好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Various

レビュー300回記念企画その2:俺の好きな曲たち邦楽編

 100回ごとにランダムにピックアップし、今回で3回目。順位づけはなし、単なる年代順で並べている。



山本達彦 「MY MARINE MARILYN」

01251447_52e34fe18bb3f 1983年リリース、JAL沖縄キャンペーンとタイアップしたため、テレビやラジオで大量オンエアされて、知名度を大きく上げた。でも、チャート的にはオリコン最高44位。あれ?もっと売れたと思ってたんだけどな。
 モデルや俳優といっても通用する端正なルックスから、80年代シティ・ポップの追い風に乗って、颯爽とデビューしたものだと思っていたけど、実は、ムッシュかまやつのバックでドサ回りなど、何かと下積みの長かった苦労人。育ちの良さは伝わってくるんだけど、ドロップアウトしちゃったんだろうな。
 本来はジャジー・スタイルのシックな作風が多いのだけど、キャンペーン・ソングというオファーに従って、ここでは軽快なリズムとキャッチーなアレンジを前面に出し、さらにゴージャスな女性コーラスをフィーチャーした、ブラコン風ポップに仕上げている。サビ以外のコード進行がちょっとひねり過ぎな感はあるけど、そういった些細な点をも凌駕する勢いはあったはず。はずなのだけど、案外チャートで苦戦するとは、誰もが思わなかったはず。
 生真面目すぎるがゆえの純音楽主義もあって、次第に活動は地味になってゆくのだけど、落ちぶれた感があまりないのは、あくせく働く必要がないからなのかな。どうせなら、そのルックスを生かして俳優業とかに進出していたら、福山雅治くらいはねじ伏せていたのかもしれないのに。



飯島真理 「セシールの雨傘」

41MyOHpMyBL 1985年リリース、彼女にとって大きなターニング・ポイントとなった5枚目のシングル。デビュー作がなんと坂本龍一プロデュースという超期待株、ビクターの箱入り娘として、蝶よ花よと育てられた飯島真理:通称まりン。初期3部作までは、スウィートなアイドル風テクノポップな楽曲が主体だったけど、このシングル・リリースを機にアーティスティックな作風へ路線変更、ミスDJや「マクロス」のリン・ミンメイで獲得したアイドル/アニメおたくファンをバッサリ切り捨てた。
 アイドルとアーティストの中間というスタンスは、ちょうど太田裕美が休業に入った時期と重なったため、まりンがその空席を埋める形となる。加えて、マクロス関連のオファーもあったため、そのまま行けば、今ごろアニソン界でもそれなりのポジションを築けてたんじゃないかと思われる。
 ただまりン本人としては、アニメ界隈やアイドル仕事はあんまり好きじゃなかったらしい。「アイドル顔とアニメ声の現役音大生」という付加価値が、本人の意向とは逆に作用し、自作曲のまともな評価がされなかった事に不満を持っていたことが、その後の発言やインタビューで明らかになっている。
 60年代フランス映画からインスパイアされた、思わせぶりなアンニュイ感を主軸として、ナイーブな少年少女の逢瀬を描いた歌詞を書いたのは松本隆。短編小説の1シーンを切り取ったかのような、映像を想起させる繊細な言葉の綾は、アーティスト飯島真理が希求していた世界観と合致していた。
 セールス的にはパッとしなかったけど、アーティスト・イメージの切り替えには大きく寄与した。実際、ネット界隈でもこの曲の評価は飛び抜けて高い。







パール兄弟 「バカ野郎は愛の言葉」

20111124050924 1986年リリース、デビュー・アルバム『未来はパール』に収録。今もって彼らの代表作として輝く、最強のニューウェイブ・ロック。「彼らこそ日本のTalking Headsだ!」ってキャッチコピーはどうかな、と一瞬思ったけど、パンチ弱いよな。立場を変えて、「アメリカのパール兄弟…」。もっと微妙になった。
 ハルメンズやビブラストーンなど、実力派インディー・バンド出身のメンバーによって結成されたパール兄弟は、ソニー系が幅を利かせていた80年代音楽シーンとは対極のポジション、「ミュージック・マガジン」を筆頭とするサブカル系からの期待と支持が熱かった。「ロキノン」でも「宝島」でも「PATi PATi」でもない、スノッブ臭が強烈なミューマガ界隈は、ロック界随一の論客であるサエキけんぞうとの相性は良かったけど、それがセールスに直結したかといえば、それはちょっと疑問。
 旧世代のロックを鼻で笑い、斜に構えた視点で「こういったロックもアリでしょ?」的な問題提起を行なってきたサエキけんぞうの登場は、産業化・画一化が進みつつあった日本のロック/ポップス・シーンへのアンチテーゼとして、重要なファクターとなるはずだった。だったのだけど、むしろ職人気質が多かった演奏陣との乖離は次第に大きくなり、ギター窪田晴男の脱退を機に次第に失速してゆく。コンセプト先行のイメージが強かったこともあって、もともと長く続けるべきユニットではなかったのだ。
 単発的なユニット/思いつきの瞬発力といった見地では、江戸時代とレゲエを合体させた「江戸時代の恋人達」に代表されるように、『未来はパール』にはいろんな可能性やらアイディアが詰まっている。どのトラックも、21世紀の今でも充分通用するポテンシャルを持っている。ただ可能性って、無闇に広げても、尻切れとんぼになっちゃうんだよな。ここで解散していたら、伝説のバンドになっていたかもしれないのに。
 反語表現を効果的に用いた愛情表現は古くからあったけど、日本語の歌詞でここまでポップで、しかも簡潔に表現したという意味で、サエキは先駆者である。同時期に作詞を手掛けたムーンライダーズ「九月の海はクラゲの海」もまた、同じ手法を用いた秀作。



