好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

レベッカ

売れた後は何を目指せばいいの? その先には、何があるの? - レベッカ 『Poison』


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  87年リリース、6枚目のオリジナル・アルバム。デビューから3枚目までは、所属レーベル:フィッツビートの方針で6曲入りのミニ・アルバムだったため、フル・アルバムとしては3枚目になる。
 売り上げ見込みが立ちづらい、いわば育成枠アーティスト専門だったんだよな、このレーベル。大きくブレイクしたのは彼らと聖飢魔IIくらいで、グラス・バレーも宮原学もみんな、売れ線狙う気あんまりなさそうだったし、そもそもレーベル・プロデューサーの後藤次利のソロが、ほぼ趣味全開、キレッキレのジャズ・フュージョンだったし。
 日銭はたんまり入るけど、過密スケジュールでストレスMAXな歌謡曲仕事のガス抜きだったのか、はたまたレーベル立ち上げの箔づけの名義貸し、名ばかり管理職みたいなポジションだったのかも。それはそれで今度、掘り下げてみるか。
 で、この時期のレベッカ、ライブハウスからホール/アリーナ・クラスに格上げされた全国ツアーに加え、テレビ・ラジオのレギュラーやら雑誌のインタビューやらグラビア撮影やら、ほぼ毎月、何らかの形でお茶の間に露出していた。ニッチなコンセプトのレーベルだったにもかかわらず、膨大な不特定多数の一般大衆にも幅広く認知が広がり、このアルバムもオリコン初登場1位、年間でも7位にランクインしている。
 ソニー・グループが80年代に確立した、多角マルチメディア戦略のケーススタディのひとつとなったのが、レベッカの成功だった。それまでロック/ニューミュージック系のプロモーション活動といえば、全国各地のライブハウスを地道にコツコツ回るくらいしか手段がなかったのだけど、彼らのブレイクによって新たなメソッドが確立された。
 メインターゲットを10代の少年少女に定めることで、80年代のソニーはレーベル自体のブランド確立を画策していた。若者ウケするため、「なんかカッコよくしたい」というフワッとしたビジョンのもと、あらゆる手段を講じて必要なインフラを立ち上げていった。
 当時の音楽雑誌の多くは、雑談を適当にまとめたインタビュー記事と、そこら辺で適当に撮られた普段着の写真で構成されていた。そんな近所の音楽好きのお兄さん・お姉さん的な親しみやすさにフォーカスした構成は、それはそれで好感を持てなくもないのだけれど、地に足の着きすぎた身辺雑記が多く、ちょっと食い足りなさが残るものがほとんどだった。
 既存メディアの枠組みでは、思い描くイメージ戦略が実現できないことを悟ったソニーは、自ら出版部門を立ち上げた。きちんとした撮影スタジオとカメラマンによる、凝ったアングル満載のグラビアと、程よくウェットな印象批評を基底としたインタビュー、そしてフワッとした比喩を忍ばせたキャッチコピーを散りばめられた『GB』『PATi・PATi』は、そこまでマニアックさを求めないライトユーザーを幅広く取り込んでいった。
 草の根的な地方へのドサ回り行脚は、この時代でも有効な手段ではあったけど、物理的にも予算的にも限界があった。まだ販促費を充分にかけられない若手を後押しするため、ライブやイメージ映像で構成されたPVを作り、何本かまとめてビデオ・コンサートを催した。北海道の中途半端な田舎のライブハウスでも開催され、そこで初めて小比類巻かおるを知ったのは、もうずいぶん昔の話。
 当時のテレビ歌番組はアイドルと歌謡曲が中心で、よほどヒットしていない限り、ロック/ニューミュージック系アーティストが出演する機会は少なかった。出られたとしてもぞんざいな扱いをされることが多く、それがトラウマで出演拒否するアーティストが多かったのも、この時代。
 なのでソニー、当時アメリカで隆盛だったMTVを範として、アーティストPVをメインとしたテレビ番組を立ち上げた。それが伝説の「ビデオジャム」。当初はデーモン閣下がレギュラー出演してたんだよな。
 オーディオ/ビジュアル系部門において、若者層に絶大な支持を得ていた親会社のイケイケな勢いも、レコード部門の躍進を後押しした。ウォークマンやらドデカホンやら電池まで、少しでも音楽と紐づけられる商品のCMタイアップを積極的に行ない、主に深夜帯に放映されていた「ビデオジャム」より、さらに多くのライトユーザーへの認知を広げた。
 -自分たちにふさわしい環境がないのなら、いっそ作っちゃえばいい。
 そんな清々しいくらい「ど」ストレートな動機のもと、80年代のソニーはありとあらゆるインフラを整え、そしてその戦略がどれも相応の成果を得ている。音楽ビジネスが発展途上だった、そしてユーザーがスレていなかった時代の話である。

