好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

渡辺美里

ソニー・サウンドの「これから」のスタート - 渡辺美里 『Lovin’ You』

folder 1986年にリリースされた美里2枚目のオリジナル・アルバム、しかも新人なのにほぼ全曲書き下ろしとなった2枚組。ファーストがシングル、セカンドがダブル・アルバムというパターンは前代未聞で、美里以降もほぼ例がない。このパターンで行けば、3枚目はトリプル・アルバムだ!と当時は思っていたし、多分ソニー的にも目論んでたんじゃないかと思われるけど、現場の負担が大きすぎたのか、そうはうまくいかなかった。
 ちなみにデビュー・アルバムが2枚組だったのが、あの”いとしのレイラ”のDerek and the Dominosで、日本にも誰かいないものかと調べてみると、なんとKis-My-Ft2が2枚組デビューだった。さすがに知らねぇやそんなの。
 もうひとつ余談として、アメリカのブラス・ロック・バンドChicagoが美里を上回るリリース・ペースで、デビューから3枚目まですべてダブル・アルバムという偉業を成し遂げている。しかもこれをきっちり1年ペース、全曲ほぼオリジナルをコンスタントに製作している。まぁ60年代末という時代の勢いと、そもそもこの時期のロック・バンドは1曲がめちゃめちゃ長かったおかげもあるのだけど。で、4枚目にリリースされたライブ・アルバムはなんと4枚組。いくらなんでもやり過ぎである。長尺の曲が多いせいもあって、アルバム片面で1曲など、大所帯バンドの特性を活かしたソロ・パートの寄せ集め的な曲もあるため、ちょっと無理やり感も強い。
 そう考えると、シングル再録もあるけど美里のこのアルバムの方が、よっぽど潔い仕上がりである。

 前回の松田聖子レビューで途中まで書いた「アイドル性を持ったアーティスト」として、ソニーは美里をそのようなフワッとした方針で育成してゆくことにした。アイドル的なルックスを持ち、当時基準としては軽くアベレージを超えた歌唱力を持ちながら、テレビでの露出を極力抑え、MTV時代に即したイメージPVによって、アーティスティックなイメージ戦略を植えつけた。当時のアイドル売り出しの規定路線であったテレビ歌番組の出演やバラエティ出演もほとんどない。
 先行シングルとなった”My Revolution” がテレビ「ベストテン」でチャートインしたにもかかわらず、出演したのは1回のみ、ほかはレコーディング中という理由で出演ならなかったことは、当時のアイドルとしては異例だった。べストテンに入ってるのにテレビに出ないという行為は一部のニューミュージック系のアーティストに限られており、せっかく顔を売る機会をみすみす逃すのは、普通に考えるとありえないことだった。いま思えば、レコーディングの合間を縫ってスタジオから生中継するアイドルもいたくらいだから、技術的には可能だったろうし、特に初ヒット・シングルという重要な節目だったので、「もうちょっとどうにかなんなかったの?」と思ってしまう。まぁ単純にケツカッチンで余裕がなかったためと思われる。なにしろアルバム2枚分のレコーディングを行なわなければならないのだ。

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 とは言っても、最初から2枚組ありきで進められたプロジェクトかといえば、それもちょっと疑問が残る。単純に考えてコストも倍かかるし、それに見合うリターンといえば未知数である。『eyes』リリース時点ではまだ可能性を秘めている段階であって、開花には至っていない。
 その『eyes』レコーディング終了にもかかわらず、その後も小規模なライブハウス・ツアーと並行して、スタジオ・ワークは続けられている。当初から夏頃にセカンド・アルバムをリリースするというのは規定路線だったので、すでに準備は進められていた。春から夏にかけては本格的なホール・ツアーのスケジュールも組まれており、リハーサルも含めると余裕を持って進められた感じではある。じっくり育成してゆくためには、ある程度の時間的余裕は必然なのだ。なのだけど。

 ここで突発的な『My Revolution』 の大ヒットである。ポッと出の新人アーティストがいきなり大きなセールスを叩き出してしまったのだから、さぁこりゃ大変。リリース・スケジュールも何もすべて組み直しである。ツアーの規模は拡大し、せっかくだからとアルバムの分量もガッツリ増えた。2枚組?いやいくらなんでもそりゃやり過ぎっしょ。
 ここでメディアの露出を多くしてしまうと、以前の太田裕美のパターンをなぞる形になり、いつの間にか歌謡界に飲み込まれてしまうことを危惧したのか、ソニーは可能な限り露出を抑え、レコーディングに専念させたことは英断だったんじゃないかと思う。ほぼレコーディングのノウハウもない1人の少女をスタジオに缶詰めにさせることによって情報を遮断し、アーティスト顔した普通のアイドルとはちょっと違うことを印象づけた。ここで選択を誤って、オールスター水着運動会やら新春かくし芸やら熱闘コマーシャルやらに出演していたら、ここまで生き残ることはできなかっただろう。まぁ隅っこのワイプの中でビキニ姿で振り付きで歌う美里もまた、ネタとしてはアリかもしれないけど。

