好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

#Singer Songwriter

ジョニ・ミッチェルが3位?え、ちょっとなに言ってるかわかんない。 - Joni Mitchell 『Blue』

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 聴いてみたよ、『Blue』。これまで意図的に避けてきてたけど、話題になったんで聴いてみた。
 先日、2020年度版が更新された、ローリング・ストーン誌「500 Greatest Albums of All Time」にて、大方の予想を裏切って、ていうか誰も気に留めていなかったにもかかわらず、堂々の3位。
 もともと玄人筋に評判の良かったアルバムで、初版の2003年版でも30位にチャート・インしている。流行り廃りに囚われない硬派老舗雑誌の沽券が窺え、ビギナー/マニア双方納得でき、信頼できるランキングではあったのだけれど、イヤこれはちょっとポジション的に高すぎる。
 1位の『What’s Going On』、2位の『Pet Sounds』はまぁわかるとして、スティーヴィー・ワンダーやビートルズを抑えての3位だもの。まず「誰?」という印象が先立っても不思議はない。
 こういったランキングのアンケートの際、定番のアルバムの中に1つくらい、みんなが選びそうにない、ちょっと地味なモノを入れちゃうことがよくあるけど、その最大公約数が『Blue』だったということなのだろう。

 1位 Marvin Gaye 『What's Going On』 1971
 2位 The Beach Boys 『Pet Sounds』 1966
 3位 Joni Mitchell 『Blue』 1971
 4位 Stevie Wonder 『Songs in the Key of Life』 1976
 5位  The Beatles 『Abbey Road』 1969
 6位  Nirvana 『Nevermind』 1991
 7位  Fleetwood Mac 『Rumours』 1977
 8位  Prince and the Revolution 『Purple Rain』 1984
 9位  Bob Dylan 『Blood on the Tracks』 1975
 10位  Lauryn Hill 『The Miseducation of Lauryn Hill』 1998

 以上がベスト10。あくまで平均値なので、万人を納得させるのは、とても難しい。そりゃみんな、「アレが入ってない」「コレはどうした」、突っ込みどころはあるだろうけど、後世に与えた影響や当時のセールスを鑑みても、まぁまぁ納得の行くランキング。
 この中ではニルヴァーナとローリン・ヒルが新しめだけど、これらも既に四半世紀前、もはや歴史だ。あと、当時バカ売れしたけど、何でコレが入ってるのか、多くの日本人がピンと来ないのが、フリートウッド・マック。イデオロギーやメッセージ性の入ったロックがダサくなった70年代後半という時代にうまくフィットした以外、特筆するところが見当たらないのだけど、これが中流アメリカンの感性なんだろうか。
 また別の視点、当世のポリティカルな見方をすれば、マックのような男女混成グループ、それとローリン・ヒルのような黒人女性がランキング上位になるよう配慮した、加えて投票者の選考基準も、その辺が考慮されたんじゃないか、と。先日のアカデミー賞選考基準でも、マイノリティやLGBTにも配慮したキャスティング云々で紛糾したように、アメリカのエンタメ業界は、何かとデリケートになっている。
 そんな配慮や忖度も含めて、「自立した女性」枠として、ジョニがチャート上位にランクインしているのはわかるんだけど、「イヤでもちょっと高くね?」と思ってるファンは俺だけじゃないはず。彼女同様、セールス・知名度共に大きなものではないけれど、ミュージシャンズ・ミュージシャン、いわゆる玄人ウケするアーティストにヴァン・モリソンがいるけど、彼の最高位は『Astral Weeks』の60位。高すぎでも低すぎもでもなく、絶妙のポジションだ。
 すでにキャリアのピークを過ぎ、熱狂的なファンはそこまでいないと思われるヴァンもジョニも、ベスト100位に1作くらい入っていれば、「良心的なランキングだな」の一言で済む話なのだけど、『Blue』のポジションはちょっと引っかかる。それとも、俺が知らないだけで、世間では「ジョニ・ミッチェル」という存在がエモい、と持て囃されているのだろうか。

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 ここまで書いてきて、まるで俺が「ジョニは嫌いだ『Blue』は駄作だ」と言ってるみたいだけど、そういうことではない。このブログでも、彼女のアルバムは何枚も取り上げてきているし、決してヘビロテしてるわけではないけど、『Court & Spark』と『Hejira』は忘れえぬ心のベスト30だ。イヤ50くらいかな。
 で、『Blue』はこれまで全然聴いてないわけではなく、おそらく俺が初めて買った彼女のアルバムである。「おそらく」と言うのは、当時、そこまでハマらなくてすぐ売っ払っちゃったから。
 俺が初めてレンタルして聴いたアルバムは『Dog Eat Dog』で、ファンとしてはだいぶ後続である。そこから遡って、並行してリアルタイムでリリースされたアルバムを聴いてきて、現在に至る。
 一番聴き倒したのが前述の2枚、フュージョン期のアルバム群だった。英詞の細かなニュアンスはわからないけど、百戦錬磨のミュージシャンたちを従えて、時に厳しく、時に手玉に取ったり懇ろになったりしながら、絶妙のアンサンブルを作り上げてゆくその姿は、凛としたものだった。実際に見たわけじゃないけどさ。
 ただ、フォーク期のサウンドとなると、どうにも受け付けない。前も他のレビューで書いたけど、初期のローラ・ニーロ同様、どうにもピンと来ない。
 一般的に、シンプルなバンド・セット、またはギターやピアノ1本による弾き語りスタイルは、余計な虚飾や演出を排しているため、音楽に対しての真摯な姿勢が強く出るとされている。過剰なアレンジがない分だけ、ごまかしのない楽曲の良さ、強いメッセージ性の照射が浮き出てくる。
 で、そんなスタイルが共通している初期のこの2人だけど、イヤわかるんだよ、切実なメッセージや表現欲求のほとばしりは。理性では制御しきれないパッションの放出や感情の澱が生々しく、それでいて静謐な音の礫。
 逆に言えば、その高まりが激しければ激しいほど、何か触れちゃいけないものを見た感が、男の俺からすれば、距離を感じているのかもしれない。多分、そう思っている男性は俺だけじゃないはずで―、と途中まで書いたのだけど、考えてみれば、世代の違いもあるのかね。俺よりもっと若い世代からすれば、そういったこだわりも少ないだろうし、そういっためんどくさい聴き方しないだろうし。

