好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

甲斐バンド

ちゃんとお金と手間をかけて作った音楽 - 甲斐よしひろ 『ストレート・ライフ』

41JJVW1M8JL._QL70_ 1987年リリース、甲斐よしひろ初のオリジナル・ソロ・アルバム。甲斐バンド解散プロジェクト終了から5か月、その余韻が冷めぬタイミングでリリースされたこともあって、オリコン最高3位と、セールス的にも成功を収めた。
 当時の日本のバンドとしては珍しく、甲斐バンドはキャリアのピークを保ったまま、終焉を迎えることができた幸福なグループである。まだロック・ビジネスが未整備だった80年代、バンドの解散というのは静かに迎えるものだった。金か女でもめてのケンカ別れか、はたまた人気のピークを過ぎて、ひっそりフェードアウトしてゆくかのどちらかで、いずれにせよ大団円とは言えないものばかりだった。大抵の場合、ちゃんとしたラスト・アルバムやライブが行われることもなく、契約解消で「ハイそれまでよ」といった具合。解散をコンテンツとして捉える視点がまだなかった時代の話だ。
 そんな刹那的な流れに一石を投じたのが、YMOの解散だった。解散を前提としたアルバムとライブ、そのプロセスを記録したドキュメンタリー映像や写真集など、彼らが興したコンテンツは、その後の解散ビジネスのモデル・ケースとなった。

 NY3部作が進行している最中、甲斐は東芝とのソロ契約を結んでいる。当時の甲斐バンドは、新興レーベル「ファンハウス」の所属だった。バンドとソロで所属レーベルが違うという時点で、なんかキナ臭い交渉や取引があったんじゃないか、と邪推してしまう。
 ファンハウスでの甲斐バンドのオリジナル・アルバムは『Love Minus Zero』のみ、実質ワンショット契約で東芝に舞い戻っている。不可解なレーベル移籍劇の詳細は不明だけど、初代社長である新田和長の意向によるものだったことは間違いない。
 レーベル立ち上げにつき、知名度のある目玉アーティストをラインナップしたい。ただどのレーベルだって、そう易々とドル箱アーティストを手放したりはしない。なので、日本的な義理人情に訴えかけ、旧知の仲である甲斐に声をかけた、というのを以前のレビューで書いた。
 もちろん、甲斐の漢気一本で決められるものではなく、東芝とファンハウスとの生臭い交渉や駆け引きが繰り広げられたことは、想像に難くない。いくら真摯なアーティストとはいえ、浪花節的な義理人情に縛られることだってあるし、政治的なしがらみだってある。人はカスミばかりを喰っては生きていけないのだ。
 名義貸しのようなレンタル移籍というミッションを終え、甲斐はソロ・プロジェクトに本腰を入れることになる。

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 末期の甲斐バンドの収支面は、お世辞にも優良と言えるものではなかった。ネーム・バリューこそ磐石となってはいたけれど、かつてのようなヒット・シングルを生み出すことはなくなっていた。
 NY3部作によって、海外のロック・アルバムにも匹敵するクオリティのサウンドを生み出し、硬派なロック・バンドとしてのポジションを獲得した。ただ、冷静と情熱とを併せ持つ歌詞の世界観は、当時のライト志向のユーザーに訴求するには、ちょっとストイック過ぎた。
 最新鋭のレコーディング技術と精鋭スタッフによって、甲斐バンドは孤高のサウンドを獲得し、それは古参ファンやうるさ型の評論家も認めるところだった。ただそんな絶賛も、膨大な経費をリクープするに至らなかった。初動こそ、ベスト10圏内には確実に入ったけど、累計セールスは決して大きなものではなかった。
 ライブ活動を縮小してレコーディングされた『Love Minus Zero』には、3枚の既発シングルが収録されている。このシングル・カットはバンド側の意向ではなく、レコーディング予算計上のため、東芝の要請によるものだった、とされている。あまり語られていないけど、決して順風満帆ではなかった台所事情が窺える。

 いい意味で、素朴で馴れ親しみやすかった初期のフォーク風歌謡ロック路線は、メンバー内で充分賄えるサイズのサウンドでまとめられていた。ライブでの再現性を前提としたアンサンブルは、ギターとベース、ドラムによるシンプルなパーツの組み合わせによって構成されていた。甲斐の歌とメロディを際立たせるため、複雑なアレンジは必要ない。
 ほぼ毎日のようにステージに立ち、バンド演奏を前提とした楽曲制作を行なっていた甲斐よしひろだったけど、キャリアを重ねるにつれ、作風の変化が顕著になってゆく。単純な8ビートやロック・サウンドにはそぐわない、ストリングスやシンセを使う楽曲も多くなり、ベタな歌謡曲メロディは後退してゆく。
 ベース長岡和弘の脱退を機に、ユニット形式と移行した甲斐バンドは、徐々に外部ミュージシャンの起用が多くなってゆく。それが頂点に達したのが『Gold』で、ほぼメンバーが参加していないトラックも収録されている。
 メンバーの演奏スペックと甲斐の理想のビジョンとの開きは大きくなり、それは人間関係にも大きく影響してゆく。それが頂点に達したこの時期、バンドは解散の危機を迎えている。

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 とはいえ、メンバーはみな、熱い血潮のたぎる九州男児である。ミーティング時は怒号も飛び交い、時にはつかみ合いになったりもするけど、もともとは友人・知人関係から始まったバンドなので、単なる音楽性の相違だけで解散には至らない。袂を分かつに至った真相は、結局のところ、第三者がとやかく言ってもしょうがない。
 甲斐バンド・オリジナルのサウンドを追求するがゆえ、次第に独善的な言動が多くなってゆく甲斐。そして、理解はすれど、スタンド・プレイの多さゆえ辟易するメンバーたち。
 どちらが悪いわけではない。単に進むべきベクトルが違ってきただけなのだ。いや、そもそも最初っからスタート地点は違ってた、とでも言うべきか。
 デビューから苦楽を共にしてきたこともあって、一蓮托生、いわば運命共同体的なメンタリティもあった甲斐にとって、解散という選択肢はありなかった。ただ、メンバーの好意に甘えたがゆえのサウンド強化、演奏者のプライドを無視した外部ミュージシャンの積極的な導入は、ちょっと独善的すぎた。

