好きなアルバムを自分勝手にダラダラ語る、そんなユルいコンセプトのブログです。

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後期のローラ・ニーロもちゃんと聴いてみよう - Laura Nyro 『Live at the Bottom Line』

folder 1989年リリース、ローラにとって通算2枚目となるライブ・アルバム。1997年に亡くなってから以降、70年代のフィルモアから最晩年のツアーまで、続々発掘モノがリリースされたけど、現役活動時にリリースされたのは、1977年の『Seasons of Lights』とこれだけ。ピアノを中心とした音作りのため、上辺の激しさや躍動感とは対極のものだけど、パッションを内に秘めたグルーヴマスターの面影は充分窺えるものとなっている。
 1984年『Mother's Spiritual』リリース以降、ローラはすべての音楽活動から身を引いている。晩年まで共同生活を行なったMaria Desiderio、そして最愛の息子Gil とのプライベートを優先したがゆえの選択だった。加えてこの時期、彼女の関心は音楽よりむしろ、動物愛護運動に強く向いていた。
 この沈黙の時期、スタジオに入ることはほとんどなかったけれど、創作活動まで中断していたわけではない。無理に構えなくても、自然と言葉は湧き出、メロディは奏でられる。それが生まれついての音楽家ローラ・ニーロの性と言うべきものだった。
 休養も4年が経過し、「時が来た」のだろう。ローラは再び、最前線に復帰する意思を固める。気心の知れたバンド・メンバーを集め、小規模会場を中心としたライブ・ツアーを行なった。
 このツアーのセットリストには、古い曲やカバーばかりではなく、未発表の新曲も多く含まれていた。まだリリース契約にこぎ着けていないド新人ならまだしも、彼女のようなメジャー・アーティストとしては異例のことだった。

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 当初の構想としては、レコーディング前のリハビリ、楽曲の練り直しのため行なわれたツアーだった。だったのだけれど、ライブ・パフォーマンスの完成度が高まるにつれ、むしろスタジオ録音で鮮度が落ちることを危惧するようになる。
 「ライブで十分完成度高まっちゃったから、いっそこの勢いでライブ録音した方がいいんじゃね?」
 そんな風に誰が言ったか不明だけど、特にクオリティが高かったニューヨークの伝説的なライブ・ハウス「ボトム・ライン」での公演を、ライブ・アルバムとしてリリースしたい旨を、ローラは所属レーベル:コロンビアに打診する。
 一方、コロンビアが望んでいたのは、スタジオ録音のオリジナル・アルバムだった。おおよそ20世紀まで、ライブ・ツアーとはニュー・アルバムのプロモーションとして企画されることが多かった。その一連の流れの総決算として、いわばコレクターズ・アイテム的な意味合いでリリースされるのがライブ・アルバムという位置づけだった。
 カバーされた曲でヒットしたものはいくつかあれど、自身では大きなヒット曲やアルバムを持っていなかったローラに、コロンビアの決定を覆すほどの発言権はなかった。なのでこのアルバム、彼女の生前のアルバムとしては唯一、A&M系列のサイプレスからリリースされている。コロンビアから離れたわけではなく、このアルバムをリリースするためだけに取られた限定的な措置だった。
 コロンビアとのリリース契約はまだ残っていた。契約を履行するためには、スタジオ録音のアルバムを作らなければならない。さて、どうすれば。
 単純に考えれば、ライブ・メンバーとスタジオ・セッションすれば、そんなに手間もかからなくて済むんじゃね?と思ってしまいがちだけど、きっとローラの中では、そういうことではなかったのだろう。
 あの時、奏でられた音は、あの瞬間で閉じてしまったのだ。
 また何度もパフォーマンスを重ねることによって、新たな切り口が生まれてくるかもしれない。
 機が熟すのはいつなのか。それはローラ自身にもわからない―。

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 80年代から90年代にかけてのローラは、音楽アーティストよりはむしろ、社会情勢に警笛を鳴らす活動家として、クローズアップされることが多かった。まぁ新作が出ていないので、音楽的な話題が少なかったせいもある。
 その活動範囲は多岐に渡り、代表的なところでは動物愛護、はたまたフェミニストからベジタリアン、その他もろもろ。基本、生真面目な人だから、筋が通っていたら何でも引き受けちゃってたんだろうな、きっと。
 名もなき表現者が声を上げることで、そのメッセージが多くの支持者の賛同を集め、ゆっくりと草の根的に広がっていったのが70年代だったとすれば、そんなプロットがもっとシステマティックになっていったのが、80年代中盤だった。稚拙で素朴なメッセージながら、真っ先に拳を振り上げた者がカリスマとなり、大きな運動へ発展してゆくのは同じだけど、スピード感とスケールがけた違いになったのが後者と言える。
 誤解を恐れず言っちゃえば、「哀愁のマンディ」の一発屋だったボブ・ゲルドフが、エチオピアの難民救済を訴えたドキュメンタリーをTVで観たことから始まったのが、1984年のバンド・エイド・プロジェクトだった。そのささやかな思いつきはその後、全世界を巻き込んだ一大プロジェクト「ライブ・エイド」に発展し、それは膨大な収益を上げた。上げたのだけれど、実際にエチオピア難民に届けられた救援物資はほんのわずかだった、というオチがあるのだけれど、それはまた別の話。
 多くのスタッフが絡むことによって、一方では効率化が捗るけど、追随して事務作業やらの煩雑さも増えてきちゃうわけで。単純な熱意や想いだけでは、システムはうまく回らない。一介のアーティストやボランティアの手弁当だけでは、限界があるのだ。
 「だったらいっそ、プロジェクトに応じた財団なり法人を立ち上げて、付帯作業をアウトソーシングしちゃった方が捗るんじゃね?」と誰かが気づき、様々なNPOやらNGOやらが立ち上がる。ただそうなったらなったで、今度は利権の温床やら派閥抗争からの内部分裂やら新たな問題が生まれてきちゃったりして、もう本来の目的がどこへやら。

