好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

鈴木さえ子

女性版のポップ馬鹿、それは日本にいた - 鈴木さえ子 『Studio Romantic』

folder 1987年リリース、ソロとして4枚目のアルバム。チャート的には…調べてみたけどわからなかった。多分それほど大きなセールスは上げなかったはず。
 80年代のサブカル系、「宝島」や「ビックリハウス」周辺をチェックしていた人なら、名前くらいは聞いたことがある人もいるだろうけど、当時からバツグンに知名度があったわけでもない。ただサブカル=業界人からの評判はめっぽう良く、時々インターバルを置きながらも、細く長くではあるけれど、音楽業界で生き残っている。
 重要キャラでの映画出演(いとうせいこう原作『ノーライフ・キング』)、数々のCMソング製作(最も有名なのが『日清チキンラーメン』)、アニメのサントラ仕事(『ケロロ軍曹』)、近年ではセキスイハイムのTVCMに自ら出演、変わらぬ美貌に40代以上のサブカル残党が狂喜乱舞したのも記憶に新しい。
 同じシリーズに、今は故人となってしまったムーンライダーズのかしぶち哲郎も出演しており、団塊ジュニアをターゲットにしたキャスティングとしては、かなりズッパマリだったと思う。

 もともとは音大出の鈴木さえ子、幼少の頃から永くクラシック・ピアノを専攻しており、ポピュラー音楽とは畑違いの環境で育ってきた人である。それが高校の時にドラムと出会ってからはロックに傾倒、卒業してからは幾つかのバンドを渡り歩き、プロのサポート・ミュージシャンとして名前が知られるようになる。泉谷しげるのバックで叩いていたこともあるけど、一番有名なのは忌野清志郎と坂本龍一によるコラボ・シングル"いけないルージュ・マジック"でのドラム・プレイ。まぁメインで出張っていたわけではないので、俺も後日知ったわけだけど。

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 で、この辺のサブカル枠からムーンライダーズ鈴木慶一と接点を持つようになり、レコード会社とのコネができてデビューに至った、という次第。ただメジャー・デビューはしたのだけど、ムーンライダーズ周辺での活動が中心だったため、ヒット・チャートでブイブイ言わせてたわけではない。
 サウンド的には、当時のサブカル系女子ポップによく見られたように、Kate Bushをソフトに展開した、クラシック要素もちょっぴり取り入れた箱庭系ポップと、現代音楽にカテゴライズされそうな打楽器中心のミニマリズム炸裂のインストとの二本の柱。
 まぁ歌謡曲全盛だった1980年代においては、多くのリスナーに訴求するタイプの音楽ではない。どちらかといえばもっとピンポイント、サブカルかぶれの中高校生や、周りが「PATiPATi」なんかを読んでいるのを尻目に、「Techii」や「Pop ind's」を読んで独り優越感に浸っている文系大学生あたりにヒットする、影響範囲がめちゃめちゃ狭いジャンルである。
 考えてみれば、それって俺のことだった。

 3枚目のアルバムまでは、鈴木慶一との二人三脚でプロデュースを行なっていたのだけど、この『Studio Romantic』からは、鈴木さえ子単独名義での製作になっている。スタジオ・ワークのテクニカルな部分でのサポートが必要なくなったこと、実績の積み重ねによって、独自のコネクションで自ら希望スタッフを調達できるようになったこともあるのだけど、まぁ一番大きいのは、当時プライベートにおいてもパートナーだった鈴木慶一とのすれ違いだろう。ミュージシャンとしての成長過程において、鈴木慶一との方向性のズレが大きくなり、パートナー解消の遠因となったことは、彼にとっては皮肉な結果だったと思われる。

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 で、次に彼女が組んだのは、日本のサブカル村を飛び出して、向かったのは大英帝国、XTCのAndy Partridgeである。
 以前のレビューでも書いたけど、ちょうどAndy、あの『Skylarking』を作り終えた後、後に語り草となったTodd Rundgrenとの衝突によって、ストレスが溜まりまくり、神経症の度合いがMAXになっていた頃である。
 当時はVirginレーベルに搾取されて貧困の極みにあったAndy、気分転換とバブル絶頂期のジャパン・マネーに惹かれてオファーを受けたところ、最初は日本の無名ミュージシャンとたかを括っていたけど、思いのほかミュージシャン・シップにあふれたその才能、その姿勢を気に入ってしまい、XTC加入を勧めたほどである。まぁ、ちょっとした下心もあったんじゃないかと思われるけど。