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 『eyes』の時は、アーティスト的アイドル路線のコンセプトがまだ手探り状態だったこともあって、若手クリエイターのショーケース的に、自社内の様々なアーティストが楽曲制作に参加しているのだけど、”My Revolution”ヒットによって動向とニーズがつかめたのか、ここではっきりと「ごく普通のティーンエイジャーの光と影のコントラスト」というイメージ戦略を固め、それに準じたプロモーション展開を行なうようになる。
 イメージが決まったので、あとは具体策、これまで起用した作家陣の中から、美里の世界観をうまく具現化できそうな2人のアーティスト、小室哲哉と岡村靖幸が選ばれた。2つのプロジェクトはほぼ同時進行で作業を進められたのだけど、互いのカラーの微妙な違いを中和するため、大村雅朗が共通アレンジャーとしてその任に就き、全体の調整役として奔走した。
 若手ながらすでに長いキャリアを持ち、天性の音楽理論に基づいたメロディを奏でる小室と、本格的なデビューを後に控え、荒削りながら歌謡曲へのリスペクトが深いメロディと独特のリズム感覚を持つ岡村ちゃんとの双頭体制は、大村の煽りも手伝って互いのクオリティを高める方向に働いた。

 作曲の配分としては、小室と岡村ちゃんがそれぞれ8曲、当時は佐野元春のバックバンドHeartlandにいた西本明がソニー系列つながりで1曲、アレンジャー大村が1曲、前回『eyes』に引き続き小室つながりで木根尚登が1曲、そして美里自身による初の楽曲が1曲という構成になっている。
 当初は大まかに分けて2つのプロジェクトが同時進行しており、多分最初は2つのミニ・アルバムを作る心づもりで双方進行していたはずなのだけど、突然の2枚組リリース決定の煽りを受けて、こりゃ大変となったのが現場である。「聞いてないよ」とも言えず、決まったからにはやるしかない。どこの世界の若手にだって、選択権などありはしないのだ。
 結局岡村ちゃんも小室もフル・アルバムの分量を作ることになってしまって、そりゃもう大変だったことは窺い知れる。詳しくは曲目解説でだけど、結構強引な楽曲もあるわけだし。
 まぁ一番大変だったのは、実質的に現場を仕切っていた大村だったわけで。

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 この時期の岡村ちゃんはソロ・デビューが決まった頃、自分のこともそうだけど、取り敢えずは目の前の課題、美里の方を仕上げなければならず、悪戦苦闘が偲ばれる。
 キャリア的にはまだ何の実績もない、駆け出しのソングライターだったため、大村や美里自身によるダメ出しやボツ曲も少なくなかったんじゃないかと思われる。大村マジックによってどうにか体裁は整えられているけど、中には「これはちょっと…」と思ってしまう楽曲もあるのは事実。
 タイトなスケジュールとノウハウの未熟さを考慮すれば、かなりうまくやった方だとは思うのだけど、習作ゆえの甘めのジャッジになっていることは否定できない。

 ここでの小室哲哉の仕事について。俺的には岡村ちゃんへの思い入れが強かったため、もっぱら岡村ちゃんの曲ばかり注目が行ってたのだけど、今回久し振りに小室楽曲もきちんと聴いてみて、気づいたことがひとつ。
 -これって全部、TM宇都宮でも歌えるんじゃね?
 すべてがすべて当てはまるわけじゃないけど、どのトラックも基本、キーは低めに設定してある。美里の地声がもともと張りのあるアルトの性質を持つせいもあって、どの曲も宇都宮にすげ替えても違和感がないのに気づく。
 美里と宇都宮に共通するのが、あまり濁りのないオーソドックスなヴォーカライズである。以前PSY・Sのレビューで、「きれいなサインカーブを描くチャカの純音的ヴォーカル」について書いたのだけど、そこまでの美声ではないにしても、2人ともクセのない歌い方が特徴である。聴いてて破綻が少なく、安定したヴォーカルである。
 ただし、これを逆に返すと「特徴のない声」「ストレート過ぎて面白みのない歌い方」という見方にも繋がる。
 宇都宮のヴォーカルの短所については、当時から「直截的過ぎる」とは言われてきた。もともとRod Stewartを敬愛してきた人なので、バンドに負けない声量を持ち、音程的にもしっかりしているのだけど、表現力という点においては若干大味すぎる点がある。微細なニュアンスを伝えるにはちょっと一本調子過ぎるところも否定できない。
 デビュー間もない美里もまた、この時点では卓越した表現力があるわけではない。音程やピッチの取り方はうまいけど、ただそれだけ。人の心に揺さぶりをかけるには、楽譜に書かれている以外の情報処理能力・解析力が必要なのだ。それは持って生まれた素質も大きいけど、後天的に獲得できる要素でもある。ただ、それには一定の訓練と努力を要する。でも、そんな時間はない。
 じゃあ、どうすればいいか?

