好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

尾崎豊

20代尾崎の中間報告 - 尾崎豊 『誕生』

folder 1991年リリース、前作『街路樹』より2年ぶり、5枚目のオリジナル・アルバム。今どき2年くらいなら普通のリリース間隔だけど、この時期の尾崎は表舞台に出ることが極端に少なかったため、「待望の」「久々の」という形容詞付きで紹介されることが多かった。
 その2年の間、覚せい剤所持・逮捕による謹慎と、何かとトラブルの多かった前事務所からの移籍に絡んだブランクもあって、「尾崎っていま、何やってんの?」といった扱いだった。かつて尾崎は時代を先導していたはずだったけど、ちょっといない間に時代はずっと先に行っていたのだ。
 そういった事情もあってか、楽曲のクオリティ・詳細云々より、まずは久々の現場復帰ということで騒がれ、次にまさかの大作2枚組というインフォメーションなどが先行して報ぜられた。なので、言ってしまえば音楽的には二の次、これまでまともに論ぜられたことが少ない、何だか不遇なスタンスの作品である。
 待望していた古巣ソニーへの復帰が叶ったこと、加えて契約更改にまつわるブランク期間を持て余していた尾崎であった。まぁそんなこんなで外出できる時間も減っていたため、必然的に創作活動に向かわざるを得ず、張りきり過ぎちゃったがあまりの、まさかまさかの2枚組になってしまった次第。

 古株のファンだけじゃなく、スタッフも含めた業界内にとっても待望の復活だったのだけど、それもあって一種の祝祭的ムードもあったのだろう。いくら満を持しての復活だったとはいえ、普通の営業サイド的な対応だったら、曲数を絞ってコンパクトに1枚にまとめるよう進言するはず。普通だったらね。ただ、通常の年間計画に沿ったリリースではなかったし、せっかくならサプライズ的な演出や話題を欲していた部分もあったのだろう。
 「2枚組?イヤ〜最高っす大丈夫っすよっ」ってな感じで、ゴーサイン出しちゃったんだろうな。
 そんな前評判が盛り上がっていたおかげもあって、2枚組だというのに軽々とチャート1位を獲得しちゃっている。もちろん、営業サイドによるプロモーション攻勢、それに基づくメディア挙げてのプッシュの結果ではあるけれど、それを単なるルーティンで終わらせるのではなく、関係者各位をその気にさせてしまう熱量は、やはり時代のカリスマたる所以である。

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 チャート1位は獲得したけれど、肝心の内容・詳細を深く掘り下げたメディアはごく少数だった。
 前述の覚せい剤使用は業界内に大きな波紋を呼び、特に音楽雑誌のほとんどは、尾崎に関するニュースや記事の掲載を、まるで申し合わせたかのように取りやめていた。本来なら、音楽雑誌こそが先陣を切って、批判なり擁護なりを取り上げるべきなのに、メジャー雑誌のほとんどは沈黙を守っていた。まるで「尾崎豊」という存在を抹消するかのように。尾崎の話題を積極的に取り上げるのは、スキャンダラス性を優先した女性週刊誌や写真週刊誌ばかりだった。
 そんな中で唯一、尾崎の特集を緊急掲載したのが、邦楽メディアに本格進出して間もないロキノンだった。当時、編集長だった渋谷陽一は、声高々に「ジャーナリズムの責任放棄」云々を説き、既存メディアの不甲斐なさを痛烈かつロジカルに批判した。
 当時の渋谷陽一は尾崎の件だけじゃなく、「ミュージック・マガジン」や「パチパチ」に何かと噛みついて誌上論争を繰り広げ、相乗効果で発行部数を伸ばしていた。まぁ今にして思えば、新規事業に食い込んでゆくため、ちょっと強引な政策も必要だったのだろう。
 当時は純粋なロキノン信者だった俺は、そんな丁々発止を毎月固唾を飲んで見守っていたのだけれど。まぁ今にしてみればプロレスだよな、要するに。正直、10代だった俺から見ても、半分イチャモン的なバトルもあったわけだし。

 で、謹慎中の尾崎。同じソニー・グループであるはずの「パチパチ」が口を閉ざしちゃったのだから、その影響は計り知れず。『誕生』リリース頃にはその規制も解かれていたけれど、不倫だ独立だ契約トラブルだで、スキャンダラスな面ばかりが喧伝され、せっかく長い時間をかけて築き上げてきたカリスマ性は、大きくダダすべりしていた。
 今にして思えば、「居場所を求めて彷徨い、迷走し続ける姿」もまた、尾崎にとってのリアルな姿であったはずなのだけど、まぁ金がらみや犯罪がらみなど、何かにつけ生臭い話題ばかりが先行してしまったせいもあって、リスペクトしづらい雰囲気があった。
 いっそ開き直って私小説的に、「答えなんてない/永遠に探し続ける」とか何とか言い切ってしまえば、二流のシンガー・ソングライターとして、もう少し長く生きられたのかもしれない。でも、尾崎自身がそういった方向性を良しとしなかったし、一部のメディアや熱烈なファンもまた、そんな赤裸々な姿を潔いと崇めていたフシがある。
 カリスマゆえの悲劇だよな。

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 「尾崎信者」と揶揄された熱狂的なファンは、彼と同世代かちょっと下、いまのアラフィフ世代が中心だった。言っちゃえば俺のこと。だって、中3の春に「卒業」に出会っちゃったんだもの。多かれ少なかれ、この世代は尾崎のライフスタイルの影響下にある。就職や進学の節目を迎え、大人の階段をのぼるかのぼらないか、そこへ足を踏み出すのに躊躇したり、または踏み出さざるを得なかったりして。
 80年代後半は、尾崎だけじゃなくBOOWYやブルーハーツなど、その後の日本のロックの礎となるカリスマが次々に生まれた時代である。もちろん彼らだけが絶対的存在ではなく、カリスマ性はなくともアクが強い・押しが強い・個性が強い・クドいなど、百花繚乱である。当然、どのアーティストも一家言持っていたり持っていなかったりで、思想やコンセプト、メッセージ性も違ってくる。
 なので、この世代をたったひとつの価値観、OZAKI的視点だけで括ってしまうのは、相当無理がある。あるのだけれど、ある固有の年齢層に向けて発せられたメッセージ性・人生観の転換という点に絞れば、「尾崎豊」という現象は強い影響力を有していたのだ。
 まだ知恵も経験も少なく、何かにつけ未熟で青臭いティーンエイジャーにとって、同世代の彼の一挙手一投足は、理想像の自己投影であって反面教師であり、一部の人にとっては生きる指針でもあった。尾崎によって人生観を定義づけられた人、またレールを外れてしまった人は相当多い。
 以前もちょっと書いたけど、俺世代のオラオラ系・「昔ヤンチャしてました」系の人たちのカーステでの尾崎率・ブルハ率は相当高い。これがもうちょっと枯れちゃったりすると浜省に行き、変に日和っちゃったりするとEXILE系に行っちゃうのだけど、まぁそれは別の話。

