好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Vocal

時代に合わせて呼吸をするつもりはない。 - 浅川マキ 『Long Good-bye』


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  浅川マキが亡くなったのは2010年が明けて間もない頃で、あれからもう11年になる。こうやって回顧してるように書いてるけど、当時の俺は「夜が明けたら」くらいしかしまともに知らず、関心がなかった。
 何となく、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのデビュー・アルバムで歌ってたニコとイメージがかぶる。思ったのは、ただそれだけ。
 「アングラの女王」という先入観が強く、あんまり食指が動かなかった。普通の日常を送る者にとって、彼女らの音楽と出逢う機会は、まず訪れない。
 そんな俺がマキの音楽に触れたのは、家にいることが多くなった去年のコロナ禍がきっかけだった。休日の外出が憚られたため、気ままに遊びに行くこともできず、都合、インドア趣味に耽ることが多くなる。
 ただ俺の場合、高校生あたりから映画→音楽→読書のマイブームが不連続無限ループで回っているため、家に居続けることは、そんなに苦にならない。店に出向いて予想外のアイテムと出逢うことはないけど、大抵のことはネットで済んでしまう。便利だよAmazonプライム。
 UKニューウェイヴやレアグルーヴ、80年代ソニーなんかの懐古モードが一巡し、未知のジャンルに手を伸ばしてみたりもする。何しろ時間はたっぷりある。
 Amazon Musicの「関連のあるアーティスト」を辿っていくと、普段の流れじゃまず聴くこともないアーティストやジャンルに迷い込んでしまうことが多々ある。マキとの出逢いも、そんな流れだった。
 サブスクには「Long Good-bye」と「シングル・コレクション」しかラインナップされてなかったので、その2つを交互に聴いた。1週間程度の短い間だったけど、濃密な体験は熱病のように訪れ、そしてフッと去った。
 「好きで聴いていた」というのとは、ちょっと違う。「異質な存在に取り憑かれ、無性に求めていた」という方が近い。その流れで、ちあきなおみにもハマった。
 コロナ禍も収まりを見せ、おっかなびっくりだけどスーパーコンビニ以外に買い物に出かけ、外食もできるようになった。少しずつ普段通りの生活に戻るに従い、マキへの熱は冷めていった。
 気分的なものか、あまりダウナーな音楽を求めないようになっていた。変な解放感にあおられてか、アメリカの雑誌「Rolling Stone」が選出した500枚のアルバム全レビューなんて無謀な企画に手を出しちゃったものだから、普段ならまず聴かないジョイ・ディヴィジョンからテイラー・スウィフト、ヴェルヴェッツからカニエ・ウエストなどなどを聴いてるうち、マキへの憧憬は次第に薄れていった。いったのだけど。

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 ほぼ毎年恒例となった猛暑が過ぎ、肌寒くなった昨今、またマキが聴きたくなってきた。どうこじつけても、蒸し暑い真夏には似合わない女だマキ。
 別にネガティヴな事由があったわけでもない。至って普通の日常だ。でも、マキの声を俺が求めている。
 ー浅川マキとは、どんな女なのか。どのような生活を送り、生きてきたのか。
 マキは孤独を愛し、何よりも自由を愛した。俗に言うアングラの人ではあるけれど、普段からシリアスな言動だったわけでもない。少なからず慕い慕われる人はいたけど、その輪は決して広くはなかった。
 黒いコートと長い髪がトレードマークで、夏でもブーツを履き、タバコを手放さなかった。そんなとっつきづらいいでたちではあったけど、それを乗り越えると長い付き合いになった。
 すごく頑なで意固地で、でも「正しいことは正しい」と、自分の意見を曲げない性格だった。長く慕う者ほど強くあたり、時に絶交することも辞さなかった。生きにくさを自覚してはいたけど、中途半端な妥協より、潔い別れをいつも選んだ。
 生涯通して、大きなヒットには恵まれなかった。ただ、それをマキ自身が望んでいた節もある。オリコン上位には縁がなかったけど、ロングテールで細く長く売れたアルバムが多く、70年代のアルバムの多くはトータル10万枚以上は売れているらしい。
 まとまった額の印税が入ることは少なく、普段の生活はカツカツだったけど、熱心な固定ファンがそこそこいたため、売り上げは安定していた。メジャーの最低アベレージは常にクリアしていたため、インディーズ移籍は経験しなかった。
 寺山修司にはじまり、メジャーマイナー問わず、多くの男性アーティストがマキを慕った。「慕う」といっても、仲良しこよしな和気あいあいでは、もちろんない。
 阿部薫や近藤等則、下山淳ら、みな普段から物騒な男たちだったけど、マキの前ではさらに拍車がかかった。マキの前では、皆が荒ぶり昂りを抑えきれず、普段の何倍もフリーキーで美しいプレイを演じた。
 常に高いレベルを要求されるマキとのセッションに呼ばれるのは、彼らにとってひとつの名誉だった。80年代のマキを支えた後藤次利なんて、当時、飛ぶ鳥を追い落とす勢いのヒットメイカーだったにもかかわらず、安いギャラでプロデュースを買って出、ライブにも参加した。 
 そういえば後藤、中島みゆきともコラボ長いんだよな。女の魔性に転がされやすいのか、はたまた、ある種の女を惹きつけるフェロモンを持っているのか。
 麻布十番の古いマンションの4階の小さな部屋を寝ぐらとし、近所のスーパーで惣菜を買う、そんな慎ましい生活だった。長電話が好きで、単なる受付嬢と1時間くらい喋り通していたこともあった。
 寂しがり屋でいながら、孤独好き。ステージで興が乗ると、MCも饒舌になった。でも演奏に入ると、女神が憑依し、客席はじっと聴き入った。
 ちょっと調べてみただけで、マキに関する逸話やエピソードがいろいろ出てくる。関わった者はみな、マキとの日々を語りたくなり、ファンは自分に投影したり共感を深め、マキのことをもっと知りたくなる。
 「歌は歌だけで成立するものであって、歌い手の個性や背景は必要ない」という見解がある。それはそれで正しい。
 でも、それだけじゃ足りない場合もある。マキの場合がそうだ。
 マキのバックボーン・背景が知りたくなる。詩へ託した想いや心象風景だけじゃなく、普段の生活ぶりや趣味嗜好、もろもろすべてを。離れてても、どこかでつながっていたいと願い、それでいて深くなるのを恐れる自分がいる。
 人はそれを、恋と呼ぶ。