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 岡村ちゃんもまた、メロディ・センスにおいては小室と引けを取らぬレベルだけど、岡村ちゃんナンバーをカバーする者はみな、岡村ちゃんっぽいヴォーカル・スタイルになってしまう。メロディこそ歌謡曲メソッドに沿って親しみやすいものだけど、独特の譜割りやリズムはオリジナリティが強すぎて、結局は「岡村ちゃんが歌うのが一番」という結論になってしまう。
 対して小室の場合、岡村ちゃんと違って自分でヴォーカルを取らない(取れない)がため、どうしても他人の声に寄り添うスタイルになる。本来なら自分の作品は自分で歌うのが一番なのだけど、そうもいかない場合だってある。彼の場合、お粗末にも…まぁ天は二物を与えないわけで。
 小室が宇都宮をパートナーとして選んだ以上、彼のヴォーカルのポテンシャルを最大限に活かす方法を模索しなければならなかった。この時点の小室もまた、美里同様、目立った実績のない若手クリエイターに過ぎなかった。パートナーは選べない。与えられた条件の中、確実にベストを尽くしてゆくしかない。

 そういった視点で見ると、ここで披露された小室楽曲というのは、のちにTMネットワークへフィードバックさせてゆくための壮大な実験だったんじゃないか、と思われる。後半に向けてドラマティックに盛り上がってゆくカノン進行のコード、ジェットコースター並みに抑揚をつけたメロディ・ラインなど、ヴォーカル・テクニックの稚拙さを補うよう、緻密に計算された作曲技術を披露している。
 このメソッドはTM本体にフィードバックされただけではなく、後の90年代小室サウンドにも色濃く継承されている。ここで確立されたテクニックを礎として、小室自身、そして彼から影響を受けたクリエイターたちが後の90年代Jポップ・バブルを担ってゆくことになる。その90年代末、小室は次第に自家中毒気味な楽曲を乱発するようになり、次第に失速してフェードアウトしてゆくのだけど、それはもっと後の話。
 

Lovin’You
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渡辺美里
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1. Long Night
 アルバム・リリース間もなくシングル・カットされた、なんと6分超にも及ぶポップ・ロック・ナンバー。実際聴いていると冗長な感じはまったくなく、とても普通のシングルの倍近くのヴォリュームとは思えない、軽快でダレることもない仕上がり。
 作曲岡村ちゃん、シングルとしては美里の自作が初めて採用された。クセの少ないコード進行、きちんと盛り上がるわかりやすいサビ、終盤の持ってきたバラード展開など、きちんと丁寧に作られた楽曲がきちんと評価された理想像がここにある。だけどチャート的には最高11位。もうちょっと売れてたと思ってたけど、おニャン子クラブ全盛期だったし、そんなもんか。

 一人になるために 街を歩いた
 飛び交う クラクションが切なく響くよ
 うれしい時にしか 泣きたくない
 誰より 熱い鼓動 鳴らし続けてる

 たった一つの夢が見えるから
 たった一人も勇気にかえたい
 昔のままではいられない

 ちゃんと情景が目に浮かび、韻も踏んでいて、とてもビギナーとは思えないくらいの完成度。もちろん手直しなどもあっただろうけど、プロの手垢を感じさせない仕上がり。



2. 天使にかまれる
 小室作曲なので、サウンドはもろTM。多分宇都宮ならもっと力強くシャウトするところなのだけど、ここでの美里は少し抑えた歌い方。美里による歌詞が切ないタッチなので、ニュアンスを大切にしているのだろうけど、宇都宮なら関係ないんだろうな、そういうの。
 ここでは小室もアレンジに参加しているので、最後のピアノ・ソロは作家としての存在感をアピール。

3.  My Revolution
 言わずと知れた大ヒット・ナンバー。もちろんオリコン1位ではあるけれど、売り上げ自体は44万枚と、当時の基準としても普通のレベル。しかし世代を超えたこの曲の認知度は計り知れないほどで、テレビでのイベントにおける応援歌的BGM使用率はZARDの”負けないで”とタメを張るぐらいである。
 テレビで歌わされる率が高い曲でもあるので、正直美里的にも辟易してる部分もあるのだろうけど、代名詞的な楽曲でもあるし、ベタではあるけれどファンの間でも人気の高いナンバーでもある。なので、もはや好き嫌いを超越して一生付き合ってゆくことを覚悟したのが、近年の美里である。
 作曲家小室哲哉としても出世作となったため、自身としてもかなり大切にしている楽曲でもある。前述したメソッドをここで創り上げ、そこから小室サウンドがスタートしたのだ。



4. そばにいるよ
 小室の中でもメロディック・ハード・ロックな部分をクローズアップして創り上げたナンバー。JourneyやTOTOが好きな人ならしっくりくるサウンド。ただ抑揚の少ないメロディは美里には難しかったのか、どこか手探り感が拭えない。アイドルっぽさはあるけどね。

5. 素敵になりたい
 シングル・カットされた18.のB面曲としてリリース。岡村ちゃん作曲による疾走感あふれるナンバー。ヴォーカル・スタイルやサウンドのテイストが『eyes』っぽさが残っている。サビの部分の英語によるコール&レスポンスがカッコいい。うっすらだけど岡村ちゃんのコーラスも聴ける。

6. 19才の秘かな欲望
 まるでT.Rexのようなギター・リフからスタートするロック・チューン。

 偉い人は言うわ
 いつも前だけ 見てなさい
 かまわずよそ見 すべてを見たい

 まっすぐなだけじゃつまんないよね、ということを代弁してくれた曲として、俺的にも印象深く残っている一節である。
 この曲は珍しく岡村ちゃんヴァージョンも公式にリリースされており、こちらもオリジナルを凌駕した濃厚な仕上がりになっているけど、ここはやはりまっすぐな美里ヴァージョンが俺的には好み。