 日増しにストイックなAOR化してゆく甲斐バンド・サウンドの頂点に達したのが、実質的な最終作『Love Minus Zero』である。ここでひとつの区切りがついたと言ってよい。バンド全員でスタジオに入ることは少なくなり、各パートの個別ベスト・テイクを集結する、スティーリー・ダン方式でレコーディングが進められた。
 もはやバンドとしての必然性を感じられないサウンドは、崩壊を予兆するものだった。クオリティは究極を示すものだったけど、バンド・マジックを感じられない『Love Minus Zero』は、評価こそ高かったけど、資本投下に見合うセールスを上げるには至らなかった。
 孤高のスタンスでサウンド・クオリティの向上に腐心している最中、時代は確実に動いていた。BOOWYやレベッカら、次世代・さらに次々世代のアーティストがチャートを席巻していた。それに気づいていたのかいなかったのか、ともかくすでに彼らの場所は失われていた。「甲斐バンド」というブランド・ネームが通用していた時代は、もう過ぎ去っていたのだ。
 真摯に愚直に、オリジナルを追求していた甲斐バンドは、「過去のビッグ・アーティスト」というポジションに収まっていた。
 ―もうこれ以上、どこへも動けない。
 そう悟った甲斐バンドは、解散を決断する。

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 『ストレート・ライフ』は、どれも甲斐バンドで演るにはそぐわない、ソロ傾向の強い楽曲中心に構成されている。バンド時代は、合同演奏から誘発されるグルーヴ感がひとつの柱となっていたけど、ここではそういった制約から解き放たれた自由なアプローチが、結果的にサウンドにバラエティ感を添えている。
 『Gold』制作時からプリプロ作業が行なわれていたため、当然だけどNY3部作との親和性は高い。実際、この時代はひとくくりにされており、数年前にボックス・セットにまとめられている。
 参加ミュージシャンやレコーディング・スタッフもかぶる部分が多いので、バンド時代と地続きと思われがちだけど、実際聴いてみると、バンドとは別の製作意図があちこちで窺える。まぁ当たり前のことだけど。
 ここでの甲斐よしひろは、ソングライター以上に、ヴォーカリストとしての側面を強く打ち出している。過剰に歌詞に感情移入せず、フラットな発声でありながら、単調に陥らないヴォーカライズは、もっと評価されてもいい。ロックっぽくしようと変に巻き舌になったり、カタカナ英語やカタカナ日本語でごまかすことなく、きちんと音節や文脈を意識した甲斐のヴォーカルは、実は稀有なものである。過剰な洋楽かぶれやはっぴいえんど史観とはまったく別の流れなので、なかなかフォロワーがあらわれないのも、再評価されずらい一因なのかね。
 そういえば、矢沢永吉も巻き舌って使わないよな。2人とも方向性は違うけど、老若男女問わず、誰にでもきちんと伝わる日本語で歌いながらロックを感じさせるのは、案外難しい。あとは民生くらいかな、俺が知る限り。
 初期の椎名林檎は思いっきり巻き舌だけど、あれはあれでいい。前にも書いたけど、カワイイは正義だ。


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1. イエロー・キャブ
 度肝を抜かれたサウンド・プロダクション。シンセとシーケンスてんこ盛りなのに、どの音もボトムが太いので、80年代サウンド特有の腰の軽さがまったくない。ちょっとバランスを崩せばとっ散らかった響きになるはずなのに、きちんとまとまっている。聴かせたい音は大きく、そして引っ込ませる音は小さく。それでいて音割れすることもなく、かき消されることもない。
 当時、ボブ・クリアマウンテンと双璧をなす一流エンジニアだったJason Corsaro最高のミックスがここにある。甲斐がミックスにこだわった結果が、この曲にぜんぶ込められている、と言っても過言ではない。
 なので、当時の最先端だよとこれ見よがしにインサートされたスクラッチ・ビートをとやかく言うのはやめよう。



2. ブルー・シティ
 たった今まで知らなかったのだけど、もともとは近藤真彦に提供した楽曲のセルフ・カバー。甲斐ヴァージョンはさんざん聴いてたけど、せっかくなのでマッチさんヴァージョンも聴いてみたのだけど、オケは『Love Minus Zero』テイストのソリッドなロックなのだけど、まぁヴォーカルがちょっと…。
 マジで調子悪くなってきたので、再度甲斐ヴァージョンへ。アイドル向けなので歌詞はちょっと甘めだけど、シンセの圧の強いロック・テイストは、マッチとはまた違ったアプローチでこっちの方が好き。

3. 電光石火BABY
 「破れたハートを売り物に」をもっとメロディアスにしたシンセ・ビートから始まる、このアルバムのリード・シングル。リリース当時からリック・オケイセックとの関連性が囁かれていたけど、まぁオマージュと受け取れば全然オッケー。ていうか当時はこの程度のリスペクトは当たり前だったし。
 ワールドワイド仕様のサウンドを追及していた当時の甲斐だっただけに、世界進出の可能性を模索していたことが窺えるサウンド・プロダクションになっている。質の追求だけでなく、アメリカ市場を視野に入れたコンテンポラリー・サウンドがこのアルバムのテーマであり、それを最も象徴しているのが、この曲。
 なので、ちょっとバタ臭い風のPVも日活アクション映画みたいな歌詞も、意気込みのあらわれだった、ということで温かく見守ろう。

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4. クール・イブニング
 リリース前からみんな知ってた、ご存じ「サウンドストリート」のオープニング・テーマ。ていうかリアルタイム世代しか知らねぇか、まぁいいや。
 このアルバムの中では最もシンプルなアンサンブルで、すごく密室的、それでいながら親密さが漂う不思議な曲。淡々と歌いながら、サビやラストでは声を張ってしまうパターンはよくあるけど、メロディの浮遊感もあってか、最後まで淡々としたテンションを保っている。バンド時代にはなかった一面である。
 
5. レイン
 そりゃGodley & Crèmeまんまのアレンジだけど、一歩間違えれば演歌スレスレのベタなメロディをボトムアップさせるには、このサウンドしかなかったわけで。歌謡ロック調のデモ・ヴァージョンは、まぁお蔵入りして納得だな。
 「夜ヒット」出演時にこの曲が披露されたのだけど、ギターにストリート・スライダーズの蘭丸が抜擢されて、ファンの間で一時騒然となったことを覚えている。どう辿っても接点のなかった2人がどうして出逢ったのか。ストイックなロッカバラードと蘭丸の小技たっぷりのブルース・フィーリングとの相性は良く、ちょっとした伝説になっている。
 当初、話題性を目的にメンバー入りさせたのかと思ってたけど、その後も断続的にこの2人はコラボしているので、相性は良かったのだろう。久しぶりにまたやらないかな。



6. 夜にもつれて
 歌詞もコード進行もブルース・タッチだけど、バック・トラックはほぼシンセで構成されている、ある意味チャレンジャーな楽曲。コンボ・スタイルで演ったらもっと泥臭くなっていただろうけど、敢えてモダン・スタイルでやってみたところに、今後の可能性を予見させる。

7. モダン・ラブ
 OMDあたりのUKシンセ・ポップに、ピーター・ガブリエルのエキセントリック性を付加したソフト・ファンク。こういうサウンドって流行ったよな。流行りのサウンドを貪欲に取り入れているのが当時の甲斐のコンセプトであり、その後の雰囲気AOR化につながってゆくのだけど、まぁあんまり面白くない。16ビートは合わんよな、甲斐のヴォーカルって。