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 レベッカがデビューした頃は、まだスタンダードな手法が確立されていたわけではなく、いろいろ試行錯誤•暗中模索の段階だった。彼らをはじめ、尾崎豊や渡辺美里で得た成功事例をもとに、少しずつ整備されマニュアル化されて、のちの世代に受け継がれていった。
 彼ら自身、また制作チームがどれくらい成長ビジョンを持っていたのか。まだ充分に確立されていなかった音楽ビジネスが未知数だったため、目先の自転車操業的なサイクルでしか考えていなかったことは想像できる。
 「レコード・デビューして全国のデカいホールをソールドアウトにして、テレビ・ラジオに多数出演して音楽雑誌の表紙を飾る」。バンドの性格によって多少の違いはあれど、おおよそ多くのアーティストにとって、これらが暫定的な到達目標として設定されていた。
 まぁ本人たちもスタッフも、「志だけは大きく」と思っていたのかハッタリだったのか、「運良けりゃ実現するかも?」的なビジョンだったんじゃないかと思われる。迷走していたベクトルを集約させるためには、誰かが大風呂敷を広げなければならなかったのだ。
 「フレンズ」の大ヒットによって、ブレイクまでの最短距離の道筋をつけたレベッカのサクセス・ストーリーは、ひとつのロールモデルとなった。客席との距離も近く、天井も低いライブハウスからスタートした彼らは、あっちへぶつかりこっちでつまづいたりしながら、着実に歩みを進めていった。当時の邦楽アーティスト・サクセスの終着点となっていた武道館公演も、87年は6日連続開催できるまでになった。
 アルバムを出せばチャート1位は当たり前、人気ランキングでも上位に必ず入っていた。セールスやトレンドリーダーとしてのポジションは、この時点でピークに達していた。
 ただ、バカ売れしたからといって、いきなり絵に描いたようようなセレブスター・ライフを送れるわけではない。清志郎がRC初の武道館ライブ終演後、銭湯の時間に間に合わず風呂に入れなかった、というのは有名なエピソードだ。
 ライブ以外にもスケジュールが埋まって忙しくなり、何となく「売れてる」ことは実感できる。街を歩けば自分達の曲が聴こえるようになり、レコード店でもいい位置にディスプレイされるようになった。あまりいい顔をしていなかった家族にも認められ、なぜだか親類も増えた。時に知らない人から、握手やサインを求められるようになる。
 RCより多くのレコードを売っていたレベッカは、そこそこの報酬を得てはいた。いたのだけれど、過密スケジュールゆえ、金を使う暇がなかった。
 特にフロントマンであり、多くの作詞を手がけていたNOKKOと、作曲担当の土橋安騎夫の負担はハンパなかった。レコーディングに間に合わせるため、作った曲を深夜3時に電話口でNOKKOに聴かせて歌詞を書かせたり、またはその逆、NOKKOが考えたメロディやフレーズを電話で土橋に聞かせて楽曲構成してもらったり、年中綱渡り状態が続いていた。
 アルバムがミリオン超えたりシングルのタイアップが取れたり、いくらライブチケットが秒で完売したとしても、それらはただの数字だ。バンドメンバーのQOLにフィードバックしていたかといえば、それもちょっと怪しい。
 そんなの考えるヒマがないくらい、あらゆる予定が詰め込まれていた。多分、ライブの後に家風呂に入ることはできただろうけど、でもそれだけだった。
 「次は何がしたい」「何が欲しい」と考えられる余裕が奪われていた。
 それが、トップの宿命。そんな時代だった。

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 前作『Time』リリース以降も、レベッカは立ち止まることを許されなかった。当時のセオリーに則り、アルバム・リリースに伴う全国ツアーやプロモーションはみっちり詰め込まれた。
 この時期に武道館6日連続公演を行ない、無数のテレビ・ラジオ出演、音楽雑誌以外からも数々の取材オファーを受けている。その隙間を縫ってレコーディングも断続的に行なわれ、きちんとリリースも絶やさず続いている。
 2月にリミックス・シングル「CHEAP HIPPIES 」、4月にシングル「Monotone Boy」と続き、5月にリミックス・アルバム『Remix Rebecca』と続いている。クリエイター土橋の負担はとんでもないものだったことは予想できる。
 これが大滝詠一だったら、発売延期になっても周りも「しゃあねぇや」って思うだろうし、また実際何度もやってるんだけど、レベッカとなるとシャレが通じない。決算間近の年末にリリース設定されていることから察せられるように、大きな期待と社運がかかっているのだ彼らには。
 実際にアルバムを聴いてみると、仕上がったサウンドから煮詰まり具合は感じられない。盤石の演奏陣と希代の女性ロック・ヴォーカリストによるアンサンブルは、当時の世界レベルに充分達している。
 フェアライトやヤマハDX7に代表される、80年代シンセをメインとしたサウンドの多くは、まだ発展途上のスペックゆえ、チープな音色が嘲笑されることも多々あるのだけど、レベッカの音はそういった線の細さは感じられない。もともとはレベッカ、シンセをメインとしたバンドではなく、ニューウェイヴ以降のポスト・パンク/ガレージがベースとなっているため、ギター・バンドとしてのボトムが盤石なことによる。
 最初にブレイクしたのが「ラブ イズ Cash」だったこともあって、「NOKKO=和製マドンナ」と称されることが多かったけど、バンド全体としてはむしろ、同じ「女性ヴォーカル:男性プレイヤー」という構造を持つブロンディを範としている。キャラ的にはNOKKO、セックス・アピールを前面に出した初期マドンナより、デボラ・ハリーの方がキャラ的にもヴォーカル・スタイル的にも近い。
 マドンナやシンディ・ローパーらのダンス・ポップからインスパイアされたレベッカ・サウンドは、すでに完成の域に達し、本来なら円熟の段階に向かうべきだった。言っちゃ悪いけど、これ以降は過去の自分達の焼き直しでよかったのだ、バンドの精神衛生的にも営業的にも。