 この『Studio Romantic』、言ってしまえば、これまでの集大成的なアルバムである。
 もともとアカデミックな環境で学究的に音楽を探求していた少女は、ロックをメインとしたポピュラー音楽と出会ってからはそっちへ路線変更、当初はサブカル系というミニマムなスケールのムラ社会で活動していた。これまで培ったクラシックや現代音楽のテイストをミックスした、ちょっぴりアバンギャルドなポップ作品が、思っていたよりも好評を期した。あくまで内輪、身内の中での話だけど。
 そこは居心地は良い。けど、広がりはない。
 次のステージへ向かうためには、違う環境が必要なのだ。
 そんなわけで、鈴木さえ子が目指したのはさらにニッチな空間。マスを多少は意識するけれど、でもベースとなる音楽性は曲げない。ほんの少しわかりやすく、でも、これまでのユーザーも納得してもらえる出来栄え。それがこの作品である。

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 集大成ゆえ、過去の作品のリテイクも収録されているのだけど、以前の作品がYMO以降のテクノ・ポップの延長線上的なサウンドだったのに対し、今回のサウンドはボトムの部分がしっかりした、きちんと人に聴かせるための音楽になっている。
 これまでのようにスタジオ・ワークのみで完結する、フェアライトやシーケンサー頼りの音ではない。これはAndyの偏執狂的なスタジオ・ワークの賜物でもあるのだけれど、それ以外にも楽器本体から出る音の太さ、それをもっと突き詰めて考えてゆくと、日英の電圧の違いに行き着く。
 日本の定格電圧が100Vに対し、イギリスは220V。2倍以上もの差がある電圧は、出力されるサウンドの質にそのまま直結する。サウンドにこだわるアーティストが海外レコーディングを行なうのは、何も観光のためではない。求める音があるから、そこへ行くのだ。
 


1. BLOW UP
 当時、鈴木さえ子の音楽を表現する言葉としてよく用いられたのが、「ポップ印象派」。それを体現するような曲で、何ていうか非常にノン・ジャンル。現代と古典、スタンダードとアバンギャルド、普通のポップ・ソングの文脈ではとても表せない。じゃあ難解なのかと言えば、そんなこともない。これはこれでちゃんとしたポップ・ソング、先入観なしで聴いてみると、その親しみやすさが伝わってくるはず。

2. YOU’RE MY SPECIAL
 作詞が大貫妙子なのは、多分当時レーベル・メイトだった繋がりからなのだと思う。サウンドはそれなりに遊びが多いのだけど、少女性を残した大人の女性の歌モノなので聴きやすい仕上がり。シングル・カットしても良かったんじゃないかと。
 当時の大貫妙子はもっとシニカルな視点の歌詞が多かったはずなのだけど、鈴木さえ子が歌うことを強く意識したのか、とってもファニーな歌詞世界に仕上げている。ほんとはこういった世界観を演じてみたかったのか、それともややブリッ子気味だった鈴木さえ子に対する当てつけだったのか。
 


3. SOMETHING IN THE AIR
 もともとはThunderclap Newmanというサイケ・ロック・バンド1969年のシングル・ヒット。らしいのだけど、今回初めて知った。で、これまた初めてYoutubeで確認してみると、鈴木さえ子ヴァージョンとはまるで違うポップ・ロック。なんとなくThree Dog Nightを連想させる。しかも歌詞はプロテスト・ソング。知るたびに、パブリック・イメージの鈴木さえ子からはますます遠くなる。
 オリジナルがユニゾン中心のポップ・サイケ調だったのに対し、こちらはUKエレ・ポップをベースに、80年代特有の変調ドラムとインダストリアルなエフェクトの数々がサウンドを彩っている。途中からポップな現代音楽とも言うべきストリングスが飛び交って、次第に混沌を極めてゆく。ストリングスの響きがサンプリング臭いのがちょっと惜しい。もうちょっと生音っぽい感じで録っておけば、普通のポップ・スタンダードとしても通用したかもしれないのに。