モダンチョキチョキズ 「エケセテネ」

_SL500_ 1994年リリース、近年はナレーションや女優など幅広く活躍し、芸能界でのポジションを盤石にした濱田マリが在籍していた伝説のバンド、モダンチョキチョキズ6枚目のシングル。ちなみに同期のレーベルメイトとして、同じくマルチな活動ぶりのユースケ・サンタマリアが在籍していたビンゴボンゴがいる。この時期のキューン・ソニーは、電気グルーヴなど、アウトサイダーなメンツのオンパレード。どんな営業方針だったんだキューン・ソニー。
 それはひとまず置いといてモダンチョキチョキズ、「オバQ」や「恋の山手線」のカバー、またはCM出演でちょっとだけ話題になった「あたまはクラクラおめめはグルグル」くらいでしか知られていないため、いまだコミック・バンド的な扱いをされることが多い。まぁ実際にその通りなんだけど、サムいギャグばかり連発していた初期と比べ、後期になると多様な音楽性をベースとしたマイナー・メロディの佳曲がシングルで切られるようになり、単純なおちゃらけ集団ではない側面が見られるようになる。
 Jackson 5とThree Dog Nightを足して2で割ってBootsy Collinsが乱入したようなサウンド、語感の気持ち良さを羅列した、幼稚な言葉遊びの無意味性。彼らのコンセプトの最終形、到達点がここにはある。
 米米クラブでもなし得なかった、「くっだらねぇのその先」を具現化したこの曲、もっと世に知られるべきだったのだけど、バンド自体の知名度が追いつかず、チャート的には大惨敗、バンド活動継続が難しくなったのか、この後は各自ソロ活動の比重が大きくなってゆく。







中山美穂 「Sea Paradise -OLの反乱-」

north_garden_kk-img600x311-1275448440gkca1r7016 ミリオンセラーを記録した「ただ泣きたくなるの」の次のシングルとしてリリースされ、一気に10分の1にまでセールスが落ち込んだ、ミポリン1994年リリースの異色作。カラオケ・バブルとうまくリンクして、今井美樹と並んでキャリアOL御用達となったシックな大人路線から大きくコース・アウトした、ポップなジャパニーズ・ラップは歓迎されなかった。
 ちょっとエッチに興味がある、背伸びしたティーンエイジャー路線からスタートしたミポリンは、角松敏生「You're My Only Shinin' Star」に出会ったことで、ミドル・バラード中心の大人AORへ路線変更する。ヤンチャしまくったヤンキーが年齢を重ねて落ち着くプロセスをそのまんまなぞることによって、同世代ファンの内的成長と同調し、強い共感を得た。
 同時代のMariah Careyにならい、コンテンポラリー路線を志向していたミポリンだったけど、日本ではストリート・カルチャー発信による「DA.YO.NE 」などのジャパニーズ・ラップが台頭してきた頃。シックな大人路線は、カラオケ・ニーズに沿った手堅い市場ではあるけれど、そればっかりではマンネリ化してくるだろうし、ミポリンもプライベートでは24歳の女の子。よそ行きのかしこまったファッションだけじゃなく、ちょっとくだけたカジュアルな表情だって見せたくなる。
 同世代のOLに詳しいリサーチを行なったかどうかは不明だけど、「多分みんな、こんな風に考えてるんじゃない?」ってな感じで、自ら歌詞を書き下ろしている。いるのだけれど、さすが一般大衆の生活経験がないミポリン、どこか浮世離れしてる感は拭えない。「えーウソやだー」とか「ジョーダンじゃないわよハニー」なんて言葉遣いは、この頃すでに死語と化していた。セレブが無理して一般OLの口調を真似た、そんなぎこちなさが漂ってくる怪作。



ジャングルスマイル 「おなじ星」

414vHkCNl-L 1998年リリース、男女ユニット「ジャングルスマイル」5枚目のシングル。90年Jポップ大ヒットの発信源だったFMのパワー・プレイにピックアップされたため、耳にした人は結構多いはず。スピッツやミスチルなど、ここで大量オンエアされてヒットにつながった例は数多い。
 期待株として、彼らもそのルートに乗っかってヒットするはずだったのだけど、オリコン・チャートは最高27位、思ってたよりもブレイクしなかった。この時期はCDバブルのピークであり、ミリオンセラーもなんと14枚と大量。ジャングルスマイルに限らず、今なら充分トップ10圏内に入る売り上げだったのに、埋もれてしまったアーティストや楽曲が多々あるのも、CDバブルの功罪である。
 その当時、大量発生していた男女混成ユニットは、大抵、音圧強目のダンス・チューンが多いのだけど、彼らのサウンドは他と違って、ピーク・レベルは比較的抑えめだった。タイアップ狙いが先行して、サビ以外のメロディは単調なものが多かった90年代アーティストの中では、どのパートも手を抜かず、丁寧に作られていたのも、彼らのサウンドの特徴である。
 オレンジ・ペコーやピチカートほどの洒脱さ・スノッブさはなく、タイアップ一発勝負のパメラやフェイバリット・ブルーなんかと同じカテゴリに入れられることが多い彼らだけど、ヴォーカル高木郁乃が手掛ける歌詞は、あまりタイアップ向きではない、ちょっと後ろ向きでプチメンヘラっぽい傾向が強い。この曲も、20代女性の揺れ動く心の綾を丁寧にすくい取ったストーリーなのだけど、「この腕が千切れそうになっても離さない」「ずっと2人で生きていこうね」「たとえあなたが女に生まれたとしても守るわ」など、男目線でみれば、重い言葉のオンパレード。どんな恋愛遍歴を重ねてきたのか、膝詰めで問い質したくなってしまう。
 楽曲自体はフォーキー・タッチの丁寧なメロディ・ラインなのだけど、そんな言葉の重さがちょっと敬遠されたのかもしれない。時代のタイミングで埋もれてしまったのが、ちょっと惜しい。







Chappie 「Welcoming Morning」

220123999 1999年リリース、ネット上のキャラクターとして普及したアバターの先駆けとなった、ヴァーチャル・キャラクターChappieのデビュー・シングル。ジャングルスマイル同様、こちらもFMパワー・プレイで大量オンエアされ、清涼感あふれる夏の木陰を想起させるサウンドは、俺的にはすごくお気に入りだったのだけど、チャートではオリコン最高86位。ジャングルスマイル以下だったんだ。
 ネット社会がまだ未成熟だった20世紀末、雑誌やテレビ・ラジオが情報発信の周流だった最後の時代、Chappieは静かに、そっと誕生した。積極的なキャラクター・ビジネスでもコンテンツ販売でもない、あえて例えるならコンセプトの拡散とでも言うのかな、明確な形を持たず増殖を繰り返すChappieは、メディアに静かに浸透していった。
 周到かつ控えめなメディア・ミックスは、安易な商業主義に走らず、20代までをターゲットしたサブカル/ストリート・カルチャー方面に向けて、下世話にならぬよう配慮されていた。敢えて詳細なキャラクター設定を行なわず、シーンに応じて増殖を繰り返すChappieは、陳腐な商品化やブームに乗らなかったため、マスに消費し尽くされるのを回避した。
 Chappieにとって音楽活動というのはサイド・ワークに過ぎず、売上追求というよりはむしろ、「Chappieイズムの啓蒙」といった意味合いの方が強かった。決して大ヒットを狙っていたわけではないし、また下手に売れちゃったら二番煎じ三番煎じを要求されて、クールなスタンスは維持できなかっただろう。
 ソフトなハウス・ビートに乗せて、矢継ぎ早に畳み掛けるノン・リヴァーブの女性ヴォーカルは、爛熟化しつつあったガールズ・ポップに終止符を打つ。セックスの香りを極力消したティーンエイジャーの夏、プールサイドでまどろむひとときを切り取った、そんな情景が思い浮かぶ。
 ちなみに、バックでループされている「ダイスキ」ヴォイスは、川本真琴によるもの。



