好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Various

80年代ソニー・アーティスト列伝 番外編 - 俺の好きな80年代ソニーの曲 その1

 祝・200回目のテーマは結構前から決めていた。実は100回目を書いてからすぐ構想したもの。
 80年代ソニーの迷宮は奥が深く、アルバム単位だけでは俯瞰しきれないし、アルバムの中の隠れた名曲もいっぱいある。
 前置きはここまで、早速始める。行くぜっ。



パール 「One Step」
 
パール - First 1987年デビュー、男女各2名で構成されたハードロック・バンドで、これはデビュー・アルバムのラストに収録されている。PVも制作されており、リコメンドとして結構な回数で流されていたので、てっきりシングル・カットされているかと思ったら、プロモ盤のみで一般流通はされなかった。まぁヴァージョンはまったく同じなので、音源自体を探すのは、それほど難しくない。
 そのデビュー作のプロデュースに、すでにこの時点で日本のロックの重鎮的存在だったCharを起用している。ここではChar、70年代ロックのイディオムを押し通すバンド側と、ソニー・サウンドのフォーマットに当てはめたがるレーベル・サイトとの緩衝役をうまく勤め上げ、80年代に通用するサウンドにどうにか仕上げている。クラシック・ロック一辺倒と思われがちな人だけど、案外新しもの好きで時流を読むことにも長けているため、今の地位がある。ただの70年代ロックゴリ押しの人ではないのだ。
 メイン・ヴォーカルとギター、それにほとんどの作詞・作曲も手掛けていたのが、リーダーの田村直美。セールス的に上向く兆しが見えなかったパールは、90年代を迎えることができずに田村のソロ・プロジェクトに移行、その後はちょっとした棚ボタでミリオン・シンガーとして復活する。もともとシンガーとしてもコンポーザーとしても充分なポテンシャルを秘めていた人であるからして、成功もまた当然の帰結とは言えるけど、根っこは泥臭いハード・ロックにある。

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 「ミュートマJAPAN」や「ポップ・ジャム」への出演も多く、そこそこテレビ出演もこなしていたけど、ポップでキャッチーでライトなサウンドが主流の80年代ソニーにおいて、彼女らのサウンドは異質だった。バンド・サイドとしては、取り敢えずメジャー・デビューのきっかけとしてソニーを選ばざるを得なかったのだろうし、当時のソニーもまた、アングラ臭極まりなかったスライダーズのようなバンドを、どうにか一般向けにディレクションして商品価値を高めた実績から、彼らもうまくソニー・カラーに染め上げることができると踏んだのだろう。双方、それなりに企業努力は行なったはずなのだけど、実を結ばなかったのはやっぱり相性だったわけで。
 パールとしての活動自体はフェードアウトしてしまったものの、ソロ・アーティスト田村直美のポテンシャルは別格とされ、その後もマイペースな活動を継続中。しかも十年に一度くらいのペースで「パール」の名前を復活させ、短期限定でライブを行なっているくらいだから、それ相応の思いれが強いのだろう。
 デビュー作となったこの曲の頃は、まだソニー・サイドのディレクションが強く、バンドとしての一体感やグルーヴを抑えめに、パーツごとの分離の良いミックスを施すことによって、聴きやすくフラットな音像に仕上げている。いわゆるCD初期特有のドンシャリ・サウンド、Aメロ~サビを際立たせるメロディ・ラインによって、見事な歌謡ロックに仕上がった。
 ただ、基本ラインはゴリゴリの70年代ハード・ロック。80年代のChar のベスト・ワークのひとつである。



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松岡英明 「Kiss Kiss」
 
220007519 1989年リリース10枚目のシングル。1986年に布袋寅泰&ホッピー神山という、字面だけでも濃すぎるタッグのプロデュースにてデビューしている。その後の音楽的傾向から見て、どうしてもこの2名とは結びつかないのだけど、まぁ彼らもお仕事ということで。当時のソニーだからして、そりゃもうギャラが良かったとしか思えない。
 で、一応ニューウェイヴ~ニューロマ系のサウンド・コンセプトで作品をリリースしていた松ボー、ソニーの戦略としては、先んじてヒットを連発していた渡辺美里の男盤として売り出したかったらしく、その甘く端正なビジュアルを前面にだした、アイドルとアーティストの中間的な路線で活動していた。当時のリリース・ペースはアイドル並みのローテーションでスパンも短かったけど、出来不出来は別として、ほとんどの楽曲を自らてがけていたことは、ちょっと驚いた。もう少し歌が上手かったら、徳永英明にとって代わる存在になれたはずだったのに。いや、当時のソニーじゃ無理か、どれだけうまくてもビジュアル優先だったろうし。
 Duran Duranに憧れたバンド少年が、TMネットワークのビデオ・ライブを観に行った時にスカウトされた、というエピソードからわかるように、基本はミーハー気質の人である。ニューロマ系の煌びやかなサウンドにマッチした美少年的ルックスは、ソニーが画策していた「ビジュアル系アイドル」のイメージにピッタリだった。
 シンガー・ソングライターとしてデビューはしたけれど、本人的にもアイドルへ比重のかかったポジションを楽しんでいた感があり、実際、初期作品のクオリティは、お世辞にも高いと言えるものではない。結局、この時期の代表作と言えるのは純粋な自作曲ではなく、NHK「ジャスト・ポップ・アップ」のMCという、アーティストとしては厳しい現実だった。

