#Singer Songwriter

好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そういったゆるいコンセプトのブログです。

べ、べつに売れたかったわけじゃないンだからねっ!! -Joni Mitchell 『Chalk Mark in a Rain Storm』

folder 1988年リリース、前作『Dog Eat Dog』より約3年ぶり、彼女にとっては13枚目のオリジナル・アルバム。US45位UK26位という成績は、80年代のJoniとしてはまぁアベレージはクリア、と言った程度のそこそこの成績だったけど、本国カナダでは最高23位、初のゴールド・ディスクという栄冠を手にしている。もともと瞬間風速的なセールスを上げるタイプのアーティストではなく、地道なロングテール型の売れ方をする人なので、回収までの期間は相当要するけど、採算が取れる程度には売り上げが見込める、レーベル的には収益の目算が手堅い人でもある。
 一般的な知名度はそこまで高くはないけど、同業者からの評価は総じて高いので、「Joni Mitchell好きなんだよね」と言っておけば、何となく通ぶれるというメリットもある。矢野顕子やVan Morrisonも同じような空気感があるよな。

 CSN&Y「Woodstock」を代表とする、「ちょっと屈折したコード・ワークを自在に操るシンガー・ソングライター」として登場したJoniの活動のピークが70年代にあったことは、ほとんどのJoniファンが頷くところである。
 一般的な抒情派フォークの一言ではくくれない、彼女が本当の意味でオリジナリティを発揮するようになったのは、Weather Report勢をはじめとしたジャズ/フュージョン系セッション・ミュージシャンとの積極的な交流によって生み出された『Court & Spark』以降の作品群からである。

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 それまでポピュラー・ミュージックのメインとされていたロックが、70年代に入ってからは急速に疲弊していったのと前後して、ジャズやソウルのエッセンスを付加したソフィスティケートされたサウンドが喧伝されるようになる。大部分のAOR作品と比べて、Joniが創り出す作品からは大衆を惹きつける吸引力は弱かったけど、当時のフュージョン・ブームの流れに乗って堅実なセールスを上げていた。
 ここまでは問題ない。

 ここまでのJoniは、70年代に設立された新興レーベルのアサイラムに所属している。Neil YoungやEaglesといったメンツから推察できるように、大陸的なシンガー・ソングライターやカントリーをベースとしたロックを持ち味としたバンドが多く所属する、言ってみればアットホーム的な香りの漂うレーベルである。
 アーティストの自主性を重んじる社風は自由闊達なムードが蔓延し、採算さえどうにか取れれば自由な音楽性を追求できるということで、Joniにとっては心地よい居場所であった。
 その風向きが変わったのが、ゲフィンへの移籍ということになるのだけれど、事実上はアサイラムもゲフィンもオーナーは同じなので、ダイエー・ホークスがソフトバンクに屋号を替えたようなもの、アーティスト側からすれば親会社の名前が変わったんだなぁ程度の認識であったはずである。
 前述したように、旧来ロックは自家中毒を起こして疲弊しきっており、クリエイティヴな面においてはすでにその進歩を止めていた。いたのだけれど、そう考えていたのは一部の真摯なミュージシャンやマニアだけであって、ラジオから情報を得る大多数のライトユーザー向けに、イデオロギーより収益性を優先した産業音楽が量産されていた。
 玉石混合の70年代ミュージック・シーンを過ぎて、効率的に資本回収できるシステム作り、知的好奇心を軽く刺激する程度のアーティスト・エゴを商品化していったのが、ゲフィンというレーベルである。

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 5年ほどの長きに渡ったハウス・ハズバンド期を経て前線復帰したJohn Lennonを獲得したことによって、一気に業界内での評価がうなぎ上りとなったゲフィンだけど、この例に漏れず、初期はあまり新人の育成に積極的ではなく、むしろマンネリズムに陥ったアーティストの再生工場という経営戦略を推し進めている。その代表格と言えるのが、ELP、King Crimson、Yesなどのプログレ代表バンドの歴代メンバーを一堂に揃え、思いっきり売れ線狙いの産業ロックを大ヒットさせてしまったAsiaである。
 もともと小難しい理屈やらコンセプトやら鬱屈やらをテーマとして掲げて仰々しいサウンドでもって、有無を言わせぬハッタリで畳み掛ける、というのが俺的に、そして一般的なプログレに抱く印象なのだけど、実のところ、その辺を大真面目に考えているのはバンド内のブレーン担当くらいのもので、大方のプログレ・バンドのメンバーらは、ごく普通の分別と感性を持ったミュージシャンであり、それがちょっと他のジャンルよりはバカテクなだけである。売れるためにちょっぴり媚を売ったり魂を差し出したりすることに、それほどこだわらないのが大部分である。
 しちめんどくさいコンセプトに縛られず、ひたすらキャッチーなリフとポップなメロディにこだわった結果、彼らは産業ロックのフロンティアとして、爆発的な人気を得た。もともと各メンバーともリーダーを張れるほどの実力の持ち主であり、他バンドと比べてポテンシャルはハンパなかったので、いくらチャラチャラした楽曲やアレンジでも、どこかしら気品のようなものが漂ってしまうのは、やはりプログレ者としての業なのだろう。さり気なく変拍子や超絶アンサンブルなんかをぶち込んでるし。

 賞味期限の過ぎたベテラン・ミュージシャンでも、コーディネート次第では全然商品価値は上がる、ということを証明したのがAsiaであるとすると、当然、そこに目をつけるプロデューサーやマネージャーが跋扈したりもする。70年代を優雅に締めくくれず離合集散を繰り返したバンドの順列組合せが顕著になったのが、ちょうど80年代初頭からである。
 ソロ・アーティストもまた例外ではなく、これまで主にカントリー・ロック周辺で活動していたKenny Logginsは次第にロック色を強め、サントラ請負人として確固たるポジションを築いたし、他にも多くのシンガー・ソングライターらがKORGやRolandのシンセをこぞって導入し、ライトなAOR化へシフト・チェンジしていった。その路線がマッチした者もいれば無理やりこじつけっぽさが残る場合もあったけど、まぁそれはケースバイケース。

