好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

高橋幸宏

曖昧な形をした軽い絶望と虚しさ - 高橋幸宏 『Ego』

611pNezqhCL 1988年リリース、ソロデビュー10周年として企画された9枚目のオリジナルアルバム。鈴木慶一と立ち上げたレーベル「テント」が何やかやでフェードアウトしてしまい、心機一転となるはずだったアルバムである。
 なるはずだったのだけど、アルファ〜YENのようなこじんまりしたレーベルならともかく、ポニーキャニオンが本腰を入れちゃったため、大きなバジェットからスタートしたテントは、自分の音楽以外のこともあれこれ考えなければならず、気に病む案件も多かったことは、後の発言からも明らかになっている。だって、メインプロジェクトのひとつが「究極のバンド・オーディション」だもの。そういったエンタメ路線とは正反対のキャラなのに。

 1988年といえば、世の中はバブル真っ只中、レコード産/音楽業界にも潤沢な予算があった時代である。オリコン・データを見ると、バブル時代ってシングル・アルバムとも案外ミリオンセラーが少なく、マーケット的には小さく思われがちだけど、音楽業界に関してはむしろ90年代がバブルで、21世紀に入ってからは縮小傾向に入っているので、規模としては今と同じくらいと思ってもらえればよい。
 ただ、現在のように一部のトップ・アーティストやアイドル/アニメ系に購買層が集中しているのではなく、どのジャンルもまんべんなく、そこそこ売れていた時代でもある。地上波の音楽番組も数多かったし、ジャスラックも大人しかったおかげで、特に気負って探さなくても、音楽が自然に耳に入ってきた。いい時代だったよな。

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 テントが閉鎖して自由の身になった幸宏、せっかくならここでゆっくり休養すればよかったのだろうけど、あまり間を置かずに東芝EMIへ移籍、さっそく『Ego』のレコーディングを開始している。この時期はさらに加えて、サディスティック・ミカ・バンドの再編話も本格的な詰めに入ってきた頃なので、何かと落ち着いて自分の仕事ができなかったと思われる。なので、『Ego』レコーディングは断続的、たびたび中断の憂き目にあっている。

 そんな周辺の騒がしさも要因だったのか、幸宏の作風は精神状態とシンクロするようにダウナー系、終わりなきレコーディング作業の泥沼にはまり込んでゆく。
 80年代のスタジオ・レコーディング事情は、録音設備のデジタル化とMIDI機材の秒進分歩の進化と歩みを共にしている。昨日までの最新モデルが、一般発売された時点ですでに旧規格になっているのはザラで、ツールのアップデートが頻繁に行なわれていた。当初はメトロノーム程度の性能しかなかったシーケンス機材も格段に進歩し、デジタル楽器のマシンスペックは、生音にかなり近いものになっていった。
 そうなると作業は効率化され、簡便になったと思われがちだけど、実際のところは膨大なポテンシャル/マテリアルの収受選択が困難になる。あれもできればこれもできる、じゃあその中からどれを選べば?
 真摯なアーティストであればあるほど、そのこだわりは強く作用して、結果的にスタジオワークに費やす時間は長くなった。

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 やれる事が多くなった分、思いついた音は際限なく、いくらでも詰め込めるようになった。録音トラック数も増えてるし、コンソールの進化によって音がダンゴになったり、極端にピークレベルを抑える必要もない。以前は海外での録音が多かったけれど、機材も欧米並みになってるし、第一、スタジオに長期間篭るという前提なら、どうしたって国内のスタジオ一択にならざるを得ない。
 ふんだんな予算と時間を使うことによって、サウンドは隙間なく埋められている。ヴォーカルも含め、すべての音はストレートに出したままではなく、あらゆるフィルターやエフェクトを通して加工されている。ひと癖もふた癖もある、頭の中であぁだこうだといじられまくった音だ。
 ネガティブな負のパワーを秘めたアンサンブルは、一歩引いてしまうほど音圧が強い。そんなサウンドの中、幸宏のヴォーカルは細く、一聴すると弱々しく感じる。でも、ちゃんと聴き進めていくと、その細さの中にしなやかさ、決して折れることはないコシの強さが秘められていることがわかる。

 ミュージシャンであるからして、サウンドに強くこだわるのは、いわば当たり前の話である。テクノロジーの発達と創作意欲のピーク、それに加えて新たなサウンド/ツールへの興味とがうまく噛み合っていたのが、80年代の幸宏である。
 この時代までの幸宏がマスに浸透せず、サブカル業界人界隈で持てはやされるレベルに留まっていたのは、主に歌詞の世界観の弱さにある。
 アルファ時代のアルバムの歌詞は、自作半分/外部委託半分といった割合となっており、お世辞にもクオリティが高いモノとは言いづらい。かといって、外部ライターの作品が良いかといえば、これまた印象に残るほどのものではなく、「まぁ頼まれたから、幸弘のイメージに合いそうなモノを書いて見ましたよ」的なレベルである。もともと声を張るヴォーカル・スタイルではないので、聴き流せる英語詞ではフィットするけど、どちらにしろストーリー性は軽視されている。
 自ら進んで身を置いたわけではないだろうけど、今に至るサブカルのルーツのひとつだったYMOの流れから、その後も「サブカルの人」と位置付けられていた幸宏である。彼自身、そこまで意識はしていなかっただろうけど、何しろ周囲が屈折したサブカル人脈ばっかりなので、前時代的な熱いメッセージや主張に拒否反応を抱くようになるのは、自然の成り行きである。