レピッシュ 「ワダツミの木」

_SX355_ 2002年リリース、元ちとせのデビュー・シングル。タイアップなしにもかかわらず、年間チャートで3位、あゆと宇多田に続いての売り上げを誇る。宇多田もある意味異色だけど、当時のラインナップの中で、「ワダツミの木」は明らかに浮いていた。
 闇の中から響くような呪術的なリズム、絶海の孤島に鎮座した女神による、訥々と綴られる物語。歌われている時代や場所は特定されず、島国で語り継がれる旧い言い伝えをそのまま移植したような世界観。時代やトレンドを超越した、そんな地味な歌なのに、なぜ多くの人が共鳴したのか。
 作詞作曲アレンジ・総合プロデュースを行なったのは、元レピッシュの上田現。当時、現ちゃんはバンドを脱退したばかりで、ソロ活動を始めたばかりだった。主要メンバーであるMAGUMIも杉本恭一もまた、レピッシュを再始動させることなく、各自ソロでやっていた。20年近くもずっと一緒にやってたんだ、そりゃ他の空気だって吸いたくなる。
 バンド結成20周年を迎えるにあたり、レピッシュは再始動する。現ちゃんも正式に復帰し、フェス出演と並行した全国ツアーを行なうはずだった。
 はずだったのだけれど。
 ステージに現ちゃんの姿はなかった。「長く患っていた腰痛治療に専念するから」というのが、当時のインフォメーションだった。
 事実は違っていた。腰痛というのは実は嘘で、肺ガンに冒された現ちゃんの躯は、すでにシャレにならない状態に悪化していた。
 翌2008年、現ちゃんはこの世を去る。
 要のひとつを失ったレピッシュは、膝を抱えて泣き続けるより、自ら動くことを選ぶ。旧友や仲間に声をかけ、現ちゃんのトリビュート・アルバム「Sirius」は、こうして完成した。
 ここでレピッシュとしてプレイしているのが、「ワダツミの木」。音といい映像といい、彼ら一世一代の飛び抜けた傑作に仕上がっている。
 現ちゃん自身もこの曲をセルフカバーしているのだけれど、正直、MAGUMIがヴォーカルを取るこのヴァージョンの方が、全然いい。
 「お前の曲を歌いこなせるのはオレだけなんだよっ」という想いが静かに、そして強く込められている。






レビュー300回記念企画その1:昭和歌謡のディープな洋楽カバー曲

rrr 先日書いたMinnie Riperton レビューの紹介文で、「北島三郎が「Lovin’ You」をカバーしているらしい。情報求む」と書いたのだけど、その後も反応はなかった。単なるネタだったのか、それとも原型をとどめないほど改変されて、いつものサブちゃんタッチになっちゃったのか。引き続き情報求む。
 そんなこともあって、「じゃあ、そんな原曲と思いっきりかけ離れちゃった洋楽カバーって、他にもあるんだろうか?」と思い立ち、1週間くらいそればっかり調べてた48歳。バカだ俺。

 今回、単なる洋楽カバーといった括りだと広義すぎるので、あくまで基準は俺世代中心、45歳以上が共感できて、それでいて意外性のあるものを選んでみた。なので、「ダイアナ」とか「ハウンド・ドッグ」とか「バケーション」とか、ありがちなオールディーズは除外。グループ・サウンズの時代に入ると、ちょっと不良系のバンドを中心に、ロック系のカバーが多くなるのだけど、いわゆるリスペクト系、ストレートな完コピが多いので、楽曲としては意外性がない。タイガースがStonesのカバーをやっていたことは意外だけど、アレンジがほぼ完コピなので、聴いてて面白いものではない。なので除外。
 荻野目ちゃんによる「ダンシング・ヒーロー」がリバイバル・ヒットした、80年代女性アイドルのユーロビート・カバーや、21世紀に入ってからの猫も杓子もリスペクト系カバー・ブームは、どちらもマーケティングやヒット狙いの臭いが強いので、ミスマッチ感とはかけ離れている。これも除外。

 いろいろ調べてみると、70年代アイドルのコンサートでは、かなりの割合で洋楽カバーが取り上げられていた記録が残っている。CarpentersやCarole King、モータウン系など多岐に渡るのだけど、この辺はアイドルのイメージとマッチングした無難な仕上がりのモノが多かったので、バッサリ切り捨てた。ロック系のヴォーカルを志向していた西城秀樹なんかは、アイドル時代からすでにBlood, Sweat & TearsやStonesを積極的に取り上げているのだけれど、あまりにハマりすぎて意外性は少ない。
 で、最終的に残ったのが、このリスト。300回記念なのに、こんなゲスい企画でいいのかなと正直思うけど、何かやってみたかったんだよな。今よりなんでもアリだった昭和歌謡界のダークサイド、ヒット曲やシングル曲だけでは表現しきれない、シンガーやスタッフの声なき声を代弁していると思うのだよ、と強引にまとめ。