8. 441 WEST 53rd ST. - エキセントリック・アベニュー
 ハードボイルドな世界観とサウンドのボトムアップをテーマとしたのがNY3部作とすれば、厳選されたアウトソーシングによるヴォーカル&インストゥルメントのコンテンポラリー化を目指したのが、『ストレート・ライフ』である。外部の血の積極的な導入は、バンド神話とは一線を画したサウンドの純化につながった。
 ドラム:青山純、ベース:伊藤広規、シンセ:難波弘之という参加ミュージシャンからわかるように、これって当時の山下達郎バンド。ドラムの音は思いっきりパワステ仕様でコンプがかけられており、シンセもちょっと時代に寄り添い過ぎてて、もうちょっと何とかならなかったの、と余計なツッコミを入れたくなってしまう。この頃はどんなベテラン・ミュージシャンも迷走していた時代なので、致し方ない部分も多々ある。


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物議をかもした最終作(最後とは言ってない) - 甲斐バンド 『Repeat & Fade』

100_UPC00600406772572 1986年にリリースされた、甲斐バンドとしては最後のオリジナル・アルバム。オリジナルと名うってはいるけど、実際のところはメンバー全員がそろってレコーディングしたものはなく、4人それぞれ個別のプロジェクトで制作した、4枚の12インチ・シングルを集めたものなので、一般的なオリジナルとはカウントしづらい。シブがき隊やELPでもあったよな、このスタイルって。
 全編オーソドックスなバンド・スタイルで製作されたのは、前作『Love Minus Zero』が最後である。Beatles で例えれば、『Abbey Road』的な完成度を極めた後、残務処理的な『Let It Be』を出した、と考えれば、ちょっとはわかりやすくなる。厳密な順番はちょっと違ってるけど、ざっくり言えばそんな感じ。
 まぁ、『Let It Be』ほどやっつけ仕事じゃないけど。

 メンバー全員の英知を結集して、ひとつのベクトルに沿って作られたアルバムではないので、いまだに位置づけがはっきりしない。正直、企画盤的な扱いとなっている、微妙なスタンスのアルバムである。
 当時の甲斐バンドのサウンド・メイキング力は、国内でもトップ・クラスだったため、収録されている内容・サウンドのクオリティはかなり高レベルではある。それなのに鬼っ子扱いされているのは、パッケージングも含め、イレギュラーなスタイルによる部分が大きい。
 東芝サイドも、そして甲斐バンドとしても、世間のそんな微妙な反応を無視できなかったのか、リリースからから1年半ほど経ってから、全曲甲斐よしひろヴォーカルに差し替えたコンプリート盤をリリースし直している。なんだコンプリートって、じゃあ未完成品を見切り発車で出したのかよっ、と突っ込みたくなってしまう。
 時期的に、解散プロジェクト終了の余韻が残っていた頃だったため、営業サイドからの要請もあったのだろう、と思ったのは、もうずっと大人になってから。当時の俺はまだ若かったため、「こんなに早く出し直すんだったら、もっと練り直してから出せよ」と思うばかりだった。業界の内情なんて知らなかったものね、当時は。

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 膨大なレコーディング期間をかけて制作された『Love Minus Zero』のプロモーション・ツアーを終え、甲斐よしひろはソロ・アルバムの制作に入る。ニューヨーク3部作を経て、ソングライター甲斐の成長が著しかったこと、それと同時に、バンドという枠組みに窮屈さを感じ始めていたことも、ソロ活動へ向かった動機のひとつである。
 甲斐バンドとしては発表しづらい楽曲、もっと言ってしまえば、これまで暗黙の了解で合わせてきた、大森・松藤の演奏レベルを想定した楽曲やアレンジに、もどかしさを感じていたと思われる。それはアーティストの成長過程として、避けられない事態だった。
 すでに『Gold』制作時点で、バンド内の衝突は燻りの段階を超えており、一触即発の状態が続いていた。理想とするサウンド構築のため、演奏レベルの要求が高くなる甲斐と、高邁な理想論に辟易する他メンバーたち。
 そもそも、ソングライターとミュージシャンとでは立ち位置が違うのだから、そのギャップは広がる一方。甲斐と甲斐以外、1対2の対立構造になっちゃうのは避けられない。

 そんな緊張状態を長く放置しておくわけにもいかず、甲斐が打開策として行なったのが、新たなメンバーの補充だった。従来メンバー間の緩衝材として、旧知の仲である田中一郎がARBから移籍してきたのだけど、まぁ根本的な解決にはならない。
 甲斐としては、バンド内で孤立してしまった自分の理解者として、彼を招聘したはずだったのだけど、考えてみりゃ、そんな状況下に急に放り込まれたって、やれる事は限られるよな。あくまでミュージシャンとして加入したのであって、調整役はメインの仕事ではない。Ron Woodの役割は、誰にでもこなせるわけではないのだ。

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 甲斐とは幼なじみであり、松藤とはアマチュア時代にバンドを組んでいたこともあって、決して知らぬ仲ではなかった、甲斐バンドと田中一郎。ARBと並行して、断続的にサポート・ギタリストとしてバンド・アンサンブルにも深く介入していたため、彼の加入は比較的スムーズに行なわれた。
 ただ疑問としてひとつ。彼の加入について、異論はまったくなかったのかどうか。
 普通に考えて、甲斐バンドのリード・ギターの多くは大森さんが弾いていたため、この時点でツイン・リードにする必然性は感じられない。そこまでギター・オリエンテッドな音楽性ではなかったし、第一、バンド・アンサンブル的に補充すべきなのは、長らく不在だったベース、それかキーボード系でしょ普通。
 この時点での甲斐の音楽性は、初期にリスペクトしていたStonesタイプのロックンロールではなく、もっと円熟味を増したAORテイストのコンテンポラリー・サウンドに移行していた。その過程で、相対的に薄くなったロック的初期衝動・ダイナミズムの補填として、古き良きギター・キッズ的なキャラの田中一郎が抜擢された、と考えれば、丸く収まる。甲斐側から見て。
 俺的には、田中一郎に対してそんなに強い思い入れはないし、また彼の存在が甲斐バンドに不可欠だったとも思えない。悪く言うつもりはないけど、でもタイミングが悪かったよな。音楽的に大きな貢献があったとは言い難いし、また、そこまでエゴを出せるほどの時間は残されていなかったし。
 田中一郎にとっても大森さんにとっても、得策とは言えなかったのが、この不可解な経緯をたどったメンバー補充である。