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 中島みゆきは80年代に入ってから、従来のニューミュージックの枠を超えた、ロック・テイストのサウンドに傾倒した。その果敢なチャレンジは、ある程度の成果を得はしたけど、保守的な固定ファンの間では賛否両論を呼び、のちに「ご乱心期」と称された。
 マキのキャリアを時系列で追ってみると、初期の「ちっちゃな頃から」「かもめ」「夜が明けたら」に象徴されるブルース歌謡フォークはほんの一時期で、以降は様々な異ジャンルとの交流が著しい。なので、サウンド・コンセプトはアルバムごとに変容し続けており、生涯通してご乱心だったとも言える。
 シャンソンからロック、アバンギャルドからシティ・ポップまで、マキが手がけたジャンルは多岐にのぼる。どれだけ作り込んだサウンドでも突飛なアレンジでも、マキが歌えば全部「浅川マキ」というジャンルになってしまう。
 どうにかマキを出し抜こうと、名うてのミュージシャン・クリエイターらが、果敢に挑み続けた。彼らはみなマキと対峙すると、荒ぶるプレイを披露した。
 爪痕を残すことはできたけど、マキの存在を揺るがすには至らなかった。ある程度の成果は残せたのかもしれないけど、得るものが多かったのはむしろ彼らであって、マキの手元に残るのは、刹那な充足感だけだった。
 自作曲だけにこだわらず、マキ自ら日本語に意訳したカバーも多かったのだけど、取り上げるジャンルは幅広く、時に極端だった。キャラ的に「聖ジェームス病院」や「暗い日曜日」はわかるとして、あまりリンクがわからないロッド・スチュアートを、5曲もカバーしている。
 ホール&オーツの「Possession Obsession」という選曲は意表を突きまくっており、ていうか、こういうポップ・ソングも分けへだてなく聴いてたんだな。そんな懐の深さに驚いたりもする。
 晩年のマイルス・デイヴィスが、ジャズとは対極のポップ・ソング:シンディ・ローパー「Time After Time」やマイケル・ジャクソン「Human Nature」を積極的にカバーしていたように、マキもまた、スタイルやジャンルにこだわらず、よい曲を収受選択していた。マイルスの場合だと、セールスや客ウケを意識した面が多少はあったけど、マキの場合、そういった配慮や忖度は見られない。前述したように、どれだけ元がポップでも、マキが歌えばマキに染まってしまう。
 98年以降、マキのアルバムリリースは途絶え、ライブ中心の活動に移行してゆく。すでにこの時点で新曲を書き下ろすことは稀となっていた。
 言いたいことは言い尽くしてしまったと悟ったのか、過去に発表した曲に新たなアプローチや解釈を付け加え、マキ自身を納得させるかのように、深く深く掘り下げていった。気に入ってるのか納得行かないのか、同じ曲を何度も何度も歌い続けた。
 歳を重ねるにつれ、過去にリリースした多くの音源を恥じた。多くのアルバムを廃盤にするよう、レコード会社に要請した。
 生きることも終盤に近づきつつあることを悟り、気に入ったテイクだけを集め、自選コンピレーション・シリーズ『Darkness』としてまとめた。それらの行為は、いわば終活だったのだろうか。

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 ー「なにものにも縛られない自由」を欲していた女。それが、俺がマキに抱く印象だ。
 自由の定義は幅広いけど、突き詰めていけば孤独に到達する。さらにその先にあるのは、虚無と絶望だ。
 でも、そこまで人は強くない。マキだってそうだった。人は生き続けるため、どこかで折り合いをつけて社会生活を営む。
 会いたくもない人と会い、したくもない仕事をする。時々なら、愛し合ったり一緒に住むのも悪くないけど、それが長く続くとなると気疲れしてしまう。
 よほどしがらみから逃げたいのなら、離島や田舎に隠遁するのだけど、そういうことじゃない。人の温もりや気配は感じていたいけど、進んでその中に入りたくないだけなのだ。
 ひとりでい続ける自由、好きな時に会ったり合わなかったりする自由、歌いたい歌を好きに歌う自由。
 何か得るためには、何かを諦めなければならない。マキの場合、得ようとしていたのが自由であり、そのために多くのものを諦めていった。
 そんなマキの生き方に憧れる時がある。でも、すぐにムリと思い直す。背負っている物を捨てるのは、おそろしく勇気がいる。
 アンタにはムリよー。
 マキの歌声の裏で鳴り続ける虚脱感。いつの時代もどの歌でも、流れているのはその言葉だ。





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1.  夜が明けたら
 1969年にリリースされたデビュー・シングル。正確には67年、歌謡曲路線の「東京挽歌」が最初なのだけど、全然売れなかったし、本人的にも「出しちゃったものはなかったことにできないけど、自分的には黒歴史」と発言しているため、オフィシャルでもマキの意向に沿った形になっている。
 ホームグラウンドとしていたアングラ・シアター「蠍座」での実況録音という形を取っている。いきなりライブ録音というのもあまり聞かない話だけど、マキらしいと言われれば、なんか納得してしまう。いきなりモノローグで始まるのも異例だし、ラストの汽車のSE効果は、昭和40年代という時代性を彷彿させる。
 しがらみや因習の多い田舎町に辟易し、一刻も早く飛び出したい心境の女。誰か、私のことを誰も知らない街に連れて行ってほしい。ここ以外の、どこか。
 でも、外へ飛び出す勇気なんてない。一緒に行ってくれる人も、誰もいない。誰も止めてくれるはずもないのに、でもどこへも行けない。結局のところ、自分で決めて踏み出すしかないのだ。
 いっそ、追い払われる方が、どんなによかったことか。
 
2.  ちっちゃな時から
 2枚目のシングルもライブ・アルバム『MAKI LIVE』からのシングル・カット。リテイクが可能なスタジオ録音と比べ、一発勝負のライブ録音の方がクオリティ高いとされていたらしい。グレイトフル・デッドみたいだな。
 当時の歌謡曲のトレンドだった、抒情的なフルート・ソロから始まり、全体的にGSっぽいメロディだけど、グルーヴィーなリズム・セクションはレア・グルーヴ好きにはたまらないアンサンブル。クレジットを見ると、ドラムはつのだ・ひろ。まだ☆はついてなかったっぽい。
 「さよなら 夕陽がきれいだよ」というベタな歌詞は、アングラ・フォーク路線から脱皮して、例えば藤圭子やちあきなおみなどに属する「怨歌」路線への傾倒を感じさせる。多少は華やかな歌謡曲路線への憧憬もあったのだろうけど、マキの背負う闇は、表面的な模倣ではかき消せなかった。
 
3.  赤い橋 
 こちらも『MAKI LIVE』より。またまたライブ・テイクのシングル・カット。今のところ、スタジオ録音のシングルはなし。
 モノローグに続く、アコギのみのバックで歌うマキ。末期はメロディが解体され、ほぼモノローグばかりになってしまったマキだけど、この時期の歌を聴くと、表現力豊かな歌唱であることがわかる。
 土俗的な因習が漂う民話的世界観によって綴られる言葉は重く、そしてひどく冷たい。都会から遠く離れ、孤絶した田舎の空気感。忘れたかったはずなのに、こびりついてくる郷愁。
 観衆たちもみな、故郷を棄てた者ばかりだった。ネガティヴな共感を求め、マキの歌を生理的に欲する。

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4.  放し飼い 
 ここから一気に時代が飛んで1987年、初のセルフ・プロデュース作『こぼれる黄金の砂 -What it be like-』から。「ポップスを作る」というコンセプトのもと、当時はまだ若手だったホッピー神山が参加、なぜか気に入っていたと思われるダリル・ホール「Dreamtime」のカバーが収録されていやり、そこそこ前向きな商業路線のサウンド・プロダクションになってはいる。
 いるのだけれど、まぁ売れるはずないわな。ポップと言うにはエッジが立ちすぎてるし、音のパーツはどれもズッシリ重い。ヒットチャートに決して載ることはないけど、最先端を無視した独自路線のサウンドは、孤高の極みにある。
 やたらロックっぽさに寄り過ぎた言葉がちょっと違和感だけど、変に力みのない脱力系のヴォーカルは、むしろ今の時代の方がフィットするんじゃないか、と勝手に思ったりする。しかし内田裕也っぽいんだよな、この時代のヴォーカルが。

5.  あなたなしで 
 いったん時代は遡って、1976年リリース『灯ともし頃』より。西荻窪にあった「アケタの店」での実況録音だけど、無観客で行なわれたらしく、厳密にはライブ盤ではない。臨場感の演出という面において、当時のマキのポテンシャルを効果的に引き出すためには、セッション・スタイルのレコーディングが最良だった。
 坂本龍一やつのだ・ひろ、その後もたびたび共演することとなる近藤俊則など、ただでさえ濃いメンツらがマキのもとに集い、テンション高い演奏を繰り広げている。逆に言えば、マキ不在だと、とっ散らかって収拾つかなくなるんだろうな。そう考えると、当時からマキのカリスマ性が突出していた、ということで。
 