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 パートナーMariaの影響もあってか、当時のローラは動物保護運動に積極的に関与していた。この時のツアーも支援団体「アニマル・ライツ」に捧げられており、啓蒙活動に一役買っている。ローラが直接的に団体運営に携わっていたとは考えづらいけど、ある程度、世間の認知もあるメジャー・アーティストとして、一種の広告塔的役割を果たしたことは間違いない。
 89年あたりだと、ベルリンの壁が崩壊したり天安門事件があったりパナマ侵攻があったりで、誰もが時代の変遷を同時進行で体感していた頃だった。メッセージ性を強く持ったアーティスト、代表的なところではU2なりスプリングスティーン、またはスティングやR.E.M.らが、様々なメディアを通じて直接的にコメントを発し、真摯な主張を作品に反映させていた。
 原則的には中立と謳いながら、極端にタカ派が多かったメディアは、彼らのスタンスを好意的に捉えていた。ロックやフォークといったジャンルが、まだギリギリ反体制の香りを漂わせていたこともあって、いわば共存共栄の関係性が築かれていた。
 グローバルな大企業となっていたメジャー・レーベルとしては、あまり過激な言動を好みはしなかったが、極端に過激に走ることがなければ、おおよそは容認した。だって、反体制って商売になるから。
 政治的・社会的スタンスを明言することによって、アーティストのカリスマ性は増し、それがセールスに反映される。経営陣にとって、その主張の是非は問題ではない。そこで確立されたイメージがセールスと結びつくかどうか。そっちが重要なのだ。

 で、リリース時から30年経過して、いきさつ抜き・色メガネなしで聴いてみると、どの楽曲もいつものローラである。ライブということでテンションがちょっぴり高めではあるけれど、静かなパッションを秘めた楽曲はしっかり練られたものだし、意図を理解したバッキングも適切に配置されている。主義主張が反映されてはいるけれど、どれも押しつけがましいところはなく、エバーグリーンなポップスとして仕上げられている。
 なので、コンセプチュアルな色彩が残る『Mother’s Spiritual』の続きではなく、パーソナルでありながら開かれた作風の『Walk the Dog and Light the Light』の序章として捉えた方がわかりやすいという結論。


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Laura Nyro
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1. The Confession / High-Heeled Sneakers
 オープニングは2枚目のアルバム『Eli and the Thirteenth Confession』より。オリジナルは神経質なアルペジオを基調としたグルーヴィーなフォークといった印象。21歳のローラの声も、ややストレスがかかっているのだけれど、ここでは四十路を迎えたことでヴォーカルもソフトに、歌とアンサンブルを心地よく聴かせる余裕に満ち溢れている。
 メドレー・スタイルでつながれているのは、1964年、US11位のヒットとなったブルース・シンガーTommy Tuckerの曲。リスペクトなのか、もともとインスパイアされたものなのかは不明だけど、まぁそんなのどっちだっていいか。ゆったりしたブギのリズムは、細かい考察をかき消してしまう。

2. Roll of the Ocean
 ここからはしばらく未発表曲、いわば新曲が続く。タイトルからしてエコロジーっぽさが漂っており、実際、歌詞を読んでみたらそんな感じだった。モノローグやインダストリアルなリズム・パートがランダムに挿入されている、ちょっと複雑な構成。
 しなやかながら芯の通ったヴォーカルは聴いてて心地よいけど、でもこれって、英語ネイティヴのアメリカのライブなので、オーディエンスはどう思ってたんだろうか。多くのファンは1.のようなスタイルを期待していたはずだけど、あと一歩でスピリチュアルに行っちゃうようなアプローチは求めてなかったはずだし。手放しで歓迎されていたとは、ちょっと微妙。

3. Companion
 なので、フィリー・ソウルからインスパイアされたピアノ・バラードが入ってくるとホッとしてしまう。余計なものはなく、足りないものもない。シンプルでいながら、彼女のいいところがすべて詰まっている秀作。



4. The Wild World
 ギアを上げたロッカバラード調のアップテンポ・ナンバー。こういった楽曲も初期のローラなら、ねじ伏せるような強い口調で歌いあげていたはずなのだけど、ここではバック・メンバーに恵まれたせいもあって、ほどよいグルーヴに身を任せている。肩の力を抜くというのはこういうことで、気が抜けたパフォーマンスにはなっていない。

5. My Innocence/Sophia 
 オリジナルは6枚目の『Nested』と7枚目の『Mother's Spiritual』より。どちらも似たようなシャッフル・リズムの曲だけど、はっきりどこから境目というのがなく、二つを一緒くたにしてモザイク状に入り混じった、といった印象。基本のビートは前者だけど、正直、どっちがどれだけ混じってるのかは判断しづらい。
 そんな分析は抜きにして、グルーヴィーなリズムはオーディエンスの腰をいやでも上げさせる。

6. To a Child
 晩年のローラのマイルストーンとも言うべき、次世代の幼子らへのメッセージを込めたナンバー。初出は『Mother's Spiritual』で、9年後の次作『Walk the Dog and Light the Light』でも再度取り上げている。前者はフュージョン・ポップ、後者は静謐なピアノ・バラードとそれぞれ違うアプローチで挑んでいるのだけど、ここではシンプルなリズム・パート以外は後者に近いスタイルとなっている。
 我が子への慈愛を描いたテーマは、その後、自身の体調悪化も相まって、見ることが叶わぬ我が子の未来を案じる見方に変化した。そして、それは最後のライブまで歌い継がれることとなる。 