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 でJoni。
 『Wild Things Run Fast』から続く彼女のコンテンポラリー・サウンドへの急接近が、果たして本人の望むものだったのか、それともアゲアゲムードだったゲフィンの社内ムードに乗せられてのものだったのか。多分、どっちもだとは思う。
 大成功を収めたAsiaの成功体験が、ゲフィンのビジネスモデル、必勝パターンとして定着しつつあったため、アーティスト本人だけじゃなく、周囲のブレーンも浮き足立っていた、というのもあるのだろう。
 特にJoniの場合、ゲフィン移籍と前後して、公私認めるパートナーだったJaco Pastoriusとの関係の解消、同時進行で新パートナーLarry Kleinとの親交がスタートしている。以前のレビューでも書いたように、Joni Mitchellという人はアーティストであると同時に、女性でもある。こうやって書いてしまえば当たり前のことなのだけど、彼女のアイデンティティを構成する要素として、アーティスティックな側面と恋愛とは不可分である。言ってしまえば、その時その時で、付き合う男によってサウンドの傾向がまるで違ってしまうのが大きな特徴である。
 Larryは主にロック・フィールドでの活動が多かったため、自然と彼女の音もロック的、コンテンポラリー路線に傾倒してゆくのは自然の摂理とでも言うべきか。

 1980年設立という若い会社だったゲフィンに籍を置いていたことによって、また前身レーベルであるアサイラム時代からの古参ということもあって、下衆な勘繰りで言えば相応の印税率やディールは受け取っていたと思われる。キャリアを通して決して稼ぎ頭筆頭ではなかったけれど、社内的ポジションにおいてもかなり優遇されていたはず。
 レーベルも一新したことによって、これまでのような通好みの音楽ばかりを追求するのではなく、多少なりともシングル・ヒット的な功績のひとつでも残しておいた方が業界内ポジションの維持にも繋がるというのは、自明の理である。
 とは言っても、いきなり脈絡もなくダンス・チューンを多めに入れるとか単純にDX7のプリセット音で埋め尽くすというのも、彼女のプライドが許さない。これまでの文脈も念頭に入れてアーティスト・イメージを壊さず、それでいてポピュラリティを獲得できる方向性で進めなければならない。
 なので、大人のコンテンポラリー・ポップ、AOR路線というのがここで登場する。もともとAOR自体が、ジャズ/フュージョン、ファンクやソウルのハイブリット、いいとこ取りのジャンルのため、彼女がそちらの方向性へ向かうのは、至って自然の流れである。

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 ちょっとデジタル臭が強く出過ぎた『Dog Eat Dog』の反省もあって、この時期のJoniは視野を広げる目的もあったのか、以前から半分趣味的に続けていた絵画に本腰を入れるようになる。個展開催も積極的に行なうことによって、音楽の比重が少なくなり、実際、『Chalk Mark in a Rainstorm』リリースに至るまで3年のブランクが空いている。それだけ前作でのシーケンスとの格闘での疲弊が大きかったのだろう。
 ただそのインターバルが結果的に良い方向へ向かうきっかけとなったのか、クールダウンすることによって、デジタル・サウンドの使い方がこなれてきている。何が何でも徹頭徹尾打ち込みで埋め尽くすのではなく、従来のアコースティック楽器との絶妙なブレンドがナチュラルに溶け込んでいる。80年代特有のデジタル・サウンドは時代の風化に耐えられぬものが多く、Joniのサウンドもまた例外ではないのだけれど、スロー系では今も光るものが窺える。テンポが速くなると、ちょっと古臭くなっちゃうよな、やっぱ。無理にビートに乗ろうとするからまた。

 やたら多いゲスト陣というのが、このアルバムの大きな特徴。当時、Kate Bushとのデュエット「Don’t Give Up」がメチャメチャはまっていたPeter Gabrielや、アサイラム時代からの戦友Don Henleyを引っ張り出してくるのはまぁわかるけど、さすがにBilly Idolはないでしょ普通。単に意外性だけでキャスティングしたとしか思えない。その後も接点ないし。
 バラエティに富んだ豪華ゲスト陣と言うより、むしろ八方美人的に散漫な印象ばかりが先行してしまったこのアルバムの反省なのか、こういったコラボものはここで終了。Tom Pettyはまだわかるけど、Willie Nelsonはちょっと方向性違くない?とJoni自身思ったのだろう。

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 『Dog Eat Dog』がデジタル・サウンドをマスターするための習作だったとすると、この『Chalk Mark in a Rain Storm』はデジタルとアコースティックの混合比を見極めるための実験作、過渡期の作品という見方ができる。トップ40も十分狙える、ライト・ユーザーにもアピールするコンテンポラリー・サウンドを目指したけど、どうしても下世話に徹しきれなかった作品ではある。でも、その後のアーティスト・キャリアを思えば、ここで大きく道を逸れなくてよかったことは、歴史が証明している。
 次作『Night Ride Home』ではその実験成果がうまく具現化し、それ以降は絶妙の混合比バランスと世界観とを併せ持った円熟期が始まることになる。


Chalk Mark in a Rain Storm
Chalk Mark in a Rain Storm
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Joni Mitchell
Geffen Records (1990-10-25)
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1. My Secret Place
 Peter Gabrielとのデュエットが話題となった、1枚目のシングル・カット。『Dog Eat Dog』で孤独なスタジオ・ワークに翻弄されていた感があったJoniだったけど、ここではシーケンスもまた楽器のひとつに過ぎないことを悟ったのか、デジタル臭はあまり前面に出ていない。エスニックなスタイルのヴォーカルを聴かせるGabriel、クレバーなトーキング・スタイルのJoniとのコントラストは絶妙。Kate Bushほどの幻想性はないけど、熟練のアーティスト同士の微妙な間合いが何とも。探り合ってるよな、2人とも。



2. Number One
 Manu Katchéが叩いているせいか、ポリリズミックなドラム・パターンが印象的。特徴的なリズムに乗せて歌うJoni、やはりいつも通り、メロディアスとはとても言えない、多分彼女以外が歌ったら支離滅裂になりそうな楽曲。こんな奇妙なコードを器用にまとめ上げてしまうのは、やはりこの人ならでは。
 ところでデュエットしているのは、当時活動休止中だったCarsのBenjamin Orr。正直Ric Ocasek以外のメンバーについてはほとんど知らないし、なんでこの人がここでフィーチャーされているのか、なんともさっぱり。

3. Lakota
 冒頭でむせび泣くような雄たけびを上げているのは、ネイティヴ・アメリカンの俳優Iron Eyes Codyによるもの。ちなみにLakotaとは、その部族のひとつ「スー族」を指す。
 サウンド自体はそこまで土着的なものではなく、普通にコンテンポラリーなロック・サウンド。Don Henleyがコーラスで参加しているけど、あまり目立った活躍はない。