4. HAPPY FAMILIES
 で、Andyの持ち味がうまく発揮されたのが、このトラック。Andyが彼女のために書き下ろした、とのことだけど、アイディア自体はもうちょっと前、『Murmer』の頃から断片くらいはできあがっていたらしい。
 マザー・グースを想起させる寓話的な歌詞、小編成のポップ・サウンドながら、すべてのパーツが適正な場所にはめ込まれており、ほんとよくできた小品といった出来栄え。
 この路線でこの時期に、ファニーな少女性を全面に出したPVでも作っていれば、もっと違った展開があったかもしれないのに、実に惜しい。ちなみに、この意匠をそのまま使って、脱アイドル的な活動を行なっていたのが、斉藤由貴である。



5. I WISH IT COULD BE CHRISTMAS EVERYDAY IN THE U.K.
 こちらはデビュー・アルバムのタイトル曲のリメイク。初出テイクはリズムがもう少し走っており、サウンド全体が硬質な印象、鈴木さえ子のヴォーカルも女性っぽさを抑えた、テクノ・ポップ・エラというコンセプトだったのだけど、ここではAndyが持ち味を上手く引き出している。
 テンポはもう少しゆったりと、ファニー・ヴォイスを強調、
 3分程度の短い曲なのだけど、その中でサウンドはコロコロ変遷しており、何曲分ものアイディアが惜しげもなく詰め込まれている。これだけ肩入れしてトラックを仕上げたAndy、やはり恋をしている男は違う。



6. TV DINNER
 冒頭のギター・ソロがちょっとニュー・ウェイヴしていて、UKレコーディングの成果が表れている。このトラックも曲調が劇的に変化しており、よく例えられるような「おもちゃ箱をひっくり返したような」サウンドが展開されている。

7. HAPPY END
 もともとは『Studio Romantic』の1年前にリリースされていた12インチ・シングルが初出。そのヴァージョンよりもやはりファニー・ヴォイスを強調。バック・トラックもメジャー感を意識しているので、これもうまくタイアップできれば、もうちょっと何とかなったんじゃないかと思われるのが惜しい。
 PSY・Sよりもメロディはキャッチーだし、ビジュアル的にも今だって充分通用するくらいのコケティッシュさがあるのに、イマイチ知名度が薄かったのは、所属レーベルだった新興ディア・ハートにソニー並みの営業力がなかったためと思われる。

8. FREAK IN
 1980年代の最新鋭機材を使いまくってスウィング・ジャズを演じた、鈴木慶一と共作のインスト・ナンバー。まぁスタジオ遊びの延長線上といったところなのだけど、そのインストを飽きさせず最後まで聴かせてしまうのが、鈴木さえ子の才能であると思う。鈴木慶一主導だったら、ほんとただの楽器いじりに終わってしまうだろう。きちんと音楽を勉強していると、こんなに違うモノなのか。

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9. STUDIO ROMANTIC
 1.のリプライズと思われるホーンのソロから始まる、ほぼインスト・ナンバー。エスニックとスタンダード・ジャズとの融合とも言える、悠々と流れる大河のごとく、メロディは流れ、コードは宙を舞う。
 音の定位がすごく良く、録音にセンスが感じられる曲でもある。ゆったり流れる空気感が心地よく、年に一度は聴きたくなってしまう曲のひとつである。

10. DEAR WALT
 モダンな現代音楽。Herbie Hancockが『Future Shock』制作時にホーン・セクションをもう少し前面に出したら、こんな感じになったんじゃないかと思う。

11. ADVENTURE IN SOUTH PACIFIC
 ラストを飾るのは、ヴォーカル・パートはほんのちょっぴり、メインはインスト。これまで様々なエフェクトや技巧を凝らしていたけれど、これはあまりギミックも使わない、シンプルなポップ・ソング。可愛らしい曲なので、ぜひ「みんなのうた」で取り上げてほしかった。

 大きい国 さよなら
 もっと小さな島へ 南へ
 大きいもの いらない
 だって小さなものが たくさんあるから

 シンプルだけど、ストレートで味のある歌詞、時々警句的なものも感じ取れる。

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 このアルバムを仕上げた後、鈴木さえ子は前述した映画『ノーライフ・キング』のサウンドトラック製作と出演、その後長い沈黙に入ることになる。
 復活後はかつての盟友松尾清憲らと伝説のバンド「シネマ」を復活させたりケロロ軍曹のサントラをリリースしたりとマイペースな活動振りだけど、きちんとした形のソロ・アルバムは出る気配がない。『Studio Romantic』製作ですべて出しきっちゃったのかもしれない。どちらにせよ、あのクオリティのアルバムを再び作ることは、予算的にもモチヴェーション的にも難しいのだろう。