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 これまで松ボーの作品は、コアなファンの買い支えによって、そこそこのセールスを獲得してはいたけど、大きなシングル・ヒットもなかったため低め安定、ライト・ユーザーを引き込むキラー・チューンがないのがネックだった。ていうか、当時の松ボー・サウンドの主流は、TMの劣化コピーのようなお子様向けダンス・ポップ・チューンばかりで、とてもスタンダードになり得る楽曲は見当たらなかった。しかも、ビジュアル優先でファンとなった松ボー・ユーザーらにとっては、「松ボーが歌ってればそれで充分」なので、彼自身も創作意欲が掻き立てられなかったこともまた事実である。
 そんな中でリリースされたのが、この奇跡の楽曲。これまでは、どれだけニュー・アイテムがリリースされたとしても、松ボー・ファン以外の広がりを見せなかったのが一転、すれっからしの音楽ファンでさえ、思わず耳を疑ってしまったのが、この甘く切なくドリーミーなポップ・チューン。
 松ボー本人としても、この一世一代のナンバーによっぽど自信があったのだろう。彼の甘いヴォイスの魅力を最大限活かすには、リズムに凝るよりもむしろ、基本的なカノン・コードで押し通した方が良いことを悟り、しかもすべてを英語詞で押し通すことによって、時代に風化しない楽曲となった。
 セールス的には大きく目立った動きはなかったけど、80年代のライト・ポップ好きの間では、いまだ根強い人気を持つナンバー。こういった隠れ名曲がゴロゴロ転がってるのが、80年代ソニーの底の深さでもある。




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Radio-K 「使い放題tenderness」
 
41PUGq6Lo5L 1988年に公開された映画『・ふ・た・り・ぼ・っ・ち・』サントラ収録曲。今では知る人も少なくなったユニット Radio-Kは、バービーボーイズのコンタといまみちともたかを中心に結成された、実質バービーのサイド・プロジェクトである。そこにいまみちの旧友能勢寛を加え、かれはここでアルバム6曲中2曲のヴォーカルを取っているけど、正直特筆するほどの個性はない。ていうか、コンタと比べたらキャラは薄いよな、誰だって。これで自信喪失したのか、その後の活動状況は不明。
 映画主演が決定したコンタがサントラも担当することになったため、コンポーザーとしていまみちを引っ張り込んだ形。となっているのだけど、これが当初、バービーとしてオファーがあったのか、それともバービーとして受けられなかった事情があったのか、その辺がどうも不明。
 この時期のバービーは、前年リリースのシングル「女ぎつねon the Run」のスマッシュ・ヒットによってブレイク、「ロック版ヒロシ&キーボー」と揶揄されていた状況から一転して、本格的なロック・バンドとしてのステップを歩みつつあった頃である。初期のバービーは、80年代トレンディ・ドラマのような男女の丁々発止の掛け合いが好評を博していたけど、「女ぎつね~」以降は次第に内省的な歌詞が目立つようになり、それに伴ってコール&レスポンスのような一体感は失われてゆく。U2のEdgeを始めとしたUKニュー・ウェイブ・サウンドにモロに影響を受けた、いまみちのギターを軸としたサウンドも、次第にトーンに歪みがかかるようになり、得も知れぬ不満を露わにしたサウンドが主となってゆく。

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 なので、この時期のバービーは、次の展開を練るために小休止中、他者からのインプットを得るため、メンバーは各自ソロ活動中だった。サウンド・メイキングの要であるいまみちもまた、特にPSY・S松浦雅也とのコラボによって新たなインスピレーションが沸いてきた頃であり、それが後期の傑作『√5』として結実する。
 その緩やかな変化の前、ここでは「クライアントが求めるバービー像」を軸として、取り敢えず新たなサウンド・コンセプトは封印している。真のクリエイティヴを追求するオリジナルとは違い、あくまで外部発注の要望に応える「商品」制作の要請であるからして、ここでのいまみちは「ヴァーチャルなバービーボーイズ」サウンドの構築に専念している。まぁそれだけじゃ飽きちゃうので、知り合いを入れて新味を添加してみたわけで。一応、バービー名義でシングルは発表されているのだけれど、正直、バンドとしての体裁が整えられているだけで、ほとんどいまみちとコンタで作り込まれたと言ってもよい。
 前述したギター・オリエンテッドなサウンドは、Edgeによって完成された深いディレイで埋め尽くされ、サビで力強いカッティングを入れている。この強めのカッティングが、これまでのバービーにはなかったもの。初期バービーをよりソリッドに近づけたサウンドは、彼らが真性のロックバンドであることを思い出させてくれる。




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バブルガムブラザーズ 「やっぱJB」
 
_SL1304_ (2) 芸人としての行き詰まりを感じた近藤伸明が小柳トムを誘って結成、1985年にレコード・デビューしたバブルガム・ブラザーズは、「WON'T BE LONG」まではなかなかヒットに恵まれなかったけど、今でいうパーリーピーポーの元祖的なショーマンシップと、グループ名から察せられるように、Blues Brothersをモチーフとしたステージ・パフォーマンスによって、そこそこの知名度を維持していた。80年代バブルの申し子的な賑やかし要員として、久保田利伸を中心としたR&Bコミュニティの幇間的役割を担っていたけど、肝心の音楽面では特筆するほどの活躍は見せられずにいた。
 音楽面・ステージ面においてもイニシアチブを取っていたブラザー・コーンは、70年代ディスコの申し子的存在としてダンス・クラシックにも精通しており、その膨大な勉強量に裏付けされた知識は、本職のミュージシャンでさえも舌を巻くほどであったけど、そのスキルが楽曲にフィードバックされていなかったこともまた事実。ソウルだファンクだディスコだと説いていても、いつものソニー・マジックによって不本意なポップ成分が添加されるしまい、パッケージされるのは中途半端なポップ・ソウルばかり。しかもそれがかなりポップ寄りだったから始末に負えない。アメリカで芽生えつつあったギャングスタ・ラップの風貌を先取りしていながら、歌ってるのはMTVサイズの小さくまとまった「悪ぶったポップ・ソング」だったので、そのギャップには本人たちも歯がゆかったんじゃなかったかと思われる。

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 そんな彼らがブラコン「風」やディスコ「風」といったフェイクを取り払い、ルーツであるJBへのリスペクトをストレートに表現したのが、このシングル。裏返してみると、これもまたある意味フェイクであり、「~風」ではあるのだけれど、これまでと違って自分たちのキャラクターを客観的に捉え、第三者的な批評性を付加することによって、「~風」ではないバブルとしてのオリジナリティが強く打ち出された。

