みゆきとは、数多くこなしてきたフォーク系アーティストの1人でしかなかったのだ、この時点では。
 とは言っても彼らもプロ、「フォーク歌謡から脱却したい」というみゆきサイドの意向を受けて、これまでよりもリズム感が増し、一聴してロック調のアレンジも多くなる。フォーク歌謡からフォーク・ロックを志向するようになった転機とも言えるサウンドが展開されている。
 ただ、まだ完全に消化しきれていない、中島みゆきとしてのオリジナリティが充分に発揮されていないのも事実。フォーク・ロック調、ブルース調とバラエティに富んではいるけれど、まだアレンジャー主導、スタジオ・ミュージシャン主導の音作りであり、肝心のみゆきはまだ「誰々風で、〜みたいなサウンドで」といったオーダーしか出せていないのが現状である。コンセプトのニュアンスが伝えきれていないのだ。
 自分の楽曲にしっくり来るサウンドを求めて悪戦苦闘するその姿は、以前書いたLaura Nyroのそれと通ずるものがある。―中途半端なサウンドなら、むしろギター弾き語りの方がマシだ―。そこまで強く言い切れないみゆきがいるのも事実である。漠然としてはいるけれど、どこかに理想の音があるはずなのに。

 この時代のニューミュージック系アーティストはみゆきに限らず「アルバム・リリース→即ツアー」という流れが一般的だった。なので、きちんとまとまった創作期間を取れず、しかも楽曲提供だ取材だラジオのレギュラーだもあったため、スタジオに入るのも断続的だったことは想像できる。時間が足りなくて詰めの作業を充分に行なえず、納得行かない形で世に出してしまった作品もあっただろうし、事実、素人目に見ても「もうちょっと練ってもよかったんじゃね?」的な楽曲もある。
 でも当時はそれが精いっぱいだったろうし、それはそれで当時のみゆきの葛藤が克明に記録された痕跡でもある。


親愛なる者へ
親愛なる者へ
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中島みゆき
ヤマハミュージックコミュニケーションズ (2001-03-28)
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1. 裸足で走れ
 いきなり尺八のむせびからスタート。ヴォーカルも力強く、どこかプロテスト・ソング的なムードを感じさせるナンバー。このナンバーで目立ったプレイを見せているのがベースなのだけど、ほんとリード・ベースとも形容すべきグルーヴしまくったラインを奏でている。なぜかThumb Picking Powerという変名になっているけど、多分後藤次利じゃないかと思われる。彼じゃないと、こんな変態ベースは弾けやしない。契約の関係か何かでクレジットできなかった、とは俺の推測。
 この時代あたりから文化人界隈でのみゆき評価が上昇し、特に現代詩とも拮抗するクオリティが称賛されることになるのだけど、特にこの歌詞は様々な問題提起を孕んでいたため、俎上に上ることも多かった。

 裸足はいかがと すすめる奴らに限って
 グラスを 投げ捨てる
 ささくれひとつも つくらぬ指なら
 握手もどんなに 楽だろう

 この時点ですでに、したり顔の文化人風情に向かって強烈な皮肉を投げかけているのに、なのに彼らは自分らのことだとは思わず、「痛烈な社会批判」と勝手に受け止めて手放しでみゆきを賛美する。
 自分では手も汚さず、理屈と言葉だけの連中とは、自分たちのことだというのに。

2. タクシードライバー
 いわゆる「恨み節」とはちょっと距離を置いて、これまでのネガティヴな自分を第三者的な視線で描写した、視点の転換という技巧を凝らした小品。
 タクシードライバーという他者へ語りかけるスタイルを取りながら、その言葉は実際は発せられていない。泣きそぼるばかりのみゆきのそれはただの独白、声にならぬ声でしかない。

 タクシードライバー 苦労人と見えて
 あたしの泣き顔 見て見ぬふり
 天気予報が 今夜もはずれた話と
 野球の話ばかり 何度も何度も繰り返す

 ミディアムのフォーク・ロック・スタイルは聴きやすく、それでいて言葉はきちんと心に残る。一時、マツコ・デラックスが絶賛してちょっとだけ話題になった。



3. 泥海の中から
 ダウナーなタイトルとは裏腹に、軽快なフォーク・ロックは爽快感さえ感じられる。この曲もそうだけど、このアルバムでのみゆきのヴォーカルはリズミカルな曲調に合わせて明るめのトーンが多い。一聴すると耳ざわりの良いポップ・サウンドにネガティヴな歌詞を合わせる手法が具体的な形に表れてきた頃でもある。

 お前が壊した 人の心のガラス戸は
 お前の明日を 照らすかけらに変わるだろう

 ふり返れ 歩き出せ 忘れられない罪ならば
 くり返す その前に 明日は少しマシになれ

 イギリスの短編作家サキにも通ずる痛烈な皮肉を交えながら「前向きになれよ」という、ひねくれ具合が一回転したあげくにポジティヴなメッセージを内包したややこしい曲。

4. 信じ難いもの
 前曲からメドレーで繋がる、ちょっと歌謡曲っぽいメロディが親しみやすい、カントリー・タッチのナンバー。こういった情緒的なギターって、やっぱり鈴木茂の持ち味。洋楽的なバタ臭さも持ちながら、日本人の琴線にダイレクトに響くギター・ソロはさすが。
 サビの部分が特に桜田淳子を彷彿させるし、ちょっと鼻声気味なのが意識しているポイント。