 XTC『Nonsuch』レビューでも書いたように、半隠居状態になったAndyと再び組んでも当時のマジックは再現できないと思うので、もっとリアルタイムで活動しているアーティスト、例えばtofebeatsあたりとガッチリ組んで、半年くらい予算と時間を与えてスタジオに軟禁してしまうのも面白いかもしれない。



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ポップ印象派の目覚めはここから - 鈴木さえ子 『緑の法則』

folder 1985年リリース3枚目のアルバム。チャート・アクション的にはあまり目立ったものではなかったけど、この時期の彼女はほぼ1年ペースでアルバムを制作している。
 当時のレコード会社は営利企業としての利益の追求はもちろんだけど、ある意味文化事業に携わっているという高い志が強かったのか、彼女のようにビッグ・セールスには結びつきづらい音楽も積極的にマーケットに出していた。そのマーケット自体がまだ未成熟だった為、大きな販促予算やサポートは充分ではないけど、取り敢えずリリースだけはできた時代である。

 YMO一派の隆盛によって、これまでならアンダーグラウンド・シーンでくすぶっていたはずのアーティストでも、何かのはずみで脚光を浴びることができた時代ではある。あるのだけれど、その代わり今のように自由度の高いネット配信もなく、ましてやインディーズ・シーンも発展途上だった。プレス枚数の少ないインディーズ盤を全国津々浦々のレコード店に納入できるはずもなく、そのようなニッチな音楽を取り扱う店はごく限られたものだった。まだメジャーの流通力が圧倒的に強かった時代、彼女のようなサブカル系にとっては厳しいものだった。
 レコードかライブ演奏くらいしか表現手段のなかったこの頃、彼女のようなスタジオ・ワーク中心に音を作り込んでゆく箱庭ポップ系は、そのインパクトの弱さゆえラジオでもオンエアされる機会が少なかった。ほぼ半数のレパートリーがインストだったことも、ライト・ユーザーにはアピールしづらかった点である。当時のテクノロジー機材は動作不安定によるアクシデントも多く、ライブでの完全な再現も難しい状況だった。

 なので、必然的にレコーディングを中心としたスタジオ・ワークに活動の重心を置くことになる。ただ、華やかなライブ・パフォーマンスとは違って、アルバム制作とは恐ろしく地道な作業の積み重ねである。特に彼女を含むポップ系アーティストの場合、スタジオで一同介してせーので一発録りというスタイルはフィットせず、黙々ミキサー卓とディスプレイに対峙する、それはそれはもう地味なもの。スネアの音色を選ぶだけで半日をかけ、0.1秒単位のピッチのズレやリバーブの長さにこだわるだけでさらに半日費やしてしまう、そんな徒労の末の産物である。当事者以外には理解し得ない、職人芸的な世界がそこにはある。

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 どこの業界でもありがちなことだけど、職場での出会いから恋愛に発展し、やがては結婚に至るというお決まりのパターン。始終顔を付き合わせることによって親密度が増し、情が移ってしまって―、というのは昔からよくあること。大抵は女性の方が家庭に入って職場を離れることが多いのだけど、社則や雇用保険に縛られることのないアーティストの場合、お互いそのまま仕事を続けるケースが多い。仕事でもプライベートでも顔を合わせる機会が多いため、どちらも順調なら問題はないのだけど、むしろそういったケースの方が少ない。特にアーティスト同士のカップルの場合、時間のすれ違いもそうだけど、互いのエゴの衝突による食い違いで破局を迎えることが多い。そのくらい自己主張が強くないとこの世界ではやって行けないし、そんな事は周りのカップルを見ててわかってるはずなのに。
 なので、発展的解消というか、婚姻関係を一旦クリアにして再スタートを切るカップルも多い。スタジオ作業で互いに煮詰まった後、また同じ家に帰って顔を突き合わせなければならず、それが原因で悶々とするよりは、精神安定上その方がよい。
 そう考えると、山下達郎・竹内まりや夫妻の凄さがわかる。