 どうだい そっちの住み心地
 こっちはどうにも 気が抜けて
 早い帰りを待っている
 やっぱJB やっぱJB

 すごいメンバーそろってるんだろ 新聞で見たよ
 司会が欲しけりゃ 言ってくれ すぐにも飛んでくぜ

 古今東西、ここまでJB愛にあふれた曲を、俺は知らない。
 これが本人に届いたのかどうかはわからないけど、もし届いていたのなら、彼は一言、きっとこうつぶやくだろう。
 「最低の曲だ、でも、最高だ」。




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白井貴子 「プリンセス TIFFA」
 
img_0 80年代の学園祭の女王として、またはフィメール・ロック・シンガーの草分けとして、はたまた山下久美子から渡辺美里への中継点的役割を果たしたのが、白井貴子である。こうやって書いちゃうと、何だか場繋ぎ的なポジションのように思われてしまうけど、その後のソニーの女性ミュージシャン戦略のプロトタイプとして、彼女の功績は重要である。
 80年代初頭までの女性ロック・ミュージシャンは、どうにもアバズレ的、子宮を中心に据えたビッチ的視点(またはJanisの視点)で捉えがちだったけど、セクシャリティの薄い山下久美子の登場によって、ビッチ路線以外の新たな方向性が生まれ、次にクイーンの座を委譲された白井貴子によって「近所の大学生のお姉さん」的なカジュアル路線が誕生した。美里の「アイドルとアーティストの中間」路線が、それほど抵抗なく世に受け入れられたのは、白井の存在が大きい。
 大きいのだけど、その美里への委譲があまりにスムーズに行ったおかげで、白井のカジュアル路線は霞んで見えるようになる。美里との差別化を図るため、これまでのシティ・ポップ路線を一旦封印、ロック・バンドCrazy Boysを結成してサウンド・コンセプトも一新を図る。
 もともと佐野元春「Someday」のカバー・ヒットで注目されるようになった白井だけど、それさえもトップ10に入るほどの勢いではなく、ましてやオリジナル曲のチャート・アクションはもっと地味なものだった。彼女の中ではもっとも知名度のある「Chance!」でさえ、最高12位だったことは、俺もちょっと驚いた。リリースされた1984年はアイドル歌謡曲全盛期、大きなタイアップでもない限り、当時の彼女が志向していたシティ・ポップは影が薄い状態だった。

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 そんな行き詰まり感から活路を見出すためのロック路線だったと思うのだけど、それまでライトで爽やかなタッチのナンバーが多かった彼女の路線変更に、戸惑いを見せたファンも多かったはず。菊池桃子が突然、ロック・バンド(?)「ラ・ムー」を結成したように、彼女もまたどこか無理やり感、消化不良気味な状態が続いていた。
 そんな中、Crazy Boys 名義でリリースされたのが、このシングル。化粧品CMとのタイアップということもあって、ビート感を追求していたロック路線からはちょっと外れて、半分お遊び的な軽いポップ・サウンドでまとめられている。冒頭のコケティッシュな吐息、オールディーズのパロディのようなコーラス、敢えてアイドル路線に舵を切ったような甘いヴォーカライズ。ハードなサウンドを求めていたCrazy Boysのコンセプトとは、真逆のサウンドである。
 ただこれも、バンドというしっかりしたバックボーンがあったからこその結果であって、もしこれをソロでやったとしたら、もっと中途半端な仕上がりに終わっただろうと思われる。盤石とした土台があったからこそ、しかもCMオファーということで別コンセプトを設定でき、これだけ遊ぶことができたというのは、白井とバンド、相互の信頼関係の為せる技だろう。
 シンプルなコードとキュートなメロディは21世紀においても互換性はあるとおもわれるので、誰かきちんとしたガールズ・ポップとしてカバーしてくれないものか。甘いヴォイスでグルーヴ感のある若手シンガーと言えば…、ダメだ思いつかねぇや。




白井貴子 ゴールデンJ-POP THE BEST
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 10曲紹介する予定だったのだけど、思いのほか長くなったので、一旦ここでひと区切り。
 残り5曲は次回。




 

俺の好きな曲たち:洋楽編

www 洋楽を聴き始めたのは中学生になってからで、30年以上いろいろ追いかけてきて、今でも進行中なのだけど、世界はあまりにも広い。入り口として80年代ヒット・チャートから始まり、そのうちソウル/ファンク系に興味を持つようになると、次第にディープな方へマニアックな方へと興味が向いてゆき、50年代のラウンジ・ミュージックやワールド・ミュージック系など、とにかく人があまり聴かないジャンルを求めるようになった。前にどこかで書いたと思うけど、大して興味がないのに落語のCDにまで手を出しちゃった時は、さすがにこりゃマズいと思い直して、急に90年代Jポップにのめり込むようになった。
 そんなこんなを経て、今も好きなジャンルにはとことんのめり込み、ちょっと飽きるとまた別へ、並行して昔聴いてたジャンルを振り返っての繰り返し。一生続くんだろうな、こういうのって。
 というわけで、前回の続き、今回は洋楽編。前回同様、順不同。



Gabin 『Into My Soul (feat. Dee Dee Bridgewater)』
 イタリアを中心に活躍するアシッド・ジャズ・ユニットGabin。とは言ってもジャンルに捉われない活動を展開しており、フィーチャリングを活用した歌モノからマカロニ・ウエスタンのサントラっぽいものまで、実に多種多様。
 で今回は、もともとジャズ畑を中心に活動していたけど、なかなか芽が出ずミュージカルを中心に長く活動していた、大器晩成の本格派シンガーDee Deeを招聘して作られたコラボ・シングル。
 大方のジャズ・ファンク・バンド同様、自前のヴォーカリストを持たないユニットの場合、このようにゲスト・ヴォーカルをフィーチャーするパターンは非常に多いのだけど、大抵は演奏に負けないパワー・タイプを起用しているので、ダンス・チューンとしては、まずハズレがない。また、初顔合わせのセッション特有の緊張感も伴って、バンド側もいつも以上に張り切って会心のプレイができるため、往々にして傑作になることが多い。
 DJセットと生演奏をうまくミックスしたトラックに乗せて、Dee Deeが吠えまくる。特にPVで見ると、その構図がよくわかる。
 一般的にアシッド・ジャズといえば、JamiroquaiやIncognitoが思い浮かぶけど、そういったメジャー・アーティストとはまた違ったベクトルで活動しているため、クラブ系以外のメディアでは紹介される機会が少ない。少ないのだけど、ムード音楽だけに終わらないその迫力は、誰もが心を鷲づかみにされる。
 それまでアシッド・ジャズ/ジャズ・ファンクの世界に興味のなかった俺が一気に引き込まれた、超ド級のキラー・チューン。