 「10代3部作」なんて総括してしまったのは後づけであって、ソニーが最初から綿密に成長ストーリーを描いていたわけでは勿論ない。さだまさしをリスペクトしていた新進フォーク・シンガーにちょっとロック風味のサウンドの意匠をかぶせたところ、思惑以上に盛り上がっちゃったので、スタッフサイドが泥縄でくっつけた方便である。もともとは尾崎の本意とは別のところで形作られたものであって、クリエイティブ面での必然性はまったくない。
 本来なら、「尾崎豊」という将来あるアーティストにとって、「10代特有の苦悩」とは単なる通過儀礼だったはずだ。それが周囲の思惑を超える反響で「現象」化してしまい、それをまたメディアが煽るものだから、業界内外に狂信的なファンを産み出してしまう。そうなると尾崎もそんな期待に応えざるをえず、通過儀礼がいつの間にかライフワークになってしまったわけで。
 いっそビジネスと開き直って、「永遠のティーンエイジャー」を演ずるのもよし、それかもっと肩の力を抜いて、年齢相応のテーマを歌うシンガー・ソングライターへと移行してゆくのもよし。アーティストとしての寿命を考えるのなら、そんな選択肢もあったはずだ。まぁ前者だったら、多分時代の徒花として消費され、とっくの昔に消えていただろうけどね。

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 ただ二十歳を迎えた尾崎、そんな安易な自己模倣を繰り返すことは望まなかった。馴染みのファンが快く歓迎してくれる、生暖かい世界。それはそれで居心地が良かっただろうけど、でもそこは長く留まるところではないのだ。
 彼は10代の自分を清算し、決別して前へ進む途を選んだ。そしてまた、これまで着いてきてくれたファン達と共に、次のステップへ進んで行くことを目指そうとした。
 尾崎は同世代のオピニオン・リーダーとして、「共に成長しよう」と呼びかけようとした。かつて批判し乗り越える壁であったはずの「社会」や「大人」とも、闘い抗うのではなく、対等の立場でコミットしてゆく途を選ぼうとした。
 ただ、ここでひとつの疑問。
 -「人間は常に成長し続けなければならない」って、一体誰が決めた?

 で、もうひとつ。
 - 成長し続けたとして、それが一体、何だというの?
 どちらも正解のない問いである。むしろ、そこに至るためのプロセスが重要である種類の設問である。冷静に考えればこういうのって、「結局は人それぞれ」という結果に落ち着いてしまうのだけど、きちんとした模範解答を探しあぐねていたのが、当時の尾崎である。そんな模範解答の中間報告として、持って回った言い回しやめんどくさい思想を並べ立てて、相対的な価値観を提示したのが、この『誕生』という作品集である。
 哲学・思想用語からインスパイアされた言葉は抽象的で、ごく平凡な日常を送る大多数の10代にとっては、縁のないものばかりである。シンプルな事象を複雑に描写することが、当時の尾崎が思うところの「成長」だったのだろうか。そして、それを咀嚼し理解することが、信者としての務めである、と思われていたのだ、ごく一部では。
 ただ、誰もがロジカルで完璧な論理を知りたいわけではない。我々は大学教授の講義を聴きたいわけじゃないのだ。
 理性よりまず先に、感情を揺さぶる言葉と歌、そして「あっ、これイイね」という、脊髄反射的に心惹かれてしまうメロディ。ポップ・ミュージックの世界では、それらが最も重要であるはずなのに。
 多分、そんなことは尾崎もわかっていたのだろう。わかってはいたのだけれど、そのメソッドが見つからないでいる。ここで発表されている言葉はすべて、かりそめのものばかりだ。ここで発せられる言葉の多くからは、自信を持って断言できない迷いが浮かび上がっている。
 伝えたい言葉はこれじゃない。次はもっと、伝わりやすい形を目指そう。最高傑作は次回作だ、と誰かが言ってたじゃないか。
 そのつもりだったのだけど。


誕生
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尾崎豊
ソニー・ミュージックレコーズ (1990-11-15)
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1. LOVE WAY
 アルバム・リリース直前、ほぼ前触れもなく発表されたリード・シングル。復帰第一弾ということもあって世間の注目を集め、マイナス・イメージが蔓延していたにもかかわらず、オリコン最高2位をマーク、売上的には復活をアピールした。したのだけれど、正直、戸惑うファンが多かったのも事実。取りあえず久しぶりの音源ということもあって、迷わず購入した人も多かっただろうけど、聴いてみると「何か違う」感が微妙に引っかかっていたのが、俺の私見。
 散文的に吐き出された歌詞の密度は、ひたすら濃い。確かに巷で言われているように、彼の歌の中では最も難解だし、ヘビロテするにはちょっと胃もたれする。後期尾崎にとっての代表曲ということも、うなずけるクオリティ。
 膨大な情報量を一曲に詰め込んだ、という見方もできるけど、実のところはどのセンテンスも示唆が優先し、文脈的にはかなり破綻していることに気づかされる。サウンドのハードさ、ヴォーカルの熱量によって、つい勢いで「深い言葉」と納得してしまいそうだけど、次々生まれ出てくるイメージの断片を具体化できず、乱雑にまとめてしまったが故の産物がここにある。
 フレーズひとつひとつ、言葉の刃の切れ味は凄まじい。ただ、それらの言葉はバラバラに作用してまとまったベクトルにはならず、それを自覚して苦悶にあえぐ尾崎の姿が刻み込まれている。
 そんな言葉の求心力の不足は、晩年まで尾を引くことになる。



2. KISS
 『回帰線』あたりに収録されててもおかしくない、ステレオタイプのアメリカン・ロック。そろそろグランジが台頭し始めた90年代初頭には古くさく聴こえたけど、いま聴くとその大らかさによって、時代に侵食されることを防いでいる。シンプルなものほど耐用年数が長い、という好例。
 シンプルなロックンロールにおいて、言葉の重みはあまり重要なファクターではないため、ここではむしろ「カバン抱えた企業戦士」「子供たちはイヤフォンで耳をふさいで漫画を読む」など、90年代時事風俗の空気感を味わうのも、楽しみ方のひとつ。

