好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

尾崎豊

「まだ終わりじゃない」。そう伝えたかった最終作 - 尾崎豊 『放熱への証』

47AD156F-C910-41CC-8CD0-2C82ACB8A2C3 1992年にリリースされた6枚目、最後のオリジナル・アルバム。4月25日に訃報のニュースが流れ、店頭に並んだのが5月10日だから、製作現場ではかなりの突貫作業だったことが窺える。タイミング的に、追悼に乗じて未発表テイクをかき集めたかのようにも思えるけど、生前にマスタリングも終了しており、後は発売を待つばかりの状態だった。なので、不慮のタイミングによる、作業の大幅な前倒しといった方が正しい。
  彼が亡くなったという知らせを聞いたのは、仕事の昼休み中のことだった。ラジオの速報を聞いた上司が、それを教えてくれた。
「おい、尾崎豊が死んだらしいぞ」
 昼食中だった俺は、ちょっとだけ言葉に詰まった。何と返していいかわからず、へぇ、とうなずき、また食事に戻った。
  そうか、尾崎が死んだのか。
  ただそれだけだった。
 
  すでに『誕生』のあたりから、俺は尾崎を追うことをやめていた。当時の尾崎のポジションは、いわばティーンエイジャーの通過儀礼のようなもので、現在のような普遍的な評価はされていなかった。十代の代弁者の役割を終え、新機軸が見出せずに迷走していた、というのがリアルタイムでの俺の見解。
尾崎シンドロームの終焉とシンクロするように、俺の十代も終わり、二十代に突入していた。ここからしばらく、仕事に遊びに忙しくなり、音楽とは距離を置くようになる。
それほど熱心なユーザーではなくなっていたので、訃報を聞いた際も、特別感慨もなく、ショックもなかった。テレビで中継された、葬儀で泣き崩れるファン達や、後追い自殺のニュースを聞いても、どこか他人ごとだった。
  追悼にかこつけて、カラオケで「I Love You」や「十七歳の地図」を歌ったりもした。でも、ただそれだけだった。モヤッとした感傷も長くは続かず、ルーティンの生活は何ごともなく過ぎていった。
なので俺、このアルバムをリアルタイムでは聴いていない。買ったのは数年経ってから、しかも、ちゃんと聴いた記憶がない。他のアルバムと違い、じっくり対峙して向き合っていないのだ。
その後、折をみてCDで聴いたりiTunes で聴いたりもした。でも、深く入り込めない。今回も改めてじっくり対峙して聴いてみたけど、どうも素通りしてしまう。
なぜなのか。
  取っかかりが薄い?特徴がない?
いや多分、そういったことじゃない。
 
 『誕生』リリース後、尾崎は浜田省吾のマネジメント事務所ロード&スカイを辞め、個人事務所アイソトープを設立、唯一の所属アーティストとして、そこへ移籍する。
晩年の尾崎は、方向性の迷いや人間関係に煮詰まり、何かと疑心暗鬼になっていたらしい。
「誰も彼もが俺を利用している」「金儲けの道具としか見てない」。
そんな猜疑心に取り憑かれていた。
  最大の理解者であり、デビュー前からの恩師である須藤晃とも距離を置いたくらいだから、よほど人間不信に陥るアクシデントがあったんじゃないかと思われる。まぁ色恋沙汰のゴシップもあったし。
ロード&スカイの待遇が悪かったのかといえば、そうとは思えない。ハマショーを始めとして、のちに所属することになるスピッツや斉藤和義ら、彼らのキャリア形成・育成方針を見てわかるように、どちらかといえばかなり良心的、アーティスト・サイドに立ったスタイルの運営方針である。
そりゃ売れるに越したことはないけど、それよりもアーティストのスタイル確立や長期展望を重視する、そんなコンセプトなので、尾崎のキャラクターに適していたはずだったのに。

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  若者の代弁者として祭り上げられ、多くのファンや支援者に持てはやされた尾崎も、10代3部作以降は、活動休止やスキャンダルが尾を引き、人気は凋落する。下降線をたどるにつれ、周囲の対応も手のひら返し、次第に距離を置かれるようになった。
  さんざん持ち上げてそこから落とされるわけだから、本人からすればたまったものではない。清廉潔白な生活ではないから、そりゃ自分が蒔いた種もいくつかはあるだろうけど、身に覚えのないところで名前を使われていたり、利権を漁る赤の他人が擦り寄ってきたりで、そりゃ疑心暗鬼にもなる。
ヤマアラシのジレンマよろしく、傷つけることでしか信頼関係を築けない、また、他人との距離を推し量ることができない。
  かつては「傷つけた人々へ」と歌っていたナイーブな男を、ほんの数年で変貌させてしまう、怖ろしきエンタメの世界。それだけ濃縮された時間を駆け抜けた代償だったのか。
殺伐としたムードが日常となるため、有能なブレーンは我先にと匙を投げる。沈没寸前の船からケツをまくって逃げ出し、残るのは要領の良くない人間ばかり。業務は怠り、プロジェクトも前に進まない。苛立ちと焦燥感が募り、辛く当たってしまう。
ふと気づくと、残ったのは身内ばかり。
 
  音楽とは直接関係のないバイアスがかかりまくっているため、内容について書くのはちょっと難しい。そう思ってるのは俺だけじゃないらしく、純粋に音楽について述べたレビューは、あまり見当たらない。
デビューから長く、尾崎を全面プロデュースしてきた須藤晃とも袂を分かち、ここではほぼ完全セルフ・プロデュース、原点回帰とも言えるエッジの効いたロック・サウンドと、私小説的な柔和なバラードとがバランス良く配置されている。テクニカルなアンサンブルは多分、キーボード西本明の助力が大きかったんじゃないかと思われるけど、過去と未来の共存を目指した基本ビジョンは、尾崎オリジナルのものだ。
  B’zや槇原敬之が頭角を表していた当時の音楽状況と照らし合わせると、決してアップトゥデイトなサウンドではない。ノリの良いビートや癒し系といったトレンドからは距離を置き、泥臭いアメリカン・ロックと、静謐なタッチのピアノ・バラードを主軸としている。

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  初めてのセルフ・プロデュースとしては、丁寧に破綻なく作られているし、変に流行を追わなかった分、今もあまり古びて聴こえない。従来のファンにも新規ファンにも受け入れられる、世間のニーズに合わせた作りになっているのだけれど。
  なのに、何だこの引っかかりのなさは。どうしてここまで響かないのか。
  『誕生』よりもテーマや言葉は整理されているし、アレンジもワンパターンをうまく回避しているというのに。
  これは非常にめんどくさい私見だけど、そのどっちつかなさ、全方位にいい顔しちゃってるそのスタイルが、俺世代としてはなんかもどかしく、「二十歳過ぎたから背伸びして日和っちゃったのかよ」という置き去り感が芽生えてしまうのだ。
  そう考えると、尾崎作品の純粋な音楽的評価に水を指しているのは、俺たち45歳以上のリアルタイム世代なのだ、ということに気づかされる。メッセージシンガー、アジテーターとしての尾崎像が刻み込まれているため、主張やイデオロギー以外の面を重要視しない、または思考停止になってしまう。人気もキャリアもピークの時代のインパクトが強いおかげで、20代以降の活動は、長い長いフェードアウトに思えてしまうのだ。
  後追いで尾崎を知った層にとっては、代表作以外はほぼ並列で見ることができる。なので、30代以前には後期の楽曲もそれなりに人気があったりもする。
  純粋に楽曲の良さで判断できるのは、ある面では羨ましいと思う。俺にはもう、そういった聴き方はできないから。