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 同じサブカル人脈の流れの中で、一時は共依存と言ってもいいくらい、それくらい近しい場所にいた鈴木慶一は、幸宏と同化した存在だった。慶一が幸宏に書く言葉は、それすなわち慶一の言葉であり、その逆も同様だ。
 あれから何十年経っても、2人は不可分の存在である。
 幸宏同様、ムーンライダーズ活動休止による燃え尽き症候群で虚脱状態にあった慶一も、当時は大きく心を蝕まれていた。「何もそこまで自虐的にならなくてもいいのに」というくらい、慶一は幸宏のパーソナリティを白日のもとに晒し、そしてそれは同時に、慶一自身の痛みでもあった。
 ヒリヒリする痛みの強さと深さとが、互いの距離を測り、そしてまた2人に共鳴する感覚を持つ者もまた、その精神的Mプレイを自分に置き換え、露悪的になった。

 育ちの良さから来るものか、あまりガツガツせず、飄々と生きてきた感のある幸宏だけど、作品を見聴きすれば、それは見当違いであることがわかる。深遠かつ茫漠としたダークサイドの澱は、曖昧な紋様を描いて奥底に溜まる。
 そんな心の闇の実体は如何なるものか。結局のところ、本人にしかわからないのだ。その澱は、近しい者なら見たり感じたりすることはできる。ただ、その澱の元となる「痛み」までは感ずることはできない。「感ずる」=「同化」であるからして。
 立ち上がれないほどの無力感に襲われながら、必死の形相で言葉を、音を刻むその姿勢は、高い作品クオリティとして昇華した。

 -夢も希望もこれといってなく、昨日の続きの今日を生きるだけ。
 これまでの人生に、何ら過不足のない30歳以降の男性がふと抱く、曖昧な形をした軽い絶望と虚しさ。
 それを言葉だけじゃなく、サウンド総体で表現したのが『Ego』である。細部まで強いこだわりを持って組み上げられた作品は、時に過剰なほどのマテリアルが詰め込まれているけど、そこに至るプロセス自体が、幸宏にとっての作業療法であり、また慶一にとっても同様だった。彼岸で石を積むが如く、不毛だけれど集中はできる。石を積んでいる間は、余計なことを考えなくてもよい。
 ただ、このテンションのまま、アーティスト活動を継続していくと、最後に行き着くのは自我の崩壊だ。剥いても剥いても中心コアの見えない自我のタマネギは、いつしか無に帰してしまう。

 慶一作「Left Bank」で描かれた「大人の男の無常観」が反響を呼んだことから、次回作からは、その世界観の軸足を恋愛の方向にシフトさせ、アコースティック成分を多めにした、間口の広いコンテンポラリー寄りのサウンドを展開することになる。
 『Broadcast From Heaven』から始まるEMI3部作は、『Ego』をライトに希釈して、幅広い層の共感を得ることになる。



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1. Tomorrow Never Knows
 中期Beatlesの代表曲からスタート。Johnの原曲に加え、当時、Georgeがハマっていたラーガ風味をミックスしてしまう発想は、さすがマエストロならでは。間奏のギターの逆回転をエスニックに味付けしたり、小技もたっぷり。こうやってポップ・クラシックを自流の解釈でいじくり回すのは、要するに好きなんだろうな。カバー曲での幸宏はほんと生き生きしている。作品に持つ責任が少ないからなのか。

2. Look Of Love
 安全地帯を思わせるオープニングに続くのは、デジタルシンセの緩急をうまく使いこなしたAORポップス。デジタル特有の硬い響きとボトムの弱さを逆手に取って、要所で使い分けることによって独自のリズムを形成している。
 サウンドはすでに熟成されているとして、まだAORに吹っ切れていない甘すぎるヴォーカルと、フォーカスがボケて無難にまとめた自作詞が惜しいのかなと昔は思ってたけど、ダンサブルなイントロとギター・シンセのリフだけで、今はもう満足してしまう。
 当時はまだレベッカ在籍だったノッコがなぜかコーラス参加してるらしいけど、ほとんどわからないくらい。何だそりゃ。



3. Erotic
 Bryan Ferryをもっとダンサブルなリズム主体にして、疾走感を与えると、こんな風になる。ヴォーカル・スタイルも似てるしね。ただあっちはもっと自己陶酔が激しい分、幸宏よりエロだけど。当時の日本のアーティストで、ここまでデジタル・ファンクを消化していた人はいなかった。クオリティはめちゃめちゃ高い。でも、質の高さと一般性は比例しない。そこの薄め具合が問題だったのだ。

4. 朝色のため息
 曲調といい歌詞の世界観といい、プレ「1%の関係」と言ってもよいミドル・ポップ。「これで最後」だというのにまだどこか尾を引いた関係性というのは、幸宏の永遠のテーマなんだろうか。その後のEMI3部作で、慶一がそこをもっと映像的・観念的に描写することになる。