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7. And When I Die
 タイトルはショッキングだけど、歌詞を読んでみると、実は禅思想に基づいた輪廻転生を描いた歌。「私が死んでも世界は続いてゆく」という刹那的なメッセージもそこかしこに見受けられるけど、基本は前向きな歌だと思う。
 オリジナルはデビュー・アルバム『More Than a New Discovery』。テンションの上がらないマーチ調のブラス・セクションが出しゃばった印象が強いのだけど、ここでのサラッと歌い流すピアノ・バラードの方が、この曲の本質をうまく浮き立たせている。
 俺にとって初期のアルバムは、まだハードルが高そうである。

8. Park Song
 ここから再び新曲が続く。『Mother's Spiritual』の路線を踏襲したような、穏やかでありながらパッションを併せ持ったピアノ・バラード。後半にコーラス・パートが挿入されてノリのいいフィリー・ソウルになるところに、ライブを楽しんでる感が出ている。

9. Broken Rainbow
 もともとは『Mother's Spiritual』リリース後間もない1985年、ネイティブ・アメリカンを描いたTVドキュメンタリーのテーマ曲を依頼されて書かれた曲。オスカーにノミネートされた秀作だけど、残念ながら初期ヴァージョンは未聴。その後、『Walk the Dog and Light the Light』でリメイクされている。
 ピアノが大きくミックスされた荘厳なムードのスタジオ・ヴァージョンに比べ、ライブの統一感を重視したバランスで配置されているため、こっちの方が聴きやすいしメッセージも届きやすいかもしれない。俺的にはライブ・ヴァージョンかな。



10. Women of the One World
 タイトルから察せられるように、フェミニズムを主軸としたテーマには違いないのだけど、彼女が本当に訴えたいのは、女性を尊重したその先にある世界平和や戦争反対であることがあらわれている。長いと説教臭くスピリチュアルになっちゃうけど、2分弱の幕間的ナンバーなので、サラッと流している。

11. Emmie
 これまで静かだったオーディエンスの歓声が聞こえる、初期の代表曲。オリジナルは『Eli and the Thirteenth Confession』。
 「あなたは私の友/そして私が愛した人」。Emmieとはかけがえのない親友を指すのか、それとも友情を超えた親愛を持つパートナーだったのか、というのは、かなり昔から意見が分かれているらしい。最期まで公言することはなかったけど、ローラが古くからのレズビアンであったことは有名な話で、真偽はともかく、どの曲においても様々な解釈がされている。この曲は特にレズビアン・アンセムとしてローラのファンの間でも意見が百出しており、純粋な楽曲としての評価がされづらかった。
 なので、発表から時間を置いて、肩の力を抜いたライブ・ヴァージョンで聴くと、色メガネなしでメロディとハーモニーを堪能することができる。

12. Wedding Bell Blues
 俺が知る限り、ローラの楽曲としては最大のヒット曲。あんまり詳しくは知らないけど、俺的には能天気なポップ・コーラス・グループ:フィフス・ディメンションのヴァージョンは、これはこれでフラワー・ムーヴメント真っただ中の時代感を象徴しており、悪くない仕上がり。オリジナルの方は、バーブラ・ストライサンドをモデルケースとしたよなサウンド・プロダクションで、やたら仰々しい印象。
 で、さっきも書いたけど、時代性というフィルターがはずれてフラットな視点で仕上げられたライブ・ヴァージョンが、楽曲の良さを最もうまく引き出している。発表当時はとがっていたローラも年月を経て、こんな風に素直に歌えるようになったのだろうか。

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13. The Japanese Restaurant Song
 私小説的というか、日常風景の1シーンを切り取った感じで、メッセージ性を下げて作家性を前面に押し出したナンバー。これまでよりリズム・アンサンブルが際立っており、ライブ向けの楽曲ではある。変に肩ひじ張らず、こういったエンタメ性を強めた楽曲の方が、この頃のローラとの相性は良い。そりゃピアノ1本で演じることはできる人だけど、それだけじゃ満足しきれず、バンド・アンサンブルのアプローチを追及し続けている。

14. Stoned Soul Picnic
 こちらもファンの間では人気も高く、代表曲とされているナンバー。イントロが鳴った途端の歓声が違うもの。こちらもフィフス・ディメンションで有名になった曲で、他にもカバーしたアーティストは多い。ポピュラー色の強いオリジナル・ヴァージョンは粗削りの魅力があって、これはこれでいいのだけれど、でも俺的には洗練されたアレンジのSwing Out Sisterのヴァージョンが最もお気に入り。

15. La La Means I Love You / Trees of the Ages / Up on the Roof
 ラストはカバー曲を交えたメドレー。トッドや山下達郎のカバーでもおなじみ、出るフォニックスのナンバーは、オリジナルのポップさとは真逆の落ち着いたピアノ・バラード。続いて『Mother's Spiritual』からのナンバー、そしてキャロル・キングのカバーは『Christmas and the Beads of Sweat』より。
 キャロルの曲は、オリジナルではもっと切羽詰まった余裕のないヴォーカルだったのだけれど、ここでのローラの声に刺々しさはまったくない。
 かつてのような、周りみんなが敵という状況ではない。
 気心の知れた家族と仲間。それだけあれば、もう充分だ。
 ―そうであったはずなのに。