 そういった事情があったかどうかは不明だけど、このアルバムでは鈴木慶一・さえ子夫妻の共同クレジット「Psycho Perchies」の比率が減って、当時はまだメジャー・デビュー前だったパール兄弟サエキけんぞうとのコラボが多くなっている。3枚目ともなるとスタジオ・ワークにも慣れて、単独でやれる作業が多くなったせいもあるのだけれど、それよりもアーティスト・エゴの目覚めの方が大きい。
 で、その慶一もこのアルバムのレコーディング当時はムーンライダーズ結成10周年、記念ツアーだアルバム制作だ取材だCM制作だでめちゃめちゃ多忙を極めており、体がいくつあっても足りない状態だった。最終的な監修クレジットだけ入れて、多くのパートは彼女に丸投げしている。
 そんな外部環境の変化も契機となったのか、さえ子自身もまた、今後のビジョンである「ポップ印象派」を明確に志向した曲作りが顕著になっている。これまでのレコーディングで吸収した慶一のスキルを消化して、「アーティスト・鈴木さえ子」としてのオリジナリティを強く打ち出している。幼少時から培ってきたクラシックの素養とニュー・ウェイヴ的衝動とのハイブリッド。
 もう慶一の助けはいらない。

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 俺も最近知った事実なのだけど、この人、テクノロジー系には疎かったらしく、特に初期はピアノと打楽器系を演奏するのみで、シンセ系のサウンドはほとんど慶一が担当していた、とのこと。もともと「美人女性ドラマー」という謳い文句でデビューしたので、看板に偽りはない。ないけどちょっと意外だった。
 ただレーベルの意向としては、そのテクニカルな面よりもむしろビジュアル面、言葉通りの「才色兼備なお姉さん的キャラ」を強く推したかったことは明らか。上品な年上のお姉さん的ルックスと、囁くような響きのウィスパー・ボイスは、サブカルにかぶれた全国の童貞少年たちにあらゆる妄想をかき立てる力を持っていた。
 ずっと後になってから「ケロロ軍曹」のサントラでアニメ業界に足を踏み入れる事になるのだけど、この時期にアニメの世界に入って今も続けていたら、女性版平沢進のポジションくらいにはついていたかもしれない。

 前述したようにこのアルバム、ヴォーカル入りとインスト・ナンバーとがほぼ半々ずつの構成になっている。この時期になるとさえ子自身でシンセをプレイしている曲も多く、これまではピアノや口述で伝えていた楽曲イメージも、しっかり独力で具象化できるようになっている。この時期くらいからごく一部でだけど、「ポップ印象派」というキャッチ・フレーズが浸透しつつあったため、一聴すると少女性の強いファニー・ポップなのだけど、リズム・アプローチは結構攻めに行っている。ポスト・パンクから派生したインダストリアル系の影響を強く受け、時に暴力的なハンマー・ビートを多用した曲もある。
 ドラムを始めたのが学生時代、それ以前の積み重ねであるクラシックの基礎が影響しているのか、ビートは効きながらも独特のリズム感覚によって、打楽器なのにメロディアスな部分も多い。この辺がドラム一辺倒でやってきた者との大きな違いである。


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鈴木さえ子
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1. 夏休みが待ち遠しい-mon biclo
 爽やかなムードのジャジー・スタイルなインスト。ウッド・ベースとフィンガー・スナッピング、自転車のベルのエフェクト、口笛っぽいシンセ音だけで構成されたシンプルなナンバーだけど、ランニング半ズボンの小学生の夏を想起させる、とてもビジュアライズなムードに満ちあふれている。
 タイトルからして夏休み前のワクワク感を表しているのだけれど、俺的なイメージとしては、真夏の昼下がり、庭の芝生の水撒きを終えた後、縁側で麦茶を飲みながらボーッとする風景。それぞれの夏のイメージを掻き立てる不思議な曲。

2. Hallo,Shoo Shoo 
 大昔のキャバレー・スタイルのサックスによるオープニングは、当時リアル・フィッシュを率いていた矢口博康によるもの。思えばこの人も、サブカル人脈御用達のプレイヤーだった。
 おもちゃの兵隊によるマーチング・バンドが奏でるファニー・ポップは後半、天から舞い降りるさえ子の讃美歌的コーラスによって、神々しくさえある展開になる。



3. 柔らかな季節
 ピアノをメインとしたバロックと現代音楽とのハイブリット的インスト。こちらもオーソドックスなピアノの音色を使わず、トイ・ピアノ的な響きを選ぶことによって大人カワイイ感を演出している。薄く流れるマンドリンもいい味出している。当時レーベル・メイトだった大貫妙子にも通ずる浮世離れ感がまどろみを誘う。

