中島みゆき

好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

1曲ごとの独立した世界観が強いよね - 中島みゆき『夜を往け』

folder 1990年リリース、18枚目のオリジナル・アルバム。オリコン最高3位、17万枚という売り上げは、この時期のみゆきのアベレージに沿っており、本人的にもヤマハ的にも、またファンとしてもほぼ予想通りの成績。固定層をしっかりつかんでいたので、これだけあれば充分なのだ。
 本来なら年末リリースが恒例だったところを、初の試みとなる「夜会」の準備が不慣れなせいもあって順調に捗らず、すべてのスケジュールに大きな影響が出てしまう。ヤマハ的にもポニーキャニオン的にもリリース・スケジュールはすでに組み込まれており、単なるリリース延期では済まされない。この頃から既にみゆきはヤマハの屋台骨を支える役目を担っていたため、「何も出すものがない」というわけにはいかなかったのだ。
 そんなこんなで「とにかく何かリリースしなくちゃ」といった事情によって、苦肉の策として制作されたセルフカバー・アルバム『回帰熱』をリリース、どうにか窮地を凌ぐ。そのプロモーションを行なう余裕もなく、まるで年末進行の勢いで初の夜会公演全20回を完走、普通なら達成感の余韻に浸りたいところだけど、またまたそんな余裕もなくレコーディングを再開、そしてついにリリースされたのが、この『夜を往け』だった、という次第。あぁせわしない。

 一度世に出てしまった作品は、その時点で作者の手を離れ、受け取る人それぞれのものになる―。
 かつて、みゆきはそんな意味合いの言葉を残した。
 どれだけ自分がメッセージや主張を込めようとも、受け止め方というのは人それぞれである。もっと突っ込んで言えば、最初から先入観でガチガチに縛るのは、むしろ作品のためにならず、それは作者の傲慢に過ぎない。それを「作品やファンに対する責任放棄」という見方もあるけれど、そんな意見さえみゆきは真っ向から否定せず、ラジオから流れる奇声で笑い飛ばす。それが彼女の美学なのだろう。ケセラセラ。
 ―とは言ってもどの作品も、一旦は身を削り、奥底から搾り出すように、産みの苦しみを経て創り上げた、いわゆる子供達である。それらを体内から出してしまった途端、「はいサヨナラ」というのも、ちょっと酷だしドライすぎる。
 「過去を振り返らず前だけを見る」というのはカッコいい生き方ではあるけれど、人間、誰でもそこまで割り切れないんじゃないだろうか。そういったモノも全部含めて自分なんだろうし。

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 すっかり時の人になってしまったにもかかわらず、相も変わらずこぢんまりしたバンドを従え、世界中の中規模程度のホールを廻り続けるBob Dylan。もはや永遠に続くんじゃないかと思われるNever Ending Tour、今さら金だ名誉だで浮き足立つようなキャリアや年齢でもない。
 歌いたい歌を唄い、そしてその歌を求める者がいるのなら、どんな小さな場所にでも出向く。
 もはや「伝えたい」事柄があるわけでもない。歌うことがすでに業となり、それは身体の一部となっている。
 緻密な構成で完全パッケージ化された大方のベテラン・アーティストのライブと違って、Dylanの場合、その日によって何の予告もなく大幅にセットリストを変えたりすることで有名である。「Like a Rolling Stone」も「Knockin’ on Heaven’s Door」も、ステージではほぼ原形を止めぬほどアレンジされたりで、気分次第やりたい放題である。
 そういった行為は普通、マンネリ化を防ぐために行なわれるものだけど、Dylanの場合だと、ちょっと事情が違ってくる。彼の場合、レコードに定着した音源を完成形とするのではなく、常に本来の収まるべき形を探しあぐねているのだ。
 「記録として定着したものが完成形である」という考え方自体が偏ったものであって、そもそも何らかの媒体に記録されたものはかりそめのものである。その時は「これで完璧だ」と思ったとしても、時代が変われば解釈も変わる。その時の自分とは、通過点でしかないのだ。
 終わることのない探求と好奇心。
 完成形とはある意味相対的なものであって、決して絶対にはなり得ない。そんなことはDylanもわかっている。
 そしてまた、観客もわかっていることである。変化し続けるDylan、理想のサウンドを追い求めるDylan。
 いや、もうそんな次元も超越してしまっているのかもしれない。ミュージシャンであるということは、常にステージに立って歌い続けること―。
 ただ、それだけなのだろう。

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 Dylanに倣った訳ではないだろうけど、みゆきもコンサートにおいて別アレンジを披露していた時期もあった。まだ知名度も少なくバックバンドを雇い入れることもできず、ギター1本弾き語りでドサ廻りを続けた期間は別として、80年代に入ってからロック志向の強まった、いわゆるご乱心期は結構実験的なサウンドを試したりもしている。いわゆる従来モードの中島みゆきの自己否定、新規巻き直し的モードに突入していたのだけど、それでいながら固定ファン層への配慮も考えなければならなかったため、迷走具合が露わになっていた部分もある。

 大半のリスナーにとってコンサートへ行くのは年に一度か二度くらいであって、よほどの追っかけか政令指定都市在住でもない限り、そう頻繁に行けるものではない。ライブハウス規模のアーティストならまだしも、みゆきクラスになるとチケット争奪が高倍率となって、入手することだけでもひと苦労である。ファンクラブに入ってても、なかなか難しいのだ。
 それでもどうにか、やっとの思いで入手したチケットを握り締めてコンサートに参加したはいいけど、自身にとって思い入れのある楽曲が、まったく別のアレンジで演奏されるのを聴いて、ファンはどう思うだろうか。
 「新たな一面を見れた」と喜ぶ者もいれば、保守的な考えの持ち主なら「なんか違う」感を引きずる者もいるだろう。多分、後者の方が多いんじゃないかと思われる。インプロビゼーションやアドリブを見せ場として演出するバンドならまだしも、特にみゆきのような、思い入れの強いファンが多いソロ・シンガーの場合だと、あまり歓迎されない方が多い。

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 クリエイティヴィティを優先するのなら、ユーザーへの配慮よりクオリティを重視するのだけれど、アーティストとはいえ人気商売、そこまでは割り切れないものである。ご乱心時代でも、シングルは比較的まともな歌謡曲調のサウンドが多かったし、ヤマハを背負って立つ立場にいるからには、そこまで好き勝手もできないのだ。何だかんだ言っても日本的なメンタルのみゆき、何年かに一度、コンサートに参加してきてくれるファンは裏切れない。「中島みゆき」というエンタテインメント人格は、自分独りで勝手にいじれないのだ。
 とは言っても、アーティスティックな自分を押し殺して人気商売に徹すること。それだって、簡単に割り切れるものではない。湧き出てくる楽曲たちを操作することはできないのだ。売れ線であろうとなかろうと、それらは自らが産み落とした子ども達なのだから。
 じゃあどうすれば?