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笑顔はこれが精いっぱいだけど、文句あるか? - Van Morrison 『Sense of Wonder』

folder 1985年リリース、15枚目のオリジナル・アルバム。チャート的にはUS61位・UK25位と、まぁそこそこのポジション。80年代前半のヴァンのチャート・アクションは、ほぼこの辺が指定席であるけれど、多くの同世代アーティストの中では健闘している方である。
 ニュー・ウェイヴ以降、MIDIを始めとする楽器テクノロジーの劇的変化に翻弄され、多くのベテラン・アーティストがこの時期、「やっちまった」感のある作品を連発し、だいたいが玉砕している。ポール・マッカートニー『Press to Pray』然り、ミック・ジャガー『Primitive Cool』然り、80年代中盤のディラン一連の作品然り。
 今でこそみな、何ごとにも動じず悟り切った雰囲気だけど、いま挙げた人たちはこの時代、多かれ少なかれ迷走期を経験している。「時代に即したサウンド・アプローチに載っからないと」と、レコード会社に尻を叩かれて、不似合いなシーケンスまみれのデジタル・サウンドやダンス・ミックスをリリース、それまでのファンから失笑されて赤っ恥かいたアーティストの多いこと。
 トップ40やニュー・ウェイヴから一歩進んで、「大御所ディランにも手を伸ばしてみようか」と思い立ち、無難に『Blonde on Blonde』や『Highway 61 Revisited』あたりを選んどきゃよかったものを、何を血迷ってか手にしたのが、当時の最新作『Knocked Out Loaded』。…バカだ俺。肩透かし感もハンパない。
 本人的にもこの時期は黒歴史と思っているのか、Bootleg Seriesでも取り上げる気はなさそうである。まぁそんなに需要もなさそうだし。

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 ヴァンの場合、時代によって多少の変遷、サウンドのニュアンスの違いはあるにはあるけど、本流からそこまで逸脱したものはない。ソウルフルなヴォーカルを軸に組み上げられたアンサンブルなので、それを脅かす形にはならない。なので、どの時代からピックアップしても、そんなに大きなハズレはない。
 ただ、安定している分だけ変化に乏しいという難点もある。ブレの少ない品質を安定供給し続ける彼の存在は、多くのアーティストにリスペクトされているのだけれど、不特定多数のユーザーに行き渡るほどの明快さがないため、ちょっと伝わりづらくて敷居も高い。
 海外ではディランと並ぶビッグ・ネームだというのに、日本での人気は相変わらず「ない」に等しい状態が続いている。「来日していない最後の大物」という言葉も今は昔、今さらアジアをターゲットにしようだなんて思っていないだろうし、わざわざ招聘しようとするイベンターだって、多分いない。
 それなりのポジションゆえ、ライブ会場も大収容の武道館クラス、もしくはプレミア感優先のビルボードあたりを用意しなくちゃならない。とはいえ、日本におけるヴァンのポジションを考えると、どちらのケースも採算・集客的にちょっと難しい。
 そんな按配なので、日本のレコード会社も今さらプッシュする気もなさそうである。営業側から見たポジションとしてのヴァンは、現役の懐メロ歌手的ポジションのため、リスクを背負って新譜キャンペーンを張っても、大したリターンは見込めない。
 なので、『Moondance』と『Astral Weeks』だけが、定期的にリイッシューされ、他の年代のアルバムはガン無視、といった状況が数十年続いている、といった具合。

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 以前のレビューでも書いたけど、世間一般的にヴァンのクリエイティヴィティのピークは、70年代前半あたりとされている。多くのディスク・ガイドやレビューでも、ピックアップされるのはこの時期に集中している。
 なので、80年代のヴァンを取り上げたレビューは、あんまり見たことがない。前述した他のベテランと比べて、流行りに惑わされず堅実な仕事ぶりが顕著なのだけど、破綻がない分だけ面白くないのかね。キャラは濃いんだけど、頑固一徹と偏屈さばかりがイメージ先行して、どうにもいじりづらいのが災いしてるのか。
 リリースされた当時、北国の中途半歩な田舎の高校生だった俺は当然、このアルバムの存在を知らずにいた。俺的にほぼ同カテゴリだったディランなら、まだそこそこの基礎知識はあったけど、当時のヴァンの情報なんて皆無に等しく、80年代の活動を知ったのは、ずっと後になってからだった。
 前述の2枚がほぼどのディスク・ガイドにも載っていたため、当時も名前くらいは知ってたけど、それ以上先へ興味が行くことはなかった。ラジオでも耳にする機会がないので、出逢いようがない。
 ましてや80年代の田舎、店頭には視聴機もなければ貸しレコにも置いてるのを見たことがない。コンスタントにリリースを続けてはいても、日本ではまともに紹介されないので、いつまで経っても「まだ見ぬ大御所」的イメージばかりが先行していた。
 そんな地味な状況にちょっとだけ風穴を開けたのが、アイルランドのトラッド・バンド:チーフタンズとのコラボ作『Irish Heartbeat』だった。これまで培ってきたジャズだニュー・エイジだブルー・アイド・ソウルだを一旦チャラにして挑んだ、ほぼ直球ストレートのアイリッシュ・トラッド作品である。要するにドメスティックな民謡なのだけど、そこで見せた無骨さがキャリアに箔をつける結果となり、英国では久々のヒットとなった。
 ここ日本でも、当時エスニック/トラディショナル関係には諸手を挙げてウェルカムだったミュージック・マガジン界隈が盛り上がった。インテリ崩れのスノッブが飛びついたことによって、コップの中の嵐はちょっとだけ波立った。まぁ広く外へ向くことはなかったけど。

