好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

中島みゆき

逢えない相手が逢いに来る 逢えない相手が逢いに来る。 - 中島みゆき 『真夜中の動物園』

folder 2010年リリース、37枚目のオリジナル・アルバム。この当時のオリコン最高5位は、決してバカ売れというレベルではないけれど、だからどうしたというわけでもない。何が何でもチャートのトップをねらった風でもない。
 この時期のオリコン・チャートは、EXILEやらAKBやらジャニーズやらの独壇場であり、みゆき世代が出しゃばるフィールドではなくなっていた。
 いや、そんな時期はずっと昔に過ぎ去っていた。大御所と呼ばれて久しく、そんな些事にこだわるポジションではない。
 数少ない顧客囲い込みに汲々するほど、切羽詰まった立場でもない。同世代は、ほぼリタイアしているか宗旨替え、はたまた過去の再生産で食いつなぐかしている。
 そしてみゆきはずっと変わらず、ほぼ年1ペースで、オリジナル・アルバムをリリースし続けている。創作意欲だけじゃなく、それを可能とするポジションであり続けているのは、もうみゆきだけになった。
 パーソナルな恋愛を綴っていたかつてと違い、みゆきの言葉にささくれは見えなくなった。吐き出すような嗚咽混じりの心情吐露は、内向きの棘と化して自身を傷つけた。
 満身創痍になりながら、それを業として受け止め、前を向き、凛として歩みを止めないその様は、ぼんやりした空虚を抱える多くの若者らの共感を呼んだ。みゆきがみゆき自身のために歌ったはずなのに、その言葉たちは彼らの空虚にすっぽりはまり、強い自己投影を喚起させた。
 キャリアを重ねるにつれ、その負のオーラは減っていった。内向きだった視点は外へ、そして高みに上り、毀誉褒貶に囚われない女神として、色恋沙汰に捉われない、普遍的なテーマを取り扱うようになった。
 その境目となったのが、夜会プロジェクトだったと言える。

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 もう少し遡れば、いまも続く瀬尾一三とのパートナー・シップが始まったことも、作風の変化に大きく影響した。どれだけ奇矯なアプローチやリクエストにも、あ・うんの呼吸でサラッと応じてしまう瀬尾のプロデュース・ワークは、80年代のご乱心期に拘泥していたみゆきが探し求めていたものだった。瀬尾がチームに加わったことによって、みゆきは長く構想段階で止まっていた夜会プロジェクトに本腰を入れることになる。
 毎年末(近年は1年おき)に行なわれる夜会の公演期間は、おおよそ2~3週間程度。目に見える実働はそれほど長期ではないけれど、準備期間を含めれば、そこにかける労働力は膨大になる。
 実作業に当たる関係者スタッフはもちろんのこと、みゆき自身も原案から楽曲制作、演出にも深く関わっているため、投入されるエネルギー量はハンパない。その年の夜会が執り行なわれている最中に、すでに次の夜会のラフ・スケッチは描かれているのだ。いや、いろんな候補案が同時進行しているのかもしれないし。
 じゃあこれまで行なわれた夜会のラインナップって、どんなんなってるのかしら、と調べてみると、これが案外少なかった。まとまったストーリー構成ではない初期夜会を除き、起承転結に沿った作品は12本である。
 再演や再構成モノをはずし、純粋な書き下ろし作品となると、こんな風になる。

1991 KAN(邯鄲)TAN
1992 金環蝕
1993 花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に
1994 シャングリラ
1995  2/2
1996 問う女
1998 海嘯
2000 ウィンター・ガーデン
2004  24時着 0時発
2008 〜夜物語〜元祖・今晩屋
2014 橋の下のアルカディア
2019 リトル・トーキョー

 おおよそ30年で12本。商業演劇には詳しくないので、この興行ペースが多いのか少ないのかはちょっと不明だけど、この他にもアルバム制作や楽曲提供も行なったりしてのコレだから、普通に考えればかなりの多作である。
 思えば『East Asia』くらいまで、夜会とは、あくまでみゆきのサブ・プロジェクトという位置付けだった。
 「コンサートでもない、演劇でもない、ミュージカルでもない、言葉の実験劇場」という前例のないコンセプトは、良く言えば無限の可能性を秘めている感はあるけど、返して言えば初期衝動のまま突っ走った感が強かった。継続的なプロジェクトになるのかどうか、それもまた「やってみて決めていこう」という、フレキシブルなものだった。

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 「やり遂げることに意味がある」的な初期の夜会は、いわば通常コンサートの幕間劇を拡大したようなものだった。
 緩やかなストーリー構成に沿ったひとり芝居、そして、アクセントのようにシーンをつなぐ楽曲たち。説明的なモノローグや演技ではなく、これまで書いてきた歌たちの世界観がそれぞれに語りだし、その相乗効果で新たな価値観を創造する―、みゆきの描いたビジョンは、そういったものだったはずだ。
 だったのだけど、その試みは、思っていた以上に化学反応をもたらさなかった。歌は歌であり、芝居は芝居。演劇パートは独りよがりとなり、新たなアプローチでリアレンジされた歌たちも、目新しさはあったけど、でもただそれだけだった。
 みゆき自身、実際に演じてみて軌道修正が必要と感じたのか、3回目 『KAN(邯鄲)TAN』以降は、起承転結を持ったストーリーを柱として立てている。敢えて制約を設けず、散文的なユルいステージ進行は、基本シンガーであるみゆきとの相性が良くなかった。これがコンボ・スタイルなら、予測不能なジャム・セッションに発展できるのだけど、まぁ狙ってたのはソコじゃないだろうし。
 次に問題となったのが、肝心の楽曲ラインナップだった。強い世界観をもったストーリーを新たに作ると、これまでの既発表曲だけで構成するには、何かと無理が生じてくるようになった。
 そもそも、すでに単体で成立してしまっている楽曲たちをストーリー仕立てで並べること自体に無理がある。それでも強引に新たな世界観でまとめるのなら、そりゃあもう、長大かつ重厚な物語、さらに多くのキャストや舞台装置が必要になる。
 もしほんとにやろうとするならば、それこそ採算度外視、しかも一般的な2時間のステージで収まるものではない。無理やり収めたとしても、多分とっ散らかったモノになるだろうし、どちらにせよ現実的なプランではない。
 そんな事情もあってかどうか、7回目の夜会『2/2』では、既発表曲の割合が激減、ほぼ20曲以上が書き下ろしオリジナルで構成されていた。その後も、再演・再々演によってストーリーに修正が施された、さらに新曲が追加されたり削られたりなどしている。なので、この『2/2』の関連楽曲は、膨大な量にのぼる。
 強烈な吸引力とイマジネーションを必要とする、そんな物語の貪欲な力は、悠然たる女神:みゆきさえをも振り回し、そして翻弄させた。『2/2』の世界観にせっつかれるように、彼女は物語が希求する楽曲を書き続けた。