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 営業的にもクリエイティヴ的にもピークを迎えたことで目標を見失い、過去のアップデートで対応せざるを得なかった、っていうかクソ忙しい中、結果として「円熟したレベッカ・サウンド」を提示したのが、この『Poison』である。丁寧にプロデュースされたアンサンブルは、インスト単体でも充分成立するクオリティに達している。このインスト・ナンバー、おそらくヴォーカル録り間に合わなかったんだろうな。
 言葉を司るNOKKOの負担もまた、加速度的に増大していた。バンド以外の仕事も多く、創作活動に集中する余裕がなかった。スタジオで最後まで粘って歌詞を書くことも多々あったはずだ。
 「女性をメインとしたロック/ポップ・バンドは、そこまで深い内容の歌詞を求められていない」という誤解が長らくあった。内容やストーリーより、語感を重視していたこともあって、過剰な意味性を避けるのが、暗黙の了解とされていた。
 そんな中、10代のリアルな心象風景をポップなサウンドとシンクロさせたのが、レベッカだった。親子や友人との絆をシリアスなタッチで描いた「フレンズ」は、彼らの出世作となり、時代を超えて今もなお歌い継がれている。
 今まで前例がなかっただけで、実はニーズがあった = そのニーズにうまくハマる作品を最初に明確な形にしたのが、レベッカだった。同じ目線の少女によるリアルな言葉は、10代の少年少女らの共感を強く惹きつけた。
 ただ、アウトプットしてゆくだけでは言葉も細る。身を削るように言葉を綴ってゆく行為は、消耗に拍車がかかる。
 20代半ばのロック少女のボキャブラリーが、そんなに幅広いはずもない。これまでの経験だけで書けるのは、せいぜいアルバム1枚分程度だ。
 見よう見まねで書いてきたポップ・ソングの歌詞も、次第にネタも切れるしテーマも重複してくるし、それよりも何よりも、自分の中でハードルは上がる。
 安直な言葉は軽くなるし、他人には響かない。響いたとしても、それをわかって世に出してしまう自分が許せない。「締め切りに間に合わないから」と言い訳するのは、死ぬことよりもっと辛い。
 重くハードなストーリー展開の「Moon」、多少のフィクションはあるはずだけど、これが普通にヒットチャートに入っていたのだから、当時のアーティスト・パワーの強さが窺える。普通ならネガティヴ過ぎてリテイクされそうなものだけど、それを押し通せるだけの勢いが、当時の彼らにはあった。
 この後、レベッカは長い活動休止に入る。NOKKOだけではなく、メンバーらもまた、限界を迎えていたのだ。




1. POISON MIND
 ライブ映えするオープニング・チューン。シンプルなコード進行とパワフルな演奏、そして水を得た魚のように、縦横無尽飛び回るNOKKO。
 いわば王道、ステレオタイプなライブバンド:レベッカを象徴するロック・ナンバー。シンディ・ローパー成分も多く投入されているけど、イヤここまでのクオリティだったら、むしろ逆だと思いたい。
 長らく洋楽のコピーであることを自認していた日本のロックが、言葉・サウンドともにオリジナリティを発揮できるようになったことを象徴する曲。

2. MOON
 アルバムから2枚目のシングル・カットで、オリコン最高20位。もっと売れてると思ってたんだけど、案外伸びなかったんだな。カラオケではみんな歌ってたよ、情感込めて。
 今では死語となった「不良少女」や「スケ番」というワードが通用していた80年代。ドロップアウトしたティーンエイジャーを描いた歌は、それまでも存在していた。ただ、その多くは「少年/ツッパリ」目線で書かれたものがほとんどで、「少女」の側で書かれたものはほぼ無かった。
 明菜「少女A」が雰囲気的には近いんだけど、あれは明菜自身の言葉じゃなくプロ作詞家の言葉なので、またちょっと違う。あそこで書かれた世界は、「ちょっと拗ねた女の子の不満」を大人目線で、お茶の間にもわかりやすく嚙み砕いて描いたものであり、ニュアンスは微妙に違う。
 社会のルールに馴染めず、万引きや家出でドロップアウトした少女の行く末を、NOKKOはクレバーかつ力強く歌う。情緒的な歌と言葉を支える演奏は、精密なデジタル・ファンクでありながら、ある種の熱を帯びている。
 「MOON」のストーリーは完全なノンフィクションではないだろうけど、リアタイで聴いた当時のティーンエイジャーはみな、ヒリヒリ痛痒い言葉を真摯に受け止めた。多くの少女は多かれ少なかれ、この曲の主人公に自己を投影した。だからカラオケでしょっちゅう聴いたんだな。





3. 真夏の雨
 「NERVOUS BUT GLAMOROUS」のカップリングとしてシングル・カットされた、後期レベッカのバラードでは人気の高い曲。夕立明けの濡れた空気の匂い、そして少女の揺らぐ憂いとがフラッシュバックする、虚ろな情景を見事に描き切っている。
 カットアップした断片をモザイク様に組み合わせた、散文スタイルの歌詞は技巧的ではないけど、触れれば壊れるワードセンスとソウルフルなヴォーカル・スタイルとのギャップが、少女の世界観を引き立たせる。
 ストーリー性を放棄した言葉の綾は、何をしても満たされない少女の抑圧、そして不安/不満を、ほどほどウェットに、かつクレバーにまとめている。多分、松本隆が同じテーマを扱ったら、もう少し整理した起承転結になるのだろうけど、でも彼にこの目線の高さは出せない。それは、まだ少女の面影を残していた、当時のNOKKOの特権なのだ。

4. TENSION LIVING WITH MUSCLE
 パワー・ポップな曲調から、「のんきなスクールライフを適当にノリで描いただけ」と勝手に思っていたのだけど、ちゃんと歌詞を読みながら聴いてみると、全然違った。陽キャやカースト上位とは縁のない、地味な帰宅部らの届かぬ叫びを、NOKKOが丹念に拾い上げている。
 ぽっちゃり振りを先生に指摘された男の子と、クラスに馴染めない女の子。大人に理解を得られないストレスを抱える彼らの叫びを、NOKKOはシンパシーを込めて綴る。「ガンバレ」と励ましたりせず、ただ、歌にするだけ。
 それだけでいい。NOKKOはわかってる。
 気にかけてくれるだけでもいい。傷つきやすい少年少女らにとって、理解者であるNOKKOがこっちを見てくれるだけで充分だったのだ。