5. Sea Change
 この曲のみ、細野さん作曲。作詞は幸宏と盟友的ギタリスト大村憲司との共作。なので、この曲のみ『Ego』収録曲とテイストが違い、音も結構隙間を活かした構造になっている。制作中に亡くなったYMO時代のマネージャー生田朗に捧げられており、レクイエム的にしっとりしたアレンジでまとめられている。久々に大村のギター・ソロが堪能できるのも一興。

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6. Dance Of Life
 共作のIva Daviesは、当時、欧米で人気上昇中だったオーストラリアのバンドIcehouseのリーダー兼ヴォーカリスト。A-Haをもっとロック寄りにしたエレポップ・バンドと言えば伝わるだろうか。YouTubeでいくつか聴けたオリジナル曲は、どれも大味なアメリカン・ロックだったけど、ここではもっと硬質なダンス・ポップに仕上がっている。
 ていうかヴォーカルはほとんどIvaで、幸宏の孫座感はほぼなし。多分、コーラスでちょこっと顔出ししてるのだろうけど、あぁいった線の細さだから、ほとんど出番はない。なんで入れたんだろうか?普通にいい曲だけど、まぁそれだけ。

7. Yes
 ここまで硬質でバタ臭いメロディがここまで多かったけど、幸宏のもうひとつの特性である、歌謡曲とも親和性の高いメロウなポップ・バラード。A面と比べ、B面楽曲は録音トラック数を絞った印象が強い。音に隙間がある分、メロディに耳が行く瞬間が多い。

8. Left Bank(左岸)
 このアルバム中、最大の問題作。その後の慶一との本格的なコラボも、もとはここからすべてが始まった。サウンドだけ取り上げれば、後期ニューロマ~ダーク系エレポップの進化形といった風に分析できるけど、
 俺が言いたいのは、そういったことじゃない。



 恐竜の時代から 変わってないことは
 太陽と空と生と死があること 過ぎてしまうこと

 向こう岸は、昔住んでいたところ
 左岸を 海に向かって
 僕は歩く 君を愛しながら

 この愛はいつからか 片側だけのもの
 お互いの心さらけだすそのとき
 愛は黙ってしまう

 向こう岸は、キミと住んでいたところ
 左岸を 風に向かって
 僕は歩く 君を忘れながら

 最強の敵は自分の中に居る
 最高の神も自分の中にいるはず

 向こう岸に 僕の肉が迷っている
 左岸で 骨になるまで
 僕はしゃがんで
 ついにキミに触れたことなかったね
 つぶやいて泥で顔を洗う
  
 文明然の太古からいま現代に至る壮大なスケール感、そこから急速にシュリンクする2人の関係、そして自虐的な退廃、滅びの姿。
 これを書かずにいられなかった慶一と、歌わずにはいられなかった幸宏、そして打ちのめされた20代の俺。
 この厭世観こそが、2人の出発点なのだ。
 
9. Only The Heart Has Heard
 オープングとループするエスニック・リズムに合わせて歌われるのは、Bill Nelson作詞による柔らかなテイストのバラード。この時代はまだ、英語で歌ってる方が気楽そうである。そりゃそうだ、日本語ほど生々しくないし、自分で書いた言葉じゃないから責任もない。
 軽い声質を逆手にとって、傷口に塩を塗り込むような言葉を慶一に発注、自ら身を削りながら歌うようになるのは、この後である。





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大人の男に向けて傷口に塩を塗り込むような歌たち - 高橋幸宏 『A Day in the Next Life』

高橋幸宏 - A Day In The Next Life (2) 1991年リリース、幸宏13枚目のソロ・アルバム。本人が提唱したのかどうかは定かではないけど、前作『Broadcast from Heaven』から始まった、ファン言うところの「大人の恋愛3部作」の2枚目にあたる。
 『Broadcast from Heaven』はタイトル通り、「天国」をテーマとして構成されていたけど、今回もまんま「来世」をコンセプトとした楽曲でまとめられている。ちなみに次の『Life Time Happy Time』も、そのまんま「幸福」がテーマ。変にこじれてないところに好感を持ってしまう。基本、斜に構えてわざと複雑にする人ではないのだ。
 その前作からのリード・シングル『1%の関係』は、俺の知る限りでは当時、「ミュートマJAPAN」でやたらヘビロテされていた。幸宏ソロとしてはスマッシュ・ヒットしたおかげもあって、どうにかお茶の間への認知も上がっていった。いや、元YMOとして知名度はあったんだよな、当時も。ただ、この人がどんな歌を歌っているのか、みんな知らなかっただけで。

 1991年といえば、バブルが崩壊して間もない頃、一応世間的には、ダウ平均株価がどうたら地価がこうたらと、株式相場を中心軸とした経済活動がしっちゃかめっちゃかの状態だった。「だった」と聞いている。
 のちの史料やニュース映像では「狂乱の時代」だったと喧伝されているけれど、大部分の国民にとっては、「ちょっとした好景気」程度の認識でしかなく、のん気な受け止め方をしている者の方が多かった。特に当時俺が住んでた札幌は、東京から距離があった分、バブルの恩恵の余波もそれほどではなかった。当時の俺は専門学校生、バイト先で終電後にもらうタクシー・チケットを、束でゲットできたことを喜ぶ程度、まぁそのくらいだったかな。そんな時代が終わるとは思ってなかったし、またバブルが弾けるというのがどういうことなのか、イマイチわかってなかったのが正直なところ。津軽海峡の向こうでバブルがはじけたのは知ってたけど、その余波は緩やかで緩慢としたものだった。ほんとにヤバいと感じたのはその数年後、拓銀の破綻だ。
 で、まだバブルがはじけたというのをみんなが実感していなかった1991年、当時の幸宏の周辺では、利権目当ての事情通やら「自称」関係者やらが水面下で動き出していた。YMOの再結成話である。