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 そんな大森さんが耳の不調を訴えたことによって、甲斐バンドの解散が決定する。
 事実上、レコーディングにおいても外部ミュージシャンの起用が多くなっており、極端な話、甲斐独りで甲斐バンドを名乗って継続することも可能だったのだろうけど、そうはならなかった。甲斐自身、バンドが修復不可能であることは薄々感じていたはずだったし、無理やり延命させる気力も失っていた。
 バンドの終焉、寿命を迎えつつあったことは、誰もが周知の上だった。大森さんの訴えはきっかけに過ぎず、遅かれ早かれ何らかの理由で、甲斐バンドのリタイアは必然だった。
 当時は、バンド内の衝突や不仲は公表されていなかったため、解散プロジェクトはあくまで前向きな姿勢で行なわなければならなかった。
 -どうやれば、キレイに終わることができるか。風呂敷のたたみ具合で、印象はガラリと変わってしまう。
 最終アルバムをどんな方向性にするのか、バンド内でも論議が重ねられた。

 とはいえ、ニューヨーク3部作終了時点で、甲斐バンドのサウンドは完成の域に達しており、現状のバンドのポテンシャルでは、それ以上のキャリア・アップは望めなかった。だからこそ、甲斐もソロの方向性を模索していたわけで、クール・ダウンしないと先に進めなかったのだ。
 バンドの結束力がおぼつかない状態では、スタジオに入ったとしても、ロクな仕上がりにならないことは明白だった。特に後期に顕著だった、甲斐よしひろ+バック・バンドというスタイルは、もう使えない。そのスタイルで押し切っちゃうと、コンポーザー甲斐のジャッジによって、スタジオ・ミュージシャンの演奏と差し替え、メンバーの痕跡はほとんど残らない結果となる。
 それじゃ、今までと何も変わらない。フェアウェル・アルバムとしては、あまりにも遺恨が残るし、第一ショボい。

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 様々な角度からの折衷案としての結果が、日本のバンドとしては前代未聞、個別プロジェクトによる幕の内弁当方式のアルバムだった。
 無理やりスタジオに入って顔を合わせたって、どうせ最大公約数的な無難な仕上がりになっちゃうんだから、それなら各自が責任を持って、それぞれ「俺が思うところの甲斐バンド」をやろうじゃないか―。誰が言い出しっぺだったのかは不明だけど、まぁこういったこと言い出すのは、だいたい甲斐だ。
 それぞれが4曲を持ち分として、甲斐バンドとして発表できるクオリティのものを作る。あとはすべて自由。
 4人もいれば、1人くらいはアバンギャルドを拗らせたり、変にスカしたモノを作っちゃったりするものだけど、全員、商業ベースに乗せられる作品に仕上げられたのは、さすがキャリアの長いミュージシャンたちである。まぁ自分名義で出すわけだから、そんなマニアックなモノは誰も作らないだろうけど。
 わざわざ言わずとも、ちゃんと甲斐バンド的なサウンドになるのは、長年培われた信頼関係によるものだろう。

 甲斐との緊張関係が最もシビアだったのが大森さんで、それは完成した作品にも如実に表れている。
 できるだけ、既存の甲斐よしひろサウンドとは距離を置きたかったのか、ほぼ全編ギター・インストでまとめている。もともとメイン・ヴォーカルを取ったことがない大森さんゆえ、下手にヴォーカル・トラックを入れると、甲斐との比較で分が悪いことは察していたのだろう。愛憎半ばとはいえ、彼のヴォーカルにはリスペクトしていたんだろうし。
 結果、フュージョン・テイストをベースとしながら歌心もある、ロックな高中正義的なサウンドを軸としている。シンセの使い方もうまいしね。

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 ヤンチャなロック小僧だった頃の甲斐よしひろをなぞる役割を担っていた、また担おうとしていたのが田中一郎だったのだけど、まだバンドに馴染む前に終焉を迎えてしまったのだから、持ち味を発揮するも何もない。AORに移行してからは、ちょっと落ち着き過ぎた感もあった後期甲斐バンドの起爆剤として、ここでは期待に応えるようなギター・キッズ的サウンドを展開しているのだけど、ロックとしては整理整頓され過ぎかな。
 ヴォーカリストとしては絶対的な存在である、甲斐が同じバンドにいるわけだから、同じ方向性を狙ったら見劣りしてしまうのは、これはもうしょうがない。どちらかといえばこの人、バンド・アンサンブルから誘発されるグルーヴ感が持ち味の人なので、きっちりまとめられたレコーディングには向かない人なのだ。
 もっと荒々しいライブ・テイクだったら、面白かったのに。

 で、その後期甲斐バンドに象徴される、非ロック的なAORサウンドとの相性が良かったのが、松藤の書くメロディである。この人のコード進行はルーティンから外れたところで鳴っており、カラオケでも歌いこなすのが難しい。ドラマーゆえの独特のリズム感覚なのか、シンコペーション多用による妙な譜割りが、アクセントとなって強い印象を残す。
 場合によっては、甲斐よりも引き出しの多いメロディ・メーカーなのかもしれない。

 で、甲斐。なんとここでは書き下ろし曲なし。過去のリメイクや提供曲のセルフ・カバーで構成されている。ラストとしては、なかなかの冒険だよな。穿った見方をすれば、将来リリース予定のソロ曲は温存しておいた、という風にも取れるけど、まぁそこまでゲスい真似はしなかったと思いたい。
 ―甲斐バンドというのは、甲斐よしひろのワンマン・バンドではない。メンバーそれぞれの英知を結集した、それぞれ切磋琢磨してきた集団である。
 フロントマンではあるけれど、独裁ではない。
 後期は勇み足が過ぎて、独断専行で動くことも多かったけれど、ここでは甲斐、各メンバーのショーケース的アルバムの狂言回しとして、敢えて一歩引いた役割を演じた。そういう意味でいえば、ここでの甲斐のポジションは正解だったと思う。

 だからこそ、余韻も醒めぬうちのコンプリート版リリースは、ちょっと失敗だった、としつこく思ってしまう俺。
 まぁ、オトナの事情なんだろうな。



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-PROJECTⅠ(N.OMORI)
1. 25時の追跡(instrumental)
 ロック・バンドのアルバムのオープニングをインストで飾るのは、当時でもあまり例がないことだった。大森さんはこのプロジェクトにあたり久石譲をアレンジャーに起用、全編フェアライトCMIをフィーチャーしたシーケンス・サウンドをバックにギターを弾きまくっている。ある意味、『Repeat & Fade』のメイン・テーマとなったこの曲、後期甲斐バンドに象徴されるハードボイルド・タッチの硬質なサウンドが展開されている。
 曲間のSEが、当時流行っていたPaul Hardcastle 「19」を連想させ、時代を感じさせる。