小柳ルミ子 「Shout to the Top」 

hqdefault 多分NHKあたりの特番で歌われたと思われ、音源化はされていない。80年代洋楽マニアの間では密かに話題になっていた、世にも珍しいStyle Councilのカバー。世界的に見てもスタカンのカバー自体が珍しい。しかも小柳ルミ子って。
 それまでいわゆるディナー歌手寄り、「瀬戸の花嫁」や「私の城下町」などに代表される、歌謡曲の王道を歩んできたルミ子だったけど、「お久しぶりね」をリリースした1983年あたりから路線が変化してゆく。初主演映画「白蛇抄」では、大胆な濡れ場をフィーチャーした官能的なヌードを披露しており、これまでの清楚なイメージとは逆行する活動ぶり。何があったんだルミ子。
 労働者階級出身であるPaul Wellerによる、搾取側であるアッパーミドルへの怒りを込めたパッション。そんな熱い想いを受けて空回りしちゃったのか、冒頭から「闇の中 疲れ果てた 打ちのめされ 跪いて 祈る」と、硬い直訳日本語が飛び交う。まぁ本意としては間違っていないのだけど、無理やりなミュージカル・タッチとは明らかに食い合わせが悪い。オリジナルのアートワークがこんなんだから、多分、それをイメージした演出だったんだろうけど、いややっぱ違うわ。
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 ちなみに、時々アップで見切れるのが、あの大澄賢也。さすがダンスのコンビネーションはピッタリだけど、まぁ今となってはそんなのどうでもいいか。その後を思えば感慨深いショットではある。
 賢也と別れてからというもの、しばらくパッとしなかったルミ子だけど、近年になってサッカー・メディア中心に復活するとは、誰も予想していなかったはず。さすが昭和歌謡界の女、いつまでも転んだままではいない。



ザ・ピーナッツ 「エピタフ」

41CBX1A7Y1L ルミ子同様、コンサート収録モノだけど、こちらは当時からしっかり音源化されている。数年前からプログレ周辺では話題になっていたらしいけど、俺が存在を知ったのはつい最近。今回のラインナップで一番ビックリしたのがコレ。
 オリジナルはKing Crimson 、プログレ人なら誰でも知ってる四天王の一角であり、なぜか日本や南米では根強い人気を誇る。デビュー・アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」に収録されており、「混沌こそ我が墓碑銘」と切々と歌い上げる、英語ネイティヴでダウナーな人が聴くと、生きることが嫌になってしまう危険な曲である。
 ポピュラーの歌詞に理屈を持ち込んだのがDylan だとすれば、ロックのサウンドに理屈を持ち込んだのが彼ら、と言うのが俺的な解釈。「オリジネイターは他にもいるじゃないか」といった異論もありそうだけど、彼らがBeatles『Abbey Road』をチャート1位から引きずり下ろすことによって、ロックは小難しいモノという時代に突入したのだ。
 とはいえ、変人Robert Frippのエピソードや、Pete Sinfieldの描く世界観に共鳴したわけではもちろんなく、「叙情的で日本人好みのメロディだから」という単純な理由で選曲されたと思われる。どう考えても、ピーナッツ2人がグルジェフの神秘思想に目覚めたから、とは思えないし。
 往年の歌謡ショー・スタイルによる、弦から管楽器までフル装備の豪華なアンサンブルにかかっては、東西冷戦や核の恐怖を暗示した歌詞も換骨奪胎され、流麗なバラードに調理されている。ほぼ直訳による硬い言葉たちも、2人のハーモニーにかかればアラ不思議、耳ざわりの良い歌謡曲として、他のレパートリーに溶け込んでしまう。
 プログレとはいえ抒情的なフォーキーなメロディであるため、ピーナッツ以外にも、西城秀樹やフォーリーブスも「エピタフ」をカバーしている。一応、他2名のヴァージョンも聴いてみたのだけど、どちらもほぼ完コピに近い演奏のため、ピーナッツほどのインパクトはない。ヒデキは確かに上手いけど、普通にロックになっちゃてるし、意外性はあんまりない。なので、オリジナルの抒情性をキープしつつ、「恋のフーガ」や「モスラの歌」というレパートリーの中に入れても突出しないよう、昭和歌謡曲カラーに染め上げてしまう力技、ていうか当時のバンドマンたちのポテンシャルの凄さが窺える。



坂上忍 「Let’s Dance」

hqdefault (1) 昭和の歌じゃないけど、坂上忍自体は昭和の人なので、まぁ俺の中ではギリギリセーフ。まだ記憶に新しい、2014年「FNS歌謡祭」のステージから。ちょうど「バイキング」の司会に就任しての番宣出演で、本人のキャラ的に「あんまり出たくないけど出るんだったら自分の趣味をゴリ押し」した末の選曲だったと思われる。
 80年代にリリースされたBilly Idol のカバーが、本人の意向だったのかどうかは不明だけど、インタビューなどの発言から、洋楽の素養はそこそこあるみたいだし、Bowie 好きなのも伝わってくる。人前で歌うのが久しぶりだったせいもあって、珍しく気合が入ってるのもわかるけど、いやいやこの曲歌いこなすのは難しいって。

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 タイトル・コールのリフの印象は強烈だし、Bowie の曲の中ではかなり知られている「Let’s Dance」だけど、基本のメロディはすごく地味。デモ段階では抑揚のないアシッド・フォークだったのが、プロデューサーNile Rodgers が「これじゃ地味だ」と、ゲート・リヴァーブてんこ盛りのドラムやホモジェニックなコーラスを追加ダビング、原型をとどめないくらいブラッシュ・アップして仕上げたもの。なので、一聴するとキャッチーだけど、カラオケで歌うと自爆率の高い曲としても知られている。
 そんなことは坂上自身もわかっていたはずだし、テレビ映えを考慮するなら「Suffragette City」や「Heroes」の方が良かったんじゃないか、と余計な助言をしたくなってしまう。多分、坂上本人は「Let’s Dance」以外をチョイスしてたんじゃないかと思われるけど、まぁフジテレビだしゴールデン・タイムだし、有名な曲に差し替えられちゃうのは致し方ない。エキシビジョン的な出演なので、そこまで歌唱力を求められてるわけじゃないけど、映像を見ると、ピッチを合わせるだけで精いっぱい、まるで公開処刑の様相。やっぱ無理があるな。
 ちなみにテレサ・テンもこの曲をカバーしているのだけど、そこはさすが本業、無難に歌いこなしている。いるのだけれど、でもロック的な生きざま、もどかしいまでの不器用さといった点では、坂上ヴァージョンに軍配があがる。姿勢としては、パンクそのもの。