Minnie Reperton 『Reasons』
 名前は知らないかもしれないけど、曲なら誰でも知っている、あの”Lovin’ You”を歌った人。ただムーディなバラード・シンガーだけの人じゃないことを強く訴えたくて、ここで紹介。
 『5オクターブ以上の声域を持つ天才シンガー』というのが、Minnieを紹介する際に用いられる決まり文句なのだけど、大ヒットした”Lovin’  You”において、そのポテンシャルが充分発揮されているかといえば、100%とは言い切れない。人は誰でも「静」と「動」の二面性を併せ持っており、ここでフィーチャーされているのは「静」の部分だけ、ファンキー・ディーヴァとしてのMinnieの一面は出ていないのだ。このナンバーを聴いてもらえれば、リミッターを外してフル稼働するMinnieのパフォーマンスを存分に堪能できるはず。
 このトラックを作ったのは、これまた有名なStevie Wonder。この曲が収録されたアルバム『Perfect Angel』がリリースされた1974年のStevie、ちょうど『Innnervisions』を含む3部作を制作していた頃であり、創作インスピレーションについては絶好調だった。この頃の彼の参加というだけで、クオリティは保証されたようなものである。
 粘っこいリズムはどファンクだけど、そこにまたねちっこくカラむMichael Sembelloのギターはロック色が強い。そんなクドいバック・トラックながら、爽やかかつファンキーなMinnieのヴォーカルが軽やかに跳ねる。ここまできれいなソプラノ・ヴォイスでファンクを感じさせるシンガーは、前にも後にも彼女くらいしかいない。
 この後のMinnieはバラード系を軸として、ソフト・タッチのディスコやAORに色目を使いつつ、迷走した挙句に短い生涯を閉じてしまうのだけど、時代に即したファンキー・ディスコの路線を進んでいたのなら、またちょっと違う展開があったかもしれない。
 でも“Lovin’  You”は歴史に残らなかっただろうな。



Randy Crawford 『Street Life』
 もともとはCrusadersの同名アルバムに収録された曲なのだけど、そのあまりに圧倒的なヴォーカルと表現力によって、すっかり本歌取りになってしまったことで有名な曲。
 Randyと言えば、日本では90年代にヒットしたドラマ挿入歌”スウィート ラブ”のイメージが強くなってしまい、俺の中では凡庸なバラード・シンガー以上の域を出ない人である。Crusadarsも同様、俺の中では凡庸なフュージョン・グループといったイメージが拭いきれないのだけど、この曲だけは別格。
 Crusadersとしては数少ない歌モノとして、そしてまたヒット・シングルとして知られるこのナンバー、メロディからアレンジ、また構成からヴォーカルまで、すべてが完璧。シンプルに徹するがゆえRandyの歌を最大限に引き立たせるWilton Felderのベース・ライン、ソロ・パート以外はリズム・キープに徹し、地味ながら堅実なサポートをするJoe Sampleのピアノ・プレイ。
 正直、この2組のアーティストの他の曲はどれもきちんと聴いていないのだけど、この曲ではすべてのピースがうまく噛み合って、荘厳とも言える世界観が流れている。



The The 『The Beat(en) Generation』
 Matt Johnsonという人は見た目通り、クソ真面目で理屈っぽくてめんどくさい人である。思念やコンセプトが先行し過ぎているせいもあるのか、それらをきちんと具現化して完成されたサウンドは説得力がハンパないのだけれど、どこか息苦しくって退屈で、アルバム1枚聴き通すといつもグッタリ疲れてしまう。音楽でメッセージを訴えるのは結構だけど、そっちに重心をかけ過ぎてしまうと頭でっかちなプログレみたいなサウンドになってしまう。その辺のバランスをうまく取ってエンタテインメントとして成功しているのがU2なのだけど、あいにくMattにBonoほどの下世話さは期待できそうにない。
 で、この曲はJohnny MarrがThe Smithを脱退して正式加入した初のアルバム『Mind Bomb』の先行シングル。理屈というよりは、屁理屈と被害者意識の塊であったMorrisseyと別れ、わざわざ偏屈の帝王と組んだこのアルバム、まぁほとんどはMatt主導の陰鬱とした曲が多いのだけど、これだけ他と毛色の違ったポップ・ソングに仕上がっている。
 Smithsとも従来のThe Theともまったく違う、ジャジー・テイストの4ビートに乗せて歌うMatt。肩の力の入ったヴォーカルは相変わらずだけど、そのサウンドの質感は軽やかで、ラジオから流れてきても普通に口ずさんでしまうほど。シングル・カットされてUK最高18位まで上昇し、The Theとしては最大のヒット・シングルになった。
 こういった曲がもう2つ3つあれば、The The全体のセールスにも貢献できたはずなのだけど、まだ自分探しに揺れ動いていたMarr、そしてバンド・コンセプトの構築に執心していたMattとでは、その蜜月が長く続くはずもなかった。結局このプロジェクトは単発に終わり、その後、Marrは長い迷走状態に突入することになる。