2. エコーズ・オブ・ラヴ
 大森さんの特性であるSantana的情緒あふれるソロが大きくフィーチャーされている。この辺はちょっと高中っぽいかな。あそこまで軽くはないけど。
 大森さん楽曲での甲斐ヴォーカルは1.が選曲されているけど、正直、こっちに歌詞を載せてもらった方がはまったんじゃないかと思われる。

3. JOUJOUKA(ジョジョカ)
 当時はあまり知られていなかったけど、27歳の若さで夭折した、Rolling Stonesの元リーダー、Brian Jonesが生前、唯一残したソロ・アルバム『Joujouka』へのリスペクトして制作されたナンバー。
 とは言ってもStones風味もモロッコ風味もそれほど感じられず、どちらかといえばロックな喜太郎的なニューエイジな仕上がり。ちょっと刺激的なBGMとしては全然アリ。

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4. ロマン・ホリデー
 唯一アコースティック・ギターで全編押し通した、こちらも抒情的なナンバー。ギタリストのアルバムとしては、超絶プレイや早弾きをひけらかさず、あくまでトータル・サウンド+メロディというオーソドックスなスタイルを貫いている。
 ヴォーカルに自信があれば、Claptonくらいはイケたんじゃないかと思われるけど、まぁJeff Beck止まりだったんだろうな、きっと。

-PROJECTⅡ(H.MATSUFUJI)
5. O'l Night Long Cruising
 ここから松藤サイド。松藤のアプローチは、作曲はすべて自分、楽曲に応じた作詞家とそれぞれコラボしている。で、改めてクレジットを見ると、なんと作詞辻仁成。エコーズとしてはまだデビューしたてで、一般的にはほとんど知られていない頃。
 尾崎豊と同じカテゴリーで「若者の代弁者」的ポジションだったエコーズ=辻だったにもかかわらず、ここではやたら歌謡曲的なライト・ポップな無難な歌詞になっている。まぁ松藤がこんなサウンドでやりたかったんだろうけど、別に辻仁成じゃなくても、当時だったら売れっ子の康珍化あたりにオファーした方がよかったんじゃね?と余計な助言をしたくなってしまう。

6. サタニック・ウーマン
 ちょっとチャイナ・テイストの入ったエスニック風アレンジは、YMOでの客演でも有名なギタリスト大村憲司によるもの。ファンキーなカッティングにその片鱗が見られ、アンサンブルに勢いをつけるカンフル剤的役割の人だったんだな、と改めて思う。
 こうして聴いてみると、後期甲斐バンドのAORサウンドと親和性が深いのが松藤だったんだな、と改めて思う。甲斐のキャラクターが強すぎたため、どうしても目立たないけど、この時期にもう少し作品を残していれば、後年のシティ・ポップ・ブームにも乗ずることができたんじゃないかと思われる。

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7. レイニー・ドライヴ
 そんな松藤のシティ・ポップ性が最も発揮されたのが、このトラック。前曲に続き、松尾清憲作詞のナンバーで、俺的には松尾にとっての最高傑作だと思っている。とはいってもこれと「愛しのロージー」くらいしか聴いたことがないけど、歌詞のクオリティ、ここで描かれる世界観がたまらない。

 スピード上げ すべって行く 僕らの車 ハイウェイ
 煙る雨を 突き抜けたら 君は 自由になる
 僕にくれた やわらかな どんな優しさも
 アスファルトに こぼれてゆく みんな嘘になる

 最後のレイニー・ドライブ
 青ざめた過去の イルミネーション
 抱きしめた夜に もう 引き戻せない

 何げなく気だるい夜のドライブ・デート。別れる前のカップルなのか、それとも誰かと別れようとしている女とドライブしているのか、どちらとも取れる歌詞。危うげなバランスを平易な言葉で表すのは、相当なテクニックを要する。
 ちなみにシングルでは甲斐がヴォーカルを取っているのだけど、正直この曲については、甲斐の表現力の方が勝っている。松藤には悪いけど、ちょっと声質が甘いかな。



8. メガロポリス・ノクターン
 なぜか作詞は松山猛。業界フィクサー的な立場の人とどんなコネがあったのかは不明だけど、まぁプロの作詞家っぽい仕上がり。当時の稲垣潤一や安部恭弘辺りを連想させるシティ・ポップ的なアプローチは、今だからこそ再評価されてもいいくらい、古びていない。
 これもシングルでは甲斐ヴォーカルに差し替えられているけど、この曲は松藤ヴァージョンの方がいいかな。程よいサウンドの軽さとうまくマッチしている。

-PROJECTⅢ(I.TANAKA)
9. Funky New Year
 近年、一連の松田聖子ワークスと渡辺美里「My Revolution」でのアレンジで再評価の機運が高まっている、大村雅朗アレンジによるナンバー。シンセ・エフェクトの音色によって、大村アレンジということがわかる。でもこの人、やっぱり女性アーティストの方が合ってるのかな。ギターのハードさとシーケンスとの相性って、ちょっとミスマッチだな。

10. ジェシー(摩天楼パッション)
 ということで、ここで甲斐がヴォーカルとして参加。何か安心してしまう。ちゃんとした甲斐バンドだよな、やっぱり。
 作詞を担当したちあき哲也は当時、矢沢永吉との仕事で評価されており、男っぽい硬派な世界は甲斐のヴォーカルとも相性が良かった。他の人の言葉でもうまく咀嚼して、自分の歌にしてしまうところは、この人の得難い才能である。

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11. Run To Zero
 前曲と同じチト河内によるアレンジだけど、まさに静と動。この人も引き出しが多い。ロック・サウンドの経験値が多い分だけあって、ここでは無理なく自然にドライブ感あふれる演奏とヴォーカル。やっぱり田中一郎、バンド・スタイルが合ってるな。シーケンスとの相性はあんまり良くないことがわかる。

12. 悪魔と踊れ
 サックスもフィーチャーしたパワー・ポップ。あんまり相性の良くない大村雅朗アレンジながら、ドラムの音圧が強くなっている分、ギターに頼らずともバランスの取れたサウンドになっている。こんな方向性もアリだったかもしれないな、田中一郎。

-PROJECTⅣ(Y.KAI)
13. ハート
 もともとは1983年、女優高樹澪に楽曲提供したシングル曲のカバー。一応、初出ヴァージョンがYouTubeにあったので聴いてみたのだけど、まぁ歌謡曲的な仕上がり。考えてみれば彼女、その前年に「ダンスはうまく踊れない」が大ヒットしており、その勢いでリリースされたのがこの曲なのだけど、みんな知らないよね。俺も初めて聴いたし。
 ここでのヴァージョンはほぼオリジナル通り、肩の力を抜いたヴォーカルでまとめている。松藤同様、シティ・ポップ的な仕上がりを指向しているのだろうけど、やっぱり甲斐のヴォーカルは記名性が強く、ていうかアクが強い。無難なサウンドじゃキャラクターに太刀打ちできない。

