好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

佐野元春

「いくつになったとしても、人は成長できるんだ」という、当たり前のことを伝えたいんだ。- 佐野元春 『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』

folder 1989年リリース、6枚目のオリジナル・アルバム。ユーミン無双まっただ中に加え、バンド・ブームによる若手台頭の中、オリコン最高2位をマーク、アルバム・アーティストとして安定したセールスを上げている。
 キャリア的にミュージック・シーンの中堅どころとなっていたこの時期の元春は、スマッシュ・ヒット『Someday』で定着しつつあった「ライトなポップ・ロック」というイメージを振り払うかのように、シングルごとに装い新たなサウンドを提示している。ジャズからレゲエ、ファンクのエッセンスをこれでもかとぶち込んだ、『Cafe Bohemia』収録のシングル群は、コア・ユーザーをも翻弄させる変幻自在ぶりだった。
 日増しにラジカルな傾向を強めてゆく元春は、その後、単なる表面的なサウンド・アプローチの変化にとどまらず、チェルノブイリの原発事故に触発されて書いた「警告どおり 計画どおり」を、初のピクチャー・7インチ・シングルとして緊急リリースする。すでにこの時点で、「強い信念とこだわりを持つアーティスト」というイメージは確立していたけれど、当時の佐野元春が時事性の強いメッセージを打ち出したことは、業界内外に衝撃を与えた。
 ブルーハーツ(シングル「チェルノブイリ」)やRCサクセション(アルバム『Covers』)など、体制へのアンチ表明がひとつのアイデンティティであったロック・バンドとは違い、いわばファンにとって、物分かりのいい兄貴的な存在だった元春が、明確な社会批判を口にしたのは予想外だった。逆に言えば、そういった立場であることを自覚していた元春が、そう口にせざるを得なかったほど、「原発問題というのは深刻なんだ」という問題提起のきっかけになった。
 炭鉱のカナリアよろしく、硬直化した世論へ警笛を鳴らした元春の行動は、潔いものではあるけれど、正直、メインストリームのアーティストにとっては、デメリットの方が多い。当然、エピックとしては前向きではなかったはずなのだけど、元春の強い意向に押し切られる形で、リリースは敢行された。
 RCやブルーハーツと違い、元春のシングルが発売中止や放送禁止に追い込まれなかったのは、エピック内における彼のポジション、また、バービーボーイズ:いまみちともたかの客演というセールス・ポイントの高さが前提にあるのだけれど、それとはまた別に、親会社:ソニーの企業体質も大きく起因していると思われる。
 ちょっと穿った見方だけど、RCが所属していた東芝=東芝EMIもそうだけど、ブルーハーツが所属していたメルダックは、三菱が親会社である。東芝・三菱ともいわゆる重電系、電力設備や工場施設が収益の柱となっている。そうなると当然、原発施設にも大きく関わっているため、子会社の暴走にはめっぽう厳しくなる。多少のおいたは聞き流すことができるけど、基幹事業に影響がある発言となると、受注や入札に影響してくるので、看過することはできない。思わぬところで、企業の論理というのは発動されるものだ。
 対してソニーはといえば、AV機器や家電を主力とした、いわば弱電系、原発関連への関与は極めて薄い。お上の意向に沿わないテーマのため、決して手放しで認めたわけじゃなかったはずだけど、アーティストの表現の自由や創作意欲を重んじる80年代ソニー独特の社風が、そんな主張を後押ししていた。少なくとも、現場では盛り上がっていたはずだし。

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 以前のレビューで、「元春の音楽遍歴では『Visitors』のみポッカリ浮いており、前後とのリンクがなくて突出している」とかなんとか、そんな内容のことを書いた。サウンド・プロダクションのプロットに日本側スタッフの関与が薄いこと、コミュニケーションの齟齬もあって、アメリカ側スタッフの意向が強く働いているため、結果的に異質かつストレンジなサウンドとなった、というのが俺の私見。



 日常会話ならともかく、技術面での意思の疎通は、専門用語に明るくない通訳を介してでは、限界がある。当時の状況では、細かなアンサンブルの修正やミックス・ダウンのニュアンスを伝えきれず、現場スタッフの判断に委ねる部分も、多かれ少なかれあったんじゃないかと思われる。
 「80年代初頭のニューヨーク・カルチャーの空気を余すところなく詰め込んだ」という意味合いでは、『Visitors』という作品は歴史的な名盤であるけれど、一方で、「元春のビジョンが完全に反映されたわけではない」という意味で言えば、過渡期の作品だった、という見方もできる。
 動向を見守り続けていたファン目線で言えば、初期元春サウンドの完成形となったシングル「Someday」を経て、基本構造はそのままに、ニューヨークの荒々しい空気感が際立った「Tonight」。これまでと一転して、無骨で愛想もない、勢いにあふれたサウンドだけど、メロディ・ラインはこれまでの延長線上のポップ・テイストが基調となっている。まぁこれはわかる。
 ただそこから、人力ヒップホップ・リズムとスクラッチ・ノイズが飛び交う「Complication Shakedown」となると、そのギャップはかなり大きい。『No Damage』からファンになった俺のようなビギナーでは、その振り幅に翻弄されてしまう。
 とはいえ、そこは北海道の中途半端な田舎の中学生、「なんかよぉわからんけど、新しくてナウい」といった風に、順応性もまた高い。「ラップってカッケー」と、すぐマネしてみたりする。