3. 黄昏ゆく街で
 Eddie Martinezのメロウなガット・ギターが印象的な、後期尾崎の代表的バラード。リリース当時は地味な印象としか思えなかったけど、その後のサウンド・コンセプトの軸となるシックなアンサンブルは、この年になるとしっくり馴染む。
 不倫と結婚を通過して得た、青春期とは違う恋愛観は、倦怠感と希望とがシームレスに交差する。
 かつて「I Love You」において、「何度も愛してるって聞くお前は この愛なしでは生きてさえゆけないと」と、直情的な愛をネガティヴに語った。
 しかしここでの彼女は「髪をなでると ぼんやりと僕を見つめてこう聞く ねぇ これでいいの…?」
 熱情の時間を終わりを告げ、恋愛感情よりむしろ、将来の生活を意識しなければならないことを、できるだけ第三者的な視点で活写している。
 一応シングル・カットされており、オリコン最高32位。今だったら映画やドラマの主題歌に使われて、もっと上位も狙えるのかもしれない。いやないか、今どきメディアにそんな力なんてないよな。

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4. ロザーナ
 導入部が「路地裏の少年」っぽく聴こえるけど、考えてみりゃ元をたどればBruce Springsteenか。CCR「雨を見たかい」もこんな感じだよな。どっちにしろ、8ビートにアコギ・ストロークを乗せちゃうと、どれも似たようなテイストになってしまう。なので、リスペクトということにしよう。
 歌詞の内容からいって、時期的に「不倫」というキーワードが浮かんでくるのは致し方ないとしても、でも『誕生』って主題のアルバムにこんな後ろ向きなテーマをぶち込んでしまうとは。
 偏見かもしれないけど、商売的なゲスさが浮かび上がってくる。楽曲そのものはきちんと作り込まれているので、そこがちょっと惜しい。

5. RED SHOES STORY
 再びストレートなロックンロール。オールド・タイプのロックンロールといえば、「金と女とドラッグ」と相場が決まっているけど、ここでは前事務所マザーを皮肉った、金がらみのモンキー・ビジネスを悲喜劇交えて歌っている。まぁこういった題材を取り上げること自体、取りあえず手打ちが行なわれているわけで。ほんとにシリアスに訴えるのなら、それこそ「Love Way」みたいなテイストになっちゃうし。

6. 銃声の証明
 基本、完全な主観か半径5メートル以内の知人友人の体験談を題材に歌を書いてきた尾崎だけど、ここでは自身から最も遠い立場に身を置いて、可能な限り客観的なフィクションとして完成させている。何しろ題材がテロリスト。客観を超えて荒唐無稽とでも表現すべきか。
 そのテロリストの描写があまりにステレオタイプだ、という見方もできるけど、「架空の人物を自身に憑依させる」というメソッドは、ある意味、尾崎の新境地である。こういった制作手法を発展させることができれば、アーティストとしての寿命はもう少し永らえたんじゃないかと思われ。

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7. LONELY ROSE
 フィクションの主観化と並んで、流麗なメロディ・ラインと何気ない情景描写の妙を丹念に織り上げること。後期尾崎の可能性として、ひとつの資金的存在となったバラード。初期アルバムにもこういったタイプの楽曲は収録されていたのだけど、一本調子なヴォーカライズがニュアンスを掻き消してしまっていたのは事実。
 ここでは緩急取り混ぜた、情感的なヴォーカル・テクニックを披露している。アクセントとして、Martinezのギターがうまくウェットな情感を演出している。

8. 置き去りの愛
 で、そのヴォーカル・テクニックが最も如何なく発揮されているのが、これ。時々、西城秀樹と錯覚してしまいそうなほどエモーショナルな歌声は、全キャリアの中でも屈指のクオリティ。歌詞においても複雑な言い回しや言葉は使用されず、非常に歌謡ロック的。前曲に続き、ギターの咽びが感情の揺れを誘発している。

9. COOKIE
 バンド・サウンドを前面に押し出したカントリー・ロックは、へヴィーなテーマが並ぶアルバムの中では小休止的なアクセントとして機能している。いるのだけれど、視点がティーンエイジャーの高さであることが、ちょっとだけ気になる。「俺のためにクッキーを焼いてくれる」彼女への想いと、大人の社会への警句めいた皮肉との対比を狙っているのだろうけど、敢えてこの時期にやることじゃない。その皮肉もかつての手法をなぞった感じだし。

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10. 永遠の胸
 CD1枚目ラストを飾るのは、スケール感あふれる王道ロック。当初、アルバム・タイトルをこれにする案も出ていたらしく、「誕生」と並ぶ「もうひとつの主題」と言い切っちゃっても良い。
 尾崎としては、これまでの紆余曲折の総括としてこの曲を書いたのだろうけど、皮肉にも人生の幕を下ろすには最適の、高いクオリティのセンテンスで埋められている。
 強烈な磁場を持つメッセージ性を内包したタイプの楽曲は、一旦ここで打ち切り、もっとフィクションや情景描写的な楽曲が多くなるはずだったのだろうけど、人間、そこまで割り切れることはできないもの。十代には十代の、そして二十代には二十代の苦悩が終始付きまとう。



11. FIRE
 CD2枚目冒頭を飾る、疾走感あふれるロック・チューン。トップのつかみとして、これでこれでOKなんだけど、「体制に逆らいながら振りかざす 俺が手にもっているのはサーベル」なんて一節が入ってるくらいなので、ちょっと陳腐さが否めない。リリース当時はこうした景気の良いサウンドが好きだったけど、いまの俺にはあまり響かない。年食ったせいだろうな、きっと。

12. レガリテート
 歌謡曲テイストの濃い旋律が、タイトなリズムによってメリハリがつけられている。プロフェッショナルなサウンドで構成されている、二十代の尾崎が目指すところの「大人の音楽」。個人的には好きなサウンド・プロダクションではある。あるのだけれど、歌詞もまた大人テイストを志向したのか、ちょっと抽象的。ドラマティックな恋愛観を直情的に表現するのではなく、ある種の規範をもって抽象的に語るのが大人だというのなら、「それはちょっと」となってしまう。言葉に足腰が入っていないのだ、要するに。

13. 虹
 なので、こういった抒情的な心象風景を淡々と綴っている姿の方が、尾崎の志向・適性には沿っている。確かに新境地的な部分はないけどね。でも、こういった曲もあった方が既存ファンはホッとするし、第一、そこまで難解なセンテンスは求めるコア・ユーザーは少数だ。一体誰だ?「進歩しなくちゃならない」って思い込ませたのは。