 一般的なリサイタルという形式ではなく、大枠のストーリーの構成要素のひとつとして、各シーンにふさわしい楽曲をはめ込む方式。そうすれば、ステージ進行としては自然だし、楽曲の新たな解釈も可能だ。これまでのマテリアルで足りなければ、そこの部分だけ新曲を入れることもできる。
 「コンサートでもない、演劇でもない、ミュージカルでもない、言葉の実験劇場」。
 そんなコンセプトを掲げて初開催となったのが、1989年の「夜会」である。文章から見てわかるように、ほぼ手探りの状態で立ち上げたプロジェクトのため、よく言えば実験的、意地悪く言えばどっちつかず的なスタイルで、見切り発車で始まったのだった。現在のようなカッチリ構成されたストーリー仕立てではなく、従来コンサートの延長線上、ほぼ既発曲のみせ構成され、曲間をオリジナル寸劇やエピソードで繋ぐという、多分みゆき的には黒歴史と化した仕上がりとなった。なので、この最初の夜会は資料映像以外にはまともな記録が残っておらず、アーカイヴでもあまりお目にかからない。
 コンサート・スタイルが強く出た公演だったため、後年のような演劇的要素は薄い。バンド・メンバーもステージ上に立って、時には寸劇に参加したりもして、ゆる~い演出である。ミュージカルと言えるほどのダンス・シーンもなければ、起承転結が明確な演劇でもない。コンサート臭は強いけど、これまでとは明らかにちょっと違う。
 そう言った既存スタイルからの脱却という点において、初の「夜会」のコンセプトは正解である。まぁみゆき的には恥ずかしいんだろうけど。

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 で、『夜を往け』。
 「夜会」準備と並行してのレコーディング作業だったため、断続的なスケジュールゆえ、曲調の統一感はあまりない。ただ、タッグを組んで今回で3作目となる瀬尾一三とのコラボが馴染んできたせいもあって、サウンドのトーンバランスに違和感は少ない。主題はほぼ全部、見事にバラバラだけどね。古典浄瑠璃から着想を得たモノもあれば、後の「夜会」的メソッドにつながるモノもある。
 ご乱心期のみゆきのアルバム制作は、アルバムのトーンを統一するため、コンセプトほど凝り固まったものではないけれど、絶対的なみゆき視点を通してのネガティヴな描写でまとめられていた。しかし瀬尾と組んでからのみゆき、いやどっちかと言えば「夜会」後のみゆきは、そのような統一感を「夜会」の主題に昇華させ、対してアルバムにおいては各章が独立した世界観を持つ短編集的な趣きで制作に挑んでいる。

 その「夜会」メソッドの方向性がまだ定まっておらず、「コンサートでもなければ演劇でもない、じゃあ何なの?」といった自問に確かな答えが見つかっていなかった時期である。「夜会」のフォーマットが次第に固まってきて、レコーディング作品としてうまくフィードバックされた最初の成果が『East Asia』なのだけど、そこに至るまでの過渡期にあたるのが、ちょうどこの時期である。
 あるのだけれど、アーカイヴの蓄積をチャラにして、新たな表現手段を模索していながらも、どの曲の主題も単体でアルバム1枚作れるほどの情報量と重厚さを有しているため、ちゃんと聴こうとする場合は、きちんとコンディションを整えておかないと返り討ちに逢ってしまうアルバムでもある。なので、正直一見さんにはちょっと敷居が高いアルバムであるのかもしれない。
 まぁあまり肩ひじ張ってると疲れちゃうので、好きな曲だけ選んで聴いてもいいんだけどね。別に頭から律儀に聴かずとも、好きな曲だけシャッフルして聴く方がすんなり入りやすいのが、このアルバムの特徴である。
 あ、でもそれってみゆきのアルバム全般に言えることか。


夜を往け
夜を往け
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中島みゆき
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1. 夜を往け
 アメリカン・ブルースなイントロに続く、大陸系の大味なギターロック。サビで連呼されるタイトル自体が直訳っぽいので、うまくスライドすればSheryl Crowの先取り的な展開もできたかもしれない。まぁ全曲これだったら、さすがに違和感ありまくりだけど。
 ラストのサビ前のシャウトはハードロック的なイディオムから来るものだけど、当たり前だけどこういった発声法は喉を痛めるため、長く続けられるものではない。勢いにまかせた唱法というのはこの時代まで。サウンドに重きを置いてるおかげなのか、言葉の使い方もどこか大味。「夢のかけら」だの「あの日の夢のようだ」だの、練り方がちょっと足りなさげ。でも、「ファイト!!」あたりのイメージが強いライト・リスナーには食いつきいいんだろうな。

2. ふたつの炎
 なので、次に来るこの曲の重厚な世界観が引き立つ、という見方もある。みゆきの場合、アルバム制作ごとに楽曲制作するというスタイルではなく、ほぼ日常的に楽曲の断片やらを紡ぐことが生活の一部となっている。この曲のメロディ・ラインや言葉の使い方など、新たなマテリアルではなく、70~80年代のストックなんじゃないかと思われる。
 都合の良い女と口先だけで体裁の良い男との関係性は、「恨み節」と称された頃の世界観と合致している。ある意味、中島みゆきのパブリック・イメージを象徴しているような楽曲ではある。ヴォーカル・スタイルも未練を引きずった感が強いしね。


3. 3分後に捨ててもいい
 その「恨み節」と並行してのみゆきのパブリックな印象として、「歌謡界との密接なリンク・相性の良さ」が挙げられるのだけれど、これなんかはその典型。古き良き歌謡曲的ヨナ抜きメロディ、テンポの良いサビなど、時代が違えば研ナオコに歌ってもらいたい楽曲でもある。
 
 3分後に捨ててもいいから 今だけ傍にいて

 「恨み節」時代なら、粘着的なタッチで搾り出すように歌い上げていたのだけど、ここでのみゆきはもっとアッケラカンに、それでいて強い女としての凄味さえ感じられる。

 恋と寂しさの違いなんて 誰がわかるのかしら

 これが負け惜しみ的に聴こえないのが、ご乱心期を通過した後のみゆきのしたたかさである。

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4. あした
 シングル・リリースから1年半経ってからのアルバム収録なので、リリース当時は今さら感がちょっとあったけど、90年代みゆきの代表曲のひとつとして、そして俺の中のみゆきのベスト10に常に入る鉄板ナンバー。当時KDDIのCMで流れた際、楽曲と映像とのリンクが絶妙で、しばらくヘビロテ化していたことを思い出す。
 そう思ってるのは俺だけではないらしく、リリースから4半世紀経った今でもカラオケ界隈では根強い人気を誇っており、そう考えると当時のオリコン最高18位はちょっと低すぎるぞと言いたい。
 