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  で、『放熱への証』。
  俺的世代観を抜きにして捉えると、過渡期的な作品だと思う。若いうちは社会や体制への不満やら、また淡い恋心を感傷的に歌ったりもしたけれど、20代に入って家族もできれば、実感は損なわれてしまう。よほどのディープなファンならともかく、ライト・ユーザーや後の世代から見れば、市場への迎合具合が先立ってしまう。
  若者の代弁者として祭り上げられたりもしたけど、実際のところ、尾崎の作品の中で、大人や社会へのアンチをメインテーマに据えた楽曲は、それほど多くはない。デビュー前のオーディションで歌ったのがさだまさしだったことから察せられるように、もともとは叙情的でウェットな感性の持ち主である。
反体制のヒーロー的なイメージは、多面性を持つ尾崎の一面だけをクローズアップして、ソニーや須藤晃がコーディネートしたものだ。それもまた本質ではあるけれど、「でも、それだけじゃないんだよ」という彼の主張を具現化しようとしたのが、3部作以降の迷走なり試行錯誤であって。
  ただ、その過去を全否定しても、前へは進めない。それもまた自分を創り上げてきた一部であるということを飲み込んで、尾崎はこのアルバムを世に問うた。基本、その時に思ったことをそのまま出す姿勢、それは昔から変わらない。
  静と動、2つの方向性というのは、迷走しているというより、車の両輪のように同等のもの、どちらかを完全に捨ててしまうのではなく、ヴァージョン・アップさせて共存していこうというあらわれだったんじゃないのか。最近になって、そう思う。ただ初めてのセルフ・プロデュースゆえ、細かな仕上げまでは手が回らなかったため、中途半端になっちゃったわけで。
  そう考えると、まだ伸びしろは十分あったわけで、中途半端さにも納得がゆく。





 1.  汚れた絆
  アルバム発売と同時にシングルカットされた、王道アメリカン・ロック・サウンド。とても急ごしらえとは思えない、グルーヴ感あふれるアンサンブルを形作ったのは、ベテラン西本明。E.Street Bandをモチーフとした、自由奔放なアルト・サックスをリードとしたアレンジは、いい意味で野放図な尾崎のヴォーカルと相性が良い。
  歌詞については、それぞれいろいろな解釈があるけど、まぁどう深読みしても斉藤由貴以外ありえない。芸能ニュース的なエピソードはひとまず置いといて、ここで語りたいのは尾崎の変化。
  かつての彼なら、道ならぬ恋を貫くか、地位も何も捨てて守り抜く、といったニュアンスで唄っていたはずのだけど、ここでの尾崎は家族を取り、運命の同士であったはずの相手とは、別れを決意する。歌で嘘は書けない。常に自分の中のリアルを突き詰めて、彼は歌ってきたのだ。
  と、ここまで書いてみてから冷静に考えてみると、不倫の清算を高らかに歌い上げ、しかもリード・トラックにしてしまうとは、並みの神経ではない。芸能ニュースへの話題性としてはアリだろうけど、本人としてはそこを狙っていたとは思えない。サウンドのノリとしてはベストな配置だけれど、テーマとしてはネガティヴだよな。セルフ・プロデュースゆえ、誰も選曲に意見できなかったのか。

2.  自由への扉
  これまでの作品とはどれも似ていない、メロディ・アレンジともに甘さを強調したポップ・チューン。せっかく自分ですべてを仕切るのだから、こうした新機軸も試してみたかったのかな、とも思ったけど、聴き直してみると、他のシンガーを想定して書いた楽曲なのかね、と思ったりもする。
  ファニーで邪気のない、若い2人の恋の行く末を描いてると思われているけど、「~あるはず」という語尾の不安定さは、楽観的と言い切れない。

  闇夜の国に 浮かぶ月明かりに照らされて
  星が揺らめきながら 明日を信じてる
  永遠に思えるような 悲しみと暮らしは続く

  無条件に幸せを享受できない、そんな彼の心境が少しだけ反映されている。

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3.  Get it down
  1.   と同様、ダルでルーズでちょっぴり大ざっぱなロック・ナンバー。初期のファンからも人気が高く、当然、俺的にも食いつきが良くなじみ易い楽曲。小難しい批評性や理屈を抜きにして、純粋に楽しめるアップテンポは、お手のものといった感じ。成長云々とは関係ない、熟成された疾走感が、ここに刻まれている。まぁこれをベースとして、彼はさらに違う表現を探していたのだろうけど。

4.  優しい陽射し
 「生きること。それは日々を告白してゆくことだろう」。
  尾崎がこのアルバムのために添えたキャッチフレーズであり、実際、発売時のキャッチコピーとしても使用された。意味深なアートワークとセットで、強く印象にに残っている。
何気ない言葉をつなぎ、日常のふとした瞬間や心の揺らぎを、ここでは丹念に拾い上げ、そして丁寧に歌う尾崎。
  デビュー当時から情景描写は卓越していたけど、こういった心理描写、対人関係の妙を細やかに描くには、もう少し時間が必要だったんじゃないか、とこの曲を聴くと思う。ひとつひとつの言葉のセンスは秀逸だけれど、どこかフォーカスが絞りきれていない印象。その未整理さもまた魅力なのだけど、さらにその先、成熟した表現をする尾崎が見てみたかった、と思わせる楽曲。

5.     贖罪 
  で、ネガティヴな尾崎の告白という位置付けになるのが、これ。アーバン・ムードの落ち着いたサウンドで語られるのは、タイトルから想起させるような、無為の日々の告白。何もそこまで自己犠牲へ思い詰めることはないのに、と余計な心配をしてしまうくらいである。まぁこれまでのいきさつを思えば、それもわからなくはないけど。
  多少の自己陶酔は否めないけど、まだ20代の男が告白せざるを得なかった事情があったのだ。

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6.   ふたつの心
  ピアノを主体とした、適度にドラマティックなバラード・ナンバー。ここでは尾崎、情感を込めつつ、緩急使い分けたヴォーカルを披露。同世代のアーティストの中でも、歌唱力は突出していたけれど、キャリアを重ねること、また人生経験の深みも合わさって、表現力がずば抜けている。
  何となくだけど、「I Love You」で描かれていたカップルのその後を歌っているんじゃないかな、とは俺の私見。

7.  原色の孤独
 『街路樹』以降から、アルバムに1曲くらい収録されるようになった、具体的な言葉で抽象的な暗示めいた警句を発する、まぁ言っちゃえば中二病的楽曲。いくらでも深読みできるし、なんとなくアーティストっぽい感じには見える。
  色々な解釈ができる内容なので、逆にサウンドは明快なロック・バンド仕様。ハマショーっぽさ全開な気もするけど、深く考えないのなら、ノリのよい音楽。