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14. 禁猟区
 ダルなブルースに載せて歌われるのは、自らのドラッグ体験。よくこんな歌詞がメジャーの審査に通ったもんだ、と余計な心配さえしてしまいそうになるけど、まだこういった挑発的なスタイルが許された時代だったのだ。
 ちなみに尾崎、罪は罪として受け入れて罰は受けたけど、ここでは特別、ドラッグ使用について否定的ではない。まぁ表だって肯定したり擁護したりするようなことはないけど、ドラッグ使用によって開けた新たな価値観は、それほど強烈なものだったのか、それとも継続的に使用していたのか。

15. COLD JAIL NIGHT
 重厚なメタル調リフのイントロと歌い出しが「愛の消えた街」にそっくり。拘置所での体験がベースとなった歌詞は、まぁやさぐれていること。
 しかし、釈放されて間もなくこんなテーマを歌っちゃうのだから、アウトロー精神ハンパない。「獲得した経験はもれなく使い切る」という創作姿勢は、ある意味潔い。

16. 音のない部屋
 ハードなタッチの楽曲が続いてたので、続けてこれを聴くとホッとしてしまう。「いい曲だなぁ」と思ってしまうのは、ソニー・スタッフの思惑通りなのか。うまい構成だよな。
 「二人の心はひとつ」で締めくくっているけど、ここでの二人の心は終始すれ違いが多く、どちらもあさっての方を向いている。「ひとつである」と思いたいのだ。思いたいのだけれど、でもそんな自分をまだ信じ切れずにいる尾崎がいる。



17. 風の迷路
 黄金パターンで作り込まれたメロディは、はっきり言ってベタ。ベタだけれどやっぱり、日本人にとってはばしばしツボにはまる旋律である。またいい感じに力を抜いたヴォーカル、これも上手いんだよな。
 こういった曲を聴くと、ほんとこの人、歌がうまかったんだな、と改めて思い知らされる。またメロディ・メイカーとして、もっと評価されてもよかったんじゃないかと、今さらになって思う。
 歌詞?ちょっと青臭いけど、いいじゃんわかりやすくって。

18. きっと忘れない
 オールディーズ調コーラスを使用した、サビが印象的なナンバー。このアルバムの中ではもっともポップでハッピーでファニーなムードに満ちている。
 奥さんに捧げたのか、果たして幼い息子に捧げたのか。ネットでは意見が分かれているけど、俺的に正解は両方。「家族」という単位総体に向けて尾崎は歌っており、そして自分にも言い聞かせるように「きっと」と念を押している。

19. MARRIAGE
 素直な結婚賛歌として受け止めるのが、作者の意図であるという俺の私見。素直な口調で素直な言葉を紡ぐ、そういった尾崎がここにいる。
 時代に警笛を鳴らすアジテーターとしての尾崎ももちろん真実だけど、こっちの側面ももちろん真実。ロマンティックな見方だけど、俺はこの歌、「I Love You」の続編だと思っている。

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20. 誕生
 ラストは10分を超える壮大なロック・チューン。前半はビートを強調してリズミカル、終盤の長い長いエピローグでの独白後、ドラマティックなフェード・アウト。
 息子に出会うまでの回想が、走馬灯の如くゆっくりと、それでいて強力な磁場を放ちながら物語を紡ぐ。
 荒れた生活から立ち直る希望として、新たな命への賛歌は、とても力強い。


ALL TIME BEST
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二十歳になった尾崎の問題作 - 尾崎豊 『街路樹』

folder 1988年リリース4枚目、3年振りのオリジナル・アルバム。ソニーの思惑以上にセンセーションを巻き起こしたOZAKIシンドロームに乗っかった形で、二十歳の誕生日前日に10代最後のアルバム『壊れた扉から』をリリース、どうにか滑り込みで3部作にひと区切りつけた尾崎。
 さて、これからどうする。
 取り敢えずはやり切ってしまった感が強く残り、すっかり抜け殻になっちゃった尾崎、ツアーを終えると活動休止を宣言し、単身ニューヨークへ向かうことになる。
 特別、計画なんてない。「環境変えれば何とかなるんじゃね?」的な漠然とした動機だったのだけど、まぁそんな安易に答えなんて見つかるわけもない。
 往々にして「自分探し」をする者は、いるはずもない「ほんとの自分」を探し続け、どうしたってしっくりこない自分にウンザリし、そのウンザリ感を抱えたまま、そのうち投げやりになって凡庸な人間になる。もっと足元を見つめればいいのに。

 無為な日々を過ごしたニューヨークから半年ほどで帰国してからも虚脱感は抜けなかったけど、帰って来たら来たでバタバタした日常が彼を迎え入れた。彼の知らぬ間に、周囲の状況は勝手に動いていた。
 事務所の移籍だソニーからの離脱だバックバンド「Heart of Klaxon」のメンバー入れ替えだと、様々な状況の変化は尾崎のストレスをさらに助長させた。いくらなんでもまだ二十歳をちょっと過ぎただけの、言ってしまえば青臭いガキだ。そのガキが放つ金の臭いに目ざとく反応した大人たちが、寄ってたかって彼を食い物にしようとあれこれ目論んでいた。
 「大人なんて信用できない」というのは簡単だ。ただ、その大人たちの日々の生業や営みによって社会は動き、経済は循環している。言葉で罵倒することは誰でもできるけど、でもそんな大人たちの必死の営業努力や企画能力、または泥臭いコネによって、尾崎の芸能活動が支えられていたことも事実である。そんな彼らの姿を目の当たりにして、営業的に「大人や社会への反抗」を口にするのは、どこか割り切れない部分だって出てくる。自分もまた、その経済活動の歯車に組み込まれてしまっているのだから。

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 この『街路樹』というアルバム、新所属事務所が主宰する新興レーベル「マザー & チルドレン」からのリリースで、彼のディスコグラフィー上、唯一ソニー以外での制作アルバムとなっている。そんな事情もあって、リイシュー企画の際も別枠だし、何年かごとに訪れる再発キャンペーンにおいても、なんか扱いづらい感が強い。
 『街路樹』リリース後、尾崎は事務所との意見の対立によって再度マネジメントを移籍、レコード会社もソニーに復帰した。この辺はドラッグによる逮捕も含め、いろいろきな臭いやり取りもあったっぽいけど、真相は闇の中。最終的な受け入れ先が浜田省吾の「ロード&スカイ」に決まったのは、業界内での調整がまとまったおかげもある。それにまつわる政治的な取り引きもあったんじゃないかと思われるけど、これ以上はゲスい週刊誌の領域。この辺もまた、大人たちの掌の上での出来事だ。
 大人たちの暗躍によって話が二転三転し、契約切り替えに伴う調整期間によって、再び活動休止を余儀なくされた尾崎。一連の逮捕劇によってギラついたアクも幾分落ち、新たな創作意欲も沸いてきた頃だったというのに、また足踏みをしてしまうことになる。その溜まりに溜まった鬱憤を創作活動に集中させ、完成したのが2枚組の大作『誕生』に結実した、という次第。10代の疾走感と20代の達観、過去を背負うことへの覚悟と新たな路線へのわずかな希望とが混然一体となった意欲作である。
 なので、この『街路樹』は『誕生』を生み出すための通過点、言ってしまえば過渡期の作品という位置付けになっている。実際、サウンド・プロダクションも地味だしね。