5. DEAD SLEEP (Instrumental)
 OMDやトーマス・ドルビーらのUKシンセ・ポップに、ちょっと斜めなプログレ・テイストを足した、そんな亜空間なインスト・チューン。ものすごく気合いを入れて作ったわけじゃなさそうだし、もしかして歌入れが間に合わなかっただけかもしれないけど、結果的にはNOKKO抜きでも充分成立しており、良質のアンビエント・テクノに仕上がっている。
 こういうのをサラッと作れてしまうポテンシャルは、思いつきのフレーズの順列組み合わせとパクリで構成された、他の同時代バンドとの違いが歴然。同時代のフュージョン・バンド:スクエアと肩を並べる完成度を誇っている。

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6. KILLING ME WITH YOUR VOICE
 俺的には「シングル切ってもよかったんじゃね?」と思ってしまう、地味だけど洋楽テイストの濃いアッパー・チューン。マドンナ「Open Your Heart」からインスパイアされてるんだろうけど、いい意味で日本仕様にカスタマイズされている。
 ここでのNOKKOの歌詞は、オーソドックスな王道ラブ・ソングなのだけど、メロディ・アレンジとも高いクオリティで作られているため、シンプルな言葉のパワーが炸裂している。変な小細工なしでも充分勝負できる、そんな無双状態のレベッカのピーク・ハイが、ここで展開されている。

7. NERVOUS BUT GLAMOROUS
 変拍子と転調が縦横無尽に駆け巡り、普通なら演奏もヴォーカルも破綻するはずなのだけど、力技とセンスの両輪でポップに仕上げられた、実はかなり複雑な曲。レベッカ楽器隊のバカテク具合、横綱相撲ぶりを聴くことができる。
 親会社ソニーのミニコンポ「リバティ」とのタイアップが先に決まっており、シングル・カットも念頭に入れて製作されていたはずだけど、よくこんな変則デジタル・ファンク作ったよな。同時代のPINKあたりに刺激されたと察せられるけど、セールス考えるとかなり無謀なチャレンジだ。
 オリコン最高7位は、この頃の彼らとしてはやや低め、それでもベスト10入りしているので、アベレージはどうにかクリア、といったところ。CMソングでありながら、ボーダーぎりぎりのマニアックとキャッチ―な大衆性との両立は、当時の彼らが自らに課したミッションのひとつだった




8. CHERRY SHUFFLE
 時事ネタをあちこち取り混ぜた、ライブ映えするタイプのポップ・ロック。『Wild & Honey』期のアウトテイクみたいなシンプルなアレンジは、アドリブ・パートでいろいろ広げやすそう。
 一般大衆のニーズとして、こういったピリッと辛めの社会批評を混ぜ込んだ、でも肩の凝らないサウンドが最もツボだと思われるし、実際、彼らもNOKKO的にも、この程度ならいくらでも量産できたのだろうけど、そこに留まるわけにはいかなかった。
 愚直にまじめな、彼らの志は高すぎたのだ。

9. TROUBLE OF LOVE
 ラス前のひと休みといったところ、アンニュイなポップ・バラード。CHARAっぽいよなと思ったけど、こっちの方が全然先か。時代的に、ヴァネッサ・パラディからインスパイアされたのかと思って調べてみると、こちらもレベッカが先だった。こっちが本家だったのか?
 いわばインターバルみたいな曲だけど、ロック・スタイルばかりクローズアップされていたNOKKOの別の側面、歌い上げず脱力したヴォーカル・スタイルは、その後のソロで開花することになる。

10. OLIVE
 歌詞中の相手が男なのか女なのか、見方によってどちらでも解釈可能な、広い意味でのラブ・ソング。
 束縛から逃れて暮らす2人、明るい未来が見えたのはほんのわずかで、日が経つにつれ、不安の方がむしろ膨らんでくる。願いを叶えることをゴールとしてはいけない。その後も人は生きていくものなのだ。
 単なるハッピーエンドだけじゃなく、その後の揺れ動く不安もキッチリ書き切ることで、レベッカは王道であることに背を向けた。ただ、そこに触れたことで、新たな切り口を見失ってしまった、とも言える。







「売れたら好きなことができる」はウソじゃない。 - レベッカ 『Time』

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 1986年リリース、オリジナルのフル・アルバムとしては2枚目。大ブレイクした前作『Maybe Tomorrow』のおかげでセールスも高め安定、オリコン最高1位、年間総合でも14位をマークしている。10月発売だったため、次の年にも年間30位にチャートインしているのだけど、考えてみれば、ほんの2ヶ月足らずの売り上げで上位に食い込んじゃうのだから、当時の彼らの勢いが窺い知れるデータである。

 当時のCBSソニー邦楽部門は、彼らと松田聖子とハウンド・ドッグが稼ぎ頭だった。すでに10代のカリスマだった尾崎豊のインパクトは鮮烈だったけど、セールス面では3者には及ばなかった。
 のちのクリエイターやミュージシャン志望者に大きな影響を与えた尾崎ゆえ、死後も論じられることが多いけど、広範な層に満遍なく売れていたのは、むしろレベッカの方だ。衝撃的だった幕引きによって過剰に伝説化されているけど、当時の尾崎の評価は、リアルタイム世代である俺の周りでも、結構好き嫌いが分かれていた。
 いい意味での選民思想があった尾崎のファン層に対し、当時のレベッカには、ファン層自体が存在しなかった。特定の層というより、みんな持ってるんだもの。
 以前のレビューでも書いたけど、当時、俺はレベッカのアルバムを買ったこともレンタルしたこともない。ないのだけれど、この時期のアルバムは、今でもほぼ全曲、鼻歌でそらんじることができる。
 レベッカのアルバムは、当時の音楽好きな少年少女のマスト・アイテムだった。なので、友達の家に行けば、高確率で彼らのレコードがあった。わざわざ自分で買わなくても、レベッカやTM、ハウンド・ドッグやBOOWYは、勝手に耳に入ってきた。俺の中で彼らのサウンドとは、麻雀のBGMとして刷り込まれている。