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 ニューヨークの狂騒的なカルチャー・ムーヴメントに触発された元春の熱はその後も冷めやらず、雑誌「this」の出版やポエトリー・リーディングなど、多岐に渡った活動を繰り広げている。単なるポップ・ミュージックの供給にとどまらず、当時の先鋭的なアングラ・カルチャーの紹介にも積極的に取り組んでいた。
 よく言及されるように、この時期の元春の一挙一動は、同時代のイギリス熱血代表:ポール・ウェラーとの相似点が多い。現状に満足せず、新たな音楽の創造という点において、当時の彼らは似たような道程をたどっている。
 自己模倣と様式美に染まりつつあった80年代パンク/ニュー・ウェイヴ・シーンに辟易していたウェラーは、人気絶頂の最中にあったジャムを解散し、いち早く既存のロック・サウンドからの脱却を図る。モッズ・スーツからDCブランドのサマー・セーターに衣替えした彼は、新ユニット:スタイル・カウンシルで、ジャズやボサノバ、ファンクやソウルまで、「とにかく、ロックじゃなければ何でもいい」と言いたげに、それこそシングルごとに新たなアプローチを提示し続けた。
 スタカンの『Our Favorite Shop』と元春の『Cafe Bohemia』とのコンセプトの相似や、「Shout to the Top」と「ヤングブラッズ」のサウンドの酷似など、心ない人による意見も多い。ただ、ひいき目を抜きにして、同時代を生きた真摯なアーティスト同士によるシンクロニシティというのが、リアルな見方なんじゃないか、というのが俺の私見。
 単純に考えて、ロックのスピリットを持ったアーティストが、既存のロックの文法を用いずに、新たなロックのスタイルを模索すると、行き着くところはどうしても似通ってしまう。どちらかが意識して寄せてきたのではなく、あくまで同時多発的なものだった、と。
 そういうことにしとこうよ。

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 で、新たなロック・サウンドの追求という行為において、異ジャンルとのミクスチャーとはあくまで手段であり、それ自体が目的ではない。ロックにヒップホップのエッセンスを取り込むことは、着眼点として新鮮だけど、だからといってそれ一辺倒のアルバムになると、そりゃまた話が違ってくる。
 『Visitors』のその先にある音が何だったのか、さらにラップ/ヒップホップに特化したサウンドの可能性とは―。
 秒進分歩で刻々と変化してゆく80年代のミュージック・シーンは、「深化」より「進化」が善しとされていた。ていうか、アーティストもユーザーも、ついてゆくことだけで必死だった。
 ニッチなジャンルを深く掘り下げてゆくより、あらゆるジャンルとの異業種交流、予測不能の化学反応を期待し、期待されてもいた。ヒップホップ一辺倒になるのではなく、新たな可能性を模索してゆくメソッドは、何も元春だけではなかったし。
 あらゆる音楽ジャンルの見本市となった「Cafe Bohemia」プロジェクト終了に伴い、ある種の達成感を得た元春が次に志向したのが、原点回帰とも言うべき、バンド・アンサンブルによるロックンロール・サウンドだった。
 渡米以降に得た自信と確信のもと、熟成されたサウンドとミュージシャン・スキルを求め、元春は単身、海外レコーディングへ出向く。

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 『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』というアルバムは、ミッシング・リンクである『Visitors』と『Cafe Bohemia』をすっ飛ばし、初期3部作に直結した作品、といった位置づけである。あるのだけれど、元春がデビュー前に影響を受けた音楽の蓄積で作られたのが『Someday』以前とすると、それ以降の能動的なインプットの成果が『Visitors』以降であり、『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』にもその影響は確実に及んでいる。
 「ふたりの理由」のような曲調は、以前のボキャブラリーでは書かれなかったはずだし、また表層的なサウンド面だけではなく、「おれは最低」とシャウトするアプローチもまた然り。かつての元春なら、同じシチュエーションならもっとウェットに、もっとナルシシズムの色彩が濃いピアノ・バラードに仕上げていたはずである。
 『Visitors』『Cafe Bohemia』とのリンクは少ない『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』だけど、曲ごとのコンセプトやアプローチは、初期とは確実に違っている。『Someday』リリース後に、同じ環境でレコーディングしたとしても、おそらくこのような形にはならなかっただろうし。
 同じ道筋をたどりながら、その足取りはかつてとは違う。履いてる靴も違えば、茫漠としていた目標も、少しずつ見えてきている。どうであれ、確実に前へ進む一歩であることに変わりはないのだ。
 人は、それを成長と呼ぶ。