 オーガニックなアメリカン・ロック色の強い初期3部作のサウンドを少年期の通過儀礼と捉えると、それ以降はビート感を抑えたソフト・サウンディングへ向かうのは、まぁ一種の必然ではある。アドレナリン出まくりのハイ・テンポなロック・サウンドから一転、ストリングスやピアノを主体とした柔らかな響き、スロー~ミディアムなリズムを求めるのは、選択肢として間違ってはいない。過去との差別化を図るのなら、プロデューサーとしては当然の舵取りだ。
 ただ、そのサウンドが当時の尾崎の楽曲に対して必然だったのかといえば、そうとも言い切れない。以前から定評のあったバラード系ナンバーでは、『街路樹』サウンドはフィットしているけど、ポップ系ナンバーでは逆にソニー時代サウンドの方に分がある。過度に感情を込め過ぎた尾崎のヴォーカル・スタイルは、時にサウンド全体から浮いてしまい、ミスマッチ感ばかりが印象強い楽曲もある。
 「もっと言葉を大切にして歌えば良いの」「もうちょっと何とかならなかったの?」。ソニー時代との最大の違いはプロデューサーの不在。単なるアレンジャーやエンジニアの延長線上のスタッフではなく、もっと親身になって、時には尾崎と主観をぶつけ合わせることのできるキャラクターが必要なのだ。
 なのでこの『街路樹』、逆説的に須藤晃の存在感の強さを感じさせてしまうアルバムでもある。

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 Bruce Springsteenを彷彿させるバンド・サウンドは、この頃からすでにJポップの基盤を地道に固めていたソニー主導によるものである。尾崎自身はさだまさしを聴いてから音楽に興味を持ち始めたというバックボーンを持ち、実際、当時のデモテープを聴いてみると、その影響の強さが窺える。タイトルからして「弱くてバカげてて」や「酔いどれ」など、70年代フォークからインスパイアされた、またはまんまコピーしたような楽曲で、抒情的な心情吐露のテイストが色濃く表れている。少なくとも、80年代前半のティーンエイジャーに広くアピールできる音楽ではない。
 レーベル・カラーの特性上、「若きフォーク界の旗手」ではなく、佐野元春に続く「新世代ロッカー」を求めていたソニーの意向もあって、素朴な感性が持ち味だったはずの原石は反抗心ややるせなさのエッセンスを加味して「尾崎豊」という一種のフィクション的キャラクターに変貌してゆく。
 後にソニー・サウンドのスタンダードとなるシンセ多用アレンジ、テンション上げまくりのサビ・フレーズに付け加え、社会のルールから少し外れた10代の少年によるリアルな主張とが合わさって、最初は草の根的に口コミで、そして「卒業」のヒットによって、特に年齢の近い10代には爆発的な支持を得るようになった。フォークの文法をベースとした歌詞ながらも、緻密に構築されたサウンド・プロダクションと強い音圧の8ビートは、80年代のティーンエイジャーにとっては受け入れやすく、自己投影も容易だった。
 享楽的なバブル時代を迎える直前の80年代前半は70年代の延長線上だったため、社会情勢を象徴する閉塞した空気が蔓延していた。それを肌で感じていたのは大人だけではなく、まだ社会に出ていない中高校生も同様だった。行き過ぎた管理教育によって、既定のレールからはみ出してしまった、または投げ出してしまいそうになる少年少女たちにとって、初期尾崎の歌や言葉、そして行動や思想は理想であり、そして崇拝の対象にまでなった。
 闇雲に十代を駆け抜けた尾崎。二十歳になった尾崎が何を歌うのか?
 それまで彼の一挙手一投足を見つめていたファン、そして冷笑混じりで遠巻きで傍観していた大人たちもまた、次の動きに注目していた。

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 ここでの尾崎が選んだのは、これまでのロック・バンド・スタイルではなく、きちんとスタジオでアレンジメントされたシックなサウンドである。一部、ロック的なサウンドも選択されているけど、以前の「Heart of Klaxon」らによって生み出されたグルーヴ感はない。スタジオ・ミュージシャンによるプレイが多いため、正確で確実な仕事ではある。けれど、その演奏にかつてのファンが心踊らされることはない。そういった狙いの音ではないのだ。
 前述したように、もともとは兄の影響からさだまさしの作風に憧れて作曲やギターを始めたため、根っこの部分は叙情派フォークの作風が強い。3部作においても、ポップス調のライトな作品は、ソニー特有のアレンジを外すと、フォーク特有のメロディ・ラインや節回しが顔を覗かせている。デビュー前の習作のデモテープなんかを聴くと、日常的なテーマを題材としたものが多い。世間のアジテートとは無縁の作風だ。もともと「十五の夜」だって「十七歳の地図」だって、テーマとしては極めて個人的である。不特定多数のティーンエイジャーへ向けて拳を振り上げる類の歌ではない。それがどこかでねじ曲がって伝えられているけど、彼が歌っているのは自分のためであり、大勢へ向けて歌っているのではない。届けたいのは「誰か」、たった一人の「誰か」なのだ。その「誰か」とは、曲を聴いてくれるファンも含んでいる。

 デビュー作は何も考えず、ただ歌いたいことを歌うだけだった。それを受け止めてくれる人は少なかったけど、確実に何人かは存在した。アーティストにとって、少数ではあるけれど認められるというのは励みになる。それは次回作への原動力へとつながる。2枚目では外部へ向けての歌作りとなる。求められてる尾崎像をなぞり、できるだけ忠実に期待に応えられる「怒り」を「演出」する。ただ、それが3枚目ともなると、辟易してしまう自分がいる。人ひとりが歌いたいことなんて、所詮限られている。そんなにネタが続くはずもないのだ。でも、ファンは尾崎の言葉を待っている。その言葉はできる限り棘をもたなくてはならない。凡庸なメッセージはあってはならない。常に攻撃的な姿勢が求められる。なので、「怒り」の対象を無理やり探さなければならない。大して気にも留めていないことを、さも仰々しく語らなければならない。こんなことを言いたいわけじゃないのに。