4. The Tea Leaf Prophecy (Lay Down Your Arms) 
 揺らぎのあるメロディーが70年代からのファンにも人気の高い、それでいて力強く歌い上げるJoniの珍しいヴォーカルが聴ける、こちらも人気の高いナンバー。ドラムのエコーが深いのが時代を感じさせるけど、Joniのサウンド・コンセプトにはマッチしている。シングル・カットしても良かったんじゃないかと思われるのだけど、やっぱり地味なのかな。
 ここでのゲスト・コーラスは、当時、Princeのバック・バンドRevolutionやWendy & Lisaのバッキングを担当していたLisa ColemanとWendy Melvoin。Princeが自らのバックボーンのひとつとしてJoniを挙げていたのは有名なので、一応まったく関連がないわけではないのだけれど、やっぱり意外。ただ、特別ファンキーさを感じさせるものはない。彼らじゃないと、という必然性はあまり見えない。

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5. Dancin' Clown
 このアルバム中、またはJoniのキャリアの中でも最も異色さが際立つハードロック・チューン。だってデュエットしているのがBilly Idolだし。どういった経緯でJoniが彼にオファーしたのか、それともJoniのスタッフがプッシュしたのか、ていうか何でBillyがこの仕事を受けたのか、第一Joniのことを知っていたのか。
 疑問はいろいろ尽きないけど、めったに見ることのできないダンサブルなJoniを堪能したいという、マニアックな性癖のファンだったら喜ぶと思う。
 当時、BillyとよくつるんでいたSteve Stevensも参加しており、こちらもまた通常のBillyのスタイルでプレイしている。異分子を入れることによって予定調和を回避したかったのかもしれないので、まぁ「予定調和じゃない」というその一点だけ、目的は達成している。
 ていうかTom Petty、こんなとこで歌ってんじゃねぇよ。すっかり霞んじゃってるし。きちんと1曲腰を据えてデュエットすりゃ良かったのに。

6. Cool Water
 と、これまでは同世代のアーティストとのコラボが多かったのだけど、ここに来て格上が登場。当時でもすでにカントリー界においては大御所だったWillie Nelsonが参加している。もうちょっとスロー・テンポで色気があったら、『Top Gun』を代表とした80年代アメリカ・エンタメ映画のサウンドトラックにでも抜擢されたかもしれない。それくらいムードのある曲。一応、シングル・カットもされてはいるらしいけど、残念ながらチャートインは果たせず。



7. The Beat of Black Wings
 これまであまり起伏の乏しいメロディを歌ってきたJoniだったけど、このアルバムではメロディ・メーカーとしての側面を強調した楽曲が多い。やればできるじゃないの、と言いたくなってしまうミディアム・スロー。
 デュエット曲が多いため、相手にも見せ場を作る気配りという点もあったのだろう。ここで再びCarsのBenjaminが登場。特別、秀でたものとも思えないんだけどね。

8. Snakes and Ladders
 再びDon Henry登場。ここではもうちょっと見せ場を作られている。Eagles解散後、ソロ活動で最も成功を収めていたのが彼であったため、便乗目的ではないけど、ここでDonをフィーチャーする必要があったのだろう。
 こちらもシングル・カットされており、US Mainstream Rockチャートにて最高32位。サンプリング・ヴォイスのJoniが聴ける貴重な一曲。

9. The Reoccurring Dream
 ほぼゲストを入れることもなく、ほぼJoniとLarryの2人で制作された、密室間の強いメッセージ・ソング。『Dog Eat Dog』の延長線上的なサウンドは、ここで完結している「閉じた音像」ではあるけれど、デジタル特有の質感は柔らかく処理されている。

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10. A Bird That Whistles (Corrina, Corrina)
 古いトラディショナルのカントリー・ブルースをベースとした、変則チューニングで奔放に引きまくるJoniのアコギ、それと旧知の盟友Wayne Shorterとのセッション。お互い手の内は知り尽くしており、当初は和み感さえ漂っているけど、終盤に近づくにつれ、互いの技の応酬が激しくなる。興が乗ったセッションは次第に緊張感が蔓延しはじめ、そして唐突に幕を閉じる。その切り上げの加減こそが、一流アーティストらを手玉に取って操ってきたJoniの成せる業なのだ。



コンプリート・ゲフィン・レコーディングス
ジョニ・ミッチェル
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何をやっても俺はオレ - Van Morrison 『Avalon Sunset』

folder 唐突だけど、俺の周りにVan Morrisonのファンはいない。ていうか、彼のファンがどれだけいるのか、ちょっと想像つかない。
 名前は一応知られている。欧米、特に母国アイルランドでは有無を言わせぬ国民的ミュージシャンとして名が通っている。キャリアと言い実績と言い、Dylanに匹敵するほどのポジションの人のはずなのだけど、日本では恐ろしく知名度が低い。ちょっと洋楽をかじってる人でやっと、「Gloria」の人程度の認識しかないんじゃないかと思われる。
 60年代から活動している中ではもう数少なくなった、来日していないアーティストの一人である。俺が知る限り、長いこと機会を逸していたWhoも単独公演を行なってしまったので、多分最後の一人になっちゃったはずである。
 彼らもVan同様、その全盛期に来日公演を行なわなかったため、日本での人気がイマイチだった、とされている。確かにWhoの場合、型破りとも言えるライブでのパフォーマンスを生で披露できなかったことが、日本のメディア媒体を奮起させられなかった要因だったと思われるけど、Vanについてはちょっと違っている。
 Vanの場合、昔も今も頑固ジジイ的な風貌は変わらないけど、70年代は荒削りなブルー・アイド・ソウル・スタイルが持ち味だった。近年は、年齢を重ねることによって得た熟成感と気品とがまろやかな風味を醸し出しているけど、当時はもっと強めのヴォーカル・スタイルだった。

 これもまたVan以外にも当てはまるのだけど、ここ日本においては強いシャウトのヴォーカル・スタイルの白人シンガーは、どうにもパッとしない傾向にある。欧米ではいまだ絶大なライブ動員を誇るNeil DiamondもTom Jonesも、懐メロ・シンガー的な扱いである。彼らのように押しの強いアーティストは、どうにも敬遠されている。もっと繊細なタッチのGilbert O'Sullivanがウケるお国柄だし。