大場久美子 「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」

_SY355_ オートチューンやハーモナイザーで強引にピッチを揃えてしまい、歌唱力の優劣が付けづらくなった現代と違って、昭和の歌手はみんな歌がうまかった。ほとんどの歌番組が生放送だったため、そうそうごまかしも効かず、下手な歌手はテレビ出演はおろか、デビューさえできなかったのだ。
 70年代に入り、ビジュアル先行でグラビア映えするアイドルがデビューするようになったけど、それでも相応の歌唱力は最低条件だった。歌手と名乗って表舞台に出る以上、ある程度のアベレージをクリアしていなければならなかった。
 そんな中、突然変異・絶望的に音痴の歌手が出現する。その名は大場久美子。その壊滅的な歌声は、聴く者を不安に陥れる。
 多分本人的に、芸能界というハレの世界に興味はあったけど、歌に自信はないし、そんなに興味もなかったのだろう。デビューが決まって行きがかり上、それなりにレッスンを受けたりはしたけど、そもそも興味が薄いため向上が見られず、早い段階で歌手に見切りをつけてしまう。TVドラマ「コメットさん」の主役に抜擢されたことによって、アイドル女優へ転身できたのは、結果的に良かったんじゃないかと思われる。本人にとってもファンにとっても。
 Beatlesといえば「Yesterday」くらいしか(多分)知らない大場久美子に、よりによってなんでこの曲を選んだんだ当時のスタッフ。軽快なマーチのリズムはアイドル・ポップと相性はいいけど、突き抜けるほどの楽天性は原曲蹂躙も甚だしい。あれ待てよ、オリジナルのコンセプトも似たようなもんか。じゃあ忠実なリスペクトじゃん。
 でも、よく許可したよなPaul 。オノヨーコもなんか一言ツッコまなかったんだろうか。多分、聴いてたら許可しないよな。
 キレのいいラグタイム・ピアノから始まるフュージョン・タッチの導入部は、手抜きのかけらもないアンサンブルで構成されている。Larry Carlton風のギター・ソロもパッションあふれるプレイだし、全体的にハイレベルの演奏。「どうせアイドル仕事だから」と手を抜いた様子は全然ない。むしろ、与えられた環境と予算と条件の中で好き放題に凝りまくった、無記名のミュージシャンたちの声なき主張がきっちり詰め込まれている。
 だからこそ、大場久美子が歌っているのがすごく惜しい。思いっきり「クミコズペパーズロンリーハーツクラブバンド」ってコーラスしちゃってるので、せっかくなら相本久美子に歌ってもらった方が、まだ聴けたんじゃないかと思ったけど、大して変わんねぇか、どっちも。



三遊亭円丈 「恋のホワン・ホワン」

IND2977 もう何度目かの再評価となり、今年に入って7インチ・シングルが再発された、長年に渡って語り継がれている、珍盤中の珍版。10年に一度くらいのペースで話題となり、あまり盛り上がりもなくフェードアウトするけど、忘れた頃にまた誰かがリコメンドして再評価される、という無限ループを繰り返している。内容はともかくとして、何度倒れても立ち上がってくる、破壊力充分のポテンシャルを有している楽曲である。
 落語家とNick Lowe。どこにも接点がない。なんでこんなの企画したんだ?最初から伝説の珍盤狙いだったのか?当時のプロデューサーが、レコーディング時のエピソードをブログで書いているけど、キャスティングの経緯は不明。どこでどうコーディネートしたんだろうか。
 80年代のニューウェイブ落語の旗手として、高座にパソコンを持ち込んだり、パソコン雑誌への寄稿が多かった元新人類も、今ではすっかり関東落語界の重鎮、大名人圓丈の名跡を担うポジションにある。そんな立場もあってか、これも若気の至りと割り切っているのか、彼が「恋のホワン・ホワン」について語ることはない。本人的にはやっぱ黒歴史なのかな。

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 大場久美子に勝るとも劣らない壊滅的な歌唱力は置いといて、たびたび再評価される要因として、かなり忠実なウォール・オブ・サウンドの再現が挙げられる。「大瀧詠一プロデュース」と言われたら信じてしまいそうな、プレ・ロンバケ・サウンドが展開されている。無駄に力入ったオケと、脱力しまくったヴォーカルとのコントラストは、ネタ感満載。
 ちなみに、ジャケット両面でリッケンバッカーを携えてポーズをキメてるけど、これってNick Loweじゃなくて、むしろCostelloだよね。勘違いしてデザインしちゃったんだろうか。



キャンディーズ 「ブラック・ナイト」

img007_convert_20110426004204 和製Supremes というコンセプトで結成されたキャンディーズは、スクールメイツで鍛えられた歌唱力とダンス・パフォーマンスもさる事ながら、バラエティやコント番組にも果敢に出演していた。同じナベプロにドリフターズがいたおかげで、彼らの冠番組でのゲストやセミ・レギュラーで多く起用された。今で言うバーターだな。
 当時、女性アイドルからは敬遠されていたコントの汚れ役もソツなく演じ、のちの女優業としての下地はここで確立された。彼女らがアイドル活動の幅を広げていなければ、のちのSMAPもいなかった、と言ってもいい功績だったのだ。
 歌手活動に目を向けると、基本はアイドルだったため、シングルでリリースされる楽曲は歌謡曲セオリーに則ったものばかり、ここで特筆するモノはない。ただステージでは、シングル以外の楽曲ではあらゆるジャンルに挑戦している。三声ハーモニーを効果的に使った洋楽カバーも多く、当時の定番であるCarpentersやJackson 5、ディスコの定番だったEarth, Wind & Fireや「Play That Funky Music」もレパートリーとなっている。
 そんな中、意外な選曲だったのがDeep Purple。今じゃすっかり懐メロバンド化して、世界を股にかけたドサ回りを続ける彼らだけど、当時の日本ではZEPより人気があった、とのこと。リフ中心で変拍子も多用するZEPと違って、明快なギター・ソロ、リフ、明快なサビを持つパープルの楽曲は、歌謡曲に慣れ親しんだ日本人の嗜好とかなりリンクする。
 有名なギター・リフはそのままに、ホーン・セクションを掛け合わせることによってポップさが増し、しかも一分の狂いもない彼女たちのハーモニーがプラス、良質のブラス・ロックにボトムアップされている。他のレパートリーと違和感なく構成されたアレンジは、のちにスペクトラムとなるMMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)によるもの。ロック寄りの専属バックバンドにサポートされていたことによって、キャンディーズはステージ面において、他のアイドルと大きな差をつけた。
 そんな彼女らの意向が強く反映された洋楽カバーは他にもあり、Kool & the Gang、Ike & Tina Turnerなど、結構幅広い。テレビ出演のみのトラックもありそうなので、掘り下げたらキリがなさそう。