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 『Sense of Wonder』の前にリリースされた『Inarticulate Speech of the Heart』は、UKでは24位とそこそこの成績だったのだけど、なぜかニュージーランドでは最高4位と、思いもよらぬところでバズっている。イギリスとは地理的に思いっきり正反対だし、共感する部分は恐ろしく少ないはずなのだけど、一体ヴァンの音楽のどこが彼らのツボにはまったのか。
 思惑と違った部分でウケたことでヘソを曲げたのか、これを機にヴァン、突如音楽業界からの引退を宣言してしまう。極端な浮き沈みを経験することもなく、クオリティを大きく損なった様子でもない。この時期、一体何があったというのか-。
 70年代末から、スピリチュアル/宗教色の濃いコンセプトのアルバムを連発していたヴァン、そのストイックな趣きは、余人を近寄せない求道者そのものだった。多くの同世代アーティストが時代に乗り遅れまいと無様な若作りに励むのを横目に、ひたすら動ぜず我が道を貫く道を選んだ。
 ただ、どれだけ行き着いても終着点はない。それくらい、自己研鑽の道のりは果てしなく、そして尽きない。
 先の見えぬ探求の袋小路に見えるのは自己批判であり、耐えられなくなった者は、他者に救いを求める。それを人は「宗教」と呼ぶ。
 そういえばディランもこの時期、ユダヤ教に改宗した、とか何とか騒がれてたよな。

 そんな袋小路を回避したのかそれとも飛び越えちゃったのか、前言撤回してリリースされたのが、この『Sense of Wonder』。表面的には、90年代以降の豪放磊落な俺様伝説の萌芽が見て取れる。
 いわゆる人生やら哲学やら宗教やら、突き詰めればキリがないプログレッシブなテーマから解放されたのかと思われる。でも、声の張りにはまだデリケートな揺らぎが窺える。
 「常に前進していなければならぬ」といった強迫観念と、「まだ極め足りない」という渇望との板挟みがそうさせたのか、ソフトAORと竹を割ったようなソウルとの微妙な混ざり具合。虚ろな確信を頼りに、次の音/次の言葉を探るその姿からは、わずかなブレが垣間見える。
 「これでいいんだ」「間違いないんだ」と信じる背中。そう絶えず言い聞かせながら、前のめりにヴァンは前へ進む。
 大英帝国的にはドン底とも言えた1985年、シーケンスやサンプリング、フェアライトに惑わされることなく、私小説的な精神世界を描き切った点は、もっと評価されても良い。変にエンタメにおもねったりせず、苦悩を苦悩のままさらけ出すその勇気は、他のアーティストより一歩も二歩も先んじている。
 この鬱屈した時期を乗り切ったことが、90年代以降の俺様伝説への自身へとつながっている。単にこじらせていたわけじゃないのだ。


Sense of Wonder
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1. Tore Down a la Rimbaud
 「伝説の詩人」というより、「ポール・ヴェルレーヌを愛欲に狂わせた早熟の美少年」という評判の方が高い、アルチュール・ランボーを歌った楽曲。もともと着想を得たのが1975年で、完成させるまで10年かかったといういわくつきの曲でもある。
  ほどよく抑制されたファンキー・サウンドをバックに、力強いヴォーカルを響かせるヴァン。テーマとは裏腹に、BL要素はまったく見られない。

2. Ancient of Days
 ギターのオブリガードが小気味よい、1.と同じテイストのほどよくソフト、ほどよく泥臭さの漂うチューン。ヴォーカルもちょっと肩の力が抜けており、90年代以降のふっ切れたサウンドに近い。このまま行っちゃえばよかったのにね。

3. Evening Meditation
 タイトルにMeditation(瞑想)なんてワードが入ってるくらいだから、ちょっとメランコリックに寄っている。ハミングともスキャットとも取れるケルト風のメロディは、ムーディでアルバム・ブレイクとしてちょうどいいんだろうけど、多分、顔はしかめっ面なんだろうな。そんな情景が伝わってくる。

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4. The Master's Eyes
 ディランの「Basement Tapes」のアウトテイクって言ったら、100人中5人くらいは信じちゃいそうな、ザ・バンドみたいなカントリー・ロック。大陸的なゆったりしたリズム、ほど良くゴージャスなホーンと女性コーラスは、ライブ映えするだろうし、これはこれでいいのだけど、85年だよ?さすがに時間軸がずれまくっている。

5. What Would I Do
 レイ・チャールズのカバー。偉大な先人にリスペクトしているのか、いつもよりちょっと丁寧に、情感を込めて歌いあげている。LPレコードではA面ラストを飾っているので、その辺も意識しているのか。この時代、ハモンドの響きは古臭く聴こえていただろうけど、一周回って30年も経つと、この音以外はハマらないよな、と思えてくる。

6. A Sense of Wonder
 B面トップを飾るタイトル・チューン。シンセがちょっと前に出たAORとホワイト・ソウルとのハイブリッド。トラック数が多く、ちょっとスピリチュアル風味も添加しているため、エコー成分もちょっと多め。当時まだ四十路に入るか入らないかだったはずだけど、もう神格化しようとしていたのか、それとも周りからはやし立てられていたのか。まぁ、こっちの路線にドップリ行かなくて正解だったんだろうけど。

