好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

高橋幸宏

これもひとつのハッピー・エンド - 高橋幸宏 『Life Time, Happy Time 幸福の調子』

folder 1992年のYMO再生プロジェクトは、あの伝説となった記者会見でひとつのピークを迎え、その後、緩やかな下降線をたどっていった。間もなくリリースされたアルバム『テクノドン』はそれなりのセールスを上げはしたけど、一般的に強く印象に残っているのは、豪奢な棺に収められた姿であり、やる気があるのかないのか微妙なリアクションの「モジモジくん」のコントだった。なので、当時の音楽シーンに多大な影響を与えた感は、まったくなかった。
 業界総出で盛り上げられた、そりゃもう空前の前評判に煽られて、一応、即買いしたはいいけど、なんかピンと来なくて2、3回聴いただけで、速攻売り払ってしまった『テクノドン』。近年になってアナログ再発されたこともあって、再評価の機運を盛り上げるムードが高まりつつあって―、と途中まで書いてみたけど、いやないな。
 CDバブル華やかなりし90年代までと違って、音楽メディアや業界が扇動しても、マーケットはそれほど簡単に動かなくなった。YMOの評価や歴史的位置づけが、そこそこ固まってしまった現在、「往年のファンに向けての高額ノベルティ」といったエクスキューズ以外、ニーズはそんなにないんじゃないかと思われる。
 かつて創造したテクノ・ポップというイディオムを引き継がず、果敢に現在進行形のテクノを取り込んでいたのは、強い攻めの姿勢のあらわれだと思っていたのだけど、その後の各メンバーの発言やコメントからすると、どうもそんな感じでもないっぽい。彼らが自発的に、抑えきれぬ表現衝動に突き動かされて発動したプロジェクトではなかったこともあって、消化不良と妥協と齟齬の積み重ねが、全体に暗い影を落としている。
 3人が3人とも、プレイヤーとしてコンポーザーとして、それぞれピンで成立しちゃっているので、フワッとしたお題がひとつあれば、チャチャッと1トラック仕上げてしまうのは、お茶の子さいさいである。極端な話、ザックリしたアイディアやフレーズをメンバーに伝え、あとはスタジオでいじくり回せば、それなりに形になってしまう。出来はどうであれ。
 YMOというユニットは、カッチリした民主制でもなければ、絶対的カリスマによる独裁制でもない。一応、年長者であり、言い出しっぺでもある細野さんがリーダーではあるけれど、音楽的なイニシアチブを完全掌握しているわけでもない。
 「細野さん」≠「教授」という、微妙に位相のズレたカリスマ2人の緩衝役として、「両者のパワー・バランス調整に神経をすり減らし、それでいて案外、そんな役回りが性に合っている幸宏」という相関関係が奇跡的に釣り合っていたのが、散開前までのYMOだったと言える。そんな張りつめたテンションの緩急具合は、時に『テクノデリック』、時に「トリオ・ザ・テクノ」といった風に、大きな振り幅を描いていた。
 ただ、そんな緊張緩和が永続的に続くはずもない。細くしなやかな糸も、次第に擦り減ってゆく。
 無理やり結び直したとしても、かつてのしなやかさを取り戻すことはない。そう考えると、再生YMOに大きな「バッテン」がついたのも、納得がゆく。

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 それなりのキャリアや実績を築いたバンドが解散すると、1人くらいはソロ活動がうまく行かなかったり、表舞台から消えたりするものだけど、YMOはその轍を踏まなかった稀有な例である。セールス的に大きな成果を上げることはなかったけれど、3人とも新レーベルを立ち上げたり海外アーティストとのコラボがあったりで、クリエイティブ面ではむしろYMO時代よりアクティブだった。
 3人が3人とも、「元YMO」という肩書きを振りかざすこともなければ、真っ向から否定することもなかったけれど、それまで築いた過去の業績は、未来のキャリア形成において、確実に有利に働いた。客観的に見て、新たなプロジェクトやレコード会社の移籍話ひとつ取っても、「元YMO」というブランドは、3人にとって都合の良い方向に作用したことは明らかである。下世話な話、企画書に彼らの名前があると、予算は確実に一桁違ってくる。
 散開後、真っ先に行動を起こしたのが教授だった。ていうか、もともとバンド活動に理想を求めないノマド体質だったからして、逆にYMOで5年も続いたこと自体、奇跡だった。
 映画『ラスト・エンペラー』サントラでアカデミー賞ゲット後、名実ともに「世界のサカモト」となり、現代音楽からハウスまで、はたまたイギー・ポップからユッスー・ンドゥールまで、興味が湧けば手当たり次第、あらゆる音楽性を貪り、未知の音楽への経験値を上げていった。
 細野さんは細野さんで、『銀河鉄道の夜』のサントラや、松田聖子・中森明菜への楽曲提供といった、比較的コンテンポラリーな路線と並行して、「ノン・スタンダード」と「モナド」2つの新レーベルを立ち上げ、若手アーティストの育成やプライベートな色彩の作品を発表していた。ゼビウスの音源をベースとしたメタ=テクノ・ポップ的なアルバム・リリースの傍ら、「セックス・マシーン」のカバーでJBと共演したり、実は3人の中で最も振り幅の大きい活動をしていたのが、細野さんである。
 2人ともザックリ要約しちゃったけど、深く知りたい人は自分で調べてね。細かく拾ってくと、めちゃめちゃ長文になるし、ていうか、本題とは大きくズレる。