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 結成当初はラウドなギター・ロック主体だったレベッカは、デビュー直前でコンセプトの変更を余儀なくされる。ライトなシンセ・ポップ路線を提唱するソニーの提案を、リーダーのシャケが一蹴、デビュー直前に脱退してしまう。
 窮余の策として、キーボード土橋安騎夫がバンマスに就き、その後もバンド運営の要となる。ただ、突然の無茶ぶりだったせいもあって、急にリーダーシップを発揮できるはずもない。しかも当時のソニーだから、何かとバンドに干渉したがる。リーダー交代とデビュー間際のせわしなさで混乱中のバンドと、手っ取り早く売れ線サウンドを押し付けたがるソニー。対ソニーどころか、バンド内部でも思惑が噛み合っていなかったのが、初期のレベッカである。
 ソニーとしてはぶっちゃけると、キャラの強いNOKKOさえいれば、演奏陣はいくらでもすげ替えが効くと思ってた節がある。もし当時のNOKKOがソニーにうまく丸め込まれていたら、ZARDみたいになっていた可能性もある。
 彼らが所属していたソニー内レーベル「フィッツビート」は、創設者である後藤次利のポリシーが反映されて、アーティストの意向を尊重する方針が貫かれていた。いたのだけれど、その意向、バンド自体のポリシーがあやふやだったとしたら、事情はちょっと違ってくる。
 ヴォーカルがいてギターがいて、ベース、ドラム、キーボードがいる。一応、体裁は整っている。でも、彼らが何をしたいのか、何を表現したいのか、ある程度のビジョンがないと、サウンドはまとまらない。「せーの」で最初の音を出せたとしても、方向が定まっていなければ、次の音は出せないのだ。

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 バンドのベクトルが定まらないまま、ほぼ見切り発車のような状態で、レベッカはメジャー・デビューする。初期の3枚は、スタジオ作業に慣れていなかったせいもあって、ディレクターの意向に沿った形で制作が進められている。デビュー以前のギター・ロックと、ソニー推奨のシンセ・ポップとが混在した、よく言えば80年代UKニュー・ウェイブ的なサウンドが展開されている。言ってしまえば、「とっ散らかってまとまりがない」っていうか。
 セールス的な盛り上がりを見せず、手探り状態が続いた中、ちょっと手応えを感じたのが、3枚目のシングル「ラブ・イズ・キャッシュ」だった。あまりに露骨すぎるパクリゆえ、元ネタを書くのもめんどくさいのではしょるけど、初めてオリコンにチャート・イン、知名度爆上げのきっかけとなった。いま調べて知ったんだけど、最高30位だったんだな。イヤイヤ、もっと売れてるでしょ。
 「ラブ・イズ・キャッシュ」は、アンサンブルこそチープだったけど、NOKKOのアグレッシブなヴォーカルが全体を引っ張り、レベッカ・オリジナルの一体感を生み出していた。もちろんマドンナ様々(言っちゃった)ではあるけれど、マーケットの反応は正直だった。ニーズはやっぱり、NOKKOにあったのだ。
 ここで演奏陣がネガティブに受け取ってしまったら、そのままいじけたZARD状態になったのだろうけど、彼らはもっと前向きに捉えた。
 -じゃあ、NOKKOのヴォーカルがもっと映えるように、アンサンブルの中心をNOKKOに据えたとしたら?彼女の存在をもっとフィーチャーして、それをしっかり支えるサウンドを構築したら、もっと良くなるんじゃね?
 類型的な従来ロック・バンドのテイストを薄め、NOKKOが歌ってて気持ちよくなるよう、歌謡曲のメロディ構造を持ったロッカバラード。それが「フレンズ」だった。
 さらにさらに、その勢いで制作されたのが、大ヒット作『Maybe Tomorrow』である。

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 さらに畳みかけるように、突っ走る勢いのまま製作されたのが『Time』なのだけど、レベッカ・ディスコグラフィーの中では、過渡期的な作品として捉えられている。レベッカ・サウンドの頂点とされているのは、次作『Poison』という評価が一般的である。
 シックなパープルを基調とした、アーティスティックなジャケット・デザインの『Poison』と違って、『Time』は地味。地味やシンプルを通り越して、素っ気ないくらいである。段ボールみたいなクリーム地にシャレオツなロゴ、というデザインは、なんか100均グッズのよう。ダイソーに売ってたぞ、こんな表紙のノート。
 契約消化的な『Blond Saurus』の手抜き具合は仕方ないとして、ミリオン超えのアルバムのあとなんだから、もうちょっと気合い入れても良かったんじゃないの、と余計なお世話を焼きたくなってしまう。コンピレーションの『Olive』だって、もうちょっとやる気ありそうなデザインなのに。

 ただ逆に考えると、敢えて無記名性を感じさせるアートワークも、NOKKOのキャラやビジュアルのインパクトに頼らず、バンド・アイデンティティの確立があったからなのでは、と今にして思う。
 当時、ロック・バンドの要と言えば、断然ギターだった。シャケ主導だった初期レベッカも、ギター中心のアンサンブルが多かった。ただ肝心のシャケがいなくなり、シンセ主体のバンド・サウンドに方針転換するのだけれど、「フレンズ」までは消化不良気味だった。
 ディレクターの意向に沿ってシンセ・ポップをやってはみるものの、それまでのギター・バンドの地が出てしまって、うまく混ざり合わない状態が長く続いた。圧倒的なポテンシャルを有するNOKKO主体の体制になるまで、演奏陣の踏ん切りがつかなかったことも、一因ではある。この辺はミュージシャンのプライドに関わる問題なので、致し方ない部分でもある。
 バンドの商業的な成功が、メンバー個々の自信に繋がり、その後のレベッカの成長に繋がった。このままZARDスタイルに移行していたら、多分、後年までリスペクトされることはなかっただろう。
 リーダー土橋の自信は、バンド・サウンドの確信に繋がった。単純な8ビートには収まらない重厚なリズム・セクションを基盤に、多彩な音色のシンセをメロディ楽器のメインに据えた。それまでフロントだったギターは後退させ、ファンク要素のリズム・カッティングが主体となった。
 ユーリズミックスやマドンナによるダンス・ビート主体のエレ・ポップがチャートを賑わせていた欧米の音楽トレンドを鑑みると、それらも歴史的な必然だったと言える。