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 そうは言っても、Dylanと並ぶほどのキャリアを有しているのと、来日していない分、実際のライブを見た者が数少ないため、ある意味神格化されている部分もある。「何かよく知らないけど、とにかくスゴイ人」というイメージが強い。UMAみたいだな、これじゃ。
 通好みの印象が強いため、必然的にメイン層となるのが評論家やミュージシャンの類が多く、よって国内盤でのリリースが途絶えずにいる。損益分岐点だけを考えれば確実に赤字なのだろうけど、文化事業的な側面で見れば、こういった人のリリースは半ば業界の使命感で行なわれており、多分、それは今後も変わらないだろう。あんまり売れることはないから、どうしても少量ロットでしかプレスされないけど。
 バックオーダーがかかるほどバカ売れするわけではないので、近年のアルバムを国内盤で入手することは難しくなっている。たまに再発されたとしても、期間限定の廉価版か紙ジャケ仕様だし、しかもリリースされるのは初期の名盤と称されるものばかり。まだまだ現役バリバリなのにね。

 で、その初期の『Moondance』や『Astral Weeks』が代表作とされている。ものすごく乱暴な見方だけど、ヒット曲という視点で見れば、Them時代の「Gloria」だけの一発屋である。軽く口ずさめるタイプの楽曲を歌う人ではない。でも、コアなファンが多いため、少量ではあるけれど安定したセールスを維持している。
 そこそこの売り上げを見込めるアーティストというのは、レーベルとしては手放しがたい存在である。特に彼クラスのベテランともなると、それほど大々的にプロモーション展開しなくとも、大コケすることもないので、コスパが良い。だからリリース契約も途絶えないんだな。
 同じスタンスのアーティストとして有名なのが、Loo Reedがいる。もうニュー・アイテムが届くこともないけど、彼もまた浮き沈みはあれど、業界からフェードアウトすることなく、コンスタントなリリースを続けていた。日本で該当するのは矢野顕子あたりかな。

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 ソロ・デビューから換算してももうすぐ50年、何しろキャリアの長い人なので、純然たるオリジナル・アルバムだけでも30枚ほどになる。ここにライブや、他アーティストとのコラボ & デュエット・アルバムが加わるので、そりゃもうとんでもない数になる。
 一般的に多作のアーティストと言えばPrinceやZappaを連想してしまうけど、彼らのようにライブ音源をベースに編集したり、一気呵成に2枚組・3枚組をハイペースでリリースするのではなく、Vanの場合、極めてオーソドックスなリリース・スタイルを堅持している。
 熟練のバンド・メンバーを従えて、じっくり時間をかけて楽曲を熟成、ほぼ1年に1度、年代物のスコッチの如くまろやかで味わい深くなった楽曲をアルバムにまとめている。そんな作業をマイペースで半世紀続けている。21世紀に入ってからは、さすがにちょっとお年を召したせいもあるのか、カバーやコラボなどの企画モノが多くなってきたけれど、年1回、何らかのニュー・アイテムをリリースし続けている。こういった所は頑固に遵守するんだろうな、この手の人って

 60年代から活動しているベテランによくありがちだけど、ちょっと興味を持ったはいいけど、その膨大なバック・カタログを前にすると途方に暮れてしまい、お手軽なベスト・アルバムで済ませてしまうことも多々ある。俺だって、例えば急にLou Reedに興味を持ったとして、一体どこから手を付けていいのかわからないし。なので、キャリアが長いアーティストほど、ビギナーにとっては近寄りがたい存在になっていることも事実。
 特にVanの場合、基本は「古いソウルやジャズからインスパイアされたシンガー・ソングライター」であり、これはデビュー当時から揺るぎないスタイルとなっている。時代によって多少のアップデートはあれど、当たりはずれの少ない作風である。どのアマゾン・レビューを見ても、大抵の作品は「傑作」のひとことで済まされてしまっている場合が多い。いや実際、どの作品もクオリティは高いのだけど、あまりに安定しているため、ビギナーにとってはどれも同じように聴こえてしまう。実際、俺もそうだった。
 急にダンサブルになったり、目先のトレンドに泳がされることもなく、これまで影響を受けてきた音楽へのリスペクト、自ら創り上げてきた楽曲を深化させてゆくのが、この人の芸風でもある。要するにツッコミどころの少ない人なのだ。

Van Morrison - Avalon Sunset-back

 Vanの代表作は何なのか、と問われれば、多くの場合、『Moondance』か『Astral Weeks』という答えが返ってくる。ただ、今も現役バリバリでライブも精力的に行なっており、アルバムのアイディアも枯渇してなさそうなので、そんな半世紀も前のアルバムの評価に捉われているのは、何よりも本人がかわいそうである。名盤ガイドの定番となっているこの2作以外にも、味わい深いアルバムはいくつもあるのに。

 なので、ほんと俺の独断になるけど、「俺思うところのVanの変遷」を区分けしてみた。全部が全部、細かく聴いてるわけではないので、節目のあたりは多少のズレはあるだろうけど、まぁまぁ間違ってないんじゃないかと思う。
 年季の入ったファンからは異論もあるかもしれないけど、あくまで個人の視点ということで。

(60年代末~70年代まで)
 ほんとのごく初期は、ソウルフルなヴォーカルのフォーク歌手といった風情。この辺はVan原理主義者からの支持が厚い。時代を経るにつれ、ソウル特有の泥臭さが薄れ、サウンドもAOR寄りにマイルドになってゆく。
(80年代初期~中期)
 ジャケットに宇宙をモチーフとした抽象的なイラストが使われるなど、どこかスピリチュアルなムードが蔓延している。荘厳としたエコーの深いサウンドは、荘厳で宗教的な趣さえ感じさせる。ライブでのパフォーマンスは相変わらずのガナリ声が健在だったけど、スタジオ音源でのヴォーカルは、深い霧の奥深くで鳴っている。
 ファンの間ではニューエイジ期とも称されるこの時期、地元アイルランドの重鎮Chieftainsとのコラボによる原点回帰など、何かと迷いが見られる。評価としても、この時期のアルバムは過渡期的な扱いが多い。
 俺個人としては純粋にサウンドとして好きだけどね。
(80年代末~90年代)
 そんな試行錯誤を経てふっ切れたのか、いきなりヴォーカルが力強くなる。「悩んでたってしょうがねぇ、俺はやりたい事をやるんだ」とでも言いたげに、ホーン・セクションもメインを張るようになり、ヴォーカルは再びソウルフルへの回帰。かつてのリスペクトから由来する模倣ではなく、ここから聴かれるVanのサウンドは完全にオリジナルとなる。
 さらに力技だけではなく、これまでモッサリ感のあったバラードは、熟練から来る深みと表現力によって、説得力が増した。セールス的に低め安定化していたVanがアルバム・チャートで上位に入るようになったのもこの頃。ただ年期の長いベテランではなく、実力に伴った実績が追いついてきた。
(21世紀)
 円熟を通り越して、もはや安定期。何をやってもVan Morrison。だって俺、これしかできないんだもん。さすがに年1のオリジナルはキツくなってきたのか、デュエットやカントリー・アルバムなど、企画モノが目立つようになる。でもやっぱりVan Morrison。彼が歌えばそれでオッケーなのだ。
 未発表曲を追加したリマスター盤や、『Moondance』リリース40周年記念ライブなど、回顧モードも並行中。
 -すごくザックリだけど、こんな感じ。自分で書いていながら、「何をやってもVan Morrison」というのは的を射ていると自画自賛してしまう。