 10代の3部作は虚像としての尾崎豊である―、とまでは言わないけど、10代のカリスマとして、「常に何かに怒っていなければならない」というのはプレッシャーである。そのプレッシャーが彼の感性を蝕み、そして擦り減らしていったのは事実である。そんなそんな人は癇癪持ちでいられないし、もともと尾崎自身にそんな特性はない。
 ただ、作品に対してはどこまでも真摯であった尾崎、ファンの期待に応えてゆかねば、という使命感から来るプレッシャーは相当なもので、どこかいびつな構造のアルバムであることは、本人も後に認めている。
 ただ、アーティストの生み出す作品が時代を反映するドキュメントとするのなら、苦悩や試行錯誤の跡が克明に記録されているこのアルバムは、尾崎のマイルストーンともなるべき作品である。
 周囲スタッフに演出された初期の作品、そして20代ですでに老成の域に達したような後期の作品、どちらともリンクはしない。どこか居場所のない、どこにも嵌めるところのないパズルのピースは浮いたままだ。
 でも、尾崎のファンだったら決して通り過ぎることのできないアルバムである。


街路樹
街路樹
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尾崎豊 本多俊之 樫原伸彦
イーストウエスト・ジャパン (1996-08-20)
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1. 核 (CORE)
 1987年に12インチ・シングルの形態でリリースされた、2年ぶりのシングル。オリコン最高2位にチャートインしてるくらいだから、かなり期待値が高かったことが窺える。とは言っても、この頃はまだ方向性を決めかねていたため曲が書けず、3年前のストックをベースにして制作されており、完全な新曲とは言いがたい。
 反核フェスで歌われたのが初お披露目だったこともあって、タイトル通りAtomicとCoreのダブル・ミーニングになっているのだけど、歌詞は初期の色彩を色濃く残している。「愛なら救うかもしれない~」からのくだりは10代の尾崎のストレートな叫びが如実に表れているけど、二十歳になった尾崎に期待される言葉ではない。

 真夜中 盛り場 人ごみを歩いていると
 日常がすり替えた叫びに 誰もが気を失う
 殺意に満ちた視線が 俺を包む
 持たれる心を探す人は 誰も自分を語れない

 むしろこういった日常観察・人間観察的な部分に尾崎の本質が強く表れている。
 もう少し落ち着いたアレンジ、ハードなロック・サウンド以外で聴いてみたかった。ピアノ・バラードとブルース・ハープを合わせた導入部は新機軸と期待しちゃったのだけど。押しの強いサウンドに負けじと、尾崎も声を枯らしながらシャウトしており、言葉のニュアンスが伝わりづらくなっている。
 と思ったけど、その言葉に自信がなくなっていたから、敢えてこういったサウンドにしたのだろうか?疑問の尽きないナンバーである。



2. ・ISM
 ソニー時代のバック・バンド「Heart Of Klaxon」との共同アレンジとなっているけど、前述したように大幅なメンバー・チェンジが行なわれており、ギターとサックス以外は新メンバーとなっている。なので、ほぼ別バンドと言っても良い。WANDSみたいだな。
 シンセを排したダルなロック・ナンバーはアダルト・サウンドへ向かうひとつのバリエーションと思われるけど、肝心の尾崎の声が出ていない。伸びが悪く、シャウトとコーラスで乗り切っているけど、どこか流して聴いてしまう印象が拭えない。

3. LIFE
 なので、こういったポップなミディアム・バラードの方がしっくり来る。こちらの方が尾崎も丁寧に歌っている。もはやノリ一発のロックンロールにシンパシーを感じられなくなった尾崎の素顔が垣間見えてくる。

 君を信じてみた 夢を見るために
 耳を澄ましていた 嘘を消すために
 不安の上に 君を重ねて抱いた
 意味を無くした僕の思い かき消し
 僕に背負わせる愛 その罪を
 裁くのが 君という神ならば
 何を捨て 何のため愛すのが 生きること

 「君」という存在にあらゆる意味を込めており、迷いや不信感などネガティヴな感情を吐き出すように紡ぐ尾崎。かつては全面的に信頼していた「君」とただ過ごしたいだけだったのに、その「君」との距離を感じ、そしてわからなくなる。
 それは「大人」へ向かう過程のひとつなのだけど、それをわかっていながらすべてを受け止める域に達するのは『誕生』から。そこに至るまでは、まだ尚早だ。

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4. 時
 レコードではA面ラスト。1.が8分を超える大作だったせいもあるけど、どの曲も長尺であるのが特徴と言えば特徴。この曲も5分弱と、当時の基準で言えば長い方。
 ヴォーカルとしては、これが一番声の伸びも良く、無理なシャウトもない。今後の方向性としてはこの路線が良かったと思われる。こうして聴いてみると、彼のヴォーカルとディストーション・ギターとの相性はあまり良くなかった、というのがわかる。過剰なエモーションが2つ並ぶとクドイんだな、やっぱり。

 何を話せばいい 僕はあの頃より
 少し大人に 憧れているだけさ

 当時まだ二十歳を超えたばかり。すぐに大人として扱うには、まだ若すぎる。大人になるというのは「決意」だけではなく、「経験」も必要だ。成人になってすぐに大人扱いしてしまう周囲も悪いけど、変に分別ぶった二十歳もなんかイヤだ。
 
5. COLD WIND
 『回帰線』期のサウンドを彷彿とさせる、Heart Of Klaxonとのロック・ナンバー。ニューヨーク滞在時に着想を得た歌詞は疾走感あふれ、バンドとのアンサンブルもしっくり来ている。変にメッセージ性を込めるより、こういったノリ一発のシンプルな歌詞の方が、サウンドにはフィットしている。情景描写の卓越さは衰えていない。

6. 紙切れとバイブル
 なので、こちらもオールド・スタイルのロックンロール、あんまり深い意味は込められていない。アルバム構成的には、こういったアップテンポもありだし、そこに過剰なメッセージを織り込まない方が流れ的にも良い。
 ちょっと上から目線的になってしまったけど、やっぱA面の流れだよな、これって。

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7. 遠い空
 「街の風景」の続編的な、日常の他愛ない心象風景を自分なりの視点で切り取った、ライト・テイストのポップ・ナンバー。攻撃的だった10代と比べて、二十歳を迎えた尾崎の視点はどこか優し気。
 シングル「太陽の破片」B面曲としてが初出だけど、ここでは別ヴァージョン。俺的にはアルバムの方が好み。