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1. WHEN A WOMAN LOVES A MAN
 大ヒット・アルバムの次作ということで、プレッシャーもそれなりにあったはずだけど、圧倒的な自信を身につけたレベッカは、挑戦的だった。
 60年代ソウルをMIDI機材でアップ・コンバートしたミドル・テンポ。ポップだけれど、キャッチ―ではない。疾走感あふれるシンセ・ベースと、歌うようにメロディックな小田原豊のドラミング。NOKKOだけがウリじゃないんだぞ、と自己主張の強い演奏陣。そのせめぎ合いとつばぜり合いが、余裕の表情の裏で行なわれている。

2. LONELY BUTTERFLY
 6枚目のシングルで、オリコン最高6位。当時はあまり気づいてなかったけど、実はこれが最高傑作だと知ったのは、ずっと後になってからだった。あくまで歌を引き立たせる役目に徹した、演奏陣の手堅いプレイもさることながら、NOKKOのヴォーカルの表現力、緩急のつけ方と言ったらもう。

 愛がすべてを変えてくれたら
 迷わずにいれたのに

 さしてひねりもないけど、いろいろ詰まっている。10代・20代の女の子の頭の中で思ってること・感じてること。この言葉を伝えたいがために、ここにたどり着くために、NOKKOは歌ってるような気がするのだ、男の俺から見れば。
 女の子の気持ちは結局のところ、こういった部分でしか垣間見ることができないのだな。そう気づかされるもうすぐ50歳。



3. TIME 
 アイドル・バンド的な側面も持ち合わせていたはずのレベッカだったけど、こんなアフロ・ビートのインストをぶち込む荒業をかましたりもする。いや10代だったら絶対ピンと来ないって。
 ヴォーカル録りが間に合わなかったからインストになった、という感じでもなく、明らかな確信犯。ある程度売れることが見込めるから、こういったマニアックなインストを入れても許されちゃったりする。

4. (it's just a) SMILE
 「Be My Baby」のリズム・パターンで始まる、オールディーズ風バラード。高めのキーに果敢に挑むNOKKO。ちょっと気の抜けたコーラスは、聴く方も肩の力が抜ける。でも間奏でソウルフルなハモンドぶっ込んだりするのが、土橋の技。

5. GIRL SCHOOL
 前作のアウトテイクっぽさも感じられる、気合の入ったファンク・チューン。スタジオ・セッションのようなグルーヴ感がビンビン伝わってくる。
 こうして聴いていると、ほんとNOKKOだけのバンドじゃなかったことを改めて感じさせるアンサンブル。逆に言えば、この演奏に対抗できるのがNOKKOしかいなかった、という事実。

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6. BOSS IS ALWAYS BOSSING
 Herbie HancockやBill Laswellの影響が、っていうより素直にインスパイアされたエレクトロ・ファンク。ほとんどインストみたいな楽曲で、NOKKOのヴォーカルもほぼエフェクト的な使い方。ほんとソニー系のバンドって、リズム隊はすごくいいんだよな。なので、この曲もギター・ソロの部分だけ途端に古臭く聴こえてしまう。どうせなら、ハモンド・ソロを延々入れてほしかった、とは贅沢な願い。

7. CHEAP HIPPIES
 低めのエレピ・リフがカッコいいロッカバラード。その後の「Olive」や「Moon」っとも地続きな、NOKKOのネガティブな内面がのぞく歌詞とのコントラストが絶品。多分、後にも先にも「失業保険」なんてフレーズを使うポップ・ロック・バンドなんて、彼ら以外にいない。

8. WHITE SUNDAY
 彼らの中では余り少ない正統バラード。「Maybe Tomorrow」ほどのスケール感はなく、歌詞もパーソナルな内容。なんとなく「フレンズ」のその後、といった感じがするのは、俺だけかな。

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9. NEVER TOLD YOU BUT I LOVE YOU
 ギターがUKニュー・ウェイブ風味なのと、ドラムのミックスがバカでかい印象が強い、ある意味実験的な楽曲がラスト。挑戦的というよりは、アンバランス感が強い。歌が聴こえないじゃないの、これじゃ。俺のCDだけ?



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80年代ソニー・アーティスト列伝 その4 - レベッカ 『Maybe Tomorrow』

Folder 1985年リリース、バンドとして4枚目のアルバムだけど、これまでの3枚が6曲前後収録のミニ・アルバムだったため、フルとしてはこれが最初。バンド自身もここからが実質的なファースト・アルバムとして認識しており、ちょっと長めの助走だったことを述懐している。