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 ローラと並んでジョニとよく比較されていたのがキャロル・キングであるけれど、2人と比べて彼女の場合、ちょっと立ち位置が違ってくる。もともとオールディーズ時代から職業作曲家として自立していたキャロル、発表された作品に共通しているのは、万人向けの最大公約数を考えて作られている点だ。
 第三者のパフォーマーを想定しての創作スタイルが染み込んだ彼女ゆえ、どれだけ自身の感情を剥き出しで吐露しようとも、そこには、わかりやすいフックとサビが介在する。共感を受け入れやすい歌詞やパフォーマンスは、多くの支持を受け、『つづれおり』は大衆性とアーティストエゴが共存した作品となった。
 ちなみに前述ランキングでも25位に入っている。うん、納得できる。
 ジョニもローラも、扱うテーマはパーソナルなものが多く、一部の共感は産むだろうけど、万人向けのものではない。ある種、個人的な恋愛観にフォーカスを当てているため、それは普遍的なものであるのかもしれないけど、でもそれだけじゃ、広く行き渡らせることは難しい。
 2人とも、キャロルほどの一般性を獲得することはなかったけれど、そもそも「女性シンガー・ソングライター」という共通項以外、3人とも音楽性も生き様もバラバラなので、考えてみれば、比較する方が逆に乱暴ではある。2人とも、チャート・アクションなんてまるで考えていなかっただろうし。

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 で、話は戻って『Blue』。キャロル無双だった70年代初頭のシンガー・ソングライター事情ではあったけれど、ジョニもまた、キャロルほどではないにせよ、CSNYやジェイムス・テイラーらとの交流もあって、知名度はそこそこあったらしい。
 激動の60年代が夢破れる形で幕を閉じ、「歌で世界を変えられる」という想いで集っていた者たちは、絶望の末、ひっそり離散していった。70年代に入り、生き残った者たちは、ごく小さなコミュニティの中で、それぞれ独り私的なテーマへ向かうことになる。
 それは聴き手の側も、同じ想いだったのだろう。「歌は世に連れるけど、世は絶対歌に連れない」。かつて山下達郎も、そう言っていた。
 そんな、右を向いても左を向いても弾き語りシンガーだらけの中、当時から才女と崇められていたジョニもまた、プライベートな恋愛観を歌ったアルバムを制作する。それが『Blue』だった。
 「自我をさらけ出すことがシリアスである」といった風潮もあって、シンプルかつダウナーな世界観が滲み出ている。そういった視点で見れば、基本構造は『つづれおり』と変わらないのだけど、むせ返るほどのパーソナリティは、高揚感とは真逆のものだ。
 1971年リリース当時はビルボード最高15位、本国カナダでは9位、イギリスではなんと3位にチャート・インしている。それだけ自己探求/自分探しに膠着していた若者が、当時は多かったのだろう。
 ただ、そんなネガティヴな先入観を抜きにして、まっさらの状態で聴いてみると、歌と並んで高く評価されたギター・プレイの方に耳が行く。シンプルなアルペジオも注意深く聴いてみると、どこか位相のズレた違和感が残る。
 「曲ごとにあらゆる変速チューニングを試していた」というマニアックな探求振りが、ここでは如何なく発揮されている。単に聴き流してしまうメンヘラの独白とは違って、高度にひねりを加えた歌とバッキングが、ジョニの持ち味である。
 ―歌で世界を変えることは、ちょっと難しいし興味もないけど、自分と近しい周りの人を変えることくらいはできる。
 その近しい範囲が、当時はちょっと広かっただけの話で。

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 なので、2020年現在、『Blue』が注目を浴びることは、果たしていい時代になったと言い切れるのかどうか。単なる再評価ではなく、純粋な音楽クオリティ以外の不穏な力が働いているのではないか。
 人生も50を過ぎると、そんな穿ったことを思ったりする。
 あぁ、我ながらめんどくせぇ。




1. All I Want
 当時付き合っていたジェイムス・テイラーがギターを弾いており、ジョニはアパラチアン・ダルシマーなる不可思議な楽器を手にしている。サウンドだけ聴いてるとメンヘラっぽい弾き語りでどこか不安定、どこか壊れてる風情が漂っているのだけど、和訳を読んでみると、そのまんまだった。
 「好き」と呟いてすぐ「ちょっと嫌い」とスネてみたり、「あなたと一緒に楽しみたいの」と想いながら、それが届くことはない。2人で互いを高め合う関係でいたいけど、私はあなたに尽くしたい。そうよ、どうせ私は孤独が好きなの。
 一見めんどくさそうだけど、こういう女性って、ある種の男は惹かれちゃうんで、男が切れることないんだよな。恒久的な関係築くのは、ちょっど難しいけど。

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2. My Old Man
 弾き語りによるピアノ・バラード。ピアノなんだけど、ピアノのメロディとは微妙にずれる、ギター譜を見ながら弾いてるような、ルーティンとは違う譜割りが、人にはちょっと気持ち悪く感ずるかもしれない。
 「正式な婚姻届けに縛られなくても、私たちは愛し合ってるのよ」という自由恋愛賛歌である反面、それはすでに過ぎ去った過去であることを、切々と歌うジョニ。重いよな、こういう関係って。

3. Little Green
 かつて、ジョニは若くして結婚し、そして女の子を産んだ。ただ、まだ無名のフォーク・シンガーだった彼女に子供を育てることはできず、養子縁組にて手放すことになる。
 オープンGのギターで爪弾かれる調べは、淡々としていながら、時々、熱を帯びる。『Blue』の収録曲の中で、最もプライベートなテーマを持つ「Little Green」。優しく諭すように言葉を紡ぐジョニの歌声は、他の曲と比べてとても穏やかだ。

4. Carey
 スティーヴン・スティルス参加、このアルバムの中では最もアクティヴでポップなナンバー。ピンと張りつめた緊張感が続くセッションの中、共同作業が息抜きとなったのか、自ら重ねたコーラス&ダブル・ヴォーカルも軽やか。
 そういう意味で考えれば、比較的ノーマルなメロディがジョニにしては凡庸に聴こえるのかもしれない。もっと予測不能じゃないと、彼女らしくない。でも、シングル・リリースされてるんだよな。人気あったのかね。