Sade 『Paradise』
 Sadeの作り出す音楽のクオリティが高いことは、わざわざここで書かなくても誰だって知ってるはず。恐ろしく長いインターバルで何年かに一度、完璧に統制された音楽を届けてくれる。単にコントロールされただけの音楽なら息が詰まりそうだけど、リリースすれば確実に上位にチャート・インするように、きちんと大衆性も兼ねたポップ要素も内包されている。そして一番肝心なのが、Sade自身の揺るぎない自信とパッション。作られた音楽だけでは、人の心は動かせない。そこには強靭なソウルが必要なのだ。
 わかってはいるのだけど、昔からその世界観についていけない俺。一曲一曲のクオリティは理解できるのだけど、いまだアルバム1枚を通して聴けないアーティストの1人である。なぜかは自分でも不明。Joni Mitchelなら通して聴けるんだけど、これも不思議。
 で、この曲は俺にとって、Sadeの曲の中では最もお気に入りの曲。絶妙なリズム・セクション、複雑な構成を苦ともせず、凛とした佇まいのまま、難なく歌いこなすその姿は、真摯に音楽に身を捧げたアーティストそのもの。優等生とも言うべき、アーティストの鏡とも言えるだろう。
 今回もベストを通して聴こうとしたのだけど、やっぱり途中で挫折した。
 俺がまともにSadeを聴けるようになるのは、一体いつの日になるだろう。





Tears for Fears 『Sowing the Seeds of Love』
 心理学用語である原初療法がバンド名の由来である、80~90年代を代表するエレポップ・デュオの代表作。
 この曲リリース以前にも、日本を含む世界中で『Shout』『Everybody Wants To Rule The World』がヒットしており、以前から知名度はあったのだけど、ヒットに伴うワールド・ツアー、次回作へのプレッシャーがストレスとなったため、長期休養に突入、新人バンドにもかかわらず、4年もの歳月が経過していた。
 それまではグループ名の由来から来るように、どこか神経質で被害妄想の裏返しのような密室ポップを展開、歌詞も後ろ向きでネガティヴなワードばかりが頻発していたのだけど、この復活作では肯定的表現である”Love”を多用している。何かの暗喩や否定の裏返し的な使い方ではなく、正真正銘いつわりなしの”Love”。
 デビュー当時からサウンドの作り込み具合は変わらず高レベルなのだけど、今回は密室ポップのルーツと言える中期Beatlesのフォーマットをそのまま使用、ていうか『I'm The Walrus』そのまんま、シンプルなコード進行と素直なメロディ、一音一音凝りに凝った精巧なサウンドを、何の衒いもなくポンとそのまま提示している。以前の彼らなら、Beatlesからインスパイアされたサウンドを捏ねくり回し捻じ曲げて、結局最後はまったく原型を留めないネガティヴ・ポップに仕上げていたのが、ここではストレートに前向きなポップ・サウンドを展開している。一旦屈折してからの素直なポップは総じてレベルが高い。



Suzanne Vega 『Luka』
 ほぼ前時代的なフォーク・サウンドでデビューしたSuzanne、その純朴そうな文学少女的な佇まいは、当初からロキノン周辺では好意的に受け取られていたのだけれど、セカンド・アルバム『Solitude Standing』収録のこの曲は、ビルボード最高3位と大ヒットを記録、アルバム同時収録の『Tom’s Dinner』と共に代表曲となった。
 アコースティックな響きを基調として、80年代テイストのポリフォニック・シンセを薄く乗せたそのサウンドは、無理に力強く享楽的な80年代パワー・ポップが隆盛だった当時においては、一種の清涼剤的に心地よい感触だった。
 有名な話だけど、歌詞の内容は幼児虐待という、強く社会に訴えかけるメッセージが内包されている。いるのだけれど、Suzannneはそれを決して熱く語らず、淡々と物語を紡ぐ。
 
 「もし夜中、悲鳴や怒声が響いたとしても、気に留めないでね。
 どうしたの?なんて、決して聞かないでね」

 
 当時Suzanneは28歳。多分この曲はフィクションだろうけど、今でも十分通用する内容である。これがフィクションなのか、それともノン・フィクションなのか、いまだSuzannneから語られることはない。



Matthew Sweet 『Girlfriend』
 暴力と憎悪が飛び交い、殺伐とした90年代アメリカのオルタナ・シーンにおいて、抜群のメロディ・センス、そしてその親しみやすいキャラクターによって、一時は日本でもそれなりの人気を博したけれど、その後この曲に匹敵するほどのキラー・チューンを作り出すことができず、どうにもパッとしなかったMatthew。
 多分今でもマイペースな活動を続けているのだろうけど、普通に口ずさめるポップ・センスとオルタナ・サウンドの爆発力とを併せ持つこの曲があまりにも素晴らしすぎて、どれもみな霞んでしまう。大昔にアルバムも持っていたのだけど、今ではこの曲しか印象に残っていない。
 社会的影響や現象としてのグランジ/オルタナ・シーンのインパクトが強すぎて、NirvanaやNine Inch Nailsなどの陰に埋もれがちな人だけど、退廃とバイオレンスのイメージが先行したシーンにおいて、ビルボードのロック・チャートで堂々の4位ランク・インはかなりの健闘だったと思う。
 ちなみに90年代リリースのアルバム中、ベスト・デザイン賞獲得は間違いなしのこのジャケット、モデルはなんと1960年代に活躍したアメリカの女優Tuesday Weld。Matthew自身が所持していた1957年撮影のピンナップを使用した、とのこと。今回初めて知った。



Aretha Franklin 『I Say a Little Prayer』
 Alice Clarkのレビューでも書いているのだけど、今もArethaはちょっと苦手な俺。いや、レジェンド級にスゴイ人だというのはわかるんですよ、そりゃ。圧倒的なヴォーカル、表現力といい、まさしくソウル・クイーンの名に恥じない人だというのは重々承知の上なのだけど。映画『Blues Brothers』での『Think』、その圧倒的なパフォーマンスは何回もリプレイしたくらいなのだけど、Sade同様、アルバム1枚通して聴くには、いつもお腹いっぱいになってしまう人である。
 そんな俺がArethaの数あるレパートリーの中では、数少ないお気に入りナンバー。作曲Burt Bacharach、オリジナル・ヴァージョンは、こちらも有名なDionne Warwick。でも俺的にはArethaヴァージョンを先に知ってしまったため、断然こちらの方が馴染みが良い。
 ゴスペル出身の彼女にとって、こういったコーラス隊をバックにしたアレンジはまさしくホームグラウンドであり、臨場感あふれるパフォーマンスを展開している。
 「ささやかな祈り」とは、誰のためなのか、身近な異性なのか、それとも崇高な神への祈りなのか。