14. オクトーバー・ムーン
 こちらも高樹澪提供曲のセルフ・カバー。基本アレンジはどちらも一緒だけど、リズムを強調したサウンドになると、やっぱりヴォーカル力の強い甲斐が勝る。そりゃ当たり前か。
 後期甲斐バンドを彷彿させるハードボイルドな世界感の歌詞と、歌謡曲を思わせるメロディ・ラインは、ニューヨーク3部作に入ってても違和感ないクオリティ。久石譲によるアレンジも抑制が効いており、ストイックかつポップな仕上がりになっている。ちょうどプロデュースを手掛けていた、中島みゆき『36.5℃』ともリンクしている。



15. 天使(エンジェル)
 オリジナルは1980年、「漂泊者(アウトロー)」の後にリリースされたアルバム未収録シングル。当時のテイクはなんか気の抜けた懐メロ調アレンジだったのだけど、ここでは力強くビルドアップされたロック・アレンジに補強されている。
 歌詞自体はほのぼのしたフォーク・ロック的な抒情さが漂っており、確かにオリジナル・ヴァージョンとの相性は良いのだけど、いややっぱりショボイな、オリジナル。ニュー・アレンジにして正解だった好例。

16. ALL DOWN THE LINE-25時の追跡
 ラストは一巡して、1.の大森さんギターを甲斐ヴォーカルに差し替えたヴァージョン。サウンドに基づいたハードボイルド・タッチの歌詞は、サウンドとの親和性が良い、とほんとは言いたいのだけど、いやミスマッチだな、これって。ヴォーカルが変に力入り過ぎ。最後を飾る曲ということは事前に決まっていたのだろうから、それを見据えたレコーディングだったのだろうけど、変にヴォーカル入れない方が良かったんじゃないかと思われる。
 ある意味、大森さんとしては「してやったり」って思っていたりして。どうだ、歌いこなせねぇだろ、って。






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必要な音を、必要な分だけ。 - 甲斐バンド 『Love Minus Zero』

folder 1985年リリース、11枚目のアルバム。この後、最終作と銘打たれてリリースされた『Repeat & Fade』が、各メンバーのソロ・プロジェクトを集めた変則的なスタイルだったため、実質的な最終作はこの『Love Minus Zero』になる。のちに、15年のブランクを経た再結成作『夏の轍』がリリースされることになるのだけど、この時点では甲斐バンドは封印、「永遠の過去」になるはずだった。それまでの甲斐の発言やライフスタイルからして、同じことを二度も繰り返すことはありえない、というのが衆目の一致するところだった。
 オリコン・シングルチャート最高4位をマークした「安奈」を最後に、甲斐バンドのセールスのピークは過ぎていたので、この時点でのアルバム・チャート最高3位という成績は、まぁ妥当なところ。
 すでにアルバムを主体としたバンド運営に移行していたし、特にこの時期の彼らは、セールスよりもむしろサウンドのクオリティを上げることにウェイトを置いていた。バタ臭いハードボイルド・タッチのサウンドは、おニャン子旋風真っ只中のオリコン・ヒットチャートとは相いれなくなっていたのだ。

 ニューヨーク3部作の2作目に当たる『Gold』製作中、甲斐バンドが深刻な解散の危機を迎えていたことは、後年、甲斐自身を含め関係者の口から明らかにされている。
 どんなにテイクを重ねても、従来メンバーの演奏スキルではサウンドに比類するクオリティには達せず、自暴自棄になるほど追い込まれていた甲斐は、いつ「解散」のひとことを切り出そうか思い悩むことになる。それをもう一歩のところで踏みとどまったのは、バンドを含めスタッフにも家族がいること、それらのしがらみをすべて無責任に放り出してしまうことは、情に厚い九州男児である甲斐にはできなかった。
 そんなギリギリの精神状態の中で『Gold』は完成した。

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 「ニューヨーク3部作」と称されているこの時代の作品だけど、素材のトラック自体は日本でレコーディングされたものであり、セッション・ミュージシャンもほぼ日本人で構成されている。ニューヨークでの作業はあくまで最終調整、ミックス・ダウンやマスタリングのみなのだけど、この辺は案外サラッと流されがちである。
 旧譜のリマスターを行なう際、現在のスタジオワークの主流であるDAWでは当時のニュアンスが再現しきれず、いまだヴィンテージ機材が主流である海外でのマスタリングは珍しくなくなったけど、稀代のエンジニアBob Clearmountainのスキルのみを求めてニューヨークへ向かう、というのは、当時としてもレアケースだった。
 好景気と円高傾向の恩恵もあって、80年代はちょっと名前が売れれば、猫も杓子も海外レコーディングを行なっていた。所属事務所に財力があれば、案外そのハードルは低かった。デビュー前の少女隊が、一流のメンツをそろえてロスでレコーディングできちゃったくらいである。「海外発」という箔づけが有効な時代だったのだ。
 単純にスタジオ経費が抑えられるというメリットの他に、女性アイドルならレコーディングのついでにグラビア写真集やイメージ・ビデオの撮影までできてしまう。ていうか、こっちの方がメインだったのかな。ギリギリまで睡眠時間を削った過密スケジュールをこなしてきたアイドルにとっても、ちょっぴりビジネス/ほとんどバカンス気分でリフレッシュでき、事務所的にも適度なガス抜きと節税対策でコスパはいいし。
 なんだ、みんなが喜ぶことじゃん、これって。

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 で、甲斐バンド。当然のことながら彼らがマンハッタンでヌード・グラビアを撮影することはなく、純粋にスタジオ作業で渡米したのだけど、考えてみれば本格的な海外レコーディングを行わなかったというのは、ひとつの疑問である。
 初期メンだったベースの長岡が抜けてからの甲斐バンドは、その後は欠員補充することもなく、ギター大森・ドラム松藤との3名体制で運営していた。PoliceやJamなど、世界的にトリオ編成のバンドは珍しいものではなかったけれど、フォーク・ロック的な色彩が濃かった初期ならいざ知らず、ニューヨーク3部作期のサウンド・メイキングは、とても3人でまかなえるものではなくなっていた。
 シビアで繊細な音づくりを信条とするBobのスタジオ・ワークに耐えうるサウンドを作り出すには、どうしても他者の手助けが必要となる。甲斐の要求するクオリティはアルバムを追うごとに高くなり、相対的に大森・松藤の出番は少なくなる。代わって外部ミュージシャンの起用は多くなっていった。