7. This Moment
 もうちょっとテンポを上げればTMになってしまう、もちろん小室によるナンバー。シングル曲のようにドラマティックな転調や強いサビのフレーズはないけど、フラットなヴォーカルとバンド編成によるサウンドとのコントラストで最後まで聴かせてしまう。
 しかし中盤のブレイクのノイズとギター、ZEPを彷彿とさせてしまう。そこから再び元気いっぱいなポップ・ロックに戻ってしまうのだから、よく聴けば変な曲。

8. 君はクロール
 アレンジャー大村作曲のスロー・テンポのテクノポップ・ナンバー。この時期はYazooやCocteau TwinsなどのUKポップが流行っていたので、こういった同時代性を感じさせる曲もひとつくらいはあったっていい。
 しっかしこれも難しい曲だな、歌いづらそう。自作詞であるにもかかわらず、音を追ってくだけで精いっぱいの印象。この辺がきっとスパルタ的だったんだろうな。

9. Resistance
 岡村ちゃん作曲だけど、冒頭のアメリカン・ハード・ロック的なオープニングが「らしく」なかったので、ちょっとビックリ。この大味感がずっと続くので、正直岡村ちゃん的にはあまりないパターン。まぁこのメロディなら、このアレンジになっちゃうんか。俺的にはアリだけど。

10. My Revolution (Hello Version)
 アカペラ・ヴァージョン。A面ラストの小曲的扱い。2枚組という長丁場なので、ブリッジとしてはアリ。

11. 悲しき願い(Here & There)
 9.同様、アメリカン・ハード・ロックの流れなのだけど、ここではもっとポジティヴな、メジャー展開バリバリのナンバー。これは問答無用にノリも良く、好き嫌いも言ってられないキラー・チューン。当時の岡村ちゃんのアッパー・チューンとしては傑作の部類に入る。バンドもめちゃめちゃ気合の入ったプレイだし、美里のヴォーカルも勢いがある。

 僕達は争うために 生まれてきたんじゃない

 言葉にしてしまえば何の変哲もないけど、美里のヴォーカル、そしてこのサウンドによって、途轍もない説得力が生まれている。歌詞やヴォーカルにテクニックなんて必要ない、大事なのはパッションさ!とでも言いたげに、ここでの美里はハジけまくっている。すべてがすべて、勢いだけではうまく行くわけではないけど、この曲の中ではそれが通用してしまっている。

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12. みつめていたい(Restin’ In Your Room)
 11.に続き、ここでも岡村ちゃん覚醒。ポップ感を残しつつ、ちょっぴり大味なハード・ロック・テイストのサウンドに乗せて、親しみやすいメロディを奏でている。正直メロディ・パターンは2つしかないのだけど、そのシンプルさを補うように美里のヴォーカルがこちらもハジけまくっている。サビでデュエットする岡村ちゃんとのコラボレーションの最高の瞬間を記録しているのが、このナンバー。
 美里と岡村ちゃんはほぼ同世代、この2人のスタジオ・ワークがどんな塩梅だったのかは分かりかねるけど、多分高校生活の延長線上、放課後のスタジオで延々残されてる感じが想像できる。スタッフによるダメ出しの嵐でへこみながら、2人頭を突き合わせてあぁだこうだと言い合って、うまく行った時は互いに目を合わせて軽く微笑し合う。すっかり夜も明けたスタジオ帰り、疲れ切った少年少女はマックに寄って無言でハンバーガーをパクつくのだ。そこに言葉はいらず、男女の関係もいらない。まだそこまでに至ることもない、ごく普通の少年少女の日常だ。
 
13. 言いだせないまま
 久し振りにちゃんと聴いてみると、Diana RossとLionel Richieのデュエット・ナンバー”Endless Love”だと思ってしまうくらい、モロ80年代ラブ・ソングのフォーマットを使ったバラード・ナンバー。ベース・ラインがカッコいいのと、コーラスに宇都宮が参加している。
 唯一木根作曲によるナンバーだけど、才能が開花した岡村ちゃんと小室の勢いと比べると、曲調自体が『eyes』テイストを悪い意味で引きずっており、浮いてしまっているのが現状。ていうか、これって『eyes』のアウトテイクなんじゃないの?と思ってしまう。2枚組にするための曲数合わせ?

14. 雨よ降らないで
 80年代エレポップの流れを汲んだイントロから始まる、このアルバムのベスト・テイクのひとつであるロッカバラード。こういったテンポよくキレの良いメロディは、後の小室サウンドのルーツとなっている。
 メインは美里だけど、重いギター・リフを絡ませたり、サウンドでは結構エゴを出しているのが小室。やはりTMサウンド完成へ向けての実験と思われるケース・スタディとしての秀作。



15. Steppin’ Now
 初の美里完全作詞・作曲となった記念すべきナンバー。確かに拙い部分は多いけど、それをぶ厚いアレンジでごまかそうとせず、敢えてアカペラを交えたシンプルなセットで創り上げたことは評価されてもいいんじゃないかと思う。