1. ナポレオンフィッシュと泳ぐ日
 1948年に上梓されたアメリカの作家サリンジャーの短編「バナナフィッシュにうってつけの日」からインスパイアされた、オープニングを飾るタイトル・チューン。「ナポレオンフィッシュって、どんな魚?」と画像検索してみると、多くの人はガッカリする。そのサリンジャーの短編とタイトルがまったくリンクしていない様に、元春もまた、何となく字面とフィーリングで選んだじゃないかと思われる。
 不条理な結末を迎えるサリンジャーの短編とは違い、ここでの元春はUKレコーディングというブーストを得てか、どの音にも強い確信と自信があふれ返っている。歌詞はどこか危うげでメランコリックな言い回しが多いのだけど、「そんなニュアンスわかんねぇ」と言いたげに、UKパブ・ロック勢の出す音の濃さと言ったらもう。
 驚いたことに、この曲のプレイ・タイムは、ほんの3分程度。良い曲は、時間軸を超えたスケール感を自然と有している。



2. 陽気にいこうぜ
 考えてみれば、これまでの元春の歌詞は「君」という言葉を使うことが多かった。一人称を好んで使わず、第三者としての観察者目線での情景描写・心情吐露が多かった。
 それは表現者として、どこかで照れ、または自信の弱さがあったのかもしれない。「健全な精神は健全な身体に宿る」とは言うけど、この場合、健全なサウンドを求めていた、ということか。
 確信の強いアンサンブルに支えられ、ここに来てやっと「俺はくたばりはしない」と言い放つことができた。また違う目線で見れば、そんな風に自分に言い聞かせることで、均衡を保っているのか。俺は前者と思いたいけどね。

3. 雨の日のバタフライ
 サウンド自体はメロウでシックなのだけど、テンポの速い8ビートによって、ウェットさをだいぶ抑えている。これがもっとスローになれば、大滝詠一「雨のウェンズディ」みたいになるのだけど、その境地に達するには元春、そこまで達観していない。
 リフレインされる「いつか新しい日が」と歌うその声は、どこか憂いに満ちている。決して100%前向きではない。ただ、後ろを振り向いてはいない。そんなヴォーカルだ。

4. ボリビア―野性的で冴えてる連中
 「99ブルース」からリズム・トラックのみ抜き出したようなイントロで始まる、攻撃的なファンク・ロック。「ボリビア」という語感からインスパイアされて一気呵成に書かれたような、勢いを優先して書かれたと思われる。
 ゴチャゴチャ理屈は抜きにして、ギターとリズムのコンビネーションにクローズアップした演奏が、ソリッドでカッコいい。こういったベーシック・トラックを創り上げるまで、元春は多くの試練を乗り越え、また克服してきたのだ。

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5. おれは最低
 イラつきを抑えきれない、焦燥感と渇望があふれ返った演奏とヴォーカル。東京でハートランドと行なったセッションは、ザラついた触感をむき出しにしている。

 仲のいいわかりあえる  友達のふりしてただけさ
 途方も無くくだらない街の聖者  気取っていただけさ

 ある意味、盟友とも言えるメンバーとのセッションで、ここまで自身を露呈する表現は、一聴すると何かしらのフラストレーションが溜まっていた、と思われがちだけど、歌ってる内容をそのまんま正面から受け取る必要はない。これまでのフォーマット化した「佐野元春」からの脱皮として、別の形の表現として見た方がいい。

6. ブルーの見解
 疲れた声色のポエトリー・リーディング。ここまで創り上げてきたパブリック・イメージの打開は、ここでもあらわれている。
 リフレインされる「俺は君からはみ出している」という言葉からは、トリックスターとしての「佐野元春」を背負ってゆくことへの疲弊、そして誤解を解くための徒労。
 吐き出したことで、ちょっとは楽になれたのだろうか。

7. ジュジュ
 カントリー・テイストの入ったフォーク・ロック。歌詞は元春流のプロテスト・ソング。曲調はすごく柔らかなのだけど、世界からの疎外感と諦念が、少し枯れた風情で歌われている。
 中堅アーティストとしてのポジションを築いたはいいけど、明確な目標が失われて、ペシミストに寄ってしまった30代中盤のリアルな男の叫びが、ここには刻まれている。それは、若い時よりむしろ、ちょうどこの世代になった時に聴き返した方が、むしろ染みる。
 もうちょっと前に聴いときゃよかったな。アラフィフになると、また意味合いが違ってくるし。

8. 約束の橋
 前曲の終盤で、バタンッとドアを閉めるSEの後、バンド・メンバーと息を合わせ、「約束の橋」はスタートする。ちょっとひねた感情から一新して、ポジティヴ感あふれる感覚は、アルバムを通して聴かないと味わえない。やはり、この曲はこのヴァージョンに限る。
 まさかリリースから3年も経ってから、月9主題歌に抜擢され、最大のヒット曲になるだなんて、誰が予想しただろうか。
 


9. 愛のシステム
 「システム」というワードを詞に取り込めるのは、この当時は元春くらいしかいなかっただろうな。ストリングス・シンセのフレーズが当時のUKポップを象徴しているのと、UKのわりにリズムが重くてアメリカっぽいアンサンブルだよな、というのは昔から思っていたのだけど、まぁポエトリー・リーディングにも転用できそうな恣意的な内容なので、ここまで大味な演奏の方がいいのかな、とは今になって思ったこと。