 最盛期には年300本前後のライブをこなしていた彼らだったけど、ニューヨーク3部作に突入する頃は「創作活動に専念する」という理由で、ライブの本数を極力抑えていた。都有5号地(のちの都庁建設地)や両国国技館など、これまで音楽イベントに使用されていなかった会場を使って世間に大きなインパクトを与えたのもこの時期だけど、そんな理由で実質的な本数は激減している。
 そういった状況だったので、何かと雑音の多い国内にこだわらず、まとまった時間を取って当時のBobの所属スタジオPower Stationでのレコーディングも可能だったはず。まぁ世界中からオファーが集中していたスタジオなので、長期間スタジオをキープすることが、物理的にも予算的にも難しかったんじゃないかとは思う。
 もし長期のレコーディングが可能だったとしても、必然的に在米のミュージシャンを起用することになり、メンバーとのポテンシャルの差が大きすぎる。当時の甲斐のことだから、メンバーがプレイしたトラックを冷酷に差し替えまくることもあり得る話である。
 そこまで行っちゃうと単なる甲斐のソロ・アルバムになってしまい、バンドとは呼べなくなってしまう。

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 『Gold』リリース後に行なわれた大規模ライブ「Big Gig」を終え、彼らは暫しの沈黙期間に入る。その間、甲斐バンドはデビューから所属していた東芝EMIと契約終了、新興レーベル・ファンハウスに移籍する。
 EMI内で日本のロック/ポップス部門のリリースを担っていたエキスプレス・レーベルを母体として始まったファンハウス、初代社長として就任したのが、そのエキスプレスを管轄していた新田和長である。甲斐バンドの担当ディレクターでもあった新田が独立した流れで、彼らも半ば引きずられる形で移籍することになる。
 アーティストがレーベル移籍するというのはよほどのことで、大抵は契約が切られたか、または好条件を求めて、そのどちらかである。特にデビューから何かと世話になった会社から抜けるとなると、それなりの覚悟が必要になる。
 EMI自体に取り立てて不満のなかった甲斐だったが、会社:アーティストの関係を越えて恩義を感じていた新田への義理を果たすため、ファンハウス行きを決断する。あくまで信頼関係に基づいての成り行きであって、ビジネス上での合意とは微妙にニュアンスが違ってくる。

 初期ファンハウスのアーティスト・ラインナップは、オフコースとチューリップが中心だった。他で目につくのは、「あみん」を解散して間もなかった岡村孝子。レーベル・カラーとしては、旧EMIのニューミュージック勢が多くを占めている。
 そんな中に甲斐バンドも名を連ねているのだけれど、正直、このメンツでは明らかに浮いた存在である。「キャリア的に前者2組と肩を並べている」という理由だけでキャスティングされている印象が強い。
 ファンハウスのメインとして新田が位置付けていたのは、オフコースである。その後の彼のインタビューでの発言も、小田和正のエピソードこそ多いけれど、甲斐について語ることはほとんどない。ビジネスマンの視点から見て、今後の収益面の期待値が大きかったのが小田だったのだろう。まぁ当時のポジションから見てもそうなるわな。

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 取り敢えず新レーベル設立にあたって頭数をそろえるため、他のアーティストとカラーは違うけれど、ネームバリューのある甲斐バンドにも声をかけた、というのが真相だったんじゃないかと思われる。事実、『Love Minus Zero』リリース後、甲斐バンドは解散宣言と共にEMIに復帰、しかも甲斐よしひろのソロ契約というおまけまでついている。
 結果的にこの移籍劇は、ファンハウス立ち上げのための名義貸し、ワンショットの契約だったのだろう。甲斐サイドから見れば、何のメリットもない移籍だったし。

 そんなゴタゴタした経緯の中、断続的かつ長期間に渡ってレコーディングは進められた。この時点で解散に関するミーティングは続けられていたし、甲斐のソロ・プロジェクトも水面下で進行していた。
 正直、他メンバーのテンションはダダ滑りだったんじゃないかと思われる。何度プレイしてもリテイクの連続、レコーディングは空転状態である。クオリティを高めるため、メンバーがプレイしたテイクは破棄され、外部ミュージシャンのプレイに差し替えられる。それでまた不協和音が生じ、レコーディングはさらなる遅延のループとなる。テンションも下がるよな、こんなんじゃ。
 そんな悶々としたバンド内不和の緩衝役として、以前からサポートで参加していた田中一郎が正式加入するのだけど、中立的な立場である彼を持ってしても、積年に渡ってこじれた歪みを解消することはできなかった。
 やりづらかっただろうな、どちらにとっても。

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 で、できあがった音というのは最高傑作と呼ぶに値する、恐ろしく高いクオリティで統一されている。「甲斐バンド」というドメスティックな先入観を抜きにすれば、世界レベルで充分戦えるレベルにまで到達している。
 前述したように、おニャン子旋風が吹き荒れていた当時のオリコン・ヒットチャートとはリンクしていないサウンドなので、バカ売れしたアルバムではない。DX7にまみれた同時代の音楽と違って、時代の風化にも耐えうる音ではあるけれど、多くの人を惹きつける魅力には薄いのだ。キャッチーなメロディーという点においては、ひとつ前の『Gold』が頂点だったし。

 『Love Minus Zero』は日本のミュージック・シーンの文脈で語るより、むしろ末期のSteely Dan、『Aja』や『Gaucho』と並べて語る方がわかりやすい。Donald FagenもWalter Becker も甲斐同様、サウンドにこだわり過ぎるあまり、初期のバンド・スタイルを徐々に解体、オリメンである司令塔2人を残して、外部ミュージシャンの組み換えで傑作を産み落とした。
 特に最終作『Gaucho』では、司令塔2人(とプロデューサーGary Katz)が完璧なサウンドを追求するがあまり、セッション・ミュージシャンらに対し、冷酷無比に膨大なリテイクを要求する。妥協なきスタジオ・ワークは、後世にまで語り継がれる作品として昇華したけれど、長きに渡る編集作業は2人の精神をすり減らし、完成と共にSteely Danに終止符を打った。

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 Dan同様、甲斐バンドもまた、完パケと共に解散を決定、リリース後は終焉に向けて動き出すことになる。
 気の進まない移籍騒動やら、思うように捗らないレコーディングやらで、バンドを取り巻く環境は決して良いものではなかった。逆に言えば、人間関係がこじれればこじれるほど、各々自身の作業に集中せざるを得なくなり、音楽的には高いクオリティを持つアルバムに仕上がった。
 バンド内のピリピリした緊張感を象徴するかのように、どの音も念入りに研ぎ澄まされ、ひとつひとつの音の粒立ちは良い。曖昧な響きがことごとく排除されているのだ。
 必要な音を必要な分だけ。足しもせず、引きもしない。
 そんな音が、『Love Minus Zero』には収められている。