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 で、幸宏。
 良い言い方で天衣無縫、悪く言っちゃえば傲慢この上ない2人のカリスマの板挟みに合って、文字通り、身も心もすり減らしたのが彼だった。橋渡し役と言えば聞こえはいいけど、体のいいサンドバッグみたいなもので、5年に渡るジャブの応酬は、確実に彼の精神を蝕んだ。
 基本、控えめで自分の意見をゴリ押しせず、なんとなく気心の知れたメンツを中心に、ほどほどの距離感を保つのが、いわば彼の処世術だった。これは何も幸宏だけではなく、当時の東京人の特性と共通する。
 身ひとつで田舎から上京してきた地方出身者と違い、都内が実家なら、そんなに生活の心配もいらない。ていうか、都内が実家で学生時代からバンド活動ができるというのは、つまりはそういうことである。
 楽器が買えて大きな音で演奏できる環境は、中高校生が努力して得られるものではない。医者や経営者、または大地主の子息による、同じ趣味を持った緩やかなコミュニティからの派生で、日本のミュージック・シーンの一面は形成されていった。
 カリスマティックなコンポーザー:加藤和彦が多くを仕切っていたミカ・バンド時代の幸宏は、いわばバンドの1ピースに過ぎなかった。強く進言することもなく、与えられた役割をきっちりこなす。
 バンドと違うコンセプトでやりたいのなら、ソロでやればいい。自分から事を荒立てるのは好きじゃないし、意見をゴリ押しするのは、ちょっと気恥ずかしい。
 そんなゆるく穏やかな東京人が集うコミュニティにも、異彩を放つ者がいないわけではない。ちょっと違う感性・違う見方をする者は、時に孤立し、時に同好の士として意気投合したりする。
 そんなカリスマを2人も抱えていたのが、YMOだった。当時から何を考えているのかわからないけど、先見の明はズバ抜けていた、ミステリアスな細野さんと、同じく何を考えているのかわからないけど、理屈っぽくてエゴの強い教授。
 当時から洒脱なセンスと育ちの良さが際立っていた幸宏もまた、一般人の視点からすれば、充分カリスマティックではあるのだけれど、この2人に比べれば、キャラの強さはちょっと落ちる。ていうか、一歩引いちゃうんだよな。
 周辺スタッフからすれば、最も聞き分け良さそうな幸宏に進言することが多くなり、バンドの調整弁とならざるを得ない。四方八方丸く収めなくちゃ、という気持ちが先立ってしまい、自分のことは後回しになってしまう。
 あくせくせず、飄々とした表情の裏は、常に泣き顔だった。YMOで得たポジションや収益の代償は、それなりに高くついたという事なのだろう。
 YMOから解放されてからは心機一転、テント・レーベルを立ち上げたり映画で主演したみたり、あれこれ手を尽くしたけど、どれも消化不良気味で終わっている。密度の濃い5年間をリセットするには、やはり同程度の歳月が必要だったのだ。

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 EMI移籍第1弾としてリリースされた『Ego』にて、それまでの膿をある程度出し切ることに成功し、幸宏はのちに「恋愛3部作」と称されるコンテンポラリー寄りの作品群に着手することになる。
 神経症が完治したわけではない。ただ、病との向き合い方、無理せず長く付き合ってゆく心づもりを体得した、という事なのだろう。大きな意味で、人はそれを「大人になった」と呼ぶ。
 鬱屈した想いを主観で吐露するのではなく、客観で語る。大局的な視点とは、突き詰めれば神同然になってしまうけど、そこまで大袈裟なものではない。
 もっと地に足のついた、古典的なストーリーを軸とした、傷つき、疲れ切った大人の男を主人公としたメタ・フィクション。ハッピー・エンドで終わるとは限らない、迷走なら迷走のまま、なんとなく終着点の見えてしまったコスモポリタンへ向けた自虐、そして、ささやかなエール。
 ごく普通のラブ・ストーリーのフォーマットを用いながら、きちんと言葉を追うと、聴いた後にほのかな苦味が残る。陳腐な言葉と物語でお茶を濁さず、それでいて広範な大衆性を意識できる存在として、EMIにとって高橋幸宏は理想の素材だったと言える。
 恋愛3部作は玉置浩二をロール・モデルとしており、意識してそっち方面へ寄せるよう心がけていた、という発言が残っている。そこに加えて、徳永英明や小田和正のエッセンスも入れたんじゃないかと思われる。
 要は都会的センスを持ち合わせた男性アーティスト全般、東京または地方中核都市で、仕事にプライベートに充実した、または充実させたいと願っているホワイト・カラーをターゲットにしたマーケティング戦略に則っている。

 で、何を言いたいのかというと、この時期の幸宏もまた、ポスト・ユーミン戦略の一環だったんじゃないか、と。EMIに限らず、当時のレコード会社はユーミンの対抗馬作りを模索していた。
 岡村孝子はそこそこ成長株だったはずなのだけど、絶対神:ユーミンの前では屈せざるを得なかった。杏里や今井美樹も、作品クオリティ的には健闘したのだけど、初回出荷でミリオン叩き出しちゃう力技に対抗できる術を持たなかった。
 難攻不落のユーミン一強体制に一矢でも報いるため、各メーカーはあらゆる手段を講じていた。真っ向勝負で新進女性アーティストをぶつけるのと並行して、同傾向の男性アーティストもまた、それまでのキャリアとはちょっぴり意匠を変えて、ポスト・ユーミンとしてコーディネートされた。
 リスクマネジメントの視点で言えば、この戦略はそのままEMIにも当てはまってくる。ユーミン無双が「永続的なものではない」と仮定すると、やはりポスト・ユーミンの存在は必要となってくるし、むしろその可能性は高くなる。
 EMI内におけるポスト・ユーミン戦略の中で、大人目線から恋愛教を語れる男性アーティストとなると、確かに幸宏が適任だったと思われる。当時の所属アーティスト・ラインナップを振り返ってみると、元BOOWY2名とYAZAWA、あとはRCと、ロック勢が多くを占め、ポップス系でセールスを見込めそうな者が、いそうで案外いなかった。
 単発のプロジェクトでは世間への浸透力が薄いため、コンスタントに3枚続けて同コンセプトのアルバムを制作したのも、そう考えれば納得がゆく。もともとセンチメンタリズムを持ち合わせていた人なので、その部分をクローズアップして大衆向けにコーディネートした、というのが正確な言い方だけど。

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 大人の「痛い恋愛」路線も軌道に乗り、そこそこタイアップも取れてセールス的にも安定した、とされているのが、この時期の幸宏である。EMIが目論んでいたほどのビッグ・セールスには及ばなかったけど、変に気負わず無理をせず、都会を生きるホワイト・カラーを対象とした戦略は、幸宏自身のメンタル・ケアにも幾分か作用した。
 鬱の人に「ガンバレ」と声をかけるのが逆効果であるように、幸宏もまた、声高に励ましたり、背中を押すわけではない。時にネガティブに呟きながら、「ダメだなぁ僕」と肩を落とす。
 共感を押しつけたりはしないけど、その姿・スタイル・生き方は、思わぬところから共感を呼ぶ。癒し成分の多い幸宏の声質は、そういう意味ではかなり得をしている。
 ―時々、すべてを投げ出して、リセットしたい衝動に駆られる。でも、そこへ一歩踏み出す勇気なんてない。今の自分の置かれた環境・ポジションに折り合いをつけて、どうにか1日を乗り切って行くしかないのだ。
 あまり展望の見えぬ生き方ではあるけれど、でも後ろ向きではない。そこに踏みとどまっているうちは、まだ後退ではないのだ。