狩人 「ホテルカリフォルニア」

100_WM825646056644 「あずさ2号」で衝撃のデビューを飾り、一躍スターダムにのし上がった兄弟デュオ、狩人。ただ、デビューのインパクトが強すぎたのか、その後は何をやってもパッとせず、しばらくムード歌謡界隈をウロウロしていたけど、90年代に入ってから「夜もヒッパレ」で復活した。俺的にはそんなイメージ。大方のイメージも、だいたいそんな感じじゃないかと思われる。
 Wikiを見てみると、そこそこのスマッシュ・ヒットはあったらしいけど、「あずさ2号」以上の成功を収めることはできず、表舞台から身を引いて地方中心の地道なドサ回り、で、「夜もヒッパレ」でプチブレイク、その後は兄弟不仲からコンビ解消、片やボクサー兼業、片や森田公一の抜けたトップギャランに加入など紆余曲折、近年になって再結成、ソロ活動と並行して再び地道にやっている、とのこと。波乱万丈だなこりゃ。
 デビュー時の同期に太川陽介や清水健太郎がいるのだけれど、アイドル的な持てはやされ方をされている2人を横目で見ながら、狩人が不満を持っていたとしても、何ら不思議はない。あっちは華麗な振り付けやコスチュームで、ナウいヤングに向けて歌っているのに対し、こっちのファン層は主に年配者、衣装だって地味な白のスーツだし。いくら仕事と割り切ったって、プライベートは二十歳そこそこの若者、そりゃ若い女の子にキャーキャー言われたいわな。
 「あずさ2号」景気が落ち着いて、そろそろ「ルイ・ルイ」や「失恋レストラン」のような若者ウケする楽曲を歌いたくなるのは、自然の流れだろう。仕事を離れれば、普通の20代男子同様、ロックやポップスを中心に聴いていたはずだし。
 とはいえ、シングル曲では無茶できないのは他の歌手だって同じ。趣味を反映させるのはステージのみだったり、アルバムの中に自作曲やカバーを混ぜ込んだりしている。レコード会社や事務所的にも、無理に抑え込むより、目立たない形でガス抜きさせた方が長持ちするので、昔から使われている手法である。
 なので、そのセオリーに従い、「たまには趣味に走ってもいいじゃん」という懐柔策が、このEaglesナンバー。誰でも知ってるよね。
 狩人的には、「爽快感が疾走するウエストコースト・サウンド」、そんなイメージで選曲したはずなのだけど、実際にアレンジされてできあがったのは、相変わらずの昭和ムード歌謡タッチ。通底音となるレゲエ・ビートはそのまま残され、基本アレンジもそんなに改変されていないのだけど、そこはかとなく漂うニック・ニューサ臭。アメリカンナイズは強力脱臭され、ディナーショーで歌われても遜色ない、演歌イズムの音色がサウンドを支配している。
 -こんなつもりじゃなかったんだけどな。
 そんな風に嘆く2人の悲痛な叫びが、行間に封じ込められている。







 次回も300回記念特集。通常より下世話に寄り過ぎたので、今度はも少しオーソドックスにやる予定。

200回記念第2弾 - 俺の好きな80年代の洋楽たち その2

Freddie Mercury 『The Great Pretender』

The_Great_Pretender_Single_1987 1987年のQueenは、結果的にオリメンでは最後となった『Magic』ツアーを終え、各自ソロ活動を行なっていた頃。アルバム未収録曲で、何のタイアップもないのにもかかわらず、UK最高4位に入ったのは、純粋なアーティスト・パワーの力、また英国人のFreddie愛の賜物。
 今もそうだけど、通常、シングルはアルバム制作中のリサーチとして、または完パケ後に前評判を煽るために景気づけにリリースされるものであり、単体企画でリリースされるケースはあまりない。Freddieはこの前後、初ソロ・アルバム『Mr. Bad Guy』とMontserrat Caballéとのコラボによるオペラ・アルバム『Barcelona』をリリースしているのだけど、この2つとの関わりはまったくない。ていうか、このシングルだけ、ディスコグラフィーの中ではポッと浮いている。
 もしかすると、この時期にソロ・アルバムを計画していて、実際に制作作業に入っていたのかもしれないけど、結局、この時期のアイテムがリリースされることはなかった。ほぼ定期的にアーカイブの整理作業が行なわれているにもかかわらず、発掘される気配もなさそうなので、ほんとにタマがないのだろう。
 シングル以外、ほんとに出来が悪かったのか、それとも単なる好奇心か。-多分、まとまったセッションを行なえるほどの気力・体力が失われていたのだろう。もはや時間は残されていなかった。

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 そんなことを杞憂だと思わせてしまう、まったく体力的な不安など感じさせないのが、この曲、ていうかPV。
 これを見ると、我々日本人がFreddieの何を知っていたのか、何たるかをきちんと理解していなかったことを思い知らされる。伝説として昇華し、いつの間にか聖人化されている空気があるけど、そんなもんじゃない。彼の本質はただの「過剰な自分好き」だ。
 とにかくあふれ返るほどの自意識、そしてむせ返るほどのナルシシズム、それでいて自分をきちんと対象化、つい笑っちゃえるように第三者化できるクレバーな視点。歌うのはFreddie自身だけど、コーラスも自分、寸劇のモブ出演も自分、とにかく自分で埋め尽くされている。
 「異常」の進化形を「過剰」であるとすると、この曲が最も最適なケーススタディ。ここまで過剰さが極まると、その濃密さは却って清々しくさえあり、関西のオバチャンの如く強烈な自意識とサービス精神は、聴く者・見る者の心を鷲掴みにする。
 -Freddieと同じ時代を生きてよかった、と我々世代は誇りに思い、若い世代は、リアルタイムで彼に出会えなかったことを悔やむだろう。オリジナルはPlattersの1955年のスマッシュ・ヒットだけど、正直、ちゃんと聴いたのは今回調べてみたのが初めて。それくらい、オリジナルを完全に凌駕した稀有なケース。