16. 男の子のように
 ここからがレコードでは2枚目裏、昔はこれをD面と呼んだ。陸上で言えば最終カーブ、ラスト・スパート目前である。ここに来て一度ペース・ダウン、しっとりしたピアノ・バラードは西本明作曲によるもの。

17. A Happy Ending
 モータウンっぽさが5.と被る岡村ちゃんナンバー。等身大の女の子っぽさを最も前面に出してるのがこの曲。また音域を広く取っており、珍しくファルセットなんかも披露しているけど、ヴォーカル・レコーディングの苦労が偲ばれる。岡村ちゃん的には「これくらい大丈夫っしょ」と思ってキーを設定したのだろうけど、ブース越しに横目で睨みながら悪戦苦闘する美里の姿が思い浮かぶ。

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18. Teenage Walk
 『My Revolution』の次にリリースされたシングル。オリコン最高5位をマーク、取り敢えずアベレージはクリアしたという印象。カウンター・メロディのコーラスなど、小技は使ってはいるけど、コード進行やメロディ・パターンは基本、『My Revolution』で掴みかけた小室メソッドによるもの。ただまだ完全に自分のものにしていたわけじゃないので、これがヒットして、美里もそうだけど、一番ホッとしたのは小室自身。

 Teenage Walk
 鳥が空へ 遠く羽ばたくように
 いつか 飛び立てるさ 自分だけの翼で

 ここでの美里は『eyes』の時から一皮むけて、自分の言葉で、自分の足でしっかり立って歌っている。以前の美里だと、その「いつか」に期待値的なニュアンスしか込められなかったけど、ここでの「いつか」は強い確信、「きっとできるさっ」的な強い意志が感じられる。
 もう独りじゃない。『My Revolution』のヒットによって広く受け入れられた自信が美里を強い女の子へと成長させた。

19. 嵐ヶ丘
 14.と似たタイプのロッカバラード。シンセのフレーズはもろTMだけど、開き直りだよな、これって。コーラスも含めて完全にTMのプロダクションになってる。歌詞も男の子目線だし、そのまんま宇都宮が歌っても…、いやダメなんだろうな、それじゃ。
 あまり目立って使われてなかったけど、ブラス・セクションの使い方がカッコいい。時代からするとフュージョン的な使われ方が一般的なのだけど、敢えて泥臭いブラス・ロック的なフレーズが逆に新鮮。

20. Lovin’ you
 美里的に、そして岡村ちゃん的にも大きな節目となった傑作バラード。ある意味2人とも、この曲を超えられないでいること、そんな大名曲をキャリアのスタートで創り上げてしまったことは、アーティストとして幸せなのか不幸なのか。
 リリース当初から名曲扱いされ、今でも節目ごとに歌われることも多い、ファンの間でも思い入れの強い曲である。詞・曲・アレンジ・ヴォーカル、パーツだけで見ればアラもあるのだけれど、この時期このメンツで生み出された化学反応は絶妙な融合を果たし、今も時代の風化に耐えうる名曲を作り出した。
 俺的にもこれは別格。歌詞の一部分だけ、フレーズひとつだけ取り出すのもなんか違う気がしてしまうので、ぜひ一曲通して聴いてみてほしい。






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80年代ソニー・アーティスト列伝 その2 - 渡辺美里 『eyes』

img_0 今でこそ体型も貫禄がついて、熟練ゴスペル・シンガーっぽい風貌になった美里、元祖青春ソングの女王として、近年では「ミュージック・フェア」や「FNS歌謡祭」で時たまその姿が拝める程度になっているけど、デビュー間もなくから90年代中盤くらいまでは、「ちょっとアーティスティックなアイドル」的ポジションとしてメディアにクローズ・アップされ、お茶の間にも広く認知されていた。当時メディア戦略に関しては、他のレコード会社と比べて頭ひとつ飛び抜けていたソニーのプッシュもあって、ほぼ毎月のように「PATi PATi」や「GB」の表紙やグラビアを飾っていた。
 グラビアとはいっても、もちろんそこは「アーティスト」なので、水着になったり肌の露出が多いわけではない。
 真っ白な背景をバックに、悩めるティーンエイジャーの表情を見せる美里、モノクロ・トーンの中でポーズを決める美里。80年代ソニーの宣材写真やグラビアでよく使われたフォーマットは、彼女と尾崎豊の登場によって確立された。
 書いてみて思ったのだけど、これって今でも使われている技術だし、特に女性のセクシャリティの排除という面において、アイドル声優に近いものを感じる。

 ティーンエイジのアイドルでありながら、アーティスティック―。
 ある意味相反するスタンスであるはずのこの形容から、当時の美里のポジションというのはソニーの発明であって、それまで類を見なかったタイプのアーティスト/アイドルだったんじゃないだろうか、と今になって思う。
 同じくCBSからデビューした太田裕美に端を発する、アイドル的ビジュアルを併せ持ったアーティストの系譜だけど、その後も竹内まりやや杏里、石川優子など、どの時代においてもこのポジションには一定のニーズがある。時を経た現在においてもmiwaがその座に収まっており、多かれ少なかれど需要と供給のバランスは変わらない。変わらないのだけれど、基本ここにカテゴライズされる女性アーティストというのは、miwaでなんとなくわかるように、ほのぼのニュー・ミュージック系勢力が圧倒的に強く、特徴としてはアニメ関連や声優系との親和性が高かった。
 飯島真理なんかはその典型で、当初は坂本龍一プロデュースによって尾崎亜美ラインの「不思議ちゃんポップ」で売り出していたはずだったのだけど、たった一度、マクロスの主題歌に手を伸ばしてしまったがため、その後はずっと「アニメの人」としてのレッテルを貼られることになってしまった。まだアニメ主題歌がそこまでの市民権を得ていない時代だったせいもあって、一度そっち側の世界に行ってしまったら、なかなかリン・ミンメイのイメージから脱却することはできなかった。思えば黎明期のオタクたちに翻弄され振り回された、ある意味大きく回り道を強いられてしまった可哀想な人である。