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 1984年にYMOが散開してから7年。この間、幸宏はサディスティック・ミカバンドの再結成に参加、ちょうどバブル真っ盛りという好条件も手伝って、上々のセールスを記録した。そんな成功例を目の当たりにした業界人らが、数打ちゃ当たる方式でトバし記事やらガセネタやらを撒き散らしていた。
 そういったゲスい動きとは別に、シカゴ・ハウス〜デトロイト・テクノの隆盛とリンクして、Kraftwerkと並ぶテクノ・オリジネイターとしてのYMOの音楽的再評価が進んでいた。
 かつて活動期にリリースされていたライブ・アルバム『Public Pressure』の完全版『Faker Holic』は、当時オミットされたギタリスト渡辺香津美の音源が聴けることで重要な意味を果たした。ただ、そういった発掘音源も埋蔵量は限られている。ましてや、すでに活動していないのだから、新音源などあるはずもない。
 ニーズは確実にあるのに、在庫は底をついている。なので、オリジナルを素材として扱い、あとは手を変え品を変えで凌いでゆくことになる。彼らに影響を受けたとされる、ハウス/テクノ系のアーティストらによるリミックス・アルバムが乱発されたのが、この頃。
 再発見された過去の遺産に、新しい息吹を吹き込むという試み自体、志としては間違ってはいないのだけど、大抵の場合、オリジナルを超えるクオリティに達することは、皆無に等しい。コーディネーター・サイドとしては、良質の素材をカットアップしたり新しい音源を追加したり、それなりに努力のあとも窺えるのだけど、結局それらは「彼ら」の作品に過ぎない。YMOだろうが春日八郎だろうがKing Sunny Adéだろうと、彼らにとってはトラックの素材に過ぎないのだ。
 なので、彼らに純然たる「らしさ」を求めるのは、筋違いということになる。そりゃリスペクトはしてるだろうけど、方向性が違っているのだ。
 なのでこれらの作品、俺は聴いたことない。

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 多分、「YMO以降」という方向性を最も真剣に考えていたのが、そもそもの言い出しっぺだった細野さんだと思う。
 同時代性とは無関係な時間軸で動いていた環境音楽レーベル「モナド」と、YMO以降の後進アーティストらをバックアップするための「ノン・スタンダード」、2つのレーベルを同時に立ち上げた。同じ「YMO以降」というコンセプトでありながら、前者は早すぎたレトロ・フューチャー的な「細野晴臣」個人の嗜好、そして後者においてYMOチルドレンへの道筋をつけてゆく手はずだったのだけど、次第に細野さん自身の方向性の変化がレーベル方針にも影響し、またビジネス的な何やかやもあって、活動は次第にフェードアウトしてゆくことになる。
 もともと細野さんありきでスタートしたレーベルだけど、肝心の細野さんのテンションが目に見えるように下がってゆき、レーベルは自然消滅してしまう。
 細野さん自身のアーティスト・パワーが落ちていたわけではないけど、そのパワーの向かう方向は、次第に内向きのベクトルへ向かうようになる。散開近くから兆しのあったスピリチュアルな世界への関心が増し、次第に、そっち方面の発言やそっち関連の仕事が多くなってゆく。
 その流れでリリースされたのが、ソロ・アルバム『Omini Sightseeing』である。ざっくりした印象としては、アンビエント的解釈のヴァーチャルなワールド・ミュージック。解釈としては、そんなに間違ってないと思う。曲タイトルからして、「エサシ」やら「オヘンロサン」やら、きな臭い香ばしさが漂ってるのが、この時期の特徴である。
 当時、少数ながらまだ生息していたYMO=細野信者なら、あらゆる方面からの深読みを駆使して自己解釈できる音楽なのだろうけど、そこまで踏み込めない大部分のライト・ユーザーにとっては敷居が高く、ポピュラー・ミュージックからは最も離れた地点で鳴っている音楽である。いま聴いても頭でっかち感が強く出ているため、真剣に対峙して聴くと疲れちゃうので、お手軽アンビエントとして流し聴きするのが、多分入りやすいと思う。一応、コンセプト的には環境音楽だしね。

 内向きに収束していた細野さんに対して、この時期の教授はヴァージン・レコードと世界契約、「世界のサカモト」としてメジャー展開を図っていた頃である。
 混沌とした精神世界へ向かっていた細野さんとは対照的に、この時期の教授はクラブ・シーンで流されることも想定に入れた、肉体性を露わにしたフィジカルなサウンドを追求している。この年にリリースされたソロ・アルバム『Heartbeat』は、当時のトレンドだったハウス・ビートを大胆に導入、Arto LindsayやDeee-Liteなど、ニッチなジャンルでは有名なアーティストとコラボしている。
 ただ肉体性と言っても、教授思うところのそれにとどまっており、これが実際、クラブで流れていたかといえば、屁理屈とロジックでシミュレートされたビートでは踊りづらく、それほど支持されなかったのが事実。中島みゆきで言うところのご乱心期、教授のお戯れがちょっと過ぎたかな?程度にしか受け止められなかった。
 結局、ひと通りやってみてから、「自分には合わない」というのを自覚したのか、その後は自分のバックボーンである現代音楽へと回帰している。ただのオーソドックスなクラシックもどきではなく、メジャーでの活動によって獲得した大衆性をサウンドにフィードバックさせることによって、強靭な世界観を持つ音楽を展開して行くことになる。