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 その後、夜会のために生み出された歌たちは、それぞれのストーリー/コンセプトにフィットするよう、その世界観に沿って書き上げられた。言葉と歌とがチグハグだった初期とは見ちがえり、その後の夜会はスムーズで違和感ない舞台進行となった。一般的な商業舞台とも引けを取らず、動員数・クオリティとも、国内有数のコンテンツとなった。
 ただこれらの夜会楽曲、いわば壮大な組曲の一構成要素として生まれてきたため、単体での存在感が希薄であることも、また事実である。1シーンの心理描写を演技で説明せず、メロディを介したモノローグで表現するために作られたものが多いため、夜会未見のユーザーにとっては、そこだけ切り取られても、ちょっと分かりづらい。
 せっかく生み出した歌たちを独り立ちさせようと、みゆきは不定期に夜会楽曲をスタジオ・レコーディングし直し、新たな命を吹き込んでいる。
 「歌を自由にしてあげようとはじめた夜会だが、オリジナル曲は物語の場面に閉じ込められてしまった。それらを一曲の楽曲としても(翼で羽ばたくように)自由に聴いてほしかった」(『10wings』リリース時のコメント)。
 単なる劇中歌としてではなく、キッチリしたイントロと間奏、そしてアウトロをくっつけて体裁が整えられ、他の書き下ろし曲と並べられる。ひとつのアルバムの構成曲として、それらは新たな表情を浮き上がらせる―。
 でも、
 やっぱ、なんか違う。
 大きなリンゴから切り分けられた1ピースは、いくら切り口を揃えても、他のリンゴと重なり合うことはない。どこかいびつで、どこか味わいが違ってくる。
 夜会から育ったリンゴの味は、他の畑のリンゴとは、決して交じり合わないのだ。

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 『真夜中の動物園』は、この時期にしては珍しく、夜会楽曲を入れず、ほぼ書き下ろし新曲で構成されている。すごく厳密に言えば、楽曲提供やセルフ・カバーは入っているけど、シンガー・ソングライター:中島みゆきとして書いた楽曲をメインとしている。
 一応、フワッとではあるけど、「動物」をテーマとした楽曲が中心となっており、ユルいコンセプト・アルバムといった見方もできるけど、でも動物と全然関係ない曲も含まれている。何となく叩き台として、「動物がテーマ!」って設定してはみたけれど、いろいろ足したり削ったりしてみた末、こんな感じで収まっちゃったのだろう。
 なので、どの曲も相互的な関連性はなく、一話完結の独立した世界観で構成されている。要するに、「いつものみゆきのアルバム」ということなのだけど、その「いつも」が久しぶりと感じてしまうのは、やっぱ夜会楽曲の影響なんだろうな。
 俺的には夜会楽曲、「好きでも嫌いでもない」といった程度のもので、要はあんまり思い入れも少ない。あってもなくてもいいけど、でもやっぱ、いつものリンゴ畑の味を求めてしまう。


真夜中の動物園
真夜中の動物園
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1. 今日以来
 ずっと思っていたのだけど、これって曲調といいテーマといい、吉田拓郎「今日までそして明日から」からのインスパイア、またはアンサー・ソングなんじゃないだろうか。ザックリしたバンド・アンサンブルや歌い方も、拓郎リスペクトっぽい。
 「私は今日まで生きてみました」と、かつて拓郎は歌った。「時には誰かをあざ笑って 時には誰かにおびやかされ」
 40年近く経って、みゆきは歌う。

 「失敗ばかりの人生でした やることなすこと ヘマばかり
 後悔ばかりの人生でした 迷惑ばかりを散らかしました」

 40年経っても、人はそんなに変われない。結局、同じ失敗ばかりを繰り返す堂々巡り。
 「わからないまま生きて行く 明日からの そんな私です」
 わかりはしないけど、でも生きて行くしかない。拓郎はそう言っている。
 そして、みゆき。

 「もう愛します 今日以来
 愛されたがりは罪作り
 もう愛します 今日以来
 愛したがりになれるかな」

 最後が疑問形、それか希望。これだけ人生を重ねたって、強く言い切れない自分がいる。
 人なんて、そんなに変わらない。所詮、人もまた動物だもの。
 みゆきはそう言っている。

2. 真夜中の動物園
 終業ベルと共にスタートする、荘厳としたタイトル・ナンバー。

 「逢えない相手に逢えるまで 逢えない相手が逢いに来る」

 「夜」同様、みゆきにとっては永遠のライフワークとも言えるテーマを、正面から歌っている。アップテンポ時の力づくでもなく、かといって近年のバラード・スタイルとも違う、そう、80年代以前のご乱心期前のスタイルに近い。
 呪術的なカノン形式のダブル/トリプル・ヴォーカルは、漆黒の闇を浮き立たせる。
 
 「誰だい ヒトなんか呼んだのは
 流氷に座ってる
 あれは シロクマの親代わりだったヒトさ」

 この曲が発表されるちょっと前、ドイツの動物園で母熊から育児放棄されたホッキョクグマの人工飼育が世界的なニュースとなった。飼育係トーマス・デルフラインの献身的な介護により、子熊クヌートは無事成長したが、『真夜中の動物園』リリース後の2011年、池に落ちて溺死した。なお、トーマスは先立つ2008年、心臓発作で亡くなっている。
 時期的に、このエピソードからインスパイアされて製作されたものとされており、実際その通りなんだろうけど、何かと一筋縄ではいかない曲である。
 動物園とヒト、それらを象徴しているもの、または暗示しているものは何なのか?深読みしようと思えば、どこまでもできてしまう。

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3. まるで高速電車のようにあたしたちは擦れ違う
 ダブル・ヴォーカルの上、ハーモナイザーを強くかけた歌声、投げかけるようなスタイルは、流麗さとは別次元にある。アコースティック・セット中心のコンパクトな演奏がラフなヴォーカル・スタイルとマッチしている。

 「笑うことも 泣くことも その場限りのあたしたちだけど
 思うことも しゃべることも その場限りのあたしたちだけど」

 刹那的なメッセージはそこまで深読みするほどの濃さはない。なので、俺的な解釈だけど、俺世代よりもっと下、それこそモノノフ世代に向けて書かれたんじゃないか、と。何となく、ギャルっぽい歌い方って見方もできるし。

4. ハリネズミだって恋をする
 昔から文学でも音楽でも、「ヤマアラシ(ハリネズミ)のジレンマ」というのはアーティストにとって格好の素材であり、実際、手垢がつきまくっているので、今さら新たなアプローチというのは難しい。どうしても悲観的なアプローチになりかねないところを、ここではみゆき、カラッとしたラテン・スタイルのアレンジで過剰な悲壮感を回避している。
 まぁでも、みゆきがやる歌じゃないよな、このテーマって。