8.  太陽の瞳
  アルバム制作にあたり、最初に書き上げられた楽曲。副題Last Christmas となっているため、舞台はクリスマスシーズン、みんなが幸せでホッコリしてしまう聖夜とはまるで正反対の、徒労感と絶望に苛まれた連綿と続く日常を、これでもかとネガティブに切り取っている。 ダウナーな時期だったことは察せられるけど、この曲がある意味通底音としてアルバム全体のムードを支配しているため、死の臭いがつきまとってしまった。
  ただ暗い曲だと一蹴してしまうのではなく、尾崎のリアルな情感がむき出しで吐露されているため、その後の方向性を思えば、重要なポイントを示す楽曲だったと言える。後期に頻出した、二重三重にもかけた警告的暗喩の羅列よりは、ずっと入り込みやすいし、他者に伝える表現としても、きちんとまとめられている。
  単に悲観的展望を描いた作品として片付けるのではなく、絶望や無力感を自身の中で整理し体系化というプロセスを経て具現化することによって、表現者は救われる。ここから先へ行けるはずだったのだ。

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9.  Monday morning
  肩の力を抜いてラフなタッチの、カントリーロック風ナンバー。スタジオセッション風のラフなアンサンブルをベースに、尾崎のヴォーカルも軽快で、ピッチもそんなに気にしてなさそう。アコギメインのバンドアンサンブルになると、ほんと楽しそうなのが伝わってくる。
  一聴すると歌詞も聴き流してしまいがちだけど、サウンドとは相反して、あまり前向きな内容ではない。コンクリートジャングルに飲み込まれ、決められた人生のレールに乗せられて暗い顔をした旧友たちを横目に、主人公は道をはずれ、ただ独り夢見がちな時を過ごす。
  でもね、夢見るだけで動かないと、明日ってないんだよ。

10. 闇の告白
  不平不満があっても、声に出せず言葉も知らない、また話を聞いてくれる理解者もいない、そんな大多数の弱者の心の痛みを、尾崎は歌にした。背中を押しても前へ踏み出せない、鼓舞しても立ち上がることさえできない、そこまで打ちひしがれてしまった、弱き民たちの、無為な日々を綴る。
  引きがねは、いつでも引くことはできる。でも、すぐに引くことはない。いざとなれば引くことができる、という諦念が、ある種の妥協点を見いだすことができるのだ。社会との折り合いとは、そんな風に形作られてゆく。

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11. Mama, say good-bye
  アルバムのラストであり、また尾崎が最期に作った歌は、亡くなったばかりの母に捧げられている
  「お母さん疲れさせてごめんね。お母さん、世界中の全ての疲れた心が癒されるように、歌い続けていくからね。」
  曲の完成後、ファンクラブの会報にコメントを残している。
  レトリックも比喩もない、ストレートな愛慕を素直に綴った、追悼の唄。これまでの作風から比べると異色だけど、これもまたアーティスト尾崎豊の幅である。
  尾崎自身、これを最期にするつもりはなかったはずだと思いたい。まだ先はあったはずなのに。







20代尾崎の中間報告 - 尾崎豊 『誕生』

folder 1991年リリース、前作『街路樹』より2年ぶり、5枚目のオリジナル・アルバム。今どき2年くらいなら普通のリリース間隔だけど、この時期の尾崎は表舞台に出ることが極端に少なかったため、「待望の」「久々の」という形容詞付きで紹介されることが多かった。
 その2年の間、覚せい剤所持・逮捕による謹慎と、何かとトラブルの多かった前事務所からの移籍に絡んだブランクもあって、「尾崎っていま、何やってんの?」といった扱いだった。かつて尾崎は時代を先導していたはずだったけど、ちょっといない間に時代はずっと先に行っていたのだ。
 そういった事情もあってか、楽曲のクオリティ・詳細云々より、まずは久々の現場復帰ということで騒がれ、次にまさかの大作2枚組というインフォメーションなどが先行して報ぜられた。なので、言ってしまえば音楽的には二の次、これまでまともに論ぜられたことが少ない、何だか不遇なスタンスの作品である。
 待望していた古巣ソニーへの復帰が叶ったこと、加えて契約更改にまつわるブランク期間を持て余していた尾崎であった。まぁそんなこんなで外出できる時間も減っていたため、必然的に創作活動に向かわざるを得ず、張りきり過ぎちゃったがあまりの、まさかまさかの2枚組になってしまった次第。

 古株のファンだけじゃなく、スタッフも含めた業界内にとっても待望の復活だったのだけど、それもあって一種の祝祭的ムードもあったのだろう。いくら満を持しての復活だったとはいえ、普通の営業サイド的な対応だったら、曲数を絞ってコンパクトに1枚にまとめるよう進言するはず。普通だったらね。ただ、通常の年間計画に沿ったリリースではなかったし、せっかくならサプライズ的な演出や話題を欲していた部分もあったのだろう。
 「2枚組?イヤ〜最高っす大丈夫っすよっ」ってな感じで、ゴーサイン出しちゃったんだろうな。
 そんな前評判が盛り上がっていたおかげもあって、2枚組だというのに軽々とチャート1位を獲得しちゃっている。もちろん、営業サイドによるプロモーション攻勢、それに基づくメディア挙げてのプッシュの結果ではあるけれど、それを単なるルーティンで終わらせるのではなく、関係者各位をその気にさせてしまう熱量は、やはり時代のカリスマたる所以である。

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 チャート1位は獲得したけれど、肝心の内容・詳細を深く掘り下げたメディアはごく少数だった。
 前述の覚せい剤使用は業界内に大きな波紋を呼び、特に音楽雑誌のほとんどは、尾崎に関するニュースや記事の掲載を、まるで申し合わせたかのように取りやめていた。本来なら、音楽雑誌こそが先陣を切って、批判なり擁護なりを取り上げるべきなのに、メジャー雑誌のほとんどは沈黙を守っていた。まるで「尾崎豊」という存在を抹消するかのように。尾崎の話題を積極的に取り上げるのは、スキャンダラス性を優先した女性週刊誌や写真週刊誌ばかりだった。
 そんな中で唯一、尾崎の特集を緊急掲載したのが、邦楽メディアに本格進出して間もないロキノンだった。当時、編集長だった渋谷陽一は、声高々に「ジャーナリズムの責任放棄」云々を説き、既存メディアの不甲斐なさを痛烈かつロジカルに批判した。
 当時の渋谷陽一は尾崎の件だけじゃなく、「ミュージック・マガジン」や「パチパチ」に何かと噛みついて誌上論争を繰り広げ、相乗効果で発行部数を伸ばしていた。まぁ今にして思えば、新規事業に食い込んでゆくため、ちょっと強引な政策も必要だったのだろう。
 当時は純粋なロキノン信者だった俺は、そんな丁々発止を毎月固唾を飲んで見守っていたのだけれど。まぁ今にしてみればプロレスだよな、要するに。正直、10代だった俺から見ても、半分イチャモン的なバトルもあったわけだし。