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 で、幸宏。
 他2名がYMO的な音楽の呪縛から逃れよう、または落とし前をつけようともがき足掻いていた頃、YMOの中では異端的にポップだった音楽性を欧米レベルのサウンドで彩り、さらにそこへ私小説的な色彩をつけて発信していたのが、幸宏である。
 他2名がある意味、YMOからできるだけ遠ざかろうと試みて、消去法的なサウンドを選択していたのに対し、YMO時代から培っていたオーセンティックなポップ・サウンドを、ドメスティックな日本の環境に馴染ませるため、ペシミズム漂う「大人になり切れない大人の男」を主人公に据えていた。ウェットな土着性をさらに強調するため、盟友鈴木慶一、そしてライト・ユーザー向けに、明快な最大公約数的なストーリーを書けるプロ作詞家の森雪之丞を迎え、市井のJポップより多面性を持つ、それでいて確実に引っかき傷を残す世界観を創り上げた。
 青年期を過ぎた大人なら、誰もが抱く焦燥感。
 もう後戻りできやしないのに、
 でもどこかでそれを願ってしまう、
 そして決してかなうことはないこともわかってる。
 リアルに感じられる程度にデフォルメされた大人の諦念-。
 この路線へのニーズに確信を得たのか、このアルバムではさらに前作コンセプトを深化させ、「情けない大人の男ぶり」に磨きがかかっている。
 なんか変な表現だな、これって。


A Day in The Next Life【SHM-CD】
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1. ONLY LOVE CAN BREAK YOUR HEART
 オープニングはいきなりカバー。しかもNeil Young。俺の中でNeil Youngといえば、80年代以降のグランジのゴッドファーザー的存在の、ロック界のガンコ親父な印象が強かったため、ちょっと意外だったのだけど、オリジナル・ヴァージョンを聴いて納得。こんなきれいなメロディを素直に歌える人だったんだ、というのが正直な感想。ただの轟音オヤジじゃないんだな。
 このヴァージョンも基本、オリジナルに沿ったヴォーカルであり、サウンドもメロディを活かした構造になっている。カバーの多い人だけど、これだけハズレがないというのは、センスの良さと膨大な音楽的知識の賜物だろう。

 お前が若くて可能性に溢れてた頃 
 独りになるって、どんな感じって思ってた? 

 俺は自分のやってることでいつも頭がいっぱいで、
 人生最高の時にしてやるぞ、って考えてたよ

 日本語で歌われるとちょっとこそばゆいけど、英語なら素直に受け止められる。だから幸宏も歌えるんだな、こんな素直な歌。

2. 震える惑星
 前作収録曲の「6,000,000,000の天国」とサウンドの感触が似ているのは、アコーディオンっぽい音が入っているためか。まぁその辺で連作性を意識させているのだろうか。
 ここで登場するのは森雪之丞。もともとアイドル系やアニメ系の作詞で名前は知ってたけど、幸宏の誘いで歌謡曲畑から転身を図ったことは、今回wikiで初めて知った。このセッションをきっかけとしたのかどうかは不明だけど、ギターで参加の布袋寅泰とはその後、長い付き合いとなる。
 でも、なんで布袋なの?この人、たまに全然別ジャンルのアーティストとコラボすることがあるので、なかなか底が深い。中島みゆきのアルバムでクレジットを見た時も、ちょっとビックリした。

3. 愛はつよい stronger than iron
 シングル・カットされて俺は結構耳にしたはずだけど、売れたのかどうかはちょっと不明。ヴォーカリストとしての「高橋幸宏」のテクニックやらパッションやらがうまく表現されているのが、この曲だと思う。彼の声質が最もうまく活かされている。

 見えるかい?この傷
 痛みなら いつか消えるとわかってる
 でも君は もう僕に 微笑まない

 今のJポップからは失われてしまった文体。
 すべてを説明しているわけではなく、でもきちんした大人だったら響く言葉。
 難しい言葉じゃないのだけれど、今の人には説明不足過ぎるのかもしれない。
 でも、
 言葉のひとつひとつ、それらにいちいち説明しなけりゃならないなんて、誰が言った?