5. 小さき負傷者たちの為に
 回りくどい比喩や暗喩もなく、この上なくストレートなプロテスト・ソング。
 
 「言葉しか持たない命よりも 言葉しかない命どもが
 そんなに偉いか 確かに偉いか 本当に偉いか 遥かに偉いか」

 その言葉は、みゆき自身にブーメランとして返ってくる。自分はどっちの側だろうか。
 誰もが傷つかない言葉なんて、あるはずがない。あったとしても、それは誰の心にも響かない。そしてその言葉は、みゆき自身の心に最も深く刺さる。
 これからも誰かを傷つけるかもしれない。でも、言葉を持たない者のため、自分のために、これからも歌い続ける。そんな決意表明が、強く刻まれている。

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6. 夢だもの
 サビメロがはっきりした、ちょっと歌謡曲っぽいテイストのポップ・チューン。アウトロがちょっぴりスペクター・サウンドっぽいのも、どこかしら80年代。
 こじらせ女子の妄想が連綿と描かれ、ちょっとコミカルな歌い方なのは、真剣に歌っちゃうと泣いてしまうから、というのは聴き手側の妄想。こういったストレートな恋愛モノは、近年では貴重となった。

7. サメの歌
 ソリッドな歌謡ロッカバラード。サメの泳ぎを表現しているのか、演奏も躍動感があってライブ向き。

 「可笑しいことに なまものは後ろへ進めない
 なりふりを構いもせず 前へ向くようできている
 サメよ サメよ 落とし物の多い人生だけど」

 いちいち振り返るヒマもなく、こんなところまで来てしまった。とにかくがむしゃらに、前へ前へ進むしかない人生。多かれ少なかれ、誰だってそうだ。
 「人が落としていったモノを、ずっと後から拾い集めてゆく」。
 かつて、みゆきは言っていた。いまもそうなんだろうか。

8. ごまめの歯ぎしり
 「ごまめは小さなカタクチイワシを素干しにしたもので、この句では実力のない者のたとえとして使われている。 実力のない者が、やたらと憤慨して悔しがったり、いきりたつことをいう。 また、その行為が無駄であるということのたとえにも使われる」(故事ことわざ辞典より)
 知らない言葉だったので、一応。普段使うことわざじゃないよな。
 シャッフル・ビートに投げやりなヴォーカル、自虐的な歌詞ということで、「サーチライト」を連想する人も多いと思われる。
 人生も恋愛も何もかも、うがった見方とはすっぱな視点。皮肉と自虐にまみれた生き方に、満足してるはずがない。でも、どこにも行けない。そんなこじれた若さを活写した歌詞。
 昔は、これが中島みゆきの真骨頂だった。やろうと思えば、これくらいのはいつだって書ける。古いファンにとっても、すごく居心地がいいんだよ。
 でも、今はそれだけじゃない。みゆきはそう言っている。

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9. 鷹の歌
 かなり肩に力の入った、スケール感の大きいバラード。「フジテレビ開局55周年記念スペシャル・ドラマ『東京にオリンピックを呼んだ男』の主題歌として使用された」とwikiにはある。
 いや直球ストレートでいいんだけど、いわゆる「メディアが求める中島みゆき」「重厚感あふれるドラマ・映画のラストシーンに効果的に流れる楽曲」って感じなので、正直おなかいっぱい。ただでさえ近年の「糸」尽くしでファンは食傷気味なので、こういったバラードはあんまり受け付けなくなっている。

10. 負けんもんね
 アレンジのクレジットから見て、多分、1.と同じセッションでレコーディングされたと思われる、一応のラスト・ナンバー。ここで拓郎テイストはさらに強くなり、ていうか拓郎をみゆきが取り込んで、ハイブリッド化している。なんか笑っちゃうくらいノリにノッたみゆきのヴォーカルが印象的。転調の「ンがっ」とか「ンなっ」って力が有り余ってしまうところに、周到な計算と予測不能のライブ感がにじみ出ている。
 多分、拓郎なら「負けんもんね」とは言わないけど、みゆきなら言える。優劣ではなく、これが男と女の違いなんじゃないのかな、と思う。

11. 雪傘
 ここからはボーナス・トラック。別に海外仕様とかじゃないのに、CDでわざわざ明記するのは珍しい。みゆきとヤマハとの間で、何かしら駆け引きがあったのかしら。
 オリジナルは工藤静香、2008年リリースのシングルのカップリング。みゆきのセルフ・カバーの場合、大抵はオリジナルよりクオリティが高いことが多いのだけど、静香の場合になると、その評価は逆転する。
 俺的な好みもあるけど、ほとんどの静香提供曲は静香ヴォーカルの方に分がある。まぁクライアントに合わせてるわけだから、当たり前っちゃ当たり前なんだけど。なんでか「黄砂に吹かれて」も静香の方が好きなんだよな、俺。



12. 愛だけを残せ
 続くボーナス・トラックは、2009年の映画『ゼロの焦点』の主題歌。41枚目のシングルとして先行リリースされており、オリコン最高15位をマーク。9.のようにこぶしを握り締めて高く掲げている風ではないけど、これもまた「みんなが望む中島みゆき」の女神の面を強く出している。
 いい曲ではある。警句的フレーズは万人の心に刺さり、印象を残す。
 でも、それは決して深くは刺さらない。
 古くからのファンは、えぐり取るような言葉の棘を知ってしまっている。そういうことだ。



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みゆきさん、プロとしてのスタートを切る。 - 中島みゆき 『あ・り・が・と・う』

folder 1977年リリース、3枚目のオリジナル・アルバム。あまりパッとしなかった前作『みんな去ってしまった』からセールスは大きく飛躍、21万枚を売り上げてオリコン最高6位、年間でも26位にチャート・インしている。
 レコーディングのイロハもわからず、スタッフ丸投げでオケができあがっていた初期2作と違い、ここでは初めて前向きにスタジオ・ワークに参加している。とはいえ、アンサンブルに細かい指示を出すとか、コンソールをいじるほどではもちろんなく、アレンジャーを介して、抽象的な要望を伝える程度。そりゃそうだわな。
 もともと不満はあった。特別これといった理想像はなかったけど、あまりに歌謡曲に寄り過ぎたアレンジは、みゆきが望んだものではなかった。ムード歌謡っぽいシングル「時代」のアレンジにも、納得いってなかったらしいし。
 当時のレコーディング・スタジオは閉鎖的で、特に技術職であるエンジニアは、徒弟制度がまだ残っていた時代。デビューしたてのフォーク・シンガー、しかも女性がおいそれと口を出せる環境ではなかった。