 当時彼らが所属していたのが、ソニー内に設立された、あの後藤次利率いるFitzbeat。LPレコード、7インチ・シングルの価格がそれぞれ2,800円、700円だった時代に、今で言うブロックバスター的なコンセプトをブチ立て、アルバム1,500円シングル500円という低価格路線でスタートした。ソニーが抱えるロック/ポップス系アーティストを廉価で短いスパンで提供することを目的として、基本アルバムは6曲のミニ・アルバム仕様、シングルも片面のみという販売スタイルだった。
 これは当時、結構話題になり、当初はレーベル・オーナー後藤を始めとして、レベッカや聖飢魔IIも同様のスタイルでリリースしていたのだけど、その肝心の後藤が多忙を理由に早々と離脱してしまってから、初期コンセプトの破綻が始まる。もともとこういった形態のパッケージをアーティスト側が望んでいたわけではなく、今で言うマキシ・シングルが普及していない当時においては、やっぱり通常のフル・アルバムがスタンダードであり、取り敢えずメジャー契約にありつくために同意しただけ。ミニ・アルバムの速報性は評価できるけど、作り手側からすれば、やはり格落ち感は拭えないのだ。
 もともとバンド自体のポテンシャルが高かった聖飢魔II同様、レベッカもまたフル・アルバム志向へとシフトしてゆく。

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 この時期のソニー手法というのが、いわゆる青田買いである。ライブハウスで活きのいいバンドを見つけると、すぐに担当ディレクターを仕向け、業界事情やバンド強化のアドバイスやらで徐々に囲い込み、ある程度モノになった時点で自社オーディションに参加させて入賞させ、箔をつける、というパターン。まぁどこのレコード会社でもやっていたことであり、今でも状況はそんなに変わっていない。
 当時のソニーはまだ設立して10年ちょっと、音楽出版事業としてはまだまだ基盤が脆弱で、他のメーカーと比べてドル箱アーティストは数えるほどしかいなかった。他社の売れっ子を引っ張って来れるほどのブランド・イメージも確立されていなかったため、自前で新人アーティストを育成していかなければならなかった。
 この辺の事情は、マガジン/サンデー創刊から大きく後れを取っていた少年ジャンプが、大御所ではなく、編集者が新人漫画家と二人三脚で作品づくりを行ない、のちの快進撃の下地となったストーリーと重なる部分がある。

 そのように手塩にかけた新人ミュージシャンをさらに成長させるため、自社主催イベントにまとめて参加させたり、先輩ミュージシャンのライブやレコーディングにコーラス要員として起用したり、または自社制作のPV紹介番組にブッキングしたりなど、のちのビーイング系やモーニング娘。系列にも応用された、自社内メディア・ミックスの先駆けとなったのが、このソニー商法だったんじゃないかと思う。

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 マドンナ”Material Girl”のパクリと揶揄された3枚目のシングル“Love is Cash”のスマッシュ・ヒットによって、お茶の間レベルでも認知されるようになったレベッカ、初のフル・アルバムとして発売されたいのが、この『Maybe Tomorrow』。オリコン最高1位はもちろんのこと、年間チャートでも安全地帯、クワタ・バンドに次いで3位という、女性ヴォーカルの新人ロック・バンドとしては、初の快挙である。何しろ130万枚も売れたので、雨後の筍のごとくコピー・バンドが出現して、のちのバンド・ブームの礎になったくらいだから、そりゃあもう大騒ぎで。

 正直、初期3枚のミニ・アルバムは曲を寄せ集めただけの印象が強い。収録されている曲も、なんかひとつ物足りない感じで、いかにもディレクターの指示に沿って作りました感が漂っている。もともとライブ活動中心だったレベッカ、レコーディング作業に不慣れな部分もあって、細かな詰めなどは、どうしてもスタッフへ委ねる部分が多かったのだろう。
 なので、俺もこの辺の作品は一回サラッと聴いた程度で、あまり印象に残ってない。もう二度三度聴く気になれないというのはつまり、その程度のクオリティという事である。
 それがこのアルバムからは、大きく雰囲気が変わる。サウンドの感触、音のボトムがグッと下がり、シンセ・サウンド中心だったチャラついたテイストから一転、リズム・セクションを前面に押し出すことによって、ハード・ロック的なテイストとファンクのグルーヴ・エッセンスが投入され、本格的なバンド・サウンドを志向するようになってきている。
 直近のシングル”Love is Cash”から較べると、この大胆なモデル・チェンジは、結構ギャンブルだったんじゃないかと思う。普通なら、次のシングルやアルバムもこの路線を踏襲して、ヤマハDX7使いまくりのチャラいガールズ・ポップ路線を続ける方が、短期的な戦略としては常道だったはず。しかしバンド側も、そしてスタッフ・サイドももっと長期的な視点で考えていたのか、敢えて流行に流されることのない、長期的なビジョンを見据えたサウンド作りを行なっている。
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 当時から演奏力構成力に定評のあったレベッカは、1980年代のUKニュー・ウェイヴ〜ポスト・パンクの流れにも通ずる、重厚なサウンドとテーマを持ってレコーディングに挑み、ソニーというレーベル・カラーとマッチさせることによって、ポピュラリティーもキープしたアルバムを創り上げた。

 当時はソニーのアーティスト全体のレベルも高かったため、レベッカだけが突出していたわけじゃないけど、後年聴き直してみても、そのサウンド・デザインは今でも充分通用するレベルに仕上がっている。
 こういったバンドが日々量産され、クオリティはもちろんのこと、商業性もきちんと考慮された作品が続々輩出されていた、それこそがソニーの全盛期、80年代である。

 実のところ、俺がこのアルバムを手に入れたのはずっと後のことだけど、どの曲もみんな覚えているという不思議。そう、レベッカのこのアルバムは、友達の家に行けば高確率で誰かが持っている、わざわざ自分で買わなくてもよいアルバムだった。
 収録曲である”フレンズ”は、今でもカラオケの定番だし、高校の文化祭のコピバンでレベッカを歌った同世代女子も多い。実際の数字上に表れたセールス・データ以上に、特にピン・ポイントで40代以上には凄まじい影響力のあったアルバムであり、バンドである。