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1. 野獣
 1984年リリース、『Love Minus Zero』からは2枚目の先行シングル。前述したように、この時代になるとシングル・ヒットは眼中になかったため、オリコン最高53位という成績には何の関心もなかったと思われる。
 ボクシングを題材とした曲といえば、アリスの「チャンピオン」が真っ先に思い浮かぶけど、谷村新司が引退間近のロートル・ボクサーのペシミズムを主題にしていたのに比べ、ここでの甲斐は脂の乗った現役ボクサー、ギラついた渇望と暴力的な肉体性を取り上げている。
 70年代ブリティッシュ・ハード・ロック的なギター・リフを基調としたシングル・ヴァージョンでは、ライト・ユーザーへの配慮も窺える「ロック」な仕上がりだったけど、ほぼ同時にリリースされた12インチ・シングル並びにアルバム・ヴァージョンでは、歌詞世界とリンクした、バイオレンスな質感となっている。
 シングルでの各パートが横並び・等間隔に配置されているのに比べ、冒頭のスラップ・ベースやギター、そのどれもがコントラスト鮮やかな音像に仕上がっている。イントロだけ聴くと、まったく別の曲のようである。
 「ミックスダウンとは何ぞや?」という問いかけに対する模範解答とも言えるナンバー。



2. 冷血(コールド・ブラッド)
 『Love Minus Zero』発売1か月前にリリースされた、本来の意味合いに最も近い先行シングル。そんな何枚も出すモノじゃないよな、先行発売って。オリコン最高43位は1.よりちょっと上がってるけど、まぁこの結果にもさして関心はなかったと思われる。
 Truman Capoteの同名ノンフィクション・ノベルからインスパイアされたタイトルだけど、クライム・ノベル的な短編小説的世界観の意匠だけ使って、内容はまったく別モノ。Capoteは死刑囚への緻密な取材に基づく人格解剖だったしね。
 抑制されたドライなサウンドをバックに、甲斐のヴォーカルは少し引き気味にミックスされている。サウンドと言葉とが等価で配置され、凄惨な世界観はギリギリのところでポップの側に踏みとどまっている。これまで甲斐の書いた楽曲の中でも、ハードボイルド・テイストが最も高い曲。



3. フェアリー(完全犯罪)
 「Big Gig」終了間もなくリリースされた、『Love Minus Zero』プロジェクトの最初を飾る「先行シングル」。もう何枚目だよ。
 1.2.のハードボイルド・タッチから一転、シングル・チャート意識したポップ・ロック的なサウンドは、案外ファンの間でも人気が高い。この曲のみミックスを、Bobと同じパワーステーションのエンジニア、Neil Dorfsmanが手掛けている。多分、Bobのスケジュールが合わなかったため、代役として彼が指名されたのだろうけど、いやいや彼もなかなかの実績を持っている。Sting 『Nothing Like the Sun』、Dire Straits 『Brothers In Arms』、Paul McCartney 『Flowers In The Dirt』と、80年代の重要アルバムを数々手がけており、Bobと比肩するポテンシャルの持ち主である。
 「最初は遊びで付き合ってたつもりが、いつの間にかこっちが本気になってしまった挙句、捨てられて呆然としている」といったシチュエーションは、甲斐にしては珍しく受け身の設定。ハードボイルドを謳ったアルバムの中では異彩を放っているけど、サウンドのトーンはアルバム全体と調和しているので、違和感は感じられない。こうやって全体像を見据えた処理能力は、やはり世界のパワーステーション。



4. キラー・ストリート
 バンドっぽさを感じさせる、ファンキーなリズムのロック・チューン。レコードではA面ラスト、シングル・カットされた冒頭3曲のインパクトが強かったおかげで損なポジションだけど、年を経てから聴いてみて、最も甲斐バンドらしさが残っているのがこれ。「ハードボイルド」と銘打ってちょっとよそ行きっぽかった甲斐のヴォーカルも、ここでは変な気取りを捨ててきちんとロックしている。
 しかし、無国籍感ぱねぇな。リアル北斗の拳的な歌詞もそうだけど、この曲に限らず、サウンド自体も同時代のアーティストとのリンクがない。やっぱオンリーワンだったんだな。

5. ラヴ・マイナス・ゼロ
 もともとは甲斐がソロ用にストックしてあった曲をバンド・アレンジして制作されたミディアム・ナンバー。解散ライブを収録したアルバム『Party』ではラストに収録され、「君から 愛を取れば…」と歌い残してステージを去った。アルバム・リリースから半年経ってからシングル・カットされたため、オリコン最高88位と振るわなかったけど、ファンの間ではヒット曲よりもむしろこちらの方が人気が高い。歌詞・メロディ・アレンジとも、最も時代におもねることなく、風化せず生き残っている。
 4.同様、サウンドは無国籍感が支配する。俺がイメージするのは、なぜか東南アジアの喧騒に満ちた夜のマーケット。行ったこともないのに、想うのはいつもそこ。多分、聴く者それぞれの「Love Minus Zero」的世界観を想起させるのだろう。



6. デッド・ライン
 アメリカン・ハードロック的な大味のポップ・ロック。時折隠し味的に響くシモンズが時代を感じさせ、軽やかなサックスは心地よく響く。でも面白みにはちょっと欠ける。『Gold』のアウトテイク的な親しみやすさはあるけどね。

7. Try
 で、こちらはサウンド的にCarsを思わせるシンセ・ポップ。歌詞はステレオタイプのロックンロール。まぁこんなのもできちゃったんで的な、アルバム・コンセプトとはちょっとズレてる感がハンパない。要するに、ちゃんと聴いてなかったんだよね。改めて聴いてみても、歌詞がちょっと書割りっぽくて馴染めないな

8. 悪夢
 作曲:田中一郎、作詞甲斐による共作。ここでのヴォーカルは甲斐が取っているけど、シングルでは田中が歌っている。両方を聴き比べてみると、田中のヴォーカルはニュアンスの表現が甘く、やはり手練れの甲斐のヴァージョンに軍配が上がる。色艶が違うんだよな、表現力の差というか。
 初参加ということもあって、ここでの田中は実力をまだ十分に発揮しきれないでいるけれど、次作『Repeat & Fade』ではストレートなロックンロールだけに収まらないバイタリティが開花する。するのだけれど、そこでバンドは終止符を打っちゃったのが惜しい。

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9. 夜のスワニー
 このラスト曲と8.のみが、バンド全員でのセッションによって制作されている。他の楽曲はトラックごと個別にレコーディングされているのだけれど、寄りによってバンド・マジックが生まれづらそうなこの曲を選んでしまうところに、バンド内の軋轢を感じさせる。
 以前も書いたのだけど、アレンジがElvis Costello 「Inch by Inch」そのまんま。Costelloがリリースしたのが1984年なので、シンクロニシティだインスパイアだオマージュだとは恥ずかしくて言えないくらい、それほどそっくり。聴いた当時はカバーだと思っちゃったくらい。
 透徹としたアーバンな世界観が巧みに表現されているだけに、ちょっともったいない。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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