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 で、今回取り上げるのが、1989年にリリースされた19作目のオリジナル『Avalon Sunset』。UK最高13位と久し振りに大復活した、と喧伝された作品である。ヨーロッパ界隈でもオランダ8位、スウェーデン10位、ノルウェー11位にチャートインしている。この時期の音楽シーンといえば、Soul II Soulから始まるグラウンド・ビートの勃興、今も連綿と続くダンス系が席巻していた頃で、中途半端なシンガー・ソングライターにとっては不遇の時代でもある。
 結局、どの時代でも地道にキャリアを積み上げてきた者は、どうにか生き残ってしまうものだということを、彼を見てると思ってしまう。甘口の心情吐露ばかりのラブソングより、豪快なブルー・アイド・ソウルの方が幅広い支持を得るのは、ポッと出の新人とは違う所以でもある。今後もバカ売れすることはないだろうけど、秋の夜長、家族が寝静まったあと、お気に入りのお酒と音楽、そういったシチュエーションに合う音である。



Avalon Sunset
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1. Whenever God Shines His Light
 俺の先入観として、イギリスの国民的歌手Cliff Richardとは、日本で言えば加山雄三的ポジションだと勝手に思っていたのだけど、多分間違ってないと思う。何しろBeatles以前から活動している英国芸能界の重鎮たる人物である。
 そんな大物を引っ張りだしたのが、同じくアイルランドの大物とされるVan。ただCliffほどの大衆性はなく、エンタメ的には圧倒的にCliffが勝っており、一見接点はなさそうだけど、互いにそれなりに敬意は表していたんじゃないかと思われる。
 ボトムの低い音を中心に構成されていた前作までと打って変わって、ピアノの響きも軽やか。でもこれ、デュエット向けのナンバーじゃないよね。いい曲ではあるけれど。

2. Contacting My Angel
 アイルランド民謡テイストの入った、重厚ながら軽やかさも併せ持ったバラード。やっぱりこういうのって、若気の至りで眉間に皺を寄せてシリアスに歌っても、どこか薄っぺらさ・無理してる感が鼻についてしまう。ある程度の経験と年期を経て、小細工なしのストレートな表現となると、こういった楽曲が自然と歌えるようになるのだ。
 そう、バックのサウンド自体は重いのだけど、Vanのヴォーカルがイイ感じで軽やかに響いている。

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3. I'd Love to Write Another Song
 ここでGeorgie Fameによるハモンドが登場。彼が入るだけで一気にグルーヴ感が増すのは、持って生まれたもの。本格的なデルタ・ブルースは泥臭さを抑えてモダンな風味を醸し出している。現代にも通用するよう、サウンドはきちんとアップデートされている。

4. Have I Told You Lately
 カクテル・ピアノをそっと覆いつくす幽玄なストリングス。直球のバラードはどこまでも誠実で、メロディも正攻法、堂々とした「泣き」を演出している。後にRod Stewartにカバーされ、US32位にチャートインするほどのヒットになり、そこからこのアルバム再評価のきっかけにもなった。
 しかしRod、ほんとカバー曲のセンスが良い。正直、自作曲はそんなに好きじゃないのだけど、こういった地味だけど良質の楽曲を探し出し、きちんと自分の歌として消化できてしまうのは、稀有な才能の賜物である。オリジナルを損なわず、オマージュとオリジナリティの絶妙なバランスが絶品。あ、もちろんVanもいいんだけど。



5. Coney Island
 「ジェット・ストリーム」的バックグラウンドに乗せて、終始ポエトリー・リーディングを演じるVan。メロディが浮かばなかったのか、または言葉の力が強すぎて、中途半端なメロディを載せることを拒んだのか。
 ブリッジ的な小品なので、そこまで深読みする意味はない。

6. I'm Tired Joey Boy
 メロディというより節回し。抑揚はあんまりない。Dylanのカバーみたいな曲。ストリングスはムード満載なので、ヴォーカルもうちょっと気張ってもよかったんじゃね?と余計なおせっかいを焼きたくなってしまう。

7. When Will I Ever Learn to Live in God
 俺的には、このアルバムの中でのベスト・トラック。こういった抑えめのロッカバラードを歌わせたら、なかなか右に出る者はいないんじゃないかと思われる。
 ソウル・シンガーとタメを張るため、必要以上に暑苦しかった70年代、スピリチュアルなサウンドゆえ、迷いと甘さが混在していた80年代。猪突猛進と右往左往を繰り返した末、行き着いたのがここ。甘さもエモーションも、そして迷いさえも取り込んで表現できてしまう、90年代Vanのキャリアのスタートを飾る上で重要な位置にある楽曲。



8. Orangefield
 前曲からの流れはそのままに、さらに拳を強く握りしめたマイナー調のロッカバラード。時に臭いと思われていたストリングスも、これでもかというほどベタに使い、しかもそれが結果的にマッチングしている。
 鈴木雅之にカバーしてもらったら、結構ハマると思うのだけど、最近あの人、歌謡曲カバーばっかだしな。俺が勝手に妄想していたナイアガラ・ナンバーでまとめたカバー・アルバムも出そうにないし。

9. Daring Night
 通常モードのVanながら、ちょっぴりアメリカン・ロックのテイストも混入したロッカバラード。ストリングスがあまり入らない分、テンポアップしているのが特徴。これでハイ・テンポの方である。この人にとっては。

10. These Are the Days
 しかしB面は名曲ぞろいだな、このアルバム。久しぶりに通して聴いてみて初めて知った。正直、ちゃんときいたのはもう20年くらい前だったし。
 ドラムが大きくミックスされているのだけど、テンポはそのまんま、Vanも相変わらずの唯我独尊振り。