James Brown 『I Got You (I Feel Good)』
 最後にこれを忘れてた。もちろん俺のハンドル・ネームの基になった曲である。
 JBの曲は普段から習慣的に聴いているわけではない。これも冒頭に書いたパターンと同じで、突然JBが聴きたくなって集中的に聴き漁り、十分堪能してしまうとまたしばらく離れ、また忘れかけた頃に突然JBエキスを体が欲するようになり、また集中的に…、という無限ループ。
 この曲を最初に聴いたのはTVの番組、多分60年代のロックやソウルの歴史を辿る内容だったと思う。こういった企画の場合、どうしてもロックがメインとして取り上げられることになるので、Rolling StonesやBeatlesばかりに比重が置かれ、ソウル系は刺身のツマ的扱いである。当時はロック系の方に気持ちが向いていたので、ソウルのコーナーはダラッと流し見していた。
 ほんの10秒前後だったと思う。しかも画面はかなり粗いモノクロ映像、クローズ・アップされているのはJB本人、それとゴーゴー系っぽいコーラス・ガールが2人、JBのバックで踊っていた。
 ほんと、ほんの短い時間だった。なので当然、あの有名なサビのみだったのだけど、そのパワーに釘づけになった。
 ―なんだ、このムダに熱いパワーは?
 このムダこそが、ファンクの精神そのものである、と気づかされたのは、もっと後のことである。
 “Ifeel Good!””So NICE!”くらいしか言ってないのだけど、すでにこの時点において、JBオリジナルのファンク・ミュージックが完成の域に達している。シンプルなワン・コード・ファンク、あのMichael Jacksonさえも手本としたステージング、ほぼシャウトのみのヴォーカル。
 すべて、JBが始まりだった。みんながJBに憧れ、彼を目指した。また勝ち目がないと悟って、敢えて違う途を辿る者もいた。
 しかし、JBを凌駕した者は、いまだいない。






俺の好きな曲たち:邦楽編

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 ちょうど今回でレビュー100本目となったので、ちょっと特別なことを、と思っていろいろ考えてみたのだけれど、結局地味でありふれた企画になってしまった。
 アルバム本体は聴いたことないけど、またはアルバム自体入手困難だけど、この曲はどうしても好きで好きでたまらないので紹介したい、というのを基準に選んでみた。こういうのって選者の10代の頃の曲が多くなりがちだけど、その例に漏れず、俺のセレクションは見事に80年代ばっかり。90年代もいろいろ聴いてはいるはずなのだけど、心に残るのはどうしても若い頃に聴いた曲中心になってしまう。
 ランダムに取り上げてるので、順位はなし。できるだけヒット曲ははずしてみた。
 じゃあ行くぜっ。



タンゴ・ヨーロッパ 『桃郷シンデレラ』
 1980年代初期にかけて活動、1984年までに2枚のアルバムと4枚のシングルをリリース。主に深夜テレビやラジオで活躍、あまり生演奏の機会は与えられなかった模様。
 女5人のガールズ・ロック・バンドで先駆者と言えば、プリプリやSHOW-YAが一般的に連想されるけど、当時のガールズ・ロック・シーンは山下久美子の独占状態、バンド・スタイルが受け入れられるには、時代がちょっと早すぎた。また当時の音楽シーンでは、ロック・ビジネス自体がまだ確立されておらず、レコード会社・事務所的にもまだ売り出しのノウハウがない状態だった。既存の芸能界ルートを通しての売り方、「ちょっとセクシーなロリータ・バンド」という、実像とは不本意なイメージでプロモーション展開されたため、双方の不信感がマックスに達し、解散の憂き目に合ってしまった。
 この曲はラスト・シングル、すでにレコーディング時点で解散が決まっており、最後くらいはやりたいようにやらせてやろうという事務所の温情もあって、バンド主導でプロデュースが行なわれた。やけくそ半分好き放題にやったことが功を奏したのか、これまで無理やりアイドル歌謡ロックを歌わされていたことが逆にバックボーンとなって、ロックと歌謡曲との無理のないハイブリット・サウンドがここに誕生した。
 あれほどイヤイヤ歌っていたアイドル歌謡のフォーマットをベースとして、バンド・アレンジを基調としたサウンド・プロダクション、オリエンタルなコード進行のオープニングから必殺の3連符によるサビ。スワン・ソングにしては完璧な歌謡ロックであり、皮肉ながらも彼女らの代表作になった。
 田舎から上京してきた少女が夢破れて田舎に帰るその切なさを憂う歌詞は、タンゴ・ヨーロッパ自身とダブってしまい、当時の数少ないファンの郷愁を誘った。
 ちなみにヴォーカル兼リーダーのさいとうみわこ、解散後にインディーズからリリースしたデビュー・アルバムにおいて、めちゃめちゃ先駆けのヘア・ヌードを披露、ちょっと話題になった。



ピチカート・ファイヴ 『東京の合唱』
 もはや正確な数値はわからないくらい膨大な量のシャレオツな音楽と、そこから派生するさらに大量のリミックス・ヴァージョンによって、「消費財としての音楽」を無尽蔵に送り出したピチカート・ファイブ。
 そこに立ってるだけで「華」のある野宮真貴、元祖渋谷系の総帥として、今でも多大な影響力を持つ小西康陽とのコンビは、世紀末までほぼノン・ストップでフル稼働していた。そして20世紀を終えると共に、その役割を全うしたかのように、突如その幕を閉じた。
 消費されるための音楽を目指していたピチカート、彼らの去った後は、タワレコ・HMV系を中心とした、いわゆるシャレオツ系音楽も急速に衰退、そして彼らもまた、90年代の風俗・カルチャーとして、ごくたまに語られる存在となった。
 伝説としては完璧だった。だったのだけど、ついアーティストとしてのエゴが出てしまったのが、この曲。
 シゲル・マツザキの熱いゲスト・ヴォーカルばかりが取り沙汰されてるけど、この曲で大事なのは歌詞。