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7. Boffyflow and Spike
 始めからコッテリお腹いっぱいだったため、箸休め的なインスト・チューン。軽快なギター・リフによる出だしから、とうとうヴァンもニュー・ウェイヴの煽りを受けたのか、と思ったけど、ケルティックなフィドルが入ってきて、あぁやっぱり、と思った次第。クレジットを見ると、演奏は若手ケルト・ロック・バンドMoving Heartsによるもの。6.でもバッキングを担当しており、どうりでテイストが違うと思った。こういうのって、聴くだけじゃわからない。やはり最低限の情報とインフォメーションは必要なのだ。

8. If You Only Knew
 ブルース・テイストの濃いジャズ・ピアニスト:モーズ・アリソンのカバー。ジャジーなロッカバラードというかファンキーなジャズ・ヴォーカルというか、カテゴライズなんてしゃらくさいモノを蹴散らしてしまう、カッコ良さしか伝わってこないチューン。ホット&クールの使い分け、そしてクレヴァ―なバッキング、セクシーな女性ヴォーカル。
 時代なんて関係ない。スピリチュアルもニュー・エイジも吹っ飛んでしまうキラー・チューン。



9. Let the Slave (Incorporating the Price of Experience) 
 と、舌の根も乾かぬうちに畳みかけてほしいところだけど、煌びやかなステージが暗転したようなアコースティックなバラード。カバーならはっちゃけることができるけど、いざ自作曲になると内面をさらけ出そうとしちゃうのが、この時期のこの人の難点。後半はたっぷりモノローグで埋めちゃうし。そういうのはいいんだって。

10. A New Kind of Man
 テイストが似ていることから、おそらく1.と同じセッションで録られたと思われるラスト・チューン。いろいろあったけど、終わり良ければすべて良し、といいたいところ。少なくとも、次回作への明るい展望が見られる力強いソウル・サウンド。
 と言いたかったけど、次回作はシリアスな『No Guru、No Method、No Teacher』。眉間のしわはまだしばらく取れそうにない。



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「孤独」と書いて「ひとり」と読む。いい邦題。 - Suzanne Vega 『Solitude Standing』

folder 1987年リリース、2枚目のオリジナル・アルバム。ビルボード・ホット100で最高3位を記録したシングル「Luka」効果もあって、アルバム本体もUS11位・UK2位、全世界では500万枚を超える売り上げを記録した。UKでは「Luka」よりも、DNAによるヒップホップ・カバー「Tom’s Diner」の方がウケが良く、1990年にリバイバル・ヒットしている。CMでも使われたことがあるので、今ならこっちの方が知られてるかもしれない。
 「NYダウンタウンの街角に佇む、アコギを抱えて内省的な歌を口ずさむバスキング・シンガー」というイメージの最大公約数となる存在が、スザンヌだったと言える。ちょっとひ弱そうで色白で、それでいながら凛とした眼差しは、世の中の理不尽さにも屈しない頑なさと意志の強さが表れている。
 マドンナ、プリンス、マイケル以外は、過剰に演出されたアメリカン・ロックと、チャラいブラコンで占められていた80年代USチャートの中で、「Luka」の存在は明らかに異質だった。80年代中盤は、それまで傍流だったCMJチャートの影響力が、本流ビルボードにも波及してきた頃と一致する。R.E.M.やソニック・ユースがメジャーに進出、世代交代がささやかれていた情勢も、「Luka」ヒットの後押しになったんじゃないかと思われる。

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 むしろ80年代中盤に勢いがあったのは、UK勢の方だった。カルチャー・クラブやデュラン・デュラン、ワム!がチャートを席巻した、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンはすでに沈静化していたけど、それに続いて、UKポスト・パンク以降のアーティストが紹介され始めていた。まだマスへの求心力は弱かったけど、局地的に熱烈な支持を得るアーティストもあらわれてきた。
 本国UKでもコアなファンを生み出していたキュアーやデペッシュ・モードなど、ダークな味わいのアーティストの受け皿となったのが、CMJチャートだった。キャッチーなヒット性は感じられないけど、強烈な個性とカリスマ性が、ビルボードにチャートインする音楽だけでは物足りない層にアピールした。
 日本と違って、コミュニティ・ラジオが普及していたアメリカでは、大学生らが中心となって、メジャーではない音楽を流し続けていた。発信する方も受ける側も、自ら能動的にアンテナを張らないと見つけられない、そんな商業ベースとは縁遠い音楽を、独断と偏見を持って発信していた。基本、それは今も変わらない。

 一般的なヒット・チャートとは様相が違うラインナップのCMJチャートは、UKオルタナ勢のステップアップの場として機能していた。YouTubeやtwitter同様、ここでバズれば一夜で広く名を売ることができたため、無視できないメディアだった。
 単一民族の島国であるUKや日本と違い、アメリカのマーケットは、我々が想像する以上に巨大である。今はだいぶ影響力も薄れてしまったけど、フィジカル・メディア全盛だった90年代までは、ビルボード・チャートのランクインはスターダムの絶対条件だった。
 そんなビルボードに対するサブ・カルチャー的な存在が、CMJチャートだった。メジャー・ヒットだけでは満足しない、人とちょっと違ったジャンルを聴く層は、どの時代・どの場所にも、確実に一定数は存在する。
 わかりやすく例えると、西野カナのファンに混じって灰野敬二聴いてるヤツとか。…わかりづらいよな、当てずっぽうで書いただけだし。

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 普通ならニッチな隙間産業であるはずのCMJ/カレッジ・チャートだけど、そこは世界のエンタメの中心アメリカ、裾野がだだっ広い分だけ、細かなニッチも結構な数に上る。今で言うピッチフォーク的なスタンスだったのがカレッジ・ラジオだった。
 全米の学生自治会が司るカレッジ・ラジオでは、それこそ有象無象の音楽オタクによって、メジャーでは流通していない音楽を片っぱしから発信しまくっていた。もちろん、すべての楽曲が光っていたわけじゃなく、多くは1回流されたっきりでフェードアウトしていたけど、スミスやコクトー・ツインズなど、コンテンポラリーには馴染まないジャンルを広く知らしめたのは、CMJの功績のひとつである。