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5. Blue
 レコードで言えばA面ラスト、取り敢えずラストを飾るタイトル・チューンは、アルバムのトーンを象徴する重厚なピアノ・バラード。重い。ひたすら重い。
 かつて恋心を寄せていたシンガー・ソングライター:デヴィッド・ブルーのことを歌った、とされており、本人は否定しているようだけど、その辺はまぁ濁しちゃっても良かったんじゃないかと思う。あまりに私的なその重さは、当時の多くの文系男子・女子の共感を呼び、そして彼らはそれぞれ、物思いに耽ったのだろうか。
 誰もが、『Blue』に憑りつかれていた。そんな時代だったのだ。

6. California
 「Carry」に続き、シングル・カットされた(比較的)ポップ・チューン。かつてのカリフォルニアへの郷愁を駆り立てる、ノスタルジックなペダル・スティールと、時にリズミカルなジェイムス・テイラーのギター・プレイ。歌だけじゃなく、そういったアクセント的なプレイも、出しゃばり過ぎずに抑制が効いてて、多分、この中では一番好きな曲。



7. This Flight Tonight
 アコギのストロークが美しい、ややジャズっぽさの芽生えが窺えるナンバー。ジョニの場合、いつも思うのだけど、こういったストローク・プレイで低音の鳴らせ方がとても巧いのだ。反響させ過ぎでダンゴにならず、弦一本一本をきちんと分離して鳴らし、それでいてきれいにハーモニーさせる技術。やっぱ重度のギターオタクなんだろうな。
 ただ、ギターを深く知ることが目的ではなく、あくまで曲を作り、歌うことが重要であり、テクニックを磨くことに重きを置いてはいない。最初っから、そこが一貫しているのが、彼女の凄みなのだ。

8. River
 「ジングルベル」からインスパイアされた、ジョニ初期の楽曲の中で最も有名で、数多くカバーされたクリスマス・ソング。「Happy Christmas」とは対照的に、孤独で裕綱クリスマス。
 誰もが、家族と友人と恋人と過ごすわけではない。独りで過ごす時もある。それを切々と呟いているのだけど、考えてみれば21世紀に入って「個」の時代が進み、それもまた日常になった。コロナ禍が進んで「孤独」が日常となると、この曲もまたリアリティを失ってしまうのかもしれない。
 それはそれで、悲しいことではあるけれど。

9. A Case of You
 グラハム・ナッシュとの別れを歌った、という説もあれば、レナード・コーエンのことだ、という説も飛び交う、当時のジョニ周辺の混沌とした男女関係が歌われている。ただここでジョニは、歌詞の中でシェイクスピアをサラッと引用したりで、生々しさは取り払われ、文学的な味わいが加味されている。
 数多くのカバー曲が存在するのだけれど、珍しいところでは殿下ことプリンスのヴァージョン。殿下としては珍しくトリビュート企画に参加しており、ほぼストレートなピアノ・バラードのスタイルでカバーしている。ちょっと甘いんだけど、こちらも必聴。



10. The Last Time I Saw Richard
 ラストのピアノバラードは、最初の夫チャックとの短い蜜月を歌った、とされている。つまりは、「Little Green」との深いリンクによって、アルバムは幕を閉じる。そういう視点で見れば、非常に個人的なアルバムである。
 ここでパーソナルな部分、いわば弱みをさらけ出してしまったことで、ジョニのその後の作品は、ストレートな感情吐露が少なくなってゆく。言葉も大事だけれど、むしろサウンド・アプローチの方へ重点を置くようになってゆく。



 ちなみに、次回がレビュー400回目。通常企画とはまた違ったものを考え中。



80年代のディランもちゃんと聴いてみよう - Bob Dylan 『Infidels』

51JTuVTUwZL 1983年リリース、当時すでに御大扱いだったディラン22枚目のオリジナル・アルバム。カルチャー・クラブやデュラン・デュラン、ワムらによるブリティッシュ・インベイジョンで沸いていたご時世、US20位・UK9位という成績は、まぁ十分といったところでは。
 ただこのセールス実績で、レコーディングその他もろもろの経費と照らし合わせて、採算が取れていたのかと言えば、その辺はちょっと微妙なところ。予算には無頓着そうだし、ベテランの新譜ということもあって、CBSもプロモーションにはそれなりに力を入れざるを得ないし。
 逆に考えれば、時代のあだ花的な一発屋ではないので、ロングテールの売り上げ推移を辿っており、長期的には充分採算は取れているんじゃないかと思われる。でも60年代の作品と比べると、その差は大きいんだろうな。
 当時、北海道の中途半端な田舎の中学生だった俺でも、「ボブ・ディラン」というのは大物アーティストだというのは、知ってはいた。いたのだけれど、果たしてどんな功績があって、どんな経緯で大物になったのか―、そこまでは知らなかった。
 ていうか、それ以上、深く掘り下げるほどの興味もなかったので、俺の中では長い間、「とにかくすごい人」という印象で止まっていた。なので、「ディラン復活!」という当時のキャッチコピーは、あんまり響かなかった。
 「復活」というくらいだから、多分、一度は全盛期みたいなものがあって、それから長い低迷期に入り、で、復活に至ったのだろう―。そこまでは何となく察することはできたけど、そもそも興味が薄いので、その憶測のまま、10年ほど経過することになる。
 なので『Infidels』、リアルタイムでは聴いていない。