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4. 360°
 Chirs Mosdell作詞による英語ナンバー。車のCMで聴いたことがあるような気がするけど、気のせいか?まぁ、そんな雰囲気の大人のAOR。サウンドのベースがきっちり作り込まれているので、変に情緒に流されず、ソリッドなロックになっているのは、やはり彼の特性。日本語じゃ難しいよな、こういった世界観。

5. 空気吸うだけ
 発表当時から話題となった、ひたすらネガティヴなメッセージを発しながら、逆説的な僅かな希望にすがりたくなってしまう、スノッヴを通過した大人たちへのメッセージ・ソング。どこかにリンクしてるよなぁ、と思って聴いてると、
 あ、John Lennonの「God」だ、とついさっき気がついた。Lennonほどの攻撃性はないけれど、その言葉は時間をかけて浸食してゆく。

 涙あふれる 夜がある
 痛みを止める 嘘もある
 だけど 今の君は
 生きてるから 空気を吸うだけ

 ちなみにこの時期のTV出演時、パーカッション担当は鈴木さえ子。やっぱカワイイ。


 
6. BETSU-NI
 もともとは1986年にリリースされたEP「Stay Close」B面に収録されていた、結構タイムラグがあったけれど、ここではニュー・ヴァージョンで収録。JapanのSteve Jansenとのコラボ曲で、思いっきり小津安二郎にリスペクトした「Stay Close」のPVが話題になった。
 当時のヴァージョンはYMOの余波もあってか、テクノ・ポップとUKゴシックとのハイブリット的な趣きだったけど、ここではアルバム全体のタッチと親和性を図り、アコースティックなテイストにアレンジされている。こっちのトラックの方が小津タッチの映像とマッチしていそうだけど、まぁ後出しだからしゃあないか。

7. EVERYDAY LIFE
 軽妙洒脱なJポップ・テイストと共に、この時期の幸宏のサウンドは、『Ego』から確立したシンセのうねりを有機的に表現した壮大な音響感の二本柱が主となっている。
 「消し忘れたテレビに ミサイルが映って…」というクダリからわかるように、当時、真っただ中にあった湾岸戦争を取り上げている。これまで普遍的な題材を取り上げることが多く、時事的なワードはあまり用いてこなかった幸宏だけど、これまでの狭いコミュニティだけじゃなく、もっと多くのユーザーに歌を届けるため、現実と積極的にコミットしていかなければならない、その覚悟が感じられる。
 反戦がどうたらとか、そこまで深刻なものではない。普通の人が普通に思う、極めて当たり前な「Everyday Life」を描いた歌。でも主人公の生活はちょっと寂しいな。

8. X’MAS DAY IN THE NEXT LIFE
 ここから2曲は盟友鈴木慶一とのコラボ。ていうかビートニクス。正直、クリスマス時期になると、山下達郎よりこっちの方を聴くことが多い俺。それだけガツンと来たのだ。発売日と同時にシングルも買っちゃったし。
 ちょっと頼りなげながらも決して女々しくはない幸宏のヴォーカル、そしてそれを効果的に響かせるメロディとサウンド。ここまではいつも通り。ここに慶一の歌詞が加わって、ビートニクスは完成する。慶一ヴォーカルも味はあるけど、俺的には幸宏ヴォーカルの曲が惹かれている。慶一もその辺はわかっていそうだし。

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9. 神を忘れて,祝へよ X’mas time
 幸宏によるストレートなプロテスト・ソング。7.ではほんのサワリ程度でしか触れてなかった「戦争」という命題に真っ向から挑んでいる。と言っても、声高に反戦を唱えるのではなく、クリスマスをきっかけに銃を下ろし、互いに祝い合いいたわり合おうよ、という内容なのだけど。拳を振り上げれば戦争が終わるものじゃないしね。
 思えば、これまで行なわれた戦争の要因のほとんどは宗教が発端なのだけど、その神の解釈の違いによって人々が争うというのも変な話。国によって神様が違うわけではないのに。前作収録「Left Bank」において、幸宏はこう歌っている。
「最強の敵は 自分の中にいる 最高の神も 自分の中にあるはず」。
 オリエンタル・ムード溢れる無国籍アレンジは慶一の得意技のひとつ。幸宏の思うところ慶一の思うところとがひとつに混ざり合い、ちょっと辛口ながらも慈愛に溢れるクリスマス・ソングが仕上がった。これも俺の中のクリスマス・ソングのひとつ。

10. NIGHTINGALE IN HEAVEN
 エピローグ的な静かなインスト・ナンバー。変に感傷的にならず、シンプルなエンディングはこの人の照れなのか。ベタベタなバラードを入れると、もう少しはアルバム・セールスにも貢献したのだろうけど、まぁしないだろうな。一応、Jポップの狂騒に自ら飛び込んではみたけれど、玉置浩二ほどのスケベ心が足りなかった。



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くじけそうな大人たちに向ける歌 - 高橋幸宏 『Broadcast from Heaven』

folder 1990年リリース10枚目のソロ・アルバム。この頃になるとさすがに「元YMO」といった肩書きも必要なくなり、大人のロックを演じる渋い中年男性、わかりやすい例えだと和製Bryan Ferryといった趣きである。いや、そんなにわかりやすくないか。

 YMOではヴォーカルというフロントにありながら、あのアクの強い2人に挟まれていたせいで、個性を強く打ち出すことができず、終始影が薄かったのは事実である。生来の人の良さなのか、それとも生粋の東京人ゆえの押しの弱さから来るものなのか―、飄々とした佇まいが通好みではあったけれど、アーティスト・エゴは極めて薄く、そこがオリジナリティの弱さと受け止められていた。