 もしも明日 私たちが 何もかも失くして
 ただの心しか持たない やせた猫になっても

 抱きしめれば2人は なお遠くなるみたい
 許し合えば2人は なおわからなくなるみたいだ

 何もかも 愛を追い越してく
 どしゃ降りの 一車線の人生

 説明的な言葉は何もない。「やせた猫」?「一車線の人生」?様々な解釈はあれど、みゆきは決して説明しない。解釈なんて人それぞれだ。ただ、それぞれの言霊の力は強く、そしてズシンと響く。
 こういった曲を時々サラッと歌ってくれるから、我々はみゆきから目を離せないのだ。



5. 新曾根崎心中
 みゆきとしては珍しく、年下の男を諭す成熟した女性の立場から描いた、何かとエロティシィズムを想起させる楽曲。近松門左衛門の曾根崎心中からインスパイアされたのだろうけど、男女の心中を題材としてイマジネーションを膨らませていると思われる。男と女の情念を具現化しているためかサウンドもハードで、こういったネチッこいギター・ソロはやっぱり今剛だよな。

6. 君の昔を
 こちらもアルバム制作時より少し前、ご乱心期の『miss M.』っぽいテイストが漂う楽曲。フックの利いたサビが歌謡曲と相性が良さげなので、この辺も誰かカバーしてくれないかな。近年、みゆきのカバーと言えば工藤静香と相場が決まってるっぽいのだけど、彼女には合わなそう。案外、一青窈あたりが歌ってくれたら合いそうなんだけどね。
 対象を愛しすぎるがあまり、自分と逢う前の昔の彼の姿、そして過去にすら嫉妬を覚える女。口調こそ軽やかで淡々としてるけど、その裏で唇を噛みしめていることを象徴するかのように、ギターの響きはカン高くヒステリックだ。

7. 遠雷
 イントロがまるで永ちゃんの「Somebody’s Night」。と思ったら歌い方も女永ちゃんだった。
 この時期になると「恨み節」「色恋沙汰」的な楽曲は少なくなっており、恋焦がれて狂い悶える女の情念を見せることは稀となっている。以前はこういった曲のオンパレードだったのだけど、旧来のパブリック・イメージはやはりこんなものなのか。
 「このままでいいじゃないか」という男のセリフから始まるように、歌詞世界はどこか第三者的、短編小説のような冷静さを感じ取ってしまう。感情移入が過ぎると情念ばかりが前に出て、肝心の言葉は霞んでしまう。言葉を引き立たせるため、ヴォーカルは少し息を抜いている。
 「ガレージの車には違う口紅がある」。これじゃネガティヴなユーミンみたいじゃないの。もっと違うフレーズがほしかった。

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8. ふたりは
 このアルバムだけではなく、これまでのみゆきの楽曲パターンにはなかった実験作。俺的にはリリース当時、演劇的な空間設定がちょっと苦手で、この曲は飛ばして聴いていた。今も正直、それほど聴きたくなる曲ではない。考えてみればそうだよな、日常的に聴きたくなる、BGMにしたくなるような楽曲ではない。
 リリース当時は20歳前後だったせいもあって、こういった世界観がピンと来ず、なんでこんなテーマなんだろう?と避けていたのだけど、アラフィフになってから久しぶりに聴いてみて、ついでに世良正則とデュエットした『10 Wings』ヴァージョンも合わせて聴いてみて、俺なりに思ったひとつの結論。
「あ、これって「恨み節」の反対の世界観の「その後」じゃね?」

 70~80年代のみゆきが描く恋愛観は、総じてアンハッピーエンド的展開のものが多かったのだけど、ひとつの仮定として、もしその恋愛が実を結んだとしたら?
 例えば、誰にも祝福されず報われない愛を、周囲の反対を押し切って駆け落ち同然に「異国」へ2人旅立ち、そして共に暮らす。力を合わせて苦難を乗り越えた絆を強く、最初のうちはうまく行く。でも、過去の何もかもを捨てて一緒になった2人、その閉じられた世界は、長く続けば続くほど、居心地の良いものではなくなってゆく。
 当初の甘い蜜月はどこへやら、登場人物2名の空間は次第に荒んでゆく―。

 強烈にデフォルメされた悲劇的なフィクションは、突き抜けると寓話的な様相を呈する。重い主題は、軽やかなシャンソン・タッチによって陰鬱さを薄めている。ここでのヴァージョンは習作的な響きとなっており、世良正則のワイルドネスが添加されることによって完成形を見る。

9. 北の国の習い
 で、こちらの寓話はもっと軽やかに、ついつい口ずさんじゃったりしそうな民謡タッチのメロディなのだけど、歌詞は結構毒が散りばめられているので注意。北の国の女はすぐ離婚するだの男を見捨てるだの吹雪の夜に閉じ込められて排気ガスで窒息死するだの、ネガティヴな事象をカラッとした口調で寓話的に紡ぎだしている。こういったのもみゆきの真骨頂である。「キツネ狩りの歌」の続編的な扱いとなっている。

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10. With
 高らかに反戦と掲げているわけではないけれど、大きな母性からの視点をもって、せめて目の前の「君」と一緒にいたいことを表明した、男女の色恋沙汰を超越した地点で描かれた楽曲。8.同様、時代や空間設定が曖昧で寓話的なので、散文的な歌詞ではあるけれど、普遍性を持った言葉の塊が投げ出されている。サウンドもメロディもヴォーカルもすごく優しく丁寧なのだけど、言葉は相変わらず何の説明もなく、ゴロンと投げ出されたままだ。
 程よい距離感の慈愛に満ちあふれた言葉たちはどれも魅力的で、全部は書ききれないけど、

 誰だって 旅くらい ひとりでもできるさ
 でも、 ひとりきり泣けても
 ひとりきり 笑うことはできない

 この言葉に一番心打たれた、当時20歳の俺。その頃の感受性は、たぶん今もそんなに変わらないのだろう。




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よそ行きの服に隠された裸のみゆき - 中島みゆき 『おかえりなさい』

folder 前作『親愛なる者へ』から8ヶ月のインターバルでリリースされた、みゆきにとって初のセルフ・カバー・アルバム。それまではほぼ1年前後の間隔を空けて制作していたので、なんでこんな中途半端な時期にリリースされたのか、何かしら心境の変化かヤマハ的な事情もあったんじゃないかと思われる。
 俺的に考えられるのが、このアルバムの次にリリースされるのが、あの『生きていてもいいですか』。初期のみゆきの代表作であり、またみゆきの剥き出しの部分、ダークサイドを露悪的に描いた傑作である。いくら稼ぎ頭の筆頭とはいえ、あまりにプライベートでダウナーなコンセプトに、ヤマハ的にはリリースに乗り気ではなかった。みゆき的にもこれまでのルーティンとは違って、ある意味自虐的なファクターを深化させてゆく作業のため、制作状況は遅々として進まなかった。
 気分転換に、すでにある程度の認知を得ている楽曲を歌い直すこと。みゆき・ヤマハの双方にとって、利害関係が一致した瞬間である。