1. 元気ならうれしいね
 アルバム発売前に先行リリースされたリード・シングル。クノール・カップスープCMとのタイアップが話題となって、オリコン最高82位。あれ、思ってたより全然低いな。ただ、1992年当時のシングル・セールスは、10位までがミリオン超えなので、そう考えると決して低い数字ではない。まぁEMIの皮算用は大きくはずれちゃったけど。
 なので、幸宏のことを詳しく知らなくても、聴いたことある人は案外多いんじゃないかと思われる。当時の牧瀬里穂が凛々しくて可愛くて、その辺の印象が強い名CMでもあった。
 デジタル臭の薄い、跳ねたリズム・パターンを基調に、オーガニックなアコースティック・テイストでまとめられたサウンドをバックに、緩い脱力感のヴォーカルの幸宏。思えば、この辺から再生YMO関連で周囲がざわついていた頃だから、こういった肩の力が抜けるセッションは、精神衛生のバランス的にも作用していたんじゃないかと思われる。

 人が言うほど 僕は不幸じゃない
 こんなに君のこと 想えるから

 ホンワカしたメロディに載せて、サラッと重い心情吐露してしまうのが、やはり幸宏の持ち味。つい自己投影してしまうアラサー男子の穏やかな叫びを代弁してしまっている。
 「愛はちょっと 不思議なんだ」で締めるところに、ほんの少しの救いを感じさせる。



2. 男において
 で、この時期の幸宏の代弁者、または「もう一人の幸宏」と言い切っちゃっていい存在だったのが、鈴木慶一。当時、ムーンライダーズもEMI所属であったため、かなり密な間柄だった。
 互いに近づくことによって、互いの精神状態も侵食し合って、特に慶一の言葉は才気走っていた。ズバッと本質をえぐり出すわけじゃないけど、ジワジワ傷口を広げ蝕んでゆく、それでいてクセになってしまう遅効性の刺激は、多くのアラサー男子を悶絶させた。
 ステレオタイプの「男」を演じるため、いろいろ失ってきた。「こうであるべき」なんてのに意味はないのに、体面やしがらみなんかを考えると、「男」であることは楽ではある。
 ただ、そんな自分が時折、とても窮屈で泣き出したくなってくる。もう少し勇気があって、もっと素直になったら、自分自身も、そして、君も好きになれるかもしれない。
 ユーミンなら、同じ主題を流麗な比喩やプロットで飾り立てるけど、慶一はシンプルな言葉に重層的な意味を込める。その辺が最大公約数じゃないんだよな。俺は好きだけど。

3. 素敵な人
 アルバムと同時リリースされた、2枚目のシングル・カット。オリコン最高74位と、あれ、1.よりチャート・アクションいいんだ。ラジオではちょっと流れてたかもしれないけど、タイアップもないので、あまり印象に残っていない。
 ピリッとしたスパイスは効いているけど、おおむねコンテンポラリー・サウンドの枠をはみ出ない、そんな職人:森雪之丞による大人のラブ・ソング。

 夢は風になって 明日は今日になって
 人を好きになって、君は君になった

 慶一が書くと、もう少し陰影がつくのだけど、ちょっと刺激が強すぎる。ある程度のセールを見込むのなら、この程度の文学性が行き渡りやすい。

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4. Follow You Down
 海外ドラマ『Friends』の挿入歌でおなじみ、アメリカのポップ・デュオ:レンブランツのカバー。って書いてみたけど、彼らの存在知らなかったし、しかも海外ドラマちゃんと見たことないしで、俺にとっては未知の存在だった。
 なので、オリジナルをYouTubeで聴いてみたのだけど、ほぼまるっきり同じアレンジだった。アレンジもリズムも特別ひねりがなく、違いといえばヴォーカルくらい。当たり前か。
 なので、純粋に「歌ってみた」かったんだろうな。この人の洋楽カバーは、大抵ストレートなアプローチなので、特段珍しいことではない。
 
5. Good Days、Bad Days
 アルバム・ジャケットのポートレイトにて、玄関の掃き掃除の手を止めて、虚空を見つめる幸宏。そんな彼がつぶやくように、かつ丁寧に言葉を紡ぐ。

 砂の国の争いや 汚れた星を嘆くけど
 僕には 君さえ救えない

 悩み過ぎて拗れすぎて、あらぬ方向まで想いが巡ってしまうけど、大事なことは、いつもすぐそこにあるんだ。ていうか、足元さえおぼつかない者が、どうして世界を、そして愛する女を救うことができる?
 でも、僕には空を見上げ、涙をこぼすことくらいしかできない。情けない男の真骨頂が、ここにある。刺さるよなぁ。

6. Fathers
 亡き父親へのストレートな憧憬と思慕が交差する、まっとうな男のラブ・ソング。酸いも甘いも孤独も葛藤もすべて飲み込んで、常に動ぜず変わらぬ横顔を見せる父の面影。
 こういう歌を正面切って歌えるようになったこと、それはやはり「大人になる」ということなのだろう。

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7. Pursuit Of Happiness
 アルファ時代を思わせる、全篇英語詞のドライな質感だな、と思っていたら、作詞はステーィヴ・ジャンセン。幸宏が声をかけると、すぐ馳せ参じちゃうジャンセン。美しき師弟愛だよな。
 ちなみにこの時期のジャンセン、Japan解散後は、元メンバーとくっついたり離れたりを繰り返していたけど、遂にフロントマンであり、同時に実兄であるデヴィッド・シルヴィアンの説得に成功し、再結成Japan(なんやかや諸般の事情があってRain Tree Crowに名称変更)始動となるのだけど、始まった途端にまたなんやかやあって、アルバム1枚で活動停止、ちょっとへこんでいた頃である。
 それぞれ経緯は違うけど、師匠・弟子とも、近い時期に再結成騒動に巻き込まれていた、というオチ。あそこの兄も、何かとめんどくさそうだもんな。同時期にロバート・フリップともつるんでたし。

8. Happy Children
 何となくスタジオで空き時間ができて、何となく機材いじってたら、面白い音があったんでループさせて、あれこれいじくり回してたら案外出来がよかったんで、ならマンドリンも入れちゃえ、ってな感じで仕上がっちゃった曲。タイトル通り、ゆったり和んでしまうサウンドなので、最適なインタールード。