8. 理由 (わけ)
 当時の尾崎が、そして周囲のスタッフも志向していたサウンドがこれ。壮大なストリングスと控えめなピアノ。オーケストレーションをメインとしたアダルトなサウンドが、果たして尾崎の特性を存分に活かしたものだったのかといえば、「う~ん…」といった印象。

 僕は 君を守るのに
 僕は君の 理由を奪う

 この一節だけで、尾崎の健在ぶりは充分窺える。言葉の礫はなまっちゃいない。ほんとは全部書き出したいくらいだけど、実際聴いて読んでもらいたい。3分程度の小品だけど、ここにこれまでの尾崎が凝縮されている。

9. 街路樹
 ラストはタイトル・ナンバー。シンプルなピアノ・バラードは、徐々にストリングスが入り、最後は大編成コーラスによる大団円。これまでのロック・サウンドとは一線を画した、スケール感あふれる響きはラストに相応しい。
 キャリアをとおしてもヴォーカライズは絶品で、時にシャウトしながら、そして時に言葉を噛みしめるように、強弱がついていてストーリー性を感じさせる。

 足音に降り注ぐ心もよう
 つかめて 街路樹たちの歌を
 見えるだろ 降りそそぐ雨たちは
 ずぶ濡れで 夢抱きしめている君さ

 同世代でここまで書けるアーティストがいただろうか?多分いないはず。どんな苦境であろうと、それが漏れ出てしまうのが尾崎であり、生来の詩人でもあったのだ。






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結構衝撃だったデビュー・アルバム - 尾崎豊『十七歳の地図』

 1983年にリリースされた、尾崎豊のデビュー・アルバム。最初はLPとカセットのみの発売で、CDが発売されるのは、セカンド・アルバム『回帰線』との同時発売だった。最終的にはミリオン・セールスに到達するほど、売れに売れたアルバムだけど、リリース当時の最高位は60位と、散々な成績だった。ていうか、初回プレスのみ出荷してしまった後、バック・オーダーがほとんど来なかったため、再プレスまでにかなり時間がかかったのだ。なので一時、このアルバムは品薄状態が長く続いていた。
 ちなみにこのアルバム、リリース当時はほとんど話題にならなかったのだけど、ライブが口コミで評判を呼び、それがピークに達したのが伝説の「アトミック・カフェ」のライブでの骨折事故。その体を張ったパフォーマンスで一気に注目を浴びるようになった。
 ライブ中に勢いあまって高所から飛び降りて足を骨折したアーティストがいた、というのを、俺も週刊誌か何かの見出しで目にした記憶がある。かなり大きな代償ではあったけど、結果的に尾崎豊という存在はここで少し知られるようようになり、そして次にセンセーショナルな楽曲が日の目を見ることになる。
 青春時代の赤裸々なメッセージをテーマとしたミュージシャンというのが、尾崎以前にもいなかったわけではない。四畳半フォークの時代から、それは連綿と続いているのだけれど、そのほとんどはティーンエイジャーといっても大学生以上、もしくはテーマを中学・高校に設定したとしても、大方は懐古的な視点、すでに成人して以降に作られたものばかりであって、現在進行形の十代にとってはリアル感が足りなかった。彼らの目線はすでに大人の目線となっており、言ってしまえば彼らは「あちら側」の人間だった。
 そういった状況から、普通の中高校生と同じ目線の高さと視点を持つ尾崎が受け入れられたのは、ある意味時代の要請に沿ったものと言える。

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 尾崎のデビューから、すでに30年が経っている。多分、俺世代の人間なら、このアルバムはレベッカの『Maybe Tomorrow』同様、「わざわざ買ってなくても誰かが持ってるため、一度は聴いたことのあるアルバム」という位置づけのはず。俺世代をターゲットに、商売上手なソニーが節目ごとに、タイアップやらニュー・アイテムのリリースやらで、常に新たな話題を提供しているため、おかげでコンスタントなセールスを上げているようである。
 ただし、俺世代ばかりを相手にし続けていても、ゆくゆくは先細りになってしまう。大抵の懐メロ・アーティストの場合、過去マテリアルの蔵出しによって、最初はそこそこの売り上げを記録するのだけど、露出が多くなるとレア感が薄れ、ファンの新陳代謝も起きずに失速するという流れがほとんである。
 その点、尾崎は露出の加減がうまく行っている方である。一時は死後の便乗商法によるリリース・ラッシュがひどかったけど、今世紀に入ってくらいからは、その辺がうまくコントロールされている。
 ほとんど鼻歌レベルのデモ・テープまで発掘リリースされてしまう状況が長く続いた尾崎だったけど、幅広いジャンルのアーティストを集めて制作されたトリビュート・アルバム・リリースあたりから流れが変わってきた。ミスチルや宇多田ヒカル、槇原敬之らがカバー曲としてセレクトしたのは、これまでのパブリック・イメージだったメッセージ色の強いナンバーではなく、流麗なメロウ・タイプのものばかりだった。
 旬のアーティストが取り上げたことによって、これまでのファン以外にも再評価の機運が高まり、うまい形での新陳代謝が行なわれた。特に”Forget-me-not”なんて、ファンの間でも地味な扱いをされており、彼が取り上げない限りは誰も気づかなかったはず。

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 「過激なアジテーター」というのは、デビュー間もなくしてから後付け設定された、あくまで作られたイメージであって、そこを外してフラットな視点で改めてこのアルバムを聴いてみると、叙情性の強いシンガー・ソングライターとしての側面が見えてくる。
 逆に俺世代だと、ファースト・インパクトが強すぎたため、見えにくくなっていた部分である。変な先入観のない若い世代であるからこそ、見えてくる本質もある、という好例だ。
 そうするとメッセージ性の強い曲は、アルバム・タイトル曲と”15の夜”くらいしかなく、ほとんどは丹念な情景描写を歌った曲か、ストレートなラブ・ソングで埋められている。ていうか、ちゃんと聴いてみると、その2曲もメッセージ・ソングですらないことに気づかされる。
 尾崎はこのアルバムの中で、「学校を辞めようぜ」とか「社会をぶっ壊そうぜ」とも言っていない。彼はただ、現状への不満や社会への憤りを歌としてぶつけているだけであって、「お前らもそうしろ」と言ってるわけではない。あくまで身辺雑記が強く無粋な口調になっているだけで、無力なティーンエイジャーを扇動するために歌っているわけではないのだ。
 強烈なメッセージにとって、歌はあくまで「手段」でしかないけど、この時点での主役は歌である。メッセージはあくまで添え物に過ぎず、ここにいるのは、ただ気ままに曲を作り、みんなに聴いてもらいたがっている、ほんと普通のシンガー・ソングライターである。