 で、「すべて既発表の他人提供曲の逆カバー」というアルバムを最初に作ったのは誰なのか。wikiで調べてみると、どうやらみゆきがこのジャンルの先駆者になるらしい。
 1978年にさだまさしがリリースしたアルバム『私花集』は、純粋なアルバム書き下ろしと、山口百恵提供曲のセルフカバーというスタイルで構成されていたけど、まるまる全曲ではない。そもそも、自作自演がモットーのフォーク系シンガーソングライターが、アルバムとしてまとめることができるほどの楽曲提供を行なっていたことが異例であり、あらゆる面において特異なものだったことは想像できる。

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 そんな楽曲提供に加えて自分用の楽曲制作、さらに恒例となっていた春・秋の全国ツアーも並行して行なっていたのだから、もう何か憑りついていたとしか思えないくらいのワーカホリックぶりである。いやほんと、自分じゃどうしようもない「業」なんだろうな。
 「業」というのは「気分が乗らないから」「どうしても時間が取れないから」でやる・やらないという類のものではなく、ほんと急き立てられる使命感のようなもので、自分の都合がどうしたとか、そんなのは問題ではない。「やらざるを得ない」のだ。
 ただみゆきの場合、楽曲制作という点に絞って言えば、それが「業」であるがゆえ、すでに生活の一部となっている。なので、一般的なアーティストがぶち当たる「産みの苦しみ」とはいささか趣きが違っている。
 もともとオファーを受けてから、一から十まで一気呵成に仕上げるタイプの人ではない。普通のアーティストにとっては非日常的な作業である「曲を書く」といった行為が、みゆきの場合、それはごく普通の生活の一部である。朝起きて歯を磨いたりパスタを茹でたり、印鑑証明を取りに役所へ出向いたりTSUTAYAの会員カードの更新など、そういった何の変哲もない生活の一部に組み込まれている。そうして書き溜めた詞曲の断片やらコード展開をしこたまこさえており、あとはオーダーに応じて組み合わせたり引き延ばしたり、またはバッサリ枝葉を刈り落として、要望通りの作品に仕上げる、といった流れ。
 提供者のメッセージやニュアンスをダイレクトに反映させるのではなく、みゆきが創り上げた「みゆき的宇宙」に、波長が合うアーティストが合わせるといったスタイルなので、親和性は高い。まぁあまりチャラチャラしたアーティストとは反りが合わなさそうだし。

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 多彩なテーマを取り上げている現在と違って、初期のみゆきが創り上げる世界観の彩りは単色で、もっぱら色恋沙汰、基本は1体1の男女間の虚ろな感情と彩とが主題となっている。これは時代性も関係しているのだけど、基本、女性主導で男性をリードする主人公ではない。昭和のメンタリティーに則したマイノリティである女性を取り上げている。それがみゆき自身だったのか、それとも友人知人の恋愛体験をベースとしたものなのかは別として。
 ただ、自分の半径5メートル程度で繰り広げられる体験だけでは限界がある。誰しもそんなに毎日、ドラマティックな体験ばかり遭遇するわけではないのだ。たとえ仮想体験をベースにしたとしても、そもそも人ひとりがゼロから創り上げるキャパには限界がある。作風に広がりと奥行きを出すため、そこには新たな視点が必要になる。
 初期のみゆきが恋愛以外のテーマを取り上げた作品は、ホント数えるくらいしかない。しかもその仕上がりも、無理やりキャパを広げようとしたあげく、習作的なレベルに留まっている。特に「わかれうた」があれだけ売れてしまったため、どうしても同傾向のテーマのオファーが続いてしまう。
 同じ色恋モノでも、自分以外を主人公に、要は歌い手を自分以外に想定すれば、また別のアングルが生まれる。「幅を広げる」という意味で、他シンガーへの楽曲提供は、ソングライター中島みゆきにとって、結果的に大きな転機となった。

 その実験対象として、最初期に大きな成果を上げたのが、研ナオコということになる。もちろん、誰でもいいと言うわけではない。まったく同じ個性だったら意味がないけど、ある程度世界観を共有できて、しかも作者の意図をきちんと理解して表現できるシンガーという面において、研ナオコは最適の存在だった。
 研ナオコを介したマスの大衆とコネクトすることによってみゆき、自分と他者との世界観との擦り合わせを行ない、やがてそれはヒットを記録、大人の歌手として脱皮した研ナオコ同様、みゆきもまた一般性を得ることになる。
 「だから、半分ぐらいは彼女がいたから書けた。彼女があたしの歌をひっぱり出したってことだと思うね。あたしはあたしのこととして書いたつもりだけど、でもそこに彼女がいて、それが引っぱってるって感じね」。

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 そういった側面から、研ナオコへの一連の楽曲提供は、双方にとって得るものが多かった。
 彼女とのコラボが始まった頃、みゆきはインタビューでこう発言している。
 「頼まれたから書いたけどね。でも、彼女に合わせてってのはできないんだよね。作曲法とかきちんと知らないし、音程とかを歌う人に合わせるなんてね。あくまでも乱暴な作り方をしてるから、合わせて作るなんてまで知恵がまわらないのよね」
 デビューしてまだ1年も経っていない新進ソングライターと、コメディエンヌとしての評価が先行していたシンガーとの仲を取り持ったのが、田辺エージェンシーの田邊社長。スパイダースのドラムの人、と言えば古い人には通じるはず。ていうか、俺も現役当時は知らないけど。
 今も芸能界の重鎮としてその名を轟かせる彼の慧眼だったのか、はたまた思いつきだったのかはともかくとして、相反する二面性を持つ二人だったからこそ、この2人は波長が合い、コンビとして成立したのだろう。
 吉田拓郎がキャンディーズに、また、さだまさしや谷村新司が山口百恵に楽曲提供したりなど、シンガー・ソングライターが歌謡曲フィールドへ進出する例は、あるにはあった。あったのだけど、それらは大抵ワンショット契約の単発で終わる場合が多く、みゆきのようにアルバム片面丸ごとを製作するほど深く関与することは極めてまれだった。

 デビュー当初から独自の世界観を有していたみゆき、その個性は同世代のアーティストと比べても抜きん出ていた。何しろデビュー前から「時代」や「傷ついた翼」など、並みのアーティストなら一生かかっても書けるかどうかのクオリティの作品を創ってしまう人である。しかも、それがビギナーズラックではなく、デビュー40年以上経過した現在も安定して高水準の作品を世に送り出しているのだから、そのポテンシャルは尋常ではない。
 ただ、その言葉の鋭さは時に、抽象的かつ内寄りの言葉に偏り過ぎてしまうきらいがある。内輪のフリークの間だけで通ずる言語は、どこか他者の理解を拒む。
 70年代のみゆきのフォロワーに、哲学者や文学関連の人間が多かったのも頷ける。その言葉の礫は、プロの言葉の使い手よりも巧妙で、しかも作為よりリアリティが上回っていたので。
 まぁ知ったかぶりも多かったんだろうけどね。