9. MIS
 はるばる大英帝国から駆け付けたスティーヴ・ジャンセンに対抗意識を燃やしたのかどうかは知らないけど、日本からの門下生代表:高野寛とのコラボ。クラフトワークを意識したこともあって、まんまテクノ・ポップ。
 こじれて屈折した恋愛観が描かれた歌詞は、オーソドックスなラブ・ソングのような歌い方では合わず、強いエフェクトをかけたドライな質感が似合う。皮肉の強い言葉の端々に、ストレスが見え隠れする。

10. しあわせになろうよ
 幸せにするから「ついて来いよ」と言うのではなく、「だから許してよ」と言ってしまうのが、やはり幸宏流。でも、言えるだけまだいい。泣いて時をやり過ごすだけのアラサー男子は、斜に構えず、一歩踏み出すことも大事だよ、と教えてくれた曲。
 もう少し力強さを加えたらヒットするんだろうけど、でもそれじゃ長渕みたいになっちゃうか。

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11. 幸福の調子
 ラストは、アルバムのサブ・タイトルとなったミディアム・バラード。ここまで慶一と森雪之丞に手伝ってもらっていた歌詞も、ここは単独クレジットとなっている。
 アルバム全体に通底したテーマという想いがあったのか、平易な言葉をストレートに、無理に技巧を凝らしたり比喩を織り交ぜたりすることもない、純粋なメッセージ。誰かに押し付けたりすることもなく、無理な共感を得ようともしないけど、でもちょっとは気づいてほしい。
 すごく自分を卑下しているかのような口振りだけど、「そんなことないよ」と言ってあげたい。そしてまた、言ってもらいたい。
 でも、誰でもいいわけじゃない。そんな風に思ってもらいたいのは君なんだ、と。
 いくつになっても、頭ポンポンされたい気持ち。そんなのは、誰だってある。表立って言えないけどね。






曖昧な形をした軽い絶望と虚しさ - 高橋幸宏 『Ego』

611pNezqhCL 1988年リリース、ソロデビュー10周年として企画された9枚目のオリジナルアルバム。鈴木慶一と立ち上げたレーベル「テント」が何やかやでフェードアウトしてしまい、心機一転となるはずだったアルバムである。
 なるはずだったのだけど、アルファ〜YENのようなこじんまりしたレーベルならともかく、ポニーキャニオンが本腰を入れちゃったため、大きなバジェットからスタートしたテントは、自分の音楽以外のこともあれこれ考えなければならず、気に病む案件も多かったことは、後の発言からも明らかになっている。だって、メインプロジェクトのひとつが「究極のバンド・オーディション」だもの。そういったエンタメ路線とは正反対のキャラなのに。

 1988年といえば、世の中はバブル真っ只中、レコード産/音楽業界にも潤沢な予算があった時代である。オリコン・データを見ると、バブル時代ってシングル・アルバムとも案外ミリオンセラーが少なく、マーケット的には小さく思われがちだけど、音楽業界に関してはむしろ90年代がバブルで、21世紀に入ってからは縮小傾向に入っているので、規模としては今と同じくらいと思ってもらえればよい。
 ただ、現在のように一部のトップ・アーティストやアイドル/アニメ系に購買層が集中しているのではなく、どのジャンルもまんべんなく、そこそこ売れていた時代でもある。地上波の音楽番組も数多かったし、ジャスラックも大人しかったおかげで、特に気負って探さなくても、音楽が自然に耳に入ってきた。いい時代だったよな。

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 テントが閉鎖して自由の身になった幸宏、せっかくならここでゆっくり休養すればよかったのだろうけど、あまり間を置かずに東芝EMIへ移籍、さっそく『Ego』のレコーディングを開始している。この時期はさらに加えて、サディスティック・ミカ・バンドの再編話も本格的な詰めに入ってきた頃なので、何かと落ち着いて自分の仕事ができなかったと思われる。なので、『Ego』レコーディングは断続的、たびたび中断の憂き目にあっている。

 そんな周辺の騒がしさも要因だったのか、幸宏の作風は精神状態とシンクロするようにダウナー系、終わりなきレコーディング作業の泥沼にはまり込んでゆく。
 80年代のスタジオ・レコーディング事情は、録音設備のデジタル化とMIDI機材の秒進分歩の進化と歩みを共にしている。昨日までの最新モデルが、一般発売された時点ですでに旧規格になっているのはザラで、ツールのアップデートが頻繁に行なわれていた。当初はメトロノーム程度の性能しかなかったシーケンス機材も格段に進歩し、デジタル楽器のマシンスペックは、生音にかなり近いものになっていった。
 そうなると作業は効率化され、簡便になったと思われがちだけど、実際のところは膨大なポテンシャル/マテリアルの収受選択が困難になる。あれもできればこれもできる、じゃあその中からどれを選べば?
 真摯なアーティストであればあるほど、そのこだわりは強く作用して、結果的にスタジオワークに費やす時間は長くなった。

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 やれる事が多くなった分、思いついた音は際限なく、いくらでも詰め込めるようになった。録音トラック数も増えてるし、コンソールの進化によって音がダンゴになったり、極端にピークレベルを抑える必要もない。以前は海外での録音が多かったけれど、機材も欧米並みになってるし、第一、スタジオに長期間篭るという前提なら、どうしたって国内のスタジオ一択にならざるを得ない。
 ふんだんな予算と時間を使うことによって、サウンドは隙間なく埋められている。ヴォーカルも含め、すべての音はストレートに出したままではなく、あらゆるフィルターやエフェクトを通して加工されている。ひと癖もふた癖もある、頭の中であぁだこうだといじられまくった音だ。
 ネガティブな負のパワーを秘めたアンサンブルは、一歩引いてしまうほど音圧が強い。そんなサウンドの中、幸宏のヴォーカルは細く、一聴すると弱々しく感じる。でも、ちゃんと聴き進めていくと、その細さの中にしなやかさ、決して折れることはないコシの強さが秘められていることがわかる。