 で、謹慎中の尾崎。同じソニー・グループであるはずの「パチパチ」が口を閉ざしちゃったのだから、その影響は計り知れず。『誕生』リリース頃にはその規制も解かれていたけれど、不倫だ独立だ契約トラブルだで、スキャンダラスな面ばかりが喧伝され、せっかく長い時間をかけて築き上げてきたカリスマ性は、大きくダダすべりしていた。
 今にして思えば、「居場所を求めて彷徨い、迷走し続ける姿」もまた、尾崎にとってのリアルな姿であったはずなのだけど、まぁ金がらみや犯罪がらみなど、何かにつけ生臭い話題ばかりが先行してしまったせいもあって、リスペクトしづらい雰囲気があった。
 いっそ開き直って私小説的に、「答えなんてない/永遠に探し続ける」とか何とか言い切ってしまえば、二流のシンガー・ソングライターとして、もう少し長く生きられたのかもしれない。でも、尾崎自身がそういった方向性を良しとしなかったし、一部のメディアや熱烈なファンもまた、そんな赤裸々な姿を潔いと崇めていたフシがある。
 カリスマゆえの悲劇だよな。

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 「尾崎信者」と揶揄された熱狂的なファンは、彼と同世代かちょっと下、いまのアラフィフ世代が中心だった。言っちゃえば俺のこと。だって、中3の春に「卒業」に出会っちゃったんだもの。多かれ少なかれ、この世代は尾崎のライフスタイルの影響下にある。就職や進学の節目を迎え、大人の階段をのぼるかのぼらないか、そこへ足を踏み出すのに躊躇したり、または踏み出さざるを得なかったりして。
 80年代後半は、尾崎だけじゃなくBOOWYやブルーハーツなど、その後の日本のロックの礎となるカリスマが次々に生まれた時代である。もちろん彼らだけが絶対的存在ではなく、カリスマ性はなくともアクが強い・押しが強い・個性が強い・クドいなど、百花繚乱である。当然、どのアーティストも一家言持っていたり持っていなかったりで、思想やコンセプト、メッセージ性も違ってくる。
 なので、この世代をたったひとつの価値観、OZAKI的視点だけで括ってしまうのは、相当無理がある。あるのだけれど、ある固有の年齢層に向けて発せられたメッセージ性・人生観の転換という点に絞れば、「尾崎豊」という現象は強い影響力を有していたのだ。
 まだ知恵も経験も少なく、何かにつけ未熟で青臭いティーンエイジャーにとって、同世代の彼の一挙手一投足は、理想像の自己投影であって反面教師であり、一部の人にとっては生きる指針でもあった。尾崎によって人生観を定義づけられた人、またレールを外れてしまった人は相当多い。
 以前もちょっと書いたけど、俺世代のオラオラ系・「昔ヤンチャしてました」系の人たちのカーステでの尾崎率・ブルハ率は相当高い。これがもうちょっと枯れちゃったりすると浜省に行き、変に日和っちゃったりするとEXILE系に行っちゃうのだけど、まぁそれは別の話。

 「10代3部作」なんて総括してしまったのは後づけであって、ソニーが最初から綿密に成長ストーリーを描いていたわけでは勿論ない。さだまさしをリスペクトしていた新進フォーク・シンガーにちょっとロック風味のサウンドの意匠をかぶせたところ、思惑以上に盛り上がっちゃったので、スタッフサイドが泥縄でくっつけた方便である。もともとは尾崎の本意とは別のところで形作られたものであって、クリエイティブ面での必然性はまったくない。
 本来なら、「尾崎豊」という将来あるアーティストにとって、「10代特有の苦悩」とは単なる通過儀礼だったはずだ。それが周囲の思惑を超える反響で「現象」化してしまい、それをまたメディアが煽るものだから、業界内外に狂信的なファンを産み出してしまう。そうなると尾崎もそんな期待に応えざるをえず、通過儀礼がいつの間にかライフワークになってしまったわけで。
 いっそビジネスと開き直って、「永遠のティーンエイジャー」を演ずるのもよし、それかもっと肩の力を抜いて、年齢相応のテーマを歌うシンガー・ソングライターへと移行してゆくのもよし。アーティストとしての寿命を考えるのなら、そんな選択肢もあったはずだ。まぁ前者だったら、多分時代の徒花として消費され、とっくの昔に消えていただろうけどね。

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 ただ二十歳を迎えた尾崎、そんな安易な自己模倣を繰り返すことは望まなかった。馴染みのファンが快く歓迎してくれる、生暖かい世界。それはそれで居心地が良かっただろうけど、でもそこは長く留まるところではないのだ。
 彼は10代の自分を清算し、決別して前へ進む途を選んだ。そしてまた、これまで着いてきてくれたファン達と共に、次のステップへ進んで行くことを目指そうとした。
 尾崎は同世代のオピニオン・リーダーとして、「共に成長しよう」と呼びかけようとした。かつて批判し乗り越える壁であったはずの「社会」や「大人」とも、闘い抗うのではなく、対等の立場でコミットしてゆく途を選ぼうとした。
 ただ、ここでひとつの疑問。
 -「人間は常に成長し続けなければならない」って、一体誰が決めた?

 で、もうひとつ。
 - 成長し続けたとして、それが一体、何だというの?
 どちらも正解のない問いである。むしろ、そこに至るためのプロセスが重要である種類の設問である。冷静に考えればこういうのって、「結局は人それぞれ」という結果に落ち着いてしまうのだけど、きちんとした模範解答を探しあぐねていたのが、当時の尾崎である。そんな模範解答の中間報告として、持って回った言い回しやめんどくさい思想を並べ立てて、相対的な価値観を提示したのが、この『誕生』という作品集である。
 哲学・思想用語からインスパイアされた言葉は抽象的で、ごく平凡な日常を送る大多数の10代にとっては、縁のないものばかりである。シンプルな事象を複雑に描写することが、当時の尾崎が思うところの「成長」だったのだろうか。そして、それを咀嚼し理解することが、信者としての務めである、と思われていたのだ、ごく一部では。
 ただ、誰もがロジカルで完璧な論理を知りたいわけではない。我々は大学教授の講義を聴きたいわけじゃないのだ。
 理性よりまず先に、感情を揺さぶる言葉と歌、そして「あっ、これイイね」という、脊髄反射的に心惹かれてしまうメロディ。ポップ・ミュージックの世界では、それらが最も重要であるはずなのに。
 多分、そんなことは尾崎もわかっていたのだろう。わかってはいたのだけれど、そのメソッドが見つからないでいる。ここで発表されている言葉はすべて、かりそめのものばかりだ。ここで発せられる言葉の多くからは、自信を持って断言できない迷いが浮かび上がっている。
 伝えたい言葉はこれじゃない。次はもっと、伝わりやすい形を目指そう。最高傑作は次回作だ、と誰かが言ってたじゃないか。
 そのつもりだったのだけど。


誕生
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1. LOVE WAY
 アルバム・リリース直前、ほぼ前触れもなく発表されたリード・シングル。復帰第一弾ということもあって世間の注目を集め、マイナス・イメージが蔓延していたにもかかわらず、オリコン最高2位をマーク、売上的には復活をアピールした。したのだけれど、正直、戸惑うファンが多かったのも事実。取りあえず久しぶりの音源ということもあって、迷わず購入した人も多かっただろうけど、聴いてみると「何か違う」感が微妙に引っかかっていたのが、俺の私見。
 散文的に吐き出された歌詞の密度は、ひたすら濃い。確かに巷で言われているように、彼の歌の中では最も難解だし、ヘビロテするにはちょっと胃もたれする。後期尾崎にとっての代表曲ということも、うなずけるクオリティ。
 膨大な情報量を一曲に詰め込んだ、という見方もできるけど、実のところはどのセンテンスも示唆が優先し、文脈的にはかなり破綻していることに気づかされる。サウンドのハードさ、ヴォーカルの熱量によって、つい勢いで「深い言葉」と納得してしまいそうだけど、次々生まれ出てくるイメージの断片を具体化できず、乱雑にまとめてしまったが故の産物がここにある。
 フレーズひとつひとつ、言葉の刃の切れ味は凄まじい。ただ、それらの言葉はバラバラに作用してまとまったベクトルにはならず、それを自覚して苦悶にあえぐ尾崎の姿が刻み込まれている。
 そんな言葉の求心力の不足は、晩年まで尾を引くことになる。