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 俺が本気でディランと向き合うようになったのは20代半ばになってから、ブートレグ・セラーズの4枚目、ロイヤル・アルバート・ホールのライブを買ったのがきっかけだった。「投げやりな歌い方のダルい弾き語り」といった先入観を打ち砕く、剥き出しの無鉄砲さをブン回しながら観客を煽る彼のファイティング・スタイルは、ちょっとロックに飽きていた当時の俺を虜にしたのだった。
 それを機に、60年代電化ディランを片っぱしから買い集め、さらにそこからフォーク期に遡る。そっちはあんまりピンと来なかったのですっ飛ばしたけど、ソングライティングの深化が顕著な『血の轍』と、無記名性のノマドを指向した『欲望』の2作は、しばらくヘビロテになった。
 詳細に歌詞を分析したり暗喩を辿ったり、いわゆる「ディラン学」的な聴き方ではなかったけれど、朴訥に吐き出される言葉とメロディから発散されるエゴは、流し聴きを許さぬオーラが充満していた。本人としては、そこまで深読みされるつもりはなかったかもしれないけど、ポップ・ミュージックのセオリーから大きくはみ出た彼の歌は、強い求心力を放っていた。
 そんなディランしか聴かない日々が3ヶ月ほど続いたところで、その熱はパッタリ止んだ。なぜかはよくわからないけど、それは突然だった。
 その後、何年かに一度、無性に『欲望』を聴きたくなることはあったけど、他の作品へ興味が向くことはなかった。ノーベル賞で小ブームが沸き起こった時も、俺の中のディラン・スイッチは作動しなかった。
 これが去年までの話。

 で、昨年、アズテック・カメラ『Knife』のレビューを書くにあたり、超久しぶりにディランを聴いた。『Knife』のプロデューサーであり、ダイアー・ストレイツのリーダー:マーク・ノップラーが、直前に手掛けたのが『Infidels』だった。プロデューサー人選にあたり、ロディ・フレイムが『Infidels』を気に入っていたことが、最終的なオファーに繋がった。
 そうなると、「『Infidels』って、どんなんだっけ?」と、ちょっと気になってくる。で、聴いてみた。
 聴いてみたら聴いてみたで、久しぶりに火が点いてしまう。なし崩し的に、昔の音源をいろいろ引っ張り出してくることになった。
 せっかくだから、『Infidels』つながりで、まだちゃんと聴いてなかった80年代の作品も聴いてみる。あんまり評判の良くない時代であることは聞き知っていたけど、確かに当たりはずれは大きい。でも、そんなアンバランスさも含めて、それがディランだ。
 そこからさらに進んで、未チェックだった90年代以降の作品になだれ込んだ、と言いたいところだけど、これがならなかった。結局のところ、俺のディラン熱はせいぜい3ヶ月程度しか持たないらしい。
 その後も、ほぼ2年ごとにリリースされるブートレグ・セラーズの内容だけはちょっと気になるけど、わざわざ買うほどの意欲はない。特にここ最近って、やたら枚数が多いので、気軽に買えるモノではない。
 なので、新作に心動かされることもない。何曲かのサワリを試聴する程度で、わざわざ入手することもない。
 ディランを聴くには、それなりの覚悟がいる。俺の中で、それはいまも変わらない。

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 不器用なレゲエ・ナンバー「Jokerman」がどうにも馴染めなかったこともあって、『Infidels』をちゃんと聴くのを後回しにしていたのだけど、2曲目「Sweetheart」から聴いてみると、印象がちょっと違ってくる。『Infidels』といえば、「ユダヤ教への改宗」という周辺情報がクローズアップされがちだけど、市場に流通する商品として、きちんとプロデュースされている。
 不器用ではあるけれど、時代のトレンドを意識し、市場リサーチを反映していることは窺える。80年代テクノロジーを導入し、MTVユーザーにも対応できるよう、彼なりに商業性を意識したサウンド・アプローチとなっている。
 年季の入ったファンからも微妙な反応だったボーン・アゲイン・クリスチャン3部作を経て、前線に復帰したディランが描いたビジョンが、「シングル・トップ40のラインナップとも引けを取らないサウンド」だった。ベーシックな部分は残しつつ、時代のエッセンスをちょっと散りばめて、新規ユーザーへの敷居を低くすることが、ディラン含めCBSの目論見だったと思われる。
 ここで変に勘違いして、不似合いなファンカラティーナやテクノ・ポップに走ったりしたら、ある意味、カルトな怪作として、後世に語り継がれていたのかもしれない。そういえば、ニール・ヤングもテクノに傾倒したアルバム出してたよな。動機はちょっと違うけど。
 ただディラン、緻密なスタジオ・ワークに精通しているわけではない。もしかして、メチャメチャ熟練したフェーダー使いかもしれないけど、あんまり想像したくない。歌いっぱなし・弾き語りっ放し、というのが、ディランにはふさわしい。
 これまでのような「俺様」的なセッション・ワークではなく、時代性も考慮したアルバム制作となると、それなりに精通したプロデューサーが必要になってくる。アーティスト・イメージを保ちつつ、それでいて確かな新機軸を提示できる人物。さらに加えて、気難しくエゴイスティックなディランと良好な関係を保てて、うまく誘導できることも、条件となってくる。めんどくせぇな。

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 で、アルバム制作にあたり、まずはプロデューサーの人選に入る。のちの伝記や資料によって、候補者が明らかになっているのだけど、これがまた支離滅裂。本気なのか冗談なのか、ちょっと判断しがたい。
 ディランの希望だったのかCBSの希望だったのかは不明だけど、有名どころとして、デヴィッド・ボウイとフランク・ザッパの名が挙がっている。あまりに両極端なラインナップで、もうこの時点でガセ臭い。エルヴィス・コステロへのオファーも検討されていたらしいけど、これも信じがたい。多分、会議とも言えないミーティングの席で、誰かがポロっと口にしたことが、大げさに伝わっただけなんじゃなかろうか。
 そりゃ芸歴も長いディランのことだから、「知り合いのまた知り合い」みたいな感じで、みんなどこかで繋がってはいるんだろうけど、どれも現実性に欠けている。ソングライターとしてリスペクトしていると思われるボウイとコステロなら、まだギリギリわからなくはないけど、ザッパの方はディランなんて、興味もないだろきっと。
 結局、そこそこスタジオ・ワークに長けてて、あまりぶつかり合うこともなさそうな、いわば「無難な線」ということで、最終的にノップラーに落ち着くことになる。ただノップラー、この時点では「Money for Nothing」のリリース前だったため、そこまで知名度があるわけではなかった。『Infidels』を手掛けるまで、目立った外部プロデュース実績もなかったし、これもある意味、謎めいた人選である。