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 渡辺美里『eyes』の時にも書いたのだけど、この時点の尾崎はまだ不特定多数の「誰か」を引っぱってゆく力はない。信頼できない大人たちによって作られた体制への反抗、そこからのドロップ・アウトを表明してはいるけれど、同じ立場の少年少女たちの拠りどころになれるほどの力はまだない。せいぜい半径5メートル程度の友人知人に対してグチったり、または夜通しダベったりする程度だ。
 その力はまだ小さい。けれど、その半径を徐々に広めることができれば、最終的に彼は多くの人の心をつかむようになる。
 そして、その広がる速度は、尾崎やソニーの予想を超えることになる。
 この後到来する”卒業”の大ブレイクによって、大きな自信と確信を得た尾崎は、ソニー・スタッフによってお膳立てされた「若者の代弁者」的役割を引き受けてゆく覚悟を決める。ファンが抱く理想の尾崎像を忠実に演ずることを、自分に課された使命として、作品だけでなく、行動や発言、そして生きざままでも背負ってゆくことになる。
 それが重荷になってゆくのは、もう少し後の話だけど。


十七歳の地図
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尾崎豊
ソニー・ミュージックレコーズ (1991-05-15)
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1. 街の風景
 オリジナルは10分くらいあったのを、プロデューサーがばっさり切り捨ててコンパクトに収め、歴史的デビュー・アルバムのトップに位置付けられた、今後の方向性を示唆した曲。
 サウンドはモロ80年代、軽くリヴァーヴのかかったドラムが特徴的だけど、歌を前面に押し出したミックスのため、そんなに古臭くは聴こえない。アレンジのおかげでポップに聴こえるけど、曲自体は時々変拍子の入る、オーソドックスなフォーク・ソングである。
 身の回りの心象風景を素直に写し取っているため、メッセージ性は薄く、ビギナーにも聴きやすい曲。
 
2. はじまりさえ歌えない
 浜田省吾とBruce Springsteenの影響下にある、ややメッセージ性を強めた曲。佐野元春『No Damage』のレビューでも書いたけど、この頃のシンガー・ソングライター、特にエレキ・ギターを抱えて歌うスタイルのアーティストは大抵、彼やJackson Browneの影響から逃れられなかった。
 
3. I LOVE YOU
 未だカラオケのトップ・ランクに余裕でチャートインしている、もはやアラフォー世代だけでなく、すべての世代が耳にしたことのある代表曲。石原裕次郎と美空ひばりしか聴かなかった、当時50代の俺の母が、この曲の入ったカセット・テープを持っていたくらい、影響力は強い。
 シンプルなアレンジとメロディーに、若いカップルの焦燥感と疼きが描かれている。普遍的なテーマなので、多分、何十年経っても古びることのない、永遠の名曲。
 ベタではあるけれど、バラードとしてはこれが最高傑作であり、そしてこれを超えることは遂にできなかった。



4. ハイスクールRock`nRoll
 なぜか一部でレゲエ・ビート、歌詞は佐野元春からの影響も垣間見える、横文字の多用。ちょっとヒネたティーンエイジャーの社会や学校への不満が、リアルな生活感を交えてストレートに描かれている。後半はやはりSpringsteenっぽくなる。
 内省的なシンガーソングライターとしてでなく、Bruce Springsteen & E Street Bandをモデルとしたバンド・サウンドで売り出そうとしたプロデューサーの先見の明は見事だと思う。こうした出会いそのものが、人との「縁」なのだろう。
 
5. 15の夜
 ピアノとベースが紡ぎ出す、シンプルかつスリリングな導入部から、徐々に気持ちが高ぶり、サビでバンドが爆発する。スネアとギターのパワー・コードが重い響きを奏で、ホーンがむせび泣く。日本人にとっては、ある意味演歌的な響きのため、これも人気が高い曲。以前公開された映画『ホットロード』の世界観としては、むしろこの曲が一番しっくり来るかもしれない。

6. 十七歳の地図
 「"Hungry Heart"に似過ぎ」って言っちゃいけないよな。オマージュと言っておこう。
 リアルな17歳がその心情を素直に書き連ね、若作りの大人たちがロック調のアレンジで着飾らせた、こちらも一般人気の高い曲。タイトル曲だから当たり前か。
 この曲もそうだけど、この人はホント、歌が上手い。情感の込めかたはもちろんだけど、緩急の付け方、聴かせどころでのシャウトや力の抜きどころなど、細かなニュアンスのどれもが、ちょうど日本人のツボにはまっている。
 パッションをテクニカルに聴かせるのは演歌の技法だけど、それは日本人のDNAに刷り込まれているのだろう。だからまともな日本人は、尾崎の歌に魅かれるのだ。



7. 愛の消えた街
 ハードなギター・ソロから始まる、歌詞もロック・テイストの強い曲。このアルバムの中では一番ハードな内容となっている。
 冷静に考えて、"愛の消えた街"とは、かなりの大風呂敷なタイトルだ。17歳でこれを書いたことに対する驚きは、多分今の若い世代の方が大きいだろう。
 やっぱマンガやラノベばっか読んでたら、こんな歌詞は書けない。
 
8. OH MY LITTLE GIRL
 リリース当初から「隠れ名曲」として語り継がれ、死後、ドラマ主題歌としてシングル・カットされてから脚光を浴びた、シンプルなラブ・ソング。路線としてはほぼ"I Love You"とかぶっており,故に普遍的なテーマとして古びることなく、いつの時代でも人気が高い。



9. 傷つけた人々へ
 ポップ調で爽やかに歌い上げる、"街の風景"と同路線の、半径5m以内の身近な心象風景を素直に描いた曲。アレンジも素直で耳に馴染みやすく、ラス前の箸休めとしては最適。
 名曲ぞろいのこのアルバムの中では地味な扱いだけど、なかなか詞曲のクオリティは高い。まだ恋ともいえないくらい、切なく甘酸っぱいティーンエイジャーの想いの瞬間を、優しげな視点で切り取った歌詞は、ネガティヴなイメージの強い尾崎の作品の中では異彩を放つ。一般的な名曲に飽きた人にも聴いてほしい。
 
10. 僕が僕であるために
 これもリリース当時はそれほど話題にならなかったけど、SMAPの同名のスペシャル・ドラマの主題歌で取り上げられたことをきっかけとして、「実は俺も好きだったんだ」とでも言いたげに、ミスチルがカバー、最近ではmiwaもアルバムで取り上げていた、フォーク・ロック調の優しい曲。マイルドな自分探し、とでもいう内容の歌詞を、噛みしめる様に丁寧に歌う尾崎。
 やはり、この人は歌が上手い。
 



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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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