2. KISS
 『回帰線』あたりに収録されててもおかしくない、ステレオタイプのアメリカン・ロック。そろそろグランジが台頭し始めた90年代初頭には古くさく聴こえたけど、いま聴くとその大らかさによって、時代に侵食されることを防いでいる。シンプルなものほど耐用年数が長い、という好例。
 シンプルなロックンロールにおいて、言葉の重みはあまり重要なファクターではないため、ここではむしろ「カバン抱えた企業戦士」「子供たちはイヤフォンで耳をふさいで漫画を読む」など、90年代時事風俗の空気感を味わうのも、楽しみ方のひとつ。

3. 黄昏ゆく街で
 Eddie Martinezのメロウなガット・ギターが印象的な、後期尾崎の代表的バラード。リリース当時は地味な印象としか思えなかったけど、その後のサウンド・コンセプトの軸となるシックなアンサンブルは、この年になるとしっくり馴染む。
 不倫と結婚を通過して得た、青春期とは違う恋愛観は、倦怠感と希望とがシームレスに交差する。
 かつて「I Love You」において、「何度も愛してるって聞くお前は この愛なしでは生きてさえゆけないと」と、直情的な愛をネガティヴに語った。
 しかしここでの彼女は「髪をなでると ぼんやりと僕を見つめてこう聞く ねぇ これでいいの…?」
 熱情の時間を終わりを告げ、恋愛感情よりむしろ、将来の生活を意識しなければならないことを、できるだけ第三者的な視点で活写している。
 一応シングル・カットされており、オリコン最高32位。今だったら映画やドラマの主題歌に使われて、もっと上位も狙えるのかもしれない。いやないか、今どきメディアにそんな力なんてないよな。

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4. ロザーナ
 導入部が「路地裏の少年」っぽく聴こえるけど、考えてみりゃ元をたどればBruce Springsteenか。CCR「雨を見たかい」もこんな感じだよな。どっちにしろ、8ビートにアコギ・ストロークを乗せちゃうと、どれも似たようなテイストになってしまう。なので、リスペクトということにしよう。
 歌詞の内容からいって、時期的に「不倫」というキーワードが浮かんでくるのは致し方ないとしても、でも『誕生』って主題のアルバムにこんな後ろ向きなテーマをぶち込んでしまうとは。
 偏見かもしれないけど、商売的なゲスさが浮かび上がってくる。楽曲そのものはきちんと作り込まれているので、そこがちょっと惜しい。

5. RED SHOES STORY
 再びストレートなロックンロール。オールド・タイプのロックンロールといえば、「金と女とドラッグ」と相場が決まっているけど、ここでは前事務所マザーを皮肉った、金がらみのモンキー・ビジネスを悲喜劇交えて歌っている。まぁこういった題材を取り上げること自体、取りあえず手打ちが行なわれているわけで。ほんとにシリアスに訴えるのなら、それこそ「Love Way」みたいなテイストになっちゃうし。

6. 銃声の証明
 基本、完全な主観か半径5メートル以内の知人友人の体験談を題材に歌を書いてきた尾崎だけど、ここでは自身から最も遠い立場に身を置いて、可能な限り客観的なフィクションとして完成させている。何しろ題材がテロリスト。客観を超えて荒唐無稽とでも表現すべきか。
 そのテロリストの描写があまりにステレオタイプだ、という見方もできるけど、「架空の人物を自身に憑依させる」というメソッドは、ある意味、尾崎の新境地である。こういった制作手法を発展させることができれば、アーティストとしての寿命はもう少し永らえたんじゃないかと思われ。

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7. LONELY ROSE
 フィクションの主観化と並んで、流麗なメロディ・ラインと何気ない情景描写の妙を丹念に織り上げること。後期尾崎の可能性として、ひとつの資金的存在となったバラード。初期アルバムにもこういったタイプの楽曲は収録されていたのだけど、一本調子なヴォーカライズがニュアンスを掻き消してしまっていたのは事実。
 ここでは緩急取り混ぜた、情感的なヴォーカル・テクニックを披露している。アクセントとして、Martinezのギターがうまくウェットな情感を演出している。

8. 置き去りの愛
 で、そのヴォーカル・テクニックが最も如何なく発揮されているのが、これ。時々、西城秀樹と錯覚してしまいそうなほどエモーショナルな歌声は、全キャリアの中でも屈指のクオリティ。歌詞においても複雑な言い回しや言葉は使用されず、非常に歌謡ロック的。前曲に続き、ギターの咽びが感情の揺れを誘発している。

9. COOKIE
 バンド・サウンドを前面に押し出したカントリー・ロックは、へヴィーなテーマが並ぶアルバムの中では小休止的なアクセントとして機能している。いるのだけれど、視点がティーンエイジャーの高さであることが、ちょっとだけ気になる。「俺のためにクッキーを焼いてくれる」彼女への想いと、大人の社会への警句めいた皮肉との対比を狙っているのだろうけど、敢えてこの時期にやることじゃない。その皮肉もかつての手法をなぞった感じだし。

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10. 永遠の胸
 CD1枚目ラストを飾るのは、スケール感あふれる王道ロック。当初、アルバム・タイトルをこれにする案も出ていたらしく、「誕生」と並ぶ「もうひとつの主題」と言い切っちゃっても良い。
 尾崎としては、これまでの紆余曲折の総括としてこの曲を書いたのだろうけど、皮肉にも人生の幕を下ろすには最適の、高いクオリティのセンテンスで埋められている。
 強烈な磁場を持つメッセージ性を内包したタイプの楽曲は、一旦ここで打ち切り、もっとフィクションや情景描写的な楽曲が多くなるはずだったのだろうけど、人間、そこまで割り切れることはできないもの。十代には十代の、そして二十代には二十代の苦悩が終始付きまとう。



11. FIRE
 CD2枚目冒頭を飾る、疾走感あふれるロック・チューン。トップのつかみとして、これでこれでOKなんだけど、「体制に逆らいながら振りかざす 俺が手にもっているのはサーベル」なんて一節が入ってるくらいなので、ちょっと陳腐さが否めない。リリース当時はこうした景気の良いサウンドが好きだったけど、いまの俺にはあまり響かない。年食ったせいだろうな、きっと。

12. レガリテート
 歌謡曲テイストの濃い旋律が、タイトなリズムによってメリハリがつけられている。プロフェッショナルなサウンドで構成されている、二十代の尾崎が目指すところの「大人の音楽」。個人的には好きなサウンド・プロダクションではある。あるのだけれど、歌詞もまた大人テイストを志向したのか、ちょっと抽象的。ドラマティックな恋愛観を直情的に表現するのではなく、ある種の規範をもって抽象的に語るのが大人だというのなら、「それはちょっと」となってしまう。言葉に足腰が入っていないのだ、要するに。