6.  ガソリンアレイ 
 『MAKI LIVE』より。またライブ。この『Long Good-bye』に限らず、マキのベスト盤を組むとなると、このアルバムからのセレクトが多い。
 マキのヴォーカルもそうだけど、演奏のテンションがやたら高いため、純粋に完成度も高いし、しかも聴きやすい。「聴きやすいマキ」っていうのもなんか矛盾してるけど。
 ご存じロッド・スチュワートのカバー。洗練さとはかけ離れたスワンプ・ロックのサウンドと、男臭さを強調したマキの訳詩との相性は良い。
 
7.  それはスポットライトではない 
 1978年リリース『ライブ・夜』より。ソウルフルに歌ってる男性ヴォーカルは、ご存知つのだ・ひろ。この頃はつのだ・ひろ、「メリー・ジェーン」のヒットで大忙しだったはずだけど、マキとの仕事は可能な限り参加していた。

 もしも光がまたおいらに当るなら
 それをどんなに待ってるさ
 ずっと以前のことだけれど
 その光に気付いていたのだが
 逃がしただけさ

 マキが書いた訳詩は、基本、ロッドのオリジナルの直訳だけど、それなのになぜだか、真に迫ったマキの想いが強く浮き出ている。言葉だけじゃなく、歌声、そして節回しの端々に。
 晩年もマキ、この歌を好んで取り上げ、何度も何度も繰り返し歌った。この歌の奥底に、いったい何を見出していたのか、それとも、見えてなかったのか。

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8.  かもめ 
 こちらも『MAKI LIVE』より。シングル「夜が明けたら」のB面が初出。フォーク怨歌で行くのかブルース歌謡路線で行くのか、方向性が曖昧だった頃の曲で、どちらかといえば歌謡曲テイストが濃い。「さよなら あばよ」って言葉遣いは、グルーヴしない和田アキ子って感じだもんな。
 
9.  裏窓
 1973年4枚目のアルバム『裏窓』からのタイトル・チューン。ここまでのジャズ/ロック・バンド・スタイルからガラッと曲調が変わり、ここではシャンソン。まぁらしいっちゃ、らしい。
 ちなみに作詞は寺山修司。この頃はまだ係わりあったのかな。
 アコギの爪弾きと、時々クラリネットが隙間を埋めるシンプルな演奏で、アンニュイと徒労感を漂わせるマキの声は、果てしないやるせなさを感じさせる。昼間っから聴く曲ではないけど、強く放たれる闇があるからこそ、眩い光の存在感があることを、改めて気づかされる。

10.  淋しさには名前がない 
 デビュー作『浅川マキの世界』より。このアルバム、アナログA面はスタジオ録音、B面がライブという珍しい構成で、この曲はスタジオ収録。そういう時代だったのか、ヴォーカルのエコーがやや強めにかけられており、現在の耳ではちょっと違和感はある。ミステリアスな演出としては悪くないんだけど。
 「ふられた女の強がりと恨み」というテーマは、初期中島みゆきとかぶるところが多いのだけど、他人と長く暮らせず、制限ない自由を求めるマキの諦念は、みゆきとは別の方向を向いている。束縛と独占を願ってしまう若き日のみゆきに対し、28歳のマキは、孤独を選ばざるを得なかったのだ。


11. 少年 
 『MAKI LIVE』より。初出は『MAKI Ⅱ』だけど、これもライブ・ヴァージョン。素朴できれいなフォーク・タッチの小品で、当時はシングル・カットもされている。
 この頃はまだ4畳半フォーク全盛期で、東芝的にもリリィや中山ラビみたいな感じで売り出そうとしてたのか、シングル・リリースもそこそこ積極的に行なっている。
 マキの歌の中では純朴でクセも少ないので、初心者には入りやすいんだろうけど、リリース当時だったらともかく、近年、マキに興味を持った人が、素朴さを求めるとは思えない。なので、箸休め的な感覚で聴いている。
 ちなみにこの曲、96年リリースの『BLACK -ブラックにグッドラック』で「少年(Ⅱ)」としてリメイクしているのだけど、原曲そっちのけで解体して再構成して、オルタナ風味のギターが鳴り響き続ける怪作として仕上げられている。メロディもあってないようなもので、闇の奥から囁くモノローグが、実はクセになる。俺的には、こっちのヴァージョンの方が好み。

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12. にぎわい 
 『MAKI LIVE』より。このアルバムのみ収録のため、スタジオ・テイクはなし。
 ちなみに作曲がムッシュかまやつ。そのせいもあってか、歌詞も男たちの友情を描いており、ムッシュ・テイストが漂っている。
 何かと器用な人なので、「こうすればフォークっぽくなる」というツボを心得て作ったようなメロディなので、キャラの濃い楽曲が並ぶこのアルバムの中では、存在感は薄い。箸休め的なものかな。
 
13. セント・ジェームス病院 
 アルバム『裏窓」より。「サッチモのヴァージョンが最も有名」と言われているけど、あんまり意識して聞いたことない。タイトルの方が先に知ってたかな、俺的には。
 ゴリゴリの初期南部ブルース的世界観を、変に虚飾せず、シンプルかつストレートに、それでいて突き放したスタイルは、その後のマキの音楽性の指針のひとつとなる。変に泣き節にならず、悲壮な物語の伝承者として、余すところなく情景を綴った言葉は、新しくはないけど、古くもなりづらい。
 その原風景は、というより、ここで得た視点は、シンガー:浅川マキの初期完成形だ、と勝手に思っている。

14. こころ隠して 
 近藤等則が全面プロデュースした1982年のアルバム『CAT NAP』より。アバンギャルドな2枚目トランぺッターとして、メディア露出が多くて多忙だった近藤だけど、やっぱりマキの頼みは断れない。
 ニュー・ウェイヴなギター・ロックとレゲエをミックスさせたサウンドは、それまでのマキの遍歴からすれば異端だけど、様式美が先行していたジャズやフォークにしがみつくよりは、よりセンシティヴなミュージシャンたちと手合わせする方を選んだ、ということなのだろう。でもやっぱりいるんだよな、つのだ・ひろは。あ、この頃はもう、☆あったっけ?

15. こんな風に過ぎて行くのなら
 1996年リリースの同名アルバムより。オリジナルは1973年の『裏窓』に収録。オリジナルがロッド・スチュワート・テイストのスワンプ・ロックだったけど、リメイクも基本は落ち着いたフォーク・ロック。オリジナルはドラムのアタックが強調されたミックスだったけど、ここではマキの歌にフォーカスした、バランスの良いアンサンブル。
 このオケでこのピッチなら、中島みゆきが歌ってもハマるよな、と思ってクレジットを見たら、アレンジ:後藤次利だった。やっぱりね。
 
 こんな風に過ぎて行くのなら いつか 又 何処かで なにかに出逢うだろう
 何もかも隠してくれる 夜の帳を潜りぬければ
 今夜程 寂しい夜はない きっと今夜は世界中が雨だろう

 この歌に限らず、マキは何度も何度も、同じ歌を歌い返し、歌い続けた。
 同じアレンジでも、いつもアプローチは違っていた、という。
 この言葉にこの旋律に、ふさわしい歌い方、そして響き、伴奏。
 歌いたいことなんて限られているけど、書き綴った言葉の奥に、何があるのか―。それを探しあぐねたのが、マキという女だった。