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となりのお姉さん、最後の便り - Laura Nyro 『Angel in the Dark』

folder 2001年にリリースされた最後のオリジナル・アルバム。卵巣ガンを患った彼女が亡くなったのが1997年なので、いわゆるやっつけ仕事的な便乗商法ではない。時間を掛けてゆっくりと、仕上がり具合を吟味しながら丁寧に作られたアルバムである。
 大滝詠一の時にも書いたけど、ジミヘンや尾崎豊の時のように、「話題が盛り上がってるうちにある物全部出してしまえ」という方針で乱発リリースしてしまうと、結局はアーティストのブランド・イメージを大きく損なうことになり、長い目で見れば時代の徒花として消費され尽くされてしまう。そこには商売人としての彗眼はあるけれど、作品への愛情はない。残された作品を丁寧に扱うことで商品価値も上がり、永続的なファンの獲得に繋がってゆく。
 結局、亡くなった本人ではどうしようもないので、残されたスタッフや遺族次第ということになる。これまで応援してくれたファンの気持ちを考えれば、墓場荒らし的に闇雲なリリース・スケジュールは逆に首を絞めてしまうだけだ。

 そう考えると、David Bowieのようにきちんと余命から逆算したリリース・スケジュールを立てることが、最も賢く手堅いやり方なんじゃないかと思う。きっと彼の場合だと、今後数年先まで綿密に計画されているだろうし、サプライズ的に発掘音源映像が見つかったとしても、それはあらかじめ計画されていたかのように、滞りなく遂行されるだろう。
 対して突然死、例えばKurt Cobainのようなアクシデント的急逝だと周囲も混乱し、どさくさ紛れのリリース・ラッシュが横行する。Nirvanaの元メンバーもそうだけど、やっぱ一番めんどくさそうなのがCourtney Love。何かあれば口出しして揚げ足取ったり、計画が進まなさそうな印象が強い。あくまで印象だけどね。

 で、Lauraの場合だと前者に当てはまる。本人がはっきり死期を意識したのはいろいろな説があるけど、前作『抱擁』リリース時には何となく意識はしていたらしい。気づいた頃には病状はかなり進行していたため、手術によるガン摘出もままならない状態。タイム・リミットを意識した時点でLaura、最後に3枚のアルバムを制作することを決意する。
 まずは全曲書き下ろしのオリジナル・アルバム、そして、これまで自分が影響されてきたアーティストのお気に入り曲のカバー・ヴァージョンをまとめたアルバム、もうひとつが、これまでの総決算的なライブ・アルバム。
 人生の終焉を意識したことで日増しに強くなった創作意欲も相まって、すべてのプロジェクトが並行して行なわれた。何しろ時間がないのだ。いつ気力と体力が潰えるか分からぬギリギリの状況で、Lauraは次々に曲を書き、そして最後のツアーに出た。しかし、自身の予想以上に病状は悪化の一途を辿り、進行中だったレコーディングは中断、療養生活に入ることになる。
 -わかってはいたはずだ。2度と現場に復帰することはなかった。

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 そのうちの2つのプロジェクト、スタジオ・レコーディングのマテリアルがここでは併せて収録されている。全16曲中、オリジナルとカバーとが半々ずつ、ピアノソロ・スタイルのオリジナルと、バンド編成で録音されたカバーとが交互に収録されている。もともとは別々のコンセプトで制作されていたアルバムがひとつにまとめられているのだけど、こういった形がLauraの意図によるものなのか、それはわからない。
 もしかして、生前に何かしら遺言めいたものを残していたのかもしれない。死者の沈黙はできるだけ好意的に受け取るしかない。その辺はスタッフや遺族の良心に委ねるしかない。多分、この形が最もベターな選択なのだろう。

 Lauraのアルバムで有名なのが初期のCBS3部作で、ディスク・ガイドやアマゾン・レビューでも、この時代の作品が紹介されることが多く、思い入れが深い人も多い。村上春樹の小説『ノルウェイの森』の中にLauraの”Wedding Bell Blues”について触れる一節があるように、60年代末の彼女は何かしら特別なオーラを放っていた。
 「女」という性を剥き出しのまま叩きつけるヴォーカル・スタイルは、時代とは逆行する様にソウルフルで、レアな感情を未加工のまま投げ出している。
 確かに良い。良いとは思う。でも、何度も続けて聴きたくなるかといえば、いつも最後まで聴き通すことができない俺。
 誤解を恐れずに言ってしまうと、「一本調子で退屈してしまう」というのが、アメリカの女性シンガー・ソングライターに対する俺の偏見である。なので、Rickie Lee JonesもCarley Simon もまともに聴いたことがない。ヒット曲単体でなら楽しめるのだけど、アルバム通してだとすぐに退屈してしまうのが、お決まりのパターンである。
 彼女たちが悪いのではない。これは単に好みの問題だ。その中でもJoni Mitchellは比較的聴くことができるのだけど、シンガー・ソングライター成分が強い初期、『Blue』以前はフォークの香りが強すぎて、今でもちゃんと聴けずにいる。ジャズ/フュージョン期に移行した後なら、どれも普通に聴いているのだけど。
 思うところがあって最近Carole Kingを聴こうと思い、『Tapestry』にトライしてみたのだけど、やっぱりイマイチだった。70年代女性の方シンガー・ソングライターのアルバムとしては最もポピュラーで間口も広いはずなのだけど、やっぱりダメだった。自分でも何でだろうと思っている。

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 俺が日常的に聴いている数少ない女性シンガー・ソングライターの1人であるLauraだけど、ハマったのがここ半年くらいのことで、しかもまだ『抱擁』とこれくらいしかちゃんと聴いていない。すべてのアルバムを片っぱしから聴いていくタイプのアーティストではないのだ。むしろそういった聴き方が許されないムードがある。1枚のアルバムを大切にじっくりと、それでいて真剣に対峙するのではなく、もっとカジュアルに聴くことができるシンガー、それが俺にとってのLauraである。BGMより早くもうちょっと引っかかりのある、それでいて観葉植物や洗練された家具のような、ごく普通の生活にスッと馴染んでくる音楽。
 最初はサウンドのせいだと思っていた。俺の聴く2枚は90年代の録音なので、音質は当然過去のアルバムより良い。特に『抱擁』はGary Katzプロデュースなので、これ以上はないというくらいLauraとの親和性は高いサウンドを創り出している。
 試しに、音質的にはほぼ同じ条件に近いリマスター音源の初期アルバム、最新のベスト・アルバムも聴いてみた。いいことはわかってる。でも、やっぱりどうも馴染めない。Carole Kingと同じ現象の再来だ。
 これは音楽の優劣の問題ではない。クオリティは当然として、音楽へ向けるパッションだって、強いものを感じ取ることはできる。でも、最終的にその音楽を気にいるということは、それを創り出したアーティストの世界観に入り込めるかどうか、というのが一番大きいファクターになる。その入り口の手前なのに、俺はどうにもその一歩を踏み出せずにいるのだ。そこでは最上のクオリティもパッションも用意されていることはわかっているのに。
 なぜだ?