13. 虹
 なので、こういった抒情的な心象風景を淡々と綴っている姿の方が、尾崎の志向・適性には沿っている。確かに新境地的な部分はないけどね。でも、こういった曲もあった方が既存ファンはホッとするし、第一、そこまで難解なセンテンスは求めるコア・ユーザーは少数だ。一体誰だ?「進歩しなくちゃならない」って思い込ませたのは。

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14. 禁猟区
 ダルなブルースに載せて歌われるのは、自らのドラッグ体験。よくこんな歌詞がメジャーの審査に通ったもんだ、と余計な心配さえしてしまいそうになるけど、まだこういった挑発的なスタイルが許された時代だったのだ。
 ちなみに尾崎、罪は罪として受け入れて罰は受けたけど、ここでは特別、ドラッグ使用について否定的ではない。まぁ表だって肯定したり擁護したりするようなことはないけど、ドラッグ使用によって開けた新たな価値観は、それほど強烈なものだったのか、それとも継続的に使用していたのか。

15. COLD JAIL NIGHT
 重厚なメタル調リフのイントロと歌い出しが「愛の消えた街」にそっくり。拘置所での体験がベースとなった歌詞は、まぁやさぐれていること。
 しかし、釈放されて間もなくこんなテーマを歌っちゃうのだから、アウトロー精神ハンパない。「獲得した経験はもれなく使い切る」という創作姿勢は、ある意味潔い。

16. 音のない部屋
 ハードなタッチの楽曲が続いてたので、続けてこれを聴くとホッとしてしまう。「いい曲だなぁ」と思ってしまうのは、ソニー・スタッフの思惑通りなのか。うまい構成だよな。
 「二人の心はひとつ」で締めくくっているけど、ここでの二人の心は終始すれ違いが多く、どちらもあさっての方を向いている。「ひとつである」と思いたいのだ。思いたいのだけれど、でもそんな自分をまだ信じ切れずにいる尾崎がいる。



17. 風の迷路
 黄金パターンで作り込まれたメロディは、はっきり言ってベタ。ベタだけれどやっぱり、日本人にとってはばしばしツボにはまる旋律である。またいい感じに力を抜いたヴォーカル、これも上手いんだよな。
 こういった曲を聴くと、ほんとこの人、歌がうまかったんだな、と改めて思い知らされる。またメロディ・メイカーとして、もっと評価されてもよかったんじゃないかと、今さらになって思う。
 歌詞?ちょっと青臭いけど、いいじゃんわかりやすくって。

18. きっと忘れない
 オールディーズ調コーラスを使用した、サビが印象的なナンバー。このアルバムの中ではもっともポップでハッピーでファニーなムードに満ちている。
 奥さんに捧げたのか、果たして幼い息子に捧げたのか。ネットでは意見が分かれているけど、俺的に正解は両方。「家族」という単位総体に向けて尾崎は歌っており、そして自分にも言い聞かせるように「きっと」と念を押している。

19. MARRIAGE
 素直な結婚賛歌として受け止めるのが、作者の意図であるという俺の私見。素直な口調で素直な言葉を紡ぐ、そういった尾崎がここにいる。
 時代に警笛を鳴らすアジテーターとしての尾崎ももちろん真実だけど、こっちの側面ももちろん真実。ロマンティックな見方だけど、俺はこの歌、「I Love You」の続編だと思っている。

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20. 誕生
 ラストは10分を超える壮大なロック・チューン。前半はビートを強調してリズミカル、終盤の長い長いエピローグでの独白後、ドラマティックなフェード・アウト。
 息子に出会うまでの回想が、走馬灯の如くゆっくりと、それでいて強力な磁場を放ちながら物語を紡ぐ。
 荒れた生活から立ち直る希望として、新たな命への賛歌は、とても力強い。


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二十歳になった尾崎の問題作 - 尾崎豊 『街路樹』

folder 1988年リリース4枚目、3年振りのオリジナル・アルバム。ソニーの思惑以上にセンセーションを巻き起こしたOZAKIシンドロームに乗っかった形で、二十歳の誕生日前日に10代最後のアルバム『壊れた扉から』をリリース、どうにか滑り込みで3部作にひと区切りつけた尾崎。
 さて、これからどうする。
 取り敢えずはやり切ってしまった感が強く残り、すっかり抜け殻になっちゃった尾崎、ツアーを終えると活動休止を宣言し、単身ニューヨークへ向かうことになる。
 特別、計画なんてない。「環境変えれば何とかなるんじゃね?」的な漠然とした動機だったのだけど、まぁそんな安易に答えなんて見つかるわけもない。
 往々にして「自分探し」をする者は、いるはずもない「ほんとの自分」を探し続け、どうしたってしっくりこない自分にウンザリし、そのウンザリ感を抱えたまま、そのうち投げやりになって凡庸な人間になる。もっと足元を見つめればいいのに。

 無為な日々を過ごしたニューヨークから半年ほどで帰国してからも虚脱感は抜けなかったけど、帰って来たら来たでバタバタした日常が彼を迎え入れた。彼の知らぬ間に、周囲の状況は勝手に動いていた。
 事務所の移籍だソニーからの離脱だバックバンド「Heart of Klaxon」のメンバー入れ替えだと、様々な状況の変化は尾崎のストレスをさらに助長させた。いくらなんでもまだ二十歳をちょっと過ぎただけの、言ってしまえば青臭いガキだ。そのガキが放つ金の臭いに目ざとく反応した大人たちが、寄ってたかって彼を食い物にしようとあれこれ目論んでいた。
 「大人なんて信用できない」というのは簡単だ。ただ、その大人たちの日々の生業や営みによって社会は動き、経済は循環している。言葉で罵倒することは誰でもできるけど、でもそんな大人たちの必死の営業努力や企画能力、または泥臭いコネによって、尾崎の芸能活動が支えられていたことも事実である。そんな彼らの姿を目の当たりにして、営業的に「大人や社会への反抗」を口にするのは、どこか割り切れない部分だって出てくる。自分もまた、その経済活動の歯車に組み込まれてしまっているのだから。

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 この『街路樹』というアルバム、新所属事務所が主宰する新興レーベル「マザー & チルドレン」からのリリースで、彼のディスコグラフィー上、唯一ソニー以外での制作アルバムとなっている。そんな事情もあって、リイシュー企画の際も別枠だし、何年かごとに訪れる再発キャンペーンにおいても、なんか扱いづらい感が強い。
 『街路樹』リリース後、尾崎は事務所との意見の対立によって再度マネジメントを移籍、レコード会社もソニーに復帰した。この辺はドラッグによる逮捕も含め、いろいろきな臭いやり取りもあったっぽいけど、真相は闇の中。最終的な受け入れ先が浜田省吾の「ロード&スカイ」に決まったのは、業界内での調整がまとまったおかげもある。それにまつわる政治的な取り引きもあったんじゃないかと思われるけど、これ以上はゲスい週刊誌の領域。この辺もまた、大人たちの掌の上での出来事だ。
 大人たちの暗躍によって話が二転三転し、契約切り替えに伴う調整期間によって、再び活動休止を余儀なくされた尾崎。一連の逮捕劇によってギラついたアクも幾分落ち、新たな創作意欲も沸いてきた頃だったというのに、また足踏みをしてしまうことになる。その溜まりに溜まった鬱憤を創作活動に集中させ、完成したのが2枚組の大作『誕生』に結実した、という次第。10代の疾走感と20代の達観、過去を背負うことへの覚悟と新たな路線へのわずかな希望とが混然一体となった意欲作である。
 なので、この『街路樹』は『誕生』を生み出すための通過点、言ってしまえば過渡期の作品という位置付けになっている。実際、サウンド・プロダクションも地味だしね。