16. マイ・マン 
 1982年の同名アルバムより。ジャズ。ど真ん中のジャズ・ヴォーカル。
 あまり言及されていないけど、浅川マキのヴォーカル・テクニックは相当のもので、特にこういったスタンダード・ジャズになるとレベルの優劣がはっきりする。単なる怨歌やブルース、フォークにとどまらないバイタリティーは、美空ひばりやちあきなおみに匹敵するレベルだったんじゃないか、と個人的には思う。
 でも、何やかや紆余曲折してマキ、晩年はそんな小手先のテクニックもかなぐり捨てて、未知の領域に突入してゆく。このままジャズにとどまっていれば、笠井紀美子クラスには十分なれたかもしれないのに。
 でも、ここじゃなかったんだよな、在るべき場所は。

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1. TOO MUCH MYSTERY 
 1978年リリース『寂しい日々』より。演奏だけ抜き出せばリトル・フィートみたいなモダンな演奏。
 古株ファンにとっては軽すぎるようで評判はあまりよろしくないみたいだけど、70年代シティ・ポップの系譜で見るのなら、決して悪くない。偏見のない若い世代からすれば、この昭和グルーヴ感は逆に新鮮に映るんじゃないかと思われる。
 しかし、つのだ・ひろの安定感よ。「メリー・ジェーン」と「つのだじろうの弟」という見方が一般的だけど、日本人離れしたソウルフルなヴォーカルとリズム・センスは、もっと評価されてもいい。

2. コントロール 
 1983年リリース『WHO’S KNOCKING ON MY DOOR』より。冒頭から乱れ飛ぶスラップ・ベースは、もちろん後藤次利。歌謡曲仕事もいろいろこなしてて多忙だったはずだけど、やはりマキの頼みは断れない。
 のちの研ナオコもカバーしているので、主にポップス/歌謡曲の言語を用いて書かれている。それだけならいいのだけれど、マキの声に張りがないのが気になる。敢えて力を抜いているのか、はたまたサウンドとの調和を考えてキャラを抑えているのか。

3. めくら花 
 ここで一気に時代は遡って、1971年リリース『MAKI II』より。多分、当時もラジオではかけづらかったんじゃないかと思われる、ダイレクトにセンシティヴなタイトル。
 でもシングル・カットしてるんだな。なに考えてんだ東芝EMI。売る気ねぇだろ。
 刹那的な寓話調の歌詞はマキ自身のものではなく、当時の流行か、大サビの過剰なエコーがミスマッチで、いま聴き返すとキッチュ感満載。タイトルもあって再評価されづらいよな。
 ていうか、2010年リリースのベストで、なんでコレ選曲したんだろうか。謎だ。

4. ふしあわせという名の猫 
 デビュー・アルバム『浅川マキの世界』より。洗練されたボサノバ・フォークでまとめているけど、内容はまぁ普通。
 歌詞を書いたのは寺山修司。フォークと歌謡曲のハイブリッドを目指して書かれた歌詞はどっちつかずで、まぁ深読みしようと思えばいくらでもできるんだろうけど、多分そこまで深くない。
 この人の場合、当たりはずれの落差が激しいんだよな。完全にアングラに振り切っちゃえば面白いんだけど。

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5. ナイロンカバーリング
 『寂しい日々』より。ちなみにタイトルはコンドームの意味。
 山下洋輔をゲストに迎え、ど真ん中のジャズ・スタンダードとなっている。異ジャンルのアーティストがジャズ・ヴォーカルをやったりすると、変にロックや歌謡曲のコブシが入ったりして、それはそれでひとつの味になるんだろうけど、マキの場合、ほぼ本業と同じレベルで歌いこなしている。
 古株のファンには、このジャズ時代のマキの人気が高く、確かにそれは俺も納得はするのだけど、そういった完成形を叩き潰すアブストラクトな晩年の作品に惹かれてしまうのは、多分、アングラに憧れる中二病テイストによるものなのだろう。

6. If I’m on the late side 
 1977年リリース『流れを渡る』より。またまた出たロッドのカバー。
 この時代のアンサンブルはもはや最強と言ってもよく、名うての若手プレイヤーたちが、マキという素材を好き勝手にいじり倒し、俺が俺がと前に出て技を披露しているのだけど、結局、すべてはマキの掌の上だった、という構図が見えて面白い。まだ若かった吉田健も坂本龍一も内田勘太郎も、結果的に手の内を全部引き出して最高のセッションに仕上がっている。
 ロック・スタイルのマキのヴォーカルは、この時代に頂点を迎え、それ以降、彼女の関心はジャズやシャンソンに傾倒してゆく。

7. 大砂塵
 1972年リリース『Blue Spirit Blues』より。オリジナルとしては3枚目で、ここで初めて全曲スタジオ録音。
 初期のアングラ怨歌路線から一転、ここでは全編フォーク・ブルースでまとめており、これも大陸感満載のタイトルと言葉が綴られている。こういったスタイルもそつなくこなせる器用さと勘の鋭さが、浅川マキというアーティストの強みだった。

8. Blue Spirit Blues
 こちらも同名アルバムより。「セント・ジェームス病院」にも通ずる、救いも希望もない歌詩を、マキは朗々と歌い綴る。感情と抑揚は盛り込まれてはいるけど、でもそっちの世界に完全に足を踏み入れることはない。
 ここで歌う自分もまた、他の誰かかもしれない。そんな無常観は、時に冷静さとして作用することによって、マキは自ら命を絶つことはなかった。孤独への渇望、究極の絶望とは相反する。そういうことなのだろう。紙一重、とも言える。
 
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9. ちょっと長い関係のブルース
 『マイ・マン』より、その後もリメイクされたり再演も多かった、その後のマキの方向性を決定づけた楽曲。スタイルとしてスタンダード・ジャズだけど、ブルースの技法や、その後、顕著となるポエトリー・リーディングの手法の萌芽が見えたりして、その脱線ぶりこそが、マキのビジョンだったんじゃないか、と。
 曲のセオリーやフォーマットをある程度押さえながら、混沌とした自由律を描くことに成功している。俺的にはこの辺からが興味深くなる。





10. POSSESSION OBSESSION 
 「浅川マキが敢えて普通のポップスをやる」というのは、実は究極のアバンギャルドかもしれない。そう思いついたのか、ホール&オーツのヒット曲を、当時、コンポーザーとして名が売れていた本多俊之に委ねたのが、これ。1986年のアルバム『アメリカの夜』に収録。
 全体的に軽いシティ・ポップで、演奏だけ聴くと「ハートカクテル」の世界だけど、歌ってるのがマキなので、やはりどこか異形な感じは否めない。昭和レアグルーヴの文脈での再評価も、ちょっとアリなんじゃないかと思うけど。

11. アメリカの夜
 こちらも同名アルバムよりタイトル曲。こちらも軽い。全体的に軽い。ブラコンっぽいリズムにソプラノ・サックスが入ると、気分はもうオメガトライブ。その辺を狙ったのかな。
 東芝EMIがこの時期のマキに対し、セールスのプレッシャーをかけたとは考えづらいので、おおよそはマキの意向が反映されているのだろうけど、なんか一般的な認知を得たい時期だったのかな。歌い方もクセを抑えてそつなくこなしてるし、シャレオツなデート情景を切り取ったような歌詩は、いわゆる万人向けではあるし。

12. 朝日樓 (朝日のあたる家) 
 『MAKI LIVE』より。てっきりオリジナルはアニマルズと思っていたのだけど、実際はアメリカの伝統民謡。トラディショナルなウェット感は日本人の感性にも共鳴するので、何がしかのヴァージョンを聴いた人は結構多い。
 娼婦の嘆きを描いたブルースは、マキのキャラクターとも親和性があり、真に迫った歌唱を聴かせている。