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 この時期にもうひとつ、特筆することが「オールナイト・ニッポン」月曜一部のパーソナリティ就任。前任者松山千春よりバトンを受けての形で、多分本人もこれだけ長く続くとは思ってなかったんじゃないかと思われる。どちらにせよ、8年の長きに渡って続けられたのは、単純にすごいことである。
 基本、フォーク/ニュー・ミュージック歌手のラジオといえば、トークがずば抜けており、前説レベルの芸人ならとても太刀打ちできないほどのスキルを有している。谷村新司もさだまさしも、歌とはまったく別のキャラクターを演じて、毎週マイクの前に座っていた。
 みゆきもそういったフォークの伝統に則って、ラジオではほんと別人格のようなキャラクターで話題になった。その落差は大きく、一部ではみゆきは一卵性の双子である、というまことしやかな噂も広まった。ただしこれはアンチみゆき派による冗談半分デマ半分で、実際のところはみゆき本人にしかわからないだろう。
 まぁどっちがどっち、ほんとの人格を見分けられること自体ナンセンスで、どっちもほんとのみゆきであることには変わりない。長年のファンだったら誰でも知ってることである。
 番組に寄せられたハガキはネタから心情吐露から幅広いものがあり、そこから普通の人々の普通のライフスタイルに触れることができた。仕事の忙しさのピークの最中だったみゆきにとって、そのささやかなインプット作業は、さらに独自の価値観・人生観を広げ深めていった。
 ただ、そこで触れたエピソードをそのまま作品に転化するような行為はない。よく「ファイト!」がリスナーのハガキを元に作られたものだと噂されており、確かに着想くらいは得ているはずだけど、単体のエピソードをそのまま引き延ばした形にはなっていない。きちんとアーティスト中島みゆきのフィルターを通し、複合エピソードをこねくり回した形で作品に仕上げている。
 そこはアーティストとしての矜持である。


おかえりなさい
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中島みゆき
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1. あばよ
 1976年リリース、研ナオコ12枚目のシングル。彼女にとって最大のヒット曲となり、ソングライター中島みゆきの知名度を上げた記念碑的な楽曲。コメディ円ぬとして出演した彼女のCMを見たみゆき、「あれだけ人を笑わせることができるんだから、泣かせることもできるんじゃないか」と思い立ち、書き上げたとのこと。
 アレンジのタッチはオリジナルに準じており、ヴォーカルも重なり合う部分が多い。
 サビがクローズアップされがちだけど、いつも気に留めてしまうのはこの部分。

 あとで あの人が聞きつけて ここまで来て
 あいつ どんな顔していた と たずねたなら
 わりと 平気そうな顔してて あきれたね と 
 忘れないで 冷たく答えてほしい

 男への負け惜しみを、誰に向かって吐き出しているのか?
 多分、そんな想いをさらけ出せる友も知人もいないのだろう。そう考えると、途轍もなく寂しい歌だというのがわかる。



2. 髪
 アルゼンチン出身の歌手、グラシェラ・スサーナのシングル「さよならの鐘」のB面に収録。Youtubeでオリジナルを聴いてみたところ、オリエンタルに拙い日本語が「なんか違う」感を強く漂わせている。
 「わかれうた」から連なる恨み節仕様の楽曲は、当時のみゆきのステレオタイプ。歌謡曲にパワーがあった頃の産物である。

3. サヨナラを伝えて
 研ナオコのアルバム『かもめのように』収録曲。なぜかアレンジは鈴木茂。この人は器用貧乏的なところがあって、この時代はティンパン関連でギターを弾く他に、歌謡曲畑のアレンジも結構請け負っていた。堀ちえみなんかもやってたよな、確か。
 手慣れたサンバ歌謡チックなアレンジは、ベタな歌謡曲テイストの歌詞とイイ感じにマッチしている。なぜかドスの効いたヴォーカルを響かせるみゆき。

4. しあわせ芝居
 桜田淳子への提供曲で、初期の代表作。彼女にとっても大人の歌手への脱皮を果たせた楽曲であり、いいタイミングで転機となる曲に巡り合えた。同じくアレンジは鈴木茂。
 とっくの昔に切れているはずで、周りもみんなわかっているはずなのに、どこか認めたくない自分がいて、しかも煮え切らない態度でいつも通り接してくれる男につい寄り添ってしまう女…。初期のみゆきは執拗にその女をモチーフとしている。
 時代は前後するけど、このシチュエーションは「怜子」に引き継がれ、「BGM」で取り敢えずの帰結点を迎える。

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5. 雨…
 1978年、小柳ルミ子に提供。アレンジは後藤次利。ここでの後藤はシャンソン・シンガーとしてのみゆきを最大限盛り立てる脇役に徹しており、シンプルなピアノ・アレンジを中心としたウェットなサウンドを展開している。
 こうやって聴いていると、「雨」というワードは便利だよなと思ってしまう。どうしたってもの悲し気になってしまうもの。

6. この空を飛べたら
 加藤登紀子に提供された楽曲で、恐らく初期みゆきレパートリーの3本の指に入るほどの傑作。アレンジ、ヴォーカル、表現力ともすべてがハイスペック。
 「加藤登紀子」という全共闘世代のアイコンという背景から、どうしても「時代」と同じ解釈をされることが多いのだけど、まぁ俺もそんな気はする。深読みすればキリはないけど、音に刻みつけられた言葉たちは、あらゆる視点を受け入れる。

 凍るような声で 別れを言われても
 凝りもせずに信じてる 信じてる

 この最後の「信じてる」の響き、希望と諦念とが入り混じった、何とも言えぬ感情のほつれ。初期のみゆきの儚さがここに凝縮されている。



7. 世迷い言
 1978年、日吉ミミへ提供、みゆきとしては珍しく曲のみの提供。歌詞だけというのはその後もいくつかあるのだけど、曲だけというのは、俺が知ってる範囲では多分これだけなんじゃないかと思う。
 作詞は当時、脂が乗りまくっていた阿久悠。この組み合わせとなった経緯は不明だけど、正直、語呂合わせのような内容なので、別に誰でもよかったんじゃね?とは俺の独断。でもこれ以降、このタッグでの仕事はないので、双方、記憶にあるかどうかも定かではない。