10. 雪―あぁ世界は美しい
 サウンドもそうだけど、この時期の元春は日本語の響きに強くこだわりを見せており、シンプルなワードの組み合わせによって、これまでのボキャブラリーとは違うアングルを試行錯誤している。
 この曲が特にそれを象徴しているのだけど、異言語コミュニケーションを重ねると、やはりこういったシンプルなテーマの方が伝わりやすいのかな、とも思ったり。
 ただそんな中でも、「今夜は俺は王になる  ただ一日だけの  今夜は俺は王になる」という一節に、表現者としての「ここだけは譲れない」エゴが表出したりしている。

11. 新しい航海
 E.ストリート・バンド・スタイルのおおらかな演奏は、従来ファンにとってはやはり聴いてて心地よかったりする。抽象的な単語の羅列も、ポップでチャラい頃の元春像が見えてくるのだけど、「こういうのもできるけど、もうこういうのだけじゃないんだ」という元春の強い意志表明とも取れる。
 求められているアーティスト像として、そして進むべきラジカルな作風との狭間。どちらかに大きく傾くのではなく、テーマによってどちらかの作風を使い分けるまでは、もう少しの時間が必要となる。

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12. シティチャイルド
 で、そんなアッパーなナンバーの続き。アナログで言えばB面に相当する流れだけど、11~12をA面に持ってこなかったことに、これまでの元春像との決別が感じられる。
 
13. ふたりの理由
 大抵、元春のアルバムはハッピーエンド的なアッパーなチューンがラスト曲だったのだけど、これは肩の力の抜けたミドル・バラード。ポエトリー・リーディングと歌とが交差する、独自の元春ワールドが展開されている。
 ちょっと「Heartbeat」っぽさもあるよなと思ってたけど、いまになって思えば、これが「Heartbeat」の発展形、ていうか、当時の元春は「Heartbeat」をこんな構成にしたかったんじゃないか、とも。





プライベートの元春のリアルなアルバム - 佐野元春 『Heart Beat』

folder 1981年リリース、元春2枚目のアルバム。デビュー作『Back to the Street』からほぼ1年のインターバルを経てリリースされたこの作品、前作同様、チャート的には苦戦した。

 当時のオリコン・アルバム年間チャートを見てみると、1位が寺尾聰、2位が大滝詠一ロンバケ、3位がなぜかアラベスクといった布陣。上位2つを見ればわかるように、既存のフォークやロックから脱却してソフィスティケートされたAOR的シティ・ポップのニーズが高まっていることがわかる。50位以内ギリギリに南佳孝もランクインしており、徐々にではあるけれど、難しい顔をして考え込む音楽だけでなく、享楽的な80年代を象徴した、新世代によるライト感覚のサウンドが若い世代に受け入れられつつあった。
 ただこれも極端な例で、他のメンツを見てみると、松山千春やオフコース、中島みゆきがベストテンに食い込んでおり、まだまだフォークの流れを汲んだニュー・ミュージック勢が強いことも事実。
 これがもう少しすると、尾崎豊や渡辺美里など、さらに新世代の躍進が始まって、チャート上での世代交代も行なわれてゆくのだけど、それはもう少し後の話。

 元春の出世作と言えるのがタイトル曲収録の3枚目『Someday』であり、その前哨戦であったのがナイアガラ・トライアングルだとすると、この時期はまだ「期待のニュー・カマー」というポジション。まだまだ影響力が云々といったレベルではない。
 で、その『Someday』と『Back to the Street』に挟まれたこの『Heart Beat』、雑誌やメディアでの紹介では、いわゆる過渡的な作品、本格的なブレイク前の習作扱いになっていることが多い。その後の作品と比べると、統一感が少ないため、バラエティに富んではいるけど、ターゲットが定まらない印象なのと、わかりやすいシングル・ヒットが収録されていないため、どうしても地味な扱いになってしまう。
 新規ユーザーにはアピールしづらいアルバムだけど、その反面、年季の入ったファンにとってはそのセールス・ポイントの弱さゆえ、逆に愛着が湧いている人が多い。実際、マス以外のメディア、個人ブログやアマゾン・レビューなどでの熱い書き込みは多い。そのポジションの地味さゆえ、何か力を入れて語りたくなってしまう魅力を秘めている。

佐野元春

 初期の元春のサウンドのベースは、アメリカの70年代シンガー・ソングライターに端を発する、ストリート感覚あふれるロックが主体となっている。既存のフォークやニュー・ミュージックと違って、メロディと譜割りのバランスにこだわらず、横文字言葉を1音節に詰め込むことによって、洋楽テイストの強いサウンドを創り出した。
 小節という決まりごとに捉われず、語感とリズムを重視することによって、その響きはその後の日本のロック/ポップスに大きな影響をもたらした。時にウェットなメロディに流れながらも、ドライな質感を失わずにいるのは、デビュー当時から確立したスタイルに拠るものである。
 決して美声とは言えないハスキーな声質もまた、ニュー・ミュージック勢との差別化に寄与している。情緒的な日本のメロディとはマッチしづらいため、逆にそれがベタなバラードでも過度に感情的にならずに済んでいる。

 そのシンガー・ソングライター的側面でも、デビュー・シングル”アンジェリーナ”がBruce Springsteen への強いオマージュだったのに対し、この『Heart Beat』ではむしろBilly Joel的、ピアノからインスパイアされたようなナンバーが多い。『Back to the Street』がE Street Bandサウンドをモチーフとした曲が多かったのに対し、ここではソロ・スタイル、ピアノの弾き語りだけで成立するナンバーが多く占められている。もちろん”ガラスのジェネレーション”のようにアッパーなナンバーも含まれているけど、特にレコードB面にあたるトラックでは、バラードが集中している。