 誰か言っとくれ 妹に
 こんなになったら おしまいだってね

 あまりにリアルすぎる、バックボーンを知ってたらシャレにならない、そんな自虐的な訳詩だけど、それをどこかで冷徹に見つめている観察者の視点。それこそが、マキなのだ。

13. あの娘がくれたブルース 
 『Blue Spirit Blues』より。歌詩にだけ目を通すと、昭和の歌謡曲テイストまんまだけど、実際聴いてみると、たしかにそのまんまだった。考えてみれば、昔の歌謡曲は様々なジャンルが玉石混交でバラエティに富んでおり、こういったブルースから演歌、はたまたブギウギやロカビリーまで、平気で歌いこなしキャラを使い分けるシンガーが結構いた。
 それだけ裾野も広く、どの歌手もみな、とんでもない歌唱力を有していたわけで、マキもまたアングラとメジャー、怨歌フォークと歌謡曲のボーダーに位置していたこともあって、広義で言えば歌謡曲のカテゴリーに入るんだよな、っていうのを今さらながら気づいた。

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14. 暗い日曜日 
 『寂しい日々』より。「聴くと自殺したくなる」という伝説を残している曲であり、日本でも昔からカバーされている有名曲だけど、ダミアの放つ絶望感までカバーできたのはマキだけだった、という見解が多い。
 ダークな倦怠感が支配する、ピアノと歌だけのトラックは、確かに暗いんだけど、その暗さをコントロールしているのは、マキの理性である。下手なシンガーなら、もっとドロドロに感傷的になってしまうところを、あくまで歌と旋律の調和にこだわるマキ。表現者として、感情に埋没せず、クレバーさを失わないのは大切な要素である。

15. ジンハウス・ブルース
 『MAKI Ⅱ』より。古いラグタイム・ブルースだけど、まだデビュー間もなかったこともあって、キャラが不安定で声も細い。もっと時代が下ると、声にドスが聴いて旋律も消失、無調の音楽になるのだけど、晩年は歌ってたのかな。90年代以降のライブで聴いてみたい曲のひとつ。

16. INTERLUDE 
 スタジオ・オリジナル盤としてはラスト、『闇のなかに置き去りにして ~ BLACKにGOOD LUCK』より。もともとアルバムの仮タイトルが「ラスト・レコーディング」だったらしく、本人的にもひとつの区切りだったと思われる。
 それまでに培った、フリー・ジャズからシャンソンまで、あらゆるジャンルを縦横無尽に渡り歩き、そして貪欲に吸収し咀嚼して吐き出してきたマキ、ここでは原点回帰して歌にきちんと向き合った姿勢で臨んでいる。
 一聴して「エピタフ」みたいだな、って思ったけど、歌詩に目を通してみると、思ってたより前向きなことを歌っている。
「いまはこの夢 僕は信じたい」「いまはこの夢 僕は迷わない」。
 深読みしてネガティヴに捉えるのは、ちょっと屈折しすぎだと思う。あらゆることにきちんとケリをつけて、一歩踏み出すはずだったのだ。
 そうとでも思わなければ、あまりに悲しすぎる。








心臓を鷲づかみする声、あらゆる者を虜にするまなざし - Amy Winehouse 『Back to Black』

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 2006年リリース、エイミー2枚目のオリジナル・アルバム。そして、これが生前最期の作品集となった。全世界での累計セールスは1100万枚、日本でも10万枚売れてゴールドを獲得している。
 本国イギリスではなんと400万枚、歴代13番目に売れたアルバムとして記録されている。マドンナのベストとアデル『25』に挟まれるほど、あの英国人に支持されていたとは、ちょっとビックリ。あぁいったヴァンプ的なビジュアルに拒否反応示す人も多いだろうに。

 一度聴いたら忘れられない個性的な声を天から授かったエイミー、さらに加えて暴力的とも言える動物的カンまで併せ持っていた。
 イントロが始まり、静かにマイクの前に立つエイミー。リズムを感じながら躰を揺らし始める。バンド・アンサンブルの調子を確かめながら、自身のコンディションをシンクロさせてゆく。何度も歌ってきた曲であっても、その作業は変わらない。クレバーな反復とセンシティヴな直感、それらは必要なプロセスなのだ。そんな手続きを経ることによって、エイミーの歌は常に鮮烈で、同じ曲でも違ったアプローチとなる。そのパフォーマンスはオリジナルであるけれど、常に刹那的なものだ。
 なので、どんなバッキング、どんなサウンドで歌っても、結局エイミー・ワインハウスのオリジナルになってしまう。ジャズでもロックでもソウルでも演歌でも、ほんと何だって無問題、ドスとタメの効いたヴォーカルは、一声でサウンドを制圧してしまう。
 彼女が活動していた時期のヒット・チャートの主流は、リヴァーブ厚めのビートを音圧MAXにブーストした、終始アッパー系リズムが支配したサウンドだった。そんな時流とは正反対のベクトルを描いていたのが、エイミーの歌だった。

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 50年代の正統派ジャズ・ヴォーカルのアルバムから、ヴォーカルだけ抜いて21世紀のサウンド仕様にアップ・コンバート、そこにガラガラ声でクセの強いビッチ風ヴォーカルを差し替えたのが、デビュー・アルバム『Frank』だった。
 当時のトレンドとは真逆のベクトルを描いた『Frank』の異質さは、万人向けのものではないはずだった。はずだったのだけれど、でも売れた。発売当初はジャズ・ヴォーカルとして売り出されたはずだけど、そのカテゴライズも無用になるくらい、『Frank』は売れた。
 記名性の強いエイミーの声は、アクも強いし、世間一般で言う美声ではない。ビジュアル同様、万人にアピールする声ではないはずだった。だったのだけれど、その声は、一部のユーザーの心の琴線を鷲づかみにする。そんなハートを撃ち抜かれたユーザーが、イギリスだけでも100万人いた事実。

 『Frank』の商業的・音楽的成功を経て、『Back to Black』は制作された。彼女のバックボーンであるジャズ路線だけでなく、マスへの拡大戦略として、新機軸が導入されている。
 DJとして最初は注目され、プロデューサーとしてはまだ駆け出しだったマーク・ロンソンは、エイミーの特性をいち早く見抜いた1人だった。『Frank』でのジャズ・コンボとの相性が悪いわけではなかったけど、いい意味で下世話にコーディネートすることによって、エイミーのパーソナリティがもっと映えることに気づいたのだ。
 サウンドのモチーフとしたのは、60年代のガールズ・ポップだった。エイミーもまた同じベクトルを志向していたため、プリ・プロダクションもスムーズに運んだ。
 ヴィンテージ・ジャズやソウルを好んで聴いていたエイミーだったけど、さすがに自分が歌うとなれば、もう少しモダンなサウンドにしたくなる。いくつも修羅場をくぐってきたような顔と声とはいえ、まだ二十歳を少し超えたばかりの女の子なのだ。

Amy Winehouse

 バッキングにダップ・キングスをキャスティングしたのは、エイミー自身の要望によるものだった。渡米した際、レトロなソウル・ショー・スタイルの彼らのステージに、エイミーは魅了された。ツアーの前座に招いたりして交流を深め、レコーディング開始時には、もう彼ら以外のサウンドは考えられなかった。
 リーダーのボスコ・マンは、60年代レトロ・ソウルをそのまんま現代にタイムスリップさせたサウンドが特徴のダップ・キングスを結成、併せて自主レーベル「ダップトーン」を設立していた。彼らがヴォーカルとして選んだのが、40過ぎまでチャンスに恵まれずにいた苦労人シャロン・ジョーンズだった。歌姫としてはビジュアル的な華やかさは劣り、サウンドもまたシンプルで味も素っ気もない。彼らが志向するサウンド・コンセプトは、明らかに時代と逆行していた。
 ただアメリカのエンタメの裾野は、われわれ日本人が思っている以上、想像以上に広い。エキサイティングなライブ・パフォーマンスと、古いヴィンテージ機材を用いて忠実に60年代を再現した一連のシングルは、コアなファンを生んだ。大ヒットとまでは言わずとも、どうにかバンド運営を続けられる程度には知られるようになった。
 エイミーもまた、そんな彼らのサウンドに魅せられた1人だった。