 なので、サブカル周辺での評価は安定していたけど、そこからの横の広がりが少なく、「名前は知ってるけど、どんな曲を歌ってるのかよくわからない人」というポジションに長らく甘んじていた。
 UKニュー・ウェイヴ周辺のアーティストを起用したテクノ・ポップとニュー・ミュージックとのハイブリット的サウンドは小綺麗ではあったけど、そのあまりにバタ臭いサウンドは日本人の好みには合わず、シャレオツな洋楽っぽいサウンドとして聴き流されることが多かった。YMOからの延長線上での幸宏ファンは一定数いたけど、新規のファンを取り込んで行くには、やはり教授や細野さんのような強いエゴが必要だった。

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 そう思い立ったのかどうかは不明だけど、鈴木慶一とのTENTレーベルが破綻の憂き目に会い、東芝EMI移籍第1弾の『ego』は、そのアーティスト・エゴがこじれた意味で露わになった力作だった。こだわりの音で埋め尽くされたサウンドの洪水は隙がなかったけど、そこに詰め込まれていたのはエゴではなく、逆に没個性な空虚だった。100%幸宏印でありながらも、その質感はどこか他人行儀で、言葉もサウンドも上滑りしていた。サウンドに埋もれるようにミックスされたそのヴォーカルは時に聴き取りづらく、自らの無意識によってオミットされていた。
 エゴをどこまでも拒絶したそのサウンドの前で、息が詰まりそうになったのはファンだけではなかった。理想のサウンドを追求すればするほど離れてゆく感覚は、幸宏本人が最も実感していたはず。その徒労感は、以前から患っていた神経症をさらに拗らせてしまい、一時はその安否が気遣われた。

 で、その後、サディスティック・ミカ・バンドの再編プロジェクトを経て、チェンジ・アップした心境で制作されたのが、このアルバム。
 以前のような最先端のサウンドで埋め尽くされてはいない。むしろバッキングはシンプルで、幸宏のヴォーカルの特性である揺らいだ響きを最大限活かせるよう、サウンドの音圧も少し抑え気味。いい意味でのアーティスト・エゴが前面に押し出された構造になっている。
 YMOの中ではメイン・ヴォーカル担当というポジションもあって、シンガー・ソングライター的にメロディアスな旋律を作ることが多かった幸宏、ソロ以降はUKニュー・ウェイヴ勢とのコラボが多かったせいもあって、サウンドのディティールを活かすためミニマルなメロディが多かったけど、ここではそれが復活している。

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 これまではシンガー・ソングライターとしての宿命を受け止めて、ほぼすべての作詞作曲を自ら手がけていた幸宏だったけど、ここでは歌詞のほとんどを外注している。今後も運命を共にすることになる盟友鈴木慶一もいれば、職業作詞家にしてはエゴの強い森雪之丞など、クセが強いながらも、幸宏のキャラクターに理解の深い人ばかりなので、チグハグな印象はない。むしろ客観的な視点によって描かれた等身大の幸宏像は時に生々しく、そして痛みを伴う。

 で、その慶一、ビートニクスの流れからか、全面的にアレンジメントにも参加しており、ほぼ共作と言ってもいいくらいの力の入れようである。幸宏からインスパイアされたのか、または自らもそういった特性があったのか、「弱くって情けなくってもいいんだ」というテーゼが、今後続く3部作の主題になっている。
 限りなくリアルに近い幸宏の実像に、ほんの少しのフェイクを混ぜ合わせて、等身大の幸宏、こうでありたい幸宏像を見事に表現している。前作収録の”Left Bank”は迫真のクオリティだったけど、そこにポピュラリティを付加してデカダン要素を薄めたのが、この作品群である。

 年齢を経て付きまとってくる立場と責任、時折すべてが鬱陶しくなって放り出したくなる。ちょっとした弾みで心が折れそうになりながらも、必死にそれを心の奥底に押し込めてしまう。何の解決にもならない。ただ、爆発の瞬間を先延ばしにしただけ。一見涼しげな表情でいながら、内面はもう崩れ落ちそうなくらいなのに、そんな表情は見せずに踏み止まらなければならない。
 そんな大人たちを無闇に励ましたりするのではない。ただ、自分も同じような立場で同じような境遇でありながら、弱々しくしかし力強く幸宏は歌う。彼も歌い続けることで、何かしらの救済を求めているのだ。
 しかし、そんなものはどこにもない。
 ないことをわかっていながら、それでも歌わずにはいられないのだ。

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 逆説的に考えれば、傷ついた大人への応援歌的なニュアンスも含まれている曲が多いのだ、このアルバムは。
 このアルバムがリリースされた頃、俺はまだ二十歳になって間もないガキだった。物事を斜に見てわかった気になってるガキが幸宏の歌を聴いて、頭ではわかったつもりでいながら、その言葉をちゃんと受け止めていたかといえば、それはちょっと疑問。
 で、年月を経ていま46歳。当時の幸宏の傷み、大人の傷みを少しは実感できるようになってきたんじゃないかと、勝手に思っている。


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1 天国からの中継
 バグパイプとバンドネオンの音色を使用した、疑似オーガニック・サウンドを表現した打ち込みインスト。天国っぽいかと言えば微妙だけど、のどかな雰囲気はこれまでの幸宏のサウンドにはあまりなかったこと。

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 1.のアウトロからそのままメドレーで続く、作曲クレジットがビートニクスなので、ほぼ慶一との共作。宗教的な響きのドラムとシンセ・エフェクト。ビートは強いけど、決して歌を邪魔していない。むしろ荘厳な雰囲気を効果的に演出している。
 キリスト教史観による歌詞のため、当時の日本人にとってはイマイチ理解が得られづらい面もあるけど、世紀末を抜けて、エヴァンゲリオンを通過した世代なら、あまり抵抗なく受け入れられるんじゃないかと思う。ルシファーやメサイアなんてワード、ここで初めて知ったわけだし。