 『Infidels』がリリースされた80年代前半は、ポスト・パンクやニュー・ロマ、ゴシック・パンクやテクノ・ポップ、その他もろもろのニュー・サウンドが台頭し、急速な世代交代が進行していた。パンク・ムーヴメントでも揺るがなかった旧世代アーティストも、これまでの実績に胡坐をかきっぱなしではいられなかった。
 シンセ機材を中心としたテクノロジーの進歩に伴い、「超絶早弾きテク」や「一糸乱れぬアンサンブル」という言葉は、時代遅れとなった。時代の最先端を突っ走ってきた旧世代ほど、取って代わる新世代に大きく差をつけられた。
 時代に取り残された疎外感からか、はたまたレコード会社からの要請もあったのか、生き残りをかけて流行りに乗じたベテラン・アーティストが多かったのが、この時代である。そして、多くのアーティストが高確率で、この時期は黒歴史となる作品を発表している。
 それまで培ってきた音楽性をよそに、無理やりシーケンスやシンセ・エフェクトをかませたり、MTVのトレンドに合わせた、不器用なドラマ仕立てのPVを作っちゃったりなんかして、どうにか市場のニーズに合わせようとしたロートルの多いこと。で、その多くがセールス的に惨敗したりして。
 そう考えると、時代性との微妙なシンクロ具合をコントロールしたノップラーの功績は、案外大きかったことがわかる。絶妙にコンテンポラリーでありながら、風化の少ないサウンド・アプローチで構成されることによって、『Infidels』は良質のカタログになった。
 ただここでディラン、ほぼ半分はセルフ・プロデュースだったこともあって勘違いしちゃったのか、以降は自身でスタジオ・ワークを仕切るようになる。なので、『Infidels』以降の80年代アルバムは、大幅に微妙な作品が多くなってゆく。





1. Jokerman
 「聖書の一節からインスパイアされた」とか、「政治的な比喩を含んでいる」など、いろいろな解釈があるらしいけど、多分に様々な見方があるというだけじゃね?と日本人からは思ってしまうのだけど、そう言っちゃうと身もフタもないな。
 やたら手数の多いロビー・シェイクスピアのベース・ラインと、ストーンズ直系のプレイを聴かせるミック・テイラーのギターなど、パーツごとでは聴きどころは多い。多いのだけど、俺的にはやっぱあんま相性は良くない。ライブで披露されることも多かったり、コンピレーションに入ることも多いのだけど、あんまりピンと来ない。もしかして、あと10年くらい寝かせたら、印象もまた違ってくるかもしれないけど。

2. Sweetheart Like You
 なので、妙な新機軸よりはむしろ、こういったわかりやすいエモーショナルなナンバーの方が、馴染みが良かったりする。ディランはいつものダミ声だけど、ノップラーによるナチュラル・トーンのギター・ソロが粗野なテクスチャーを打ち消し、イイ感じのAORになっている。
 女性賛歌という見方の反面、言葉の端々に亭主関白的な物言いが合ったりして、どっちとも取れる意味合いは、何を暗示していたのかいなかったのか。ただ21世紀の感覚からすると、ちゃんとした女性に「Sweetheart」って呼ぶのはどうなの?と思ってしまう。
 それが許されたのが、80年代だったのかね。

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3. Neighborhood Bully
 ミック・テイラーが大きくフィーチャーされた、ソリッドなロック・ナンバー。それまでジョン・メイオールとつるんでいたテイラー、このセッションで意気投合し、しばらくの間、ツアーにも帯同、ディランの片腕となっている。
 考えてみればディラン、ここまではザ・バンドとのコラボに代表されるように、カントリーをベースとしたルーツ・ロックが中心だった。テイラーが持つブルース・フィーリングを取り込んで、洗練されたロック・コンボのスタイルを取り込もうとしていたんじゃないか、と。
 そう考えると、グラサンかけて斜に構えたアルバム・ジャケットや、MTVのパワー・プレイを想定したPV製作も、ちょっと納得がゆく。

4. License to Kill
 「殺しのライセンス」って、二流の冒険小説じゃあるまいし…、って思ってしまうけど、まぁあくまでモチーフとしての言葉であって、そんな荒唐無稽な内容を歌っているわけではない。収奪する者と、搾取される者。生殺与奪の権利を持つ者は、常に傲慢である。
 そんな殺伐とした内容のわりに、サウンドは真っ当なロッカバラード。この時期にしては、ドラムの音も真っ当な録り方なので、いま聴いてもそんなに違和感はない。ラス前のハープも、適度に情感が込められている。

5. Man of Peace
 「雨の日の女」をリアレンジしたような、きちんと作り込まれたロック・チューン。ライブを前提としたバンド・アンサンブルが気持ちよく聴こえるのは、やはりミック・テイラーの存在感あってのもの。ちょっとガサツなブルース・テイストが、声質にも合ってるんだよな。
 ちなみにこのちょっと後のライブ・エイドでディラン、同じストーンズ繋がりのキース・リチャーズ&ロン・ウッドと共演しているのだけど、あれはグタグタだったよな。なんで3人ともアコギなんだよ、ちゃんとしたバンド・アレンジで聴きたかった。

6. Union Sundown
 で、こちらもメロディといい譜割りといい、がっつりストーンズを意識したアプローチ。いや普通にカッコいいんだよな。単なるノリで仕上げたセッションに加え、入念に行なわれたミックス&オーヴァー・ダブによって、レベルが一段も二段も上がっている。のどの調子が良かったのか、ここでのディランのヴォーカルも表現力豊か。
 ストーンズをリスペクトしながら、同時期の彼らを軽く追い抜いてしまった、このアルバムのベスト・トラック。



7. I and I
 イケイケだった6.に比べ、ちょっと落ち着いたトーンのロッカバラードだけど、これもまた傑作。ノップラー+アラン・クラークのダイアー・ストレイツ組が中心となった、ソリッドさが際立つサウンド・プロダクション。無理に音を歪ませないノップラーのプレイは、手数は多くないけど、要所をしっかり締めるフレーズを散りばめている。
 泥臭さを極力排しつつ、テクニックに頼らない彼のアプローチは、その後の自身のキャリアに活きることになる。