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 マーク・ロンソンのプロジェクトでのベーシック・トラックは、多くがブルックリンのダップトーン・スタジオで録音された。ある意味ヴィンテージ、ある意味時代遅れな設備や機材に囲まれ、気心知れたダップ・キングスのサウンドからインスパイアされ、エイミーはほとんどの楽曲をほぼ独力で書き上げた。強固なバックボーンと多大なリスペクトに溢れた「Rehab」や「You Know I'm No Good」は、生まれた瞬間からスタンダードを約束されていた。
 アウトテイクや別ヴァージョンで聴く限り、ダップトーン直送のサウンドは、バンドとエイミーとのせめぎ合いが、強烈なグルーヴ感を醸し出している。音響的には決して恵まれたものではなかったけれど、エイミーのパフォーマンスは最高潮に達している。
 ただ、レアなサウンドがすべての面で良いとは限らない。クオリティ的には充分だけど、いわゆるマスへの訴求力、多くの人に聴きやすく届けるためには、また別の処理が必要になる。
 マーク・ロンソンのプロデュース手法は、ベーシックを大きく改変することはない。基本のバンド・アンサンブルとヴォーカルという素材を活かすため、ほんの少しのエフェクト処理、そしてヴォーカル・ミックスに工夫を凝らした。同時代のヒット曲と見劣りしないよう、各パートの音をひとつひとつ、くっきり浮き立たせた。この絶妙な加減とセンスによって、『Back to Black』は名作になったと言ってよい。

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 -その後は快進撃となるはずだった。だったのだけど、突然の夭折によって、それもすべてご破算となった。どこで歯車が狂ってしまったのか、破滅への一方通行を食い止めることは、誰にもできなかった。
 まるで自身を痛めつけるかのように、末期のエイミーはドラッグに溺れ、酒を手放さなかった。意識は常に朦朧としたまま、自力で立ち続けることすらできなくなった。
 まともに歌うことさえ、ままならなくなった。数々のステージをキャンセルし、どうにか力を振り絞ってステージに立つまではできたものの、最後までショーを務め上げることは、もはや稀だった。
 今さら、「もし」も何もないけど、心身ともに健康だったら、もっと素敵な歌を届けてくれていただろうか。
 変にオーバー・プロデュースされたEDMバリバリの駄作を作っていたかもしれないし、はたまた一周めぐって、ガチガチのスタンダード・ジャズに回帰していたかもしれない。
「もしこうだったら~」なんて、何とでも言える。
 生きていてさえいてくれれば、どんな可能性だってあったのだ。
 でも、それはもう、叶うことはない。


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1. Rehab
 アルバム発売4日前に先行リリースされた、エイミーの代名詞ともなっているガールズ・ポップ風ナンバー。UK最高7位・USでは9位、一応、アメリカでは唯一のトップ10ヒットとなっている。
 レイ・チャールズとダニー・ハサウェイがフェイバリットのアル中女の愚痴、ってまんま自分じゃないの。こんな曲が全世界で300万枚も売れてしまったのは、一体どういうことだったのか。
 ポジション的に、ヴァンプの雰囲気を醸し出す白人女性アーティストの座は、長らく不在だった。マドンナはちょっと違うし、コートニー・ラブはゴシップ色が強すぎる。アバズレ感を出しながら、音楽的なスキルやポップ・イコンとしての適性が高い者として、エイミーがすっぽりハマったんじゃないか、というのが俺の私見。

2. You Know I'm No Good
 エイミーと言えば「リハブ」が一番有名だけど、もう少し深く知るようになると、こっちの曲の方が好きになる人が多い。2枚目のシングルとして、UK18位・US77位。なぜだ?もうちょっと高くてもいいはずなのに。
 中盤のブレイクのあたり、ちょっとループっぽいスネアのプレイに、マーク・ロンソンのこだわりが感じられる。単に生演奏を忠実に記録するだけじゃなく、ちゃんとヒット性を考慮してコントラストをつけるあたりが、やはりDJの見地から見たサウンド処理なのだろう。
 ウータン・クランのゴーストフェイス・キラをフィーチャーしたヴァージョンがあるのだけど、あんまりラップには興味がない俺も、これは聴ける。まぁエイミーがらみじゃないと聴く気はないけど。



3. Me & Mr Jones
 ここでムードが一変、なぜって、『Frank』からのプロデューサー、サラーム・レミの仕切りだから。一気にオールディーズくさくなる。同じように生演奏が基本なのに、やっぱコーラスの使い方だな。いいんだけど、古い。コール&レスポンスのパターンが古臭く聴こえるのだけど、まぁ前作とつながりでコレはコレでありなんだよな。

4. Just Friends
 夏っぽさや爽快さのかけらもない、UK発のラヴァーズ・ロック。英国の空は低く、常に曇り模様というのが、音からにじみ出ている。
 このオケ・このリズムで、なんでこんな気だるい歌い方ができるんだろうか。けなしてるんじゃないよ、難しいんだろうな、って思って。

5. Back to Black
 UK8位を記録した3枚目のシングル・カット。これもやはりロンソン・プロデュース。ここまでシングルはすべてロンソンの手によるもの。日本では「リハブ」一色だけど、欧米でエイミーが紹介される際、この曲が使われることが多い。
 イントロのピアノがもうシュープリームス。まぁ確信犯なんだろうけど。ダイアナ・ロスのウィスパー・ヴォイスで始まるかと思いきや、聴こえてくるのは酒灼けした巻き舌のエイミーの声。全体的にダークな雰囲気のアレンジだけど、それがまた淫靡さと妖しさとをそそる。

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6. Love Is a Losing Game
 5枚目のシングル・カット。やや大人しめの楽曲だけど、逆にいろいろアレンジしやすいらしく、ライブでもいろいろなヴァージョンがある。殿下ことプリンスがギターで参加しているライブがあり、これがまた盛り上がる。アクの強さでは引けを取らない2人、どっちを見ても楽しい。
 でもね、殿下。やっぱギター・ソロはいつも通りだね。あんまり引き出し多い人じゃないし。



7. Tears Dry on Their Own
 これは4枚目のシングル・カット。レミ・プロデュースの中では突然変異的に良く思えてしまうのは、あんまりジャズ臭が少ないためか。テンポも良いので、エイミー自身がいい意味でうまく歌い飛ばしている。この辺がもう少し多ければ、レミももう少し大きな顔できたのに。

8. Wake Up Alone
 死後発表された未発表曲集『Lioness Hidden Treasures』に収められたオリジナル・ヴァージョンは、タイトルに即してまったりとしたボサノヴァ・タッチだった。ここではオールディーズ風にエフェクトされたギター・ソロに導かれて、歌い上げるソウル・ナンバーに変貌している。どっちが好みかは人それぞれだけど、俺個人としてこっちのヴァージョン。アルバムのタッチとしても彼女のヴォーカルにしても、こっちの方がフィットしている。

9. Some Unholy War
 レミが多くの楽器をプレイしており、少人数でのセッションで作られているバラード。オールディーズっぽさが強いけど、歌詞もネガティブなので、エイミーのヴォーカルの陰影が強い。

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10. He Can Only Hold Her
 シャロン・ジョーンズが歌ってもしっくりハマっちゃいそうな、ダップ・キングス色の強いナンバー。ポップよりソウル・テイストが強く、俺的には好みのサウンド。ちょっとけれん味のあるエイミーのヴォーカルも、新たな側面が窺える。こういった違ったタッチのヴォーカル・スタイルも、この先あったんじゃないかと感じさせる。