 ほぼ同世代のユーミンは、キャラメル・ママ人脈の豪華なスタジオ・ミュージシャンを揃え、当時としてはかなり垢抜けたサウンドを構築していた。まぁこれは極端な例で、ほとんどの女性アーティストの作品は、もっと安直に作られていた。
 当時としてはハイソなレーベル・ポリシーだったアルファと違って、ヤマハのサウンド・ポリシーは保守的だった。アルファ村井邦彦のような、確固たるサウンド志向を持ったリーダーがいなかったため、洗練さでは明らかに見劣りしていた。
 すでにシンガー・ソングライターとしては、ほぼ完成されていたみゆきだったけど、この時点ではまだ「作って歌うだけの人」だった。アマチュア時代は、ほぼギター弾き語りスタイルだったみゆき、バック・バンドをつけての演奏に馴染むまでには、相応の時間を要することになる。
 ギターで弾き語ったデモ・テープをディレクターに渡し、オケを作ってもらう。気にいる・気に入らないは、この際、問題ではない。ていうか、みゆき自身でも、そのアレンジが楽曲に相応しいのかどうか、判断がつかないのだ。
 オケが出来上がると連絡が入り、スタジオへ向かう。準備は整っている。デモと比べて、多少メロディやキーが違ってても、今さら「直してくれ」とは言いづらい。なので、ディレクターに言われた通り、歌を吹き込む。
 何回かテイクを重ねると、OKが出る。ピッチを合わせることは難しくない。オケに対しテンポも合っている。
 -でも、なんか違う。
 何が違うのか、人に伝えるのはとても難しい。なので、言えずじまい―。
 そんなモヤモヤを抱えたまま、作業は進められてゆく。多少の直しとダビングが施され、レコードは完成、そしていつの間にリリースされる。
 モヤモヤは解消されることなく、また次に持ち越されてゆく。自分で作って自分で歌っているはずなのに、自分の歌という感覚が薄い。なので、深く想い入れが持てない。
 -以下、無限ループ。

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 当時のフォーク・シンガーのコンサートは、ソロ弾き語りスタイルが主体だった。パーマネントなバンド形式ではコスパが悪いため、ギター担いで独りドサ回りというのが、多くのシンガーが通ってきた道だった。
 みゆきもまた、デビューしてしばらくは、単身で地方の小ホールやライブ・ハウスを廻っている。ただ、移動距離の少ない関東圏内では、時々バック・バンドを伴ってのコンサートも行なっていたらしい。
 当時のみゆきのバックを務めていたのが、「エジソンと発明王」というユニット。いかにも軽音フォークっぽいネーミングが、どこか微笑ましくさえ感じてしまう。谷山浩子っぽいよな、イメージ的に。
 初期2枚のアルバムで演奏クレジットされている彼らだけど、多少でも俺が知っているのはベースの長岡道夫くらいで、他のメンバーは聞いたことない名前だし、検索しても情報が出てこない。言っちゃ悪いけど、みんな芽が出ず、裏方のままフェード・アウトしていったミュージシャンたちと思われる。
 ファースト『私の声が聞こえますか』とセカンド『みんな去ってしまった』で、同じエジソン名義ながら、構成メンバーが変わっていることから、どうやら非常にフレキシブルな形態だったことが窺える。固定したバンド・ユニットではなく、コンサートやレコーディングごとに招集されたミュージシャンたちの総称が「エジソンと発明王」という、何ともやっつけ的なネーミング。まぁシブ楽器隊みたいなものか。

 しょっぱなから「時代」と「アザミ嬢のララバイ」という、並みのアーティストなら役満級の楽曲を、すでに2曲も書いてしまったみゆき。ただ、ポプコン・グランプリの威光が通じたのも束の間、次第に扱いは地味になってゆく。
 ある意味、自虐的とも受け取れる2枚目タイトル『みんな去ってしまった』を地でゆくかのように、急激に増えたファンは急激に去ってゆく。悪く言えば歌謡フォーク的だったみゆきの歌は、もう古くなっていた。すでに時代のトレンドは、フォークからニュー・ミュージックへと移行していた。
 土着的かつファミリー体質のヤマハゆえ、旧スタイルのみゆきを切り捨てることこそなかったけど、その後のみゆきの成長戦略を打ち出せずにいた。旧世代フォークの誰も彼も、不器用ながらロックやポップスのエッセンスを取り込み、生き残りを図っていた。ただ、ヤマハ同様、販売委託していたポニー・キャニオンにも、そのノウハウはなかった。キャニオンがフィールドとしていたのは、歌謡曲の世界だった。
 歌謡曲畑のアレンジャー起用はそのあらわれだし、並行して始められた研ナオコへの楽曲提供も、その一環だった。どちらかが望んだわけではなく、いわば成り行きで受けたオファーではあったけれど、この出逢いが互いにとって、キャリアのひとつの節目になったことは間違いない。

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 研とのコラボレーションを手始めとして、その後、みゆきはちあきなおみや日吉ミミなど、主に大人の歌謡曲歌手への楽曲提供を行なうようになる。職業作家としてはまだ駆け出しだったため、コンペに敗れたり大幅に書き直したりなど、順風満帆とまでは行かないにしても、打率はそこそこ高かった。
 自分以外の歌い手を想定しての楽曲製作を通して、みゆきは言葉の表現テクニックを学ぶことになる。
 みゆきというフィルターを通して、又は第三者の歌い手を通して世界観を表現するためには、ある種の翻訳作業が必須となる。独りよがりの言葉では、大衆の耳を惹きつけることはできない。
 自身の過去の体験だけではネタも尽きてくるし、誰々っぽい感じの歌で書き続けても、すぐに底の浅さが露呈する。毎日刺激的なイベントばかりの人生なんてのは、ありえない。新しい歌を書き続けるために必要なのは、新たな経験ではなく、オリジナルの視点だ。
 拙い実体験や情景描写が主だった初期と比べ、『あ・り・が・と・う』からは、他者との意思疎通、または齟齬をテーマとした楽曲が増えてゆく。郷愁や疎外感は変わらぬテーマであることに変わりはないけど、歌謡曲のフォーマットをモチーフにすることによって、共感しやすい具象性が強くなっている。
 借りものではない、リアルな言葉は曖昧な音には馴染まない。深層から掘り出された言葉は、じっくり練り上げた音を希求する。
 エジソンたちの音は、もう必要ない。

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 アマチュア時代の蓄えで作られた初期2枚は、原石としての輝きを秘めている。秘めてはいるのだけど、結局のところは素人の延長線上に過ぎない。周囲のプロがどうにか形に仕上げた、アマチュアの習作だ。このままで行けば、多くのポプコン・アーティスト同様、泡沫的な存在としてフェード・アウトしていった可能性もある。
 『あ・り・が・と・う』を作るにあたり、みゆきはエジソンたちとの関係を解消、新たなメンツをスタジオに集め、積極的にサウンド作りに参加することになる。基本はみゆきのギターと歌を軸にしているため、アレンジといっても控えめなものである。ただ、歌はジャマしない程度、そしてベタな歌謡曲臭さはなくなった。下世話なホーン・アレンジは、みゆきの声にはあんまり合わないしね。
 しかし、参加メンツの濃さといったらもう。教授に吉田健だもの、なんでオファー受けたんだろ、この2人。