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 なので、どこかプライベートな空気感を持ったアルバムである。アッパー・チューンであるはずのナンバーも、よく聴いてみるとエコー成分が少なく、狭いスタジオで作り込まれたような、デッドな音の響きである。その平板さを自身のダブル・ヴォーカルで埋め合わせているのだけれど、やはりどこか密室的な雰囲気が漂っている。
 その内輪的ムード、親密な仲間たちが集って演奏したトラックを、カセット・テープに録音して独り枕元で聴いている―、そんな情景がよく思い浮かぶ。

 ただ当然だけど、そんな個人的な色彩の強いアルバムが不特定多数のユーザーにアピールできるかといえば、それはちょっと難しい。収録されている個々の曲は、その後の元春のキャリアにおいても重要な位置を占めており、ライブでもいまだ重要なポイントでプレイされている。ライブを重ねることによって、それらの曲は洗練され、次第にブロウ・アップされてゆくのだけど、ことアルバム全体では地味な印象であることは拭えない。

 実際、俺もこのアルバムを聴いたのは『No Damage』の後、リアルタイムでこれがリリースされたとしても、多分手を出さなかったんじゃないかと思う。多分そう思ったのは俺だけじゃないはずで、最初の元春のアルバムとしてこれを選ぶ人は少ないと思う。
 ただ、『Back to the Street』で見せた荒削りなロックンロール・フォーマットや、次作『Someday』において著しく開花したポップ・センスではなく、純粋な楽曲クオリティを求めるのなら、初期においてはこのアルバムが最も秀でている。
 よそ行きではないプライベートな元春の実像が最も色濃く現れているので、完成度という面においてはちょっと劣るけど、長く追いかけてきたファンにほど人気の高いアルバムである。


Heart Beat
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1. ガラスのジェネレーション
 アルバム発売前にリリースされた、元春2枚目のシングル。今でも初期の元春の最高傑作と言えばコレ、というファンも数多いけど、当時はほとんどと言っていいくらい話題にならなかった。
 軽快なリズム、ちょっとハスキーで母性本能をくすぐる、少年のまんまのヴォーカル、Phil Spectorを意識した広がりを感じるサウンド。これだけのモノがたった3分間のポップ・シンフォニーの中に凝縮されている。

  ガラスのジェネレーション
  さよならレボリューション
  つまらない大人にには なりたくない

 これから先もずっと永遠に語り継がれるこの一節。
 ちなみにこれは2番の最後なのだけど、実は俺、ここよりも冒頭の「見せかけの恋ならいらない」にシンパシーを感じていた。これを聴いた時はまだ十代で、大人という存在に自分がなってゆくことに、いまいち実感が湧かなかった。また、「見せかけでもいいから振り向いてほしいんだ」という逆説的な思いこそ、まだヘタレだった十代のリアルでもあった。



2. NIGHT LIFE
 で、これは3枚目のシングルとして、アルバムと同時発売された。スロー・テンポのゴキゲンなロックンロールといった、当時の元春のパブリック・イメージと寸分違わないナンバー。あまりにハマり過ぎるため、ちょっとインパクトには欠ける。『Back to the Street』で獲得したわずかなファンへ向けて、期待に応えたようなサウンドなので、後追いで聴く分にはちょっと物足りない。あまりに優等生的ロックンローラーなのだ。

3. バルセロナの夜
 マッタリしたムードでありながら、リズムがタイトなため、ベタに流されないバラード・ナンバー。テナー・サックスがちょっと頑張りすぎる部分はあるけど、ミドル・テンポに設定したこと、また歌詞もほとんど英語が含まれておらず、普段着のシンガー・ソングライター的スタイルのため、スッと言葉が入って来る。

  時々2人は 言葉が足りなくて
  確かなものを 失いそうになるけど
  愛してる気持ちは いつも変わらない

 こういった言い回しって、やっぱり大人にならないとわからない。

4. IT`S ALRIGHT
 シングル1.のB面収録。タイトなロックンロール・ナンバーで、やはり『Back to the Street』の延長線上のサウンド。
 と、否定的になりかけたのだけど、考えてみれば81年当時、日本でのロックンロール状況は決して活況ではなかった。懐古的なオールディーズ・バンドか自虐的なパロディが主流で、こうしたベーシック・タイプのロックンロールをプレイする新規アーティストは皆無だった。ロックンロールを延命させるためには、彼のような新しい血が必要だったのだ。

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5. 彼女
 レコードで言えばA面ラスト、王道のバラード。小細工も仕掛けも何もない、言い訳不要のピアノ・メイン、壮大なストリングス。ベタといえばベタだけど、けれどそれがちっとも陳腐に聴こえないのは、やはり楽曲の持つ力か。
 「彼女」とは、かつて公私を共にしたパートナー佐藤奈々子のことかと思われるけど、まぁ断定はできない。奈々子をモチーフとして、それまでの女性像を重ね合わせて凝縮した結果が、この曲の「彼女」なのだろう。
 ここでの元春は彼女への変わらぬ想いを胸に秘めながら、それでも前に進んでいこうとしている。時にペシミスティックな瞬間もあるけど、そう自分に言い聞かせないことには、前に進めないのだ。