11. Addicted
 ラストはタイトルまんま、「中毒」。「ハッパ」というのが「彼氏」を暗喩しているのだろうけど、おいおい普通は逆だろ、メジャーで出してるアルバムなんだし。もっとオブラートに包めよ、と逆に心配になってしまう。
 こういったソウル・ジャズ的なアレンジが、もっともエイミーのじゃじゃ馬っぷりがクローズアップされて、つい引き込まれる。でも、これもまた彼女の魅力のひとつでしかないのだ。



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ジャジーやブラコンだけじゃない、荒ぶる歌姫の別の顔 - Patti Austin 『Live at the Bottom Line』

folder 1979年リリース、デビュー3年目にして初のライブ・アルバム。CTI時代の彼女のアルバムといえば、「Say You Love Me」を収録したデビュー作『End of a Rainbow』と、2枚目の『Habana Candy』が有名で、質の良いヴォーカル&インストゥルメンタル・サウンドが好評を博していた。
 ラブ・ソングのスタンダードとなった「Say You Love Me」効果もあって、デビュー作は70年代コンテンポラリー系の名盤として語り継がれている。近いコンセプトで製作された『Habana Candy』も同様、ファンに愛され続けている。
 クインシー・ジョーンズに誘われてCTIから移籍、彼のソロ・アルバム『Dude』では、ジェイムス・イングラムやマイケルとデュエット、大成功を納めることとなる。でも日本で一番有名なのは、そのまた後のブラコン・ナンバー「Kiss」。『アド街』の「街角コレクション」のBGMで毎週流れているので、彼女の名前は知らずとも、知名度はかなり高いはず。

 そんなコンテンポラリー期とブラコン期との狭間のリリースだったため、このライブ・アルバムは正直、影が薄い。USジャズ・チャート33位と、セールスも中途半端に終わっている。
 新人コンテンポラリー系シンガーとして、そこそこの成績を収めたパティ、その後は堅実なジャズR&Bシンガーとして、着実なキャリアを歩むかと思われていた。なのに、なぜか脈絡もなくリリースされたのが、『Live at the Bottom Line』である。
 ライブなので、書き下ろし新曲がないのはまぁいいとして、既発のオリジナル作品も収録されていない。全篇カバー曲で占められているのだけど、ジャズ・スタンダードではなく、ポピュラー系の楽曲が多い。これまでの実績とは何の関連もない、しかもその後の作風ともほぼリンクしない、ライブ感あふれる荒削りなパフォーマンス。
 なぜ、これを企画したのか。そして、それは彼女の意に沿ったものだったのか。

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 wikiを読んでみると彼女、なかなかの経歴である。
 4歳でアポロ・シアターにてステージ・デビュー、5歳でRCAとレコーディング契約している。日本語版ではこの辺はサラッと書かれているけど、英語版を読むと、もう少し詳しく書かれている。
 ニューヨークでトロンボーン奏者として活躍していた父ゴードンの導きもあって、彼女にとってショー・ビジネスとは身近なものだった。サミー・デイヴィスJrのTVショーに出演したり、ハリー・ベラフォンテのツアーに3年近く帯同したり、デビュー前からショービズ界の大物たちからの寵愛を受けている。いくらコネがあったとはいえ、持って生まれた才能がないと、ここまではたどり着けない。
 その他にも、クレジットされていないCMソングやテレビ番組のジングルを多数手がけている。「顔も名前も知らないけど、誰もが一度、耳にしたことはある」その声は、当時のアメリカ国民の間では深く浸透していた。クライアントはケンタやマックなどのファストフードから、果てはアメリカ陸軍など幅広い。日本で言えばキートン山田あたりかな。それとも野沢雅子か。
 CTIでデビューする以前のパティは、いくつかソロ名義でシングルをリリースしている。いるのだけれど、どれも違うレーベルで単発的だったため、ヒットには至っていない。
 当時のシングルをいくつかYouTubeで聴くことができるのだけれど、その後のコンサバ〜ブラコン路線とは印象が全然違っている。無難にまとめられたポップ・ソウルからは、パティのパーソナリティが見えてこない。一発狙いで大量生産された二流のノーザン・ソウルは、誰が歌っても代わり映えしない。これじゃ、別にパティである必要がない。

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 クロスオーバー/フュージョンを主に扱うCTIは、もともとA&Mから派生したレーベルである。ジャズの名門レーベル・インパルスを立ち上げたクリード・テイラーが創設し、ここからリリースされた作品は、彼の明確なコンセプトやビジョンが色濃く反映されていた。
 難解に偏りすぎたインパルスのカラーを反面教師としてか、ここでテイラーが掲げたテーマは「ジャズの大衆化」である。斜め上のアバンギャルド性や哲学を極力排し、もっとカジュアルなクロスオーバー/フュージョンの音楽性を基調としたコンテンポラリーな作風は、ライト・ユーザーには概ね好評だった。
 そんなレーベルポリシーに沿って、パティのデビュー戦略もソフィスティケートしたカラーに統一された。バラード中心のマイナー・メロディは程よく感傷的だったけど、ソウルフルさを抑えたヴォーカルがウェットさを中和していた。ブレッカー兄弟を始め、エリック・ゲイルやスティーブ・ガッドら一流どころのミュージシャンによる洗練された演奏は、既存ジャズ・ユーザーを唸らせるほど、緻密に構築されていた。
 CTIのサウンドは爆発的に売れるモノではなかったけど、自家中毒をこじらせて迷走しまくっていた既存ジャズに見切りをつけたユーザーには、好意的に迎えられた。また、その演奏クオリティの高さに魅せられたロック/ポップスのファンが、一部ではあるけれど興味を示して流入してきた。方向性が近いロバータ・フラックやミニー・リパートンのファンは、もっとすんなり受け入れたんじゃないかと思われる。

 とはいえ『Habana Candy』以降は、ちょっと雲行きが怪しくなってゆく。パティではなく、CTIの運営が。
 当時、フュージョン・ブームに乗ってボブ・ジェームスとグローヴァー・ワシントンJr.というスターを輩出したCTIだったけど、年を追うにつれ負債が増えてゆく。経営面を司るべきクリードは、多くのアルバムのプロデューサーも兼任していたため、採算面の甘さがのちに影響を及ぼすこととなる。
 確固たる理想のビジョンを追求してゆくため、質の高いサウンドを安定供給してはいたのだけど、その多くは採算の取れないタイトルだった。レーベル・ブランド維持のため、モダン・ジャズ畑からのヘッドハンティングを行なっていたのだけど、キャリアのピークを過ぎた彼らのセールスは、採算面で見ればお荷物だった。
 クロスオーバーというジャンルを世に知らしめたのは、間違いなくクリードの功績ではある。あるのだけれど、末期の作品はクオリティの落差が激しすぎたこと、また時に過剰なオーバー・プロデュースが、アーティストの個性を見えにくくしてしまったり。
「洗練されたBGM」と化したCTIのサウンド・ポリシーは、ライト・ユーザーの食いつきこそ良かったけど、その分、消費されるのも早く、そうこうしてるうちに収益は悪化、1978年に入ると破産宣告を受けてしまう。