8. Don't Fall Apart on Me Tonight
 最後はいろいろ暗喩や示唆も含んではいるけど、言いたいことは結局「お前が好きだ」という、シンプルなラブ・ソング。「天国の扉」っぽく聴こえる部分もちょっとあるけど、マーケットにも広く受け入れられやすいサウンド・アプローチは、だてに長く生きてきたわけではないベテラン・アーティストの思惑が反映されている。




 で、『Infidels』といえば、やっぱりこれに触れないわけにはいかない「Blind Willie McTell」
 マニアとは決して呼べない俺でも知っている、恐らく世界で最も有名な未発表曲のひとつ(結局、蔵出しされてるけど)。
 絞り出すように、ある種の諦念を込めながら、ディランはこう歌う。「誰も、ブラインド・ウィリー・マクテルのようにブルースを歌えない」。もう何十年も前に早逝したブルース・マンの生きざまに、何を見たのか。または、見えない何かを追おうとしているのか。
 いつものように、ディランは問いに答えてくれるわけではない。答えはいつも、それぞれ聴く者の心の中にある。ないのかもしれない。
 まるで突然変異のように生まれた「Blind Willie McTell」。強い輝きを放つ言葉とメロディを持つ楽曲は、コンテンポラリーなアレンジにそぐわなかったため、『Infidels』のどこにも入り込むことができなかった。
 『Infidels』セッションの中でも異質だった「Blind Willie McTell」が日の目を見るのは、『Bootleg Series Volumes 1–3』リリースの8年後まで待たなければならなかった。結果的に「80年代のベスト・テイク」と称されるわけだから、どんな経緯があったにせよ、いつかは注目されたと思われる。
 ほどよく抑制されながら、ドラマティックな展開を持つアレンジは、繊細かつシンプルな音の配置となっている。ここでのディランは吐き捨てることなく丁寧に、聴き取りやすく言葉を発している。
 ディランが語る寂しさと虚無、そして微かな憧憬。彼はなにを、歌いたかったのか―。






「みんなのビリー」の前、「俺たちのビリー」の頃の歌たち。 - Billy Joel 『Songs in the Attic』

folder 1981年リリース、ビリー・ジョエル初のライブ・アルバム。出世作となった『Stranger』以前の楽曲中心に収録されているため、フックが効いたポップなメロディの楽曲は、正直少ない。
 当時のレイテスト・アルバムだった『Glass House』に伴う全米ツアーのベスト・テイクを集めたものであるため、基本、アリーナ/スタジアム・クラス会場での収録が多くなっているけど、キャパ1,000人程度のライブ・ハウス収録も含まれている。楽曲の性質上、敢えて小会場っぽい音像に仕上げているのか、大観衆による臨場感は薄い。
 ライブ盤といえば、一般的にベスト的な選曲が多いのが普通で、実際、このツアーもヒット曲中心のセット・リストが組まれているのだけど、そういったキャッチ―な曲は意図的にはずされている。「コロンビアの言いなりになってたまるか」的な、「怒れる若者」としての姿勢を貫いての結果だけど、当時ドル箱アーティストだったビリーの意見は、ちょっと強引でも通ってしまうほどの影響力があった。

 『Stranger』以降の新規ファンへの紹介と、長く支えてくれた古参ファンへの感謝の意味も込めて、『Song in the Attic』は異例の低価格でリリースされた。当時、日本の洋楽新譜は2,500〜2,800円が相場だったけど、このアルバムは2,000円と、破格の価格設定だった。
 21世紀に入ってから、エンタメ界の柱が音源リリースからライブ活動にシフトして久しいけど、90年代くらいまでは、スタジオ・レコーディングのオリジナル・アルバムを中心にすべてが回っていた。巨額の予算を投入したライブもPVもグラビアも、すべてはアルバム・セールスを上げるための販促活動であり、アーティストやレーベルも、チャート・アクションに一喜一憂していた。
 音源リリースのスケジュールに捉われず、何のお題目もなくツアーを行なうことが当たり前となった現在と違い、90年代くらいまでは、オリジナル・アルバムのリリース・タイミングに合わせたプロモーション・ツアーが主体だった。ライブ盤とはあくまでその副産物であり、わざわざ手間ヒマや労力を投入する類のものではなかった。
 ロック名盤ガイドではライブものも多く含まれており、実際、俺も好きなアルバムは数多くある。あるのだけれど、その多くは前向きな動機で制作されたものではない。基本はオリジナル制作までの繋ぎ、または契約消化の目的でリリースされていた。
 『Songs in the Attic』もその例に漏れず、乱暴に言ってしまえば、次回作『Nylon Curtain』までの繋ぎとして企画された。全米ツアーを終えてすぐスタジオに入る気になれないビリーと、マーケットの興味が冷めぬよう、リリース・ブランクを開けたくないコロンビアの思惑とが入り乱れた末の折衷案だった、という見方ができる。

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 新譜であるにもかかわらず、旧譜同様の良心的な価格帯と、無双状態だったビリーの勢いも手伝って、ビルボード最高8位、日本でもオリコン3位を記録している。「オネスティ」も「素顔のままで」も収録されていないけど、「ビリー・ジョエル」とクレジットしておけば、歌謡曲全盛だった日本においても、充分通用するアーティスト・パワーがあったことが窺える。
 このアルバムがリリースされた1981年は、ロック史的には「パンク/ニュー・ウェイヴの新勢力が台頭しつつあった」とされている。ちなみに当時、日本はアイドル歌謡全盛期であり、「ルビーの指環」が年間トップだった。ま、これは余談。
 そんな日本の状況をよそに、ヒューマン・リーグを筆頭としたエレ・ポップ勢や、ポリスやPILらのセンシティブなアーティストらが、クオリティの高いアルバムを続々リリースしており、世代交代は着実に進んでいた。いたのだけれど、世界的なシェアから見れば、その影響はまだ微々たるものだった。
 この年のビルボード・アルバム・チャートの首位獲得リストを見ると、前半はジョン・レノンとスティックスとREOスピードワゴンが持ち回りとなっており、ニュー・ウェイヴ臭なんてカケラも見当たらない。その後も、フォリナーやストーンズ、キム・カーンズという顔ぶれで、なんだ70年代と変わんねぇや。いま見て気づいたけど、ムーディー・ブルースが1位?なに考えてんだアメリカ人。
 本格的な世代交代が始まるのはこの翌年、カルチャー・クラブやデュラン・デュランら第2次ブリティッシュ・インベイジョンに属するアーティストが台頭してからであり、太極的に見れば、ポスト・パンクというのは時代の徒花だったということになる。まぁ、そんな徒花だって、丹念に拾い集めていけば、面白いものも結構あるんだけど。
 活動時期や音楽性から見れば、旧世代寄りのビリーの全盛期がここに位置するのは、時代の必然と偶然とがうまく作用し合った結果と見ていい。70年代初頭、政治的/思想的にノンポリだったビリーの歌は広範な支持を獲得できなかったし、80年代中盤以降の彼は、不似合いなエンタメ性と奇妙な使命感に支配されて、楽曲のクオリティが薄くなってゆく。