8. ルージュ
 ちあきなおみに提供された、こちらも代表曲となっている。90年代にフェイ・ウォンがカバーしてアジア圏でヒットしたのは記憶に新しい。聴いたことあったっけ?と思ってyoutubeで聴いてみると、やっぱり記憶にあった。こうして聴いてみると、中国語との親和性が高いよな、みゆきのメロディーって。ちなみにオリジナルは比較的淡々と歌っているのだけど、程よい情感がこもって良さげだったのが、藤あや子。

 生まれた時から 渡り鳥もわかる気で
 翼をつくろうことも 知るまいに

 20代半ばでサラッとこんな言葉を書けてしまうところに、みゆきの底深さを痛感してしまう。
 
9. 追いかけてヨコハマ
 後藤次利の洒落っ気とみゆきのお茶目さとがうまくシンクロした、珍しく時代性を思わせてしまう快作。だってインベーダー・ゲームだもの。40代以下にはまったくリアリティのないSEだよな。時流としてYMOが流行っていたから、という注釈をつけておかないと、ちょっとわかりづらい。



10. 強がりはよせヨ
 ラストはやっぱり研ナオコ提供曲。イントロのアレンジがPink Floyd『The Wall』のオープニングっぽく、壮大なメロディック・ハードが始まるかと思いきや、歌に入るとアコギの3フィンガー。その落差を楽しむのもまた一興。
 
 生意気を言うな と 笑ってよ
 「ひとりが好きなの」と 答えたら
 それなら この俺の行く当てあれを
 どうして尋ねると 問い詰めて

 感情の齟齬が露わになった男と女。もはやどこまで行っても入り混じることはない。
 なのに、どこかで重なり合う部分がある、と信じたい2人。
 いや、ほんとは相手が自分以外の他人と交わるのが癪なだけだ。「相手の幸せを願って」なんて、そんなのは嫌われたくないための方便でしかない。




 思えば研ナオコ、シリアスなみゆきの世界を歌いながら、同時期にテレビでは、志村けんとのコントや『カックラキン大放送』でぶっ飛んだキャラクターを演じていた。そのギャップはみゆき以上のものであり、そしてどちらも研ナオコの素顔である。


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みゆきさん、3枚目の歌い直し - 中島みゆき 『回帰熱』

6a013485c1c820970c013485c1d5ca970c-640wi 1989年リリース17枚目のアルバム。『おかえりなさい』『御色なおし』に続くセルフ・カバーという体裁を取っており、全曲既発表でありながら、オリコン最高2位21万枚のセールスを記録しているのは、やはり固定ファンの多さによるもの。こういった企画ものでもある程度の収益が見込めるアーティストはなかなかいない。ていうか、他人への楽曲提供って難しいし。そういったある意味めんどくさい作業を、現在に至るまでコンスタントに行なっているアーティストというのは、考えてみればみゆきくらいしか思い当たらない。

 このアルバムがリリースされたのは11月だったのだけど、特記することとして、この年末にみゆき、初めての「夜会」を開催している。改めて説明すると、「コンサートでもない、演劇でもない、ミュージカルでもない言葉の実験劇場」が当初のコンセプト。アルバム→ツアー→アルバム、といったルーティンの音楽活動だけでなく、通常のコンサートにシアトリカルな要素を加味した総合芸術を志向していたのが、当時のみゆき。志は高かったのだけど、基本は散文的なストーリー展開に既存曲をはめ込んでゆく、という思考錯誤の跡が窺える構成になっている。理想と現実とのギャップに愕然とすることによって、次第に「夜会」仕様のオリジナル楽曲・ストーリーが増えてゆくことになるのだけど、それはまだ先の話。まずは一歩、違う方向へ踏み出すことが重要だった。
 そんな経緯もあって、この時期のみゆきはもうめちゃくちゃな忙しさ。身体的にはもちろんそうだけど、精神的な部分、何となく形に現れているはずなのに、それを現実化できないことのもどかしさ。歌なら自信がある。通常スタイルのコンサートで観衆を惹き込むことだって、みゆきのキャリアなら充分可能だ。
 でも、それは何度もやってきたことだ。
 あとはただの反復作業。自身としては、新鮮味が薄れかけている。
 もちろん、歌だけを聴きたい人だっている。それはそれで続けなければならない。
 でも、いまやっておきたいのは「これ」なんだ。

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 アルバム・リリースのスケジュールはすでに確定しており、納期は迫っている。でも、物理的に体がいくつあっても足りない。それよりも焦るのは気持ちだ。やらなきゃいけないのはわかってる、でも今から新しい楽曲を書き足すのは、とても無理だ。
 当初、リリース予定の作品は、この次作にあたる『夜を往け』だった。ある程度のコンセプトや楽曲はできていたけど、充分に練り込む時間がなかったこと、またフルアルバムにまとめるには曲数が足りなかった。曲のストックはいくつかあるけど、コンセプトにマッチするモノはほんのわずかだ。到底間に合わない。
 なので、ピンチヒッター的な扱いとなったのが、この『回帰熱』。取り敢えず、今まで書き下ろしてきた提供曲から、テイストがかけ離れていないものをまとめて一枚のアルバムに仕上げた。言ってしまえば、苦肉の策である。それだけ余裕がなかったのだ。
 そんな事情もあって、この年の春にリリースされたシングル「あした」、これをパイロット・シングルとしてリリースし、アルバム発売の予告編にするはずだったのだけど、その本編が大幅延期となってしまい、なんか宙に浮いてしまったようなスタンスのシングルとなってしまった。KDDIのCMは名作だったんだけどね。

 その「あした」のリリース後、アルバム・プロモーションを兼ねた全国ツアーを敢行、それと並行して「夜会」準備も進めてゆく、というのが当初の段取りだった。これまでの通常ペースなら、リハーサル段階では大体の目途がつくはずだったし、「夜会」を控えていることもあって、余裕を持った体制で挑んでいたはずなのだけど、なかなかそうはうまくいかないもの。
 何を思ったのかみゆき、このくそ忙しい時期であるにもかかわらず、NHK-FMのラジオ番組「ジョイフル・ポップ」のオファーを引き受けてしまう。創作活動に専念するために、長年続けていた「オールナイト・ニッポン」から身を引いたはずなのに、ほぼ2年程度のブランクで再度ラジオ・レギュラーに復帰してしまう。
 新規コンテンツの立ち上げに加え、『夜を往け』のレコーディング準備も行なっているのだから、普通に考えると引き受けない方が何かと捗るはずなのに、なに考えてんだみゆきってば。一応、「オールナイト」と違って1時間番組、生放送じゃなくて収録主体ということから、以前よりは負担はずっと少ないだろうけど、いまやることじゃないんじゃない?
 逆に考えると、こういったファンの生の声を聴ける機会が少なくなったこと、そしてみゆき自身、シンガーとしてのシリアスな側面とは別のベクトル、あっけらかんとした「みゆき姉さん」であることが必要だったのだろう。