 俺が初期ではなく、後期Lauraに惹かれる理由がなんなのか、自分なりに気づいたのが、楽曲に対するヴォーカライズの解釈の違い。
 初期のアルバムも曲はいいのだ。うまいよなぁ、と感心してしまう。特に5th DimensionやThree Dog Nightらがカバーした一連のヒット曲など、きちんとアーティスト・エゴも満たしつつ、不特定多数にアピールできる楽曲ばかりである。Laura自身は特別大きなヒットを出したわけではないけど、彼女の曲をカバーした人はいくらでもいる。どちらかといえば玄人受け、プロが歌ってみたくなる曲が多いのだ。
 で、Lauraが自演したテイクを聴くと、自作曲であるにもかかわらず、ヴォーカルの粗さが目立ってしまう。もともと美声やテクニカルな歌唱力がセールス・ポイントではないLaura 、特に初期のヴォーカルは時代性もあって、パッションを未加工のまま投げ出した印象が強い。
 テクニックを副次的な要素としたヴォーカライズは、時に聴く者の琴線にダイレクトに響くけど、その届く先は限られてしまう。曲調によっては細やかな感情の機微を伝えるため、緩急をつけた方がよい場合もあるのに。この頃のLauraのスタイルは、ほとんどがパワフルな自然体だ。

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 自然体とはよく言うけれど、自己の成長と共に感受性も変化してゆき、年齢に応じて創作の傾向も変化してゆくのもまた、自然の摂理である。かつて若気の至りで作った歌を、その当時のテンションのままで歌えるだろうか。同じように歌うこと自体は難しいことではない。懐メロに徹するのならそれもいいだろう。しかし歳を経るにつれて、解釈の仕方は変わってくる。
 作った当時は見えてなかったこと、無意識のうちに書き連ねていた一節にどんな意味が込められていたのか、後になってわかってくる場合だってある。あの時はただがむしゃらに、感情の赴くままに歌っていただけだったけど、今ならもっと違った見せ方ができる。力まかせにねじ伏せるのではなく、その歌に込められた意味をきちんと伝えるには、もっと違った表現の仕方はあるのでは?
 当然、作風は変化してゆく。真摯なアーティストなら当然の帰結だ。キャリアを重ねることで自然と技術的スキルは上がっていったけど、彼女の場合、それに加えて結婚と出産を経験した。そんな事情もあって活動ペースは緩やかになり、音楽への対峙の仕方、受け止め方に変化が現れた。

 そして晩年。もはや声高に何かを伝えたいわけじゃない。強い口調で言うべきことは、若かりし頃に言ってしまった。
 これまでに作った歌は、かつてのように吐き出すのではなく、もっと楽曲に寄り添って、素材の良さを引き出す姿勢で。
 これから作る歌は無理に絞り出すのではなく、自然にこぼれ出たもの。それらを丁寧に拾い上げ、最上のミュージシャンによる最上のサウンドで。湧き出てきたメロディを歌詞を、素直に歌っていこう。

 『抱擁』もそうだったけど、ここでのLauraも強い口調ではない。作品のイメージを虚飾なく伝えるよう、すごくフラットに歌っている。バンド・スタイルの時なんて、ほんと楽しそうに歌っている。
 音程的に、感情的に優れているというのではなく、サウンドとの親和性がものすごいのだ。


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1. Angel In The Dark
 1995年8月のバンド・セットからスタート。
 ちなみにメンバーは、
 John Tropea (g)
 Freddie Washington (b)
 Bernard Purdie (d)
 Michael Brecker (tenor sax)
 Randy Brecker (trumpet)
 Bashiri Johnson (per)
 といった面々。俺が連想したのがSteely Dan。まぁ似てなくもない。録音スタジオがあのパワー・ステーションだったとは、いま初めて知った。
 豪華メンツをこれ見よがしにフィーチャーするのではなく、堅実でスクエアなバッキングで抑制させるのはDanと同じ手法。特にBrecker兄弟のフレーズなんて『Aja』のデジャ・ヴ。
 サウンドと共にLauraの歌声も抑制されながら、これが最も曲の良さを引き出したスタイルだと思う。



2. Triple Godess Twilight
 こちらは4月に行なわれたソロ・セット。1.同様、コーラスも自身で多重録音している。重く陰鬱としたテーマを緊張感あふれるピアノで表現しているのだけど、不思議と重い感じは少ない。多分、初期のLauraならもっとパワフルに表現したのだろうけど、ここではもっと優しく諭すように、かみ砕くような口調で歌っている。歌詞の中身を理解してもらいたいがゆえ、晩年はこういったスタイルを選ぶようになったのだろう。

3. Will You Still Love Me Tomorrow
 オリジナルはCarole Kingが提供した女性コーラス・グループShirellesの1960年のヒット。その後も様々なアーティストによってカバーされており、実は俺が最初に知ったのはAmy Winehouseのヴァージョン。Carole本人も『Tapestry』でセルフ・カバーしており、つい最近俺もそれを聴いてたはずなのだけど、ゴメン、聴き流してた。
 俺的にはアバズレなAmyヴァージョンが基準となってしまうのだけど、1.よりさらにシンプルなバッキングはメロディ本体の良さを引き立たせている。自身が影響を受けた歌として、その魅力を引き出すため、敢えてアコースティックに、それでいてややパーカッシブなプレイを求めたのだろう。
 今度は少しメンツを変えて、
  Jeff Pevar (g)
  Will Lee (b)
  Chris Parker (d)
  Carole Steele (Per)
 といった面々。ホーンレスのこじんまりしたセット、ここでのWill Leeのオーソドックスなプレイは名演。
 