 オーガニックなアメリカン・ロック色の強い初期3部作のサウンドを少年期の通過儀礼と捉えると、それ以降はビート感を抑えたソフト・サウンディングへ向かうのは、まぁ一種の必然ではある。アドレナリン出まくりのハイ・テンポなロック・サウンドから一転、ストリングスやピアノを主体とした柔らかな響き、スロー~ミディアムなリズムを求めるのは、選択肢として間違ってはいない。過去との差別化を図るのなら、プロデューサーとしては当然の舵取りだ。
 ただ、そのサウンドが当時の尾崎の楽曲に対して必然だったのかといえば、そうとも言い切れない。以前から定評のあったバラード系ナンバーでは、『街路樹』サウンドはフィットしているけど、ポップ系ナンバーでは逆にソニー時代サウンドの方に分がある。過度に感情を込め過ぎた尾崎のヴォーカル・スタイルは、時にサウンド全体から浮いてしまい、ミスマッチ感ばかりが印象強い楽曲もある。
 「もっと言葉を大切にして歌えば良いの」「もうちょっと何とかならなかったの?」。ソニー時代との最大の違いはプロデューサーの不在。単なるアレンジャーやエンジニアの延長線上のスタッフではなく、もっと親身になって、時には尾崎と主観をぶつけ合わせることのできるキャラクターが必要なのだ。
 なのでこの『街路樹』、逆説的に須藤晃の存在感の強さを感じさせてしまうアルバムでもある。

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 Bruce Springsteenを彷彿させるバンド・サウンドは、この頃からすでにJポップの基盤を地道に固めていたソニー主導によるものである。尾崎自身はさだまさしを聴いてから音楽に興味を持ち始めたというバックボーンを持ち、実際、当時のデモテープを聴いてみると、その影響の強さが窺える。タイトルからして「弱くてバカげてて」や「酔いどれ」など、70年代フォークからインスパイアされた、またはまんまコピーしたような楽曲で、抒情的な心情吐露のテイストが色濃く表れている。少なくとも、80年代前半のティーンエイジャーに広くアピールできる音楽ではない。
 レーベル・カラーの特性上、「若きフォーク界の旗手」ではなく、佐野元春に続く「新世代ロッカー」を求めていたソニーの意向もあって、素朴な感性が持ち味だったはずの原石は反抗心ややるせなさのエッセンスを加味して「尾崎豊」という一種のフィクション的キャラクターに変貌してゆく。
 後にソニー・サウンドのスタンダードとなるシンセ多用アレンジ、テンション上げまくりのサビ・フレーズに付け加え、社会のルールから少し外れた10代の少年によるリアルな主張とが合わさって、最初は草の根的に口コミで、そして「卒業」のヒットによって、特に年齢の近い10代には爆発的な支持を得るようになった。フォークの文法をベースとした歌詞ながらも、緻密に構築されたサウンド・プロダクションと強い音圧の8ビートは、80年代のティーンエイジャーにとっては受け入れやすく、自己投影も容易だった。
 享楽的なバブル時代を迎える直前の80年代前半は70年代の延長線上だったため、社会情勢を象徴する閉塞した空気が蔓延していた。それを肌で感じていたのは大人だけではなく、まだ社会に出ていない中高校生も同様だった。行き過ぎた管理教育によって、既定のレールからはみ出してしまった、または投げ出してしまいそうになる少年少女たちにとって、初期尾崎の歌や言葉、そして行動や思想は理想であり、そして崇拝の対象にまでなった。
 闇雲に十代を駆け抜けた尾崎。二十歳になった尾崎が何を歌うのか?
 それまで彼の一挙手一投足を見つめていたファン、そして冷笑混じりで遠巻きで傍観していた大人たちもまた、次の動きに注目していた。

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 ここでの尾崎が選んだのは、これまでのロック・バンド・スタイルではなく、きちんとスタジオでアレンジメントされたシックなサウンドである。一部、ロック的なサウンドも選択されているけど、以前の「Heart of Klaxon」らによって生み出されたグルーヴ感はない。スタジオ・ミュージシャンによるプレイが多いため、正確で確実な仕事ではある。けれど、その演奏にかつてのファンが心踊らされることはない。そういった狙いの音ではないのだ。
 前述したように、もともとは兄の影響からさだまさしの作風に憧れて作曲やギターを始めたため、根っこの部分は叙情派フォークの作風が強い。3部作においても、ポップス調のライトな作品は、ソニー特有のアレンジを外すと、フォーク特有のメロディ・ラインや節回しが顔を覗かせている。デビュー前の習作のデモテープなんかを聴くと、日常的なテーマを題材としたものが多い。世間のアジテートとは無縁の作風だ。もともと「十五の夜」だって「十七歳の地図」だって、テーマとしては極めて個人的である。不特定多数のティーンエイジャーへ向けて拳を振り上げる類の歌ではない。それがどこかでねじ曲がって伝えられているけど、彼が歌っているのは自分のためであり、大勢へ向けて歌っているのではない。届けたいのは「誰か」、たった一人の「誰か」なのだ。その「誰か」とは、曲を聴いてくれるファンも含んでいる。

 デビュー作は何も考えず、ただ歌いたいことを歌うだけだった。それを受け止めてくれる人は少なかったけど、確実に何人かは存在した。アーティストにとって、少数ではあるけれど認められるというのは励みになる。それは次回作への原動力へとつながる。2枚目では外部へ向けての歌作りとなる。求められてる尾崎像をなぞり、できるだけ忠実に期待に応えられる「怒り」を「演出」する。ただ、それが3枚目ともなると、辟易してしまう自分がいる。人ひとりが歌いたいことなんて、所詮限られている。そんなにネタが続くはずもないのだ。でも、ファンは尾崎の言葉を待っている。その言葉はできる限り棘をもたなくてはならない。凡庸なメッセージはあってはならない。常に攻撃的な姿勢が求められる。なので、「怒り」の対象を無理やり探さなければならない。大して気にも留めていないことを、さも仰々しく語らなければならない。こんなことを言いたいわけじゃないのに。

 10代の3部作は虚像としての尾崎豊である―、とまでは言わないけど、10代のカリスマとして、「常に何かに怒っていなければならない」というのはプレッシャーである。そのプレッシャーが彼の感性を蝕み、そして擦り減らしていったのは事実である。そんなそんな人は癇癪持ちでいられないし、もともと尾崎自身にそんな特性はない。
 ただ、作品に対してはどこまでも真摯であった尾崎、ファンの期待に応えてゆかねば、という使命感から来るプレッシャーは相当なもので、どこかいびつな構造のアルバムであることは、本人も後に認めている。
 ただ、アーティストの生み出す作品が時代を反映するドキュメントとするのなら、苦悩や試行錯誤の跡が克明に記録されているこのアルバムは、尾崎のマイルストーンともなるべき作品である。
 周囲スタッフに演出された初期の作品、そして20代ですでに老成の域に達したような後期の作品、どちらともリンクはしない。どこか居場所のない、どこにも嵌めるところのないパズルのピースは浮いたままだ。
 でも、尾崎のファンだったら決して通り過ぎることのできないアルバムである。