4. The green-eyed monster
 冒頭3曲が静かなプロローグだったかのように、ここでMAXハイ・テンションで爆発するディストーション・ギター。音域の狭いサンプリング・ホーンのチープな響きは80年代ニュー・ウェイヴ~テクノ・ポップを象徴するものであって、これはこれでOK。
 彼女のレパートリーの中では比較的パワー・ポップな部類に入り、サビもきちんとフックが効いているので覚えやすく口ずさみやすい。ここぞとばかりに詰め込まれているDX7系エフェクト&サウンドは、個々がそれぞれきちんとリズム・パターンを形作っており、きちんと計算されているのがわかる。
 ちょっとサブカル寄りのアイドルにリメイクしてもらったら、案外好評なんじゃないかと思う。きちんとフリもつけてね。

5. Good morning
 鈴木慶一とのデュエット。曲によってはほとんど参加していないレコーディングもあったため、ここでは久々に存在感をアピールしている。
 不協和音スレスレのエフェクトやXTC経由ニュー・ウェイヴ的に捻じれまくったギター・ソロ、ヴォコーダーを使った歌声などなど、何か思い至るところがあったのか、ここでは遊びまくり。
 確か『Studio Romantic』発売当時だったと記憶してるけど、さえ子のライブがFMでオンエアされたことがあり、この曲がオープニングだったのだけど、そこではもっと癒し系のまったりしたアレンジだった。それはそれで良いのだけど、ちょっとソフト・サウンディングに寄り過ぎて物足りなかったのも事実。慶一という異種の存在が、癒し系ポップ・サウンドの中で屈折した音を出してメリハリをつけている。何だかんだ言ってもプロデューサーとしては有能であることを再認識させるナンバー。

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6. Exile
 ここでテンポ・アップ、BPMがちょっぴり速くなる。と言っても普通の8ビートだけど。
 ドラマーということもあって打楽器系の響きが良く、リズム・アレンジはお手のものだろうけど、それよりも良質な歌謡曲的に流麗な3連メロディが光っているので、もっと聴かせるアレンジでも良かったんじゃないか、というのは余計なお世話かも。その割に歌詞は結構辛辣なので、バランスは取れているのか。

7. Come Wonder With Me
 ちょっとAORっぽいオープニングから始まる、しっとり落ち着いたバラード・ナンバー。一歩間違えればほんと大貫妙子だけど、ロリータ性を醸し出す声質は皮肉で残酷な歌詞を紡ぎ、アクセントが効いている。
 これもメロディがしっかりしているので、大人の歌手にリメイクして欲しいのだけど、いないよな今ってそういう人。現在の女性シンガーはR&Bを通過した「歌い上げる系」が多いため、このような曲を歌える人がいない。なので、現在は徳永英明と稲垣潤一の寡占状態になってしまっており、人材不足が続いている。May.Jじゃちょっと雰囲気違うしね。



8. イワンのバカ 
 タイトルまんまの曲。ロシア民謡とおバカ・コーラスとの融合。また慶一が変なエフェクトをぶっ込んでちょっかいを出している。30秒くらい小さなボリュームでロング・トーンのコーラスが続く。まぁ1分半くらいの曲なので幕間的なもの。

9. BИЙ
 ここで正統派のピアノ・ソロを交えたインスト。CMソングで聴いたことのありそうなデジャ・ヴュ感。80年代のTV-CMは映像も音楽もふんだんに予算をかけた作品が多々あって、金と時間がかかっていそうなシャレオツなものがたくさんあった。俺的にはこの曲、当時CM界で売れっ子だったMark Goldenbergの作品を連想させる。

10. KASPAR’S STATEMENT
 エピローグ的インスト・ナンバー。(多分)慶一のモノローグが延々と続く、インダストリアルとアバンギャルドの両方を併せ持っている。お遊び的楽曲なのか、きちんとしたコンセプトに基づいての結果なのか―。多分、両方だろう。
 精巧に組み立てられたポップ・サウンドのパーツを寄せ集めて一旦壊し、また組み立てようとしたけど気まぐれにやってるうちにこの辺でいっか、と投げ出した印象がある。重要なのは、その投げ出すまでがひとつのパフォーマンスであり、プロットの完了である、ということ。




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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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