 ミュージシャンであるからして、サウンドに強くこだわるのは、いわば当たり前の話である。テクノロジーの発達と創作意欲のピーク、それに加えて新たなサウンド/ツールへの興味とがうまく噛み合っていたのが、80年代の幸宏である。
 この時代までの幸宏がマスに浸透せず、サブカル業界人界隈で持てはやされるレベルに留まっていたのは、主に歌詞の世界観の弱さにある。
 アルファ時代のアルバムの歌詞は、自作半分/外部委託半分といった割合となっており、お世辞にもクオリティが高いモノとは言いづらい。かといって、外部ライターの作品が良いかといえば、これまた印象に残るほどのものではなく、「まぁ頼まれたから、幸弘のイメージに合いそうなモノを書いて見ましたよ」的なレベルである。もともと声を張るヴォーカル・スタイルではないので、聴き流せる英語詞ではフィットするけど、どちらにしろストーリー性は軽視されている。
 自ら進んで身を置いたわけではないだろうけど、今に至るサブカルのルーツのひとつだったYMOの流れから、その後も「サブカルの人」と位置付けられていた幸宏である。彼自身、そこまで意識はしていなかっただろうけど、何しろ周囲が屈折したサブカル人脈ばっかりなので、前時代的な熱いメッセージや主張に拒否反応を抱くようになるのは、自然の成り行きである。

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 同じサブカル人脈の流れの中で、一時は共依存と言ってもいいくらい、それくらい近しい場所にいた鈴木慶一は、幸宏と同化した存在だった。慶一が幸宏に書く言葉は、それすなわち慶一の言葉であり、その逆も同様だ。
 あれから何十年経っても、2人は不可分の存在である。
 幸宏同様、ムーンライダーズ活動休止による燃え尽き症候群で虚脱状態にあった慶一も、当時は大きく心を蝕まれていた。「何もそこまで自虐的にならなくてもいいのに」というくらい、慶一は幸宏のパーソナリティを白日のもとに晒し、そしてそれは同時に、慶一自身の痛みでもあった。
 ヒリヒリする痛みの強さと深さとが、互いの距離を測り、そしてまた2人に共鳴する感覚を持つ者もまた、その精神的Mプレイを自分に置き換え、露悪的になった。

 育ちの良さから来るものか、あまりガツガツせず、飄々と生きてきた感のある幸宏だけど、作品を見聴きすれば、それは見当違いであることがわかる。深遠かつ茫漠としたダークサイドの澱は、曖昧な紋様を描いて奥底に溜まる。
 そんな心の闇の実体は如何なるものか。結局のところ、本人にしかわからないのだ。その澱は、近しい者なら見たり感じたりすることはできる。ただ、その澱の元となる「痛み」までは感ずることはできない。「感ずる」=「同化」であるからして。
 立ち上がれないほどの無力感に襲われながら、必死の形相で言葉を、音を刻むその姿勢は、高い作品クオリティとして昇華した。

 -夢も希望もこれといってなく、昨日の続きの今日を生きるだけ。
 これまでの人生に、何ら過不足のない30歳以降の男性がふと抱く、曖昧な形をした軽い絶望と虚しさ。
 それを言葉だけじゃなく、サウンド総体で表現したのが『Ego』である。細部まで強いこだわりを持って組み上げられた作品は、時に過剰なほどのマテリアルが詰め込まれているけど、そこに至るプロセス自体が、幸宏にとっての作業療法であり、また慶一にとっても同様だった。彼岸で石を積むが如く、不毛だけれど集中はできる。石を積んでいる間は、余計なことを考えなくてもよい。
 ただ、このテンションのまま、アーティスト活動を継続していくと、最後に行き着くのは自我の崩壊だ。剥いても剥いても中心コアの見えない自我のタマネギは、いつしか無に帰してしまう。

 慶一作「Left Bank」で描かれた「大人の男の無常観」が反響を呼んだことから、次回作からは、その世界観の軸足を恋愛の方向にシフトさせ、アコースティック成分を多めにした、間口の広いコンテンポラリー寄りのサウンドを展開することになる。
 『Broadcast From Heaven』から始まるEMI3部作は、『Ego』をライトに希釈して、幅広い層の共感を得ることになる。



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高橋幸宏
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1. Tomorrow Never Knows
 中期Beatlesの代表曲からスタート。Johnの原曲に加え、当時、Georgeがハマっていたラーガ風味をミックスしてしまう発想は、さすがマエストロならでは。間奏のギターの逆回転をエスニックに味付けしたり、小技もたっぷり。こうやってポップ・クラシックを自流の解釈でいじくり回すのは、要するに好きなんだろうな。カバー曲での幸宏はほんと生き生きしている。作品に持つ責任が少ないからなのか。

2. Look Of Love
 安全地帯を思わせるオープニングに続くのは、デジタルシンセの緩急をうまく使いこなしたAORポップス。デジタル特有の硬い響きとボトムの弱さを逆手に取って、要所で使い分けることによって独自のリズムを形成している。
 サウンドはすでに熟成されているとして、まだAORに吹っ切れていない甘すぎるヴォーカルと、フォーカスがボケて無難にまとめた自作詞が惜しいのかなと昔は思ってたけど、ダンサブルなイントロとギター・シンセのリフだけで、今はもう満足してしまう。
 当時はまだレベッカ在籍だったノッコがなぜかコーラス参加してるらしいけど、ほとんどわからないくらい。何だそりゃ。



3. Erotic
 Bryan Ferryをもっとダンサブルなリズム主体にして、疾走感を与えると、こんな風になる。ヴォーカル・スタイルも似てるしね。ただあっちはもっと自己陶酔が激しい分、幸宏よりエロだけど。当時の日本のアーティストで、ここまでデジタル・ファンクを消化していた人はいなかった。クオリティはめちゃめちゃ高い。でも、質の高さと一般性は比例しない。そこの薄め具合が問題だったのだ。

4. 朝色のため息
 曲調といい歌詞の世界観といい、プレ「1%の関係」と言ってもよいミドル・ポップ。「これで最後」だというのにまだどこか尾を引いた関係性というのは、幸宏の永遠のテーマなんだろうか。その後のEMI3部作で、慶一がそこをもっと映像的・観念的に描写することになる。

5. Sea Change
 この曲のみ、細野さん作曲。作詞は幸宏と盟友的ギタリスト大村憲司との共作。なので、この曲のみ『Ego』収録曲とテイストが違い、音も結構隙間を活かした構造になっている。制作中に亡くなったYMO時代のマネージャー生田朗に捧げられており、レクイエム的にしっとりしたアレンジでまとめられている。久々に大村のギター・ソロが堪能できるのも一興。