 誰だっていつかは死ぬけど なんにも怖くはないけど
 天国に行けるかな
 ときどき嘘はついたけど 悪いことはしてないし
 君に言った嘘なら いつだってすぐにバレてたよね

 もはや爛熟期に突入していたゴージャスなピチカート・サウンドの中でも、このアレンジは比較的シンプル。シゲルに煽られてるせいもあって、真貴のヴォーカルもいつもより力強い。その刹那的な叫びは、どこか虚飾にまみれたサウンドの奥深くで、しっかり息づいている。
 彼らの美学として、こんな風に捉えられるのは本意じゃないかもしれないけど、この一節は俺の中で今でも息づいている。
 当時のリア従たちの日常の空気感を見事に封じ込めたYOU THE ROCK★のラップ・パートも、風俗史観としては貴重。



鈴木慶一 『Left Bank』
 ビートニクスのレビューでも書いたのだけど、盟友高橋幸宏と組んだ時の慶一の歌詞は、80~90年代の日本のロックにおいての至宝。
 人生の応援歌でもなく、四畳半の日常雑記でもない。現状がクソだと毒づくのではなく、そこをひとつ越えたところ。大人になるということはしがらみが多くなり、自分独りの力ではどうにもならない。身動きが取れないことも多くなる。だからといって、完全にドライに割り切れるわけでもない。人間誰しも、そこまで強くはなれないのだ。
 そういった無常感を描いたら、当時彼に勝る者はいなかった。

 最教の敵は 自分の中にいる
 最高の神も 自分の中にいるはず

 この、「はず」とつけ足してしまうところに、当時の彼の才気渙発さが窺えるのだ。



小林克也 『六本木のベンちゃん』
 多分、最初に聴いたのはAMラジオからだった。何じゃこのコミック・ソング、というのが最初のイメージ。
 何だか酔っぱらったようにデュエットしてる男の声は、ほぼ確実に桑田佳祐、そしてメインで歌うのは小林克也。「ベストヒットUSA」で見たことのある、そして「スネークマン・ショー」で、めっちゃうまいけどクセのある英語ナレーションを務めるあの人だった。
 当時の桑田と言えば、コミック・バンド的なイメージの強かったサザンが徐々にアーティストとしてのブランド・イメージを確立しようとしていた頃であり、そこに反比例してシャレの効いた曲が少なくなっていた時期と一致する。本格的なアーティストとしてのブランド確立も至上命題だったけど、同時に昭和歌謡曲の申し子でもあった桑田にとっては、スケープゴート的な遊び場も必要不可欠なものだった。よって、この小林克也とのコラボは、桑田の精神バランス的にも良い方向へ働いていた。
 中年オカマの色恋沙汰をベタな歌謡曲テイストで演じるという、何ていうかもう、わざわざ書き出すのもバカらしくなって来る、そんな内容のない歌詞である。バカらしさをさらに突き抜けて、未だ孤高の存在の曲であることに変わりはない。
 ただ、果敢に英語風日本語&日本語風英語との融合を行なっていた桑田の言語感覚は凄まじささえ感じてしまう。特にこの曲、当時の固有名詞や時事風俗などのポップ・カルチャー情報をこれでもかというほど詰め込んでいるにもかかわらず、後に残るものは何もないという、究極のポップ・ソングの見本のような曲。
 最近では桑田のオール・タイム・ベストに収録されたため、レア度は低くなったけど、未だ彼のキャリアの中では異彩を放っている。



坂本龍一 『Steppin’ Into Asia』
 1985年にリリースされたシングル。当時教授がレギュラーを務めていたNHK-FM『サウンド・ストリート』のデモ・テープ特集に応募してきた素人女子大生をヴォーカルに抜擢、教授が作ったトラックに彼女がタイ語のラップを乗せ、タイトル・サビを当時の奥さんだった矢野顕子が担当。限定版だった7インチ・シングルはピクチャー・ディスク仕様、寝起きのような面をした教授のポートレートがプリントされていたのが印象的だった。
 当時の最先端だったサンプリング・エフェクトが使われまくりなのだけど、当時は他人の曲から音源を引っ張ってくるという発想自体が日本では浸透していなかったため、基本は教授自前のサウンドを使用している。
 ギャングスタとは対極の位置にあるラップの方向性は、いろいろ紆余曲折してはいるけれど、スチャダラパーに受け継がれている。






矢野顕子 『ひとつだけ』
 で、続けて矢野顕子本人の歌で。
 アッコちゃんという人は、昔は規格外の天才で、どこにもカテゴライズしづらいオンリーワン、「矢野顕子」というジャンルそのものだった。もちろん今でもその規格外な才能は変わらないのだけど、その才能があまりにも普通の人の理解を超えすぎていたため、いろいろ誤解も受けてた時期が長かった。清水ミチコの芸からは大きなリスペクトを感じるけれど、エハラマサヒロからはあまり感じられない。なんていうか、そういうことだ。
 多分、「アッコちゃんの人気曲ベスト10」企画なら確実にトップ3に入るくらい、それほど人気の高い曲なのだけど、俺的に最高なのは忌野清志郎とのデュエット・ヴァージョン。

 けれども今気がついたこと とっても大切なこと
 一番楽しいことは あなたの口から
 あなたの夢 聞くこと

 離れている時でも わたしのこと
 忘れないでいてほしいの ねぇお願い
 悲しい気分の時も わたしのこと
 すぐに呼び出してほしいの ねぇお願い

 わかりやすい言葉をストレートに歌うこと。
 たったそれだけなのに、清志郎の憂いのあるヴォーカル、そしてアッコちゃんの力強いピアノとハーモニーが加わると、それだけでもう涙ぐんでしまう46歳。



仲井戸麗市 『打破』
 清志郎繋がりというわけじゃないけど、1985年チャボのソロ・デビュー・アルバム『THE 仲井戸麗市 BOOK』に収録。RCの爆発的な人気が安定期を迎えたと共に、バンドの状態も爛熟期を迎え、徐々に亀裂が生じてきた頃である。先だって清志郎がソロ・デビュー、それに刺激されたのか事務所の要請だったのか、チャボも遂に重い腰を上げた。
 今でこそ枯れたブルース・マンっぽくなっちゃったチャボ、この頃はまだトンガっていたのか、本家RCよりも重く深い、ハードなロック・ナンバーに仕上がっている。