3 Fait Accompli
 作詞のSteve JansenはUKのビジュアル系バンドの元祖Japanのドラマーだった人。この人は特に幸宏を敬愛しており、特にJapanも解散してヒマだったせいもあって、よく日本に来て、また幸宏がイギリスに行ってはコラボを繰り返していた。
 JapanもYMO同様、短い活動期間の中であらゆる音楽的変遷を遂げたバンドだけど、その2人のコラボの完成形が、これ。きちんと時代に即したモダン・ロック・サウンドとニュー・ウェイヴの残り香を放ちつつ、ヒット・チャートにおもねることのないサウンドを創り出している。
 90年代も彼らのコラボは続き、日本でもUKでもどこかいびつで収まらないサウンドを創り続けている。
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4 4:30amのイエティ
 再びビートニクス登場。バック・トラックはむしろのどかで、メロディ・ラインもJポップに即した親しみやすいスタイルだというのに、歌詞だけが紙やすりで撫でられたように痛いのは、この2人のコラボの定番となるスタイル。
 イエティ(雪男)にはダブルもしくはトリプル・ミーニングも含まれているのだろうけど、愛しているのに家に帰りたくないその心境は、やはり中年以降じゃないとわかりづらいんじゃないかと思う。最初は俺もピンと来なかったしね。
 慶一の歌詞はどうしても主観で描かれていると思われがちだけど、独りよがりではなく、ちゃんと相手との関係性も描かれていることは、もっと評価されてもよい。
 この曲のラスト、

  だけどいつも僕が 
  こんな気持ちでいることに 気がついたら
  喉から叫ぶだろう
  僕と君の間を 切り裂くような
  悲しい声で

 サブカル中年の独善だけでなく、きちんと他人との距離感も描かれているからこそ、幸宏もまた彼とのコラボを続けているのだ。

5 1%の関係
 シングル・カットされて、一時このPVが結構テレビで流されていた。リリース当初から神曲認定され、今でも代表曲としての座を堅持している。
 慶一の書く詞はペシミスティックな皮肉と自虐が混じり合ったものが多いのだけど、これはネガティヴなワードを使いながらも希望的観測が織り込まれ、ひ弱ながらも前向きな男の、ある意味理想像が形作られている。リフレインされる1%がラストでは100%になっている、ベタだけどきちんと日本人の琴線に響くストーリー性と言い、ちょっと気恥ずかしかったかもしれないけど、傑作だと思う。



6 The Sensual Object Dance
 作詞のChris MosdellはYMO時代からの付き合いで、この人はなぜか日本での活動が多いのに、Eric ClaptonやMichael Jacksonからもオファーがあり、今はなぜか東京国際大学教授という、謎の人。どんな強いコネクションがあるのだろうか。
 これまでのソロの経歴をすっ飛ばして、YMO『Service』のサウンドを深化させると、こんな感じになるんじゃね?といったテイストのサウンド。UKニュー・ウェイヴを通過したAORといった感じなので、俺的には好み。でも、日本語詞の言葉の力が強いため、どうしても埋もれちゃうけどね。

7 淋しさの選択
 柔らかなレゲエ・ビートとスティール・ドラム風エフェクトが入っていながらも、ちっとも南国っぽく聴こえないのが、幸宏の持ち味。何となくのイメージだけど、冬って印象が強い人である。南国へバカンスに行ったら行ったで、「こんなとこ来るんじゃなかった…」って言いながら木陰でブツブツ言ってそうな幸宏の後ろ姿が想像できてしまう。
 唯一、森雪之丞が書き下ろした作品で、慶一が介在してない分、歌声もひ弱ながら前向きな響き。

8 Forever Bursting Into Flame
 再びChris Mosdell。ビートのきつくないゴシック・ロックといった趣き。もともとUKテイストが強い人なので、David Sylvianとの類似点が多い。まぁ従来幸宏ファン向けなのかな。

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9 Rehabilitation
 なぜか共同作詞クレジットとして大村憲司の名が。密林の部族を思わせるアフロ・ビートと、突然挿入されるゴスペル・コーラスといい、これまでの幸宏とはかなり異色。アメリカ音楽へのリスペクトを表明したことがなかっただけに、これはちょっと意外だったけど、それはちょっと誤解だった。

10 What The World Needs Now Is Love
 作曲者のBurt Bacharachはアメリカ人で、幸宏もUK音楽ばかり選んで聴いてたわけもなく、あらゆる選択肢の中からUKだけが突出していただけで、これもまた幸宏のヴァリエーションのひとつである。
 超有名曲で、Dionne Warwickを筆頭に、あらゆるカクテル・ラウンジ系のシンガーがこれをカバーしているのだけど、日本では幸宏のほか、野宮真貴も参戦している。
 いいメロディといい歌詞へのアプローチとして、幸宏が選んだのが、限りなくシンプルなピアノ一本による弾き語り。野宮真貴のパーティーピーポー的アレンジも面白いのだけど、アルバムを締めくくるラストとしては、これが最適。




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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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