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 前作からサウンド・プロデューサーとしてクレジットされるようになった瀬尾一三がいなかったら、みゆきはもっと別の方向性に行っていたかもしれない、というのは衆目の一致するところである。ちなみに「いちぞう」と読む。当初「かずみ」と読んでしまい、結構長い間女性だと思っていたのは、俺だけじゃないはず。
 改めて言うとこの人、四畳半フォーク・ブームの頃からシンガー・ソングライターとして活躍していた、れっきとした男性である。なので、キャリア的にもみゆきよりちょっと長い。しかも業界歴が長いので、独自のコネクションも幅広く持っている。wikiを読んでみると、「金八先生」の劇伴から徳永英明の「壊れかけのRadio」のアレンジまで、仕事の幅もめちゃめちゃ広い。すごいんだよな、この人。
 で、そんなバイタリティーに惹かれたせいもあって、これ以降のみゆき、ほとんどすべてのサウンド・プロデュースを瀬尾に委ねている。ここに至るまでのご乱心期には、無理やりこじつけたようなアレンジがあったりもしたけど、この時期からみゆきサウンドは安定期に入る。
 「冒険しない」という意味ではない。あらゆるジャンルに造詣の深い瀬尾の高い音楽性が、レコーディング技術的には素人であるみゆきの意図を具現化できるようになったため、楽曲とアレンジとのミスマッチ感は少なくなった。時に「~風」のサウンドを優先し過ぎたため、隙間のないアレンジメントが息苦しいケースもあったけど、それもなくなった。本来のみゆき節に合わせたアレンジ、そしてそこから希求されるメロディと歌詞とが、自然に馴染み共存できる仕上がりになっている。
 強固な信頼関係によって、みゆきの負担は大幅に軽くなった。サウンド面をほぼ任せられるようになったため、「夜会」立ち上げに集中できるようになった。また、メインの作業である楽曲制作にもブレが少なくなった。新奇なサウンドや実験的なアプローチではなく、ミドル・オブ・ザ・ロードを意識したオーソドックスなスタイル、そこを深化させてゆく取り組みは今も続いている。
 四半世紀の長きに渡って続いているコラボなので、いろいろ衝突はあるのだろうけど、揶揄半分敬意半分で「おっしょさん」と呼ぶほどの信頼を寄せているみゆき、「きちんと完成した楽曲でないとアレンジはしない」という姿勢を貫く瀬尾。どちらも頑固者だろうけど、それでも相性が良いのだろう。妥協のないところは似たり寄ったりだし。

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 なぜ、シンガー達はみゆきに楽曲制作を依頼するのか。
 依頼先はプロデューサーや事務所、または本人直々であったり、様々な経緯はあるだろうけど、みゆき作品を歌うことによって、キャリアの節目を迎えた者は多い。
 セールスだけの問題ではない。売れる売れないにかかわらず、みゆきからもらった曲を歌うことによって、そのシンガーの方向性が大きく変わってしまう-、そんな力を、みゆきの曲は秘めている。
 彼女たちが音楽で訴えたいもの、または訴えようとしてもうまく形にできずにいるもの、そんなものを、みゆきはうまくすくい取る。
 それは特別変わったものではない。女性なら誰でも持ってる感情の揺れ、嫉妬や憧憬、そして恋。その中で、彼女にとって一番触れづらいもの、ほんとはそこに一番シンパシーを感じるけど、敢えて自分では掘り返したくないもの。
 そういった形にしづらいものを、みゆきは彼女の言葉に翻訳し、そこにメロディをつけて投げ返す。
 投げ返された者は、最初戸惑うかもしれない。それは長い間、触れずにいたものだったから。いつの間に、どこかの過程で失くしてしまったものだと思っていたから。
 -ちゃんとあるよ、ほら。
 そう教えてくれるのが、みゆきの楽曲である。

 ここでのみゆきはあくまで傍観者だ。ただ、彼女たちの心に寄り添い、少しだけ話をする。何も特別な話ではない。ほんのちょっとした雑談、漫然として結論のない、よくある女子会トークの延長線だ。
 長々と話し込むわけではない。もともと人見知りの強いみゆき、対象に会ってあれこれ情報収集するタイプではない。その辺は、ユーミンなんかと真逆のタイプだ。
 サウンドの強さに負けぬよう、インパクトの強い言葉とヴォーカルを選択したご乱心時代。そこを一山超えたところに、この時期の作品がある。
 メロディラインはシンプルに、よってコード進行もオーソドックスになった。後年、幅広い支持を獲得した楽曲が量産されるようになったのは、この時代からである。言葉の強さよりもむしろ、ストーリー性が復活したのも特徴である。


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1. 黄砂に吹かれて
 1989年リリース、工藤静香のシングル。オリコン1位を獲得と共に、年間チャートでも9位にランクインした、初期静香の代表曲。静香のシングルが9月リリースで、このアルバムが11月リリースだったため、かなり短いスパンで制作されたことになる。
 冒頭のスティール・パンの響きがエスニック感を醸し出し、歌詞の世界観にマッチしている。静香ヴァージョンは当時売れっ子だった後藤次利アレンジのため、もっとヒットチャート仕様になってるけど、これはこれでいいと思う。アイドルにしては渋すぎるしね。
 
 遠くへ向かう 旅に出たいの
 あなたから 遠い国まで
 誰にも 会わない国まで
 黄砂よなぜ 嘘 見破るの
 旅人

 最後のヴァースの部分、みゆきヴァージョンと静香ヴァージョンとでは、歌詞が大きく変更されている。
 ちなみに静香ヴァージョンが、

 答えてもらえばよかったのに
 聞くのが 怖かった名前
 私じゃない 名前だもの
 笑顔で終わった あの日から
 旅人

 アイドルとしては後者なんだろうけど、今の静香ならみゆきヴァージョンの方がしっくり来る。考えてみりゃ静香、みゆきがこの曲を作った年齢をとっくに超えてるんだし。



2. 肩幅の未来
 1989年、長山洋子に提供したシングル。これ、作曲はみゆきではなく、郷ひろみ「美貌の都」以来の筒美恭平とのタッグ。でもメロディはみゆきっぽい。
 Youtubeにアイドル時代の動画が残っていたので見てみると、あぁやらされてる感があるなぁ、といった印象。せっかくいい楽曲をもらったというのに、アイドル時代のフォーマットにはめ込まれ、曲にマッチしない振り付けが違和感。普通に落ち着いたムードで歌えば映える歌なのに、シンセ・ポップ調のアレンジもちょっとやり過ぎ。時代的にwinkを狙ったんだろうけどね。
 この後、長山はDiana Rossの「If We Hold On Together」をカバーした後、アイドル路線に見切りをつけ、演歌の世界へ方向転換することになる。諸行無常。
「らちもない」というボキャブラリーをJポップの流れに組み入れることに成功した、ある意味貴重な楽曲。