 
 -そうさ、俺は大嘘つきさ。
 もっと、騙して欲しかった。
 もっと、いろんな胡散臭さを見せて欲しかった。


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Mick Jagger 「Lonely at the Top」

img_0 Mick Taylorが抜けた後のStonesで行なわれた後任探しのオーディションが、かの有名なGreat Guitarist Hunt。次回作『Black and Blue』のレコーディングを兼ねて長期に行なわれ、有名無名を問わずかなりのミュージシャンがセッションに参加してのだけど、大よそはRon Woodに内定しており、当時、彼が加入していたFacesと契約問題がクリアになるまで行なわれた出来レースだった、というのが最近の定説。
 有名どころでは、Rory Gallagher や Peter Frampton、Steve Marriott が参加したらしいけど、こういうのって、当時からマーケティングに長けていたMickお得意のハッタリくさいので、どうもいまいち信用しづらい。いろいろ手段を講じ過ぎてグダグダになってしまうのは、それだけStonesという企業体が個人の手には負えなくなっていた、という証でもある。
 で、公式音源は残されていないけど、そこに参戦していたのがJeff Beck。彼独特のプレイ・スタイルからして、どうしたってKeithとは相性悪そうだし、これこそいかにも眉唾っぽい感じもあるけど、Jeff自身、それがオーディションだったかどうかは定かではないけど、レコーディング・セッションには参加した、と証言している。
 当時のStonesのレコーディングと言えば、とにかく延々とテープを回しっぱなしにして、KeithとCharlieを主軸としたブルース・セッションが有名だけど、これがまたスケール主体のエンドレス、レイドバックより緩慢とした冗長なプレイが中心だった。当時、『Blow by Blow』でギター・インストに新たな可能性を模索していたJeffが我慢できるはずもなく、オーディションは物別れに終わった。どうせRonに決まってたんだろうけどね。

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 ただ、そんな彼のプレイ、ていうかKeithじゃなくて名前がそこそこ知られてるんだったら、誰でもよかったんじゃないか、と思ってしまうキャスティングをしたのが、初ソロ・アルバムを制作中だったMick Jagger。新規にソロ契約を結んで初のアルバムということで気合いも並々ならぬものがあり、今では考えられないほどの豪華メンツが参加している。このトラックでもそのJeffのほか、Pete TownshendやHerbie Hancockがプレイしている。ただ、その2人のプレイは正直、どこでどうやってるのかわからないくらいだけど。
 当時、Keithとは最悪の関係だったMick、Jeff 同様、ダラダラ続いて終わりの見えないレコーディング・セッションに嫌気がさし、もっと80年代らしくシステマティックに、ていうか自分主導で制作進行したかったことを、アルバム全体で強く打ち出している。プロダクションはしっかり整備され、ある意味Stonesの持ち味だったダルでルーズな雰囲気は一掃されている。なので、どのトラックもスッキリした音質・サウンドでまとめられている。
 「聴きやすいStones」というのもどこか相反する気がするけど、これがMickにとっての理想形であったということなのだろう。「Keith主導じゃ作れなかったよな?」とでも言いたげなMickの不適な笑みが思い浮かぶ。
 で、この時期のJeffのプレイはといえば、ピック弾きをやめてフィンガー・ピッキングに移行しており、昔からその傾向はあったけど、楽譜には書き起こせない変態プレイにさらに磨きがかかっていた頃である。普通のブルース・スケールのオブリガードなのに、弦のアタック音がまろやか過ぎて、どこか変な響き。ハーモニクスとも微妙に違う、独特のサウンドはJeffならではのものだけど、人のセッションでやることじゃないだろ。


 
 「もしもKeithがいなかったら」という前提で構築された80年代コンテンポラリーの中で、どこか浮いてるJeffの音。これがMickの思惑通りの仕上がりだったのかどうかは不明だけど、その後、Mickのこういったアプローチは聴かれないし、初来日公演にも同行しなかったので、結果的には「やっちまった」感が強い。
 ただ、楽曲自体はKeithとの共作のため、レベルは高い。ていうか、なんでStonesでリリースしなかったの?と思ってしまうくらい、テンションの高いナンバー。それだけ当時の彼らのソングライティングが冴え渡っていた証でもある。


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Julian Cope 『World Shut Your Mouth』

Julian_Cope_-_World_Shut_Your_Mouth 80年代初頭のポスト・ロック・ムーヴメントでバンド・デビュー、その後、ソロになってからはUKネオ・サイケの流れを汲んだアルバムを発表した。80年代末くらいまではライブも積極的に行なわれ、インフォメーションも定期的に更新されていたのだけど、90年代に入ってからはインディーでのリリースが中心となり、情報も途絶えてしまった。
 Wikiのディスコグラフィーを見ると、21世紀に入ってからもコンスタントに音源リリースは続いており、ちゃんと音楽活動は行なわれているようである。近年の写真を見ると、「何かすごい遠くへ行っちゃったなぁ」感が強いのだけど、創作意欲が旺盛であることに変わりはないようである。ただ、頑固そうなオヤジになっちゃったな。もう少し色気があれば、Iggy Popみたいになれたかもしれないのに、
 日本では久しく名前が挙がることもなかったのだけど、近年になって彼が注目を浴びたのが、本業の音楽活動ではなく、著述家・研究家として。
 なぜか日本のロックの創生期を詳細に調べつくし、主観も含めて克明に書き記した大著『ジャップ・ロック・サンプラー』が、主な舞台であるはずの日本において、あまり大きく話題にならなかったのは寂しいことである。こういった検証作業というのは本来、日本人のお家芸であるはずなのだけど、いまの日本の音楽業界では、そこへリソースを回せるだけの余力はないのだろう。

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 様々な音楽的な変遷はあったJulianだけど、そんな彼が最もオーソドックスな、そしてコンテンポラリーなロックに近づいたのが、この時期。 
 デビュー・アルバムのタイトルと混同しがちだけど、収録されているのは3枚目のアルバム『Saint Julian』。あぁややこしや。しっかりビルドアップされ、ストレートなロックンロールでありながら、丁寧にミックスされたサウンドは分離が良くて、しかもまとまりもきちんとある。時代に即したロックンロールは、大衆の支持を得やすい。実際、UK19位はまぁまぁとして、USでも84位にチャートインしている。カレッジ・チャートでも支持されるライトなオルタナが、Julianの方向性と一致していた幸福な時期である。
 音源だけでも充分心掴まれるけど、ホントにお勧めなのは、当時、話題となったPV、特徴的なマイク・スタンドを駆使したパフォーマンスは、単純にロックのカッコよさを体現したものだった。
 混じりっけのないピュアで、それでいて破壊的な美の追求を体現した、ただの潔いロックンロール-。