6. 悲しきレイディオ
 『Back to the Street』で世間に提示した「ロックンロールの復権」を、見事に形にしたのが、これ。ヴォーカル・スタイル、サウンドから、現在進行形のロックンロールである。過去の模倣ではない。過去のロックンロール・レジェンドらをリスペクトしつつ、敬意を表しながらも、そこから新しいスタイルを確立した。
 俺がこのアルバムで最も食いついたのがこれで、長年俺のフェイバリットだった。今では3.と同着になっているけど、最初に聴いた時のインパクトはこれが一番。何から何まで、すべてが理想形。そしてまた、ここからさらにロックンロールを進化させていった元春もすごい。



7. GOOD VIBRATION
 シングル2.のB面曲。う~ん、実はこれ、ほとんど思い入れがない。当時のアメリカ西海岸的AORサウンドの意匠を借りたポップ・ソングなのだけど、どうにもインパクトが薄い。元春の声も心なしか気が入っておらず、突然挿入される女性コーラスもちょっと違和感あり。このレビューを書くため、久し振りに通して聴いてみたけど、やっぱダメだ、どこかしっくりしない。

8. 君をさがしている(朝が来るまで) 
 で、その8.と同じ方向性ながら、ちょっとやる気が出てきたのか、Byrds的フォーク・ロックのフォーマットを使いながら、かなりぶっ飛んだ内容の歌詞を乗せている。
 かなりストーリー性を強調しているため、元春のヴォーカルもどこかドラマティックで、時にモノローグ的なシャウトが漏れている。でもサックス、ちょっと響きが軽すぎ。

9. INTERLUDE

10. HEART BEAT(小さなカサノバと街のナイチンケールのバラッド)
 今もライブで重要な位置を占める、8分にも及ぶ大作。時期によってピアノ・メインになったりギターがリードしたりなど、ライブによってあらゆるアプローチが試された曲である。といってもこの曲に限らず、ライブでがらりとアレンジが変わった曲は数多くあるのだけれど。
 ほぼ独白、弾き語りのような世界は、熱狂的なファンには受け入れられたけど、やはり長尺過ぎるため一般に広がる機会が少なく、『No Damege』でも収録は見送られた。特別なストーリーはなく、ある種ナルシスティックな世界観が終始流れているため、受け入れる側もある程度、心してかからないとちょっとキツイ。

  訳もなく にじんでくる
  涙を拭い
  車のエンジン・キーに ゆっくり
  手を伸ばしたのさ

 




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俺の中での元春は、ここでひと区切り - 佐野元春 『Cafe Bohemia』

folder 『Visitors』をリリースした後の佐野元春の動向に気を揉んでいたのは、これまでのファン、そして新たに獲得したファンだけでなく、同世代の日本人ミュージシャンらもまた、同じ想いだった。
 決してヒット・チャートには馴染みそうもない、荒削りでありながら、しかし理性的に制御されたパッションを内包したそのサウンドは、80年代チャートの中心を担っていた歌謡曲と比較して、明快でもポップでもなかったのだけど、前作『No Damage』の余波も手伝って、オリコン年間チャート22位の好セールスを記録した。
 当時の日本において、ヒップホップというジャンル自体がほぼアンダーグラウンドな存在だったにもかかわらず、それを大々的に取り入れて、しかも商業的にもキッチリ結果を出したのだから、同業者としては強いリスペクトと共に、危機感も大きかったんじゃないかと思う。

 このアルバムがリリースされた1986年前後というのは、元春に限らず、日本のメジャー・シーンにいるアーティストにとって、様々な形はあれど、大きな転機を迎えることが多かった。商業的に肥大化したサザンを一旦休養した桑田佳祐は、原点に立ち返るべくKuwata Bandを結成、ストレートなロックン・ロールを追求することによって、サザン以外の可能性を模索していたし、日本人離れしたファンクネスとずば抜けた歌唱力を持って一躍シーンに躍り出た山下達郎は、これまでの必勝パターンとは真逆のベクトル、内省的な歌詞と箱庭的に作り込んだデジタル・サウンドとの融合に苦悶し、長い袋小路の岐路に佇んでいた。
 「歌謡ロック」と揶揄されることも多かったBOOWYは、コンポーザー布袋のビジョンである、ニュー・ウェイヴ以降のUKアバンギャルドと、一見ドライながらドメスティックな共感を得る歌詞とのハイブリットなサウンド、その完成度の高まりと共に行き詰まり感がメンバー全体に蔓延し、その短いキャリアに自ら潔い終止符を打とうとしていた。
 これまで築き上げてきたキャリアに対して、少しでも真摯なスタンスのアーティストなら、作品クオリティの維持と商業的成功との両立を成し遂げている元春の一挙一動は、注目に値するものだったと思われる。