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 女性アーティストとアニメ業界との相関性については本題ではないのでここら辺でやめとくことにして話を戻すと、そのアイドル的適性を併せ持ちつつももう少しロック寄り、バンド・サウンドを前面に押し出したアーティストとなると、あまり該当する者がいなかった、というのが美里デビュー以前の状況である。
 いや正確には山下久美子や白井貴子など、ロック・サウンドをメインとした女性はいたのだけど、彼女たちの場合、いずれもある程度の下積みを経てからのデビューだったため、みな20代を過ぎており、ティーンエイジャーの現在進行形をリアルに描写するには微妙なズレがあった。彼女たちの描写する10代とは、結局のところノスタルジックな視点のものがほとんどだったため、どうやっても脚色や美化というフィルターがかかってしまい、リアルさが薄れていたのだった。
 で、ここで登場したのが美里である。『明るくカワイイ元気なティーンエイジャー』。80年代エピックを象徴するアイコンとして、その後の元気印系女性アーティスト路線のフォーマットとなった。
 あと、これが結構重要なのだけど、美里を含むソニー系アーティストのビジュアル戦略として、セクシャリティを想起させるキーワードは悉く排除されていた。美里が長いこと10代・20代女子の代弁者として支持を受けていたのはこの点が大きい。次から次へと新人がデビューしてくるため、短いスパンで消費されてゆくアイドルとは一線を分かち、中性的なビジュアルを前面に押し出すことによって、女性ファンを多く獲得し、ティーンエイジャーの慰みものから免れることができた。飯島真理の二の轍を踏むことは回避できたわけで。

 Kenny Logginsのカバー曲"I’m Free"という、なんとも微妙なデビュー曲から半年後、1985年末に発売されたのがこの『eyes』。当初のセールス・アクションは結構地味なもので、本格的に売れ出したのは翌年リリースのシングル”My Revolution”、これが大ヒットしてからである。
 当時のソニーの戦略として、新人アーティストは大々的なプロモーションを控え、ライブや自前のメディアに少しずつ露出させながら、焦らずじっくり育ててゆく方針を貫いていた。可能性としてはまだ未知数だった美里も同様で、この頃の内部メディア以外への露出はほとんどない。セールスをさらに伸ばすため、もうちょっと外部へアピールしてもいいはずなのに、テレビ出演は数えるほどだったはず。一過性で消費されてしまうだけのアイドルならここが売り時なのだけど、当時のソニーのスタッフは大局観を持った人間が多かったのだろう。
 当時の美里はちょうど2枚組のセカンド・アルバム『Lovin’ You』の製作まっ最中。当初から2枚組だったのか、はたまた『My Revolution』のヒットの余波を受けての2枚組になったのかは分かりかねるけど、レコーディングだ楽曲制作だ取材だと多忙を極めていたため、とてもテレビ出演できる状況でもモチベーションでもなかった。そういった現状に即した状況判断、また常に時代の数歩先を読んで戦略を練っていた、当時のソニーの懐の深さが窺える。

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 『eyes』リリース時の美里は19歳だけど、レコーディング時はまだ18歳だった。メイン・ユーザーである10代とは同じ目線の高さだったため、言葉もそうだけど、発する声自体に微妙な感情の揺れが混ざり、それがリアルに響く。彼らと近い存在の美里は、リアルな友達同様、何ら自分たちと変わらない等身大の存在として、ほんのささいなことで真剣に悩み、ちょっとしたことで喜び、そして大人たちへ抱く秘めたフラストレーションを、ソフトにコーティングされてはいるけど、ここでぶつけている。
 ジャケット表面の、ちょっとブーたれた表情の美里。
 ―まだ大人になりきれてない、できるならなりたくない、でも縛られた環境から、一刻も早く抜け出したい―。
 この頃の美里に、誰かを救う力はまだない。
 誰かのために役立ちたいと思ってはいるけど、今はまだ自分のことでせいいっぱい。
 後に彼女の歌が持つようになる、つまらない現実を吹き飛ばすパワー、傷ついた誰かをそっと癒す包容力。それが身につくようになるのは、もっと後の話である。
 この時点の美里の言葉は、まだ稚拙である。ここではまだほとんど自作詞は採用されておらず、美里のイメージに沿って、プロが多くの詞を書いている。等身大のティーンエイジャー像を想定して書かれたその歌詞は、客観的に見ても美里のパーソナリティーを的確に捉えており、プロの仕事としてきちんとプロデュースされている。ただし、他人が書いた言葉をさも自分の言葉であるように発することができるかといえば、それはちょっと話が違ってくる。ここでの美里はまだプロになりきれておらず、時に感情と言葉とが上すべりしている場面も見受けられる。
 ただその未熟さこそが、ティーンエイジャーにはリアルに映った。発する言葉はきちんと整理され、言わんとすることも理解はできる。でも、自分なりの言葉で伝えたいのだけど、その言葉がうまく探せず、それがすごくもどかしい。メッセージを伝えるというのは、すごく難しいことなのだ。普段近しい友人にでさえ、すべてを伝えきれていないというのに、どうして多くの人に伝えられるというのか。