5. 根雪
 シャンソン・タッチのスロー・バラード。これも初期みゆきの楽曲では人気の高いナンバー。シングル向きではないけど、確実にピンポイントで心に響くファンは多い。
 この当時からマイスター的な存在だった石川鷹彦の朴訥なアルペジオは、みゆきの抑えた歌唱に程よい距離を置いて寄り添っている。ラストに向けて嗚咽が混じるヴォーカルに合わせて壮大なストリングスとメロトロンのソロが交差するけど、俺的には前半のシンプルなアレンジが好み。ここまでドラマティックな演出は必要なかったんじゃないかと、いつも思ってしまう。そのメロトロンが時代を感じさせてしまうしね。
 ちなみにこの曲、今のところライブで演奏された記録がない。この曲はこの時限りのもの、と決めているかのよう。歌にまつわる想い出がイヤなのか、それとも、もうこの曲を歌えるみゆきではなくなってしまっているのか。

 いやね 古い歌は
 やさしすぎて なぐさめすぎて
 余計なこと 思い出す
 誰かあの歌を 誰かやめさせて

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6. 片想
 ここからレコードではB面。フォーク・ロックの「ロック」の部分を強調したかのようなヴォーカル・スタイルは、1.同様、プロテスト・ソングのような表情を見せる。独りよがりの恋に浮かれてる「お前=自分」を一歩引いた眼で描写した小品なのだけど、ストレートな解釈の歌を強い口調で語るのはややミスマッチで、声の強さばかりが強調されてしまう。
 その辺に解釈の違いがあったのか、後に発表されたライブ・アルバム『歌暦』収録ヴァージョンでは、声を張り上げず、諭すようなスタイルで歌い直している。俺的にも後者の方への愛着が強い。

7. ダイヤル117
 後半に柔らかなストリングスが入るだけで、ほぼ弾き語りで押し通した、いわゆる「恨み節」的ナンバー。
 “わかれうた”では恋の終わりに「追いかけて 焦がれて 泣き狂う」と歌ったみゆき。ここではもはやそんな状況の先、もはや修復も叶わず会うこともままならない中、それでもこの想いを伝えたくてたまらない、でも電話もできない…。

 張りつめすぎた ギターの糸が
 夜更けに 独りで そっと切れる
 ねぇ 切らないで
 なにか 答えて

 ビジュアル・イメージをまざまざと想起できるこの一節、そして歌詞には一切出てこないけど、誰も答えてくれない時報ダイヤルをタイトルにしてしまうその凄み。
 言葉の切れ味においては最も磨きがかかっていたことをうかがい知れる作品。

8. 小石のように
 その張りつめた糸を一旦緩めるかのような、カントリー・タッチの軽やかなナンバー。初期みゆきのアルバムの中には必ずこういった、ちょっと箸休め的なナンバーが収録されていた。サウンドだけ聴いてると、”キツネ狩りの歌”といつも勘違いしてしまう。
 都会へ旅立つ若者への助言と警句といった趣きなのだけど、ほぼ皮肉めいた色合いも見えない。テーマとしては、”ファイト!”と同じ匂いを感じさせる。

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9. 狼になりたい
 全国に吉野家の名を知らしめた、記念すべきナンバー。北海道、特に俺の近辺に吉野家はまだなかったため、歌の中だけではあったけど、存在だけは知っていたのはこの曲があったから。
 恋愛とは距離を置いて、ほんとごく普通の人たちの「人生」を描写してみた作品。ここで登場する「化粧のはげかけたシティ・ガール」も「向かいの席のおやじ」も、普通なら歌になるような素材ではない。どの登場人物もしょぼくれて、何かを諦めている者ばかりだ。

 俺のナナハンで行けるのは
 町でも海でもどこでも
 ねぇ あんた 乗せてやろうか
 どこまでもどこまでもどこまでも…

 だけど、「どこか」に行けるわけでもない。そんなことは男もわかってるし、女だってわかっている。でも、言わずにはいられないし、誰かにそう言ってもらいたいのだ。
 そんな場面を切り取るかのように、みゆきは叫ぶ、「ビールはまだか」と。闇夜を切り裂く重い響きのギターは、悲痛なチョーキングを響かせる。
 「狼」とは何の比喩なのか、という議論は昔から百出しており、肝心のみゆきが真意を話さないので解釈はいろいろ分かれるのだけど、俺的には「普通の人たちの行き詰った日常からの脱出」だと思っている。
 もちろん、狼になれないことはわかっている。みゆきの悲痛なヴォーカルがそれを象徴している。

10. 断崖-親愛なる者へ-
 ソフトなEaglesといった趣きのサウンドをバックに力強く歌うみゆき。Linda Ronstadtになりたかったんじゃないかと思われるけど、キャラから考えるとCarly Simonだよな、似合うのは。
 この曲も当時のノウハウからしてバンド・サウンドとしては質が高かったのだけど、みゆきとしてはもっと言葉に負けない、ハードなサウンドを志向していたのだろう。後年のリメイクではもっとハードなリズムを効かせたサウンドになっており、90年代みゆきの太い声質で歌われている。比べて聴いてみると、確かにリメイク・ヴァージョンの方が歌詞のパッションがダイレクトに伝わってくる。




 サウンドとしてのフォーク・ロック路線がみゆきの意に沿ったものだったかどうかだけど、フォーク歌謡路線からの脱却への第一歩としては大きな一歩だったんじゃないかと思う。壮大なストリングスを導入した曲もあるけど、基本はギター1本でも十分成立するシンプルな構造なので、どの曲もあらゆるアレンジの可能性を秘めており、だからこそリメイクやライブでのリアレンジなど、新しい息吹を吹き込まれながら生き永らえているアルバムでもある。
 ここに収録された言葉の礫の硬さは、多分全キャリアを通しても強い。それは時に、サウンドや歌をも凌駕する。
 強靭なサウンドを追い求めるみゆきの奮闘が始まる頃でもある。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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