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1. 遍路
 空間的なプログレ感満載のイントロからして、これまでの歌謡フォーク調とは一線を画したアレンジ。聴くたびにいつもサイモン&ガーファンクルの「ボクサー」を連想してしまうのは、きっと俺だけじゃないはず。
 花をくれた人は体を壊して長期入院、ラブレターを送った相手には公衆の面前で読み上げられて恥をかく。その後もヒモ同然にたかられるわ軽口のお世辞を真に受けてしまうわで、恋愛であまりいい思いをしていない様を、淡々と綴る。重苦しく歌うとシャレにならない重い遍歴を、浮遊感漂うサウンドで包み込んでいる。このコントラストは正解だったんじゃないかと思う。

 帰ろうと言う 急ごうと言う
 うなずく私は 帰り道も
 とうになくしたのを 知っている

 行き止まりもあれば、回り道もある。でも、振り返る道はないこと、また戻る気もないことも、同時に示唆している。
 それでもまだ、信じていたい。そう思わずにはいられない。その気持ちが切れると、人は生きることさえやめてしまう。

2. 店の名はライフ
 北大正門近くに実在したという、喫茶店「ライフ」をモチーフとしたスローなカントリー・タッチのバラード。やはり教授のプレイが光る光る。多分、そんなにやる気もなかったんだろうけど、でもきちんとみゆきの新たな側面を浮き立たせるプレイとして成立してしまっている。才気煥発って、この当時の教授のためにあるような言葉だよな。
 ちょっと息を抜いたみゆきのヴォーカルも、一聴するとあっけらかんとしてるけど、案外細やかなテクニックも披露している。テーマに合わせて歌い方も変えるフォーク・シンガーなんて、そんなにいなかった。

 店の名はライフ 三階は屋根裏
 あやしげな 運命論の行き止まり
 二階では 徹夜で続く恋愛論
 抜け道は左 安梯子

 深読みすればキリがないけど、割とストレートに当時の状況を描写している。北大近くにあった藤女子大に通っていたみゆき、北大とも交流があったわけで、ピークは過ぎたけど、何かと物騒な時代だった。その後も「世情」や「ローリング」など、この時代を題材とした楽曲を世に問う機会がたびたび訪れる。そういえば、最近はないな。

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3. まつりばやし
 デビュー直前に亡くなったみゆきの父を主題とした、切ない感情を抑制して綴った楽曲。北海道民なら、ローカルCMで流れたことを記憶している人も多い。まつりの後の静けさや寂しさを、詞・曲とも重くなり過ぎずにサラッとまとめている。これがエジソン演奏だったら、もっとドロッとしたバラードに仕上げられていただろう。

 肩にまつわる 夏の終わりの 風の中
 まつりばやしが 今年も近づいてくる

 もうこれだけで、この曲すべての感情や情景が凝縮されている。去年までのまつりは、もう来ない。遠くから聞こえてくるまつりばやしは、いつもどこか切なさを含む。

4. 女なんてものに
 女性の立場の弱さについて、以前はどこか直接的な表現を避けていた(または書く術がなかった)みゆき、ここではきっぱり直接的な言葉で、男に対して意思表示を明確にあらわしている。これも歌謡界への楽曲提供を重ねた成果だろう。
 ひねりの少ない歌詞は、ダイレクトでインパクトが強い。アレンジもフォーク成分はほぼ皆無、純然たる歌謡曲といってもいいくらい。なので、もしかしてちあきなおみに書いたけどボツになった曲?と勘ぐってしまう。なのでこれ、ちあきなおみヴァージョンで聴いてみたいところ。もう無理だけど。

5. 朝焼け
 なので、教授が参加したボサノヴァ・タッチのこっちの歌詞の方が、洗練された仕上がりになっている。同じ歌謡曲タッチながら、教授のエレピが入るだけでアレンジの柱がしっかり立っている。アンサンブルに満足しているのか、みゆきのヴォーカルも余裕ありげ。つまんないオケを、情感たっぷりのヴォーカルで無理やりボトムアップすることもないので、艶立ちが違っている。
 サビのメロディが桜田淳子っぽいなと思ってたら、後年になってカバーしていた。

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6. ホームにて
 シンプルなアルペジオ主体の地味な小品ながら、ファンの間では根強い人気を誇る楽曲。「時代」や「わかれうた」のように誰でも知ってる名曲とは対極にある、自分だけがひそかに愛聴していると思ってたけど、その「自分だけ」の数がかなりの数にのぼるため、ファン投票すればかなりの上位に入ると思われる。
 穏やかな郷愁と憧憬を交えた、都会の喧騒に疲れた女性を描いているのだけど、シンプルな設定な分だけ、様々な解釈が成されている楽曲として、いまもいろいろな主張や意見が飛び交っている。「中島みゆき ホームにて」で検索すると、それぞれ思い思いの「ホームにて」が語られていて、なかなか興味深い。
 
 「ふるさと行きのキップ」を「空色の乗車券」と表現しているように、東京と比べて田舎の空は高く、とても青い。ふるさとでは、見上げれば青い空が見えていたけど、都会の空はいつも白っぽく、ビル街に切り取られて狭い。
 都会では、足元ばかり見がちだ。ふるさとの空なんて、どこにもない。でも、ふるさと行きの汽車がとても青く、かつての空の色を思い出した。ふるさとは遥か向こうだけど、この汽車はつながっている。そう思うと、キップさえ青く透き通って見える-。

 この曲を聴くと、そんな情景を思い描いてしまう俺なのだった。
 
7. 勝手にしやがれ
 淡々と紡がれるカントリー・タッチのゆるいメロディで歌われるのは、へそ曲がりの自己中女の独白。どうしようもなく好きなんだけど、でも面と向かえば素直になれず、ついついひねた言動を放ち、で、あとでちょっと後悔。「あんたのわがままが欲しい」とか言ってるけど、でもほんとは、わがままをきいてもらってるのは、自分のほうだった、と。別れてから気づいても遅いんだけどね。でも、変われないんだよな。

8. サーチライト
 昔の刑事ドラマのBGMに合いそうな、ちょっと気だるいムードのブルース。やたらノリのいいホーンがアクセントとなって、心地よいB級感を演出している。フラれて嫉妬に狂う女の情念は重いのだけど、軽快なブルース・サウンドがうまく中和している。
 同じメソッドで書かれたのが「わかれうた」であり、なので、この曲はプロトタイプと言ってもよい。