 いま現在の美里は「かつての」ティーンエイジャーたち、そしてもっと広いフィールドの「誰か」へ向けて歌うようになっているけど、この『eyes』や次作『Lovin You』での美里の声は、まだ「たった一人」のため、自分の半径5メートル以内の「知ってる誰か」にしか届いていない。
 美里を評する際に形容される「人生応援歌」的なものではなく、もっとパーソナルなもの、それは「共感」である。慰めいたわるだけでは、本当の救いにはならない。けれど、そんな「共感」すら求めてしまうティーンエイジャーが多く存在していたことは、このアルバムのセールス・認知度が証明している。そう考えるとこの『eyes』、一人一人のユーザーを「知ってる友達」として捉え、真摯に対峙して創り上げた、非常にパーソナルな内容のアルバムと言える。

 『eyes』での美里の言葉は、多くのティーンエイジャーからのリスペクトを受けた。それほど大げさなリアクションではない。ただ、ひとりひとりがそっと、胸の中にしまい込むだけだ。
 美里が抱いている思いは多かれ少なかれ、ティーンエイジャーの誰もが胸に秘めていたことだった。それを自分たちと同じ目線から、ポップなサウンドに乗せて届けてくれたことに対し、俺を含む当時のティーンエイジャーたちは強く勇気づけられた。


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1. SOMEWHERE
 小室哲哉作曲による、美里のヴォーカルのみ、多重録音+鬼ダビングで仕上げた、オーバーチュア的小品。いま聴いてみると、Beatlesの"Because"のオマージュとも取れる。元気いっぱいなティーンエイジャーのデビュー・アルバムのスタート・トラックとしては、ちょっと地味なオープニングのようにも思える。ただ、『eyes』を18歳の少女の成長過程を映し出すドキュメント的なアルバムとして捉えるのなら、これ以上のオープニングはない。変にシングル・ヒット狙いの勢い一発のポップ・チューンとは違い、「これまでのアイドル観」では計り切れない何かが始まることを象徴する、美里のキャリアのスタートとしては記念碑的なナンバー。

2. GROWIN'UP 
 記念すべき岡村ちゃんとのコラボが実質1曲目に選ばれたことは、なかなか感慨深いものがある。
 当時、岡村ちゃんはまだデビュー前、アーティスト兼職業作曲家として修行中の身であって、自らもデビューすべく、しこしこデモ・テープを作りまくっていた頃である。
 この頃から売れっ子アレンジャーだった後藤次利の手によって、パワー・ポップをメソッドとしたアレンジで組み立てられている。スピード感のあるAメロ、爆発するサビなど、当時の歌謡曲の必勝パターンで構成されたメロディもポップで歌いやすく、すでに才能の片鱗を感じさせるなのに、チャート的には最高83位。まだ受け入れられる素地が整っていなかったのだろう。
 いま聴いてみると、やたら英語を多用した歌詞がちょっと気恥ずかしくもあるけど、これが当時のティーンエイジャーにとってはツボにはまったのだった。



3. すべて君のため 
 これも岡村ちゃん作曲・後藤次利アレンジによるナンバー。ちょっと歌いづらそうな転調が多いのは、作曲家としてはまだペーペーだった岡村ちゃんの未熟さによるもの。最初から名作ばかり連発できるわけがないのだ。多分、これ以下レベルのボツ曲が多数存在するだろうし。
 ここはさすがプロの後藤アレンジ、大量に投入したシンセ・エフェクトやカウンター・メロディのコーラスなど、あらゆる手段を使ってデコレートしているけど、コード進行のクセの強さは隠しきれていない。ファンクっぽく仕上げたらカッコいいナンバーだけど、それじゃ当時の美里のイメージじゃないしね。
 
4. 18才のライブ 
 主に当時のアイドル歌謡曲方面で活躍していた作曲家、亀井登志夫によるプロ仕様のナンバー。このアルバム自体、小室や岡村ちゃん、大江千里など、いわゆるソニー系の若手クリエイターを集結したプロダクションなので、きちんと「商品」としてパッケージされたこの曲は安定感が強い。その分、瞬発力には欠けちゃってるのだけど。緩急の効いたリズム、この頃から使われていたカノン進行のメロディ・ラインなど、今後のJ-POPのお手本になりそうな技がバシバシ繰り出されている。
 今の美里ならもっとうまい解釈で歌いこなすのだろうけど、ここではまだテクニック的には稚拙で、オーソドックスにストレートな発声で歌っている。素直でまっすぐな歌唱は、この頃ならではのもの。