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6. Dance Of Life
 共作のIva Daviesは、当時、欧米で人気上昇中だったオーストラリアのバンドIcehouseのリーダー兼ヴォーカリスト。A-Haをもっとロック寄りにしたエレポップ・バンドと言えば伝わるだろうか。YouTubeでいくつか聴けたオリジナル曲は、どれも大味なアメリカン・ロックだったけど、ここではもっと硬質なダンス・ポップに仕上がっている。
 ていうかヴォーカルはほとんどIvaで、幸宏の孫座感はほぼなし。多分、コーラスでちょこっと顔出ししてるのだろうけど、あぁいった線の細さだから、ほとんど出番はない。なんで入れたんだろうか?普通にいい曲だけど、まぁそれだけ。

7. Yes
 ここまで硬質でバタ臭いメロディがここまで多かったけど、幸宏のもうひとつの特性である、歌謡曲とも親和性の高いメロウなポップ・バラード。A面と比べ、B面楽曲は録音トラック数を絞った印象が強い。音に隙間がある分、メロディに耳が行く瞬間が多い。

8. Left Bank(左岸)
 このアルバム中、最大の問題作。その後の慶一との本格的なコラボも、もとはここからすべてが始まった。サウンドだけ取り上げれば、後期ニューロマ~ダーク系エレポップの進化形といった風に分析できるけど、
 俺が言いたいのは、そういったことじゃない。



 恐竜の時代から 変わってないことは
 太陽と空と生と死があること 過ぎてしまうこと

 向こう岸は、昔住んでいたところ
 左岸を 海に向かって
 僕は歩く 君を愛しながら

 この愛はいつからか 片側だけのもの
 お互いの心さらけだすそのとき
 愛は黙ってしまう

 向こう岸は、キミと住んでいたところ
 左岸を 風に向かって
 僕は歩く 君を忘れながら

 最強の敵は自分の中に居る
 最高の神も自分の中にいるはず

 向こう岸に 僕の肉が迷っている
 左岸で 骨になるまで
 僕はしゃがんで
 ついにキミに触れたことなかったね
 つぶやいて泥で顔を洗う
  
 文明然の太古からいま現代に至る壮大なスケール感、そこから急速にシュリンクする2人の関係、そして自虐的な退廃、滅びの姿。
 これを書かずにいられなかった慶一と、歌わずにはいられなかった幸宏、そして打ちのめされた20代の俺。
 この厭世観こそが、2人の出発点なのだ。
 
9. Only The Heart Has Heard
 オープングとループするエスニック・リズムに合わせて歌われるのは、Bill Nelson作詞による柔らかなテイストのバラード。この時代はまだ、英語で歌ってる方が気楽そうである。そりゃそうだ、日本語ほど生々しくないし、自分で書いた言葉じゃないから責任もない。
 軽い声質を逆手にとって、傷口に塩を塗り込むような言葉を慶一に発注、自ら身を削りながら歌うようになるのは、この後である。





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大人の男に向けて傷口に塩を塗り込むような歌たち - 高橋幸宏 『A Day in the Next Life』

高橋幸宏 - A Day In The Next Life (2) 1991年リリース、幸宏13枚目のソロ・アルバム。本人が提唱したのかどうかは定かではないけど、前作『Broadcast from Heaven』から始まった、ファン言うところの「大人の恋愛3部作」の2枚目にあたる。
 『Broadcast from Heaven』はタイトル通り、「天国」をテーマとして構成されていたけど、今回もまんま「来世」をコンセプトとした楽曲でまとめられている。ちなみに次の『Life Time Happy Time』も、そのまんま「幸福」がテーマ。変にこじれてないところに好感を持ってしまう。基本、斜に構えてわざと複雑にする人ではないのだ。
 その前作からのリード・シングル『1%の関係』は、俺の知る限りでは当時、「ミュートマJAPAN」でやたらヘビロテされていた。幸宏ソロとしてはスマッシュ・ヒットしたおかげもあって、どうにかお茶の間への認知も上がっていった。いや、元YMOとして知名度はあったんだよな、当時も。ただ、この人がどんな歌を歌っているのか、みんな知らなかっただけで。

 1991年といえば、バブルが崩壊して間もない頃、一応世間的には、ダウ平均株価がどうたら地価がこうたらと、株式相場を中心軸とした経済活動がしっちゃかめっちゃかの状態だった。「だった」と聞いている。
 のちの史料やニュース映像では「狂乱の時代」だったと喧伝されているけれど、大部分の国民にとっては、「ちょっとした好景気」程度の認識でしかなく、のん気な受け止め方をしている者の方が多かった。特に当時俺が住んでた札幌は、東京から距離があった分、バブルの恩恵の余波もそれほどではなかった。当時の俺は専門学校生、バイト先で終電後にもらうタクシー・チケットを、束でゲットできたことを喜ぶ程度、まぁそのくらいだったかな。そんな時代が終わるとは思ってなかったし、またバブルが弾けるというのがどういうことなのか、イマイチわかってなかったのが正直なところ。津軽海峡の向こうでバブルがはじけたのは知ってたけど、その余波は緩やかで緩慢としたものだった。ほんとにヤバいと感じたのはその数年後、拓銀の破綻だ。
 で、まだバブルがはじけたというのをみんなが実感していなかった1991年、当時の幸宏の周辺では、利権目当ての事情通やら「自称」関係者やらが水面下で動き出していた。YMOの再結成話である。

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 1984年にYMOが散開してから7年。この間、幸宏はサディスティック・ミカバンドの再結成に参加、ちょうどバブル真っ盛りという好条件も手伝って、上々のセールスを記録した。そんな成功例を目の当たりにした業界人らが、数打ちゃ当たる方式でトバし記事やらガセネタやらを撒き散らしていた。
 そういったゲスい動きとは別に、シカゴ・ハウス〜デトロイト・テクノの隆盛とリンクして、Kraftwerkと並ぶテクノ・オリジネイターとしてのYMOの音楽的再評価が進んでいた。
 かつて活動期にリリースされていたライブ・アルバム『Public Pressure』の完全版『Faker Holic』は、当時オミットされたギタリスト渡辺香津美の音源が聴けることで重要な意味を果たした。ただ、そういった発掘音源も埋蔵量は限られている。ましてや、すでに活動していないのだから、新音源などあるはずもない。
 ニーズは確実にあるのに、在庫は底をついている。なので、オリジナルを素材として扱い、あとは手を変え品を変えで凌いでゆくことになる。彼らに影響を受けたとされる、ハウス/テクノ系のアーティストらによるリミックス・アルバムが乱発されたのが、この頃。
 再発見された過去の遺産に、新しい息吹を吹き込むという試み自体、志としては間違ってはいないのだけど、大抵の場合、オリジナルを超えるクオリティに達することは、皆無に等しい。コーディネーター・サイドとしては、良質の素材をカットアップしたり新しい音源を追加したり、それなりに努力のあとも窺えるのだけど、結局それらは「彼ら」の作品に過ぎない。YMOだろうが春日八郎だろうがKing Sunny Adéだろうと、彼らにとってはトラックの素材に過ぎないのだ。
 なので、彼らに純然たる「らしさ」を求めるのは、筋違いということになる。そりゃリスペクトはしてるだろうけど、方向性が違っているのだ。
 なのでこれらの作品、俺は聴いたことない。