街路樹
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尾崎豊 本多俊之 樫原伸彦
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1. 核 (CORE)
 1987年に12インチ・シングルの形態でリリースされた、2年ぶりのシングル。オリコン最高2位にチャートインしてるくらいだから、かなり期待値が高かったことが窺える。とは言っても、この頃はまだ方向性を決めかねていたため曲が書けず、3年前のストックをベースにして制作されており、完全な新曲とは言いがたい。
 反核フェスで歌われたのが初お披露目だったこともあって、タイトル通りAtomicとCoreのダブル・ミーニングになっているのだけど、歌詞は初期の色彩を色濃く残している。「愛なら救うかもしれない~」からのくだりは10代の尾崎のストレートな叫びが如実に表れているけど、二十歳になった尾崎に期待される言葉ではない。

 真夜中 盛り場 人ごみを歩いていると
 日常がすり替えた叫びに 誰もが気を失う
 殺意に満ちた視線が 俺を包む
 持たれる心を探す人は 誰も自分を語れない

 むしろこういった日常観察・人間観察的な部分に尾崎の本質が強く表れている。
 もう少し落ち着いたアレンジ、ハードなロック・サウンド以外で聴いてみたかった。ピアノ・バラードとブルース・ハープを合わせた導入部は新機軸と期待しちゃったのだけど。押しの強いサウンドに負けじと、尾崎も声を枯らしながらシャウトしており、言葉のニュアンスが伝わりづらくなっている。
 と思ったけど、その言葉に自信がなくなっていたから、敢えてこういったサウンドにしたのだろうか?疑問の尽きないナンバーである。



2. ・ISM
 ソニー時代のバック・バンド「Heart Of Klaxon」との共同アレンジとなっているけど、前述したように大幅なメンバー・チェンジが行なわれており、ギターとサックス以外は新メンバーとなっている。なので、ほぼ別バンドと言っても良い。WANDSみたいだな。
 シンセを排したダルなロック・ナンバーはアダルト・サウンドへ向かうひとつのバリエーションと思われるけど、肝心の尾崎の声が出ていない。伸びが悪く、シャウトとコーラスで乗り切っているけど、どこか流して聴いてしまう印象が拭えない。

3. LIFE
 なので、こういったポップなミディアム・バラードの方がしっくり来る。こちらの方が尾崎も丁寧に歌っている。もはやノリ一発のロックンロールにシンパシーを感じられなくなった尾崎の素顔が垣間見えてくる。

 君を信じてみた 夢を見るために
 耳を澄ましていた 嘘を消すために
 不安の上に 君を重ねて抱いた
 意味を無くした僕の思い かき消し
 僕に背負わせる愛 その罪を
 裁くのが 君という神ならば
 何を捨て 何のため愛すのが 生きること

 「君」という存在にあらゆる意味を込めており、迷いや不信感などネガティヴな感情を吐き出すように紡ぐ尾崎。かつては全面的に信頼していた「君」とただ過ごしたいだけだったのに、その「君」との距離を感じ、そしてわからなくなる。
 それは「大人」へ向かう過程のひとつなのだけど、それをわかっていながらすべてを受け止める域に達するのは『誕生』から。そこに至るまでは、まだ尚早だ。

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4. 時
 レコードではA面ラスト。1.が8分を超える大作だったせいもあるけど、どの曲も長尺であるのが特徴と言えば特徴。この曲も5分弱と、当時の基準で言えば長い方。
 ヴォーカルとしては、これが一番声の伸びも良く、無理なシャウトもない。今後の方向性としてはこの路線が良かったと思われる。こうして聴いてみると、彼のヴォーカルとディストーション・ギターとの相性はあまり良くなかった、というのがわかる。過剰なエモーションが2つ並ぶとクドイんだな、やっぱり。

 何を話せばいい 僕はあの頃より
 少し大人に 憧れているだけさ

 当時まだ二十歳を超えたばかり。すぐに大人として扱うには、まだ若すぎる。大人になるというのは「決意」だけではなく、「経験」も必要だ。成人になってすぐに大人扱いしてしまう周囲も悪いけど、変に分別ぶった二十歳もなんかイヤだ。
 
5. COLD WIND
 『回帰線』期のサウンドを彷彿とさせる、Heart Of Klaxonとのロック・ナンバー。ニューヨーク滞在時に着想を得た歌詞は疾走感あふれ、バンドとのアンサンブルもしっくり来ている。変にメッセージ性を込めるより、こういったノリ一発のシンプルな歌詞の方が、サウンドにはフィットしている。情景描写の卓越さは衰えていない。

6. 紙切れとバイブル
 なので、こちらもオールド・スタイルのロックンロール、あんまり深い意味は込められていない。アルバム構成的には、こういったアップテンポもありだし、そこに過剰なメッセージを織り込まない方が流れ的にも良い。
 ちょっと上から目線的になってしまったけど、やっぱA面の流れだよな、これって。

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7. 遠い空
 「街の風景」の続編的な、日常の他愛ない心象風景を自分なりの視点で切り取った、ライト・テイストのポップ・ナンバー。攻撃的だった10代と比べて、二十歳を迎えた尾崎の視点はどこか優し気。
 シングル「太陽の破片」B面曲としてが初出だけど、ここでは別ヴァージョン。俺的にはアルバムの方が好み。

8. 理由 (わけ)
 当時の尾崎が、そして周囲のスタッフも志向していたサウンドがこれ。壮大なストリングスと控えめなピアノ。オーケストレーションをメインとしたアダルトなサウンドが、果たして尾崎の特性を存分に活かしたものだったのかといえば、「う~ん…」といった印象。

 僕は 君を守るのに
 僕は君の 理由を奪う

 この一節だけで、尾崎の健在ぶりは充分窺える。言葉の礫はなまっちゃいない。ほんとは全部書き出したいくらいだけど、実際聴いて読んでもらいたい。3分程度の小品だけど、ここにこれまでの尾崎が凝縮されている。

9. 街路樹
 ラストはタイトル・ナンバー。シンプルなピアノ・バラードは、徐々にストリングスが入り、最後は大編成コーラスによる大団円。これまでのロック・サウンドとは一線を画した、スケール感あふれる響きはラストに相応しい。
 キャリアをとおしてもヴォーカライズは絶品で、時にシャウトしながら、そして時に言葉を噛みしめるように、強弱がついていてストーリー性を感じさせる。

 足音に降り注ぐ心もよう
 つかめて 街路樹たちの歌を
 見えるだろ 降りそそぐ雨たちは
 ずぶ濡れで 夢抱きしめている君さ

 同世代でここまで書けるアーティストがいただろうか?多分いないはず。どんな苦境であろうと、それが漏れ出てしまうのが尾崎であり、生来の詩人でもあったのだ。






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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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