5. 悲しいボーイフレンド 
 大江千里もまた、当時はデビュー間もない頃、”十人十色”がスマッシュ・ヒットした程度で、まだまだ駆け出しだった。俺的にはこのアルバムのベスト・トラック。ちょっとシャッフル気味なリズムと、前述のカノン進行に則った、徐々にフラットしてゆくメロディなど、聴きどころ満載である。
 大江千里もまた、ちょっと背伸びしたティーンエイジャーの仕草や心の揺らぎなどをうまく描写しており、ほんと美里を想定して作られた歌となっている。

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6. eyes 
 コケティッシュな不協和音のメロディは、小室哲哉の盟友、木根尚登のペンによるナンバー。最近、全盛期はずっとエア・ギターだったことをカミングアウトして、何かと話題になったこの人だけど、"eyes"を後世に残すことができたこの一点だけで、木根はJ-POPの歴史に燦然と輝く功績を遺したと、俺自身は思っている。

 ひとり 淋しくならないで
 さよならに 沈む時も
 何が大事なことなのか
 目を閉じないで 確かめたい

 つらく無口にならないで
 理由もなく 泣けてきても
 朝は誰にも新しい 一日を用意してる

 美里にとっても大事な曲で、ベスト・アルバムやライブでもほぼ必ず歌われるくらい、ファンにとっても人気の高い曲ではあるけれど、実はこれ、美里の作詞ではない。ただ、そんなことすらどうでもよく思えてしまうくらい、すっかり美里自身、この曲を取り込んでしまっている。
 ある意味、これから延々と続く美里のアーティスト人生のマイルストーンとなった、非常に重要な曲である。デビューでこの曲に出会えた美里は、アーティストとしてとても倖せだった。



7. 死んでるみたいに生きたくない 
 オリコン最高77位という、2.に続いて微妙なセールスを残した2枚目のシングル。
 キャッチ・コピーのようにインパクトのあるタイトル、すでに炸裂していた小室メソッドといい、当時のアイドル中心のチャートでは、かなり浮いていたはず。

 今の気持ちが 本当の自由なら
 何も感じなく なりたいと思う
 So, I feel blue
 
 愛が見えない 今が続くなら
 何も感じなく なりたいと思う
 So, I feel blue

 これも美里の作詞ではないのだけど、ティーンエイジャーの焦燥感を代弁した歌詞世界を創りあげたのは、製作スタッフだけでなく、小室を始め、若手クリエイターらの助力があってこそ。
 彼らもまた、かつてはティーンエイジャーだった。『渡辺美里』というフィルターを通して、いまのリアルな10代の不安定な瞬間を活写したのが、このトラックである。



8. 追いかけてRAINBOW 
 同じ事務所の先輩である白井貴子作曲によるナンバー。心なしか美里自身のヴォーカルも白井貴子タッチになっている。ここでバトン・タッチするかのように、白井貴子はライブのバック・バンドを昇格させた『Crazy Boys』を率いてロック路線へ移行、ティーンの代弁者的立場を美里へ引き継ぐことになる。
 で、ここで初めて美里の作詞が登場するのだけれど、う~ん…、といったところ。確かに10代の生の言葉なのだろうけど、あまりにかしこまり過ぎているため、逆にこっちが職業作家のモノなんじゃないか、とまで思ってしまう。やはり「見せる」テクニックというのは重要なのだ。

9. Lazy Crazy Blueberry Pie 
 岡村ちゃん3発目。ちょっとルーズな80年代ロック、若干のファンク・ビートは岡村ちゃんの得意技。ここでは岡村ちゃん、アレンジも担当しているのだけど、まぁやっぱり初めてだけあって、とっ散らかってまとまりのないこと。でもそこが魅力でもある。
 ほぼ同世代のデビュー前の男の子と女の子とが、ひざを突き合わせて(いたのかどうかは正確にはわからないけど)、あぁだこうだと曲をこねくり回してる姿が思い浮かんで、つい微笑ましくなってしまう曲でもある。このヤンチャ加減がまた良い。

10. きみに会えて  
 小室節は控えめで、美里の拙いヴォーカルを最大限に活かすことに専念したナンバー。難しい曲なので、当時から歌唱力には定評のあった美里でさえ、この曲ではピッチが揺れる箇所が多々ある。
 ただ、それすらも小室の計算だったとしたら?あえてテクニックを度外視して、会えない二人の切なさを表現するためだったとしたら、なかなかの策士だと思う。

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11. Bye Bye Yesterday 
 これで岡村ちゃんは4曲目。デビュー前の試走期間でこれだけのバリエーション、しかも他人の曲を書けるというのは、なかなかのもの。でもさすがにちょっとネタ切れしてきたのか、最後の曲はモータウンのリズムを借用した、シンプルなポップ・ロック。
 で、こういったシンプルなロックン・ロールというのは案外難しく、下手すると一本調子になってしまいそうなところを、辛うじて最後までノリのよいナンバーとして歌い切っている。




 今ならmiwaや大原櫻子あたりが、当時の美里のポジションに収まっていると思うのだけど、彼女らに美里ほどの求心力があるかといえば、その辺は微妙と言わざるを得ない。
 まぁ美里がフロンティアであった当時とは状況が全然違ってるし、そもそも狙ってる部分が違うと言われれば、何も言うことはないのだけれど。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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