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 多分、「YMO以降」という方向性を最も真剣に考えていたのが、そもそもの言い出しっぺだった細野さんだと思う。
 同時代性とは無関係な時間軸で動いていた環境音楽レーベル「モナド」と、YMO以降の後進アーティストらをバックアップするための「ノン・スタンダード」、2つのレーベルを同時に立ち上げた。同じ「YMO以降」というコンセプトでありながら、前者は早すぎたレトロ・フューチャー的な「細野晴臣」個人の嗜好、そして後者においてYMOチルドレンへの道筋をつけてゆく手はずだったのだけど、次第に細野さん自身の方向性の変化がレーベル方針にも影響し、またビジネス的な何やかやもあって、活動は次第にフェードアウトしてゆくことになる。
 もともと細野さんありきでスタートしたレーベルだけど、肝心の細野さんのテンションが目に見えるように下がってゆき、レーベルは自然消滅してしまう。
 細野さん自身のアーティスト・パワーが落ちていたわけではないけど、そのパワーの向かう方向は、次第に内向きのベクトルへ向かうようになる。散開近くから兆しのあったスピリチュアルな世界への関心が増し、次第に、そっち方面の発言やそっち関連の仕事が多くなってゆく。
 その流れでリリースされたのが、ソロ・アルバム『Omini Sightseeing』である。ざっくりした印象としては、アンビエント的解釈のヴァーチャルなワールド・ミュージック。解釈としては、そんなに間違ってないと思う。曲タイトルからして、「エサシ」やら「オヘンロサン」やら、きな臭い香ばしさが漂ってるのが、この時期の特徴である。
 当時、少数ながらまだ生息していたYMO=細野信者なら、あらゆる方面からの深読みを駆使して自己解釈できる音楽なのだろうけど、そこまで踏み込めない大部分のライト・ユーザーにとっては敷居が高く、ポピュラー・ミュージックからは最も離れた地点で鳴っている音楽である。いま聴いても頭でっかち感が強く出ているため、真剣に対峙して聴くと疲れちゃうので、お手軽アンビエントとして流し聴きするのが、多分入りやすいと思う。一応、コンセプト的には環境音楽だしね。

 内向きに収束していた細野さんに対して、この時期の教授はヴァージン・レコードと世界契約、「世界のサカモト」としてメジャー展開を図っていた頃である。
 混沌とした精神世界へ向かっていた細野さんとは対照的に、この時期の教授はクラブ・シーンで流されることも想定に入れた、肉体性を露わにしたフィジカルなサウンドを追求している。この年にリリースされたソロ・アルバム『Heartbeat』は、当時のトレンドだったハウス・ビートを大胆に導入、Arto LindsayやDeee-Liteなど、ニッチなジャンルでは有名なアーティストとコラボしている。
 ただ肉体性と言っても、教授思うところのそれにとどまっており、これが実際、クラブで流れていたかといえば、屁理屈とロジックでシミュレートされたビートでは踊りづらく、それほど支持されなかったのが事実。中島みゆきで言うところのご乱心期、教授のお戯れがちょっと過ぎたかな?程度にしか受け止められなかった。
 結局、ひと通りやってみてから、「自分には合わない」というのを自覚したのか、その後は自分のバックボーンである現代音楽へと回帰している。ただのオーソドックスなクラシックもどきではなく、メジャーでの活動によって獲得した大衆性をサウンドにフィードバックさせることによって、強靭な世界観を持つ音楽を展開して行くことになる。

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 で、幸宏。
 他2名がYMO的な音楽の呪縛から逃れよう、または落とし前をつけようともがき足掻いていた頃、YMOの中では異端的にポップだった音楽性を欧米レベルのサウンドで彩り、さらにそこへ私小説的な色彩をつけて発信していたのが、幸宏である。
 他2名がある意味、YMOからできるだけ遠ざかろうと試みて、消去法的なサウンドを選択していたのに対し、YMO時代から培っていたオーセンティックなポップ・サウンドを、ドメスティックな日本の環境に馴染ませるため、ペシミズム漂う「大人になり切れない大人の男」を主人公に据えていた。ウェットな土着性をさらに強調するため、盟友鈴木慶一、そしてライト・ユーザー向けに、明快な最大公約数的なストーリーを書けるプロ作詞家の森雪之丞を迎え、市井のJポップより多面性を持つ、それでいて確実に引っかき傷を残す世界観を創り上げた。
 青年期を過ぎた大人なら、誰もが抱く焦燥感。
 もう後戻りできやしないのに、
 でもどこかでそれを願ってしまう、
 そして決してかなうことはないこともわかってる。
 リアルに感じられる程度にデフォルメされた大人の諦念-。
 この路線へのニーズに確信を得たのか、このアルバムではさらに前作コンセプトを深化させ、「情けない大人の男ぶり」に磨きがかかっている。
 なんか変な表現だな、これって。


A Day in The Next Life【SHM-CD】
高橋幸宏
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1. ONLY LOVE CAN BREAK YOUR HEART
 オープニングはいきなりカバー。しかもNeil Young。俺の中でNeil Youngといえば、80年代以降のグランジのゴッドファーザー的存在の、ロック界のガンコ親父な印象が強かったため、ちょっと意外だったのだけど、オリジナル・ヴァージョンを聴いて納得。こんなきれいなメロディを素直に歌える人だったんだ、というのが正直な感想。ただの轟音オヤジじゃないんだな。
 このヴァージョンも基本、オリジナルに沿ったヴォーカルであり、サウンドもメロディを活かした構造になっている。カバーの多い人だけど、これだけハズレがないというのは、センスの良さと膨大な音楽的知識の賜物だろう。

 お前が若くて可能性に溢れてた頃 
 独りになるって、どんな感じって思ってた? 