3. あり、か
 甲斐バンド解散に伴いソロ活動を開始したギターの田中一郎に提供、1988年のデビュー・シングル。ご乱心期からの付き合いだった甲斐よしひろのコネクションによるもので、みゆきヴァージョン同様、ベーシックなロック・テイスト。
 まぁ当たり前の話だけど、男性目線で描いた女性の歌詞のため、ここはやはりみゆきの方に分がある。ヴォーカリストとして比べても、そこはしょうがないところ。
 甲斐バンドの解散ライブ『Secret Gig』でスペシャル・ゲストとして甲斐とデュエットした「港からやって来た女」と質感が似てるため、その辺がモチーフとなってるんじゃないかと思われる。
 
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4. 群衆
 1988年リリース、工藤静香「MUGO・ん…色っぽい」のカップリングとしてリリース。多分デモ・ヴァージョンはあるのだろうけど、A面曲カバーはリリースしないのかな。
 歌詞の内容は「時代」と似た世界観なのだけど、言葉の抉り具合はもっと浅い。そりゃそうだよな、静香に向けて書いてるんだし。ただ、当時アイドルの王道を歩んでいた静香の世界観ともちょっと違っている。明らかに題材は地味だし。
 その傷の深さは深くはないけど、確実に残る。そして、ふと思い出す。そんな歌。

5. ロンリー カナリア
 1985年リリース、柏原芳恵22枚目のシングル。オリジナルもしっとりしたミドル・バラードだったのだけど、ここではさらにジャジー・テイストを投入、アイドル・ソングを超越した大人の楽曲として再生している。

 若さには アクセルだけで ブレーキがついていないと
 少しつらそうに つぶやくあなたの
 眼を見ると 心が痛くなる
 若さには 罪という文字が似合うと
 ため息ついても
 あなたはすぐ 私を許すわ

 どう考えても大人の恋愛、ていうか不倫だよなこりゃ。当時は気づかなかったけど、アイドルに歌わせるには、結構な冒険振り。こういった意図に遅ればせながら気づくのが、大人になるということなのだろう。



6. くらやみ乙女
 『回帰熱』リリースとほぼ同時に発表された、フォーク・グループ白鳥座の佐田玲子に提供されたソロ・デビュー・シングル。ちなみに彼女、名字から察せられるようにさだまさしの妹。
 対象がアイドルではなく、いわゆる同業者だけあって、歌詞の気合の入り方がまるで違っている。ていうか、ほとんど自作と同じ熱量が込められている。

 通りがかる町の人が 私を叱ってゆく
 「目を覚ませ 目を覚ませ 思い知っただろう」
 世の中なんて やきもちばかり
 あきらめさせて喜ぶ そうでしょう

 血のように紅い服で あなたに会いにゆくよ
 せめてひとつ教えて 少しだけは本気もあったよね

 当時、ネガティヴなキャラクターだった佐田とみゆき自身とが遭い混じった歌詞に思われるけど、ちゃんと聴いてみると、どこか微妙に違っている。
 ここで書かれているみゆき的世界観は過去の自分をなぞったもの。もうこの場所にはいない。ここに書かれているのは、ご乱心期以前の「怨み節」を綴っていた自身を客観的にシミュレートした、ヴァーチャルなみゆき像だ。

7. 儀式
 1986年リリース、アイドル松本典子に提供された6枚目のシングル。オリジナルをYoutubeで観たのだけど、お世辞にも歌唱力が良いとは言えない仕上がり。なんとなく聴いたことがあるのは、多分「ドリフ大爆笑」あたりでアイドルの歌コーナーで見た記憶が残っているのだろう。実際、動画もフジテレビっぽかったし。

 もしも私 あなたと同い年だったら
 もしもあなた いつまでも学生でいられたなら

 この松本ヴァージョンの2番の歌詞が、『回帰熱』ヴァージョンではこう改変されている。

 幻を 崖まで追い詰めた あの日々
 耳を打つ潮風は 戯言だけを運んだ

 この書き換えっぷりといったら、まったく別内容。ここまでの振り幅を持つ楽曲である。

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8. 未完成
 1987年リリース、薬師丸ひろ子4作目のオリジナル・アルバム『星紀行』に収録。最近ではすっかり大滝詠一寄りの彼女だけど、当時は「時代」や同アルバムに収録の「空港日誌」など、みゆき楽曲を良く取り上げており、女優とアーティスティックな活動とを並行させていた。
 ニューミュージック色強いメロディとソフト・タッチのヴォーカルは歌謡曲テイストが強く、時にマイルドな演歌に流れがちだけど、ある意味こういった方向性を模索していたのが、当時のみゆき。奇をてらったアレンジや凝ったコード進行に頼るのではなく、オーソドックスに純化したフォーマットの中で、どれだけ新局面を見せることができるのか。そこへのこだわりようが見えてくる。

9. 春なのに
 ラストはすっかり卒業ソングの定番となった、柏原芳恵1983年のシングル。オリコン最高6位、年間チャート31位は彼女にとっては最大のヒットとなり、また永遠のスタンダードとして語り継がれることになった。
 もともと歌唱力に定評のあった柏原、そして自身も卒業に近い年齢だったこともあって歌声にリアリティが加味され、楽曲はここで一応の完成を見ていた。実感が伴わないと響かない曲というのは確かにある。みゆきもまた、それを覚悟はしていたはず。
 みゆきが行なったアプローチ、それは単純に曲に対して素直に向き合うこと。変に柏原と違う角度から見るのではなく、自身から湧き出てきた楽曲に対して、正面切ってストレートに歌ってみること。ただそれだけだった。ていうか、それしか方法はなかった。
 そんなみゆきに応える形で、瀬尾自身もメロディを引き立たせるため、可能な限りシンプルなアレンジ、そしてそのために呼ばれたのが、当時はまだ無名だったアコーディオン・プレイヤーcobaの存在だった。普通に奏でるだけで憂いを放つ彼の音色は、曲のテーマとぴったりだった。さすがおっしょさん、やるじゃん、といったところ。



 春なのに お別れですか
 春なのに 涙がこぼれます
 春なのに 春なのに
 ため息またひとつ

 出会いと旅立ちの春のはずなのに、立ち上がる時は結局ひとり。

 卒業しても 白い喫茶店
 今まで通りに 逢えますねと
 君の話は なんだったのと
 聞かれるまでは 言う気でした

 昭和時代の、恋愛とも言えない高校生同士の憂いとためらい。あいまいな感情の機敏が交差する心象風景を活写した、80年代アイドルソングの傑作。なのに、「レココレ」80年代アイドル・ソング・ランキングでは39位と微妙な成績。いやいや、もっと上でいいでしょ。「現象」としてのキョンキョンやおニャン子の快進撃は認めるけど、楽曲としてのクオリティはこっちの方が断然上。
 



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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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