1. Hot Spice
 発売時のキャッチ・コピーが「明日へ飛翔しつづけるレベッカの最新超強力アルバム!!」というもので、リーディング・トラックとしてはピッタリのナンバー。ノリが良く、歌詞は特別内容もなし。だけど、それがいい。意味なんてあるもんか。
 ゲート・エコーの効いたドラムとサンプリング・ヴォイスのコンビネーション、ファンクとロックをうまく融合させたギター・カッティングなど、演奏陣の聴きどころも多い。

2. プライベイト・ヒロイン
 改めて聴いてみると、Nokkoのヴォーカル・テクニックに驚かされる。適所にビブラートを利かせ、緩急を使い分けた表現は、やはり天性のディーヴァだったのだろう。ただ音程が取れてるだとか声質が良いというのではなく、サウンドに応じた声色を選べるだけの幅があるというのは、ポテンシャルの高さという他にない。それを的確にバッキングする演奏陣も抜群の安定感。

 “Tonight 悲しみはプライベイト ひとりで踊ってる
  つよがりな ヒロインなの“

かつて日本のガールズ・ロックはアバズレ感が強く、またはエキセントリックなサブカル系の女子など、大多数の普通の女の子とは乖離した場所で鳴っていたのだけど、レベッカ以降、等身大の女の子がちょっぴり背伸びした範囲の歌詞を歌うアーティストが増えた。こういったのは、80年代ソニーの功績のひとつ。



3. Cotton Time
 UKニュー・ウェイヴの香りが強く漂う、イントロだけ聴いてるとDuran Duranのようなサウンドを、この時代の日本のバンドで表現できるのはレベッカだけだった。いやもちろん、もっと先鋭的なアーティストはいたのだけれど、きちんと大メジャーのソニーの設備と予算を使うことによって、海外と同じクオリティにできたのは、やはりバンドの基礎体力の違い。頭でっかちな理屈だけじゃできないのだ。
 メロウなサウンドとシックなメロディ・ライン、そしてNokkoのウェットになり過ぎないヴォーカル。

 “Three Step Cotton Time
  明日になれば またつらいことの繰り返し
  Four Step Cotton Time
  やさしい このひと時を 夜よどうぞ奪わないで“
  
 案外ネガティヴな歌詞だったことに気づかされる。ここはやはりバブルに浮かれる前の日本、70年代の延長線上だった80年代中期を象徴している。

4. 76th Star
 ちょうどハレー彗星が話題になった頃だったので、それにからめた歌詞が時代性を感じさせる。
 リズム・セクションも音自体はアウト・オブ・デイトなのだけど、基本的なリズムがしっかりしているので、今でも充分通用する。しかしボトムが低いサウンドだよな。

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5. 光と影の誘惑 (Instrumental)
 UKポスト・パンクの流れを汲んだ、演奏陣によるナンバー。こういったナンバーをきちんとポップ・アルバムの流れに組み込めること、それはやはりきちんとしたサウンド・コンセプトに則ったもの、と考えたいのだけど、まさか時間が足りなくてヴォーカルを入れられなかった、ってわけじゃないよね?

6. ボトムライン
 ファンキーさを強調したCindy Lauperといった感じ。シングル・カットはされていないのだけれど、ライブでもよく演奏されていたため、ファン以外にも認知の高い曲。ダンス・ナンバーとしても優秀。



7. ガールズ ブラボー!
 ファンキーさとロック・テイスト、それでいて切ないポップ・メロディも内包した、きちんとしたプロによるナンバー。こういった凝った作りのサウンドを量産していたソニーのパワーも然ることながら、ハード・スケジュールの中、緻密なアンサンブルを構築した演奏陣も高いレベルの仕事をしている。
 ちなみに先日のMステ出演時、過去の出演シーンでNokkoが「バンドが自分たちの演奏を覚えてなくて、レコードを聴き直してライブの練習をしてる」と愚痴っていた。もしかしたらやっつけ仕事的なものもあったのかもしれないけど、できあがった音にそんな気配は感じられない。

8. フレンズ
 オリコン最高3位、年間チャートでも30位。しかも、14年後にドラマ『リップスティック』の主題歌として再リリースされた際も、オリコン最高6位まで上昇している。あのCDバブルの90年代にベスト10入りしているのだから、それだけ求心力の高い、恐ろしいパワーを秘めた曲。
 前述したように、あのチャラい”Love is Cash”の後にリリースされたシングルである。このモデル・チェンジは衝撃的だったことをリアルタイムで覚えている。

 “口づけを 交わした日は
  ママの顔さえも 見れなかった
  ポケットのコイン 集めて
  ひとつずつ 夢を数えたね“

 この友達が男の子なのか、それとも女の子なのか。どちらとも取れる、切ないティーンエイジャーの心の揺らぎを活写した歌詞。めちゃめちゃ大ヒットしながらも、決して使い古されることのない、永遠のエヴァーグリーンな時間。



9. London Boy
 シャッフル・ビートと"Be My Baby"のリズムをうまくクロスさせた、親しみのあるロッカ・バラード。結構複雑なリズム・パターンなのだけど、そこをサラッと歌いこなすNokkoだけど、もしかすると、こんな歌いづらいトラックにしやがって、と内心ムッとしてたかもしれない。

10. Maybe Tomorrow
 “Flashdance”と同じ音色のオープニングながら、壮大なスケールを感じさせる正統派バラード。

 “だけど明日は きっといいこと
  あると信じてたいの Maybe Tomorrow”

 このナンバーに象徴されるように、ソニー系のアーティストは総じてネガティヴな一面を持っており、単純な人生応援歌的な曲ばかり歌っているわけではないことに気づかされる。
「いいことあるさ」じゃなく、「いいことあることを信じていたい」と言い切ってしまう弱さをさらけ出してしまう勇気。
 元気100%のレベッカだけでなく、ちょっと切ない面も持ち合わせていること。
 リアルタイム世代がレベッカに魅かれる理由が、ここにある。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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