 俺は自分のやってることでいつも頭がいっぱいで、
 人生最高の時にしてやるぞ、って考えてたよ

 日本語で歌われるとちょっとこそばゆいけど、英語なら素直に受け止められる。だから幸宏も歌えるんだな、こんな素直な歌。

2. 震える惑星
 前作収録曲の「6,000,000,000の天国」とサウンドの感触が似ているのは、アコーディオンっぽい音が入っているためか。まぁその辺で連作性を意識させているのだろうか。
 ここで登場するのは森雪之丞。もともとアイドル系やアニメ系の作詞で名前は知ってたけど、幸宏の誘いで歌謡曲畑から転身を図ったことは、今回wikiで初めて知った。このセッションをきっかけとしたのかどうかは不明だけど、ギターで参加の布袋寅泰とはその後、長い付き合いとなる。
 でも、なんで布袋なの?この人、たまに全然別ジャンルのアーティストとコラボすることがあるので、なかなか底が深い。中島みゆきのアルバムでクレジットを見た時も、ちょっとビックリした。

3. 愛はつよい stronger than iron
 シングル・カットされて俺は結構耳にしたはずだけど、売れたのかどうかはちょっと不明。ヴォーカリストとしての「高橋幸宏」のテクニックやらパッションやらがうまく表現されているのが、この曲だと思う。彼の声質が最もうまく活かされている。

 見えるかい?この傷
 痛みなら いつか消えるとわかってる
 でも君は もう僕に 微笑まない

 今のJポップからは失われてしまった文体。
 すべてを説明しているわけではなく、でもきちんした大人だったら響く言葉。
 難しい言葉じゃないのだけれど、今の人には説明不足過ぎるのかもしれない。
 でも、
 言葉のひとつひとつ、それらにいちいち説明しなけりゃならないなんて、誰が言った?

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4. 360°
 Chirs Mosdell作詞による英語ナンバー。車のCMで聴いたことがあるような気がするけど、気のせいか?まぁ、そんな雰囲気の大人のAOR。サウンドのベースがきっちり作り込まれているので、変に情緒に流されず、ソリッドなロックになっているのは、やはり彼の特性。日本語じゃ難しいよな、こういった世界観。

5. 空気吸うだけ
 発表当時から話題となった、ひたすらネガティヴなメッセージを発しながら、逆説的な僅かな希望にすがりたくなってしまう、スノッヴを通過した大人たちへのメッセージ・ソング。どこかにリンクしてるよなぁ、と思って聴いてると、
 あ、John Lennonの「God」だ、とついさっき気がついた。Lennonほどの攻撃性はないけれど、その言葉は時間をかけて浸食してゆく。

 涙あふれる 夜がある
 痛みを止める 嘘もある
 だけど 今の君は
 生きてるから 空気を吸うだけ

 ちなみにこの時期のTV出演時、パーカッション担当は鈴木さえ子。やっぱカワイイ。


 
6. BETSU-NI
 もともとは1986年にリリースされたEP「Stay Close」B面に収録されていた、結構タイムラグがあったけれど、ここではニュー・ヴァージョンで収録。JapanのSteve Jansenとのコラボ曲で、思いっきり小津安二郎にリスペクトした「Stay Close」のPVが話題になった。
 当時のヴァージョンはYMOの余波もあってか、テクノ・ポップとUKゴシックとのハイブリット的な趣きだったけど、ここではアルバム全体のタッチと親和性を図り、アコースティックなテイストにアレンジされている。こっちのトラックの方が小津タッチの映像とマッチしていそうだけど、まぁ後出しだからしゃあないか。

7. EVERYDAY LIFE
 軽妙洒脱なJポップ・テイストと共に、この時期の幸宏のサウンドは、『Ego』から確立したシンセのうねりを有機的に表現した壮大な音響感の二本柱が主となっている。
 「消し忘れたテレビに ミサイルが映って…」というクダリからわかるように、当時、真っただ中にあった湾岸戦争を取り上げている。これまで普遍的な題材を取り上げることが多く、時事的なワードはあまり用いてこなかった幸宏だけど、これまでの狭いコミュニティだけじゃなく、もっと多くのユーザーに歌を届けるため、現実と積極的にコミットしていかなければならない、その覚悟が感じられる。
 反戦がどうたらとか、そこまで深刻なものではない。普通の人が普通に思う、極めて当たり前な「Everyday Life」を描いた歌。でも主人公の生活はちょっと寂しいな。

8. X’MAS DAY IN THE NEXT LIFE
 ここから2曲は盟友鈴木慶一とのコラボ。ていうかビートニクス。正直、クリスマス時期になると、山下達郎よりこっちの方を聴くことが多い俺。それだけガツンと来たのだ。発売日と同時にシングルも買っちゃったし。
 ちょっと頼りなげながらも決して女々しくはない幸宏のヴォーカル、そしてそれを効果的に響かせるメロディとサウンド。ここまではいつも通り。ここに慶一の歌詞が加わって、ビートニクスは完成する。慶一ヴォーカルも味はあるけど、俺的には幸宏ヴォーカルの曲が惹かれている。慶一もその辺はわかっていそうだし。

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9. 神を忘れて,祝へよ X’mas time
 幸宏によるストレートなプロテスト・ソング。7.ではほんのサワリ程度でしか触れてなかった「戦争」という命題に真っ向から挑んでいる。と言っても、声高に反戦を唱えるのではなく、クリスマスをきっかけに銃を下ろし、互いに祝い合いいたわり合おうよ、という内容なのだけど。拳を振り上げれば戦争が終わるものじゃないしね。
 思えば、これまで行なわれた戦争の要因のほとんどは宗教が発端なのだけど、その神の解釈の違いによって人々が争うというのも変な話。国によって神様が違うわけではないのに。前作収録「Left Bank」において、幸宏はこう歌っている。
「最強の敵は 自分の中にいる 最高の神も 自分の中にあるはず」。
 オリエンタル・ムード溢れる無国籍アレンジは慶一の得意技のひとつ。幸宏の思うところ慶一の思うところとがひとつに混ざり合い、ちょっと辛口ながらも慈愛に溢れるクリスマス・ソングが仕上がった。これも俺の中のクリスマス・ソングのひとつ。

10. NIGHTINGALE IN HEAVEN
 エピローグ的な静かなインスト・ナンバー。変に感傷的にならず、シンプルなエンディングはこの人の照れなのか。ベタベタなバラードを入れると、もう少しはアルバム・セールスにも貢献したのだろうけど、まぁしないだろうな。一応、Jポップの狂騒に自ら飛び込んではみたけれど、玉置浩二ほどのスケベ心が足りなかった。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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