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9. 時は流れて
 ラストは7分に及ぶ長尺バラード。曲調やテーマによって、様々な表情を見せてきたみゆきだけど、ここではかなりの部分をさらけ出している。ヴォーカル・スタイルも、きっとこれがみゆきの素なのだろう。若干上ずり気味に、時々言葉を詰まらせる場面もあったりして、自己演出の部分はほとんどない。
 恋愛体質という言葉ができる前、70年代のみゆきはかなりこじらせた恋愛体質だったことは、この曲から窺える。常に誰か対象がいなければ、落ち着かない。それは、素の「中島美雪」だけでなく、アーティスト「中島みゆき」も同様だ。常に誰かに恋い焦がれていなければ、歌を作ることができない、と。
 この恋愛体質によるソング・ライティングはしばらく続く。それは精神的な安定とともに、アーティストとして生きていゆくための術でもあった。ただ、そんな生き方は日々の活力でもあったけれど、同時に心を削る作業でもあった。そんなやり方は、いつまでも続かない。
 張りつめた糸のテンションはピークに達し、そしてみゆきはもっと赤裸々な歌を吐露することで、そのメソッドを一旦捨てることになる。
 その歌は―、
 「うらみ・ます」。



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中島みゆき
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みゆき vs. ユーミンは、もう昔。 - 中島みゆき 『歌でしか言えない』

268x0w 1991年リリース、19枚目のオリジナル・アルバム。オリコン・チャートでは辛うじて1位を獲得してはいるけど、実売数は197,000枚と、なんとも微妙な成績。この時代は、80年代末から確変状態に突入したユーミンが圧倒的に強かったため、アルバム・セールスも社会的な影響においても、圧倒的に見劣りしてしまう。
 このアルバムと同時期にリリースされた『DAWN PURPLE』は、初回出荷時ですでにミリオン突破、ユーミンの新譜がどこまで記録を伸ばすかがニュースで取り上げられる、そんな時代である。日経のヒット商品番付でも顔を出していたくらいだから、こうなっちゃうともう、業界全体を巻き込んだ一大プロジェクト、ヘタなことはできない。
 そんな按配だったため、80年代初頭から喧々囂々されていた「みゆきvs. ユーミン」といった対立構造は、成り立たなくなっていた。そりゃそうだよな、戦うフィールド自体が違っちゃってるんだから。

 当時のユーミンは、単なるアーティストの枠を超えて、トレンドリーダーの一翼を担った存在になっていた。ちょうど日本の経済バブルと並走するように、ユーミンのセールスも飛躍的な右肩上がりの曲線を描いていた。
 作家の山田詠美に「電通音楽」と揶揄されていたように、この時期のユーミンのアルバムは、「作品」というより「商品」といったニュアンスで語られることが多い。膨大なフィールドワークやリサーチによって、F1層のニーズを分析・把握、クリスマス商戦を狙った各メディアへの大量出稿、「すべての男と女は恋愛してなきゃダメなのよ」的なキャッチコピーやキーワードが後押しする。
 アーティストとしての純粋な表現というよりは、「ひとり広告代理店」と化したユーミン主宰・恋愛教の布教活動といった感じ。クリスマスイブは、都心の高級ホテル最上階のディナー、カルチェの三連リングをプレゼントしなければ、人間扱いさえされない―。周到なプランニングに沿った巨大プロジェクトは、バブル景気に沸く一般庶民へ向けて、そんな刷り込みを行なったのだ。大げさに言っちゃえば、当時の日本経済を回す一翼を担っていたというか。
 ただこの頃になると、バブルも弾けて、景気もちょっと下降線に差しかかる。そんな景況とシンクロするかのように、ユーミンの作風も微妙に変化している。
 もともとユーミン、恋愛教祖としてミリオン連発する前は、『リ・インカネーション』(輪廻転生)をテーマとしたコンセプト・アルバムを作ったり、あのヒプノシスにアートワークを依頼したりなど、大衆性からかけ離れた作風の人である。大衆路線のアルバムが続いてマンネリになっちゃったのか、『DAWN PURPLE』はスピリチュアル寄り、パーソナルなテーマでまとめられている。
 この辺からユーミン、トレンドリーダーとしての気負いはなくなり、恋愛教を振りかざすことはなくなった。一介のアーティストとして長い目で見れば、それが得策だったことは、時代が証明している。あのまま行っちゃえば、時代に消費されて終わりだものね。

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 対してみゆき。
 従来のアルバム制作〜プロモーション・ツアーのローテーションに加え、夜会プロジェクトが大きな割合を占めるようになる。長年務めたオールナイトニッポンのパーソナリティを降板し、そのエネルギーを夜会制作へ振り向けた、とのことだけど、すぐにNHK-FMのミュージック・スクエアでラジオ復帰を果たし、その後も今に至るまで、マイクの前でおちゃらけ振りを披露している。過去のしがらみを捨て、心機一転の覚悟で夜会に挑んだのだろうけど、「やっぱラジオってライフワークだったんだ」と、現場を離れてから気づいたんだろうな。
 同じポジションだったはずのユーミンとは、セールス的にも大きく引き離され、贅を尽くしたライブ・パフォーマンスを横目に、みゆきはコンサートでも演劇でもない、夜会のコンセプト確立に腐心していた。近年こそ、しっかり構築されたオリジナル・ストーリーをベースに、多彩な共演者や、ユーミン顔負けのド派手な舞台演出が繰り広げられているけど、当時はまだ、コンサートとも演劇とも、どっちつかずのステージ構成だった。
 当初から茫漠としたビジョンはあったはずなのだけど、それがどうにも、思ってるような形にならない、または、何が足りなくて何が余計なのか、それを掴めずにいた、というのが正しいのかもしれない。
 もともとみゆき、そこまで器用なタイプではない。ご乱心期のサウンド面で見られた試行錯誤ぶりにも、それは顕著にあらわれている。
 机上の理論だけでは、物事は進まない。実際に体を動かし、これまでのフィールドとは違う分野の人間とディスカッションし、共に手を動かす。手間はかかるけど、そうしないと得られないものは、この世の中にはたくさんあるのだ。
 なので、迷走する期間もまた、彼女にとっては必要なプロセスだったわけで。

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 ライブ・パフォーマンス的な一過性のショウと位置づけていたのか、はたまたコンセプト自体が未完成ゆえ、みゆき自身が求めるクオリティに達していなかったのか、1989年に開催された初の夜会は、画質の悪い資料映像しか残されていない。
 当初掲げられていた「言葉の実験劇場」というコンセプトが、どこまで具現化できたかはみゆき次第だけど、その後も詳細に触れられることがないのは、きっとそういうことなのだろう。クオリティ云々より、まずは「始めた」ということが重要だった。
 そこで得た教訓、または改善点を検証し、ストーリーの肉付けに厚みを加えたのが、「夜会1990」になる。ここから映像作品として商品化されたため、見ている人も多くなる。俺自身、最初の夜会映像を見たのがこれだし。