4. He Was Too Good To Me
  Richard RodgersとLorenz Hartというコンビは、あの”My Funny Valentine”を作った著名コンポーザーであり、これは1930年初演のミュージカル『Simple Simon』というミュージカルのために制作されたものの、開演直前にボツになってしまったといういわくつきの曲。だからといって駄作なわけではなく、古今東西カバーしてるアーティストは多い。Carly SimonやNina Simoneも歌ってたらしいけど、俺は知らなかった。
 ここでのLauraは混じりっ気なしのピアノ・ソロ。ヴォーカルも初期の発生の強さを彷彿とさせている。ルーツ的な楽曲なので良し悪しをいうものではないけど、俺的にはCarlyのヴァージョンが案外気に入った。

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5. Sweet Dream Fade
 1.と同じメンバーによるセッション。4.のような超有名なスタンダード・ナンバーの後に来ても遜色なく古びないクオリティ。中盤からテンポ・アップしてポップ性が強くなるのだけど、媚びた感じもなく普通に楽し気に歌うLaura。やっぱすごいわBrecker兄弟。Bernard Purdieのフィル・インも適格。

6. Serious Playground
 ピアノのアタック音が強くなる、初期を思わせるバラード・ナンバー。この時期の楽曲は、ある意味これまでのキャリアの総括的な意味合いも含んでいるので、こういった曲が並ぶのも流れとしては間違っていない。それでも解釈の違いか見せ方の違いか、ガツガツした印象が少ないおかげもあって聴きやすい。終盤のフェード・アウトするファルセットはちょっと苦手だけど。

7. Be Aware
 2.のバンド・セットによる、Burt Bacharachのカバー。ジャジー・テイストも交えた彼の作風はLauraとのシンクロ率は高く、テクニックを要する楽曲を自分のものとしている。言い方は悪いけど、ある意味お抱えシンガーであるDionne Warwickだと、うまいけど引っ掛かりがないんだよな。

8. Let It Be Me
 オリジナルは古いシャンソンだけど、実際にヒットしたのは1960年のEverly Brothers。楽曲提供で付き合いのあった5th Dimensionもカバーしており、その流れもあってここで取り上げられたかと思われる。エモーショナルなピアノ・バラード。

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9. Gardenia Talk
 ボサノヴァのリズムを基調とした、穏やかな午後のお茶の時間にピッタリくるミディアム・スロー。普通ならマッタリしそうな曲調のはずなのだけど、なにしろリズムがPurdie、関係なくグルーヴしたアタックを聴かせている。

10. Ooh Baby, Baby
 言わずと知れたSmokey Robinson & Miracles、1964年のヒット。前曲に引き続き、バンド・セットでのレコーディング。ソウル・レジェンドの一人であるSmokeyであるからして、昔からカバーされることが多く、後で彼がオリジナルだった、と気づくケースが多い俺。この曲も最初に聴いたのはZappのヴァージョンなので、そっちの印象が強い。Smokeyの楽曲全般に言えることだけど、俺的にはオリジナルよりカバーされたヴァージョンの方が、楽曲の良さが鮮明に浮かび上がる印象。いやもちろんオリジネイターが一番なんだろうけど、特にSmokeyの場合、60年代モータウン・サウンドでレコーディングされちゃうと、どの曲も一緒くたに聴こえてしまう。
 ここでは力強くソウルフルなLauraの一面が披露されている。体力的にもきつかっただろうに。



11. Embraceable You
 George Gershwin作によるBilly Holidayのスタンダード・ナンバー。ある年齢以上の女性シンガー・ソングライターにとって、Billyというのはひとつの「越えなければならない」、そしてまた「決して超えることのないだろう」壁であって、真っ向から対峙しづらい相手である。それは単に音楽だけの問題ではなく、生き様なんかも含めているわけで。
 その「Lady Day」と真剣に向き合えるようになったのが、やっと晩年を意識してから。ここでのLauraはひどくストレートで、そして渾身の力を込めてピアノに歌に集中している。おそろしくパワーを使ったのだろう。

12. La La Means I Love You
 言わずと知れたDelfonics1968年のヒット。フィリー・ソウルといえばもうこの曲、というくらい定着してしまった。俺が最初に知ったのはTodd Rundgrenで、次にPrince。カテゴリー的にはかなり遠い2人だけど、少年期に影響を受けたものはあまり変わらない、という事実。Toddとも親交の深いLauraだからこそ、この選曲は納得。彼も10.をカバーしてるしね。

13. Walk On By
 またまたDionne Warwick、ていうかBurt Bacharachのカバー。オリジナルがファニーで上品なポップスだったのに対し、ここでは少しソウルフルなピアノ・バラード。これはオリジナルもいいなぁ。



14. Animal Grace
 自然・環境問題を題材としたピアノ・バラード。最後までエコロジーな視点を忘れなかったという点では一貫してるけど、思想的には受け取り方は人それぞれ。音楽は音楽として、俺的にはあまり興味ない。きれいなバラードだけどね。

15. Don't Hurt Child
 本編ラストは未来ある子供たちへ向けた、大きな母性愛を感じさせる、スケール感の大きいナンバー。声高に拳を振り上げるのではなく、まずは良い楽曲を歌うこと、メッセージは副次的なものであり、楽曲としての整合性をまずは大事にしている。たった3分なのがちょっと惜しい。

16. Coda
 シークレット・トラックとして収録。15.が終わって4分強の無音トラックの後、唐突に始まる1.の別テイク。実質1分半程度なので、もうちょっと聴いていたい。




 ある意味、ほとんどすべての男が抱く女性の理想像、「となり家の年上のお姉さん」像の条件を完璧に満たしているのが、このLaura Nyroという女性ではないのか、と勝手に思う。
 微妙に程よい距離感、取っつきづらそうでいて、話してみたら案外気さく、時々勉強も教えてくれたりして、あんなコトやこんなコトの手ほどきなど、あらゆる妄想を掻き立てられるような。
 そんなくっだらねぇことを想う、46歳の春。


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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。ほぼ週1のペースで音楽ブログ更新中。節操ない聴き方と思われてるけど、自分の中では一貫してるつもり。 最近は蔵書の整理がてら、古い本を再読中。ジョン・アーヴィングから始まって、フィッツジェラルドやゾラ、モームなど、いわゆる古典の復習中。いつになったら終わることやら。新刊読めねぇや。
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