 変わり映えのしねぇ 判で押した毎日
 いい加減 打破 打破 打破

 俺にできることといやぁ 紙の上で歌を書き上げ
 ロックバンドで騒ぐことぐらいさ

 全共闘世代特有の言語感覚が当時は浮いていたけど、リリースから25年も経つと、古びぬパワーを放つ言葉たちが、ストイックなサウンドにさらに強烈なスパイスを加えている。
 この曲も実はオリジナルではなく、やっぱり清志郎とのデュエット・ヴァージョンが最強。RC爛熟期のライブ・アルバム『the TEARS OF a CLOWN』収録。DVDによる映像版も出ているので、何とか探してみてほしい。

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Cocco 『強く儚い者たち』
 冒頭に書いたように、なるべくヒット曲は外していたのだけれど、これだけは外せなかった。
 最初に聴いたのは札幌のタワレコの試聴機、ちょっと熱のこもった手書きPOPに魅かれ、何気なくヘッドフォンをつけたのが始まりだった。ジャケットの女の子の憮然とした表情は「ここはあたしの居場所じゃない」感が強く発せられており、例えて言えばザラッとした感触があったのを覚えている。
 静寂すら感じられるオリエンタル・ムードのイントロ、そして…。
 多分、音楽を聴いた衝撃で立ち尽くしてしまったのは、あれが最初で最後だと思う。
 南海の孤島の寓話めいた暗示的な歌詞、静かなレゲエ・ビートに乗せたストイックなサウンド、そしてシャーマンの如く無機的でたどたどしい、それでいて強い意志を感じさせるcoccoのヴォーカル。
 大切にひとつひとつ、慎重に言葉を選びながら歌っているはずなのに、どの言葉も発せられたその瞬間に色あせてしまう。それがもどかしくって不器用に腕を振りながら歌うその姿は、当時のJポップ・シーンにおいては明らかに異色だった。



シオン 『30年』
 シオンという人はあぁ見えて結構下世話な人なんじゃないかというのが、ファン歴の浅い俺の印象。悪い意味じゃないのだけど。デビューして30年、今後も大きなセールスは見込めそうにないけど、固定ファンの期待にも確実に答え、結構波はあるのだけど、コンスタントに作品をリリースしている。
 売れなくてもいい、というのでもない。このままのペースで売れるならそれはそれでいいし、多少は頑張っちゃってもいいと思ってるけど、どうも狙っちゃうとハズしてしまうことが多い。
 何が何でも自分のやり方を貫かないと気が済まないわけでもないらしい。そこまで頑固な人でもないのだろう。じゃなけりゃ、福山雅治とあそこまでガッツリとコラボしないと思う。下世話というのは、そういった意味。
 活動歴が長い分だけコアなファンも多く、それぞれ思い入れの深い曲もあるのだろうけど、俺的にはこの曲、しかもベスト・アルバム『TWIN VERY BEST COLLECTION』収録のライブ・ヴァージョン。
 ―NY行きの飛行機の隣りに乗り合わせた、アメリカへ帰るレストラン経営者の半生を、いつものように酒焼けでガラガラ声のシオンが淡々と語る。
 若いうちに日本を飛び出して、アメリカで必死に働いて金を貯め、日本食レストランを経営するくらいまで成功した。今でも年に一回、母親の顔を見るために帰国している。でも田舎に帰っても、何だか実家に泊りづらくてね、泊まるのはいつもビジネス・ホテル。
 内容に特別変わった点はない。大きな事件も感動のフレーズも何もなく、淡々と事実を語るだけ。奇をてらうこともなく飾らず、ただ「事実」だけを淡々と語るシオン。それがフィクションなのか事実なのか、それを語ることもない。
 そんなことはどうでもいいくらい、物語そのものとなったシオンが、そこにいる。



コンセントピックス 『だらしないやつ』
 1984年ポプコン・グランプリ受賞、同年にその受賞曲"顔"でデビュー。オリコン最高53位という、まぁそこそこの実績。この"顔"という曲も、男子に免疫のなさそうな当時の腐女子が背伸びして妄想して逆ギレしたフェミニズム全開の曲なので、何となく記憶に残ってる人も多いはず。
 歴代のポプコン受賞曲の中でもかなりの異色バンドで、アラジンやTOM-CAT系のイロモノ系ともまた微妙にスタンスが違っている。そのアクの強さは孤高の輝きを放っており、いまだフォロワーを生み出していない。
 "顔”以降はパッとせず、2枚のアルバムを残して解散。ヴォーカル兼リーダーのよしだみつぐはその後ソロ活動も行なったらしいけど、こちらもいつの間にかフェード・アウトしてしまった。
 タンゴ・ヨーロッパ同様、2枚目製作時にすでに解散が決まっていたらしく、この曲はラスト・アルバム『HA・TSU・MI・MI』、そのラストに収録されている。レコーディング時点でほとんどやけくそだったのか投げやりだったのか、はっきり言って他の曲はどれも中途半端な完成度、やっつけ仕事っぽくアマチュア・バンドの域を出ないのだけど、この曲の放つエネルギーだけは全キャリアにおいても突出している。

 だらしない子供たちが 増えている 自殺に走る
 要領とお愛想だけの 大人を見て来たから

 16歳の時に初めてラジオで聴いて衝撃を受けて以来、いまだ俺の中では日本のパンクでは不動のベストテン第1位。ほんとは歌詞を全部書き出したいくらいである。そこまでする気はないけど。
 やけくそなヴォーカルと投げやりな演奏。ありとあらゆる不満をこれでもかと詰め込んだ歌詞。
 きちんと成型された商品ではない。
 時代のあだ花にすらなれなかったけど、この歌は今でも普遍的な問題意識の塊である。

HA・TSU・MI・MI
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次回は洋楽編。


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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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