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 それだけ内外に影響を与えた『Visitors』だったけど、元春自身はそこから更にヒップホップを掘り下げることはしなかった。
 ここ日本において本格的にヒップホップを根づかせるためには、ワン・ショットのインパクトではなく、言い方は悪いけど、二番煎じか三番煎じまで畳みかけていかないと、定着しないはずである。なのに元春、『Visitors 2』的なアルバムを作らなかったのは、もちろん戦略的な面もあるだろうけど、常に進歩することを求められるトップ・アーティストとして、ひとつの色に染まらない、特定のカテゴリに収まりたくない、ある種の反抗心のようなもの、それと使命感もあったのだろう。

 時たま出演するバラエティやインタビューでの発言でも知られるように、基本マジメな人である。ただ、大多数の人より価値基準や行動規範がちょっとズレているだけで、空気を読まず我が道を行く思考回路については、あまり突っ込んじゃいけないところ。一歩間違えれば社会的に孤立してしまいそうなところを、基本ピュアネスにあふれている元春、本人としてはそれがごく普通の事柄であり、何事においても誠実に答えているだけなのだから。

 当時の元春が目指していたのは、洋楽の安易な移植ではないロックを日本に根付かせること、そして、いまだ現時点においても知名度の高いナンバー”Someday”に凝縮されているように、基本ポジティブなメッセージを伝えるため、ロック・ミュージックという手段を使っていた。そりゃ中にはネガティヴなテーマの曲もあるけど、基本はその人柄から窺えるように、真摯でピュアなメッセージである。
 シリアスでリアルなメッセージを伝えるのに、当時のストリート・カルチャーに深く根付いていたヒップホップというサウンドは有効だったけど、サウンドというツールは、あくまで伝達の手段である。そこにこだわりを持つことは決して悪いことではないけど、そこへの執着が強すぎると、本来伝えるべきメッセージがボヤけてしまう。器ばかり磨き上げてもダメなのだ。

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 『Visitors』で糸口を掴んだばかりのヒップホップ・サウンドも、そこを一点集中で突き詰めるのではなく、これまで学び得たノウハウの一つとして、更に貪欲な吸収を行ない、そしてそれらをミックスし練り上げこねくり回した結果として、この『Cafe Bohemia』がある。

 お茶の間レベルで理解できるレベルにまで噛み砕いたアバンギャルド・サウンドとロック的イディオムとの融合を見事結晶化させた『Visitors』に対し、今回の『Cafe Bohemia』、表面上はワールドワイドでジャンルレスな音楽の追求、スタイリッシュなジャケット・デザインから窺えるように、その気だるい居ずまいから、以前のポップ性を擁したロックン・ローラーの姿は想像できない。Style CouncilやStingからインスパイアされた、ジャジーなinterludeは、ロック的衝動やダイナミズムからは最も遠いところで鳴っている。
 ただ同時に、表面的にはロック的サウンドから遠ざかりながらも、ロックの構成要素であるパッションは減じず、抽出されたメッセージ性に最もこだわっていたのは、日本においては元春が第一人者であったことは誰も否定できない。

 ロック的イズムへのこだわりが強くなるあまり、敢えてサウンドの比重を弱め、言葉そのものの持つ力を引き出したのが、この頃から始まるスポークン・ワード(ポエトリー・リーディング)である。もともとは1950年代のビート・ジェネレーション時代に端を発し、その代表的作家Jack KerouacやAllen Ginsbergらによる、ニューヨークのライブハウスでの詩の朗読パフォーマンスなのだけれど、不定期レギュラーとなっている教育テレビ『ザ・ソングライターズ』での1コーナーとして、目にした人も多いはず。
 ロック的演出を一旦剥ぎ取り、言霊本来の力と朗読力のみによって繰り広げられる、言葉のぶつけ合いと受け合い。そこはステージという多人数:1という構図ではなく、見る人によってそれぞれ解釈が違い、結果、1:1という、至極パーソナルな関係性が築かれている。その真剣勝負は互いに極度な緊張状態を誘発し、結果、体力の減少が著しい。安易なジェスチャーやメロディでごまかそうとしない所に、彼の潔さがうかがい知れる。


Cafe Bohemia
Cafe Bohemia
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佐野元春
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1. Cafe Bohemia (Introduction)

2. 冒険者たち Wild Hearts
  ちなみにこのアルバム、これまでの元春のアルバムはすべてソロ名義だったのに対し、ここから何枚かは”with Hertland”と併記されている。レコーディング、ライブ双方を精力的に行なっていた頃であり、バンドとしての一体感が、これまでとは明らかに違っている。
 何というか、百人が百人とも、「これはロックだ」というサウンドではない。ヴォーカルは明らかに元春そのものなのだけれど、ホーン・セクションを前面に出したソウル・テイスト濃いサウンドは、日本人単独では出せなかったグルーヴ感がある。
 でも、これが元春の目指すところの、ロックなのだ。

3. 夏草の誘い Season In The Sun
 肩ひじ張ってない歌詞が、俺は好き。『Someday』以前に頻発していた、ちょっとスカしたシティ・ボーイのシニカルな呟きより、このようなストレートなメッセージを爽やかに歌えるようになった、この時代の元春のファンは今も多い。

 そうさ これが君への想い 何も怖くはない 
 Just One More Weekend いつでも 君のために戦うよ 
 Smile Baby 汚れを知らない 小鳥のように