 「夜会1990」では、みゆきの独白を主軸とした、現在と回想とが交差する散文的なストーリーが展開されている。物語と連動した楽曲があるかと思えば、場面転換として使われる場合もある。連続したストーリーに沿って進むのではなく、既存の楽曲をテーマとして着想が生まれ、それらをシームレスで繋いでいるといった構成なので、みゆき主演の短編映画をまとめて見ている感、と言えば伝わるだろうか。
 「既存の楽曲を、レコーディング時以外のアレンジで試してみたかった」という構想もあったため、不意を突く演出も盛り込まれている。カワイイ着ぐるみダンスをバックに歌われる「キツネ狩りの歌」や、自己批評とセルフ・パロディとが表裏一体化した「わかれうた」なんかは、「してやったり」と裏でほくそ笑むみゆきの表情が見えてくる。

 手探り状態でスタートした夜会は当初、通常コンサートのフォーマットをベースとして、緩やかな構成のストーリーに沿って楽曲をはめ込んで行くスタイルで製作された。なので、ステージ上には生バンドが配置され、舞台装置も極力シンプルなものに限定されている。
 このスタイルを掘り下げてゆくこともアリだったと思うし、回を重ねるごとに書き下ろしの新曲が多くなることも、自然の流れとしては十分あり得たはず。
 でもみゆき、「なんか違う」という気持ちが拭えなかったのだろう。
 コンサートでもミュージカルでも戯曲でもない、まったく別のスタイルの表現方法。
 夜会に足りないもの、それは、盤石として揺るぎない「ストーリー」、全編を貫く強い意志を持った「ものがたり」の不在だった。
 新しい形ではある。でも、充分ではない。
 それに気づいてしまったみゆき、ここまでで築き上げた夜会のコンセプトを一旦洗い直し、まったく違うメソッドを模索することになる。

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 多くのエネルギーが夜会へ注がれるため、自然、サウンド・メイキングは瀬尾一三に委ねられることになる。彼の存在なくしては、夜会もアルバム制作も、どちらも中途半端なものになったことだろう。
 『歌でしか言えない』は、みゆきにとって、初の本格的な海外レコーディングとなっている。これまでもミックスやマスタリングを海外で行なうことはあったけど、現地へ出向いてのセッションは、これが初となる。
 「みゆき自身によるサウンドへの希求が、海外のミュージシャンやスタッフのスキルを求めた」のかと思っていたのだけど、内実はもっと単純で、瀬尾がロスで他のアーティストのレコーディングにかかりきりのため、帰国のスケジュールが取れず、「じゃあ」ということでみゆきが出向いた、とのこと。案外、実務的な理由だったのね。
瀬尾の気分が乗ってたのか、はたまたみゆきのバイブレーションがあずかり知らぬ方向へ飛んじゃったのか、新機軸として、ゴスペル・コーラスを導入した楽曲が登場している。みゆきの曲で、ここまで強くソウル・テイストが打ち出されたサウンドは、後にも先にも存在しない。このスタイルのアプローチはこれ限りだったため、本人的にも瀬尾的にも、「なんか違う」と思い直したのだろう。リリースしてから気づくんだよな、いつも。
 そこまで極端な例は抜きにして、西海岸特有のボトムの太いサウンドやリズムのクリアさに出逢えたことは、みゆきにとって大きな収穫だった。そこまで音質にこだわりはなかったと思われるみゆきだけど、やはり実際のサウンドを目の当たりにしたことによって、要求レベルが格段に上がってしまう。なので、以降はロス録音が多くなる。

 このアルバム制作と並行して、新たな夜会の準備も進行する。新規巻き直しにあたり、みゆきは従来の短編集スタイルを捨て、太い幹の如く揺るがないコンセプトで貫かれた、強靭なストーリーを夜会の柱とした。
 中国の故事「邯鄲の夢」をモチーフとした「夜会VOL.3 KAN(邯鄲)TAN」。アルバム・リリース後のツアーより先に、みゆきは新たな夜会を選んだ。アルバム→ツアーのルーティンはここで崩れ、以降、90年代は夜会を中心とした活動にシフトしてゆくことになる。





1. C.Q.
 遠く、か細い声でふり絞られる、かすかな救援信号。
 一体、誰に向けられているのか。
 いや、相手は問わない。ただ、聞いてくれる者がいれば。
 そしてまた、ここに僕が、私がいるということを、世界中の誰かが気づいてさえくれれば。
 誰かを救う、または救われること、そんな大それたことはできないけど、気づいてあげること、手を挙げることくらいなら、まだできる。その意欲さえ失くしてしまうと、人はもはや人ではなくなる。
 長くラジオに携わってきたみゆきには、それが見える。リアルタイムで反応が返ってくるネット環境と違い、ラジオの場合、リアクションはすぐには返ってこない。でも、感じることはできる。
 1人のパーソナリティと、不特定多数のリスナーとの関係は、直接的ではないけれど、距離感は近く、そして深い。
 深夜のスタジオから、みゆきは言外に、こう語りかける。
 「誰かいますか?」。

2. おだやかな時代
 本文でも触れたように、大仰なゴスペル・コーラスが導入された異色ナンバー。サビだけ聴くと和田アキ子みたいだけど、正直、あそこまでのグルーブ感やパワフルさを求めるのは、さすがにお門違い。
 たまたま瀬尾がロスにいたし、ちょうどRita Coolidgeもブッキングできたし、せっかくならゴージャスにやってみる?てなノリでアレンジされたのかね。

 おだやかな時代 鳴かない獣が 好まれる時代
 標識に埋もれて 僕は愛にさえ 辿り着けない
 目をこらしても 霧の中 レールの先は見えないけど
 止まり方しか習わなかった 町の溜息を 僕は聞いている

 喧騒の70年代を過ごしてきたみゆきから見た、マニュアル世代の無気力ぶりを、多少の励ましを込めて描かれている。メイキング仕立ての大掛かりなセット使用のPVのイメージから、強い激励の歌と受け取られがちだけど、あくまでみゆきは傍観者、女神の視点で彼らを見守る。
 ちなみに初出は1986年のニュース・ステーション内の1コーナー、その主題歌として一部だけが公開され、ここで初めて完全版として音源化された、という経緯。
 当時の俺は高校2年、リアルタイムではあったけど、聴いた記憶はまったくない。報道番組や新聞をチェックする高校生が嫌いだったし、またそうはなりたくなかったのだ。いま思えば、ちょっと意固地だったよな。
 あぁ若かりし青き春の日々よ。

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3. トーキョー迷子
 シングルとして先行リリースされた、ちょっと懐かしいムード漂う、80年代初頭の歌謡曲テイストのナンバー。「あの娘」など、シングル・チャート常連だった頃のテーマと曲調は、郷愁さえ漂う。
 「男が帰ってくるの待っていたら、いつに間に5年も経っちゃった」という内容を、淡々と歌い上げている。さめざめと憐憫調に嘆くのでもなければ、開き直って笑い飛ばすのでもない。
 「そんな時代もあったよね」と言いたげな冷めた視点は、もう瑣末な愛だの恋だのに振り回されることのない、表現者としての重心の盤石さがにじみ出ている。