 スザンヌの場合、下積み自体は長かったけど、デビューしてから「Luka」のブレイクまで、そんなに時間はかかっていない。なので、彼女がカレッジ・チャートから受けた恩恵はあまりないのだけど、だからといって、いま現在もメジャー・アーティスト然とした感じでもない。
 『Solitude Standing』のブレイクによって、メジャー・シーンに引っ張り出された印象が強いけど、スザンヌがヒット・チャートの常連にでいられた時期はほんのわずか、キャリアのほとんどは、メジャーとは言いがたい活動ぶりである。元旦那ミッチェル・フルームとのコラボが多かった90年代は、オルタナ・シーンでの評価が高かったし。
 MTVでのリコメンドがセールスを左右するようになった80年代は、多額の制作費をかけたり、セックス・アピール全開のプレイメイトがうじゃうじゃ出演するPVが乱造されていた。単に良い曲を作るだけじゃなく、ビジュアル映えするキャラクターや、当時はまだ未成熟だったCG技術をバリバリ盛り込んだ映像が、パワー・プレイ率を高めていた。
 本来はレコードの販促物だったPVが、いつの間にか主客逆転、肝心の音楽よりも映像のインパクトが重視されるようになる。そうなると、多少音楽的に難があっても、イメージや話題性だけでブレイクするアーティストも出てくるのは、自然の摂理。

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 「Luka」も「Tom’s Diner」に限らず、スザンヌのPVで凝った作りのものは少ない。ていうか、ほぼない。
 そもそも彼女のキャラクター自体、そんなにビジュアル映えするものではないため、中途半端にコーディネートすると、かえってチグハグなものになってしまう。まぁ初期の文系女子ビジュアル自体、文科系男子を取り込む戦略だった、と言われるかもしれないけど。
 A&Mはもともと、アーティストの意思をかなり尊重したレーベルである。なので、スザンヌにも過剰な演出や押しつけの戦略を当てがったりはしなかった。
 シンディ・ローパーやマドンナが二強だった女性アーティストの中で、ほぼすっぴんメイク然としたスザンヌは、異色を通り越して違和感さえ漂わせていた。シンクラヴィアとゲート・エコーで彩られたダンス・ビート主流のご時勢で、朴訥なアコギの弾き語りスタイルは、アップ・トゥ・デイトなものではなかった。なかったのだけど、でも彼女にとっては、それがベターな選択だった。
 同じ土俵に上がっても、マドンナのような小悪魔性を身につけることはできないし、シンディ・ローパーのような芸人根性は発揮できない。
 持って生まれたモノを変えることはできない。後天的な学習にも、限界があるのだ。

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 このアルバムについて書くと、どうしても「Luka」は切り離せない。飾り気のない文系女子が淡々と綴る、幼児虐待の歌が全世界でヒットすることは、前代未聞だった。
 誰もが何となく知っていながら、口にするのを憚られる。あくまで家族の問題だから。
 被害者である幼な子は、語る術もなければ、声を出すこともできない。すべては内輪の中で処理され、そして、フェード・アウトしてゆく。
 幼い肌につけられた疵は、見た目よりも根深い。成長して目立たなくなったとしても、それは多かれ少なかれ、のちにトラウマとして膿を残す。
 個々で解決するものではなく、あくまで社会問題であることを想起させるきっかけとなったのが、「Luka」だったと言える。ただプライバシーの絡みもあって、簡単に周囲が干渉できる問題ではない。本人によるカミング・アウトももちろんだけど、それを受け入れ、手を差し伸べやすくする環境とシステム作りが必要なのだ。
 スザンヌは、それを声高に訴えるわけではない。ここでは彼女、ソングライターとしてのスタンスを崩してはいない。
 スウェーデンのテレビ番組で放映された幼児虐待の特集を見て、インスパイアを受けたスザンヌ、ここでは架空のキャラクターLukaの視点を通して物語を綴る。
 その歌の中で、Lukaが拳を握りしめたり、声を上げることはない。
 それがごく普通の日常であるかのように、学校でこんな事があったあんな事も、といった調子で。

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 スザンヌにとって「Luka」は大ブレイクのきっかけとはなったけれど、この路線を続ける気は毛頭なかった。彼女にとって、それはあくまで自作曲の中のひとつであり、その後の路線を決定づけるものではなかった。
 「Luka」をステップとして、社会問題を訴えるコメンテーターや政治家へ、という道もあったのかもしれないけど、スザンヌはソングライターであり続ける道を選んだ。
 ニューヨークに踏みとどまったまま、さらなる音楽的チャレンジをスザンヌは望んだ。『Solitude Standing』で得た実績をもとに、次作『Days of Open Hand』では、ミニマル・ミュージックの大家フィリップ・グラスを迎えている。前作路線を踏襲しながらも、ポップ性を減衰させた微妙なサウンドは、「Luka」路線を期待した多くのファンを失望させた。
 売れるはずがないと思いながらも、アーティストとしての矜持を優先させる。スザンヌ本人だけじゃなく、A&Mにとっても、勇気ある決断だったと言える。