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 「過去との決別」ではなく、「総決算」として位置付けられたのがこのアルバムなのだけど、そんな区切りがまずかったのか、その後のビリーのキャリアは緩やかに迷走してゆく。私的な共感を呼び覚ます、労働者階級の視点で描かれた細やかな心象風景を持ち味としたビリーの作風は、時代の要請と相まって、徐々に変質してゆく。
 満を辞して2年ぶりにリリースされた『Nylon Curtain』は、期待値MAXで市場に放たれたが、大きく空振りしてセールス的にはガタ落ちした。前述した作風と一転して、ある種のペシミズムで彩られたサウンドとメッセージ性は、一般大衆のニーズからは大きく乖離していた。
 肉体労働者の貧困やベトナム戦争の惨状を嘆くことは、標準的なアメリカ白人にとって、珍しい感情ではない。ただ多くの大衆は、声高に叫んだり行動に移したりすることを嫌う。ましてや、ビリーの音楽を好む層へコミットするものではなかった。
 アーティスト・エゴとストレート過ぎた正義感とを優先し過ぎて、微妙なセールスと評価を残した『Nylon Curtain』を反面教師として、ビリーは再び、大衆のニーズに沿ったコンセプトを掲げて次回作に取り掛かる。中途半端なアーティスト性を隅に追いやり、少年時代に聴き漁ったゴスペルやR&Bへリスペクトしたポップ・アルバム、それが『Innocent Man』だった。
 小難しいメッセージ性やイデオロギーを一掃し、ポップなエンタテイメントに徹したコンセプトは再び「俺たちのビリー」として大衆に受け入れられることとなる。

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 その後、チャート常連に返り咲いたビリーは、西欧ポピュラー・シンガーとして初の旧ソビエト公演を成功させたり、ベースボールの聖地ヤンキー・スタジアムで初の公演を行なったり、大きなプロジェクトを続々成功に導いてゆく。ただ、そんな華やかなキャリアとは反比例するがごとく、肝心の創作活動は次第に停滞化してゆく。
 ほぼ年1のリリース・ペースだったオリジナル・アルバムの間隔が、この辺から3~4年と長くなってゆく。ベテランになるにつれ、クオリティの追求とリリース基準のインフレ化もあるため、なにもビリーに限った話ではない。
 ビリー・クラスになると、アルバム制作自体が大きなプロジェクトとなり、コロンビア全体の売り上げ中、占める割合も大きくなる。そうそう失敗作を出すわけにはいかなくなる。それはビリーだけじゃなく、音楽業界全体の問題でもあるのだ。
 話題性を煽るため、『Innocent Man』以降のアルバムには多くの豪華ゲストが参加している。シンディ・ローパーやスティーヴ・ウインウッド、ミック・ジョーンズやらジョー・リン・ターナーなど、ジャンルを問わず、まぁ節操がないこと。ウインウッドやミック・ジョーンズはまだ納得できるとして、他の2人が実際の楽曲制作にどれだけ貢献したかといえば、ちょっと疑問が残る。
 クリエイティヴィティは二の次で、大衆の支持を優先した商品を一義とした作業は、ビリーの本意だったのか。そりゃせっかく手に入れたアメリカン・ドリームを手放したくはないだろうから、多少の妥協はあったのだろう。
 ただ、真摯なアーティストとしては、そんな生活を長く続けるものではない。意に沿わぬ行動は、確実に精神を蝕む。「みんなのビリー」を演じる傍ら、私生活では奇妙な行動が目立つようになる。
 そんな悪循環に耐えきれなくなり、1992年の『River of Dreams』を最後に、ビリーは創作活動からの引退を示唆する。正確には、「もう大衆の望むポップ・ソングは書けなくなった」と、いうべきか。
 その後20年あまり、離婚・再婚を繰り返したり深刻なアル中を患ったりはしたけど、どうにかビリーは生き残った。ただ求められるがまま、過去のヒット曲を歌うシンガーとして。
 月1のペースで行なわれるマジソン・スクエアでのライブを主軸に、時々、肩慣らし的なカバーやデュエットを歌ったりはしているけど、まとまった形でリリースする気はなさそうである。エルトン・ジョンやピンクと共作するだのしないだの、断片的なニュースも流れてはくるけど、その後、進展があったという話もない。

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 ただ単に、いい曲を書いたら認められ、そして、多くの人々に愛された幸福な時代。
 世に広く流通した時点で、それは商品ではあるけれど、それ以上の価値と普遍性が認められたのが、80年代以前の音楽業界だった。
 弁護士や実業家によって、きちんと整備される前のエンタメ業界で、歳月に埋もれかけた歌たち。派手な色合いはまるでないけど、心のどこかに心地好い引っ掛かりを残す、そんなただの歌たち。
 ―そんな普通の歌たちを丹念に拾い集めてまとめたのが、この『Songs in the Attic』というアルバムである。


Songs in the Attic
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1. Miami 2017 
 1976年4枚目のアルバム『Turnstiles』のラストを飾ったナンバー。ビリー曰く、「ニューヨークで起こる大破壊を歌ったSFソングとして作った」とのことで、あらかじめそんなコンセプトを知っておけば、冒頭のレトロ・フューチャーなシンセ音も納得できる。てか、できねぇな普通。
 9.11同時多発テロを予見した終末観が注目を浴び、節目ごとにこの曲が演奏されるようになったのは、果たして幸か不幸か、と言いたいところ。