 
 これを視ると、そんなことを想う46歳。


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Marty Balin「Hearts」
 
41CRcfyVkSL 1981年リリース、Jefferson Airplane の創設メンバー & ヴォーカリストとして活躍、その後もJefferson Starshipに出たり入ったりを繰り返し、今はStarshipなのかAirplaneなのか、何だかよくわからない活動を続けているMarty。FunkadelicとPerliament同様、まぁどっちも似たようなものなのだけど、どちらにしろ、地道な活動を続けているのはうれしいこと。
 そんな彼が一時、ソロ・アーティストとして、ほぼ唯一放ったヒットというのが、これ。US最高8位、日本でもステレオのCMソングとして起用され、小学生の俺が好きになった洋楽のひとつである。
 この時期にヒットしていたChristopher Cross同様、当時はAORサウンドの全盛期、単純にきれいなメロディのきれいな曲が、普通にヒットしていた時代である。Scatman Johnや‎tATuのような「ネタ」で売れるのではなく、いい曲が素直にラジオから流れていた。当時のヒット曲は洋楽・邦楽問わず、メロディ・ラインがしっかりしたものがきちんと評価されて、セールスに直結していた。大々的なプロモーション展開やマーケティング戦略なんて大げさなものではなく、もっとミニマムな、有線や口コミ、ラジオの評判で徐々に広がってゆく、健全な時代だったのだろう。自分で言うのもなんだけど、なんかイヤな書きかただなぁ、懐古厨みたいで。


 
 当時は「売れ線を意識し過ぎている」として、あまり検証もされて来なかったAORも、21世紀に入ってからは専門ディスク・ガイドや「Free Soul」の影響などで再注目されるようになっている。世界中で80年代懐古ブームというのは連綿と続いているけれど、特に日本での盛り上がりは安定しているらしく、かなりマイナーなクラスのアーティストのリイシューも進んでいる。こういったチマチマしたのって、やっぱり日本ならではの企画。残念ながら、前述したJulian Copeのように、体系的に太い幹のような総論をまとめることには向かないのだけど。
 で、そのAORというのも玉石混合であり、単にブームに乗っかっただけの泡沫アーティストでは、再評価も進んでいない。例えばAir Supplyなんてのは、確かに流麗なサウンドだったけど、ほんとそれだけ、何も残らない。いや、俺の主観だけど。同時期に流行っていたはずだし、多分、ヒット曲も連発していたはずなのだけど、どうしてか耳に残っていない。
 Martyもそうだけど、同時代・同カテゴリーのMichael Sembello だって、もとはStevie Wonderを始めとして、大物アーティストのバッキングを務めていた人だし、Boz Scaggs だって、ソロ・デビューは60年代半ば、結構な下積みを経験している。ひらめきだけではどうにもならない、泥臭い経験値というものが必要なのだ。
 特にAOR=Adult-Oriented Rockという言葉の由来にもあるように、歳月を経て地道に積み重ねた大人の味がにじみ出て来ないと、時代のあだ花としてだけの存在になってしまう。

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 当時、桑田佳祐が半分余興で、「嘉門雄三」名義でライブを行なった。ほぼ洋楽のカバー曲で構成されたセットはレコード化されたけど、いまだCDでも復刻されておらず、ライト・リスナーにとっては幻の音源となっている。俺もこのレコード自体は聴いたことがないけど、ラジオでしょっちゅうオンエアされていたため、エアチェックして何度も聴いていた。
 その中で選曲されていたのが、この曲だった。まだ洋楽コンプレックスから脱却しきれていなかった桑田のヴォーカルは、決してテクニック的に秀でたモノではなかったけど、若さゆえの勢いとエモーションに満ちていた。
 サザンがただのヒット曲バンドではない、ということが中学生なりに理解できた、そんなきっかけの曲でもある。


Balin
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Roger 「I Want to Be Your Man」

Roger_-_I_Want_to_Be_Your_Man 1987年にリリースされた、Roger最大のヒット曲にして、いまだラブ・ソングの定番として生き残っている、永遠のマスターピース。
 あの変態ベーシストBootsy Collinsプロデュースでデビューしたファンク・グループZappのリーダーとして、確実にファンクの流れを変えていった。70年代までのファンクが、主にJames Brownのエピゴーネン的なバリエーションだったのに対し、ヴォコーダーを効果的に使い、ディスコ・シーンにも果敢に肉薄した彼ら独自のサウンドは、唯一無二のポジションを創り上げた。あまりにオンリーワン過ぎて、その後のフォロワーがイマイチ育たなかったのは残念だけど。
 Cool & the Gangより重いけど、Ohio Playersより洗練されているZappのサウンドは、日本人にはちょっとわかりづらい面があったのだと思う。俺もZappのアルバムは一応持ってるけど、正直、そんな頻繁に聴くほどでもないし、どれがどの曲なのか、主要曲以外ははっきりわからない。
 Zappが本国アメリカでどんなポジションだったのか。80年代初頭まではトップ40に入るくらいには売れていたみたいだけど、4枚目の『New Zapp IV U』では100位にも入らないくらいにまで凋落している。このRogerの大ヒットによって、一時は持ち直したように思えたけど、Zappとして5枚目のアルバムでは、再びチャート圏外。
 兄弟で結成されたバンドのため、良い時は鉄の結束だったけど、一旦歯車が狂ってしまうと、その血縁の近さが仇となってしまう。公私を含めて様々な問題がこじれ、終いにはリリース契約を失ってしまう。
 リーダーである以前に家族として、バンドの修復に尽力していたRogerだったけど、実兄に射殺されてしまう結末となってしまったことは、アメリカ音楽界にとっては大きな損失だった。 

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 クリスマス間近だったと思う。
 当時、札幌に住んでいた俺は会社の帰り、忘年会シーズンで人通りの多い、すすきの近くの繁華街を歩いていた。
 ネオン街の夜空では星は見えなかったけど、大粒の雪がチラついていた。
 あるビルの前で、この曲がガンガン大音量で鳴っていた。
 その当時で、リリースされてから2、3年は経っていたと思う。
 あ、あの曲だ。
 懐かしさに駆られて足を止め、頭上のスピーカーの方を見上げた。
 ビルの壁に、サンタがいた。
 10階建てくらいのビルの壁に、5メートル程度のサンタのオブジェが、壁を煙突に見立ててよじ登っているところだった。
 こうして文章で書こうとすると伝わりづらいけど、そのシチュエーションは俺にとって完璧なものだった。捻くれてた20代だったけど、感動すらしていたかもしれない。
 足を止めて泣いてしまった、と書けばドラマティックだけど、さすがにそれはなく、その場は普通に通り過ぎた。でも、そのシーンは長いこと、俺の心のどこかにしっかりと残った。
 その冬は、何度もそのビルの前を通ったけど、それっきりRogerの歌が流れる瞬間に出会うことはなかった。他のクリスマス・ソングが流れていても、Rogerの時のようなマジックは訪れなかった。



 この曲を聴くと、そんなことを思い出す。
 俺の中では、この曲はあのシーンとセットなのだ。


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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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