4. Maybe
 表現者であるみゆきの視点は、基本傍観者であり、詳細な観察者でもあるのだけれど、ここではそのスタンスとは違ったところ、がんばっている女性の背中を直接押す応援歌として描かれている。
 強くなりたい、また強くあろうとする女性を主人公に、旧態依然とした社会への孤軍奮闘ぶりを、時にミュージカル調の力強いタッチで歌い上げている。
 これまでのレパートリーの中では、大きな意味での応援歌として「ファイト!」が挙げられるけど、比喩表現を多用しないストレートな形は、これが初めて。表現者としての成長=女神の視点を獲得することによって、単なる傍観者ではいられなくなった、ということなのだろう。
 働く女性への具象的な応援歌となったため、ユーミンの守備範囲と大きくかぶってはいる。ただみゆき、その後はここだけには収まらず、あらゆる層へ抜けて包括的な慈愛を注ぐことになる。

5. 渚へ
 海外セッションによるレコーディングのため、ガラリと音色が違っている。ご乱心期にもこういったブルース・テイストのロック・ナンバーはあったけど、プロダクションが変わると、土台から音が変わってくる好例。
 アメリカ録音のメリットとしてよく語られるのが、乾燥した空気による楽器の音の響きの良さ、日本よりパワーのある120ボルトの電圧から生み出される音の太さが挙げられる。みゆきのように、生身のミュージシャン主体のレコーディングならまだ通用する話だけど、DTM主体の今となっては、主流のスタイルではなくなっているのが実情。海外はまだ需要があるけど、日本では次第にロスト・テクノロジー化しつつあるしね。
 「騙された」と頭ではわかりつつ、周囲には自嘲的に強がりを言いつつ、心のどこかではつい信じてしまう、というみゆき得意のフォーマットだけど、このパターンが使われるのも、次第に少なくなっている。
 まるでかつての自分をなぞっているような、妙な完成度の高さ。ある意味、みゆきとしてはステレオタイプの歌詞になっているため、サウンドのボトムの太さに気圧されている印象。

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6. 永久欠番
 リリースされた当時からいち早く、ファンの間でも名曲認定され、中学国語の教科書にも採用されるくらい話題になった、みゆきの死生観がストレートに描かれた曲。

 どんな記念碑 メモリアルも 雨風にけずられて崩れ
 人は忘れられて 代わりなどいくらでもあるだろう
 だれか思い出すだろうか ここに生きてた私を

 「永久欠番」の10年前、みゆきは老いというテーマで「傾斜」を書いた。

 歳を取るのは素敵なことです そうじゃないですか
 忘れっぽいのは 素敵なことです そうじゃないですか
 悲しい記憶の数ばかり 飽和の量より増えたなら 
 忘れるより ほか ないじゃありませんか

 この時、みゆき30歳。傍観者として描いた老後から10年、人生折り返しを経て、死というものがより身近になった。
 第三者としてでなく、当事者としてのリアルな目線、そして死生観。
 その後も折を見て、みゆきは思い出すかのように、このテーマに挑むことになる。

7. 笑ってよエンジェル
 オリエンタルなメロディが郷愁を誘う、懐かしさと親しみを感じさせる小品。前作『夜を往け』からのシングル・カット「with」のB面に収録されたのが初出で、このアルバムの中では最も先に世に出た楽曲でもある。
 ここではアルバム用に新たなアレンジで収録されており、ややハード目なサウンドだった前作のテイストはうまく払底されている。
 他愛ない言葉遊びを1曲分に仕立てた感じなので、深読みすることもない。同じ言葉遊びでも、「世迷い言」よりもっと軽くてポップ。ひと息つける曲としての役割を果たしている。

8. た・わ・わ
 直裁的なサビの歌詞が衝撃的だった、同性への強いジェラシーを活写したレゲエ調ポップ。「熱病」同様、ビート優先の曲なので、名詞の羅列が多く、みゆきとしてはラフなタッチになっている。
 どこまで作為的だったのか不明だけど、ここで描かれている女性、いわゆるイイ女っていうのが、すごいステレオタイプ。絵に描いたようなボディコン女性をイメージしてしまい、なんかリアリティに欠ける。もっと深読みすると、行間に何か浮き出てくるかもしれないけど、そんな感じもなさそう。
 ドラマや映画に出てくる紋切り型の美人より、ほんとに怖いのは清楚の仮面をかぶったメス。そっちの方がもっとゲスいのだけど。

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9. サッポロSNOWY
 『臨月』あたりに入ってても違和感なさそうな、とても切ない直球バラード。辛いこと・悲しいことを覆い隠すメタファーとして、みゆきは雪をテーマとして取り上げることが多いけど、ここでは珍しくロマンチックな、優しげな降り方。
 家や林を容赦なくなぎ倒す吹雪は、人命にもかかわってくるけど、ここで降る雪は感傷的。「暖かな雪」とは反語表現だけど、一周回って温もりを感じさせる。

10. 南三条
 Bruce Springsteen みたいなサウンドだよな、と思ってクレジットを見たら、ロス・セッションの楽曲だった。どうりで大味なアメリカン・ロック・テイストだと思った。ディストーション・ギターとキラキラしたシンセ、ソウルフルなコーラスとテンション高いサックスのブロウ。そんなバッキングに煽られてか、みゆきのヴォーカルも床に根を生やしたような安定感、太さが強調されている。
 当初からこういったアレンジを想定していたのか、比較的明快なストーリー仕立てとなっており、映像を想起させる言葉遣いが多用されている。当然フィクションなんだろうけど、普段多用されるレトリックや比喩が少なく、行間も詰まっているので、これ以上、解釈のしようがない。
 ファンやユーザーの思い入れの余地が少ないぶん、聴き流してしまう内容なのだ。重厚なサウンドとバランスを取って、敢えて言葉は軽く明快にしたのでは、とは深く考えすぎかな。

11. 炎と水
 で、ここまで比較的、ビギナーにも広く門戸を開いた「親しみやすい中島みゆき」を象徴した楽曲が続いたのだけど、ラストは、それらをすべてちゃぶ台返ししてしまう、長年のファンさえ置いてきぼりにしてしまう、そんな難解曲。ここまで観念的な歌詞は、「世情」以来なんじゃないだろうかというくらい、ヘビィな味わいに満ちている。
 単純に受け取ると、「炎の男と水の女、真逆でありながら惹かれ合わずにはいられない」。そんなジレンマや業を描いているのだけど、まるでギリシア神話のごとくドラマティックな筆致が、安易な解釈や理解を拒んでいる。
 みゆき自身、この曲についてはなかなか手こずるのか、ステージでは一度も披露したことがない。「うらみ・ます」同様、なかなか稀有なケースである。この曲だけで、夜会のシノプシス1本くらいの重量なので、今後、再演されることは難しいと想われる。






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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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