2. Summer, Highland Falls
 続けて『Turnstiles』より。拳を握り締めてしまうような曲から一転、爽やかな夏の午睡を想わせる叙情的なナンバー。メロディだけ聴いていると穏やかな心象風景を描いたものと思えてしまうけど、「鬱病に悩まされている人へ捧げる歌」ということで、さらにそんな人をどん底に突き落とすような内容。いや普通、ラジオ・エアプレイを考えるんだったら、ユーフォリアなんて言葉使わないって。
 こういうのって、アメリカ人って気にしないんだろうか。ライブだったら、そんな細かいフレーズや言い回しなんて、意に介さないのだろう。

3. Streetlife Serenader
 1974年3枚目のアルバム『Streetlife Serenade』のオープニング・ナンバー。邦題「街の吟遊詩人」と表されているように、当時住んでいた西海岸、LA界隈の街角のスケッチを、やや斜めな視線で描いている。ニューヨーク育ちのビリーにとって、LAとは通過点であったはずなのだけど、その居心地の悪さによって俯瞰的な視点を獲得できたことは、ソングライターとして収穫であったんじゃないかと。

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4. Los Angelenos
 続けて『Streetlife Serenade』より。オリジナル・アルバムもこの曲順となっている。勤勉なエルトン・ジョンといった風なピアノ・ロックで、オリジナルはやや線の細さの方が目立ったのだけど、ライブで場数を重ねたことで、ヴォーカルがビルドアップされている。
 当時も何となく思ってたけど、サザンの「DJ・コービーの伝説」そっくりだよな。インスパイアなのかリスペクトなのかオマージュなのか、まぁそっちも俺は好きなんで、どっちでもいいか。

5. She's Got a Way
 1971年のデビュー・アルバム『Cold Spring Harbor』のオープニングを飾った、いわばソロ・シンガー:ビリー・ジョエルが世間に初めて知られた曲。とは言ってもこのアルバム、初リリース時はちっとも売れず速攻杯盤で廃盤の憂き目に遭い、かなり後になってから再発された、というのはファンの間ではわりとよく知られた話。
 初々しいながらも、単調な甘さによるロマンチストぶりが目立ったオリジナルに比べ、ここでのテイクでは、しなやかなアクセントをつけたヴォーカルが、ストーリー性を演出している。ライブにもかかわらずシングル・リリースされ、US最高23位になったのも頷ける仕上がり。



6. Everybody Loves You Now
 こちらも『Cold Spring Harbor』から。基本、ピアノがメインのビリーの曲の中では、軽快なギター・ストロークが印象強いナンバー。オリジナルはやや神経質なピアノ・コードがメインで、エモーショナルなヴォーカル・スタイルは変わらないのだけど、ライブ映えするのはやっぱりギターをフィーチャーしたこのヴァージョン。
 当時はデビュー・アルバムが流通していなかったため、こっちがオリジナルと思っていた人、多いんだろうな。俺もずっとそう思ってたし。

7. Say Goodbye to Hollywood
 リード・シングルとしてもリリースされた、もはやこっちが定番のロック・チューン。有名な「Be My Baby」のドラム・イントロにオマージュを捧げ、過去の音楽遺産に大きな敬意を表している。間奏のサックスなんかはモロE. Street Bandだし、客を煽るヴォーカル・スタイルもスプリングスティーンを強く意識しているし。
 って思ってたらE. Street Band、なんとオリジネイターのロニー・スペクターとこの曲をレコーディングしていた。ま、これは余談。
 さらにさらに、桑田佳祐も幻のデビュー・アルバム『嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE!』で、この曲をライブ・ヴァージョンでカバーしている。もしかして、こっちを聴いた方が先だったかもしれない。

8. Captain Jack
 このアルバムを聴き始めた当時は、キャッチ―でわかりやすい7.や、同じくわかりやすいセンチメンタルなバラードの5.のような曲が好みだったのだけど、年齢を経て、あらゆるジャンルの音楽を聴き倒してくると、この曲の良さがわかってきたりする。『Piano Man』に収録された壮大かつエモーショナルなバラードは、特にアンチ・ドラッグを強く訴えかけるメッセージ性を知ると、また印象も違ってくる。そんな理屈や頭で聴かなくても、シリアスな姿勢は充分伝わってくるけど。



9. You're My Home
 同じく『Piano Man』より。当時の妻:エリザベス・ウェーバーに捧げられた歌で、普遍的で素朴、それでいてやや不器用な男の思いのたけがストレートに描かれている。オリジナルは線の細いヴォーカルが、それはそれで初々しさが漂っているのだけど、成功者となって自信を持った男として歌われるライブ・ヴァージョンが、やはり決定版だろう。

10. The Ballad of Billy the Kid
 アメリカ人にとっての永遠のアンチ・ヒーロー:ビリー・ザ・キッドをテーマに、ビリー流に紡がれた寓話的バラード。日本で言えば石川五右衛門や明智光秀あたりのポジションなのかね。
 勧善懲悪のステレオ・タイプの悪役ではなく、人間臭さとロマンチシズムをデフォルメしたビリー像は、人によって意見が分かれるところなんだろうけど、ライブで盛り上がりたいアメリカン・ヤンキーにとって、内容なんてそんなの関係ねぇ。

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11. I've Loved These Days
 ラストはエモーショナルなピアノ・バラード。邦題は「楽しかった日々」。享楽にあふれた虚飾の生活からオサラバして、本当の人生をつかもうじゃないか、といった内容なのだけど、まだブレイクしていなかった『Turnstiles』の時期にこれを書いたビリー。
 喉から手が出るほど成功に憧れつつ、心のどこかで変容してしまう自分を予見し、そして恐れるビリー。穿った見方をすれば、ちょっとこじらせ過ぎじゃね?とも思ってしまうけど、それだけ純粋な感性の持ち主だったんだ、という風にも受け取れる。



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北海道の中途半端な田舎に住むアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。今年は久しぶりに古本屋めぐりにハマってるところ。
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