-G3FHU36I0Ocq

4. カフェ・ボヘミアのテーマ Cafe Bohemia

5. 奇妙な日々 Strange Days
 このアルバムの中では比較的ストレートなロック。ちょっとエスニック入ったピアノなど、そこかしこで正しくストレンジな音が入ったりなどして、普通のサウンドでは済ませようとしない、チャレンジ・スピリットが強く出ている。

6. 月と専制君主 Sidewalk Talk
 ちょっとアフリカン・ポリリズムのエッセンスが入った、ちょっと奇妙な質感の曲。後年、このタイトルでセルフ・カバー・アルバムをリリースするのだけど、何かしら思うところがあったのだろう。地味だけど、なんとなく記憶に残り、妙にクセになる曲である。これまでの、そしてこれ以降の元春にも見当たらない、不思議な浮遊感のある曲である。
 後半のブギウギ・ピアノとホーン・セクションとの掛け合い、ルートを外れそうでいて、きちんと本筋は外さないベース・ラインなど、ほんとバンドの一体感が出ていて、レコーディングも楽しげだったことが想像できる。

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7. ヤングブラッズ Youngbloods
 1985年2月、国際青年年のテーマ曲としてシングル・リリース。年間チャートでも63位と健闘した。やっとまともにトップ10ヒットとして世間に認められたのが、この曲である。確かにNHKなんかでは頻繁に流れていたため、タイアップ効果も大きかったとは思うけど、でも、この曲にはそれを超えたパワーがみなぎっている。
 直訳すれば「若い血潮」と、いきなりダサくなってしまうけど、それを恥ずかしげもなく堂々と歌えるのが、やはり元春である。そのポジティヴなパワーの前では、ちょっとした恥じらいなどは吹き飛んでしまう。
 この頃の元春としては珍しく、カタカナ英語が頻発した歌詞なのだけれど、力強いバンド・サウンドがそのうすら寒ささえ吹き飛ばしてしまう。
 元旦に撮影されたという、この有名なPV、ほんと何度見てもワクワク感が募る。 

 冷たい夜にさよなら
 その乾いた心 窓辺に横たえて
 独りだけの夜にさよなら 木枯らしの時も 月に凍える時も
 いつわりに沈むこの世界で 君だけを固く抱きしめていたい



8. 虹を追いかけて Chasing Rainbow
 ちょっとDylanのフェイクっぽいヴォーカルが時たま気怠くイイ感じなのだけど、もしかしてただ単にキーが高いだけなのかもしれない。

9. インディビジュアリスト Individualists
 暴力的なスカ・ビートに乗せた性急な元春のヴォーカルが、『Visitors』を彷彿とさせる。硬質な言葉を叩きつける元春は、すべてのリスナーへ向けてアジテーションを送っている。バンドのどの音も攻撃的である。ひたすら単調なビートを刻むリズム・セクション、変調したギター・カッティング、地底をうねるベース・ライン、どれも体制へのもがき、抵抗が見え隠れする。

10. 99ブルース 99Blues
 呪術的なアフロ・ビートと、それを切り裂く重苦しいアルト・サックスの調べ。こちらも『Visitors』サウンドの上位互換であり、様々なサウンドとのハイブリットで構成されている。
 この曲での元春はかなり饒舌。どこかトピカル・ソング風にも聴こえる、社会風刺も混ぜ込んではいるが、そこまでシリアスにならないのは、やはり根が性善説な人だからなのか。

 いつも本当に欲しいものが
 手に入れられない
 あいかわらず今夜も
 口ずさむのさ
 99 Blues


 
11. Cafe Bohemia (Interlude)

12. 聖なる夜に口笛吹いて Christmas Time In Blue
 クリスマス・ソングにレゲエ・ビートを組み合わせる発想は、これまでなかったはず。もしかして前例はあったかもしれないけど、ここまでスタンダードに残る歌になったのを、俺は知らない。それだけクオリティが高いのだ。
 クリスマス・イヴのワクワク感とクリスマス当日の「もうすぐ終わっちゃう」感を淡々と、しかもわかりやすく描写したのが、この曲。歌謡曲全盛だった当時、しかも12インチ・シングルでのリリースだったにもかかわらず、そこそこのヒットを記録したのは、純粋に曲の良さと歌詞の良さ、そしてレゲエ・アレンジの勝利だろう。

 愛している人も 愛されている人も
 泣いている人も 笑っている君も
 平和な街も 闘っている街も
 メリー・メリー・クリスマス
 Tonight's gonna be alright



13. Cafe Bohemia (Reprise)




 で、俺にとっての元春というのはここくらいまで。この後の元春はアッパーな時期とダウナーな時期とが交互に訪れている。そのバイオリズムの振り幅が大きすぎて、ちょっと聴くのが辛くなってきたファンというのは、多分俺だけではないはず。
 その後のホーボー・キング・バンドやコヨーテ・バンドとのルーツ・ロック的セッションも味わい深くて良いのだけれど、キャリアのピークを知ってしまっている俺としては、ちょっと物足りなさも感じてしまう。ただ、ここに至るまで経てきた元春の軌跡を鑑みると、もっと気合入れてよ、とも言いづらい。
 困ったものである。


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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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