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 経営陣の迷走によって、アーティスト戦略もブレが生じてくる。これまでジャジーなフォーマル・スタイルで統一されていたパティだったけど、ここに来て一転、『Live at the Bottom Line』はポップかつアグレッシブな側面が強調されている。
 これをイメージ・チェンジと捉えるか、はたまた手っ取り早いスマッシュ・ヒット狙いで、耳ざわりの良いポピュラー・ヒットでまとめてしまったのか。経緯はどうであれ、急造感は否めない。
 もともとデビュー前はジャズにとどまらず、キャッチーなCMソングやポップ・ソウルも歌いこなしてきた人なので、如何ようにも対応できてしまう。CTIブランドでファンになった層にはアピールしないけど、前述したように、ミニー・リパートンを受け入れる層になら、充分通じる魅力があるはずなのだ。
 バッキングを務めるのは、マイケル・ブレッカーやウィル・リーなど、当時のバカテクなミュージシャンばかり。重量級の彼らがサウンドをガッチリ固めているので、安定感とグルーブ感はハンパない。この頃の女性ソロ・シンガーのアルバムって、アンサンブルだけでも成立しちゃってるので、ハズレがないんだよな。
 CTI離脱後は大仰なブラコン方面に行っちゃうので、このアルバムのようなアプローチは、ほぼ見られなくなる。ファンキー・ディーヴァと化した80年代のパティも悪くないんだけど、こういった粗削り感を残したスタジオ・アルバムが1枚くらいあってもよかったんじゃないか、と今にして思う。


Live at the Bottom Line
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1. Jump for Joy
 ジャクソン5 → ジャクソンズと改名してから2枚目のアルバム『Goin' Places』の収録曲。1977年の楽曲だけど、シングル・カットはされておらず、グループ自体のパワーも落ちていたため、当時としても知る人ぞ知る楽曲だったんじゃないかと思われる。
 演奏・アレンジ自体はほぼオリジナルに忠実なのだけど、耳を引くのはやはりパティのヴォーカル。バラード・ナンバーからは想像もつかないアグレッシブなパフォーマンスとなっている。まだモータウン時代のポップ・ソウル色が残っていた時期の作品だけど、アンサンブルが違うと楽曲のステージ・レベルも上がった印象。



2. Let It Ride
 1978年にリリースされた、ジャーメイン・ジャクソン5枚目のソロ・アルバム『Frontiers』収録曲。こちらもジャクソンつながり、しかもシングルじゃない曲。ちなみにこのライブが収録されたのが1978年8月で、『Frontiers』発売がその年の2月。ジャクソンズ同様、当時の彼もまたゴタゴタしてたせいもあって、セールス的には不振だった。なので、これも当時は世にあまり広く知られていなかった。
 オリジナルはロックとディスコの中間みたいなアレンジで、このアルバムでも基本路線は変わらないのだけど、やはりヴォーカルのポテンシャルの違いなのか、どっしり腰の座ったファンクに仕上げられている。
 ちなみに当時のジャーメイン、オーナーの娘婿という立場もあってジャクソンズに参加できず、モータウンでは肩身の狭い立場だった。この辺を掘り下げるのも興味深いのだけど、それはまた別の機会に。

3. One More Night
 1977年に発表された、サンディ・ショウのシングルがオリジナル。初期パティを彷彿させる、抑制されたエモーションが印象的なバラード。後半に行くにしたがって興が乗ってしまうのは、やはりライブだから。
 オリジナル・ヴァージョンがYouTubeでも見つからなかったので、作曲者であるスティーブン・ビショップのヴァージョンを聴いてみたのだけど、無難なフォーク・カントリーだった。
 パティくらいのポテンシャルになると、無理に自身で作詞作曲しなくても、良い楽曲だったら自分の世界観に染め上げてしまう。それが証明されたような曲。

4. Wait a Little While
 オリジナルは、45歳以上ならだれでもご存じMr.「フットルース」、ケニー・ロギンス2枚目のソロ・アルバム『Nightwatch』収録曲。これもシングル・カットされていない。しかも発売が7月だったから、一聴してすぐレパートリーに組み込んだことになる。パティの即断即決もだけど、アレンジをまとめたデイブ・グルーシンの苦労と言ったら。
 日本では「フットルース」を始め、サントラ御用達パワーポップ・シンガーの印象が強いケニー・ロギンスだけど、もともとはフォーク・デュオからスタートした人で、ソロになってからは徐々にAORへ方向転換している。声だけで聴かせてしまう人なので、オリジナルもつい聴き入ってしまう。興味のある人は、こちらも聴いてみて。



5. Rider in the Rain
 かつては「シンガー・ソングライターの良心」と評され、いまはピクサー映画御用達サントラ請負人となったランディ・ニューマン、1977年リリース6枚目のアルバム『Little Criminals』収録。やっぱアルバム収録曲なんだな。無愛想で朴訥なカントリーの原曲を、ゴスペル・コーラスを携えて壮大なスケール感を演出している。かつてミュージシャンの間では「カバーしたくなるアーティスト」の一人として捉えられていたけど、プレイヤー心理をくすぐる楽曲なんだろうな。
 
6. You're the One That I Want
 当時大ヒットしていた映画『グリース』挿入歌。オリジナルはジョン・トラボルタとオリビア・ニュートン・ジョン、もちろん全米チャート1位。普通に考えれば、ここまで隠れ名曲ではあるけれど一般的には知られてない曲ばかりなので、ここで1曲くらいは食いつきの良い楽曲を入れたのは、営業的に正しい判断だった、と思ったのだけど、ちょっと調べるとこの曲、1979年の初リリース時には未収録だった。なんだそりゃ。
 ドリーミーなキラキラ感が漂うオリジナルと違って、パティ・ヴァージョンはもっと黒くグルーヴィーな仕上がりで、まったくの別物。まぁ、デュエット男性がちょっと無難すぎるかな。アルバム未収録も納得できる。

7. Love Me by Name
 オリジナルは1978年リリース、クインシー・ジョーンズのアルバム『Sounds....And Stuff Like That』。と言っても、ゲスト・ヴォーカルで参加しているのがパティ本人なので、実質的にはセルフ・カバー。いや単なるライブ・ヴァージョンか。
 深い深いドラマティックなストリングスてんこ盛りのオリジナルに比べ、シンプルかつスクエアなビートのあるライブ・ヴァージョンの方が、俺的にはしっくり来る。そりゃそうか、俺にとっては先に聴いたのはこっちだし。

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8. You Fooled Me
 主に80年代に活躍した男性ブラコン・シンガー、ジェフリー・オズボーンを輩出したディスコ/ファンク・バンド、L.T.D. 5枚目のアルバム『Togetherness』収録曲。これもシングル・カットされていないけど、アルバム自体がUS総合18位をマークしているので、そこそこ知られていたんじゃないかと思われる。
 後にバラード大王として名を馳せるジェフリーのヴォーカル力の高さによって、L.T.D.の楽曲は勢い優先の単純なバンプ系にとどまらず、歌いこなすには難易度の高いミドル・バラードも絶品。いくらかしこまっても、まだ20代だったパティも好んで聴いていたのか、次曲でも彼らのナンバーを取り上げている。

9. Spoken Introductions
 なぜか8分に渡って収録されたライブMC。オリジナルには収録されておらず、CDになってからボーナス・トラックとして収録された、とのこと。もともとこのアルバム、初リリース時は曲順がだいぶ違っており、CD時代になって、ライブのオリジナルの流れに沿った曲順に再構成されている。ライブの臨場感を考えれば、ラス前のこの場所が適切なんだろうけど、英語なので正直わからん。
 
10. Let's All Live and Give Together
 8.同様、『Togetherness』収録、オリジナルではラストに配されている直球バラード。ジェフリー・ヴァージョンは細かくアクセントとテクニックを駆使したブラコン路線。生音を排してシンセ主体にコンバートすれば、そのまま80年代でも通用する仕上がり。
 対してパティ・ヴァージョン、ムーディさを排した力強いバラード。中盤のコール&レスポンス、徐々に盛り上がるアンサンブル、どれも良い。スタジオでエフェクトをかけて倍音効果を強調した80年代以降も悪くないけど、もともとのポテンシャルが重量級なので、小手先の技はむしろ邪魔になる。こっちのヴォーカル・スタイルの方がずっと良い。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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