Solitude Standing
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1. Tom's Diner
 有名すぎるので楽曲自体への言及は省いて、ここでは小ネタ。
 2パックからビリー・ブラック & R.E.M.まで様々なヴァージョンがあるけど、近年、インパクトがあったのがジョルジオ・モロダーとブリトニー・スピアーズとのコラボ。すっかり最前線に復活した感のあるモロダーと、歌手以外のゴシップばかり聞こえてくるブリトニーとの相性はいい。いいのだけれど、オケだけ聴くと、トムズダイナー感はまったくない。ないのだけれど、歌に入るとトムズダイナーってわかるようになっている。
 ちなみにこの曲、世界で最初にMP3音源として製作された曲として、一部では有名である。それについては、この本で詳しく書かれている。ハード面だけじゃなく、業界内勢力バランスについても触れているので、興味のある人はぜひ読んでみて。



2. Luka
 本文で内容について触れたので、データ面について。
 シングル発売されたのが87年4月で、最初から爆発的に売れたわけではなかった。ホット100に入ったのは6月になってからで、93位で初登場。その後は59位→47位→37位と、さらに1ヶ月かけてトップ40入り。29位→22位→15位ときて、8月に入ってやっと8位。トップ10入りしてからは、5位→4位→3位と、ジワリジワリといった具合。
 ちょうど「ラ・バンバ」がメチャメチャ売れてた時期だったので、その後は失速してしまうのだけど、十分に健闘した。大してプロモーションもかけていなければ、映画のタイアップもない、これだけ地味な曲がここまで売れちゃったのだから、この辺にアメリカの良心といったものが垣間見えてくる。

3. Ironbound/Fancy Poultry
 幼き日のニューヨークの街角を丹念に描いた、スケッチ的な小品。2部構成となっており、観察者的な視点はウェットにならず、ドライに活写している。頭の2曲が有名すぎるので目立たないけど、初期のスザンヌの作風が色濃く反映されている。

4. In the Eye
 ここでギア・チェンジ、控えめだったリズム・セクションが前に出てきて、やっと80年代っぽいサウンドになっている。スザンヌのサウンドでリズムが強くなるのは90年代以降だけど、その萌芽と言っていいのか。いやないな、ミッチェル・フルームにそそのかされただけだし。
 とはいえ、このアルバムのプロデュースに嚙んでいるのが、レニー・ケイ。あのパティ・スミスの懐刀であり、NYパンクを築いた一人である。こういったアプローチのアンサンブルがあったって、おかしくはない。

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5. Night Vision
 フランスのシュールレアリスム詩人Paul Éluardの作品にインスパイアを受けて書かれたトラック。アコギメインで薄ーくシンセをかぶせる手法は、この時期のシンガー・ソングライターの定番。皮肉じゃないよ、落ち着くんだよリアルタイムで聴いてたから。
 
6. Solitude Standing
 アタックの強いドラム、ミニマルながら適所にアクセントをつけたシンセ・パート、そこへユニゾンで絡むアコギ、闇を引き裂くようなエレクトリック・ギター。アクティブなアンサンブルは、タイトル・トラックに相応しい。
 クレバーな演奏とクレバーなヴォーカル。でも、それらはうっすらと熱を帯び、額に汗をにじませる。こういうサウンドは、メジャーではできなかった。

7. Calypso
 60年代ディランが80年代にタイムスリップして来ると、こんな感じになると思う。いや、フュージョン以前のジョニ・ミッチェルかな。なので、間奏のシンセの音が浮いているのが、ちょっと惜しい。ギター・ソロもちょっとミスマッチ。もっと淡々としてていいんだよ、こういうのって。
 ちなみにタイトルからダンス・チューンを連想すると、肩透かしを食う。音楽ジャンルじゃなくて、ギリシア神話に登場する女神の名前なんだって。ちなみに俺が連想したのは、カート・ヴォネガットの『猫のゆりかご』

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8. Language
 言葉を扱う者ゆえ、言葉そのものについて深く考察すると、どうしてもメランコリックな曲調になってしまう。言葉を重ねれば重ねるほど、真実からは遠く離れてゆく、というのを体現している。どこか詰まり気味の発声は、真摯に向き合う者ゆえの特権でもある。

9. Gypsy
 なぜかUKのみで、シングル先行リリースされている。オーソドックスなフォーク・ソングといった風情なので、ここまで張りつめていた緊張感をほぐす意味でも、こういう曲が1曲くらいはあってもよい。でも、曲順的にはもうちょっと前に配置するべきだよな。もうアルバムも終盤だもの。
 これだけ曲調が違うのは、プロダクションそのものが違うから。なんで入れたんだろうね。嫌いじゃないけど。

10. Wooden Horse (Caspar Hauser's Song) 
 軽い響きだけど強いアタックのタムと、シングル・ノートのベースで構成された、その後のインダストリアル調を彷彿させる、ある意味冒険的な曲。叩きつけるようなギターとは対照的に、クレバーさを保つスザンヌ。
 スペルは微妙に違うけど、あのカスパー・ハウザーを主題に取り上げている。wikiを見てもらえばわかるけど、曲順的にはここしかないな。わかる人にしかわからないけど、目立つ場所には入れられないもの。
 でも日本には、ビジュアル系でジル・ド・レイってのもいるんだよな。ファンの人って、意味わかってんのかな。

11. Tom's Diner (Reprise)
 ラストは1.のインスト。街角のジャグ・バンドが演奏してる風なアレンジ。BGMとしてはちょうどいい。



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北海道の中途半端な田舎に住む、そろそろアラフィフ男。不定期で音楽ブログ『俺の好きなアルバムたち』更新中。ただでさえ時間ないのに、また新しい音楽ブログ『80年代の歌謡曲のアルバムをちゃんと聴いてみる』を始めてしまい、どうしようかと思案中。
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